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人が生きていく上でむずかしいことの一つに人間関係がある。それは、 何事でもみんなの気にいるようにはできないことである。おおよそ50% の人に気にいってもらっているのであれば、うまく行っているものと思う べきではないだろうか。 このように考えて見ると、自分が意見を述べるときには、約半々の確率 で反対を受ける可能性があることになる。また、他人の反対にも別の方向 から見ることも出来る。自分の意見に誰かが反対したとき、そのことに よって傷ついたり、意見を覆したりしないで、自分に賛同してくれないのは、 反対する50%の人間の一人に出合ったのだと思えば良い。 自分の考え方、話し方に対しては、人からの多少の反感あがるものと 予め心得ておれば、反対に遭っても、絶望のどん底に陥ることは避け られる。反対があることを予期していると、そのために傷ついたりする ことはなくなるし、同時に自分自身が否定されたのではないのだと思う ようになるだろう。 人の反対を避けて通ることは出来ない。どのよう意見があるにしても、 それに対応する全く別の見方があることを認識すべきである。
2011.10.31
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ある程度各人が自分を規制し、様々な細かい 出来事を積みかねることによって、人格は形づく られて行くものである。 良いことであっても、悪いことであっても、人格の 色合いに影響されることなく毎日を過ごすことは出来 ない。例えば、髪の毛であっても影をつくってくれる ように、どんなにつまらいことであっても、行動は必ず 結果をもたらすものである。 行動すること、考えること、感情を抱くことのすべて は、その人の気性や習慣、判断力を養うために 役立つものである。更には、これからの人生に おこるあらゆる行動に影響を及ぼすものである。 このように、人格は良い方向にも、悪い方向にも、 常に変化しながら成長する。向上する面もあれば、 堕落する面もある。 いづれにしても、最高の人格は努力なくしては つくれない。絶えず自分を見つめ、自己の修業に 努め、自制心を働かせることが大事である。 ためらったり、つまづいたり、あるいは、ときには くじけてしまったりすることもあるだろう。様々な 障害や誘惑には勇気をもって立ち向かい、それを 排除する必要がある。 今よりももっと高い人格を身につけようとする努力、 進歩向上しようとする努力を続けることによって、 我々は成長して行くものと思う。
2011.10.30
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親切な心は、この世において偉大な力をもっているものと 思う。 親切というものは、人にものを与えることではなく、心の 広さとか優しさを意味するものと解釈すべきではないだろ うか。例えば、財布の中にあるお金を与えても、心の中の 親切さはしまいこんでしまっている人もいるかもしれない。 金銭を与えるという形でなされた親切さにはあまり価値が なく、むしろ、害を招くおそれもあることだろう。 けれども、重要なことは、心から相手を助けてあげたい 気持ちからなされた親切は、きっと有益な結果をもたらす ものと認識すべきである。 親切な行いは、お互いに共鳴し会うものである。本当の 親切は、現実に利益をもたらす方法を生み出すものとして とらえることできる。
2011.10.29
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豊富な包容力を持った健全な人たちは、皆 希望と朗らかさに満ちて いる。このような人たちと交流を交わした人は、元気づけと明るさを貰う ことが出来る。包容力を持つことによって明るい人生をおくりたいものだ。 この朗らかさの基礎となっているのは、愛と希望と忍耐力にあるものと 見られている。愛は愛を呼び覚ますと共に慈悲を生むものである。愛は やさしくそして誠実であり、善悪を見極めるものである。愛は物事を明るく し、いつも幸福を追求するものである。愛は明るい思考を育て、朗らかな 雰囲気の中に生まれてくるものである。 以上のようなことを認識して日頃工夫をしながら、包容力を高めるよう 努力して行くことにしたいと思う。
2011.10.28
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朗らかさは人生を楽しむもとであると言われて いる。それは、心に明るさを、精神に弾みをつける とともに、人間愛と忍耐力を育むからである。 朗らかさを身につけ、心の中をいつも晴れ晴れと しておくことが人生を楽しむ上で必要なことである。 また、朗らかさは休息にも似ているように思われ る。朗らかでいれば、再び力が湧いてくるからで ある。これとは反対に、もしも悩んでばかりいて 不満が多いと、気力は弱くなるばかりで心身とも 消耗し続けて行くだけである。 毎日の業務に精力的に働き続けられるもとは、 物事を冷静に考えることと、いつも朗らかさを 保つことにあるように思う。 日常の習慣として、心掛けたいことは、忍耐 する習慣、外の人の挑発に直ぐ乗ってしまわない 習慣、自分を中傷りたり、荒々しくののしって来る 言葉を聞くことがあっても腹を立てないで、その 言葉で悩んだりして自分自身を苦しめたりしない ような習慣を身につけて行くことである。そうする ことによって、物事を冷静に見つめるようになる と共に朗らかさを保ち楽しい人生をおくれるもの と考える。
2011.10.27
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世の中には物事を悲観的に捉えすぎて人生の重荷を負って しまう人もかなりあるものと思う。そこで、心構えを変えて 楽天的な取り組みへと転換してみてはいかがだろうか。 そうすれば、人生の重荷を半減して明るい人生をおくれる ものと思う。 そこで、楽天的に活動している人の発想に目を向けて 見よう。このような人々にとっては、挫折していまいそうな 手痛い艱難はものともせず、たとえ災難があったとしても、 災いを変えて福となすとの発想で満足感を得るよう心掛け ている。また、どんなに空が暗くなっていても、雲の隙間から 太陽の光が漏れてくるものと信じて活動しているのである。 これらの人々の取り組みの姿勢は、目の前にある悪に 対しては未来の善を見つけようとし、体の痛みを感じたとき には、健康を取り戻すための努力を続け、試練を味わい ながらもそれを修業と受け止める心をもち、直すべき己の 欠点を見いだすよう努力している。 悲しみや災難に出合ったときには、勇気を奮い起こし、 これまで修得した知識をよく働かせ希望をもって立ち 向かう姿勢を持っている。 楽天的発想を習慣化して人生を楽しんで行きたい ものだ。
2011.10.23
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良き友の関係とは、「この人に喜んでもらいたい」と 思う人のことであり、その人が喜んでくれ、笑顔に なってくれるこことが嬉しい、と言った関係であると 言われてている。 この様な友が欲しいのであれば、 その相手に用事がなくても手紙を書いたり、メールや 電話によって自分の方からコミュニケーションを 保とうする努力が必要となってくる。 ここで重要なことは、一方交通ではなく、投げ かけたものが返ってくる相互交通であることで ある。つまり、相手の存在が自分の喜びとなり、 相手からも「あなたの友でいたい」と思われる 関係を築きあげることである。 そのような友の関係ができると、その人から 「有難う」とか、「嬉しい」との言葉をいただいた ときには、これ以上ないほどの幸せを感じる ことになるだろう。 良き友をつくろう、そうすれば楽しい人生を 踏み出すことができるものと信じている。
2011.10.22
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我々が「悟る」と言うことを耳にするときには、 長期間かけて修行 を積むことによって悟りを開くととして考えるのが一般的である。 ところが、ある心理学者に教えていただいたことによると、悟りを 宗教的にとらえるのではなく、見方を変えて、「悟り」ということを 「自分になるほどと納得が出来る」こと、「腑に落ちる」こと、として とらえることによって、「悟る」ことができると言うことである。 そのユニークで簡単な方法をアップして見よう。 1秒目で、過去のすべてを受け入れる。 2秒目で、現在のすねてを受け入れる。 3秒目で、未来のすべてを受け入れる。 すべてを「あー、これが自分の人生なのだな」と受け入れることが 出来たら、「恨む」ことや、「憎む」ことや、「呪う」ことがなくなって くる。そして、毎日楽しく過ごすことが出来るようになる。不平、不満 がなくなり、自分がこの世に生まれてきた使命や役割がわかってくる くるようになるということである。
2011.10.20
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大方の人々は幸せになるために「どこかに 幸せがあるにちかいない」「もっとがんばれば、 幸せが手にはいるのだ」などと考えて生活して いるように思われる。 見方を変えて考えてみると、幸せというものは、 何か特別なことがおきることではなく、何も問題が 起きないことが幸せの本質といえるのではない だろうか。 幸せというものは、良いことが起きるとか、楽しい ことが起きるのではなく、自分に対して、大変なこと、 ストレスを起こすようなことなどがないこと、 すなはち、何も起きないことこそが、幸せの 本質であると思う。 幸せの本体がどこにあるのかとうことではなく、 自分が幸せを感じたとき、幸せが広がっていくもの と考えるべきである。
2011.10.19
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人は自分の人生をつくっているのは、自分だと思っているので、悩む ことが多い。人生は、自分の思いで出来上がっているのではなく、自分 の思い以外のまわの人々のお陰で成り立っていると考えるべきである。 日常の生活の中でガラスのコップを使って水を飲むことに例と取って 見よう。コップを作る人、ガラスを作る人、材料を準備してくれる人、 このような人々支えなくしてはコップの水を味わうことはできない。 世の中のどんなことでも「自分だけでやっている」ことはない。 我々をとりかこむまわりには、「六人の守護者」がついていると 言われている。神様、仏様、守護霊様の目に言えない三者と、 我々が関係している人間関係から見て友人、知人、家族の六者に によって、自分の人生は成り立ているのだと悟るべきではないだろ うか。このようなことから、自分の人生に参加できるのは、その六者に 「いつも支えてくださって、ありがとうございます」と感謝の念を抱くこと にあると思う。 我々が感謝すればするほど、まわりの人々がもり立て てくれることになるから、よりよい人生を歩むことができるものと信じて いる。
2011.10.18
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あの時こうしたら良かったのだと過去の出来事を 悔やんだり、今後こうなったらどうしようと未来を心配 する人は多いようである。 しかし、このように思い わずらうのは意味のないことのように思われる。 それは、我々に出来ることは、今いるこの現在を いかにして生きるかということである。 目の前にいる人を大切にし、目の前にある事柄を 一生懸命にやり通すことではないだろうか。 我々はこの人生において、過去、現在、未来という、 とても長い時間・空間を生きているようであるが、 実のところ、今日この瞬間だけを生きているのである。 常に心掛けたいことは、今日この時に目の前に実在 している人を大切にし、やらなければならないことを 心から大切にして実行して行ことによって意義ある 人生を歩むことである。
2011.10.15
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物事にとりかかるときに、前向きに取り組もう、積極的に行動しよう などと「かけ声」をかることはとてもいいことなのであるが、実際なか なかうまく行かず困っている人も多いことだろう。 この様なときには、いかに積極的に考えて、自分をその方向に もっていけるかが焦点になるものと思う。 毎日を楽しく過ごそうと努力を継続していくことである。例えは、 たとえいやなことがあっても、それをいい方に解釈することである。 また、気分がのらない日には、自分が気にいった得意なことをやって 気分を明るくすることによって、プラス思考になれる「環境」を作り出す ことが重要である。 ともかく、日常 そのような楽しい気持ちになれる環境を作り出して、 積極的に行動して行けば、まわりの人も引き寄せることが出来るもの である。
2011.10.10
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「しようがない」と言う言葉は、現状を否定した言葉で 「これ以上、しようがいない」と言うのだから、「このまま 行くしかない」を意味する。 ここで考えてみなければ ならないのは、「本当にそれ以上、仕方がないのか」を 検討することである。 物事を進めていくとき、 「ここまでしか出来ないから、 しようがない」と自分で終了してしまうと弊害が出て くることである。うまくいかなかった背景には、原因が あるはずである。一層の工夫と改善をはかることに よって、同じような問題が発生しないような積極的な 取り組みに変えることだ。 要は、強い信念をもって、成功するまで諦めない 忍耐力と努力を継続して行くことが重要であると 思う。
2011.10.09
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今日一日をいかに充実して過ごすかの方向性を決めて末永く生きて 行きたいものだ。 長寿者の話をよく聞くことがあるが、その際耳にすることは、特別に 目標を具体的に立てていたわけではないと言うことである。毎日を あまり気遣うことなく、楽しく、規則正しく生活してきた積みかねが、 結果的に素晴らしい生き方に繋がっているものと言えると思う。 長生きしたいと思って食べ物や健康法に懲り過ぎたら、かえって それ自体がストレスの元になってしまう。いかに注意して毎日を送って いても、人には寿命があるから思うとおりにいかないことがある。 このようなことから、いつ死んでも良いくらいの気持ちをもって、一日 一日を充実して過ごすことによって、長寿社会を楽しく生き抜くこと が出来るものと思う。
2011.10.07
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英文の諺にはいろいろのものがあるが、その内 「商売がたき」表した諺をアップして見た。 “Two of trade seldom agree” (同じ商売をする者は一致することはまれである) 同じ商売を営んでいる人達は表面上はなに くわね顔でやっているけれども、商売のことに なると、その売り方や値段の割引などに ついて、意見の合わないことが多いもので ある。あそこの店ではいくらで売っているが、 うちではこれくらいサービスをさせていただ きますと言うようなことは良く耳にすることで ある。この諺は、そのような「商売がたき」 のことを表しているものである。
2011.10.03
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激励するときに一般的に使用するのが「頑張れ」と言う言葉である。 この言葉は話す相手側のおかれている状況や環境を良く弁えた上で かけてやるべきことだと思う。精神的に安定して問題のない人に対し ては、この言葉をその通りかけてあげても激励の効果は上がるものと 思う。 しかし、何か病の関係で精神的に不安をかかえている人に 対しては、医学関係者からの実践によると、むしろ、頑張らないけれど、 諦めないことが大切だと言われている。この頑張らないけど諦めない ことを続けていくと効果のチャンスが生まれてくるとのことである。 激励を必要とする人への対応としては、「頑張れ」と言う言葉よりも、 相手の人にとって「元気が湧いてくるような環境」とか、「一緒に頑張 って行ける環境」とかにして、 「やれば出来る状況」を作ってあげる 方が、激励の効果は上がっていくものである。
2011.10.02
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何か物事を進行しようとするときに、はじめから何も しないで、「それは無理です」とマイナスの言葉をはく のをよく見かけることがある。 この様な姿勢では 物事は進まず成功することはないだろう。 人間は、「本当にやり通すと思っていたらその通りに なる」と言われている。 思う通りに進行しないのは、 自分が本当にその通りなると願っていないところに 問題があるのであって、本当に思っているのであれば、 どのようなことをしてでも、その計画を実現するために 行動を取るものである。 最初から「やっても無理だ」と 考えていたら、計画を実現するための準備さえしていない のだから、実現するはずはない。 「できるはずだ」と プラス思考をとれば、実現のためのに必要な行動を おこせるはずである。 要は、「本当に心から実現できると思えば、それは 実現するのだ」との信念を抱いて、自分の能力を信じて、 毎日工夫改善を積み重ねて実行を継続して行けば、 いつか思いはかなうものである。 強い意志を最後まで 持ち続けることによってムリの発想を消し去ることが 出来ると思う。
2011.10.01
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