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今週も無事、任務完了~♪仕事明けの朝の空は雲ひとつなく、お日様がまぶしい。このまま縁側の猫になりたい。午後は、ぽかぽか温もりながら、昼寝でもしようか・・・前倒しまでしてあんなに頑張ったのに、途中でダラけたから昨日は、いつもの時間まで汗をかいてしまった。相変わらず副業は、一年経っても要領が悪い。でも、締め切りを過ぎてしまえば、そして仕上がりに問題がなければ、自由の身である。副業は一週分休みを貰ったから本業の日まで休める。だからこの週末は、貴重な“ふつうの休日”になる。特別なことは何もしないけど、思い存分、ゆるゆる過ごすぞー!******急に暇になり、ワイドショーをザッピング。気になったどのニュースも、「男達、しっかりしろよ」という感想に。その中でも特に、婚約発表後に家庭の問題で“結婚に関する諸々の行事を延期させた“KK氏。そして、相撲界を辞め、夫婦もやめてしまった元親方の長男HY。このふたりを見てると、ママべったりの親密すぎる母子関係が、結局は息子の人生まで影響しちゃったんだなーと。これは単なる憶測に過ぎないが、今まで何でも母親任せか母親と二人三脚できたせいで、大人になった今も自分ひとりでは、何も“責任”を果たせない。ふたりとも結婚の意思を見せるのだけは早かったようだが、夫婦としての人生設計も何も描かないまま、勢いで結婚まで持ち込もうとするから、一度でも何か問題が起きたら、崩れるのも早い。結婚が勢いでするもんだというのは、間違ってない。私も結婚を経験する時に本当にそう感じたから、「この人かも」という閃きがあれば、瞬発力を大事にした方がいい。ただし、彼等は手順を踏まないまま、いきなりゴールのテープを切ろうとした。HY氏なんか22歳にしてスピード結婚した。なのにもう離婚直前らしい。どうも彼は優柔不断なのか、靴職人になりたいと、イタリアまで行ったかと思ったら、芸能界に憧れ、最近まで事務所にも所属してた。まだ若いから色んなことに興味があるのは、良いことだ。靴を一応作れるくらいになったんだから、きっと何かに真剣に取り組めば、できることもあるだろう。でも今の彼は、どれも手を出してそれっきり、な印象。靴の注文者との間にもトラブルを抱え、家庭でも様々問題を抱え、それでよく取材陣にコメントできるなぁ。しかも親の離婚は“自分のせいじゃない”ようなことまで・・・。全部それが原因とは言わないが、父親が彼のふらふらした生き方に、苦言を呈していたと聞く。彼がのん気でいられるのは、母親の後ろ盾あってのこと、だとも。KK氏にしても同じだ。国民やマスコミに騒がれたから、公表せざるをえない状態だったとしても。まだパラリーガルの身で、しかも何をするにも知人の男性の金頼みできたくせに、その立場の自覚なく、プリンセスを手に入れようとは。挙げ句、宮家に相談もなく米国留学を決めた。“弁護士になるための勉強“という名の逃避、だろう?知人男性の400万円でさえ返済できない人が、ウン千万もする学費や生活費を、どうやって工面したのだろう?? 付き添いのSPのお金は国が払うの???噂じゃ、私生活は随分羽を伸ばしてるらしい。ならば、そろそろ生活費を稼ぐアルバイトでもしてみたら?国際弁護士になりたい。それがKK氏の目標。 ふたりとも、優先順位を思いっきり間違ってる。親や周りの大人の力添えもありながら、何ひとつ、自分の足で立ててない。 夢は夢だから、大きくて構わない。でも、世間で言えば22や27は立派な大人の年齢だ。私だって22で念願の職種に就職したし、27で長年の夢を叶え転職もした。そして親の力も借りずに、生涯の相棒を見つけ結婚もした。これまでの人生、親に甘えたことなどほとんどない。全部自分で責任もって決めてきた。だから失敗したら、自分の尻は自分で拭う。そのくらいの覚悟をもって、生きている。一般人だって、やる時はやるのだ。 骨のない漂うだけの海月だって、時には人の役に立つ。だから、おい、こら、そこの“ふにゃお”君達よ。【一人前の男、常識とマナーを身につけた大人になる】これが何よりも先にすべき事、ではないのか? 親本人の誕生日のおめでたい席で、苦悶の表情で「それ相応の対応を」とまで口にさせてしまうような、そんな”大切な人を幸せ“にできない人間が、周りに祝福されるわけがない。 ★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「久しぶりに体重計にのり、人生初の数字に息を呑む。今一番要らないものは、勝手に増えた体脂肪」
2018.11.30
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『米津玄師の歌詞で「どこにも行けない」率は何%ぐらいなのか?』というタイトルに惹かれ、記事を読んだ。最近のネットの配信ニュースは、はっきり言ってどれも似たようなネタで、スッカスカの内容ばかり。だいたいが、TV観ながら放送で流れたまんまを無断流用してるようなレベル。だから誤字もそのまま、文章も拙く、素人に毛が生えたくらいの文章力で平気で発信してる。その中で、久しぶり、いや初めてくらいにオリジナリティと努力のあとを感じる“面白い“記事を見つけた。まいしろ(自称:社会の荒波から逃げ回ってる意識低めのエンタメ系マーケター)さんという、おそらく女性のようだが、彼女の取材力というか分析力が、とにかくスゴイ!!プロフィールの詳細は知らないが、最近のエンタメ系専門家の中でも、ちゃんとした仕事ができる人なんだと思う。どのくらいの時間を掛ければ、これだけのデータが集まるのだろう? 本当に仕事が細かすぎて脱帽。 彼女の丁寧な仕事のお蔭で、そんなに詳しくない米津玄師の詞の世界が、ザックリだが理解できた。どうやら彼が描く世界では、本当に「どこにも行けない」らしい。今年デビュー10年を迎えた某歌手が、Mステでタモリに「いつになったら会えるの?」と、歌の主人公がいつまで経っても「会いたい」ばかり言ってるとこを直球で突っ込まれ、大いに話題にもなった。それに続く面白さを、今回の記事で感じた。彼等の歌詞については、まー意地悪な見方をすると、まだ世の中を広く見てないとか心に何かしらの闇が・・・とか、思われがち。でも逆に考えれば、その人その人のスタイルが確立してるってことで。私には、それが良いとも悪いとも言えない。ただ、できれば、ココから先へ世界が広がった方が音楽業界では、飽きられずに長く生きられると思う。歌詞ではないが、私にもある時期、口癖になってた言葉がある。編集者時代、何故それを言うようになったのか全く覚えてない。それが「いい感じ」というひと言で。ある大物ミュージシャンの撮影付き取材で、カメラマンが試し撮りしたポラを見た時、つい言ってしまった。「あ、いい感じ~」その次の瞬間から、ミュージシャンは何度もその言葉を繰り返していた。彼、気に入ったみたいだ。私は口調をマネされて、かなり恥ずかしかったが。今はもうさすがに言ってないと思うけど・・・もしその言葉を口にする人がいたら。彼にそれを教えたのは、この私です(笑)。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「最初から“違和感”しかないと、ほぼお別れするパターン。」
2018.11.29
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「最近履いてないでしょ? あんまり履かないみたいだし売っちゃえば?」黒いショートブーツを買おうかな~という話になった時。すかさずアレのことを持ち出すダンナ。むむ・・・痛い所をついてきたなああそうだ。確かに今季まだ履いてない。“履く機会”がないから、履かないだけなのだが。あえて機会を作ってないとも言う。避けている?? 実はそうかも。なぜならそのセミロングブーツのヒールの高さが、最近怖いから。長時間歩く癖があるから、ここ数年の靴は基本、歩きやすいローヒールかスニーカータイプ。履き心地の好い靴を揃える店を見つけてからは、主にそこで買うことが多くなり。その店の靴に足が馴染みすぎてしまった。問題のブーツもこの店で買った。見た時には一点しか置いておらず、ちょうど丈の短めなブーツを探していた私は、気に入って買った。はずだった・・・それが、思ったよりヒール感があり、歩く時には注意が要る。もちろん、若い頃ならこの程度で怖がったりはしない。大学時代やバブル期の頃なんか、6㎝を超えるピンヒールでも平気で履きこなしていた。だから私にとって、ハイヒールは慣れた靴、のハズだった。しかし私もいい歳である。骨密度を何度計っても、計り手が驚くほど、強い骨と言われている。それでも、そろそろ本気で骨や転倒の心配を、した方がいい。そう思ってるうち、だんだんブーツもローヒールを選んで履くように。そして寂しく隅に追いやられた例のブーツ。友達がくれた猫のクリップも、ブーツを挟みながらカナシイ顔して泣いている。あまりに可愛そうで、そしてダンナに言われたことが悔しくて。意地になって、今日履いてみた。何か月ぶりに履いて、そろそろ注意しながら恐々と歩き・・・正味2時間。 っつ・・・疲れた。 やっぱ、売るかも★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「熟さないうちに萎んだアボカド…切るのが怖い」
2018.11.27
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前回よりラクしたいから、締め切り前に余裕で終わりたい。そのためには、いつもより早目に取り掛からなければ。(副業を)気合を入れて進めてはみたものの、亀くらいにしか進めない。どうして毎回こんなに、いちいち引っ掛かり悩んでしまうのか? もっと手を緩めたって、多分許されるのに。本当に手の抜き方がいまだ分らない。明日は予定では、本気で頑張る日。今日一日家に籠ってやってもできないものが、明日じゅうに目標とする所まで辿り着くことができるという保証など、ないのに。とにかく明日になれば、力が出せると思ってる。たとえまた亀の歩みでも、 「私はもっと前に進める!」「私ならできる!」と暗示にかけながら調子に乗りながら・・・ ******認知科学研究者ジョシュア・ハーツホーン(マサチューセッツ工科大学)氏の研究によると。人間は年齢に伴い様々なピークを迎えるらしい。情報処理の速さと柔軟性に優れるのが、若者の利点である。それに対し、加齢による脳の劣化は免れることができないのも確かだが、実は中年になるにつれ、“能力のピーク“というものがあることが判明。因みに、私の唯一自信のある集中力のピークは43歳前後。新しい情報を学び理解する能力は50歳前後。そしてなんとナント! 67歳前後には語彙力のピークが♪これはまさに今、中高年を生きる私にとって、嬉しい&心強い研究結果だ。そう言えば、本業(校正校閲者)を始めるにあたり、派遣会社社長と初めて話した時、彼が言ったことが私の目標になった。「この会社に所属する派遣スタッフの上は55歳。校正の仕事は“経験がものを言う“から、歳を重ねた方がより望ましい。だから長く続けられる仕事ですよ」と。あの時、私の心は決まった。とにかく地道に努力して、55歳までは続けてみよう、と。その目標は今も変わらず。この派遣会社が、いや、今の派遣先の仕事がいつまで私と縁が続くのか分らないが・・・・・・私は私で集中力や新しい情報を学び理解する能力を維持し、語彙で頭の中いっぱいになるよう常に柔らか頭でフレキシブルに過ごさなければ。自分の中や外の衰えに、溜め息の出る回数も増える毎日ではあるが。まだこれから向かう先に、こんなにも可能性があるのだと思うと、私だってまだまだ、捨てたもんじゃない。何の、誰のためでもいい。小さな存在で構わないから、できるだけ長く“世の中の役に立つ人間”であり続けたい。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「どれ聴いても薄っぺらい詞の世界が無理。あんなのでアーティスト気取られてもなぁ。」
2018.11.26
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朝っぱらから情報量詰め込みすぎて、頭パンパン。昨日今日とほぼカンヅメで、一時間でも早く終わらせようと奮闘してるけど、心身の疲労が酷くなる一方。間違いが許されない緊張感と、目の前に在る課題の中身が???なストレスとで、久しぶりに体がバキバキ。首も肩も凝り固まって、温めても揉んでも時既にな感じでうんともすんとも。一晩寝て和らいでも、また翌日・・・な悪循環だから、これを解消する意味でも、早く全部を終わらせたい。いつもなら午後3時前のテレビ体操がいい気晴らしになる。それなのに今日に限って、国会中継とか! 辛気臭い顔ぶれを見たら、さらに具合悪くなる。私の密かなお楽しみの時間を、奪うなー!編集者時代は肩こりがもっと酷かった。目が悪いのもあるし、持病とか当時の偏った食生活の関係で血行が良くなかったのせいもあるだろう。でも、不規則で人間離れした、今なら明らかなブラック的な業界に挙げられてしまうあの世界じゃ、誰もがどこかしら傷んでて、肩こりなんかも当たり前。ある日、ミュージシャン(元大物バンドのメンバー)の取材でレコーディングスタジオに行った。インタビューの前に少し時間があったため、ロビーで関係者スタッフと雑談に。その時、私が肩こりの話をしたのだろう。そのミュージシャンは、話の輪に入るタイミングを待ってましたとばかりに、急に私の目を見てニコニコしながらこう言った。「肩こり治すいい方法、ありますよ?」と言うや否や、彼の“肩こりの治し方講座“は突然に。そんなに特別感もない癒し方だったが、あまりにも活き活きと話してくれるので、私は興味深そうにへーだのほーだの相槌を打ちながら、彼の話を聞いた。お蔭で?彼の名前を見つけると、今も身振り手振りで真面目にレクチャーしてくれた彼の笑顔を思い出す。その時に何をインタビューしたのか、内容は全く覚えてないが、そのことだけは忘れていない。それと彼が見た目のクールさとは裏腹に、すごく人懐っこく情のあるキュートな人ってことを・・・余談だが、この前米国ドラマを観てたら、PCずっと弄ってた人が「あー、背中が痛いわ!」と言ってるシーンが。英語って“肩こり”に相当する表現がないんだよな。似たような言葉はあるにはあるが、それだとニュアンスが違うというか・・・日本人の言う“肩こり”とは違う気がする。描写の細かさで言えば、日本の言語の方が曖昧さも含めて・・・機微があって好きだな。おサボりは、このくらいにしておこう。さーて、今からもういっちょ、踏ん張りますか!その前にラジオ体操第ニ(なぜ第二?(笑)でも自主練して♪★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「いい風呂の日だそうです。よい入浴タイムを~ 37℃設定じゃ冷えるから無理。」
2018.11.26
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今日ってたしか勤労感謝の日。世の中じゃ三連休らしいけど、いつも通り仕事のため、事務所へ顔出し。それぞれの目的地へと向かう、浮かれ気分の観光客の群れにぐるり囲まれ、淡々と移動する。車窓から目に飛び込む空は、完全なるブルー。ああこれが、旅の途中なら、どんなに楽しいことだろう・・・でもこんなに混み混みの中、観光地行くのは疲れるだけだから、やっぱいいや。早く用事を済ませて、さっさと家に戻ろう。いつもより10分くらい前に着いたから、その分早く家に着くと思った。けど、今日に限って爽やかボスが話したそうにしてて・・・ひとつ聞かれたことに答えたら、そのまま話が止まらなくなり、結局玄関(内側)で立ち話に。さすがに今日は祝日なので、スタッフの気配なし。爽やかボスだけが待機して、私達仕事人を迎えるつもりらしい。それで気が緩んだのか、リラックスした表情で話が弾む。こんなにゆっくり彼女とお喋りしたのは、去年、面接で初めて出逢って以来じゃないか??副業を正式に契約してからは締め切り厳守で、お互い時間に余裕がなく、会っても必要な遣り取りを簡単に済ませたら、とんぼ返りの勢いで家に戻ってた。けど、今日の彼女は私の近況も兼ねて、聞きたいことがあったのか、それとなく私に話を振り、そのまま会話を繋げていった。人を束ねる力と魅力がある分、この人は“人から話を引き出す”のが巧い。取材で人から話を聞くのが仕事だった私でさえ、彼女のテクニックには感心する。おかげで随分舌も滑らかに、結構深い所まで何ひとつ躊躇いもなく喋ってしまった けど後悔はしていない。むしろ彼女にこの機会に全部話せて良かった~。メールで細かく遣り取りをしていても、忙しい中では大事なことはきっと、読んでも記憶に残らない。それでも時々、私の近況の詳細や思うことを、彼女に書いて伝えたつもり。ただし、こうして面と向かい話をする方が、解り合える部分が多い。初対面で彼女を見た瞬間から、今まで出逢った誰とも違う個性と魅力的な雰囲気に、ひと目ぼれした。仕事を是非一緒にしたい!と強く思い、それが叶った。あの日から彼女は私の、憧れの上司であり、目標の女性である。仕事も生き方も、この爽やかボスを目ざし今日まで振り落とされないよう、必死で付いてきた。今日話してみて、やっぱり好き!だと思った。こんなに歳をとって、信じられる人に出逢うこともこの先そんなにないだろう。介護の苦労話がメインだったが、ふと見たら彼女の眼には光るものが揺れていた。すごくいい、いつもの爽やかな笑顔ではあったが微笑みながら涙を・・・私のために泣いていた。「辛い時はココで全部吐き出しちゃえばいい」とまで言ってくれた。そんな彼女の姿に、もらい泣きしそうになりながらも震える声をなんとか抑え、私も笑顔でそこを出た。彼女が仕事相手で良かった。彼女に出逢えてほんとうに私は幸せだ。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「並ぶと有働より阿川の方が若いな。そのヒジキみたいなマツゲはヘンだってば!」
2018.11.24
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なんとか終わったー♪ 締め切りに間に合うぅ‘‘~。今回(も)思った以上に苦戦してしまったまさかこんなに手こずるとは。副業始めて一年以上経っても一向に成長しない。この仕事と向き合う度に、私、この分野実は才能ないなー、と気弱になる。興味があるとか好きとかだけでは、満たせないものがある。相手の要求も、己の想いも・・・私自身のキャパを知ってはいるが、毎回こんなにあっぷあっぷしてたら、先が思いやられる。これ以上、この力が伸びないにしても来年も・・・今のペースを保てるのだろうか。まぁ、そんな心配をする間もなく、明日からまた“新たな山”に登らなくては。******格闘しながらも“ながら仕事”が基本なので、ラジオやTVで音楽やニュースだけに耳は反応している。今日の個人的に気になるトピック。最近何かとお騒がせな航空業界。今度はオーバーブッキングで欠航に。羽田発福岡行きの日航機が、予約を集める際に乗客数の見通しを誤り、定員を上回る過剰予約の事態に。振替などの調整に手間取り、福岡空港への運用時間内到着が無理との判断。375の座席数に約400人の予約客・・・。素人考えだと、この程度の超過なら、うまいことハンドリングして時間内に飛べたかもしれないのに。各航空会社には、【フレックストラベラー(パートナー)制度】とやらがあるらしいが、それがこんな時に役立たないようでは何のための制度よ???って感じも。このニュースを知った時、またひとつ記憶がよみがえった。私がまだ【スカイメイト】を利用してた頃。東京某市・中央線沿線にある叔母の家に一泊して、早朝羽田に向かい、故郷九州の始発便を申し込む。お盆の時期か忘れたが、なんだかやたらと混んでる時期で。一便目は既に満席。キャンセルが出てもスカイメイトの人が相当数いるから、次々埋まってく、という状態。当時は今みたいに直行便が本数無くて、予約方法も限られ、航空券もビックリなほど高額だった時代。節約学生が格安で乗りたければ、誰よりも早く空港に着きただそこで待つしかなかった。だから待った。待った。途中でごはんも余裕で食べられるくらい長いこと待った。希望の航空会社の便が、あと一便つまり最終便しかない時間まできて、長椅子で脱力してた時。その会社のグランドホステス(今はスタッフ?)が、私に駆け寄って来た。「航空券そのままで乗れますから、荷物はもう手に持っていただいて、今直ぐ乗ってください!あと10分です!!」隣のライバル社カウンター同士さっきから、こっち見てごにょごにょしてると思ったら、私か! 私をみんなで乗せようって相談してくれてたのか!!!(歓喜)あまりにも突然で、時間がなさ過ぎて、私、みんなにお礼をちゃんと言えたかどうか・・・あの時、会社の壁を越えた彼女達の柔軟な仕事ぶりのお蔭で、田舎娘はライバル会社の最終便に乗り、無事に親の待つ実家へ戻ることができた、とさ。今はそんなことにいちいち応えてられない、つまんない時代になちゃったんだな。とか偉そうに言いながら最近・・・ここ三年飛行機に乗ってないから、今の空港の接客の良さを全然知らないだけなんだが。いろんな想いを抱えて、その場所に行って“被害に遭った”人達のことを想い・・・“あの頃”助けられた日のことをじわじわと思い出し、ちょっと胸が熱くなった。あの時・・・助けてくれて、ありがとうございます。私もすっかり関東人になりました。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「だいぶ前の“いい夫婦の日“に結婚したC社プロモーターO氏…濃いキャラだったな~」 遠き日の鎌倉の…何処だっけな~?な路地裏。
2018.11.23
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Mr.ビーンみたいなとぼけた顔してて・・・やることがみみっちいな! あれだけ地位も名誉も財産も実績も、何もかもを手に入れておきながら、それでもなお欲しいのは“お金”、なんだろうか。私そこそこ人を見る目はあると思ってたが、彼のこんなセコさまでは見抜けなかった確かにN社をV字回復させ、斬新なアイディアと溢れるバイタリティで、実力を発揮したのは間違いない。その力にひれ伏し、何もかも依存し、意見を言えなくなったN社にも大きな責任がある。内部監査もきっちり仕事をしてたら、こんなことにはならないはず。「噂は前からあった」と社員や専門家は言いながら、なぜ誰も糺そうとしなかったのか?この手の金絡みの事件を聞く度、大きな損害になる前に誰も気づかなかったことに、首を傾げたくなる。それにしても。金額は莫大だが、やることのレベルの低さは、どこぞのマ○ゾエや、ミ○キーハウスのキモイおばさんと変わらないな。あれほどの人になっても、金に執着してしまうんだなぁ。ギャンブル依存でマネーゲームに使いまくって大損とかそういう浮世離れな理由じゃなく、自分を信じてついてくる社員たちを涼しい顔で裏切り、楽してがっぽり会社の金を貯めよう使おうだなんて・・・同じ悪事を働くにしても、あの眉毛の濃いおじさんのすることにしては、全然“華麗”じゃない。ま、どのお金でやったかは知らんが、再婚相手との結婚式をヴェルサイユ宮殿貸切で・・・とか聞くと、遠い昔、シンデレラ城で挙式しちゃった西○知美とセンスはたぶん同じ。はっきり言って、ダサい。ダサいが死語だとしても、あえてこの言葉を使いたい。ダサいよ、ゴーン! 私なんか、締め切りに間に合わせるため、今日も必死で課題と向き合ってるのだ。頼りない知識と経験と精一杯の心を籠めて全身全霊で取り組んでも、出来栄えによって一件の原稿料が上がるわけでもない。最初はいちいち褒めてくれた爽やかボスだって、一年も経てば、仕上げて当たり前のことだから、何も言ってはくれない。評価もなければ、ギャラも安い。だからといって、私の性格上、手抜きがうまくできなくて毎回苦しんで苦しんで、ひとしきり鳴いた夏の蝉が転がるように、最後はいつもヘロヘロだ。 でも、大体世の中そんなちっぽけな存在の力でうまく回ってるし、支えられてるんだ。だから私は、心の底から軽蔑する。たとえそれがどんなに権力も才能もある世界に名が轟くカルロス・ゴーンでも。あなたのしたことは最低だ。人の金を返しやがれ! ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「あの頃ヴェルディは輝いてた。元GK藤川氏のご冥福をお祈りします(合掌)。」
2018.11.21
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私にしては珍しく、もう来年のスケジュール帳を準備。といっても長年本体は同じで、リフィルだけを買う。いつから使ってるかも思い出せないくらい古いやつ。それが馴染みすぎて、毎年新作をあれこれ手に取って一応迷ってはみるが、結局「あれでいいや」ってなる。今見たら、2001年から使ってた! そんなに??実はコレ、某ドーナツ屋の景品?賞品?みたいな手帳で。ダンナが会社の同僚に貰ったかなんかで、もったいないから私が使い始めたんだと思う(あやふや)。当時はイイモノをプレゼントにしてた良き時代だから、丈夫だし安っぽくなく、デザインがオシャレ。6穴ミニサイズは手の収まりもよく使い慣れていたので、私には最適だった。それも時の流れと共に、細かい所は傷ついてそれなりに薄汚れてもきた。それでも壊れもせず使い心地がいい。しかも汚れた背表紙に好みの激安ブックカバーをかぶせ、中身を自分好みのリフィルでアレンジしたら、ますます快適になり手放せなくなった。スマホを持つようになって、もとから入ってたスケジュールアプリで、大まかな予定は登録しているものの・・・そんなに頼りにしていない(笑)。超アナログ人間だし、ペンは仕事にするほどの“相棒”だから、やっぱ大事なことは手書きで残したい。私は”月間&週刊ダイアリー形式”を飽きることなく愛用中。一週間メモのページには、その日のことを【思い出し日記】みたいに細々と書き込む。その粘着質で病的な詳細を見たら、私とのつき合い方を変えたくなる人もいるだろう(苦笑)。それぐらい小さなスペースに、びっちりと書く。これはスマホじゃできない。今でも紙の手帳が最強!編集者時代、B5サイズと6穴タイプをふたつ持ちしてた。B5サイズは黒いカバーのいかにも!なビジネス用。6穴はワインレッドの革製で、プライベート用。ただB5のは特別仕様だった。ギョウカイにしか出回らない大手事務所特製の、通称“ホ○プロ手帳“という便利手帳。ちょうど今頃の時期にこれを貰うのを、編集部一同、毎年楽しみにしてた。さすが事務所が作っただけのことはある。書き込みやすい紙質、24時間以上フォロー可能なメモサイズ、そして後ろの方には、あると便利な業界連絡先一覧も。この手帳に私の仕事のすべてを詰め込み、頼りにして取材現場や打ち合わせに挑んでいた。あの頃の想いと努力が染み込んでるから、これは私が生きてるうちは、自分の手では絶対に捨てられない。懐かしいアルバムと同じで、次にいつ開くのかも分からないのに、箱の中で眠り続けてる。******父が亡くなってしばらくして。四十九日の頃だったか、法事で帰省した時に、父の仕事関係の書類を入れた箱から、茶色の薄手の手帳が出たきた。私のよりももっと書き込むスペースが限られた、小さなサイズの手帳には、毎日の予定やその日の感想(ひと言メモ)が、見覚えのある文字で几帳面にびっしり記されていた。「○子、帰省する」「○子から電話あり」仕事内容や母への愚痴に混じって、私の名前が時々・・・それまで堪えていた張り詰めた何かが、私の中でぱちん!と弾け・・・母に気づかれないように、静かに泣いた。私はやっぱり、とーさんとかなり似てる。それがいいのか悪いのか分らないけど、あの時ほど父の血の濃さをありありと感じたことはない。あのスケジュール帳、どうなっただろう?引っ越しで処分しちゃったかな・・・形見に貰ってくればよかった。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「“私はロボットではありません”に、むかっ腹」
2018.11.19
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早朝、秋らしい澄んだ空気を思いきり全身に吸い込む。こんなに空は青いのに、どうも調子が宜しくない。毎日の予定をなんとか気合とユ○ケルで乗り切っているが、週末に向かうにつれ体力は消耗。今朝ついに気管支がぜいぜい鳴り始め、おじいさんのような咳も止まらず。随分前にもらった薬を飲み、今は落ち着いてきたものの・・・思えば先月もこんな始まりだった。歳を重ねるにつれ”本来の症状”が出てくるものだと聞く。私もこの数年、“喘息や肺炎で苦しんだ幼い頃の自分をそこに感じるような、体の弱り方をしてるのが気になる。あー、なんで健康体に生まれなかったんだろう。丈夫な体が羨ましい。自分に負けない強い体と心になりたい。今さら願っても、たかが知れてるけど。******フライングだが、このブログも明日で開設一年を迎える。当日に書こうと思ったが、なんだかんだで忘れそうなので今日のうちに”想い”を書くことに。私が初めてブログを開設したのは、結婚して数年後。婦人病の開腹手術を終え、退院後の日々をどう過ごせばいいのか、分らなくなってた時期だ。雑誌編集者からフリーライターへと転身し、やっと“それらしく”働けるようになった時に、体がもう手術を逃れられないとこまで悪化して・・・。開腹した体は2ヶ月くらい思うように動かず、普通に歩けるようになるまで、一歩を踏み出すのも難儀した。こんな体になってるのを知ると、周りは一斉に気を遣い、仕事仲間も友達も誰もに距離を置かれてしまった。今みたいにSNSがあればいつでも繋がっていられて、寂しくはなかっただろう。でもあの頃はネットくらいしか、簡単に不特定多数の人と触れ合える手がなかった。家に引き籠る暮らしが長いと、ただダンナの帰りを待つだけの自分に苛立つ。いざ、待ち人が帰って来ても、思うようにならないストレスを、疲れてる人にぶつけてしまう。そんな最悪な自分を変えたくて足掻いてる頃、ブログというものに出合う。「誰が見てるのかも分らないのに、怖くないの?」と、始めた頃は怪しむ友もいた(※そんな彼女も今では、言ったことさえ忘れ、夢中になってるし(苦笑)。でも私には、居心地の好い場所になった。もともと人間観察が大好きで、日常では知り合えないいろんな人の意見や考えを聞いたみたい、どんな生き方をしているのかを知りたい、そういう好奇心が強かった。だから家に居ながらブログを通じて、自分の足では行けない場所の世の中の人と繋がれるのが、楽しみだった。幸い怖い想いや不快な経験をした記憶は、ほとんどない。これはもう、偶然“出会った”人達に恵まれてたとしか言いようがない。たまたま私が発信した内容に反応してくれ、それをきっかけに知り合えた人、人・・・。最初のブログを離れた後も、いくつかブログを渡り歩いたが、どのブログでどんな人と知り合い、どんな話をしたか、自分でも驚くんだけど結構覚えてるものだ。お互いに“約束事”があるわけではないから、ある日突然”音信不通”になったりも。でも基本、私から消えることはしないので、相手に何かしら事情があり、去っていくパターンでここまで来た。縁あってYahooブログに辿り着き、一年を迎えるにあたり、ブログを始めた頃からの自分を思い出し、様々を振り返ることになったが・・・。今言えるのは、「ここで良かった~」ということ。ホントに心の底からそう思う。 仕事の原稿書きとは違いゆるゆるな気分で、その日その日の“どうでもいいこと“を、ひたすらダラダラ書きなぐってるだけのこんなブログに、心あるコメントを頂けるなんて!書き手として、こんなにありがたいことはない。仕事で書いた原稿が読んだ人に評価されるのも、モチロン嬉しいことではある。でもそれはお金をもらって書く文章で、相手もお金を払って読むわけで、プロとしてはある意味、褒められたり意見を言われたりは当たり前なことだ。プライベートで書くブログは、それとは全く違う。誰に媚びようとか、誰かを喜ばせようとかが目的ではない。会社の誰かに頼まれて書く文章ではないから、自分に全責任があるが、お金が絡まない分、無責任に自由に振る舞える。そこが素人ブログの好い所であり、身勝手な所でもある。そんなラフなブログの中で、多くを学ばせてもらう日々。何かの拍子で私のブログに立ち寄り、感想まで書いてくれた人達の文章、言葉やテーマの選び方・・・そこから垣間見る人柄や想いがこれまでのブログ以上に生々しく温かく感じられるのは、何故なんだろう?「この人、なんか惹かれる」「話をもっと聞いてみたい」と感じる相手に、書いた内容だけで巡り合うのは、難しいけど素晴らしい。だからこそ、この一年で私の駄文を通じて知り合えた人、すべてに感謝したい気持ちで、今はいっぱい。ありがとう。アリガトウ。あなたに出会えた私の毎日は、この一年間違いなく“励み”や“愉しみ”になってます。辛いことカナシイことやりきれないこと、そして面白いこと嬉しいこと・・・何かの感情が生まれた瞬間、「ブログに書こう」と考えてる自分がいます。どこの誰かに読んでもらおうなんて期待して、何様のつもり?と自分でも私を変に思う。ただ、私にとって(巧い下手は置いといて)こうして想いを綴ることは、私という存在を“認識”するのに必要で、私がこの世に生き続けるための原動力だから、たとえ他の誰かが急に去って行っても、Yahooブログが廃れても・・・私はずっとここにいる。私の想いが枯れるまで、私は私のままここにいて、今日のように取るに足りない想いも他人にとっては意味のない私の喜怒哀楽も、吐きだし続けて生きていく。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「私にとって日本代表カリスマ守護神といえばヨシカツ。」※Yahoo!ブログより転載。
2018.11.15
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一番の驚きは、いつの間にか”彼等“が自らの言葉で発信できるブログを開設してたこと。それだけでも驚きなのに、あの事務所のチェックが入ったうえで文面が、”結構な本音“で綴られており、事の重大さが伝わってくる。関ジャニ∞の大倉が「普通の人に戻る方がよっぽどらくだろう。そろそろ限界だ」とまで口にするほど、追い込んだ一部ファンによる迷惑行為。私が編集者だった頃、J所属のメンバーに関しては、其々にベテランのファンのリーダーがいて、きちんと全員を統率しきれていた。それが時代の流れや若者の価値観の変化と共に、一筋縄ではいかなくなってきているようだ。彼は自分達の立場(みなし公人)を充分に理解しながらも、プライベートにまで心無い”ファン”が土足で踏み込んでくる恐怖に、精神的に完全に参ってしまっている。そう言えば少し前に、やはりJ絡みで新幹線のホームにファンが殺到し、発車時刻にも遅れが出たとニュースで観たな。私が仕事で関わっていた頃も、ファンは大勢”出待ち”してた。タレント側のモチベーションアップにもなるから、事務所がリーダー格に取材先を教え、彼女達のグループに集まってもらう、なんて話も聞いたことがある。だからなのか大勢いても、それが人気絶頂時のキ○タクでもみんな整然と並び、大騒ぎしていた悪い印象はない。今、芸能界においてヒットやブレイクが難しい時代に、デビューから既に十数年経ってるグループが、メンバーの脱退にも負けず、これ程ファンに愛されているのは喜ばしいこと。苦労もあった彼等だけに、支えてくれるファンを大事に思う気持ちが強くあるからこそ、今までの迷惑行為を非難することなく、耐えていたのだろう。そんな彼等の怒りが、ついに爆発してしまった。一例だけを見ても、それが”ストーカー行為“なのは明らか。新幹線ホームやスタジオに押しかけるのが、たとえ許されたとしても。新幹線や休日に飲食店の隣に座る、カバンにいつの間にか物を入れる、急に手を繋いでくる、抱きつく、スタッフにエアガンを放つ等・・・常軌を逸した行動の数々は、場合によっては警察沙汰になってもおかしくない。小学生男児でも好きなコのスカートはめくらない時代に、相手に迷惑をかけてでも気を引こうとする手口が、通用すると思い込んでる人種はあまりにも愚かだ。好きな相手に好意を持ってもらいたいとか、自分を覚えてもらいたいとか願うなら、イチ女性として好かれる正攻法で勝負してみろ。そんな常識がない頭も心も空っぽな人間が、恥も外聞もなく芸能人によく会いに行けるなぁ。そんなに自分に自信があるのか? それとも、そんなに大倉のファンじゃなくても、誰でもいいから、人気者の吐く息が感じられる距離でエクスタシーでも感じたいと?? 相手のことなど全く考えられず、ただ自分の快楽や欲求を満たしたいだけなら、猿以下だ。残念だがおそらく、今回の大倉君の勇気ある発言は彼女達には届かないだろう。届いたとしても「私のこと、気づいてくれた~。ブログで私を取り上げてくれた~♪」と、向こうの都合よく取られてしまいそう。一番聞いてほしい人に、“警告”が伝わらないのがもどかしい。暗黙のルールも守れない、社会常識も備わってない超個人主義「私は悪くない症候群」に属する人種の “熱狂“は、エスカレートすれば更に恐ろしい事態を招きかねない。大倉君の一歩に続く、芸能人に期待したい。今こそ有名税のボーダーラインについて、議論すべき。ひとつの発言が波紋を呼び、バッシングも中にはあることは覚悟して。それでも声を上げるのは、今しかない気がする。余談だが、私も過去“出待ち”の被害に遭った。深夜ラジオの取材で、自宅からタクシーを飛ばしスタジオのあるビル前まで。降りる前、いやもっと先の車窓から建物前の黒い塊が見えていた。玄関前に車を横付けして、扉を開けてもらったとたん、私目がけて塊が一気に押し寄せてきた。あれは恐怖以外の言葉が浮かばない。彼等は私の行く手を塞ぎ、誰なのかも判らない私に、こう言った。「サインして!」ひとりの常連らしき男が口火を切ると、その後ろからどんどん塊がぐわーっと前に進み出る。しかも無言で(震)「スタッフです。取材です」と言って逃げようとしても、聞き入れようとせず、挙げ句の果てにリーダー格は私に苛立った声でこう命令した。「誰でもいいからサインして!」アンタなー。誰でもって・・・(脱力)。なんとか振り切って建物に入り、取材を一時間かそれ以上した後に、外に出ると・・・まだあの塊はそこに!!さすがに物覚えがいいのか、私の顔を見たら動くのをやめ、帰りはすんなり通りへ出してくれた。それでも彼等の作る“花道”をじろじろ見られながら歩くのは、不気味な記憶として今もこうして脳に刻まれている。あんな状態が毎回だったら、そりゃ芸能人でも疲れてる時は特に、心身が病みそうだわ。だから私は、彼等を取材する・支える側の黒子がいい。それも相手の負担にならない範囲で、“大人な対応”のちゃんとできる常識のある人間でありたい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「わんち○ーるのCM、猫ほどそそられない。」
2018.11.12
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図書館が『老人の館』になりつつあるという。朝刊を奪い合う、徘徊する、怒鳴る、失禁するなど等・・・司書泣かせな高齢利用者のトラブルの数々。図書館に関するトラブルは、借りた本を返さないとかページを破って返すとか、高齢者に限らず利用者側のモラルの欠如がここ最近、問題になっているが。やはり今一番の利用者と言えるのが高齢者だろうから、こういう“困った老人”が、目立ってしまうのかもしれない。我が姑様がまだ元気だった頃。どこにも行かないで部屋に籠りっきりは体にも脳にも良くないので、高齢者でも歩ける距離にある図書館通いを勧めた。当時はまだデイケアにも世話になっておらず、特にやることもない無趣味な人だったので、図書館は姑と嫁の私にとってもベストな場所だった。私が不定期勤務なため、仕事がない日は家に居るわけで。そうなると私が外に出ない限り、姑とほとんどの時間を同じ屋根の下で過ごすことになる。出不精な姑が動くより私が外で時間を潰す方が手っ取り早いから、私がせっせと出掛けるように努めたものの、彼女を甘やかせると間違いなく“認知症”になってしまう(結果なってしまったが)ので、なるべくイイ気分にさせて図書館へ出掛けるようにしつこく促し続けた。飽きっぽい彼女は、「変なおじいさんに目を付けられて気味悪かった」だの「文字の小さい本がほとんどで読めない」だのすぐに不満を言い始め、案の定そんなに長続きもせず。ただ、彼女の話からも朝の時間帯は老人ばかりなのは判った。私としては、同年代の人やそれ以外の人そして本との触れ合いができれば、姑の抱えるストレスも少しは発散できるんじゃないかと送り出していたが・・・彼女にとって、我が町の図書館は“癒される空間”にはならなかったようだ。******ダンナに頼まれた本を買うために、久しぶりに書店へ。最近は本もネットで買うことが増えたので、本屋に行く回数も減ってしまった。以前は商売柄、マーケティングリサーチも兼ねて買わなくても立ち寄る場所だった。でも最近は、そういう時間と心の余裕がなくなり、必要な時にしか行く機会もなく・・・。行けば興味深いタイトルに惹かれ、結構な時間を費やしがち。今回もせっかくだから自分の分も何か選ぼう!という気になり、あれこれ手に取り迷いに迷ったものの・・・用事だけ済ませ、諦めて店を出ることに。使い慣れた店なのに、やっぱり・・・というかおなかの辺りがもぞもぞし始め・・・入店後間もなくトイレに行きたくなった 実際は尿意があるわけではない。いつもそうだ。これは本屋に限っての現象なのだが、トイレに行きたいような感じ、に突然なる。知らなかったが、このことはかなり古い時代から様々な意見が交わされている。1985年にある雑誌に投書され”話題”となった人(一般人)から名付けられ、【青木まりこ現象】と呼ばれているそうだ。青木さん本人が自覚する現象は、以下の通り。①書店の本棚のまわりをグルグル歩いているうちに突然トイレに行きたくなる。②発作は書店に一時間以上滞在したときに起きる。③発作は本の種類と全く関係なく起きる。④図書館や古書店で発作が起こったことは一度もない。⑤印刷所に勤務したこともあり、紙やインクの匂いをかぐ機会は多かったが症状は起きなかった。【Wikipediaより拝借】②以外、完全に私も当てはまってる。⑤については、編集者時代から書籍も雑誌もかなり長い付き合いになるが、本の形になる前の段階のモノでも、特に書店の時のようなことは起きたことがない。図書館やブ○クオフでも、特に変化がない。じゃ、私は何に“反応”している??? ネット上に書かれた“緊張感”からなのか“リラックス感”からなのか、それとも鼻が何かの影響を受けているのか?初めがいつかは覚えてないが、子供の頃からな気がする。だから、もうウン十年と謎のまま・・・ま、ただ”トイレに行きたいような気がする”だけで、図書館のおじいさんのように、本当に“お漏らし”することは、絶対にないので(苦笑)・・・謎は謎のままでも別に困りはしないけど。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「そんなTシャツ着てカッコいいとでも? 歴史を正しく学んでから来日を。いや、もう来なくていいです。」
2018.11.11
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前にも書いた【日本縦断 こころ旅~とうちゃこ】を観てるうちに、旅人火野正平が橋が苦手なのが判った。大きな川に近づくにつれ、それまでのご機嫌な彼がだんだん無口になり、おとなしくなる。ある日の橋桁改修工事中の際には、捨てられた子犬のように渡る背中は丸まり、おどおどとして、画面から不安感が伝わってきた。やっとの思いで向こう側に渡りきった先で、真顔になり胸の辺りをさすり「気持ち悪い。ちょっと休ませて」と、地べたに座り込んだ。初回から番組を観てないので、彼にどんな理由があってのことなのか謎のまま。70にもなろうかという大人が、若い頃は様々な女性と浮名を流した色男が、なぜあんなに本気でぶるぶると震えるほど橋を怖がるのか。我が家ではそんな及び腰の彼の姿を見る度、「子供の頃にでも相当な怖い想いをしたんだねぇ」と“お約束”のような会話になる。******橋の話と言えば。藤子不二雄Ⓐ氏が、今朝インタビューで話していた内容が科学では解明できない不思議大好きな私には、とても興味深く。2013年に大腸癌を患い闘病した頃、夢を見たそうだ。一軒屋の窓から、複数の人が手を振っている。よく見るとそれは、トキワ荘の仲間たちが「こっちに来い」と言っているようだった、と。彼が「あの橋を渡ってたら・・・」と口にした時に、“あること”を思いだした。その台詞を、前にも聞いたこと。それは亡き父が、私達にしてくれた話の中で。彼が最初の大動脈瘤破裂で倒れ緊急手術をしたのは、20数年前のこと。手術後すぐに医師からは「助かる確率は10%以下」と言われ、ICUに眠る父を見に行っても「もう無理だろう」という気持ちが大きかった。それでも”奇跡”は起きた。心臓の名医も驚きを隠せず、「信じられない」と言った。主治医にとっても父の“生還”は、特別なモノになったようだ。父が復活を遂げてから定期健診で行く度に、“当時の想い”を懐かしそうに話したくらいに・・・父は手術中、生死の境を彷徨っている最中に「ラスベガスのキラキラまぶしい夜空を飛びながら眺めた」らしい。海外なんか行ったこともないのに。彼が「とにかくまぶしかった」と言ったのは、手術室の丸い照明じゃないかと私は思うようにした。その後、キレイな花畑の上を飛び、最後は川の上にかかる橋の前に立っていた、と。 暗闇の向こうに何人かの“人“がいて、みんなが片手を上げてこちらに向かい振っていた。その中に遠縁のおばさん(故人)がいるのに気づき、懐かしくなり橋を渡ろうと一歩踏み出す。手を振るおばさんの顔を見ると、ものすごく怖い顔をして顔を横に振っていた。しかも手は「おいでおいで」の形ではなく、手を真っ直ぐに止め「来るな」という風に見えた。それで父は怖くなり、後ろに急いで戻る。その後に私(娘)の「とーさん」と呼ぶ声が聴こえ、弟(息子)の声がそれに続き、「目が覚めた」とのこと。「Kちゃん(私の母)の声は?」とみんなに聞かれると、「聴こえんのじゃ」と言い、一斉に爆笑する・・・というのが親族の集まりでの“笑い話”となったのだが。【三途の川】は本当にあるのかも・・・と思いたくなる、私にとって忘れられないリアルなエピソード、である。約十年前、再び同じ症状で病院に運ばれた父。家で倒れた時にはもう息がなかったので、そんなに長くは苦しまずに逝けたのは良かった。前の時から主治医に「次は難しい。生還できたとしても、介護なしでは生きられない」と何度も言われたので、持病のある母や激務の弟の将来を案じ、今度は迷わずに“橋を渡った“んじゃないかな。先に旅立った両親や親族、愛犬びーぐ。他歴代の我が家のペットが、きっと橋の向こうに待ってくれていただろう。そう思えば、父も残された家族も寂しくは・・・ない。2年前に私自身が特殊手術を受けた時。局所麻酔なので、うつらうつらではあるが“意識”があった。大きな血管を弄るので、手術の終わり頃に一瞬だけ血圧が一気に下がり、フリーホールみたいに体の中身だけがふわっと足から抜けるような何とも言い難い初めての感覚(幽体離脱の時とも違う)を味わった。ここで先生が手を放したら、出血多量で・・・と“死“という言葉が、ぼんやりとした頭に過った。もちろん腕のいい先生で、そんな初歩的なミスはほぼありえないこと。幸い、橋は見なかったので、私が“あの場面”を見ることは、当分ないはず。90や100まで長生きしようとかっていう欲がないので、自分の長寿にはそれほど興味がない。けれど、今はまだいい。もう少し”この先の自分”を見てみたい。やっておきたいことも、それなりにある。だから今はたとえ父に呼ばれても、橋は渡らない。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「インコ爺さんより『ホームランド7』キーン大統領の政権の方が気になってる。」
2018.11.08
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「俺じゃない」と“主催者”は言った。「インフルエンサーになりたい」と言いながら、いざ予期せぬトラブルが起きると、責任逃れを平気でする厚かましさ!(呆)Mマークの店で買い占めた【三角チョコパイ】を、無料配布するゲリライベント。JR富山駅周辺にMの店がないせいか、当日1200人が殺到。軽症を負う者まで出て、遂には警察が出動する事態に・・・。あふれすぎた人を急遽近くの駐車場に移すも、人が去った後に柵は折れ曲がるわごみが散乱するわで大混乱に。どうもMとの正式コラボでもなく全てが無許可で行われたようだ。行った理由は上記に書いた通り。最近流行の横文字「インフルエンサー」を気取れば、何でも許されると思ったら大間違い。どう考えてもこのお粗末な“イベント”は、マーケティング的に世を動かし消費を促そう、Mの好感度知名度を上げようというのが、目的ではない。 ただ単に「自分が目立ちたかった」だけだ。何でもいいから自分の一声で人を集め“騒ぎ“を起こして、話題の主人公になりたかったとしか思えない稚拙さ。これだけ迷惑を掛けながら、集まった人にだけSNSで“お礼”を言い、物損もごみ散乱もなかった、自己責任でやってます~と、悪びれる様子が全くない。だからこんな騒動になっても、文頭のように他人事みたいな台詞が出る。自分が仕掛けておいて、この騒動のどこにも責任がないと、なぜ言い切れる? こんな無責任で無計画なイベントを、思いつきでしなければ、駅前の混乱は避けられ、富山の人間性がマイナスイメージにはならなかっただろう。デーブ・スペクターも言っていた。「インフルエンサーはこんなものじゃない。もっと大変な仕事。ずっと(責任を持って)やり続けなければならない」と。立教大の学園祭の失敗も同様。”橋本環奈のトークイベント”に観客が殺到し急遽中止された。300枚の整理券に1000人が押し寄せ、渋谷のハロウィン以上の酷い混乱だったとも言われている。毎年恒例の行事で大学側もこのようなイベント慣れしているとはいえ、所詮“素人運営”。専門のイベンターではないし、毎年同じ生徒が主催するわけでもないだろうから、こういうトラブルも想定内のはず。だけど仕切りが拙かった。前日に橋本本人が学祭のことをつぶやき、来てくれと呼びかけたらしいから、余計にファンが張り切って集まったせいもあるだろう。しかし、そういうおそれも含めありとあらゆる問題を予測したうえで、開催しなくては。整理券の配布の方法1つとっても、策を講ずるべきだった。結局、立教大学にも橋本環奈にもガッカリな印象だけが付き、何のプラスにもならなかったではないか。「あれが暴走になるのか? (二回検挙されたが)今後もうやらないとも言い切れない」スピード違反の検挙として、全国で過去最高速度となった時速280キロ。 新幹線“のぞみ”レベルで公道を走った大阪市の男。何度やらかしても、反省の弁は無し。「車の性能を試すためだった。みんなに見てほしかった」33歳とは思えぬ子供っぽさに、空いた口がふさがらない。この人、無職らしいのに、どうして800万もする国産高級スポーツカーに乗れるの? どういうお金があるのか知らないが、そんなにお金と時間に余裕があるなら、いっそのことサーキットを貸切にして、あの世が見えるくらいの速さで好きに突っ走ればいいんじゃないの?何も他人を巻き込む大事故になるかもしれない公道で、危険運転をする必要は、全くない! 動画撮影してるけど、あんなものにホイホイとイイね!する人も無責任だ。あんな男に気を遣うことをやめ、みんなで無視すれば、いずれあっちも飽きるかもしれない。まー、でもスリル依存症だろうから、今よりもっと世間を驚かす方向にエスカレートしちゃうんだろうな。そこまでしてもきっと彼は、「満たされない」気がする。心の穴がいつまでも埋まらないビョーキだと思う。整形が止まらない人と同じ感じと言えるかも? もっともっと!と更なる高見を目ざしすぎて、向かう先もそのうち判らなくなり結局、自分自身を失っちゃう的な。一分一秒を惜しまず、今を思い存分楽しむそんな生き方は、私も憧れるから、自分の“好き”に囲まれ己の”思うことだけ“を自分勝手にできればいいけど・・・世の中それでは、うまく回らない。金八も昔、言っていた。「人という字は人が支え合っている様子」だと。このテーマについては何度もココで書いてきたが、本当に今、この世はこの国は、三歩先どころか一歩先のことさえ読まず、今自分がこう言ったら、これをやったら周りはどう思うだろう? 世の中にどう影響するだろう?そんなことが描けない貧しい心の人達が、増えてる・・・というかのさばっている。そして何でも感想を「ヤバい」のひと言で片づける。それが、とても残念だ。何か“ヤバいこと”を思いついた時、せめて自分の周りにいる大切な人達を悲しませないようにできないものか。やる前に一度立ち止まり、ちゃんと頭を使い“思い描いて”、それが人として許されるのか否か、冷静に答えを出してみて。それからでも取り掛かるのは遅くない、と思うよ。そして何よりも、自分で“イイ”と思うなら、最後まで“責任”を。“有名になる”にはリスクも漏れなくついてくる。その時に開き直ったり投げ出したりキレたりするのではなく、大人として人間として誇れる態度を。そこまでを具体的に考えられる力がなければ、お前には他人の上に立つ資格なんかない。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「いい歳して恥ずかしい…お金の話されたら騙されたって気づこうよ。“国際ロマンス詐欺”って名称もなぁ。」
2018.11.07
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ドキュメンタリー映画【フジコ・ヘミングの時間】を観た。たしか『徹子の部屋』に彼女が出演した時、映画のことを知り興味を持った。そして、珍しく仕事の依頼もなく、姑の体調も安定したちょうどの時期に、運よく観られるチャンスが巡ってきた。もうこれは行くしかない!と迷いなく会場へ。******ピアノを愛する日本人の母とスウェーデン人の父(デザイナー)との間に生まれたフジコ。ハーフは“ガイジン”と差別されいじめられる時代。父親が彼等のもとを離れ、母親と弟・大月ウルフ(インパクト大!)と三人で暮らすようになっても、母親の厳しい教えでピアノは練習し続けていた。国籍がないことが判り最初の留学が叶わなかったり、片耳だけの難聴が後に両耳の聴力を失うことになったり・・・私が知らなかった部分の彼女の人生を、今作で初めて知った。そんな苦難の連続を乗り越え、成長した彼女を癒やしたのは愛するペットの猫や犬、信頼する人人、そしてこだわり抜いたインテリアの数々だった。驚いたのは、あちこちに所有する彼女の家。パリ、京都、ロサンゼルス、東京と、それぞれにセンスの良さが発揮され、どれも細かい所まで全部を見学したくなる。特に下北沢の自宅に置かれた(子供の頃使っていた)年代物のグランドピアノ。あれは、実に素晴らしい。それが修繕して戻ってきた時の、彼女の嬉しそうに鍵盤をたたく横顔は、少女に戻ってた。ピアニストとしては遅咲きも遅咲き。30手前でやっと。それからも苦労は絶えず、たまたまTVのドキュメンタリー番組で紹介されたことが大きな反響を呼び、フジコ・ヘミングの名が一気に世に知られる。なんと60代でのこと、である。あれから20年が経ち、今もその名が消えることはない。「もう(私を)古いと言う人もいるけど、陶器と一緒。古くなって欠けた部分がある方が面白いでしょ?」正確ではないがこんなことをあっけらかんと彼女に言われたら、もう黙って頷くしかない。強気なことを口では言っても、音楽は一日でも休んだら全てがダメになると、80を越えた今でも4時間の練習を欠かさない。腕の痛みを湿布でダマしダマし和らげながら、ひたすらに鍵盤に感情をぶつける。練習嫌いでピアノがコンプレックスでしかない私にも、人知れず努力する姿とピアノへの情熱が少しでもあれば良かったのに(後悔)。彼女が想い入れのある「ラ・カンパネラ」(リスト)を奏で始めた時。ぶわっと込み上げるものがあり、思わず涙がこぼれてしまった。なんで?? 自分でも何がどうなったかが解らず、戸惑ってしまった。大好きな曲ではあるけど、それ以上になんというか・・・よくわからないけど、泣けちゃった。もうひと泣きしそうになったのは、映画の終盤。幼い頃に生き別れた父親が20代の頃に手掛けたポスターが、彼女の活躍があったお蔭で見つかる。それまで無名だったその作品は、日本郵船の広告で旅客船が描かれていた。「around the world」というキャッチフレーズは、80代になっても休むことなく世界中を音楽と共に飛び回る娘に届いた“父からのメッセージ”に思えて・・・。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「ネモフィラ復活。雑草と思って葉を抜くとこだった…危ないあぶない」
2018.11.05
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ちょいモテ~♪ おぶす~♪ショッピングモールで捉まえた客(仕込みか?)の着ている服を勝手にチェックして、あーだこーだと言う番組。チャンネル替えてる時にやってると、つい観てしまう。ついでに芸能人がプチプラショップで与えられたテーマに合わせた安コーデを勝負するやつも。自分がその立場だったら嫌だけど(笑)、他人事だから気楽に観られて面白い。ファッションセンスは別として、実母がこの分野にかなりこだわりが強い。しかも関西のおばちゃんみたく派手な格好が大好きで、私は子供の頃から珍しい柄や色を沢山目にしてきた。友達と“まち”(当時うちの田舎では主要駅周辺の繁華街をこう呼んでいた)に遊びに行くようになって、自分の好みで服を選ぶようになった頃。買った服が地味な色すぎると、母にケチをつけられ真っ赤なワンピースをプレゼントされたことも。そんなドン小西みたいな母に鍛えられたので、上京後は上質で個性的なファッションで目を楽しませてくれた大学時代の仲間たちの刺激も大いに受け、自ら稼いだお金で服を買う頃には、母にも認められる(?)程のファッションにうるさい人に・・・バブルの頃にはボーナスが出ると結構な額の最新作をお気に入りのブランドで買いまくった。ファッションショーにも複数回行ったし、TVで『ファッション通信』を観るのが楽しみだった。服を選ぶこと、それを着こなす自分に酔っていた。今思えば異常な時代で、一番冒険してた私だったかもしれない。雑誌編集者として、多くの業界人や芸能人と会うようになりその方面の目はさらに鋭いモノに・・・一般人では発想しないファッションが目の前に当たり前にあるから、毎日が”動くファッション雑誌”みたいな感じで。次の記事を作る時の参考になるし、目の保養にもなった。音楽業界を離れた今も、何かとファッションものに触れる機会が多いので、その世界への興味は尽きない。最近常に頭に在るのは、“年相応”“身分相応”のカッコよさ。自分自身もそこを目指せるよう気にかけている。だから周りの特に年代の近そうな人達の服装が気になる。いつの頃からか“友達親子“みたいな母子が世間で目につくようになり、娘のモノを母親が借りて着るなんて話も。スタイルがいいとか若いとかを自慢するのは構わない。でも、冷静な目で他人が見るに・・・それってはっきり言ってアウトだから。やっぱりどんなに美しかろうがスタイル抜群だろうが、年齢というのは完全には隠せないと思う。それが一般人とはレベルが違う芸能人のその中でも綺麗とされる“選ばれし者“であっても。40過ぎると、ミニスカートや胸の見えそうなイブニングドレスや、ボディにフィットした若々しいラインのワンピも、ガーリー過ぎる柄やデザインも・・・ファッションについて舐めまわすように見てしまう公私混同な私からすれば、すべてがイタイ。 どれだけほっぺをアンパンマンみたく膨らませても、ジムで筋トレに励んでも、手の甲、首筋、膝小僧、お尻の丸み・・・そこを見れば年齢がある程度バレる。そして声の劣化や喋り方や話す時の仕草・・・これらはどんなに頑張っても隠すのが無理。それに気づいてるのか気にならないのか、ここ数年アラフォーを過ぎたくらいの芸能人のお直しや若作りがやけに目立って気になって。若い頃の自分を捨てきれないのは、私も同じ女だからもちろん解る。でも、加齢は誰にも平等にやって来る。たとえ若い頃に散々周りを魅了してチヤホヤされても過去は過去。今の自分を受け容れなければ、前に進めない。インスタで最近必ず話題になるのは、本業の方でなくその見た目の弄り様や私服の子供っぽさな元“歌姫”と呼ばれた人や、日本人離れの体形を武器に“梨園の妻”を気取ってはみたものの、バブル臭が消えないスピリチュアな人など・・・そりゃ前は可愛いし綺麗だったけど、今はどうなの?な人になってるのにずっと変わらないあたし感が“必死”過ぎて怖い。相変わらず主演ドラマが好調らしいあのモデル上がりの女優でもミニはさすがに“キツイな~“な年齢になったんだから。元アイドルグループのWMのミニなんか論外!いい加減、みんな年相応に生きないと。TVに映った顔が所帯じみたりやつれたりしてるとプロなのに!と思う気持ちもあるが、一方で自分の老いを隠さずにそれを魅力に変えてる人に惹かれるし憧れる。どーでもいいことだが、私が目指すこれからの自分は、フランス人の女性。シミ皺までも個性にしてしまうあの堂々とした年の重ねっぷり。しかもファッションに手抜きなし。惚れるわ~。そんなことを、ウィッグのCMに出る元セクシーBSな女優AYを観ながら考える暇人。たしかに脚長でスタイルのいい人だ。だけど真っ赤なパンツスタイル・・・やっぱね、なんか違うのよ。今のAYはそんなイメージじゃないと思う。スタイリストが昔の彼女の印象に囚われて無理矢理着せた風にしか見えない。還暦のお祝いじゃあるまいし。Y子に真っ赤は似合わない。ましてや股関節の曲がりが気になるパンツ姿なんて!ヘアスタイルや肌をお直しするのもいいけど、その前に、服装をどうにかして!★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「セクハラもOKグーグル?」
2018.11.02
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人人がひっきりなしに出入りする玄関先。白いボディラインのそれは、静かに佇んでいる。時おり、すぐそばを通り過ぎる人肌に惹かれるのかぐるりと首を回しては、去っていく人に目を向け不自然な姿勢でしばらく凝視。 私が順番を待つ間、その行為が何度繰り返されただろう?まるで保育園に置いてかれる幼子が、仕事に向かう母親を振り返るような心細い眼差しで、見てて切ない!誰か気づいてあげて! そこに居る彼はかの有名なPepper君だよー。 用事を済ませそこを去る時。やっとお兄さんが顔の高さに屈んで、彼に何かを話しかけていた。なのにそういう時に限って、目が虚ろで動きが止まってるシャイか!! お兄さんが無理難題をぶつけたのか、単にこんな仕事アホらしくてしたくないだけなのか・・・Pepperよ、一日そこに立ってて、何か得るものはあるのか? 彼がうなだれてる姿を、別の店で見たことがある。新橋あたりの路上に夜、酒に飲まれて転がってるサラリーマンにも似て、これまた切ない。感情がないはずのモノに、“感情“を見た時。人間以上に哀愁が漂っているように見えてしまうのは、なぜなんだろう。こんな馬鹿なことを思うの、私だけ? ある調べによると、10月時点で彼を”雇って”いる企業で、レンタル契約の更改予定なのは、15%に留まるという。まだこの世にデビューして4年くらいしか経たないのに、このままじゃ一般に認知されないうちに、消えてしまいそう。だいぶ前に流行ったアイボは個人購入も多く、改良されながらコアなファンに支持され、今でも修理や里親募集を請け負う企業や供養を行う寺まである。こちらは“犬”として人間に認知された結果が表われているが、白いあの物体に、アトムやドラえもん並みに人間から愛される日が来るのか? それとも窓際族がそうだったように倉庫への異動が待っているのか? 「早く人間になりたい」人間になることを夢見た妖怪人間の有名な口癖。人間の魂を抜いて食べるというのが人間になる方法らしいが、最後は人間になれるかもしれないチャンスを前に、「他者を犠牲に人間になっても仕方ない」と諦めたベムとベラ。人間よりも人間らしい心に涙。 Pepper君が今、それぞれの店先で毎日訪れては去っていく人間を眺めながら、何を思い“生きている“のか・・・・・・今度機会があったら、こっそり本音を聞いてみたい(苦笑)。 ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「魅惑のバブル絶頂味、食べてみたい、でも値段高っ!! 」
2018.11.01
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