全23件 (23件中 1-23件目)
1
一瞬の出来事で、何が起きたのか理解するのに少しかかった。大掃除の最中、安物だが大事なモノを入れていたガラス製の器を割ってしまった。毎年埃を落とし水洗いし水けを拭き取り、再びその“役目”のために、同じ場所に戻す・・・その流れの中で、拭いてる時に気を抜いて手を滑らせた。あ!っと思った時にはもう、鮮やかに砕け散っていた。モトが安いし長年使っていたし、だからいつ割れてもおかしくないんだけど、気分的に良いものではない。日本では一般的に「器などが割れるのは縁起が悪い」と思われているから。私も寺の関係の親族をもち、古臭い慣習を気にしがちだから、割れたと気づいた時はぞっとした。何故って今日は父の命日でもあるから。年末に父が亡くなったことで、この時季、気が重いのだ。それなのに私の不注意で“割る”なんて・・・・・・。だけど、ものは考えよう。海外ではおめでたい結婚式に皿を割る、なんて儀式もある。皿が割れて不気味がるのは、日本人くらいだろうか。だいぶ前にスペイン料理屋で、皿を割るのが日本でも喜ばれ、最近では浅草で瓦割りも観光客に人気らしい。ならばこういう時は、悪い方に考えず“発想の転換”をすればいい。代わりの器は直ぐに用意できた。長年使ってたから、馴染みはあるけど、あれじゃなきゃいけない理由はない。だから、こんなの大したことじゃない。そう言えば葛原岡神社(鎌倉)でだいぶ前に、皿を投げて割ったんだった。境内に祀られた【魔去ル石】。この大きな石に向かい参拝者は、願を掛けて【かわらけ】を勢いつけて投げつける。見事に割れれば「魔が去る」=「勝る」に繋がり、つまり邪気を祓い“幸せを勝ち取る”ことができるという。その時の皿と同じと思えば、急に胸がスッとした。 砕けた破片を拾い集めながら、「ヤクバライ。ヤクバライ」と念じ、集め終わった時に「はい、これで祓えました!」と、自分に言い聞かせるように声に出す。あとは手を怪我しないように処分すればいい。これで我が家の今年の悪い気を、全部落せた気になる。そう思えば、何も怖くない。 ただ今回の件で、2019年の“目標”がひとつ増えた。「絶対に油断しない」作業の最中に気を抜くと、ろくなことはない。今年の夏頃、事務所に向かう途中、クレジット機能付きのSuicaを落として慌てた“前科”が、私にはある(恥)。その点も踏まえて、特に“慣れた”ことをする時にこそ、気を引き締める必要がある。それを今日の失敗が、教えてくれた。 ピンとこないレコード大賞もヌルいまま終わり、いよいよあと一日となった。新しい年は、たとえ間違いや失敗をしたとしても、決して物事をマイナスに捉えず、気持ちをすぐに切り替えて前進あるのみ!A案がダメならB案がある、みたいに別の手をその場で考えるのは、商売柄得意だし。すべてそのテでポジティブシンキングで行こう!そして、口角上げて笑顔で穏やかに過ごせるように。ココでまた、くだらないけど楽しい話が紡げるよう、来年も気張らず、周りのご縁に感謝しつつ自然体で。★ ★ ★ ★ ★2018年最後のひとこと。「二年連続12月の同じ日に岡崎体育を熱く語ってた! これぞ私のシンクロニシティ♫ やっぱ恋かも(苦笑)。」
2018.12.31
コメント(0)

副業の年末年始の“宿題”がないため、今年は珍しくふつうの年越しができると言っても、特別何かをしたいという欲もないので、大好きな海外ドラマを観まくってダラダラ過ごしそう。今のところ施設に居る姑の体調も落ち着いているようだし、このまま安定していてくれれば私達夫婦は何年かぶりに”平穏な時間”が過ごせる。急に時間にも心にも余裕ができたので、「とりあえず先に出す」分の年賀状書きもサクサク終わった。大掃除は年々手抜きになるが、“毎年欠かさない”ひとつも終わらせた。独身時代から“招き猫”を集めている。きっかけは、ライブ密着取材のための熊本出張。帰る前の自由時間、アーケード街をぶらぶらしてて、古めかしい陶器屋さんで招き猫(右奥。ポスト隣)にひと目惚れ。割れないように子を抱くように大事に家に連れて帰った。それから年に一匹ずつ、増えた感じだ。多忙な独身暮らしでも、これなら“多頭飼い”ができる。私が集めているのを知り、友達がくれたのもある。ほとんどは私が店で“目が合った”猫を一匹ずつ選んだ。中には初めに見た時は無表情だったのに、家で飾った後に、表情が柔らかくなった猫も。ダンナもそう感じているので、私達にしか判らない馬鹿げた話かもしれない。でも、たかが招き猫、されど招き猫、である。彼等が増えるにつれ、なんとなく運が向いてきたような気がする(と思うだけでも気分的に楽)。だから毎年、この時季は大掃除の一環として招き猫の棚を心を込めてお浄めを。言ってみれば我が家にとっての“お身拭い”。そんな儀式と言ったところか。ところどころ”猫じゃないもの”も混じってるが、それもまた良しとする。毎年ちょっとずつ“席替え”してるけど、気に入ってくれるかな~。この前、一匹が勝手に横を向いてて焦った もしや夜中に“猫の集会”やってる???(苦笑)ま、好きにすればいいよ。来年もその調子でヨロシク。明日の夜でついに“10年”経つ。実父が亡くなったあの夜から・・・・・・。大晦日を前にひと通りの準備を済ませ、まだ元気だった姑とダンナと3人で、食事を終えてのんびりしようか・・・という時だった。あの一本の電話で、私の、そして家族の“その後”が猛スピードで変わり始めた。そして息を吸う間もない程の“激流”に巻き込まれ・・・・・・何度となく深い底へと足を引っ張られ、ありえない程の“どん底”を見た。どうしたら、今を抜け出せるのだろう?どうすれば母や弟を救えるのだろう?? 考えて考えてもがき苦しんで・・・“眠れない夜”が幾つもあった。いつかは消えていく命と解ってても、実際に“居ることが当たり前だった“家族をひとり失うことは、こんなにも苦しく辛いものなのかと、何年にもわたり全身でひしひしと感じてた。その地獄をみんなで必死で乗り越えた上での、今。心配事は細々とあるものの、ここ最近になりあの頃を懐かしむ余裕が、やっと家族に生まれた。笑えるようになるまでの10年は、とても長かった。でも、もう10年か!という“あっという間”感もある。私が今思うのは、どんなに眠れない出来事が起きても“その時その時”の自分の判断を信じて精一杯尽くせば、人間なんとか這い上がれる、ということだ。あの時があるからこそ、今年のこの年末の何もない今まさにこの時間が、「ありがたい」と感じる。そうは言っても、もう二度と”あんな辛い想い”をするのはごめんだ。だから・・・父よ、この10年間、いい経験をさせてくれてありがとう。そして暗闇多めの過去よ、今日でさよなら。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今年最後はサブちゃんの『祭り』でいいじゃん!癒着しすぎで萎えるわ。」
2018.12.30
コメント(0)

スケジュール帳のリフィルを付け替える時、ついでに“2018年の私”を振り返ってみる。メモの力を借りずに思い出そうとするが、これといって印象に残る出来事がない頑張って記憶を辿ってみたが、ほんとに何も覚えてない(ボケ進行?)。“答え合わせ”のために、1か月毎書き留めた内容を読み返した。見開きのマンスリーカレンダーで仕事以外にやたら目に留まるのは、○○病院とか△△病院・・・という似たような書き込み。新年が明ける前に別の検査で行った病院で、気になる症状が見つかり、今年になって早速、精密検査をしたんだった。結果、持病がふたつに増えた。 これまでを振り返っても「新年早々病院にかかると、1年がそういう年になる」と思い当たる節がある。だから1月からできるだけ病院には行きたくないが、長年の持病の定期検診もあるから、そうも言ってられない。でも今年は、久々に病院と縁が切れなかった。私が行かない時には、姑や実母や時にはダンナが・・・だから毎月何かしら病院の書き込みが残ってる。それだけ皆揃って歳を重ねている、ということだろうが。それにしても陰気だな。結局今年も姑の、そして私自身の体調に振り回されて終わる感じだ。本業も副業も私なりに精一杯尽くしてきたつもりだけど、これらを隠れ蓑にして及び腰になっていたような気もしないではない。でも、私の持病にはストレスが一番の敵だから、あまり無理しても、それはそれで良い事とは言えない。そんなわけで目の前に迫る2019年。今年も何とか時間を見つけては、友達に会ったり講演会や映画に行ったり、「好き」「楽しそう」と思う事を直感に任せ経験するように心掛けてきたが・・・スケジュール帳を見る限り、積極性が全く足りてない私にとって、ある意味区切りを越えて新たな一歩となる新年、もっともっと様々な刺激を受けて過ごしたい。若い頃のように向う見ずにガシガシガンガンは突き進めないけど、好奇心のアンテナは下げず、新しい事を受け容れる間口は狭めず、私のできる範囲内でちっちゃな“挑戦”を諦めずに続けていけるよう。そのためにも、体が資本。持病を完治させることは無理なことだけど、今以上に悪化させないことならできる。2018年のテーマでもあった【現状維持】を引き続きキープしつつ、できるだけ健康的な自分をイメージして口角上げて常に笑って。癌さえも消し去る力があると言う笑顔の力(実際に身内のは消えて主治医も驚いた)で心身を癒やしながら・・・毎日何でもいいから幸せのモトを見つけて進みたい。大きな事は望まない。今、新年を前に思うのは、ただ、ただ、穏やかに笑って暮らしたい、ってこと。でもこうしてまた1年後に思い返す時。マンスリーカレンダーの見開きに、仕事と病院以外の色気がもっとあちこちあったらいいなぁ~と本気で思う。私の1年、こんなに地味だったのか!と、今日になって軽くショックを受けている★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「あの猫はどこをどう旅して無事帰って来たのか、聞けるもんなら聞いたみたい。」
2018.12.28
コメント(0)
出演を知ってから、この日をどれだけ楽しみにしていたか。雲は多めだが陽射しもどんどん強まって、大掃除するなら今日だろ!ってな、掃除日和である。なのにダンナを送り出した後、ちゃっちゃと洗濯物をやっつけ、お茶を片手にいそいそとTV前にスタンバイ!少し前のドラマ『まんぷく』でリアル紅の豚・・・もとい日系人MPのチャーリー・タナカ役で役者デビューを果たした“岡崎体育”。彼が朝の生放送に出るというだけで、この浮かれっぷり。一応イケメン扱いの大谷亮平(『まんぷく』出演中)も一緒に出るのに、眉毛濃ゆい昭和顔な男前より、今の私には岡崎体育が輝いて見える。実際はお肌はもちもちだが全くオーラもなく光っておらず、その辺のコンビニに寝癖&サンダル履きで来てそうな、くすんだ見た目だ。そのどこにでも居そうな彼が、私の今一番の関心事。前にも一度、ブログで彼を取り上げたが、今回もまた語ってしまう。来年も暫らく飽きることはないだろう。そのくらい夢中。今もライターを続けてたら、絶対に会って話を聞いてみたい人。 ここ数日、ダンナがまた私の苦手なジャンルの大物バンドの音を食事中に延々と流すもんだから、朝目覚めたらとたんにその音が、仕事をしてても脳内再生&ヘビロテしてしまう(泣)。だからそれを消し去るお口直しに、家に居る日の昼間は、岡崎体育の動画を流しまくり。自分でもなんでこんなにハマったのか、今となってはもうよく分らないが、そのくらい夢中。編集者時代は公私も認める【男前】好きだった。レコード会社のデビューを控えた新人が“男前”と判ると、副編が「これはびー。ちゃんの担当だろう~!」と何の迷いもなく、私に任せるくらいに知られてた(苦笑)。取材で留守にしてたら、戻ったデスクに男前ミュージシャンから、私宛にメッセージとサインが置いてあったことも。また、編集部で“男前“を取材したら、私にわざわざ報告する同僚もいるほど・・・そんなどーでもいい欲を持ってた恥ずかしい時代も確かにあった。それがどうだろう? もちろん今でも、男女に関わらずルックスが良いと思わず反応はするものの、一瞬惹かれるだけで、その後にどうこう・・・という気持ちはない。それよりも“人柄”が滲む人に興味を引かれる。それは日頃、使い慣れている商店街やスーパー、ファミレスに行っても同じ。それぞれの店に性別関係なしに“お気に入り”が実は居る。だけどみんな、ひと言で表わすなら“ユニーク”という言葉がぴったりくる愛すべきキャラクター達。大人になると“味覚“が変わり、子供の頃には決して受けつけなかった物の“美味しさ“に目覚める。これは10代の頃に親からか誰からか忘れたけど、そんな話を聞き、その当時は何とも思わなかった。でも自分が彼等と同じ大人になって、ようやく解った。それと同じ、なのかもしれない。人を”好きと思うポイント”の変化というヤツは。「重松清にハマってます。あの頃はアーティストを追っかけてた私が、今や中年おじさんに夢中で講演会まで行きました」ある年の年賀状で、20代の頃共にカッコいい音楽やミュージシャンにわーきゃー言ってた友達に、こんな事を書いた記憶がある。あの頃から私の“男の好み”は、徐々に変わっていたのかも?重松本に惚れたのも、彼の人間性に惹かれたから。パッと見はどれも温かいけど、ハッピィエンドにはならない“ひりついた現実“を突きつける展開に、一冊目で陥落した。岡崎体育もそれに似ている。一曲で落ちた。動画で少しだけ話題になってる面白いお兄ちゃんは、ここ数年全く動く気配のなかった、”音に揺さぶられる“という私の感覚を甦らせた、と言っても過言ではない。見た目は住宅地の空き地で、ミカン箱の上でマイク握り締める“サービス精神旺盛”な歌の上手いジャイアン。でも、あんなルックスで(失礼だな!(苦笑)あんなふざけた歌を唄ってるように見えて、実は結構真面目に音楽作ってる。あの意味のなさそうな歌詞のひとつ1つに、彼が忍び込ませたメッセージの数々・・・これを紐解いてくとなかなか奥が深いことに気づく。それを敢えて気づかれないように、カメラの前ではおちゃらけてる。だけど今朝のトークも意外と真面目な人柄が全部は隠せず、贅肉から肉汁のように溢れ出してたよ(←おい!)。「そこは言わなくても・・・」と思う自虐的な発言もたまにはあるが。そういう鬱々な闇の部分も含めて、人として惹かれてしまう。今の私が最も簡単に“元気”を手に入れたい時に試すのが、岡崎体育。小太りの福々しい素人くさいお兄ちゃんが、リズム感も良くキレッキレのダンスでステップを踏む様は、三浦大知並みにカッコいい!(やっぱ、恋かも?(笑)★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「絵馬にも個人情報シール??? 神様もビックリだな。」
2018.12.28
コメント(0)
仕事納めに向かう電車内。ボックス席の対角線に女性がふたり。そこに座ろうと近づくと、一方の窓側の椅子にドーンと紙袋の荷物(お土産類?)が複数載せてある。ギョッとしつつ、小柄なおばさんと目が合うも何も言えず、通路側の空いた席に腰かけた。そして目ざす駅に着くまで、いつものように目を閉じて浅く寝る。次の駅だったか…よく覚えてないが、突然、通路を挟んで座っていた紳士が大きな声で誰かに向けて話しだした。彼が体を私の座るボックスシートに向けているのが、目を開けずとも判る。おじさんは腹式呼吸の通りのいい声で、こう言った。「さっきから気になってたんだけど、その荷物は椅子に置いたらダメでしょう? ほら、他に立っている人が沢山いるんだから。荷物は棚に上げなさい!」おじさんは話の途中から勢いで、だんだん怒りが滲む声になっていた。車内は一瞬で凍りつく。私はこの後の展開を想像し少し不安になりながらも、その車両のみんなが“言いたくても言えないでいた言葉”を、彼が代表して言ってくれたのだと感じた。初め私もおじさんと同じで、通路側に座る小柄なおばさんが自分の隣(窓側)に置いているのだと思っていた。だが、それは違った。興奮して喋りが止まらないおじさんを制して、「すみません」とくぐもった声が聞こえた。私の隣(窓側)に座っていた私と同年代か少し下くらいのニット帽の女性が、当事者だったのだ。それが判るとおじさんは更に語気を強め、「早く荷物を棚に上げるか床に置くかしなさい!!!」と、興奮気味に。それに対し例の彼女は慌てて立ち上がり、荷物を自分の前に置いていたショッキングピンクのスーツケースの上に集め(なら、最初からそうしろよ(怒)、これまた小声でこう言った。「もう次で降りますので」????? 私は彼女の“この態度”が引っ掛かった。言うべきことは“それ”じゃないだろう? まずは注意をしてくれた紳士に対し自分の無作法を詫び、後は素直に荷物を自分で持ち、おとなしくすればいいだけ。なのに「次で降りる(からもういいだろう)」的な返しは、大人としてどうなの?と、私は寝ながら腑に落ちないでモヤモヤしてた。なのに、おじさんは「私も次の駅で降りるんだけどさ。こういうの(性格上)黙ってられないからさ。急に言ってほんとゴメン」と、彼女とおばさんに向かい謝ったのだ。うーーーん、おじさん!! 飴と鞭の使い方うますぎ!だけど、生き方の大先輩からの温かい言葉は、残念ながら、例の彼女には伝わらなかったように思う。観光客と思われる身なりのあの人は、おとなしそうに振る舞っていたけど、都会での電車の乗り方のマナーも心得ず、それを人前で注意されても大して反省もせず、逆に注意した相手が叱った後のフォローまでしてくれているのに、彼の心遣いさえ台無しにした、というふてぶてしさ!(嘆)【旅の恥はかき捨て】とはいえど、都会の紳士の思い遣りをあんな風に心無くかわすなんて・・・・・・同じ女として大人として、見てて恥ずかしかった。彼女のような人はきっと、何に於いても同じようにのらりくらりと言い逃れをして問題をかわし、背中の向こうでぺロりと舌を出し、世の中を小馬鹿にしてるんだろう。そうじゃない人だとしても、そういう人間に思える哀れな振る舞いだ。最近は見かけなくなったが、本業の職場に通い始めた頃は、千葉方面から行き来する“行商のおばあさん”を電車の中で見かけたものだ。私よりずっと小柄なのに、そしてかなり顔にもシワが深く刻まれた高齢者なのに、車両の真ん中に足を踏ん張り立っていたのが印象に残る。曲がりかけた背中には、赤ん坊を3人くらい重ねておんぶするくらいの大量の荷物が・・・・・・あの籠の中には自分の畑で作った大事な野菜が入っていたのだろうか。小麦色に日焼けした健康的な肌と唐草模様の風呂敷にくるまれた大きな大きな荷物は、田舎育ちの私にも“初めて見た”衝撃的な想い出として、脳裏に刻まれている。働くおばあさん達の立ち姿・・・かっこよかったな~。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「TVやCMの食事シーンで箸の持ち方をつい見てしまう。」
2018.12.26
コメント(0)
うっかり世の流れに乗ってしまい、ワインとケーキを飲み食い。チキンを買わなかったのが、私なりの抵抗。でも明日の夕方、残り物が値下がりしてるのを見かけたら、迷わず買ってしまう、に違いない。クリスチャンではない。母方のルーツは代々続く寺である。だからこの行事自体まったく関係ないので、普通の日を送ってればいいわけで・・・でもバレンタインにしろハロウィーンにしろクリスマスにしろ、欧米の好い所を都合よく取り入れて、何事も巧いこと恒例のイベントにしてしまうのが日本人というもの。神棚や仏事を大事にしながらも、子供の頃からケーキ(我が家は決まってアイスのやつ)は食べるし、クリスマス会も当たり前にやっていた。個人的には同じアホならノラなきゃ・・・ってのに賛成だから、楽しいイベントは別に宗教関係なくそれぞれが盛り上がれるなら、それが一番と思う。ただ、さっきも書いたが、この時季特に“食べ物”が粗末にされる時でもある。イベントのピークを過ぎたその瞬間から、大量に売れ残る関連商品の山。あちこちの店先で必死にバイトと思われる若い売り子さん達が、寒空の下、トナカイやサンタの被り物一枚で震えながら、声を嗄らし叫んでる。あまりの必死な訴えも、木枯らしや町の喧騒に容赦なくかき消され・・・・・・まるでマッチ売りの少女みたいだ。可哀想だし寒そうだから、早く暖かい店に入れるように沢山買ってあげたいけど、なんせいい歳をとった夫婦ふたりだけの家族。最近食も細り気味だから彼等の売り上げを伸ばせるほどの買い物ができない。だからそんな場面に出くわす度に、力になれないことに胸がちょっと痛む。あの売れそうにないコンビニのケーキやチキンは、彼等が自ら“負う”ことになるんだろうか?ヨレヨレのトナカイやサンタの今夜を思うと、胸がまたチクンと・・・・・ある専門家の調べによると、日本の子供の7人に1人がこの飽食の時代に“貧困”で食事に困っている、という。子供がいないので気づかなかったが、子供達が喜ぶはずのこの冬休みは、そういう子供達にとって悩みの時季でもあると。学校が休みになるということは、給食が食べられない日が続く。そのせいでおなかが減っても、家には育ちざかりの子供の空腹を満たすだけの食べ物がない。この話は衝撃だ。そんな子供がこの恵まれているはずの日本に大勢いることを、駅前の煌びやかなイルミネーションや賑わいやジングルベルの歌に惑わされ、まったく想像していなかった。記事を読んで、自分を恥じた。浮かれ気分に便乗し、家でおいしいおいしいと、ワインやケーキを頬張ってしまったことを。反省ついでに、たまたま見つけたNPOフードバンクに、ほんの僅かだが寄附をした。思いつきで今あるポイントを寄付しただけなので、ケーキ1個分にもならない微々たる行い。そのことに余計自分が情けなくなったが、何もしないよりマシ、と思うことにした。今日という日に(食べられない)子供達の存在について、自分なりに考えることができて、よかった。我が家は夫婦ふたりともケチだから無駄に物は買わないし、米粒ひとつも残らず食べる。外でどんなに出された食事が不味かろうと、余程のことがない限り、全部食べ切る。食事に関してはもともとそういう考えなので、まだ充分食べられるのに余らせるとか廃棄するとか、そういうのは耐えられない。毎回余ってしまうのに、なぜ多めに仕入れてしまうのか?そして余ったものやノルマ分を店員が自腹で買い取らなきゃいけないという、この明らかにおかしい慣習というかシステムを、誰も正そうとしないことが悲しい。そんなに大量に売りたいなら、売れない原因をきちんと調べて次の年から改善すればいいのに、そういう努力はしないで。随分前から在庫を抱えながら、店員がノルマに苦しみながら何もどこの店も正そうとしないのは、理解に苦しむ。本当のクリスマスって確か、家で静かに家族で祝うもの。どうせ欧米を真似るんなら、好い部分も含めて徹底的に取り入れるべき。私が今日できることは、ただひとつ。この日本からまず、食べ物に子供達が悩まないでいい日が、一日でも早く訪れるよう、サンタに祈ることだけ。今日のひとこと。「女子2枠は厳しい・・・熱い闘いでした。」
2018.12.25
コメント(0)

鶏受難の日にこのイベントとは無関係なことがこの前から頭にこびりついており。あまりにもくだらないので、没ネタにしている。ネットで検索をすると、似たような嗜好の人が意外と多いと判り、ちょっとだけホッとした。いつかネタに困ったら書くかもしれないし、そのまま忘れてしまうかもしれないが。ジェットコースターのてっぺんとも言える今日が終われば、当たり前のように明日からツリーが門松に、ケーキが鏡餅に・・・と“ニッポンの年末”へとガラリと色が変わる。個人的には本業が“仕事納め”に当たるので、気分を切り替えるにはちょうどいい。あとは副業の締め切りを抱えて年越しするのかどうか・・・これはもう少し経たないと判らないから、年末年始の予定はコレ次第、という感じ。去年のように期限に追われながらの年末年始になるのか、仕事から解放されてのんびりと新年の香りに浸れるのか・・・私の運命やいかに!?(苦笑)******今年の世相を表す【今年の漢字】の一文字には、“災”が選ばれた。なんだか以前にもあったような気がするが、それだけ過去日本に災いが多く降りかかったということ、だろうか。せっかく一年を象徴する文字を挙げるのなら、もっと希望が持てる内容がいいと思うのに、なかなかそうならない。世知辛い世の中なんだなぁとつくづく。「戌」=「滅」(ほろぶ:草木が枯れる状態)とも言われるこの一年をどうにか終えた後の猪突猛進!な2019年は、一体どんなことが待ち受けているのやら?私の2018年は、漢字一文字で表わすなら【保】。一年前に確かこのブログでも書いたが、2017年は特殊手術のお蔭で新しい体を手に入れ、副業を始め、姑が転倒し・・・それらをひっくるめて【転】だった。それを越えての2018年だったので、転機を迎えた自分自身を様々な方面で維持(現状維持)することが今年の目標になった。だから今年の漢字は【保】。明日からの残り6日間。今日まで休日をゆるゆるに過ごした分、怒涛の日々になりそうな予感がするので、今のうちに考えておこう。えーっと、2019年の私の抱負は・・・・・・『無駄を削る』で行きます!! この前急に思いついた。ついでに体脂肪も絶対に削る! というより、消す!!!待ってろ、くびれー。ってこれが一番の目標かも(私の体重や体型の変化も今年一年だけで激しすぎ。)余談だが、今年の個人的流行言葉で一番気に入ったのは、【ミートテック】! 若い子、やるな。センスいい(苦笑)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「還暦おめでとう 私は断然東京タワー派です」か・なーーーり昔の年末のぴんぼけ東京ミレナリオ。
2018.12.24
コメント(0)
自分ではどうにもならないことがある。たとえ権力やお金がある人でも、避けて通れない、その前では誰もが平等で無力になるものが必ずあるように・・・・・・どんなに努力しても、日頃からイイコにしてても災いや悩みの種は、どこからともなく湧いてくる。それなりに長く生きていると、その問題を乗り切るには、くどくど考えても解決しないってことくらいはわかる。あれやこれや逃げ切る方法を考えたところで、この望まない状況が跡形もなく消えてくれるなんてそんなの、ありえないってこと痛いくらいにわかる。ならば今と同じか今よりもマシな状態をイメージしてできるだけそれに現実が近づくように何をすべきか直感で決める。考えるより感じろ!誰か有名な人(ブルース・リー?)の台詞だと思うがそれが一番大事と思う、本当に。打つべき手がないのなら、自分の今の感じたままに従い、迷わず進む。迷わず行け、行けばわかるさ!これは猪木の口癖だが、特に限られた時間の中では迷う時間そのものが、まずもったいない。だから即決。潔くAかBを選ぶ。一度選んだら二度と迷わないし後悔しない覚悟で。ストレートにシンプルに物事を決めることができたらあとはもう、決めた道をひたすら信じて信じて信じぬくだけ。あまりの念の強さに問題の方が恐れ入って、小さくなってくれたり逃げてってくれればシメタモノ。たぶん、人それぞれに在る運命、宿命はどう足掻いても抗っても避けられない。今はセーフでも必ず、生きてるうちのどこかで課題となって大きく立ちはだかるだろう。それを華麗にかわせる強さ、直感と直観を磨きたい。力尽くで闘えない弱くて儚い存在だからこそ感じるチカラ、信じたい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「デュトワ、お前もか!?」
2018.12.23
コメント(0)

12月に入った途端、駅周辺にあちこち群れができるように。 【忘年会】か・・・そんな時季が今年も遂にやって来た。 正社員じゃなくなってからの生活が長くなった。 都会からやや離れた場所に移り住んで十数年。そのうちに持病の悪化や治療や両母の相次ぐ介護で、ますます時間が奪われた。毎年会うのを励みにしている友達も似たような時を過ごし、思うように会えない。ここ数年、“都心の夜を楽しむ”ことなどほとんどなくなった。特に飲み会・・・ だから“忘年会”なんて、今の私には無縁である。 毎年ダンナが職場の宴会に気が進まず参加するのを可哀相に思いつつ、”その日”を迎えていたけれど・・・「今日忘年会なんだ。でも自由参加だから帰って来た」この前帰宅するなりこう言った時は、驚いた。 今の配属先は“強制“ではないらしい。これは家族としては ありがたい。二人ともお酒を飲むのは好きだけど、 加齢と共にそんなにがぶがぶ飲めない体になってきた。だから、我が家じゃ夫婦で決めたイベント以外、アルコールを控えている。体を傷つけたくないから、つき合いで無理矢理美味しくもない酒を、ちゃんぽんするのだけは避けたい。ダンナが過去職場の宴会で大量に飲まされて、散々な目に遭わされたことは忘れない。今の時代、年に一度の職場の宴会であっても、こんな下品な体育会系の“酒宴”に耐えられる人は、そんなにいないはず。******全国の20~40代の会社員男女500人に対し、田辺三菱製薬が調査(11月実施)した結果が興味深い。 「会社の忘年会に参加したくない」と答えた人が4割超! 最近の若者は忘年会に限らず、通常勤務の後の上司や同僚との飲み会を断り、プライベートを優先するという。 別の調べでも、職場の忘年会は「仕事の一環」と考える人が7割もいて、「勤務時間内に実施してほしい」という意見が5割も。こんなに職場の忘年会が敬遠される理由は、ひと昔前の“忘年会は当たり前”だった私にも理解できる。 「時間の無駄」「上司の相手をするのが面倒くさい」これについては人それぞれだと思うが、特に今の時代らしい と感じるのは「タバコ臭い場所に行きたくない」という理由。 飲み会イコール無礼講だから、酒の量はモチロンのこと、タバコの量も増える。喫煙者にとっては社内で吸えない ストレスもあるのだろうが、飲食やお喋りの場で気が大きくなり喫煙されると、食事もトークも不味くなる。しかも気管支の弱い私みたい人間には、体へのダメージが大きすぎる。今までどれだけ副流煙を浴びただろう。 相手が仕事仲間じゃ、これまた酒と同じで宴の間こっちが我慢するしかない。みんなが心から楽しめる宴にするには、今どきの忘年会は既成のスタイルを一新する必要がある。 調査でも“忘年会”自体を嫌っているわけではないらしい。 意外にも「職場の忘年会に求めること」は、“コミュニケーション“であることも判った。だから彼等が望む「やってみたいこと」を叶えればいいわけで・・・具体的には「ランチ忘年会」をはじめ「室内アクティビティ」 「鍋パーティ」「たこ焼きパーティ」「アナログゲーム」がお好みらしい。このイベントを空気のいい場所で健全に行えば、若手社員も満足するに違いない(←どんだけ上から目線の部下(嘆)。 私が所属した会社の忘年会で思い出深いのは、やっぱり編集者時代のやつ。居酒屋ではなく、禁煙のホールを借りて盛大にやる。料理もそこそこ凝ってたはずだが、味も見た目も覚えていないが、そんなにみんな潰れる程汚い飲み方もしなかったし。そういう意味では“健全”だった。だからか、みんな“その日”を楽しみにしてたように記憶している。ギョーカイ繋がりのサポートもあり、ビンゴ大会のプレゼントも豪華だった。司会にタレントがやって来たり、飛び入りで歌手が唄いもする。そして何といっても気合が入るのは、“有志”という名の もとに集まった幾つかのグループ(お調子者)が、様々な出し物を披露するコーナー。 入社一年目は全員出るのがお約束で、森高千里を振り付けで唄ってた。別の年には営業部の上司に誘われ、気づけば ぶっつけ本番でアフロヅラをかぶりキャンディーズを振り付けで唄ってた。そんな恥ずかしいけど面白かった忘年会。きっと他の会社では味わえない刺激と快感(笑)。あれを超える宴は、今も昔もどこにもないだろう。それにしても私も・・・あの頃は怖いもの知らずで・・・若かったんだなぁ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。 「一斉に色んな物が届く日。まるでクリスマスだな(苦笑)。」
2018.12.20
コメント(0)
すごく気になってて読みたかった本。何だかんだで読めないまま何か月も放置。さすがに、今年のうちに読まないとダメだろってことで、昨日から少しずつ読み始めたんだが・・・面白い!!いや、内容的に“面白い”っていうのは不謹慎。なぜってそのタイトルは『葬送の仕事師たち』(井上理津子著)だからやっぱふさわしくない。フリーライターが自身の親を立て続けに送った経験から葬送の仕事をする人達に興味をもち、丁寧に取材を重ね一冊にまとめたもの。実は私がこの本に惹かれたのも、今度の30日に9回目の命日を迎える実父の葬儀の経験があったから。大病で一時は生死を彷徨う大手術をした後、奇跡の復活劇を見事乗り越え余命宣告の倍の年数を精一杯生きた父の立派な最期だった。“その日”は突然師走の夜にやってきて、その年の大晦日や新年は九州に急遽夫婦で飛んで帰り、なんだかわからないまま夢中で仮通夜、通夜、告別式、初七日までをノンストップで遣りきった。考える暇もなくただ、体が勝手に動いてるような夢の中の出来事ではあったが、強烈な印象としてずっと残っているのが葬送のプロのひとりひとりの温かい言動だ。あの人達にみっちりと支えられ、父をあの世に送り出すことができた。放心状態の私達家族に、「(式を成功させるには)まずは体力ですよ」と、おにぎりを差し入れてくれたこと・・・なんかすごく嬉しかったなあ・・・あと感動したのは、エンバーミング。耳にしたことはあっても、実際どんなもんかまさか父で知ることになろうとは・・・生前のままの姿に整えられた父はまるで寝ているように穏やかで今にも起きだしそうな見た目だった。あれもすべてエンバーマーのおかげ。それが彼等の仕事とはいえ、年末年始を家族で過ごしたいだろうに。こんな他人の不幸につき合い、悲しみに暮れる家族に寄り添い、時にはうっすらと涙も浮かべ・・・誰にでもできるものではないと本当に心から感謝したものだ。あの時の感動や感激があるからこそ、この本の内容は私にはどのページのどの人の話もジンとくるものばかり。最近大好きな重松本もまったく読めなくなって“時間がない”はずの私が、夢中になって先へ先へと読み進めている。今ちょうど半分くらいだが、残りも間もなく読み終わるだろう。それくらい先が待ち遠しい。人の死を扱う内容に“待ち遠しい”は失礼だが。死を見つめる内容でありながら、我々生きている人間がどう生きるべきか?を問われているような気もする。それにしても、おくりびとの人人は皆、なんて魅力的で話のひとつひとつがお坊さんのように重みがあるんだろう?様々な死を見つめるうちに“悟り”を開くのだろうか?それぞれのプロが語る嘘偽りのない言葉はどの人も温かくどれも胸に響き、忘れられない。彼等の本音や考えや努力を知る度に、胸に熱いモノが込み上げ、瞼も潤みがち。悲しいかないつかまた誰かの時にお世話になる日もあるだろう。その時には彼等の見方がまたひとつ変わりそうだ。父の命日を前に、今この本を読めたのは私にとってはベストだったかもしれない。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今年の年賀状のデザインがいまいち。」
2018.12.20
コメント(0)

あけるのか、あけないのか・・・立ち止まるのか、止まらないのか・・・何を今さら、な感じだが、今頃になって世の中に呼び掛け、“従わせよう”としている。ちなみに私の場合、スプレー缶については、穴をあけないで使いきって出す。(そもそもスプレー缶が苦手危険な目に遭ったわけではないが怖い&嫌い。だから、今じゃ自分から絶対に買うことはないが。) エスカレーターについては、左側に立ち右を開ける。急いでる時はどうしても右を歩いてしまう。長い時間をかけて身についたことだ。だから今後もしルールが変わるから直ぐに従えと言われても、それなりに時間がかかるだろう。それにしてもこんなに狭い土地の、他国よりルールに厳しいイメージの日本に於いて、日常の決まり事が実は全国でバラバラというのも、おかしな話ではある。個々の都合があるから、違いがあっても当然だが・・・それを今回の爆発事故のように大きなニュースや、東京五輪が控えてるからという理由で、急に湧いたように「さあ、今日からこうしましょう!」とか誰かが言い出したところで、どれだけ世の中に浸透するだろう?「このエリアは禁煙です。路上タバコは罰金です」と気合を入れてた地域でさえ、最近では時々下を見れば吸殻が反抗的に道端に捨ててあるし、コンビニの裏でホタル族(死語)のように喫煙者がこっそり集まり煙を吐くから、臭いと共に風で表に漂っている。その活動が始まった頃は取り締まる係員もいたけど、今やそれを注意する人さえいない。ならば今、TVで繰り返し特集したところで、効果は期待できない気がする。つまるところ、ルールがどんな内容であっても、守るか守らないかはその場に居る人間の考え方・モラル次第なんだと思う。今さらひとつに統一しようなんか、無理がある。結局はその人その人の想像力と機転に委ねるしかないんじゃないかと。 スプレー缶については自己判断では、今回のようなアホな事故を起こす考え無しの人間も残念ながら一部居るので・・・全国で処分の仕方を統一すべきだろう。それにしてもこの事故を起こしたスタッフ・・・ふたりも居てこうなる事を想像できなかったんか?120本分も一気に放出して、何故ガス漏れ警報器鳴らない?ガスの種類が違うと鳴らないの?(探知機の意味ない)。契約者から高いオプションでお金をとって、実際には作業してないことまでバレて・・・色んな意味で、お粗末さが露呈。いい加減な行いをすると、遅かれ早かれこうなる運命なのかもしれないが。彼等の愚かな無責任行為のせいで被害に遭われた多くの無関係な方達が、気の毒でならない。******若者のインスタグラムの利用法に、変化があるらしい。これまでは、だいぶ背伸びしてリア充をアピールするのが目的だった。それが見る側の反感を買い「イイね」の数を増やせないことに気づいたとかで・・・誰よりも先にあの店のでっかいパフェを取り上げる“イケてる私”ではなく、“日常生活の私”がテーマになりつつあるという。高価なものをわざわざ頼んで、撮るだけで食べずに廃棄するよりも、プチプラの良さを引き出し、そこで“映える私”にシフトする方が、断然好感が持てる。けれど、彼女等の本心は別にある。要はすべては“イイね”の数をもっと伸ばすために好感度を上げたいから、ウケのいい方向に軌道修正したのだ。“ありのままの私”に見えるように裏で並々ならぬ努力をしていると聞き、呆れた。そんな練られた演出のうえで見せられた時点で、フィクションじゃないか。“ほんとうの私”らしく見えるようにインスタジェニックを狙う・・・インスタグラムって一体、何のために誰のためにやるんだろう??? 芸能人や友達の私生活を覗かせてもらう分には、私も“見る側”オンリーで毎回楽しませてもらっているが。全く見知らぬ人の自己満足画像を見てもなぁ・・・って、このブログも同じか(苦笑)。※私は常に素で勝負します。じゃないと息抜く場所がなくなるから。 すべてノンフィクションです(キッパリ)。※★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「スーツケースもコートもどピンクなら、みんなの目印になって良いよな。・・・ってなるかぁ! 二度見したわ。」
2018.12.19
コメント(0)

これでやっと年が越せる。染めた髪もまだらになり、所々白いモノが混ざり始め、もっさりとしてまとまりのなくなった頭。それをやっつけるため美容院に行くはずが、突然高熱により延期に。どんどんとスケジュールが埋まり、時が過ぎる中、無理矢理予約をねじ込んだ。そして希望通り、襟足の鬱陶しい部分をばっさり。こんな寒い時季にショートボブもどうかと思うが、今はなんだかこの気分。前髪も分け目を逆にして、ややぱっつん気味に垂らしてみる。鏡に映る自分が違って見える。アシスタントのお兄さんに髪を染めてもらう間、いつものようにいろいろとお喋り。なんと彼は3か月前に私が薦めた本を、律儀にも読んだというではないか! しかも感想も彼なりに聞かせてくれた。私が活字の仕事をしている事に、興味を示してくれてるだけでも嬉しいのに、この前聞いてきたのだ。オススメの本は何ですか?と。調子に乗ってペラペラと沢山の本を紹介したのは覚えてる。でも向こうは作業中でいちいちお客さんの話の中身など覚えてる暇はないだろうし、その時間だけ話を合わせ頷いてるんだろうと思ってた。それがまさか早々にしっかり作家をチェックして、私が一番好きと言った小説を選んで読んでいたとは・・・。この未来ある青年の前でいい加減な事は言えない・・・もっと責任もって言葉を発しないと・・・と深く反省。彼は今どきのシュッとした色白イケメン君。私よりはるかに年下の、普通ならば接点が何もない世代の若者だ。それがこうして私の行きつけの店のスタッフとしてある時期出逢い、違和感なく世間話をするように。初めの頃は随分シャイでおとなしい印象だったが、一年ごとに力と自信をつけ、最近特に成長目覚ましい。技術ももちろんだろうが、彼の聞き上手力は向上し、話す力も驚く程ついている。この店に来る客層はおそらく、彼の世代よりも上の人が多いだろう。店長Oさんの人柄や技術に惹かれ、長年のつき合いで集まっている常連客は、華やかな商売を含め特殊な職種や趣味を持った人が多い。アシスタント君はその人達から様々な事を吸収し、心身を鍛え、今まさに成長している最中なのだ。前は私が話すばかりだった。それが最近は、彼から語られる話に耳を傾ける機会が増えた。子供のいない私からしたら、彼の考えてる事、見えてる世界・・・そのどれもが興味深い。若い彼の考えや使う言葉に刺激されたり、ハッとする時もある。決して交わる事のない世代と、ギャップや共通点を見出す面白さ・・・前よりますます、美容院に行く楽しみが増えた。紹介した本は「あなたは若いから、その気持ちを理解するにはまだ少し早いかもしれないけど・・・」と前置きして薦めた。感想を聞く限り、やはりまだ全部を理解するには早すぎる若さだが、きっといつか解る時が来るだろう。あと10年くらいは寝かせた方がいいけれど、真面目な彼のこと。その内容を、自分の事のように感じ、思い出す時が来るだろう。その頃まで私達のつき合いが続いているかは、自信がない。ただ、その小説の言葉達が、立派に成長した彼の記憶に残ればいい。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「診察待合室で映画1本以上観ることになろうとはしかも紅の豚~からの~シザーハンズ。何故??」
2018.12.18
コメント(0)

それを初めて耳にした時。パンダの新しい名前かと思った。キャッシュレス化が世界中で広まる中、日本でもこの10月からアプリ“PayPay”のサービスが開始に。 「スマホひとつでカンタン・おトクにお支払いができる。最短1分で登録完了!」、だそうな(他人事)。この12月には【100億円あげちゃうキャンペーン】を実施。わずか10日間で還元額が上限の100億円分に到達するというニュースが話題になった。その影響でソ○トバンクの大規模な通信障害が起こり、パンダの名前だと思ってるような時代遅れの私でさえも、いつの間にやらその大きな渦に巻き込まれているとゆー 個人情報の漏えい問題については、この前のブログでも少し書いたが。ネットを通じて商品の取引をして料金を支払うシステム自体、いまだそれ程信じていない私が、スマホのような得体の知れないモノのアプリを、信じられるわけがない。PCにどんなに強力なセキュリティソフトを入れても、まだどこかで疑っているような人間だもの。スマホ決済なんか、怖くて一生手が出ない だからC国やK国の人達みたく、最新のモノに早々と飛びつき、何の迷いも疑いも持たず、老若男女がいとも簡単に使いこなす柔軟さには、ある意味感心する。特に私は(今は「なるようになる!」の口癖の勢いを借りて前に進めるようにもなったが)、根の部分は「石橋を叩いて渡るどころか、叩き割ってしまうぞ!」と子供の頃、亡き父に指摘されたように、良く言えばかなり慎重、悪く言えば保守的だから。聞けば、K国の人は最近ご祝儀までキャッシュレス化してるらしい。いきなり口座番号聞かれる側の新郎新婦は、どんな気分なんだろう?無駄(どんな?)が省けてラッキー♪とか思うのか? 口座聞いて振り込んでおしまいだなんて、失礼な奴!ってならないの? 何のサービスでも、どんな最新機器でも、きっと私も使いこなせるようになれば、それなりに便利さを受け容れ抱える不安や疑いの分量も減るのだろうけど・・・これ以上、日本のAI化やキャッシュレス化等が進み、どんどん便利になってしまうと、もうお手上げだ。 ってかさ。よくよく考えると、これらの利便性の提供って全部、“スマホありき”で進められてるじゃないか。愛着あるガラケー壊れてしぶしぶスマホ持った私は、「今後スマホ決済で」と言われれば、しぶしぶ従えるとしても。スマホ持ってない人は、どうすればいいの?スマホ決済を謳ってる店で、ガラケーやそれさえ持ってない人は買い物するなと? これから日本は店が客を選ぶ時代になるのだろうか。そんなどうでもいい心配をしてしまう。こんなニュースを毎回観せられると。独身時代住んでいた町は、ギョウカイ人や芸能人も多い場所柄、お洒落化が急速に進んでいる。それでも東西にのびる昔ながらの商店街が栄え、その下町っぽさが好きで、結婚するまでずっと住み続けた。その商店街の一角に、お世辞にもキレイとは言い難い靴屋さんがあった。3畳あるかどうかな狭くて薄暗い店の奥におじさんがひとり、椅子に座っている。店内には「いつからあるんだろ~?」な新品とは言えない売り物の靴が整然と並び、おじさんの隣には修理を終えた靴達が、依頼者が持ってきたコンビニ袋や紙袋に戻され、沢山並んでいる。イタリアの山間のひなびた靴屋をTVで観た時、懐かしさを感じたくらい雰囲気が似てた。とにかく“昔から代々続く靴屋”の空気が満々なのだ。当時の私は取材で一日中歩き回っていたので、パンプスのヒールをよくすり減らしていた。その度にそこに修理を頼んでいた。初めて店に入る時は、勇気が要ったような気がしたが、あることを機に、その店に行くのが楽しみになった。腕はいいけど、見た目は笑顔もなくいかめしい顔つき。そんなおじさんが、私におつりを渡す時、決まって小声で「はい、500まんえん。」と言うのだ、真顔で(苦笑)。これを聞いてから私は、さらにこの店そしてこのおじさんが信頼できるようになり、この町を更に好きになった。こんな素敵な出会いや経験は、スマホ決済では絶対に味わえない。 何でもかんでもペーパーレスにするのも、勿論エコでいい。支払いが簡略化されれば、国内外からの観光客もストレスなく旅ができるし、購買意欲も増すだろう。でも、風光明媚なこれぞニッポンの原風景!みたいな場所でペイペイ言われても・・・・・・たとえ今後、現金のやり取りが省かれるのが主流になったとしても。日本という国が、人と人との繋がりや人肌を感じられない世の中になるのだけは、個人的に歓迎できない。そう思う私はいずれ・・・ふるいにかけられ取り残されるのだろうか?★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「最終回だけ観て泣けるドラマも、そうないと思う。相変わらず化ける女優だな。」
2018.12.16
コメント(0)

12月が間もなく半分終わる。特別な事をしていても、していなくても時は待ってくれない。皆に平等に過ぎていく。年末進行の時期、出版業界は慌ただしい。こんな私でも猫の手くらいには役立つようで、突然のお呼びがかかる度、老体に鞭打ち、時々本気出すペン職人の日が続く。今日になり副業の方も、年末年始のスケジュールが押さえられる。もしこれもすべて決まれば、締め切りを抱えたまま、年を越すことになる。こんなことは久しぶり。ライター辞めて以来だ。先の先まで埋められた仕事の配分をざっと考える。それだけでなんだかワクワクしてしまうのは、一生治らない職業病かも。どうやら今年は、ダラダラ正月太りする危険もなさそう。毎日どれだけ仕事に費やし、どこで正月休みをとるか・・・自分の好きに決めればいいけど、しっかり考えて進めなきゃ夏休みの宿題みたく、悲惨な最終日を迎えることになる。だから今から計画立てて、依頼されても慌てないよう。そして精一杯脳を使い、体脂肪を燃やし、来年はこの腹回りの“呼んでもないのに勝手に集まった”肉やら脂肪やらをまるごと削ぎ落としたい。元の姿をイメージして、原稿と真剣に向き合い脳活ダイエットを目ざしたい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「ここ数日風は冷たいけど、空が澄んで富士山も拝めて嬉しい」
2018.12.14
コメント(0)

「クリスマス、何かするんですか?」美容室で髪を切りながら担当のOさんが、そして染める作業中にアシスタントのG君が・・・私に予定を聞いてきた。きっと他のお客さんは、色々と面白い答えを用意してるのだろう。ここの常連の奥様達は、セレブ臭がやや強め。海外を庭のように飛び回ってる話なんかも、隣の席から聞こえてくるし・・・だから、「いや特に何も。海外ドラマのDVDでも観まくってるんじゃないかな」とか冴えないことしか言えない私に、皆、拍子抜けするのだ。もちろんそのテのイベントを避けてるわけじゃない。むしろ子供の頃から馴染みがあった。バレエ教室では毎年、レッスン場に母子で大勢集まり、クリスマス会が行われた。先生の司会進行の元、生徒が順番に出し物を披露した後、輪になって『きよしこの夜』をアカペラで唄いながら、プレゼントを回し合った。高校時代は我が家にクラスの女子が大集結し、カラオケで唄ったり持ち寄った料理を食べたり・・・“青春”してた。 だけど、もういい大人だしクリスチャンでもないし。子供や孫やフットワークの軽い友達でも居れば、その気になるのだろうけど、いつ体調急変するかも判らない姑を気にしながら、中高年夫婦だけで陽気にクリスマス・・・って気分にはならない。しない言い訳をあれこれ話す私に、「ですよね~」と微笑みながら頷くG君。私の子供でもおかしくない年代の若者に、店に入るなりこんな“夢のない”話を聞かせるのも心苦しい。が、しかし世の中の皆が皆、”その日を待っている”わけじゃないってことは、カンのいい彼ならちゃんと理解できたはず。因みにG君は彼女と、老舗ホテルのフレンチレストランを予約しているのだそう「こんな若くて、あのホテルのフレンチだとぉぉーーー?」と、一瞬息が止まりそうに驚いたが、最上階のあれがウリの店の方じゃないと言うし、「彼女がクーポン券を貰ったので、ランチなんですけど」と彼らしく謙遜して言うので「ランチね! それがいいね」と、思わず語気を強めて本音がこぼれた******漫画『タイガーマスク』の主人公“伊達直人”。その名を借りた人物から児童養護施設にプレゼントが届き、“タイガーマスク運動”と呼ばれるまでに、善意の輪が広がった。この連鎖的寄付行為が世に知られたのは、今から8年前のクリスマスの頃らしい。でも実はそのムーブメントが起きるずっと前から、“伊達直人”は存在した。兵庫県の児童養護施設にXmasケーキ等を贈ってきた男性。きっかけは、書店で参考書を手に取っては戻す小学生男児を見かけたこと。その児童が施設暮らしであることを知り、施設の子供達に図書カードを贈った。あれから32年。つまり彼が、“初代伊達直人”とも呼べる善良な人物なのだ。その“伊達さん”が、最近になり大病を患い手術入院した。すると今度は、施設の子供達からサプライズプレゼントが、彼のもとに届く。感謝と励ましの言葉いっぱいの寄せ書きは、彼を元気づけ、今後の支えとなるに違いない。分け隔てなしに人を愛し、互いを思い遣り、困った時には手を差し伸べる・・・これぞ理想のクリスマスの在り方、だと思う。そんな心の息づくクリスマスなら、宗教国籍関係なく遠慮せずにどんどんやってほしい。私のように“何もないただの一日“になるとしても。これまでの波乱万丈な日々を思えば、こうして今、平凡に毎日を過ごせることこそ、何よりも私が望んでいたこと。周りの状況、周りの人人へ想いを馳せながら、当たり前の“何も起こらない”日を過ごせることに感謝して、来週も変わりない週末を迎えられますように。****** クリスマスには聖書を読んで学ぶべきだ。政治や株式市場など俗世の出来事にどう関わるべきかの啓示は、聖書の中に見つけられる。 ・・・・・・貧困と闘わなければならない。資源を公平に分かち合い、弱者を助けなければならない。強欲や搾取には反対すべきだ。・・・・・・クリスマスはとても楽しいが、同時に深く内省すべき時でもある。私たちはつつましく貧しい馬小屋の光景から何を学べるだろう。A time for Christians to engage with the world(キリスト者が世界と繋がる時) 2012.12.19『ファイナンシャル・タイムズ』ローマ教皇による異例の寄稿文より{ウィキぺディアより拝借} ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「最近、電車が止まりすぎ。遅刻しそうで心臓に悪い」
2018.12.13
コメント(0)
日々の生活に追われるうち、することの優先順位が当たり前だけど“今必要なこと”からどんどん決まり、“女である”ことは底辺に追いやられる。若い頃からおしゃれを自分なりに楽しむのが好きで、それなりにこだわりもあった。好きに使えるお金は限られていたが、その中で自分をどう魅せるか、今のポテンシャルをキープできるか、あれこれ考えるのは苦じゃなかった。今もその時の気持ちは忘れないでいたいけど、そんなのん気に振る舞ってられない。私の現実はかなりシビアで苦しい。悠長に外見ばかり時間をかけていられない。だからと言って、“女である”自分を忘れたくない。加齢により体型が崩れたって、色気や潤いが枯れてしまったって、精一杯のおしゃれをしたい。姿勢のいいのが唯一の取り柄。背筋をぴんと伸ばして、オンの日は頑張って少しヒールのある靴を選ぶ。膝ががくがくしないよう、途中で転んだりしないよう、気をつけるべきことは若い頃と比べものにならない程、沢山ある。それでも永遠のおしゃれ番長・野宮真貴のプライドを、気分だけでも見習いたい。仕事が切れたので久しぶりにマニキュアを塗った。BGMは古内東子『TOKO~best selection』。恋する女心を唄わせたら、現代の恋の歌代弁者のNKなんか比じゃない。あんなママゴトみたいな青臭いのとは、深みが違う。痛みが違う。とりあえず薄っぺらな同じことばかりネタにして歌ってはいない。恋愛は綺麗事ばかりじゃないってこと、ヒリヒリとした痛みがつきものだってこと、それでも素敵だってこと・・・ちゃんと気づかせてくれる。彼女の歌を地で行く恋をしていた時期がある。ダンナと知り合うちょい前のことだ。古内東子を聴くのは、一番女々しかった私を思い出すことになるから、結婚を機に聴くのを止めた。でもマニキュアを塗る時に、どうしても聴きたくなった。聴けばうまく塗れるような気がして。どうせなら気分的に盛り上げてみたかった。ウン年ぶりの古内は、変わらず切ない。どんなに私がおばさんになっても、今はキラキラの欠片もない風貌になっても、心はあの頃のまま敏感だ。当時の気持ちが蘇り胸がざわつく。私の全力をかけて尽くした恋。大輪の花火のようにあっけなく消えたそれは、私の心身をボロボロにした。でもあの頃の私は、“女である”ことに真っ直ぐでいられた。人を愛すること、人に愛されることを楽しみ、自分磨きに全力で向き合っていた。忙しい仕事を抱えての恋愛はしんどい時もあったが、底知れぬパワーに満ち溢れ、生きる強さが漲っていた。人に必ず一度絶頂期があるとするなら、私のピークはあの時代だろう。懐かしい曲を聴きながら、私の奥深くに仕舞い込んでいた乙女な部分が少しだけ顔を出す。かさついた心に潤いが戻って来たような気さえする。想い出はあまりに遠くなりすぎて、あの日誓った約束も夢か現実か、もうわからない。慎重に塗り重ねたマニキュアは、いつの間にかダマができ、指紋がついたり、ヨレてたり。途中で家事をしながら女の綺麗を保つのは、やっぱり難しい。あの頃初対面の男性によく褒められた手も指先も、今じゃまったく自慢できない。シワシワの別物だ。どう頑張っても老いが隠せず、泣きたくなる。いや、でも、まだまだあきらめない。女を捨てない。母は毎朝きちんとメイクしてから朝食や弁当を作っていた。歳をとってからもおしゃれに手を抜くことは決してない。マ二キュアを塗り、色味の映える服を着て、美容院にマメに通い、白髪や寝癖を一度も見たことがない。それも全部、大好きな父のためだった。そんな母を誰よりも可愛いと、実は思って密かに憧れている。気性の激しい人だけど、私なんかより明らかに中身は乙女だ。これも亡き父に全力で恋してたから。母のようにおばあさんになっても、ふとした時の可愛さを忘れないよう、恋する気持ちをなくさないよう。古内の「かわいくなりたい」を改めて教訓にして。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「薬屋の隣に薬屋は要らんだろう?」
2018.12.13
コメント(0)

そろそろ年賀状の準備でも・・・とダンナが言うので、もうそんな時季になったのか、とようやく自覚。今年出す予定のふたりの合計枚数を相談し、年々減っていく“知り合い”の数に、溜め息をつく。姑宛てに届く年賀状には、随分前から時々、「これでお終いにします」という“終活年賀状” が混ざるようになっていた。それを目にする度に、全く縁のない私でさえ、胸にツンとした何かが込み上げた。読んでる姑は「あの人もこんなこと書いちゃって!歳をとったわねー!」と笑い飛ばしていたが・・・そんな姑も、これまで世話になってきた人達に、“最後の挨拶”をひと言も告げないまま呆けてしまった。寝たきりの今、年賀状を書くどころかまともな言葉さえ、発することができない。最近では、若い人にも“年賀状じまい”する傾向があると聞く。SNSを通じて世界中に自分の存在を知らしめたいのかと思えば、こうして身近な縁を早くも断とうとする。繋がりたいんだか、離れたいんだか。一体、何をしたいんだか・・・。でも、今年になり私も「年賀状・・・もういいかも」と初めて思ってしまった。こういう機会でもないと、連絡を取り合うこともない知り合いが、大勢いる。元気にしているだろうか? 会いたいなぁ。そんな想いを抱きつつも、目の前に在る現実をこなすのに必死で、今じゃメールさえ送れない。それは向こうも同じようで、決して私を忘れてしまったわけではないことは、年賀状を受け取れば解る。だから、せめて年賀状だけは途切れないように、心をこめて出し続けているのだが・・・・・・よりによってこのタイミングでプリンターが壊れた。大容量のインクを書い足し、さあこれから絵柄を選ぶぞ!住所だけでも先に印字するぞ!と気合を入れた矢先。それで一気に、年賀状を作る気が失せた。「今年は送るな、と天から言われてるのか?」と悪い方に考えたりもして。でも高価なインクを無駄にするわけにもいかず、インクに合うプリンター探しに奔走。やっと適合する納得の商品を見つけたからいいようなものの・・・はっきり言って、年賀状作る前にもうグッタリ。実はまだ、年賀状も買ってない(苦笑)。インク購入→プリンター未購入→年賀状未購入・・・うーーん。何やってんだろ。ほんと馬鹿。話飛ぶが、二年前だったか、大晦日直前になり冷蔵庫が壊れて・・・あの時も年末に冷や汗かいて走り回ってた。年末年始用に買い足した食材を、どうやって腐らせずに済むか。新しい冷蔵庫が無事に届くまで、そればっか気がかりで・・・でも閉店前の家電屋にすべり込み、このサイズのこのメーカーのこの形式にハマるモノを!と最初から超細かい指定ありきの注文をしたにも関わらず、ベストなモノを店員さんが見つけてくれて、しかも大晦日の日にギリギリ配送もねじ込んでくれた。おかげで届いた御節も腐らせずに、平穏な新年を迎えることができたんだった。さーて、今年の年末はどうなることやら?プリンター、買いたいのを見つけたはいいが、これからネットで注文して配送待って・・・年賀状作るくらいの余裕が、果たしてあるのか? もう諦めて、絵入りの市販の葉書を用意した方がいい気がする 或いはいっそのこと、出すのを諦めるとか。それでもいいような気さえしてきた(だいぶ後ろ向き)★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「賢明で大人な対応で器の違い、見せつける。」
2018.12.11
コメント(0)
【他ブログより転載。2017.12/11日記より】サンタもまだ、良い子の枕元にやって来ていないというのに。町の店先にはもう、しめ縄や鏡餅がどうだ!と言わんばかりの貫録で山盛りになっている。今から買う人が居るとも思えないのに、なぜあんな無駄な事をするんだろう? 年を越す前に色褪せてしまいそう。もったいないけど、あれも師走を意識させ、購買意欲を掻き立てる演出なのか。TVでは某芸能事務所のお嬢さん達が、恒例の晴れ着姿をお披露目。現在より少し先の時季を想定し、流行を先取りする。それが当たり前な雑誌の世界に、長年携わり季節感のズレには慣れているはずなのに、歳のせいか、どんどん先走る世のスピードに抵抗を感じる自分が居る。ロデオの乗り手のように振り落とされないよう、必死に生きてる。これでも手綱をさばくのは、乗馬にはまった時期もあるから得意だったのに・・・今や定位置に腰を落ち着けているのも危うい。油断すると滑り落ちる。時の流れの速さに眩暈がしそう。今年を表わす一文字を、考える時期が来た。別に誰に頼まれたわけでもなく、何かメリットがあるわけでもないので考える必要もないんだが。姑を我が家に迎えた頃から、一年一年と私の時間が奪われていき、介護をするようになったら、自分をほぼ見失いかけていたから、一年を振り返る癖がついたというか。「私のこの一年、どう生きてきたんだろう?」と思い出す作業みたいな感じで。ちなみに2016年は【変】。今年の一文字の第一候補とも言われてるようだが、去年のブログを見てみると、私は去年がそれだった。抱負は「(酉年に因み)自分をとり戻す」だった。完全に忘れてたけど。それを踏まえて2017年を早くも振り返ると、抱負はとりあえず達成できた。姑が施設に入れたおかげで、心労の度合いは一気に軽くなり、私自身が自由に使える時間が増えた。仕事もプライベートも我慢をしないで、気の向くまま打ち込めるようにもなった。そんな流れの中、今の副業と出合い、縁あって新しい仕事に挑戦することになり・・・こんな私でもまだ世の中に貢献できるんだという実感を得て、忙しくも楽しい日々を何年かぶりに味わっている。不器用だけど私らしい生き方、そういう意味ではこの歳にしてようやく満たされた、と思う。そうは言っても2017年という年も、なかなか困難がツキモノの一年ではあった。寝つきが悪くなるくらい辛いこともあったから、口角上がる程の笑顔は少なかったかもしれない。新年早々悪い冗談のように姑事から始まり、その後もひたすら彼女に振り回される展開で、思い出すのは介護の事ばかり。何をどうやって12月まで辿り着いたのか、あまり覚えていない。ただ、いつもより手応えある時間がもてたのは、大きな収穫。新たな仕事に挑戦してみたら、自分の引き出しがまだあるとわかり、尊敬すべき仕事相手とも出逢えた。歳を取ってから信じられる人と、出逢えるのも滅多にない事。それらを総括した私の2017年は、【転】。主に転機の転。姑が転がったのも含み、転で決まり。速い流れの中、転がるようにここまで来た。新しい年は、この一年を土台として、もう少し落ち着いて暮らしたい。今年の問題は解決しないまま、いくらか持ち越す事になってしまうけど・・・それについても決して焦らず、自分のペースを崩さず、欲張らず、一歩一歩確実に進んでいきたい。★ ★ ★ ★ ★ 今日のひとこと。「夕陽は、かなり前の由比ヶ浜。」
2018.12.11
コメント(0)
“ふるさと納税“が何かと話題である。本物にそっくりな偽サイトを作り、納税者に酷い物を送りつけたり、お金だけ騙し取ったり・・・何かが軌道に乗ると必ず、そこにはリスクが付き纏う。こんな詐欺サイトじゃなくても、その危険から身を守るのは どうやら容易ではないらしい。 山形市で寄付した個人情報約1万人分が、市のHPに誤って一時的に掲載されるという大問題が起きた。 情報漏洩を公表し謝罪した山形市。”ふるさと納税“を一時ストップし、再発防止策を作成 &関係職員処分を宣言・・・対応は迅速だったとはいえ、情報漏洩(合計37項目!)の恐怖をいきなり知らされた寄付者の人達の心情を考えると・・・。 以前、某大手のアンケートプレゼントに応募した。 応募した事さえ忘れた頃に、ある事件をTVニュースで目にした。 関係職員が応募者のデータを売ったのだ。その中に私の情報が含まれてるのか調べようもないが、 幸い今のところ悪用されていないようだ。ニュース放送後、詫び状が印刷文で届いた。 代償として、500円分のクオカード付きで。 何も被害に遭わなかったから、いいようなものの・・・ もし使われたら・・・という気味悪さは変わらない。 長年何かと関わってきて信頼していただけに、 裏切られたような想いが強い。あれで幕引きして、世間がこの件を忘れてくれるの待ち なんだろうが・・・被害者が子供を持つ親たちなら、私以上に不快な想いや不信感を抱いているはず。自分の情報だけならまだしも、 大事な子供の個人情報が、誰かの手にお金と引き換えに知らぬ間に渡ってたとしたら・・・ クオカード一枚で忘れられる傷み、だろうか? ****** 商品を購入すると付いてくるサンプル化粧品で、 顔がかぶれた。 実は前にも使ってたこともある、それも敏感肌にも やさしい商品。最近蕁麻疹も復活して、体調にも波があるから肌にも変化があるのは判る。 超敏感なのでこういう時期は、敏感肌用でも自然派でも何でも肌を刺激しすぎて、こうなってしまう。いつもなら用心してるのに、この日は湯上りで油断した。 肌にまんべんなくつけたとたん、見たことのないポツポツ が広がり・・・赤くなってる!(叫) あ``~なんてことだ! 翌朝もまだ少し出たままだったから、肌荒れに効く軟膏を塗って様子見。 腫れは一応引いたようで、とりあえずホッとした。でも怖くて残りのサンプルは、使えないなぁ。でも・・・もったいない。 顔以外に使おうか・・・多少のリスクも承知で、どうにか“お得“を味わおうと変なところで意地になる。ここが私の貧乏性でダメなところ。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。 「昨日から記事がうまく投稿できない。何がマズイの?? 何度も繰り返し弾かれ後半が消えてて・・・凹むわ。」
2018.12.08
コメント(0)

「大阪のおばちゃんは、本当に“飴ちゃん“を持っているのか」(子育て情報紙『お母さん業界新聞』大阪版編集部調べ)というアンケートで、大阪在住女性112人中、半数以上が「飴をいつも携帯」と回答。「出かける際、必ず専用ポーチを持っている」との答えに、私も大きく頷いた。 関西じゃなく九州生まれだけど、おばちゃんになる前からバッグに飴ちゃんを常備していた。目的は乾燥した場所で喉のイガイガを抑える、脳を使い過ぎた時にちょっとの甘さを補給する、空腹を紛らすため・・・など等。関西のおばちゃんみたいに、子供がぐずった場に遭遇した時に、サッと差し出せるカッコよさがあればいいなぁと憧れたりもする。でもいまだその夢(?)は叶えられていない。なんたって関東には見られない文化だから、もし私が子供に飴を渡そうもんなら、その親に絶対に断られるだろう。最近はマンション内でもたとえお互い女同士でも、笑顔で挨拶した相手の子供から無視されることが増えた。スポーツ少年は変わらず元気な挨拶をしてくれるが、特に女の子は護身のために、親から知らない人に声かけられても、相手をしないように言われてるのかも。挨拶さえ簡単に交わせないそんな世の中になったから、見知らぬ人から飴なんて快く受け取るわけがない。大人の私であっても急に貰うと困るんだもん。そりゃしょうがない。けれど、貰った飴を食べる食べないは別として、そういう気遣いはすごく嬉しい。編集者時代、残業残業で終電を逃すことが多く、深夜タクシーのお世話になった。やっと捉まえた車に乗り込むと、ほとんどの運転手さんが「飴どうぞ」と勧めてくれた。手渡された飴を食べた記憶はないけれど、見知らぬ人との数十分間のドライブも、そのひと言で少し気が楽になった。そうい意味では、コミュニケーション能力の高い大阪のおばちゃん達にとっても、安価で小ぶりな飴は何かと便利なアイテムなのだ。それをまた愛情込めて「あめちゃん」と言って渡すから、その言葉に相手はきっとほっこりしてしまう。関東で飴を出して喜ばれるおばちゃんは、玉ねぎ頭から出す黒柳徹子ぐらいだろうが、大阪のおばちゃんのように自然体で飴ちゃんを出して、世の中の空気をほんの少し和らげられたら・・・やっぱりこれは私の永遠の目標、みたいなものかもなぁ。飴ちゃんではないし、相手は子供でもないが一度だけ数年前に、その“予行演習”ができたことが・・・。近所の遊歩公園みたいになってる場所で、前を歩いているご婦人が突然視界から消えた。石畳のつなぎ目に足を取られ、派手に音を立てて転んだのだ。いきなりのアクシデントに驚きつつも、ダンナとふたりで「大丈夫ですか?」と聞いた。おばさんは恥ずかしそうに、何か言いながら荷物を持って立ち上がろうとした。見ると膝小僧から血が出ている。とっさにバッグから、ウェットティッシュを一枚取り出し、「どうぞ」と渡した。おばさんは「恥ずかしい」と言いながら喜んで受け取ってくれた。彼女がそれを使ったかどうかは忘れた。でもあの時、自然と体がそう動いたことは、あの夕暮れ時の風景と共にしっかり覚えている。この調子で、飴ちゃんを誰かに渡すことができたら・・・私も立派な?おばちゃんになれるような気がする(笑)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「毛玉とるとるにハマり中溜まった毛玉に癒されてる(苦笑)。」
2018.12.06
コメント(0)
6万4052件の応募者の“民意”は、何だったんだろう?何のためにわざわざ“公募”したのか?10位以内のモノなら、まだしも。130位それも36票しかないモノを山手線新駅の名称に選ぶなんて! 私の中で”ゲートシティ”と言えば、相当前から大崎。だから高輪ゲートウェイとか、こんなに既視感MAXなのも珍しい。それも、同じ沿線で結構近い距離にあるから、なお紛らわしい。鉄道ファンからも評判は悪い。「片仮名交じりは私鉄みたいで、JRっぽくない」と。鉄子ではないが、彼等の無念さが解る気がする。遡れば国電が分割民営化する際、あの時も一般公募で20位の“E電”(59,642通中わずか390通)を採用し、見事に定着せず、なかったことにした過去がある。だから今回の名称決定が最後には、応募者の貴重な声ではなくJR東○本の“一存”でなされることも、予想できたことなのかも。ここって・・・なーんか何かにつけて“お客様目線”じゃない感じがしてしまう。電車代ひとつとっても、沿線同士を繋ぐ無理矢理感やお金かける部分の順番にしても・・・。まぁ、新駅は多分一生使うことがない気がするから、何でもいいけど。相変わらず鮮度とセンスないなーと。******今じゃ全然観なくなった“日本一の漫才師を選ぶ祭典”『M-1グランプリ2018』。審査員の上沼恵美子に対し、若手(なのかも知らん)芸人の放った暴言が注目されている。久保田かずのぶ(とろサーモン)、武智(スーパーマラドーナ)のふたりが、当日のインスタライブで審査員を辞めろと上沼の言動をほのめかす言い方で、発言したことが事の発端。個人的な好き嫌いを持ち出して審査をするのは、確かに平等じゃないと思う。でも、「好きだけど」「嫌いだけど」と前置きした上で真面目に審査しているのだから、その方法が間違ってるとは言えない。それよりもいまだにダウンタウン松本を“神”と持ち上げ、彼の審査が得点の基準みたいになってるのは、アリなの? それなら島田紳助のジャッジがすべてだった頃と、変わりないよね?彼等に好かれる芸をして、気に入られて次の仕事貰って・・・そのためだけにM-1出てるんだとしたら・・・それこそ“贔屓”で成り立ってるんじゃないの? 私は上沼さんが出るようになって、一回くらいしか観てない。その時だけの感想になるが、彼女を私が好きだからそう見えたわけでもなく、普通に真面目に審査してると思えた。口はあの通りで良くないから、言葉としてはキツイこともある。特に今どきの若い世代には、受け容れがたいものがあるだろう。昭和の芸人には、アレが普通のことだった。彼女の言葉はいつも、わざとらしいお世辞はあっても心の底から人の悪口を言ってるようには思えない。たとえ「大嫌い!」と言ったとしても、フォローする言葉がちゃんと添えてある。そこに愛を感じるから、彼女を酷い人間だと、今まで感じたことはない。 でも前のM-1でも誰かが上沼さんを批難する言葉を吐いてたような気がするから、今の時代に彼女の“飴と鞭”が合わないのは解る。スポーツの世界でも昭和を引き摺るコーチが、ちょっとスポ魂ちっくな鍛え方をすると、やれパワハラだイジメだと騒がれる。周りに大事にされて“やさしい”空気に慣れた世代からすると、自分について否定されたり忠告されたりすることが、耐えられないのかも。最近よく言われる自己承認欲求が強ければ強い程、上沼恵美子は敵になる。同様に私のような、何にでも口を出してしまう鬱陶しいほどお節介なおばちゃんも。 あの芸人たちが怒るのも、充分に理解した。それはそれで良しとしても。彼等の“態度”は問題だ。公共の場で、酔っぱらった状態で思いのままに暴言を世の中に配信した。しかも、常識のある大人の発言には程遠い低レベルなことを言い放った。 「更年期障害かと思いますよね」上沼さんの言動に、彼等がどんなに傷ついたのかは計り知れない。でも、だからと言って、このような芸とはまるで関係のないデリケートな部分を持ち出して、仇をとったと思ってるのが、人として信じられない。彼は自分を応援してくれる人の中に、女性が居ることを完全に忘れている。この発言は上沼さんだけでなく、全女性を蔑視する非人道的発言だ。 このことは決して「ごめんなさい。酔ってました。言い過ぎました」と”ツイッターで大先輩上沼に対して謝罪を表明“するだけで済まされるようなケアレスミスじゃない。今の若手芸人は、謝罪の仕方もきちんとできないのだろうか? 若手と言ってももうだいぶキャリアのある人達だと思っていたが。いまだに芸も大したことができないクセに・・・やり方は大物だな(呆)。 「私みたいな、こんな年寄りがね、ポンっと座って偉そうにしている場合ではないんですよ」上沼さんは自身のラジオ番組で、審査員引退を宣言した。実力のある先輩芸人を尊敬もできず、デリカシーもない、オリジナルの芸もない文句さえ酒の勢いを借りなければならないそんな愚かな後輩達を責めるようなことは、決して口にせず。 世間ではふたりを擁護する芸人仲間やファンも多いと知り、当事者でもM-1支持者でもないもののなーんかなんか、ただ残念な気持ちだけが、朝から重い。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「街は急に忙しなくなってるけど……個人的に師走感、ないわー。」 今朝の空。端になんか映ってるけど、ま、いっか。
2018.12.05
コメント(0)

季節外れの暖かい一日になるらしい。さっきから本気でお日様が照り始め、空もだいぶ青さを増した。でも、朝からモヤってる。早朝の朝霧が今も辺りを包み込み、ちょっと不思議な・・・ベランダに立ち、山側に向かって深呼吸。ここから見る幻想的な朝の風景。私だけの贅沢な時間。******昨日は一日中、眠くて参った。蕁麻疹の薬が効きすぎたのか、持病のせいか、寝不足か。日頃から充分睡眠は取ってるつもりだ。それでも時々、どうしょうもなく眠い日がある。それが仕事で集中しなくちゃいけない時に当たると、もー最悪。行きの電車はちゃっかり椅子に座り、浅く寝ながら移動。最寄駅に着いたら、買い物のついでに【眠○打破】とか滋養強壮系ドリンクをおっさん並みに一気飲み。作業を始めたら、ブラックミントガムやすーすー系のタブレットの力を借りて、ブラックコーヒーと緑茶のカフェインをがぶがぶ摂りこみ、なんとか堪える。それで大体は、頭が冴える。活字を追いながら頭をフル回転してる間に、程よく脳が活性化され、どんどん作業効率が上がる・・・ハズなのだが。昨日は何をやっても、モヤモヤのまま。“一字の間違いも許されない”作業なので、周りに気づかれないよう、あれこれ工夫し鞭打ちながらなんとか睡魔に耐えた。耐えた。耐え抜いた。気分転換に途中で外や別のフロアに抜け出せるとかできればいいけど、そんな造りになってない。資料や本や埃とスタッフがぎゅうぎゅうに詰まった狭い空間で、黙々と活字に向き合う静かな時間が続く。労働環境的には、正直なところ恵まれてない。1時間の休憩時間以外、トイレに行くついでに軽くストレッチするくらいしか、自由がない。そのトイレも狭くて寒い。しかも個室だけど男女兼用という、落ち着かなさ はぁ・・・。そうは言っても、私はハケンの身。フロアの広い狭いに関わらずサボってないで、時間分はきっちり仕事しないと!そんなことを思わず愚痴ってみたが、ここで働かせてもらう以上、会社の環境がこの先変わる望みはない。だから、自分がそれに慣れるしかなく、既にかなり長いので、すっかり慣れてるが・・・・・・眠いもんは、眠い! せめてイイ空気が吸える窓があったらいいのに・・・穴蔵みたいな閉鎖的な空間で、ひたすら忍耐を学ぶ。我慢する力は、人一倍身についた。ま、印刷所の校正室に比べたら、人間らしく働けるから、全然マシだ。窓がなく照明も暗く、関係者以外立ち入り禁止&外出禁止。食事は出前で、不味いカツドンを食べる。時には、印刷部門の機械の回るそばでインクのニオイを嗅ぎながら、立ちっぱなしで延々と原版と向き合うなんてことも・・・そんな作業を大昔にしてたこともあった。それに比べれば、今は良い環境。眠い眠いと文句を言いながらも、昨日はとんでもない間違いを見つけてしまい、一気に目が覚めた。あれ、どう決着つけるんだろう? 今からどうやっても、あの間違いを正すのは無理だろう。見て見ぬふりするのか?私はこっそり消すしかないと思うのだが・・・あの大きなミスのせいで、あれこれ考え膨らませてるうち、寝てる場合じゃなくなった。間違いを見逃さず、すべてをクリアにしていくのが私の仕事。でも、あまりにも直しがなさすぎると、細かい活字を追ううちにだんだん催眠状態に陥るので、できれば「直しがいのあるミスがあってほしい」というジレンマ。私って・・・役に立ってるんだか、立ってないんだか。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「“本物”ならば世代を超えて響く、ってことだ。」
2018.12.04
コメント(0)
【他ブログより転載。2017.12/4(月)日記より】今朝になりやっと、ぎりぎり36℃台に熱が下がる。まだ頭の芯にいくらかの疼きは残るものの、ピークの時に比べれば、体はかなりラクに感じる。12月に入る前から、急に体調面で気になることがあり、その後落ち着き何ともなかったので、安心したのも束の間・・・なんだか体が熱っぽいな~と感じつつ、仕事を終えて帰り着いた夜、さらに体は熱くなり。翌朝、悪寒で目が覚める。この時点で、体温は38℃をはるかにオーバー。37℃台には慣れっこでも、38℃となるとさすがに寒いわ熱いわ朦朧とするわで、コントロールが利かない。翌週も仕事が休めないので、早急に治さねば。病院に行き、症状を話し触診、採血、尿検査、インフルエンザ検査を受けるも、「何らかの感染症」としか判らず・・・なんだかなぁ。去年からインフルエンザ予防接種を受けた副作用が長引く。今年はアナフィラキシ―寸前の酷い症状が出た。過去、投薬してた婦人科系皮下注射(抗がん剤の一種)で、アナフィラキシーを起こして以来、投薬する度に副作用で体が衰えていった。婦人科以外の病院に、どれだけ通い検査や治療を繰り返しただろう? 多すぎて思い出せない。今はもう年齢的にも色々あっておかしくないから、あの酷い投薬や今もガン予防に飲み続けている薬の副作用というより、誰しもに訪れる老いの中で、今回の感染症になったのだろう。それにしても、急な高熱すぎて体が追いつかない。明日の仕事に穴をあけないために、それ以外を諦め静養中。美容院行きたかった。副業もホントは断らず請けたかった。友達の個展も観たかった。まだ今年は紅葉もゆっくり観る余裕もないのに。他にもあれこれやるべき事があるけど、まずはこのなんだか判らない病原体に退散してもらわねば。自分の思いと体がうまく噛み合わないの、ツライな~。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「次のスーパームーンは元旦らしい。」
2018.12.04
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1