全26件 (26件中 1-26件目)
1
スヌーピーの漫画から。ある日のペパーミント・パティと、チャーリー・ブラウンの会話。ペパーミント・パティは、問いかけます。「安心って何?」「車の後部座席で眠ることさ。」と、チャーリー・ブラウン。「お父さんとお母さんは、前の席にいる。そして僕らは、何も心配しなくても、面倒をみてもらえる。」「ほんとに素敵ね!」チャーリー・ブラウンは続けます。「でもそれは、いつまでも続かない。突然、きみはおとなになる。そして、二度ともとには戻れない。」「もう、もどれないの?」「突然、終わりになるんだ! もう、二度と後ろの席で眠れない。もう、絶対に戻れない!」ペパーミント・パティは、不安にかられて叫びます。「私の手をしっかりにぎって、チャック!」* *この会話は、原作者シュルツ自身の子供の頃の思い出から。裕福ではないけれども、ささやかな幸せに満ちた彼の家庭。平穏な家庭が永遠に続くと思ったとき、母親が癌になります。母ディナは、非情な苦しみを伴う闘病生活を続けます。毎晩続く、高校生のシュルツの看病。母の苦痛の悲鳴で、近所に迷惑がかからぬようにと引越ししました。昨日までの幸せは、一瞬で消え去っていました。しかし空しく、母親は亡くなり、その直後にシュルツは第二次世界大戦に徴兵されます。安心は、長くは続かない。それは、突然に崩壊する。そして決して、もとには戻れない。人生は、時としてあまりに非情。だから、チャーリー・ブラウンは叫びます。「もう、絶対に戻れない!」(アブソリュートリー・ネヴァー!)*【参考文献】 「スヌーピーたちのアメリカ」,廣淵升彦,新潮社,1993年
2008.05.31
コメント(41)
ターコイズ、つまりトルコ石は、かつてはタイルや陶磁器の釉薬にも使われました。その色は、青味がかるほど高価です。青は含まれる銅による色。鉄が含まれると、緑がかり価値が下がります。トルコ石とは言いますが、トルコでは産出しません。大半はペルシャ(イラン)や、シナイ半島産。その後に、トルコを経由して運ばれたため、トルコ石と呼ばれます。偽りの名で呼ばれる、トルコ石。トルコ石は、最愛の人の危険を色の変化でしらせる。古代ペルシャ人は、その様に魔除けの力を信じました。危険を知らせるトルコ石。しかし、私にとってはお節介。もしウェッジウッドのターコイズが変色したなら、それこそ、私にとっては危機ですから。【参考】 トルコ石
2008.05.30
コメント(43)
白。マイセンの白。アウグスト1世に囚われたベドガーが、命乞いのため完成させた白い陶磁器。陶土に混じる鉄分は、陶磁器を赤く汚す。カオリンの発見で、錬金術師ベドガーが手にしたマイセンの白。監禁されたまま、酒と水銀で38歳で亡くなった彼が求めた白。赤。マイセンが求めた柿右衛門の赤。マイセンの白い陶磁器が嫌った鉄分から得られる赤。赤の原料、ベンガラは酸化鉄Fe2O3。これ以上、酸化することない究極の酸化鉄。このベンガラを石英,鉛から成る花浮(はなうき)と混ぜ得られる赤。青。中国汝官窯の青磁、雨過天青(うかてんせい)の青。究極の酸化ベンガラと対極の、酸素が不足した還元焼成の青。酸素が足らないことで得られる、美しい青。マイセンは白のために、鉄を嫌い、柿右衛門は赤のために、鉄と酸素を求め、汝官窯は青のために、酸素を嫌った。白と、赤と、青と。カオリンと、鉄と、酸素と。求め、嫌い、命をかけ。人を狂わす、陶磁器の世界。【懐かしい関連日記】 マイセンの歴史
2008.05.29
コメント(35)
南極で発見された、火星からの隕石「ALH84001」を覚えておられるでしょうか。1996年、この隕石に、多環炭化水素,磁鉄鉱と硫化鉄,細菌の化石に似た形状がみつかりました。NASAは、火星に生物がいた証拠として発表。日本はこれを受け、NASAへの火星探査の資金援助を決めました。この時、私は偶然に、アメリカにいました。当然、アメリカ人は日本の資金援助を歓迎すると思い、新聞を見ました。しかし、現実は予想外。アメリカの新聞には、「日本人はあやふやな情報に安直に資金を出す愚かな国民」という旨の記事が掲載されていたのです。多環炭化水素,磁鉄鉱や硫化鉄は、生物に由来しなくてもできます。また細菌の化石も、信憑性は乏しいもの。この隕石の細菌の化石に似た形を、鉱物が作ることは知られています。しかも、この化石のサイズが問題。長さはわずか0.03マイクロメートル。これは細菌の1/10より小さい。NASAはこれを「細菌の一部」と説明しますが…。アメリカのこの日本への声を聞きながら、私は日本へ戻りました。そこには、火星探査に沸く日本がありました。それから今日まで、私はこのアメリカの新聞記事を日本で話すことはありませんでした。火星探査には、私も夢を感じます。しかしその前に、私たちは地球人さえ理解していない様に、思えてなりません。【参考文献】 「火星に生命はいるか」,大島泰郎,岩波書店,(1998)
2008.05.28
コメント(50)
身近な大半の機械部品に、多用されるねじ。ねじは、私たちの生活に欠かせない部品。時計、テレビ、パソコンなど、取り外しが容易で、締め付けも可能なねじはとても重宝されます。今日の本、「ねじとねじ回し」の作者は、ねじをこの千年で最高の発明として取り上げます。ねじは西洋で発明され、西洋の技術を支えてきます。この本の作者は、ねじの発明家を追い求め、ある人物にたどり着きます。その発明家の名は、伏せておきましょう。この本の趣旨に沿わないでしょうから。一方で東洋にねじはなく、日本には鉄砲とともに、16世紀にようやく伝来します。しかしその後、日本でねじは広まらず、江戸時代もねじは使われませんでした。それにしても、日本にねじが広まらなかった理由は意外です。それは、ねじが作りにくいから。細かな細工が得意な日本なのですが。さざえ堂は造れて、ねじが作れなかった日本。さざえ堂より、不思議かもしれません。【過去の日記】なぜか魅かれる ― 会津さざえ堂 ― (注: リンク先の日記内には、リンク切れがあります)
2008.05.27
コメント(42)
絵本「赤いおおかみ」から。馬車で運ばれる途中、道に落ちてしまった犬。だれも気がつかず、そのまま意識が遠のいていきます。それを救ったのは、おおかみのお母さん。おおかみの子供とともに、彼は育ちます。小柄な彼は、兄弟のおおかみに力ではかないません。彼は、知恵を使って戦います。そして、群れの中で尊敬されるおおかみになりました。赤毛の、赤いおおかみの彼。獲物を捕らえ、月に向かって歌う。嵐にも、寒さにも耐え、風を読んで狩をします。彼は、おおかみの掟にしたがって生きました。ある日、母さんおおかみが、狩人の罠にかかります。罠をはずせない彼は、お母さんを谷の絶壁に引いてゆきます。その谷底には、父さんたちが眠っているから。狩人の放つ銃声。谷底に飛び込む母さんおおかみ。そして彼は、銃弾に傷つき保護されます。保護した新しい飼い主は、オルガという女の子。もう、おおかみには戻れないと知る彼。しかしオルガは、彼があの谷底に飛び込むことを許してくれます。彼が歩けなくなる、その時に。それを聞いて、彼は安心します。彼はオルガを愛し、日々の生活を愛しました。しかし、あの谷を夢見てすごしました。そして、その時がきて、彼は約束どおり、谷底に飛び込みます。母さんや父さんが眠る、あの谷へ。彼の一生が、目の前をよぎります。「ぼくは ぼくの長い すばらしい そして豊かな一生を振り返って 嬉しかった」*振り返り、喜んで受け入れることのできる一生を、もし私でも送ることができたなら、それは、どれほどにすばらしいことでしょう。
2008.05.26
コメント(42)
猫は、蚕に救われています。カイコを飼う、つまり養蚕については、日本はトップレベルにあります。東レ愛媛工場には、蚕工場があります。ここでは蚕によって、ネコ・インターフェロンが作られています。猫の感染症薬、インターフェロン。それは、蚕に遺伝子組み換えしたウイルスを注入して作られます。この蚕の体液から、インターフェロンが取れるのです。猫は、蚕によって救われます。その副作用、遺伝子操作への不安もなくはありません。しかしインターフェロンが安価で入手できることで、救われる命も多いでしょう。かつて絹を生み出した蚕。シルクロードは、文明の発達を支えました。そして今、蚕は命を救う新たな道を、生み出し始めているのです。
2008.05.25
コメント(42)
覚えておられるでしょうか。10万ヒットの際に、これを記念して、ちょっとした企画をしたということを。実は、ある出版物のコラムを書きました。そのネタは、私自身の日記から。そのコラムを特別に、ご紹介します。著作権を譲渡していますし、多くの人の眼に触れるでしょう。ですので、星(*)に囲まれた部分の掲載は、期間限定です。ブログがなければ、書けなかったコラム。いかがでしょうか。****公開終了しました。****昨日はネット環境がない場所におり、お邪魔できず、すみませんでした。この様なこともありますが、これからもよろしくお願いします。【元日記1】 闇に光る目【元日記2】 今、私たちの進化の時 ― 眼の誕生 ―【過去の日記】 限りある時間 そして夢のある明日に ― 10万ヒット -
2008.05.23
コメント(50)
天才時計技師、アブラアン=ルイ・ブレゲ。彼が考案した時計のメカニズムは、今日の時計部品の3/4。200年は、時計の技術を進めたとも言われます。その彼が、マリー・アントワネットから注文を受けた懐中時計。当時の先端技術の全てを投じ、費用と製作期間にいとめをつけなかったその時計。あまりのこだわりから、製作期間が長引きます。完成は、1827年のブレゲの息子の世代。マリー・アントワネットは既に、フランス革命で命を落としていました。彼女も目にすることができなかった時計。その時計は、その後に盗難に遭いつつも、私たちは見ることができます。本当に良いものを知る人。それを作る人、求める人。人は消え、やがて品物だけが残る。アンティークは、そこに残る、人の想いに魅せられて。【参考】 ブレゲ作 マリー・アントワネットの懐中時計【過去の日記】 私は何者か? ― マリー・アントワネット ―
2008.05.22
コメント(30)
犬小屋の上で、気持ちよく昼寝するスヌーピー。彼はなぜ、犬小屋から落ちないのでしょう。作家のシュルツは、答えます。「木の枝にとまる鳥。 あの鳥は、眠るとかぎ爪が枝をつかむ様に筋肉が働く。 それと同じこと。」つまり、あの犬小屋の屋根に掛かった両耳。あの耳が、眠るとぎゅっと犬小屋をつかむのです。さすがは、スーパー・ビーグル犬。空をみつめて、スヌーピーはつぶやきます。「すべてはむなしい。」「空を見上げても、人生に意味を見出せない。」「まったく、無意味だ。何の生きがいもない。」ため息をつく、哲学犬スヌーピー。そこへ、チャーリー・ブラウンが食事を運んできます。飛び起きる、スヌーピー。彼は叫びます。「これこそ、生きがいだ!」私たちの人生は、日々のささやかな喜びのために。それが、スヌーピーが知る真実。
2008.05.20
コメント(55)
水害の恐ろしさを知って欲しく思い、今日は体験談をお話します。長文ですが、皆さんへの大切なお知らせもございますので、ぜひご覧ください。今までお話したことはありませんでしたが、私は数年前の名古屋の水害で車を失いました。走行中に浸水し、エンジンが停止したのです。私はやむを得ず、JAFを呼ぶことにしました。この時、私には幸運なことがありました。私はこの時に、携帯電話を持っていなかったのです。外は雨。しかし仕方がなく離れた公衆電話まで、とぼとぼ歩いて行きました。各地で車の浸水が起きている日。JAFは、1時間以上は来ないとのこと。今から車に戻る気もなく、しばらく雨宿りしながら待つことにしました。この判断が、私の生死を分けました。実はこの時、河川の堤防の決壊が起きていたのです。急激に水位は増し、私の車は一挙に水没してしまいました。もちろん、雨宿りしている私は、全く気がついていません。ようやくJAFが到着し、一緒に車に向かおうとしましたが、そちらに向かう道がありません。完全に今、歩いてきた道が水没しているのです。やむを得ず、JAFのかたと共に、高架道の上から車の近辺を見下ろしました。驚くことに、見渡す限り水。水位は一挙に4m以上上昇し、私の車は全く見ることができません。わずか1時間強で、大きな異変が起きました。約1日が経過し、水位が低下してから、車に戻りました。そこで、意外な事実に気がつきました。エンジン停止し、キーも抜いていた車。離れる時に、ドアロックもかけていました。その車は、バッテリーまで浸水した時に、大きなトラブルが発生したようです。最大の問題は、車のドアが開かなかったこと。キーを差し込んでまわしても、ドアが開きません。現代の車は、バッテリーが浸水すると、ドアが開かないのです。JAFのかたが、苦労して無理にドアを開けてくださいました。しかし内側からドアノブを引いても、もう一方のドアは開きません。いえ、ドアノブ自体が、固くて全く引くことができないのです。この時初めて、現代の車は浸水するとドアが開かないことを知りました。もし携帯電話を持っていたら、私は車の中で、JAFを待ったことでしょう。外は、大雨でしたから。そして、私はドアの開かない車に閉じ込められ、命を落としたかも知れません。事実この時に、知人の奥さんは、似た状況で亡くなりました。水害時は、速やかに車外に出てください。水圧がかかると窓が開かないと言いますが、それだけではありません。車のドアや窓は、水圧がかかっていなくても、水没による電気系の異常で開かなくなります。長文になりましたが、ぜひ皆さんに知って欲しくて書きました。また、今日の日記は、美夢たんさんの日記をきっかけにしています。こちらでご紹介の防災グッズを備えるのも、良いかもしれません。みなさん、お気をつけください。ブログでお知り合いになれた、皆さんの安全を願って。
2008.05.19
コメント(70)
古代から男女を問わず、顔に泥や顔料を塗ることが行われました。化粧には、古くから土や石が使われてきたのです。現代でもファンデーションに加えられる絹雲母。光沢や肌触りのよさを与えます。クレオパトラがアイシャドーにしたのは孔雀石。緑色にまぶたは、私にはなじめません。本来、アイシャドーは魔除けのためとも言われますので、よいのかもしれませんが。日本古来のおしろいは、とても有害なもの。原料が鉛ですので、深刻な鉛中毒を起こします。そのため、昭和9年に禁止されました。どうやら、女性は昔から石が好きなご様子。オイルや化学薬品を使う男性より、ずっと地球環境に優しいのかもしれません。だからといって、高価な宝石をねだるあなた。それは、いかがなものでしょうね。【参考1】 孔雀石【参考2】 絹雲母
2008.05.18
コメント(35)
子供の頃、家には置き薬がありました。富山の薬売りで有名な置き薬。その始まりは江戸時代と言われます。富山のよく効く薬を、他の地方にも分け与えたのがきっかけ。置き薬が入っていたのは、派手な色合いの紙の小引き出し。金魚の模様があったかもしれません。あの中の、赤い粉末の胃薬は、とても苦い薬でした。また胃薬が入った紙袋の絵が、私は好きでした。それはなぜか胃が透けて見える、人体解剖図の様な人物の絵。人によっては、嫌うであろう不気味な絵。その不気味さを、薬らしいと感じていました。ひとめで、それと分かる紙箱。薬の紙袋の稚拙な図柄。その頃のあの置き薬には、温かい心がこもっていた気がします。病院にゆくことは少なく、置き薬に頼っていたあの頃。あの頃の方が、病気がよく治っていた気がしてなりません。
2008.05.17
コメント(37)
煙突の中を掃除させられた、かわいそうな少年たち。18~19世紀の彼ら、煙突少年。はじめは、彼らの悲惨な話を書くつもりでした。しかし、あまりに悲惨で、断片のみお話します。煙突少年の大半は、結婚外で生まれた子、極貧家庭からの奉公、家出人、誘拐された子。6時間以上の煙突内の清掃。熱い煙突での火傷。火傷で軟骨化した肘と膝。重荷運搬での背骨の変形。火を消したばかりの煙突に追い込まれる少年。そのまま二度と、外の世界を見ることはない。重度の火傷。火のついた暖炉への転落。煤での窒息。煤での癌。1864年の英国王立委員会の証言は、煙突少年を救いました。それは彼らの、つらい修行に関する証言。肘と膝は、なぜ軟骨化するか。それは、肘と膝の修行のため。熱い火、火傷、塩水、摩擦、血、火傷、塩水、・・・。そして1875年、ようやく煙突少年は禁止されます。今では煙突の上からの、おもりとロープの掃除に変わりました。私たちが享受する、快適な生活。その陰で、今も涙する者がいないと、言えるでしょうか。
2008.05.16
コメント(54)
1882年、心霊を追い求め、科学者は心霊現象研究協会(SPR)を創設します。場所は、イギリス、ケンブリッジ大学。またアメリカでも、1885年に米国心霊現象研究協会(ASPR)が創設されます。高名な科学者でありながら、彼らは心霊、霊媒、降霊術、テレパシー、透視などを追い求めました。SPRの歴代会長,協会員には、歴史に名を残す著名人がみられます。○ レイリー卿ジョン・ストラット: レイリー散乱などの光学,音,流体力学で有名。アルゴン発見でノーベル賞受賞。そして、SPR会長。○ シャルル・リシェ: アナフィラキシー・ショックの発見でノーベル生理学・医学賞受賞。そしてSPR会長。エクトプラズムの命名者となる。あの女性初のノーベル賞受賞者マリー・キュリーを、降霊会調査に招いたことも。○ ウィリアム・クルックス: タリウム元素の発見,真空放電管,放射線測定器の発明家。英国学術協会会長の就任演説で超常現象への支持を力説し、人々を驚かせる。SPR会長。○ オリバー・ロッジ: 電磁波研究、コヒーラー,点火プラグも発明。そして心霊検知器の研究を進め、SPR会長就任。○ ウィリアム・バレット: ケイ素鋼の発見者。その後、催眠術,ダウジングの研究後、SPR会長就任。○ ウィリアム・ジェイムス: 実験心理学創設者。ハーヴァード大学教授で、プラグマティズムを代表する哲学者。そしてSPR会長にして、ASPR創設に尽力。また作家では、シャーロックホームズで有名なアーサー・コナン・ドイルも、SPR協会員。多くの降霊会に参加したのは有名です。「トム・ソーヤの冒険」のマーク・トウェインもSPR会員で、熱烈な支持者でした。各分野の頂点を極めた彼らが、なぜ心霊研究に没頭したのでしょう。その答えは、彼らの言葉にあります。「本当に大切なことは、人はまだ何もわかってはいない。」
2008.05.15
コメント(38)
犬は、私たちの良き友人。18世紀頃、犬は働かねばなりませんでした。例えば、グレン・オブ・イマールテリア。その犬は、ドッグ・ホィールの籠の中で、走り続けねばなりませんでした。ドッグ・ホィール。それは、ハムスターの運動車に似た、円筒の籠。犬はその籠に入れられ、走らされます。その回転は、暖炉の焼き串に伝わります。そして、調理のための肉が回転し、焼かれるのです。肉を均一に焼くために、犬は休むことなく走り続けなくてはなりません。それは大変な重労働。訓練された犬も、人が肉を準備するのを見ると逃げ隠れしました。シェイクスピアも、ドッグ・ホィールを引用しています。「彼女は私を断尾犬にして、ホィールを回させた」かつて、犬は走りました。ただ、人のために。その恩に報いるためにも、彼ら彼女らを、私たちは守ってあげなくてはなりません。【犬図鑑】 グレン・オブ・イマールテリア
2008.05.14
コメント(40)
国立科学博物館で開催中の、ダーウィン展を拝観してきました。期待はしていなかったのですが、予想外に面白い展示でした。人生を変えた全長23mの小さなビーグル号での世界一周。3×3.3mの狭い部屋を大人3人で寝泊りする苦難を超え、進化論を導き出すきっかけをつかみます。教会からの批判を恐れ、進化論を遺言とし、生前は発表を断念していたダーウィン。しかしウォレスが進化論の論文を発表すると知ります。「わたしの研究が駄目になってしまう。」このダーウィンの言葉に、大きな動揺がみられます。そして、ふたりでの連名の論文発表となりました。最後にあるシーラカンスの標本もお勧め。よろいの様なうろこが、迫力あります。しかし最後のコーナーの、「論理と真理は異なる」という展示エリアは一般には難しすぎるのでは?私たちの様な、マニアには良いのですが。もっとも、私としては展示場の初めにある、ウェッジウッドのポートランドの壷にも興味津々。高さ30cmほどの、黒いジャスパーの壷を、しばらく眺めていました。なぜダーウィン展で、ジャスパーがあるかはご存知ですよね。ヒントは、私の過去の日記。さて、この展示会で、私も少しは進化できたでしょうか。どうも,駄目だった様な…。(あきらめ早い)【ダーウィン展】 開催案内【Wikipedia】 ポートランドの壷【関連日記1】チャールズ・ダーウィンとジョサイア・ウェッジウッド 【関連日記2】その多様性が 進化を促進する - アルフレッド・ラッセル・ウォレス -
2008.05.11
コメント(49)
牡丹についての昨日の日記。これは、ゆうか0373さんの牡丹の日記をきっかけに書き始めたもの。花の話題は、皆さんの日記にも多いですね。そこで今日は、「牡丹 それから」です。牡丹の日記に、marnon1104さんから芍薬の蜜についてのコメントがありました。牡丹に蜜はないが、芍薬に蜜はあるかとのこと。芍薬はボタン科ですが、蜜が潤沢にあります。むしろ蜜がありすぎて、開花できないこともあります。花びらが、蜜でくっつくから。自然では、朝露に蜜が流れ、芍薬は開花できるようになります。家庭栽培などで、水分で蜜が流れない場合は、霧吹きで蜜を流さなくては開花できないことも。今年、芍薬を挑戦されている hana♪1202さん、お気をつけて。朝露の助けを借りて、花開く芍薬。花の宰相も、自分の力だけでは生き延びれません。花は自然とともに生きるもの。花の綺麗な季節。そしてそこにある、自然の神秘。これからも、その自然の有様を、静かに見つめてゆきたい。*ところでアメリカのLimeGreenさん。アメリカでも芍薬は、綺麗に咲いているようですね。
2008.05.10
コメント(38)
大輪の牡丹の花が、咲く季節。帝王のごとく人目を引く、牡丹の花。牡丹の原種は、中国西部ブータン。そのため、ブータンが転じて、牡丹の名になりました。花札で、牡丹に舞うのは鮮やかな蝶。花札に限らず、牡丹に蝶の図柄は多い。大輪の牡丹には、華麗な蝶がよく似合う。しかし牡丹は、蜜を出さない花。その牡丹に、蝶が来ることはありません。来るのは、花粉を食べる一部の蜂。牡丹に舞う蝶。それは日本人が見続けた、幻想の自然。その姿は、まぼろしと呼ぶには似合いすぎる。私たちは、いつもまぼろしを見ているのかもしれません。
2008.05.09
コメント(48)
科学が、万能ではないとしたら。進化論は、チャールズ・ダーウィンとウォレスにより得られました。しかし後年、ウォレスは心霊主義に向かいます。「君は、幼虫へ変態している。 君の進化論への冒涜は、私が許さない。」ダーウィンにこう忠告されても、降霊会に参加するウォレス。ウォレスは考えます。肉体は、自然淘汰により進化した。しかし、精神はもっと大きな力によって進化したのでは。その力は、心霊主義の神秘の世界に答えがあるのだろう。1869年、ウォレスは論文を発表します。自然淘汰には限界がある。精神や道徳は、「すべてを統べる知性」によって進化する。ウォレスの心霊主義は、彼の業績に影を落としたかもしれません。彼が目指したのは、科学と精神の融合。生物の進化が、科学の合理主義にのみよるとすれば、あまりに悲しすぎる。生物は、人は、ときにはとても非合理的。もし合理主義にのみ従うなら、私はブログを書きはしないでしょう。でも、ウォレス、私がブログを書く理由が分かりました。それはきっと、こうでしょう。多様な世界によって促進される、精神の進化のため。【参考】ジョサイア・ウェッジウッドの息子 -チャールズ・ダーウィンの伯父-
2008.05.08
コメント(36)
洋館の壁に付いた、ツタの跡を見ていました。数ミリの小さな丸い跡が、ちどりながら壁を這う。まるで、壁にできた吹き出物。私は、あの跡が好きにはなれない。ツタは、付着根の吸盤により壁を這う。葉が落ち、ツタが枯れた後も、壁に残る付着根。それが、あの壁の無数の跡。失ったものは美しく、今あるものより輝いている。それが失ったものの、愛しい思い出となる。しかしツタは失われるとき、あの醜い跡を残す。いかに生前に愛されても、あの醜い跡は残したくない。だから、ツタの跡を、私は忌み嫌う。見え隠れする、その傲慢な執着を。
2008.05.06
コメント(38)
皆さんからもご意見のありました、かごめかごめについてのお話。かごめ かごめ かごの中の鳥は いついつでやる夜明けの晩に 鶴と亀がすべった後ろの正面 だあれかごめかごめは、不思議な歌。円陣中央のオニに、地蔵を憑依させた呪術と言われます。地蔵の憑依により、目隠ししたオニが「後ろの正面」を当てるのです。しかし、歌の内容は不思議です。「篭目 篭目 篭の中の鳥は いつ逃げ出せるだろうか」「囲め 囲め 囲まれた鬼は いつ出れるだろうか」諸説あります。初めの歌は遊女の歌、後の歌は遊びのハヤシ歌との説があります。全く不思議な歌の後半。これは鶴と亀が滑る、不吉な状況を示すとも言われます。また明治以前は、歌詞が違うとも。謎はありますが、中央のオニに求められたのは特殊な能力。見えないものを当てる、特殊な能力。かごめ、かごめ。夜明けの晩に、あなたは、ただひとり。ひとり、しかし、まわりには、姿の見えない何者かの気配。やむことのない、不吉な胸騒ぎ。いつになれば、ここから逃げ出せるのだろう。かごめ、かごめ。ほら、あなたの、すぐうしろに。当ててごらん。うしろの正面 だあれ。【関連日記】 怖いながらも とおりゃんせ ― この子の七つのお祝いに ―
2008.05.05
コメント(45)
掃除機を使いながら、思います。最近、ほうきを使っていないと。昔、よく家にお客様が来られました。しかしお客様が来られると、客間のテレビが見れません。子供の私は、早くお客様に帰って欲しいのです。そこで、こっそり別の部屋に、ほうきを逆さまに立てかけました。それは、お客様に帰ってもらうおまじないだから。それとの関連は分かりませんが、ほうきは産神様の依代(よりしろ)と言われます。ほうきは、安産の象徴。妊婦は、ほうきを跨いではいけません。神の宿るほうきを、使わなくなって久しくなります。思えば、寂しい気もします。ほうきという依代を失ったのは、神様でしょうか。それとも、人なのでしょうか。
2008.05.04
コメント(32)
岩戸景気の頃の、三種の神器。電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ。その姿は、今日では大きく変わっています。人々が、その便利さにあこがれた道具たち。洗濯機で衣服についたしわは、アイロンで伸ばされます。もちろん電気アイロンを使いますが、骨董では炭火アイロンや火熨斗(ひのし)も見かけます。不便に違いありませんが、落ち着いた情緒ある道具たち。昭和41年頃の、新三種の神器。カー、クーラー、カラーテレビ。今では私たちに必須なものでしょう。日本が豊かになる頃の道具たち。道具への憧れは、人々に希望を与えました。しかし道具を手にすれば、人は目標を失います。だから次の道具を目指します。コレクションも、初めて手にしたものほど嬉しく感じました。ものが手に入るほど、失われてゆく喜び。人は限りなく、なにかを求めるもののよう。もしひとが欲しいものを、すべて手に入れたなら。わたしたちは、希望を失うのでしょうか。
2008.05.03
コメント(42)
フジの花が綺麗な季節です。フジは、ノダフジとヤマフジに大別されます。一般のフジは、ノダフジ。大阪府野田を発祥の地とする、花房が長いフジ。ヤマフジは、本州中部以西の花房の短いフジ。蔓の巻き方に違いがあり、上から見て、ノダフジは右回り、ヤマフジは左回りです。大半の花は、陽光の射す天を目指す。しかしフジは、陽に背を向け、地を目指す。そしてゆらゆらと、風になびく。無理をせず、流れに身を任す様がフジにはある。無理をしない。それゆえ、フジは長寿です。樹齢2,000年を越えるフジもあります。身の丈にあった、自然な生き方。そのすべを、フジは知っているのでしょう。*ビビンチョは西日本、エンガチョは東日本。子供の頃の共通の記憶と思っていましたが、意外なほど知られておりませんでした。寂しく、孤独になり、コメントの御返事が遅れている私でした。(言い訳)
2008.05.02
コメント(41)
子供の頃、けがれを防ぐ魔除けとして、ビビンチョあるいはエンガチョがありました。中指を人差し指の上で交差させる、あのしぐさです。指の交差には、バツ(×)の意味があります。バツは、そのまま魔除けの記号。穢れを防げる訳です。ビビンチョをしたうえは、もう穢れはうつせない。しかしこれは、日本でのみ通じるルール。日本には、日本特有のルールが多く感じます。それが故、日本では常識と思われたルールを突然に、海外で破られて唖然とすることになります。海外では、ビビンチョは使えない。この当たり前のことを、再認識する必要があるのでしょう。
2008.05.01
コメント(30)
全26件 (26件中 1-26件目)
1