2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全8件 (8件中 1-8件目)
1
次に判決要旨に登場するのは、4億円を分散入金したことが書かれている。ここには有名になった「推認」という言葉も登場している。とりあえずここで指摘されていることを事実と推測に分けて書き出しておこう。・1(事実)被告人石川は、本件4億円を平成16年10月13日から同月28日までの間、前後12回にわたり、5銀行6支店に分散入金した。・2(事実)後、りそな銀行衆議院支店陸山会口座に集約している。・3(推測)このような迂遠な分散迂回入金は、本件4億円を目立たないようにするための工作とみるのが自然かつ合理的である。・4(事実)本件4億円は、本件土地購入原資として小沢から借り、実際に本件土地取得費用等に充てられている。・5(事実)被告人石川は、本件土地の残代等を支払った後に、小沢関連5団体から集めた金員を原資として本件定期預金担保融資を組み、小沢を経由させた上で陸山会が転貸金4億円を借り受けている。・5(解釈)被告人石川は、これらの行為に及んだ理由について、合理的な説明をしていない。・6(推測)このような一連の経過等をみると、被告人石川は、平成16年分収支報告書上、本件4億円の存在を隠そうとしていたことが強くうかがわれる。・7(推測)被告人石川は、本件土地の取得費用等の支出を平成16年分収支報告書に記載せず、平成17年分収支報告書に記載しようと考えた。・8(事実?)被告人大久保を介して売主側と交渉し本件登記を平成17年1月7日に延期している。・9(推測)被告人石川は、本件4億円の収入や、これを原資とした本件土地取得費用等の支出が平成16年分収支報告書に載ることを回避しようとする強い意思をもってそれに向けた種々の隠ぺい工作を行った(ことが強く推認される)。・10(推測)後述する背景事情をみると、被告人石川には種々の隠ぺい工作を行って本件4億円を隠そうとする動機があった。ここで「?(クエスチョンマーク)」にしたのは、他の資料からの判断で事実かどうかが確認できなかったところである。後はおおむね事実ではないかと考えられる。そこで論理的に問題になるのは、これらの事実が「推測」によって結論を正当に導いているかどうかということだ。まず3についての推測だが、これは「目立たない」ということが具体的にどのような意味をなすかをはっきりさせなければ、その犯罪性を云々することが出来ない。目立たないようにすることがすぐに犯罪と結びつくのではないからだ。マスコミにかぎつけられて騒がれるのがいやだ、というのも目立たないようにしたいことの理由になる。これは全く犯罪性のないものだ。単にいやだと感じたからそうしたに過ぎない。しかし、その金の中に不正なものが入っていて、それを隠すために目立たないようにしたい、ということであれば犯罪性の指摘も出来る。検察はそれをしたかったのだろう。だがそのためには、その中に不正な金があるということを証明しなければならない。つまり犯罪性の証明には、もう一つ論理の前提が必要なのである。この推論は、目立たないようにしたいという石川さんの「思い」の推論としては妥当かもしれないが、それは単なる「思い」であり、それ以上の意味はない。5の解釈については、これは推論ではないので、正しいか正しくないかという評価ではなく、その解釈が妥当かどうかという評価をしなければならない。合理的な説明というのは、論理的な前提がはっきりしていて、その前提から結論が正しく導けるという説明が出来ると言うことだ。これは犯罪の立証においては絶対的に必要なもので、それをちゃんとやっていない裁判所が、石川さんを批判するような解釈をするというのはおかしいと感じるのだが、そもそも合理的な説明というのは、それにふさわしい対象でなければ出来ないのが普通だという解釈の方を僕は取る。たとえば、毎日朝食はトーストとコーヒーと決めている人が、朝食にそれを食べた理由を聞かれたら、「毎日それを食べることにしているから」と答えるのは合理的な説明だ。もし違うものを食べたときでも、「今日はパンがなかったから」と答えれば、違うものを食べたことの合理的な説明になる。だが、何を食べるかを気まぐれに決めている人が、たまたま朝まんじゅうを食べたとき、どうしてまんじゅうを食べたかというような合理的な説明は出来ない。たまたまそれがあったから、という理由で納得してもらえるかどうか。それを合理的だと思ってくれればいいが、そう受け取ってくれない場合は、いくら合理的な説明を見つけようと思ってもそれは見つからない。仮説実験授業では、選択肢付きの問題で、なぜそれを選んだのかという理由を聞く。その時に合理的な説明をする者もいるし、何となく選んだと答える者もいる。そのどちらも仮説実験授業では認める。人間の思考というのはそういうものだと思っているからだ。何でもすべて合理的に判断しているのではなく、無意識のうちに何となくやっていることもたくさんある。合理的に説明できないから悪いことを考えていたのだろう、という解釈と推論は論理的には正当性がない。人間は合理的ではない行動などいくらでもあるからだ。それをすべて悪意から出たものだと解釈されてはたまらない。検察と裁判所がやるべきことは、このようなデタラメな推論ではなく、悪意を持って行動していたと推論できるような事実を突き止めて、真っ当な論理で犯罪性を証明することなのである。それが出来ないのでこのような詭弁を使っているように僕には見える。6から後の推測については、石川さんの頭の中のことや動機を語ったものであるから、これは推測するしかない内容になっている。頭の中や動機は直接知ることが出来ないので事実としては確立しない。だがここで違和感を感じるのは、これらの推測が正しいとしても、そこにどのような犯罪性が帰結するのかというのが分からない。僕は、4億円の不記載という解釈には賛成できないので、それを犯罪として告発するのにも反対だ。だが、検察と裁判所がそれを犯罪だというなら、不記載そのものの犯罪性を語るべきだろう。どうしてここで推測しかできない動機について語るのか。動機があれば犯罪性の証明になるのか?実際には、石川さんは、4億円については一つ記載すればいいと考えたので二つを書かなかったというだけのことだと思う。書かなかった動機は、それが必要ないと思っただけのことだ。この動機でも犯罪性が見出せるか?それは無理だろう。書かなかったことの判断が間違いだというなら、それは訂正すればすむだけのことだ。逮捕して起訴するような犯罪ではない。この動機が犯罪に結びつくのは、隠したいと思った金が不正な金だったという証明が必要なのだ。それは後に水谷建設の金で語られていると思っている人がいるかもしれないが、神保哲生さんの指摘によれば、水谷建設が違法献金をしたと言っている時期よりも、陸山会の収支報告の流れの方が早いそうだ。つまり、水谷建設の金は、物理的に問題となっている収支報告の金にはなり得ないのだ。神保さんによれば、水谷建設相手にこのようなことをしているのだから、その隠そうとした4億円だってきっと怪しい金が入っているはずだ、と推認してこのような判決になっているのではないかと指摘していた。つまり、この推認には全く事実的根拠がなく、単に動機がありそうだから悪いことをしたのだろうと決めつけているに過ぎない。全く滅茶苦茶な論理だ。この論理では全然説得力がない。
2011.10.25
コメント(0)
西松建設事件に関する記述に論理的に納得出来ないものを感じているのだが、陸山会事件に関しても同様に論理的な側面に疑問を感じる。まず「問題の所在」として次のような指摘がある。「平成16年分収支報告書には「借入先・小澤一郎、金額・¥400,000,000、備考・平成16年10月29日」との記載(以下「本件記載」という。)があるが、この記載について、検察官は、陸山会の定期預金を担保に小沢がりそな銀行衆議院支店から4億円を借り入れ、陸山会が同人からその転貸を受けた「転貸金4億円」であって、平成16年10月初めころから同月27日ころまでの間に小沢から陸山会が借りた合計4億円(以下「本件4億円」という。)ではないと主張するのに対し、被告人石川は、小沢から借りた4億円を記載したものであると主張している。 」ここには、検察と石川被告の対立点は書いてあるが、どこが悪くて告発されているかという指摘は書かれていない。それは判決要旨には書かないものなのだろうか。文脈からすれば、石川被告の主張が間違っていて、それが悪いと指摘されているようにも感じるのだが、どこが悪いのかが分からない。つまり論理的な理解が出来ない。このあとのところに書かれているのだろうか。「検討」と書かれているところには、「「平成16年10月29日」という収支報告書の備考欄の記載は、その体裁からして、陸山会が小沢から4億円(転貸金4億円)を借り入れた日を書いたとみるのが自然かつ合理的である。本件記載が本件4億円を書いたものだとすると、被告人石川は、本件定期預金担保融資における本件定期預金4億円を収支報告書に記載しておきながら、それを担保にする形をとって小沢から転貸を受けた転貸金4億円を記載しなかったということになって不自然である。」という記述がある。ここでは「不自然である」と判断しているが、本当にそうだろうか?誰もがそう考えるならこの言葉も頷けるが、そうでない考えもたくさんある。小沢さんからの現金4億円と、銀行融資の4億円を両方記載すると、合計で8億円の借り入れになるが、実際に土地購入に使われたのは4億円である。8億円はいらないのだ。いらない金を記載するのが自然で、必要な金だけを記載したのが不自然なのだろうか。この4億円には次のような解釈がある。小沢さんからの現金4億円を、そのまま使ってしまえば運転資金として残る金はなくなり借金だけが残ることになる。だから、運転資金を残すために、小沢さんからの4億円を担保にして銀行から融資を受けるという工夫をする。その融資は陸山会が受けることが出来ないので、小沢さん名義で借りる。そしてその4億円で土地購入の代金を払う。担保にした4億円は解約した後に小沢さんに返す。陸山会には銀行融資の借金は残るが、運転資金も残り当面の活動も出来るようになる。銀行融資の借金は利息を払う必要があるが、当面の金が残り、借金はそれ以後の政治活動で集める金で返すということにすれば、政治活動が滞ることはない。この解釈では、小沢さんから借りた現金4億円は、空間を移動したもののまた小沢さんの元に返っていき、実質的に借りた金は4億円だけということになる。8億円を借りたのではないという解釈も出来る。銀行融資であっても小沢さんの金には違いなのだから、借入金は小沢さんからという記載は正しいのではないかと思う。石川被告は小沢さんの秘書であるから、小沢さんの金を預かって預金をし、銀行融資を受けるという手続きをしたとしても、それも仕事のうちなのではないか。これを、もし石川被告がやらずに、小沢さん自身が定期預金をし、銀行融資を受けてきたら、現金の4億円の受け渡しはなくなり、銀行融資の4億円だけが借入金となる。そうなるとなんの問題もなくなる。状況としてはそれと同じなのに、どこが悪いのか、というのが論理的に分からない。判決要旨を読む限りでは、この4億円の記載が悪いといっているように見えるのだが、どこが悪いのかが分からない。この事件が出てきた最初の頃、郷原さんは、この4億円の記載の問題自体は大したものではなく、犯罪として立件することは出来ないので、この小沢さんの現金4億円の中に事件性を持ったものが含まれているという指摘がなければならないと語っていた。それが、後で語られる水谷建設の違法献金の問題なのだろうが、ここでの指摘は、記載そのものが悪いと語っているようにしか見えない。これは論理的におかしいのではないかと思う。
2011.10.22
コメント(0)
判決要旨には政治資金収支報告書の虚偽記入について大久保被告の関与を語るところがある。ここにも僕は違和感を感じる。そこでは、「収支報告書に新政研及び未来研からの寄附であるとの虚偽の記載をすることを承知の上で、同人らをしてその旨の記載をさせ、提出させていたことが認められる。したがって、陸山会の収支報告書についての虚偽記入につき、被告人大久保の故意は優に認められる。」「被告人大久保は、本件各寄附が新政研及び未来研からのものであることを内容とする第4区総支部の収支報告書が提出させることになると承知の上で、それに至る各作業をさせ、これを提出させていたことが認められる。したがって、第4区総支部の収支報告書についての虚偽記入につき、被告人大久保の故意は優に認められる。」と書かれている。虚偽記入について、大久保被告がそれを承知の上で書かせていたという「共謀」の証明を述べているように見える。この証明が、どうも論理的にすっきりしない。この証明には、この結論を論理的に導く前提が必要だ。それは、新政研及び未来研という二つの政治団体がダミーであり、しかも大久保被告がそれを認識していたということだ。この前提がなければ上の結論は出てこない。収支報告書には新政研及び未来研の寄付は記載されているから、記載漏れではない。この記載が虚偽であるという告発だ。つまり正当な寄付ではないということだ。これは証明された事実なのか、ということにどうしても違和感が残る。確かに西松建設そのものの裁判においては、西松建設という会社がその政治団体がダミーであることを認めている。だが、西松建設が認めているからといって、それが事実になるのだろうか。裁判というのは事実を明らかにするところではなく、事実ではなくても会社にとって有利と判断すればそれで手を打つということもあり得る。西松建設は、郷原さんによれば全面降伏したと指摘されていた。そのような会社のいうことをそのまま信じられるのだろうか。大久保被告が関係した西松建設事件では、どういうわけか、この政治団体のダミー性が裁判で争われていたのに、その判決を迎えることなく終わってしまっている。どうしてなのか?それはダミー性を否定する証言が現れてきたからだ。もちろん、その証言によってダミー性という事実が否定されたわけではないが、そのような証言の元では、大久保被告がダミー性を認識していたということが証明できなくなる。それで裁判は、訴因変更を経て、より証明できる可能性の高いものにシフトしていった。そのような経過を見ると、どうしてもこの判決要旨の言葉には違和感を感じる。弁護人の主張を退ける判決要旨の論理も、両政治団体がダミーであり、献金そのものが不正であることを自明の前提としている。そして、それを大久保被告が承知していることも前提としている。だがそれが証明されたようには僕には思えない。いったいどうやって証明されたのだろうか。唯一の根拠は、西松建設本社の裁判で、西松建設側が認めたということだけなのではないか。この構造はえん罪の構造にも似ているように感じる。えん罪でよくあるパターンは、本来の主犯格の人間が、自らの罪を軽く見せるために、主犯格の人間をでっち上げるものだ。他人の証言で主犯にされた人間は、当然のことながらそれを否定する。しかし、罪を認めて観念した人間がすべてを話した、という前提でそれが事実のように扱われると、やってもいないことをやったようにされてしまう。確かなのは、あいつが言ったという証言だけだ。しかし、その証言の中身が正しいかどうかは評価が難しい。疑われた人間にアリバイがなかったらさらに難しくなる。西松建設は、本当に両政治団体をダミーとして作ったのかどうか。ダミーというほどではなく、会社に関係する人間が働きかけることで、会社の印象を良くしようと考えた程度ではないのか。西松建設側は、本当の犯罪行為は裏金をつくったと言うことの方だったようだ。その裏金をどこに使ったかが明らかになっていれば、それこそが本当の犯罪になっただろう。こちらの犯罪は言い逃れが出来ない種類のものだったので、裁判を早く終わらせたかった西松建設は全面降伏したというのが事実ではないのか。その裏金が直接小沢事務所に入っているのなら、それで事件化できただろう。しかし、それがなかったので、新政研及び未来研という二つの政治団体の寄付が裏金だとにらんで大久保被告の逮捕をしたのだと思う。だがそれは証明できなかった。大久保被告の裁判で出てきたのは、両団体には実体と呼べるものがあり、しかも個人の金で運営されていて、形の上では西松建設そのものの金が入っていたのではないということだった。つまり裏金が流れていたわけではないのだ。会員に対して上乗せされた給料が、献金目的だったというような解釈もされていたが、もしそうであっても、そのような会社内部の状況を大久保被告が知るはずもないので、本当にそうであっても、それはよほどのことがない限り分からないようなものになっていただろう。このような疑念がたくさんありながら、西松建設事件に関して裁判所がこうもはっきり言い切るには、やはり論理的根拠が怪しい。こんな怪しい論理を、どうして裁判所は言い切らなければならないのか。どうしても有罪にしなければならない理由があるからだと憶測するしかない。あらゆる前提を考慮して、そこから論理を導いているのではなく、結論を導きたいことに合わせて、ご都合主義的に前提を選び、都合の悪い前提は捨てているように、論理のデタラメさを感じる。そこが違和感を覚える最大の要素だ。
2011.10.22
コメント(0)
判決要旨には「新政研及び未来研が西松建設の隠れ蓑であることについての被告人大久保の認識の有無」として書かれている部分がある。この部分に僕はどうも釈然としないものを感じる。大久保被告は、元々ここで語られているようなことが罪に問われて「西松建設事件」として起訴された。しかし、その公判は2回を終わったところで消えてしまった。訴因変更をされて、石川・池田両被告とともに陸山会事件でも訴追されることになったからだ。西松建設事件そのものでは判決が出なかった。出せなかったといった方がいいだろう。それは有罪に出来ないと踏んだ検察側が訴因変更をして陸山会事件でも改めて起訴したからだ。その消えてしまった犯罪要件で、証拠も疑問視されていたもので何でここでまた裁かれなければならないのだろうか。当時のこのような状況を伝える情報は以下のようなものだ。1「小沢一郎公設第1秘書「西松献金事件」初公判」http://shadow9.seesaa.net/article/135966471.html2「西松事件公判はどこに行ったのか」(EJ第3092号)http://electronic-journal.seesaa.net/article/213449624.html3「「大久保元秘書の調書取り下げ」でも、まだまだ安心できない!腐れ検察・司法は何をしてくるかわからない!」http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-854.html4「小沢秘書の訴因変更、地裁の許可いまだにおりず。東京地検は、焦り気味?」http://mewrun7.exblog.jp/12647839/5「西松建設献金公判、マスコミに頼る検察「天の声」乱発で小沢一郎幹事長攻撃へ2009.12.18(金) 郷原 信郎」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/24101のブログには、新聞記事と西松建設事件の検察側・弁護側の両方の冒頭陳述の要旨が載せられている。これを見る限りでは大久保被告は起訴事実を否認している。ということは、陸山会事件での判決要旨で語られている部分は、大久保被告が否認しているにもかかわらず事実と認定されたわけだ。その理由はどうなのだろうか。判決要旨で語っている事実は次のようなものだ。・献金総額、受け皿体及び献金元の特定、献金額の割り振りといった重要な事項について、被告人大久保は、毎年、西松建設本社を訪れ、同社経営企画部長のみと打ち合わせていた。・新政研及び未来研の役職員は全く関与しておらず、被告人大久保は、新政研及び未来研の役職員と会ったり連絡を取ったことは一度もなく、接触を図ろうとしたことも一切なかった。・西松建設は、別紙2記載のとおり、平成17年、平成18年と続けて、新政研・未来研名義の献金額を減らし、かつ、平成18年をもって、新政研・未来研名義の献金を終了することで小沢事務所と合意に達したが、その減額・終了の交渉において、前記西松建設経営企画部長は「西松建設の業績悪化」が理由であることを明確に被告人大久保に伝えており、これに対し、被告人大久保も「まあ、お宅が厳しいのはそうでしょう。おたくの業界はどこも厳しいようですからね。」「でも急に言われても困ったな。うちも最近、厳しいんですよ。」などとのやりとりがなされている。このようなやりとりがなされること自体、被告人大久保が、新政研・未来名義の政治献金が西松建設の意思決定と同社の資金によって行われていることを認識していたことの証左といえる。・小沢の秘書で平成11年から平成13年ころまで小沢事務所の経理事務を担当していた者は、捜査段階において、検察官に対し、新政研と未来研は、西松建設がその名前を表に出すことなく政治献金を行う際の隠れ蓑にすぎないと思っていた旨認めており、被告人大久保も、捜査段階において、検察官に対し、これと同旨の供述をしていた。この事実はどのようにして証明されたのだろうか。大久保被告の西松建設事件公判での弁護側の冒頭陳述には次のような記述もある。「大久保被告は、2団体は西松が紹介してくれた団体だと認識し、03年暮れ頃、寄付の依頼を初めてした時、西松幹部から「ちゃんと届け出もされている」と説明を受けた。2団体の資金の管理や帳簿の作成を行っていたのが西松の元従業員であったことや、原資の調達などの内部事情は全く認識していなかったし、知りうる立場になかった。」これは判決要旨の最後に書かれていた事実に反するものだ。これはどのようにして反駁されたのだろうか。もし判決要旨が語るような事実があるなら、大久保被告が西松建設事件で違法献金を知っていたことは明らかだ。これを前提にすれば、西松建設事件そのもので有罪が出てもおかしくない。ではどうしてそこで有罪にならなかったのだろうか?この西松建設事件の公判がなくなってしまったことについては2のブログに詳しい事情が書かれている。これによれば、「西松建設事件をフォローしてみます。この裁判は、2009年11月に第1回公判が開かれ、第2回公判は2010年1月13日だったのです。実は大久保被告の無罪の兆しが明確に見えたのが、この第2回公判だったのです。 第2回公判では、検察側要請の証人が西松建設の2つの政治団体は実態のある団体であることを証言したからです。検察側はそれらの政治団体はダミーであることを前提に起訴しているので、立証の根拠が崩れたことを意味するのです。 検察は窮地に追い込まれたのです。なぜなら、次の第3回公判は2010年1月26日であり、態勢を立て直すには、時間がなかったからです。しかも残りの公判日は、2月26日まで既に決められていたのです。 そこで検察がやったことは、陸山会の別の事件「陸山会土地購入事件」を取り上げ、2日後の1月15日に小沢事務所の元秘書大久保隆規、石川知裕、池田光智の3氏を逮捕したのです。 この逮捕は計画されたものではないといえるのです。なぜかというと、15日に逮捕できたのは石川、池田の両氏だけであり、大久保氏の逮捕は次の日になったからです。政治犯の場合、逮捕状を取って逮捕するときは、逮捕日前に警察や検察はあらかじめ本人の所在を把握しており、本人が不在で逮捕が次の日になるなどということは考えられないことだからです。 そして、検察のやったことは、2010年1月22日付、産経新聞で明らかです。彼らはとりあえず、既に決まっている公判をすべて先延ばしし、時間を稼いだのです。」実際には、判決要旨が語る事実とは全く違い、犯罪を立証できなかったのだ。しかも、この西松建設事件が立証できなかったので、陸山会事件をでっち上げたという関係もここでは論じられている。見事な論証だと思う。3の資料では、訴因変更についての記事が載せられていた。それによると未来研と新政研からの献金に関して、それが西松建設本体からの献金であるのに、政治団体を装って収支報告書に書いたという虚偽記載の件でも、共謀で告発するという訴因変更だったらしい。それまでは、両政治団体がダミーであるかどうか、その認識があったかどうかが争われていたのに、虚偽記載の共謀でも訴追されるということになったらしい。これは、西松建設事件そのものが大久保被告の無罪で終わりそうになったために、訴因変更をして無罪を阻止したというのが2のブログにおける推論でもあった。これも見事な論理展開だと思う。西松建設事件というものがこういうものであるのに、陸山会事件判決要旨では、どうしてこのようなことが言えるのだろうか?どこに確固たる事実があるのだろうか。最後に5の資料に書かれている重要な部分を確認しておきたい。さすがに郷原さんの議論は隙がなく見事なまでの論証になっている。この文は、会員登録しないと全文が読めないのだが、無料で登録できるのでぜひお読みになることを進める。登録する手間を取っても充分満足するだけの内容を持っている。そこには、「この公判で、検察側は、西松側が「全面降伏」の状態にあることに乗じて、寄付が小沢事務所の出す「天の声」による談合受注の対価であるかのように供述するゼネコン関係者の供述調書などを証拠請求し、受注工事一覧表まで示して寄付が公共工事の談合受注の対価であったことを主張した。」という指摘がある。この指摘は、違法献金した西松の側が認めているのだから、もらった小沢事務所の側が無罪のはずがないという憶測が語られる中で、それを冷静に論理的に受け止める上で非常に重要だ。西松の側には全面降伏しなければならない理由があった。検察が要求することを全面的に認めてしまったのであって、それが事実だから認めたのではない、ということがある。実際に、「しかし、判決は、寄付の動機については、「公共工事の受注業者の決定に強い影響力を持っていた岩手県選出の衆議院議員の秘書らと良好な関係を築こうとして平成9年頃から行ってきた寄付の一環」との認定にとどめる一方、寄付が「特定の公共工事を受注できたことの見返りとして行われたものではない」と判示して、寄付と公共工事の受注との対価関係を明確に否定した。 つまり、上記の第2の点については、検察側の証拠が最大限に採用された西松側公判の國澤元社長に対する判決の中においても、起訴事実の政治献金が公共工事の談合受注の対価だから重大・悪質だという検察の主張は裁判所によって否定されているのである。 ゼネコン間で行われていた談合のシステムは、基本的には、工事を受注するのに最も相応しい業者を選定する業界内の受注調整の構図である。そこに、間接的に伝えられる首長の意向や、発注自治体に予算や補助金の配分などで影響を与え得る立場の政治家や、地域の有力者の意向などが影響力を持ち、それらの要因が複雑に交錯して、業界内での情報交換や話し合いを通じて受注予定者が絞り込まれていくのが一般的であった。 そのような構図の下では、大久保氏がゼネコンとの間で個別の公共工事に関して何らかの話をしたとしても、それがゼネコン間の談合による受注者の決定に直接的に結びつくものではない。」という指摘を見ると、検察側が事実として立証したかった「談合の受注の対価」としての献金という指摘は否定されたようだ。証拠が不十分だったのだろう。「天の声」についても次のような記述がある。「小沢事務所側の工事受注への了解、すなわち「天の声」によって西松建設が公共工事を談合受注したと主張するのであれば、「天の声」が、公共工事を巡るゼネコン間の談合による受注者決定に影響を及ぼすかが明らかになっていなければならない。 しかし、その点について検察官の冒頭陳述では、「昭和50年代からF社の担当者を仕切役とする談合により受注業者が決められていたが、小沢議員の地元である岩手県下の公共工事については、昭和50年代終わり頃から小沢事務所の意向が本命業者の選定に決定的な影響を及ぼすようになり」というような抽象的な記述が行われているに過ぎず、談合による受注者決定に至るプロセスは全く明らかにされていない。 このような曖昧な「天の声」による談合受注のストーリーが、到底、刑事裁判が認定できるレベルのものではないとの裁判所の判断は当然と言えよう。」郷原さんのこの指摘に関しても、判決要旨は何ら具体的な記述をして、それが証明された事実であることを語ってはいない。抽象的な記述のままである。だから、これも証明されたものではないのである。西松建設事件はこれだけ胡散臭いものであり、すでに一回否定されたものであるのに、その否定されたものがそっくり残ってまた出ているように僕には感じられる。このことが釈然としない思いを抱く一番の理由なのだ。
2011.10.16
コメント(0)
判決要旨では次に大久保被告が新政研および未来研からの献金を西松建設からのものと認識していたかどうかと言うことが論じられている。つまり両政治団体をダミーと認識していたかどうかと言うことだ。この論述の冒頭に出てくるのが「天の声」というやつだ。これが論理的にはどう関係しているのかというのが分かりにくい。小沢事務所が「天の声」を出せるほど権限を持っていたのだから、ダミーを使ってでも献金をする必要があったと、論理の展開を導きたいのだろうか。しかしそれは西松建設側の都合であって、小沢事務所の献金を要求する動機にするには無理がある。大体小沢事務所というのはマスコミからも検察からも常に狙われているところであり、それを自覚していたはずだ。そうであれば、なぜそのような危ない橋を渡って金を集める必要があったのか。絶対にばれないという状況を作ってからそういうことをするものだと思うのだが、判決要旨のストーリーではあまりに単純すぎるのではないか。「天の声」についても小沢事務所がどれだけ力を持っていたかを判断する材料を探したのだが見つからなかった。当時は小沢さんは野党のみであるから、国政に関する権限はない。岩手県知事も、2007年からは達増知事になって小沢さんと親しい人間になったが、それまでは小沢さんの息がかかっている人間ではない。前知事は当選してから反小沢になったとも言われている。論理的には、「天の声」など発する条件がないと思われるのに、なぜ判決がそれを主張しているのかに疑問を感じていた。そんなときに見つけたのが「小沢元秘書裁判 東北ゼネコン幹部は「天の声」判決に大笑い (ゲンダイネット)」http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/08gendainet000156288/という記事だ。これによれば「トンデモ裁判長が認定した小沢事務所の「天の声」と「裏金授受」。東北のゼネコン談合に小沢事務所が決定的な影響力を持っていて、だから、水谷建設は計1億円の裏金を渡した--というストーリーなのだが、東北のゼネコン業者も「100%あり得ない」とクビをひねる。「判決では小沢事務所の大久保元秘書が『天の声を発した』なんて決めてかかっていましたが、大笑いです」と話すのは、東北の大手ゼネコン幹部のA氏だ。90年代から談合にも関与し、小沢事務所の実情にも詳しい。A氏はこう証言する。「業者にパーティー券の大量購入や選挙協力などムチャなことを言ってきたのは、00年まで小沢事務所で秘書を務めた高橋嘉信氏です。東北談合のドンといわれた鹿島の幹部と太いパイプを築き、われわれも仕事欲しさにムチャな注文に渋々従った。大久保秘書は鹿島とのパイプを高橋氏になかなか譲ってもらえず、鹿島のドンからはほとんど相手にしてもらえなかった。大久保氏は迫力もないし、紳士。パーティー券の購入枚数を減らして欲しいと頼んでも、文句さえ言いませんでしたよ」 A氏は水谷建設からの裏金についても「あり得ない」と呆れていた。「ホテルの喫茶店でカネを渡すのは、建設業界の常識として考えられない。渡すなら、料亭の個室など人目につかない場所にします。それにただの下請けにすぎない水谷が5000万円を2回持っていきますか。どうしても信じられません。100億円の工事を元請けのゼネコンが取っても経費が約3割で、残りを複数の下請けに叩いた金額で割り振る。元請けならともかく、下請けが1億円もの巨額の裏金を捻出できるはずがない。『ようやく利益を出せる』というのが下請けの実情なんです」 妄想判決は建設業界の元談合担当者からみても、笑い話にしかならない」ということだそうだ。小沢さんの黒いイメージというのは、この高橋元秘書が作ったもののようだ。Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%98%89%E4%BF%A1)には「2009年3月21日付の読売新聞は、東京地検特捜部が高橋を参考人として事情聴取したと報じた。西松建設関係者などによると、小沢の秘書時代にゼネコン業界の窓口となり、東北へ進出を図る西松建設へに献金の増額を要求。これを受け、西松建設側は年間2500万円前後を献金するために、西松設立の「新政治問題研究会」を利用したという。読売新聞は「新政治問題研究会」をダミー団体としているが、高橋は「『新政治問題研究会』が西松建設のダミーとは知らなかった」とし、違法献金の嫌疑を否定したという。」という記述がある。もし逮捕されたのが大久保元秘書ではなく、高橋元秘書であれば有罪も頷けるのかもしれない。そうであれば、小沢さんは監督責任者として高橋元秘書を辞めさせたと言うことで責任を果たしたのかもしれない。「高橋嘉信元秘書が証言『小沢天の声』・だが鈴木宗男が既に斬っていた!」http://ameblo.jp/hirokane604/entry-10491280902.htmlというブログエントリーでは「ダム工事:「小沢氏に業者逐一確認」高橋元秘書が初証言」という記事が引用されている。小沢事務所の「天の声」という情報は、この高橋元秘書からもたらされたものなのだろうか。このエントリーでは、鈴木宗男さんの言葉として「西松の政治団体から小沢さんの政治団体に献金がいく枠組みを作ったのは高橋嘉信と云う、大久保さんの前の秘書ですよ」というものも引用されていた。「天の声」に関してはかなりの疑問を感じるだけに、どのような前提からそれの事実性を導いているのかを知りたいものだ。判決に書かれている以上、裁判官にはそれを語る義務があるのではないかと思う。その理由を述べずに、一方的に「天の声」を認定するなら、それは詭弁として言いようがないだろう。判決要旨には次のような記述もある。「被告人大久保は、それまで天の声の発出役を務めていた前任の秘書に代わって、平成十四、五年ころから、天の声を発出する役割を担うようになった。このような状況下で、西松建設は、公共工事の談合による受注獲得のために本件各寄附を行っているのであるから、同社としては、それが西松建設による政治献金であることを小沢事務所に理解してもらわなければ意味がないといえる。このような趣旨で西松建設が本件各寄附を行っているのに、小沢事務所における政治献金の受入窓口であった被告人大久保が、本件各寄附を実施する主体が西松建設であることを理解していなかったとは、到底考えられないことである。」前任の秘書が高橋元秘書であり、高橋氏は「天の声」を発していたように伺える。しかし大久保元秘書に、その力までが引き継がれているのだろうか。ここが立証されたかどうかがこの「天の声」のポイントだろう。だが、小沢さんが高橋元秘書を切ったと言うことは、そのような「天の声」による危ない献金を辞めさせようとしたのではないかとも考えられる。このあたりは、小沢さんや大久保元秘書から語るのは難しいのだろうか。いずれにしても「天の声」の正体が少し分かってきたが、これを当時の小沢事務所が持っていたとする「推認」は極めて怪しいものだ。それは事実ではなく、単なるイメージとでも言うものではないか。無理な論理展開であり詭弁ではないか。判決要旨は、「天の声」を発している以上、そのために西松建設が献金をしてくることは認識できるとして、政治献金の原資が西松建設であることが認識できるはずだと推論している。だがこの推論は、「天の声」を発していないと崩れてしまう。無理な詭弁ではないのか。
2011.10.11
コメント(0)
判決要旨には「本件各寄附は、西松建設の意思決定及び指示に基づき実行されたものか否かについて」という記述がある。この内容を評価するのは難しい。論理的にはその前提になる事柄から結論が正しく導かれるか、ということを見たいのだが、その前提がどこにあるかと言うことが分かりにくい文章になっている。とりあえず判決要旨から引用しておこう。「西松建設は、平成9年、小沢事務所との間で、以後、小沢事務所側に対し、西松建設から年間1500万円、同社の下請企業(協力会社)から年間1000万円の合計2500万円の寄附を行うことを申し合わせた。このうち、西松建設からの年間1500万円の寄附は、平成9年から平成18年までの間、西松建設名義のほか、新政研、未来研等の名義で行われた。西松建設は、この総額1500万円について、西松建設の持つ複数の献金元のうち、どの献金元からいくら支払うかをそれぞれの時期ごとに慎重に検討し、その全体を見通 した上で、新政研・未来研名義の献金額も定めていた。本件各寄附についても、西松建設では、あらかじめ西松建設社長の指示及び了解を得た上で、同社経営企画部長が被告人大久保と会って、陸山会、第4区総支部又は県連のいずれにいくら振り込むか、その場合、どの献金元からいくら振り込むことにするかなどを打ち合わせて決定し、新政研及び未来研の事務を担当していた西松建設0Bにその決定内容を伝え、同人をして本件各寄附を実行させた。同人は指示されたとおりの振込手続を行っていただけで、献金先や献金額を決定する権限も相手方と交渉を持つこともなかった。したがって、新政研・未来研名義の政治献金(本件寄附を含む)は、西松建設の意思決定及び指示によって行われていたものである。 」ここで語られている論理的帰結は、最後に書かれている「新政研・未来研名義の政治献金(本件寄附を含む)は、西松建設の意思決定及び指示によって行われていたものである」ということだ。この文章の前に「したがって」という言葉が見えるのでそう判断できる。では、この結論を導く前提はどこにあるか。それを抜き出すと次のようになるだろうか。1・西松建設は、平成9年、小沢事務所との間で、以後、小沢事務所側に対し、西松建設から...(中略)...寄附を行うことを申し合わせた。2・西松建設は、...(中略)...、西松建設の持つ複数の献金元のうち、どの献金元からいくら支払うかをそれぞれの時期ごとに慎重に検討し、その全体を見通 した上で、新政研・未来研名義の献金額も定めていた。3・西松建設では、あらかじめ西松建設社長の指示及び了解を得た上で、同社経営企画部長が被告人大久保と会って、陸山会、第4区総支部又は県連のいずれにいくら振り込むか、その場合、どの献金元からいくら振り込むことにするかなどを打ち合わせて決定した。4・その決定を新政研及び未来研の事務を担当していた西松建設0Bにその決定内容を伝え、同人をして本件各寄附を実行させた。5・同人は指示されたとおりの振込手続を行っていただけで、献金先や献金額を決定する権限も相手方と交渉を持つこともなかった。途中を略してあるのは、論理の前提を浮かび上がらせたいと思ったからだ。西松建設が寄付において主体性を持っていたと言うことは、両政治団体は意思決定で従属的であったと言わなければならない。それを推測させる事実が上のようなものになる。上の前提の中で重要なものは1と3である。この両方に大久保被告との関係が記述されている。1では申し合わせたと言うこと、3では打ち合わせたと言うこと。そのほかの2,4,5では、西松建設社内での事情から得られる事実として記述されている。つまり大久保被告の供述とは関係なく、西松建設側が認めれば、裁判においては事実として認められることになるだろう。そしてこれは、西松建設側の、違法献金を贈ったという裁判では認めたことらしい。だが1と3においては大久保被告は否定したように記憶している。それはどのようにして事実と認定されたのだろうか。また推認したのだろうか。それを確かめるべく、西松建設事件の資料を探したのだが、それを確認できるものが見つからなかった。もし西松建設の側が事実を全面的に認めたとしても、1と3について大久保被告が認めていなかったら、大久保被告には違法献金という認識がなかったことになり、虚偽記載ではなく騙されたと言うことになり、返金すればすむようなものになるのではないかと思う。裁かれるのは西松建設の側のみであり、大久保被告は無罪と言うことになるだろう。この事件の裁判はいったいどうなったのだろう。ようやく見つけた資料Wikipediaの「西松建設事件」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%BE%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6には、次のような記述があった。「西松建設幹部と国会議員秘書など計5人が立件された。裁判では3人が執行猶予付きの有罪が確定し、1人が略式手続きによる罰金刑となった。残り1人が公判中。」この記述だけでは分かりにくい。<航海者Lv.1のページ>というブログの「西松建設迂回政治献金事件初公判に思う・・・日本の司法はここまで堕落したのか...」http://koukaisya.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-0260.htmlというエントリーには次のような記述があった。「昨日の初公判で検察側が主張したことに西松側の被告人はほとんど反論せず裁判はたった一回で結審。つまり審議が終わりあとは裁判所が出した結論すなわち判決が7月14日に言い渡される予定だという・・・。 ここで問題なのは検察が西松側の役員の裁判で、献金は"贈賄目的"であったと主張している点にある。つまり賄賂を贈ったと主張したわけで、西松側の役員は何一つ反論もせず事実を認めた。 そうして検察側の求刑は禁固1年6ヶ月。法律の知識がある方はわかるでしょうが、この求刑の内容ならほぼ100%の確率で執行猶予がつくでしょう。 つまりどう考えても検察側が西松側の役員と司法取引のようなものを行い、執行猶予をつける代わりに、検察の主張を丸呑みさせ、何の反論もさせず、献金は贈賄目的だったといわせた形跡がある。 贈賄で賄賂を贈ったとするなら当然賄賂を受け取った人間がいるわけでそれが小沢氏の第一秘書の大久保氏だ!と検察は主張しているのだが、当の大久保氏側に検察がかけた嫌疑は政治資金規正法違反だったはずである・・・。 いつの間に政治資金規正法違反から贈収賄に嫌疑がすり替わったのだろうか?しかも大久保被告の裁判はまだ始まっていない。」この内容を見ると、西松建設の側が違法献金をしたという指摘が、事実としてはかなり怪しいのではないかという感じもしてくる。贈った側が全面的に認めているから、それで贈ったことは事実だと断定していいだろうか。これはえん罪の構造を考えると、追求されている側が自白したからと言って、それを短絡的に信用すると判断を誤るというケースが見えてくる。えん罪というのは、主犯格の人間が、自らの罪を逃れるために共犯者をでっち上げて、罪をその人間にかぶせると言うことがある。主犯格の人間も罪を認めはするのだが、誰かに主犯をかぶせることによって重い罪を逃れるという構造がある。このような証言は信用できない。贈賄のような違法献金に対して全く反論せず、それがかなり悪質であると判断されるにもかかわらず、刑は執行猶予付きの軽いものになった。ここに何らかの裏があると憶測されても仕方がないような状況がある。怪しい裁判だ。この裁判については、「西松建設事件をめぐる論点整理」http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/files/h22924.d.pdf#search='西松建設 贈賄'という資料に次のような記述もあった。「6.現在、西松事件はどうなっているのか。 2010 年1 月13 日の公判において、検察側の証人である西松建設の担当部長が、問題の政治団体は西松建設とは関係なく事務所を構えており、活動実態がありダミー団体ではないと証言している。 出資者がダミーではないと証言している以上、献金を受けた側が虚偽記載するということは論理的にまったく成り立たない。大久保秘書が政治団体をダミーと知りつつ献金を受けたという検察のシナリオの大前提が崩れている。 1 月13 日は東京地検特捜部が小沢幹事長事務所に強制捜査に入った日である。捜査が実施されなければ、西松事件の公判はもっと大きく報道されていたのではないだろうか。 2010 年5 月21 日、東京地裁は西松事件の訴因変更を決定。起訴内容に陸山会事件を加えることになり、大久保秘書について事実上、西松事件単独の裁判はなくなった。」虚偽記載としての西松建設事件の裁判はなくなってしまった。だが、違法献金を贈ったという側は裁かれている。では、大久保被告は違法献金を受け取った罪で起訴されただろうか。それは全くない。陸山会事件の虚偽記載の共謀に問われていただけだ。違法献金については「二階前経産相の秘書、偽装献金認める 再聴取で一転」http://www.asahi.com/special/09002/TKY200912060347.htmlという記事もあった。同じく西松建設からの違法献金を受け取っていたと疑惑を受けた二階さんの会計担当者は、「準大手ゼネコン「西松建設」が、自民党衆院議員の二階俊博・前経済産業相側への企業献金計900万円を個人献金に偽装していた問題で、二階氏の政策秘書が東京地検特捜部の再聴取に対し、偽装献金の認識を認めたことが分かった。特捜部はこれを受け、近く、政策秘書を政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で略式起訴し、罰金刑を求める方針だ。」ということで、結果的に罰金刑という軽い刑ですんだようだ。この記事にはさらに次のような記述もある。「関係者によると、政策秘書は再聴取で、西松建設側との相談窓口になって偽装献金を了解したことを認めたという。政策秘書は支部の会計責任者ではないが、特捜部は実質的な役割から刑事責任があると認定した模様だ。西松建設関係者はこれまでの調べで偽装献金を認め、「二階氏の政策秘書と相談した」と供述したとされる。 西松建設の献金問題で特捜部は、小沢一郎・民主党幹事長の公設第1秘書で資金管理団体の会計責任者の大久保隆規(たかのり)被告(48)を、3500万円の違法献金について同法違反(虚偽記載など)罪で逮捕、起訴した。これに比べ、二階氏の政策秘書については、公共工事受注への影響力を背景にした違法献金などの悪質性を示す証拠がないことや、偽装献金額が少ないことなどから、公判請求はせず、略式起訴にとどめるとみられる。 二階氏側への献金問題の捜査は、西松建設側の偽装献金の供述を裏付ける証拠が乏しく、99~05年の家賃の原資が完全に解明できなかったことなどから難航。その後、市民団体がこの問題を告発した今年5月から、検察が不起訴としても、検察審査会が2度「起訴相当」の議決をすれば強制的に起訴される仕組みに変わったため、これまで以上に慎重な証拠の検討を迫られる事態となり、捜査が長期化していた。」この記述もいろいろと憶測できそうな内容だ。当時の与党議員の方が野党議員である小沢さんよりも、公共工事受注への影響力が少ないというのはどのような判断なのだろうか。ここにも「天の声」というようなばかげた判断が入り込んでいるのだろうか。また900万円は、300万円ずつ3年間もらっていたもので、この他にもパーティー券の購入などで840万円があったのではないかと記憶している。これも「金額が少ない」というのだろうか。
2011.10.11
コメント(1)
さて西松建設事件においては「本件各寄附の原資は西松建設の資金か否かについて」と言うことも論じられている。これに対しては、もちろん裁判所は寄付の原資は西松建設の資金であり、それを隠すためにダミーの政治団体を作ったのだと論証している。その論証の根拠になるものはなんだろうか。要旨では次のように記述されている。「新政研及び未来研による寄附の原資は、一定の西松建設の社員及びその家族を新政研又は未来研の会員とした上、この社員の賞与に一定額を上乗せ支給し、この社員及びその家族が、「会費」支払名下に新政研又は未来研の預金口座に振り込み、あるいは、現金で払込をする方法等により調達されていたから、新政研・未来研名義の政治献金の原資が、西松建設の資金であったことは優にこれを推認することができ、新政研・未来研名義の政治献金である本件各寄附についても、その原資が西松建設の資金であったことは明らかである。 」ここの文章には、批判の的となった「推認」という言葉が出てくる。これは、事実として確認されてはいないが、論理的帰結としては他はあり得ないというようなニュアンスで語られている。果たしてそうだろうか。推認の前提となる事柄を拾い出してみよう。・西松建設の社員及びその家族を新政研又は未来研の会員としている。・この社員の賞与に一定額を上乗せ支給している。・この社員及びその家族が、「会費」支払名下に新政研又は未来研の預金口座に振り込むか、あるいは、現金で払込をする方法等により調達されていた確かにこれらの事実は、この政治団体が献金のための隠れ蓑にするために作られたという疑いを抱かせる。しかし、この事実が確認されればすぐに、寄付の原資が西松建設の資金だと言うことが論理的帰結として得られるだろうか。さらにこの政治団体はダミーであり、違法献金を隠すために作られたのだと「推認」出来るものだろうか。この論理の展開にはかなりの無理があるように感じる。社員や家族がその会員になっていると言うこと自体がすぐに会社の金だと言うことにはつながらない。いったん給料として支払われたものは、会社の金ではなく個人の金となるからだ。2番目にあるように、賞与に上乗せされた一定額が、会費として払われているということが証明されなければならない。これはどのようにして証明されたのだろうか?判決要旨には直接書かれていない。想像してみると、もし何らかの文書にして会員に連絡・確認していると言うことであれば、物的証拠とともにこの言葉事実であることが明らかになる。しかし、明らかにはなるが違法性も明らかになるので、そのように危ない橋を渡るとは考えられない。もしそのようなことがあれば、判決でそのことに触れないわけはないが、何も言っていないと言うことは、そのような物的証拠はないのではないかと推測できる。3番目の社員か家族が払い込むというのは、社員か家族が会員なのであるから当たり前のことだ。このことから、会費が会社の金だと言うことは論理的には出てこない。ということは、論理的に重要なのは、あくまでも2番目の、賞与に上乗せされていたと言うことだ。これが事実であることをどのように証明したのか。これがすぐに証明されることであれば言及する必要はないが、証明は極めて難しいと思われるので言及すべきだと思う。なぜ難しいかと言えば、普通は、そうであっても隠すと思うからだ。隠す工夫をしたものを暴くのは難しい。どのようにして暴いたのか。証言だけなのだろうか?物的証拠を残すような危ないことは避けると思われるので、これも証言しかないのではないか?それではその証言の信憑性は?賞与に一定額を上乗せしていたというのは、すべての社員(少なくとも政治団体の会員である社員)が認識していたのだろうか。会社としてはそのつもりだったが、会員である社員はそのようなことを知らなかったら、会費が会社の金だという推論は成り立たないのではないか。上司が、会員となることに圧力をかけるという可能性はあるだろう。そうすれば、圧力を受けた人間は会員となり会費を払うようになる。その時に、誰にでも、どうせ賞与に上乗せされるからということを言って説得したのだろうか。それがあれば判決の指摘も頷けるのだが、それはどうなのだろうか。会員が社員と家族だけなら、それを支払うのは社員か家族になるのだから、最後の指摘は論理的には意味がないように思われる。社員や家族が払っているのだから、それは会社の金だ、という論理は、会社人間はすべて会社に従属しているという判断になるが、それは論理的に正当なのだろうか。たとえ会社が支払った給料であろうとも、それをどう使うかはもらった人間の自由ではないだろうか。それが会社の金だと言うためには、団体に支払った会費が、自由意思ではなく強制されたものだったという証明をしなければならないが、それはどうなのだろうか。要旨は、これらの細かい点については何も語っていない。上のような事実から「推認できる」と語っているだけだ。だがその推認も怪しいのではないだろうか。この推認を元にして、両政治団体の金が西松建設の金だったと結論し、「新政研・未来研名義の政治献金である本件各寄附についても、その原資が西松建設の資金であったことは明らかである」と結論するのは、論理的に乱暴ではないだろうか。全然明らかではないように僕は感じる。新聞報道では、 「岡崎元部長は、裁判官の尋問に対し、「二つの 団体については、対外的に『西松建設の友好団体』と言って いた。事務所も会社とは別で、家賃や職員への給料も団体側 が支払っていた」と説明。前任者に引き継ぎを受けた際にも 「ちゃんとした団体で、問題はないと言われていた」と答え た。昨年12月の初公判で、検察側は、同社が信用できる社 員を政治団体の会員に選び、会員から集めた会費を献金の原 資にしていたと指摘したが、岡崎元部長は「入会は自分の意 志だと思う。私自身は、社員に入会を強要したことはない」 と述べた。 --2010.1.13付、読売新聞」とも報じられている。会員にダミーだという認識はなく、その加入も会費の支払いも自由意思によって行われていたと言うことが証言されている。会社が献金のために作ったのであるなら、会員にはその旨を告げて協力させていたという事実がなければならないのではないか。裁判所の判断は、「推認」として正しいのか?
2011.10.11
コメント(0)
陸山会事件判決について論理的な構造を分析したいと思っていたのだが、そのためにはより詳しい判決文が必要だった。出来れば全文を入手したかったのだが、それは公開されていないようだった。そんなときに日々坦々というブログの「登石郁朗裁判長によるデタラメ判決全文(参照程度)と山口一臣氏による突っ込み箇所」http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1222.htmlというエントリーを見つけた。そこに少し長い要旨というのが載せられていた。これを参考にして、ここに表現されている論理的側面を分析してみようと思う。論理的側面というのは、結論としての判決が論理によって導かれているはずなので、それの前提を遡って、最も根源的になると思われる前提を突き止めてみようとするものだ。その前提を認めることによって、判決としての有罪が導かれるという大本を捜そうとするものだ。まずは西松建設事件から書かれているので、これの分析をしてみよう。結論としての判決は次のようになっている。「1被告人大久保隆規を禁錮3年に、被告人石川知裕を禁錮2年に、被告人池田光智を禁錮1年に処する。 2この裁判が確定した日から、被告人大久保隆規に対し5年間、被告人石川知裕に し3年間、被告人池田光智に し3年間、それぞれその刑の執行を猶予する。 3 訴訟費用中、証人○○○○に支給した分は被告人大久保隆規の負担とし、その余は、その3分の1ずつを各被告人の負担とする。」ここには結論が語られているだけで、その結論が導かれた論理的前提は語られていない。結論で重要なものは、「有罪である」と言うことと「執行猶予」がついたと言うことだ。この結論がどのような前提から導かれたかというのを考えてみたい。西松建設事件に関しては次のような犯罪事実を挙げている。1 他人名義の寄附・企業献金禁止に違反する寄附の受領2 収支報告書の虚偽記入この二つが事実として確定するなら、その犯罪性は明らかなので、これを前提にするなら論理的帰結としての有罪が導かれる。しかし、このことが事実なのかどうかが疑われているときは、さらに前提として、これが事実であることを確証するような論理的前提がなければならない。まずは、上の二つの具体的内容を見てみると、1 被告人大久保は、平成18年10月27日、西松建設から、新政治問題研究会(以下「新政研」という。)の名義で、陸山会に100万円の振込みを受け、他人名義で行われ、かつ、企業献金禁止に違反する政治活動に関する寄附を受けた。2 被告人大久保は、平成15年分から平成18年分までの陸山会の各収支報告書に真実は西松建設が寄附をしたのに、新政研及び未来産業研究会(以下「未来研」という。)が寄附をしたという虚偽を記入した(詳細は略)。この二つは、論理的前提にはならない。なぜならあることが事実であると表明しているだけで、それがなぜ事実であるかという証明にはなっていないからだ。しかもこの二つの内容は、具体的記述であるにもかかわらず、その内容が非常に分かりにくい。つまり何を指摘しているかが明確になっていないので、その評価が難しい文章になっている。これをさらに具体化して、内容を誤読しようがないくらい明確にしてから評価をしなければならない。それはどうなっているだろうか。1に関しては、これが事実であるという証明をするには、「新政研及び未来研に政治団体としての実体があったか否か」ということが重要になる。この両者が政治団体として正当なものであれば、そこには何ら違法性はなく、正当な政治献金となる。だから、1の証明には、その実体というものが重要になる。この判断は次のように語られている。「新政研及び未来研は、西松建設が、社名を表に出さずに政治献金を行うために設立した政治団体であって、会員は、すべて西松建設の現役社員及びその家族であり、役職員はすべて西松建設0Bであった。新政研及び未来研は、会員総会が開かれたことも会員に する活動報告等がなされたことも一切なかった。そして、会員にも役職員にも政治団体構成員としての活動実体がないこと、新政研・未来研名義の資金は西松建設の完全な管理の下に置かれており、出金については同社の指示・了承が不可欠であったこと、西松建設での内部告発のおそれと脱談合宣言により公共工事受注のための政治献金の必要性がなくなったという西松建設側の事情により、同社の判断で新政研及び未来研を解散したことが認められる。以上によれば、新政研及び未来研は、西松建設がその社名を隠して政治献金を行うための隠れ蓑にすぎないと評価できるのであり、政治団体としての実体はなかったというべきである」ここから判断を導いた論理的前提を抜き出してみると次のようなものになる。・会員は、すべて西松建設の現役社員及びその家族であり、役職員はすべて西松建設0Bであった。・新政研及び未来研は、会員総会が開かれたことも会員にする活動報告等がなされたことも一切なかった。・新政研・未来研名義の資金は西松建設の完全な管理の下に置かれており、出金については同社の指示・了承が不可欠であった・西松建設での内部告発のおそれと脱談合宣言により公共工事受注のための政治献金の必要性がなくなったという西松建設側の事情により、同社の判断で新政研及び未来研を解散したことこれが論理的前提としてふさわしいかどうかという判断は僕には出来ない。そこまでの専門知識はないからだ。しかし論理的側面から言えることは一つある。これらの前提となる命題が、「かつ(and)」という論理語で結ばれているのか「または(or)」で結ばれているかによって、反駁の仕方が違うと言うことだ。上の前提がすべて「かつ」で結ばれているなら、その一つの命題を否定するだけで、論理的には前提は崩れる。つまり結論を導くことが出来なくなる。しかし「または」で結ばれているなら、反駁のためにはすべてを否定しなければならなくなる。この判決の場合はどうなるだろうか。素人判断でもちょっと疑問に思うこともある。実体がないという判断は、実際に活動していないという事実を言わなければならないと思うので、本質的には政治団体として活動していると思われる事実が一つでもあれば、「実体がない」と言うことが否定されるのではないか、つまり「実体がある」と言えるのではないかということだ。「ない」ことの証明は「悪魔の証明」と言われているように、すべての面において「ない」ことを証明しなければならない。それに比べて「ある」ことの証明は、何か一つ「ある」ことを示せばそれですむ。判決文が、「実体がない」ことを示すためにいろいろなことに触れているのは、それが「悪魔の証明」だからではないか。従ってそれを反駁するには、何か一つでもいいから実体があると言うことを示せばそれですむと考えられる。それはどこかで語られていないのだろうか。植草一秀の『知られざる真実』というブログの「無実潔白本来の首相総攻撃する偏向メディアの愚」http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-3fdc.htmlというエントリーには次のような記述が見られる。「2010年1月13日の第2回公判で、検察側証人の西松建設元取締役総務部長岡崎彰文氏が決定的証言を行った。 二つの政治団体は事務所を持ち、スタッフを持つ実体のある政治団体であり、この事実を大久保氏にも伝えていたことを岡崎氏が証言した。 政治資金規正法は寄附した者の名前を書くことを定めており、この二つの政治団体からの献金については、この二つの政治団体の名称を記載することが適法行為である。逆に西松建設と記載することが「虚偽記載」になると考えられる。」Electronic Journalというブログの「不利なことは強調、有利なことは無視」http://electronic-journal.seesaa.net/article/228653520.htmlというエントリーでは「 準大手ゼネコン「西松建設」から小沢一郎・民主党幹事長の 資金管理団体「陸山会」などへの違法献金事件で、政治資金 規正法違反(虚偽記入など)に問われた小沢氏の公設第1秘 書で同会の元会計責任者・大久保隆規被告(48)の第2回 公判は、13日午後も、岡崎彰文・元同社取締役総務部長の 証人尋問が行われた。岡崎元部長は、同社OBを代表とした 二つの政治団体について、「西松建設のダミーだとは思って いなかった」と証言した。公判では、大久保被告が両団体を 同社のダミーと認識していたかどうかが争点で、審理に影響 が出そうだ。岡崎元部長は、裁判官の尋問に対し、「二つの 団体については、対外的に『西松建設の友好団体』と言って いた。事務所も会社とは別で、家賃や職員への給料も団体側 が支払っていた」と説明。前任者に引き継ぎを受けた際にも 「ちゃんとした団体で、問題はないと言われていた」と答え た。昨年12月の初公判で、検察側は、同社が信用できる社 員を政治団体の会員に選び、会員から集めた会費を献金の原 資にしていたと指摘したが、岡崎元部長は「入会は自分の意 志だと思う。私自身は、社員に入会を強要したことはない」 と述べた。 --2010.1.13付、読売新聞」という記事が引用されていた。これは実体があったと言うことの一つの事実として提出されている。ということは、それを否定しなければ「実体がない」とは言えないはずなのだが、判決文の要旨にはこのことに触れた部分が見つからない。「ない」ことを証明するには、すべてにわたって「ない」ことを言わなければならないのに、なぜこれに言及しないのか。これは論理の不備であり、詭弁ではないのだろうか。
2011.10.08
コメント(3)
全8件 (8件中 1-8件目)
1