全18件 (18件中 1-18件目)
1
「未来カップ卓球大会・一般女子優勝カップ」です。素晴らしい誕生日のプレゼントになりました。二日間苫小牧市で開催された「未来カップ卓球大会」(アラキ杯)に早起きして通い、昨夜遅くに札幌経由で士別へ帰って来ましたので本日は眠たい一日となっております。一般女子はJR北海道から両荻原選手。苫小牧駒澤、函館大妻、札幌大谷。(大谷は中学生も全員一般に出場しました。)男子はなんと東京アートの大矢、塩野選手。野田学園から有延、松崎選手にJR北海道から荻原・垣原選手。苫小牧駒澤、尚志学園…あっ!忘れてました朝日大学から“ちょっと太目の豪腕バックハンダー”も選手兼スタッフで参加しておりました。二日間強豪が揃って素晴らしい試合を繰り広げました。本当にこの大会を企画、運営された荒木先生のバイタリティーには頭が下がります。また荒木先生の高校時代のダブルスパートナーの武藤さんを始めとして苫小牧の卓球関係者の皆様も大変なご尽力をされておりました。本当にありがとうございました。団体戦、個人戦またエキシビジョンマッチ。そして日本リーグのようにサインボールやユニフォームなどの景品を観客と出場選手にプレゼントしたりと、今までにはなかった素晴らしい大会でした。来年の開催が楽しみです。また、大谷中のN尾選手が朝の練習時に大きな声で「ファイトー」「ガンバー」と叫んでいるのを聞いた今大会と同時開催の指導者講習会のために来られていた「エリートアカデミー近藤監督」が…「おお~会場一元気が良いから、サイン入りTシャツをプレゼントしよう」と、特別賞をいただいたそうです。いつも誰よりも大きな声で応援また試合をしておりますから、今回はそのご褒美だったのでしょう。その話を聞いた南茅部のボンが、試合中に大きな声を出してTシャツを狙ったそうですが、試合中に声を出すのは“普通”の事ですから完全に空振りとなってしまったそうです。団体戦一般女子は苫小牧駒澤が優勝しました。おめでとうございます。準優勝は札幌大谷A、3位は札幌大谷B、4位は札幌大谷中学となりました。明日美はAチームで出場しましたが…苫駒の優勝のアシストをしてしまいました。大谷Aのチームメイトの皆さん大変申し訳ございませんでした。男子は尚志学園が優勝、苫小牧駒澤が準優勝でした。おめでとうございます。一般女子シングルスは一次リーグから1位抜けをした選手のベスト16からのトーナメントでした。激戦を勝ち上がってきた準決勝進出の4人は、22年度の全日本ジュニア北海道予選ベスト4の面々でした。今回の組合せは逆になっており、鈴木(せ)選手と、中一ながら全日本ジュニアベスト16のヒット。三橋選手と明日美の準決勝となりました。今大会は接戦を何とか切り抜けた明日美が優勝することが出来ましたが、まだまだ安定した力を出せるまでには時間がかかると思いました。今まで以上に頑張って欲しいと思っております。結果は、準優勝は鈴木選手、3位・三橋選手、ヒットとなっております。他のカテゴリーの結果ですが、平行して女子一般と男子中学が行われておりましたので、明日美の試合を見ながら、また準決勝でノースジュニアの金川君に「木っ端微塵」に叩かれるまで拓蒼のベンチに入っておりましたわたくしは、他のカテゴリーを横目でしか見ておりませんので、不確定な情報は掲載しないことにさせていただきます。正確に押さえているのは…中学男子。優勝「ノースジュニア・金川君」準優勝「南茅部・パソこと村井君」3位「江卓会・名苗君」と拓蒼でした。ボン→拓蒼→わたくしと伝わって来たところによりますと、ゆうちゃんが「史上最低の決勝戦」と嘆いていたそうですが、拓蒼もやはり金川君と「史上最低の準決勝」を繰り広げてしまいましたので、わたくしも笑うに笑えない心境でした。しかし今回は金川君が強すぎただけです。パソは大成長をしていたと思います。立派な準優勝おめでとう!また、一般男子は、東京アートの両選手がある程度のところまでで空気を読んだのか棄権しておりましたので、有延選手を破った尚志学園の久住選手と、野田学園の松崎選手が決勝戦をしておりました。しかし、一般女子と中学男子の表彰式終了後、試験前の大谷はすぐに解散となった事と併せて「苫小牧」→「札幌」→「士別」と長距離を走らなくてはならなかったので、残念ながら決勝戦を最後まで観戦することは出来ず結果をお伝えすることは出来ません。申し訳ございません。帰りの車の中で、お腹が空いて倒れそうと訴えておりましたので“優勝”と“3位”と“誕生日”を合わせて「ラーメン」でお祝いをしました…安上がりで助かりました。拓蒼は大盛りラーメン。明日美はラーメンと“まかない丼”まで食べておりました…いつまで続くこの食欲と言った感じです。あっ…コンビニでアイスも買ったのでした…う~ん贅沢させ過ぎた!!!
February 28, 2011
中東やアフリカで、数十年に渡って絶対的な権力を持っていた独裁者や独裁政権に対する不満が爆発して大きな動きとなっております。しかし残念な事にその事によって多くの血も流されております。インターネットでの啓蒙活動により決起した人達のデモで始まり、その後武力を伴った国民運動のうねりとなって独裁政権を崩壊させ、国民からむしり取って資産を数兆円も貯め込んでいた独裁者も国を追われて亡命したり、戦後最悪のテロリスト首領が作り上げた独裁体制も風前の灯火となっているようです。暴力で弾圧されてきた各国の国民達の怒りが、暗黒の時代を終焉させた事はインターネットを通じて世界中に広がり、その勢いは中東・アフリカだけにとどまることはないようです。見かけだけ“民主化”したロシアや、旧ソ連時代にワルシャワ機構に加盟していた国々。そして“ソ連”の一員であった東欧諸国も共産主義からは離脱したのですが、独裁体制を打破出来ない国がまだ多くあるようです。しかし、この状況が自国に及ぼす影響を恐れて戒厳令並に情報統制を行っている中国よりはましな事は間違いありません。今回立ち上がった人々を見て思いました。それは本当の意味での民主化とは、経済的に行き詰まった共産主義国家崩壊によって緊急避難的に元共産主義指導者が進めた民主化ではなく、正統な自由と人権を獲得するために国民が立ち上がった運動であると言うことです。しかし残念なのは、正しい民主化に流血の惨事がつきまとう事であります。わたくしに出来ることは、これからまだまだ続くであろう民主化の波が、徳川幕府終焉時の江戸城無血開城のように進んでくれることを祈る事だけであります。こんな話の後に不謹慎なのですが…下の画像も一時代の終焉を現わしたものです。2年間続いた「シルバニア王国」を打ち倒して「ハム太郎民主政権」が誕生したのは、明日美が幼稚園年長の頃か、小学1年生の頃だと思います。親としては、高額な「シルバニア王国」が倒されたことは本当に嬉しい事でした。しかし、この「ハム太郎政権」も数年で「卓球王国」倒されてしまい押し入れの中に押し込まれ軟禁状態にあったのですが、先日歩夢が古い「とっとこハム太郎」のビデオを見て喜んでいた時に…「あっ!」と、妻が思い出し軟禁状態から開放したので、再度政権の座につく事を、今度は新しく仕えることになった新国王の歩夢に許されたのでした。先日しばらく振りに大きなテーブルの上に三つの小部屋を並べました。三つ子か四つ子ほどもいる「ハム太郎」はもちろん、ビデオで歩夢のお気に入りになった「かぶる君」達も、お家騒動で幽閉されていた武士のようにみすぼらしく髪が伸びたりすることもなく、元気そうにしばらく振りの執務室で新国王の歩夢と次年度予算について審議を重ねておりました。歩夢は拓蒼が首班指名していた「ハリケンジャー内閣」も随分気にいっておりますから、「ハム太郎政権」もいつまで続くかわかりませんが……やっと悲願の「首相」の座に着いた“管首相”よりは長く政権の座にいるのは間違いないと思います。
February 25, 2011
今朝、朝ご飯の用意をするために、冷蔵庫の野菜室を開けたら妻が買っておいてくれた「チンゲン菜」が入っておりました。「味噌汁用なのだろうなぁ~」と、手に取って見ると「中国産」でした。「ふん…なんでも中国産だなぁ~」と思ったのですが、よく考えると…“チンゲン菜”は中国産で良いのでした。何でも中国産を悪く言う風潮に踊らされている自分を笑ってしまいました。だからと言って、中国産を全肯定しているわけではありません。この青々とした野菜も、安全性も確認されていない化学肥料と農薬をたっぷりと使って栽培されているのは間違いないことですから喜んで買っている訳ではありません。経済状況から仕方なく中国産となっているのです。最近は“食の安全”の重要性が国民に浸透してきているようで、やたらと「オーガニック」の冠を被った食品が登場しております。良いことだとは思いますが、普通に漢字で無農薬・低農薬などと表示していただいた方が、お百姓さんが一生懸命育てた“みずみずしい野菜”の雰囲気が出て商品価値も上がるのではないかと思ったりしております。「オーガニック」だと、なんだか白衣を着た人達が工場で水耕栽培をしているような気がしてしまいます。しかし、安全な食品が食べられるのは本当は当たり前の事なのですから、いつの日か店頭に並ぶもの全てが安全な食品になることを祈っております。工業製品のつけを農業に回す政策を一日も早く実現していただきたいものです…今の内閣では時間もありませんし能力もないのが露呈しておりますから次の内閣で結構ですので。わたくしの年代は、当時政府が許していた防腐剤ですとの化学添加物入りの食品を“大いに”食べて育ちました。お店やスーパーで販売されているものはもちろんのこと、給食にも当たり前に使用されておりました。その頃は原色に負けないくらいの鮮やかな赤とかオレンジの食品がぞろぞろと美味しそうに並んでおりました。今はその“薬”は“毒”であることが判明しておりますので、食物に混入されることは絶対にありまえん…ええ…毒ですからね。どこで見たのかは忘れましたが「自然食品」を高らかにうたっている農園がありました。…しかし「自然食品農園」とはまた自意識過剰の凄いネーミングだと思いませんか?それでは現在合法的に販売されている化学肥料・農薬使用食品は「不自然食品」となってしまいます。もし店頭でそんな表示をされたら、収穫されるまでは自分が薬漬けで育てられた事を知らず、本州のような猫の額のような畑で窮屈に育てられた白菜よりも広大な北の大地で大らかに育った自分に誇りを持って育った白菜だって…高校入試の時に戸籍謄本を見て自分が養子であった事を知り驚愕している子供よりも“しおれて”しまうと思います。まさかそんな不利益を看板にして商売するアホはいるはずもありませんが、もし店頭でそんな薄幸の白菜を見つけたら、あまりの悲しさについ買って上げてしまいそうですね、またそれが人情だと思います…わたくしの住む酷寒大地にもオーガニックを売りにした「士別農園」があります。毎日移動販売車で街の中を売り歩いております。常連客もおり中々よい商売をされているようです。以前出張の際に、JR士別駅の待合室で中年の奥様数人がこんなお話しをされておりました。「うちでは野菜はスーパーでは買いませんよ、そうオーガニック野菜の移動販売車で買うの。うん“日本農園”でね。新鮮な上に安全やっぱり野菜は日本農園に限るわね!家族の健康に気を使う主婦の間では流行してるのよね」ですって…おいおい…日本には間違いないけど聞いた人に「日本脳炎」の野菜は新鮮だと勘違いされるよ…おばさん!士別農園だってば!!!それでなくたって、日本一厳しい環境の街と呼ばれているのに「日本脳炎」まで流行していたらいよいよ過疎化に拍車が掛ってしまうでしょう!!!実はこれとまったく同じ間違いは以前にも聞いて大笑いしたことがあります…言い間違いしやすい名前なのですかね?追伸:近年お医者様や研究者の方々が「あの頃の添加物を食べて育った年代の方々は長生きできない可能性があります。」とおっしゃっておりましたが、わたくしは、それはそれなりに高齢化社会緩和のお手伝いが出来ると、うろたえることなく現生から去りゆく事を受け入れます。悪あがきをして長生きをしたら国家と家族に迷惑を掛けますのでね…
February 23, 2011
最も雛祭りの似合わない男が右に写り込んでおります…ふて腐れてヤンキー風な座り方をしておりますが、雛人形の前に座るのが恥ずかしいだけです。でも、どうやらやっと中学生に見えるようになって参りました…外見だけは…苫小牧オープンの結果を掲載する予定でしたが、残念ながら情報不足で掲載出来ないことをお詫び致します。また、大会が重なってしまい女子は駒大苫小牧の3年生が出場していなかったのと、男子は尚志学園が出場していなかったとの事が少々残念ではありますね。全日本選手権が終了して早くも1ヶ月が経過致しました。来月は各カテゴリーの選抜が開催されます。我が家には今年は出場者がいないのですが、気を抜くことなく練習に励んで欲しいと思っております。拓蒼は昨日今日とテストでしたので、1週間ほど練習を休みましたのが、今日からまた二人きりの地獄の練習を再開致します。さて、皆さんも人に自慢できるような特技をお持ちのことと思います。もちろん誰にでも特技はあるものですが、拓蒼はどうやら耳が良いようです。アニメや映画吹き替えの声優さんの声をきっちりと聞き分ける事が出来ます。TV見ながら、又、後ろ向きの時でも「シャア~の声だ」 「ルフィーの声に間違いない」「アムロだっ!」と自信満々で言うので、疑い深いわたくしは見たくもない番組も最後まで見てテロップなどで検証するのですが、なんと今まで一度も間違っていたことはありません。しかし卓球には役に立ちませんね、せいぜい試合をしている選手の声を聞いて「この声は円山の先輩の和也君だ」「尚志の神山君だ」とか「さっきから会場中に響き渡っている、一番気合いの入った大きな声の女の人は、がっぱいのS楽さんだ」とかが精一杯ですので、ええ…何の役にも立ちません。かく言うわたくしにはこれといった特技はありませんので、大きな事は言えないのですが強いて言うなら、多少霊感が強いらしく不思議な現象に時々遭遇致します。最初に経験したのは祖母や伯父が亡くなる時なのですが、よっぽどわたくしが心配だったらしく、数多い親戚の中から特にわたくしを選んで枕元に現れました。それで覚醒をしたのか、それからは身の毛もよだつような思いを数回経験しております。ここ数年間は平穏だったのですが、実は昨年末になってから、我が家に再び異変が起っております。何度も恐ろしい現象が起っています。それは…わたくしは秋頃からしばらく「家呑み」を自粛しておりましたが、メンタルヘルスが叫ばれている現代社会ですから、仕事が忙しかった年末からは「絶対に家では呑まない」を→「少しは呑んでよい」と、路線変更してストレスを溜めないようにしておりました。しかし尿酸値に苦しむ体でありますので、体にも財布にも優しい「甲類焼酎サッポロソフト4リットル1,600円」を少しずつ呑んでおります。お風呂上がりに呑んで寝るのですが、毎日200cc呑むとすると、20日間は持つはずなのですが…一番短い期間でペットボトルが空になったのは…たった10日ほどです。今回も2月13日に購入したペットボトルがもう半分もありません…どうですが?恐ろしい話だとは思いませんか?…間違いなくわたくし達以外の“何か”が我が家に同居しているようです。だって…毎日3時間から4時間”しか“家で呑んでいないのに…あんなに早く4リットルがなくなるなんて、皆さんもあり得ない話だと思いますよね?うん?まてよ…毎日500ccは呑んでるかな?
February 22, 2011
苫小牧オープン男子シングルスは優勝厚谷君、準優勝塩入君、3位木村君、英君だったそうです。ダブルスは情報がありません。昼にまた追加致します。
February 22, 2011
二日間ほどお休みを頂いて、歩夢と二日間思いっきり遊んでおりました。土曜日は旭川で「トイザらス」「讃岐うどん」。昨日は「西興部村 木夢(こむ)」で木のオモチャで1半日遊んで参りました。(木製のおもちゃが沢山あります。)見ていただけば分ると思いますが、本当に楽しそうに遊んでおります。遅くなりましたし、一部しか分らないのですが土曜日開催された苫小牧オープンの結果を少々。大谷の情報しかありませんがお許し下さい。ダブルスは大谷はエースダブルスが組めませんでしたから、新しい組合せが多くあったようです。優勝は「伊藤・三橋」組、準優勝は「熊谷・明日美」組、3位は「高原・水野」組。でした。シングルスは、優勝「鈴木せ」準優勝「明日美」3位は「山田」「三橋」16くらいからは、熾烈な同士討ちとなったようです。男子は申し訳ないことにまったく分りません。ですから大会情報は、本日のところはここまでと致します。さて、以前士別の激安居酒屋さんを紹介しました。…しかし、その居酒屋さんには酷寒の士別にはいるはずのないゴキブリが、出没するので、泣く泣く指名停止にしたとお伝えしていたのですが、先週職場で呑んだ帰り道、雪の降りしきる中タクシー代金を浮かすため歩いて帰ろうとしたのですが、あまりの寒さに耐えられず、ちょうど我が家との中間地点にある「激安居酒屋」の暖簾を数年ぶりにくぐりました。古くなり重くなった引き戸を開けると店には誰もいなく、親父が入り口に背中を向けてNHKを見ていました。振り返ってわたくしを見て、一瞬驚いたようでしたがすぐに笑顔になって「しばらくだねぇ~元気だった」と、以前と変わらない笑顔で迎えてくれました。食べ物は注文せずに「熱燗」だけを呑みながら今年は雪が少ないなどと気候の話など当たり障りのない話をしていたのですが、ついつい…「親父、まだゴキブリ出んの?」と、我ながらまったくデリカシーのないセリフをはいてしまったのですが…親父が「うん冬だから寒いんだろう今はあんまり出ないよ」なんてさらっと言うので、危なく熱燗を吹き出してしまうところでした。しばらく雑談をしてから「親父お会計頼むよ」と、言うと…笑いながら「しばらく振りだから酒代はいらないよ」と、酒を売る店とは思えないような事を平然と言いました。「一回は払うと言ったのですが…まぁ…わかったよ、また顔を出すよ」と、約束をして帰ったのでした。昨日の夕方家で呑もうとした時に思い出しました…「あぁそうだ…約束したのだったな…親父の店へ顔を出すか~」と、従兄弟に電話をして二人で呑むことにしました。この親父は若い頃は米軍キャンプでサックス奏者をしていて、50過ぎまで関東に住んでいてジャズで飯を喰っていたのですが、52歳で地元に帰って突然「居酒屋」を始めた変人ですので、わたくしやヨーロッパを放浪していた従兄弟とは気が合いゴキブリ飛翔事件以前は良く通っていたのでした。先に店に着いたわたくしは「麦焼酎吉四六25度」を、お湯割りで呑んでおりました。やはり親父が言うようにカウンターの上を小さなものが素早く歩くこともないので“やはり寒いから動きが鈍いのだろうな…でもやはり刺身は怖いからなぁ”と、用心深く焼鳥を注文して従兄弟が来るのを待っておりました。従兄弟と合流してから焼き魚と砂肝を追加しました。焼鳥は絶対に食あたりがしないほど“がっちり焦げ目がつくほど”焼いてありましたから安心して食べたのですが、焼き魚についてきたレモンの輪切りを見ると…「値札」がついたままだったので、従兄弟とよくこんな薄く切ってあるのに値札切らなかったよなぁ~「ったく~雑なんだから、以前と全然変わってないなぁ~」と笑いながら呑んでおりました。しばらくして、カウンターの中の親父が、突然カウンターに向かって空手チョップを繰り出しました…以前、良く見たことのある光景でした…親父が相変わらずの見事な腕前で素早く動く小さな物体を撃破した瞬間でした。ええ…そうです。親父は「出ない」とは言っておりませんでした。「あんまり出ないよ」と、言ったのでした…従兄弟と二人で呆然とその光景を見つめていたのですが「まぁしょうがないよな…東京に住んでいた頃は枕元をガサガサ走り回られるのが普通だったんだからな…」と、従兄弟が言うのでわたくしも「あぁ…ざっとだけど、水道で手も洗ったみたいだから気にするのはやめるよ」と、数年間続いていた指名停止を取り消すことにしたのでした。今度札幌で呑んでいる「麻生」のYさんも連れて来てあげようと思っております。最近一緒に全然呑んでいないので、またススキノの「木屋場蔵」なんかに通っていないかと心配しております。イニシャルトークですからYさんと書いても誰も分らないようですから、気楽に書いておりますが、Yさんは元ススキノ夜の帝王と呼ばれたYさんの事なんですよ、ここまで書いても分らないと思いますが、北24条の怪しい店にも随分と顔がきくと有名な方です。
February 21, 2011
雛人形登場です。毎年アップしているような気もしておりますが、季節のものなので今年も登場してもらいました。(母に買ってもらったのですが、結構高価でしたので飾らないわけにもいかないですしね…)いつもは寝室に飾るのですが、今年は生活スペースの中心部に登場いたしました。二週間ほどでまた仕舞わなくてはならないのに大変な思いをしてまでと、わたくしは思うのですが、妻がわざわざ士別に帰って来てまで飾りました。(まぁ衣装の入れ替え作業のついでですけど)さて、昨日は札幌出張でした。いつもなら前日の夜出発して札幌に泊まるのですが、拓蒼が学校ですからそんな事にはなりませんので、早朝6時過ぎの普通列車で旭川まで行き、旭川からL特急スーパーカムイで札幌に向かいました。会議中、ふと、今日は高校入試のため二人とも学校での練習が出来ないと言っていたことを思い出し、休憩時間に二入に連絡をして「札幌駅のすぐ近くで会議をしているから一緒に昼ご飯を食べるか?」と聞くと「じゃぁ12時に西口ミスド前で待っているよ」と言うので、午前の部終了後ダッシュして待ち合わせ場所へ走りました。札幌駅周辺で会議がある時にいつも利用する「390円:鶏唐揚げ定食」と「590円:とんかつ定食」のどちらかを“値段を教えずに”選択させると…嬉しいことに「鶏唐揚げ定食」を選んでくれたので、三人で「1,170円」ですみました。二人とも我が家の経済状況を鑑みて選択してくれたのだと思います。親孝行な事です。(値段は言ってないのが最大の原因だと思いますが…二人ともテナジー使用者なので当然の事だと思います。)“親心”としては、好きな物を食べさせようとは思ったのですが、ラーメンなら大谷卓球部先輩の実家の「彩未」に行きたいけど今日は時間がないですし、回転寿司も札幌駅周辺にはあまり良い店がないので、今回は札幌駅周辺でも特別に安い2店から選択させたのでした。しかし、安くても大きな唐揚げが5ヶにサラダつき、それにご飯と味噌汁はお代わり自由となっておりますし、味も良いと言うことを皆さんにしっかりとお伝えすれば、父親が自分のお小遣いが少なくなることを懸念して、ただ“けちった”訳ではないことを、十分ごお解り頂けると思っております。士別で雛人形を飾っていた妻にメールで昼ご飯を食べている様子を送ると「良かったけど、いつ打合せしたの?わたしはその三人での外食は記憶にないなぁ~」と笑っておりました。そう言われると、わたくしも一瞬考えこんだのですが…この面子での食事は拓蒼が生まれた頃に数回ありました。拓蒼が生まれたばかりで妻と産婦人科に入院中に”仕方がないので”三人で食べたのでした。3歳の岳幹と1歳半の明日美を連れて、三人でラーメン屋さんか蕎麦屋さんだったと思いますが「あ~っ岳幹~こぼしたらだめ~」「これ~まだ座ってなさい」とか叫びながら、明日美の口に小さなスプーンで食べさせていた記憶があります。今思うと懐かしくて可愛いのですが、その当時は“不慣れな子育て”に随分ととまどった記憶があります。ですから入院中の妻の記憶にこの三人での食事光景はあるはずもないのでした。そんな懐かしい事を思い出しているうちに「鶏唐揚げ定食」が運ばれて来ました。最近の二人のもの凄い食欲を見ている限りに置いては、どう考えても唐揚げ5個では足りそうもないと思いましたので、運ばれて来てすぐにわたくしが食べられる分を取って後は二人に分けました。岳幹は、流石に8個は食べきれずに1個は返して来ましたが、明日美は6個、岳幹は7個と、二人とも気持が良いほどお腹一杯食べてくれました。ご馳走様でした。三人ともすっかり満足しました。わたくしは1,170円のお会計を済ませ二人と別れた後、再び「三人での大騒ぎ食事会」を懐かしく思い出しながら午後の会議に向かったのでした。(安く済んだのでつい帰りのJRに乗るときに缶ハイボールとおまけにワンカップまで買ってしまいましたけど…)追伸:昨夜からニューススティション等で報道されております士別市で起きた不幸な事件は、実はわたくしの同級生とその家族であります。亡くなった彼は中学高校とバスケットボール部に所属し、また成績も優秀で「国立K見工業大学」を卒業し、きちんと働いておりましたが、若い頃に病を患ってしまい長く働くことが出来ずにおりました。謹んでお悔やみを申し上げます。
February 18, 2011
まだまだ寒い日は続いておりますが、もう2月中旬になりましたから後2ヶ月ほどで酷寒大地にも春の兆しが訪れます。4月で“兆し”ですから、福岡や千葉県房総半島に住む方々に言わせると「熊さんの住んでいる所は北極」となるらしいです。そろそろ各学校の新戦力も決まったようですが、本日はわたくしが新戦力として士別高校卓球部に入学した頃のお話しを少々…(士別高校はもうありません…寂しい話です。)以前にもお書き致しましたが、わたくしは友人に騙されてカツ丼を食べてしまったばかりに「士別高校卓球部」に入部することになり…いえ…なってしまいました。入部後すぐに“戦型”を決める事になりましたが、中学時代は吹奏楽部ですからなんの知識も持ち合わせておりませんでしたので、OB達に勧められるままに「カットマン」となった訳です。見事わたくしの師匠の座を獲得したOBは、卒業後農業を継いだカットマンのO西先輩と、郵便局に努めておられましたカットマンのN田先輩でした。この2人は、インターハイ北海道予選でダブルス3位に入賞した実績を持っていました…色々言われた気もしますが…実はカットマン以外の道は用意されていなかったのです。まぁカットマンがなんであるかも知りませんでしたが。先日N田先輩には全日本選手権でお会い致しましたが、お孫さんを抱っこしてシチズンの並木選手の応援を娘さんと一緒にしておりました。(恵庭市に転勤してからは柏クラブのコーチをしておられます。)また、北海道各地の大会会場でもお会いしますが、あんなにご迷惑をお掛けした不肖の後輩でしたのに、ありがたいことに現在は我が家の子供達にアドバイスをしてくれております。実は士別高校にも監督はおりましたが、監督は定年退職してから講師として再雇用された高齢の先生でした。卓球経験者ではありましたが、戦型は数十年前に絶滅してしまった「ペンカット」だったからか、自身が指導をすることはなく技術指導はOB達に任せておりました。まだうすら寒い入学式が終わった日の午後。先輩達の言うとおりにスポーツ用品店でタマス社の「ディフェンス」と「オリジナル裏ソフト薄」「一枚ラバーオーソドックスDX」を買い部室でラバーを張ってもらって、母親が3年生になっても着られるようにと注文した2サイズも大きな学校指定のヒットユニオン製緑色ジャージを着て…ついにわたくしの卓球人生が始まったのでした。中学時代は吹奏楽でトランペットを吹き、楽しみはと言えば、土曜日の夜開催されていた父に教わった麻雀だったわたくしですのに、途中お休みした期間はございますが、まさかこの年齢になってもまだ卓球に係わる事になろうとは…その当時はナノ程も思ってはおりませんでした。ダイエットで再開したはずの卓球でしたが、いつの間にか中学生を主体のジュニアチームのお手伝いに始めるようになり、その後は卓球少年団のコーチ。首になってからは、中学の外部コーチ、そして三人の子供達の指導と長く係わってまいりました。そう言うと、随分と長く卓球漬けの日々を過ごしてきたように聞こえますが、恵庭のN田先輩や、地元で指導者兼“選手”を続けておられるO先輩達から見れば、まだまだ昨日今日始めた“ひよっ子”でしかありませんので、地元はもちろんですが、出来る限りお世話になった方々に恩返しが出来るように老骨にむち打って頑張ろうと思っております。
February 16, 2011
雪祭会場に設置してあったお約束のパネルです。このパネルと、寒いのに帰りに食べたアイスが一番嬉しそうでした。昨夜からグラミー賞を受賞した日本人の方々が大きく取り上げられております。本当に素晴らしい事だと思います。おめでとうございます。わたくしが音楽を聞き出した頃は、吉田拓郎さんが「浴衣の~君は~」ですとか、財津和男さんのチューリップが「あ~だから今夜だけはぁ~」とかを、皆さん長髪に“短足”で歌っておりました。あの泉谷しげるさんだって「今日~で全てが終わるさ」なんて真顔で歌ったりしていたのですから、まさかその頃は英語圏の国で日本人が活躍をするような事があるとは思いもよりませんでした。わたくしも受賞は日本人として大変嬉しいのですが、少々残念なのは今回もやはりギターリストやピアニストだった事です。坂本龍一さんも以前受賞しておりますが、わたくしとしては和製ボーカリストが、マイケルジャクソンやダイアナロスやビヨンセの様に世界で活躍してくれると、今回の受賞以上に嬉しいと思っております。とは言いましたが、本当に稲葉さんは凄いと思います。あの「ルーム335」のラリーカールトンと共作ですからね~当時わたくしはフュージョンと呼ばれていたジャンルが大好きで、ラリーカールトン、リーリートナー、STUFF、などを毎日聞いておりました。ですから本当に驚きでしかありません。心より拍手をお送り致したいと思います。パチパチパチパチパチ~しかしねぇ…受賞インタビューですが、稲葉さんくらいの年齢になれば、話す言葉にもそれなりの社会人としての見識を持ち、優等生的な発言も良いと思いましたが、まだ若い上原さんまで「地に足をつけてコツコツとがんばる」なんて秋川クラブの卓球太さんが言うような地味な事を言っていました。まぁ誰が見ても文句なし好感度抜群だとは思いますけど…ええもちろんわたくしも全然文句はありません。彼女は謙虚で素晴らしいとは思うのですが…実はわたくしは、ジャズは少々倦怠感的な方が似合うような気がしております。まぁ勝手な思いこみですが、もう少し歳を取って狐狸庵さんのように耳かけのような髪型になっていなかったら、粋なバーで超ドライマティーニでも呑みながらジャズを聞く…どうですか?カッコヨイとは思いませんか?トレッドファッションで決めたりしてさぁ~そういったシーンを想像すると、優等生よりはやはり「桃井かおり」さん風ピアニストが良いとは思いませんか?「ふっ…えぇ…別にどうしても欲しいとは思ってはいませんでしたけど、スタンリーから受賞の電話をもらった時には思っていたよりは嬉しかったです。でもまぁグラミーは通過点ですので、これからが本当の私の音楽の始まりなのでしょうね…」なんて答えたりするのを聞いたら、すぐに「TSUTAYA」と「酒屋」に走っていたと思います。しかし、70年代にはピアニストのチックコリアとリターン・トゥ・フォーエヴァーを結成していたフュージョン界の大御所スタンリークラークバンドの一員として活躍をされているのですから、その才能は世界の誰もが認めておりますし、わたくしも疑うものではありません。あらためて受賞おめでとうございます。パチパチパチパチ~あっ!そう言えば日本卓球連盟では改革が進んでいたようです。「登録規程一部変更について」日本卓球連盟にも大きな拍手をお送り致します。パチパチパチパチパチパチ~
February 15, 2011
劇団四季ライオンキングの雪像をバックに撮影しました。わたくしも後頭部と小さな背中で登場しております。12日。拓蒼の練習をお願いしてありましたので札幌大谷へ行ってまいりました。体育館を見渡すと、OGの旧姓Sさんが旦那様と2人で練習に来ておりました。しばらくしてゲーム練習になりましたので、座ってゆっくりと見物していたのですが、初対面であるはずの旦那様を見たことがあるような気がしてなりません。しばらく考えて…何となく「奥さんの現姓確かM井さんと言ったよなぁ~もしかして彼じゃないかなぁ~」と考え込んでいた時に…ちょうどボールを拾いに奥様がわたくしの前に来ましたので思い切って「あの…旦那さん…もしかして名寄出身?」と聞くと「そうです。熊さんの事知っているそうですよ。」とお答え頂きました。それを聞いてやっと彼がM井君だと確信致しました。わたくしがまだ試合にも出場している頃なのですが、その頃旦那様はまだ高校生で名寄地区の試合に出ていたのです。しばらくして休憩時に旦那様に話しかけると…「ばれないようにしてました。」と正体を明かしてくれ、懐かしいお話しを数分間致しました。現在は26歳と言うこと事でしたからもう8年以上も前なのと、高校生時代とは随分と雰囲気が変わっていて全然気がつかず、すっかり失礼してしまいました。休憩後試合をするところを時々見ておりました。わたくしも試合をしたことがありますが、左利きのドライブマンで名寄地区の高校生の中では結構上位に勝ち上がっていたと思います。また、社会人になって大人になりねばり強くもなっていました。彼のように社会人になっても卓球を続けていてくれると本当に嬉しくなります。また、卓球が縁でご結婚されたのであれば、もっと嬉しい事ですね。あっ!思い出しました。明日美が着ている大谷ウインドブレーカーは、入れ替わりで卒業した奥様から譲っていただいたものでした。指導陣も奥様の事をOGの中でも指折りの努力家と認めているので、入学時に「良い先輩のウインドブレーカーを譲ってもらったね、先輩の努力を越えるように頑張りなさい。」と言われたそうです。譲って頂いた時も3年間も着たようには見えないくらい綺麗に着られていていましたし、明日美も大事に着ておりますから、合計6年間経過した今も全然いたんでおりません。明日美は今日も「M・A」ではなく「S・Y」のイニシャルが縫い込まれている札幌大谷のトレードマークの“真ピンク”のウンドブレイカーを着て、雪道を練習に通っている事と思います。(もちろん全日本の東京体育館でも着ておりました。)Mさん夫妻にお子様が生まれたらきっと卓球をする事と思いますので、いつか「ベンチ」に入るご夫妻が見られる事を楽しみにしております。追伸:指導陣は「もしYが子供のベンチに入ったらきっと俺たちより厳しいよ」と、笑っておりました。
February 14, 2011
昨夜TVを見ておりました。見ていたと言うよりは、焼酎の肴にぼうっと眺めていただけですけれどね…TVと言えば、いよいよ地デジ化が近くなってまいりました。我が家のTVはすべてアナログ仕様ですから、これから対応を考えなくてはなりません。札幌に1台、士別に2台の合計三台3台ありますが必要な2台だけ対応しようと妻と相談をしております。あっ!そうだ…車のDVDナビも考えなくてはならないのか…まぁ車ではTVなんて見なければよいのだから、やはり最小限の対応とすることにします。士別のTVは平成8年生まれです。15年使用している事になりますが、いたって元気ですし、士別ではほとんどTVを見ることがありませんから、今のところ「チューナー」で我慢しようと思っております。しかしTVは本当に薄くなりました。昔からTVの上部は、親父や爺さん、ばあさんが知り合いから無理矢理押しつけられてもらって来た「金盃」ですとか、なぜ結婚祈念なのか理由の解らない「日本人形」などの不必要な「大切な物」を置くための重要なスペースとなっておりました。しかし、現在発売されている「フェイントロング3超極薄」並の薄型TVでは、回り続けるコマくらいしか上部に飾ることは出来ません。まぁさっぱりして喜ばしいことではあるのですが、昭和の時代から茶の間に君臨してきたTVの権威が失われるようで、少々寂しい気も致します。そう言えば昔「卓球TV752」が、CSに登場した時にキャンペーンでただでもらったチューナと中華鍋がありますから、いっそ「スカパー!」オンリーTVにする手もありますね、卓球の放映も見ることが出来ますからね。札幌でも考えなくてはなりませんが、あちらでもTVの視聴頻度は著しく低く、見るとすれば歩夢が子供向け番組を見るくらいですから、こちらも「チューナ対応」としてしまう可能性が高くなると思います。まぁどちらも永住することはない住みかですから、家電などを購入する際には無駄にならないように細心の注意をしているつもりですが…いざ配置して使ってみると、冷蔵庫や洗濯機の容量やサイズなどの見当を間違えてしまい…「あれれ…これなら士別で使っている洗濯機と交換した方が良いね」などと苦笑いすることもたまにありました。なぜ今日はこんなお話しをしているかと言いますと…昨日の午前中札幌雪祭りを見学したあとオートバックスでオイル交換をしたのですが、作業中店内の商品を見ていた際に、車載TVの地デジ化には安価なワンセグと画像は良いけど高価なフルセグがあることを勉強させて頂いたからです。う~ん…これで我が家の愛車は「DVD」モニター専用となることが確定いたしました。それにしても、CASTROL10W30缶2,000円しかも会員になると1年間オイルとエレメント代だけで工賃なしとは…恐るべしオートバックスです。今は5,000キロでオイル交換10,000キロでエレメントも交換しておりますが、この料金なら3,000キロで交換しても良いと思うほどの低料金でした。しかしだからと言ってフルセグはもちろんワンセグチューナーも買う予定はまったくございません。7月からは歩夢のTV以外はまったく見ないことにして目標に向かって全力疾走すればきっと…まぁ…無理な目標をかかげて恥をかくのはやめておくことにします。
February 12, 2011
マルちゃん焼きそば弁当期間限定たら子味です。勤務終了後札幌へ行く日は、弁当を作らずにカップ麺ですませる事が多くなっております。さて、札幌では雪祭りが開催されております。メインの大規模な雪像が立ち並ぶ大通会場滑り台などが多くあり、子供たちが楽しく遊べる「つどーむ会場」大人がターゲットの夜になるとライトアップされた氷像がきれいな“ススキノ会場”しばらくススキノには行っておりません…最近は“環状通東”か“麻生”ばかりです。焼鳥工場SADA房の定伸元気かなぁ~札幌雪祭会場には地元へUターンしてから20年以上行っておりませんでしたが、子供達が札幌へ進学してからは毎年見物に出掛けております。元々雪祭は、冬の寒さで家に閉じこもりがちである子供達が元気に遊んだりするためのイベントとして発祥したそうですが、今は観光客を集める事が目的となっている場合がほとんどのようです。昨年、会場を歩夢を抱っこして歩いていて感じたのは、必要以上に大きな声で話す台湾や中国の観光客が国内からの観光客に負けないくらいの大勢で歩いている事です。国民性の違いとは言われておりますが、少しは自分が訪れる国の風習を学ぶと日本特有の“静”“和”“慎”などの情緒も感じることが出来るので、写真やお土産と違って形では残りませんが、いつまでも記憶と心に残る素晴らしい思い出になるのではと思います。(そんな情緒はすでに滅びてしまっているのかも知れませんけど…)自国の習慣・文化が一番と思う心は当然ご理解出来ますが、せっかく異国の地にまで足を伸ばしたのですから、月並みな言葉ではありますが「郷に入っては郷に従え」が旅の楽しさとなるのではないでしょうか。また、ヨドバシカメラやビッグカメラなどでの買物ついでの「雪祭観光」も、経済効果的には大成功となるのでしょうけど、結局は本州資本大企業への「雪祭ボーナス」的経済効果にしかならないと思います。北海道民の所得は全国平均より随分と下回っておりますので、わたくしたち道民が心豊かに暮らせるまでの生活水準となるためには、終わりなく続いている、どこに予算をつぎ込んだのか不透明な観光事業に見切りをつけて、もっとダイレクトに道民生活に反映されるようなフレキシブルな施策をご提案してくれるケンシロウのような“救世主”が現れる事を待つより仕方がないのですかね。(大阪や名古屋がこれから何処へ進むのか…)管首相も「観光立国・地域活性化戦略」なんて事をおっしゃっておりますが…本気でそんな事を考えているようでしたら一刻も早く退陣していただきたいものです。お国のエネルギー政策が変わったために、廃坑になった元炭鉱マン達の再雇用策としてお国からお勧めのあった観光に突っ走って破綻した「夕張」の二の舞になるのだけはゴメンですから…今ですら熊牛原野を車で走っていると、負の遺産と化してしまった豪華な「第三セクターの観光施設」が1時間おきに、フロントグラス越しに見ることが出来るのですから。(細々と経営をしている事が多いと聞いております。)皆さんも北海道縦断ツアーでもしたら「どうしてこんな“ど田舎”に、こんな立派な建物があるの?誰が利用するの?」と、きっと首をかしげる事と思います。実は北海道は沖縄と並ぶ観光地と思われがちですが、道外からの観光地として大きく成功しているのは、“元々”観光地であった「函館」「小樽」くらいではないでしょうか?(天然温泉は別ですよ)北海道各地に後から作られた多くの「即席観光地」はツアーに盛り込まれたりしない限りは苦しく、実のところはやっと「観光」にかじりついていると言うのが実情ではないでしょうか。ああ…後発で大成功している観光地もありました!!!「北の国から」の富良野がありました。ここだけは別格となっておりますね、番組の印象を生かしたラベンダーが国道沿いに咲き乱れて、いかにも北海道らしい風景をかもし出しております。富良野の方々はフジTVと倉本先生に大感謝しているとお聞きしております。まぁ…皆さん途中で×アイコンをクリックすると思いますので、ここまでたどり着いた方はいないとは思いますが…札幌雪祭から、経済行政にもの申すなんてあり得ない方向へ進んでしまいましたが、くだらない私見として読み流していただければ幸いと存じます。
February 10, 2011
雪が降って嬉しいのは我が家では歩夢だけです。わざと雪の中を歩いてズボンを雪まみれにしております。それでも寒さなんて全然感じないらしく楽しそうに歩いております。(見ているわたくしの方が寒くなります。)さて、隣の名寄市ではカーリングの全日本選手権が開催されております。数年前に道立公園の中に立派な室内カーリング場が建設されており、先進地でありながら野外にしかカーリング場を持たない士別市とは、その競技環境は雲泥の差となっております。士別市は、カーリングが世間にあまり知られていない頃から盛んでしたので、長野オリンピックの際には2人の日本代表選手を輩出しております。もちろんカーリング場は隣町に出来るずっと以前からありましたが、野外ですので氷の状態もあまり良くないようで、全国大会規模の大会は開催出来ないそうです。(情けない…)以前は野外が当たり前だったそうですが、最近は室内が主流であり、札幌、帯広などの大きな街だけでなく、常呂町、妹背牛町、などの小さな町にも建設されております。(ところ町、もせうし町…皆さん読めますか?蝦夷地が昔はアイヌ民族が統治していた頃のなごりであります。)元日本代表を輩出している街としては本当に残念な事ですが、建設に向けて関係者はもちろん。カーリングを楽しむ多くの市民も、市や道などの行政機関に陳情したそうですが、予算がなく今に至っていると聞いております。(疲弊し続ける地方には、もう無理かも知れませんねぇ…)本日も2人の元日本代表のチームは、見事北海道予選を勝ち抜き名寄で頑張っております。出場チームは若い選手が多いのでしょうが、経験値の違いで頑張り表彰台に上がってくれる事を祈っております。今週末のわたくしですが、取り立てて卓球と呑み会以外の予定も入るわけもなく、札幌で合宿がありますので顔を出そうと思っております。合宿と言えば。今年のゴールデンウイークに、士別市で卓球合宿を計画している札幌のクラブチームがあります。(練習場・宿泊施設予約済み)従いまして、今年の連休も呑みっぱなしになる公算が大となっております。監督同士はFSウインタースクールで意気投合したと聞いておりますので、もしかしたら関東の名門「A川クラブ」も参加してくれるのではないかと期待しております。本当は高知のファー…いえ…卓球太さんをお待ちしております。どうですか?北海道の美味しい物をごっそりと用意しますよ!!!北京ダックのお返しは…「かに」でどうですか? 沢ガニやザリガニじゃありませんよ。正真正銘オホーツク海で獲れた「タラバガニ」か「毛蟹」をご用意致します。
February 9, 2011
相撲八百長事件が毎日大きく報道されております。TV局の方が街行く人へインタビューをすると…「許せないです。」「膿を出し切らなくてはダメです。」とか、主婦や中年サラリーマンから厳しい言葉が発せられておりました。しかし朝は若い人のインタビューでは「平日の6時に終わるからほとんど見たことがない。」「普通のプロスポーツとしてやればよい」「ナイターで興業するとよい」など、中々面白い意見も出ておりました。わたくしが相撲を語ろうとすると、現在TV放映中は仕事中で見る事が出来ませんので少年時代まで遡らなくてはなりません。(土日だけ見てもつまらないですよね)幼い頃は白黒TVで、8歳の頃からは茶箪笥のように大きなカラーTVで、大鵬や柏戸そして先代の貴乃花関等の贔屓力士を“本気”で応援しながら、家族で夕食を食べていたものでした。もちろんその頃から神格化して見ていたりはしていなく、ジャイアント馬場やアントニオ猪木を見る視線と同じ視線で相撲を見ておりました。今回こんなに大騒ぎになっているのは、オリンピックや世界選手権でたった一人の世界一を決める競技と、横綱というチャンピオンが多いときには3人もいたりする相撲の競技性を多くの力士達は理解しているのに、見ている側はもちろん、なぜか関係者まで理解出来ていなかった事による“誤解”が起因しているのではないかと思っております。独裁的で好きではない石原都知事が「騙されて見て楽しめば良い」と発言されておりましたがこの件につきましては、わたくしも大好きな「プロレス」を見るのと同じような感覚で良いと思っておりますのでまったく“同感”であります。きっと「相撲は国技」なんて気張るからこうなってしまったのでしょうね。引退後、兄弟喧嘩に疲れてすっかり痩せ、口元だけで笑顔を振りまくようになった貴乃花親方がよく「相撲道」なんて言葉を取り憑かれたような顔で言っておりました。言葉だけを聞くと厳しく険しい道程のように感じますが、字を見てみると相撲にただ道をつけただけの話ですから、そんなに大袈裟に言わなくても良いのではないでしょうかね。どうやら「道」をつけると、どの競技だってそれなりに聞こえるようです。野球道。空手道。など、道をつけると「不撓不屈の精神で相撲道に不惜身命を貫く」なんて言った貴乃花関の言葉もそれなりに決意の表れのように聞こえてしまいますからね。しかしどんなスポーツにも“道”が合うわけではありません。「柔道」とか「剣道」“道”につけると「柔道道」「剣道道」…読んでみると分るように求道者としての迫力に欠けることになってしまいますのでやめた方が懸命だと思います。(元々ついてるだけですが)わたくしは、以前から「無気力相撲」「板井八百長暴露」などが週刊誌を賑わすたびに、相撲は本来の姿に戻って「プロレス化」すべきであると思っておりました。また、相撲が競技として最強者を競うのであれば、一人横綱制にするとともに、体重制の導入が必要とも思っておりました。(柔道には無差別級もありますが。)相撲は「古事記」に起源が書かれているくらいの歴史のある神事であり武芸・武道ではありましたが、江戸時代の頃には興業的な要素が強くなっていて女相撲まであったそうですから、この頃からすでに「興業団的集団」となっていたようです。しかも勝負だけでなく、最強と言われた「双葉山」や全盛期の「千代の富士」や「北の湖」のように強くなくても人間として魅力を持った力士に人気が集まることも多くあったそうですから、この時期が現在の職業相撲スタイル構築の始まりであったのだと文献などを見ると容易に想像することが出来ます。また明治になってからは、タニマチと呼ばれる後援者達が多く現れた事によって相撲取りの気質も個人勝負至上主義から、相撲部屋全体包括型に本格的に変革したのだと思っています。わたくしの記憶に残る相撲シーンは「巨人大鵬卵焼き」世代の代表としては大鵬・柏戸時代です。そして先代貴乃花、北の湖・千代の富士時代。若貴兄弟横綱時代。ついに訪れたモンゴル・ヨーロッパ時代。お世辞ではなく多くの名勝負を拝見させていただきました。わたくしはもちろん相撲は素晴らしい日本の伝統文化であると思っております。ですから「国技」なんて肩肘張らずに、「伝統芸能スポーツ」として認知されるように努力すれば、真剣さの中にも笑顔が同居するような今までにはあり得なかったような楽しい取り組みも実現して、両国も以前のように毎日満員御礼になるのではないかと思っております。もちろん応援致しております。で…もしも…もしもですよ…「国技」を返上なさる事があれば…次の国技指定競技を、何とか「卓球」にしてもらえるように。一言お国のお偉いさんに助言していただけたら、ありがたいと思っております。
February 8, 2011
夏はよく遊びに来ている公園にママと来ました。夏はいつも混んでいるけど…今日は蒸気機関車の運転席でゆっくり遊べたよ(^_^)2月5日、6日の両日、余市町で「後志オープン」が開催されました。5日は中学生以下、6日は一般の部でした。拓蒼は出来が良かったのか悪かったのかよく分らないような感じでしたが、現在取り組んでいる技術については、結果が出ていたのではないかと思います。出来ていない事の方が多いとも言えますけど…会場でカデット14ランキング3位のN苗君のお父さんとお話しを致しました。面識はありましたが、ゆっくりとお話しをしたのは今回初めてでした。江卓会のN苗君をご存じの方なら、お父さんの顔を見た瞬間に「あぁ…この方は間違いなくN苗君のお父さんだな」と、見破るのは簡単なくらい“瓜”ですので、“瓜具合”を、ご覧になりたい方は、N苗君が試合をしているコートの近くの観客席を探していただけると、3秒もあれば簡単に見つかりますので「あぁ本当に“瓜”だぁ~」とご確認して頂けたら幸いと存じます。話題については、昨今の教育状況とスポーツの振興について、まさに崇高な理念の元、周囲に人が近寄れないくらいの熱気を帯びてお話しをしたのですが、なんと最後の話題は「あの…ブログ見てますが随分“呑む”のですね、毎日呑みに出るか、晩酌ですか?」と、残念ながら日本の教育とスポーツ界を、心より憂うわたくしをまったくご理解されていない他愛もない話となってしまいました。…えぇわたくしを誤解されているようでした。わたくしがあんなに真面目なお話しをしたのに、最終的にわたくしを“ただの呑兵衛”扱いしたから、きっと6日の朝“車がパンク”して、“N苗君がタクシー一人旅”で会場に駆けつけるような非常事態になってしまったのではないかと思います。N苗さんは会場にいらっしゃらなかったのでご存じないと思いますが、6日の余市町総合体育館では、関係者の中ではこの“大事件”が試合の内容よりも最大の話題となっていた事をここにお伝え致します。しかし、同じ高い尿酸値に悩ませられながら、ユリノームとザイロリックを飲む仲間ですから、今回は名前が全国に広まらないように“N苗君”のお父さんとは誰にも分らないようにイニシャルでのご紹介とさせて頂きましたのでご安心下さい。これでも気配り・心配りの熊と呼ばれております。さて、中学生以下男子には、カデット14のランキングが4名と13以下ランキングが2名出場しておりましたが、14歳のランキングの全員がベスト4で、13歳以下の2人がベスト8と実力通りの結果となりました。ダブルスもやはりほとんど同じメンバーで優勝を争い、結局ベスト4に3組となりました。昨年、北海道カデットで良い成績を出した選手達が、油断せずにしっかりと努力を続けている事が感じられた「後志オープン」でありました。(う~ん…皆強いなぁ~)「N苗さん」今回は良質なネタをありがとうございました。また良いネタがあればよろしくお願い致します。また、会場でお会いできる日を楽しみにしております。アラキ杯の苫小牧かな???あっ!忘れてました。苦情は受け付けませんよ!うっかりわたくしのブログを見たと口走ってしまったのが運のつきだと思ってあきらめて下さい。
February 7, 2011
技術・研究の進歩は一歩ずつ地道な事でありますが、その積み重ねの結果驚くべき技術革新が起るのでしょうね、わたくしの年代はその生き証人と言っても良いのかもしれません。最近は技術が進むと言いますと、主にパソコンですとかハイブリッド車などに活用されているITやデジタル技術関係を連想しがちです。しかし、「くまのぶろぐ」は“卓球だけ”について深く掘り下げることを目的として日々更新しているものでありますから、ここでの技術とはもちろん卓球に関係する“技術”についてのお話しであります。技術の進歩により卓球用品は大きく進歩して来ました。まずはラケットにカーボンなどの新素材が登場しました。木材と比べると重くてハードな感触でしたが、使用者を満足させるには十分すぎるほどの威力を備えておりました。それからも様々な新素材が登場して、現在は卓球王国のラケットランキング1位のインナーフォースに代表されるようにラケットは日々進化を続けております。ラバーも同様に進歩を続けております。長い間マークV・スレイバーなどに代表される高弾性ラバーが主流でありました。その後テンション系ラバーがユーザーも驚きの高額を引っさげて登場しましたが、完全に高弾性に取って変わるまでには至りませんでした。しかしスピードグルーが禁止された後、高弾性ラバーは30年君臨した表舞台からついに降りることになりました。今思えばこの時期は、グルー時代の感触と威力を求めるユーザーに各メーカーが特色とポテンシャルをアピールする最大のチャンスであったようです。日本のメーカーはもちろん。ドイツラバーに代表される輸入ラバーも多く市場に出回る事になり、ちょっとしたラバー戦国時代の訪れ思わせました…が…ここで、満を持して「テナジー」が登場します。(発売後は需要に供給が間に合わず随分混乱しました。)“エネルギー内蔵型ラバー”は、前評判の通りの高性能を備えていて「テナジー」は、一流選手、有名選手そして中高生にまで浸透したため、乱世の匂いは一瞬で消えてしまい「マークV・スレイバー」時代を越える勢いでラバー市場を一気に席巻しました。まさに“エネルギー内蔵型ラバー”は「技術革新」のたまものであり、考えられないほどの高額ではありましたが、その性能はユーザーを十分満足させるものでした。しかし、わたくしはテナジーが登場して以来不思議な事が起ったと思っております。各国の代表で戦っていた選手達が使用していた高弾性ラバーが、なぜか現在は中学などで“初心者用”として使用されるケースをお見受けするようになったことです。現にティモボルが使用していたスレイバークラスのラバーを初心者に勧めている指導者も多くいるようです。「テナジーと比べて扱いやすいから」???あれれ???つい最近までは、スレイバーやマークVが飛び過ぎてコントロールが難しいので“初心者向きではない”とされていたはずなのに…一体どうした事なのでしょうか?わたくしは初心者にも最初からコントロール系のラバーではなく、高弾性ラバーの厚を使用することを推奨しておりましたから違和感はございません。合わせて初心者にはコントロール系の“中”を推奨していた方々が“エネルギー内蔵型”の登場後指導方針を変更したことについては、本当に素晴らしいご判断をなされたとも思っております。しかし、ここで大切なことは、ハード面の技術革新を受け入れるのであれば、ソフト面においてもそれに見合った“技術革新”を受け入れなくては、せっかくの高性能用具も…よく聞く四文字熟語で終わってしまう可能性も考えられる事です…セットで2万円を軽く越えるのですから…そんな事があってはいけませんよね……それにしても、このデフレ時代に天井知らずに昇り続ける卓球用品が、きっと日本を覆い尽くすデフレスパイラルからの脱却の起爆剤に…なるわけはありませんよねぇ~
February 4, 2011
昨夜町内会費の集金が終わりました。会長さんのお宅へ集めたお金を届けて任務終了です。先週妻が集めてくれた残りの数件だったのですが、中々お会いする事が出来なく昨夜9時にやっと終わってほっとしました。さて、2月はぎっしりと試合が立て込んでおります。まず、5日、6日と余市で後志オープン。19日は苫小牧オープン。26日27日は苫小牧でアラキ杯。試合がないのは11日からの3連休だけですが、もちろん練習の予定はしっかりと入っております。北海道。中でも道北地方の寒さは特別といつもお伝えしておりますが、特に1月から2月の中旬までは厳しく、夜のプレハブ練習場は、ストーブの近くだけがかろうじてプラス気温で、離れた周囲の壁際では-10度を下回っております。気温低下は「放射冷却現象」が大きな要因の一つです。真冬に似合わないくらい気持良く晴れ渡った日の夜「放射冷却現象」が起ります。雪の夜も、道をしっかりと強く照らしているオレンジ色のナトリウム灯の灯りさえも、ぼうっと霞むほどの真っ白なガスが街を覆い尽くすような夜。酷寒大地は-20度、-30度のアラスカ並の極低温の街となるのです。この室温での「サーブ練習」は、手指が凍えて練習になりません。(もっともこの気温できっちり集中して練習できたら、曹洞宗の修行僧にでもなれそうですが)ですからそんな寒い日の練習は、少しでも暖を取れるように卓球台をストーブの前に移動して行うことにしていましたが、ストーブからの熱が届くお尻は暖かいのですが、顔や手は冷たくなってしまいます。今もこの季節になると三人の子供達が鼻水を流しながら練習をしていた事を思い出します。(わたくしはストーブの前に張り付いて熱燗を呑みながら指導したりしていましたから、厳冬もそれなりに楽しめましたが…すみません)また札幌の体育館は利用料金も半日で390円とまぁまぁの利用料金となっているので運動に適した暖かさを確保しておりますが、田舎の体育館だとプラス気温とはいえ「5度」程度までにしか暖房を入れない体育館も多くあります。しかし5度では冷蔵室の温度ですので、運動に適さない気温で運動をして心筋梗塞などで突然お亡くなりになったとしても…腐る事はなく高級和牛のようにじっくりと熟成されてしまう事になってしまいます。10度以下では選手が故障しかねない気温ですから、札幌並みに利用料を上げても“体育館”なのですから「スポーツに適した温度」に設定して欲しいものです。聞いたところによりますと、地方にはこんな体育館もあったそうです。利用者が「寒くて卓球が出来ないので、もう少し暖かくなりませんか」と、お願いすると…事務員さんが「予算の関係でこれ以上暖房は入れられないし、卓球をして動けば暖かくなるでしょう?」などと、25度もある事務室の中からおっしゃったそうです。本当にホラー映画よりも恐ろしい言葉だと思います。わたくしは、冬に地元の体育館を利用することはありませんので、酷寒大地周辺の現在の状況は分らないのですが、本当なら酷い話ですね。しかし、我が街は“健康・スポーツの都市宣言”をしておりますので、こんな酷い話はないと思いますし、厳冬期こそスポーツに適した室内気温で運営されていることを信じております。まさか子供は風の子なんて言って「冬は室内で卓球なんてやめて、外でスキーやスケートをするべき!そうだ雪合戦もあるじゃないか!」なんてアホな話をするような“関係者”は、ミジンコほどもいないはずです。
February 2, 2011
今朝は早く起きて拓蒼の弁当を作りました。若い頃ですが飲食店でのアルバイト経験が豊富ですので、皆様が思うよりはずっと上手く料理をする事が出来るのです。昨日発表したメニューのとおりには出来ませんでしたが、鶏唐揚げ、ウインナー、卵焼き、焼売におにぎりとまぁまぁの出来映えでした。思い出しますと…最初の飲食店でのアルバイトは焼鳥屋さんでした。ススキノすずらんビル7階「鳥亭」時代の流れで今はもう閉店しておりますが、当時は7階ワンフロアーの全部を使用するほどの大繁盛店でした。わたくしは皿洗いとホールを担当しておりましたが、金曜日と土曜日の6時から10時くらいまでは従業員同士で話も出来ないほどの盛況ぶりでした。バイトは大学生が中心でしたが高校生も数人おりました。バイトの総人数が10以上はおりましたから中にはアホもおりまして、そのおかげでいつも楽しくバイトをする事が出来ました。新人の頃のわたくしが一緒に働くことが多かったのは、今は校名が変わっておりますが当時の「S商」の高校生2人組。この2人はスポーツ奨学生でして、学力ではなく体力で高校入試を突破しておりましたから著しく漢字が苦手でした。彼らがその実力をわたくし達に見せつけたのは、大学生のバイトが夏休み明けで実家から帰ってきた時に持って来たお土産の最中を開店前に配った時の事でした。S商1「あれこれ美味しいんだよね~この“もちゅう”」はい、ここまでなら漫才でも聞いたことのあるネタみたいですが、ここからが本番でした。S商2「あほかぁ~だから剣道部はバカばっかしって言われるんだよ“もちゅう”じゃねぇよ“さいちゅう”だよ!」…誓ってネタや嘘ではございません。この2人のやりとりを見ていたわたくし達は息が出来ないほど泣きながら笑ったことは今でも覚えております。その後風の噂で聞きましたが、高校生にしてすでに2段を取得していた2人は現在立派な警察官として職務についておられるそうです。最初に随分と酷いことを言いましたが、彼ら2人にはそんな笑い話も多くありますが、仕事は真面目な上に人付き合いと上下関係もきちっとしておりましたから、バイト先でも人気の2人組であったので、よく社員の方々にご飯をご馳走してもらったりしていました。また、1ヶ月で首になった口のききかたも知らないような頭でっかちのバイトよりは、社会に出てからちゃんと出来るだろうと皆で話しましたが、立派に日本の治安を守っていると聞いて嬉しかった事を思い出します。でも一緒に仕事をするなら、やはり人柄の良い人と仕事をする方がストレスも溜まらないので精神衛生上喜ばしい事だと思います。そう考えるとわたくしは恵まれてますねぇ~
February 1, 2011
全18件 (18件中 1-18件目)
1