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廊下に何か懐かしいような良い香りが・・と思ったら、今日の我が家は新鮮な柚子を入れた柚子風呂だそうな。昔懐かしい香りと柔らかな湯あたりを想像するだけで、気持ちがリラックスしてくる。 アロマテラピーがブームになって久しい。この私もそのブームに乗った一人でもある。高価な精油を買いそろえ、体調に合わせて、リラックスしたい今日はネロリとローズ、筋肉痛だからマジョラムなどとひとしきりやってみた。バス・ソルトを自作して入れてみたり、自分だけのブレンド・マッサージ・オイルを作ったり。その効果は目を見張るものがあるが、いつしか面倒になってやらなくなってしまった。 思うに、日本人の嗅覚に西洋の精油の香りは強いのかもしれない。どんなに薄くしても、時によっては効果があるとされる香りを受け付けないこともあった。やっぱり、日本人には日本人に合った、お風呂の愉しみ方があるのかもしれない。 今日のお風呂はとても楽しみ。ヴァイオリンのレッスンもしたし、なかなか充実した一日の最後を締めくくるのに、相応しい。いつもは烏の行水だが、今日はお気に入りの本を持ち込んで、時には優雅なバス・タイムと洒落こもうか。
2001年11月29日
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今巷を騒がす悪質電話。携帯にワンギリでかけてくるという、アレである。私の勤務する会社では昨日全社的に注意を呼びかけたし、また1週間ほど前に、ムシカの友人も団員にその情報も流してくれいてた。おかげ被害は今のところ免れていそうではあるが、私の周囲に数人、注意されている電話番号からかかってきていたという人もいた。全く油断ならないったらありゃしない。 私も2週間ほど前の週末、携帯電話に不審電話が入っていた。元々好奇心旺盛である私は、着信があったらかけ直さずにはいられない。「もしかしたら、昔好きだった人からかも」なあんって思ってしまう不純な動機だったりするのだが。そういうときに限って、「出会い系サイトでこの番号見たんだけど、遊ばない?」と、お門違いもいいところの内容だったりして、怒り心頭の私は「それは全くの間違いですっ!」と吐き捨てて電話を切ってしまったりする。でもその2週間前のときだけは、何故か「コールバックしてはいけない」と強く強く思った。携帯電話を握りしめ、しばらく立ちつくし、妹と友人に怪しまれる始末(それは丁度富士急ハイランドで遊んでいたときでした)。かけ直すことを踏みとどまった記憶がまだ新しいが、今思えば、もしかしてその番号は、かけ直してはいけない禁断の番号だったのかもしれない。 かろうじて数十万円の請求をの逃れた(?)と思いこむ私、それだけでラッキー♪ルンルン♪だったりして、単純この上ないと自覚するのでありました。
2001年11月28日
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3連休の初日の夜、家でヴァイオリンのレッスンをしていたとき、寒いなあと思いつつ、そのまま何も対策せずセーター一枚でいたところ、見事風邪ひきました。ちょっとした油断、やはり大敵のようです。風邪は「風の邪」です。寒気がしたらすぐ暖まらないと、風の邪が背中から入ってきます。 皆さんもご注意を。風邪は万病の素、ですから。
2001年11月27日
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我がムシカ・ハルモニカの常任指揮者の森口さんがタクトを取る演奏会があった。森口さんの正面は沢山見ているが、長くお世話になっているにもかかわらず、後ろ姿は全く見たことなかった。そこで御礼とご挨拶も兼ねて、演奏会に行って来た。 プログラムは、ヴェーバーの歌劇『魔弾の射手』序曲、ヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』より前奏曲と愛の死、そしてシューマンの交響曲第3番「ライン」。私の好きな曲ばかり並べたコテコテドイツものプログラム。それをどう森口さんが調理するのか(文字通りというか、ムシカでは「指揮者」のことを「Chef d’orchestre」としています)。 ヴァーグナーでの森口さんの棒は、きっちりと拍をとりつつも随所に現れる愛のテーマでは流れるように、また情念のうねりをを引き出すような指揮。弦楽器は人数が結構多かったのにもかかわらず芯が見えにくい。森口さんの表現と若干の齟齬を感じ、それが私にとって不完全燃焼気味に思えた。 とはいえ森口さんの背中を通して、一緒に弾いている自分を想像をしながら聴いてみると、遠く離れていても、森口さんがどこをどうしたいのか、わかる。ああ、ここはヴィオラを出したいのだな、このフレーズはもっと空間的広がりを持たせたいのだな、と。そう感じながら見ていると、舞台と客席の距離など、全くないように思えるから、不思議だ。 今回の演奏を見て、聴いて、オーケストラの演奏というのは、指揮者とのコラボレーションなのだということを、肌で感じた。楽譜にかじりついているだけ、または機械的に弾くだけ、それだけでは自動ピアノ演奏と何ら変わりはない。また指揮者の思うままににデュナーミクをつけ、フレージングをするだけでは、これまた全く面白くない。オーケストラは、自分たちの表現がある。自分たちで表現したいこと、やりたいことがまず主体である。指揮者はそこに味付けをする、それも巧妙かつ絶妙に。時にはまったく作り替えをするかもしれない。そういうときでもオーケストラは、指揮者の持つ音楽への理解を土台として、自分たちだけの表現をしようと努力をする。その作業を繰り返して行くことにより、音楽は生命を宿す。そんな気がしてならない。 今まで私は自分のやりたいことを、きちんと表現してきただろうか?森口さんの背中を見つめ、オーケストラと森口さんの距離感を感じながら、そう自問自答をし続けた一時間半だった。
2001年11月24日
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ここ一週間以内で読んだ本。塩野七生(こればかりですみません):ローマ人の物語2「ハンニバル戦記」、同3「勝者の混迷」三浦國雄:風水|中国人のトポス(平凡社ライブラリー)岡野玲子(夢枕獏原作):陰陽師第6巻から10巻NHK:プロジェクトX挑戦者たち第5・6巻なんだかテーマも統一されていませんね・・・。
2001年11月23日
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調べものをしたついでに、アマゾンのサイトでCDを物色していた。おお、色々ある!なんて喜んでいたが、私の大好きなヴァイオリニスト、ツィンマーマンのCD、最近買ってないから探してみよ!と意気込んでみたものの、ヒットしたものは、ごく僅か。 最近日本で冷遇されているのでは?という気もしていたが、この結果を目の当たりにした今、その思いは嘘ではなかったと確信した。 諦めきれず輸入盤でも探してみたが、国内盤よりは少しましかな、という程度。私が持っていないCDはパガニーニのカプリスだけだったので、それは購入することにしたが、どうも釈然としない。彼は、今演奏活動をしているのだろうか? フランク・ペーターの、その素晴らしい音色と知性に溢れ洗練された演奏スタイル。彼の弾くモーツァルトは、数ある中のベスト・アルバムと言って良いと思うが、プロコフィエフやイザイなどの難曲も軽々とこなし、それでいて「技巧」を感じさせない卓抜した技量と、どのような曲も「音楽」を聴き手に与えてくれる天性のセンスは、数少ない「王道」だと私は思っている。 勿論若手の中でもM.ヴェンゲーロフの「巧さ」はすさまじく素晴らしいと思うが、私はフランク・ペーターの温かさと知性が、好きだ。それなのに、それなのに、なぜ!!!! 彼はきっとCDという商業ベースに乗せられないタイプの音楽家なんだと思うようにしているが、でもほんの少しだけ、「あの人の良さそうな容貌」のせいなのかな、とも思っている。気弱ににも。
2001年11月20日
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私の本職は、一応名付けるなら私の会社の「Webマスター」である。こう書くと何やら恰好いいが、内実は「企画+デザイン+画像作成+原稿作成」をとりあえず一人でやっている何でも屋さんでもある。 それはさておき、私はデザイン学校で学んだ訳でもなく、おまけにHTMLをきちんと習ったこともない。今の会社にきて初めてHTMLなるものを知り、会社のウェブサイトのリニューアルを担当させられて、仕方なくウェブサイトの仕組みや画像の処理を書籍から勉強した。だから、随分慣れたといっても私は素人に毛が生えた程度の管理人+作成人なのである(いばるなって)。 数ヶ月前にようやく2度目の全面デザインリニューアルを果たしほっと一息ついたのも束の間。最近HTMLについて調べものをしていたら「正しいHTML」なるものがあることを知った。その情報源によると、個人ウェブサイトの浸透するにつれ多くなったオーサリング・ツールからコーディングされるHTMLは、文法的に間違いが多いとのこと。私だってオーサリング・ツールを使っている。しかも最近ヴァージョン・アップしたばかり。ぎょっとして、そこで紹介されている文法チェックのサイトでやってみた。そうしたら……軒並み赤点!であった。 NNもIEも優秀なブラウザ。多少の文法的な間違いがあったとしても(たとえばタグの閉じ忘れやブロック要素とインライン要素の構造違いなど)、ブラウザのほうでとりあえず整形してくれる。だから厳格なブラウザでは表示崩れを起こすところでも、この2大ブラウザはそれなりに見せてくれてしまうというのだ。 NNやIEできちんと表示されればいいんじゃないの、というご意見もありそうだが、広い世の中、これらのブラウザばかりではない。テキストブラウザもあるし、勿論音声読み上げブラウザもある。世間ではバリアフリーが徐々に考慮されてきているが、ウェブの世界も例外ではなかったのだ。 自分の勉強不足と認識の甘さを切に痛感した私は、正しいHTMLについて解説した本を早速入手。本来の負けず嫌い(何に負けるんだ?)も手伝ってか、今日から再勉強を始めた。 その本によると、今流行のテーブルを多用したデザイン、スタイルシートの間違った使い方など、本来読み手・受け手の環境に依存しているはずのHTMLが、読み手・受け手に作り手の恣意を押しつけるデザインや作りになっていることを思い知らされた。最近はこうした間違ったHTMLを糺す運動が起こっていることも初めて知ったのだが、それも幾多のサイトを見た私にとっては頷ける内容ばかりだった。 今の会社のサイトも、徐々にコーディングを直していくつもりだが、量が多いから完成はいつになるのか。でも正しいHTMLで作り直した、見る人にやさしいウェブ・サイトを一日も早く公開したいと思っている。
2001年11月19日
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昨日富士急ハイランドに行ってきた。目当てはもちろん、「FUJIYAMA」。97年度のギネスブックにも記録が載ったシロモノである。 想像を絶するとはこのこと。敷地内にあるハイランドリゾートホテル(12階建てだったと思う)よりも高いところまで一旦昇るだけで足が震えたし、その直後にやってくる最初の長く急な落下は自分の身体が浮くのがわかった。シートベルトとバーによって身体が固定されているにすぎない。その衝撃が冷めないうちにまた次の落下がある。最大時速は135km/hはダテではない。はっきりいって、これほどとは思わなかった。乗りながら「どうしてこんなもん、乗ってしまったのだろう」という考えがチラと頭をかすめはしたが、それ以上思考を進める余裕は余りなく、ただひたすら絶え間ない縦や横の衝撃に耐えるといった構図。とはいえ、悲鳴をあげることによりその衝撃を少しでも紛らわそうとは努力したけれど。カートから降り立ったときは、足が震えているのがわかった。一緒に行った友人と妹も同様だったという。 今思い返してみても、「モノスゴイ」の一言に尽きる。数年前だったら、もう1度乗れたかもしれないと思うと少し情けない気もするが、年齢制限54歳だから、まあいいか。それにしてもこの肩と首が痛いの、なんとかならないものか。
2001年11月18日
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【最近読んだor読んでいる本】塩野七生:ローマ人の物語1(すべての道はローマに通ず)、イタリアからの手紙、再び男たちへ我妻栄:民法1(一粒社)ヘミングウェイ:短編集(キリマンジャロの雪、他)岡野玲子(夢枕獏原作):陰陽師(1~5巻)最近また読書熱が上がってきたので、記録をつけてみようと思う。こうでもしないと自分でも把握できないところもある。
2001年11月15日
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私がこよなく愛する女子プロ・テニス・プレイヤー、ジュスティーヌ・エナン。本年のウィンブルドンで準優勝の後、ツアーの成績が今一つの感があったけれど、スペインで行われていたフェド・カップで優勝した。優勝といっても、このトーナメントは国別対抗。エナンの親友でもありライバルでもあるキム・クライシュテルズと共にシングルで大活躍し、見事ベルギーを優勝に導いた。 ウィンブルドン以降のツアーでは、試合の結果を毎日追いかけては溜息をつくことが多かった。同じベルギーのキム・クライシュテルズが好調であり、どうしてどうして????とファンである私としては悲しい日々だっただけに、今回の優勝はとても嬉しい。 プロのテニス選手は一年中世界を旅している。殆どの選手が1回戦・2回戦で消えていく厳しい世界。負けても負けても、それでも頂点を目指して戦いを続ける姿勢は、毎日のほほんと生きている私に、刺激を与えてくれる。 今度の大きな大会は、年明けのオーストラリア・オープン。それが終わったら、1月末に日本で東レの大会がある。エナンはグランド・スラム大会の一つであるオーストラリアは勿論のこと、東レにもエントリーしているとのこと。是非彼女のプレーを、この眼で確認したいものである。
2001年11月14日
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先週末、友人の家に遊びに行った。彼女は既に1歳9ヶ月の女児の母親である。1年数カ月ぶりに会った彼女は、もうすっかりお母さん。愛娘の世話をするその姿は、独身時代から彼女を知るものとしては、彼女の本来の優しさや女らしさが子供を生み育てるという作業とともに全身から香ってくるのに気付き、はっとすると共に、同性として眩しさを感じたりもした。 勿論、その娘さん(と書くとなんだか変なのでHちゃんとする)もとても愛らしい。前に会ったのはまだ本当の嬰児の時なので、立って歩く、しゃべるその姿に私はびっくり。声も女の子らしく、また母に甘える姿もまたとても可愛らしい。思わず「私もこんな子欲しい!」と思ったくらい。 一緒にお昼を摂り、ケーキも食べた数時間。私としてはHちゃんに馴染んだつもりでいた。ところが!今日友人から来たメールによると、私が帰った後、Hちゃんは私を「○○おじちゃん」と連呼していたらしい。 ………………あまりにもあまりな仕打ちというもの。私は、一応、オンナ。「おばちゃん」ならまだしも(これでもショックでかい)、「おじちゃん」とは。PCの画面を見つめたまま固まること数十秒。私のどこがいけなかったのだろうか?謎だ。再起不能状態のまま私を良く知る年来の友人(男性)にメールでこのことを告げたところ、「無垢な子供にはやっぱり正体がばれちゃうんだね」と、更に追い打ちをかける一言。 母親である友人が「おねえちゃんだよぉ」と教えても、「○○おじちゃん」とニヤニヤしながら言っているとのこと。もういい!私は諦めた。もともとニューハーフ系だと言われているのだから、今さら気にすまい。それより気になるのは、このこと。Hちゃんが何歳になるまで私は「「おじちゃん」と呼ばれるのだろうか?
2001年11月13日
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今日、虹を見た。それも二重の。途中で掠れることなく、色の変わり目がくっきりと判るほどの大きく美しく完璧な、虹。久しぶりだった。 車を走らせていくと、だんだんと根本に近づいているような気がしたので、どうせならその根本を見よう!ということになり、海岸沿いの道へ。海が目の前に広がると、虹が海の中から昇っているようなその始まりを見つけた。虹の近辺の水面は、きらきらと輝き、その周辺だけ明るい色彩の光を放つ。もうひとつの虹の始まりと共に、海と虹との余りに美しい共生。海面から立ち上がる虹。まるでそこからボッティチェルリが描くアフロディーテが誕生するような、神秘的な色合い、そして光。 同乗の会社の上司と、少しの間言葉もなく、車の中から凝っと空を見上げていた。 何か、いいこと、あるだろうか。とても幸せだったから。
2001年11月12日
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みたび塩野七生氏の作品の紹介。昨日購入した。権謀術数の代名詞とも言われるイタリアの思想家マキアヴェッリの著作から、そのエッセンスを抜粋した本である。ラ・ロシュフコー(フランス)の箴言集と似た感じであるが、ロシュフコーの箴言は、皮肉がそのエッセンスであるのに対し、マキアヴェッリは、自身の政治家(というよりは行政官)としてのキャリアから体感した、独自の「思想」の集積であるところに、決定的な差異がある。 塩野氏の前書きによると、反対派も多くいるとのことだけれど、私には一つひとつが頷けるものばかり。政治が基調でありながらも、現代の私たちにも有益な示唆ばかり。管理職の方だけでなく、色々な場所・団体でリーダーのポジションにおられる方にも十分参考になるに違いない。とはいえ、すべてマキアヴェッリの言うとおりにすることは、不可能。なぜなら、マキアヴェッリの理想の君主像は、あのチェーザレ・ボルジアなのだから。興味を持たれた方は、是非ご一読を薦めたい。
2001年11月09日
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妹が一年間の講師契約を終えた。まずはお疲れさまと言いたい。講師であるが故に、部活動の顧問も多くこなし、日曜日問わず出勤していたこの一年。必要な手話もある程度の通訳ができるまでに覚えた彼女の努力に、私は敬意を表したい。そして、心から誇りに思う。 きっと職場から様々なお花を頂いてくるだろうとは思ったが、帰り道、彼女のイメージに合うような、ちっちゃなアレンジメントを用意した。ピンクと紫を基調とし、小さめの草花で構成したその花籠は、とても可愛らしかった。これまで余り姉らしいことをしてこなかったけれど、これで喜んでくれるかな、と少しドキドキ。手書きのメッセージカードも添え、炬燵(!)の上に置いておいた。 あとで母に聞いたところ、とても喜んでいたとのこと。私もとても嬉しくなった。とても穏やかないい一日だったと思う。
2001年11月08日
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このタイトルで一ヶ月ほど前に日記を書いた。このときは東北在住の、私の親友であり弟(分)でもあるN君についてだが、今日のN君はまた別人。でもムシカの団員。 彼とはここ1週間ほど、ムシカの運営に関する仕事で絶大なるご協力をいただいている。彼は日本の最高学府出身だが、なかなか(というかかなり)ユニーク。頭の回転の速さもそうだが、メールの文面が面白い。これで理系なのか?と思うほど。その彼が、私の一昨日のHPを読んで、メールを書いてきてくれた。慰めもあるけれど、色々と彼個人の考えが書きつづってあり、私は引き入れられるように何度も読んだ。その内容、もしかしたら他の人が読んだら何の意味もないかもしれないけれど、そのときの私には、一筋の光のような気がしたのだ。 その文章によって、私は更に考えてしまったけれど、それは嫌な落ち込み方ではなく、新たな力になるようなポジティブな思考となって、私を助けてくれたように感じている。簡単だけれど、N君、ありがとう。もう私は元気です。
2001年11月07日
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もう長いこと普通の合成シャンプーを使っていない。合成シャンプーだけでなく、ボディソープもだ。合成のものは、怖くて使えない。ゴキブリの強靱な(しぶとい)生命力を奪うほどのものを、自分の身体に使うなんて、考えただけでも恐ろしい。だから、髪の毛や身体を洗うもの、勿論顔を洗うものは、納得がいくまで厳選している。とはいえ、本来ずぼらな私、手近に用意するのを忘れたときなどは、フツウの固形石けんでガシガシと頭を洗ってしまうことも、ままある。要は、合成洗浄剤を使わなければ、いいのだ(ああ、テキトー)。 こんな私の楽しみは、環境にも自分にも優しい製品を探すこと。無添加の純石けんから無添加ではないものの、サトウキビを原料とした界面活性剤を使った製品まで、色々調べては、試している。また化粧品も然り。海外から良質なエッセンシャル・オイルを取り寄せては、クリームやローションの自作もしてみた。 一時期は、海外ブランドの化粧品に填りまくり、ジプシーをしていた私だけに、今のシンプルな製品の良さが、本当にわかる。汚れとともに、疲れが解放される。有効成分を塗り混むのではなく、汚れを解放することにより自分の力を引き出す。そういう感触が私はたまらなく好きだ。
2001年11月04日
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最近私の中でブレイクしている作家塩野七生さんが、イタリアのフィレンツエ、ヴェネツィア、ローマを紹介した本日のTV番組にて語った言葉。「戦争は基本的に最悪最低の行為であるが、それでも一つだけ利点がある。それは人間の欲望をシンプル化することである。戦争がない今、人間の欲望は肥大化し、戦時中ではまずあり得なかった親殺しが横行するようになっている。それが平和の代償である」。 これを耳にして大きく頷いた。人間の根源的な欲望である衣食住が恒常的に満たされる環境になったとき、人間の欲望はとどまることを知らず、飽くなき追求を開始する。単調な毎日の生活から、刺激に満ちた何かを求めてしまう。親の殺人だけでなく我が子への虐待が社会問題となっている今、平和の代償は大きい。平和症候群と言うべきか。そして質の悪いことに、それが平和症候群であることに、ほぼ気が付かないのである。 私たちが自分の欲望をシンプルにすることから始めなければ、真の平和は訪れないのかもしれない。
2001年11月03日
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こう聞かれたら、どう答えますか? 私は、実は毎日楽しいのです。脳天気だと言われればそれまでですが、たとえ嫌なことがあっても、基本的にハッピー。ムシカの演奏会で色々考えすぎちゃって墓穴を掘っても、ハッピーなんです。 生きていれば、それが即経験の積み重ねになる。その日の出来事は全て私にとって必然であったわけで、それがなぜ起こったのかを考えてみると、実に納得せざるを得ないことが多いのです。ポジティヴ・シンキングとはちょっと違うかもしれない。起こったことをポジティヴに捉えることは勿論だけれど、生きていること、毎日食べるものがあること、毎日新しい経験があること、そして今日という日は二度とこないこと。こうやって考えていくと、私は幸せ!と思えてきます。皆さんは、どうですか?
2001年11月02日
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塩野氏の作品を続けて読んでいる。先週末演奏会の合間に、2冊読んだ。『ロードス島攻防記』と『レパントの海戦』である。前者は聖ヨハネ騎士団の物語、後者はヴェネツィアの物語。どちらも前に書いた『コンスタンティノープルの陥落』と同様、淡々と進められていくけど、少し違うのは、それぞれに恋物語が織り込まれている点。とはいえ、それがメイン・ストーリーではなく、話の主軸はあくまでも歴史的叙述であり、その伏線として恋の物語があるだけなのが、なんとも憎い。歴史の大きな流れの中には、それぞれの人間の恋の喜びや悲しみなど、その流れの中のごくごく僅かな支流であるのだ。またそれだけに消え行く運命である人間ができる限りの生を享受しようとしている姿に、せつなさと哀れみを覚える。
2001年11月01日
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