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ようやく演奏会も終わり、一息つきました。金曜日から展示会の説明員として出かけていたこともあり、都合3日ほど家をあけていましたが、私にとっては夢のような3日間でした。 演奏会。皆様の暖かいご声援のおかげで、無事終えることができました。演奏のほうは、それなりにうまくいったと思っています。4楽章の嵐の出だしは私のパートがまず主導権を握るのですが、それがなかなかうまくいかず、ステ・リハが終わってから舞台の袖で皆で何度も合わせたりするなどしました。そのせいか、本番はこれまでの中で一番まとまっていたと周りから言ってもらえて、私もうれしく思いました。自分の背中で後ろに伝える能力の無さをひしひしと感じていただけに、その後の嬉しさもひとしお。パートのみんなの努力の賜物です。一生懸命に合わせようとする気持ちやその雰囲気、演奏中ずっと感じていました。やってやれないことはない、また回りを信じることの大切さ、この思いを新たにしています。 演奏会には、楽天で知り合った方も来ていただきました。こちらの掲示板にも励ましの言葉をたくさんいただきました。皆様の友情に、私は本当に感謝しています。どうもありがとうございました。 次回演奏会は6月30日(日)。今回のベートーヴェンとはうって変わって、「刺激的なプログラム」(指揮者の森口さん談)。古典のモーツァルトを幕開けに、ストラヴィンスキー、アイヴズと続きます。次回も良い演奏をお届けできるよう団員全員で力をあわせていきます。皆様、どうぞご支援宜しくお願い申し上げます。
2001年10月30日
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明日の朝、早くに家を出て出張に向かう。一日展示会の製品説明員をこなしたあと、土曜日はムシカのG.P.、そして日曜日は、いよいよ本番である。翌朝家を出たら、演奏会が終わるまで家に帰らない。楽器ケースとガーメント・バッグを持って都内を移動するのも面倒だが、仕方ない。 演奏会を控えて、この半年長いようで短かった、という月並みな常套文句しか出てこない。私の発想力と語彙の貧困さが証明されてしまうが、それしか言いようがない。ここまでくる過程では、自分に腹を立てたり、うまくいかないことに情けなく思ったり、またアンサンブルすることにこの上ない喜びを感じたりと、様々な感情の渦と共存してきた。 小さい頃から舞台というものには何度も上がってきたが、本番が待ち遠しくて楽しみで仕方なく思うのは、今回が初めてかもしれない。それはベートーヴェンの交響曲第6番という、とてつもなく素晴らしい作品を舞台で演奏できる、そのこと自体に憧れていることもその理由の一つだが、ムシカ・ハルモニカでこの曲を演奏することはおそらく28日の一回だけであろうし、更にもし再演することがあっても、そのときは今回共に演奏する仲間達と、100%同じメンバーで演奏するということは、おそらくあり得ないことであるから。まさに『一期一会』である。 思いっきり集中しよう。瞬く間に行き過ぎてしまう、そして二度と演奏することのない小節を限りなく愛おしむことにしよう。
2001年10月25日
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先日塩野氏の『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』を読んだと書いたが、彼女の著作が気に入ったので、更に別なものを読んでみようと思い、題記の本を買ってきた。 西洋史、とくに古代からローマ帝国が滅亡するまでの間については、私はよくわかっていない。高校の西洋史の時間、「私は日本史で受験するから」などとほざいて殆ど授業を聴いていなかった報いというか。その時の世界史の先生は日本史を教わり、部活動でも顧問だった私の恩師なのだが、いくら恩師とはいえ、今考えるととても失礼だったと思う。 それはさておき、肝心のこの作品。キリスト今日を信奉する帝国の首都コンスタンティノープル(現インタンブール)が、回教のトルコ帝国に奪われるまでを描いているが、ローマ側、トルコ側の複数の人間の視点で淡々と描かれている。非常に解りやすい。ローマ帝国最後の皇帝の哀切や、弱冠二十歳にしてコンスタンティノープルを陥れたトルコのスルタンの力強さが、その簡潔な文章の中から伺える。 今世界はまたもや戦争という方向に向かいつつあるが、それぞれの土地にはそれぞれの歴史があり、それは今の様相と全く無関係ではないということを思い知らされる。 次は、この作品の続編と言われる『ロードス島戦記』を読もうと思う。十字軍を描いた作品だそうな。楽しみ楽しみ。
2001年10月24日
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私は、一種のホテル・ジャンキーである。一種、といったのは、ほんまもののホテル・ジャンキーと言えるほどの経験と資金がないから。とはいえ、機会がある度に色々なホテルに宿泊してきた。ビジネス・ホテルとシティ・ホテルのえり好みはせず、コスト・パフォーマンスが良いと思われるのが選択の基準。 いつからかはわからないが、一人でホテルに泊まることがとても好きになった。日常とは違う時間を過ごすことができるのが最大の理由かもしれない。誰からも邪魔されず、自分の好きなように時間を使える。それもゆったりと。それはそれは心地よい時間である。泊まる必要が出てきたら、徹底的にネットで調べる。良さそうなホテル、そして良さそうなプラン。時々「失敗した・・・」ということもあるけれど、それも経験の一つ。非常に歴史がある故にホテル自体が古く新しいもの好きの人にはお勧めできないけれど、フロントの対応が素晴らしいホテルに遭遇したりすると、感動したりする。 これまでで記憶に深いホテルはお台場のホテル日航。海側ということもあり、眺望も素晴らしく、部屋の広さやアメニティも申し分なかった。そのホテルのホスピタリティは、それぞれ個性がある。それを肌で感じるのも、また面白いものだ。 私の今の最大の憧れは、ホテル西洋銀座と京都の俵屋。フォーシーズンズホテルもパーク・ハイアットも捨てがたいが、やはり、華美に走らずそれでいて上品な内装と、質の高い本当のサービス。特に西洋銀座の前を通る度に、胸をときめかせている。私のこの片思い、いつ成就するのやら。はやく相手に見合う自分へと成長したいものだ。
2001年10月23日
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寒くなってきた。朝起きてからシャワーを浴び髪を洗う習慣の私にとって、部屋の冷えが気になる最近である。浴室から出てきた瞬間の空気の冷たさは、一瞬にして戦意を喪失させる。 今回気管支炎を患ったのを言い訳にして、一昨日から石油ヒータを使うようになった。使うといっても、朝起きてからシャワーをから出てくるまでのほんの十数分。部屋が暖まれば、すぐにスイッチを切るのは、当たり前。だって、まだ11月にならないうちから石油をがんがん使っては、何故か世間様に申し訳ないじゃない。 といっても、部屋に戻ってきたら雨のせいか、とても冷えている。これじゃ治りかけが悪くなっちゃう!とばかりにスイッチ・オン。吹き出し口から出てくる温風を直に受けると、まるで蓮の花の上にいるようでもある。 『北風と太陽』。分厚く着込んだ旅人のコートを脱がせたのは、これでもかこれでもかと執拗に吹き付ける冷たい北風ではなく、暖かく慈愛に満ちた太陽の日差しであった。
2001年10月22日
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この土・日は、ムシカの大詰め。金曜日も体調悪く休ませてもらって寝ていたが、回復も今ひとつで土曜日の昼には不安一杯で出かけた。土曜日の練習はちょっと弾くとはぁ~っと疲れて溜息をつき、の繰り返し。とはいえ、久しぶりに仲間達とちょっと飲んだら、なんだかハイになってきた。遠方のため、帰るのも面倒になり、急遽ホテルをとった。 その夜は部屋が寒くて参った。神経も高ぶっているらしく、また疲れもあり、なかなか寝付けない。で、途中で購入した、塩野七生の『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』を読み切る。読み切ったところで2時半。これは流石に寝なければと思い、無理矢理就寝。翌朝目覚めたのが10時半だが、体調も全くよくなく、チェックアウトを延ばしてもらった。で結局ホテルで16時まで眠っていた。そのおかげか、18時からの練習開始時には、なかなか元気。親友がくれた薬のせいもあるけれど、快調に練習も終えることができた。 私の体調報告のようになってしまった。肝心の演奏のほうは、なかなかまとまってきた。これは期待が持てそう、とちょっと安心した。
2001年10月21日
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私は何故かショート・ケーキが好きだ。勿論、アメリカンスタイルの濃厚なベイクド・チーズケーキも、ムースも好きだが、生クリームとスポンジだけのシンプルなショート・ケーキが一番美味しいと感じる。ショート・ケーキにこそ、作り手の技術とセンスが現れると思っているからかもしれない。 昨日、嬉しいことに妹がホールのバースデイケーキを買ってきてくれた。ショート・ケーキと同じ、生クリームとスポンジにフルーツがのっているもの。子供みたいだが、私にとって白い生クリームの丸いケーキは、憧れなのだ。丸いケーキなど買ってもらったことがなかったからだろう。 洒落でつけてくれた蝋燭(これは勿論一桁の数のみ)を吹き消したとき、テレビや映画の主人公にでもなったような気分になった。目の前の光景は、いつもと変わらない、現実なのだけれど。 今日は昨日食べ切ることが出来なかったケーキの残りをいただいた。今度妹の誕生日には、私がケーキを買ってこようと思いながら。
2001年10月19日
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今日は私の誕生日。一つ歳をとることに何の感慨もない自分がコワイ。 母が友人に言われたそうな。「今日はあなたが、お母さんになった日じゃない!」と。そうなのだ、私は一番目だから。そう考えると母と私の繋がり、これまでの数十年間を思うと母に感謝する気持ちになる。なんだか、あったかい、気持ち。 祖母に電話をしてみようかな、と思った。「今日はおばあちゃんがおばあちゃんになった日だね!」って。でもやめた。これはきっと嬉しくないに違いない・・・・・・から。そして私をとてもかわいがってくれたおじちゃんの告別式の日でもある。 秋は、私にとって、とても悲しく、そして彩りのある季節。あっという間に冬になる。
2001年10月18日
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ここ数日、日記の更新と皆様へのレスをしておりませんでした。というのも、風邪をこじらして気管支炎になってしまっていたから。おいでくださった皆様、すみませんでした。私が知らない間にアクセスカウンタも大台を突破。驚きと共に、喜びも感じています。 先週中頃から調子を崩し、日曜の練習も休みました。土日と一日寝ていたにもかかわらず、回復するどころか、悪化するばかり。月曜の夕方には耐え切れず会社を早退し、とうとう観念して病院に行きました。風邪は万病のもとと言いますが、それを実感しています。早いうちに無理せず治せばいいものを、まだ大丈夫、と思ううちに、悪化させるなんて、愚の骨頂。病院の診療代600円と薬代1500円をバカ高いと感じたのも、自分の体調管理の不十分さを実感した故でしょう。 昨日も一日寝ておりましたが、夜なってようやく起きだし、PCを起動。1000を突破していたことをうれしく思いながら、掲示板にご返事する気力もなく、そのままやすんでしまいました。今日からは行動開始。とはいえまだ多少世界がゆらゆらしております。 今週末は土・日と連続でムシカの練習。いよいよ大詰めです。早く治して、練習に臨みたいものです。
2001年10月17日
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楽器ケースのジッパーを開ける。ケースの蓋を上げる。楽器を取り出す。肩当てをセットする。弓を出す。弓の毛を張る。楽器を肩に乗せ、構える。そして、Aの音。楽器の調子がわかる。それからチューニング。 ばらばらだった弦の音が、少しずつ歩みよって、最後には心地よく、調和する音程になってくる。私を中心として世界が一つになるとき。 私の大好きな瞬間。楽器弾きの儀式だけれど、私だけの、儀式。
2001年10月13日
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生きること。簡単なようで難しい。一生懸命やらなければと思えば思うほど、蜘蛛の巣に絡め取られてゆく。 与えられた時間は一日24時間、これは誰も同じ。でもそれが5時間の人もいれば、35時間の人もいる。私は、どちらだろうか。 肩の力を抜いて、行こう。軽やかに。いつも笑顔で。
2001年10月12日
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と書くと皆様に再度ご心配をおかけしそうですが、体調を崩した訳ではありません。昨晩は心身ともに疲労に達したので、PCを立ち上げることもなく、やすんでしまいました。日記はお休み!と決めるとなにやら気楽になるのですが、それはそれで大切なこを忘れたような気になるものです。 という訳で、今こうして書いています。結局お休みにはなりませんでしたけれど・・・・。
2001年10月11日
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今日は関東一帯大雨。私の住んでいるところも、例外ではない。駅までの道のりだけでも、スカートから下はずぶ濡れで、革靴が大変なことになっている。 帰り道、最寄りの駅からバスに乗るのだが、乗ったところ、乗客は私一人。前の方に座ったせいもあるのか、突然運転手さんが話しかけてきた。「雨で電車が遅れたのか」に始まり、この車両は暖房と冷房一緒にしている、雨の日は皆ずぶ濡れで大変だ、などど気さくに話してくれた。 その運転手さんは、アナウンス・テープにすべての案内業務を任せているような運転手が主流となっている今、珍しいほど親切な運転手さんということで、前から知っていた。1週間に1度ほど当たることがあるが、朝なら「おはようございます」、夜なら「おやすみなさい」を欠かさない。ここに実名を挙げてお知らせしたいほどである。初めて乗ったときは、感動したものである。 そのような丁寧なアナウンスをすることが運転手の本分ではない、確実に安全運転をして事故を起こさなければそれでいい、という向きもあるかもしれない。けれど、この職業はタクシーと同じ、サービス業でもある。単に黙って安全運転をすることと、車内において、バスが止まるまで席を立たないように注意を促すこととは同列には、置けない。 人対人の仕事、職業。気持ちよく目的地に行ってもらおうとするその心意気は、必ず人に伝わるものである。降り際に「乾かないうちに降りますね、そこ工事してて滑り易いから、気を付けて下さいね。おやすみなさい」と声をかけてくれた運転手さん、本当にありがとう。雨に濡れて、仕事で疲れて帰ってきたけれど、バスを降りてから我が家までの道のりは、なぜか心が軽かったLYNNでした。
2001年10月10日
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日航機が群馬県の御巣鷹山峰に墜落した事故は、既に遠い記憶となっていた。が書店で見つけたこの本を読み終えた今、、それは永遠に終わることがない事故なのだと思う。 この本は、身元確認班長を務めた元警察幹部の手記で、身元確認が終了するまでの経過を綴ったものである。読み進めるうちに、涙が止まらなくなる。残された家族、基本的に加害者側である日航職員、気の遠くなるような検視・身元確認作業を夜を徹して限界まで行い続けた警察官、医師、歯科医師、看護婦たち。彼らの生き様が、この事故を通して語られる。 たった今読み終えたばかりの私には、これ以上語るべき言葉が見つからない。この書物が、単なる同情を誘う手記だと思ってはいけない。淡々としている事実の羅列が、色々なことを教えてくれる。それも、言葉にならないものを。(講談社α文庫:4-06-256515-3、定価680円)
2001年10月09日
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夏が過ぎてこおろぎの声が聞こえるな、と思ったのも、もう昔。気が付けば、虫の声も意識には入らなくなってきた。 早いものである。日当たりが悪いこともあるけれど、私の部屋では既にこたつの電源を入れて暖をとらないと肌寒い。今月は私がまた一つ歳をとる月でもある。昨年の今頃を思い起こしてみると、映画ではないが「思えば遠くに来たものだ」という感慨を得る。2年前の私と1年前の私は勿論違うが、昨年の私と今年の私では、更に違う。数日前の日記にも書いたように、「すべての時には時がある」、これを実感している。この半年、私と、私を取り巻く物事の全てが再配列されたように感じている。混沌とした状態が、少しずつ、正しい場所・有るべき位置に配置されてきているように思う。 きっと来年は、もっと遠くにいるのだろう。それを願う今日このごろである。
2001年10月08日
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普段、常識や社会のルールだけでなく、自分の考えにも縛られているわたしたち。自分の感性がどんどんと柔軟さを失う危機感を感じたことは、ないだろうか。 今日、その意味で私は自分の柔軟さが消えてしまったことに気づき、呆然とした。今オケでヴァイオリンを弾いており、演奏会向けて練習も積んでいるが、どうしても上手くいかない。技術的に云々という問題ではないということはわかっているのだが、何かが、しっくりとこない。自分でもその違和感を感じてはいたのだが、その理由がわからなかった。アンサンブルが悪いのか、それとも、と色々考えていた。でも、解決の糸口さえ見つからなかった。そして違和感の理由と解決策を求める余り、自分の考えをがんじがらめにしていた。 そのことに気づいたのは、今日の練習。地理的な状況故になかなか来られない練習に久しぶりに参加してくれた、私の妹分の一言。「あねの背中が深刻だった」。そうなのだ。私は一生懸命考えることにより、曲をどう感じて、どのようにそれを表現するか、これを忘れていたいのだ。彼女のご主人N君(一度ご紹介しましたね)にも「もっと大きく捉えてみたら」とアドバイスをもらったが、まさにその通りである。 数年前迄の私は弾くこと自体が楽しくてたまらなくて、演奏しているときなど、「ここはこう弾きたい、あそこはああいう風にしたい」と感じると、その感性の通りに弾いてきた。でもいつしか、それを失っていたようだ。私のパートは重要だから、しっかりやらなくちゃと思う気持ちが先走り、曲を自由に感じる感性やインスピレーションを縛っていたのだった。 残り数回、もっと自分の感性を解放しよう。演奏するときは、曲の流れに乗ることだけを考えよう。そうすれば、きっと新しい局面が見えてくるに違いない。 自分の頭で考えることはとても重要なことだけれど、自分の心をないがしろにしては、何もできない。眠っている感性を解き放ったときにこそ、見えてくるものは沢山ある。音楽だけでなく、仕事にも、勉強にも、それを活かしていこう。
2001年10月07日
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とは聖書の中の一節。私の大好きな一節である。この一節は、映画「ベルリン・天使の詩」の続編「時の翼にのって」の冒頭でも確か引用されていたと思う。 何事にも時がある。愛するとき、悲しむとき、人と出会うとき、別れるとき。勿論それだけには限らないが、悠久の時の流れにおいては、身の回りに起こる出来事を自分でコントロールしようという一種の悪あがきは全く意味をなさない。若いころは、それでも必死で悪あがきをしたものだが、それは若さの特権とも言えるのかもしれない。 すべての時には時がある-こう自分に宣言できるようになるためには、日々、どの瞬間を切りとっても、その時を慈しみ、愛おしみながら生きなければならないと思う。こうやってキーボードを打っている間にも、その時は過ぎていく。 私の時は、限りなくすべての時であり、永遠の時でもある。この一節を想うたび、そう感じる。
2001年10月06日
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今度中プロで演奏するM.レーガーのスコアに記載されている解説文の和訳が必要だというので、急ぎで訳している。私は英文科ではないので、きちんとした訳が出来るわけではない。ニュースや新聞ならいざしらず、きちんとした評論や論説文となると、構文や文法も可成り複雑になってくる。おまけにこの解説文は、元がドイツ語であり、それを英訳したものだから、その英語そのものも、ドイツ語チックで、とても解りづらい。一年ほど前、会社で原子力関係のレポートを大量に和訳したことがあったが、それは元々が東欧の原語で書かれたもので、その英訳→日本語というステップだった。その英語も酷かった。テクニカル・タームの続出にも参ったが、それよりも変な英語は、どうこねくりまわしても、理解できないのである。私の英語力では、ネイティヴが書く英文ぽくなくて非常に不自然、ということはわかるのだが、それがどう不自然であるのかは、勿論わからない・・・。 さてさて、10時位から開始して4時間、まだ5頁しか終わらない~!あと8頁半もある。あと6時間はかかる計算だ。安請負したことをとても後悔しているが、後の祭りとはこのこと。随分前に、バルトークかヒンデミットの解説を和訳して、それが間違っていたらしいと後で散々酷評された苦い思い出があるのだが、それを思い出している、今。 もう眠いぞ!夜更かしは美容の大敵!というわけでそろろ休みます。明日の昼迄には終わらせるよう、頑張ります・・・・。おやすみなさい・・・・・・。
2001年10月05日
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ムシカ・ハルモニカのコントラバスのエキストラさん用の譜面を製本している。エキストラさんを依頼したのが私なので、その流れ上、一人でやることになってしまった。初めは一人で製本するの?ウエッ!と思ったが、いや、これも今までチェロのエキストラさん分の製本を引き受けてくれていたBちゃんや、ヴァイオリンの分をやってくたMちゃんの気持ちが解るチャンス!と思い直し、製本を始めた。 ところが、・・・・・・・・・・・・まっすぐ貼っているつもりなのに、何故かはじっこが0.2ミリほどずれていたり、ぴったりと合わせた筈の紙に隙間がちょこっと空いたり・・・・そう、私は究極の不器用なのである。これはヴァイオリンを長らく弾いていようが、全く関係ない。不器用なのは不器用、なのだ。 思い余って、前述Bちゃんに電話をし、打ち合わせついでに「ねぇねぇ、製本ってどうやったら上手くいくの?」と訊いた。彼女は「そういう人っているんだよねぇ」と苦笑しつつ、懇切丁寧に教えてくれた。その通りにやってみると、今まで大変だと思っていた製本が、ラックラク!流石Bちゃん!先達はあらまほしきことかな、とかの吉田兼好法師も言っていた。 とはいえ、それは手間が大幅n省けてラックラク!になったということであり、0.2ミリずれないように貼る方法とか、ちょっとした隙間が生じないようにテープを貼る方法ではない、残念ながら。それは彼女のノウハウをもってしても、解消できないこと、つまり生来の几帳面さとかアバウトさとかがものを言う分野のようである。 やっぱり不器用は不器用、なのね。くすん。
2001年10月04日
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と書くと、私の古い友人からは、「またその話かぁ!」と嫌がられそうであるけれど、やっぱりこれを書かなくてはなるまい。ご存じですか?この映画。80年中頃の映画ですが、これは隠れた名作。とはいえ、ウィリアム・ハートがこれで主演男優オスカーを取ったので「隠れた」とは言い難いかもしれないけど。 原作はアルゼンチンのマヌエル・プイグ。原作の持つファンタジー的要素が上手く演出されつつも、しっかりとした現実の切なさと哀しさを描き切っており、またまたこれも涙涙で、映画館を出てから30分くらい泣き続けていたものだ。オープニングの音楽からして、泣ける。主人公モリーナの夢見がちで臆病で、でも真に愛する人を得てからの驚くばかりの芯の強さと、我が命と引き換えに真実の愛の世界へのダイヴする決意とがその音楽に凝縮されているよう。勿論、映画好きなロマンティストの一面も。 ゲイ映画として一部には知られているけれど、これは一時期流行した『アナザー・カントリー』や『モーリス』といった耽美系の作品とは、全く筋が違う!と『蜘蛛女のキス』ファンの名誉をかけて言いたい。人間対人間の愛の物語であり、真の勇気を教えてもくれる。一面的には悲しい結末であると言えるけれど、観終わったあとに、何か爽やかで、また甘やかな風が胸の中を吹き抜ける、そんな映画でもある。 映画史?的には、ウィリアム・ハートがこの作品を皮切りに、翌年もオスカー(主演男優賞)を獲得、またその翌年にも更にノミネート(『ブロード・キャストニュース』、これは逃しました)という偉業を達成もしているという、価値のある一本。どっぷり愛について考えたい方、どうぞご覧あれ。追)原作のマヌエル・プイグですが、『天使の恥部』という作品もかなり面白く、私の好きな文学作品の一つ。
2001年10月03日
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ベートーヴェンのネタが続き恐縮と思いつつ、ついでなので私の大好きな映画『不滅の恋』をご紹介したい。 彼の永遠の恋人は誰だったのかという謎解きを進めていく、ミステリーという面が強い映画。とはいえ、『アマデウス』のような鬼気迫るものではなく、彼の恋愛にスポットをあてているだけに、とても切ない(でも両者の共通のテーマは「愛と憎しみは表裏一体」だと私は解釈しているが)。 ベートーヴェンの音楽は、非常に厳格な部分もある半面、驚くほどの叙情性とロマンティシズムに溢れているものもある。同一人物からこうも相反する作品を生み出されるのはどういうわけなのかと、かねがね思っていたが、この映画を見て半ば納得することも多かった。 彼の一直線でありながらも屈折した愛情、そしてそれがやり場のないものに変わった時の激情、耳が不自由になっていく事への不安と恐れ、そこから来る性格の歪みによる孤独。音楽史上、ベートーヴェン=偏屈、というレッテルを貼られているきらいがあるが、この映画は彼の純粋な魂を、彼の純粋な音楽を通して教えてくれる。勿論フィクションであるけれど、楽聖と呼ばれるベートーヴェンの理解の一助となるには違いない。勿論、切ない恋に胸を焦がしている方にも、恋愛映画としても、お薦めしたい(私はその両方の観点から観たため、途中から涙が止まりませんでした)。
2001年10月02日
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我が父は、非常に厳格である。仕事柄そうなる傾向が強いのはわかるが、厳格なだけでなく、短気である。彼がニコニコしているのなど、産まれてからこのかた、数度しか見たことがないかもしれない。私たち姉妹は、彼の人相を評して「なまはげ」と読んでいる。そっくりだ。彼を懐柔するなど、不可能に近いと思っていた。最近まで。 ところが!彼の石の如き感情を、たちまちこんにゃくまではいかないまでも、おはぎ程度の固さ程度にする方法がみつかったのだ!名付けて「『お父様』攻撃」。 朝起きたら「お父様、おはようございます」、帰ってきたら「おかえりなさい、お父様」何かをとって来るよう頼まれたら「はい、お父様」、機嫌が悪そうなときに「お父様、どうかなさったの?」。それこそ初めの数日は、のけぞる位の効果があった。言われるたびに、への時になっていた唇が横一直線、うまくいえば逆への字くらいになったのだ。母も私もこれにはびっくりした。余りにも単純かつ安上がりすぎる!お父さんって、尊敬されたかったのね!(ちょっと違うような気もするが) だが、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。伝家の宝刀を抜きすぎて最近では全く効果がなくなってきている。効果が無いどころか、逆効果の場合さえある。しばららくこの方法はお休みさせて、また別なものを考えなくっちゃ。でも彼のことだから、2週間もすれば、また「お父様」の刺激が欲しくなるにちがいない。そのときをじっとまつ私である。
2001年10月01日
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