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言葉って生きているのだなと実感したのが、ここ数週間テレビで良く聞く「先遣隊」という言葉。PCに「せんけんたい」と入力してすぐ変換されるのだから、昔からある言葉なのだろう。 この言葉、最近までその存在を知らなかった。先遣隊と言わなくても、「第一次派遣隊」とか「先行隊」とか言えば簡単だし耳から聞いてもわかりやすいのに、どうして「先遣隊」という言葉になったのかという推測はおいておいて、これにより、おそらく殆どの国民の日常語彙になかった「先遣隊」が、突如日常語彙になった。不思議なものである。 他に例をあげれば、「マニフェスト」。一部省庁では使われていたようだが一般国民には耳慣れない言葉だった。総選挙で民主党が言いだして、これも一気に日常語彙に昇格。 時代時代にあった言葉が生まれて使われて、あるものは意味を変えて生き残り、あるものは廃れていく。「死語」という言葉もある。面白いものだとニュースを見るたびに実感するこのごろである。
2004年01月19日
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わたしは着物が好きだ。たぶん母の影響もあると思う。高校生になったころから、母と連れだっては地元の老舗呉服店に行くことがたびたびあった。絹という繊維が様々な表情を持って着物や帯として生まれ変わる事実は、私にとって非常に魅力的だった。 母は、機会があるごとに私に着物を着せてくれた。お正月にヴァイオリンに恩師宅に挨拶に行くというだけで、小紋を着せてくれたこともあった。 でも、自分で着られる訳じゃない。自分で着られたら、どんなに良いだろう。そういう思いが実ってか、NPO法人である日本和装の無料着付け教室の抽選に当選した。通い出して数ヶ月、約10回弱。いつか、あの着物を自分で着るんだと決意を抱きながら、家で復習を繰り返した。 あの着物とは。 もう7年くらい前になるだろうか。地元の着物店に他の用事があって、母と出かけた時。その着物をデザインしたデザイナーがたまたま京都から来店していた。彼は、私の顔を見るなり「着てもらいた着物がある」と奥に引っ込み、一枚の着物を出してきた。彼の作品の中から直接選んでもらった世界にたった一枚しかない訪問着。高価で、そして非常に美しくモダンな趣もありながらクラシックな、繊細な着物だ。母は、成人式のときに振り袖を買ってあげられなかったからと、母が華道を教えることによって得ていたわずかな蓄えの中から、随分無理をして買ってくれた。それが、その着物だ。 先週の日曜日は、オーケストラの友人の結婚式。あの着物を着ていく、またとないチャンスだ。前々日の深夜に実家に帰り、前日には母と二人で予行演習。母は多分ぐちゃぐちゃで人様の前で着られたものではないだろうと予想していたようだが、私が一通り着付けたところで、かなりきちんと着られていたことに驚いたようだ。私も母のお墨付きをもらって、安心して披露宴に臨むことができた。 その披露宴は、和やかでにぎやかな披露宴だった。お料理もしつらえが豪華。招待客も多く、幸せのおすそわけをいただきながら、とても素敵で楽しいひとときを過ごさせてもらった。友人の門出を祝うのに、自分も出来る限りの装いをしていくことは、相手への敬意にもつながると私は日頃から思っている。その日も、自分なりに、敬意を表することができたのなら、良いのだが。 今、家には着物と帯がそれぞれ数枚ずつある。これから都心への買い物やコンサートなどにも積極的に着物で行こうと考えている。せっかく習ったことをさび付かせないのも目的だけれど、日本の文化は大切にしたいという思いもある。
2004年01月15日
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この山本記者は、夫の中学からの古い友人だ。兵庫の中高一貫である超進学校出身であるけど、エリートくささが全くない、素敵な人である。 私が初めてお目にかかったのは、私達の結婚式。新郎側の受付をお願いしたのだが、そのとき山本さんは、結婚式が終わったらその足でオランダへ取材に行くとのことだった。見れば大荷物。こちらがお渡しした引き出物が邪魔でしょうから、後で送りますよと見送りの時に伝えたら、いいです、向こうまで持っていきます、と笑顔で爽やかにおっしゃられた。そのときに好感度急上昇。 夫に聞くところによると、時々NHKのニュースに出るそうだ。それは異国の地からのリポートだったり、スタジオからの解説だったり。うちの夫をも感化させた佐野元春の大ファンという噂も、納得できるような雰囲気もある彼が、TVではどんな仕事ぶりをなさるのか、興味津々だった。 そう思って数ヶ月の数日前。珍しく早く帰宅した(といっても2時過ぎ)夫とNHKのニュースを見ていた。そのニュースは、突如勃発した鳥インフルエンザとBSE問題で、吉野家社長と農林水産大臣が出演するので、夫も関係が深い。私が洗い物をしていたら、突然夫が「ああああ! 出てる!」と叫んだ。慌てて画面を除いたら、あの、素敵な、山本さんが鳥インフルエンザの解説をしているではないか。私はすぐさまVTRをセット。 記者というのは大変だ。その日の午前中あたりに発生した問題を、すぐさま勉強して調査して、夜にはニュースで解説せねばならない。山本さんは立派に、そして落ち着いて堂々と解説をしていた。感動だ。結婚式のときより、数倍大人に見える。素敵。思わず目がハートになりかけたが、ハっと我に返る。 「今度一緒に飲みましょう」と言い合って数ヶ月がすぎた。そのうち、山本さんと3人で、お酒をいただきたいものである。お仕事上の苦労話も沢山聞かせていただけそうだ。
2004年01月14日
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2003年と2004年は、おめでたいことが多いらしい。芸能人の皆さんもおめでたいニュースが多いけれど、私の身の回りでも多い。自分も2003年に結婚したクチだからじゃないが。以下、2003年と2004年に自分、もしくは夫が出席する結婚式 2003年6月:オーケストラで10年以上一緒に弾いてきた先輩(女性)が結婚 2003年6月:その一週間後に自分が結婚 2003年9月:オーケストラの仲間同士が結婚(夫婦で出席) 2003年12月:夫の職場の同期が結婚 2003年12月:上記同日に私の子どもの頃からのヴァイオリン仲間(女医さん)が結婚 2004年1月:オーケストラの後輩(これは私の子どもの頃からの友達のヴァイオリン弾き)が結婚(夫婦で出席) 2004年3月:主人の大学時代の同期が結婚 2004年3月:その一週間後に私の大学時代の親友が結婚とまあ、こんな感じ。かなりの数である。それだけ私たちの身の回りで幸せが多いということだ。イイことだと思う。私たちは出席しないが、オーケストラの友人が2月に結婚する。 1月の結婚式はもうすぐ。子どもの頃から知っている友達だけに、今からとても楽しみ。独身のときからそうだけど、友達の幸せになる姿を間近で見られるのは、本当にいいものだ。自分もほんのり、幸せな気分になる。幸せのお裾分けだ。 人を心から祝福することによって、自分もまた、祝福されているのだ。
2004年01月09日
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前作から三年。待って待って待ちこがれて、ちょっと忘れていたその存在。コーンウェルの検死官シリーズ。その最新刊が先月下旬、漸く出版された。嬉しいのなんの。発売予定日より一日早く上野の本屋で見つけて、即、購入。 読み始めてしばらく。「なんなのよーーー、こんなのありーーーーーーーー?!?!?!」と思わず叫んでしまった。以下ネタバレしないように注意はしますが…。 こんなことってあるんだろうか。話の展開が上手すぎるというか、これまでのあのケイ(主人公)の苦しみはイッタイ!!! いや、そうでないにしても、やはりケイは苦しいのだ、仕方ないのかも!!! とその衝撃度150%。私自身が混乱してしまって話がよく頭に入ってこないほどだ。読んでない方々には、さっぱり何の事やらわからないだろう、すみません。 ケイは、この作品から45歳にまで若返った。ま、これまでの話からすると少々拍子抜けというきらいもあるが、次作以降に望みをつなげるということかもしれない。それはそれで、ファンとしては嬉しいことでもある。 内容について一言。これまでの数々の出来事の多くは、この「黒蠅」で訳がわかるようにはなっていますが、色々と突き詰めて考えていくと、更に謎が深まります。ファンにとって、極めて悩ましい作品と言えるだろう。個人的には、「業火」でシリーズ終了してもよかったのかなあ、なんて思うけれど。だって、その後のケイが哀れすぎだから。ついでに言うと、この「黒蠅」では、ケイは更に哀れだ。マリーノに、「先生は落ちぶれちまったんだ!」と言わせているあたり、ファンの方々には想像つくだろう。 と、数週間前に読んだこの作品について書くうちに、また読みたくなってきた。お風呂に入りながら読もうかなっと。
2004年01月08日
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遅ればせながら、新年おめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。 今年のお正月は…風邪がテーマでした(涙)。主人の実家には30日に帰省したのですが、羽田空港にいるころから風邪気味だった主人の調子が悪くなり、実家に着く頃には、ほぼ無言。着いてからすぐ熱を計ったら、38度近くありました。すきやき(神戸牛美味しかった!)をいただいてから、すぐ主人は休んだのですが、明け方の4時には、38度9分まで熱が上がってしまい、熱のせいでよく眠れないようでもありました。 日頃の激務による疲れが出たのだろうとかわいそうに思い氷を換えるも、熱は上がるばかり。仕方なく義父に病院までつれてってもらうことにしました。大晦日ですから、ここは一つ、新米の嫁として点数を稼がねばならん!!とばかり、主人のことは義父にまかせて、義母のおせち作りの手伝いに精を出します。そうこうしているうちに義父と主人が戻ってきましたが、やはり流行のインフルエンザと診断されたとのこと。ご愁傷さまです。 その日は全く主人は使い物にならず(苦笑)、寝ておりました。私は両親やおせち作りの手伝いにきた義妹(既に嫁いでいます)とともに、おせちの重箱詰めに大忙し。義母は、毎年おせち料理を100種類近く作る人なので、詰めるのも大変。100種類といっても、義妹が言うところの「お弁当のようなもの」といえばそうですけれど、こんな沢山の種類のおかずを一日で作ってしまう義母は、やっぱり凄いなーと、感心することしきりでした。 私が初めて主人の実家に招待されたのは、昨年の1月2日でした。交際を始めて1ヶ月と少したった頃だったので、結婚する話も当然ありません。でも、ご実家のご両親は、関東からはるばる関西まで出かけていった私を温かく迎えて下さったものです。そのとき、義母が作った95種類のおせちにびっくり仰天したのが、昨日のことのよう。あれから、一年が過ぎるのですね。 今年のおせちは10種類増えて、105種類だったそうです。元日の朝には、主人の熱も37度前半に下がり(驚異の回復力!)、新家族の4人でお雑煮をいただくことができました。一人一人の名前を、祝い箸の袋に義母が書いてくれるのですが、自分の名前をそこに見たとき、ようやく主人の家の一員になったのだという、実感が湧いてきましたが、それと同時に、私の名前を書いてくれた両親への感謝の気持ちで胸がつまりました。 午後には近所に住んでいる義妹夫婦も来て、例のおせちを皆でいただきましたが、6人揃って、本当ににぎやかでした。主人は3日から急遽出勤せねばならなくなったので、元日の夜には実家をたたねばなりません。たった3日の滞在でしたが、とても良いお正月を過ごせて、幸先のよい一年のスタートでした。 しかし!!! 私は主人からうつってきたのでしょうか、こちらの家に着くなり寝込んでしまいました。ずっと床払いができずにおります。主人が家にいる間は、食事の支度はすべてやってくれたのですが、5日の本格的出勤が始まったらそうもいきません。朝ご飯が精一杯で、お弁当も作れず主人には申し訳ないのですが、「僕がうつした風邪だからいいよ…」と、今のところ勘弁してもらっています。 私のお弁当始めは、明日になりそうです。
2004年01月06日
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