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長いこと使ってきたデロンギのコンベクション・オーブンがとうとう壊れてしまいました。3回の引っ越しに耐えられなかったようです。ケーキやパン、焼き物料理などに活躍してきたのでとても残念。お値段も2万円と少しというコスト・パフォーマンスの高さから、再び同機を購入するのか、それとも主人が独身時代から使っていた電子レンジもお払い箱にして、オーブンレンジを思い切って購入するのかが悩みどころ。 我が家は電化製品を購入するときには、徹底的に調べます。今回も価格.comで評判と価格を調べ、電気やで実物をみて話を聞いて、最終的に出した結論は「ヘルシオ」。財布の紐が非常に固い(良く言うと堅実)主人は、はじめ手頃なデロンギを再び買うことを主張していましたが、私の機嫌が若干悪くなったのを敏感に感じたのでしょうか、あきらめてくれました。だって家にいて料理したりお菓子作ったりするのは、ワタシなんですよ。 幸い楽天のポイントがかなりたまっていました。年度末ということもあって楽天ではヘルシオの一番大きい機種もかなり値下がり。割とお安く買えました。わーん、嬉しい。 三つ星ビストロ(ナショナル)とヘルシーシェフ(日立)と迷いましたが、決め手はヘルシオが基本的にオーブンであるということ。他の高級オーブンレンジは、基本的にレンジなんですよね。マイクロ波で調理をすることに不信感があることから電子レンジが余り好きではない私は、やっぱりオーブンが好き。これからまた心を新たに料理作ります。
2008年04月02日
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この1年で引っ越し2回。山形から戻ってきたのが丁度1年前、東京の悪環境に耐えかねて引っ越ししたのが10月。おかげで家電類にガタが来ています。まず冷蔵庫の製氷器が壊れ、今度はデロンギの電気オーブン。人だけでなくモノもストレス受けるんでしょうか。 長女は2歳8ヶ月になり、ますますおしゃまに。言葉が遅い子なので余りよくおしゃべりできないけれど、歌が大好きで日中一人でごにょごにょとお歌を歌っています。お気に入りは「アイアイ」「ちょうちょ」「かえるのうた」「キラキラ星」「メリーさんのひつじ」、これに一昨日から「ぶんぶんぶん」が加わりました。音程が割と正確なので、一応何を歌っているのかわかります。 娘は父親が大好きなのですが、彼の仕事が多忙を極めているので毎朝数十分しか会えません。我が家で一番早起きな娘は目が覚めると同時に、真夜中に帰ってきてボロぞうきんのように眠っている父を「パパ、パパ」と言って無情にも起こしリビングへ強制連行します。パパは幸いなことにどんなに寝不足でも寝起きが良いので、仕方なく娘に起こされてしまう毎日です。休日でもそれは同じなので、休みの日には昼間夫が娘と遊ぶと同時に居眠りしている姿が散見されます。ああ、かわいそうに。そんな娘も最近お風呂はパパと入るのを嫌がっています。2歳8ヶ月にしてお風呂に一緒に入ってもらえないなんて、パパはなんのために日夜身を粉にして働いているのでしょうか。 我が家はこんな毎日です。夫婦の会話も殆どないので、心のどこかで、こうやって夫婦は崩壊していくのか…と感じているこのごろ。あぶない、あぶない(笑)。
2008年03月28日
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今月上旬、友人が亡くなった。まだ30歳代前半だった。山形に行ってからは、メールと年賀状のやりとりになっていたが、それでもいつも彼女のことは、心のどこかで気に掛けていた。なぜなら、数年前に皮膚ガンをわずらっていたからだ。 独身時代、机を並べて数年一緒の仕事をしたけれど、いつも明るかった。大きなほくろが悪性だとわかったとき、号泣していた姿が今でも忘れられない。それでも、外科手術で患部をとれば、もう大丈夫なの、と自分を励ますように言っていた。昨年の術後五年目の検診でリンパへの転移がわかり、療養するも肝臓に転移してしまったとか。同じ会社の友人から電話がかかってきて、亡くなった彼女の話を始めたとき、すぐわかった。私はもう、妹のように思っていた彼女と会うことは、叶わないのだと。 彼女の告別式の日は、雨だった。時折激しく降る雨が、彼女の死を信じられないでいた私を打つように感じた。今でも信じられない。眠っているようだったという彼女の顔を、私は、まだ見ていないのだし、今後も見ることができないのだから。 時折書き込みしてくれていた、こちらの掲示板のコメント。読むたびに、私はやはり、彼女に会うべきだったと強く強く後悔する。でも、きっとどこかで笑って見守ってくれているのだろう。改めて言いたい。ほんとうに、ありがとうね。
2007年06月18日
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本日、引っ越し完了しました。子連れでの引っ越し、疲れますね。 ヤマト運輸のらくらくパックにしたのですが、さすがヤマトさん、どうにか生活できるようにしてくれました。 新しい生活に早く慣れるといいのですが。本日は、これにて終了。 Y.Sさん、日記更新しましたよー。
2007年04月07日
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定番のヤマト運輸に決定。見積もり担当のおばちゃまが良い人だったので、つい即決。小さい子どもがいるので、お金がかかることを承知で、らくらくパックにした。コンテナで一週間後の搬入にしてもらったら、少しは安くなった。ダンナの身の回りの荷物だけ僕の引っ越し便で先送りも可能な上、それも金額の範囲内とのこと、さすがヤマト便は違う。 ヤマトと言えば、いろいろな商品を他社に先駆けて揃えてきた会社。それだけでなく、ドライバーの対応の良さなど、ソフト面でも同業他社と比較してもぬきんでているように思う。郵便局が民営化になり、ゆうパックとの競争もあるだろうけれど、なんとか頑張っていただきたいと、影ながら応援している。 引っ越しまであと1ヶ月と少し。いよいよカウントダウンが頭の中で鳴り響いてきた。
2007年02月19日
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年末に突発性発疹から快復したと思った娘(1歳6ヶ月)が、1月の半ばに今度はインフルエンザに罹患した。インフルエンザだと判明したのは、40度を超す高熱が2日半続いたあと解熱し、ふたたび咳・鼻水とともに38度を超える熱を出したとき。医者は新たにインフルエンザにかかったと診断したが、私たちは40度を出したときから既にインフルエンザにかかっていたのではとにらんでいる。とはいっても、新たに診断されたときには、医者の言うとおりだと思っていたので、娘に服用させるかどうかはともかく、一応タミフルを処方してもらうことにした。 上記したが、医者から帰ってきたときは、我々は娘はインフルエンザにかかったばかりと思っていたので、低年齢での副作用が出やすいことを懸念しつつ、迷った末にタミフルを一回飲ませてみることにした。薬嫌いの娘に苦労して飲ませたタミフル、効果はいかにと待つこと数時間。娘の様子が少しおかしくなってきた。熱が多少あって足下がふらついているのに、部屋中を小走りで歩きまわっている。歩くだけでなく、その場でぐるぐる回ってみたりしている。それだけならまだいいが、今度はかなりアヤシイ目つきをし出した。極端な上目遣いで、なんとなく悪魔みたいな感じというのか。普段みかけない位の躁状態と、この目つき。これは間違いなくタミフルの副作用だ。 私たちは怖くなって、タミフルはその一回きりだけにした。副作用によるものと思われる痛ましい事故もときおり報道されていたが、これほどだとは思わなかった。医者には、副作用について質問したが、そのときの回答は「報告・報道されているような副作用との因果関係は立証されていないし、医者サイドでは、ないものと思っている」ということであった。薬剤師にも尋ねたが、同じような回答。でも、能書きにはちゃんと、「異常行動、妄想が現れることがある」と書いてある。不思議な、そして釈然としない思いだ。 その後娘の副作用は、翌朝まで続いた。朝一番、やっぱりアヤシイ目つきをして、ぐるぐると小走りで駆け回ったという(夫が目撃)。結局その状態は、半日以上続いたのだ。たった一回の服用で。調べてみたところ、小さい子どもほど副作用が出やすいようだ。娘が誕生して以来、予防接種や投薬について、一通り調べて慎重に対処してきたことについて、自分は神経質だったかもしれないと思いつつあったこのごろだったが、この一件が起こり、やはり慎重になって悪いことはないと思いを新たにしたところである。
2007年02月05日
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自分の実家に明日から一週間ほど帰省する。娘が全快してよかった。とはいえ、ダンナの実家には帰れなかったのが申し訳なく、なんとなく気分も乗らない。私の両親、特に父は娘に会うのを心待ちにしているだろうから、親孝行できるのは嬉しいことであるが、義理の両親のことを思うと、後ろめたいような気になる。私たちが水戸の実家に帰ったからといって、とやかく言ったり思ったりすることはない両親なのだが、だからこそ、余計に申し訳なくなる。 実家で何をしようかと考えているが、いつも一週間の帰省中に地元の百貨店に数回繰り出す。この百貨店は最近リニューアルしたばかりで、そこだけ東京の一等地かと思うようなゴージャスな百貨店だ。お気に入りのカバン屋「ペレボルサ」も入店している(ここの女性の店長さんは、偶然私と一年違いの同じ誕生日)。そのほかお気に入りでは婦人服のセオリーやet vousにiCB、靴ではヨシノヤ、それになんと!丸善書店もある。帰省したときには、ここでいろいろ買い物をするのがストレス解消、というわけ。 今も丁度冬のセール時期だけど、今回はあまり買い物できない(涙)。年始の初売りセールのときに、快復してきた娘を夫に預けて地元の百貨店に一人でぷらぷらと出かけ、ラガーフェルドのコート(ダウンのキルティングデザインの個性的さ、首周りのレッキスの毛並みに脱帽)、ヨシノヤで靴を購入した。コートは、結婚して以来、これまでにちまちまと貯め込んだヘソクリでまかなうことにしたが、それでもしばらくファッション系のものは自粛の予定。残念だ。 今回は、買い物はさておき、娘を連れて祖母と食事に行ったり、冬の山形ではなかなかできないベビーカーでの散歩をして、運動不足を少しでも解消しようかと考えている。
2007年01月05日
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日本橋は木屋の福袋が地元の百貨店で出ていたので、元日にダンナに買いにいってもらった。ファッション系と違って、それほど爆発的な人気はないようだったので、まだ二個残っていたそうだ。5000円の福袋だけど、包丁とまな板が入っていたらいいなあと、ほんわりと想像していた。 中身は、想像(いや希望)どおり、三徳包丁1本と木曽ひのきの一枚まな板。それとキッチンバサミ、大根おろし器、鍋敷き、味噌こしなど。小物まですべて木屋のものかと思っていたら、そこまでは甘くはなくて、キッチンばさみ以下は木屋のものではなかった。木屋の小物は、小物とはいえ結構なお値段がするので、かなりがっかりしてしまったが、まな板と包丁だけでも15000円以上なので、それで納得するしかない。 まな板と包丁は引っ越し後におろすことにした。キッチンばさみについてだが、母が10月の私の誕生日に、木屋のキッチンばさみ(一番いいもの)をプレゼントしてくれたのでダブっているといえばダブっている。けど、まあ、木屋のハサミを使いたくないものに使用するセカンドばさみとして使ってみようか。味噌こしとやらは、いつも買い物に行った時に便利そうだな、と横目でみているけれど、実際になかなか買うまでには至らなかった。ダンナが初めに使ったとき、「味噌こしって便利だね!」と目を輝かせながら報告してくれたので(そう、うちのダンナは料理がなかなかの腕前です)、私もワクワクしながら使ってみたら、便利なことこのうえない! こんなに便利ならもっと早く買えばよかった。特にうちの味噌は自家製なので、つぶれきっていない大豆の粒も結構ある。味噌こしがあれば、そういう粒もつぶせて都合がよいのだ。 昨年買った福袋は、ビレロイ&ボッホのプレートセット、一昨年は深川製磁のものだった。これも上品で使い勝手のよい内容だった。キッチン系の福袋は、なかなかお得。来年はどこのを買おうかな。鬼が笑ってるかも。
2007年01月04日
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それにしても、前にこの日記を更新してからどれくらいの月日が経つのだろうか? 前の日付を見るのも怖い。私の日記など、それほどアクセスしてくれていないだろうから…などと考えて、ついつい日々の忙しさにかまけてしまっていたところ、ある先輩から「ブログ読んでます」と年賀状をいただき、びっくり。「これは更新せねば!」と思い立ったところである。 年末年始は、ダンナの実家(兵庫の宝塚)に帰省する予定だったが、帰省直前になり娘が高熱を発し、お流れに。義理の両親は、それこそ非常な落胆ぶりを電話口で示してくれて、本当に本当に申し訳ない気持ちになったが、高熱の娘は連れてはいけない。1ヶ月前に山形で会ったばかりだから、と落ち込む義母の声を聞きながら自分に言い聞かせたが、たった1ヶ月でも娘の祖父母にとっては、待ち遠しい時間だったのだろう。健康管理の甘さを痛感。 幸い娘の高熱も大晦日には下がり、突発性発疹だったと判明した。熱が下がっても体力も落ちているし、発疹がどうやらかゆいらしくて、娘の機嫌は引き続き最悪。熱をだしてから夜も昼も30分おきくらいに母乳を求めてすがりついてくる娘を見ていると、切なくなるが、これも試練。今日ははだいたい以前の様子に戻って、外に遊びに行きたいそぶりを見せたので、ダンナと午後少しだけ外に出して、道の端に残った雪で遊んだ。「ん!」「ん!」と雪や鳥をみて指さし喜ぶ姿を見て、治ってよかった…としみじみ。 あと三ヶ月でこちらの生活も終わってしまう。また首都圏に転勤になると思われるので、残りの山形生活を娘とともに楽しみたいものだ。 今年もどうぞ宜しくご指導お願いいたします。
2007年01月03日
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先週の木曜日、貴重な梅雨の晴れ間に布団を干そうと思い、ベランダの手すりに胸をぶつけた。その瞬間、ゴリっといやな音がした。かなり痛かったが、その後なんとか持ち直して病院に行ったところ、特に骨折もしていないと言われ、一安心。 しかし昨日より痛みが強くなってきたので別な病院に行ってみたら、やはり胸骨を骨折していたことが判明。骨折といっての、ぶつけた部分がけずれて(えぐれて)いるようだ。痛みが無くなるまで1ヶ月くらい、全治は3ヶ月弱らしい。幸い娘はハイハイでどこでもついてきてくれるので、なんとか育児ができなくもない。それにしても、よく怪我をする私は一体何者なんだろうか。
2006年07月24日
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娘へのお誕生祝に積み木を購入すべく、数ヶ月前からリサーチ開始。悩んだ末に購入したのは、童具館のWAKUブロックで、4.5cmサイズのもの。フレーベル積み木も捨てがたかったけれど、クリエイターである和久先生の著作もかなり勉強になったので、童具館ので揃えることにした。とりあえず今回は一番基本のものを1箱だけ購入。立方体と直方体が32個づつセットになっている。今後イベントごとに買い足して行く予定である。 この積み木の特徴は、面取りがしていないことと、精度の高さ。実際手に取ってみると一個一個の重さがずっしりとある。小さな子どもの手には、3cmサイズより大きいほうが遊び易いとのこと、なるほどこれなら小さい子どもが高く積みあげても崩れにくいかもしれない。そして精度には、私も驚くほど高い。一つ積んでみると、表面同士が、ぴたっと吸い付く。ほんとうに、吸い付くという表現がぴったりなのだ。面白くなった私は、立方体と直方体を交えて自分の身長近くまで積み上げてみたが、不器用な私でも楽々積めた。精度の悪いものだったら、こうはいかないだろう。 娘が一歳を迎えるにあたり、これからどのような育て方をすればよいのか、何に重点を置いて育てればよいのか、ずいぶん考えた。勉強重視で小学校からお受験でもさせるべきなのか、それとも音楽の英才教育に心血を注ぐべきなのか、それとも放任で何もさせないで本人のやりたいようにさせるべきなのか、それともいわゆる「お勉強」ではない、広い大きな創造性を伸ばすために適切な環境を整えるべきなのか。 俗っぽいが、親は親なりに、いろいろな妄想を一度は抱く。もしかしたらうちの娘はとても優秀で、小学校も名門小学校に入れるかもしれないし、そのまま順調にお勉強ができるようになって東大を優秀な成績で卒業して、末は博士か大臣か(相当時代錯誤)。いや、音楽の才能に優れていて、天才ヴァイオリニストになり海外を飛び回るようになってしまうかも、などなど。しかし我に返ると、そこには娘の純真な笑顔が。 そこでこう思う訳である。なんでも一生懸命に取り組むことができて、いつもフレッシュな感性を持つ娘であってほしい。毎日を全力で楽しく賢明に生きられる、そういうひらめきと想像力がある娘であってほしい。 そうやって考えていくと、一歳になる娘にはシンプルかつ質の高い積み木と絵本を十分に与えて、私や夫が一緒に積み木で遊んであげて、絵本を毎日読み聞かせてあげる、そういう環境が今のところベストなのかもしれない、という結論に落ち着く。早期才能教育もいらないし、ましてや英語教育もしない(日本語がまず先)。積み木遊びで忍耐力と創造性を養い、絵本の世界で自由なイマジネーションをふくらませてほしい。 乳児を卒業して(卒乳はまだまだ先になりそうだが)幼児になったいま、親が娘にしてやれること、してやらねばならないこと、これらはより吟味しなければならないと実感している。現実には、とても難しいことだと思いつつも。
2006年07月19日
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娘がはじめてのお誕生日を迎えた。お誕生日ケーキと近くの美味しいパン屋でサンドイッチセットを頼んでおいたこともあり、朝からなんとなく気分がせわしい。特別な一日が始まった、そんな感じだった。当たり前だが、本人は至って普通。いつもどおりに朝一番に起きて騒ぎだし、いつもどおりに家の中をハイハイし、散らかし放題。浮き足立っているのは親だけのようだ。 夫は娘の特別な日を写真に収めるべく、めずらしく朝からカメラを手放さない。パジャマから着替える前の娘、ケーキを前に座る娘、絵本を手にしている娘、昼寝している娘、お風呂上がりの寝る前の娘。よっぽど嬉しいのだろうか。娘がもうすぐ生まれるというとき、外で突如鳴き出した鶯の美しくも愛らしい声に、主治医、助産士ほかその場に居合わせた全員が聞き惚れ、思わずお産が佳境に入っていることを忘れてしまう場面があったが、ケーキを取りに行った際、やはり鶯のさえずりがきこえてきた。ケーキ店はお産した病院の裏手にあるのだが、もしかしたら同じ鶯かもしれない。鶯に縁がある娘なのだ。 娘が一歳になったということは、私たちも親になって一歳ということだ。私たちのような不甲斐ない親を選んで生まれてきてくれた娘に、感謝。あなたのおかげで、お父さんとお母さんは、とても豊かな時間を送っていますよ。
2006年07月17日
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山形の秘湯、肘折温泉に3人で行って来た。宿泊した旅館は非常に古いうえ、掃除も行き届いておらず、おまけに部屋全体が黴くさく閉口したが、それでも肘折温泉街に漂うノスタルジックな趣とお湯の良さで、心地よい時間を過ごせた。 肘折の湯は鉄分が豊富。鉄っぽいお湯が大好きな私としては、こたえられない。夕方には浴衣姿で外まで出かけ、おやつなどを購入。下駄をカラコロならしながらブラブラ歩く時間は、日常であって日常でないような、不思議な時間だった。今度はいつ出かけようか、考え中である。
2006年07月16日
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私が活字好き、本好きなせいか、娘にも本好きになってもらいたいと生まれる前から考えていた。そこで、赤ちゃんでも絵本はわかると考え、四ヶ月になった時点からメルヘンハウスのブッククラブに登録し、毎月二冊を送ってもらうようにした。それだけでなく、適宜書店などで私が良いと思う絵本を購入。毎日数冊から始まり、多いと10冊ほど読み聞かせる日々が、今まで続いている。今年度からは、絵本ナビの絵本クラブで毎月購入している。 読み聞かせを始めたときから、じっと絵をみつめ、時には笑みを浮かべて聞き入っていた。8ヶ月に入った頃からだろうか、よりいっそう集中するようになり、それとともに反応も大きくなる。これは!と毎日楽しくよみきかせをしてきたが、最近は、どうもいけない。本をかじる、なめるのは今に始まったことではないが、ページをめくるのが上達してきたせいか、すぐめくる、逆にめくる、そして本棚から一冊一冊取り出しては畳の上にばらまき、カバーがあるものはことごとくカバーをはずしてばらまく。それなりのまとまった量になってきているので、彼女も真剣につかまり立ちをしながら本を取りだして、ポイ。また、ポイ。三冊まとめて取り出して、ポイ。足下には投げた本が山積みになっているから、ときどきその本で足を滑らして頭をゴッチンしているときもある。片付けても片付けても本棚にハイハイしていき、ばらまく。あああ。毎日なんど片付けをしているのだろうか。ばらまくのは、毎度のご飯だけにしてほしい。 こんなに絵本をばらまくのは本自体が好きな証拠、と思い直すこと幾たびか。今日はほるぷのこども図書館を扱っている店で「おててぱちぱち」という素朴な絵本を購入。早速家で読み聞かせたところ、楽しそうに見ていたが、3回目には、いつものとおり手を出してきてめくるめくる。きっと、頭に入ると飽きちゃうんだろうな。手持ちの本は何度も読んでいて新鮮みが薄れいるのは、確か。それでも、名作は何度読んでも新たな発見があるはずなのだが。。。。 今月分は、あと数日で到着の予定。親の私がワクワクして待っているのも、チョット変かも。
2006年07月14日
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先週から高熱を発し寝込んだ夫。40度近い熱が、まる三日出たり下がったり。尋常でない量の寝汗も発熱とともに続いたので、「このまま行っては死んでしまう」と思い、病院に連絡して抗生物質の点滴を三日間受けてもらった。幸い、点滴二日目の夕方には熱がぐっとさがり、一安心。 乳児をかかえての看病、さすがにぐったりした。夜には目覚ましを数時間後とにかけて夫の様子を見に行き(うつるといけないので別室に隔離)、その間娘もなんどか起きるので、その相手をすると、自分はいつ眠ったのかよく分からない状態が続き、「もう勘弁してくれ~!!!」という状態に。治ってよかったけれど、自宅介護は大変であると実感。夫よ、もう高熱を出さないでください。。。。(結局扁桃腺炎でした)
2006年07月10日
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7月1日、一年半ぶりに私は舞台で自分が失っていた「何か」を取り戻した。娘を身ごもってから今日まで、演奏会には出演はおろか、じっくりヴァイオリンを稽古する時間も気力もなかった。でもとうとう、昔からの仲間たちと一緒に舞台にのれた。嬉しい。 今日の演奏会は、秋葉原の教会で弦楽合奏。水戸の恩師を慕って集まった門下生を中心にするものだから、あまり余計な言葉はいらないかもしれない。二年前から指揮者なしでチャレンジしているのも、子どもの頃に培われた共通の言語のようなものが存在するからできることなのかもしれない。年のころは50歳代から18歳までが集まっているが、年代差を感じさせない雰囲気が私には嬉しく、心地よい。モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」はノン・ヴィブラートで、純粋な響きを追求し、次のバッハはごく少人数で、最後のドヴォルジャークのセレナーデは雄大に、朗々と。一歳になろうとしている娘が見ている前で演奏できるなんて、幸せなことだ。 来年は東京に戻る予定だから、練習もたくさん出られるはず。いまから来年の演奏会が心待ちでたまらない。
2006年07月01日
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ベビーシートがなんとなく窮屈そうになってきたので、チャイルドシートに替えました。レカロとレーマーでさんざん迷いましたが、実物を見て娘の座り具合をチェックした結果、レーマーにしました。ベビーシートは同じくレーマーのベビーセーフプラスを使用していたので、かえって新しいものになじむ手間もなく、娘も前向きになり非常に快適そうです。 購入した機種はレーマーのチャイルドシートの中でも最上位機種のキングTSプラスというもの。従って若干高価ですが、コストに見合った安全性と機能(決して複雑ではないのですが)が素晴らしいと思いました。レーマーはドイツのメーカーらしく、さすがに質実剛健。安全性ピカ一を謳うだけに、ベビーシート時代でも、大人がぐらつくような、ちょっとした衝撃に対して、ベビーシートの中にいた娘はびくともしなかった揺れなかった経験があります。車でのお出かけが多い我が家では、安全なチャイルドシートは必需品。今後もレーマーとともに、娘と楽しくお出かけしたいですね。
2006年05月21日
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N響は日本で一番のオーケストラだとずっと思っていた。ずっと。でも最近、なんかオカシイ。その最近とは、あの音楽監督が就任してからだ。 名演奏家が名指揮者になれるとも限らない(名選手が名監督になれるとも限らないのと一緒か)。だが、名演奏家が名指揮者になることもある。アシュケナージの場合、完全に前者だと私は思っている。はじめて彼がN響を振っているのをテレビで見たとき、衝撃だった。「なんじゃ、この指揮は!!!!!!!!!!(いくつエクスクラメーション・マークを重ねても足りないくらい)」ピアニストだから、棒の振り方自体が下手なのは大目に見るとしても、あの「グー」はなんなんだ。「グー」がすべてをぶちこわしているのか????? 「グー」のせいで、音楽が弛緩しているのか???? N響の出す音はどこかちぐはぐで、自分たちがどこへ行こうとしているのか、どこへ行けばわからないわからない、迷える子どものような音。一体どうしてしまったのだろうか。プライドの抜け殻だけが響いてくるような。このN響の体たらくは、アシュケナージに起因していることは明らかだ。招待指揮者のときは、引き締まったそこそこ良い演奏をしているのだから。この音楽監督の棒から音楽のかけらも感じられないのは、私だけだろうか???? アシュケナージは、はっきり言って(いや、はっきいり言わなくても)指揮者はやめたほうがいいと思う。人柄はだいぶ良いお方のようだが、人柄だけでは音楽はできない。せいぜい、モーツァルトのピアノ協奏曲を弾き振りする程度におさめておいたら、よかったのに。もう今更かもしれないが。それにしても、N響もN響だ。指揮者があれだからといって、弛緩した演奏してしまうほど体力がないオケだったのだろうか。何十年も培ってきた歴史と伝統はどこに行ってしまったのだろう。そう考えると、なにやら腹立たしい思いになってくる。早いところ音楽監督を替えて、体勢を立て直してもらいたいものである。 一音楽ファンの戯れ言でした。
2006年04月24日
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三月上旬に実家に帰った際、娘を連れて三人で偕楽園に行った。満開の梅は圧巻。地元にいながら満開のときの偕楽園に足を運んだことがなかったが、これほどとは思わなかった。しかし、当然ながら、水戸にしてはものすごい人混み。あまりゆっくりできなかったが娘は梅を十分に楽しんだようである。
2006年04月14日
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ようやくハイハイをはじめました。まだずりバイですし超低速ですが。意欲がわかないと絶対に進まないのが、なんとなく頑固者風の娘、最近人間らしいコミュニケーションをとれるようになってきて、成長を感じています。そういえば、ちょっとこないうちに、高機能エディタなるものが出現。すごいですね。
2006年04月14日
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あと二日で8ヶ月に入る娘は、ほとんど離乳食を口にしない。母乳をしっかり飲んでいるせいかもしれない。半年すぎたあたりから、ほ乳瓶も嫌いになった。母乳大好きっ子である。 最近では離乳食はゆっくりと開始し、動物性タンパク質はなるべく遅く与えるという意見が浸透してしてきているようだ。早期離乳食(特にタンパク質)の摂取が、アレルギーやアトピーを引き起こすという考えに基づいているらしい。夫はアレルギー性鼻炎、私はアトピーなので、娘もアレルギーの因子を受け継いでいることは間違いないだろうから、我が家でも離乳食はのんびりと開始した。 6ヶ月半になって重湯を飲ませてみた。夕食や朝食のときは、そばにつれてきて一緒に食卓につかせているのだが、そのころになって、私たちが食べるのをじっとみつめ、よだれをだらだらと流すようになったのがきっかけだ。これは離乳食開始のサインだ!と意気込み、それが数日続いたところで、重湯を開始。はじめは「なんじゃこりゃ?」という顔つきをしていたが、数日たつと慣れた。でも、食べる量はほんのわずか。重湯が慣れたところで粥にしてみたが、これも食べても5匙程度。一口目はとても嬉しそうにもぐもぐしているけれど、すぐいらなくなってしまう。なかなか食べる量が増えないな、と思っていたら、本人が風邪をひいたりで、おかゆもストップしてしまった。最近体調もよくなったので、またお粥をあげてみたが、今度は知恵がついてきてしまったせいか、スプーンを奪い取り、がじがじとかじったりなめたりしている。その間、口にいれたお粥は飲み込むこともしないまま。要するに、彼女はスプーンで遊びたいだけなのだ。せっかく歯も生えてきたのに。せっかく彼女のお父さんが精魂込めて作ったかぼちゃも、一回食べたのに。 こういう状態が数日続いた後、私が出した結論。彼女は、まだまだ離乳食はいらない、ということ。身体が欲せば必ず手を出すようになるだろうし、驚くほどぱくぱく食べるようになるだろう。親は、そのときをじっと待てばよい。赤ちゃんは自分のい身体に必要なものをわかっていると言う人もいる。私はそれを信じて、娘からのサインを再び待つことにしよう。
2006年03月15日
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ミケランジェリのピアノの音が好きだ。マーキュリーかどこかで出しているアルバムのショパンは驚くほど滑らかであり、そして自然である。そんな私に1年ほど前、夫がミケランジェリのCD集を買ってきてくれた。10枚組でも格安だったらしい。しばらく聴かなかったが、最近育児をしながら、1日1枚ずつ聴き始めた。 バッハやスカルラッティ、ベートーヴェン、モーツァルト、ドビュッシィ、シューマン、ショパン。とても聴き応えがある。ライヴ録音が多いうえ、拍手も収録されているので臨場感もある。娘は聴いているのか聴いていないのかわからないが、音楽が流れているだけでも心が安らぐのが不思議である。どれを聴いても、ミケランジェリの堅実な華やかさ(相反するような気もするが)、音質の確かさ、そして音楽のすべるような流れが溢れているように思う。ショパンは言うまでもないが、シューマンの「謝肉祭」は、昔から好きな作品であるだけに、よりよくきこえて仕方がない。ヴァチカンで収録されたヨハネ23世のためのコンサート録音では、これまた大好きな作品、シューマンの協奏曲が収められている。明日聴く予定なので、今から楽しみにしている。どんなシューマンを聴かせてくれるのかしら。
2006年03月14日
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腰も多少しっかりしてきた年末、新しいベビーカーを購入することにした。A型はコンビのものをレンタルしていたが、非常な足回りの悪さに辟易していた。よって次は足回りと機動性の良さを第一に選ぼうと考えた。そこで浮上したのが、イギリスのマクラーレンとシルバークロス。どちらも多少重くはあるものの、抜群の操作性と足回りを誇っている。どちらにしようか、実際に動かしてみないと決められない。マクラーレンはともかく、シルバークロスを実際に動かせるところとなると、非常に限られている。 困ったと思いつつリサーチを進めていたら、ベビーザらスにはどちらもおいてあるとのこと。幸い、ベビーザらスは夫の実家のある宝塚市にもある。年末帰省した際に、早速店に出向いてみた。ちょっと押してみたら、明らかに大手国産メーカーのものより、良い。重さはあるけれど、それを補ってあまりある利点が私にはあるように思える。その場で360度回転できるのは、スーパーでの買い物に非常に便利この上ない。結局色々考えた結果、マクラーレンのトライアンフという機種にした。同じマクラーレンのヴォローなどの完全なバギータイプと比べて重量があり、それゆえ1万円ほど高価だが、多少リクライニング機能がありうえ、その重さゆえか、押していて安定性がある。リクライニング機能は、まだまだベビーカーで眠ってしまいそうな娘にとっては、重要。それに押していて安定しているのも、コンビのヤワな作りから比較すると、気分もよいし安心感もある。シルバークロスのマイクロも安価だし、作りはほぼマクラーレンと同じようなものに見えたが、なんとなくチャチにみえてしまう。それで却下してしまった。 さて年始早々、山形にマクラーレンが届いたが、外は雪まさっかり。まだまだ使える日は遠いと思っていたが、1月末に水戸に帰省した際、お散歩のツールとして結構活躍した。3月も半ばの今、山形でも雪はほぼなくなり、気温も多少上がってきたので、毎日このマクラーレンで散歩と買い物に出ているが、娘もすこぶる気分がよさそうだ。私も狭いスーパーの中で操作に四苦八苦することもないので、とても楽チン。良い買い物をしたと自負している。
2006年03月11日
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やりました、とうとう。インフルエンザ。発生源はおそらく夫で、次に6ヶ月になりかけの娘、最後に私。私が病院に行くまで、夫と娘の病気がインフルエンザだったとは、思いもよらなかった。というのは、夫も私も高熱が出なかったからである。夫は予防接種をしていたせいか、37度台だった。私は38度と少し。インフルエンザは高熱が出て、全身の節々が痛くなるものという固定観念があった私たちには、びっくりの結果。 大人の私たちはともかく、生まれて間もない娘にインフルエンザはしんどいもののようだ。熱は38度6分止まりだったが、絶えず流れて出てくる鼻汁と咳がつらそうだった。看病している私たちは夜昼なくぐずる娘の世話で精一杯で自分たちのことなどおかまいなし。年末からの風邪が治りきっていない自分の症状など気にしている余裕はなく、そんな私に、娘からインフルエンザがうつるのも、当然といえば当然のこと。娘の症状がいくらか和らいだところで私が発症し、数日寝込んだ。運良く週末にあたったため、一日夫に仕事を休んでもらい、私は娘が生まれてからはじめて、ゆっくりと休養できた。 インフルエンザといえばタミフル。タミフルを服用するなら授乳を中止するようにと内科医に言われた。だが、そんなこと簡単にできるわけない。一週間も授乳しないでいると、乳腺炎になる確率がグンとあがるし、最悪の場合、再開しようにも出なくなってしまうこともある。すぐさまかかりつけの小児科医に連絡してみたところ、授乳を中止する必要はないのでは…というアドバイスだった。タミフルの乳児用は、一昨年まで医療の現場で投薬していたし、それに母乳に移行する量は、乳児に直接投薬するより僅かな量だというのだ。実際問題、娘にミルクを飲ませようとしたところ、頑として受け付けなくなっていた。最近まで私が不在のとき、喜んでミルクを飲んでいたはずなのに、これには驚いた。ミルクも飲まない、おっぱいも飲まない、おまけに水分も受け付けない(ほ乳瓶嫌いだから)のでは、娘はどうなってしまうのか。娘の栄養源と私自身の体調の回復を第一に考え、結局タミフルを服用しつつも授乳することにした。 結果的にタミフルを服用して私の回復が劇的に早かったのかというと、微妙なところ。そして娘には副作用のひきつけの兆候などは一切なかった。娘はまだまだ濃い鼻汁と、それに起因するひどい咳に日夜悩まされているが、熱も下がり元気も非常に良い。鼻汁が切れるまで、もう少し長い目で見るしかないだろう。それにしても、ダンナ。予防接種してるのだから、インフルエンザウィルス、発症しないでよー。夫が発熱+ひどい咳をした時点で、やっぱり夜は隔離すべきだったと、心から反省している。
2006年01月25日
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娘も5ヶ月半ばを過ぎた。なかなかすわらなかった首も5ヶ月に入ったあたりから、ようやく完全に座った。この子は成長が少しゆっくりのようだ。頭がかなり大きいというのもあるらしいけれど、のんびりやさんなのだと思って、親の私たちものんびり構えている。首がすわったと同時に、寝返りも始め、びっくり。気がついたらうつぶせになっていたのだから、目を離せない。お気に入りのぬいぐるみやラトルも、いつの間にか両手で持ち、さらには持ち替えるようになっていた。普段訳もなくぐずって困らせる子供ではないとはいえ、赤ちゃん。夕方になるとおおむねぐずぐずし出すので、首もすわったことだし、おんぶをしてみようかと決心し、おんぶ紐を購入。昨晩夫と二人で試してみた。 おんぶは生まれて初めてなので担ぎ上げるのに四苦八苦。どうにかおんぶしてみると、娘はすこぶるご機嫌。きょろきょろあたりを見回し、にこにこしている。背中に娘のぬくもりを感じ、何とも言えない幸福感を味わったが、それは娘も同じなのかもしれない。母親の背中にぴったりくっついて、嬉しいのだろう。いつのまにか私の背中をぺろぺろとなめていたそうだが、そこはなんでもなめちゃうブームのまっただ中。ご愛敬というところか。 おんぶから降ろすのに、また四苦八苦。これが簡単にできるようになるまで少し練習が必要だから、毎日少しずつおんぶをしていこう。幸い、抱っこよりおんぶのほうが、腰には楽だ。私の夢は、亀の甲をつけて雪景色の中、おんぶで娘とお散歩することである。※ちなみに、購入したおんぶ紐は、はっぴーはぐはぐさんの「はぐキャリー」というもの。胸がばってんにならないリュック式な上に、着脱式の頭あて、足入れもあり便利。ウェストのところで蝶結びにするのが、ちょっと可愛らしい。お値段6000円程度。こちらのバックル式スリングも評判が高いようで、そのうち試してみたい。http://www.happyhughug.com/index.html
2006年01月06日
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妊娠してから今日まで、約1年と2ヶ月。最後の演奏会に出演したのが一昨年の10月末。それ以来、楽器には殆ど触っていない。一度、アパートでどれほど音が漏れるのか実験したときに弾いたのと、最近娘にちょっと聴かせたのと、その2回は、どちらも弾いたうちに入らない。娘に聴かせたときは、あまりのへたくそさに自分でも吐き気を催すほどだった。継続は力なりとは良く言ったものである。週に一度でもレッスンすれば違うと思いつつも、現実はそう時間もなく、いたずらに日々はすぎていくばかり。このまま一生弾かないかも…という気もしてきた。 ヴァイオリンをこんなに長く弾かないのは、生まれて初めて楽器を手にしたときから、はじめてである。音楽へ向かう気持ちが全くなくなったわけでもないし、まめにBSの音楽番組はチェックして観ているけれど、なぜか自分で演奏するエネルギーが湧かない。それほど今の生活は子供を中心に動いているという証拠なのか。焦りもあるけれど、自分の気持ちは子供に向いていることは間違いない。無理矢理はじめるより、演奏する気になるのを自然に待つのが一番なのだろう。
2006年01月05日
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先週から、再び昼間のみ、布おむつを使い出した。産後体力がついていかなくて、紙おむつにしていたのだが、山のように出るおむつゴミ、蒸れてしまって赤くなってしまうお尻まわり。紙おむつは石油でできているから燃やすときは色々環境にも悪い。外国では不燃ゴミ扱いの国もあるほどだ。それに、紙を使っている間、どうしても娘に対して罪悪感が抜けなかった。何か、あまりからだによくないものを押しつけているような。 このほど体力・気力とも回復してきたので、再び布を使ってみると、やっぱりいい。紙のときより、こまめにお尻部分に手をあてておしっこの具合を見るようになった(そうでないと大変なことになる)。それゆえ、娘のうんちサイン、おしっこサインに前より敏感になったような気がする。 私が買いそろえたのは、日本製の中でもダントツの吸収力と品質を誇るエンゼル社のものだ。品質には素晴らしいのだが、カバーも白で色気がない。そこでカバーが小さくなってしまったのをいいことにスウェーデンのBUMPYシリーズや、アメリカのウールのパンツタイプカバー(ウールソーカーと言います)、それから同じくアメリカのキッサラブズ(Kissaluves)のフィット型おむつ等を海外より購入した。少しでも楽しくおむつ換えをしたいと思ったからだ。外国のものはカラフルだったり、可愛いプリントだったり、そして素材も実に多種多様。女心がなぜか満たされてしまうほど。色々なおむつを揃えておけば、シチュエーションに合わせておむつも選べるのが良い。 布おむつの場合、洗濯の労力がちょっと増える。でも娘のうんちは体調のバロメーターだし、ちっとも汚いとは思わない(もちろん、石けんできちんと手は洗います)。そして、洗濯した布おむつを干すとき、綺麗に乾いたとき、実にささやかだが、幸福感を感じる。日々の営みの大切さを胸に刻むときでもある。紙おむつ派の方も、一度布おむつを使ってみてはいかがでしょうか?
2005年12月06日
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先日、山形と福島の県境にある白布温泉は東屋旅館に家族+私の両親と滞在してきた。といっても、一泊だけど。娘は温泉旅館の夜帰りコースはデビュー済みだが、お泊まりは初めて。夜泣きらしい夜泣きはせずに就寝してくれる娘だからあまり心配はしてはいなかったけれど、環境の変化がどう影響するかわからないのが、赤ちゃん。 まだまだ4ヶ月半なので公衆のお風呂には入れたくない。家族交代で湯につかるのが最近の常だけど、今回は両親もいるので、少し夫婦でのんびりできた。娘は久しぶりに会うじいちゃんとばあちゃんに遊んでもらって嬉しそう。とはいえ、じいちゃんは、なまはげ似のかなり強面系なので、娘はしばらくじーーーっと父の顔をみつめて固まっていた。父はかなりショックだったらしい。私が実家に帰っていた1ヶ月半、毎日お風呂に入れてもらっていたのに…、あんなに山形に帰ってくる頃にはなついていたのに……。心中を想像するとちょっとかわいそうやらおかしいやら。 夜の食事は宴会場での食事だったが、あらかた食べ終わるまで、実におとなしくしてくれていたので助かった。宿の方々にもかわいがってもらって、幸せな娘だなーと実感。夜は少し寝ぐずりをしたが、なんとか眠ってくれた。 東屋旅館は火事で焼失のあと再建しただけあり、綺麗なつくりになっていた。食事も素朴なもので量も多すぎず、丁度よかった。かなり雪が降ったので山道の運転は大変だが、お湯も良くコストパフォーマンスは良いと思う。これで秘湯の会スタンプ帳、満杯まであとふたつ。来年2月上旬までにこれを一杯にするために、再来週もまた、温泉に泊まりに行く予定である。
2005年12月05日
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高校以来スター・ウォーズの大ファンである私、一応エピソード3以外すべて劇場で観ている。しかもそれぞれ複数回。だから今年の夏を前から心待ちにしていたけれど、劇場に行こうとしたその日(それは臨月に入ったその日だった)、座席の予約をしてきたばかりの午前中に少し破水とおしるしがあり緊急入院となった。その後は観に行く時間など当然とれず、スター・ウォーズの大ファンとしてはあまりにも悲しく情けなくも、エピソード3を見逃してしまうことになった。勿論、出産のため娘のためなのだから、見逃しても喜ばしいことではあるから、仕方ないとは思っている。だが、やっぱり……ほんのちょっぴり、劇場で観られなかったのが悔しい。 で、DVDを発売日に入手し、昨晩ようやく観た。冒頭シーンから思ったことは、やっぱり「劇場で観たかった……」。エンド・クレジットを観ながら、やっぱり「劇場で………」。しつこいって。これまですべて劇場で観ておきながら、これだけ観られなかったとは、これも何かの運命。将来娘と一緒にSWのDVDを観ながら(絶対にSWファンにさせるのである、これが密かな野望)、「あなたが出てこようとしたから、お母さんはエピソード3を劇場で観られなかったのよ」と恩を売ることにしよう。
2005年11月28日
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三ヶ月と半ば近くの娘のお食い初め、先週末にとうとう決行。私の体調がすぐれなかったり、忙しかったりと、のびのびになってしまっていた。 土曜日に近くの生協に買い出し。庄内浜で捕れた大鯛が丁度あったので、それを入手。頭からしっぽの先までで30センチ以上あるが、1300円少し。活きもよく、身が締まっているのが美しい。メニューは、吸い物はしじみの吸い物、ご飯はお赤飯(小豆で)、煮物は筑前煮(鶏肉なしだけど)、それに鯛の塩焼きに、香の物は小梅。お赤飯は初挑戦だったけれど、なんとか合格点(でもごまをふるのを忘れたことに、翌日気がついた)。娘の食器はいただきものの離乳食用ベビー食器にしたが、私たちのは漆塗りの大皿と小皿で、お祝い気分。 さて、いよいよ儀式開始ということで、夫に娘に食べさせる役をお願いする。お参りをした神社の小石に触れた箸を娘の歯茎にチョンとすると、「べー~っ」と、非常にイヤそうな顔をした。かなり面白い。それに、直前までぐずっていたのに、いざ開始すると、なぜかニッコニコになった娘。不思議というか、ゲンキンというか。 こういう儀式、やらなければやらないですんでしまうし、双方の両親を呼んで立派にやることもできる。我が家は3人でのお祝いにしたので、少々寂しいけれど、これはこれで心があたたまる。娘が私たちにところに来てくれてはじめて、「家族」という形態になったような気がしている。それは夫も同じなのだろう。何をするのにも、娘がいることが当たり前になってきた毎日。すべてが娘中心に動いている。私は自分の時間はなくなったが、それもまた、いいものと思える自分を、少し好きになる。
2005年11月08日
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産まれて初めて、ひどい腰痛と背中痛に悩まされて、もう三ヶ月。息つくのもやっとの状態から、それなりに家事もできるようにはなった。とはいえ、まだまだ布団干しや重いものはもてない。最初の状態からここまで回復したのだから、良しとせねばならないと、前向きに考えてはいるけれども、やっぱり何の苦痛もなく、思う存分娘を抱っこしたり、家事をしたりしたい。 指圧にもずいぶん通ったし、鍼も受けた。漢方薬も飲んでいる。でも、まだ、痛い。特に背中がひどく、前のほうにもひびくほどだ。夜中や明け方、授乳のために起きあがるのも一苦労。ぐっすり寝た後は、体が固まってしまっているから、動き出して痛みが軽減されるまでが大変。なんとかならないものか。このさき、娘がどんどん重くなっていくばかりなのに、それに追いつかないのでは、母親として情けない。 と悩むこのごろ、はたと、ある事実に気づいた。他人に治してもらうのではなくて、自分で治すんだ! 自分で治して、本当の治癒ではないのかしら。それから色々と腰痛体操など試してみた。でも、無理してかえって悪化させたり、今の私にはとてもできない体操が多く、ちょっと落ち込んでいた。気を取り直して、さらに調べてみて、良い体操を発見。体操というより治療なのかよく分からないが、「操体法」というもの。仙台の医師が開発した。その医師は亡くなってしまったが、今でも熱心な整体師とファンがいるようだ。その医師が書いた本を一冊購入して読んでみたところ、生活全般についての考察もあり、頷かされることも多い。早速腰痛に良いとされる体操などいくつかやってみたが、気持ちよい。この操体法は、身体に心地よい動きをしながら歪みを治していくものだから、気持ちよくて当たり前なのだが。(「万病を治せる妙療法・操体法」橋本 敬三著 農山漁村文化協会) いくらマッサージや鍼灸に通っても、自分で治すという気持ちがなければ、治らない。それが、ヒトの身体の不思議なところ。私も頑張って身体を元にもどすぞ!と気合いを入れ直した。
2005年11月04日
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産後の肥立ちが非常に悪い母親にとって、母乳で育てるのは大変なこと…と、今更ながら思う。前にも書いたが、私は一週間の微弱陣痛と絶対安静で、出産後からだがぼろぼろになってしまったが、なぜか母乳は止まらなかった。おかげで娘の発育は順調で、1ヶ月検診では先生に「デブりかけ」と言われたほどの成長を見せてくれた。体重増加が一日44グラム。子育て中のお母さんなら、これがかなりの増加であることを、わかっていただけると思う。 だがその分、私の身体は回復することなく、どんどん疲れていった。食欲も全くなく、無理に食べても、食べたそばから娘に栄養は吸い取られていく。食べた分だけでなく、私が蓄えておいた脂肪も吸い取っていく。体重はどんどんと減っていき、妊娠前と比べると、5キロも減ってしまった。自分の身体がこんなに辛いのは、母乳をあげているからなのかもしれないと気づいたのは、どうしようもなくなって実家に帰ってからだ。実家で毎日指圧に通うとき、粉ミルクを日に一回は与えてもらっていたので、その違いを身体で実感できた。 今、世の中、母乳で育てましょう!と再び言われている。それは正しいことだし、赤ちゃんにとっても一番だと思う。牛は牛のおっぱいで、ヒトはヒトのおっぱいで育つのが、本来あるべき姿だ。でも、産後の肥立ちが非常に悪いとき、体調が悪いとき、精神的に辛いとき、母乳がでないとき・・・。そんなときは、自分を追い込んでまで、母乳で育てる必要はないように思う。母親が明るくいて初めて、赤ちゃんは生かされる。母乳かミルクか、これは極端に言えば手段の問題とも考えれば、もっと気楽に育児ができるのかもしれない。母乳一番!の風潮の今、少し考えてしまった。(その後の私は、一時期母乳の出が悪くなったが、頑張って飲んでもらって、最近再びたくさん出るようになった。ありがたいことです。)
2005年11月02日
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まだ実家にいた頃。娘@二ヶ月だったか。夜ぐずっていたときに、何の気なしに、家にあったジェシー・ノーマンのCDをかけてみた。アメイジング・グレイスなどの黒人霊歌数曲、グノーのミサよりサンクトゥスなどが収録されていたものだ。娘を寝かしつけるのに疲れていた私が、少し息抜きをしたかったのかもしれない。 CDをかけ初めて少しすると、娘の様子が変わった。少しおとなしくなり、CDから流れる音楽に耳を傾けているように見える。「おおお、これは!!」と思い、そのまま続けてみたら、二曲目のシューベルト「アヴェ・マリア」で完全におとなしくなり、うっとりとしているではないか。アヴェ・マリアは私が大好きな曲であり、また歌っているノーマンも非常にすきな歌手である。娘は私の気持ちがわかったのかわからずか、しばらく聴き続け、CDの中盤では完全に眠ってしまった。奇跡のような変貌ぶりに、私はびっくり。それから数日は、朝でも昼でも、ぐずるときには「アヴェ・マリア」だった。まさに、神様、マリア様、である。
2005年10月29日
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昨日、7月17日産まれの娘が百日を迎えました。産まれてから昨日まで短かったような、長かったような。お食い初めは一昨日にする予定でしたが、私が風邪でダウンしたため、延期。ちょっとかわいそうかな。娘は順調に発育しています。娘を見ていただいた方々、口々に「(この月齢にしては)大きい赤ちゃんだね」と言っていただいていますが、産まれたときは2950g、今も6010g、それほど巨大ではありません。なんなんでしょ? 先日も産院での三ヶ月検診で、身長と体重を量ってくれた看護士さんが「大きくなったねぇ」としみじみ。私から栄養をどんどんと奪っていますから、当然かも(おかげで私は体重が減る一方で、結婚前より痩せました)。 産後の肥立ちが非常に悪くて、身体はぼろぼろになり実家に1ヶ月半、静養に帰っていましたが、その後なんとか復調しました。二週間前に山形に戻ってきましたが、どうにかこうにか、頑張っています。産後に悪化させて前かがみ・中腰が全くできないほどだった腰痛・背部痛も少しずつおさまってきて、娘の抱っこ要求にも、それなりに応えられるようになり嬉しく思っています。レンタルしたベビーカーで、少しずつお散歩にもでています。雪が降るまでの間ですけれど、娘にいろいろな景色を見せてやりたいと思っているのですが、ベビーカーに乗せると、すぐさま眠ってしまう娘って一体………。
2005年10月25日
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7月17日午後3時25分、待望の長女が誕生しました。予定日より3週間丁度早い、正産期に入って一日目、2950グラムでの誕生でした。 私のお産は、難産の部類に入るものでした。臨月に入った1日目に破水とおしるしがあり、即入院と絶対安静。それから陣痛が進まず、一週間寝たきり。最後にはわずかの陣痛促進剤使用をせねばならず、それでも心拍数の低下など様々な懸念事項があり、やむをえず最後の最後に吸引で産まれました。医療の介入は必要最小限度におさえられましたし、それについても院長先生と私たち夫婦で相談しながらお産を進めていけたので、後悔はしていません。それどころか、誠実に対応してくれたおじいちゃん院長先生に、感謝しています。 彼女は、陣痛が始まってから産まれてくるまでに、きっと、とてもとても怖くて辛い思いをしたと思うのです。呼吸がとまりそうになったり、引っ張られたり…。でも頑張って頑張って、無事元気に、早産でなくなる37週に入った日に産まれてきてくれました。そんな長女に、私は大いなる感謝を感じずにはいられません。しばらくは育児で大変ですが、常に慈しみの気持ちで、長女と三人、家族みんなで楽しく生活して行くつもりです。妊娠中、みなさまにはご心配おかけしました。これからも良きアドバイスをいただければ幸いです。
2005年08月07日
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2003年の今日に結婚式をして入籍したので、今日は2回目の結婚記念日。丸二年しか経っていないことが、不思議である。もう5回目くらいでもよさそうな毎日だからかな。 その後体調は少しずつ落ち着き、月曜の検診では、先生から「このまま行けそうだな!」とのお墨付き(?)の言葉をいただき、少し安心した。もう32週、つまり九ヶ月に入ったし、おなかのちび子は一週間ほど発育が良いので、ここまできたらゴールは見えたようなものだ。まだ張り止めの薬を服用しているし、ちょっと出歩くとおなかがぱんぱんに張ってしまうが。 そういうわけで、今日の夕食は、近くのホテルで本格中華料理を食べることにした。山形には美味しい本格中国料理のお店が少ないが、ここは山形市内で三本の指(いや二本の指か)に入る店の一つ。結婚記念日だから、お金に糸目をつけず、日頃は手が出ない高級料理を食べよう!と意気込んでいた私たち。あわびのオイスターソース煮に始まり、ふかひれのあんかけおこげ、豚の角煮(かなり巨大)…とアラカルトで注文。価格も山形価格なので、それほど目が飛び出るほど高い訳ではない。最後にはげっぷも出ないくらい満腹に。私は1時間以上座っていると、おなかと腰がつらくなって横になりたくなるので、急いで食べたことも災いしてか、家についてからは、一時間半ほど、夫婦してごろりと居間で横になっていた。 写真は今日の料理の一部(角煮)である。
2005年06月15日
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我が家のダンナが、最近畑仕事を再開した。今年の畑は先年と違う場所を貸していただいたらしい。車で10-15分かかるので、私はまだ行ったことがない。GW中には、鍬や苗、肥料などを購入し、独りで耕してきたようだ。まったく、ご苦労なことだ。 購入したばかりのデジカメ(子供が生まれたら絶対の必需品と思い、思い切って買った!)を持参したときは、畑の様子を撮影してきてくれる。それを見ながら、いろいろ解説してくれる。その時の彼は、なんだか子供のようだ。我が家のベランダでも、紅花(ちゃんと割り箸て支柱をたててある)、ブルーベリー2鉢、私の希望でバジル、朝顔、クロッカスなど、気がつくと新種を次々と育て始めている。お出かけ好きなダンナ、せっかく春が来たのに、今年の春は私を連れてあちこち出歩けないので、少し不満がたまっているのかもしれない。その余ったエネルギーを、きっと畑とプランターに注いでいるんだろうな。朝六時になるとピッと起きて「じゃね、畑行って来るからね」と、いそいそで出かける彼に寝ぼけながら「行ってらっしゃい」と声をかけつつ、「浮気されるよりはマシだもんな…」と内心ぼそりとつぶやく毎日。すみません、ほんとに…。
2005年05月24日
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つわりがひどいと書いてから三ヵ月。ただいま七ヵ月の最終週までなんとか来た。あのときは、つわりさえおわれば待望の安定期!と期待していたが、蓋をあけてみれば、ねたきりの日々が今日まで続いている。つまり、つわりがやっとおわったかと思ったら、切迫早産になってしまったのである。 これには参った。もう二ヵ月近く、家事もできずに、布団でごろごろ。幸い弱い張り止め、子宮収縮抑制剤を服用しながらの自宅安静なので、それほど危険度は高くないということのようだ。とはいえ、横になっていると、このまま早産になったらどうしよう、そればかりを考えてしまう。四月前半までは、精神的にかなり辛かった。明るい方向になんて、とても考えられず、ただひたすら、おなかの子が大きくなることを祈るばかりの毎日。 いまは、八か月目前になり、おなかの子も順調すぎるほどの成長を見せてくれているから、気分も楽になった。ここまで来ることができて、ありがたいことである。 携帯で入力するのは大変だけど、暇つぶしになるので、少しずつ更新できるといいな。 〈終〉
2005年05月10日
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久しぶりにPCに向かう気力が発生。12月上旬から自宅に閉じこもりきりという生活を送っていた。その間、殆どの期間、布団とトイレがお友達。年賀状も予定した数だけ書くことができず、失礼してしまった友人もいた。こんな状態、長く続けられるものではないし、既に途方に暮れ嫌気がさしているが、仕方がない。お腹に授かった赤ちゃんのためだもの。 私のつわりは結構ひどい。まず、まるで入り口に結界が張られているかのうように、台所に入れなくなった。息をとめてなるべく食べ物の臭いをかがないようにしても、台所にあるいろいろなものを目にするだけで吐き気がこみ上げてくる。次に、我がアパートの北側に一室だけある部屋の臭いが気になるようになり、そこにも入れなくなった。そして今度は食欲がなくなり、食べられるものも限られてきて、ついには点滴を数回受けることに。毎晩寝るときには、ダンナに「どうしてこんなにつわりがひどいの、もうヤダよ~」と泣きついていた。この2ヶ月で、体重は妊娠前より4キロ減ってしまった。 とはいえ、先週末の14週6日の検診では、元気に手足を動かしている赤ちゃんの姿を目にして、涙が出るほど感激。昨年の3月末に6週目で流産しているので、余計そう嬉しく感じるのかもしれない。食べたものを吐く回数も減ってきていたこともあり、今週は、少し元気になったような気がしている。こうやって久しぶりにPCに向かうこともできたし。日々ちょっとずつ大きくなっていくお腹をさすりながら、ときどきお腹の赤ちゃんに話しかけている。まだ台所に息を止めながら足を踏み入れる日は続くが、これもあと数週間の我慢だと信じよう。
2005年02月16日
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お買い物履歴でも紹介したが、フィスラーの両手鍋を最近購入した。これは多層鍋といっても底だけだから、ビタクラフトの全面多層鍋のように値段が張るわけでもない。とはいえ、安くもない買い物である。たまたま在庫処分半額セールを見つけたのだ。 フィスラーといえば、ドイツ。この鍋はステンレスでもつや消し仕上げ。取っ手もステンレスでできており、シンプルなデザインと作りが、いかにもドイツ製。質実剛健であえる。肝心の中身は、無水でほうれんそうをゆでたら、しゃきしゃきしつつもジューシーな出来上がり。味も濃く、野菜の野性味を堪能。お次にきんぴらごぼうをやってみたが、多層底がものを言って、ごぼうやにんじんがこげつかず炒められる上に、その後ふたをして蒸し煮したら、歯ごたえをのこしつつ、できあがった。 次には、トマトソース味のミートボール煮込みを作ってみた。これも、蓋のおかげでトマトソースが必要以上に煮詰まらず酸味を残しつつ、またミートボールもつなぎをあまり入れなくても、ふっくらと煮上がった。うーーん、さすがフィスラー。鍋の威力に、脱帽、である。これなら少々料理の腕がいまいちでも、ごまかせるかも!!! これに味をしめて、少しずつ家にある鍋を買い換えて行こうと計画中。これまで使っていたものは、ほとんどがダンナの婿入り道具だから15年ものが多い。これでは料理をルンルンと作れる訳がない(と、言い訳)。お次は、フランスのSTAUB(ストーブ)を手配中。同じフランスのル・クルーゼはデザインや色に甘さがあって、若干自分が使うのに気恥ずかしいが、STAUBは硬派な男前。手許に届くのが今から待ち遠しい。道具が変わると、ちょっとやる気になるのが我ながらゲンキンだなーと思うこのごろである。
2004年10月29日
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今日はダンナが酒田のほうに泊まりがけ出張。こういう日は、とても嬉しい。だって、ご飯をきっちり作らなくてもよいし、朝ご飯も作らなくてもいいし、好きなだけ寝坊できる。まさに、天国。 結婚して1年半経つと、別に一緒にいたからって特別嬉しくなることはない。その存在はまるで空気のよう。だといいのだが、まだその境地に達するのは早いようで、その存在は、重い。彼の生活リズムが、そのまま私の生活リズムにならざるを得ないからだ。結婚して半年少しは、それでもダンナの帰りがAM1時過ぎで早いお帰り、遅いと5時半というリズムだったので、滅多に家にいない状態を寂しいと感じるときも多少はあった。もっとも、これについていくだけで精一杯で、寂しいと感じる余裕もなかった、というのが正直なところだが。だから山形に出向になり、何かトラブルがない限り遅くとも20時くらいに帰宅し、家できちんと夕食を摂るようになり、ようやく健康的な生活ができることを喜んだ。これで人並みの新婚生活を送れるかも、と。 しかし、この感情は1ヶ月も保たなかった。毎晩早く帰ってきて、家で夕食を摂るようになると、夕食後の時間をもてあますようになった。ダンナが家帰ってきたら、私の時間はなくなる。ネット・サーフィンもできないし、本を読みふけるわけにもいかない。ダンナの世話をして、彼が風呂といえば風呂に入り、彼が眠くなれば、寝る準備をする。 いやいや、日々一生懸命仕事をしてくれて私を養ってくれるダンナの存在の重さを、ここで愚痴るのは、適切なことでない。もちろん、いつも感謝しているし、毎月給料日には明細書を両手で恭しく受け取るようにしている。だけど、だけど…私はわかってしまったのだ! 「亭主元気で留守がいい」という格言(?)の意味が………。
2004年10月28日
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本番前になると、必ず指(しかも左手)を怪我する。今回もいつもどおりに、怪我した。昨晩、自家製のパンをスライスしようと思い、パンナイフでざくざくと切り始めたら、「ザクっ」と何かを切った。何かと思ったら、親指の先だった。すぐ見たら、1cm*3mmくらいの表面積、厚さ(?)1.5mmくらいを切り落としていた。見る見る間に流血の惨事。 飲み会が終わって少し前に帰ってきた夫は、それを見て「あー、またやっちゃったねー」と、あきれ顔。わたしは、痛みと血で呆然。しばらく圧迫止血をするものの、10分くらい血がとまらず焦ったが、酔っぱらいの夫が買いにいってくれたガーゼなどのおかげで、なんとか止血。 昼過ぎにガーゼをほどいてみたら、削れた部分を覆うように血のかたまりができていた。病院に行けと、出がけとメールでしつこく言われていたので、仕方なく診察を受けたら、ここまでくれば大丈夫、とのこと。一安心。とはいえ、まだ痛いし、肉はできていない。これで週末楽器弾けるのかな…。 タイトルに「またもや」と書いたが、指を削ったのは、今回初めて。結構衝撃だった。
2004年10月27日
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気がついたら、クライバー死去以来、日記を更新していなかった。かれこれ3ヶ月だろうか。わたしの夏はとても暑く、多忙に過ぎ去り、またあっという間に深まった秋に、すぐそこまで迫った冬の足音を感じ、これからやってくる豪雪時期に戦々恐々としている。月日の経過は速いものだ。 さて、今日は34回目の誕生日。これをきっかけに、再度日記にチャレンジしようと思い立った。平和な誕生日を迎えられたこと、これも友人のみなさまの暖かいサポートのおかげと思っています。 今日は山形市近郊にある、かなり美味なラーメン専門店の半額チケットを使って、夫と二人でラーメンを食べに行く予定。その後、親友夫妻(いや、どちらかというと義理の弟・妹夫妻と言うべきか)の家におしかけ、誕生ケーキを食べさせてもらう。さきほどは、彼らの4歳になる一人息子から電話がかかってきて「R子ちゃん、お誕生日おめでとう!」と言ってもらって、かなり嬉しい。年をとることは、わたしにとって「自由になること」ともいえる。また今年も充実した一年にしたいな。
2004年10月18日
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あの、カルロス・クライバーが亡くなったということを、ニュースで聞いた。かなりショックである。NHKのテロップでは「最後の巨匠」と形容されていた。巨匠と言うことができる指揮者は、現役でもまだ何人かいると思うけれど、ある種の巨匠-上手に言い表すことは出来ないけれど-としては、確かに最後の巨匠なのかもしれない。 クライバーといえば、ベートーヴェンの第7交響曲の素晴らしさ、R.シュトラウスの歌劇「薔薇の騎士」での豊かさ、程度しかわからない私だが、NHKのニュースで流れたニューイヤー・コンサートでの指揮ぶりを見て、これはまさに巨匠の指揮であると、感じた(週末のN響アワーでの、アシュケナージのあまりにも無惨な指揮を見たばかりだから余計に感じたのかもしれないが)。決してカウントだけに終始せずに、音がどこへ行くべきなの、どこへ飛ばすべきなのかを示してくれる棒。音楽家(not 演奏家)であるならば、この指揮に感じないはずはない。 今度実家に帰ったら、クライバーのベートーヴェン7番を収録したLPを聴いてみよう。きっとまた、新たな発見があるに違いない。
2004年07月20日
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梅干し。私の大好物である。子どものころから、梅干しを一つ手にとり、ちびちびと囓るのが何よりの楽しみだった。 昨今の梅干しは減塩ブームにあやかってか、塩味が薄い。それだけでなく、砂糖やはちみつがまぶしてあったりするものもある。更にそれだけでなく、アミノ酸などの化学調味料を添加しているものさえある。全く嘆かわしいことだ。梅干しといえば、塩たっぷりの、しょっぱくて酸っぱいもの、と大昔から決まっているのに、これでは梅干しとは言えないではないか。 実家では母方の祖母や親類が漬けたものが沢山あったので、私はそれを食べて育った。それらは、しょっぱくて酸っぱくて、梅干しの王道を行くものであった。だから、最近のものは、食べるだけで口が曲がってしまう。妙に甘くて、妙に味が濃くて(これは化学調味料の仕業)、妙に媚がある。昔ながらの梅干しは、今ではそこらで買えない世の中になってしまった。 結婚するにあたって実家から持ってきた梅干しは、大切に大切に食べていたけれど、もう5分の1も残っていない。だから、今年は梅干し漬けにチャレンジすることにした。母方の祖母のレシピを頂戴し、我が家の味を私が継承する。なんと壮大な計画だ(自画自賛)。祖母は半年前に乳ガンの手術を受けて、それほど元気というわけではない。おばあちゃんの力がまだまだ必要ということをわかってもらうためにも、おばあちゃんの指導をもらうのも、悪くはなかろう。 そうして二週間ほど前に漬けはじめた梅干し。梅酢がなかなかあがってこないので赤ジソ投入を躊躇していたら、この数日の長雨で若干カビが生えてしまった。あわてておばあちゃんに電話し、指導を仰ぐ。カビを取り除き赤ジソを漬け込んだ梅干しは、赤梅酢に浸って、なんとなく気持ちよさそうでもある。近い内に、天気の良い日を選んで、土用干しをせねばならない。かつて母や祖母が、お日様の下に梅干しを広げていた光景が、頭に浮かぶ。想像すると、なんとなく懐かしく、楽しくなるのである。
2004年07月15日
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昨日から雨続きの山形。先週末の猛暑から比べ、だいぶんに涼しい。買い物に出かけても良いけれど、なんとなく家で過ごしたい天候。久しぶりにピアノ音楽でも聴こうと思い立ち、最近実家から持ち帰ってきた、グールド演奏の「イギリス組曲」を手に取ってみた。 このCDはヴァイオリンの恩師K先生から数年前にいただいたものだ。先生は音楽教育から引退すると決心なされたとき、少しずつ膨大なCDやLPのコレクションを処分していたそうだ。手紙などで「好きなモノをあげるから取りにくるように」と言われていたにもかかわらず、多忙を理由にしばらくご挨拶に伺わなかった。今思うと、非常に失礼な弟子だ。他の理由があり先生宅を訪れたとき、先生は苦笑しながら「もうこれしかないんだど…」と言って、十数枚のCDを見せてくれた。全部というわけにはいかないから、どれか数枚好きなCDを持っていっていいとおっしゃる。 大きな楽譜の束も持ち帰らねばならなかったため、あれもこれもということも出来ない。結局選んだのは、このグールドのバッハと、クナッパーツブッシュ指揮のブルックナー交響曲第8番、それとメシアンのオペラか何かだった。 そのときのことを思い出しながら、聴くバッハ。バッハを聴くというより、グールドを聴く、というほうがしっくりくる。トリルはトリルらしく、装飾音符はそれらしく、明確で鋭いタッチは、グールドならではであることを、新たに認識させてくれる。音に濁りがないもの、音楽の構成が浮き出してくるように見えるのも、もしかしてあの先生の好みだったのだろうか。子どもの頃、グールドは好きだったが、20代では余りすきになれなかった。でも、30代半ばになろうとしている今、この明快で、ある種怜悧な演奏は、余分なものがないという点で、耳に心地よいものであることに、少し驚きをを覚えた。バロックや古典音楽がお好きな先生が好まれた、グールドのバッハ。何か意味があるような気がしている。
2004年07月13日
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先週日曜の夕方、山形に戻ってきました。 母の手術自体は、少々長引いたものの、無事終わりました。でも、病室に戻ってすぐ、血圧が異常に低下し(上が60程度になってしまった)一時騒然とした雰囲気になり、私も父も妹も、かなり青くなりました。その後数時間たって容態も落ち着きましたが、発熱と依然として低い血圧、そして痛みとで三日ばかり寝たきり。その間、身体に点滴やら麻酔やら自己血の返血やら管を沢山差し込んだまま。金曜の手術にはじまり、土曜日は口をきくのもしんどい様子、ようやく日曜の午後になって笑顔が見えてきました。日曜は私たちが山形に帰る日。少しでも落ち着いた様子を確認できて、私も心おきなく(?)帰ってくることが出来ました。 先生の話を聞くと、母の身体に使った人工関節は最新型なので、寿命はおそらく20年いくのでは、という話でした。これはまだ20年保った例がないのではっきりとしたことは言えないそうですが、この話から、人工関節が進歩していることがうかがえ、少々安心しました。 その後、父や妹から母の容態を聞く限りでは、火曜には自分で身体の向きを変えることに成功したとか。それまでは看護師さんにやってもらわないと出来なかったのに……それだけでも、非常に嬉しいものです。 早く元気な母に会いたいものです。退院の頃には、また帰省するつもり。
2004年07月09日
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明日、実家に帰省する。母が股関節の手術を来週受けるためだ。 彼女は変形性股関節症を長いこと患っている。十年くらいまえだろうか、突然股関節が痛み始め、歩くのもだんだん苦痛になってきたという。数年前からは痛みのため夜も眠れぬことも多くなってきたらしい。痛み止めは手放せず、効かなくなるたびに、痛み止めは強いものに変わっていく。痛み止めを飲むと胃や肝臓も弱るために、全身も不調になる。そのために痛み止めの服用を最低限にしていたが、今度は痛みをこらえるために、身体のバランスが崩れていく。私が家を離れてからは、時々しか母に会えない。だから、会うたびに、母の病気が進行していることが、よくわかってしまう。とても辛いことだ。 何事にも我慢強く辛抱強い母は、手術を受けることをためらっていた。股関節が摩耗するたまに発生する痛みであるから、そこに人工骨を入れれば解決する病気である。しかし、現在の医学では、人工骨の寿命は15年前後であり、さらに人工骨は、一度入れたら、入れ替えが効かない。それゆえに、まだ60歳には間がある母は、手術を受けることをためらっていた。70過ぎてすぐに車椅子になってしまったら、家族に迷惑をかけると考えていたのだろう。 しかし昨年、漸く手術を受ける決心をした。私が結婚をしたこと、父が定年退職をしたこと、そして自分の心境の変化。孫が生まれたとき、私の産後の世話は、母である自分がしたいとも思ったのかもしれない。そして、医学の進歩への希望。もし現時点で人工骨の再手術は無理でも、15年後には可能になっているかもしれない。母が通院している大学病院で、これまで普通にあるけなかった患者仲間が、普通に元気に歩いているのを見て、自分も痛みがない毎日を送りたい、とも思ったのだろうか。 あと数日で母は入院し、手術を受ける。術後は40日間の入院とリハビリが必要だ。母にとっておそらくこの40日が今後の人生を決める正念場であることは間違いない。来週の週末には山形には戻ってくるが、この一週間は出来るだけ実家と母の世話をしたい。そして、今度は足が痛くない、歩いても平気な母と一緒に海外旅行をしたい。
2004年06月25日
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最近、未成年の少年少女が犯罪に関わる・巻き込まれるニュースが非常に多い。そのニュースを聞くたびに、切ない思いをする。殺害されたり、傷つけられたりした子どもの親は、我が子が何のために生まれてきたのかと懊悩するであろうし、また加害者の親は、何故我が子が事件を起こしたのか、現実を受け入れることも理解することも出来ないだろう。どちらにしても、悲劇であることは間違いない。 こういう未成年犯罪・事件が多く起こるようになった背景として、ネットの普及やテレビの悪影響などと言われている。シャワーのように、様々な情報が無差別に降り注ぐ情報社会では、ある種の情報を拒否するほうが難しい。このような状況の中で、子ども達が皆、影響を受けているかというと、そうでもない。大半の子ども達は、情報をコントロールしながら、育っているのだと私は思っている。 親の立場はどうなのかと考えると、非常に辛い。どうあっても、現実は受け入れられないだろう。私は自分の子どもが欲しいと願っているが、仮に我が子が加害者となってしまったら、すべてを受け入れることができるだろうか。全く自信がない。そして、逆だったら? 考えれば考えるほど、親が子供にもつ責任の重さを感じずにはおれない。自分だったら、どのような責任の取り方が出来るのだろうか?? とても怖い。 せめて、我が子の健康を願い、心づくしの食事と食卓を与えることしか、私にはできそうにもない。それも大変なことなのかもしれないが。
2004年06月24日
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我が家の畑。なるべく毎日行くようにしているが、日々の成長を目の当たりにすると驚くべきものがある。 昨日は芽が出ていなかったいんげん豆の芽が出ていたり、水菜の若菜が大きく伸びてきていたり、ピーマンの実がなりはじめていたり。お日様から日差しをうけ、土から栄養をもらっている野菜達は、何も考えず一生懸命だ。 夫の職場の専門家の方が、近くを通りかかったときなど、ときどき足を運んでくれて、後で育てるためのポイントを教えてくれるらしい。二十日大根と水菜には虫よけネットをかけようという話も持ち上がっているようだ。色々な方々に教えていただきながらの野菜作り、有り難いことだと感じ入る。
2004年06月17日
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