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かって憂歌団のはやり歌の歌詞に「しとしと五月雨」という言葉があり非常に気になったことがある。また演歌では氷のように冷たい雨という意味合いで「氷雨」という言葉が多用されてきた。もちろん原義の五月雨は陰暦5月頃に降る豪雨のことであり、氷雨(ひさめ)は雹(ひょう)で文字通り温室のガラスを音立てて割ったりする氷の球で、趣きが全く異なる。菜の花ひとつとっても「菜の花や」と詠嘆する場合は、見渡すかぎりの菜の花畑が対象で、数本茎立ちしている畑隅の菜の花は「捨て菜」あるいは「捨て菜の茎立ち」と詠むべしと教えられてきた。そうでないと蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」や「五月雨や大河を前に家二軒」あるいは芭蕉の「五月雨をあつめてはやし最上川」などのイメージはつかめない。 和歌の雅の世界の連歌から発展した俳諧はそうした言葉のもつ雪月花の世界のイメージを受け継ぎ、花といえば百花あっても桜、月といえば夜毎の空に浮かんでいても秋の月に限定されるというのが伝統詩歌の常識であった。それは宮坂さんの『季語の誕生』に詳しい。 私は20歳の大学生の頃、詩表現の面白さに目覚め、30代前半まで堺発祥の結社「蘇鉄」の山本古瓢に師事し蘇鉄誌の編集にかかわり、句づくりに没頭した。そのかたわら師より雑誌『財界』の流れを汲む月刊の経済情報誌『ジャパン・ポスト』の俳句欄を担当するように頼まれ、その雑誌が廃刊になるまでの25年余りを選者として実に多くの俳句作品の批評をしてきた。その間実作から遠のいていたが、島国日本の雪月花の詩歌の伝統についても考えることが多く、ムックきのこクラブをスタートさせるに当たり、写真や短詩の表現を志す人たちのための手引きもはじめてきた。言葉は時代とともに変化し、イメージもそれを受け止める側の意識の変化により暫時変質していくものである。ましてや庶民の詩形である俳句は、季語に絶対的・固定的な基準をもうけるべきではないと思っている。私の関わる詩表現の世界では自身の感受性に正直な表出につとめ、季語・季題のいにしえのイメージを積極的に改定していこうと考えて「新しい言葉のために」と銘打ってあくまで自身の実感にささえられた17音詩を生み出すよう求めている。 このプログでの数日前の伽羅蕗の贈答句などは伝統詩人からすれば季重なりとして一蹴される性質のものであるが、私は季は伽羅蕗で月のイメージを添えても動かないと考えて提出したものである。 去来抄にも芭蕉が「唐崎の松は花よりおぼろにて」という句をある句座で表出すると門弟の中に季重なりを指摘するものがいたが、それには取り合わず「ただ眼前なるは」(おれはただ見た通り述べたまでだよん!)と答えたとある。 いつの時代にも規則があればそれを飽くまで遵守する人と、おおらかに受け止め逸脱も規則の内とする人がいる。国家の維持のために不可欠な法律でもどんどん時代に即した内容に改変される時代である。ましてや、詩作品は感性の世界の真実であり、現代の読み手が作者のイメージと同質のものを感じとってくれるなら雪月花の伝統をこそ積極的に打ち破っていくべきなのである。冒頭のさみだれは「さ」という語感から「しとしと」に短絡したものだが、こちらはいささか勉強不足があるとしても「氷雨」などはそのやさしい語感からは冷たい雨と受け止めている人も多いかもしれない。もしそうであれば国語辞典などでは氷雨(ひさめ)・・・本来、雹のことであるが、凍るような冷たい雨という意味あいにも用いられる。と加筆されることになろう。 そんな言葉たちを死語としてしまうか、あるいは新しいイメージを提起して現代の詩語としてよみがえらせるか。俳句という詩形はそうした意味でもとても面白い視点を与えてくれる。写真はヤブレベニタケ
2010年04月30日
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キランソウひとかたまりの阿弥陀寺 過日、しだれ桜で有名な知る人ぞしる川西の小刹を訪ねてきた。枝垂れの時季は過ぎていたが、住職の奥さんが花好きで境内は晩春の気に満ちており、さまざまな園芸種の花々を奥さんの解説つきで楽しんできた。しばし休息ののち寺を辞し寺垣をめぐり、もと来た道を帰りはじめてまもなく同行の I さんが、地獄の釜の蓋だと教えてくれたシソ科の植物と対面した。繁殖力が旺盛で地獄の釜もたちどころに覆ってしまうことから命名されたという。その話を聞きながらたった今辞してきた寺が浄土教の寺であったことからその因縁めく話をむすびつけて一句残しておいた。
2010年04月30日
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戦後65年、すでにわが国に力づくで手に入れた広大な植民地があったことも、若者たちが銃を持って他国へ赴いたことも事実として語っても全く理解できない世代が大半を占める時代となった。かく言う私自身も戦争を知らない最初の世代に属しているのだから事は複雑である。そんな私が父の遺志を継ぎ、慰霊祭を斉行している時代なのである。戦争は悲惨以外のなにものでもない。いかなる大義があったとしても戦争は許されるものではない。ところが、戦争はなくなるどころか益々激化の一方で、日本も非戦を憲法で明言しているにもかかわらず、戦争の片棒を担ぐことを強要され、それを断れば国際的に孤立するとまで脅かされ始めている。しかし、いかなる理由があっても安易に戦争を遂行する国々とは距離を置き、断交も視野に入れて付き合うべきである。人類の知恵は戦争根絶のためにこそ使われるべきである。21世紀も10年を閲し、世界はふたたび紛糾のるつぼと化しつつある現在、わが国は自らの態度を明確にする時節を迎えている。わたしたちの通常の意識では個人が人を殺すことは「罪と罰」のラスコーリニコフを持ち出すまでもなく大変なことなのに、大量殺戮は単なる統計学的な数字と化すことを戦争体験者たちは熟知している。そして人間は悲惨なことからは目をそらしたがることも手伝って、さまざまな負の遺産が世界中に存在するにもかかわらず、決定的なトラウマを体験しない人には伝わらないのが現状だ。 国家的な戦争を遂行した指導者は理由の如何に関わらず裁かれるシステムを考える時期がきているのではないかとさえ考える今日この頃である。そんな思いにはるかに届かないが昭和の日の今日、私たち家族と心を添えてくれる少数の友人たちが集い、厭戦の思いを新たにした。 写真は祭祀の準備の際、今日の日の意義を考えつつ碑に表裏あることを思い出し、あらためて親父と対面した折の映像である。
2010年04月29日
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昭和の日 碑の声聴く日なり藤の花 昭和の日の今日は、私たち家族にとっては、過ぐる大戦で日本に協力して戦い亡くなった北方異民族の人たち、あるいは戦禍に巻き込まれいのちを落とした異民族の人たちを祀る世界でも稀な慰霊碑の前で平和の尊さを再確認する日と心に決めている。発起人の父の遺志を継ぎ、私が主宰するようになってからでも8年、35回目の慰霊祭となった。 この祈念の日の心境はさまざまな思いが交錯してなかなか作品化はむずかしいのであるが、重いテーマはむしろさらりと流すことで胸を打つ作品に仕上がる。 掲句は最初「碑(いしぶみ)の声聴く日なり昭和の日」としたが、この下五ではあまりにはまりすぎて読み手の心にひっかかってこない。そこで昭和という時代そのものを振りかえる思いを込めて思い切って前書きにもってきた次第である。「生きるということは、民族の違いを超えて戦争にかぎらず先立った多くの同胞(はらから)たちへの鎮魂の思いを新たにし伝えることだ」と私は考えているので、この碑を建ててくれた父にはとても感謝している。 俳句作品は十七音で勝負するのが本領で、前書きは説明的となり句のもつ力を削ぐ結果になることが多いので慎重に用いるべきだが、この作品の場合、この大きなテーマを喚起させるなにがしかの碑の前に立って沈思黙考する人たちの姿のみを活写し、その思いを嘱目の藤棚の藤に仮託することによってさまざまな想像の糸口を読み手にゆだねる救いのある句に仕上がったのである。
2010年04月29日
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神戸の有名女子大で教鞭をとられ、退職後、フレッシュマンの大学院生に戻り、昨年博士号を取られた彪生さんですが同時に『めん食文化の1300年』を全面改訂し、農山村文化社から出版されました。この労作が、辻料理教室の50周年を記念してもうけられた辻静雄食文化賞の第一回目の候補にのぼり、審査員全員一致で受賞されました。あわせてここにご報告申し上げ、ますますのご健筆のほどお祈り申し上げます。 まだ現役でビシバシ企業の調理指導に駆け回っておられるのですが、さすがにようやく肩の荷がおりたと見え、今年からは私たちの風変わりなきのこ探訪会にも足を運んでくださっています。帰るさの最寄りの駅での一杯がまた楽しく彪生さんの人柄のにじみ出たお話の数々で、つい終電までということに相成ってしまいます。が、すこぶるお元気なご様子にあんな風に歳はとりたいものだと皆で語り合っていることです。
2010年04月28日
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伽羅蕗のほのかに甘き雨月かな きのこ星雲時代からの長老会員・奥村彪生さんから季節の便りのきゃらぶきをいただいた。一箸とって絶妙の味にうれしくなり、お酒も準備してあらためて賞味した。白いご飯とこれだけのとてもぜいたくな食事がはじまり数日間楽しんだ。きゃらぶきは塩辛かったり甘すぎたりでぴたり決まる味にはなかなか出会えないものだが、この伽羅蕗にははまってしまう。料理の達人とは、食べてもらってそれを食べた人たちの「ああ、おいしい」と言う笑顔を沢山みてきた人のことであって、技術は二の次の問題だと思う。もてなしの気持ちが技術となって自然に身についた料理人、それが彪生さんだと私は常々思ってきた。 さて、充分に賞味した後は、贈答句、挨拶句という俳句の根本にふれる表現について少しここで述べておこう。「きゃらぶき本当に美味しかったよ」と携帯でお礼を言うのが一番早いが、それと同じくらい単刀直入でいて、私の舌にそれはどう美味しく感じたのか、そしてなによりも贈っていただいた方の心づくしへの感謝もあわせて表現することこそが座の文学といわれる俳句の真骨頂なのである。これがうまいかへたかでその人の値打ちも決まる。挨拶句は他者との距離、あるいは間(ま)の取り方と密接につながっており、麗しい距離を保っておつき合いしているか否かがたちどころに了解される性質のものである。「たかが俳句」ではあるが「されど俳句」の部分がここにあると私は思っている。「伽羅蕗おいしかった。ありがとう」を作品化するにあたって私が心を砕いたのは下五である。上五・中七と伽羅蕗そのもののおいしさに触れ、下五でどう締めるか。これにはちと頭と心を使った。「友の顔」とかなんとか言ってしまうと携帯電話でご挨拶のほうがはるかに良いということになりかねない。そこでそれらが食卓に上った日々を振り返り雨の夜の多かったことに気付き、あれこれ考えるうちに月はみえないがその存在をほのかに感じさせる夜半の雨を添えてみた。これで決まったのである。雨月は月のバリアントで秋の季感を背景にもつ言葉であるが、伽羅蕗と拮抗しない。かつ、雨月物語にも通じ、読者に伽羅蕗と不即不離の想像力を掻き立てる。季節の贈り物が天上の食べ物へと変身するイメージの詩的連関を狙ったのである。よみは「きゃらぶきのほのかにあまきうげつかな」できゃらぶき・夏の季感が封印されている。
2010年04月28日
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マウンテンバイクそれし岩陰エビネラン 近郊の山々は渓流沿いの小道やかっての杣道、林道などマウンテンバイクやオフロードのジープの格好の遊び場所を提供しており、どこへ出向いても深轍のあとが幾筋も残っている。この間はそんな人たちのグループに出くわし、しばしその超絶技巧ともいえそうなハンドル捌きと重心移動に舌を巻いた。「こうしてただ観ているよりも自分でやってみるともっと楽しいだろうな」と一緒に眺めている仲間と話し合ったものである。彼らが帰ってからもしばし興奮冷めやらずここで弁当にしようということになって、それぞれすわりの良い岩角に腰をおろして昼餉をとった。そこはチゴユリや、ホウチャクソウなどもちらほらと見受けられ食事のひまに I さんにしっかりと解説してもらったのだが、その I さんが自生のエビネがバイク禍に逢着(語呂合わせではないよ)したのではないかと心配するので少し早めに昼を切り上げて崖を攀じて訪ねていった。「やっぱりやられたか」と言いつつ周りに目を投じてみると声をひそめて「こんにちわ。よく訪ねて来てくれましたね」と挨拶の声が。振り向くと点々とエビネの株が。ああ、よかったと I さんが胸なでおろしてみんなを呼んだのだが、それがいけなかった。せっかくバイク禍にもめげず生き残ったエビネのまだ蕾もつけていない株を「何処でっか」とドカドカと踏み込んできた人たちの足がほぼ全滅させてしまったのだ。あっという間の出来事で I さんは苦笑するのみであったが、心中穏やかならざるものがあっただろう。手前勝手な愛情から自然を愛するということは、自然とまったく無縁に生きる人たちよりも数十倍罪が深いことを自覚すべきときが来ているのかもしれない。
2010年04月27日
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川鵜今日も孤影宿せる隠れ沼 このところ全国の河川で川鵜が増えているらしい。この動物や禽類が増えているという意見にはそれぞれ伏線があり、個々に検証が必要だが、この春浅き頃より朝の通勤のおりに通る隠れ沼と言えそうな小さな沼に川鵜が住みついている。しかし、私の知る川鵜は常に群れを成しているイメージがあるのだが、この川鵜は常に一羽なのだ。 三方を小山に囲まれ外部から見えにくくなっている碧い瞳のような小さな沼に張り出した枯れ枝に黒い影がポツリとある様子はとても気になる光景である。今日の一句はそんな気になる光景を言いとめることにした。季節を喚起する詩語は鵜で夏の言霊を背景にもつ。 また、図像は昨日岩根山で出会った同じく木洩れ日の森で働くクヌギタケだが、こちらのほうは孤独は孤独でも生き生きとして働く明るさが印象的だ。
2010年04月26日
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初顔あわせとも言うべききのこ探訪は、川西きのこクラブの岩根山もうで。ここでは20m毎に杭を60本打ち、そのそれぞれの地点に発生するきのこをチェックする方法で定点観察をはじめて12年になる。ここのきのこの移り変わりをみていると、やはり都市近郊の里山から年々きのこが消失していっている様子がはっきりと感じられる。去年みたきのこが今年は一度もみかけないことや、10年前にはかなりの個体数がみとめられたきのこが隔年少しだけしかみられなくなっているなどは日常茶飯事である。やはり土壌の力が年々弱まってきていることは明らかで、自然の浄化作用自体が欠如しつつあるのを感じる。本年第一回の探訪では、腹菌類や二重寄生の冬虫夏草、チャワンタケ、アミガサタケなどの子嚢菌、そしてクヌギタケ、ミイノモミウラモドキ、カワリハツ、ヤブレベニなどベニタケの仲間たちが早々と顔をのぞかせて心なごませてもらった。
2010年04月25日
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廃園の午後睦み合うハルシメジ 春のきのこの代表はなんといってもアミガサタケとキクラゲ、ヒラタケだが、それらのきのこたちとバトンタッチするかのようにハルシメジが姿を現しはじめ、八十八夜の直前まで続く。地温のたかまりとともに一斉に押し合いへしあい発生するのがこのきのこだ。そして5月の連休を迎えるころともなると中型の食用きのこの発生は一段落し梅雨の走りまで端境期に入る。
2010年04月25日
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神ありや? なし!! 仰ぎ見る楠新樹 外国の人たちにはアジアのそのまた島国の日本人の神についての考えがとりわけ理解できないようでロス・アンジェルスのRyokoさんからもよく佛教や歴史についてたずねられるとメールにありました。そんな日本人こそもっともわからない神さまのことを私は小さい時から考えてきて今は掲句のような思いを抱いております。西欧的な一神教の神はイエズス会のザビエルのわが国へのキリシタン布教の頃から理解された験しがなかったこと。私にとっても究極の神は創造神ではなく自然(じねん=nature)そのものであると思っています。そして困ったときの神だのみと言う場合の神は祖霊であろうかと。私を見舞う克服しがたいような困難や悩みを親身になって一緒になって悩み、慰めてくれるものは親兄弟そしてその昔(かみ)の血族以外にありえないと思うからです。わたしたちアジアの民は、神を絶対無二の存在として創り上げなかったことがもっとも重要な点です。この発想がこれからの世界で人類を一日、一時間、一分、一秒でも先に生きながらえさせてくれる鍵をもっていると考えています。私は宗教よりももっとおおらかな意味で多様性に満ちた世界を多様なまま引受けているきのこを究極の自然のシンボルと考えています。これは「あれかこれか」の判断のみで進化してきたと錯覚する西欧由来の発想をやんわりといなしてくれる唯一のものだとも思っていますので。アジア人のそのまた辺境の島人である私たちは、信仰心は一神教の人たちよりももっともっと寛容な形で持ち合わせているのですが、神は存在するか?と大上段に質問を投げかけられると無いとしかいえない。そんな複雑な思いを一挙に解決してくれるのが新緑の今もっとも目に優しい楠の大樹に真向かったときでした。楠の新樹をみつめていると私のそのような思いがすっと感情移入されるのです。 楠を短詩で樟の漢字を当てる人がいますが、この文字からは樟脳の匂いが強調されすぎていただけませんので通常は楠公さん同様、楠の字を当てるべきだと思います。Ryokoさんいかがでしょうか。神は一つであると教えられて育った人たちに八百万や密教マンダラにみられる多神教の世界はとても理解しにくいものですが、曼荼羅でも大日如来は擦過するダイナミックなセンターとして機能しています。絶対的な存在ではないのですね。これは太極図の結束点の役割を果たしているもので、MOOKきのこの3号の巻頭で少しふれておりますので併せてごらんください。あなたがアメリカへ発つ前ご一緒した折に余興で梅樹のMochalla Huntingをした時の写真が出てきましたので添えておきます。Los Angeles Mycological Societyでの講演がんばってね。
2010年04月24日
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今回のギャラリーきのこのトークは労音の芸術活動振興を手がけてこられた和田鈴江さんの苦労話や彼女自身の芸能趣味生活にはじまり、かけがえのないわが国の文化・芸術世界がどんどん切り捨てられていっている状況を話されました。彼女のこれまでやってこられたことは「現役で働いている人たちが良質の文化を享受できる環境づくり」といえるものでそれをご自身も楽しみながら今日までやってこられたことがお話の端々に伝わって来て、それぞれ一家言をお持ちの参加者の方たちの琴線にふれ、話は膨らむ一方でこのまま夜明けまで語りつくすのではないかと思える夕べとなりました。このお茶会は2部制になっており、1部で話題提供者のエントリーがあり2部ではまずビールで乾杯の後、リーザさんのきのこをふんだんに使ったロシア料理の数々を賞味しながらそれぞれが演者に質問をする形で思いのたけを述べるというもので、ギャラリーを支えてきた人たちの懸命の努力のお蔭で素晴らしいものになってきております。和田さんのお話の中で特に私の心に留まったものは聴覚障害者たちの音楽鑑賞会や彼女が多くのミュージシャンと接して考え抜いてきたプロとアマの違い、あるいは鑑賞者と表現者の間にひろがる空間が両者のダイアローグで埋められる瞬間に立ち会った感動などでした。 また機会をあらためてもう一度こうしたテーマでお話をお聞きしたいたいものです。
2010年04月24日
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オオルリの一閃老樹気色立ち 色呆け老人であることを重々承知でいいますと私は女性と名のつく不思議な生きものの80%は「なんでそんなにきれいの」って思ってしまいます。しかし、この歳になって私が好きになる世界中の女性の80%は心身ともにきれいでありたいと願っている人たちなのだと思い至りました。 朝の通勤電車で時折隣り合わせになる女性や途中の駅のブラットフォームにたたずむ女性などもとても心惹かれる瞬間が毎日あります。私がきれいだと思う女性にはそれなりの理由があったのですね。そんなときめきの究極の出会いが先般都心の梅林でありました。残念ながらそのときは女性ではなく鳥でしたが。 掲句は、実ウメがチラホラつきはじめた梅林を数名の友らとさすらっていたとき、出会ったオオルリを一句に言いとめたものですが、原句はやはり私たちを含め梅林そのものが色めきたったということで、「オオルリの一閃(いっせん)梅林気色立ち」としていました。が、語呂が悪く次に梅林を梅樹に変えました。が、どうしても梅が入ることでオオルリに出会ったかけがえのない出会いの感動が梅花のイメージと拮抗し、句意がうすらいでしまいます。そこで思い切って梅を切り捨てて老樹にしたものです。これで句姿もすっきりし、時々刻々美しいものをみて気色だっている色ボケ老人を絵に書いたような私の自戒の句ともなったわけです。17音で自身のそのときの感動を最大限に言い止めようとする場合、感動の芯をしっかりと手離さず、猥雑な枝葉はすべて切り落としてかかることが重要なことがおわかりいただけたでしょうか。
2010年04月23日
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四天王寺の寺域に物部守屋の小祠があると聞き及び、取るものもとりあえず駆けつけたというのが本当のところだが、摂津名所図会によると四天王寺の項に「守屋祠 太子堂の後にあり。今参詣の者守屋の名を悪(にく)むや、礫(つぶて)を投げて祠(ほこら)を破壊(はえ)す。寺僧これを傷んで熊野権現と表をうつ。祭る所、守屋大連、弓削小連、中臣勝海連の三座なり。」とあり聖霊会とはまた異なる意味で寺僧らが守り伝えてきたヘテロな伝統である。わたしたちは日本史の教科書でステレオタイプ的に聖徳太子と蘇我馬子らの仇敵とされ、悪の権化のように教えられてきた物部守屋だが、このたびの高代寺に発する「きのこの世界遺産」の旅では、そんなところも史料や歴史的な現場に立ってみてきのこの声に耳傾け再検討すべきだと考えている。善悪という二元論ではないきのこ的なものの見方は今世紀の地球にとって欠くべからざる視点であることを力のかぎり立証していきたい。訪ねてみると以前写真でみたものとは打って変わってきれいに再建されており、時代が変わったことを痛感した。この守屋の祠からまた新たな守屋像を探り再構築していきたいと思っている。
2010年04月22日
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わたしにとって聖霊会の雅楽はまったく期待していなかっただけに、とても新鮮で驚きであった。天王寺楽人の伝統を引き継ぐ「雅亮会」が全面協力して古式豊かな舞楽を今に伝え、重要無形文化財に指定されていると受付の女性に教えられました。 わたしはこの日別の目的をもって寺院を訪ねたのですが、この日にダブらせたことはラッキーでした。
2010年04月22日
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4月22日は四天王寺に縁のふかい聖徳太子の忌日にちなみ聖霊会(しょうりょうえ)が催される。生憎、朝から卯月特有の長雨で季節的には晩春なのだが、すでに初夏の気配定まる「卯の花腐し」にふさわしい降りっぷりであった。早目に仕事を切り上げ、急遽四天王寺に駆けつけたが毎年は石舞台で催される祭礼も六時堂内に移行し、遠く降りしきる雨越しにしずかに眺めることとなった。わたしにとっては怨霊封じの四天王寺にふさわしい厳かな舞楽としてしみじみと楽しむことができた。 笙しちりきどよもす伽藍青柳 聖霊会都塵を浚う雨の中 破邪の剣卯の花腐し切り分けよ 一句目は素晴らしい天王寺舞楽協会の楽士たちによる雅楽の調べを堪能できたことがまず驚きであったこと。大阪の都心の寺域を大音声の雅楽が流れる中、古式豊かな舞楽が演じられるさまはとても不思議な感覚で菜種梅雨あるいは卯の花腐し(うのはなくたし)の雨がとてもしっくりした趣きを添え、しばし愉悦の刻に浸ることができた。その何ともいえぬ感覚を嘱目の柳に託してみた。 また異例の雨の中での太子忌となったこの日、都心の雨と太子の忌日の祭りを組み合わせて本日の一期一会の印象を確かなものにしたいと考えてやや現代風なシチュエーションを盛り込んでみた。舞楽もたけなわになると剣舞が取り入れられこの鬱々たる雨を断つかに思えたのでそのまま一句に仕立ててみた。
2010年04月22日
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鍵穴のむこうはさくらさくらかな きのこは単なる鍵穴。鍵穴の彼方を暗示する存在です。だからこそ究極の自由を体現しているかに見えるのです。きのこに鍵穴以上のものを求める人たちはその思いゆえに行き詰まってしまいます。自由をはきちがえた人たち同様に。きのこはそんな意味でもメドゥーサの涙のように悲しくも恐ろしい存在なのです。
2010年04月21日
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都心のきのこ探訪のついでにカササギの森の宮へ立寄ってみた。この地は物部守屋の所領であったところらしく、この神社は四天王寺の原型だとされている。歴史の教科書では崇佛派と崇神派の戦いの結果、殺されたとされる守屋さんだが、そんないかにもの理由では語れないように思われる何かがこの当時の大和にはあった。聖徳太子は当時まだ中学生くらいのハナタレ坊主だから兵を率いて戦ったというのもおかしいし、太子が天王寺建立を手がけられるはずもない。パトロンとされる秦の河勝も太子とどっこいどっこいの歳のようだったし・・・。これはもう蘇我馬子が必然から守屋を殺したと考えるほうが正しい。その後味の悪さから怨霊封じのために建てられたといわれる四天王寺の原型がここに現存していることの不思議さにふらふらと自然と足が向いてしまったのだ。写真家の時田嬢がムッ苦きのこの近未来を占うおみくじをひいたところ大吉と出たらしく、めでたしめでたしの一日でした。 本日よりムックきのこクラブの読者のために一日1句の句日記をはじめます。 卯月二十日(穀雨) とりどりの傘花過ぎの空の下
2010年04月20日
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ムックきのこクラブは、ギャラリーきのこクラブ友の会会員さんに向け紙出力で郵送してまいりましたが、コスト面からフルカラーでお届けできていないのが現状です。が、会員の皆様もほとんどがメールをこなせるようになってきておりますので、投稿者のマイページを容易に出力し友人知人に配ったりする際の便宜を図るためにオリジナル編集ページをすべて思い切ってカラー版PDFで毎号お届けすることにいたします。つきましてはご自身のメールアドレスをムックきのこクラブ事務局までメールでお届けくださいますようよろしくお願いもうしあげます。又、パソコン環境をお持ちでない方にはもちろん従来通り紙出力の会報をお届けいたしますのでご心配は無用です。以上お知らせ申し上げます。目下昨年創刊のムックきのこクラブは隔月刊で創刊号(2009年6-7月)、2号(2009年8-9月)、3号(2009年10-11月)、4号(2010年12-3月合併号)、5号(2010年4-5月)まで出ております。希望者はご遠慮なくお申し出ください。それにともない、前年度はギャラリーきのことムックきのこの年通信費2000円の重複振込を避けるためにどちらか一方に会費を振り込んでいただいておりましたが、本年度よりムックきのこクラブへお振込の年会費はギャラリーきのこクラブ会費に充当し、ギャラリーきのこクラブ全員にカラー版PDFを配信いたします。もちろんきのこ探訪会にも自由に参加いただけます。よろしくご理解とご協力のほど。ムックきのこクラブ事務局メールアドレスhetero8@j-fas.com /
2010年04月19日
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原田さんの体験談にこの日、都心のきのこ探訪会で朝から同行していただいた料理研究家の奥村彪生さんも最後までおつき合いいただいたのですが、素晴らしい話とおいしい料理の数々、そしてとりわけお気に召したグルジアワインのお礼にということで目下修業中の洋楽に乗せて唄う万葉歌(柿本人麻呂と大伴家持)を2題披露してくれました。奥村さんは原田さんとは中国の杭州時代で偶然つながり、またまた盛り上がったのでとてもうれしかったのでしょう。こうした巧まない人と人とのつながりが少しずつひろがってギャラリーきのこのあえかな流れが形成されてきたことにあらためて感動したひとときでした。
2010年04月19日
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昨18日の日曜日は、ブレジネフ時代の1963年から1968年の5年間にわたりソビエト連邦はモスクワのルムンバ大学へ留学された原田裕大さんをお招きし、貴重なソビエト体験をお話していただきました。聞きしにまさる数奇なソビエト体験は、ソ連時代を知らない現役の学生のみなさんやロシア語研究者にとっても、「社会主義革命とは何だったのか」を日々噛みしめているわれわれの世代に近い人物にとってもとても興味深いお話で時間の経つのをわすれました。 途中からはグルジアワインやビール、ロシア料理、きのこ料理も入って活発な質問も出て春灯の下、それぞれの春を見つめるよい機会となりました。帰国後紆余曲折ののちに、氏は経絡指圧の道に邁進し、すでに30余年。限りある人生の有終の美を「ロシアに経絡指圧の真髄を広める」という大志で飾ろうと目下、着々と準備しているとのことです。リクエストも多くもう一度機会を設けたいと思っています。
2010年04月19日
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ムックきのこクラブ春の最初の一歩は恒例の都心のきのこ探訪。花過ぎの晴れ渡った空の下、老若男女とりまぜてぺちゃくちゃ駄洒落バトルを繰り返しつつハルシメジ、ツバキノキンカクチャワンタケ、今年は寒い頃から楽しませてもらったアミガサタケなどを探訪。本年は奥村彪生さんを迎えて、野生きのこのちょっとおいしい食べ方の提案をお願いし、四季の食用きのこの生息現場に立ってきのこの声を聞いたうえでさまざまに調理してもらうため、方々のきのこスポットへお連れしています。浅春の頃たずねたアミガサタケと今回のハルシメジは試作の上、ムックきのこクラブの同人と試食会をいたします。 毎月の第三日曜日はどうぞカレンダーに登録していただきそれぞれのもてる才能を活かしきり、MOOKきのこのこだわりのないしかし、キラリと光る精神を継続発展させていきましょう。
2010年04月19日
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2010年のきのこ地蔵の旅は加西で見初めた異形地蔵の中で造形的にみて時代の枠をはるかに超えてしまった表現形を求める旅を始めたいと考えている。線刻の地蔵像や北条の五百羅漢像の中にも到底日本人の骨格とは似ても似つかぬ不思議な造形作品がごろごろしており、その表現様式にもそれぞれの造形的なエコールが感じられるものが数多くあり、それも近江や伊賀や近畿一円に広がっていることもわかってきている。それらの造形美をまず図像的に抑えてみたいと思っている。
2010年04月17日
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本年度のムックきのこクラブの探訪会は、川西猪名川町を中心に、きのこのひとり語りに耳傾けながら物部、秦といった古代豪族の痕跡を河内にはじまり、三田、京、奈良、和歌山、近江など近畿一円を興にまかせてたずね歩き、古今ないまぜにしたいきもの曼荼羅と物語をつむいでいきます。
2010年04月17日
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去る3月ギャラリーきのこで北村グルメ亭がひらかれました。メジ10kg弱を解体しメジづくしの料理と美酒を楽しむ会で、これはこれは言葉に尽くせぬ喜びでありました。 さていよいよパソコン環境のリニューアル・修復も完了しMOOKきのこ4つの流れを総合化し展開するきのこ暦第三期の新しい活動を展開する季節が巡ってまいりました。それにあわせて夢みるきのこブログもスタートいたします。どうぞお立寄りのほど。
2010年04月17日
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