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ギャラリーきのこの野生きのこ料理の会とかちあってしまった月末の日曜日、この春からの約束を果たすべく、明日香の蘇我氏の居宅跡と比定される甘樫の丘界隈のきのこ探訪と、その後奥村彪生料理スタジオを訪問を敢行した。 甘樫の丘では神無月の最後にふさわしいさまざまなきのこたちが出迎えてくれ、彪生さんも参加メンバーも大喜び。昼食を終えた頃から雨が降りだし、2時を過ぎるころからはいよいよ本降りに。しかし、きのこと出会う喜びをいささかも邪魔するものではなく、その後小一時間もしないうちにクロラッパタケの群生、ムラサキシメジ、そしてエリマキツチグリ、ズキンタケ、そしてミミブサタケ、キツネノエフデと珍菌もまじり、ずぶぬれになりながらの逢瀬を楽しんだ。 ここで採れたきのこの内、ムラサキシメジとハタケキノコ、クロラッパタケ、ホコリタケ、ササクレヒトヨタケは彪生料理スタジオで先生自ら腕を奮っていただきさっそくクロラッパタケのクレープ、ホコリタケも入れた茶碗蒸し、ムラサキシメジハタケシメジの炒め物をつくっていただき、大江きのこ青年持参の福岡の期間限定ひやおろし、その名も「ポルチーニ」という美酒と共に賞味した。そもそもこのスタジオ訪問は、この春先生と一緒に採ったアミガサタケとハルシメジでクリームコロッケとミートパイを作ったから「皆にごちそうするから一度おいで」と言われながらもきのことのデートに忙しくなかなか時間がとれなかったものを一挙に片付けようという企画だったので参加者一同、根性が入っていました。先生は関西のきのこ料理でも草分け的存在で、小生も初学の頃の30年近く前にすでに保育社からカラ―ブックスで「きのこのおかず」をモノされておられたほどのきのこ好き。スタジオも今となっては貴重なきのこグッズが並べられており、私にとってもスタジオ訪問は夢のまた夢のことでしたので本当に幸せ者だと感じたことです。 それにこれまで電話でのお声しかなじみのなかった先生の奥様、そしてとても優秀なアシスタントの山田さまのお二方にも、尊顔を拝することができ永年の懸案事項も雲散霧消した思いでいっぱいでした。 写真は、ハルシメジのたっぷり入ったミートパイを切り分ける奥村彪生先生。
2010年10月31日
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午後北浜に近いエルおおさか9Fで開かれている27回を迎えた杏萌社・林春杏画塾生の画展へ出向いた。夜の顔俳句会の菊池享君が営々と研鑚を重ねてきた南画作品が出ていると聞きいてもたっても居られず駆けつけた次第だが、享氏の作品は「就職活動」リクルート会場へ赴くフレッシュマンの待合風景。表情がとても面白い。もう一作は「祝祭の日」マスカラードに身をやつした人物画で背景にヴェネツィアの風景が描かれたもの。作者の憧れの地ながらいまだ未踏の地らしく、そのためかそれぞれの絵は丸枠に囲まれ想像上の作品であることを告白していた。師である林春杏が仏画を賛助出品すると聴いていたので仏画では分が悪いので急きょ画題を変更したと語っていたが、彼の作品を折々観てきた小生にはまた新しい境地を垣間見た思いがした。ここで偶然、蘇鉄社の現主宰・肌勢円女氏と出会い、旧交を温めた。とは言っても私の蘇鉄時代は円女さんは誌上作品のみのおつきあいで、尊顔を拝したことはなかったので初顔合わせということになる。かっての蘇鉄では異端視されてきた作風で、それゆえ愛惜やまなかった作家だけに、小柄ではあるが眼光するどいものがある女性でホッとすると同時に会えてよかったと感じた。 その後、大阪城築城の際のゆかしき地である生玉さん界隈をぶらり散策して、MINAMI JAZZ WALK に参加のため黒川紗恵子さんが来阪し、この夕べ、肥後橋の「CHOVE CHUVA(ショビ・シュヴァ)」でライヴをやるというので開演30分前に到着。黒川さんは第一部マヌーシュ・パーティでジプシーミュージックを、第二部は太田ピカリユニットのショーロ。 マヌーシュ・パーティーのパースネルは平野広泰(G)赤須翔(G)今給黎久美子(B)黒川紗恵子(CL)。のっけから素晴らしい乗りで黒川さんは水を得た魚のようなよどみないリフをたたみかけ観衆を魅了した。 続く太田ピカリユニットのパースネルは瀬戸信行(CL)持田桐(ACC)山田やーそ裕(7GT)太田ピカリ(DS)。こちらは「泣きのショーロ」と言うよりは「激昂のサンバ」というほうがふさわしいようなギラギラしたパッション溢れる好演で初ライヴと思えないとてもパンチのあるものだった。瀬戸さんのクラリネットの咆哮にピカリさんは時々辟易しながらもビートを打ち続け、アコーディオンの持田さんとギターの山田さんは振り回されながらもショーロの芯だけは必死に保ち続け、1曲終わるたびになぜかホッとさせられた。そして酉は黒川さんと瀬戸さんのクラリネットバトル。2人の楽器はバスクラリネットではないのだが、なぜかエリック・ドルフィーのLAST DATEを彷彿させる演奏で、プレイヤー魂の悲哀がそこはかとなく漂ってくるのを感じた。 とにかく今回のライブでは黒川さんが何か吹っ切れたものがあるようなとてもさばさばしたドライヴ感溢れる演奏を聴かせてくれ、とても大きく成長したように感じた。来春のセカンドCDの発売が待たれる。 会場を出るとすでに雨は止んでいたが、台風が関西をそれた理由もこの風変わりなショーロとマヌーシュ・ミュージックが来阪したせいだと言っても過言でない気がした。 写真はライブ最終曲の黒川、瀬戸バトル光景。
2010年10月30日
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大須賀乙字の2句1章論は、17音の短詩の詩性は2ツの句の断絶にこそ胚胎するとし、短詩17音も2句で1章とし、それぞれの句は意味や音の断絶をもうけて完結させ、その論理・リズムの飛躍に詩性を込めることで詩となると述べた。 この乙字の発想は、和歌の世界が575の上句に別の作家が77をつけて飛躍を意図的に設けることで面白みが増すことを発見して連歌が誕生した時代から存在し、我が国の詩世界は短い上にも益々短くなる方向へ突き進みはじめてきたことになる。それを庶民の知的遊戯として形式を継承しつつ内容を庶民的なものとしたのが連句であり、575、77、575、77と36句、あるいは100句をさまざまな作家がつけてひとつの詩的世界を共同作業でつくりあげることを歌仙を巻くと言う。その連句を大成させたのが松尾芭蕉で厳密な規則に則ってさかんにつくられたのが江戸時代である。その巻頭の575の発句を独立させたものが子規の提唱した俳句で、俳句は独立していて、しかも独立しておらず、常に後続の36句あるいは100句との関係性を意識するものとしてあるという立場が虚子をはじめ有季定型の伝統俳句の宗匠たちの立場であった。それを理論化するのに大いに力を発揮したのが「俳句は挨拶である」という論旨を展開した山本健吉であった。 政治の季節の終焉を迎えた1960年代後半に俳句の世界に参入した私は、堺の結社「蘇鉄」に拠り編集同人として虚子流の花鳥諷詠の世界との距離を自覚的に測りながら伝統俳句の世界に新しみをもたらすという作業に10年余りの間没頭することになる。そんな際に芭蕉の弟子の著した「三冊子」や「去来抄」、折口信夫の直弟子で、出版社の編集子でもあった山本健吉の著作や意見はとても参考になった。しかし、昨今の言語芸術は戦後をリードしてきた作家らの大半が鬼籍に入ってしまったこともあっていずれの詩世界も足踏み状態がつづいている。(残念ながらいかなる芸術も1代かぎりで、家元制度を導入したとしてもそれは型の伝授でしかない。その刻々の心の動きまではマニュアル化できないのだ。まして言語芸術は型をやぶることを型としてきたこともあって型をやぶる現役作家の非在は致命的である)そんな世界に一石投じようという動きがムックきのこクラブの有志の協力もあってようやく菊池くんの「夜の顔俳句会」で始まったことはよろこばしいことである。願わくは俳句は「過渡の詩」であることによってのみその詩性を発揮するということを忘れないでほしいものだ。 引き続き、きのこのヘテロアート世界でも新機軸を打ち立てなければならないが、きのこと芸術の素晴らしいバランスを保ちながらあたらしい原理的な企画を打ち出せる力量をもった人はいまだ極々少数にすぎず、まだどう流れを生み出すのか未定のカスケード(小滝)状態である。 そもそもきのこアートは、あらゆる作家の中でもメインで扱われることは稀でつけ足しにしかすぎなかったことがこの世界の根源的な貧困を物語っている。「新しい時代を画するきのこアーティスト現われよ」がMOOKきのこ13巻の目的であったことは言うまでもない。 しかし、数日後にはじまる霜月、師走の2ケ月には「ギャラリーきのこ」でもとよ田キノ子さんの移動作品展「Mushroom meets girl」があり、堀博美、飯沢耕太郎氏らの精力的な普及活動も展開され胎動は続いている。2011年はこうした胎動を鳴動にし、細流れをどう統合し大河の流れに太らせていくかが課題となろう。 写真は今年比較的多く見られたアオイヌシメジ。
2010年10月29日
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のんびり構えていたら、「借り家暮らしのアリエッティ―」が最終日だと気づき、先日慌てて宝塚のシネ・ピピアへ飛んでいって観てきた。宮崎駿の作品は私には訳あって「隣のトトロ」以来涙無くしてみられないものだが、この作品はサーシャちゃんが最近一番のおすすめと言っていたので、やはり観ずにはいられなく、また泣いてしまった。 「隣のトトロ」は日本人の自然の源郷を想起させてくれる哀惜やまない作品だったし、「もののけ姫」ではたたら族の存在にスポットが。「借り家暮らしのアリエッティ―」はコピーなどからはそんなに期待していなかったのだが、おもいがけず、矮人族の存在に夢を馳せる物語で、数カ月前ここで採り上げた辻原登の『闇の奥』に通底する現代人の盲点を突くリリカルなアニメ作品だった。 心臓病の手術を明日に控えた男の子がアリエッティ―の一家のことを絶滅に瀕した生き物だと言いながら、「しかし僕もそんなこと言えた柄じゃないね。」といわせるあたり、滅びゆくものたちを通して人類の倨傲(きょごう)を気づかせていく宮崎独特の手法が光っている。 アフリカのピグミー族に連なる矮人族の系譜を辿る生物学者、人類学者はかっても今も厳然と存在するが、隠れ里伝説同様、桃源郷への渇望とないまぜになったものとしてまともに取り扱われてこなかったが、現代人の心の渇きをいやすものとしてサブカルチャーの世界ではひとつのピークを成すジャンルとして真剣に追求する人たちもいる。きのこにまつわるフェアリーたちの伝説も同じ範疇の事柄である。いずれも喪われていく世界に対する哀惜の念が滲んでいるのが共通項だが、1年に5cmずつ地球から遠ざかる月や地球最後の野生生物「菌類」への思いは曳かれものの小唄ではない毒を孕んでいる。私はそんな「人によっては致命的な毒性を発揮する存在としてのきのこ」に注目してきた。 そんなきのこの妖しくも美しい世界を表現する作家たちの登場を30年近くもの間待ちこがれてきたことになる。そんな意味でも今年はひとつのターニングポイントとなる年である。きのこを愛する人たちはそろそろそんな時代に差し掛かっていることを自覚すべきであろう。 写真は「HIDE & SEEK」1995刊 Gail Goodwin 作のポストカードシリーズ"CLASSICO SAN FRANCISCO"より。ベニテングダケに小人の子供たちがかくれんぼしている様子を構成写真で表現したものである。
2010年10月27日
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月曜日、暖かい雨に見舞われた夜、しまいかけの書店でいよいよ万葉集に探索の爪痕をしるしはじめた関裕二の『なぜ「万葉集」は古代史の真相を封印したのか』と、外務省気鋭の武田善憲書き下ろしの『ロシアの論理』-復活した大国は何を目指すか- に目がとまり買い求めてきた。 一夜明けると木枯らし一番ともいえる風が関西にも吹き荒れ昨日までの夏から秋を一挙に通り越して冬の到来を思わせる一日となった。 いよいよ欠けていく月とともに霜月の足音がそこまで。年老いてなお健在の母親が墓参りを気にしているので、急きょ思い立ち時雨のおさまった午後、車椅子に乗っけて墓参をすませてきた。なんとか、この短かった秋の間に身辺整理もでき、冬へと向かう準備も整いつつある。 今年出会ったキノコの不明種の一つ、Dermocybeグループかと思われる赤みのつよいキノコをあげておこう。Mycenaグループのチシオタケかと思ったが類似点はサイズと繊細さのみでごらんの通りのまったく別物でしかも地上生である。 この夏、私には秘めやか、かつ大いなる出会いがあり、それは月との遭遇ともいうべきものであった。これからのヘテロソフィア・アート世界(既存の希少世界をベースにそこからも超越していくベクトルをもった人間の精神活動)の指針をそこから汲み取りつつ、以下の方面で精神遍歴をはじめている。総じて、私の考えの核が理解されにくいのはあらゆる事象を常に流動性、開放性を第一義としてとらえ判断しているからである。固定したものはどんな光輝を放っているように見えても私からみれば死の世界に属している。私にとってスーパー(超)とはそのようなものでしかない。1. 月ときのこの親和性についての新しい世界の開拓2.ロシアの経済・文化両面での新しい分野の開拓3. 短詩世界を青春性を武器に絶えず流動化させ、新しい表現の開拓 このほか、ヘテロソフィア音楽の動向や地蔵・島なみについてもいずれもシュール(超)を冠した世界への足跡を記していきたいと願っているが、身も心も一つしかない。 上記1.2.3.の項目をうまくリンクさせつつ、本年、MOOKきのこ同人の茶留さんがいみじくも命名してくれたガウディのサグラダファミリアをもじったマダラノファミリアよろしく協力者を募りながら最小限の精鋭の人財で未踏の領域へ一歩でも喰いこんでいくしかない。
2010年10月26日
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久しぶりに月究派の小説に出会って一挙に読み切った。「月の石」原題 La pietra lunare。詩人で大学生の主人公ジョヴァンカルロは休暇を一家の郷里である田舎の館へ過ごしにもどってくる。そこで山羊の足をした美しい娘グル―と出会い、恋に落ち彼女の手引きで月の光の支配する世界の神秘的な自然に溶け込んでいき、さまざまな幻想世界への参入の果てに遂に3体の母なる月女神(おそらくアルテーミス、ヘカテ―、セレネ―であろう)と対面し大地の洗礼を受ける。1章のグル―との出会いまでは、その田舎の退屈きわまりない日常世界が描写され、うんざりするが、それもグル―との出会いを際立たせ、月の支配する世界への参入までのイントロとしてはこの上ない対比となって、とても魅惑的な作品に仕上がっている。一読して大いに気に入ってしまった。表紙の装画もレメディオス・バロの手になる「星粥」でとてもおしゃれである。
2010年10月25日
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日曜の今日はギャラリーきのこへ出たあと、すぐに先週から気がかりなショウゲンジの発生状況を観察するために川西きのこの会を断念してほうぼうの発生ポイントを巡回してきた。この1週間、ついに雨がなかったものの、気温も少しずつ下がり始め夜露もそそぎはじめているので、おそらく顔をのぞかせているだろうと予想しての入山であったが(なによりも満月のあえかな光が差し込んだ谷筋にはなにはともあれ当季のきのこは顔をのぞかせるとの確信めいたものさえあった)、案に違わず、走りのショウゲンジが一斉に顔をのぞかせていた。そのほかムラサキシメジ、クリフウセンタケ、サクラシメジ、ナラタケ、ヒラタケ、立派なウラベニホテイシメジなどすべて出そろい、秋のきのこたちの顔ぶれもようやく出そろった感すらした。 近年阪神間の山ではマツ山が老朽化して、ハツタケ、アミタケは減少傾向にあるが、本日はショウゲンジの発生する老齢のマツが林立する林を総なめし、若いマツの林は敬遠したので、アミタケ、ハツタケ、ヌメリイグチ、チチアワタケの類いとは出会うことはなかった。次回の休みにはその方面の林もチェックしたいと思っている。 写真は、とても見事なウラベニホテイシメジ。このきのこは私のテリトリーでは今日が旬で見事な姿形のものが林立していた。
2010年10月24日
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曽和尚靖師京都市芸術新人賞受賞を記念して京都の金剛能楽堂で開かれた表題の演奏会へギャラーきのこのホープMさんが出演するというので駆けつけてきた。 Mさんたちの演目は「三番三」。笛・石井喜彦、大鼓(おおかわ)・杉市和、鼓・松田陽子、若林泰子、長嶺幸子で謡いは若林邦昌、茂山茂の錚々たるメンバー。とても聴きごたえのある曲目であった。いつもは、知人の演奏が終わると帰るのだが、この日の大会の主役・貴公子のほまれ高い曽和尚靖師の演奏も聞かねばと夕方まで、会場ですべての演奏を聴き久々に古典芸能の世界を堪能できた。曽和氏の演目は一調の「放下僧」宝生流の謡・田崎隆三、鼓・曽和尚靖でさすがに勢いのある演奏であった。この日、杜若、雨月、敦盛、猩々、鶴亀、屋島、砧、芭蕉など私の乏しい知識でもかって読んだ覚えのある曲目のほとんどすべてを聴くことができ大満足であった。 会のあとのごくろうさん会では陽子さん自身が「謡の宝生、舞の金剛」といわれる謡を堪能できとても勉強になったと言っていたのがとても印象的だった。 私にとっては目下、我が国固有の定型詩を根底から考え直す作業を俳句作者や詩人とはじめているので、この日見聞きしたことはとても参考になり意義深いものがあった。陽子さんありがとう。
2010年10月23日
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ウラジオストックのホテルのフロントのアンナさんにとてもお世話になり「帰ったら連絡とりあいましょう」と固く握手して別れたのですが、帰国後即メールが届き文通をはじめていますが、たまたま映画の話になって10月9日よりウラジオストックでもアメリカ映画でジュリア・ロバーツ主演の「食べて、祈って、恋をして」が封切られ彼女は原作を読んでいたので「さっそく観に行きます。本の内容より素晴らしいことを願っています」と言ってきました。私もたまたま時間が空いた日があり、ちょうど上映時間に間に合ったのでひさびさに映画館に入り、楽しんできたところでしたので「なんて不思議な一致でしょう」と返事しておきました。 極東ロシアでも映画といえばアメリカ映画がもてはやされており、映画館も通常はもっぱらアメリカ映画が主流です。世界がモノ(物欲)カラー1色に染まっていくのが少しさびしい感じもしますが、ロマンチックな夢をみる権利は誰にでもあり、眉をひそめてばかりいることでもなさそうです。私はと言えば映画はなによりも慰藉ですので深刻なものはできれば避けたいので、ラヴ・ロマンスが最高と思っています。 今年、ウラジオストック映画祭に参加してもっとも注目したのは映画館の客席に「KISSの席」というのが新設されており一番後ろの列がそれに当てられているようですが、料金も普通席の2倍以上。それでも映画もそこそこに恋を確かめ合う席として若い人たちに結構受けている様子でした。入場料も日本にくらべると段違いに安く、プレイゾーンの多様化はいずこも同じですが、まだまだ娯楽の中心です。日本でも封切り館でガラガラの空席をつくるよりは入れ替えなしの一日遊んでいてもOKと言う風にして料金も成人は一律1000円にすれば、映画館に人がもどってくるかも。 そんなことをたどたどしいロシア語で書いて返信しました。 生きたニュース源としてこれからもさかんに文通したいと思っています。 写真はウラジオストックの映画館「オケアン」の夜景。ここで映画祭のメインイベントも開催されました。
2010年10月21日
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出席者6名、不在出品2名。基本的には短詩各自3作品ずつ出品し、出席者が7作品(特選1作品)をえらび、それぞれを互いに批評しあう形ですすめられました。◎印は特選。5点作品(5名が選んだということです)洗濯機ガッタンゴットン月のぼる 享メール来て返すブーメランの月夜 ◎ 進次郎4点作品 瞼であたためる風景は朽ちたがっている ◎◎ タ―ラ―3点作品 時間の原液を飲む孤独 タ―ラ―海峡をくじらが渡る良夜かな ◎ 建 二すずめバチ躍り出そうなあばた月 進次郎2点作品 ぱんぷきんはろうぃーんSEARS菌 ◎ 涼 子女子供スィーツで猿ぐつわ タ―ラ―ハイドンとワイングラスと赤い月 建 二1点作品 仏とも夜叉とも見えし曼珠沙華 勢 女十三夜はじめて胎る娘のヤッター 勢 女ちょこれのこぱいなっぷるのこくりきのこ 涼 子夜は長し月光仮面地獄耳 享雲にまみれまだら模様の海月さん 俊 美唇の内と外とを味比べ タ―ラ―あんたより観葉植物のほうがイキイキしてる ◎ タ―ラ―括られてざわわざわわや萩の月 勢 女じゃんけんをしていしきのこの上を跳ぶ 涼 子秋燈や机上に白き時の渦 惇 介携帯の挟ませておく人間関係 タ―ラ―街の空うさぎの居ない昼の月 惇 介 出席者は集まってから作品をつくるのが常ですので、この日も午後6時から「月」で1作品以上と提案しましたので、月の作品が多くでました。次回からも基本的には、その日にテーマを決め作品づくりをする予定です。 まずまずの滑り出しで今後がたのしみになってきました。口語俳句でもなく、自由律俳句でもなく、有季定型を根本から考え直しながら実作していき新たなリズムを模索することが眼目で、作品の唯一の基準らしきものは青春性の有無のみとすることで発展させていく会にしたいと考えています。写真は、この夏しばしば出没して私たちを楽しませてくれたセイタカイグチ。
2010年10月20日
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関西俳句連盟事務局長の菊池享さんが主宰する超結社の俳句研究会は、今回より、短詩型文学を根本から見直す会へと大きく旋回をはじめました。 当夜の参加者は6名。それに加えてロス・アンジェルス在住のO・Rさん、神戸在住のN・Tさんは不在出句。詳細はSさんがまとめて配布するのを待つことにして、小生の所感を以下に。 俳句は和歌、連歌、俳諧、連句という流れをもつ伝統詩であるという考えが根強い日本で伝統芸の世界の家元制度をなぞる形で結社中心の展開が推し進められてきました。そんな中でも河東碧梧桐の創始した自由律俳句や昭和の時代に入ると口語俳句運動なども起こり、それぞれが結社という井の中の蛙状態を守りながら活動を続けてきたのです。しかし、時代は21世紀。俳句は連句という歌仙の発句であるという意見が伝統詩(有季・定型)に依拠するもっとも大きな根拠でありましたが、大戦後の俳句は第二芸術であると論陣を張った桑原武夫以来、現代詩との接点を模索する流れと虚子のホトトギスにみられる「俳句は花鳥諷詠の第三、第四芸術でよろしい。俳句は詩かどうかなど考えずにのんびり行きましょう」という家元制度形成に力となる文芸作法を伝授する流れが次第に主流になっていきました。これは5・7・5の定型は日本語でものを考える民族には自然律(本能的ともいえる思考のリズム)であるという観念に依拠するものでしたが、戦後の復興期から高度成長期の膨張を続ける社会の中では生活意識・社会規範を遵守する国家に変わる民主社会の道徳とも合致していましたので、大いに隆盛を極めることになって今日にいたっています。いわば有季定型を守ることはよき常識人・中流社会人のステイタスともなったのです。それに種田山頭火、尾崎放哉などの自由律作家が生活破綻者のイメージと重ね合わされて喧伝されたため、型やぶりは地獄へ落ちるぞというようなゆえなき恐怖感を与えられてきた感すらあります。そして何よりも戦後の詩の真実を築き上げてきた現代詩の流れが言葉の袋小路におちいり、詩人が世の中の流れに乗り切れなかったことがあげられます。 私たち日本人は、詩は遠いどこかの世界のものとなって自分たちの言葉の芸術あることを忘れてしまったのです。 私は20歳の頃から俳句に手を染め、伝統詩の全体の流れの中で正岡子規の提唱した俳句とはいかなるものであったかを反芻しながら今日まで来ましたが、有季定型も伝統の内実も実は子規の提唱した俳句とは無縁であると思ってきました。しかし、それでも人はなぜ交通標語にも劣る季語と17音を守るだけで俳人であるとしたり顔ができるのかが腑におちませんでした。 そして、そもそも詩の根拠とは何かを考えてきてようやく見えてきたものがあります。あらゆるジャンルを超えて詩を詩として成り立たせている根拠とは「青春性」のみであると。青春性とは、非常識、非礼、智恵足らず、言葉足らず、狂気じみて、反抗的、かつ自虐的などあらゆる社会の枠からはみ出るものとしてあると思っています。しかし、未来を信じることにおいては誰にも負けないパワーと過剰を秘めているものこそが青春性という過渡を生きる真の詩人であろうというところに落着したのです。 それを菊池くんに話したら「廃人であることをやめて俳人、詩人である自分を取り返そう。それは錆ついたみずからの青春に賭けようということですな」というところで意気投合。それなら俳句界では押すに押されぬ人物を擁するこの会に若い青春真っただ中の人たちを交えて互いの青春をぶつけあうことからスタートしましょうということになり、その第一回が10月18日であったということです。それぞれが自らの青春に真実立脚して詩作をはじめれば、きっと面白い展開になる。そして参加者たちが真摯に青春を生かしきれば、21世紀にふさわしい新定型(これはまったく従来の定型とはイメージがちがうものになると思われます)も生まれてくるのではという期待ももっています。 とりあえず若い世代の人たちには、自分の心の動きに忠実な思いを自分の言葉で、しかも極力短く言葉少なに表現した作品をよせてくださいとのみメールしてこの日に臨んだ次第です。 もちろん最初の一歩がはじまったばかりでこれからが楽しみの会ですが、結果は予想を超えた面白い作品が散見でき、参加者全員が「これなら遠くまで行けそうだ」という感触をもって散会しましたので「はじめよければ終りよし」とホッと一息つける内容となりました。 このブログの読者のみなさまで参加したい向きがございましたら遠慮なく申し出てください。遠隔地の方は投句のみでもOKですので。 写真は見事なひだ模様をつけるカサヒダタケ。
2010年10月19日
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恒例の北村康一グルメ亭は、つむらさんの河内の合鴨をつかった鴨料理のシリーズ。イントロは鴨ロースの塩釜焼き、鯛と鮪のカルパッチヨ、タコとキューリのマリネ、引き続き鴨の治部煮、きのこの炊き込みご飯、鴨汁など。芸術の秋、行楽の秋は、みなさん多忙で参加者が少なかったため、大好きな鴨をたらふく味あうことができしあわせでした。 写真は、鴨料理のだいご味を語る北村康一マイスター。
2010年10月18日
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k貯水池は、神戸周辺の他地域とはあべこべでとても乾燥していましたが、速くも冬のキノコエノキタケが群生していました。ナラタケモドキと思い写真を撮って、ひっくりかえしてきてびっくり。ビロード状の脚が特徴的なエノキちゃんだったのです。ここは特殊な風土で、六甲山系の中でも気象条件がまったく異なるようです。陰気な谷というイメージは新湊川開削以来なくなりましたが、水量にも大きな変化があり、どうも自然のバランスが狂ってしまったようで、徐々に面白い谷の印象がうすらぎつつあります。
2010年10月18日
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生物クラブの帰途、北村グルメ亭まで時間がありましたので、k貯水池へ立ち寄り久々にウラムラサキシメジと対面してきました。10年余り前、ここで1個体と出会ってからなかなか再会できなかったあでやかなきのこですが、しばらくみないうちにむっちりとたくましくなってカワムラフウセンタケさんと見まがうほどの成長ぶりで群生していました。 生きて再会できた感激をしばし分かち合いました。 いのち二つ中にいきたるもみぢかな 芭蕉ならさしづめこう表現したであろう出会いに匹敵するものでした。
2010年10月18日
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親子の生物観察会でもっとも古い歴史をもつ神戸生物クラブの10月例会は「藍那古道」で行われた。ここでは植物・動物・藻類・昆虫・魚介などの各界の専門の講師が生き物の現場でたのしく解説していただき学習してもらっています。きのこはすでにきのこのイケメン先生と評判の大江良亮くん(昨年来、小生の代理としてデビューしてもらいました)が、きのこの生態についてわかりやすく解説、参加者をなるほどと唸らせていました。
2010年10月17日
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今日は土曜日というのに、大好きな人がデートでご多忙だそうで、午前中はなんとか読書三昧の雰囲気を味わったのですが、お日様ニコニコの午後になると何となく手持ち無沙汰で、ちょっと家の近くのきのこちゃんたちと会ってこようとフラリ家を出ました。ところが、どこもかしこもきのこだらけでちょっと散歩のつもりがてくてく山の中を4時間も歩き回って、いやほとんど小走りで挨拶しまくりで疲れちゃった。久しぶりで鹿も棲まないほど荒れ果ててはいますが、ところどころにマツの幼樹の元気な山に入ったのがいけなかったみたい。図鑑「日本のきのこ」に載っているマツタケ以外の中型以上のきのこたちのほとんどが一斉にお出迎え。お散歩がきのこサミットになってしまいました。お散歩恐怖症になりそうです。
2010年10月16日
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私の大切な人たちは天秤座が多いので、もちろん人類みな兄弟、12星座すべてにまんべんなくちらばっていますが、10月は誕生プレゼントで大忙し。みんな個性的でなんでもお持ちなので気の利いたプレゼントを探し当てることはとてもむずかしい。普段本当に何にも自分で買うことがないのでなれないことは疲れます。いきおい手作りのものに傾きますが、こちらもキラリとひかるものに出会うことはまれです。しかし、方々走り回って、なんとか滑り込みセーフでほうぼうへ届けてきました。いつも財布は空らに近いので、有り金をはたくのですが、なんとか予算も超えずにすこしおつりがきました。でも女性だからまだどんなものを贈っても喜ぶふりをしてくれるのでありがたいのですが、これが男性だったら、探すだけ無駄な感じがしますので、連れだって呑みにいくのが精いっぱい。なんとも芸のない話です。しかも僕はお酒はおつきあい程度しかたしなまないのでなおさらです?。でも、こんな必要に迫られた時いつも思うのですが、「もの」が溢れている日本。売る方の立場の人は大変でしょうね。換金される可能性のきわめて薄い商品は屑ですから。屑の僕が、くずの心配するなんてバカバカしい話ですが、たまに品物選びに奔走するとぐったり疲れて、そう思います。15日はかくしてまたなんとなく暮れていきました。 写真はウラジオストックの入り日をみつめながら愛を語り合う若いカップル。ちょっと男性のほうがよそ見しているのが僕としては何となく救いを感じますので気に入ってます。古稀力のSさんではありませんが、僕も古稀のピークがうっすら見えてきましたので、クラゲはクラゲなりにこんな風に頑張らなくっちゃ。
2010年10月16日
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本当にびっくりしました。節足動物ですね。鯛は口を大開きしていますが、口を閉じたときのスペースから考えると極めてでかい虫で大玉の飴玉が常時口にある状態に似ています。それとも普段は丸まって小さくなっているのでしょうか。
2010年10月14日
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風の谷のナウシカにでてくるダンゴ虫のおばけそっくりの形で、縦2cm、横1cm弱ありました。
2010年10月14日
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自然観察の世界で長年親交を深めてきた友人澤山輝彦さんの日本画の個展が阪急川西能勢口駅にほど近い画廊シャノワールで開催中。同駅構内のギャラリーでも川西美術家協会のグループ展が開かれており、ここでも1点展示されている。今回のテーマはー古稀力たっぷりー。私は老いを感じさせない彼の古稀の色は何色かが知りたくて駆けつけてきた。 会場を一巡、二巡とするうちにおのずと良い意味で齢を重ねてきた氏の「人生70、古来稀なり」の色は白だと合点した。光が重なり合うと透明になるが、彼の古稀の色はその一歩手前の明るいシロ。そう考えると彼の笑顔の日々がよく理解される。「老いさらばえて死ぬなかれ」という三島の戒めも一方にはあるが、やはりどんな過激な人生であっても自ら命を断つような形での生き過ぎというものはありえない。過激な人生こそとことん生き抜かねばならない。私どものような屁に近い存在であっても、せめて、生かされている間は青春の気概をもって走り続けるべきと励まされて帰ってきた。10月16日(土)11:00~16:00(14,15日は午後18:00)まであますところ3日しかないので、まだの方は是非訪ねていただきたい。
2010年10月14日
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澤山画伯と井上さんと少しだけ画廊を早く退出して近隣の魚料理店をのぞいてみた。もちろん、清酒・八海山もつけ足しで。「澤山さんの生物多様性と銘打った数作品はCOP10同様、なくてもよろしかったね」にはじまり、アートの話題からエコの問題、生物多様性の問題がすべてビジネスに結び付けられていることこそが大間違いだということで意見が一致したところで注文のレンコダイの焼きものが出てきたので澤山さんは「鯛の口中に生息し、鯛の喰い物をちゃっかり頂戴しながらいきているダンゴ虫のような生き物がいるらしいでっせ」と話しはじめた。そんな話に、私は常々屁になりたいと考えているので感心しながら聞いていたのですが、口から舌のような白いものがのぞいているので箸でつまんでみると、な、なんと、話題の主「鯛のえ」ではありませんか。しかもこんなどでかいものが鯛の口に常時生活しているとなると鯛は喉つめてしまわないかと心配するほどの大きさの虫が。私はしばらくじっくりと眺めていましたが、思わず一期一会の感激で毒ともなんとも分からぬままに半分喰っちゃいました。閉廊寸前に駆け付けたという澤山さんと自然大学同期という美人森林インストラクターが私の食べたもう一方の片割れを食べて「シャコみたいね」と言っていたのが印象的でしたが…。まさに奇遇、うっかりその場で名前を控えるのを忘れたのですが、確か「鯛のえ」だと言っていたような。鯛の屁だったらもっと私の好みなのになと思った次第です。 写真がその「鯛のえ」。鯛の下顎の歯のところから顔をのぞかせている白い奴がそうです。鯛の口に比べてどでかいと思いませんか。
2010年10月13日
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地表下の菌類がきのこをつくるときに光が必要なことはよく知られているが、その光は近紫外線から青い色の光を関知することによってむくむく動きだすという。 この波長の光とは月が照らすことでもたらされるのではないだろうか。同じ光でも太陽光は全く不要だといわれてきたこともあり、きのこと月の親和性のベースはこんなところからさまざまな月究派のアーティストたちによって直感されてきたのではないだろうか。夜な夜な昇り私たちにメッセージを投げかけている月だが、その月にまつわるもっとも単純な現象さえまだ未解決のままであるのはきのこ同様だ。21世紀の科学がどこまで没価値の月やきのこに接近できるかについてはほとんど期待がもてないが、取り急ぎアーティストたちの直感による月ときのこの秘めやかな世界を表現していってもらいたいものだと思っている。写真は10月13日午後9時すぎの上限の月。カメラを構えて2コマ撮った瞬間にいずかたへともしれず消えてしまった。 星もなく赤き弦月ただひとり 空を落ちゆくは只ごとならず 宮澤賢治
2010年10月12日
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体育の日の11日は、思い立って武田尾のさまざまな沢筋から千刈貯水湖、母子の三国岳までを駆け足で巡ってきた。途中昼餉のために立ち寄った西谷の宝山寺では帰るさに和尚に呼びとめられお茶をごちそうになり、しばらく話しを交わすうちに随分と面白い人物がこんなところにと認識を新たにした。本当に縁は異なもの味なものである。 日のかげらぬうちにと駆けつけた母子の三国岳はマツタケの止め山になっており入山禁止の立て札が。しかし、私たちは兵庫県下のモミ林調査が目的なので、丸腰になってデジカメのみを持ち入山。しかし、すでに全山ニンギョウタケの巣となり果てており、マツタケの姿はあってもごくわずかであろうという状態であった。ここと乙原と永沢寺の峠付近のモミ林の地表にはアカモミタケはみられなかったが、ウスタケは散見され、かってのモミの自生地の面目を今に伝えていた。 武田尾ではナラタケの群落がみられギャラリーきのこの料理研究の食材として持ち帰ることに。 写真は三国岳頂上から母子、三田方面を望んだもの。
2010年10月11日
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秋晴れの一日、神戸は異人館通りの北野天満宮で表題の催しがあると聞き、椿昇さんも応援しているというのでギャラリーきのこの映画「コミッサール」トークの会をすっぽかして駆けつけてきた。おかけんたさんの司会でイベント中日のこの日、トークショウが3組用意されており、私は午後の木下智恵子のアートコーディネーターの苦労話と椿昇の上海帰りのホットニュース、そしてデザイン都市神戸の役割と義務にかかわるアートシーンの今後を実に手際よく語るのを聴いてきた。神戸に会社をもつ企業の見目麗しい女性たち3人による新しい芸術振興のこうした試みは久々でぜひ膨らませて行ってもらいたいと熱く思ったことである。代表の徳本賀世子さんが京都造形芸術美大で椿さんの教え子だったことから彼が招かれたらしく椿さんも強く推しているのがよく分かった。今後が注目される動きのひとつであった。また司会のおかけんたさんもなかなかの人物で司会が熱くアートを語っているのも印象に残った。 写真は催しのクライマックス、雅楽演奏である。雅楽というには余りに初々しい演奏ぶりであったがやがては神社の神事を盛り立ててくれることになろう。
2010年10月10日
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新月の夜のお茶会は、アレクサンドロヴァ・ジーナさんの「わが故郷ーカザン」について語っていただきました。カザンはモスクワの東ヴォルガ河に臨む水陸の要衝地、カザン汗国の首都(現在タタールスタン共和国の首都)。この町が私たち日本人にかろうじてコミットするとすれば「プガチョフの叛乱」にかかわることくらいのもの。近くて遠い国ロシアのもひとつ遠い国がここカザンだろう。そんな町からやってきて現在日本在住のジ―ナさんにわが故郷の話をたっぷり聴かせていただきました。そのあとの2部ではいつものリーザさんの手作りロシア料理・グルジアワインに加えて、ジ―ナさんのカザンの代表的な揚げ饅頭「ペレミャーチ」(肉入りのドーナツ)も出てカザン初体験の夜となりました。人口110万、44の大学がある文化都市で学生だけでも14万人住んでいるという近代的な都市を写真や図版で気さくに紹介していただき、私にとっても目からうろこの話でいつかヴォルガの河下りのツアーに行ってみたいと思ったことです。
2010年10月08日
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ブラーフさんの娘のオーリャさんの家を訪問した日、もう一人の息子のサーシャさんがキノコとハリネズミをあしらった歓迎のケーキを届けてくれた。このケーキ屋さんはウラジオストックでも断トツの素晴らしいコンディトリーで、後日店を訪れたが、従来のウラジオストックの店のイメージを一新してあまりあるものであった。ブラーフ博士もウラジオっ子の誇りですと語っていたほどだ。
2010年10月05日
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ブラ―フ博士の娘オーリャさんの家では、ロシアの家庭料理をほぼ毎日毎晩腹一杯作っていただき、バイカル湖周辺で採取した野生の葡萄で作ったサマゴンすなわち自家蒸留酒とウオッカをふんだんに飲ませていただき馬のように飲みかつ喰って旅やつれを全く知らないで過ごした。 極東の人たちは国境を接する中国北東部から入ってくる食品をあまり信用しておらず、ブラーフ博士も我が家の家庭料理はすべて自身の畑で作ったものだということを強調していた。おそらく人口比から見ても吉林省と極東では100倍以上の差があり、食品のみならずあらゆる点から見てたえず威圧感を感じ続けているのだろう。今回の旅はそんなブラーフさんのお蔭でロシア人の日常生活の機微をたっぷり味あうことができ同行したHさんはとりわけ大満足だった。 この写真はおかずだけ。これにいつも黒パンやナッツ入りパンとジャガイモの裏ごししたものや蒸したものが出て、自家製の蜂蜜が添えられそれらがわれわれのいわゆるご飯となる。
2010年10月05日
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パルチザン像の彼方に繊い月をみとめ、アムール湾を見下ろす丘へと駆け足で追ったが30分も経たぬ間に沈んでしまった。ウラジオストック滞在第二日目の夕刻のことである。左下の建物の少し上に顔をのぞかせているのがおわかりいただけるだろうか。今回の旅ではどこへ行っても月と対話する機会を持ち、きのこと月にまつわる新しい考えを少しずつまとめ始めているところだ。 この街はロシア広しと言えどどこに行っても海と出会う貴重きわまりない州の都。私たちのみならずロシア人にとってもかけがえのない都会である。今、大きく変貌を遂げようとしており、興味はつきない。
2010年10月05日
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ウラジオストックの鷲の巣展望台の脇からルースキー島までを結ぶ大橋が目下3基建設予定で、お国柄か、実にゆっくりと工事がすすめられていて昨年訪れたときより丸1年経った今も余り変わり映えしない状態で大丈夫だろうかと他人事ながら心配したくなる。ただ、この橋建設にも中国資本と労働者が大挙して参入しており、新聞もその権益の奪い合いを匂わす記事が伝えられていた。 最終段階に入ったところでピシッとつじつまがあうのがロシアなのでおそらく2012年には完成することはほぼ間違いないだろう。
2010年10月03日
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極東部ロシアの州都ウラジオストック空港から町への1時間余りの道路は目下高架式のハイウェー建設が急ピッチに進められている。道幅も現在の2倍に拡張されるが、州都へ入った途端道幅は狭くなるので生活者の渋滞は緩和されることはないだろう。ただ貴賓たちはルースキー島まで高架式の高速路からそのまま橋を渡りルースキー島へ直行できることになる。街のインフラ整備の絶交の機会だが、ロシアは広すぎる。多少の精力を投入しても手つかずの部分が余りに多く残され中途半端な印象のみが残る。ウラジオストック市中央部でも鷲の巣展望台に隣り合う地点からサミット会場のルースキー島へと巨大橋が金角湾をまたぎ建設中だ。目下ウラジオストックの街は新旧の風景が混じり合い古い部分はますますかたくなに古く、新しい部分はメッキの輝きを放ちながら増殖している。サミットまでの2年間で変わるものは変わり変わらないものはますます深く沈潜していぶし銀のようなヒカリを放ちだすことだろうが、トップダウンの急激な変化に常にさらされてきたロシアの人たちはとても忍耐強く今の流れに完全に乗り切ることなくおのが道を黙々と歩きつづけているように思える。今回私はここ10年の歳月を経ても変わらない部分をなるべく歩いて見つめてきた。またおりおり、このページでもお伝えしたい。
2010年10月02日
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日だまりの秋のブランコゆれており 秋10月。新しい日々のはじまりにときめいています。この秋すべてを一新して新境地を拓くことに集中させたいと思っています。心身ともにますますクラゲのように軽妙に漂い始めている今日この頃ですので、寒くなるまでに少しずつ形が整っていくことでしょう。 この秋のウラジオストックは映画祭半分、ブラ―フ博士とその家族との親交を深めることが四半分、ビジネスの基礎固めが四半分ののんびりした旅でしたが、極東の州都の人たちの晩夏から初冬の生活をシミュレートできたことは大変ラッキーでした。 異例の長期政権を担っているダーリキン州知事とその奥方(女優でもあり、昨年の映画祭では歌も披露してくれました)は今年もオープニングの華を飾ってくれました(写真)。2012年のAPECを控え、急テンポで変貌していくウラジオストックの街は私にとってはとても面白いのですが、今回はモスクワの業者ともコンタクトがとれ、事業も少しずつ進展しそうなので次年度の秋あたりは首都モスクワ、あるいはペテルブルグにいることになるかも。 そんな意味でもこの秋のウラジオストック訪問は印象深いものがありました。
2010年10月01日
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