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2010年はあらゆる意味で人間の保身・私利・私欲のむき出しになった一年であった。身のまわりに崩壊音が激しさを増すのを感じている人たちも少なからずいるはずだ。 そんな一年の締めくくりはなんといってもカエンタケの強烈な里山への侵攻であろう。かってこのきのこは近畿圏にはみられなかったものだが、どんどん版図を広げてきている。そのまがまがしい出で立ちは地獄の使者のごとき様相を呈して私たちを招いていた。今年はさてどんな年になるのやら。懸命に足元を固めながら一歩一歩、歩を進め、目の前に立ちはだかる峰々を踏破していかねばならない。 しかし、ギリシャ神話の苦行を課せられた神・シジフォスと同じ人生と思うなかれ。私たちにはシジフォスと違い、重き大岩を押し上げて登っては下る繰り返しではあっても登る峰々をとりかえる自由があるのだから。頂上へ運び上げるや否やふもとに転げ落ちてしまう大岩を追って再びふもとを目指し下るときのシジフォスでさえその瞳は得もいえぬすがしい光を湛えているのだから、私たちの目は言うに及ばない。 人生は死の瞬間まで、愉しみの連続であると私は思っている。それはあらゆる人の人生を追体験しうるほどには私の人生は長くないことによる。いのちのかぎりさまざまな境遇に自身を置くことができればこれ以上の喜びはあるまい。そんなこんなで今年も新しいスリルが待ち構えている日々となりそうだ。私にこんなことをしっかりと教えてくれたきのこちゃん、本当にありがとう。
2010年12月31日
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文保寺境内で見かけたクヌギタケの群落、そのほかこの日の登山にはモリノカレバタケ、エリマキツチグリ、ヒノキオチバタケ、コガネキクラゲらが精いっぱい応援してくれていました。
2010年12月25日
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白髪岳はかって登った折りの藪こぎを強いられた印象にほど遠く、よく整備されており、快適な山旅であった。
2010年12月25日
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白髪や白髭はともに新羅に由来するという有力な説がある。そして新羅の語源は英語のSilk、蒙古語でSirkek、満州語でSirgeでいずれも絹に由来する。そして秦氏や聖徳太子が導入した仏教は、新羅仏教(私宅仏教)で、蘇我氏が導入した仏教は百済仏教(伽藍仏教)である。こうした微妙な温度差から古代史は定説が大きく覆る可能性がある。秦氏と新羅の深い関連が味摩之、白髪岳、松尾山と三拍子そろったJR篠山口からすこし北西のほぼ忘れられた地点から立ち上ってくるのだから驚きである。 そうこう考えていると舞鶴道の春日あたりより竜骨のようにそびえ立つ三尾山の三尾も秦氏とゆかりのある氏族であることが浮かびあがってくる。 ムックきのこクラブは赤穂坂越の大避神社からはじまったことは記憶に新しいが、旧年の猪名川の秦氏と物部の関連につながり、三田の羽束師・物部の神奈備に相当する羽束山ともうひとつの原大和の頭領・ニギハヤヒ(石切神社の祭神)、そしてようやく丹波の秦氏の神奈備に相当する松尾山、白髪岳と広がってきた。また時々おつきあい願おう。たかがきのこだが、されどきのこの世界は実に奥深いものがある。今年もきのこを訪ねる旅をつづけながら、新しい発見を重ねていきたい。 写真は頂上付近にイワクラも散在する松尾山(687m)。味間集落の文保寺より登り、松尾山を経由して、岩稜を登る楽しみも満喫できる白髪岳に到り振り返る。京都の嵯峨野の入り口にある松尾大社の背後の松尾山は223mで山頂にイワクラをもつ神奈備山でその昔は日崎峯と呼ばれた。蚕の神社の三鳥居が古代のレイラインを示すことはほぼ定説となりつつある。
2010年12月25日
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山と渓谷社がかって「山の写真」という雑誌を刊行したが、1年を待たず廃刊となった。その当時私は山岳写真に凝っていたので、モニター登録して山旅のレポートを送る作業をはじめた。虚空蔵山、そして白髪岳。当時西宮市に住んでいた私は、多田繁次の「兵庫の山々」や「北神戸の山」を参考に、三田から篠山の峰々を経巡っていた。山の名にしては白髪岳というのはちょっと違和感があったが、まったく心に止めることなく数回登った記憶がある。 しかし、篠山の多紀アルプスの三岳で全山「きのこの山」状態に遭遇しその日からきのこにはまってしまった私は「きのこを学び」(この食えない世界は研究が進まず、きのこの基礎学問はごく一部のお金になるきのこを除けば、アマチュアの渾身の努力にもかかわらず、それを体系化する浜田稔氏のような捨て身の学者が非在のため、おそらく我が国ではすべて無に帰するであろうという危機感もあって)、アマチュアのきのこ趣味の新たな切り口を求めて活動をはじめた。日本キノコ協会とそれにつづくムックきのこクラブとはそのための機関なのである。 私が想定する「きのこに学ぶ=ヘテロソフィア」というのは、きのこに代表される普通でない生き物=ヘテロ生物がそのなじみのなさ、異質感ゆえに碌すっぽ検証されることもなく価値のない生物として無視されてきたことのなかに人類の最大の過ちがあるということ。そして、しあわせに生きる(=この地球を優生種のみで満たすべき)ということの中に必然的に発動される差別化の原理(ティモス)こそがその元凶であると考え、没価値(価値の未分化)なものの生存権を計算づくの判断を差しはさまずにみとめる地道な活動を続ける以外に生態系のバランスを恢復させる手だてはないということをアートという人の心にストレートに響く方法を通じて展開してきた。 「没価値な生物にかくかくしかじかの価値があるから大切にしようね」というのが目下流行の環境問題や生物多様性を支える一神教的なチャリティ(神との距離をたえず測り自身を律する生活)の原理なのだが、そうではなく神からも見放された没価値な生き物を没価値のままに基本的生命権を認めようという啓蒙活動が私のめざしているものなのである。 こうした生活を実践してきた人たちこそが、我が国に固有の無用者の系譜、唐木順三の「中世の文学」で詳述された無名の沙弥(還俗した破戒僧の総称)につらなる人たちとその表現者たちだったのだ。 歌人、俳人、芸能民、七道の者、など漂泊の芸能民がその中心である。欧米ではジプシーと呼ばれる大道芸人の世界に通じる。 そんな中で、古代史の中で常に政治と一線を画してきた殖産氏族の秦氏(政治史から排除されてきた鬼の子の中核にある巨大勢力)と出会った。渡来してきた当初は絹糸、絹織物産業、鍛冶、冶金産業、灌漑治水産業、建築、都市計画などの先進技術を駆使したゼネコン的な活動に従事してきたが、大化の改新と平安京造都の後は、政治的な世界から距離を置き、地方へと分散していき、わが国の基盤整備に挺身した。そして、文献史的には今いった漂泊の芸能民の多くが秦氏の神々を奉祀してきたことで芸能プロデューサーとしての側面ももっている。 しかし、白髪岳にはそんなことを一切思い至ることなく登ってきたことだった。ところが味摩之(みまし)のことを書紀で読み、全国に点在するミマあるいはアジマ地名を調べていて、丹波の味間集落が白髪岳のふもとにあるということがわかったのだった。 地図をつぶさに調べてみると、白髪岳の隣の山を私はずっと高仙寺山と思ってきたが、よくよく眺めてみると括弧して「松尾山」とある。ふもとの文保寺は松尾山文保寺である。 松尾という名は渡月橋や太秦(うずまさ)界隈にある葛野(かどの)秦氏の本拠地の神社の名である。ここまで煮詰まると、この疑問は本年中にけりをつけておくべきと思い立ち年の瀬の迫った冬至すぎの一日を登山と味間集落散策を決行した。 写真は、白髪岳と松尾山の途中で望見した味間集落。今は茶の名産地としてその名をとどろかせているが、かっては漂泊の伎楽師たちの居住地であったことが偲ばれる。
2010年12月25日
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私の一年のはじまりは、冬至である。この日、陰の気がすべてを覆い尽くしていた卦に一陽が兆すことにより一陽来復(いちようらいふく)と呼ばれてきた。昨日の月出帯食は関西地方からは望めなかったが、満月を感じながら過ごした。いよいよ、わたしの一年はグレゴリー暦にすこしさきがけてスタートした。 明日は新年第一歩となる秦氏の痕跡を訪ねるヘテロソフィアの旅。物部氏、秦氏はともに蘇我氏と並び古代最大の豪族で、きのこと同じく遍在しているにもかかわらず、いや遍在していたからこそ、確証がつかみにくい存在なのだ。そして、教科書で習った古代史の既述は今や私の中ではすべて再検討しなければならない火急の案件となってきている。 まず、蘇我氏と聖徳太子と秦氏と物部氏は緊密につながっていて、従来のように安易に敵味方という図式にはめ込むことができなくなっている。蘇我氏と秦氏の関係、聖徳太子と秦氏とは本当に緊密な関係であったか。そして入鹿殺害で没落した蘇我氏・・・。すべては大化の改新(乙巳の変)当時の国際関係に引っ張られた必然的なクーデターがターニングポイントとなっているようだ。日本統一の陰で没落、あるいは散じていった有力豪族たち。これらは蘇我も物部も秦もあまたの枝流を形成し、時の権力と離合集散を繰り返しながら生き延びていったので、通史というおおざっぱな方法では決して明らかになってこない。 兵庫県三田市はそんな意味で古代から近代までのとても重要な地政的な位置を保ってきており私がここにいる理由もここから眺めると日本史が透けて見えるからだろうと納得している。 今年の旅は、ひとまず篠山市郊外の味間集落からはじめたい。
2010年12月22日
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日本書紀・推古天皇20年の条に下記の既述がある。 百済国よりわが国の良さを慕って来朝するものがありました。その顔には白斑があり、白癩病によるものか、その人の常人と異なることを厭って海中の嶋に流してしまおうとしました。しかし、その人は「もし臣下の斑の皮膚を嫌うのなら、白ぶちの牛や馬を国内に飼うべきではありません。臣下の私はいささかの造園の才能もあります。庭園の築山の形を構えることができます。臣下にとどめて用いていただくと国のために利をもたらすでしょう。それなのになぜ海中の嶋へ流そうとするのでしょうか」と言いました。ここにその言葉を聞き入れて彼を島へ棄てることをとどまりました。そして須弥山の形および呉風の石橋を御所の庭に構きなさいと命じました。時の人、その人を名づけて路子工(みちこのたくみ)と言いました。またの名を芝耆摩呂(しきまろ)、あるいは百済人の味摩之(みまし)といい、臣下として仕えました。 その人はまた「呉国に学んで伎楽(くれがく)の舞いを修得しています」と言いました。そこで豊浦寺の桜井に配して少年たちを集めて伎楽の舞を習わせました。ここに眞野首弟子(まののおびとでし)、新漢済文(いまきのあやひとさいもん)という2人がそれを修めてその舞いを伝えました。この2人が大市首(おおちのおびと)辟田首(へきたのおびと)らの祖先です。 ここに記された味摩之(みまし)が近畿、北陸の数か所に残されている地名のあじまに関連があることが以前から気になっていた。これらはわが国上代の伎楽のエコールを成す遊芸の人たちの居住地であり、これらに秦氏がかかわっていること。これがこの2010年の年の瀬も押し迫ったわたしの個人的な関心事である。 大避神社にはじまった古代殖産民の秦氏への旅はこれからも続いていくが、そうこう考えているうちに、はたと思いいたったことがある。できれば、今年中にぜひその糸口を手繰り寄せ何らかのイメージを固めたいと思っているが、私の休みは残念なことに年内たった1日しか残っていない。来春に持ち越すかもしれないが、目下関係文献をあれこれ引っ張り出して必死のパッチで調べているところだ。 写真はこの秋、神戸市中央区北野町の北野天満宮で開催された神戸の女性パワー全開の神戸市芸術振興姉妹project2010年でのアトラクション。同神社の雅楽友の会のみなさまの演奏風景。 このような伝統芸を伝えてきた楽戸のルーツに味摩之があり、それをのちに秦氏が統括するようになり、楽戸を形成、各地にその痕跡が残されている。あじまの地名は味摩之からきているという有力な説もある。ちなみに能楽や狂言に大蔵流という流れがあるが、この大蔵は秦氏と密接な関係があるとされている。なんとなれば秦氏は奈良朝には今でいう大蔵大臣の地位を代々継承してきており、大蔵とか蔵戸とか呼ばれてきたからである。そして言うまでもなく秦氏の奉祭する寺が松尾大社であり、天王寺の伎楽(仮面舞)も、秦氏と聖徳太子と密接な関係がある。秦、波田、八田、畑、矢田などの地名もその昔をたどれば秦氏に逢着する。そして物部にも。そんなさまざまな想像の翼がこの一語から広がって行く。「だったら、それがどうした」という程度のことでしかないが、私はずっとキノコ、鬼の子の関連でこだわりつづけてきたものだ。
2010年12月21日
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女郎蜘蛛霜夜の月に抱かれよ 毎日の出勤の際にあまり人通りのない歩道の路樹に寒さに抗いつついのちの火を掻き立てている女郎蜘蛛と出会う。女郎蜘蛛はその大きさからしてどうしても目にとまってしまうので、「今朝もご存命でありましたか」と思わず感激して声をかけてしまう。連れ帰っても詮無いことだし、見つめるほかない。おびただしい夜露で蜘蛛の囲もいのち綱めくまでになった今朝も微動だにしないと思い触れてみたらやはり緩慢ではあるが身をさけて動きだす。何を支えに生きているのか。その生命力に驚いた。 ひょっとして月の冷たい光に抱かれていのちをつないできたのかもと考えて見つめている内に冒頭句ができた。読みは「じょろうぐもしもよのつきにいだかれよ」 俳句は文学である以上に、このように生き物のいのちをつないできた現場の姿を言葉にして、この地球が人類だけのものではないことを伝えていくことでまだまだ素晴らしい可能性を秘めた表現形式であると私は考えている。詩であるか文学であるかなどはこの視点からすればちっぽけなものだ。
2010年12月20日
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ギャラリーきのこの12月19日のイベントは、MUSHROOM MANこと、O君の解説による急逝の映画人・今敏(こんさとし)さんを偲び『パプリカ』をテーマにそれぞれの思いのたけを語っていただく会。アニメに疎い私もパプリカに出会った感想は心底驚いたの一語に尽きる。 自分の無知がこんなにも哀しいと思ったことも久しぶりなら、その映像の完璧なまでの完成度に驚いた。こんな作品を数編残したなら、みまかっても悔いはないだろうと、言葉には出さなかったが心の中で思ったことである。
2010年12月20日
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ギャラリーきのこを精いっぱい盛り立てていただいている神戸大のTさんは、英国で研究生活をしたあと、ロシアへ移り来春まで極寒のモスクワ、ペテルブルグで研究をつづけるとのこと。彼女が英国を去るとき、エジンバラ王立植物園でのきのこ展をのぞいたときに出会った、盛りだくさんのきのこグッズやポスターを送っていただいた。ポスターは2種。きのこ図鑑、ポストカード、きのこ展のリーフレットなど、それぞれギャラリーでも販売できるように複数冊数、どかどか届いて感激。追々紹介しますが、とりあえず書籍、カードなど
2010年12月19日
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年の瀬も押し迫った16日の午後6時、今回9名の参加を得て始まった。私が遅れたために冒頭より寺西さんが室町から昭和までの俳諧から俳句にいたる通史をかいつまんで話す予定が狂い(すみません)、はしょって10分ほど解説していただいたが、俳句の革新の気運は大体100年ごとに起ってきており、その伝から行くと子規、碧梧桐から110年、そろそろ新しい動きが形を成すのではと括った。 俳句は文芸か否かはよく話題にのぼるが、私は俳句は庶民の詩だと考えており、さまざまな非詩的な世界も領域としながら、手軽に言葉によるアートを生み出しうる可能性を秘めて今日まで推移してきていると思っている。いずれ、寺西さんからかって山口誓子の「天狼」門下の平畑静塔が打ちだした「俳人格説」も解説してくれると思うが、俳句もまたさまざまな落し穴をもった文芸の一形式であることは充分に認識しておく必要がある。その最たるものが有季定型だ。これは俳句を伝統詩と考える俳句作家のよりどころであり、伝統の内実をろくすっぽ検証することもなく、故知れぬ権威として押し戴いてきた。私はこの俳句=伝統詩という空疎な権威づけと、それに依拠する形で茶華道の家元制度を模して形成されてきた俳句結社というものの功罪を俳句作家はもう一度根底から考えてみる必要があると常々思ってきた。 そして私は詩の根拠を「青春性」に置き、青春真っただ中の青少年や俳句初心者の若書きから、老練の俳句作家や小説家、詩人が一堂に会し、その青春性を軸に試作と合評を繰り返すことで、従来の俳句詩とは異なる次元へとシフトしていく可能性をさぐる会を呼び掛けて始まったのが当会なのである。 第2回目にして、すでに参加者の俳句初心者の皆さまは、日々の生活の中で言葉にかかわる楽しさを見出し始めており、老練の作家たちは如何に自分たちの発想がかたくなであったかにに思い至るなど、すばらしい雰囲気が醸成されてきた。 特に長年俳句にかかわってきた作家たちはここでは実験的な出句をこころがけ、話題を提供しており、そこから俳句という特殊世界の表現方法に対する視点が与えられ、これも新人のみなさまにはとても参考になる。 関係者には佐田さんより詳細のレポートが届くことだろうが、当夜の速報を以下に。 超多忙の人たちが貴重な時間を割いて月一度集まっていただくので、限られた時間内に首尾よく収めるため、それぞれが実作を短冊に3句から5句提出していただき、匿名でアト・ランダムに書き出した上で回し、出席者各位が5句(うち特選1句)を選び、選を得るごとに1点、特選2点で集計し、高得点からそれぞれの選んだ理由と鑑賞を述べてもらい意見交換をし、最後に作家から自句自解していただくという形で進めてきた。 5点句 師走の恐龍駈けてくるなんとかなるさ 勢女 極月が恐龍のようにかけてくるという把握の面白さ。そしてなんとかなるさの落着ぶり、それぞれの実感です。 左手はいつも受身でセロリ噛み 織江 上5、中7の叙述とセロリ噛みの飛躍が読者に了解されるかいなかが評価の分かれ目。 4点句 セロファンの影絵のような冬紅葉 俊美 ごとしという直喩は「はいそうですか」で終わることが多いが、セロファンのようなの言葉がはいることで成功している。 冬夕焼あすはあさひになるために 建二 美しい夕焼けが朝日に凝縮されるものだったという把握にはうなづけるものがある。 3点句 えいえいと九字切り裸木を量産す 織江 エイヤーと九字を切る修験のものの呪力で裸木が増えていくという把握は面白い。 レノン忌や遠き日のまま黒メガネ 享 レノン忌はじめ忌日は季語からはずすべきだが、このレノン忌は作者の青春と結びついており季語である以上に説得力があり、作者とレノンの距離感がうかがわれ成功している。 ?八会(ろうはつえ)ガラガラポンと当たり玉 享 釈迦が苦労の末悟りを開き出山したことにもとづ12月8日。が、一転して歳晩の大売り出しのガラガラくじのシーンが出現、この飛躍の妙を買う。 メロンパン焼かれて冬のモダンジャズ 享 メロンパンとモダンジャズ。いずれも旬の新しさを失ってしまったものだが、その甘くかぐわし匂いとリズムの表出に作者の意図がほの見える。 ライオンを眠らせ山も眠りけり 晋 句意の解釈をめぐり意見沸騰、しかし実景であれイメージのみのとりあわせであれ、ライオンと山眠るで一定のたしかなイメージを読者に伝えることに成功している。 花野枯れ 枯れ前頭葉うごき出す 勢女 美しかった花野も枯れ、そのまさに枯れに触発されて呆け老人の前頭葉が働きはじめたという自嘲の句である。笑えない現実がうまく言い表されている。立て句としての俳句は分かち書きや切れる部分で一時空けはしないのが通例でありオリジナルでは、上5と中7の間に1字空けはなかったのだが、花野枯れ枯れと続け読む人もいたので、ここは空けるべきとの意見に一同賛成。 2点句 狼相(ろうそう)が野性に戻れと満月夜 成利 柴犬やチロル犬には後ろ指が6本あるものがあり、狼の痕跡だとして「狼相」というらしい。この言葉に一同感心して話題はもっぱらそちらへ。その後で下5の満月夜は生硬なので寒満月などの語調のととのう言葉に変えればいかがとの意見も。 雪婆(ゆきばんば)を背負うて来たる山爺(やまじじい) 晋 雪ばんばとは雪虫のことらしい。凝り過ぎとの意見 も。雪虫をまとってはいってきた老人との意だが、それがどうしたということにもなりかね ないのでは、などの意見が。 ふくろうに星降る闇もありにけり 建二 厳しい冬の季節に生きんがために夜な夜な活動するふくろうにも星が慰めてくれる夜もあるというなかなかメルヘンチックな情景が目に浮かび文句なし。 シリウスやナイルの鰐の細き顎 晋 シリウスとナイルの鰐の連関が不明でどぎまぎする句だったが、作者によれば、シリウスが観測されるとナイルに洪水をもたらすという故事から来ているとのこと。そこまで深読みしてくれる読者がいるかどうかで評価は当然分かれます。 鳥渡る呆(ほう)と見上ぐる鳩と居て 進次郎 鳩と遊んでいると渡り鳥の一群が空をよぎり、鳩たちが見るとなしにボウッと見上げていた同じ鳥なのに渡るものととどまるものがあり、世の中さまざまという感慨に、餌さえあれば鳥だって危険を冒して渡りをする必要がなくなり、留まる鳥も増えてきていると生き物談義に発展。これもこの会の面白いところで小品から生物多様性の実態にまで話が膨らむのはスリリングで楽しいものだ。 写真は、奈良の明日香を散策した折に奥村彪生さんから教えていただいたショウガの花。私には花生姜ははじめての出会いだったのでさっそくデジカメに。
2010年12月17日
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王陽明の「人生達命自洒落(じんせいたつめいおのずからしゃらく)」とまでは行かないが、ようやくなんとか精神年齢で不惑の齢に達したかなと考える今日この頃、飽き症の私だが、ここ30年来微動だにせぬ焦点がきのこに絞られてきたことを考えると、私の使命はこのきのこという箸にも棒にもかからぬ生き物の真実を示し、そのすばらしい生存戦略をなるべくやさしく伝えていくことに尽きると思えてならない。 私はきのこは地蔵だとほうぼうで述べてきたが、地蔵とは大地を蔵するごとしという大地母神、すなわち仏教以前の旧大陸のアニミズム世界の中心的な属性を有したものと解してきた。 そんな私は、当然僧形の地蔵には今いち感動しない。もちろんエロティックで可憐な地蔵像は大好きだけれど。地蔵はなんでもかんでも僧形である必要は全くない。そんな私の考えを後押ししてくれた書物が五来重の『石の宗教』である。わが国でも地蔵は僧形である以前に石棒や、リンガのものが原型で、ここには祖霊崇拝、自然崇拝をもっぱらとする修験の自然宗教に根差しており、かんなび山や塞の神の形で民間信仰として今まで列島各地に温存されてきたものが、教理や神学体系を有した文化宗教に取捨選択された結果、地蔵像に収斂されていったと漠然と思ってきたことを、はっきりと示してくれたのがこの書物であった。 私の考えるきのこ地蔵とは、きのこというなみはずれた生き方を選んできた生物の自然宗教的なアイコン、すなわち大地の自然と同義なのである。 このきのこ地蔵についてもそろそろ考えをまとめるべき時がきたと考えている。
2010年12月15日
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今回の彼の作品の中で、数あるきのこ愛好家の中で、とてもバランスのとれた感覚の持ち主の会員Aさんが、この作品は画廊をあとにしてからもきわめて鮮明に思い出す作品だと高く買っていたもので、私も彼の持ち味がもっとも良く発揮された作品としてこの作品を推したいと思う。 タイトルは「ケリュネイアの鹿」で誕生石はアクアマリン(3月)。 アルゴス王のエウリステウスがへラクレスに課した12の難問の第三番目のもの「ケリュネイアの魔の鹿狩り」に取材したものだ。
2010年12月13日
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京都は地下鉄東西線・市役所前駅、本能寺文化会館1Fの蔵丘洞(ぞうきゅうどう)画廊で開催中の大竹茂夫さんの個展へ行ってきた。 ここの画廊の主人はなかなかの人物で、それは本展案内のカードの挨拶に端的に示されている。そんな画廊亭主を一度見てみたいという気持ちと、近年とみに輝き始めた彼の新しい作品世界に触れたいという気持ちがないまぜになって、師走の京洛へと駆けつけた。 今回は12ケ月に振り分けられた誕生石の秘密を、ギリシャ神話のヘラクレスの12の冒険をテーマに掘り下げたもので、作者自身は12という数字の符号以上に深い意味はないと、いつものとおりのあっけらかんとした表情で語っていたが、私は作家の制作工房の中で誕生石というナイーブなテーマとギリシャ神話の貴種流離譚の典型としてのヘラクレス(これは当然わが国のスサノオやヤマトタケルの物語にまで反映されている)との間に如何なる詩的連関を見出してきたかにとても興味をもってつぶさに見つめてきた。 画廊の作品たちを数巡鑑賞し、メモをとった後で、詰めていた作家としばし世間話をし、画廊の亭主とも挨拶を交わしてきたが、いずれも私の期待をはるかに上回るもので、大いに満足して帰ってきた。大竹ワールドは確実にビックバンをはじめており、益々目を離せない存在になってきている。師走の京都は、人で溢れているが、寺町はずれのこの辺りは比較的静かなゾーンで、18日(土)画展終了までに、まだいささかの日数もあるので、まだの方はぜひおとなってほしいものである。水、土は作家も来廊とのことだ。
2010年12月13日
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飯沢さんのきのこ文学アンソロジィの第一集は、彼の心の華やぎがそのまま反映されており、祖父江さんの凝りにこったデザインがそれを物語っている。 この記念すべき第一集は、彼の『きのこ文学大全』に収録されたきのこ文学の作品群の珠玉集というべきもので、順当に集を重ねるとすばらしい前代未聞のきのこ詞華集となる。そしてこの第一集はまさに読み継がれていくきのこ文学作品集である以上に、きのこ愛好家の新しいタイプのきのこコレクションとなるべき性格を具備しており、もうひとつのきのこ図鑑として所蔵されることとなろう。
2010年12月12日
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きのこ文学の世界基準をめざし、次々と新しい試みを展開してきた写真評論家の飯沢耕太郎さんがセレクトした『きのこ文学名作選』発売の報が、師走の町をかけめぐった。アンソロジィとしての最初の一歩は、限定3000部のなかなか凝りに凝ったもので、きのこファンの愛蔵書としてふさわしいものとなった。内容は以下の通り。『きのこ文学名作選』飯沢耕太郎 編祖父江 慎+cozfish ブックデザイン四六判/ソフトカバー/本文370頁定価 2600円(税別)全国有名書店 出版社 サウダ―ジブックス&港の人 収録 全16作品萩原朔太郎 「孤独を懐かしむ人」 (詩)夢野久作 「きのこ会議」(小説)加賀乙彦 「くさびら譚」(小説)今昔物語 「尼ども山に入り、茸を食ひて舞ひし語」村田喜代子 「茸類」(小説)八木重吉 「あめの日」(詩)泉鏡花 「茸の舞姫」(小説)北 杜夫 「茸」(小説)中井英夫 「あるふぁべてぃく」(小説)正岡子規 「蕈狩」(短歌)高樹のぶ子 「茸」(小説)狂言集 「くさびら」宮澤賢治 「朝に就いての童話的構図」(童話)南木佳士 「神かくし」(小説)長谷川龍生 「キノコのアイディア」(詩)いしいしんじ 「しょうろ豚のルル」(小説)
2010年12月11日
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雑誌の低迷の中、ヴォーグ・ジャポンは私の注目する数少ない雑誌である。雑誌ではブルータスを筆頭に、流行通信、スタジオ・ヴォイスを固唾を呑んで見守ってきたが、息も絶え絶えの状態ですでに休刊、廃刊もはじまり雑誌メディアの相対化は極限まで突き進んでいく様相を呈しはじめて久しい。 「言葉にかかわるとは一体どういうことか」これはわが国の戦後詩人たちが、もうひとつの出版文化として営々と格闘してきたことだが、浮き足立っていく戦後の世相のなかでは、地に足のついた発想、生き方、を繰り返し問うことと同義であった。 わたしたち地球人は、これまで、なにはともあれ大地との交感の中で言葉と文化を紡いできたのだ。CULTUREとは耕すこと。地球の表層、数10cmのところにこだわりつづけ独自の文化を築きあげてきたことをつねに思い起こさせるメディアこそが同伴者であると私は思っている。 今あげた雑誌は、そんな伝統を時代の最先端を進みながら、映像と言葉の現在を示しつつここまでやってきたことは驚嘆に価いする。なかでもヴォーグは、出色でありつづけている。ちょっと超えているとでもいうしか言葉がみあたらない。毎号私が注目するぺ―ジは特集ページと「ヴォーグ・イン・ヴォーグ」(世界のヴォーグの中からセレクトした情報)、そして映画、音楽、書籍情報だ。時の人とのインタビュー記事も面白いの一語につきる。なによりも女性美というものの飽くなき追求は色呆け老人としては見逃せないものだ。ものの価値とはそれを必要としない人にとっては有害そのものだが、こんな有害で無駄の煮詰まったメディアは21世紀には貴重でさえある。
2010年12月10日
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タカラバイオの開発した菌根性のきのこのホンシメジの商品化は時代の画期であったが、大きさこそ違え発売当初は1本5000円以上したものだが、数日前に見染めたものは10本200円以下。これでは「においマツタケ、味しめじ」と言われ珍重されてきた和のきのこの王者そのものの威信にかかわる。 なんともはや、うっとおしいことである。
2010年12月09日
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この日宝塚ピピアに出かけて驚いたことは、来春2月のロードショー予告にアルゼンチン映画の「アルゼンチンタンゴ -伝説のマエストロたち-」、イラン映画の「ペルシャ猫を誰も知らない」が来る。この2作品は是非、観ようと思いながら日取りが悪く観れなかったものだが、ピピアめふ(=宝塚ピピア)で一挙上映してくれるという。来年の話をすると鬼が笑うというが、僕にはそんなことどうでもよろしい。それよりもピピアさん、来春も映画ってほんとうに良いねって言わせる個性的な作品を連発して頑張ってね。 と、そんなことを考えていたが、ふと今日は開戦記念日だということを思い出した。65年前に二度とこんな戦争という悲惨な現実を子々孫々まで味あわせたくないと決意した人たちがすでにいなくなった平成22年も暮れなんとしている今日、「氷雪の門」と「アイガー北壁」の2作を観た折りの印象を心の中で反芻しながら、私の最後の徒手空拳の戦いもすでに始まっていることをあらためて感じたことである。 写真はしみじみと心温まる一日の終りにしばし佇んだ宝塚の武庫川の夕景。私の開戦記念日にふさわしい美しい光景である。
2010年12月08日
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久々の本格山岳映画で、封切り予告を聞いたときから指折り数えて待っていた作品である。昔から「アホと煙は高きにのぼりたがる」と言われながら山恋いの青春時代を過ごした私にとってはなんとも古い血が沸騰する映画であった。 登山という全くの没価値な行為は、その無意味さゆえに貴重で、若者の心をとらえてはなさないのはジャンルこそ変わりはすれ、今も昔も変わらない。意味があることといえば、すべて金銭で換算可能だが、この若きアルピニストはそんな金銭で得られないものを目指していた。しかし、そうした没価値が貴い登山行為もその没価値ゆえに国家の威信だとか、ビジネスに利用されていくのが世の常だ。トニ―・クルツとそのパートナ―は、そんな青春時代を国家的な思惑とは無縁にひたすら高みを目指していくのだが、それが実に痛々しく描かれており、観客の期待通り、彼らはついに還らぬ人となる。 私は、この映画にみられるほとんど道化役すれすれの登山家の崇高な高みを目指す志の中に、麓の4つ星ホテルで夜毎パーティを繰り返しながら彼らを観覧するナチ系の新聞社デスクの民族的優越や財閥の金銭への愛着と同じ動機をはらんでいることを苦々しく読み取っていた。それは、以前にヘテロソフィアの手稿で取り上げたことだが、向上心や克己心の中に胚胎する差別への激情、プラトンがかって述べたギリシャ語のティモス(Thymos)が共通だということだ。このことは私がきのこの声に耳傾けようと協会を創ったことと深く関連しており、いずれ言葉を尽くして別のところで発表するつもりだが、ティモスとは本来、気概、困難を乗り越えようとする強い意志のことを指し、それは卑近なところでは、民族紛争の中で端的に顔をのぞかせるものだ。 しかし、トニ―・クルツと比較にならないほどのちっぽけなスケールだが、同じ「青春性」を温存して今日までやってきた私には彼らと決定的に異なる点が一つだけある。彼らはその高きを目指すことに無心で取り組んでいったが、もともと退屈男の私は反対に、ティモスを無化することでなんとかバランスをとってきたことだ。私が東洋の島国の良寛や西行、蕪村らの中に見つめてきたもの、それは一神教世界の環境からは絶対に見えないものを感じとってきたゆえんのものなのである。 「ムックきのこクラブ」で、生物多様性に関する学問的権威で武装することよりもきのこを淡々と観察することを勧め、俳句という短詩とデジカメという庶民的な手法で、その多様性世界の真の実現のために身近な卑小生物に常にいつくしみの心を以て接し、それぞれの生き物たちの生活の現場でのふれあいの偽らざる印象を、言葉と映像により記録にとどめることを勧めているのもそうした観点からである。 作品は、対象への愛がふくらむとともにおのずと人の心に訴えかけるものになるのでテクニックは不要だといつも語ってきたことである。私の望む「屁のように生きる」とは畢竟その一点に落着する。
2010年12月06日
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この日曜日、朝から映画DAYと決めて宝塚のシネ・ピピアに行ってきた。ようやく日の目を見た『氷雪の門』上映会と、主演の二木てるみさんとシネ・ヌーポゥ代表の景山理さんのトークショウがまず第一の目的。 1974年5億数千万円をかけて制作された日本映画だが、封切り直前に当時のソビエト政権(現ロシア)から圧力がかかり、上映が中止されたいわくつきの映画だ。しかし、樺太(サハリン)を扱った映画はこれ一本のみで、戦後のわが国では、なぜか過去を忘れたがる風潮があるとしてもこれはおかしい。すでに65年を経て戦争をリアルタイムに体験した人たちのほとんどが鬼籍に入ってしまった今、やはり事実はきちんと伝える必要があり、それが永久平和を標榜してきたわが国のあるべき姿だと思うのだが。臭いものに蓋をしても、解決にはならない。ましてや、停戦条約を破棄して進攻してきたスターリン体制のソビエト権力の非をみとめさせ、現メドベージェフ・プーチンのタンデム政権に謝罪を求めることは理不尽なことでもなんでもない。その上でロシアはわが国にもっとも近いヨーロッパの友好国として新たな未来像を築いていくべきであろう。シベリア、極東の人たちもそれをのぞんでいるのだから。 しかし、日露の領土問題を視野に入れた真の友好関係を樹立しようと尽力した鈴木宗男さんも国策裁判で実刑が決まり、日本は沖縄基地の問題すらあやふやのままにアジアの安全保障の進路をなし崩し的にアメリカ一辺倒の既成の枠組みにはめ込ませようとしている。何か、保身政治家たちがよってたかって、微弱であった不安の種をいたずらにふくらませるだけという感じがいなめない。 そんな日本の外交上の無策に業を煮やし、ロシアはアメリカをけん制する意味で、北方4島のこれまでの領土問題を反古にしてロシアの対アジア、太平洋方面の抑えに飛行場建設をはじめるとプーチンが公言するまでになってきた。非武装中立の立場をあやうくしかねない昨今のアジア情勢に憲法9条を堅持するわが国の真価がいよいよ問われる時代に突入した。 再軍備の声が高まるなかで、平和を維持するための非武装を貫くためには菌類以上にしたたかな戦略が必須である。決して愚かな挑発に乗らず、冷静に我が国の行く末を見定めて行動する政治家の登場が待たれる。 それはさておき、二木てるみさんのトークショウは、期待通りの素晴らしいもので、映画人としての彼女は誠実そのもの。景山さんの巧みな話術も相まってこの映画製作の裏話がふんだんに聞くことができた。おそらく私と同年代だと思える彼女は、劇場映画の終焉を新たな切り口ではじまりにしたい映画人の一人だということは、彼女の情熱あふれる言葉の端々に伺うことができとてもうれしいひとときだった。 昼からは、ギャラリーきのこに戻らなければならないと思いきや、現アート展の展示は今月いっぱい延長することとなり撤収作業にかけつける必要はなくなったので、急きょシネマディ第二部として以前から封切りが待ち遠しかった『アイガー北壁』を観ることに。 写真は「氷雪の門」制作裏話を語る二木てるみさん。 映画スタッフの方に、私たちの継承し伝えてきた「大戦殉難北方異民族慰霊碑」の関連記事と樺太・敷香(シスカ)特務機関長時代の亡き親父(陸軍中野学校特別一期生)の回想記『ツンドラの鬼』と追悼集『事天の一途』を二木さんご本人に手渡していただくようお願いしてきた。 こうした史実を、政治的にではなく、理不尽な戦争というものに翻弄され続ける同じ非力なものたちのいのちの記録として伝えることの困難さと、それがゆえの大切さをあらためて考えさせられた一日であった。
2010年12月05日
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