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終章へあと数歩なり遠蛙 昨日の日曜日、母親とふたりで月例の墓参を果たしてきた。92歳。この日を楽しみにしている母親だが、出かけるとなると半日仕事だ。身体も90度近く曲がりまっすぐ前を見られない状態だが、しかし、よく踏ん張って生きている。墓所への200mほどの坂がずいぶんと急で、2度目のペースメーカー手術のあと、これまで毎月独力で登っていた坂道の途中で息苦しさを感じてしばらくうずくまったことがあって以来、医師の診断で弁膜症も併発しているということが判明し、今年から墓参には車椅子に乗っけて坂を上り下りすることにした。はたでなるべく手を貸さずにつきそっているが、実に偉い。一言の弱音も吐かずに、身体が朽ちぬためにぎりぎりのもてる力を総動員して生きていることがありありと感じられる。「人は死ぬまで生きる」とは私の人生観だが、不慮の事故で死ぬ以外では、もう用済み、もう死にたいと自分が思わないかぎり人は死なないといった意味合いを込めている。おそらく母親は時々刻々、生きる意味を見出しながら生きているのだろう。それがひたすら偉いと感じる私の偽らざる思いだ。いずれそんな母親に「よくここまでがんばったね。以後のことは心配せずに心ゆくまで眠りなさい」と言うときが来るのだろう。 アスナロという樹は、明日ヒノキになろう、あさってヒノキになろうと思いつつ生きていることから名づけられたというが、こんな一日を過ごした後の感慨は私の場合、つねに「あすなろ物語」的思いを吐露することになる。寄り道人生がちょっとばかりゆらぐ瞬間という事か。そんな滑稽きわまりない母子を半世紀余り見つめてきたお地蔵さんとハイポーズ。実はこの短詩、読んでいた本がとても面白く、終章まで一気に読み進みたかったのだが、あと数ページで終章というところで中断せざるを得なかった、遠くではかえるが何をか言いたげに鳴いておるわい。との句意で、まったく別の次元の内容だったのだが、こうして併記すると別の意味合いも帯びてきて母親や私の感慨にも重なっていく。
2010年05月31日
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茅花絮翔べり傀儡の村を過ぎ 草のわたではタンポポのそれが私たちにはなじみが深いが、この茅花の穂わたもとても趣きがあり捨てがたい。その昔、傀儡子が住んでいたという集落を抜けたことがあり、人の気配のない昼過ぎの村はかすかに生活(たつき)の匂いはあっても過疎めいて私の目には写った。旧街道筋から少しそれたその集落にはおりから茅花(つばな)の草絮が風のまにまに漂っていた。暑い夏へ向かう季節の中でひそけき村のたたずまいと、その集落の静止した刻を唯一きざむかのようにつばなが穂わたをやわらかく飛ばし続けている光景は後々まで私の脳裏に焼きついてはなれなかった。読みはで夏の季感を背景にしている。写真はこの作品と同季節に加西のキリシタン地蔵を訪ねた折りの北条線の鉄路。
2010年05月30日
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俳句は詩であるか 寺山の作品に触れたとき俳句や俳諧の発句は詩か否かを問うてみた。俳諧の発句を独立させて17音のみで独立した詩世界を打ち立てようと試みた正岡子規以来の倦まざる問いかけである。俳句は詩であるかもしれず詩でないかも知れぬ単なる「器」と私は思っている。 わが国の伝統芸能はすべて型を重んじてきた。型あるいは器を準備すれば、おのずと目に見えないものがそこへ宿ると考えてきたのだ。そして型にはめる修練を自身に課すことによって芸を磨くというのがわが国の唯一つの芸能の方法であったのだ。芸術と芸能の、アートとアルチザンの世界との両極をかぎりなく揺れ動きながらこの17音詩は綴られてきた。河東碧悟桐にはじまり種田山頭火や尾崎放哉などを輩出した自由律俳句もアンチ定型であることに於いて17音詩の圏内におさまるものだ。 ナチュラルハイこそがいのち 私たちの日々はハレとケから成り立っているとは民俗学の世界では常識だが、私はこの島国の人間にとってはケの日常しかないと考えてきた。その鬱とした日々に裂け目(=すなわちハレ)をもたらすものが祭であり、芸能であり、詩である。芸能も詩も非日常を演出し、そこにつかの間没頭するひとときを持つことなのだ。したがって1年365日ハイな状態を持続することは、よほどの強靭な狂気を秘めた精神の持ち主でなければむずかしい。寺山などはその意味でもすごい人生を送ったと私は思っている。ジャズメンなどでは、そのハイ状態を長引かせるためにドラッグへと傾斜したものも少なくない。しかし、私は人生に必要なのは断続的ではあってもナチュラル・ハイの状態を持続させることの方が大切だと考えてきた。それこそが、島国・日本のメモ書き詩人のよってたつところと信じている。市井のアーティストこそが真の芸術家だと言うことだ。日常意識のままに絶えず「ちょっと背伸び」を試み続けることで人生を豊かにする。このためのうってつけの器が俳句形式(17音詩)であり、そして叶うかぎり地球の最底辺に生きる生きものの視点でものを考えるためにきのこという鍵穴型の器を想定し、上昇する志向ではなく下降する思想を常にきのこと接することによって磨くことにしてきた。だからこそ「俳句は詩である以前に挨拶である」とか「きのこは器である。そこに盛られている、あるいはそこから透けて見えるさまざまな見えないもの事や世界をしっかりと見る力を養おうぜ」と行き会う人毎に勧めてきたのだ。器は器以上のものでは決してない。かぎりなく器を越えていこうとする精神のみが詩を孕む。そして温帯モンスーン世界に生きる私たちにとって明確な四季の移ろいは、森羅万象が変化のうちにあるということを言葉以前に感覚として身につけてきた。この季節のうつろいに身をまかせ、季節の挨拶の言葉によって自身の志を述べることがメモ書きの詩人のモットーであると考えている。俳句国際化の中でもっとも越えがたい壁は、この日本語と季節の言葉に対する肌で覚えた私たちの感覚にこそある。 部分と全体 それともう一つ、17音詩は芭蕉が述べたように「言いおおせて何かある」句姿を求めていることだ。17音が言葉足らずであれば、かぎりなく説明を付加しなければならないのでもはや詩ではなくなってしまう。言いおおせて何かある場合にかぎり、詩での応答が可能となり対話が成り立つ。これは数名の作家による対話形式(=共同作業)の歌仙の世界では必須のものであった。個々の作家は、自身の作品が一本立ちし、独立させるべく作品の個性化に全精力を傾倒するが、その努力はもうひとつ高位の全体の中でより輝くための個性であることを自覚したときはじめて生きてくる。俳句は卑小な断章だが、常に他者に向かって問いかける契機(=ダイアローグ)を孕んでいることでかろうじて詩として成り立っているのだ。 個々の17音詩、14音詩がそれぞれに触発されて交互につけられスリリングな行きて帰らぬ流れを創り出し、歌仙(36句あるいは100句)を巻き終わったときには全体としての別の世界が立ちあがり、同時にその全体世界が契機となって別のステージが開かれてくるといった永遠の変化の相を準備できることにつながっていく。 明治になって俳諧の発句を独立させて誕生した俳句という名の17音詩と言えども、個であり全体でもあるという日本詩歌に固有の形式をも引きずっているので、いわゆる西欧世界の詩とは似て非なるものとなっている。個性よりも全体の流れを大切にするアジアの精神はここにも現われていて、これが生物多様性を叫びながらもどこかしら「遺伝子は利己的だから」という弱肉強食の世界を是認してしまう環境運動やエコ活動の嘘が見えてしまうことにもつながっていくのだ。 とはいえ17音詩はこうして私が言うほどすばらしいものでも何でもなく、油断すればただちに日常意識に埋没してしまう危険をいつも孕んでおりほとんどの俳句作家は狂気に程遠く、しかもちょっと背伸びすら忘れてしまって「奴隷の韻律」といわれる通りの作品の羅列となってしまう。17音という形式に季節の言葉をはめると詩になるというお手軽さは素晴らしいことだが、この型を踏襲して尚、詩であるといえる作品が誕生するのはおそらく生涯に1句か2句だと言うことはすでに芭蕉の時代に認識されていたことだ。 それでも私はナチュラルハイの世界への近道として、この詩型と同じ方法論をもつデジカメ写真とその大いなるシンボルとしてのきのこに少しだけこだわって生きている。写真はそろそろ出番のはじまるアシボソノボリリュウタケ
2010年05月29日
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おちこちに間歩跡見えて小判草 日本史のスクランブル街道、多田荘(能勢・川西・猪名川・三田・有馬を含む北摂)。ここは大江山伝説の猛者たちを多く抱えた満仲以前より鉱山資源が豊富だったところ。京都に近く、猪名川水系から淀川水系を川尻まで、そして瀬戸内海が河内へぶつかる首ねっこを押える要衝の地であったことから、太古より活発な人的交流があった場所である。三草山の旅はそうした坑道跡(=間歩まぶ)を辿る旅でもあった。しこ草の続きで小判草の短詩をそえておく。植物に疎い人でも小判草はひと目見たら絶対忘れない。廃れた金属鉱(ここは銀・銅が主流であった)の、人ひとりがようやくみみずのようにして滑り込むほどの小さな穴があんぐりと口をあいている辺り一帯に、この小判形の穂が今を盛りに風にゆらいでいる様はほほえましい。写真は小判草ではなく公園の子供の世界を限るきのこ石。以前から気になっていて本日仕事の終わりに立寄ってきた。
2010年05月28日
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しこ草のみな花つけて五月尽 しこ草のしこは醜。なんともはや身につまされる呼称だが、雑草のことである。しこしこと元気に生きる意味としておこう。その草々が一斉に花をつけている。電車を降りて、すさまじい待宵(ユーミンの言葉では十四番目の月)の梅雨月が登るまでの間、しこ草と対話をするひとときをもった。私の中ではすでに五月は終わった。いよいよ後半の半年が目の前に広がっている。6月には幻のきのこカルチャーマガジン「MOOKきのこ」の同人たちが協力して同窓会とも言うべき「きのこ展」が伊丹の工芸センターで開かれる。このきのこ展は工芸館でジュエリーの指導をしている坪文子さんと今村源さんの現代アートのきのこ展でお会いした際「是非ここできのこ展をやりましょう」と語り合ったことがきっかけでその思い叶って同センターの作家たちの作品と競演の形で展示と販売をやる。さてムックきのこクラブの新しいスタートの第一歩はここから。 写真はMOOKきのこ投稿作家の中でもとりわけずば抜けて素晴らしい才能を発揮してくれた田中裕理さんの『めがね』である。今回彼女も参加してくれるそうでとてもうれしい。ハーバーランドの阪急ミュージアムで、きのこの宝飾を手がけた今回の言い出しっぺの坪さんやとてもおしゃれなきのこ漫画で皆をよろこばせてくれた毛利泰房さんはもちろん、コレクションではチチ松村さんのオリジナル性、ストーリー性の高いグッズの数々。きのこ街道まっしぐらの大江青年の和のきのこ、アンティークの数々。桝井亮氏の不思議な写真によるきのこマンダラ展。茶留さんの『怪』大賞をとった百鬼夜行図ならぬ百菌夜行図。河野甲・滋子さんの造形作品。須藤さんの阪神復興を祈念しマンネンタケを形象化した『ラマン』。堀博美元副編集長のきのこアート作品。ミズタニ・ヤエコさんの「きのこ・螺旋」作品などなど。 このきのこ展についてはまた改めてここで紹介しよう。
2010年05月27日
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「曇りのち晴れ」と、五月の別れかな 朝、時間をみるためにテレビをつけると天気予報が「曇りのち晴れ。しかし、肌寒さが残る一日」とのこと。5月。見るもの聞くもの、あらゆることに新しい門出の予感が。私の生活は、日々すべてを更新していく人生を貫いてきた。この5月、新しい世界へ向けて船出する第一歩がはじまる。きのこ、不思議と出会う旅、短詩、熱帯音楽、ロシア・・・。こうしたマイナー世界への志向は変わらないけれど、今年は大きな更新があるような予感が。日々、そうしたささやかな兆しをしっかりと受け止めるため全身をアンテナにしている。人間との恋には縁のうすい人生だったけれど、新しいあやめも知れぬ恋もはじまるかも・・・。写真はそろそろ目に立ちはじめた山法師(ヤマボウシ)の花。
2010年05月26日
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朴散華たちまち到る廃山寺 三草山頂上付近には飛鳥時代頃から堂宇が林立したという。その裏付けはこのあたりの豊富な鉱物資源にあったという。これは川西できのこクラブを世話するかたわら、市の歴史ガイドをつとめる井上道博さんの説明で、すでに若くして川西の生き字引だ。私は彼からこの地のさまざまなKEYとなる場所、人物、生きものたちのいのちの声を聞かせてもらっている。 ゼフィルスの森を過ぎた頃よりわが行く手には肉厚で白い朴の花がぼたぼたと散り敷いており、手にとってみてその感触をたしかめたりしている間に寺院跡のような敷地に行き当たった。おそらくここが廃寺址であろうと納得する。ややあって頂上に到ると、南の方向の三方が開けて、晴れていればちぬの海(瀬戸内海・大阪湾)まで見渡せるであろう風景が霧ごしに見え隠れしていた。サンコタケ、スジオチバタケ、マツオウジに出会ったのもこの頂上の北の脇の木立である。ここでは先客のまむし君(植物ではなく蛇さん)が天然のシャワーを浴びている最中で「こんな雨の日に山登りなんかするなよ」と言いたげに、プリプリ怒りながら倒木の下へもぐりこんでいった。 山畑を詰めたところの山路の入り口では数株のマムシ草(テンナンショウ)が斥候めいた表情でこちらへ愁波を送っていた。釣り糸めいたひげを伸ばしているので浦島草と判断した。浦島太郎はもののべの祖につらなる人物。写真のテンナンショウは比叡山麓坂本の日吉神社でみとめたもの。 まむし草これより先は黄泉の国
2010年05月25日
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夏あざみ雨をつらぬく想いありて この日雨中のいたるところで夏あざみと出会った。この旅は数年前から果たしたかった探訪地できのこもさることながら是非三草山界隈の山懐で考えをまとめたかったので決行した。一途な思いといえば夏あざみはなんともいえぬあでやかさをもっており、みつめているとふと昔の記憶がよみがえり以下の句が口を突いて出た。夏あざみ実らざる恋美しき夏あざみ実らぬ恋と知りながら
2010年05月24日
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破れ傘の白きトレール青山河 ひねもす風雨の一日となったが、川西の物好きの人たち数人と能勢奥の三草山をめぐってきた。ここはトラスト協会のゼフィルスの森と長谷(ながたに)の棚田の有名な場所で、全身緑雨にそまりながらのすがすがしい旅となった。三草山山麓の神社仏閣、石仏、石柱、さえの神などをつなぎ頂上をきわめ棚田をみつめながらの下山。途中カヤぶき農家の軒先を借り食事をとり、シジミ蝶の食草のナラガシワや夏アザミ、まむし草、タカノツメ、コシアブラ、たくましく成長したイタドリなどをみてまわり、きのこでは美しい姿のスジオチバタケを筆頭にハラタケグループ7種、マンネンタケなどの多孔菌2種、サンコタケの黄色種、キクラゲに代表される異型担子菌類3種と雨のデートを楽しんできた。 この地は大塩平八郎に同調し一揆を起こした義人を輩出した地であり、秦氏や物部の痕跡が多数残るところ。白い間に合わせの傘は一旦強風にあおられたあと骨がはずれ収拾のつかぬ形にまで湾曲したが、心強い味方としてこの雨に降りこめられた一日、気ままな私に連れ添ってくれた。ここの破れ傘は夏の季語に収録されている植物ではなくビニール傘のこと。
2010年05月24日
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誕辰の夜覇王樹の花ふふむ 気の遠くなるような道のりも歩き通せばあっと言う間に過ぎてしまう。今日再びの誕生日、近隣の窓辺のサボテンに花がついているのを認め本日の感慨とした。サボテンが花をつけるというのはよほどの危機的状況らしいのはきのことて同じである。はた目に美しいものほど、切実ないのちの表現があることをもっと私たちは認識すべきであろう。覇王樹(はおうじゅ)の花はそんな意味でもわが誕辰にふさわしい天の贈り物。 家族が誕辰の祝いにスペイン料理の店「カルメン」を予約してくれていたので日が落ちてから出向いた。ラッキーなことにこの日はフラメンコのライブがあり、昨日のフラダンスに引き続き存分に楽しませてもらった。フラメンコはジプシー音楽のバリアント、その精神は「生きる孤独」だと私は考えている。パーソネルは、フラメンコギター 有田、カンテ 澤田、バイデ さゆり、かよこ、ひろみ、みお、ゆうこ。コンボのリーダーは踊らなかったが前中さんという女性の方でした。
2010年05月22日
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よべの霧動き初めたる夢に覚む 昨夜(といっても数日前のこと)、深い霧の中を帰った。その記憶が夢の中へ引きつがれた状景。現実の霧から隔たった夢の中の霧。それが流れ始めて夢精の瞬間のようななんともいえない不安な気持ちに囚われて目覚める。 宮澤賢治の作品では霧がとても重要な意味をもっているとかって指摘したのは天沢退二郎だが、霧をうたって決定的なシーンを仮構したのは寺山修司だ。「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」季節としての青春を方法に転じて余りある見事な作品である。海霧(じり)が夏の季語だとかなんとか言った次元をやすやすと超えてしかもさわやか。格好いいなといつも感じる。いわゆる俳人と寺山の短歌、俳句との大きな違いはどこにあるか。それも考えるに価するテーマだ。詩はこころざしを述べるとはいにしえより伝えられてきたこと。しかし、詩というものの成立する根拠が寺山と俳句作家では同じ詩でありながら全く異なることに起因する。それは俳句は詩であるか否かということにも深くつながっている。
2010年05月22日
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後れ毛にまつわるは風フラガール 大阪スカイビル・ワンダーズスクェアで開かれた第五回ALOHA SUMMER FESTIVAL IN OSAKA 2010 ハワイアン・ライブへ行ってきた。今とても油ののったハワイアンアンサンブル「カウラナ」の演奏がメインで、おまけにマナオ・カンパニーのウェルドン、ブライアン、アリカのライブもついて願ってもない金曜日となった。初日の今日は宵祭とも言うべき舞台で整然と踊りを披露していたが、明日、明後日はどうなることやら。この盛り上がりぶりをみていてふとそう感じた。演奏と交互にフラダンスが入り、ソロやグループ、そして男性のみのフラも入り、うっとりとさせられた。フラガールたちのしなやかな踊りには思わず写真を撮ることを忘れて見入ることもしばしばで、年齢相応に楽しませてもらった。 フラダンスの作品はとても難しいが私はふと認めた点景をスナップ風にまとめてみた。 若い友人のKさんがバロージャというロシアの好青年を紹介してくれたので帰りにビールで乾杯し、私たちのこれからの抱負などを語り合った。空には上弦の月。夏まっさかりである。
2010年05月21日
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天神へ墓抜けていく竹の秋 天神さまへの細道はいつも通るのでそろそろ竹林のきのこたちの動向を確かめるため、墓所の奥の竹林を抜けていくことにした。地温が上がらないせいか、いつもみかける蛇たちも自律神経失調状態で巣穴にこもっているらしい。 ようやくたかんなの時節も終わり、竹ははらはらとしず心なく葉を降り注いでいる。まさに竹の秋。竹皮を脱ぐという蛇もどきの脱皮が終われば今年竹の精幹そのものの美しい林が立ち上がる。そしてキヌガサタケの季節の到来である。茸も竹も成長の著しいこと(猛々しい)から名づけられたという。さて今年はどんな姫君が出迎えてくれることだろう。
2010年05月20日
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ほどほどはむずかしきかな躑躅咲く つつじの季節になるといつも思うことだが、この花は世阿弥の「秘すれば花」の心にもっとも遠く感じられ、自戒の花として眺めている。節度のある生き方というのはとてもむずかしいことで、この花のさかりには、夜目も遠目も顕示の過剰か、貧相かの二通りしかなく、ああ見事だなと感じさせてくれるほどほどの咲き方、咲かせ方に出会うことはまずまれである。「この世をばわが世とぞ思う望月の・・・」と詠った藤家(藤原一族)のごとく、今全盛を誇るつつじだが絶頂期こそ本当の意味でのつつしみをもつべしと考えさせられることである。 図書館で黛まどかさんの『季語の匂ふ街』があったので借りてきた。生い立ちの節々が短詩とともに描きだされ、とても気に入ってしまった。自然を愛する心をとりもどす術として季語をみつめる女流俳誌「ヘップバーン」同人たちのときめきも十分に伝わってきて、こうしたささやかな努力が自然の中で生かされている自身を再確認し、ひいては本当の意味での自然保護につなげていけるのだと思ったことである。
2010年05月19日
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くちなしよ楚々と過ぎたる女に蹤き 通勤路にようやくくちなしが匂いはじめた。なんとはなしにすがしい気分になるのはこの花のせいかな。そんなある日の朝、くちなしの香のただよう通りで駅へ向かうともなくぶらりとしている私の前を、楚々として足早に通りすぎていった人がいる。そのきびきびした歩調についふらふらと後を追っかけている私がいた。。寄り道ばかりしつつ過ごしてきた人生、これでよかったかなとふと考えさせらるひとときであった。会社へ行かなくっちゃ。しかし、追い越して顔をみることはやめにした。もし万が一親しくなっても一緒に映画を見に行くことなんてきっとないと思ったからである。世の中さまざま。美女もさまざま。すべての女性と親しくなれるわけではないからね。
2010年05月18日
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寺門派のモミウラモドキと比叡の夏 ムックきのこクラブの5月の旅は比叡山。延暦寺根本中堂を中心に東塔域をめぐり、横川の良源大師廟に足を伸ばし、坂本へ降り日吉大社まで、きのこと比叡山の根本にかかわる旅を果たしてきた。 坂本に生まれた最澄は比叡山寺開山の祖だが、都の鬼門(=丑寅うしとら方向)封じのため叡山を国家鎮護の城としたというのは後世の付会で、彼の比叡山寺開山の真の目的は古代最大の豪族・秦氏との結合を狙ってのものという聖トポロジィの真実を確かめるべく緑したたる比叡山詣でと相成った。山頂はまだ四月の陽気で八重桜、山桜の名残りの花が青葉におおわれる山々のひまで最期の抵抗を試みていた。 山門派(延暦寺)と寺門派(三井寺)の対立は最澄亡き後、円仁の赤山明神と、寺門派の開祖となった円珍の新羅明神の渡来守護神をめぐる弟子たちの地位争いから始まったもので宗教人同士の200年に亘る抗争となるが、この日昼食をとった根本中堂を見下ろす文殊堂脇の、円仁の在唐求法の旅を支えた新羅人の張保皐(ジャンポゴ)の顕彰碑のほとりにはミイノモミウラモドキ(このキノコの命名は三井寺での発見がもととなりミイノは三井寺のの意)が点々と顔をのぞかせ、今も山門派をけん制しているようで面白く冒頭の一句が生まれた。(じもんはのもみうらもどきとひえのなつ) 比叡堂のひさしを家とみそさざい 美しい声をはりあげてかまびすしく鳴くみそさざいは伽藍の庇に営巣しているらしく、しきりに往還を繰り返している。(ひえどうのひさしをいえとみそさざい) この日のハラタケグループのきのこはミズゴケノハナ、クヌギタケ、ウラベニガサ、ケコガサ、ナメアシタケ、オニタケ、エリマキツチグリなど、比較的小型種ばかりであったが、それらを楽しみながら奥比叡・横川のつの大師(元三大師・良源座主)の墓へと段々にボルテージを上げ、スリルを楽しむことがもうひとつの目的であったのでいよいよ横川へ。 きつつきのこだまする朱のあざやかな横川中堂を通り、元三大師堂で角大師の護符に興味津々の女性たちをしばし眺めて、角大師の霊廟へと至る。 啄木鳥や朱の鮮やかな堂巡り 翠巒の墓碑もきのこの角大師 元三廟の奥処(おくが)には、まさにきのこの形の墓碑が鎮座ましまし、一同その意外性に大感激。ただ碑の周囲には落枝がうず高く積り、超ご高齢の角大師が夜な夜な活躍する際に足をすくわれ骨折しかねない状態であったので、掃除をさせていただく。翠巒はで緑したたる峰の意。 元三廟の落枝清めて衣更 ふたたび東塔へもどり、淡海を見下ろしながらケーブルで一挙に高度を下げ坂本の日吉神社へ。旅の終わりは日吉大社の東西の本宮を経めぐり、終始水音の絶えない境内に心洗われ車中の人に。(がんさんびようのらくしきよめてころもがえ)。止め句は(くれなずむそうこのやしろしみずなり)暮れなずむ蒼古の社清水鳴り
2010年05月17日
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夏風邪に足すくわれて夜雨を聴く このところの天候不順はうかうかしているとすぐ風邪神にとりつかれてしまう。毎朝起きてその時の空気で、とっさにワンパターンなりに着ていく服を考えるのだが、ときどきチョンボして寒風の中、半袖シャツだけでの出勤となったりして鼻がシュンシュンする結果となってしまう。そんなときには夕食の後のスケジュールをばっさり変更して厚着して毛布にくるまりインデアンサウナの状態で寝ることにしている。風邪は汗をかけば治るという信仰めいたものがあり、いつもそうしてきた。が、その日は一日中ジトジトと雨で、夜になっても降りやまず、ひさしぶりに雨音というものを体感した。普段、頭でっかちの生活にどっぷり浸かっている私だが、こうした風邪のおかげで思いがけない体験をさせてもらうことがある。俳句は短い詩形なので夜雨と書いただけで聴くことも含まれ「聴く」は蛇足で不用なのだが、「聴く」を強調すべきときにはわざわざ入れることも大切だ。私にとって夜の時間は昼の時間以上にとても忙しいのだが、この日は松岡正剛、エバレット・ブラウンの対談集『日本力』を読み終えることのみを目的にした。本書はブラウン氏の素晴らしい異人の目から切り崩した日本を彼が編集しつくした感があり、松岡正剛のこれまでの主著の文字通り集大成であった。最近日本沈没が現実味を帯びてきた中で日本論が相次いで出版されているが、内田樹さんの『日本辺境論』と比肩しうるほどの好著であった。
2010年05月15日
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鳩の死を見つむる鳩と薄暑の街 毎日日本のどこかで人が殺され、人が自身を無きものにしていく。毎日世界のどこかで多くの人たちが殺し合いをつづけている。今季節は夏に入りいたるところで生命の賛歌が聞こえるかにみえるが、生命の横溢は必ず多くの忘れられた死を伴っている。ふと大路を歩いていて見そめた点景だが、あどけない鳩が自動車道路の真ん中で車にぶつかったかどうかして亡くなった同僚の死を見つめていた。鳩はド近眼なので突進してくる車に直前まで気付かないことがこうした交通禍に見舞われる原因だといわれている。炎帝の到来直前の都心でしばしたちどまって、私も鳩と同じ無心の目でそれを眺めていた。
2010年05月14日
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わたしの主宰する会は、心と身体のバランスを回復するためのさまざまな企画を実行しています。そのために、身のまわりの自然と接すること(きのこ探訪)、そして心の糧をさまざまな文化遺産から吸収すること(ギャラリー活動)の二つをバランスよくこなしていく活動を展開してきました。 私たちまでの時代の人間は、どんなにわたしたちの生活空間が、人工物や頭脳の産物が幅を利かせ「ヴァーチャルな世界にしか真実はない」というような時代にまみれていようと、すこし視線をそらしてみれば私たちの管理の外にある自然が身のまわりに残っていることをかろうじて記憶の中に持っています。しかし、私たちの子供の世代、そのまた孫の世代になると、わたしたちのような両親をもたない子・孫たちは、自然と接する術さえ見失ってしまっています。わたしがきのこに着目してきたのは、きのこがわたしたちの現代的、近未来的な生き方を先取りしていること、そしてそんなきのこと出会う旅を重ねることの中で自然とのつながりを回復していくことを目指しています。その際のツールとして俳句とデジカメを中心に据え、エッセー風の記録を残していく試みを続けてきました。生物多様性などと人は口々に叫んでいますが、他の生物と親しく付き合う術を知らない人たちに果たして多様性を守るノウハウが伝わっていくでしょうか。 日本の文芸形式の俳句にはそんな自然への憧憬からはじまって少しずつ自然や野生生物との関係を実際に育んでいく言葉のエクササイズができると考え、私の会ではそうした試みをデジカメと17音詩で習慣づけていくことを勧めています。 言葉をもたない野生生物が季節の移ろいを感じる際の体内時計は、太陽の日照時間に基づいていることはご存知の方も多いと思います。そんな野生動物の体内時計のような働きを言葉で把握し確認するのが暦の二十四節気なのです。わたしたちから見た春分点と太陽との間の角度を黄経といいますが、その黄経が15度増すごとに清明、穀雨、夏至、冬至など季節にもっともふさわしい自然の状態を表す名称をつけ、私達人間の体内時計を調節する目安としたものが二十四節気なのです。この四季のうつろい(陰陽五行の世界では五行循環といいます)を頭でっかちになった現代人がまず意識的に心がけ自然のサイクルを回復していく。そんな日々の自身の自然人としてのメモがデジカメ映像であり、17音詩であると考えています。 俳句の本質は「挨拶性」にあると山本健吉はかって述べていましたが、「いつまでも寒いね」といったさりげない挨拶をもう一歩進んで相手への心づくしも含めたもてなしの心で言葉を贈るのが俳句です。だから季節の言葉が詩の言葉となっているのです。しかし、自然に縁のない人たちにとって季節の言葉がまず理解できない。アザミといえば春と昔の人は暗黙の了解をもっており、そんな了解があればこそ季節の言葉にこめられた挨拶の言葉に相手の心尽くしを読み取ることができたのですが・・・。反対に井上陽水の高名な歌の歌詞に「夏が過ぎ風あざみ」とあるのを聞いて「秋にアザミなんて」と言った人がいましたが、アザミは花期がながく季節を代表するアザミ(春)が夏にも見られ、その場合は夏あざみ、秋に認めた場合は秋あざみと俳句では用います。が、もちろん春と夏と秋のあざみではそれぞれ風情も異なり、表現する場合にその微妙な有り様が了解しえないとそれぞれのアザミの句はピンとこないということになります。俳句の難しさはその季節の言葉を理解するための自然と人間の回路の殆どが閉ざされてしまったことにあるのです。 17音で共通の素材を一句に持ち込んで読者にイメージを喚起させながら、しかもそのイメージを自分の本当に言いたかったイメージに近いところに落着すべく作家は作品を作ります。俳句は説明するには詩形がみじかすぎるので、いきおい象徴的にのべることになります。季語の言葉に作者と読者との共通のイメージがなければ到底その象徴する意味、すなわち詩の言葉が伝わっていきません。これを克服するためには、世代を超えて共通の季物のイメージを再構築していく必要があるのです。夏あざみと秋あざみの違いを説明するよりデジカメ映像で示し、自身の作品を対置させることもアイデアでしょう。このブログではそうした写真と作品がどちらかの説明になっているような基本から一日も早く脱して全く意味内容の異なる写真と短詩が併置されることによってそれらの二つの作品がもっともっと力強い表現になっていくことを望んでいます。青玄の伊丹三樹彦が提唱してきた写俳もそのひとつの方法です。 こうした努力こそが、個々の人たちに自然を取り戻し頭でっかちの生活を修正し、自分たちと同じくみみずも、鳥も、もぐらも、切ったら血がでる生きものであることを再認識する近道だと私は思っています。季語を新しい時代の詩語としてよみがえらせることが生物多様性の真の実現につながっていると私は考えてその方法をこのブログで模索しているところです。俳句が文学かどうかなんて私にとっては二の次の問題でしかありません。 写真は スリランカみやげの染織アートのきのこ
2010年05月13日
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藤の花山削られて無残なる 藤の花の季節、同じ藤紫色の花でもずいぶんと趣きが異なる。藤の花は芭蕉の「くたびれて宿かる頃や藤の花」を超える作品にまだ出会っていないが、独特の雰囲気をどう伝えるかにかかっている。 峡の宿明けゆく空へ藤の花 さまざまな意匠の藤の花だが、芭蕉に競うというのではなく、眼前の風景をそのままよみとることが肝心。最初、峡の出湯(かひのでゆ)としていた。温泉と書いていでゆとよませる習慣が俳人には多々あるがそうした無理な読ませ方は極力避けるべきで出湯と書いてでゆとでもしたほうがまだしも現代の言葉に近い。が、そうこう考えるうちに出湯も不要と考えて宿に落ち着いた。これでも本当はまだまだ不完全で峡の宿を峡の径とするほうが句としてはずっと上品になる。宿という言葉には固定的ななイメージが付きまとっており小径を歩いての感慨のほうがずっと読み手のイメージを掻き立てるとと思うからである。私の好みの問題でここはそのままにしておく。
2010年05月13日
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薔薇活けて雨ごめの部屋廃墟めく 桐の花につづき藤紫のシリーズと思いつつ薔薇のほうが割り込んできました。昨日は一日冷たい雨が降り続いておりましたので、小暗き部屋にもどり一輪差しの薔薇の花に託して昨日の心の記録を。 花げしの花より軽く友逝けり 本日の夕方、ようやくケシの花を見つけました。ケシの句では小林一茶の「芥子提げて喧嘩の中を通りけり」という私の大好きな作品がありますが、最近、ヒナ芥子はよくみかけるのですが、オピウムの花に似通う花げしと出会うことは非常に稀です。羽束山の写真を撮るためにてくてく歩いている折にセラピーガーデンと銘打たれたすばらしい庭でみそめました。安藤くんの追悼句の花の映像をお届けします。
2010年05月12日
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遠ざかる景色の中に桐の花 五月の空高く藤と同じく藤紫色の花を掲げる桐の花は、とても美しいにもかかわらずどこか庶民的なすがしさに満ちているせいか、注目されることの少ない花である。嫁入り道具の定番だった桐のタンスをつくる材としてのほうが有名だが、花期がおわれば実をつけ油がとれる。実に有用な樹木なのだ。 この花の復権を願って、明日の藤の花の前に一句示しておこう。 私の記憶の桐の花はいつも遠ざかる風景の中でハッと認めるが早いか見失ってしまうはかない関係でしかなく、そんな花の印象がいかにもこの花の本意にふさわしく思えメモしておいた。「景色の中や」と切れ字をいれるとしまるが、「景色の中の」とするとだらりとしまらなくなるので、禁じ手に近い「景色の中に」とした。ここらの推敲は個人的な好悪の問題でいろいろ意見も分かれるところだがわたしの本当の好みは「景色の中の」とする、のんべんだらりの句姿だがあえて一句に切れを入れておいた。 写真はギャラリーきのこのきのこグッズの群像。桐の花同様、庶民性が取り柄のきのこはこうして不揃いのまま集合すると輝く。
2010年05月11日
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人来ては返す門前葱の花 名刹とは異なるけれど、人の往来の絶えない寺を訪ねたことがある。秘仏があるわけでもなく、寺苑の花々に特徴があるわけでもない、いわゆる何の変哲もない寺なのだが、なんとはなく居心地のよさを感じてしばらく散策した。その間地元の人らしい人影がはらりはらりと山門をくぐっては出て行くのだが、ご本尊に手を合わしている様子もなく、ましてやだれも門脇に植えられた葱坊主に目をとめるものはいない。それほど寺の風景になじんでいるのだろう。よそ者の私には、この葱坊主がそうした人たちを仏陀のごとく見守っているように思えメモしておいた。その帰路みとめた峠の地蔵にもご挨拶。
2010年05月10日
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校庭に球児らの声夕かわほり 暮れなずむ五月の空、灯ともしどきの町に蝙蝠(こうもり)が舞い始める。学校の運動場からは球児たちの声が絶え間なく聞こえてくる。おそらく球が夕闇につつまれ見えなくなるまで練習をつづけるのだろう。今年初にみたこうもり、俳諧ではかわほり、あるいは蚊喰い鳥などとよばれて親しまれてきた。宵闇をもたらすもの、夜の国の使い、昼と夜の二つの世界を橋がかりするものとして・・・。 新しい世界への最初の一歩がはじまる 五月晴れの一日、サーシャさんに約束の勉強机を届け、昼には体調管理の手助けをしていただいているでもいさんに夏に向けてのアドバイスをしてもらい、午後は実家をのぞき母の顔をちらりとみてから本年最初のアート展協力を依頼してきた担当者たちと打ち合わせの時間をもった。手始めにふさわしい手のひらサイズのアート展がはじまる。準備期間は極端に短いが、ベストを尽くしてこの提案に全面協力することにしよう。 掲句は母の日のプレゼントを届けに夕まづめのひととき母の家に立ち寄るため学校のそばを通ったときに出会ったものだ。
2010年05月09日
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錆び色のコンテナ港区夾竹桃 夾竹桃という毒性の強い樹木をなぜ人家に近い街路や工区の塀がわりに植えたのか理解に苦しむが、阪神間の臨海地区には必ずといってよいほど見受けられる。花期が長く炎暑や乾きに強いという理由から用いられたのかも知れない。 いよいよ誕生月の七曜のはじまりである。年輪型の人間ではなく、脱皮型の人生に重きを置いてきた私にとっては、金魚の糞に等しい過去を無化する「脱構築」という手法にますます磨きをかけねばならない。そして過去とは無縁であっても享けた恩だけは今を生きる努力のうちにその万分の一でも報いることに全霊を傾けなければならない。私にとってはこれのみが人間にとって唯一の生きる証しと考えてきたからである。そのためにはまず柔軟な体力こそが求められる。今年はあらゆる意味で助走の次のステップへと向かう重要な1年になる。 旗のように ぼくははるけさに取りまかれている。 来る風をぼくは予感する その風をぼくは生きねばならぬ 下ではまだ何ものも動かないのに 「予感」『形象詩集』より かく歌ったリルケの気分で今朝を迎えた。
2010年05月08日
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女文字しるき手帖の芽山椒 必要があって去年の手帖をひもといていると、はらりと芽山椒がこぼれおちた。そのページを開いてみると女性の筆致の走り書きが。図らずも山椒の芽を摘んだ折の記憶がパッとひろがり、しばし手帖を開いた目的を忘れて思い出にひたっている自分を発見し苦笑。写真はこの春山路を辿ったおりに見初めたアケビの花。
2010年05月07日
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筒鳥よ胸突き八丁詰めし時 昨日の山旅では老鶯にまじりひさびさに筒鳥の声を聞いた。地ぼてりのはげしい山道を辿りながら聞いた筒鳥の声にはややときめいたので、一句を残しておくことに。 「筒鳥や胸突き八丁ひたすらに」と最初浮かんだのだが、あれこれ考えて掲句におちついた。その理由はそのとき浮かんだ作品のうちもっとも俳句らしからぬ句姿であったから。自然律の17音詩は、戦後現代詩人の側から奴隷の韻律と呼ばれてきたが、この第二芸術の内包するリズムを享受するものは詩人の風上にも置けぬといった風潮さえあった。これにあらがう形で戦後の短詩の世界は細い道をつけてきたのだが、詩形との葛藤は俳人たるもの片時も手離すことはゆるされない。要は自身のその時々の感慨に忠実に、いかにもといった臭さを放たぬことを心がける中に詩の真実をさぐっていくべし。しかし、庶民の詩といわれる俳句は定型と季語(詩語)あればこそ、交通標語まがいの感慨が詩に変身することの素晴らしさはもっと注目されてよいと思っている。ただし、句集を出したいなどと言うもっとも自己意識の欠如したあわれな願望とは無縁の作品を垂れ流すこと。これが現代俳句作家の基本姿勢であろう。 俳句は一人称の詩形であるので掲句でもまだ説明的にすぎるところがあり、最終稿は以下に。 日盛りの胸突き八丁筒鳥よ
2010年05月06日
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サーシャへ子供の日のプレゼント 滝水を追う狩人となりぬべし 今回は、源流部の滴りにはじまり山清水、小流れ、滝と続き、幾筋かの流れが集まり川となって行きて帰らぬ水の成長を追う旅となったのだが、夏立つ日、ずいぶんと成長したサーシャさんと一日同行して、日々成長していくサーシャさん自身もさることながら、こうした千変万化する水のような固定を嫌う性質のものをそのダイナミックな流動の相のままにしっかりととらえ、心に追い求める人になってほしいと願ってこうした句姿となったものである。
2010年05月05日
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奥丹波立夏の滝と真向えり 連休最後の日はサーシャさんたちの家族と奥丹波のささみの四十八滝へ出かけた。連休の喧噪を避け、しかも涼味のある山旅をたのしみたいと考えて以前より一度のぞいてみたいと思っていたここへ足を伸ばしてみた。ただ登山口に到着してやや不安がよぎった。四十八滝と言っても48本の滝があるのではなく始終八っの滝が見えることからその名があるという洒落にもならないくそ真面目な案内板の告白に出足をくじかれた感なきにしもあらずで「まあいいか」と自ら言い聞かせてのスタートとなったからである。私たちは多紀アルプス縦走路方面から滝を攻めたのでなおさらのことで、行けども行けども滝音ひとつしない。これはとんでもないところへ来てしまったかなと思った頃から道は縦走路と逆方向に分岐し、しばらくいくと下り始めた。ここからはとても快適な旅となり小流れが現われ、広いカール状の谷をその小流れに添い10分ほど下ると岩峰にぶつかる。そこからは延々と岩峰にすがりながらの下りとなり展望もひらけ思わず鼻唄が口を突くような快適感で満たされる。サーシャさんも岩峰を直下する鎖場に泣き笑いしながら小猿のようにスリルを楽しんでいた。周囲をどよもすような大音声の瀧とは趣きが異なり、この山路を辿った人のみがきのこを見つけた時と同様の心の震えを感じさせてくれるといった秘話めいた小滝の連続であったので、尚の事とても気に入ってしまった。子供の日の今日はまさに夏立つ日。いよいよ私の夏がはじまる。
2010年05月05日
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花げしの花より軽く友逝けり 早いもので学生時代の唯一無二の親友、安藤純が亡くなって7回忌を迎えた。今もおつき合いさせていただいている遺児のお二方が、6年かけて昨年秋も押迫った頃にお墓を建てたとの報に小躍りしてよろこんだのだが、今日はその新墓のお披露目を兼ねて法事をすると言うので親族のみなさまにまぎれてご一緒させてもらうことにした。本当にこの若い二人は、お父さん以上にさわやかな生き方を貫いており、人生の節々をきちんとこなしている姿には常々感心させられることが多いのだが、東福寺塔頭のじゅうまん不動尊で有名な院の墓域にひっそりと息づく新墓の前に立つと、純がはにかみながら子供たちに「こんな処に押し込められて」とまんざらでもなさそうに苦笑する様子が伺われうれしくなってしまった。本当に鮎ちゃん、竜くんありがとう。7年前に突然お父さんがなくなった頃、心に浮かんだ痛恨の言葉が冒頭の1句なのであらためてお贈りします。純は鮎子さんや竜くんと同様とても心優しい男でいささか他人に構いすぎるところが玉に瑕。反対に私は鷹揚で他人に無関心な性格だったのでなぜかお互いのないものを埋めあうような関係が成立しとても気が合っていつもいつも一緒に過ごしたものです。 二人して釣に狂っていた頃に生まれた娘さんは鮎子、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」に感動して一緒に空手道場に通っていた頃に生まれた息子さんは竜と、あまりストレートなので僕は「子供たちが大きくなって親を恨むような名前だけはやめとけよ」と注意した位だったけど、今となってみると鮎子、竜(りょう)はお二人にぴったりの名前だと思い始めています。なにしろ彼は一行の詩も書かなかったけれど詩人以上の詩人だったので、純の思いが込められた最高の作品はお二人だったのだと今日墓前に立ってあらためて思い返したことでした。もう一度新墓建立おめでとう。
2010年05月04日
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コンサート果て夏色の人となる 夏灯シネマの奇跡味わいつ 40年来の友人の平島謙二君がギターコンサートを開いた。よき伴侶にも恵まれ、このところ油の乗り切った演奏活動を展開しており、昼一番に西宮北口芸文センターへ出向いてきた。すでにギター演奏にもかってあったこだわりがなくなり、観客の空気を読み自在に表現できるまでに成長し、安心して聞けるようになっている。第一部の前半を奥様の平島幸子のフルートとのデュオ、そして後半は井上成人とのギターデュオ。続く第二部は謙二氏のギターソロ。と構成・選曲ともに盛りだくさんで飽きさせない内容に仕上がっていた。心にキュンと来るギターの調べに耳傾けながらさまざまな思いが交錯し久しぶりに過去をいとおしむ気分になった。 コンサートが果てると、そのまま神戸へ直行し、国際会館で上映中のフランス映画『オーケストラ』をはしごして全身音楽まみれの一日を過ごしてきた。 この映画がまた近年まれにみる名作で、ロシア人気質を知るものにとっては泣き笑いの連続。ブレジネフ時代の「ユダヤ人公職追放」政策の犠牲者の音楽家たちが、かっての頓挫した夢の演奏会を実現させるために集まり、ペテンすれすれの手管を駆使して、パリ公演を成功させるという痛快きわまりない筋立て。そしてぎりぎりまでハラハラさせられるがなんとかパリ公演がはじまり、チャイコフスキーのコンチェルトの素晴らしい演奏をバックに、美しいバイオリン・ソリストの女性と指揮者との間の秘密の過去があきらかにされていくのだが、全編エスプリの利いたフランス映画ならではの仕掛けが込められ、見終っても一人として席を立つ人がいないほどの感動をもたらしてくれた。
2010年05月03日
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「それからのアリス」観てきて新茶ふくみをり 「アリスTWO」きのこの森の夏の夢 ティム・ロバーツ監督、ジョニー・デップ助演の『不思議な国のアリス』を昨夜レイト・ショウで観てきた。原作のあと成長をとげ19歳を迎えたアリスがふたたびアンダーグラウンドの世界へ舞い戻るという設定。筋立てはさほど新鮮ではない少女の成人へ向けてのイニシエーション(通過儀礼)劇だが、この映画を観に映画館を訪れる若者たちへの希望にみちたメッセージ性と、古くて新しい3D映像にはとてもすばらしいものが感じられ、制作スタッフのそうした斬新なものにたいする情熱と意欲が全編にみなぎっていることにとても深い感銘を覚えた。2次元から3次元へと技術革新がなされ映像が見た目により近くなるにつれ、ますます現実離れしていき虚像であることがあきらかになる3D映像はパラドクスに満ちているが、SFファンタジィの表現にはぴったりでこの分野での進展は今後大いに期待できるとみた。 さて本日の1句は、『不思議な国のアリス』という原作と同名異工の映画を観て来て深夜帰宅の途次、制作スタッフら全員の映画芸術に対するあくなき情熱を表出しようと考えてとっさに口に出たのは《「それからのアリス」観て来て夜の新樹》であったが、この映画の感動の核心は破調にこそあるので5・7・5できちんと収まってしまえばまったく小生が感じた面白みそのものが失せてしまう。そこで若葉をまとい鬱勃と夜闇に立ち尽くす樹木という詩語を語感の点からあえて捨て、帰宅してから口にふくんだ新茶の微妙な味覚を対置させることで思いを表現することにした。結果的には寺山修司の作品にある「ロシア映画観て来て冬の人参太し」と同想の句姿となったが、再来のアリス映画の感想としては目下のところこれが精一杯のものであるので採録した。それと終始沈黙のままこの映画全体を底から支えていたきのこちゃんたちにご挨拶。美しい立ち姿をありがとう。
2010年05月02日
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熟睡児を背負ひし記憶著莪の花 男親にとって娘というものはまぶしい存在で娘の記憶はいきおい小さい頃のものに集中される。シャガの花にはそうした思い出が凝縮していて、この花に出会うと感覚的かつ直感的に娘を思い出すのだ。彼女が乳呑児の頃から私たちは休みになると背負子に放り込んでほうぼうへ連れ歩いたのでそんな日々の思い出がよみがえってくる。赤子は眠るとずんずん重くなるということがいつまでも背中の記憶にあり、それがシャガの花に出会うと思い出すのだ。よみはうまひごをせおいしきおくしゃがのはな
2010年05月01日
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