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暑いのだか寒いのだかわからない中途半端な季節です。暑くもなく寒くもない過ごしやすい季節とも言えますが、日中の暑さに慣れて涼しい寝間着で寝ると朝晩の涼しさに体が冷えてしまって体調を崩すことが多いようです。 こんな時期なのにお客様の中に「冷え」を体にため込んでしまっている方が多いように思います。油断をしないでこまめに服装を調整して体の体温調整機能に負担をかけないように注意しましょう。 北陸ももうすぐ梅雨入りしそうで、湿気が高い日々が続いています。湿度が高いと胃腸系が過度に活発になったり極端に弱ったりします。消化の良い食べ物を適量に摂ることを心掛けたほうが良いと思います。 最近は自然の気候温度湿度風量が少し異常です。人に優しい気候とは言えない状況が増えているように思います。防衛本能を研ぎ澄まして生きていくことを心掛けたほうが良いのかもしれません。
2016年05月30日
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五木寛之さんの親鸞という作品が完結して文庫化されたので最初から読み始めています。 昨日読んだ箇所に書かれていて感銘を受けた個所。南無阿弥陀仏と念仏を唱えるのは御仏が私達に呼び掛けていて「はい。」と答えているのだということ。 「はい」「はい」「はい」、「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」南無阿弥陀仏」御仏はどんな人に対しても救ってあげたいとお声をかけてくださっている。それに応える自らの心の声が南無阿弥陀仏という念仏になるという。 どんな悪人でもどんなダメな人間でも分け隔てなく御仏は声をかけ見守ってくださっている。心の中から南無阿弥陀仏という言葉が生まれてくるのは、その御仏の呼びかけが届いている証拠だという。何という単純明快な教えであることか。 浄土真宗が深く根付いた北陸の土地に生まれ育ち、周囲にいつも南無阿弥陀仏という念仏がある世界に囲まれてきました。それゆえに守られているという思いが常に自らの心の中にあったように思います。宗教をありがたいことだと思うことはありませんが、空気のように目には見えず普段は気づかないけれど、きっと大切なものとしていつもあるものなのだろうと思います。 親鸞さんや蓮如さん、そういうお名前がいつも身近にあった日々をありがたく思います。
2016年05月28日
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ある本の中で「人は自分自身を書き換える力を持っている者が生き残れる可能性が高い」などということが書かれてありました。 自分自身を書き換えるということは、全く新しい自分になるということをこころに命じることができるということなのでしょうか? そういえば中学生の時に何の因果か演劇部に引き抜かれて演劇の大会に出演することになったことがあります。演劇というのも一種の「書き換え」なのでしょうか?今までの自分自身とは全く違うものになるという体験をしたものです。 要はそんなに大したことではなくて、心の持ちようを変えるということなのですが、やってみると自分の外を見る目が一変するように感じるものです。中身も外身も全く変わることはなくても、体験や心象を書き込む自分のボードが一変するので、何かとても新鮮な思いがするものです。 成長、ではなくて書き換え。これが面白いところで立派になるというのではなくて生きやすくなるという感覚が「書き換え」にはあるように思います。 人が生きていくうえで合理的に生きようと思うと七面倒くさいものですが、簡単に書き換えてみようかくらいの感覚で自分の心持を変えて生きていくというのもいいのかもしれません。
2016年05月26日
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人は見かけによらぬものというのは日々初めてのお客様わお迎えしていると感じることです。 プロレスラーのような肉体とこわもての風貌の男性のお客様がとても繊細で優しい心の持ち主であるということもあり、とても優しい女性らしいキャラの女の人が中身というか本質的にはとても男性的で竹を割ったような気質の持ち主ということもあり、霊的な資質を視ることを時々生業としていると、人の本質と見かけとは大きなギャップがあるのだなと思います。 そういう見た目と中身のギャップに悩んでおられる方もいれば、うまく折り合いをつけて上手に生きておられる方もおられます。 女装男子やらニューハーフの方達などがマスメディアでは数多く取り上げられていますが、これも心の中と外見や性別とのギャップが生み出すものなのだろうと思います。 人は自分らしく生きられれば一番良いのだろうと思います。自分というものをしっかりと見つめて確認して生きていくということはなかなか難しいことではあるけれど、一度だけの人生ですから後悔のないように他人に迷惑さえかけなければ自由に生きてよいのだと思います。 自分の本質に気づいていない人もたまにおられます。自分が他人にどうみられているかという印象に引きずられて自分の本当の姿を見出せずにいるととても辛いようで、そういうときは時々私が手助けすることもあるようです。
2016年05月24日
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最近、不思議なことに時々お客様の悪いところ不都合な個所に触れているとそれの原因になっている体の別の個所がわかるようになりました。 それはその方の身体が教えてくださっているのだと思います。20年近くお客様の身体を施療させていただいているとそういう身体の声のようなものが伝わってくるようになるらしいです。霊的な背景やその他もろもろのスピリチュアルな声や姿は努力すれば視えるのですが、痛みの原因の身体の部分がわかるようになってきたのは最近のことです。確率的には6、7割の感じでわかるようで、もちろんわからなかったり間違っていたりする場合もあります。 先日は親指が痛いとおっしゃられていたお客様の痛みの原因が顔のこめかみから顎にかけての筋肉の疲労、こわばりだということがわかり施療させていただいたところ緩解されました。こんなところが原因?お客様は素の施療の途中で何となくそういうご自身の状態に納得されていたようでした。ご自分の体のことは本当はご自身がわかつておられるのだなとも思いました。 身体と心の不思議、尽きない興味が湧いてきます。
2016年05月22日
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悪いことをしたものは必ず報いを受ける・・・ということなんだけれど、本当にそうなんだろうか?と思うことも多いように思います。 けれど心の問題というか在り方というような立場で考えれば、きっとそうなんだろうと思いますし、また霊的な立場で考えるなら間違いなくそれは因果応報であると言えるように思います。自分自身が悪いことをしたと思っていない場合でも、霊的な世界から見れば間違いなく悪いことは悪いこととしてはっきりしているわけで、悪行というのはきっちりと報いを受けることになるようです。 こういうことを書くこともあまりいいことではありません。それは善悪というものの基準というものがあくまでも人の心の中にあるという場合もあるからで、人の心をあれこれと批判するのは人の行いとしてはあまり褒められたものではないから・・・。 自ら襟を正して律然として生きていく。きちんと準備をして他者のために少しでも良かれということを少しずつでもプラスしていく。人に恥じない行いをするということを目標にして生きていく。因果の網から逃れることはできないけれど、自分が為したことにはきちんと責任を持って行動をするように努力することはできるかもしれないとは思っています。
2016年05月20日
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散歩道の河原の葭原にヨシキリという野鳥が帰ってきました。大きな声で毎朝鳴いています。 これから恋の季節を過ごして営巣して子供を孵して、そしてまた夏の真っ盛りにいなくなってしまいます。 季節ごとの繰り返し以外に人の生きていく道すがらにはいろんなことがあります。何事も無い日々というのがどれほど幸せなことなのか、ことが起こってから気づくことが大半です。 ヨシキリは鳴き、緑は濃くなり、田んぼには稲の苗が植えられて青々と風に吹かれています。山はそこにあり、川もそこに流れ、風は何物にもとらわれずに吹きすぎていきます。 諸行無常と言いますが、人はそれを分かったうえで懸命に生きていこうとするようです。
2016年05月18日
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徳島県鳴門にある大塚国際美術館へ行ってきました。 陶版による名画の複製画を数多く集めた特殊な美術館です。本当にゆっくりと観たら四時間はかかると言われる膨大な名画が陶器に焼き付けて転写された形で半永久的に残る形で保存されていました。 システィーナ礼拝堂や世界的に有名な教会の内部などもそのまま同じ大きさ形状で再現されていてその壮大なスケールに圧倒されました。最後の晩餐などの名画も修復された前と後の両方が再現されて実寸大で展示されていて興味深く見入ってしまいました。 この美術館は平成10年に開館していて大塚製薬グループが作ったものです。徳島県の鳴門、あの渦潮で有名な土地に山の傾斜を利用して、その巨大な施設は作られていました。金沢からは車で五時間強かかりましたが、行った価値は十分にありました。 母と二人で行ったのですが、母も長い時間名画の数々を見ていたせいで興奮したのか、その晩はあまりよく眠れなかったようです。 本四架橋もすごかった。初めて渡りましたが、その巨大な構築物の凄さに圧倒されました。淡路島と四国の間の大鳴門橋もすこかったですが、こちらのほうは有名な渦潮を眼下に見れる渦の道という施設が橋の下に作られていて、そこを見てきました。 渦潮そのものよりも海の中に流れる川のような浅瀬がいくつもあって、急に深くなっているところもあって満干の潮の流れでこういう景観が作られている、その自然の妙をまざまざと感じてきました。風がいつもとても強いらしいので、行かれる方は防風対策をしたほうがいいです。寒かったです。 あの土地は何かが変転している場所でした。風の神様のいつもおられる場所。「美」というものを風の神様はとても愛しておられて、移り変わるその「美」というものをとても愛しておられるそういう力が溢れている場所なのだと感じました。
2016年05月16日
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生きていると山が立ちはだかったり、思わぬ谷間に落ち込んだりといろんなことがあります。災難というのは思いもかけないときに起きることが多いようです。 普段から準備をしておくわけにはいかないし、そういう苦労や苦難の経験を積んでいくしか対処のノウハウを溜めることはできないようです。 私はそういう事態に陥った時にする方法は何とかして笑ってみるということをしています。笑うのは何に対してなのか?自分に対してか?その出来事に対してか?自分の不運に対してか? そうではなくてその出来事を徹底的に客観的に見据えるためです。俯瞰して見るというか自分自身が巻き込まれて訳が分からなくなっていることがますますその出来事を悪い方向に導いていくことが多いからです。最後には何とか自分の心をねじ伏せて「何とかなる」と思い込みます。 そうやって私は乗り越えてきました。創意工夫すれば何とか道は開けるものです。人の助けも大いに借りました。人の助けを得ることは何ら恥じることではないと思っています。謙虚な心さえ持っていればそんなに失礼な頼り方にはならないものです。 何事もない日常というのが何よりなのだということを日々感じて感謝して生きていると思っています。
2016年05月14日
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何かに憑依というか憑かれた人というのは当院へ来られないように何かと障害を与えられるようで、先日来院された方の場合は一度は来院をあきらめ、今回も来られる直前に転ばされて危うく足を怪我させられるところを守護霊の力で何とか支えられて、軽い捻挫で済んで来院できました。 氣視してみると狂女のような霊体が憑いていて何かと障りを起こしていたようでした。当院に自然に出来ている結界のおかげで離されていたので、元々この方を守ってくださっていた守護霊様にお願いをしてさらに如意輪観世音菩薩様にお願いをして強く守護してくださるように手配させていただきました。 お話しを聞くとご親戚に新興宗教の教祖に近い女性がおられたそうで、それが狂女の姿で視えていたのだろうとわかりました。なぜ宗教を起こしたような人が身内の不幸を望むような念に凝り固まってしまっているのか私にはよくわかりません。当院へ来れば祓われてしまうということがわかっていて何とか邪魔をしてきたのでしょうが、仏縁の強い方だったのでそういう方は必ず救われるようにできているものです。私の力ではなくてその方の持っておられる善なる力が必ず自浄する力になって悪しきものは祓われていくようになるようです。 憑くものは弱い力しか持っていません。ただとてもしつこく働きかけてくるものです。心を強く持ってご先祖様や周囲の方達への感謝の心を持っていれば必ず祓われて自浄の道へ歩き出せるようです。
2016年05月12日
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気圧の変化というのは人の気分や精神状態にかなり大きな影響を与えます。体調も変化します。 晴れの日に盲腸で運ばれる患者さんが多いというのは有名な話ですが、人は空気の底で生活しているわけですから、気圧という全体からの圧迫度合いで体調も精神状態も変化するわけです。 うつの症状の方などは気圧が変化していく「気圧の谷間」なんていう状況の時に特に気分の落ち込みが激しいようです。気象状況などをご自分で把握しておいて心の準備をしておくこともあってもよいのかもしれません。 今日は雨。若干の低気圧。気分がふさぎ勝ちになりますが、これを暗く思うか落ち着いた雰囲気と思うかで生き方が違ってくるようにも思います。野山の草木は喜んでいるだろうなぁ、田んぼのカエルや水生昆虫たちもきっと喜んでいるだろうなぁと思ってみると何だか楽しくなるものです。 気象状況というのは人の気持ちを変える力を持っています。しかし、そういう変化を楽しみ理解して暮らしていけば世の中なかなか楽しいものです。
2016年05月10日
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故事ことわざの一つで人と人の結びつきや縁の深さを表したものですが、当院へ連れ立って来られるお客様も他人同士でも前世では親子で在ったり、兄弟姉妹であったり、師弟の関係で在ったりということが多いようです。 今世で他人同士でも友達となって当院へ来られるということは過去世に深い縁があってのことのようです。それはほとんどそういうことになっていて、その方にとって今必要なアドバイスが伝えられることも大きな目的なのでしょうが、霊界にとっては「人と人の縁」というものの大切さを知ってほしいというのも大きな気づかせとしてあるのだろうと私は思っております。 本当の友人同士だと長い間会っていなくても、会った瞬間に相通じるものがあるように感じるのはそれだけ深い縁が過去世にあるということなのだと思います。魂と魂の結びつきというのは現実の世界を温かい何かで結びついている者同士の世界にしているように思います。 憎みあうもの同士であってもそこにはなにがしかの魂同士の結びつきがあるものです。一歩踏み込んで考え感じていくことが反発する心というものを溶けさって行ってくれるきっかけになるような気がします。 逆に親子で在っても過去世には縁が薄いもの同士になることもあるから世の中というのは複雑で皮肉な部分もあるようです。それでも、もしそういうことがわかれば何とか理解しあえるようになるように思っております。
2016年05月08日
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中村 元さんという仏教学者の方の「老いと死を語る」という本を読んでいます。母の日の贈り物として母に贈ろうと思い購入しました。 わかりやすく書いてあるだろうと思って読んでみたのですが、なかなか難しくてよくわかりません。仏陀でさえも老いや死についてははっきりとした説明をせぬままに亡くなられているような感じがします。無常ということや輪廻ということが矛盾した意味を持つこともあるのだということが何となくわかったような感じです。 中道という思想があります。ウィキペディアによると 中道(ちゅうどう、梵: Madhyamā-mārga, マディヤマー・マールガ、梵: Madhyamā-pratipad, マディヤマー・プラティパッド、巴: Majjhimā-paṭipadā, マッジマー・パティパダー)とは、仏教用語で、相互に対立し矛盾する2つの極端な概念・姿勢に偏らない実践(仏道修行)や認識のあり方をいう。 苦・楽のふたつを「ニ受」(にじゅ)といい、魂(アートマン)や様々な存在物について恒常的に「有る」(「常見」→依存・安住・固執・堕落)とか、ただ単純に消えてなくなるだけで「無い」(「断見」→虚無主義(ニヒリズム)・荒廃)という見解を「二辺」(にへん)というが、そのどちらにも囚われない、偏らない立場を中道という。 (なお、有無の「二辺」を避けるために仏教が提示する発想こそが、「縁起」である。あらゆる存在物はそのままの状態として存在し続けることはないが、改変・連鎖を繰り返しながら存在し続ける(輪廻)、したがって良き連鎖を形成・持続できるよう努力し続けよ(そして最終的には修行を完成させて涅槃に到達し、解脱せよ)、というのが仏教の姿勢である。) というようなことらしいのですが、とりあえずは「中道」を歩むように努力することが人としてはできる限りの最小限の道なのかもしれません。 私は氣視によって「氣」という生命エネルギーの大河があることを実感しました。そこにすべての生命が還っていくのが真理であるとするなら、それを信じて何事にも心を囚われぬようにして生きていくべきなのかなと思っています。
2016年05月06日
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日向ひなたと読みます。日の当たる場所を人は歩くものです。暑い夏の盛り以外の時は人は日向を好んで歩きます。お日様の力というのは人を前向きにするものだから。砂漠の国に生まれたならそうでもないのかもしれませんが、日本はお日様を神様と敬う国です。 日が昇り、時には風が吹き、雲が流れ、雨が吹きするけれど、必ずまた日が差し込んでくる空が人は好きなようです。 日向に心を置いて生きていこうといつも思うようにしています。
2016年05月04日
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日本人は帰属意識が高い人たちだと言われています。何らかの集団や組織に自分が属しているということが安心感を産んでいるというか、寄らば大樹の陰という意識が強いようです。 先日氣視させていただいた女性はこの帰属意識が希薄でした。なぜなら彼女の過去世が日本に移住してきた渡来人だったからです。聖徳太子がおられた時代に大陸から移住してきた「秦氏」。京都に住み「太秦(うずまさ)」という地名のもとになった技術者集団として有名な一族です。 彼らは日本という国の成り立ちにとても大きな貢献をし、重要な役割を随時随所で果たしてきました。秦氏なくしては今の日本はなかったといっても言い過ぎではないように思います。 ただあくまでも彼らは「まれびと」「客人」という存在だったわけで何世代もの時を経て日本民族の中に溶け込んでしまったように見えますが、それでも彼らの魂は日本への帰属意識は希薄なように思えます。職人集団が持つ独自性や囲い込みの意識というものは、民族を超えてあるのかもしれません。日本人の「血」の中に秦氏の「血」というものは大きな痕跡を残しているのかもしれないとも思います。 物づくり大国日本というのは大陸からのこういう技術者の魂を分け隔てなく取り入れていった結果として生まれてきたのかもしれません。 彼女自身は自らの帰属意識の希薄さをコンプレックスとして感じるのではなくて、地球人としてのグローバルな意識としてとらえていくことが必要なのだろうと思いました。
2016年05月02日
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