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氣視させていただいた後、その方のご家族や知人、友人の方も氣視させていただくことができます。ご本人ほど詳しくはできませんが、その方を通じて氣がつながるのでぼんやりとですが、その人の氣の状態も視ることができるようです。 それはつまりそういう形で人と人が「氣でつながっている」ということです。心が少しでも通じている相手とは必ず氣もつながるというわけで、それは「命と命」がつながっているということにもなります。 「縁を結ぶ」ということは「氣を結ぶ」ということにもつながっているのだろうなぁと思います。 私が氣を通してその方のご家族や友人の方を視るとき、相手の方も視ていますが、同時にご本人の氣の変化も視ています。その相手に対するその人の思いが「氣」自体を変化させていきます。愛しているのか、嫌っているのか、気にかけているのか、それは刻々と変化していきます。心の変化は氣の繋がり方の変化にもつながっていきます。 人の心というのは千変万化。万華鏡のように変わっていくもの。人と人のつながり方もいつもどのようにでも変わっていけるもののようです。 周りの人たちへの思いやりというのは自分自身の心の在り様というものをも変化させていきます。周囲への慈しみの心は自分自身への慈しみでもあるということを解って生きていきたいものです。
2016年06月29日
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最近「余命」ということをフト考えることがあります。 寿命とも言いますが、今は健康で「死」などというものを考えることはないはずですが、それでももう「死」というものを真剣に考えていってもおかしくないと思います。 例えばいつ「余命一年」と宣告されるかもしれないし、いつ事故などで命を落としてしまうことも無いとは限らないと思うのです。 生かされている身であることの自覚だけははっきりとあります。何かの目的があって生かされているのであるから、その目的が完遂されればお役目御免となるのは必定だと思います。自らのなにがしかのこの世でのお役目をしっかりと果たしていく、そのうえでなにがしかの楽しみを見出して生きていくしかないのだろうと思っています。 「死」というものが目の前に見えたときに粛々とそれに望んでいけるかどうか「覚悟」ということを作っていかなくてはならない年齢になりつつあるように思っております。
2016年06月27日
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過去世を氣視させていただいていると、女性の過去世でよく孤児の世話をしている方をよく見かけます。 動物ではよく親を失った子供を別の親が面倒を見るということがよくあるのを見かけますが、人の世にも親を失った子供たちを見知らぬ他人がよくお世話をしているということが昔はよくあったようです。 港町や田舎のほうに住んでいる子供のいない女性で生活力のある方がそういう役目を引き受けていたようで、そういう方の現世にはそういう過去世で世話になった子供たちの魂が他人の姿を借りて恩返しに周りに集まっているのもよく見かけます。 子供がいなくてもそういう他人の子供たちの魂が周りに集まっている人たちは押しなべて幸せそうに見えます。本当に幸せなのだと思います。
2016年06月25日
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ロードオブザリングという題名のほうが認知されているのかもしれません。最近では「ホビット」という続編というか指輪物語の前歴のような三部作も公開されました。 あのストーリーで不思議なところは世界を闇に染めてしまう大いなる悪の象徴サウロンという存在を封じてしまうモノが小さな指輪であり、またそれを行使する存在が様々な妖精が存在するファンタジー世界で、最も取るに足らない小さなホビットの少年に与えられているということです。 劇の中でガンダルフという魔法使いが語っていた言葉が印象的でした。「大いなる悪の力を封じるものは偉大な力なのではなくて、さりげない日々の行いわ大切にする小さなホビットたちの日常を淡々とこなしていく力なのではなかろうか・・・」というものでした。 第二次世界大戦前夜、強大な悪の力であるナチスの脅威から何千人というユダヤの人たちを救った杉浦千畝という日本人外交官の存在は、私には同じように日常の当たり前のことを愛する「人」の認識力のようなものが根底にあったのではないかと思います。たった一枚の紙きれ「ヴィザ」というものが多くの人たちを救った。現実の世界にも指輪はさりげなく存在するのではないかと思います。 人の営みは平凡でさりげなく一日一日ゆっくりと過ぎていきますが、そこに込められている人の平和や平安への思いは小さな何かに込められているのかもしれません。
2016年06月23日
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最近テレビ番組にポジティブな内容の企画番組が増えてきているように思います。人のやさしさや褒めるべきところに注目した内容です。 それは現実の社会が本当に歪んできて悲惨な事件や事故が多すぎて、現実直視ということができづらい世の中になってきているせいかもしれません。 先日のNHKのスペシャルで「キラーストレス」というのを特集していました。当院のお客様にもすべての方にストレスというものが影響を与えているのが現実としてわかっています。ストレスを軽減する方法として番組の中で紹介されていたのが「コーピング」と「マインドフルネス」という手法でした。 コーピングも興味深いものでまた少し研究してみようかなと思いましたが、マインドフルネスの場合は日本の「瞑想」に近いやり方なので実際に研究してみようと考えています。 手前みそなのですが、私の心の中に「空」を作る瞑想法もこれに近い部分があるのかもしれません。研究研究。
2016年06月21日
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不倫をしてみたいと相談してこられた女性に(もちろん私相手ではありません)に、そういうことをしてはいけない、家庭というものが壊れてしまいますよ等々の説得をしていたら「それって一般論ですよね。」という反論が来ました。 一般論・・・それは「当たり前のこと」という意味を含んでいますが、その「当たり前」のことというのが日常の生活の中でいかに大切なことかということがわかっていない人が多いのかもしれないとあとでつくづく思いました。 日々感謝しているのは家族が皆、そこそこ健康で誰にも迷惑をかけずに生きて入れる事、あまり贅沢なんかはできないけれどそこそこ生活できるだけの金銭的余裕があること、他人や社会のお役に立っているかなと思えるようなお仕事ができていること・・・本当に感謝です。そしてこういう当たり前のことが毎日続けていけることが幸せなんだということ。 一般論というとバカにしているように思えますが、個人個人の特別な存在意義というのは他者に迷惑をかけず「当たり前の日々の幸せ」を壊さないようにできる範囲でだけ認められているように私は思います。周囲への感謝を忘れて自分への特別な愛情に酔ってしまったら、あっという間に当たり前の幸せは崩れていってしまうように思います。
2016年06月19日
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先日の休日、家内に久しぶりにお不動さんへ行きたいと言われ一緒に行ってきました。ちょうど到着すると朝の勤行が始まるところだったので本堂でお参りさせていただきました。 私のご縁というよりも家内のご縁なのかもしれませんが、六月十五日というのは弘法大師様のお誕生日とされている日なのだそうで、そういう日にたまたま行かせていただいて朝のお勤めにも付き合わせていただけるというのは、とっても在り難いことでした。 真言密教のお勤めに出会うと心も体も浄化させていただいている感がとても強いです。護摩壇で焚かれている炎を見ているとそこに不動明王のお姿を幻視するような気がします。八の日がお不動様のご縁日として知られているので、ちょうど一週間前にはこの本堂もいっぱいの参拝者であふれていただろうと思いますが、大師様の誕生日というのは知られていないようでした。 ネットで調べてみると本当のお誕生日かとうかは定かではないようで、大師様の師匠にあたる不空禅師の入寂の日を素の生まれ変わりと考えて誕生の日とされたようです。 呼んでいただいて行かせていただいたと思って深い感謝の思いを持った一日でした。
2016年06月17日
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愛至上主義のようなものが世間やマスメディアの中を席巻しているように思います。私自身も霊界の根本が慈愛であることを日々書いてきたように思います。 確かに愛の力というのがこの世の中のすべてを動かしているように思います。ただ「自己愛」という厄介なものがその中に紛れていることも見逃してはならないように思います。 「不倫」などというものも自己愛の発露であると思います。不倫という関係に陥る男女のどちらかは自己愛の強い性格であることが間違いないと思います。自分が大好き、自分だけが大事であって他人を愛しているというそういう自分が好き、もしくは他人に愛されているそういう自分が好きということに酔っているのだろうと思います。 世間を騒がすストーカー殺人や刃傷事件の恋愛がらみのモノはほとんどが異常な自己愛の起こしたものだと思います。 本当の愛とは自らを省みない無償の行為であり、他者への深い思いやりの気持ちが根底になければ本当の愛ではないように思います。理性というものがしっかりと裏付けとしてあるものでもあるように思います。自己愛を「愛」と勘違いすることはよくあることであり、とても危険なことのように思います。私自身も若いときに自己愛を本当の愛と見誤っていた時期がありました。それは手痛いしっぺ返しとして私自身に跳ね返ってきました。その経験から自己愛の愚かしさに気づき、そういう自分の心の弱さに気づいたように思います。 人は弱い生き物で自分中心にいつの間にか考え、行動してしまっていることがあります。常に自分の心の中を見つめなおし、時には自らを書き換えることができる強さを持ちたいものです。
2016年06月15日
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北陸36不動尊札所というのを巡ろうと思い立ち、一番札所の中能登町の長楽寺に行ってきました。 意外と大きな寺院で山門があり仁王像が守っていました。本堂が無くなっていてたぶん作り変えておられるのだろうと思いますが、更地になっていました。しかし、その背後小高い山の上に不動尊を祀ったお堂があり長い石段が伸びていました。ひいひい言いながら登り切って、閉じてあるお堂の扉を開き中に入ってご本尊を拝観しました。 なにしろご本尊の周りが暗くてお姿がはっきり見えません。黒不動尊とでも名付ければよいのかもしれません。山全体がご本尊のような感じがしました。すごく強い霊的なパワーが大地から湧き上がっているのを感じました。こういう能登のへそのような場所にこういう土地があるということが、能登の特異な土地性を感じさせます。 二番札所の寺院もめぐって今回の巡礼の旅は終了しました。二番札所もそれなりにすごかったのですが、ちょっと思惑もありここに記することは避けておきます。 少しずつ北陸の不動尊を巡っていこうと思っております。
2016年06月13日
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気圧の変化がいかに体の状態に変化を与えるかということを先日テレビの健康番組で放映していました。 お医者さんが講師でしたが、5~10ヘクトパスカルくらいの変化でも身体への影響というのは在るものらしいので、人の身体というのは自然環境の順応率が高いのだなぁと思いました。 うつ病や精神疾患などにも大きな影響を与えるだろうと私は思っています。精神状態に対して気圧が影響を与えるというのはあまり考えられないかもしれませんが、晴れていれば気分が高揚し雨が降って薄暗い天気では気分が落ち込むのは視覚情報だけではなくて体の気圧に対する対応にもよるものなのだろうと私は考えております。 人の身体というものは刻一刻と変化していくものです。昨日と今日では身体の状態は全く違っているということもありうるのだろうと思います。人の身体というのはホメオスタシス(恒常維持)の機能を持っていますが、それでも微妙な変化を自然環境から与えられているということなのでしょう。 自然によって生かされている人の身体や心というものは自然と一体なのだなと思います。
2016年06月11日
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身体の「氣」を奪う人については以前書かせていただきましたが、人の中には自らの「氣」を分け与えてしまうタイプの方もおられます。 少しぐらいの氣ならば問題無いのですが、惜しみなく与えてしまうタイプの方もおられます。そういう方はそれでも普段の生活の中で自らの「氣」自己補充する術を身に着けておられることも多いので、問題なく過ごされていることも多いのですが、たとえそうであっても体の不調や現実問題がトラブルとして襲い掛かってくれば、氣の補充が出来なくなって「氣」が枯れていってしまいます。 先日もそういうお客様がおられました。自身のそういう体質を自覚されれば潜在意識にバリアのようなものが築かれて大丈夫になることが多いです。この方の場合も私の説明で少し納得されたようでした。母性というものが強いとこういうタイプになりやすいのかもしれません。しかし本人は結構つらい状況を我慢して生きていかれている場合もあるので、氣を補充する術を身に着けることが大切でほとんどの場合は霊的守護わ担当されている存在が無意識に働きかけて教えているのがほとんどだと思います。 人から氣わ与えられると心は落ち着き頑張ろうという気持ちになります。しかし、それが誰かのおかげであるとわかっている場合は貰いっ放しにしないで何とか与えてくれた方に感謝と恩返しをして差し上げるといいのかもしれないと思います。
2016年06月09日
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梅雨もまだスタートしていないのに夏のことを思っています。夏は苦手な季節です。冬生まれだからでしょうか、冬のほうが好きです。 夏は暑さで頭もぼーっとしてしまいます。スイカを食べるのは大好きなのですが、寝苦しい熱帯夜がまたやってくるのかと思うと憂鬱です。冷房を寝ているときに点けるのは好きではないので、扇風機だけで過ごすようにしています。 夏生まれの娘はあまり暑さを苦にしないようです。と言うか女性はそれほど暑さを苦にしない人が多いようで、逆に寒さが苦手な女性が多いように思います。男性は押しなべて暑さのほうが苦手なようですね。 老後に移住するとしたら北海道が理想なのですが、たぶん家族は付いてきてはくれないでしょう。 夏の無い国に行きたいものです。
2016年06月07日
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陰口については昔からいろいろと考えてきました。私の母は申し分のない母親なのですが、陰口は言う人でしたし父は無口な人なので、私は幼いころは陰口というものを悪いものだとは思わずに育ちました。 きっちりと陰口が良くないものだと知らされたのは遅くて大学生の時でした。親友の一人にとても男らしい温かい性格の人がいて、彼からしっかりと「他人の陰口は言わないのが良い」と教えられました。私はその人を尊敬していた部分があったので、「男は陰口を言わないのが良い」と確信してそれからできる限り言わないようにすることが信念になりました。 男性は陰口というものは言わないのが良いと思っています。ただし上司の陰口はちょっと別で、これは職場のガス抜きという意味であってもよいかなと思います。男は行動力というものがあり、人への影響力というものが非常に現実的になる傾向があるので陰口の弊害が大きいと考えられます。 女性は呼吸をするように陰口をするものだという独断と偏見が私にはあります。女性というのはある意味情報に生きる存在で、行動するよりも情報によって他者とかかわりを持つことが多い存在だと思っています。その情報戦を戦うことが幼いころから培われてきたのが女性の特性だと何となく思っています。それは子供を守り子孫を伝え遺すという役割を与えられているからだろうと思います。より強い力を持つ伴侶を得て、より強い子孫を残していくためには情報を多く手に入れて生き残っていかなくてはならないのが女性だからだろうと思います。 陰口は女性にとっては情報の洗い出しの一種だと考えられます。褒めたり貶したり罵ったり、本人がいないところでお互いの情報を交換して絞っていく一つの手段なのではないかと思います。大げさな言い方ですが、必要悪なのかもしれません。 全く独断と偏見に満ちた主張ですが、私はだからと言って女性の純真さやたおやかさが失われるとは思ってはいません。愛すべき陰口というものが仮にあるとすれば女性のものなのかもしれないと思っています。
2016年06月05日
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人は身体に不調な部分があると治そうとする力が働きます。ただしそれが効果を発揮するまでには時間がかかったり、いつまでも治る気配がない場合もあります。 そういうときに当院へ来られて体の氣の流れを様々な方法で刺激したり、体の歪みを正したりするとそれまでに溜められていた「治す力」のようなものが一気に発動することがあります。 ですから施療の一回目にとんでもなく楽になるということが起きる場合があります。しかし、それは元々その体が溜めていた治す働きが一気に発動したせいであり、その後はまた緩やかな「治る力わ溜める時期」に入っていくことになります。 実証体質と言って元々体力があって氣の流れや量が大きい人は一気に治ってそのまま健康体になってしまうということもありますが、現代人は中間証という体質で氣の流れも量もそれほどに無い方がほとんどなので、そういう方はまた緩やかな回復傾向に戻る場合がほとんどです。 善行を積むということをバカにしてはいけないと最近はつくづく思います。そういうことが身体の回復力を高めたり、怪我の治りを早めたりすることは間違いないようなのです。潜在意識の中に蓄えられる何らかのエネルギーが質を高められたり、力を増したりすることに善行を積むということが関係してくるのかもしれません。 健康に生きたいと願うのならば、小さな親切や思いやりというものも実行していくことが大切なのかもしれないなとも思います。逆に病気やけがをする人が悪行を積んでいるなんて言うことは全くないと思います。
2016年06月03日
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悩みなく生きている人なんてほとんどいないと思います。あらゆる人が大きな悩みや小さな悩みをいろいろと抱えて生きておられます。 日々解決できる悩みもあれば、そう簡単には解決できない悩みもあって誰かが答えを与えてくれることを待っていたりもします。けれどそれほど簡単に解決できるものならそもそも悩みとはなっていないわけで、他人が真剣にそういう悩みを代わりに解決してくれるわけもありません。 結局は自分自身で四苦八苦苦労して妥協点を見つけるか、逃げ出すか、ねじ伏せてしまうか、なにがしかの解決策をひねり出して生きていくしかないわけで・・・。 最終的には「何とかなる」と思い込ませるしかないというのが私の結論で、どうにもならないものはどう考えてもどう動いてもどうにもならないので「何とかなる」と開き直って対処していくしかないと思っています。世の中何とかなるものです。何とかならない場合はあきらめて、それでも生きていれば道は開けるものです。無責任な言い草ですが、これまで生きてきて追い詰められたことも何度かありましたが、何とかなってきました。 あきらめることも選択肢の一つ。生きていれば何とかなる。そんなところだろうと思います。
2016年06月01日
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