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485系(新潟車):快速「フェアーウェイ」快速「フェアーウェイ」は、昭和62年9月、夜行快速「ムーンライト」の間合い運用として、新宿~黒磯間(郡山まで延長されたこともあり)に設定されました。設定当初は毎日運転で、165系を使用していました。平成5年、週末運転の臨時列車に格下げとなり、平成15年4月に165系の老朽化に伴う485系化が実施されています。485系は、首都圏に乗り入れ可能な新潟のK1、K2、T18編成が充当されました。平成19年10月6日平成20年2月10日平成20年5月17日平成20年7月12日平成20年8月3日平成20年11月2日平成21年5月9日平成21年6月7日時には485系1500番台(T18編成)も運用に入ることがあり、心待ちにしたことを思い出します。朝の貨物~ブルトレタイムのしんがりの列車であったため、30コマ程撮っていましたが、同じような構図ばかりなのでアングル・編成違いをチョイスしておきました。平成21年11月末の運転を以って何故か運休となってしまい、「ムーンライトえちご」が183系に持ち替えとなった影響がどうなるか危惧されたところでしたが、結局はその後も運転されることがなくなってしまいました。
2023.02.28
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165系:快速「フェアーウェイ」快速「フェアーウェイ」は、昭和62年9月、新宿~新潟間を結ぶ快速列車「ムーンライト」の間合い使用で新宿~黒磯間に運転されるようになりました。運転当初から新潟の165系を使用し、平成5年からは臨時列車に格下げとなり土休日の運転となりました。平成14年8月11日 東大宮~蓮田間にて 165系 快速「フェアーウェイ」ヘッドマークも付いていない、精彩を欠く写真ですね。確か165系運用晩年の頃で、他の列車を撮るついでに早朝から出掛けたときのもの。私はこのような塗色変更車をことごとく嫌っており、あまり写真を撮ったことがありません。当時の「ムーンライト」とゴルフ客輸送を見込んだ土休のみ運転の「フェアーウェイ」は、新潟所の165系が使用されており、グリーン車の座席を内装し、様々な塗色が導入されました。これがヒジョーにイヤだったんです。最終期には明るい塗色に変更され、好感の持てるほどに変わりましたが、時既に遅し、写真を全然撮らないうちに165系が全廃となってしまいました。この写真を撮る直前くらいまでは板橋区に住んでいたことも災いしたと思います。せっかく最後の舞台を撮りに行ったのに、盗難でもあってしまったのか、ヘッドマークが付かない日が多かったようですね。結果的に説明をしないと判らない写真になってしまったのは非常に残念です。
2023.02.27
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【続】根室本線 混合列車:混441レ&混444レ※ 2021/7/7 23:16のリバイバル記事のため、表現が当時のものになっています。過去ログ『根室本線 混合列車:混441レ&混444レ』でご紹介いたしました根室本線の混合列車について、その興味から調査を引き続き行っており、いくつか分かったこと、前記事で記述していなかったことがありました。そして、金町のHさんよりSL牽引時代の貴重な同列車の写真を沢山提供していただきましたので、その写真も交えてご紹介させていただこうと思います。交通公社時刻表 昭和54年4月号より拝借前記事では画像の容量の関係で掲載できなかった上りの時刻表を最小限の大きさで切り取ってみました。下りの441レが到着後、程なくして直ぐに折り返しの混合列車となります。この上り444レについては、「北海ライナー」の結合前であるコキ10000を2両連結している写真を多く見受けることができました。資料によると、上りの「北海ライナー」は、根室から釧路・帯広と編成を増やし、札幌タから高速貨物として隅田川を目指していたようですが、下りについては運転区間が隅田川~札幌タ間となっています。当然、上りの運用に就く車両を送り込まなければならない訳ですが、その送り込みがどのような設定になっていたのかが見えません。根室本線の釧路~根室間については、客車運用が1往復の混合列車のみとなっており、他は急行列車も普通列車も気動車のみ。さらに、貨物列車も2往復くらいは設定されていたようで、SL時代からの貨物列車の写真が見受けられます。実は、直近で441レにコキ10000を連結していたという写真をようやく見つけたのですが、改めて見返してみましたら、編成順序から記述が誤っていることが判りガッカリしました。結局、送り込みは貨物列車で行われていた可能性が高いように思います。今回の記事については混合列車としてご紹介させていただきましたが、何故1往復だけ客車列車による普通列車があったのか?と考えれば、やはり郵便及び荷物輸送のため、と考えるのが妥当かと思われます。ちなみに、資料からの受け売りですが、この混合列車に連結される郵便車と荷物車は、いずれも急行「ニセコ」より継承して函館から根室までやってくるものですが、郵便車は隅田川から、荷物車は別の急行荷物列車で隅田川から遥々やってくるものだそうです。ただ、上りについては急行「ニセコ」にマニが連結されないことから、他の荷物列車などで函館・隅田川を目指したものと思われます。金町のHさんから提供を受けた画像から1枚だけご紹介いたします。編成順序から上りの混444レのようで、最後尾にコキ10000が1両だけフルコンで連結されています。しかも冷蔵コンテナが積載されており、高速冷蔵輸送創生期に新時代の「冷蔵コンテナ」を思いっきりPRしているようなデザインが、時代を感じさせます。今回は文面が多くなり過ぎましたので、次回に貴重な写真をまとめてご紹介させていただこうと思います。とにかく、時代が時代なので、連結されているものが希少過ぎ!ちょっと時間をいただきます。
2023.02.26
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103系冷房改造車:中央線「特別快速」中央快速線では昭和55年頃から201系が誕生し、101系を駆逐、さらに、増備が進むに連れて103系にも手が及びます。中央快速線では他線とは違い、首都圏の冷房化率向上を目的として103系冷房車が他線に転出してしまったため、101系よりも早く消滅しています。そんなこともあって、103系中央線の写真はこの1枚だけしか撮っていませんでした。昭和56年 高円寺駅にて 103系 特別快速当時は現在のように「中央特快」「青梅特快」「通勤特快」といった種別は無く、高尾行きの「中央特快」にあたる「特別快速」の種別のみでした。写真の103系は低窓ですが、シールドビーム2灯のオリジナルスタイルであり、関西で良く見られたものでした。このときは101系が終盤の頃で、ホリデー快速を撮影に行ったときに偶然撮っていたもの。未現像だったので、スキャニングをして101系じゃないと判ったときには非常に嬉しかったです。隣を走る301系も懐かしいですね。この頃だと未だ黄色帯だった筈ですが、カラーじゃないのが残念です。
2023.02.25
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583系:急行「シュプール上越」かつては一世を風靡したシュプール号。さらに時代を遡ると、「○○スキー」や「○○銀嶺」といったスキー列車が多数運転されていました。昔は自動車の免許取得率が低く、スパイク&スノータイヤでクルマ移動なんて、多少お金持ちじゃないと出来なかったかもしれませんね。高速網も発達していませんから、列車が一番合理的な移動手段だったのでしょう。そういう意味では、格安シュプール号の時代は既に高速バスに客を奪われ始めた国鉄~JRの対抗手段、いわゆる苦肉の策だったのでしょう。その中でも、583系を使用したシュプール号は、座席車としても寝台車としても使用できる万能車で、定期列車では入線しなかった上越線や信越本線、奥羽本線にまで顔を出すようになり、ファンからは注目を集めていた列車だったと思います。平成8年1月14日 上越線 撮影区間不明 583系「シュプール上越」上越線では定期列車の運転が無かった583系によるシュプール号の運用です。583系のほかにも185系の運用があったと思います。イラストマークでありながらも、ちゃんとヘッドマークが仕立てられているのはファンとしては嬉しいですね。写真は谷川連峰をバックに快走する583系「シュプール上越」の送り込み回送列車。SLアングルだったので遠巻き過ぎたのはちょっと残念でした。撮影区間は、多分沼田~後閑辺りではないかと思われるんですが・・・。
2023.02.24
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651系:臨時特急「草津」(新宿発着)2023年ダイヤ改正において、JR東日本の651系が全面撤退となってしまうようです。651系の想い出特急シリーズ。※本記事は、2016/1/11に投稿されたもので、当時の表現になっています。現在、高崎線で唯一となった185系定期特急「あかぎ」が、平成28年3月26日改正において651系に車種変更されるとの発表がありました。これにより、上野口の185系を淘汰してきた651系1000番台が、湘南新宿ライン経由においても進出することになりました。一方、平成23年8月に運転された485系やまどりによる特急「リゾート草津」を最後に、新宿発着の特急「草津」は設定が見送られていたようです。そして4年のブランクを空け、平成27年秋、新宿発着の特急「草津」が設定されました。しかも、車両は185系モノクラスではなく、651系1000番台による運転となり、定期の置き換えが予定される「あかぎ」よりも前に湘南新宿ラインを651系が走ることになりました。最初は平成27年秋臨で以下のとおり運転されました。「草津73号」 大船10:06→長野原草津口13:36 11/7.14「草津74号」 長野原草津口14:50→大船18:46 11/8.15このときはすっかり撮影を忘れてしまったのですが、年末年始の設定が既に判明していたため、この度、やっと捉えることができました。平成28年1月10日 651系 臨時特急「草津71号」平成28年1月10日 651系 臨時特急「草津72号」年末年始の運転では、上下列車とも時間が繰り上がり、列車番号も変更されました。なお、方向幕については、「草津72号」大船行きにおいて「特急」表示となっていたのを確認しています。横サボは設備されていないようです。「草津71号」 大船09:29→長野原草津口13:10 12/30.31.1/1.2.9.10.30.2/6「草津72号」 長野原草津口13:37→大船17:11 12/31.1/1~3.10.11.31.2/7年末年始と翌週の成人の日絡みの3連休が続くため、頻度が多くなっています。また、間を置いて、1月末~2月初めの週末にも設定されています。以前は乗車率が芳しく無かったためか、しばらく設定休止となっておりましたが、上野発列車の乗車率は週末ですがかなり好調であり、今回の運転で状況が良ければまた継続的に設定される可能性もあるかもしれません。
2023.02.23
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485系1500番台:特急「いしかり」特急「いしかり」は、北海道内で初めて誕生した電車特急です。営業運転を開始したのは昭和50年7月18日の改正で、車両は485系1500番台が北海道用として用意されました。本当は昭和49年に北海道初の電車特急が誕生する予定でしたが、車輌の技術的な問題(PCB機器搭載)や労使問題などが影響したらしく、昭和50年7月までずれ込むことになりました。昭和49年に完成した1500番台車は、このずれた1年間は青森区に配置され、大阪~青森間の特急「白鳥」として走っていたことが知られています。昭和55年3月 札幌駅にて 485系1500番台「いしかり」真っ暗で全然判らない状態ですが、ストロボを使わなかった関係でご勘弁ください。485系に耐寒設備を施した形で誕生した1500番台ですが、所詮本州型を基本として設計された同車は北海道の厳しい環境に対抗できずにダウンを繰り返し、711系の使用実績・経験を生かした781系という後輩に道を譲ることになりました。この写真を撮った頃には、既に781系900番台が試験的先行車として営業に就いていました。その実績が功を奏して千歳線電化を前に781系が量産され、昭和55年10月1日のダイヤ改正により全ての車両が781系に置き換えられました。485系1500番台は車齢も若いので、青森運転所に移動となって東北本線などで活躍を続けることになります。そして、千歳線及び室蘭までの電化を機に列車名を「ライラック」と改め、特急「いしかり」は約4年の活躍で発展的解消となりました。
2023.02.22
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183系OM車:臨時特急「ほくほく十日町雪祭り」毎年2月に開催される十日町雪祭り。これに合わせて臨時特急が設定されます。同臨時列車が183系OM車で設定されていた時代、1度だけ写真を撮りに行ったことがあります。運転区間は現在と同じ大宮~十日町間で、上野までは顔を出しません。これは、集客区間が大宮以北の新幹線が停車しない駅の利用を促進するためのものと思われます。これが上野発ならば毎年撮影していても良いと思うのですが、年1日のみ、大宮以北でこれしかネタが無いとなれば、余程のことが無い限りはわざわざ出かけることはありません。※撮影は、平成21年2月21日です。183系 OM102編成 回9734M専用のヘッドマークはもちろん無く、かといってステッカー式も期待できなくはないと思って回送列車を狙ってみましたが、案の定と言うか、ヘッドマークは「回送」でした。本列車も期待できません。183系 OM102編成 臨時特急「ほくほく十日町雪祭り」東北本線から高崎線へ徒歩で移動。良いポジションが無く柵の隙間から無理矢理の撮影。やはり無情にもヘッドマークは「特急」。面白みがないため、この後一切撮りに行くことはありませんでした。その後OMから183系が撤退すると、運用は485系新潟車に変更。さらに485系が撤退してE653系へと車両が交代となりました。E653系新潟車になったことで、ヘッドマークの掲出が出来なくなった分、あきらめることも出来るかもしれません。なお、コロナ禍の影響か、2020年以降は設定がなくなっていましたが、2023年は2月18日にE653系によって久し振りに運転されました。しかも上野発で地元を通ったらしいですが、ノーマークで全然知りませんでした。特急 ほくほく十日町雪祭り 運転
2023.02.21
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EF715牽引 12系客車:臨時列車(奥羽本線)今でこそ12系客車も製造から50年前後を迎えた国鉄型車両で、ほぼ動態保存的な存在となってしまいましたが、民営化初期の頃は改造により用途が変わってしまった車両があったとしても、まだまだ定期列車や波動用に使用されていました。板谷峠のスイッチバック廃止が目前となった頃、同区間の撮影で偶然にも12系客車を使用した臨時列車を捉えることができました。※撮影は、平成2年2月18日です。板谷駅付近にて赤岩駅にていずれもEF715牽引による12系客車を連ねた臨時列車です。1枚目が山形方面へ、2枚が板谷峠を下山した帰りに撮影した福島方面への列車で、いずれかが営業運転・回送になっていると思います。記憶としては臨時急行列車と思っていたのですが、その後の調べで臨時急行が設定された様子はなかったため、一般団体列車のようです。今でしたら12系客車による臨時列車も情報が載るのですが、当時は客車によるジョイフルトレインの全盛期で、それらによる団体列車の情報で満載でした。このような特徴のない12系による団体列車程度では、運転情報に載るような余地はない時代でした。
2023.02.20
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EF7115牽引:14系欧風客車「スーパーエクスプレスレインボー」あまり撮影することのなかった「スーパーエクスプレスレインボー」ですが、奥羽本線板谷峠に撮影に行った際に捉えたことがありました。※撮影は、平成2年2月18日、奥羽本線 峠~大沢間にて。EF7115牽引 「シュプールレインボー」送り込み回送山形新幹線の開業により廃止となるスイッチバックの記録をするため、板谷峠を訪れました。その際に撮影することができたスーパーエクスプレスレインボー。※たまたま調べる機会があり、「シュプール号」の送り込み回送であることが判明しました。団体列車だったか、もしかしたら「シュプール号」の送り込み回送だったかもしれません。アウトカーブだったのであまり良い構図ではありませんでしたが、線路横断を最小限にしていた関係でアングルを選びきれませんでした。牽引するEF7115号機は同形式のラストナンバーとなっており、同じく最終増備となった14号機と2両は、全面通風孔がなくなるなど、特徴のあるカマでした。
2023.02.19
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オハネフ12形:夜行急行「狩勝」(旧型客車時代)札幌~釧路間には、古くから『全車指定制』の急行列車が走っていました。変遷のある列車ですが、昭和50年代は急行「狩勝」を名乗っていました。北海道ワイド周遊券と言う北海道フリークには便利な周遊券があり、20日間有効で急行自由席車も乗り放題だったため、「各方面への移動は夜行急行で」というのが当たり前だった時代。しかし、この夜行「狩勝」だけは全車指定のため、指定席券、或いはグリーン券や寝台券とともに急行料金を別途取られてしまうという意味で、大変使いづらい列車でした。私的には移動の必要性に迫られて、「狩勝」時代には1度だけB寝台車に乗ったことがあります。昭和56年3月 札幌駅?にて オハネフ12 急行「狩勝」この写真は記念的に撮ったものではなく、元ナハネ10の改造車でしかも便所明かり窓が改造されていないことが判った為に慌てて撮ったものです。昭和40年代、増大する寝台需要に対応してスハネ30など旧型車によりB寝台車が増備される中、寝台数が他の寝台車と合わないこと、普通車の緩急車を連結しない列車が設定されるようになったことから、中間寝台車であるナハネ10に車掌室や緩急設備を設け、全てのナハネ10が緩急車化されました。その後、冷房設備の需要から冷房化改造され、重量が増してオハネフ12になったわけです。写真を撮った当時、本州では10系寝台車の淘汰が既に進んでおり、10系寝台車そのものが希少になりつつある頃で、それまでグリーンマックスのキットでしか見たことが無い、大型2枚の形態を見たのは初めてで、非常に嬉しかったことは記憶しております。多分、その後もこの形態の寝台車には会ったことはなく、最初で最後だったの思われます。ストロボを焚いてしまったのは、ホームがあまりにも暗かったのと、運転には支障の無い中間だったからと判断したからだと思います。※今だったらこのような状況でももちろん炊かないでしょうけど。急行「狩勝」は、その後14系化されたり、名称が急行「まりも」になり、さらには特急化されて「おおぞら」、また特急「まりも」に愛称が戻ったりと目まぐるしい変遷がありましたが、平成20年夏の臨時運転を最後に廃止されてしまいました。急行寝台列車「狩勝」は、そんな歴史を刻んできた特急「まりも」のルーツともいえる列車なのです。キハ56系:急行「狩勝」
2023.02.18
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189系:臨時特急「あずさ銀嶺」「あずさ銀嶺」という臨時特急は、181系時代にほんの短期間のみ運転された実績があったようですが、189系になってからはもちろん運転されたことなどありません。私としても、そのような列車があったことさえ知りませんでした。昭和52年 上野駅にて 189系 「あずさ銀嶺」??私が未だ中学生のとき、上野駅で列車を撮影していると、方向幕がグルグルと回っていたんです。そしたら、「あずさ銀嶺」なんて当時は聞いたこともない列車名が出てきたので慌てて撮ったのがこの写真です。前述のとおり、189系になってからは「あずさ銀嶺」の運転実績は無く、特に中央本線方面へは夜行急行「アルプス」が頻発されていたために、あまりスキー列車的名称の設定は無かったように思います。のちに「シュプール白馬」といった一連のシリーズでは運転されたことがありましたが・・・。昭和53年10月改正でイラストマーク化された際には、当然にして「あずさ銀嶺」が図案化されている筈も無く、まさしく『幻のヘッドマーク』になってしまった訳ですね。
2023.02.17
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クハ481ボンネット型赤スカート車:広域配転回送クハ481ボンネット型赤スカート車は、北陸特急「雷鳥」に新製481系を導入した際、直流専用である151系(後の181系)と識別するため、スカートを赤く塗ったのが始まりです。最初はスカート全体が赤でしたが、後にクリームのラインが入るようになりました。東北特急用として50Hz用の483系が新製された際、181系と配属が混合しなかったためか、赤スカートが省略され、クリーム色のみとなりました。さらに増備された485系では、関西方面にも進出していましたが、スカートが赤く塗られることはありませんでした。そんなことで、赤スカート車の活躍は北陸~山陽~九州方面の運用のみであり、基本的に関東でこの姿を見ることができませんでしたが、向日町運転所所属であったため、「はくたか」のみ見ることができました。その後、鉄道写真を撮りに大阪に連れて行ったもらったとき、「なは」「しおじ」など数種類のボンネット型の特急を見ましたが、唯一赤スカート車を見ることができたのが「みどり」だけでした。※一時期、仙台運転所に赤スカート車が配置されていたらしく、「ひばり」に運用された写真を見たことがあります。そして、新幹線博多開業により九州に流れた赤スカート車は、後にひげを取られてなんとも無残な姿になってしまいます。昭和60年、九州特急の短編成化のため、定員が多く、冬期におけるスキマ風の心配がないとの理由から、クハ481-200番台が東北から九州へ転属することになり、代わって、九州のボンネット車が大挙して「ひたち」増発用として九州から送り込まれて来たのでした。そんな情報を国鉄職員だったときに「局報」から仕入れ、早朝から蕨駅に張り込むこととなりました。2枚とも 昭和60年1月18日 蕨駅にて 赤スカート車回送の図Tc+M+M'+M+M'+Tc の6両編成で九州へ向かい、帰りには前後に「赤スカ車」を連結し、Tc+Tc+M+M'+M+M'+Tc+Tc という珍編成で何往復か運転されたようです。485系の場合、クハ481-200・300番台なら中間に封じ込め、4両程度の一括回送ができたのでしょうが、先頭にジャンパ栓を持たないボンネット車は中間に組み入れることができないため、やむを得ない珍編成になってしまったのでしょう。その後、回着した赤スカート車は、常磐特急「ひたち」で活躍を始めましたが、いつの間にか正規のヒゲが復活していました。しかし、程なくスカートの赤もクリームに塗りつぶされてしまい、結局、正規のヒゲ付き赤スカート車は、ほんのわずかな期間しか見ることができなかったようです。
2023.02.16
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485系ボンネット型:特急「ひたち」(文字マーク時代)特急「ひたち」は、昭和44年10月に上野~平を結ぶ季節列車として誕生しました。車両はキハ81を含む80系気動車で、特急「いなほ」の間合運用のかたちを採っていました。昭和47年10月、羽越本線の全線電化により「いなほ」が485系化。これにあわせて、特急「ひたち」も仙台運転所の485系を使用するようになりました。485系は仙台運転所持ちの9連又は12連が使用され、9連は「あいづ」と、クロを含む12連は「ひばり」「やまばと」と、クロを連結しない12連は「ひばり」と共通運用を組んでいました。その後、フリークエンシーによる整備が始まると短編成化が実施され、サロを含む9連のみ、さらにはサロを連結しない7連へ変化していくことになります。今回は、比較的に多く撮影していたボンネット型のうち、文字マーク時代の画像をご紹介いたします。昭和51年頃 上野駅にて クハ481「ひたち」ボンネット車の並び上野駅で1日いるとこのような風景に短時間ですが出くわすことがあります。「ひたち」と「ひばり」が共通運用のため、片方のヘッドマークを取り替えた瞬間に見られる風景です。実際には、「ひたち」同士の同方向への並びはありませんので、どちらかが「ひばり」だと思われます。昭和54年頃 上野駅にて クロ481「ひたち」「ひたち」には仙台運転所持ちのクロを含む9両編成の運用があり、「あいづ」と共通運用が行われていました。このうちの数往復がクロを含む編成でしたが、あまり撮影していなかったようです。昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて上越新幹線が間もなく開業となる頃で、「みちのく」が廃止されるために撮影に行ったときのものです。この頃の「ひたち」は、上信越スジのイラストマーク化に遅れをとっており、まだ文字マークでした。私的にはこちらの方が好きなので、この時撮っておいて良かったと思います。まだ仙台運転所持ちの時代です。その後、九州からの転入車を加えて大所帯化し、勝田区の所属となってヘッドマークもイラスト化されることになります。
2023.02.15
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南部縦貫鉄道:キハ10形レールバス&キハ103南部縦貫鉄道の続きです。撮影の記録を見てみると、同線には過去に4度訪れていますが、いずれも北海道へ渡る途中やドライブのついでといった感じで立ち寄っていた程度です。第3セクターで投入された新車のレールバスとは違った、本来で言うところの純粋なレールバスとしては日本で唯一の現役車輌であり、その貴重さはわかっておりました。しかし、運転本数が少なく、撮影がしづらくなった路線でしたので、「ついで」くらいに考えないと効率が悪すぎた「遠くの地のローカル私鉄」でした。昭和58年9月8日 七戸駅にて キハ10とキハ103(除籍済み)の並び初めて訪れた南部縦貫鉄道。稼動しているのは、実質キハ101&102でしたが、奇しくもここまで乗った往きの列車はキハ104(元国鉄キハ10)でした。昭和61年9月10日2度目の訪問は、自動車の運転免許を取って初めての遠征のときでした。この頃の同鉄道は、赤字により運転本数が激減しており、撮影地に着いてから日没までに、結局この1本しか撮ることができませんでした。昭和63年2月23日 野辺地駅にて3度目の訪問は、北海道へ行く途中、ED75牽引の「ゆうづる」撮影を兼ねて野辺地で下車し、キハを撮ったものです。結局、キハの発車を待つこともできず、雪が深すぎて移動が困難となり、「ゆうづる」もお蔵入りになるような写真しか撮れませんでした。時間の都合で、同線にも乗ることは出来ませんでした。平成2年9月4日最後に訪れた南部縦貫。これも北海道へ渡る途中に寄ったものです。このポイントだけは押さえておきたい所でした。でも、レンズ性能がが良くないのか、甘~い写真になってしまいました。平成2年9月4日木立に消え行くレールバス。また訪問できることを願って後にしましたが・・・平成9年に存続が困難と判断されて鉄道線の営業は休止され、5年後の平成14年に正式に廃止となりました。しかし、貴重な機械式レールバスは、保存会によって大事に保存されていることはうれしい限りです。ずいぶん昔に発売された南部縦貫鉄道のレールバス。キハ104の製品化に合わせ、こちらも再生産されることになったようです。お買いもの情報→TOMIX 南部縦貫鉄道キハ10形 販売[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 8611 南部縦貫鉄道 キハ10形(キハ104)8749 TOMIX トミックス 南部縦貫鉄道 ワフ1・ワム11形タイプ 貨車セット (2両) Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】8611 TOMIX トミックス 南部縦貫鉄道 キハ10形 (キハ104) Nゲージ 鉄道模型 【9月予約】[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 8749 南部縦貫鉄道 ワフ1・ワム11形タイプ貨車セット(2両)8749 南部縦貫鉄道 ワフ1・ワム11形タイプ貨車セット(2両)[トミーテック]《08月予約》
2023.02.14
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南部縦貫鉄道:D451&キハ104南部縦貫鉄道は、東北本線野辺地駅から七戸駅を結んでいた全長20.9kmのローカル線です。元々は千曳駅~七戸駅を結んでいましたが、複線化により付け替えで廃止となった東北本線千曳~野辺地間の線路を使用し、千曳~野辺地間が延長されています。そのため、旧千曳~野辺地間はローカル線らしからぬ鉄橋などが散見されます。初めて南部縦貫鉄道を訪れたのは、就職後として初めての渡道で函館本線の撮影に行った帰路でした。当時としては全国唯一のマニュアル式レールバスを運行する路線として有名になっていましたので、どうしても行ってみたかったのです。記憶が殆ど無いのですが、夜行の青函連絡船から野辺地へやってきて、七戸まで乗り継いで行ったと思います。しかし、そこにはレールバスではなく、元国鉄キハ10-45を受けて同線へやってきたキハ104でした。昭和58年9月8日 七戸駅にて エンジン整備中のD451キハ104で終点の七戸駅に着くと、早速改札を出て入場券の購入等の趣味活動へ。ホームに戻るとディーゼル機関車が整備中のようで、ご覧のような状態でフルスロットルのような音を立てていた記憶が蘇ってきます。ホームにはキハ101が停車しており、先程乗ってきたキハ104はわずかな時間で車庫内に引き上げてしまったようです。D451の裏の暗がりに居るのが判ると思います。この頃でも地方交通線の状況は最悪な状態になって来ており、さらに貨物輸送量の減少が経営を圧迫してきました。そんな経営状況の中、殆ど客の乗らない路線でキハ104のような大型車は明らかに供給過剰でしかなく、折角購入したもののイベント以外にはほとんど動くことはなかったようです。しかし、当時としても全国からキハ10系が消滅しており、現役稼働車としては貴重な存在でした。そんなキハ104も写真に収めないうちに車庫に入ってしまったため、結局このチラッと見える記録しか残せなかったのは残念です。ここにきてまさかのキハ104がTOMIXから製品化されることになりました。キハ10系を手掛けるTOMIXならではですね。TOMIX 南部縦貫鉄道キハ10形 販売8611 TOMIX トミックス 南部縦貫鉄道 キハ10形 (キハ104) Nゲージ 鉄道模型 【9月予約】8611 南部縦貫鉄道 キハ10形(キハ104)[トミーテック]《09月予約》[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 8611 南部縦貫鉄道 キハ10形(キハ104)
2023.02.13
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E3系1000番台(初期塗装):山形新幹線「つばさ」山形新幹線「つばさ」に使用しているE3系1編成にシルバーカラーが復刻、令和5年2月11日より営業運転が開始されたそうです。E3系つばさ シルバーカラー 運転『E3系2000番台(初期塗装):山形新幹線「つばさ」』で外装変更前の姿をご紹介いたしましたが、以前400系の最後期を撮影に行った際、1000番台を偶然にも1枚だけ撮影していました。平成20年8月2日 小山駅にて L51編成 「つばさ107号」山形新幹線用のE3系1000番台は、新庄までの延長開業用として2編成(L51・L52)が新製されました。さらに、2005年に1編成(L53)が増備されて計3編成が誕生しています。0番台からの改造でさらに2編成(L54・L55)が登場しますが、初期の2編成は既に廃車となっており、3編成が新塗装に変更され現在に至ります。485系1500番台:特急「つばさ」485系1000番台:特急「つばさ」(イラストマーク時代)485系1000番台:特急「つばさ」(文字マーク時代)400系:新幹線「つばさ」
2023.02.12
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マル鉄回顧録にて『マイクロエース 崩壊DD50が帰ってきた!』に続き、ED71も同時に変換されてきましたので、今回もネタフリをさせていただきます。マイクロエース 崩壊ED71も帰ってきた!
2023.02.12
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185系OM車:快速「シーハイル上越」かつては冬の上越線を賑わせていた特急「新雪」や各種急行スキー列車ですが、高速道路の普及や上越新幹線の開業によって在来線需要は著しく減退して行きました。安価なツアーによる「シュプール上越」なども設定されましたが、ツアーバスの台頭やスキー需要そのものも昔に比べると減退しており、スピードの遅い在来線では辛うじて快速「シーハイル上越」が残った程度で推移していました。しかし、どうも平成27年2月の設定を最後に、その「シーハイル上越」の設定すらもなくなってしまったようです。※撮影は、平成27年1月25日、越後湯沢駅にて。185系OM03編成 快速「シーハイル上越」北陸新幹線開業直前に、最後の「トワイライトエクスプレス」などを撮影するために北陸へ出掛けた際、帰路の乗継ぎ時に偶然出くわした快速「シーハイル上越」を撮影したものです。大宮発着で地元を通る列車ではないため、なかなか撮影する機会のない列車でした。過去、183系でヘッドマークが用意された頃に一度だけ撮影したことがありましたが、185系化されてからはヘッドマークも用意されることがなかったことから、わざわざ撮影に行く意欲さえ湧かない列車となってしまいました。185系の廃車により運用が厳しくなって廃止となったと思いたいところですが、写真でお判りのとおり、この列車に乗るためにホームで待っている乗客は異常なほど少なく、スキー列車としての存在感は甚だ疑問と思うしかありません。一方、乗り継ぎで使用した新幹線は、MaX16両編成でありながら、正規の停車時間中に乗り切れずに遅延するほど乗客が利用しており、もちろんその殆どはスキーバッグをもった乗客ばかりで、鉄道利用者の99%以上が新幹線利用と言う印象でした。夜行旅客列車の消滅した高崎~上越線では、作業ダイヤの変更はより難しくなり、団体列車と言えども夜行列車の復活運転はなさそうです。昼間の団体列車くらいが良いところで、上越線への撮影など今後も行くことは益々可能性がなくなりました。183系OM車:快速「シーハイル上越」
2023.02.11
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惜別:十和田観光電鉄(走行写真編)十和田観光電鉄について、施設編、保存車両編をご紹介いたしましたが、最後に雪の中で撮影した走行写真を中心にご紹介したいと思います。※撮影は、平成24年3月11日です。三沢駅にてこの日は7701+7901の2両編成で運転されていました。営業終了のお知らせドア上の路線図祝いのサボが悲しい十和田市駅に留置されていた7204と7305両車とも両運転台に改造されています。いずれも北里大学前駅付近にて七百駅にて昔から北海道へ行ったり来たり、クルマで八戸を通り掛かったときもありながら、一度も訪問することの無かった十和田観光鉄道。都合の良い、最初で最後の訪問になってしまったのが非常に残念です。
2023.02.10
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惜別:十和田観光電鉄(保存車両編)前回は十和田観光電鉄の施設関係をご紹介いたしましたが、今回は車両関係をご紹介いたします。※撮影は、平成24年3月11日です。七百駅に接して設けられた留置線と言いますか、車庫と言って良いのでしょうか?現役と言うのも厳しい状態かとは思いますが、貴重な保存車両たちがいます。ED301昭和26年の改軌・電化時に導入された日立製作所製の機関車。30t級となっています。大きなスノープラウを付けており、除雪用としても使用されているのでしょうか?ED402昭和37年に増備された、川崎車両製の35t機です。こちらもスノープラウを装備しています。トラ301トラ302いずれも昭和37年に導入された工事用貨車。17t積みでトラとなっておりますが、車体長からして国鉄でしたらコトラでしょうね。モハ3401帝国車両製造製で自社発注の車両です。東北地方の私鉄では初となる全金属車であり昭和30年の導入当時は「東北一のデラックス電車」と言われました。モハ3603平成2年にに東急から譲渡された元デハ3650形の3655です。同鉄道標準色でしたが、晩年に東急のオリジナル色(グリーン)に塗り替えられました。今となっては大変貴重な存在です。いずれも大変貴重な存在であり、なんとか動態保存を願いたいものですが、負債のために撤退する会社には到底不可能でありますし、かと言って、自社の歴史と関係のない車両引き受ける事業者もまずいないでしょう。こういった形で貴重な車両が失われていくのは、鉄道ファンとしてなんとも悲しいものです。
2023.02.09
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惜別:十和田観光電鉄(施設編)十和田観光電鉄は、鉄道としては大正11年9月22日に開業、当初はナローでしたが、昭和26年に改軌、その後新駅を開業しながら最終形となっています。様々な影響から突如として廃止されることになってしまい、長年にわたって輸送にあたってきた同社の鉄道事業が平成24年3月31日をもって終了することになりました。永年勤続のお祝い休暇を利用し、最初で最後の訪問が叶いました。今回は、施設関係をアップいたします。※撮影は、平成24年3月11日です。三沢駅舎三沢駅名板接続は青い森鉄道の三沢駅となります。国鉄時代はもちろん東北本線の三沢駅。橋上駅となった三沢駅を出て直ぐのところに駅舎が建ちます。十和田市駅改札終着の十和田市駅には駅舎が無く、駅ビルと一体化されています。船に乗る桟橋にも似たような光景。ビル側に入ると、電車の料金箱のようなものを置いて集改札を行います。この駅ビルの明け渡しも鉄道営業の終了に大きく影響してしまったようです。ひがし野団地駅名板北里大学前駅名板日曜日だったためか、2駅とも全く一般の利用者が居ませんでした。七百駅名板七百駅は、同線唯一の交換駅。十和田市駅にあった車庫も引っ越してきましたが、駅員はいません。ホームから駅舎へは、上り線と留置線1本を渡って入ります。こちらは駅舎の外観です。各駅の中では立派な方で、外トイレも常設されています。何故か運賃表が入口に。ワンマン対応なので重要な案内。車庫に隣接して「七百変電所」があります。雪に埋もれた貨車代用の倉庫?うち1台は「ワ405」と読めましたが、外観的には完全に「テラ」っぽいです。次回は保存車両編へと続きます。
2023.02.08
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キハ58系:謎の「雪見列車」?前記事『455系:臨時快速「冬将軍」追記』の関連記事となりますが、831列車様のHPの最後の方にご紹介されております、団体列車と思われる「雪見列車」ではないかと思われる写真を撮ってありましたのでご紹介したいと思います。平成2年2月18日 赤岩駅にて 団体列車「雪見列車」?臨時普通列車「冬将軍」と同日になりますが、赤岩駅で撮影時に接近音が鳴ったためにカメラを構えると、やって来たのは当時にあるまじきキハ58系の3連でした。先頭は新潟色で、中後は急行色。プリントスキャンなので画質が悪く恐縮ですが、キハ58+キハ28+キハ58の様に見て取れます。東北新幹線の開業で定期の気動車列車は無くなり、この頃この区間では既に臨時急行でもキハ58系使用の列車は無くなっていたと思います。そんなこともあって、赤岩駅にて捉えた新潟色を含む気動車列車の写真は非常に貴重だと思っていました。当時はジョイフルトレインが多数存在していたため、DJ誌等でも一般型車両の臨時情報は掲載されておらず、この列車の正体も長年謎のままとなっておりました。831列車様掲載のパンフレットにより、その紹介写真との整合性を考えると、おそらくそこにご紹介されている「雪見列車」そのものではないかと思われます。
2023.02.07
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455系:謎の普通列車?「冬将軍」奥羽本線のスイッチバックが廃止になる最後の頃、撮影に行った際に「冬将軍」なる列車を捉えました。平成2年のダイヤ情報の冬期臨時列車の予定表に載っておらず、鉄道雑誌に投稿写真でもあるかと同年2月近辺の写真が載っているDJ4月号や鉄道ファンの5月号を見てみたのですが、この列車に関する記事がありません。本記事は2011年12月にエントリしたものですが、その4年後となる2016年1月に831列車様より乗車記を含む詳細な情報提供をいただきましたことにより、その全貌が明らかになったものです。平成2年2月18日 奥羽本線 赤岩駅にて 455系 臨時快速「冬将軍」山形新幹線の開業により改軌・スイッチバックが廃止になるということで板谷峠を訪れた際、赤岩駅にて偶然に撮影したヘッドマーク付の「冬将軍」です。831列車様の記事によりますと、平成2年2月3日~25日の毎日、福島~米沢間に1往復設定された臨時列車で、途中駅停車無しのノンストップ列車でありながら、快速では無かったようです。時刻表上では無停車ですが、実際には峠駅で運転停車をしたようです。これは追い越しとかではなく、サービス停車だったのかもしれません。『米沢風土ぴあ』というイベント期間と合わせて運転されたようで、パンフレットの頒布もあったようですが、実際にはこの列車の乗車率はあまり良くなかったようですね。ともあれ、この列車の情報をいただくまで謎の列車となっていましたが、思った以上に詳細な情報を掴むことが出来ましたので、非常に助かりました。831列車様には改めまして御礼申し上げます。
2023.02.06
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以前、Fw:マイクロエースDD50はやはり崩壊していたでネタフリをしていた件について、意外にも早くマイクロエース社から戻って来ました。そこで、マル鉄回顧録にて『マイクロエース 崩壊DD50が帰ってきた!』をアップしておきましたんで、今回もネタフリをさせていただきます。折しも、マイクロエース社からDD50の続編が2月9日に発売されることになっており、なんともタイムリーな話になってしまいました。情報は → マイクロエース DD50 販売まあ何にしても好きな形式でショックが大きかっただけに、元気になって戻って来てよかった。
2023.02.05
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キハ30+キハ47+キユニ28:山口線 普通列車)令和になって、KATOからキユニ28及びキユニ28を含む急行列車のセットが発売されることになりました。かつてはマイクロエースからも2両セットが発売されていますが、値段が高くて使い道もなかったので買ったことはありませんでした。しかし、最近になってTOMIXやKATOの気動車も手に入れたので欲しくなってしまい、今回は購入を決めています。キユニ28は28両のうち東日本に居たのが5両(水郡線運用?)のみで、殆どが中京~西日本であったため、遭遇の機会はありませんでした。そんな中で唯一写っていたのが山口線でした。山口線は、山陽本線新山口駅と山陰本線益田駅を結ぶ路線。新山口駅は小郡駅が速達「のぞみ」の停車に当たって改称されたものです。山口線と言えば国鉄が全国に先駆けてSL動態運転を行った路線として有名であり、現在でも継続されています。私も昭和時代に何回も足を運んだものですが、12系客車が改装されてからは足が遠のいてしまいました。撮影は「SLやまぐち」やその前後を走る特急「おき」がメインとなり、本数の少ない普通列車は移動に利用してしまうと、まず撮影するチャンスが無かったように記憶しています。そんな状況の中で、撮影場所を探している最中に、偶然にも撮ることができた普通列車の写真が1枚だけありました。昭和59年2月11日 山口線 篠目~長門峡間にて大宮操車場の阪埠(ハンプ)部が廃止になり、余剰人員と化した私は、同期の職員と山陽山陰方面へと旅に出ました。何と言っても、休暇を何日でも連続で取得できるチャンスなんて、それまでありませんでしたからね。1駅間歩いた割には良いロケーションの場所がなく、仕方なく丘の上で待機することとなったのですが、その時に構図合わせで撮った写真がコレです。編成は、手前からキハ30+キハ30+キハ47+キユニ28(実際は後追いなので、編成順は逆)。当時は当たり前にこんな編成ばかりでしたので、別に撮るほどでもないような列車ですが、今になってしまうとキハ47を除いては絶滅。殊にキユニ28については、旧型の荷物車駆逐のために余剰であったキロ28を土台に改造した郵便・荷物合造車でしたが、僅か数年で鉄道郵便事業、そして荷物輸送自体も全廃となってしまうという憂き目に逢った、悲運の車両でした。当時は移動の際も20系気動車は殆ど乗った記憶が無く、キハ30系が多かったように思います。ロングシート主体の普通列車でありながら、マメに車内販売が回ってきた珍しい路線であったことが非常に印象に残っています。
2023.02.05
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183系OM車:特急「嬬恋・草津スキー」特急「嬬恋・草津スキー」は、平成16年~平成18年の冬期に設定された臨時特急で、平成16年は新宿~万座・鹿沢口、翌17から18年は大船~万座・鹿沢口で設定されていたようです。平成23年10月22日 OM101 川越車セにて川越車両センターの公開時にゲストの183系が幕回しをしてまして、そこで初対面となったヘッドマーク。最初の設定からヘッドマークが準備されていたらしく、いくつかHITした記事でもしっかりこのマークで写っていました。(時に「特急」表示されたこともあるようですが・・・)あまり利用率が思わしくなかったのか、平成19年以降は設定されていません。私が地元で撮影を再開したのが平成19年頃からでしたので、ちょうど撮り逃してしまったようです。
2023.02.04
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キハ100系:快速「しもきた」青い森鉄道八戸・青森~JR東日本大湊線大湊を結ぶ快速「しもきた」。国鉄時代に青森~大湊を結んでいた急行「なつどまり」が起源になると思われますが、快速となってからは青森~大湊間が1往復の設定に対し、八戸~大湊の方が3往復の設定と、こちらの方がメインアクセスになっているようです。ちなみに、昭和53年の時刻表を見ると、八戸~大湊間の直通列車の設定はありませんでした。まったく気が付かなかったのですが、令和3年3月ダイヤ改正において、青森~大湊間に1往復設定されていた列車が廃止になってしまったようです。本来ならあまり縁のない場所ですが、寝台特急「日本海」を撮影に行った際、偶然にも撮影していました。平成24年3月11日 青森駅にて キハ100-21 3534D 快速「しもきた」初日、ちょうど青森駅に到着した際に遭遇しました。愛称も表示されていて、撮り甲斐のある列車です。それにしても、単行とはさびしい。キハ100が検査時はキハ40系が使用されることもあったらしいです。平成24年3月13日 青森駅にて キハ100-204 3534D 快速「しもきた」撮影最終日、時間があったので駅をぶらつきに行ったらまた逢いました。反対側から撮るとバックにハープ橋が写せることが分かったので、1両でまとまりも良いことだし、ちょっと凝ってみました。結果として良い記念になりました。そう言えば、キハ100系って全然撮ったことがないような気がします。ちなみに、0番台は64両を製造、200番台はたった5両のみ。0番台がプラグドアなのに対し、200番台は引き戸化されているということです。短い滞在期間で2種類の車両で記録できたのは大変良かったです。
2023.02.03
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485系(クロ481):特急「あいづ」磐越西線(郡山口)における特急列車は、昭和40年誕生のキハ82系「会津やまばと」を起源とします。昭和43年10月1日、「やまばと」から会津編成を独立、電車化(483系化)され、特急「あいづ」が誕生します。特急「あいづ」は、磐越西線内の有効長の関係により、最大で9両編成とされており、サシを連結したことにより、MT比の関係から上野方にはクロ481が使用されていました。昭和51年 撮影場所不明昭和52年 尾久~赤羽間にて昭和53年 蕨~西川口間にて昭和54年3月 西日暮里駅にて昭和56年1月5日 豊原~白坂間にてクロ481は485系に属する制御車で、仙台運転所に集中配置されていました。「ひばり」「ひたち」「やまばと」にも使用されましたが、昭和50年3月ダイヤ改正以降は「ひたち」「あいづ」の9連のみに使用され、昭和57年11月ダイヤ改正で秋田運転所へ持ち替えにより運用から離脱し、すべて九州へ転属となっています。クハ481も合わせて、ボンネット型は最後までイラストマークが使用されることはありませんでした。485系(非貫通型編):特急「あいづ」485系(ボンネット型クハ編):特急「あいづ」485系(クロ481):特急「あいづ」485系(あかべぇ):臨時特急「あいづ」485系:特急「ビバあいづ」485系(T18編成):特急「あいづ」
2023.02.02
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国鉄 救援車:オエ6182 高崎第二機関区救援車は、列車事故や線路災害があったときに出動する車両で、事故・災害現場で使用する機材などを積載した特別な装備をしています。備えとして常に置いていたわけですが、実際にはそんなに事故とか災害があるわけではありませんので、古い客車や電車の使いまわしが殆どです。実際に使われないまま廃車になってしまったものが多いのではないでしょうか。昭和60年3月30日 高崎第二機関区にて オエ6182高崎第二機関区の一般公開で展示されたオエ61です。戦前の17m木造客車の台枠を延長の上、20mの鋼体化車両とした60系の波及車です。窓配置からして、元オハニ61の改造車でしょう。昭和50年代では60系客車自体もまだ活躍していた頃ですので、それほど珍しくはありませんでした。ただ、「救援車」自体はなかなか撮影をするのが難しい場所に置いてあったりしますので、こうした一般公開で見られるのは非常に助かりましたね。
2023.02.01
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