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キハ82系:特急「南紀」(イラストマーク)特急 ありがとうキハ85系南紀号 運転現在も名古屋~新宮・紀伊勝浦を結ぶ特急「南紀」。紀勢本線~関西本線の名古屋口を結ぶ定期特急は、天王寺~名古屋間を走破していた「くろしお」で、終焉までキハ81が使用されていたことでも有名です。紀勢本線西線側の電化工事が進捗し、昭和53年10月ダイヤ改正において、特急「くろしお」が381系化されることになります。(一部製造の追いつかなかった期間に485系800番台を含むも使用されました。)その際、天王寺~名古屋間を直通していた1往復の特急「くろしお」は系統分割され、電化されない東線側については名古屋~紀伊勝浦間に特急「南紀」が3往復(のちに4往復)新設されました。キハ85系の誕生に伴い、まずは特急「ひだ」が置換えとなり、少し遅れてこの「南紀」もキハ85系化されることになりました。全国でも最後まで残ったキハ80系使用の定期特急列車ということもあり、友人と撮影に行きました。平成2年7月24日平成2年7月24日平成2年7月24日平成2年7月25日 波田須~新鹿間にて平成2年7月25日この時はクルマでの遠征で行き当たりばったりだったため、撮影区間の記録を取っていませんでした。当時はそのような記録を取る癖がなかったんですね。今にしてみれば大失態でした。キハ85系化されてからはわざわざ訪問する気もなく、このような不便な場所に行くこともなくなりました。キハ85系:特急「(ワイドビュー)南紀」キハ82系:特急「南紀」(文字マーク)
2023.06.30
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小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」(乗車編)小田急電鉄20000形RSE車が引退することに伴い、最後に乗ってみようかということになり、平成24年3月のダイヤ改正前に同時に引退となるHiSEやLSEの撮影と兼ねて乗車してきました。小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」※撮影は、平成24年2月19日です。乗車したのは、新宿駅7:20発「あさぎり1号」です。沼津行きも7両編成の表示も間もなく消滅してしまいます。3番線に到着したRSE「あさぎり1号」。駅撮りは初めて。もちろん乗車も。RSE20000形、ナンバーは20001。RSEのエンブレム。横サボはLED。改正により「沼津」の表示もなくなります。さよならステッカーは、RSEのほか、同時に消滅するHiSEと通勤車の5000形にも掲示されました。この日乗車したのはスーパーシート。RSEと371系の消滅により、小田急線内からスーパーシートと2階席という表現が消えてしまいます。それは、同時に御殿場線内からグリーン車と2階席が消えることを表します。松田駅に到着したRSE「あさぎり1号」。ここからはJR東海の御殿場線となります。松田駅を後にするRSE「あさぎり1号」。ホームのあちらこちらで記念撮影をする人が居ました。20000形RSE車:特急「はこね」
2023.06.29
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EF71&ED78牽引 :貨物列車(奥羽本線)過去ログ『EF71&ED78牽引 50系客車:普通列車(国鉄時代)』『EF71牽引:普通列車(JR改軌前)』で奥羽本線を往く客車普通列車をご紹介していますが、今回は同時期に撮影していた貨物列車の写真を集めてみました。昭和55年8月14日 福島駅にて EF713牽引 貨物列車ED71の写真を撮るために福島へ出掛けた際に撮影したもの。初めて北海道へ行く際に急行「津軽3号」を使用したため板谷峠を通過したことはありましたが、夜中の通過のためEF71やED78を実際に見たのはこの回が初めてでした。まだ貨物輸送の大合理化前で、次位のコンテナ車もコキ5500形であることから、一般貨物列車と思われます。バックに写るタンク車も特徴的で非常に気になるのですが、画像が粗くて番号が読み取れず、良く判りません。※番号が?3052までは読み取れ、会社名か製品名?が「〇-〇ライト」のようです。カーボライト?昭和60年6月19日 大沢~板谷間にて 上り貨物列車友人の運転するクルマで遠征した際に撮影したもの。板谷峠としては初訪問です。梅雨時で天気が悪く、さらに遠景からの撮影なのでカマの種類の判別もできません。既に緩急車の連結は省略された専用貨物列車のようで、タキ1900っぽい感じのタンク車を連ねています。※こちらは正体が判明し、貴重な編成と分かりましたので、別記事でご紹介したいと思います。昭和60年6月19日 大沢~板谷間にて EF713+ED78牽引 下り貨物列車こちらも専用貨物のようで、背の小さいコタキを5両の小ぢんまり編成です。とても重連牽引の必要性はなさそうですが・・・昭和60年6月20日 大沢~板谷間にて ED78+EF71牽引 上り貨物列車翌日は少し天気が回復。狙いとは逆向きに下り貨物列車が・・・。貨物大合理化後ですが、編成はその昔の一般貨物列車のようです。黒屋根車としてトラの姿はあれども、黒ワムやワラの姿は既にありません。もしかしたら、工場入場の配給回送かもしれません。平成2年2月18日 赤岩駅にて EF716牽引 下りコンテナ列車平成2年2月18日 赤岩駅にて EF717牽引 下りコンテナ列車板谷峠の4連続スイッチバックが廃止されることとなり、その前にと訪問。この時は、なんと大糸線でシュプール群の撮影をしてからの強行軍となりました。列車での訪問のため時間が自由にならず、赤岩駅にとどまっている間に多数の列車を撮影できました。他の3駅は一面雪景色でしたが、赤岩駅だけは積雪が殆どなし。この赤岩駅ではシェルターがないため、本線を往く列車を効率的に撮影できました。JRになってからコンテナ列車ばかりとなって面白みは無く、以前のような重連運用もなくなってしまったようです。そんな寂しさも束の間、改軌工事により貨物列車も経由することが無くなってしまいました。旧型国電はファンの方のおすすめHP
2023.06.28
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185系元チタB編成:特急「草津」平成25年3月ダイヤ改正において、田町車両センターが廃止されることに伴い、通勤車が国府津へ、特急形が大宮へ転属となりました。これに合わせ、既存の185系OM車も、方向転換及びグリーン車の連結位置を変えるなどの作業が行われることになります。185系OM車は、ごく一部が改正前からこの作業に取り掛かりましたが、1日で切り替えるわけにも行かず、元チタ車のB編成を動員し、改正直後の高崎線特急やホームライナー等に充当され.もちろん「草津」にも運用されました平成25年3月16日 B3編成 「草津32号」平成25年3月17日 B1編成 「草津32号」平成25年3月20日 B3編成 「草津1号」平成25年3月24日 B5編成 「草津1号」平成25年5月4日 B2編成 「草津31号」平成25年5月18日 B6編成 「草津32号」元チタ車の湘南ブロック色編成も、OM車の準備が整い次第終了となったため、湘南カラーでグリーン車込み7連で残ったB1編成を除いては、かなり短い期間でしか見ることができませんでした。
2023.06.27
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JR四国 N2000系:特急「うずしお」※本記事は、2020-07-23に投稿した記事で、当時の表現になっています。高徳線の高松~徳島間を結ぶ特急「うずしお」。キハ185系に加え、2000系気動車なども使用されるようになり、さらにN2000系へと進化していきます。緩やかながらも進化を続けていたJR四国の特急型車両ですが、特急「うずしお」についても新型2600系に続き2700系が導入されるようになり、ここに来てN2000系車両のすべての置換えが完了。令和2年7月18日をもってN2000系による「うずしお」が消滅しました。※撮影は、平成22年7月25日、高松駅にて特急「うずしお1号」特急「うずしお3号」四国の訪問は未だにこの時のみ。N2000系による「うずしお」はこの2枚のみでした。当時、N2000系は「うずしお」限定運用だったようです。運用を終えたN2000系は予讃線用として転属し、新たに活躍を始めました。これは2000系量産型を置き換えるものだそうですが、国鉄時代より使用されているキハ185系は引き続き「うずしお」に運用されているようなので、世代交代の順序が入れ替わってしまっているようです。
2023.06.26
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185系(157系色):臨時特急「そよかぜ」(その1)平成22年、大宮車両センターの185系が湘南色に塗り替えられて以来、田町の編成にオリジナル色、さらに大宮で157系色が誕生するなど、リバイバルブームと言うか、イベント色ブームとなっていました。そして平成24年、夏臨で185系の臨時特急「そよかぜ」が2度設定されました。まだ横軽が健在だった頃、季節特急「そよかぜ」で実際に走ったことがある185系ですが、この時代になって塗装変更されたOM08編成157系色が限定で使用され、ヘッドマークも特別あつらえとなる外付けのものが用意され、話題を呼びました。今回は、平成24年7月15日(日)に運転されたOM08編成「そよかぜ」ご紹介したいと思います。回9972M 送込み回送特急「そよかぜ」 9025M特急「そよかぜ」 9026M回9973M 入庫回送157系時代風のヘッドマークが結構似合っています。185系も奇抜な発想が出ていなければ、おそらくはこのような塗装で誕生していたと思いますね。この後、同年9月にまた同様のスタイルで第2弾の運転が行われました。183系幕張車:特急「そよかぜ」489系 :特急「そよかぜ」EF651108牽引:臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」
2023.06.25
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キハ82系:特急「南紀」(文字マーク)特急 ありがとうキハ85系南紀号 運転現在も名古屋~新宮・紀伊勝浦を結ぶ特急「南紀」。紀勢本線~関西本線の名古屋口を結ぶ定期特急は、天王寺~名古屋間を走破していた「くろしお」で、終焉までキハ81が使用されていたことでも有名です。紀勢本線西線側の電化工事が進捗し、昭和53年10月ダイヤ改正において、特急「くろしお」が381系化されることになります。(一部製造の追いつかなかった期間に485系800番台も使用されました。)その際、天王寺~名古屋間を直通していた1往復の特急「くろしお」は系統分割され、電化されない東線側については名古屋~紀伊勝浦間に特急「南紀」が3往復(のちに4往復)新設されました。昭和57年10月6日 名古屋駅にて キハ82系 特急「南紀」瀬野八、山口、小野田線の撮影の帰りになぜか名古屋に寄ってこの写真を撮っています。名古屋地区にはしばらく訪問していなかったため、この「南紀」の写真を撮るために立ち寄ったようです。電車特急のボンネット型ヘッドマークがイラスト化されたのは昭和54年秋くらいからのようでしたが、気動車特急についてはイラスト化が全国的に遅くなっており、「南紀」についてはまだイラスト化されていませんでした。幹線の電化が進むにつれ、キハ181系の余剰車活用が活発となり、キハ82系の淘汰が急速に進みましたが、JR東海にはキハ181系の在籍がなかったため、その後もキハ82系が活躍することになります。
2023.06.24
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キハ28:貨物列車併結回送※本記事は、2012-02-21に投稿したものです。中学生の頃の写真を見返してみると、良くもまあ撮っていたこと・・・と思う写真が結構あります。写りが良くなくてプリントしていなかったり、アルバムにさえ入れてもらえなかった列車たちが、トリミングとカラー補正という再生手段によって次々と息を吹き返しました。そんな中で、ちょっと珍しい写真をご紹介いたします。当時は良いカメラを使っていなかったので、ブレたり露出が合っていなかったりで見苦しいものですが、なかなか面白い写真だと思いますのでご覧下さい。昭和51年頃 西川口~蕨間にて 編成後部に連結回送されるキハ28貨物列車の後部に連結されたキハ28。その前位に工場指定のチキが連結されていますので、工場入場車の回送列車かもしれません。複数の気動車を1度に回送するときは、回送客車列車として機関車が牽引するのですが、稀に1両程度ですと、このような光景を見ることができました。貨車に乗っていた私としては、最後部のワフ22000もヨダレが落ちそうなくらいレアな貨車(ちなみに、現役時代は乗ったことが無い)ですし、写真では判りづらいですが、キハ28の一番手前のドア部分だけが800番台の修学旅行色に見えるのが非常に興味深いです。一体、何があったのだろうか・・・と考えてしまうような写真です。このほかにも、写真は撮れませんでしたが、貨物の後部連結でウグイス色103系のモハユニットを回送しているシーンを目撃したこともあります。現在のJRでは、列車の固定化が進んでしまったので、このようにハンパモノを貨物列車に連結して回送する手段なんていうこと自体がなくなってしまいました。
2023.06.23
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EF71&ED78牽引 50系客車:普通列車(国鉄時代)奥羽本線の福島~新庄間が改軌の上、山形新幹線が走るようになって久しくなりますが、かつては東北山形~秋田方面への幹線として、東北本線の迂回路として重要な役割を担い、多数の長距離直通列車が運転されていました。東北本線が優等列車や貨物列車で飽和状態になっても、上野発奥羽本線経由の青森行きなんていうような普通列車が何本も走っていた時代もありました。山形新幹線への工事にあたっては、複線区間では片側ずつ改軌し、改軌が完了してから719系の標準軌版を導入したため、特に板谷峠を擁する区間については、改軌直前まで50系客車による普通列車が運転されていました。昭和60年6月19日 ED78+EF71牽引昭和60年6月19日 ED78+EF71牽引昭和60年6月19日 EF71重連牽引友人のクルマに乗って初めて訪れた板谷峠。まだ免許を持っていなかった頃なので、地図を見ておらずどの辺りなのか良く分かりません。今の地図に照らし合わせると、板谷~関根辺りではないかと思われます。生憎の雨模様で、気分もすぐれませんでした。昭和60年6月20日 EF715牽引昭和60年6月20日 EF7115牽引昭和60年6月20日 EF78+EF71牽引翌日は天気が回復しました。ここは地図から大沢~板谷間であることが判りました。1日目は重連ばかり、2日目は単機牽引もありました。旧型客車時代に比較すると短編成になりましたが、それでも客車が3~5両程度、荷物車も連結されたりと、なんとか客車列車の名目を保っていました。民営化後の50系もありますのでいずれ。
2023.06.22
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JR貨物:EF651127(EF652127)EF65PFシリーズで、今回はJR貨物のEF651127(EF652127)です。1127号機は、昭和54年8月1日に落成した川崎重工・東洋電機製。関西・九州ブルートレインのEF58置換用として誕生した最終8次車で、下関機関区に配置されました。そのままJR西日本に継承され、ブルトレを含む客車列車の衰退により、2012年度に廃車、JR貨物へと譲渡され使用されてきました。譲渡を機に岡山機関区に配置となり、この時代に広島更新色になったようです。この塗装は一時的なものであり、他のカマはJR貨物更新色に改められて殆どが消滅する中、最後の1両となった1127号機だけは最後まで広島更新色で活躍を続けました。平成22年10月31日 EF651127牽引 3055レ平成23年1月8日 EF651127牽引 2082レ平成23年4月24日 EF651127牽引 3070レ平成23年6月18日 EF651127牽引 3055レここから2000番台に変わります。塗装は堅持されました。平成24年8月25日 EF652127牽引 5078レ平成25年4月6日 EF652127牽引 2070レ平成25年5月18日 EF652127牽引 2073レ令和元年11月16日 EF652127牽引 配8593レ地元から定期のPF運用が無くなってしまい、なかなか撮る機会もなくなってしまいました。最後に撮影したのは配給列車。国鉄色の復活から広島更新色の存在も薄まってしまいました。そして令和5年6月、地元の運用が消滅してPFを見る機会もないまま、運用を離脱してしまったそうです。
2023.06.21
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485系ボンネット型:特急「ひたち」(イラストマーク化後)特急「ひたち」は、昭和44年10月に上野~平を結ぶ季節列車として誕生しました。車両はキハ81を含む80系気動車で、特急「いなほ」の間合運用のかたちを採っていました。昭和47年10月、羽越本線の全線電化により「いなほ」が485系化。これにあわせて、特急「ひたち」も仙台運転所の485系を使用するようになりました。485系は仙台運転所持ちの9連又は12連が使用され、9連は「あいづ」と、クロを含む12連は「ひばり」「やまばと」と、クロを連結しない12連は「ひばり」と共通運用を組んでいました。その後、フリークエンシーによる整備が始まると短編成化が実施され、サロを含む9連のみ、さらにはサロを連結しない7連へ変化していくことになります。フリークエンシー化にあたり、九州から多くのボンネット型車両が転属してきました。昭和60年9月5日 万博中央~荒川沖間にてつくば万博関連でエキスポライナーなどの撮影に行ったときに撮った写真。仙台運転所持ちの車両は、上野方先頭にクロ以外のボンネット車がありませんでしたが、九州からボンネット車が流れてきたことにより、グリーン車は中間へ連結、上野方にもクハのボンネット車が連結されるようになりました。九州時代にヒゲを消されてしまったため、非常に違和感の顔をしており、私的には嫌いでした。写真の車両は回転式のシャッター仕様であることから、483系に由来する元仙台車と思われます。平成元年3月12日 大甕~勝田間にて九州から転属してきた元赤スカート車は、スカート部に開放型タイフォンを装備している仕様が特徴。この写真を撮りに行ったときは既にヒゲ付きクリームスカート化されてしまっていたようです。平成元年3月12日 大甕~勝田間にてこちらも九州からやって来たボンネット車で、スカート部にタイフォンを装備していますが、良く見るとシャッター仕様をスリットに改造しているようですので、元仙台(又は初期の青森配置)からタイフォンを移設されまま九州に転属した車両ではないかと思われます。平成元年5月5日 荒川沖~土浦間にていずれも元赤スカート車のクハと思われます。地元では見ることができなかったクハを記録できるチャンスですが、ヒゲ無しのボンネット車は好きになれず、ヒゲが復活するも塗装が標準化されてしまったため、せっかくのスタイルを記録できなかったのは本当に残念でした。この後7連化され、塗装変更や併結の14連化も行われていますが、新塗装に食指が動かなかったこともあり、まったく記録として残っていません。485系ボンネット型:特急「ひたち」(文字マーク時代)クハ481ボンネット型赤スカート車:広域配転回送485系非貫通型:特急「ひたち」651系:特急「スーパーひたち」651系:特急「フレッシュひたち」(字幕)
2023.06.20
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西武鉄道 新宿線・拝島線:「拝島快速」国鉄沿線に生まれて以来、私鉄よりも常に国鉄→JRへの興味が高く、西武鉄道もそれほど馴染みのない路線でした。まして利用機会が若干あった池袋線や、女房の実家に近い新宿線は見慣れていますが、多摩を走る路線に接することは皆無といって良いほど。しかし、平成22年度より現場回りの仕事となり、あらゆる都内私鉄各線に乗車する機会ができ、西武拝島線へも2度くらい行く機会がありました。平成24年6月29日、それまで西武新宿と拝島を直通で結んでいた「拝島快速」と言う名称が消えてしまうことになりました。平成22年11月19日 武蔵砂川駅にて平成22年11月19日 玉川上水駅にて現場に行った際、昼の移動に利用しました。偶然にもレアな6101F。幕式の表示なので、こちらも見やすくてGoo!です。平成23年1月1日 下井草駅付近にて女房の実家に向う際、買い物待ちで偶然に撮っていた写真です。LEDではなかったので、判り易い「拝島快速」でした。私は利用者ではないので、名称の変更・消滅の真意や弊害等の予想は付きませんが、利用者にとって利となるのか損となるのか・・・。なお、西武新宿線では、同時に「快速急行」の種別も消滅しています。
2023.06.19
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ED75700番台牽引:快速「ノスタルジックビュートレイン」現在も風光明媚な路線として観光列車が設定されている五能線。そのはしりが客車列車で運転されていた快速「ノスタルジックビュートレイン」です。電車化によって余剰となりつつあった50系客車を改造し、展望車両も設けていました。五能線自体は乗ったことがありますが、その時点ではこうした観光用のジョイフルトレインとは遭遇したことがありませんでした。平成4年8月18日 八郎潟~鯉川間にて ED75700番代牽引 快速「ノスタルジックビュートレイン」このときは同区間で撮影可能なブルトレを中心に撮影を行っていたわけですが、特にこの列車はマークしていませんでした。なので、一般的なアングルで構えていなかったため、真横からのこんな写真になってしまったのです。五能線では非電化ですから、当然にしてDE10が牽引したのでしょうが、電化区間をED75が牽いていること自体を知りませんでした。当時はあまり興味も無かったんですが・・・。これらの客車は『老朽化』を待たずとして引退となってしまい、気動車改造の編成に変わってしまいました。折り返し作業やダイヤの設定上、他の気動車と足並みが揃った方が運行管理、保守の面で有利だったのでしょう。前後の展望車は、その後SL奥利根号の増結車としても使用されましたが、あまり活躍もしないまま引退してしまったようです。展望室の分、定員を稼げなかったのも原因でしょうか?あと、暖房装置とかも12系とは違ったのでしょうか?その時期は殆どテツを休業していたような状況で、記録として残っておりません。
2023.06.18
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JR東日本 E353系:青梅線 試運転(その2)一昨日、JR東日本 E353系:青梅線 試運転をアップしたところですが、昨日、また青梅線への現場があり、午前中の仕事が終って移動のために駅に戻ると、またこの試運転に出くわしました。※撮影は、令和5年6月16日、羽村駅にて。上り電車まで少し時間が合ったので、駅前の喫煙所で一服し、ホームに向かいました。次の上りに対し、下りはさらにそのあとの表示になっていたのですが、ホームへの階段を降り始めた時、電車が到着する音が聞こえました。なにも来るはずがないと思っていたところ、紫色の車体が見えました。まさかと思いましたが、やはりそこにはE353系3連が停車していました。各駅に停車扱いとなっているのか、1分くらい停車したようでした。ホーム端へ移動して後部の写真を撮ろうと歩き始めたところ、ミュージックホーンを鳴らして直ぐに発車してしまいました。もちろんホーム端には間に合わず、立ち位置からちょー望遠で。斜めったのでトリミングで画角調整してなんとか。月曜日から時間が経っているので、まだ走っているとは思いもしませんでした。良くも偶然に出くわしたと思ったところ、前回撮った時間と偶然にも同じ時間帯に居たんですね。返しを待って撮ることも可能だったんですが、相方もいたし、食事を摂りつつ高幡不動まで移動しなければならないので、今回はパスしました。このところ3回も青梅線へ来ていますが、もうしばらくはないと思われますので、こうしたサプライズも期待できません。
2023.06.17
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クヤ165-1:教習車クヤ165、その名前は中学生の頃から知っていましたが、実物を見ることはありませんでした。昭和49年に名古屋鉄道管理局の165系電車教習用車両として、当時余剰となっていたサハシ153-15から改造された事業用車です。施工は浜松工場です。同類には、クハ103に似たクヤ153-1も存在しました。平成21年8月22日 佐久間レールパークにてサハシ153の多くはサハシ169に改造されましたが、さらに余剰となった車両を活用して誕生した教習車。まるで165系の顔をペシャンコにしたような顔立ちが特徴です。もちろん、側面もサハシ時代の面影を多く残しています。兄弟車でクヤ153-1という車両もありましたが、前面は103系低運転台のような顔つき、側面のドア数も違うなど、多くの相違が見られました。佐久間レールパークが閉園になると聞きつけ、慌てて出掛けていくことになり、なんとか記録することが出来ましたが、同車はリニア・鉄道館に保存されることも無く、平成22年7月に現地で解体されてしまったとのことです。貴重なサハシの面影を残す車両であっただけに、非常に残念です。
2023.06.16
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JR東日本 E353系:青梅線 試運転今回はニュースネタです。青梅線において夜間工事が遅れた日。この日は運悪く五日市線沿線の現場でした。予定より30分早く家を出て順調に西国分寺へ着くと、運良く青梅行きの快速が直ぐに来て乗ることができました。立川駅で信号開通待ちのため3分くらい停車していたか、発車して連絡線を走り出すと、同時に並走するE353系が見えました。横サボは「試運転」。しかも付属のみの3両編成でした。走っている位置も中央線下りではなく、どう見ても青梅線のよう。このまま進めば次の西立川でぶつかることになります。しかし、そこは旅客優先のようで、こちらが先行したようです。拝島について下車。ホームの電光掲示板には次の青梅線の表示。さっきのE353系の行方は分からず。立川方のヤードにDD200-901が居たので望遠で撮り、昼食に向かおうとすると「2番線に列車がまいります」の放送が・・・「電車」ではなく「列車」といったな・・・振り替えると先程のE353系3連がやってきました。※撮影は、令和5年6月13日、拝島駅にて。一体この列車はなに?一旦停車して直ぐに走り出しました。今の青梅線は日常的にE353系を使用した特急「おうめ」が走っていますので、訓練運転をする必要はないし。意味不明でした。予定より大幅に早く拝島駅へ着いてしまったため、昼食の時間もたっぷりある。この電車、いずれ青梅から戻ってくるはず。そう踏んでホームを往ったり来たりしていると、3番線に「12:10 回送」の表示が出ました。これは間違いない。約20分は待つことになりますが、これは編成が撮れる場所で撮るしかない。まあ、拝島駅はなかなか良いアングルのとれない難しい駅ですが、ここは妥協して五日市線の青梅方で待ちます。遅れの為、少し電車がつかえているようで、遠くにヘッドライトが見えますがなかなかきません。待っていると、ホームを駅員らしき人がこちらに向かってきます。写真を撮っているのは私だけ。なんか文句言われるのかな?予防線を張って「枠内の安全な位置から撮りますんで」と言ってみた。すると、「ちょっと遅れているんですが、もうすぐ来ますんで。あぁ、来ましたね。それじゃそうも!」。わざわざ時間を伝えに来てくれたらしい。職員の振り向きざまに「あれ、何なんですか?」と尋ねると、「新人の研修なんですよ。ここで車庫に入っちゃいますんで。」なんか、色々と教えてくれました。そして、3番線の快速が遅れて発車すると、ゆっくりとやってきました。陸橋がうるさいですが、ここしか撮れないんで仕方ない。12両化で延長されたホーム。供用開始になっていない現状も貴重かも。良く見たら柱が邪魔な位置になってました・・・。これで安心して昼食に。階段に向かっていくと、右側に写っている次の五日市線の運転席の窓が開きました。さっきの職員はこの電車の運転士さんだったんですね。六角さんに似たイメージ(年齢は全然若い)の方でした。撮り鉄のマナーの悪さで、おそらくは現場でも評判は悪くなっている筈ですが、こうして気軽に親切に接してもらうと、ひとまずは安心できます。この運転士さんのお陰で良い日になりました。
2023.06.15
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小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」平成30年3月ダイヤ改正において、小田急~御殿場線を結ぶ特急列車が「あさぎり」から「ふじさん」へと変更されました。当時活発であった来日外国人向けの対応と思われますが、伝統ある「あさぎり」の愛称がなくなってしまうことにガッカリ感がありました。小田急電鉄20000形RSE車は、それまでSSE車で運転されていた御殿場線乗り入れ列車の急行「あさぎり」を特急に格上げのうえ運転するために導入された車両です。国鉄との交渉によりNSE以降の車両の乗り入れが実現せず、民営化後にJR東海との交渉が成立、新型車両を導入することで実現し、協定の元にJR東海371系とともに相互乗り入れが実施されるようになりました。平成3年3月のダイヤ改正のこととなります。当時、いつでも撮れる車両として全然マークしたこともなかったのですが、HiSEと同様に「バリアフリー法」施行の煽りを受けての引退が発表されました。慌てて撮り始めたのは言うまでもありません。平成23年10月14日 登戸駅にて 「あさぎり4号」平成24年2月19日 新松田~渋沢間にて 「あさぎり4号」最初に撮った「あさぎり」の時は、まだダイヤ改正の概要が発表される少し前であり、まさかこの時点でRSEが引退になるとは思ってもみませんでした。20000形RSE車:特急「はこね」
2023.06.14
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581系・583系:寝台特急「明星」昭和43年、新大阪~熊本間に581系・583系を使用した寝台特急「明星」が運転されるようになりました。その後増発が続き、4往復に成長します。この時代、鹿児島本線・長崎・佐世保方面への客車寝台特急に「あかつき」、日豊本線方面への客車寝台特急に「彗星」、岡山始発の寝台特急に「月光」、京都発西鹿児島行きの電車寝台特急に「きりしま」と、方面別、車両別に愛称の棲み分けがされていました。「明星」に関しては、新大阪~熊本間の電車寝台特急となっていますが、これだけで4往復も設定されていたと言うのも、今となっては信じられない話です。昭和50年3月の改正により、「あかつき」が長崎・佐世保行きに限定され、西鹿児島行きの客車列車も「明星」に統合されたため、熊本行きの電車寝台も含めて7往復の大所帯に成長します。ちなみに、このときに「月光」は廃止、「きりしま」は「なは」に名称が変更されています。過去ログ『カニ24100番台:寝台特急「明星」』で客車寝台の「明星」をご紹介しておりますが、今回は581系・583系「明星」の写真をご紹介いたします。昭和54年3月 新大阪駅?にて九州へ行く際、新大阪で乗り継ぎの合間に撮影したものだと思われます。初めて見る「明星」のイラストヘッドマークに非常に違和感を覚えました。寝台特急でも、電車版についてはデザイン化されたことがなかったことが要因でしょう。昭和57年10月6日 新大阪駅にて山口線、小野田線などを撮影した帰り、この「明星」に乗って新大阪まで来ました。職割でグリーン車を予約していましたが、車掌氏の計らいで寝台を使用させていただくことにより、大変助かったことを今でも忘れません。確か4号車4番中段という、あまり売られたくないような番号でしたね(笑)。珍しく横サボも記録してありました。このシーンは最後まで昭和の雰囲気を持っていました。「明星」に関しては、昭和49年に大阪駅で文字マーク時代のものを撮影していましたが、ネガを紛失し、さらに写真も見当たらなくなってしまって大変残念です。もし見つかったらここに追記しようと思います。583系に関しては、やはり夜行列車の雰囲気を醸し出す蛍光色の文字マークの方が好みです。
2023.06.13
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国鉄 ED75形電気機関車:ED75501北海道初の交流電化用として昭和41年9月30日に誕生したED75501。極耐寒型ED75として試用されたのち、それらの性能は量産型のED76500番台に引き継がれました。北海道ではまだ旧型客車が主力であり、蒸気暖房装置が必要であったことから、暖房装置を持たないED75501の使用場面はかなり限定されていたそうであり、現役時代に北海道に訪問したことはありましたが、実物を見たことはありませんでした。昭和61年に引退後、北海道鉄道記念館で保存され、現小樽市総合博物館に引き継がれ保存されてきましたが、令和5年8月を目途に解体処分される方針であることが発表されました。「準鉄道記念物」の保存車両が解体へ 今週一週間の鉄道ニュース原因は同機に搭載されている変圧器にPCBが使用されていることのようです。PCBに関してはその有害性が認められてから使用が禁止され、機器交換が義務付けられてきましたが、処分方法が確立していなかったため、発生したPCB製品に関しては使用者に対して厳重な管理が義務化されました。私も一時期配置された事務所(もう20年位前)に大量のPCB製品が保管されていたこともありました。特に、昨年度は我社のいくつかの事務所からPCB処分に関する委託契約の支払が出て来たことを知っていますので、全国数か所あるPCB処理施設の受け入れ態勢が本格的に稼働するようになったのではないかということは感じていました。北海道鉄道記念館 ED75 501にて実車には会ったことのなかった501号機でしたが、実兄が北海道ツーリングに行った際に撮影した写真をもらっていました。記憶は定かではありませんが、私がまだ結婚する前だったと思いますので、平成初期頃、保存されて間もないことではないかと思われます。写真のアングルがアレですが、テツではない実兄にはこんな感じでしょう。展示方法も現在とは全然違っており、これはこれで貴重な記録であると思います。
2023.06.12
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485系リゾートやまどり:団体列車令和4年12月の運用をもって引退となった「リゾートやまどり」。姿かたちは違えど、最後の485系となっていました。過去ログで数々の充当臨時列車をご紹介してきましたが、時刻表に載らない団体列車について加工画像を失っていることが判り、今回、元データから再加工しました。ヘッドマークも表示されない列車ですが、今回のこのテーマをもって締めにしたいと思います。平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 9435M常磐線の「スーパーひたち」「フレッシュひたち」を撮影に行った際、ノーマークだった列車を偶然捉えました。平成26年8月16日 回9833M 「直通列車で行く諏訪湖花火大会」 返却回送こちらは地元で。電光式に変わってヘッドマーク掲出の期待も無くなり、フツーの団体列車の写真をわざわざ撮りに行くことはありませんでした。
2023.06.11
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485系クロ481ー2000番台:特急「雷鳥」特急「雷鳥」は、昭和39年10月の改正において、東海道新幹線の開通とともに誕生した特急列車です。特急列車としては初となる、交直両用型の481系が使用された、当時としても画期的な列車でした。ここでの成功は、東北本線への電車特急の誕生、山陽から九州への乗り入れの速達化に貢献しました。民営化後の平成元年に「スーパー雷鳥」が誕生し、これに合わせてパノラマ形グリーン車も同時に誕生しています。「スーパー雷鳥」の「サンダーバード」化に伴い、一旦はパノラマ形グリーン車の運用が外れ「しらさぎ」に転用されることとなりますが、それほど活躍する期間もないうちに「しらさぎ」が681系化され、パノラマ形グリーン車は国鉄色となって再び「雷鳥」として活躍することになりました。※撮影は、全て平成20年4月22日です。今庄~南今庄間にて クロ481-2003 「雷鳥12号」南今庄駅にて クロ481-2004 「雷鳥5号」 南今庄駅にて クロ481-2002 「雷鳥9号」新疋田駅にて クロ481-2005 「雷鳥17号」福井駅にて クロ481-2002 「雷鳥30号」加賀温泉駅にて クロ481-2004 「雷鳥38号」金沢駅にて クロ481-2003 「雷鳥48号」-2001~2005は、すべてサロ489からの改造車。他にサハ481から改造された-2101がおり、他がグリーン車改造の小窓に対し大きな窓となっていたため形態が大きく異なっていましたが、残念ながら会うことはできませんでした。
2023.06.10
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名古屋鉄道:3880系飯田線と一部区間で線路を共用している名鉄で、旧国時代に接する機会は多くありましたが、まだ飯田線にのめり込む前、1度だけ名古屋鉄道に接する機会がありました。若い世代には想像も付かない時代。東海道本線名古屋~岐阜間ではキハ82系「ひだ」や485系「しらさぎ」が当たり前に走り、普通列車は153系、貨物列車ではEH10も最後の活躍をしていました。初めて下車した木曽川付近では名鉄が並走していました。しかし、フィルムの貴重な高校時代、名鉄電車にはなんの興味も示していませんでした。そんな時代、2コマだけ名鉄を撮影したものがあります。※撮影は、昭和55年8月、木曽川堤~黒田間にて。名古屋鉄道 モ3880形ほか3連撮影現場へ歩いている最中、並走する名鉄本線に鳴り響くツリカケ音。古い電車が走ってきました。首都圏でもまだ吊り掛け式電車が最期の活躍をしていた時代で、それほど珍しいものでもなかったかもしれませんが、あまりにも外見の古い電車だったので、反射的に撮ってしまったようです。リバーサルからスキャンしてみました。ナンバーの大きな名鉄ですが、あまり鮮明ではなくはっきりとは判りません。そんなこともあって整理せずに10年以上も放置していた画像。この度やっとその素性が判明しました。名鉄3880系電車で、モ3880+モ3880+ク2880の3連のようです。しかもこの電車、元東急目蒲線を走っていた電車で、昭和50年頃に名鉄に譲渡されたようなのです。確かに、良く見ると東急電車の面影が見えます。1両目と2両目のドア窓の形状が違うので別形式だとばかり思っていましたが、ここは個体差のようです。大手私鉄同士の車両譲渡は大変珍しく、当時も大きな話題となったそうです。ただ、当時は東急も名鉄もまったく興味が無かったので、今回の調査で初めてわかりました。咄嗟に撮った写真で構図も良くなく、資料写真としては何にも役に立ちませんが、こんな古い電車が名鉄本線を走っていた、一つの物語として私の脳裏に焼き付いています。
2023.06.09
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485系 K60編成:急行「横浜ベイエリア」平成21年、横浜ディスティネーションキャンペーンの一環として、常磐線いわき~鎌倉間に急行「横浜ベイエリア」号が運転されました。使用車両は勝田区のK60編成で、武蔵野線・高島線・根岸線経由で運転されています。平成21年7月4日 9:07 南浦和駅にて 急行「横浜ベイエリア」せっかく大きなイベントであったにもかかわらず、ヘッドマークは「臨時」幕で非常にガッカリしました。※同列車は、翌週7月11日にも設定されました。
2023.06.08
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「みちのくSLギャラクシー」展示会:車内編前回の『「みちのくSLギャラクシー」展示会:車両編』の続きです。※本記事は、2014-03-12に投稿したもので、当時の表現になっています。今回の展示では、車内も開放されました。入口からしてとてもキハとか50系のイメージは全くなく、かなりお金をかけたな、という感じ。観光列車にはふさわしいものでした。車内に関しては、「団体列車」として捉えるべきものではありませんが、今回は一連の記事として「みちのくSLギャラクシー」で整理することにします。※撮影は、平成26年3月9日、尾久車両センターにて。1号車:キハ142-701今回の目玉はなんと言ってもD51498との組み合わせ。今後はこういう機会も殆どないことでしょう。運転台はそのまま残っています。各車両ともデッキに近い部分或いはデッキを潰した場所に宮沢賢治関連の展示スペースが設けてあり、その面積はかなりの広さになります。1号車には何とミニプラネタリウムがあります。真っ暗で足元は見えません。この画像、なんと5秒の露出。良くぞ手持ちで写ったもんだ。入り掛けの1号車では、あまりにも珍しいインテリアの車内に記念写真を撮る人が多く、大渋滞となってしまいます。座席のピッチは50系のままなので、身長180以上の私と金町のHさんが座ったら、膝をごっちんこしてしまいました。かなり窮屈です。2号車:キサハ144-702こちらは座席主体の構造って感じですかね。両端のキハよりも座席数が多いようです。あまり変わりのないインテリアに、足を止める人が居ません。こちらももちろん展示スペース。大体の車両が両端に展示スペースを設けているようです。身障者対応ではないトイレが設置されています。3号車:キサハ144-701展示物は各車両とももちろん違います。車内はほとんど同じ構造ですが、3号車にはトイレがありません。4号車:キハ143-7014号車はほとんどの面積がロビーになっていて、ボックス座席もほんのわずかです。ここには身障者対応の広いトイレが設置されています。運転台はこちらもほとんど変わらず。客車として使用の時は半室展望台として開放するのかもしれません。後で気が付いたのですが、1号車以外は1デッキ化されていました。編成全体でもかなり定員は少なめですし、元々のデッキも広めですから、それで十分なのかもしれません。こんな組み合わせが見られることもないのでしょうね。「SL銀河」編成は、この展示の翌日、3月10日に盛岡に向け回送されていきました。※回送は、全区間ともEF510-510が牽引しています。
2023.06.07
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「みちのくSLギャラクシー」展示会:車両編釜石線で運転されていたSL列車「SL銀河」ですが、令和5年6月4日をもって運行を終了してしまいました。なんでも、C58の老朽化ではなく、JR北海道から購入したキハ143系の老朽化ということです。元々JR東日本にはない形式なので、部品取り等のメンテが厳しいのでしょう。現地にはとうとう行くことが叶いませんでしたが、1度だけ上京した時に撮影した写真がありますのでご紹介したいと思います。※本記事は、2014-03-10に投稿したもので、当時の表現になっています。フジテレビ企画の「みちのくSLギャラクシー」運転日の翌日、尾久車両センターにおいて展示会が行われました。1日に4回の実施で、参加料も8千円とやや高額。ただ、お土産があるということで帳尻を合わせているのでしょう。第4回目の実施は招待状持参者のみ参加ということで、上野や地元関連の方を無料招待としています。1枚の招待状で2名までが参加でき、見た限り200名くらいは居たように見えました。毎年恒例のふれあいフェスタぐらいでしか入ったことがありませんので、金町のHさんには大変貴重な機会をいただきました。今回はD51498と連結された「みちのくSLギャラクシー」としての写真及び関東ではまず今後見ることのないであろうキハ143編成の外観を中心に並べてみます。※撮影は、平成26年3月9日、尾久車両センターにて。D51498+キハ141系残念ながら火は落としてありますが、回送の都合、経費の節減、近隣への環境の配慮等、様々な事情があるのでしょう。火がない分、逆に近寄ることが可能でもあります。キハ142-701キサハ144-702キサハ144-701キハ143-701JR北海道から購入して実現した補機機能付き客車?またの名をキハ143。編成全体にグラデーションを施しているので、先頭と後尾ではかなり色が違います。いつもは架線の無い群線にEL留めて不自然さ爆発ですが、今回の展示では架線が無いことによって、まるで現地で撮っているかのような演出となりました。北海道に11回も行っていながら、キハ143系の写真は1度も撮ったことがありません。もちろん、訪問した時代の違いがあるわけですが・・・。青空にマッチしたキハ143-701を見ていたら、何故か北海道を感じ取りました。キハ143-701の台車手前のキハ143-701の台車だけボルスタレスなんですね。金町のHさんに言われるまで気がつきませんでした。各車両の車体に描かれた星座も見応えがあります。これはステッカーではなく、ステンレス板?をネジ止めしているようで、立体感が非常に出ています。エンブレムで光と戯れてみる。今後の活躍が楽しみですね。次回、車内も撮ってみましたので、説明はできませんがざっとご紹介する予定です。
2023.06.06
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117系:新快速・快速JR西日本管内のことなので把握していなかったのですが、117系が定期運用から引退となっていたようです。昭和55年1月に「新快速」用として誕生した117系。それまで新快速色の153系によって運転されていた新快速ですが、ここにきて新車が導入されることになりました。両開き2ドア車で新幹線0系と同様の転換クロスシートを備えた、当時としては非常にグレードの高いアコモデーションで注目されました。同時期に製造が始まった特急形185系と同程度であったため、良く比較対象とされたものです。昭和55年8月 京都駅にて 117系「新快速」昭和55年8月 神足(現長岡京)~山崎間にて 117系「新快速」昭和55年8月 京都駅にて 117系「快速」新鋭117系の「新快速」と共通で使用されていた快速の写真を撮っていました。キハ181系「やくも」の写真を撮りに行くため、大垣夜行と山陰夜行「山陰」を乗り継ぐ途中で寄り道したものです。本当は153系の「新快速」を撮りたかったのですが、前月の7月で引退してしまったようで、再会はできませんでした。新車は興味がなかったので、あまり写欲は湧かない車両でしたが、ふて腐れずに撮っておいて良かったです。
2023.06.05
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キハ27:快速「ミッドナイト」快速「ミッドナイト」号は、函館~札幌間を函館・室蘭・千歳線経由で結んでいた夜行列車です。かつて夜行列車が全盛だった時代、函館~札幌間には、室蘭・千歳線経由の急行「すずらん」と函館山線経由の普通列車「43列車」があり、貧乏旅行をする高校・大学生の札幌へのアプローチ列車として重宝されていました。その後、ご多聞にもれず夜行列車は衰退し、43列車は廃止、「すずらん」の季節列車への格下げで、北海道・札幌へのアプローチは飛行機へとシフトしていくことになります。一旦は消滅してしまったと思えた同区間の夜行列車でしたが、青函トンネルの開通により急行「はまなす」が夜行急行として誕生し、さらにまもなくしてこの快速「ミッドナイト」が設定されることになりました。これは、同区間の夜行列車が手薄になったものの、深夜バスの需要がかなりあったらしく、旅客争奪戦の作戦として仕立てられてたようです。これは、東京~新潟を結んでいる快速「ムーンライト」と同様の成り立ちと言えます。平成元年6月28日 札幌駅にて キハ27使用の快速「ミッドナイト」写真は、札幌に到着し、北海道の交流電車の始祖「711系」と顔を並べた「ミッドナイト」。キハ27を改造し、内装をカーペット車+グリーン座席に改造・グレードアップを図りました。カーペット車は、1人当たりの面積が狭く、通路部に寝てしまうヤツが居たり、寝相が悪いヤツが居たりと、「もう2度と乗ってやるか!」みたいな怒りを覚えました。一方の座席車は、グリーン座席なので座席そのものは良いんですが、通路から少しかさ上げした座席部の取り付けがあまり頑丈ではないためか、少しでも身体が動くとグラグラ揺れるような、やはりあまり良い印象はありませんでした。「ミッドナイト」は、多客期にはキハ56系やキハ22、お座敷のキロ29などを増結し、青春18組にも多く利用されたようですが、急行型気動車の老朽化・夜行需要の低下等により、キハ183系化・季節列車化を経て、平成14年に廃止されてしまいました。
2023.06.04
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西日本鉄道:8000形特急電車西日本鉄道8000形は、平成元年3月10日に営業運転を開始した特急形電車です。それまで特急仕業にあたっていた2000形と交代するために誕生した車両ですが、個人的には2000形のインパクトが非常に強く、8000形の存在はそれほど意識したことがありませんでした。九州へは人生でも3度訪れたことがあるだけ。基本的に国鉄(JR)ばかりのイメージしかなく、西鉄というのはまったく縁のない鉄道でしたが、平成24年、平成になって初めて九州を訪れる機会があり、撮影はJRでしたが、至近を走る西鉄に乗る機会がありました。平成24年9月22日 西鉄二日市駅にて桜台駅から普通列車に乗車し、西鉄二日市駅から特急に乗り換えます。ここで駅撮りだけしておき、そのまま乗車しました。その後の撮影は貝塚線へ抜けてしまったため、撮影する機会はありませんでした。6編成が誕生した8000形は、平成27年から徐々に運用離脱が始まり、平成29年10月15日のさよなら運転をもって運用を終了しました。全く縁のなかった私鉄の特急車両ですが、わずかな時間でありながら乗車し、記録することもでき、貴重な機会となりました。
2023.06.03
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489系:急行「能登」過去ログで旧型客車時代の急行「能登」をご紹介いたしました。その後、14系化された急行「能登」は信越本線経由で急行「越前」を乗っ取る形で運転されましたが、平成5年3月、車両の老朽化などがネックとなったようで、489系化により寝台車の連結が解消されることになります。さらに、信越本線経由であった489系「能登」は、平成9年10月改正で碓氷峠の廃止されたことに伴い、本来の経路であった上越線経由に戻ることになります。それから永きに渡って489系による運転が続けられ、全国でも唯一残存していたボンネット型の車両としても注目を集めていましたが、平成22年3月、車両の老朽化と乗車率の低迷を理由に惜しまれつつも廃止されてしまいました。489系「能登」が走り始めた頃は全然写真を撮ることもなく、デジカメを購入してやっと撮るようになったものの、あまり成果のないうちに廃止になってしまいました。平成19年6月17日初めて撮影した「能登」でしたが、デジカメの性能に慣れておらず、ブレてしまいました。平成20年4月22日 金沢駅にて485系「雷鳥」の終焉を前に、北陸まで遠征に行ったときに撮影したもの。特急「北越」との並びのシーンも思い出。平成20年5月18日浦和駅高架化工事のために貨物線経由で運転された上り「能登」。貴重なシチュエーションの一発勝負写真が、私が撮った中で一番良かったのはなんとも皮肉なもんです。平成21年5月5日陽の高い良い季節であるにもかかわらず、天気が良くなくてシャッタースピードが稼げないことが多かったように思います。平成21年5月23日こちらもこの角度なのにブレちゃってます。平成21年8月16日朝は常に先頭が500番台側になってしまうので、たまには0番台側も・・・しかし、やっぱりブレちゃいます。平成22年2月19日プレスで廃止がアナウンスされたのは21年11月くらいだったですかね。しかも3月に廃止では、早朝の「能登」を撮影するなんて無理な話。それでも最後のボンネット車を記録したくて、真っ暗で寒い中で撮影に挑んだものです。でも、所詮は叶わぬ状況でしたね。489系ボンネット型使用の「能登」は廃止となりましたが、臨時化されて残存することとなった急行「能登」。その臨時急行も平成23年冬臨を最後に設定がなくなり、このまま復活することはありませんでした。
2023.06.02
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旧型国電 飯田線:クハユニ56 10番台クハユニ56は、晩年に飯田線で活躍した郵便・荷物・三等客車の合造車です。元は首都圏で活躍していた「クハニ67」という荷物・普通合造制御車を郵便室付きに改造してクハユニとしたものが0番台とされ、「モハユニ64」という荷物・郵便・普通合造電動車を未電装のまま制御車化してクハユニにしたものが10番台を名乗っていました。クハユニ56の0番台は、元荷物室だけであったため、片側2つの荷物扉が両方とも大型になっているのに対し、10番台は郵袋の出し入れ用に作られていたため、初めから二つ目の扉が小さくなっていたのが特徴です。クハユニ56011・012は、昭和18年に51系の郵便荷物合造車モハユニ61として誕生しましたが、第二次世界大戦の最中ということもあり、電装されないままモハユニ61として使用されていました。3両のうちの1両は翌年に電装されましたが、残る2両は未電装のまま終戦を迎え、昭和27年に飯田線に転出以来、廃車となるまで電装されることはありませんでした。なお、飯田線に転出した際、便所の設置などの改造工事と共に、クハユニ56に編入されています。昭和56年11月23日 伊那松島駅にて正面がちの写真で車番も判らなかったのですが、011と012は運転席窓の上下が大きく違い、ワイパーの取付位置が下か上かで大きく違うことが分かりました。上辺からワイパーが下りているのが011のようです。昭和58年6月6日 沢渡~赤木間にて クハユニ56011ほか当時、偶然に出くわし大変気に入った場所で、2回も行ったことがあります。場所を正確に覚えていなかったのですが、今ではJR最急勾配らしく、有名な場所になっているようです。カメラトラブルでお蔵入りになったモノクロネガだったのですが、何とか修復して陽の目を見ることができました。昭和56年11月22日 撮影場所不明 クハユニ56012ほか昭和58年4月18日 撮影場所不明こちらの2枚はいずれも012で、ワイパーが下から立ち上がっているのが判ります。形態は電動車化されたクモハユニ64とまったく同形態ですが、モハユニとして生まれながらも、一度も電動車化されることなく終わった2両。ある意味、戦争の申し子と言われるような車両です。旧型国電 飯田線:クハユニ56 0番台
2023.06.01
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