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東武鉄道 伊勢崎線:8000系東武鉄道の標準型通勤電車として長きにわたって活躍を続けている8000系。そろそろ終焉か?と思われますが、野田線や支線での活躍はまだ続いています。それでも本線系統では殆どが撤退となり、かつてのような8連や10連といった編成を見ることはできなくなってしまいました。本線の通勤型の殆どが8000系だった頃、塗装が新色となり、またリニューアルされた車両も見られる時代がありました。この時代はまずメジャー過ぎる8000系など興味もありませんでしたが、急行「りょうもう」が終焉を迎える頃、ついでに撮った8000系の写真が数枚ありました。※撮影は、平成2年6月24日、加須~羽生間にて。8144844784??8116全て8000系6連で、4連+2連の編成が多いようです。リニューアルも実施されるようになったばかりみたいで、まだまだ未更新車ばかり、平成20年代しか知らない若者には羨ましがられる時代だったかもしれません。セイジクリーム一色だった時代も私にとっては興味を失ったきっかけになってしまいましたが、この塗装変更やリニューアルもまた、写欲を失うきっかけだったと思います。デジタル時代になって、機会があれば東上線や野田線などの8000系を撮りましたが、オリジナル形態もなくなり、わざわざ撮影に行く意欲も残っていません。
2023.04.30
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JR四国 2000系:特急「南風」2000系 リバイバル南風号(ツアー)「しおかぜ」と共に四国の老舗特急である「南風」。特急「南風」は、昭和47年にキハ181系により運転が開始され、民営化後の平成2年からは振り子式2000系が使用されてきました。特急列車の新性能化を担ってきた2000系も後継車の登場で衰退がはじまり、メインルートの一つである土讃線では令和3年3月のダイヤ改正で2000系が撤退し、2700系に車種統一が図られることとなりました。個人的に四国上陸は生涯1度のみ。国鉄時代には興味もありましたが、なかなか訪問する機会に恵まれず。四国のキハ181系には1度も会ったことはありません。※撮影は、平成22年7月25日、岡山駅にて。2000系 特急「南風11号」初めて四国を訪れた際、瀬戸大橋を乗り鉄するために岡山へも足を運びました。その際、偶然に岡山駅で捉えた特急「南風」で、見つけた2分後には発車してしまったため、この2コマのみ。しかし、その中でも前後の違う形態の写真を撮ることができたのはラッキーでした。縁がない地域のため、再訪する機会はなさそうです。
2023.04.29
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113系(関西色・阪和色):紀勢本線紀勢本線は、昭和53年10月に和歌山~新宮間が電化されましたが、当初は特急「くろしお」のみが電化され、急行「きのくに」や普通列車は電車化できずにDCのままでした。置き換えによって発生した電車が押し出しで紀勢本線にも使用されるようになり、とりあえず普通列車には113系や165系が使われるようになります。紀勢本線の電化区間へは1度だけしか撮影に行ったことがありませんが、その際に113系も3カットほど撮っていたのでご紹介いたします。全部プリントからのスキャンですので、画像がガチガチな点はご了承ください。※撮影は、昭和59年7月6日です。周参見~見老津間にてクハ111はグローブ型ベンチレータの初期車です。1個目が箱型なのは?白浜~朝来間にて下の写真はどちらかが阪和色で、もう一方が関西色だったと記憶していますが、モノクロの印象がどちらも変わらないので分からなくなってしまいました。こういう写真こそはきちんとカラーで使い分けるべきだったなと思います。上の写真は先頭車のみ押し込み型ベンチレータの冷改車、それ以外はグロベン型初期車の冷改車、下の写真はオール初期車の冷改車のようです。113系阪和色はこの時以外に撮影しておらず、カラーで撮らなかったのが本当に惜しまれます。
2023.04.28
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EF651030牽引:ジョイフルトレイン「オリエントサルーン」「オリエントサルーン」は、国鉄分割民営化直前の昭和62年1月に誕生したジョイフルトレインで、種車は12系客車です。分類上はお座敷客車ですが、内装は座敷構造としながらも絨毯敷きになっていたようで、いわゆる和洋折衷客車だったそうです。当時、ジョイフルトレインの配置が無かった仙台地区ですが、民営化前の旅客獲得を目指した国鉄の政策から各地でジョイフルトレインが誕生し、ここに「オリエントサルーン」が配置されました。運用範囲が仙台を中心とした東北地区であったため、なかなか東京に姿を見せる機会が少ない車両でした。昭和63年1月3日 栗橋~東鷲宮間にて EF651030牽引 「オリエントサルーン」珍しく東北本線を上ってきた「オリエントサルーン」。確かこの時はわざわざこの列車を撮るために撮影に行ったように記憶しています。せっかくの撮影だったのですが、あまりにもゆっくり走ってきた「オリエントサルーン」のシャッターチャンスに、背後から特急「あいづ」に襲われました。ギリギリまで引っ張って撮ったのがこの写真です。なかなか撮影できなかった「オリエントサルーン」ですが、磐越西線へD51を撮りに行った際に撮ったことがありました。その写真は、過去ログ『ED77牽引:ジョイフルトレイン「オリエントサルーン」』でご紹介済みです。客車の老朽化と言いますが、おそらくは内装の陳腐化と客車淘汰のため、平成12年11月に廃車となりました。[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1239 583系 3両増結セットKATO Nゲージ 583系 3両増結セット 鉄道模型 10-123910-1239 583系 特急形寝台電車 3両増結セット(再販)[KATO]《発売済・在庫品》
2023.04.27
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EF58122牽引:お座敷列車「白樺」昭和58年、長野鉄道管理局に初めてお座敷列車が配置されました。12系余剰客車を種車とするお座敷改造が進み、長野(長ナノ)にもこれに漏れず導入されることになった訳ですが、それまで種車のイメージのまま竣工するものばかりであった中、クリーム地に黄緑色という、まるで電車のような配色に度肝を抜かれたものです。また、スロフの一部窓を固定化しサロン室を設けるなど、その後のジョイフルトレインの個性化に与えた最初の例と言えるでしょう。昭和60年5月頃 与野駅にて EF58122牽引 12系お座敷「白樺」当時は、塗色変更による一新化を毛嫌いした私ですが、12系お座敷列車の中でも、この長野車だけは大変お気に入りの存在でした。しかし、EF58の撤退後、いわゆるジョイフルトレインを追いかけているような暇も無く、その後黄緑がやや薄暗い色に塗色変更され、さらには秩父の12系のようなダークグリーンとなり、そのインパクトのある個性的な印象が薄れてしまいました。そんなこともあって、これ以降同車の写真を撮っていないようでした。フィルムチェックもしていますが、これ以外の画像は出てきません。お気に入りの塗色だっただけに、カラーで撮っていなかったのが非常に残念です。
2023.04.26
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581系・583系:特急「雷鳥」特急「雷鳥」は、昭和39年10月の改正において、東海道新幹線の開通とともに誕生した特急列車です。特急列車としては初となる、交直両用型の481系が使用された、当時としても画期的な列車でした。ここでの成功は、東北本線への電車特急の誕生、山陽から九州への乗り入れの速達化に貢献しました。昭和53年10月改正より、予てから余剰となっていた583系を「雷鳥」に使用することになりました。通常、583系はその車両の特性から、夜行列車と昼行列車を連続した効率の良い運用が持たれますが、「雷鳥」の運用に限っては昼行のみの運用となっており、臨時急行への間合い(又は予備)を除いては、極めて稀なケースとして特筆されます。昭和54年3月27日 大阪駅にて九州旅行の帰り道、夜行の乗り継ぎで立ち寄った際に逢った初めての583系「雷鳥」。当時はそのことを良く知らなかったもので、驚きと喜びを隠せませんでした。開閉型のタイフォンを持つクハネ581は、元東北特急「はつかり」誕生時に製造され、クハネ583の誕生とともに西へと異動した車両です。昭和55年8月 大阪駅にて昭和55年8月 東海道本線 神足(現長岡京)~山崎間にてキハ181系「やくも」の撮影行に際して立ち寄ったときの写真。2枚しか撮っていませんが、4往復設定されていた頃なので、出逢う確率が高かったようですね。開放型タイフォンの形状は2種類あり、大阪駅での写真の方はタイフォンの周りにもう一つの輪(枠?)が付いているタイプ、下の走行写真の方は面一のスッキリした形状となっています。昭和57年8月8日 富山駅にて多分、最後に会った583系「雷鳥」です。後追い撮影で、最後尾は1枚目の写真と同じクハ581の元東北特急仕様の車両です。ブレてしまっているのが残念。左側に写っているEF701000番台も懐かしい。583系「雷鳥」は、昭和60年3月の改正により定期運用が消滅することとなりますが、臨時列車としてはその後も暫く活躍していたようです。
2023.04.25
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101系1000番台:武蔵野線武蔵野線は、厳密に言いますと東海道本線の鶴見~府中本町~南浦和~新松戸~総武本線の西船橋までを結ぶ本線と、大宮操車場を結ぶ支線(西浦和及び武蔵浦和を結ぶ路線)、さらに南流山から北小金及び馬橋を結ぶ連絡路線、新小平から国立を結ぶ路線すべてを含んでいます。ただし、ここでは一般的には貨物専用線を含まない、府中本町~西船橋ということで整理しておきます。昭和48年4月1日、府中本町~新松戸間が開業しました。運転当初から接続駅を除き、自動改札が国鉄で初めて登場したことでも知られています。武蔵野線では、騒音防止のために「新秋津~新小平~西国分寺」間に設けられた長大な隧道(トンネル)を走らせるため、列車火災防止のための難燃化対策(A基準)を施した車輌を用意する必要がありました。それが101系1000番台で、全車とも改造により誕生しています。首都圏を走る101系の中では特異たる存在のため、武蔵野線の専用車輌ということができると思います。開業以来、その特殊性から長らく同系が頑張っておりましたが、寄る年並みには勝てず、103系や青梅・五日市線との共通運用の201系に後を譲り、引退しています。当時、あまり通勤型の写真は撮っていなかったので、残っている写真はほんのわずかですが、今日はその中から2枚をアップいたします。昭和56年5月 府中本町駅にて セミ判(6×4.5)の試運転のとき、南武線の撮影の帰り道に撮ったものです。そろそろ101系の存在が貴重になっていた頃なので、駅撮りではありますが取り敢えず撮っておいたのだと思います。セミ判でもあり2L判のプリントでも非常にシャープに写っていますので、返ってくたびれた前面の外板の状態がハッキリと写ってしまい、痛々しく感じます。昭和60年4月14日 南流山駅にて昭和60年につくばで開催された、科学技術博覧会の開催記念運転で運行される快速「奥久慈」号に使用されるC56160の回送を撮りに行ったときに撮影したものです。ある意味暇つぶしで撮ったようなものですが、武蔵野線の写真もほとんど撮ったことがありませんでしたので、貴重な写真になってしまいました。武蔵野線が開業した当初(府中本町~新松戸間)、電車が空いていたので良く往復して遊んでいました。今でこそ8分おき程度に運行されておりますが、開業当初は1時間20分も間隔の開く時間もあり、行った先からなかなか帰ってこれなくなることもありました。今となっては遠い思い出になってしまいました。
2023.04.24
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185系OM車:特急「草津」(その2)(その1)からの続きで、185系OM車を使用した特急「草津」のスカート換装後の姿を集めてみます。平成22年10月16日 「草津31号」平成22年12月23日 「草津32号」スカートが大型のものに換装され、顔付きがゴツくなりました。31・32号は、引き続き7連の単独編成で運転されています。平成23年2月11日 「草津3号・水上3号」雪の中を行く14連。平成22年12月改正において、乗車率が良くないことを理由として特急「水上」が土休のみ運転する臨時列車に格下げされました。ただし、撮影は土日が殆どですので、あまり変化があったようには思えませんでした。平成23年6月28日 「草津4号」平成24年3月16日 「草津3号」写真はいずれも14連ですが、平日に撮影したものであり、「草津」の単独編成となります。14連のうち上野方の1~7号車は新前橋回転車となっています。どう考えても過剰供給であり、この写真を撮った翌日の改正で「草津」の14連運用はすべて解消されることになります。平成25年5月3日 「草津3号」平成26年1月3日 「草津3号」7連化された185系OM車最後の姿。こうしてみると、この間のわずか3年ほどの変化は、スカートが換装されたことも含め、めまぐるしい動きであったことが見て取れます。ここに来て651系化されることになりました。今回のご紹介で割愛したOM03湘南色及びOM08157系色については、別途集めてご紹介したいと思います。
2023.04.23
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旧型国電 72系・73系:可部線可部線は、広島駅の1つとなりにある横川(よこがわ)駅から分岐して蛇行しながら山陰の山奥へと向かうローカル線です。三段峡駅まで60.2kmに及ぶ比較的長い距離を結んでいました。同線の特徴は、途中の14km地点にある可部駅までは都市近郊型の直流電化路線、その先は非電化のローカル線と2つの顔を持つ路線で、関東や東北ではあまり見ることの出来ない形態をしていました。※福塩線辺りは類似していると言えるかもしれません。電化区間である可部線には、古くは17mの戦前型国電が走り、それらを淘汰した際に72系・73系の20m車が配置されています。塗装は広島地区独特の塗装で、仙石線同様のウグイス色(山手線と同じ。)が用いられていましたが、仙石線とは違い、面積の広いオレンジ色の警戒色が塗られているという特徴がありました。ある意味、この塗装が可部線の72系・73系を不人気にしていた感も否めません。ちなみに、この塗装は同じ広島地区の呉線の普通列車に端を発するデザインで、車両も共通のようです。可部線にはクモハ73001のトップナンバー車も居ました。普通、旧型国電は000番から番号が始まるのですが、72系は001から付番されたようです。しかもレアな海田市行きのサボ。可部線が主体なのか山陽本線が主体なのか意味不明の表示です。昭和57年10月4日 上八木~中島間にて撮影地も良く分からないので、取り敢えず乗車してロケハンを実施。降りたのがこの区間でした。確か、この編成の先頭がクモハ73001だったような記憶です。昭和57年10月4日 横川駅にてこれらが初めて可部線を訪れた時に撮った写真です。車両は72系で、クモハ73+クハ79の2連のみ。乗客の多い時間帯は2×2の4連で運行され、朝夕の通勤・通学時間帯は広島駅まで乗り入れを行っていました。また、一部の列車は海田市駅までの乗り入れていました。こうした運行形態は、当時やはり73系で運転されていた富山港線と酷似していました。ただ、車両形態のバリエーションで言うと、可部線のほうがやや面白みはあったかもしれません。昭和59年2月10日 可部線 横川駅にてこれは2度目に同線を訪れた時に撮った写真。宮島へ行く途中、広島で寝台列車を降り、早朝なので1駅寄り道をして撮りました。テツじゃない職場の同僚との旅行だったので、深入りせずに記念撮影的に。なぜわざわざ寄ったかというと、昭和57年の撮影のときに便所付きクハ79の写真を撮り損なっていたので、どうしても撮りたかったんです。そしたら、幸運にも1発目に来た4両編成の最後部に便所付きクハ79が連結されていました。この可部線の72系は、最後に撮影した昭和59年に105系に置き換えられてしまい、この時点で極特殊な線区を除き旧型国電は全国的に淘汰されてしまいました。ウグイス色の旧型国電も、この可部線が最後の運行線区となっています。
2023.04.22
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185系OM車:特急「草津」(その1)特急「草津」は、上越新幹線の開業にあたって誕生した新特急で、新幹線が通過となる在来線の利便性確保のために設定されました。元は急行列車の格上げであり、スピードもさほど変わらず、体の良い値上げと言われたものです。誕生当時はそれまで臨時特急として運転されていた「白根」を名乗っていましたが、急行「草津」が新特急への格上げに伴って廃止となった際、新特急に「草津」を用いることになったものです。良くは知りませんが、政治的発想のように思います。さらに、新特急の制度が無くなり、特急「草津」となりました。平成22年頃から強化を目的としてスカートを換装したため、顔の表情が変わっています。「草津」に関しては写真の枚数が多いため、区切りの良いところでスカート換装前の写真を並べてみます。平成20年7月18日 「草津1号」「水上1号」この頃は上野7:30発の「草津1号」がありました。定期はすべてが14連で、新前橋で解結が行われています。211系に正しくカブられた写真ですが、今となっては貴重なシーンで、このシチュエーションもまもなく見納めになります。平成20年5月18日 「草津1号」「水上1号」こちらも同じく早朝の「草津1号」です。これは同列車を撮影するためではなく、浦和駅高架化工事による京浜東北線の折り返し運転が行われた際、北浦和駅の様子を撮影したもの。北浦和~南浦和間は線路が閉鎖され、京浜東北線は北行・南行に1編成ずつが封じ込められ、単線折り返し運転が実施されました。工事に関係のない本線及び貨物線は、いつもどおりのスピードで駆け抜けていきました。平成21年12月20日 「草津5号」「水上5号」こちらはさらに浦和駅高架化工事が進捗し、本線が閉鎖されたために本線系列車が川口~大宮間において貨物線を経由して運転された日。優等列車も早朝から夕方までの列車が貨物線迂回となり、このように普段は貨物線を通ることのない185系7+7の14連が貨物線を走るという、珍しい現象が起きました。これじゃスカートがどうのこうのは・・・平成21年9月20日 「草津31号」「草津白根」として走っていた全車指定席の特急は、自由席を設けて「草津31・32号」に名称が変わりました。定期は全部の「草津」が「水上」と併結の14連であるため、コンパクトな印象の列車でした。平成21年12月27日 「草津31号」こちらも「草津31号」。209系から置き換わった京浜東北線のE233系との顔合わせ。この翌年辺りからスカートの換装が始まったようで、この写真がオリジナルスカート車として撮った最後の写真となっています。
2023.04.21
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DE10牽引14系客車:急行「天北」「天北」は、札幌から函館本線、宗谷本線、天北線を経由して稚内を結んでいた急行列車。昭和36年に誕生し、当初はキハ22、その後直ぐにキハ56を使用するようになったようです。昭和60年には同じ方面の急行「宗谷」や夜行列車である急行「利尻」と14系客車で共通運用が組まれるようになりました。車両運用の合理化を図ったもののようです。14系客車時代は、夜行列車で寝台車を連結した「利尻」とも共通運用となったため、昼間列車でありながらオハネ14系を連結すると言う全国的にも珍しい存在でした。昭和63年6月25日 曲淵駅にて DE101714牽引 上り急行「天北」昭和63年6月25日 芦野~猿払間にて DE101735 下り急行「天北」昭和63年6月26日 小石~曲淵にて 機番不鮮明 上り急行「天北」片道は急行「宗谷」と共通の14系ハザのみ4両編成、一方は急行「利尻」と共通の寝台車付き編成でしたが、北海道では季節増結に対して柔軟であり、度々客車の増結が行われていました。増結する車両はハザ以外にハネを使用することが多く、編成内での凸凹がいい加減風で模型っぽいですね。JR化後の昭和63年、キハ40系改造のキハ400形による気動車化が再び実施され、スピード面及びアコモデーションの改善が図られましたが、平成元年4月、天北線の廃止とともに宗谷本線経由に振り替えられ、急行「天北」の名称は消滅しました。初めて渡道した際にはキハ56系の急行「天北」に乗る機会がありましたが、天北線が雪害で不通となったため宗谷本線経由で運転され、写真も撮っていませんでした。
2023.04.20
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185系チタ編成:特急「ウィークエンドあかぎ」特急「ウィークエンドあかぎ」は、平成5年3月ダイヤ改正において、新宿~高崎間に運転を開始した新特急「あかぎ21・22号」を起源とする列車です。ただし、この母体は平日夜運転の新特急「ホームタウン高崎」で、休日のみ「あかぎ」としていました。翌平成6年12月の改正では、この新特急「あかぎ21・22号」が「ウィークエンドあかぎ」に改称され、さらに平成9年10月改正で朝の上り1本の「ウィークエンドあかぎ」(平日は「さわやかあかぎ」)が加わっています。平成21年1月12日 B2編成 「ウィークエンドあかぎ8号」平成21年5月4日 B1編成 「ウィークエンドあかぎ8号」平成22年2月11日 B5編成 「ウィークエンドあかぎ8号」このうち、朝の上り「ウィークエンドあかぎ」は、田町車両センターの185系が使用されており、他の新前橋車がヘッドマークデザインを変更した後も、以前のままのデザインの「あかぎ」幕を使用しています。「ウィークエンドあかぎ」では、特別なヘッドマークが用意されておらず、昔のままの「あかぎ」という印象です。この3コマは、スカートが改造される前のオリジナルの形態です。平成22年10月9日 池袋駅にて B3編成 「ウィークエンドあかぎ8号」平成22年10月16日 B6編成 「ウィークエンドあかぎ8号」平成22年10月17日 B7 「ウィークエンドあかぎ8号」平成22年10月30日 B6編成 「ウィークエンドあかぎ8号」こちらは、OM車同様にスカート換装後の姿となります。平成22年12月に「ウィークエンドあかぎ」が廃止となった後も、統合された「あかぎ」が同じヘッドマークを使用して走っていたため、特にレアな感覚のない列車でした。外見としては、改正に当たって10両編成化(A編成化)の0番台となり、ヘッドマーク下のタイフォンカバーが開いているという変化が見られます。
2023.04.19
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183系OM車:臨時快速「ナイスショット」平成24年5月12・13日、東北本線上野~氏家間に臨時快速「ナイスショット」が運転されました。以前、新宿~黒磯間に快速「フェアーウェイ」が走っていました。運転区間に違いがあるものの、氏家駅を中心とするゴルフ客誘致のための列車と思われます。平成24年5月12日 183系OM-102編成 回9530M 送込み回送平成24年5月12日 臨時快速「ナイスショット」編成は大宮車を使用しており、「フェアーウェイ」とはかなり毛色が違う感じですね。2日間の運転で、敢えて新たな列車名を使用したにもかかわらず、「臨時」幕はないでしょっ、と言いたいところ。送込み回送の際に「回送」幕で来たため、ガッカリ度はこの時点でピークに達していました。せめて「フェアーウェイ」レベルの文字ステッカーが欲しかったところです。結局は、このシーズンのみの運転となり、こうしたゴルフレジャー臨らしき列車は運転されなくなりました。※追報平成24年5月13日は、「快速」幕で運転されたようです。ヨコサボはちょっと分かりませんでした。
2023.04.18
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475系:急行「ゆのくに」「ゆのくに」は大阪~北陸・金沢方面を結ぶ急行列車です。起源を準急列車まで遡ると昭和27年と歴史は古く、急行列車としては北陸本線の電化開業となった昭和38年4月に誕生しています。電車急行としての誕生となりますが、その後の他急行列車の吸収や併結などにより、気動車による運転も設定されたことがあります。北陸本線では特急列車のフリークエンシーが盛んとなり、特急「雷鳥」に吸収・格上げされる急行列車も多く、昭和53年10月改正には電車急行としてたった1往復のみの設定になってしまいました。昭和55年8月 京都駅にて 475系「ゆのくに」昔は大型のヘッドマークが取り付けられていましたが、不便であったためか小型になってしまいました。併結時における貫通扉の開け閉めの関係かもしれませんね。撮影当時から急行列車自体が衰退の一途を辿っており、急行「ゆのくに」も昭和57年11月の改正をもって全廃となっています。
2023.04.17
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スロ81系:お座敷客車(グリーン帯)国鉄時代末期、余剰となった客車から改造され、団体列車用として数々のジョイフルトレインが誕生しました。JRになると運用に不便な客車列車が淘汰され、電車や気動車から改造される例が多くなると共に、生活嗜好の変化によってお座敷列車から欧風客車や乗り心地の良い列車へとスタイルも変わっていきました。その昔は畳に座って旅することができることが高級であると認識されており、いわゆるお座敷列車が誕生することになります。初期は非冷房であったこれらの車両も冷房化された車両に変化。昭和47年代後半、グリーン車スロ62系をお座敷客車化したスロ81系が誕生し、金沢運転所を皮切りに、6連7編成が誕生しました。今回はスロ81系のグリーン帯時代の写真をご紹介いたします。昭和51年 東京駅にて EF58牽引 お座敷列車私が中学に上がったばかりの頃の写真だと思います。当時はまだ、お座敷列車の配置というのは極限られた客車区にしかなく、目にするのも珍しかった時代でした。当時の配置状況からして沼津区の「いこい」かと思われます。スタイル的にはグリーン車のスロ62系と変わらない外観であり、判断するには窓から見える障子くらいだったですね。詳しくは憶えていませんが、全国でもいち早く沼津区に余剰12系を改造したお座敷車(2代目いこい)が誕生し、旧型客車は淘汰されてしまいました。写真は指が入ってしまい、ハーフ判特有の画像の悪さで見苦しいですが、気になるのは牽引機のEF58です。良く見るとヒサシがついており、浜松区の区名札が見えます。当時の詳しい記録はありませんが、52号機(EF5852)がヒサシ付きだったようです。昭和54年3月23日 別府駅にて 留置中のお座敷列車中学の卒業旅行と称し、初めて九州に上陸した際の写真です。着地駅は別府で、いきなり出迎えてくれたのがお座敷列車でした。関東でも珍しくは無かったですが、当時は臨時ダイヤが公表されていませんでしたので、なかなかじっくり撮ることはできなかったですね。誕生当初はグリーン車としてグリーンの帯が入っていましたが、昭和53年頃から合理化によりグリーン帯が省略、さらにブルトレのような2本帯にしたもの、茶色化したものなどに変化していくことになります。
2023.04.16
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マル鉄回顧録にて『マイクロエース マニ30入線』をアップいたしました。この気持ち悪い外観が何とも言えません。写真館では既にアーカイブ済みとなっています。国鉄 マニ30:現金輸送車
2023.04.15
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651系:特急「フレッシュひたち」(字幕)485系のお下がりが活躍していた常磐線の特急群に「スーパーひたち」専用として投入された6651系。485系もリニューアルにより延命を図ったものの限界を迎えたため、後任にE653系が投球され、「フレッシュひたち」としての運転が始まりました。基本的には651系とE653系は列車で使い分けがされていましたが、運用の関係上、一部の「フレッシュひたち」に651系が運用されていたようです。しかし、そのことに関して全く興味もなく、常磐線における651系の終焉を迎えてしまったわけですが、1度だけ「フレッシュひたち」の方向幕を掲出したまま留置されていた651系に出会ったことがありました。平成25年3月10日 勝田駅にて 「フレッシュひたち」 方向幕特に執着したこともありませんが、最後の撮影時に記録できたのはラッキーでした。これも方向幕式である良さですね。現在では「フレッシュひたち」という名称すら消滅してしまいました。
2023.04.15
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455系:急行「まつしま」急行「まつしま」は、上野~仙台間を結んでいた昼行急行列車です。ただし、季節列車として夜行が1往復設定されています。全線が電化区間となっておりますので、定期・季節列車ともに455系電車が使用されており、臨時列車については客車も使用されていたことがあります。上野~仙台間は比較的に平坦線区となるため、勾配抑速ブレーキを搭載しない451系や453系が使用され、付属編成となる「ざおう」「ばんだい」に455系・457系が優先された運用が組まれていたということです。昭和54年 蕨~西川口間にて 「まつしま2号」こちらは列車番号が入っており、「まつしま2号」であることが判明しました。最後部2両はモハのファンデリアルーバーがないことから、457系ユニットとみられます。また、判りづらいですが、サロにグリーン帯が入っています。昭和56年頃? 南浦和~蕨間にて列車番号が不明なのですが、確率的に「まつしま」ということで整理しておきます。もしかしたら「あづま」や「なすの」だったりするかもしれません。先頭のクハのタイフォンは開放型で、続くモハユニットは455系になっています。昭和56年 西川口~蕨間にて 急行「まつしま7号」蕨駅南側の歩道橋の上から撮った写真です。貨物列車も最後の悪あがきの頃であり、今のマンションが立っている場所は「住友セメント」の工場でした。2本の留置線と1本の荷役線があり、既に閑散とはしていますが、タキ1900などが出入りし、専用のスイッチャーも2台配置されていました。※どんづまりにタキ1900と思われる車両が1両、雪まみれになっています。現在、写真の足場として使っている場所は元々が水路となっており、現状はこれに沿って一方通行の道路となっています。雪が積もっているだけで、いつもの景色が素朴な風景に映ります。雪が降ったら撮影に行く。そんな物心がついたのもこれが最初かもしれません。昭和56年1月5日 白坂~豊原間にて 急行「まつしま6号・ばんだい4号」母親の実家に行く際に、途中下車して撮影したものです。東北新幹線の開業前年であり、田舎とは言えどテキトーに立っていれば特急・急行がバンバン走ってくる時代でした。時期が時期で、貨物列車の写真が1枚も撮れていないのは今から思うと残念でしたね。後方には巻き上げた雪が僅かながら煙状に写り込みました。東北急行の最後の隆盛でした。昭和57年 南浦和~蕨間にて 「まつしま2号」こちらは東北新幹線開業間際くらいの写真だと思います。こちらも列車番号から「まつしま2号」であることが判明いたしました。昭和57年6月22日 貝田~越河間にて 「まつしま1号」特急「やまびこ」の最期を撮るために東北へ遠征してきたときのもの。珍しく福島以遠で撮ったため、「ばんだい」を外した6両編成の「まつしま」を記録することが出来ました。先頭は開放型タイフォンで、モハのルーバー形状から451系か453系と思われます。急行「まつしま」は東北・上越新幹線の大宮暫定開業後も生き延びましたが、上野開業となる昭和60年3月のダイヤ改正を以って消滅しました。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売
2023.04.14
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455系:急行「いわて」急行「いわて」は、昭和31年11月のダイヤ改正で上野~盛岡を常磐線経由で結ぶ急行列車として誕生しています。昭和33年10月改正で東北本線経由に、さらに昭和40年10月改正から電車化され、その地位を確立しました。昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて 急行「いわて1号・ばんだい5号」東北新幹線開業まで運転されていた下り急行「いわて1号」です。当時、「いわて」は東北本線経由の盛岡行き急行として、1日2往復設定されていました。1往復は夜行急行となっていましたので、写真を撮るにしても1往復のみのチャンスとなります。昼発となる「いわて1号」は、上野駅を13:06に特急「つばさ3号」の続行として出発となっています。白坂駅付近では14:40過ぎくらいの通過となりますから、比較的遅い時間に撮影していたようです。昭和57年11月13日 上野駅にて 急行「いわて」あまりサボの写真を撮る習慣がなかったのですが、廃止を前にした緊迫感もあり、記念に撮っていたようです。この写真を撮った翌日、上越新幹線の大宮暫定開業と同時のダイヤ改正により、急行「いわて」は東北新幹線にその役目を譲って廃止されました。KATO 455系 急行まつしま・ばんだい 販売
2023.04.13
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485系(あかべぇ):臨時特急「あいづ」平成15年10月改正を以って、特急「ビバあいづ」は普通列車扱いの快速列車に格下げされ、「あいづライナー」となります。455系による快速列車との差別化を図るため、グリーン席も設けた485系による運転を続きました。上野口に姿を見せなくなって久しい「あいづ」ですが、会津ディスティネーションに絡め、平成17年以降の夏季輸送に臨時特急「あいづ」が運転されるようになりました。平成17年は、その後東武直通専用となった「日光」「きぬがわ」用の485系(改造前のヘッドマーク付き)が運用されましたが、同編成が「日光」「きぬがわ」に転用されたことに伴ない、後任となったいわゆる「あかべこ」編成を使用し運転されました。なお、「あかべこ」編成が上野発着の臨時特急に使用されている間は、磐越西線内の「あいづライナー」に仙台運転所の583系が充当されました。平成19年9月29日 西川口~蕨間にて平成20年7月19日 西川口~蕨間にて平成20年7月20日 西川口~蕨間にて485系(あかべぇ)は平成21年度まで続いたようですが、段々と先細りになり、485系そのものの廃車等により消滅してしまいました。485系(非貫通型編):特急「あいづ」485系(ボンネット型クハ編):特急「あいづ」485系(クロ481):特急「あいづ」485系(あかべぇ):臨時特急「あいづ」485系:特急「ビバあいづ」485系(T18編成):特急「あいづ」
2023.04.12
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国鉄 クモヤ193系:架線・信号回路試験車クモヤ193系は、クモヤ191系の後継車として、昭和55年3月に誕生しました。191系とは違い、すべて新製にて製造されています。試験性能的にはわずかな違いですが、モーターが6基(クモヤ192-1の運転台側の台車はトレーラー)であること、ATC区間を走行できることが大きな違いです。運転台はクハ183-1000番台と同様な形状となり、洗練されたスタイルとなりました。山手線と京浜東北線がATC化されるにあたり、クモヤ191系の老朽化と相まっての登場となったもの。配置は田町電車区でした。今では、各種試験車の運転情報が「ダイヤ情報」で公表されていますが、昔はこの様な情報や公けにはされていなかったため、なかなか計画的にその姿を捕らえることは難しかったといえます。現在は、その点では楽になりましたね。昭和56年12月頃 田町電車区にておそらく京浜東北線か山手線の車中から撮影したものと思われます。クモヤ191系とばかり思っていたのですが、スキャニングしてみて初めてクモヤ193であることが判明しました。この時代、車庫にはこうした試験車が居たりしないか、神経を研ぎ澄ましていたものです。昭和60年頃 与野駅にて与野駅に勤務していた時代、勤務の合間か非番のときか忘れましたが、助役から運転情報を聞いて撮影したものです。East-iの登場により2003年頃に現役を引退し、この記事を最初に投稿した2011年時点では保留車となったままの状況が続いていたようですが、2013年(平成25年)6月10日付で正式に除籍となり、解体されてしまったそうです。
2023.04.11
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国鉄 EF55型電気機関車:12系&スエ78 東北本線を走る高崎機関区に配置されていたEF551。その性格から、走行区間は高崎線や上越線、両毛・信越本線など、高崎鉄道管理局(高崎支社)の守備範囲内での走行が殆どでした。そんな中、私の経験上で1度だけ、東北本線で営業運転された時の記録があります。昭和63年10月10日 東大宮~蓮田間にて上野~宇都宮を走ったかと思うのですが、詳細は憶えていません。毎度の12系編成ですが、イベント性を考慮したのか、スエ78が連結されてアクセントとなっています。宇都宮でのイベントなどで、回送では走ったことが何度かあるようですが、EF55が東北本線を走行した例は大変珍しいかと思います。
2023.04.10
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185系:週末定期特急「草津白根」昭和40年代後半より、吾妻線万座・鹿沢口方面への特急列車が運転されており、157系「白根」に始まり、新特急「白根」、そして「草津」へと変遷してきましたが、その中で、平成10年に登場した「草津白根」という特急が存在しました。「草津白根」は185系を使用し、毎週土休日のみの運転という変わった形態で、何よりも自由席主体の特急「草津」に対し全車指定席という意味で差別化が図られていたようです。平成12年4月 東北本線 赤羽駅にて 185系「草津白根」まだ板橋区に住んでいる頃に撮影したものです。リバーサル撮影でプリントアウトもしていなかったので、特製のヘッドマークだとばかり思っていたのですが、スキャニングして翌々見れば、通常の「草津」のヘッドマークだったんでガッカリしました。しかし、他サイトを検索してみますと、その後、専用の「草津白根」のマークが新調されていたようです。デザインはまったく同じようですが・・・。平成19年3月の改正により、この列車にも自由席が設けられることになり、「草津31・32号」として名称が統合され、消滅してしまいました。平成23年10月22日 OM101 川越車セにて183系OM車にも専用ヘッドマークが準備されていました。ネットで画像検索を行ってみると、実際に使用されたこともあったようです。
2023.04.09
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107系0番台:日光線かつて、国鉄時代は多様な車両が往来した日光線。国鉄は東武鉄道との日光争奪戦に破れ、都心から乗り入れを行っていた優等列車も、165系急行「日光」を最後に姿を消しました。臨時列車では、特急「日光」や愛称付きの快速列車も走りましたが、平成になってからは集約臨等の団体列車を除き、165系から機器流用を行った107系のみとなっていました。107系は、昭和63年に誕生した車両で、機器流用は行っていますが、車籍上は新車扱いとなっています。1M方式でMc+T'cの2連を組み、0番台が日光線用、100番台が両毛線等の高崎地区用となっています。平成21年5月23日 大宮総合車両センターにて クハ106-1登場時はグリーンの「N」をイメージしたラインが入っていましたが、これをレトロ調のクリーム+マルーンに塗色を変更しました。営業運転にさきがけ、ふれあいフェスタでお披露目されたシーンです。その後も含めて、日光線内での撮影は一切したことがなかったんですが、この塗装変更リニューアルからわずか4年足らず、まさか205系への置き換えが発表となりました。この写真だけで満足する訳にも行かず、最後のつもりで撮影に行ってきました。以下、撮影は平成25年1月13日です。838M 今市~下野大沢間にて835M 下野大沢~今市間にて837M 文挟~下野大沢間にて840M 下野大沢~文挟間にて撮影地などが良く分からず、とても満足のいく写真は撮れませんでした。実はこの時、カバンの中にデジイチを入れ忘れていたことに気付かず、さらに、カバンに入れたままになっていたサブのコンデジはバッテリ切れ寸前で、バッテリを消耗しないように非常に気を使いながら撮影を続けるという遺恨を残した日でした。
2023.04.08
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485系 NO・DO・KA: 団体列車「浦和駅開業130周年記念号」※本記事は、2013-07-21に投稿したもので、当時の表現になっています。浦和駅が開業から130周年を迎えることになり、これに合わせて団体列車「浦和駅開業130周年記念号」が設定されました。使用車両が485系NO・DO・KAであるため、新潟から遥々回送されています。さらに、運転区間は浦和~横川間ですが、浦和駅では折り返し設備を持たないため、一旦新宿駅まで行き、そこから折り返して浦和駅で乗車させる方法としています。乗車駅となる浦和駅では、待避線が存在しないにもかかわらず、8分も停車する措置が取られました。ちなみに、返しの上り列車についても5分間の停車時間を確保しています。貨物線ならではの対応であり、本線ではまず難しいでしょう。地元にはなかなか姿を見せることのない車両だけに、私としても注目度が高く、比較的に撮影しやすい時間に設定されたこともあり、上下列車のいずれも撮影できました。ただし、地元では乗車区間外であるため、いずれも回送列車であることをご承知ください。※撮影は、平成25年7月20日です。回9822Ⅿ前日のうちに新潟を出発、新前橋で滞泊して早朝に出発してきました。浦和駅では折り返せないため、一旦は浦和駅を通過し、新宿へと向かいます。回9363Ⅿ新宿駅から折り返してきた485系NO・DO・KA。これから浦和駅で団体客を乗せ、横川へと向かいます。回9364Ⅿ横川駅から帰ってきた485系NO・DO・KA。浦和駅で5分停車。折り返しができないため、また新宿駅に向けて南下します。同車は、新宿から本巣である新潟へと帰ります。イベントとはいえ、これだけの運転区間のために遥々と車両を持ってきており、「元が取れるんだろうか?」と疑問を持ってしまいました。同車は季節臨や団体などに使用されますが、今回のようにヘッドマークを掲出することはかなり珍しいように思います。地元での運転実績の少ない車両でもあり、貴重な機会を提供してくれました。
2023.04.07
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115系湘南色:両毛線※本記事は、2018-03-22に投稿したもので、当時の表現になっています。平成30年3月のダイヤ改正で、JR東日本高崎支社管内の115系がすべて定期運用から外れることになりました。平成30年3月21日の「ありがとう115系(ツアー)」をもって完全に撤退となり、残すは新潟地区のみとなります。東海道本線や東北・高崎線から211系が撤退した際、特に寒冷地型については改造なしで編成を短縮し、そのまま高崎地区に転用するものだとばかり思っていましたが、予想は見事に外れ、中央本線を含む長野地区への投入が優先され、むしろ高崎地区は最後発になってしまいました。おそらく、新潟地区へは新鋭のE129系の投入で終わるのではないかと思っています。平成20年8月2日 小山駅にて 115系1000番台 両毛線 444M東北新幹線400系の引退を前に、「つばさ」の写真を撮りに行った際に撮影したものです。この115系普通列車で、次の目的地である桐生まで乗車しました。高校時代や仕事で新小岩に通ったところは、良く東北・高崎線を利用したものでした。当時は115系オンリーであり、味気のない車両でもありましたが、久し振りに乗った電動車のモーター音に懐かしさで一杯になりました。昭和62年3月19日 岩舟~大平下間にて 115系4連 普通列車ずっと時代を遡り、民営化直前の頃の写真です。この日、EF5889牽引の団体列車が珍しく両毛線に入線することになり、友人と撮影に行った時のものです。写真は団臨の前走りとなる両毛線の普通列車を撮影したものですが、この当時は殆どが115系だったように記憶しています。付属編成4連も両毛線では基本編成となります。上野口では殆どが冷房化されてきましたが、冷房化から外れた115系は高崎地区のローカル仕業へと都落ちしていました。非冷房車でシールドビーム化されていないオリジナル仕様は既に貴重になりつつあり、運転台窓下に取り付けられた銀箱も懐かしい記録です。※小山電車区の115系の変遷について、非常に詳しく調査し、紹介した動画を作成していただき、本ブログでご紹介しております写真も使用していただきました。115系に興味ある方は必見です。旧型国電 70系:両毛線(クハ76)
2023.04.06
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旧型国電 70系:両毛線(クハ76)70系電車は、言わずと知れた横須賀線用の電車として登場しました。晩年は70系のみの編成が多く見られましたが、登場時は既存の戦前型車両との混結が前提でもありましたので、横須賀線時代にはあまり統一されたキレイな編成は見られなかったようです。地方に転出後は小単位(4両編成など)で組成されたケースが多く、この場合は比較的整った編成で運用されていました。それでも、中京圏における中央西線、関東では中央東線、関西では阪和線など、5~8両で組成された列車は、戦前形やモハ73形、80系改造のクハ・サハとの混結が多く見られました。今回は、両毛線70系のうちクハ76の写真をご紹介いたします。昭和53年3月12日 高崎駅にて詳細な記録が無い中で、唯一記録が残っていたものです。ただ、この辺りで2回ほど行っているの記憶があるので、すべて同じ日の物か自信がありません。昭和53年夏ごろ 小山駅にてこれは両毛線にEF12の写真を撮りに行ったときに小山駅で撮影したものです。この頃になると写真も慣れてきたようで、運転台まで撮っていました。今となっては貴重な絵面ですね。両毛線では、基本的にクハ76+モハ70+モハ70+クハ76の整った編成が多かったですが、一部の編成にサロ85改造のクハ77という珍車もいました。この写真を撮った頃も、そろそろ70系の引退が見え始めていた頃でした。母親の実家に行くとき小山駅を通ると、東北本線から少しずれたホームに4両で小休止している70系を良く見かけましたね。この頃はあまり走行写真を撮ることはなかったので、今となってはもっときれいな写真を撮っておきたかったと思います。
2023.04.05
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185系:団体列車「快速 プレDC静岡まつり号」※本記事は、2018-04-05に投稿したもので、当時の表現になっています。平成30年4月1日~6月30日まで開催の静岡ディスティネーションキャンペーン初日に合わせ、東京~静岡間に185系を使用した団体列車が走りました。撮影は、平成30年4月1日、川口駅付近にて。185系 回9552M 団体列車「快速 プレDC静岡まつり号」 送り込み回送臨時快速「本物の出会い栃木」を待機していると、ハイビで向かって185系が。サクラとのコラボを狙っている中、185系も希少なので画面に収めようとアップで待ったところ、ファインダーに飛び込んできた185系の前面に「回送」ではないヘッドマークが映りました。立ち位置が後部には向いていなかったのですが、慌てて撮影しておきました。改めてヘッドマークを拡大して確認したところ、「しずおか元気旅」の文字。帰宅してから他の方の記事等を確認したところ、冒頭のディスティネーションキャンペーンに係る団体列車の送り込み回送であることが判明しました。ダイヤ情報への事前情報もなかったため完全にノーマークで、ラッキーとしか言えない状況での記録となりました。
2023.04.04
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相模鉄道:旧6000系私事ですが、首都圏の私鉄と言うのは殆ど利用した(乗った)ことがあるか、乗ったことが無いまでも撮影に出掛けたりはしているのですが、第3セクタを除くと、唯一乗ったことも写真を撮りに行ったことも無いのが相模鉄道です。何故か?言われれば、地域的に訪れるきっかけが無く、車両的にも昔から魅力を感じなかったのは否定できません。興味があった部分としては、ディスクブレーキ丸出しの愉快な台車でしょうか。併走する東海道や横須賀線からは良く眺めていたものです。昭和52年10月31日写真は、昭和52年の社会科見学で鎌倉へ行く際、横須賀線の窓から撮ったものです。旧6000系は、平成4年頃から廃車が始まり、平成9年に最終を迎えたようですが、それまでには8連化10連化を経て冷房改造も受けています。この写真を撮ったのは昭和52年ですから、国鉄でもやっと通勤車に冷房車が普及し始めた頃でもあり、当然にして私鉄でもまだまだ非冷房車が当たり前だった頃ですね。今でも私鉄の中では個性的なデザインの車両が走っている相模鉄道ですが、今見ると素朴なデザインの車両もあったのだな、と言う感じがします。
2023.04.03
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国鉄 EF55型電気機関車:12系客車 上越線編EF55シリーズから、今回は快速「奥利根」等、12系客車を牽引して上越線を走行しているものに特化してまとめます。平成5年8月20日 津久田~岩本間にて平成5年8月20日 水上~上牧間にて平成5年8月21日 後閑~上牧間にて平成5年8月21日 渋川~八木原間にて平成5年8月22日 上牧~水上間にて蓋を開けてみれば、3日間連続で撮ったものがあっただけでした。運転日が少なかったのと、SL撮影が多い時代だったので、EF55はあまり撮影に行かなかったのか?KATO EF55形 販売KATO 高崎運転所 旧形客車 販売KATOからEF55が製品化されるということで、昨日、通販のリンクを貼らせていただきましたが、早速予約を表明していた店舗から「予約終了」という告知がされると共に、他の量販店でも予約販売が表明されないという異常事態が発生しているようです。これは客車セットも同様であり、何らかのアクション又はトラブルがあったかもしれません。情報が掴めましたらお知らせしたいと思います。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3095 EF55 高崎運転所[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1805 高崎運転所 旧形客車 7両セット
2023.04.02
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国鉄 EF55型電気機関車:復活当初の頃準鉄道記念物として大事に保管されてきたEF551。保存されていることは情報として知っていましたが、まさか本線に復帰するようになるとは夢にも思っていませんでした。昭和61年に車籍が復活。高崎線で営業運転を行うようになりましたが、復活運転に際する整備を実施する前に、当時の高崎第二機関区のイベントでその美しい姿を現しました。昭和60年3月30日 高崎第二機関区イベントにて第1エンドのスカートがそのまま掛かっていて、連結器がありません。その後、本線運転に際しては、重連や故障時の救援対応のため、連結器部分を欠き取って連結器が剥き出しとなりました。大変美しい姿です。昭和60年3月30日 高崎第二機関区イベントにてこちらはあまり見ることが出来なかった逆エンド側。こちら向きでももちろん営業運転できますが、第2エンドを前にすると引き出しの力が極端に落ちるらしいのです。ですから、流線型を先頭に→転車台が必要→運用が不便→少数派→淘汰という図式に当てはまってしまい、早くに廃車になってしまったのですね。それでも、終点から基地への回客を逆向きで牽引してる写真を見たことがあるので、実績的には逆向き運転が無かったわけではないようです。この国鉄末期の時代は、高崎区の職員による機関車保存の運動が活発に行われていました。当時、廃車となった各形式機関車を全国から呼び寄せ手厚く保存しており、鉄道ファンとしても一国鉄職員としてもその熱意に感動したものです。そして実現したのがこのイベントであったといっても過言ではないでしょう。職員の熱意と努力は「碓氷峠鉄道文化むら」という形で実を結び、さらには鉄道博物館に開設にまでつながっていったと言えるのではないでしょうか。昭和61年8月1日 津久田~岩本間にてそして、再整備のお披露目から1年が経過。まさかの車籍復活、さらに本線復帰という軌跡を果たしました。いまではSLさえも保存機を復活させることは当たり前のように行われていますが、当時としてはありえない発想だったと思います。いわば動態保存の奔りでしたね。運転初回は旧型客車が充てられたのも、粋な演出と言えます。昭和61年8月1日 八木原~群馬総社間にてこちらは返しの写真です。この区間は、1度「とき」の写真を撮りに行ったことがあったのである程度の土地勘はあったのですが、あれやこれやアングルを探していたら時間が間に合わなくなってしまい、ギリギリになって線路際で撮った次第。トリミングでなんとか構図をまとめることができましたが、実際は酷いアングルです。EF55の復活はもちろん感動でしたが、私的には次位に連結されたスエ78が萌え~でした。3軸ボギーはやはり垂涎の存在でしたね。復活したとはいえ老朽化した機体であることに変わりは無く、運転本数はかなり少なかったように思います。それでも、ここから約20年にわたり活躍したのは、特徴のある美しさと、高崎第二機関区の職員の方々の情熱であると思います。KATO EF55形 販売KATO 高崎運転所 旧形客車 販売KATOからEF551が製品化されることになりました。かつてマイクロエースが手掛けて随分経ちますが、構造上の問題でスケール車は実現できていませんでした。さて、どんな感じなんでしょうかね?[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3095 EF55 高崎運転所[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1805 高崎運転所 旧形客車 7両セット送料無料◆セット販売 3095/10-1805 KATO カトー EF55 高崎運転所+旧形客車 7両セット Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3095 EF55 高崎運転所そして、私的にはスエ78が欲しいです。
2023.04.01
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