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伊丹空港で最後の記念撮影31日の夜9時にやっと伊丹へ着いた。空港には子どもたちの親御さんがたくさん迎えに来ていた。1週間の海外旅行で、子どもたちは少しは成長したのかな?もちろん知らない子を連れて行くのだから、大変は大変だった。でも1週間一緒にいると情もうつって来る。憎たらしいと思えた子が、可愛く見えてくるのだから不思議なものだ。でも試合ではうちのライバルになる。うちの試合では活躍するなということをよく言い聞かせた。(笑)この1年はうちの子どもたちと同じように、この子たちのことも楽しく見られる。活躍を期待しているよ! ここで必ず触れておかなければいけないことが一つ・・・。今回のアメリカ旅行では、企画からチケットの手配まですべてディノニクスのT原氏にお世話になった。私自身はあまり話したことが無く、どういう人間かも知らなかった。結局、6日間のレンタカーをすべて一人で運転してくれて、トータル1500kmくらいは走ったのではないだろうか。普通なら疲れて機嫌が悪くなるとか、観光を省略しようと私なら考える。ところが彼は時間の許す限り、子どもたちをいろいろなところへ案内してくれた。あまりにもいろんな所へ行くので、飛行機に乗り遅れそうになったこともある。いくら子どもたちのためにと言っても、簡単にできることでは無い。私からも子どもたちに代わってお礼を言いたいと思う。「ありがとうございました! とっても楽しかったです!」 長いようで短かった7日間が終わってしまいました。今回は写真が少なかったので、ちょっとブログでは中途半端になり私も残念でした。次の機会にはもうちょっと考えようと今から計画しています。またをお楽しみに!
2009年03月31日

サクラメントからの飛行機 小さっ!最終日は、サクラメントからサンフランシスコへ移動し、そこから成田でまた伊丹へという強行軍だった。全部飛行機だが、その飛行時間は1時間・11時間・1時間とトータル13時間にもなる。さらに空港での待ち時間があるから、ほぼ1日になった。サクラメント・サンフランシスコ間は、30人乗りのプロペラ機で、案の定すごく小さい。車でも2時間くらいの距離だから、利用客も少ないのだろう。以前にもプロペラ機には乗ったことがあるが、すごく揺れる。飛行機に乗って怖いと思ったことはあまり無いが、これは怖いと思った。そして次に苦痛だけの11時間。少しでも楽にしようと、乗る寸前にジャージに着替えた。たいして効果があるとは思えなかったが、ズボンを履いているよりはいいのだろう。それに比べたら成田・伊丹の1時間ちょっとなんてあっという間だ。やっと大阪に帰ってきた。
2009年03月30日

これはアリーナの天井から吊り下げられた電光掲示板で、(これは2枚の写真をつなげたものだが)、ちょうど写真のように上の部分がモニターになっていて、タイムアウトの時やハーフタイムの時に会場の様子を映している。せっかく日本から来たのだから、是非映してもらおうと、ちょうど日本を出る時にマクドナルドでもらったWBCの応援グッズで日本語の載ったクリアファイルがあったので、それをみんなで振り回して目立とうとした。どうせどんな日本語が書いてあるか分からないだろうし、みんなで振るにはちょうどいい。この作戦が功を奏して5秒くらいだが、映してもらえることが出来た。残念ながらカメラに収めることは出来なかったが、nba.comで3月29日のキングス対サンズの試合を見てもらえれば、どこかで日本語で書かれた赤いファイルを振っている集団が確認できるかもしれない。
2009年03月29日

オニール、ナッシュ、ヒル試合の方は、弱いと思われたキングスがリードして、サンズが追いかけるという展開だったので、最後まで面白いものになった。シャックは相変わらずフリースローが下手でディフェンスをしない。グラント・ヒルは、まだまだ健在だった。ナッシュはあの体格であそこまで出来るのだから、ほんとにすごい選手なのだろう。私たちの席はサンズのベンチの後ろ12列目で、こんなに間近でNBAの生のプレーが見られてほんとに良かった。
2009年03月29日

ダン・マーリー コーチコートには知った顔がいっぱいあった。サンズのコーチには、オリンピックにも出たあのダン・マーリーの姿があった。もともとサンズの選手だったから、いてもおかしくは無いな。それから2日後に、引退セレモニーが行われるというディバッツの姿も見えた。レイカーズからキングスに移籍し活躍した選手だ。
2009年03月29日

ケビン・マーチン選手 サインしてもらったチケット キングス対サンズの試合を見に4時半にアルコアリーナへ行った。試合開始は6時だが、今日はいい席を取っているのでコートサイドまで行って、試合前の練習をすぐ近くで見ることが出来る。そして運が良ければ、選手が来てくれてサインをもらえる。私はキングス側のサイドにいて、キングスの選手の練習を見てたが、シュート練習だけを見ていても、ほんとにプロだった。ノーマークのシュートはほとんど落とさない。練習の後で、ケビン・マーチン選手がサインをしてくれた。期待の若手だそうだ。 試合で応援しよう!
2009年03月29日

サクラメントの街を観光に行った。ダウンタウンの奥にサクラメントの古い街並みを再現した 「オールド・サクラメント」 という場所がある。昔は州都だったらしく、それなりに栄えていたのだろうが、今はあまりその面影が無い。アメリカの西部劇に出てきそうな街並みと列車と蒸気船が残されていた。
2009年03月29日

夜はキングスのスターだったクリス・ウェバーのレストラン 「センターコート」 へ行った。アルコアリーナから車で5分くらいの郊外にある。スポーツバーのような感じで、壁にあるテレビでいろんなスポーツを流している。また、壁一面に有名選手のユニフォームが飾ってある。ジョーダン、マジック、バード、ジャバー、などスパースターのものばかりだ。私はアメリカに来てどうしても食べたかったステーキを頼んだが、それでも20ドルだった。それがこの店で一番高いメニューだったので、価格はリーズナブルなのだろう。子どもたちはキッズセットを頼み、それが6ドルで安いから足りないかなと心配したら、そこはさすがアメリカ、チキンが4本と山盛りのポテト、大人でも腹いっぱいになりそうなものが出てきた。しかし、この子らもバカに出来ない。それをみんなペロリと食べたうえに、サイドオーダーで頼んだオニオンリングとイカのフライまであっという間にたいらげた。さらに足りないようなので、私の300gくらいあったステーキの3分の1を子どもらにあげた。恐るべし欠食児童。どうもこちらに来て油っこいものばかり食べて、その上コーラをガブガブ飲んでいるのできっと太っているな。帰ったらまたスポーツクラブだ。
2009年03月28日
サクラメントへ帰る途中で、まだ時間があったので、また郊外のアウトレットに寄った。毎日、ショッピングの時間をとっているが、子どもたちは早々とおこずかいを使い切ってしまう子もいて、後半は買い物を出来ない子もいる。そこらへんがまだ子どもで、止める人もいないから好きなだけ使ってしまい、後のことは考えない。基本的に夕食は、食べた物を自分が払うことになっているので、お金が無いと夕食が食べられなくなると言っているのに、それでも使ってしまう。一方、しっかり計画的に使っている子もいて、こんなところにも性格が出るのだなと感心してしまう。
2009年03月28日

まだ他にもあった。 サンフランシスコは坂が多いのだ。今日は練習もしていないし、子どもたちを少し疲れさせるために、200mくらいの急な坂をダッシュで登らせた。そうしないと夜元気でいつまでも寝ない。結局、この日の夜もいつまでも騒いでいて寝なかったのだが・・・。
2009年03月28日

サンフランシスコで有名なのは、フィッシャーマンズワーフとアルカトラズ島だろう。湾内を巡るクルーズが22ドルだったので、それに乗った。乗船の時にレシバーをもらい、チャンネルを合わせるだけで日本語の解説が流れてくる。便利になったものだ。ゴールデンゲートブリッジは誰でも知っているが、その他にオークランドとを結ぶべイブリッジがあるとは知らなかった。船のデッキは風が強く、半袖では寒かったが、頑張ってビデオを撮り続けた。アルカトラズ島は、今では観光地の一つとして上陸も出来るが、私たちのクルーズは島の周りを見るだけだった。ここは監獄として有名なところだが、サンフランシスコから3kmしか離れていない。すぐにそこまで泳いでいけそうだが、海が冷たくて今までに3人脱獄したが、その姿を誰も見ていないことから、それが成功したのかも分からないということだ。 クルーズが終わってから、フィッシャーマンズワーフでお昼を食べることにした。私は、茹でたカニが食べたかったが、アレルギーだという子もいて、クラムチャウダーで我慢した。まん丸のフランスパンの中身をくりぬいて、その中にクラムチャウダーを入れてある。飲み物とセットで10ドルくらいだった。これがなかなかいける味だったのだが、フランスパンが少しすっぱい。パンだけだったら、とてもまずくて食べられないな。
2009年03月28日
すぐに行ったのは、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地 「AT&Tパーク」 だった。まだシーズンが始まっていないため、球場の周りを歩いて見るだけだったが、いたるところに有名な選手の銅像やプレートが飾ってあり、見るだけでも楽しめた。ここの英雄は、場外ホームランを運河のボートで拾うことで有名なバリー・ボンズだ。ショップが開いていればいろんな記念の物を買えたのだろうが、朝10時ではまだ開いていない。
2009年03月28日
サクラメントからサンフランシスコまで観光に出かけた。途中でちょっと休憩したが、高速もそんなに混んでいなくて2時間で着いた。 ここでちょっとアメリカの道路事情についてお話しすると・・・。面白いのは、アメリカの高速には優先車線がある。場所によっていろいろ違うのだろうが、私が見たのは2人以上の人が乗っている車の優先車線でそれも2車線あった。また5車線ある高速も走ったが、それでもまだ混んでいる。 車社会なのだな。それと高速はほとんど無料で、ただでいくらでも走れる。そのためかどうか分からないが、道路が傷んでいる所がたくさんあり、日本では考えられないほどの路面の悪さだった。
2009年03月28日

キングスの本拠地 「アルコアリーナ」 は空港から15分くらいの郊外にある。周りに高い高い建物が無いから、道路を走っていたら簡単に見つかる。金曜日の19時からの試合だというのに、駐車場に置いてある車の台数が明らかに少ない。今日はグリズリーズとの対戦で、どちらのチームも弱く、人気が無いということだな。私たちは2階席のそれも相当上の10ドルの席だったが、このアリーナはそんなに大きくなく、そこからでも選手は良く見えた。しかし試合の方が盛り上がらなく、見たい選手もいないので、ハーフタイムで会場を後にした。というのも、日曜日のサンズとの試合が140ドルという安い値段でベンチの後ろの席が予約できたからだ。
2009年03月27日
サクラメントは、L.A.よりだいぶ北にあり、寒いのではと心配していたが、思ったほど寒くは無く、日中は長袖のシャツ一枚でもよさそうだ。それとサクラメントは田舎町で、空港の周りには高い建物は一つも無かった。ダウンタウンへ行けばビルはあるが、私たちが泊まったデイズインというホテルの周りにも何も無い。治安も悪いので、夜は外に出歩くこともなくホテルで過ごした。
2009年03月27日
L.A.からサクラメントまでは、1時間20分のフライトだった。国内線だというのに(だからか?)、身体検査や手荷物検査はものものしく、靴や上着にベルトまで脱がされて、お土産に買ったボディソープを取り上げられた子もいた。飛行機自体は80人乗りくらいのほんとに小さなものだったが、シートはゆったりと作られており、行きのJALよりもよっぽどリラックス出来た。身体の大きなアメリカ人には、それでも窮屈そうだったが・・・。
2009年03月27日

チャイナシアターの前で 朝からL.A.の市内見学に行く。まずはドジャースタジアムに行ってみるが、残念なことに中には入れてもらえず、球場の外を少し見ただけで終わり。そこから近いハリウッドの中心街であるチャイナシアターやコダックシアターで記念撮影をした。平日だというのに観光客はかなりいる。でも身動きが取れないほどでは無く、これでも空いている方なのだろう。いろいろな人のサインや手形が道路に彫ってあるが、それを探すだけでもすぐに時間が過ぎてしまう。今日はこれからサクラメントへ飛行機で移動しなければならず、慌ててL.A.国際空港まで戻る。
2009年03月27日

5時からは、またマジック・ジョンソンのコーリーのクリニックだった。前半は前回と同じ内容だったが、後半には同じくらいの技量の子どもたちでゲームをした。基礎的な練習よりも、子どもたちはゲームの方が楽しく、生き生きとしていた。 クリニックの後には、この地区の高校生のオールスターゲームを見に行った。コーリーが誘ってれたもので、クリニックに来ていた子も出場していた。高校生とはいえ体格のいい子がたくさんいて、アップのダンクも迫力がある。技術的なところはまだまだ粗削りだが、チームプレーというよりも1対1の戦いを見せてくれて、それなりに面白かった。飛びぬけて目立つような子はいなかったが、この子たちがこれから大学などでも活躍するようになるのだなと思うと楽しみになる。試合が終わったのは9時を過ぎていたが、それからコーリーの招待で全員でピザを食べに行った。去年の夏に日本へ来たケビンの家族も一緒に来て、アメリカの巨大なピザをたらふく食べた。
2009年03月26日
昼の時間を利用して、レイカーズの本拠地 「ステイプルズセンター」へ連れて行ってもらった。今回の旅行は、L.A.に来ているというのに、レイカーズの試合は見られない。というのも、フィギアスケートの世界選手権がステイプルズセンターで行われるため、レイカーズはロードに出ているのだ。マオとミキティーには悪いが、呪ってやる!その準備のためか、レイカーズのショップまで閉まっていて、写真を撮るだけで中には入れずに帰ってくることになった。
2009年03月26日
朝から車で1時間くらい走って、オンタリオヒルズという巨大なショッピングモールへ行った。ナイキやフットロッカーのアウトレットの店がたくさんあり、売っているものも日本で買うよりはるかに安い。子どもたちはみんなバッシュを買っているが、もうバスケを引退した私はバッシュには興味が無く、ウェアやお土産を探した。3時間くらいショッピングした後で、お昼を食べにファーマーズマーケットというところに移動した。ここは日本でいう 「屋台村」 という感じで、中華、イタリアン、エスニック、すしといろいろな店が並んでいて、それを外のテーブルに座って食べるというものだ。私は中華の店の、焼きそば・焼き飯・牛肉の炒め物・鶏肉の炒め物の4種が載ったプレートを頼んだが、8ドルくらいでなかなかの味だった。
2009年03月26日
午後からは、サンドパークという砂の坂のトレーニング場へ行った。30度くらいの傾斜の坂が100mくらい続いている。足が砂にとられるから、登りは相当きつい!子どもたちは楽しそうに遊んでいたが、私は一度登るだけでへとへとになった。30分くらいで砂場のトレーニングを終了し、近くのベニスビーチというところへ行った。ビーチの横にまたバスケのコートが3面あって、そこで3on3や2on2をやっている。子どもたちは、大人に混ぜてもらおうとしたが、子どもの相手をしてくれる大人などいない。またプレーをしているのは黒人ばかりで、ちょっと怖そうな感じだったので、ボールだけを借りて自分たちだけでプレーした。その後は、ビーチで水遊び。まだ泳げる季節では無いが、子どもたちは腰が浸かるくらいのところまで行って、びしょびしょになり騒ぎまくっていた。
2009年03月25日

L.A.ギャラクシーのサッカー場とスタンプスさんのクリニック ギャラクシーの本拠地はホームデポセンターと言って、サッカー場はもちろん、テニスコートや体育館、フィットネスルームやジャグジーまで、広大な敷地にたくさんの施設が整っていた。その体育館の中には、自転車の練習用のバンクが設置してある。その内側に4面くらいとれるコートとフィットネスマシーンが置いてあり、ここでクリニックが行われた。講師は、NBAのバロン・デービスのトレーニングコーチをしているというスタンプスさんだった。その内容は、昨日のコーリーとそんなに違いは無いが、スタンスが狭いということをしきりに注意されていた。
2009年03月25日
ラングストンさん宅の前で、奥さんのリサさんと 子どもたちは、日本リーグで三井生命に所属していたラングストンさん宅にホームステイさせてもらっていた。ラングストンさんは208cmの大男で、日本語も少しだけ話せる。T原氏の友達だということだが、子ども7人も受け入れてくれるとは、とてもいい人だ。ラングストンさんの家は、L.A.のカーソンというところにあり、そこにはサッカーのL.A.ギャラクシーの本拠地があった。 あのベッカムがいたチームだ。ラングストンさんもこのギャラクシーの施設で働いているということだった。ラングストンさんの家は、託児所もやっていて昼間は小さい子がたくさん集まっている。子どもたちは、小さい子たちと朝から遊んだようだ。
2009年03月25日
3月31日の夜にやっとアメリカから帰って来ました。今回はビデオを撮りまくっていたので、写真がほとんどありません。小学生5人と中学生2人と大人4人のアメリカ珍道中を24日に戻ってお話します。 JL062便で17時20分に無事に成田を飛び立つことが出来た。もう今朝の時点で、昼からの成田発の便は順調に飛ぶと分かっていたので、気持ちは楽だった。成田からL.A.までは8時間かかる。当然、私たちはエコノミークラスだが、寝るには座席が狭く、8時間の中で私は2時間くらいうとうとしただけで、寝られないので映画鑑賞とゲームをしていた。もう5年も前のことになるが、会社の表彰でN.Y.へ行った時にはビジネスクラスだったのですごく楽だったが、大きい人にはエコノミーは苦痛でしかない。 アメリカ時間の午前11時に、L.A.国際空港に到着した。最近は、入国管理もそんなに厳しくないのか、意外と楽に入国できた。10本の指全部の指紋と顔写真は撮られたが・・・。ところで今回の旅行は、これを企画した大阪ディノニクスのT原氏と指導者の I 田 氏それにファンタのS野氏と私の大人4人、ディノユースの中学生が2人と堺から小学生が5人参加して総勢11人だった。これが一度に移動するのだから、いろんな事が起きるのは当たり前だな。L.A.には3日間滞在する予定で、その足となるレンタカーを借りたが、レンタカー屋が迎えに来た車には5人しか乗れず、まずT原氏と小学生5人が先にレンタカー屋の迎えの車に乗り、先にレンタカー屋に行くことになった。空港に残された私たちは、そのまま待っていたが、いつまでたっても迎えが来ない。携帯に電話しても、うまくつながらなかったようで、1時間くらい空港で待たされた。結局、レンタカー屋の手違いで迎え代をタダにしてくれたようだが、待たされたこっちはたまったもんじゃない。 前途多難だな!借りた車は、4列シートで全員が乗って、さらにトランクも載せられるという大きなものだった。車2台で移動と聞いていた私は、まずは運転しなくて済むと思い、ほっと一安心。腹が減ったので、近くのショッピングモールでちょっと買い物をし、お昼を食べた。ショッピングモールの中のフードコートで好きな物を選んで食べるのだが、初めてのL.A.での食事なのに日本食を食べている中学生には笑った。 夕方からは、子どもたちは疲れているのもかかわらず、マジック・ジョンソンのスクールでの講習が入っていた。去年、日本に来たコーリーが教えている小学生のクラスに一緒に参加させてもらった。やっていたことは、日本に来た時に教えてもらったこととほとんど同じだった。しかし、ゲームで悪いプレーには一つ一つプレーを止めて子どもたちに分かるまで説明するところは見習わなくてはいけない。指導とはきっとこれの繰り返しなのだろう。 夕食は、韓国系の焼肉の食べ放題のお店だった。一人千円くらいなので、かなり安い。肉はたいして美味しくなく、子どもたちは食べ放題なのにおかわりもしない。まぁ、安いから仕方ないか・・・。 子どもたちをホームステイ先に送り届け、私たちはホテルに戻って寝た。
2009年03月24日
今朝の成田空港でのFdxの貨物便の事故により、明日のアメリカ行きが微妙になってきた。新聞によるとA滑走路は数日間閉鎖になるそうだ。まだ明日になってみないと飛ぶのか分からないようで、成田にまでは行ってみることになりそうだ。行ってみないと分からないというのはつらいな。ニュースでは、フィギアの浅田真央ちゃんが成田便を関空便に変更したとのことだが、変更もあり得るな。まずは成田に行くことになるが、そこで飛んでくれれば楽なのだが、さてどうなる?
2009年03月23日
マザーレイク大津カップの2日目。男子は1位のトーナメント、女子は2位のトーナメントに進んだ。昨日の日記には書いていないが、今年のこの大会は大きな体育館が取れなかったようで2つの離れた小学校で男女別々に試合を行っている。私は女子のアシスタントコーチで当然女子の試合についているが、男子の試合も見たくて我が儘を言わせてもらい、男子の会場にも何度か足を運んだ。車で10分くらいの距離なので、そんなに遠くは無いが、何度も往復するのは意外と疲れる。この日は、男子が第一試合で女子が第二試合だったので、朝一番で男子の会場に行き4Qrの最初まで見てすぐに女子会場へと移動した。 男子は今日の2試合に勝って、めでたく優勝することが出来た。3Qrのベスメンで、うちのキャプテンとMヶ丘のセンターと I大津のセンターの3人が一緒に出ている姿は壮観だった。 みんな170cmくらいで、みんなが動ける。今から思えば、うちのキャプテンもサマーキャンプに参加させてあげたかったな。優秀選手賞ももらったようだし、ミニバスの最後でいい思い出になったことだろう。 女子の方も今日は2勝して、2位トーナメントで優勝した。女子も、なかなかいいメンバーが揃っていたのだが、男子と違って女子は練習を積まないとチームとしては機能しない。男子はある程度能力があれば、どんな仲間とも合わせられるが、女子は自分のチームでやってきたことを一度解体しないと、選抜チームとしてはまとまらないような気がする。ほんとに勝ちたいと思ったら、女子は継続して練習しないと無理なんだろうな。それでも今日は2勝出来て、楽しくミニバスを終えることが出来た。これで今年度のすべてのミニの行事が終わり、一段落した。私はすぐにアメリカなので、明日はその用意だな。 まだまだ忙しい日々は続く。
2009年03月22日
朝6時半に学校に集合して、大津までやって来た。高速を使って約2時間、そんなに遠くでは無いな。今日は南大阪選抜の試合。うちからは男女で6人も選ばれているので、当然力も入る。男子の1試合目は、地元の大津選抜Bチーム。少し力の差があったので、余裕を持って勝ち上がった。2試合目は見られなかったが、和歌山選抜に9点差で勝ったようで、明日の1位トーナメント に進んだ。女子の方は、3チームのリーグ戦となっていた。1試合目の相手は、滋賀の代表の草津Tさんで1Qrから厳しいディフェンスに苦しめられ、徐々に点差をつけられ、17点差で負けてしまった。さすがに全国に出るチームは違う。ディフェンスが甘くなるとすぐにシュートを打ってくるし、その確率が凄くいい。2試合目のN淡さんに勝って2位トーナメントに進んだが、明日は2勝して気持ち良くミニバスの最後を飾って欲しい。
2009年03月21日
今日は堺のバスケットボールカーニバル。ミニからシニアまで各年代の試合が行われる。ミニの試合は午後からだが、南大阪の選抜が東大阪の選抜と対戦する交流戦と時間が重なってしまい、私は午前中だけ堺のカーニバルを手伝って、お昼から東大阪アリーナに移動した。堺の選抜のコーチになっているのに、わがままを言って南大阪に参加してほんとに申し訳ないと思う。 東大阪との交流会は選抜同士の対戦だけだはなく、大阪代表となったY栄さんとの対戦もあった。私は女子のアシスタントコーチにもなっていたので、男子の試合はほとんど見ていないが前半リードしていたのを最後に追いつかれて、同点で終わっていた。たぶん、3・4Qrをベストメンバーだけで戦っていたら勝っていたのだろうが、交流戦ということもあり全員を出したために追いつかれたのだと思う。こういう試合は難しいな。男子は1分け1敗、女子は1勝1敗という結果だったが、今日は交流戦で明日の滋賀への遠征の方が本番なので、そちらで頑張って欲しい。東大阪にはうちのチームも交流した指導者がたくさんいたので、また練習試合のお願いをしてきた。今年の東大阪はさらにレベルが高そうなので、これからもたくさん交流したい。
2009年03月20日
今日の昼の試合で、侍JAPANはキューバに5対0で勝ち、ベスト4入りを決めた。初回から緊迫した試合で、得点が取れず重苦しい雰囲気だったが、相手のエラーから2点が入りそこからは優位に試合を進められた。JAPANは投手が相手を抑え、先取点を取らないとどうも勝てる気がしない。あまり長打は望めないので、こつこつと1点を取る堅実な攻めが、最も勝てるパターンなのだろう。どうも先取点を取られると、攻撃陣がさらに委縮してしまい、攻めにも工夫が無い。イチローが2安打したことで、調子を取り戻してくれればいいのだが、まだ安心はできない。また明日は因縁の韓国戦なので、今度は勝ってくれるといいのだが、どうなることやら・・・。
2009年03月19日
今日は堺市の小学校の卒業式。M小学校からは、ミニの子が15人も巣立って行った。ミニのコーチを始めてから、6年連続で卒業式への参加。毎年のことだが、いろいろな記憶がよみがえる。ミニの子を探していたら、そこにミニを途中で辞めていった子を何人か発見してしまった。ミニをやりたいと言っていたが、親に反対されて辞めていったN君。中学でバスケをやると言っていたけど、頑張って欲しい!ミニでは力になれなくてごめんね! みんなおめかしをして、ちょっと大人になったような感じだったよ。ミニも卒業してしまい、コーチは寂しいけどみんなの成長を楽しみに見ているよ!卒業、おめでとう!!!
2009年03月18日
今日は時間があったので、香川まで 「うどん」 を食べに・・・。去年からもう3回くらい行っている。その度に違う 「うどん屋」に入って、お勧めのうどんを食べる。3時間くらいかかって、往復の高速代を1万円くらい払って、200円のうどんを食べる。これってどうなの?3回行って10軒くらいのうどん屋を食べ歩いた。でも記録していないので、すでにどこで食べたか忘れている。讃岐うどんの看板を出しているお店は、まだまだたくさんあるので、高速代が安くなったらまた行こう。
2009年03月17日
今、不精ひげを生やしている。サラリーマンの時には、ひげを生やすことは出来なかったので、今しかないという感じだ。ところが私はまったく毛深くないので、ひげを伸ばすと言ってもまばらにパラパラと生えているだけで、ちっとも様にならない。1ヶ月くらい前にもちょっと伸ばしてみたが、面接のため剃ってしまった。どうせまた働きだしたら剃らなきゃならないので、伸ばせる時に伸ばしてみよう。
2009年03月16日
2日続けての榎本先生の講習会。今日は堺の大浜体育館での講習会だが、参加しているのは堺の選抜の男女50人くらいなので、2面のコートが広々と使える。昨日は2面で150人くらいいたので、ほんとに芋を洗うような状態だったのだが・・・。 さて、内容だが・・・。堺の方は参加している子が6年生ということで、技術がある程度出来ている子もいればまだまだだという子もいる。このように、レベルが違う子をまとめて指導するというのは、ほんとに難しい。でもうちの子たちも、普段出来ていると思っていても、ゆっくり確認しながらやらせてみるといろんなことが実際には出来ていないことが判明した。なかなか指導するというのは難しいな。この内容は、しっかりビデオを撮ったので、後から確認させてもらおう。 2日間で約15時間くらい体育館にいて、そのうち5時間くらいはビデオを撮っていたので腕が疲れたな。後から他の指導者が、ビデオをダビングしてくれと言っていたので、これでちょっと商売でもしようかな。
2009年03月15日
今年も榎本先生の講習会の季節になった。今日は南大阪の方の講習会で5年生と4年生が対象となっている。6年生に比べると基本はまだまだだし体力も劣っているが、これから練習すれば上手くなるなという子がたくさんいる。今年のテーマは、「膝を曲げる」 という練習だったが、バスケットの基本となる動きなのでうちのチームでもここで教わったことを練習したい。私は、買ったばかりのビデオを持ってこの練習風景を撮ってきたので、あとでDVDにしてもう一度勉強したいと思っている。
2009年03月14日
年末調整を受けるため税務署まで行って来た。16日が確定申告の締め切りなので、税務署はごった返していた。私はどうしたらいいのか分からず、受付で聞くとやっぱり確定申告しないといけないらしい。そこで持って行った源泉徴収と生命保険会社からの通知を出して手続きをした。初めて行ったので知らなかったが、この時期は税務署の職員総出で申告の手伝いをしている。そしてパソコンに入力してくれるのだが、去年の年収と生命保険や健康保険に払ったお金を入力するとすぐに調整金額が表示された。私 「・・・・・?????」今までサラリーマンとして年末調整でもらっていた金額とは全然違う。私 「こんなに戻って来るの???」入力していた税務署の職員がもう一度数字を確認していた。余計なことを言っちゃったかな?やはり金額は正しかったようで、思いもよらぬ収入になった。これはこれで嬉しいが、今までサラリーマンの時に騙されていたのではと疑ってしまう。
2009年03月13日
自分の子どもも大きくなって、最近はビデオを撮ることがめっきり無くなっていたが、今月末にアメリカに行くことになったので、思い切ってビデオカメラを買ってしまった。今までもミニの試合をビデオで撮りたいとは思っていたが、私はコーチをしていて自分で撮ることが出来ないので、持っていても仕方が無いと買わないでいた。これでやっと自分で撮ることが出来るな。デジカメではいろんなものを撮ってきたが、これからはビデオを持ち歩くことになる。付属品もいろいろ着けることが出来るようなので、これからはビデオを楽しんじゃおう。
2009年03月12日
昨日の夜は、南大阪のコーチが何人か集まり懇親会が行われた。公式戦では相手のコーチであり、去年の秋から南大阪に参加した私にとっては、あまり話す機会が無かったが、ミニと離れたところでの交流も楽しいものだ。「Tento」の上にスナックがあって、そこで8時から12時過ぎまで騒ぎまくってしまった。私はお酒は飲まないが、歌は歌う。それも超がつくほどのカラオケ好き。堺ではもう知らない人はいないが、南大阪では全くの無名。初めてみんなの前で歌って、日ごろの私とのギャップに驚いたことだろう。試合ではほとんどベンチに座りっぱなしで動かないが、カラオケでははじける。酒も飲まないで、何曲でも歌う。これに懲りずにまた行きましょう!
2009年03月11日
今日は、私とOコーチによる子どもたちだけの送別会。いつもお世話になっている「Tento」を貸し切りで、5時から7時過ぎまで騒ぎまくった。子どもたちは、飲んで・食べて・おしゃべりしてほんとに忙しい。私はと言うと、先日のグラデュエーションカップのビデオをプロジェクターで壁に映していたので、そればかり見ていた。やっぱり勝った試合は見ていても楽しいな。これで6年生を送り出すイベントはほとんど終了。でもいつもはボーリングとカラオケに行っているので、また時間を見つけてみんなを誘ってあげるからね! それとおいしい料理をたくさん出してくれた 「Tento」さんに ありがとう!
2009年03月10日
去年の9月で会社を辞めてから税金を払っていない。払っていないことは無いな。 すぐに住民税をまとめて払ってくれと連絡が来て、30万くらいまとめて払ったから、滞納している訳では無い。でもいつもの年末調整で帰ってくるお金が今年は無いので、それはどうしたらいいのかと市役所まで聞きに行った。そうしたらやはりこちらが申告しないと帰ってこないということだった。そうだよな。むこうからお金をくれるなんてことは、わざわざしてくれるはずが無いな。ということで前の会社に連絡して去年の源泉徴収票を送ってもらうことになった。それを持って今度は税務署の方に行かないといけない。お金をもらうのは大変なことだ!
2009年03月09日
体育館が使えなくなったことで、うちの子どもたちが進む中学での練習に参加させてもらった。いつもの土日は5時間くらい練習しているようだが、小学生にはちょっと長すぎるかな。今日はちょっと短めで4時間だったが、それでもまだ長い。小学生相手では思い通りのことが出来たうちの4番・5番も、相手が中学生になると簡単にはプレーさせてもらえない。技術的なことはほとんど変わらないので、あとは中学生のディフェンスに慣れることだな。ゲームにもたくさん出してもらって、期待されていることが分かる。3月はミニの練習もあまり無いし、出来る限り中学の練習に行こうと思っている。
2009年03月08日
市内のE小学校で選抜の練習が行われた。うちの小学校はすでに卒業式の準備で使えなくなっているが、まだ使える小学校もあるんだな。久しぶりの堺選抜の練習で、うちの子どもたちもどうかと心配したが、なかなかいい動きをしていた。先週のグラデュエーションカップの間に堺選抜は和歌山遠征をしていて、男子はあまりいい出来では無かったようだ。そのため今日の練習ではディフェンスについてだいぶ注意を受けていた。中学でバスケをやるにしてもディフェンスは当然重要になって来る。ミニで何を教えてもらったんだと言われないためにも、今のうちにディフェンスの基本をマスターしておいて欲しい。女子はちらっと見ただけだが、チームとしてのまとまりが出てきた。あとは技術講習会しか練習の機会は無いが、20日のカーニバルに向けてしっかり調整して欲しい。
2009年03月07日
3月14日に堺市が主催するスポーツフェスティバルというものが行われる。いろんなスポーツの有名な選手が来てクリニックを行うものだが、バスケットは元全日本の原田裕花選手が教えてくれる。午前と午後に分かれていて、うちの子どもたちは午後からの経験者の部に参加することになった。というのも、スポーツ少年団の本部から電話があって、参加人数が足りないから何とかしてくれないかとの依頼があったからだ。6年生には卒業前の楽しい思い出となることだろう。当日、私は南大阪のこれも講習会があるので参加できないが、みんな楽しんできてね!
2009年03月06日
今日から公立体育館を借りての練習。広くてきれいなのだが、リングが2つしかないのでシュートの練習には効率が悪い。まずはディフェンスからだな。当分はサイドステップ中心に足腰を鍛えることから始めよう。技術が無い分、体力で補うしかない。そう思っていたら10分間走を忘れてしまった。来週からはしっかり走るよ!
2009年03月05日
とうとう卒業式前ということで、体育館が使えなくなってしまった。卒業式は18日なので、まだ早いという気はするが、こちらは体育館を貸してもらっている身なので、大きなことは言えない。毎年のことなので公立の体育館は抑えてあるが、それでも週に2回くらいしか借りられない。4月にはすぐに新人戦が始まるので、今の時期は大切なのだが、これでは仕方ないな。週2回の練習でどこまで上手くなるかは疑問だが、やるだけのことはやろう!
2009年03月04日
昨日から新チームの練習が始まった。男子は、この1ヶ月くらいで入部した子が何人かいて、早くその子たちをバスケが出来るくらいのレベルに引き上げないといけないので大変だ。たぶんルールもそんなに分かっていない。そりゃそうだな、6年生が引退するまでは、ほとんど新入部員にかまってられなかったのだから・・・。いろいろ教えなくてはいけないことはあるが、まずはシュートから教えた。シュートが入らないと面白くないからね。5年生の新入部員は、サウスポーで身体も大きいし、シュートのセンスがある。相撲をやっていたそうで、ちょっと体重オーバーが気になるが、ちゃんと練習していれば痩せてくることだろう。来年の救世主になってくれるかもしれない。
2009年03月03日
最後の大会直前に6年生男子が2人怪我をしてしまい、出られる状態では無かった。1人は小指の骨が折れたのだが、指にギブスをしていても緩いパスなら受けられるし、出ようと思えば出られないことは無い。だがもう1人は膝を悪くして、ギブスは取れたがとても走れる状態では無い。だが6年生最後の試合であり、私としては1分でも30秒でも出してあげたいと思っていた。だから前日の練習の終りに、この2人に 「明日は絶対に出してあげる」 と約束していた。膝が悪い子の方には、「絶対に走らなくていいから、シュートだけを狙え」 というアドバイスまでしていた。ミニバスのルールでは4Qr目だけしかメンバーチェンジが出来ず、それもタイムアウトを取った時にしか出来ない。その上、怪我をしている子を出すのだから、残り2分くらいで10点はリードしていないと安心して出すことが出来ない。逆に10点くらい負けていれば最後に出すことも考えたが、土曜の試合はすべて接戦で4Qrの最後に逆転して勝つという試合ばかりだった。そのため約束していたのに、2人を出してあげることが出来なかった。「ほんとにごめんね!」でも優勝したことにより、膝が悪かった子は選抜のメンバーに加えてもらうことが出来た。もう1人には、やっぱり引退試合かな?なんとかいい方法を考えよう。
2009年03月02日
6年生を送り出す最後のイベント、「壮行会」 が行われた。5年生の保護者による企画で、ミニ運動会と親子バスケが楽しく行われ、式典のメインである卒団証書授与が始まった。今年は男女17人の6年生がいた。一人一人に証書を渡しその時に私から思い出を語るのだが、一人目の男子キャプテンの時からすでに私が泣きだし、ひどいことになってしまった。普段はあまり見せないが、私はすごく涙もろくて何にでも感動してしまう。昨日の大会では、男子キャプテンと「優勝したら南大阪の選抜に怪我をしている〇〇を絶対に選んでやる」 と約束していた。選抜には2人は選ばれるだろうが、それはどう考えてもうちのキャプテンと5番しか考えられない。堺では私はミニの協会で幹事となっていて発言力もあるが、南大阪ではただの新参者。2人のところを3人にする力など全く無い。優勝は無理だと思っていたから、期待半分でキャプテンにはっぱをかける意味で簡単に約束してしまった。実はこの日、ベスト4が決まったところで選抜の選考会がすでに行われていた。ベスト4のチームからは、各チーム2人は決まっていたが、15人目の枠が1つ空いていた。その時点でもちろん私は、「うちの〇〇を!」 と言いたいところだが、怪我人を選んでくれとはとても言えない。誰かが、「優勝したチームから考えましょう」 といった言葉もこの時はまったく現実味の無いことだった。ところがまさかの優勝。 キャプテンはほんとに頑張ってくれた。すると南大阪の役員の人が寄って来て、「もう1人選抜のメンバーを選んでください」 と言う。「〇〇をお願いします」 と震える声で伝えた。なぜかこの頃、願いが叶う。 それもこちらが無理に行動しなくても、向こうから来てくれる。 そんなこんなの思い出を語っていたら、30分はかかったしまったことだろう。今年は優勝もたくさんしたが、後半の女子は悔しい思いの方が多かった。それが昨日のアベック優勝ですべてを終わることが出来、最高の結末となった。みんな中学でもバスケを続けてくれるようなので、これからもみんなのことを見守っていきたい。コーチは中学校にも見に行くよ!!
2009年03月01日
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