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「東京温泉物語」説明は、上さんのブログでどうぞ!! 上さん11月29日分 温泉内の「岩盤風呂」に入って、休憩室の安楽椅子に寝そべって、ひとときの至福を味わいながらテレビを観ていると・・・・・(丁度テレビは、亀田三兄弟・長男と世界チャンプとのノンタイトル戦。相変わらずのパホーマンスでテレビカメラへメンチをきったりしている。) まさに、その試合が始まろうとしていたその時。離れた場所で休憩をしていた上さんが、「時間ですよ!」と呼びにきた。(別にケンカをして離れて休憩していたわけではなく、並んで休憩をとれないほど休憩室はこんでいた。念のため) 義弟(上さんの弟)と品川で会う約束(?)になっているから「着替えて」と。(“チェッこれからいいところなのに”と思ったが、決して顔にはださない。)(旅行にでてケンカをすることほど興ざめなことはないから) ここは年長者の寛容さを示して鷹揚に「ウン」と答えた。 温泉から最寄の駅まで無料バスがピストン運行されていたので、そのバスに乗って最寄の駅へ、そこから品川に向った。「PM18:00品川駅 待ち合わせ」ということだったが、PM17:45には品川着。 早速上さんが携帯電話で品川に着いた事を伝えると、近くまで移動中との返事。10分もしないうちに到着した。挨拶もそこそこに目的地に向う。 予約まではしていなかったが、昨日上さんがPCで検索していた、「品川プリンスホテル」の中華飯店(オーダーバイキング)へ。(外食をするときは、いつも上さん任せなのだが・・・昨日珍しく「何食べたい?」と訊いてきた。食べ物には「好き・嫌い」がないので、私は何でもいいのだが、あえてと聞かれると「中華料理」と答えることにしている。理由は二つ。一つは「気取らないでいいこと」、もう一つは「料理に格差(味)が少ないこと」) 早い時間だったせいか客も疎らで、席へ案内されるなりビールと4~5品の料理を注文した。 暫くぶりの再会を祝して「乾杯!」。間をおかずに料理も運ばれてきた。義弟と私はビールを飲みながら、小皿に取り分けて食べ始めたのだが・・・・いつもなら箸の休む間もないくらい健啖家の上さんの箸が一向に進まない。最初の5皿を食べ終わって、次の5皿を追加したのだが・・・・・上さんの箸は完全に止まってしまった。?????「ど~~した?」と聞いたら、「頭がいたい!」という。(久しぶりの大都会の空気と私の迷子を気遣って疲れてしまったのか???) 「ゆっくり食べればいい~~さ」といって、ビールも追加したが・・・ 「気分が悪いから・・トイレに行ってくる」と言い出す始末。「ゆっくり 行ってこいよ!」といったが・・20分・30分戻ってこない。心配になって、あと10分戻ってこなかったら、ウェートレスに・・・トイレを見にいってもらおうか?と考えていたら、漸く戻ってきた。「大丈夫か?」と聞いたら「うん」と答えたが元気がない。 30分くらい箸も付けずに我慢をしていたらしいのだが・・・・「料理の臭いが鼻につく!」と言い出した。「うっ」とうめき声が洩れたと思ったら・・・・・おしぼりにプレゼントを撒き散らした。ことの顛末は、上さんのブログで“どーぞ!”「結論!!」 上さんとの旅行は「乗り物時間2時間以内」が限度!! おわり。
2005年11月30日
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休憩!! 「人間ドック」のため。 病気じゃ~ぁなくても、単なる「ドック検診」だけでも病院はいやなもんである。 あくまでも事務的な受付嬢の応対。言葉遣いも覚束無い看護師の検診説明。もう それだけで気が滅入ってしまう。 それに加えて今でも病院の待合室は、じ~ぃさん・ば~ぁさんで一杯である。その比率は、年寄り95%は下らないだろう。また・・その中でじ~ぃさんとば~ぁさんの比率は1:9。※ 各言う 私もじ~ぃさんのひとりに入るのだが・・・・・「待合室」で順番を待っているあいだ、このば~ぁさん達の会話を・・・聞くともなしに聞いていると・・・これまた“凄い!!”「おまえさん 何宗かね~~?」「浄土真宗じゃがね~~」「お西か?お東さんかね~~?」「お東さんじゃろ~~」「浄土真宗は西も東も、仏壇が金ピカやな~~?・・・・・・・・・・・真宗と浄土宗は違うんだよね~~?」「・・・・・そうそう。新家で新しく死人が出るとどぇりゃ~ぁ金が掛かるよね~?」「通夜から・本葬・七日ごとの法要で、とりあえず49日まで。仏壇・墓地・墓石までそろえたら、ナンボかかるんだろう。」「香典も半返しだから何ぼも残らんし!懸けたら限がないし~ぃ?人並みだと何ぼ・・掛かるんやろう??」「最低半分は(500万)かかるやろ~~ぅ?」「難儀なこっちゃ~ な~~~」「そ~~ぅ言えば今は、通夜と葬式は・・・祭事場でやるところが多いけど、会場費ナンボ・酒料理ナンボ・泊まってナンボ・布団借りてナンボ・・・・入浴施設もあるげなで・・入浴一人500円・石鹸500円・タオル500円用意は全部、会場でしてくれるげな・・座っているだけでいいから、楽やけど」「金が掛かるこっちゃ~~ぁ ねっ」 延々とこの手の話が続くのだけれど・・・ 私もば~~ぁさん達にも、まだまだ検診・診察のお呼びはかからない。「市民検診」とオプション検診。 終了までに要した時間と費用 時間:1時間20分。費用@21.00円 結果は来週の水曜日だとか・・・
2005年11月29日
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「駒形どぜう」入店AM11:45。 一階の座敷はほぼ満員で、地下のテーブル席へ案内された。 (泥鰌は子供時代、「遊びと食糧調達」を兼ねた仕事?だった。“胴”という竹でできた筒状の道具にヨモギと餌のミミズを詰めて、夜に田んぼの水路に沈めて置き、朝早く回収。一つの胴の中に少なくても10匹ほどは入っていた。) (獲って来た泥鰌は、綺麗な井戸水に一昼夜放流して泥を吐かせて、牛蒡のササガキ・豆腐・刻み葱と一緒に味噌汁にしたものだった。) どぜう専門店と思っていたのだが、案に反して鯨料理や鯰料理もあった。 席へ着くなり、四十がらみの仲居さんが注文を取りにきた。「おのみものわ~~?」「??ん~~お茶ください」 (商売をしていた時分は、一日・ビール大瓶5本は毎日飲んでいたものだったが・・・商売を辞めてからは飲む気がしなくなったし、少し飲んだだけでも赤面するようになってからは、まるで欲しいと思わなくなった。)「どじょう定食 二人前 お願いします」※1.「どじょう定食」泥鰌丸鍋・焼き豆腐と蒟蒻の田楽・漬物・泥鰌汁・ご飯。一人前@2.400円(税込み)※2.「泥鰌の丸鍋」泥鰌を開かずに丸のまま鍋物にしたもの。「はい、わかりました。」「??・・・・??」待つこと2分「泥鰌の丸鍋」がやってきた。「泥鰌鍋は初めてですか?」「はいっ」 「丸鍋は一度柔らかく煮てありますから、鍋をガス台に掛けて葱を好みの量乗せ、煮上がったら山椒・南蛮振って食べて下さい」 (会話の発音が微妙に違う・・中国人か韓国人? 一瞬迷ったが中国人に違いない。) 「泥鰌の丸鍋」は、小さな鉄鍋に15~16匹の丸のままの泥鰌が、割り下に綺麗に並べられてあった。5分ほど鍋が沸騰するのを待って食べ始めた。 割り下は私には少し甘く感じられたが、泥鰌は柔かで癖はなかった。むしろ後味のほろ苦い内蔵の苦味が反って野趣を誘い美味!! 泥鰌汁は西京味噌風の甘味味噌で、私には甘すぎた。客を見回したら年配者が多い。(そのせいかご飯が柔らかい。すぎ?) それなりに堪能して店を出る。出店 PM12:45。(名古屋名物「味噌煮込み定食」よりはリーズナブルか?あくまで私信。)
2005年11月28日
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四十年前・・でぶ・理が大学生のころ。名神高速道路が営業を初め、新幹線が東京~大阪間に開通し、カラーテレビが普及の兆しを見せて、東京オリンピックは終了した。 ある政治家などは「もはや。。戦後は終った!!」とノタマッタりもした。 おなじ頃 加山雄三主演の「若大将シリーズ」(映画)がヒットしていた。そのシリーズの中で「駒形どぜうの若大将」があって、・・・映画を観て来た15人の同下宿人たちは、バイト料をためて「駒形屋へ行こう!」という事になった。(グルメの走り??) 数ヶ月のバイトの後・・・15人の青年たちは食べに行った。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・遠く八王子の夜景を望む!!烏山の「ウズラ専門店」へ??? ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ “紆余曲折すること40年!東京に行く事になって、「昼飯は何処にしょうか?」ということになったのだが、 (「世はグルメ時代?」になって久しい。) 上さんがPCで検索するまでもなく、タウン誌やテレビ番組でのこの手の情報は、「老舗店」・「名店」・「新名店」の類は引く手あまた。 しかし・・上さんが何の風の吹き回しか知らないが・・・・「駒形どぜう」に行きたい!!」と・・言い出した。 ・ ・ ・ ・ ・ 東京行きの目的の一つである「カッパ橋調理器具専門店街」探訪?事前調査(PCで)していた店へ直行してそうそうに、「業務用フードプロセッサー」&「調理成形小刀」を買い求めて、商店街をぶらぶら見学。(驚いた事は店の数もそうなのだが・・・・・その単価の安さだ。取り分け陶器の安いのにはぶったまげた。産地の「陶器市」より安いのだぁ~~!! 一通り店店を見て回って、花やしきに向う途中の「金龍公園」で一服。公園には親子連れより断然、老人と鳩が多かった。(ここでも驚いた!「都会のハト」は太っている・・少なくとも・・「勝ち組名古屋?」と言われているそれよりも・・・・・・・) 公園で一休みしながら思い出していた。中学生時代の修学旅行は、日光・東京・鎌倉方面だった。・・・・東京見物は、当時始まったばかりの民放テレビ・日本テレビ局見学・忍ばずの池・上野動物園・浅草松屋デパート・国際劇場でSKDのラインダンス観劇宿泊も上野近辺だったが・・浅草寺・門前町商店街の見学はなかった。(48年過ぎ去って今、つくづく思ったこと。当時の先生達は浅草寺界隈の見学を避けたのは一途に田舎もんの迷子を恐れたからなのだろう。) 前以てブログで情報を教えてくれていた[歩くオレンジさん]の厚意?で・・「駒形どぜう」へ向うべく車引きのお兄ちゃんを探したら、「いるわいるわ」その中の一人を捕まえて「駒形どぜう屋」といったが・・・・・夫婦の体型を一目見て・・・聞こえないふり?をして・・遠ざかっていった。「駒形どぜう」は近いが・・まだ着かない!! よって続きはまだまだ。
2005年11月27日
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市民検診(無料)に「バリウム検査」・「大腸検査」・「前立腺検査」・「胸部レントゲン検査」・「喀痰検査」(有料)を加えて人間ドックの予約に行って来た。 市民検診には指定病院があって、本来なら「市民病院」という事になるのだが、相次ぐ不祥事のため、敬遠して私立の総合病院した。 この町には同規模の総合病院が二つあるのだが・・・・一つは「ほにゃらか記念病院」、もう一つが「なんだこりゃ病院」。評判は聞いたことが無いので分からないから、右にある「ほにゃらか病院」にした。 予約だけだから手続きも簡単に済むだろうと高をくくって行ったら、先生に「聞いて見やんといけん!!」からということで待たされた。 待つこと30分。第一診察室に呼びだされた。入っていくと「検査確認」。「予約状況」を調べるからと廊下で待つようにいわれた。 待つこと20分。若い看護師が出てきて「火曜日は一杯かも?」という。それなら「水曜日でもいいですよ」と答えたら、検討するから待ってくれという。 (でも・・覗き込んだ予約表は空欄だらけなのに・・わからん?!) さらに待つこと20分。検査技師らしき人が診察室から出てきて、「検便」&「痰」のサンプル入れを渡してくれて、「問診表」をここで書けという。 あまりの不手際に文句をいいかけたら、聞き取りで私が書くからと言い出した。聞かれるままに「問診表」を作成して、予約日を聞いたら「火曜日の午前8:30~」“おどろ~~いた!驚いた!!” 自分の辛抱強さに驚いた。 ひと昔前の私なら絶対文句を言う筈なのに・・・・・思わず誰かのフレーズで、「自分自身を褒めてやりたい!」 考えてみると(考えなくても・・)気が長くなったもんだ!追い討ちをかけるように上さんの言葉が・・・・「おっとう!!年を取っただけ!!」
2005年11月25日
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秋の連休に京都・奈良に行く予定を立てていたのだが、上さんが国勢調査の調査員を仰せつかって(?)脆くも計画は潰えた。 もともと大して旅行が好きでない俺は、「仕方がない。」で諦めが付くのだが、旅行好きの上さんには、我慢が出来ないことだったらしい。 一ヶ月ほど前、上さんがJRの旅行パンフレットを、新聞の綴じ込み広告から見つけ出してきて「東京カッパ橋へ行こう!!」と言い出した。予定していた旅行が中止になって、イライラしている上さんの心情を察して、いい加減な生返事で「い~いよっ」と言っておいた。 それから二週間くらい経ったある日、上さんが「この前の旅行申し込んでおいたから」と言ってきた。 「あ~ぁ」と答えてそのまま忘れかけていた旅行が、今週の土曜日に迫ってきた。 「1day日帰りプラン 名古屋~東京往復 @14.800円」 コースは二通り、【ランチコース】と【リフレッシュコース】。選んだのは後者の【リフレッシュコース】内容は・・・・・【お台場】大江戸温泉物語三昧!!入館権(浴衣・タオル使用料・施設使用料含) 「カッパ橋」では、前々から欲しかった調理道具。「業務用フードプロセッサー」と「調理用小刀」を買うつもり。後は目の保養で調理専門問屋巡りをしてどっかで昼食。その後、【大江戸温泉】で入浴。時間があったら新橋付近で夕食・名古屋帰路。 東京は何回か行ってはいるが、今や故郷へ新幹線で帰るときの通過駅。もともと学生時代に東京には住んでいたもののあまり知らない。 よってすべて上さん次第。・・・・・・・・上さんはここ二・三日、PCを駆使して情報集めに終始している。 「俺はただ上さんから迷子にならないように神経を集中するだけ!」
2005年11月24日
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今日は休み。日差しの暖かさに誘われるように寮の外壁掃除を始める。 今年も残す所40日をきって年末大掃除の時期を迎える。今から少しづつ片付けて置かないと、新年を迎えるのは覚束無い。 食堂に顔を出すと寮生が遅めのブランチを食べている。「おはよ~~ お出かけですか?」と声がかかる。「おはよ~ 掃除!」「休みでしょう?」「掃除・・今からしておかないと、間に合わないから?」「・・・・・へぇ~~っ」「・・・・・・・」「手伝いましょうか?」「えっ!?」と振り返ると、蔡さんと斯さんが笑顔で立っている。他の寮生はそそくさと食堂から出て行く。「僕達休みですから、手伝いますよ?」「・・・ありがとう・・いいよ、俺の仕事だから、それより今日も釣りに行くんじゃ~ないの? 自転車使っていいよ」「いいんですか?僕達暇ですから・・」「い~~よっ いい でもありがとう~ね」 今は・・・・食堂には誰もいなくなった。
2005年11月23日
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木曾伝統の「すんき漬」 今朝の朝刊を開くと、アトピー性皮膚炎や花粉症の原因とされる抗体イムノグロブリンE(IgE抗体)の生成を抑える乳酸菌が長野県木曾地方の伝統発酵漬物「すんき漬」の漬け汁に含まれていることが、信州大農学部(箕輪村)の保井久子教授の研究で分かった。 「すんき漬」木曾地方の伝統野菜である大滝カブや開田カブの葉を無塩で発酵させた漬物。 私には↑の病気は無関係だが、上さんが花粉症で毎年大変な目にあっている全国のアトピー性皮膚炎や花粉症悩んでいる皆さんへ!!今後の研究の成果を注目していてください。「すんき漬」です。
2005年11月22日
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人のうちにお邪魔した時、そのひととなり(為人)は玄関でわかる。言わずもがな「玄関」は、その家の顔である。昔の人はよく言ったもので「玄関の汚い家には、金運も幸せも遣って来ない」と。 この寮に来たとき、玄関の汚いのには驚かされたものだった。下駄箱があるにもかかわらず、脱ぎ散らかった靴が、所狭しと散乱していた。早速、寮の初仕事ということで、寮長に玄関掃除を申し出た。寮長も気にはしていたのか、「よろしく!」ということになった。つきましては靴を片付けさせるので、1週間の猶予をくれ!という事に。しかし1週間は直ぐ過ぎ去って・・片付けは全然実行されていなかった。業を煮やして寮長に文句をいうと、「もう1週間だけ待ってくれ!」と言い出した。待つこと1週間。結果は同じだった。そこで片付けられそうも無い靴を、断固処分することにした。 一応整理してみたら58足の靴。「燃える塵」専用のゴミ袋三杯になった。 それから1年半。今は綺麗になった玄関。 金運や幸せが俄かには遣って来ないにしては、「清潔と世間の評判」は、取り戻している。
2005年11月21日
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「ム~~ン???」この際、上さんの顔を無視して、封筒の宛先を書き始める。(それにしても・・・○○子って誰だろう?) 自分の意識(無意識でも)の中では、出て来る理由(わけ)のない漢字いくら記憶を辿っても解せないし・・・考えている自分がバカらしく、笑えて来る。(それにしても・・・・???)そんなことを考えながら・・・・封筒の宛名を書き終えて、「切手ある~?」と上さんに聞く。(顔は見てなかった気が・・・する。)とっさに「ないっ!」という答え。「あ~~そっ」素っ気無い答えには、素っ気無い返事を返すしかない。・・・・・・暫らくの沈黙が続いたが・・・上さんが・・「あ~~記念切手ならあるかも~?」「い~~よっ、郵便局で買ってくるからっ」「い~~ぃんじゃない。集めているわけじゃ~~ないんだし」「・・・じゃ~ぁ、貰っておこ~うか?・・ごめん」(なんで・・こんな時。無意味に謝るんだろうか?) た・ぶ・ん・・・これまで生きてきた人生の経験で・・・・謝る事で問題解決を図ってきた又は逃避してきたことが何回もあって、自然に心無い無難な言葉が・・・口をついて出る? 封筒に切手を貼っていると上さんが、「私も・・出す手紙があるから、一緒に持っててやるわ~~」と、「じゃ~ぁ お願いっ!」と、封筒を上さんに渡す。(こういう時は、素直に甘えたほうがいい!) 封筒を受け取った上さんが・・・・・・急に、「これー何っ!!」と叫ぶ。「な 何かあった!?」と俺。今度は、上さんの目をじ~っと見ながら・・・「なによーっ 何で娘の苗字が□△×なの~~?」「え~~~っ!?」 渡した封筒の宛先を・・見て驚いた。「旧姓」・・・つまり・・俺と同じ苗字が書いてある。「貴方の娘は○◎でしょ~~うっ!! バカか~~ぁ!!」「・・・・・・・・・」ばか・バカ・馬鹿!!・・確かに馬鹿である。「書き直しなさいよ~~!」「・・・・・・ぅん」力ない俺の返事。 老化現象は各まで進んでいるのだろうか? しかし。上さんの間違えた名前・・誰なんだろう?
2005年11月19日
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毎日の日課になって来た、上さんの「昼寝」。今漸く眠り始めた(?)。 先日 娘から来年のバレンタイン用チョコレートの試供品が届いた。娘は菓子問屋に嫁いだので、季節の変わり目に新製品が出るたびに、試供品を送ってくれる。(殆どチョコレートの新製品) 私は甘い物は食べないので、たぶん、上さんへの気遣いで贈ってくれているのだろう。 いつもなら簡単に、電話でお礼を済ますところなのだが・・・・電話では済まされない用件があったため、久しぶりで手紙をということになった。 時候の挨拶に始まり、牛肉問題や鶏インフルェンザの話題を織り込み、なお且つ上さんが非常に喜んでいるとの言葉も添えてお礼と用件を、日頃書くことのない手紙を、やっとの思いで書き終えた。 たったこれだけの文章にもかかわらず、誤字脱字の心配から、上さんに確認してもらうために、その手紙を渡したのだが・・・・ 数秒もしないうちに、上さんの罵声。『私の・・名前!こんな字じゃ~ぁないっ!!」「???」手紙を覗き込んで驚いた。 上さんの○○子には読めるが・・・全然字が違う。「私の○○。こんな字じゃ~ぁないっ!!」『確かに違う!!』・・・?????・・ 上さんと同居するようになって約6年。籍を入れても約2年。特に最近は、上さんが凝っているクローズド懸賞の代筆を頼まれて、日によっては10通も葉書を書くことがある・・・のだが・・?上さんの名前を間違えた。 いい訳にはならないにだが・・・全然覚えの無い『字』。天地神明に誓って、記憶にない「名前」。・・・・・でも・・間違えた!。 昼寝の息遣いに兢々としながら・・今はここまで・・・・・・・・
2005年11月18日
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大黒屋光太夫記念館が開館 大黒屋光太夫は宝暦元年(1751年)伊勢国南若松村(現鈴鹿市)で生まれ、白子で伊勢と江戸の行き来する船で船頭として働いていた。天明2年江戸へ出航した船が途中で暴風雨に遭い漂流。アリューシャン列島の孤島・アムチトカ島に漂着した。その後、カムチャッカ半島、シベリアのイルクーツクと移動した。 フィンランド出身の植物学者キリル・ラスクマンと知り合い、彼の助言によりロシアの首府ペテルブルグに行き、女帝エカリーナ2世に謁見。女帝はラスクマンの息子、アダム・ラスクマンを通商要求のための遣日大使に任命して、光太夫らと共に日本に行くように命じた。 寛永4年(1792年)帰国した光太夫を待っていたのは、江戸での取調べ。当時鎖国を引いていた日本は、通商の要求を受け入れるわけはなく、光太夫も江戸に「軟禁」されて生涯を終えた。 市民の要望で「大黒屋光太夫記念館」が出身地の鈴鹿市若松中に13日に開館。所蔵品には「漂流人帰国松前堅之図」(ラスクマン一行と光太夫の帰国絵図)。新たな資料として晩年の「光太夫の墨書」などの貴重な展示物がある。同館の開館時間 午前10時~午後4時まで。休館日 月曜・金曜と第3火曜日 入館無料。問い合わせ TEL=0593-85-3797までホームページ http://www.edu.city.suzuka.mie.jp/kodayu/ このあとの鎖国時代の日露交流は、司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」高田屋嘉兵衛(1769年~1827年)の物語へとつづく。
2005年11月17日
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先日、テレビ(新聞紙にも載っていたが)を観ていたら、北京の有料トイレが紹介されていた。来たる「北京オリンピック」のために作られたトイレだった。・・が・・・それにしても・・・驚いた。紹介されたトイレは、大便用(?)だった。一部屋に三ッの便器が並んでいた洋式トイレだったが、仕切りがない!昔、商社の人に中国の有料トイレの話を聞いてはいたのだが・・・・・中国の田舎にあった有料トイレは、大きな小屋があって、溝が一本掘ってあるだけ。その溝に川から引いた水が流れているだけの仕切りの無い便所。誰が来るのではないかと気になって、出るものも出ず。。。一応・・悪戦苦闘の末・・用を済まして、小屋の外に出ると・・・何処からとも無く老婆が出てきて・・「便所代」を要求。(余談だが、彼が言うには、中国の「汚わい」の臭気は、想像を絶するほど「臭い!!」らしい。)確かに日本人の便所も、一昔前は「ボットン便所」で臭かったが、そのトイレは、飽くまでも「個室」だった。北京の有料トイレは、中国人専用トイレなのだろうか?だって・・・四方や外国人が入るとは思われないから・・・・・そういえば中国人留学生の衛生観念には、シバシバ驚かされたものだ。食器を洗う時、タンクに大量の食器洗いの洗剤をぶち込むのはいいとして?、洗った食器の濯ぎは、大概の子は雑だった。「キレイに濯ぐ」ように注意すると・・「洗剤で洗っているからいい!」と言う・・・まして自分の食べた食器は、禅寺の坊さんよろしく流すだけ・・何回かお客さんとの旅行会で、温泉に連れて行ったが・・・流石「儒教の国」で、他人の前で裸を見せるのは恥ずかしがるのだが・・慣れてしまうと・・後がいけない・・・湯船にタオルは入れるし、洗い始める。注意しても「意」には解さない。ここの温泉の湯は飲めると言うと・・湯船の温泉を飲み始めようと・・・・・思わず・・注意すると・・「だって、健康にいいんでしょう!」とノタマウ。ここまで書くと・・その人は特別だ~~ぁ!というかもしれないが、実際に目の当たりにした話だから、それも・・一回だけではないのだから。話は続くのだが・・・今日はここまで 後日談は・・日を置いて・・掲載予定???
2005年11月16日
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先日年賀葉書を買いに行ったら、こんな募集を見つけてきた。ブログを訪問してくれる人の中に、かなりのペット自慢の人がいる。来年は「戌年」という事での今回の「募集!」。我が家の「犬自慢!諸兄!!」、是非参加してみては如何かな~~!!「我が家の愛犬年賀状コンテスト」【募集期間】 平成17年12・15(木)~平成18年1・10(火)【応募方法】 平成18年用年賀葉書(写真用又はインクジェットに限る) 愛犬の活き活きとした表情をご応募下さい。 (吹き出しや背景の切り抜き等の加工・修正はなし) 葉書の表面に応募者の郵便番号・住所・氏名・電話番号、 愛犬のお名前・性別・年齢を記入して下さい。【送付先】 〒450-8799 名古屋市中村区名駅1-1-1 名古屋中央郵便局 名古屋駅前分室 「我が家の愛犬年賀状コンテスト」係【審査方法】 日本郵政公社東海支社、日本ペットモデル協会名古屋事務局 及び有識者において、愛犬の表情、しぐさ、可愛らしさ等、 年賀状全体のできばえより審査を行います。【賞状】 日本郵政公社東海支社長賞 1点 日本ペットモデル協会賞 1点 優秀賞10点 佳作20点【審査結果発表】平成18年2月頃発表予定。【表彰式&作品展示】平成18年2月の表彰式を開催し、名古屋中央郵便局等に、 受賞作品を展示する予定。【その他】(1)お一人様何点でも応募可能ですが、年賀状1枚につき1作品として下さい。(2)1作品に複数の愛犬が写っていても可能ですが、飼い主が異なる場合は、 代表の飼い主の応募として下さい。 (代表以外の飼い主の了承を得て応募して下さい)(3)飼い主以外の応募については、飼い主の了承を取ってください。(4)作品は、未発表のものに限ります。(5)著作権等による争議が生じた場合、日本郵政公社東海支社並びに、 日本ペットモデル協会 名古屋事務局は一切の責任を負いません。 (6)応募作品の一切の権利は、日本郵政公社東海支社&日本ペットモデル協会 名古屋事務局に帰属します。(7)応募作品は返却いたしません。(8)応募作品に記載された個人情報は、入賞作品の発表・紹介や記念品の 送付等に利用します。応募者の同意なく、利用目的を越えて利用する ことはありません。 また、日本郵政公社名古屋支社&日本ペットモデル協会名古屋事務局と、 機密保持契約を交わした企業に、本コンテストの実施のための業務を委託 する場合を除き、第三者に開示する事はいたしません。主催:日本郵政公社名古屋支社 協賛:日本ペットモデル協会 名古屋事務局 平成18年度ペットモデル1月より募集開始!日本ペットモデル協会名古屋事務局 TEL:052-961-1170日本ペットモデル協会 自慢の愛犬をこの際、ブログアイドルから表社会へデビューさせては・・
2005年11月15日
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昨日の夕方からの肩の凝り具合で、今日はテッきり雨かと思っていたが、今の所はまだ降っていない。それにしても・・・・左の首筋から肩全体にかけて、鈍痛が走っている・・のには閉口する。過って肩こりなど皆無な男として・・四十肩・五十肩など経験が無く、「俺には肩こりなどない!」と嘯いていたのだが・・・それは・・ つづく? 朝の片付けのため!!!!!!!!! 塵出し・食器洗い後夫婦の朝食。そのまま風呂・台所掃除・夕食の下拵え。 (上さんは洗濯・各階の便所・廊下掃除Etc)休憩に入ったが、結局 雨は降りそうにない。だが・・肩こりは依然と続いていて、寧ろ酷くなっている。肩こりの鈍痛が後頭部まで刺激するので、堪らずホカロンを貼る。七年前・・前の上さんが急逝した折。暫らく、娘に手伝って貰って店を再開したのだが、閉店後。娘が帰った後に、一人になってしまった店で、所在無げに手酌で酒を飲んでいたのだが・・・止めてくれる人もないままに飲み続けて・・そのうち・・眠りこけて・・・椅子から転げ落ち・強かに肩を打ってしまった。それから暫らくは、腕が肩まで上がらない状態が続いていた。しかし・・ここ2~3年。その症状も完全に改善(?)されて・・・テッキリ治ったものと・・・・思っていたのだが・・・昨日から・・また肩こりがしだした。左の肩が後頭部から腕までに掛けて鈍痛が走っている。年末にかけての大掃除が始まるというのに・・難儀なことになって来た。とりあえず・・・・昼寝・昼寝・昼寝をしてみよう!
2005年11月14日
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午前中暖かかった天気も、午後になると急激に気温が下がって来て曇り空。朝のうちに用意した関東炊き(おでん)は、的中!!?関東炊きのコツは、出汁次第。昆布と鰹から摂った出汁で、殆ど決まってしまう。後は好みの具を、熱湯で脂ぎりをしたら、ただ只管弱火で煮込むだけ。最近 懸賞&公募・コンテストの応募をサボっていた??ので、久しぶりで気を入れて、ハガキ書きに専念することにする。3ヶ月位・・戦績が悪かったので、応募を止めていたが、年末を控えての小遣い稼ぎ??如何なる結果になりますか・・・??今日は“賞金稼ぎ!!”????
2005年11月13日
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日本人の精神風土の起源 図書館から帰ってきたら、予ねて予約していた↑の本が届いていた。この本は、私が毎日お邪魔している、小川ジョージ氏のブログ「武蔵野航海記」を、一冊の本にまとめた第一弾である。日本人の常識?(精神風土)が何処から生まれたのかを、価値観・宗教観を交えて近隣諸国の古代史との対比で異質な日本文化を解き明かして行く。そして、その先にある世界との関係まで迫っていく力作第一弾!私の下手な解説よりも、彼のブログをまず読んで、興味を持ったら、貴方の蔵書の一冊にくわえて欲しいものである。小川ジョージ氏ブログ
2005年11月12日
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何気なく朝刊を開いたら・・・鶏売買通報に奨励金の記事が目に付いた。北京の食品安全監督事務所が、鳥インフルエンザの感染予防のため、市民に対して生きたニワトリやアヒルの販売、または絞めるところを見かけた場合通報を呼びかけ、最高1万元(約15万円)の奨励金を支払うと発表した。先年のサーズの失敗に懲りたのか?はたまたインフルエンザの蔓延の兆しなのか?、今後のニュースの流れに注意しなければならない。 寮は風邪流行(はやり)である?。12月に仮決算があるせいか、最近 寮生の帰宅がより遅い。一見頑強そうな彼等だが・・見掛け倒しで弱い。共同生活のせいか、一人風邪を引いてしまうと次々に移ってしまう。まして彼等の取引先は東南アジア。とりわけ中国への出張が多い。鶏インフルエンザも懸念されているので、ますます心配である。今日も一人上海~青島へ向ったが・・・・?それにしても・・今の若者達は、見かけによらず弱い。純粋培養で育ったせいか、自然治癒力・免疫力が弱まっている。今の子供達の方が栄養的にも、私達の時代よりは断然勝っているはずなのに?(昨日からのつづき)3.料理それ自体が嫌い!!?料理を作ることが嫌いな人でも食べる事が嫌いな人は・・、まずいないだろう。もし・・いたとしたら、それは間違いなく病気に違いない。料理嫌いな人の話を聞いていると、1.作ること自体が面倒くさい。2.台所が汚れるから、3.後片付けが嫌だ、 3.味が分からない等々。1.作ること自体が面倒くさい。自分で作らなくても、デパート・スーパー・コンビニ・弁当専門店等々で、見栄えのいい料理が、安価な値段で提供されているし、また予算が許すなら町場には、色々な料理店も氾濫しているので、絶対喰いっぱぐれることはない。しかし ↑の売り場で売られている製品(敢えてこう呼ぶ)は、・・必ず添加物が添加されている。(食糧庁のお達しで)次に、町場の料理店に行くことは、別に反対ではない。普通の家庭(?)では、月に1~2回のことで、マンネリ化した毎日の食事の気分転換にもなる。ただ・・覚えておいて欲しいのは、これ等の店で提供される料理の原価率は、概ね35%~40%に抑えられている。後は・・・技術料・雰囲気・利益である。(勿体無い!!???)だから・・・町場の料理屋に行ったなら、「元を取ろう!!」である。出来たらオープンカウンターの店がいい。カウンターに椅子席があったら、そこに座るべきである。何故なら、高い、身にも付かない料理学校へ授業料を払うよりも、より実践的な料理を、材料・調理方法・作業手順・片付け方まで、目の当たりに見て・覚える事ができる。(そうそう、それより第一に料理に興味を持つ一歩になる筈だから・・・)そして・・・もう一つオマケを言うならば、親しくなった調理人に、料理のコツ(秘伝?)を聞けるかも・・・?2.台所が汚れるから。3.片付けるのが面倒くさい。2と3を言う人は、自分の要領の悪さをまず認識して欲しい。高々、鍋・フライパン・ボール・食器を洗うのに、如何ほどの時間を要するのか?。要領の悪い人に限って、大概あとで纏めて洗おうと思っている人が多い。「一つ作ったら、片付ける。一つ作ったら片付ける。」を心掛けたら、食後は食べた食器を洗うだけではないか?何分掛かるというのか?間違っても2と3は、口が裂けても言わない方がいい。それを言うことによって、貴方のダラシナサを披瀝しているだけなのだから。4.味が分からない!?料理を作る以前の問題なのだが?・・こう言う人でも・・・人の作った料理に、「まずい!」とか「美味しい!」と言う。なら・・・・味が分からない訳ではない。もし、それでも↑の言葉をノタマウならば、味覚障害者か料理を作ることを全否定している人に違いない。料理本を参考にするならば、その分量通り作ればいいし、味見をして味を覚えたら、後は自分の好みにすればいい。味に自信が持てなかったら、薄めの味付けにすればいい。薄めの味付けならば、後で調味料を足せばいい。第一健康にもいい!ここまで書き進めて「ふっ!」と思った。このブログの愛好者の中には、沢山の料理好きや料理自慢がいる。それを見ているだけで、料理上手なれるはず!・・・・・しかし!!料理下手の料理嫌いは・・そんなブログを読まないか!これが一番問題だ。という事は・・・私はテーマを間違えていた。因って駄文は無駄!! (ハァ~~)溜息がでる。お・わ・り?
2005年11月11日
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小春日和で風もなし。温暖化日本の昼下がり。天気屋親父は調子者。思いも定めずキーを打つ。なにをテーマに書くのやら・・・??出たとこ勝負は昔から、「こんにちは」だけが人生で、「さよなら」するには早すぎる。自分のブログに嫌悪を覚え、人のブログに寒心し、打とうとする気も萎えて来る。小春日和の昼下がり。手持ち無沙汰に誘われて窓際あそぶ雀等に、つい口ずさむ他人(ひと)のうた。「われときて あそべやおやの ないすずめ」ぼうぼうたるや我が思い、兢々たるや我が命。宴のあとの静けさに、折り返しなる人生の、おき火に息を吹きかけて、行き着く先はまだ遠し、のんびり行こう尽きるまで。馬鹿なことを書いたがこれは遊び。“料理が下手だから作るのが嫌いだと言う人がいる。”そんな人でも“食べるのは好き”と言う人は多い筈だ。そこで・・・なんで料理を作るのが嫌いなのか暇に任せて考えてみる。1.「献立を考えるのが面倒!!」この問題は、すぐ解決する。今 巷では料理本が氾濫している。だから・・それらの本を参考にして作ればいい訳だ。別に本を買わなくても、新聞を取っていれば献立は載っている。ここで注意する事は、参考書を何冊も持たないという事だ。本来料理を作る事の嫌い?な人は、料理本を何冊も持つ事で、作れもしないのに目移りばかりして、結局作るのが面倒になる。自分が決めた一冊だけを完全にマスターすればいいのだ。そういう事を考えてお奨めするなら、NHKの「今日の料理」がお手軽だ。この本を一冊買って、時間が許せば番組を見ればいいし、もし、見れなくとも材料・分量・手順は、一目瞭然である。この本を一年購読すれば、確実に季節の献立と料理は貴方の意のまま。2.「料理に時間がかかる!!」この言い訳は、料理嫌いの言い訳にはならない。何故なら・・その本の料理は下準備から完成まで、使用時間は概ね30分。それ以上に掛かる料理は、煮込み時間が掛かるだけで、時々 鍋の状態を見るだけ・・・(その間は他のことが出来る。)つづく!
2005年11月10日
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昭和43年 或道路会社に入社して、最初の仕事?は、赴任した担当地域の道路状況を、先輩と一緒に回って視察することだった。当時 東名は全線の開通を目指して、急ピッチの工事が行われていた。まず最初に支店の有った愛○県を視察した。その感想は・・・“すべての道は豊田に通ず”という感がしたことだった。その舗装状況は、一部の道路を除いて本舗装(アスファルト舗装)が主体だった。次に岐○県。岐○の舗装理念は特異なもので、主要幹線(県道)を除いて、その殆どが簡易舗装(マカダム舗装)で、山奥まで施されていた。そして、その舗装の維持補修は、県のモータープールという機関があり、定期的なオーバーレイで賄われていた。最後に三○県は、伊勢湾台風以後の護岸工事に予算を割かれていて、三県では一番遅れた舗装状況だった。 そんな中、三○県を回っていた時。四○市市を絶えず通る訳だが・・・常時車の窓を閉めなければならなかった。その辺りを通る時、風や天気の状態で多少の違いがあったものの、町中に異臭が立ち込めていて・・・・とても・とてもの状態だった。(当時、T道路会社の営業車は冷房車が認められていなかった。が・・・翌年から、この地区だけは全国に先駆けて冷房車が認められた。)町全体が柿の腐ったような臭いに覆われていて、夏には一層臭いが酷かった。 世に言う「四日市公害」!!その公害発生会社の一つに、今世間を騒がせている問題会社「石原産業」もあった。四十四年十月に海上保安庁の公害Gメンが公害状況を捜査中に、石原産業の従業員から「リーク」があって、石原産業の大量硫酸水の垂れ流しが明るみに出た。その後の捜査で・・・・石原産業を始め数社は、四日市公害訴訟で訴えられ、敗訴した。それから三十年有余。今、土壌埋め戻し材「フェロシルト」が世間を騒がせている。本来、産業廃棄物にも関らず土壌埋め戻し材と称して販売委託をしていた。廃材の再利用などと言って、美名の基にしていた行為は、産業廃棄物の違法投棄に他ならない。また、その悪辣な行為は、他には例を見ない?ものだ。「企業ぐるみ」か?どうか?問題になっているが・・過去の石原産業の、「四日市公害訴訟」での対応を知っている者には、百歩譲っても・・・「会社ぐるみ」としか思えない。
2005年11月09日
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料理人が絶対勝てない料理がある。いかに料理人が丁寧な下拵えをして、巧い出汁をとって、・・・・調理しても勝てない料理。在り来たりで見栄えがする訳ではない料理。しかし・・・毎日の食卓を飾る料理。それがお袋の料理 「お袋の味。」別に取り立てて下拵えする訳でもなく、水と砂糖と醤油と酒と味醂。を、長年の感と味覚で適当?に調理する料理。時に 出汁さえも使わない料理。かえって・・・それが素材の持つ独特の味を引き立てる料理。調理人が包丁を、思わず投げ出したくなる料理。それが、お袋が作る、毎日の食卓を賑わす“おかず”(惣菜)長年の舌が培った安心の味!食べている本人達は、時として、ついつい・・有り難味を忘れてしまい、文句さへ言うこともあった???しかし毎日食べている“それ”は・・・確実に、本人達の、味の・・原点になっている。そんな料理の味忘れていませんか!!粗末にしていませんか??“母の味!!無性にに懐かしく思う時がある。・・・・し、・・来ます。そんな事を感じた時。貴方は悲しい大人になってしまっていませんか?
2005年11月08日
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墓掃除の帰りト○タビルを臨む!! 墓掃除の帰りに勝ち組???名○屋の象徴になるであろう???ト○タビルが、その威容を誇るべく建設中。これで、駅前東側も一新されるだろう・・・・が、名○屋の東側には、もう一つの大きな問題点が存在する。過ってそこの一画は、バブル時代に西○グループが買い取って、再開発の話があったものの、地主達やそこで営業している業者の、種々な補償問題がうまくいかず頓挫し、やがてバブル経済の崩壊ともに、水泡に帰してしまった。今後の名○屋駅前の再開発は、その一帯を整理・開発をしない限り、本来の意味での駅前再開発!の完成とは看做されない。
2005年11月07日
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「久しぶりだけど、墓増えたな~~!姉さんの墓何処だっけ?」「そこじゃ~ぁなくて、もう少し奥へ行った右側よ!」「・・・あっ あったあった。へ~~ぇっ!誰か来てるぞっ。」「え~~ぇ?○○かな~~?」「姉さんの命日って、何時だったんだっけ~~?」「先月の15日よ!」「ひで~ぇ荒れようだけど・・誰がやったんだっ。ローソク立てがねえ~ぞ?」墓掃除をしていると、こんな会話が聞こえてきた。それにしても、・・カラスの悪戯は目に余る。20羽位の集団が墓中を、引っ掻き回して花を啄ばんだり、花立やローソク・線香立てを散乱させている。「誰だろうね?この花持ってきたの?」「○○って言ったんじゃ~あないか?」「でも・・先週会った時・・そんな話してなかったよ~~」「・・・・・拝む時、お願いしちゃ~~ぁダメなんだぞ!!」「へ~~ぇ だめなの~~?」「ダメ・ダメッ!」「じゃ~~ぁ なんて言えばいいの?」「生かして頂いて有難う~って 感謝するんだよ! お願いしちゃダメ!!」「・・・・・ふ~~~ん?」墓参りに来てから約5分。こんな会話を交わしながらお参りをして、そそくさと帰って行った。概ね、墓参りはこんなもんだ!!。ろう。俺も墓を濡れ布巾で拭いて・・・・墓石に「また・・来るからなっ」と、目で話かけて墓を後にした。さっきまでトウ巻きにしていたカラスが・・・また・・墓に群がり始めている。
2005年11月06日
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明日の予報は雨らしい?前々から予定していた墓掃除が、このところの週末の雨で延び延びになっていた。今日は晴天に誘われて、明日は雨らしいが・・墓掃除に行く事にする。朝食を済ませて、夫婦で○古屋へ出る。上さんは、自分の宗派のテレビ中継があるらしい。俺たち夫婦は、宗派がちがう・・・・だから・・・・お互いの信心の違いは、お互いの範疇の中で処理することとして、干渉し合わないことを、暗黙の了解事項としている。俺自身は、宗教にそれほどの拘りもなく、余り熱心でもない。言わば「鰯の頭も信心から」の類である。上さんは、俺に比べたら大分熱心だが・・・宗旨の違いがあっても、偶に、・・いや往々にして忘れがちな仏壇の水やお供え物を、気が付いては、代わりに供えてくれている。(感謝・感謝)俺の家は曹○宗だが・・それとて・・初めて知ったのは母が亡くなった時だった。それまで俺は、てっきり身延山の日○宗だとばかり思っていた。(母の親戚一同がそうだったから、単純にそう思っていた。)昔・・・何時頃だったか忘れて仕舞ったが、ある本を読んでいたら、宗教のことで・・確か?こんな事が書かれていたような?・・「日本の宗旨に影響を与えているのは、宗教的な理論ではなく、宗祖の個性ではないか?浄土宗なら法然。日蓮宗なら日蓮。宗祖の個性が強ければ強いほど、宗派にその個性が残っていく。」だから、最初「日蓮宗」と思っていたときは、『法華経』を所依(しょえ)するというので、岩波文庫で・・・「法華経」の解説書を買って来て斜め読みはしだが・・・・いまいち?続いて「曹洞宗」と言われて道元の『正法眼蔵』の解説書を読む。ただ、よく分かった事は、一方は時の権力者・宗教界へ宣戦布告し、その後数多の弾圧を受けながら、分派しながら今日に至り、また一方は、時の権力者との関りを避け一切避けて、修証不二・只管打坐に明け暮れて今日に至る。その程度の理解力だから・・・自ずと限界は目に見えている。それ以上望むつもりもないし、俺はそれでいいと思っている。亡妻の墓の近くには、彼女の父の墓もある。いつも墓掃除に行った時には、「二基の墓掃除をしてくる事」を、俺の責務に決めている。ただ只管、無心に墓石を磨いていると・・・・『落ち着く!』そこには、俺だけが勝手に創った「小宇宙?」があるような気がする。
2005年11月05日
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中国史は学生時代、受験勉強として仕方なく覚えただけで、何の興味を持たないまま通り過ぎてしまっていた。(駒田信二の中国小話を少し読んだかな??)だから、吉川英二の「三国志」も、読んだのは大分後年になってからだった。「三国志」を読み始めた頃、同時に陳舜臣の「中国の歴史」を読み、自ずと中国史に興味を持つようになっていった。中国物の書物としてそれ以前に読んでいたのは、孔子・老子・荀子・孟子・荘子・韓非子等の類で、寧ろ、受験勉強の延長線上のこととして、思想史として読んでいた。やがて、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読んで行くうちに、宮城谷昌光に行き当たった。それからは・・宮城谷の作品を読み漁り、今は、彼の「三国志」を読んでいる・・・わけだが・・・そんな中、上さんが無料配信の「ギャオ」を見つけ出し、早速PCに繋いだ。ハジメのうちは訳も分からず、手当たり次第に観ていた映画だったが、やがて、中国ドラマ・それも・・中国歴史ドラマに行き着いた。 最初に観たドラマは、「康熙王朝」全50話。毎回ドラマを観終わった後、フリー百科辞典『ウィキペディア』を開いて、「清王朝」の復習・確認。他には「西太后の紫禁城」・「ラストエンペラー」。最近、康熙帝の後を継いだ雍正帝(ようしょうてい)の、「雍正王朝」が始まったばかり。また近日配信予定では、11月11日「画魂」女流画家の数奇な生涯。11月5日「上海灘」社会派アクションドラマ、主演・チョウ・ユンファ。11月7日「武林世家」明朝後期を舞台にしたドラマ主演・レスリー・チャン。受信当初は少なかった、映画・ドラマもココに来て続々配信中である。 PCを買った時に、「ディスカス」と契約して、月4枚のDVDも送られてくるので、それも観なくてはならない。因みに「ディスカス」からは、今週は「司馬遷と漢武帝」が着ている。映像文化?に浸るのもいいのだが、本も読まなくちゃ~ぁ!!??「老化防止に本を読もう!!と言いながら、まずは・・映画鑑賞?
2005年11月04日
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この歳になると差して欲しい物など無くなってくる。今更出来もしない「若さが欲しい!」とノタマッテも詮無い事。敢えて贅沢を言えば、それなりに「キレイに老けたい」と思う。誰かが言っていたのだが、「服装にカマワナクナルト老けこむ」らしい。若い頃は、渋さに凝っていて服装は地味なものを好んで着ていた。が、それも実際この歳になってしまうと、如何にもジジ臭い。という事で、「少しは服装に金でもかけ様か?」となってくる。何処かのファション雑誌を見てたら、「オシャレは下着から」と書いてあった。確かに若い頃は、一組3枚・1.000円の下着だった。貧乏も然る事ながら、勿体無いの精神が働き「量が質」を凌駕していた。下着に気を使うようになったのは、思春期になって「女」を意識するようになってからだった。(他意はない単なる見得からだったが・・・)爺むさい服装から脱却するために?、この所今までは見ることのなかった、ファション雑誌を良く見るようになった。そんな時、突然なんの脈絡もなく、團伊玖磨の随筆「パイプのけむり」だったか、伊丹十三の随筆「考える人」の一節が頭を過ぎった。詳しい内容は忘れてしまったが、大意は次のようなものだった・・・・・(100円の贅沢。金があってもなくても、人間たまには贅沢に浸る喜びを持つべきである。贅沢は無駄を生むよりも、何倍かの豊かな感性と裕福感を生んでくれて、癒されるもの。 今ここに100円しか持っていなかったら、100円の贅沢を考えればいい!100円で買える最高の物?それを考えているだけで、心は和み・夢は膨らむ。これだけでも目的の半分は達成されている・・なお且つ、100円で買える最高の物を見つけて、買った時、それは最高の至福の時となる。)唐突にそれを思い出したら「俺もそう~しよ~うw!」と思えて来た。この先何年、生きるかは分からないけれど、少しの贅沢な食事と、少しの高尚な趣味と少しの華麗な装いぐらいは、い~ぃかな?と思えて来た。今更、ブランド品など買い漁るつもりはない。更々ない。本当に、自分の気に入ったものを、少しづつ増やしていって、心の糧にするのも・・・いいではないか?しかし・・・しかし、この際頭を持ち上げてくる「貧乏性」との戦いが問題である。
2005年11月03日
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昨日はPCの調子が悪くて、書いていたブログが、途中で消えてしまい??だから・・昨日のブログは未完成のままUPしてしまった。思いつきで書くブログだから、文章の推敲などするわけはなく、そのときは良い閃きだと思っていても・・時間が過ぎてしまうと、閃いた文章は、ただの駄文の寄せ集めになってしまっている、当然そうなると、続を書く気は失せてしまっている。それは正に、青春時代に書いたラブレターだ。ラブレター!夜更けの静寂を味方にして、恋文を捻り出す。リルケかゲーテか藤村か?“眠りたもぅや 否という 浜辺の・・・・”静寂の中で書き上げたそれは、心ある人の胸を掻き毟るほどの名文となる。眠れぬ夜が過ぎ、起き抜けに読んだ昨日の名文は、日の出と共に迷文に摩り替わっている?? シチュウを煮ている合間にちょっと入力!!続は後で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・? 秋も深まり、漸く吹く風も肌を刺すようになって来た今日この頃。寮の米も今月からは、庄内の実り豊かな新米。「今年は台風の被害も少なかったお蔭で」と、生産者からの嬉しい便り付き。早速 「庄内はえぬき」の袋を開けて賞味する。芳醇な甘い香りが台所を包み、口に入れたそれは、至福の時を告げる。思わず声が・・・・美味が・・過去を呼び起す。今あたりまえのように食べている白米も、昔は嵩を増やすために麦を混ぜていた。決して健康を考えての麦ではなく、子供へ一粒でも多く食べさせるための、母の苦心の末の算段だった。だから・・この歳になっても「ごはんを残す、捨てる」ことは、母の愛を捨て去ることに思えてならない。ときどき仕事柄か嫌いなせいか旅行できない代わりに、皆さんのブログにお邪魔することを楽しみにしている。その中には、迫り来ている紅葉の、目にも鮮やかな写真を見ることが出来る。それはそれは“美しい!!の一言なのだが・・私には“悲しい!!の一言でしかない。秋の深まりは・・次に来る冬の到来を告げる使者。心を荒廃させてしまうほどの厳しさに、身も凍る。貧しかった頃の幼児体験が、今も心の底に住み付いていて、秋が深まるに連れて頭を持ち上げて来る。むかし、婆さんが「紅葉が鮮やかなほど、冬は厳しい」と言っていた。ブログの紅葉の美しさが伝われば伝わるほど・・・温暖化現象にも関らず、私には冬の厳しさだけが・・頭を過ぎる。
2005年11月02日
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人間の特に男の局所の話。 noppy431110さん“ごめんなさい!! 下手な文章ほど前置きが長いと言う。私の文章もその類なので、お許しを頂くとして、今日は一寸、絵呂い話になる?!。昔。居酒屋をやっていたころ、お客さんと政治・経済・教訓めいた話をするのが好きだった。持論に酔いしれ、口角に泡を飛ばして議論伯仲。お互いが悦に入っていたものだった。しかし・・その崇高な議論?も、ある一言を以って無残にも打ち砕かれる。 「やって見たら?そんなに言うならー!」私達の格調高い?意見は、亡妻のその一言で駄言と化して、心のゴミ箱へと追いやられてしまう。そうなると私達は、意気消沈した自分達を昂揚させるために?、絵呂話へと話題を変えて行く事になる。政治や経済・社会生活・教訓の類は、喋るにしても書くにしても、それなりに人は出来るものだと思う。思うに、絵呂話を“さらっ”と事も無げに話して書ける奴は、つくづくセンスがあって、頭の良い奴だと感心する。(特に、その手の話(事)を文章に乗せて、飽くまでも“サラッ”と料理をする奴は頭がいい。)と常々私は思っている。しかし、その才を私は持ちあわしていない!!因って以下の文章を読み進めていって、不快だと思う人は早々に退散する事をお奨めして、話に入る。 地方のラジオキャスターには、ローカル有名人がいるものだ。当地にもご他聞に洩れずに何人かの名物男・女キャスターがいる。例えば、当地ならカニエ某嬢・宮地某介・伊藤田舎ざ衛門ETC有り余る雑学と程よい絵呂談義・口先産まれの軽快な話術。それに欠かせないアシスタントアナウンサーと教養あるリスナー達の的を得た投稿。彼(彼女)等の話術は、決して紳すけ・さんま・みの・たかじん等に勝る事はあっても劣らない。地方のラジオキャスターには、そんな人がゴロゴロいるらしい!!そんな一人に“つボイ ノリオ”がいる。当地C○Cラジオで月曜~金曜 AM9:00~12:00まで「聞けば聞くほど」ラジオでは顔が見えないが・・・いや!見えないほうがいい!軽妙洒脱な会話は、その顔を見たら程よい絵呂話もグロに・・・先日全国放送の雄、永 六輔がゲストで出演した時の事。(永氏は、かねがね つボイ氏の作詞・作曲「金太の大冒険」の熱烈な支持者である。余談だが落語家・談志も支持者とか?)いつもの軽妙な喋繰りで始まった番組だったが、ゲストの永さんに煽られてか、会話に拍車が掛かり過ぎて、仕入れたばかりの新ネタ「男の一物」の話を披露した。“スペインの今度ー産む会社で、各国の男の一物を調査した所平常時(○起時)(指摘により間違いを訂正)【独白安心した!】の一物の平均値が一番(長さ)はフランスで17センチ以下ロシア・ドイツ・イギリスが続きアメリカで15センチと来て、日本は13センチそのあとに韓国12センチ。(我がマラも然ることながら、今はやりの韓流スターの顔が浮かび、一人笑えて来た。)ここまでが前置きの二段攻撃で、本論はこれから始まる。ペニスのサイズを、人種ごとに測って、長さと幅を計測した最初の人は、19世紀のフランスの軍医だったが・・名は伏せられている。【人種ごとのペニスサイズ】単位センチメートル(○起時) (長さ) (太さ)☆ニグロイド 15.9~20.3 5.1☆コーカソイド14.0~15.2 3.8☆モンゴロイド10.2~15.2 3.2 続は落ち着いたら!!!
2005年11月01日
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