全61件 (61件中 1-50件目)

見知らぬ道に、ぼくはぽつんと立っていた、 いったい、どうしたのだろう、 何時間前か知らないけど、 滝音が聞こえる林間の美術館で、 赤を多用した地元の画家の、 企画展をのんびり観ていたのに、 今ここにいるわけがわからない。 どうしてここへきたのだろう、 記憶をなくしてしまったわけではない、 絵を観るまでの記憶はちゃんとある、 まだらな記憶喪失症にかかったのか、 それならばとにかく歩いてみよう、 記憶が待っているかもしれない。 一点だけ魅せられた絵があった、 赤い風車が高速で回転しているよう、 半抽象画だからよくはわからない、 赤いブラックホールに見えたけど、 そのとき、先どりのように、 それからの記憶をぬかれたか。 けしてわるい気分ではない、 白昼夢を見て歩いているうちに、 ここまできたのかもしれない、 でも、その夢の記憶もない、 あの美術館を見つければいい、 あの絵にぬかれた記憶をとりもどす。 前へ歩こうかうしろへもどろうか、 もどれば正解とはかぎらない、 美術館はないかもしれない、 きてれつな迷路が待っていて、 吸いこまれるように入りそう、 今は非現実のとりこになりたい。 にほんブログ村 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.05.31
コメント(1)

きみがいつもそこに立っていたから、くじけなかった、 きみの肩車で初めて東京を見下ろしたとき、 大学受験に失敗して心がこわれそうだった、 ほら、あれがT大、むこうがW大、あっちがC大、 ここから見ればそんなに変わりはないだろう、 だから、くよくよするほどのことじゃないって、 ほんとだなって地上へもどって笑えたんだ。 1度、連れてきていたからわかったんだ、 そのつぎ、ひとりできて泣いていたわけを、 男が泣くのはけっこう絵になるよ、って、 だから、泣きたいだけ泣いて帰んな、つて、 ほんと、下りて芝公園を歩いてみたら、 心のほうがさっさっと歩いていくんだ。 あなたのノッポの友だちにあわせてって、 ことわったんだよ、とっときたかったから、 むりやりひっぱられてきたんだけど、 きみはぼくらを微笑みでつつんでくれた、 帰りにそっと振り返ってあおぎ見ると、 いいカミサンになるぞとうなずいたんだ。 いまはきみが見えない郊外にすんでいる、 それまでの3回の引っ越し先のどこでも、 あたりまえのように、そこに見えたんだ、 つらいつぶやきもよろこびを抑えた声も、 きみは泰然自若としてうけとめてくれた、 きみを見ればいつも希望がふくらんだ。 いまはきみに肩車をしてもらったって、 母校も、やぶれた恋の思いが残る地も、 貧乏と住んだ安アパートがあった地も、 すべて超高層の深い谷間に沈んでる、 でも、きみは変わらずそこに立ち、 あたたかなエネルギーを放ってる。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.31
コメント(1)

独り、ここに立つときは、雨のささやき聞ける朝、 知ってるよ、夜が明けるまで泣いてたね、 ささやいて、涙のあとを流してくれる。 独り、ここに立つときは、雨の癒しがほしい夜、 大丈夫だよ、けんかの後は雨降って地固まる、 ささくれ乾いたこころをそっと拭ってくれる。 独り、ここに立つときは、雨の怒りにふれるとき、 もう目をさませ、じぶんの道にもどるんだ、 烈しくよこなぐりに、わたしの頬をうつ。 最後に、ここに立つときは、雨に別れを告げるとき、 元気でな、これまでのこころの抜け殻おいていき、 雲を切らせてわたしの背中に日差しをくれる。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.30
コメント(1)

一昨日の朝は小雨が降っていたのであります。 早くから仕事にかかりたいため、ウオーキングは 30分ですまそうと、あと10分を小走りでやっていた のであります。 赤羽橋~新一の橋間であります。 長径が1メートル余りの水たまりに出会い、そのすぐ 手前でワガハイの足はピタッと止まりました。 都会で鏡のように地上の世界を映す水たまりは そうそうあるものではありません。 そうっとのぞいてケータイで撮ったのがこれで あります。 子供のときは水たまりをのぞくのが大好き でありました。 見覚えのある光景に違いないのでありますが、 地表に目玉を置いての下から目線なので あります。 下から目線なのにそこに映された光景に1点の 穢れも認められなかったのであります。 心なき通行人が長靴で踏み込んできて瓦礫に すると、ワガハイの胸は錐で突き刺された ように痛んだものであります。 そうか、と今なら解る。 水たまりは自分の心の世界。 そこへ土足で踏み込まれたのだ、と。 懐かしく懐かしく、 ワガハイは自分の心を見続けた のであります。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.30
コメント(0)

どうしようかな、とまどう自分にとまどってる。 どうしようかな、とまどう前からとまどってる、 ネットで探してこの店でいくと決めたのに、 なんだ、という顔されないかとおびえてる。 どうしようかな、ワインにうとくて弱ってる、 ソムリエにおまかせしてもいいけれど、 予算をドカンと超えないかと臆してる。 どうしようかな、ライスかパンか迷ってる、 ライス派のこだわりを見せたいけれど、 うまくフォークに乗せられるかと案じてる。 どうしようかな、スープがきたら動悸する、 すするのもすくうのも静かであってほしいけど、 立ち食いソバのくせが出たら、とおののいてる。 どうしようかな、肉の切り方に悩んでる、 好物だからざくりざくりと切りたいけれど、 三口でなくなれば感性をうたがわれる。 どうしようかな、支払い方がむずかしい、 ぼろさいふからカードを出すのは楽だけど、 ポケットから二つ折りの万札を出してみたい、 どうしようかな、ダメモトで出したメールに、 まさかまさかのOkに舞い上がり、 2度目はないかと疑心暗鬼にかられてる。 にほんブログ村 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.05.29
コメント(3)

きみと水たまりに飛んで雲に乗る すいすいと気分よさそうだなあ、 いいスケート靴はいてるんだ、 ころばないな、ぶつからないな、 雨上がりの水たまりは、 みんなにとって、 天然のリンクだものな。 みんなの下に別の世界がある、 ほら、空よりも深くて碧いよ、 トンビも輪をかいているよ、 みんなにも見えるだろ、 もうちっと近づいていいかな、 もっと深く見たいんだ、 だれ、ぼくをのぞいてるの、 なんだあ、ぼくかよう、 真っ白な雲が見えてきた、 だんだん空をせばめていくよ、 向こう側からだれかのぞいた、 チイちゃんじゃないか、ドッキン、 いっしょに雲に乗ろうよ、 1,2,3で飛んで、 吸いこまれて乗ろう、 あ、まだ、と言ったのに、 赤い長靴がアメンボちらして、 下の世界をこわしていた、 いま思いだしても、 トキトキ高鳴るんだ、 2度とこない初恋だもの。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.28
コメント(2)

履いて10年が経つお気に入りの、 ジーンズの短パンであります。 もっとも、この5年ほどは収納庫で おとなしくしていたのであります、 2つの尻ポケットがともにほころび、 履き続けていると大事出来になる。 左にはケータイを、右には財布を 突っ込むのがぼくの流儀であります。 左のほころびは大きく、タクシーに 乗ってケータイをなくしました。 以来、リタイアさせたのでありますが、 このたび、素敵な人のリハビリにより、 めでたく復帰の運びとなりました。 短パンに成り代わり、ご一統さんに あらためてご挨拶申し上げる しだいであります。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.27
コメント(0)

孤独よ、まだぼくをストーカーするか! 長いつきあいになったけど、 おい、気づいているか、 もういやなんだって、きみのこと、 いいかげんにはなれてくれよ、 人ごみのなかを駆けてきたのに、 えっ、まだくっついてるのか、 3年前はこよなくよかった、 きみとパソコンさえあれば、 1歩も出なくてしあわせだった、 たまにあいにくるやつは、 ぼくを暗いと言ったけど、 ニンシキブソクと吠えたっけ、 苦虫噛んで伏し目がちは 孤独と耽溺したあかしなの、 それがどうして暗かろう、 きみはいつもそばにいた、 ひっそりといて、 気がつくと心にいたっけ、 深い深い底知れないきみが、 心を広げて重くうずくまっていた、 生きるって意味ないとうなずけた。 わかってんだろ、変わったの、 そのときがきた、と言ったら、 きみはあおざめて荒れたんだ、 ぼくが外に出はじめたら、 いつも一陣の風になって、 ヒュウヒュウいってついてきた、 今日のきみはいつになく、 すきさえあればつけいろうと、 心のすきまをねらってる、 SNSのオフ会に、 ぼくを変えた人がくる、 知ってたんだ、そのことを、 さあこの階段でおわかれだ、 ついてきたってもうどこにも、 きみの居場所はないんだよ。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.27
コメント(0)

若冲が描く鶏は猛々しく繊細で、 観る者を惑わせひきつけ、 称えると突き放す。 この絵の2羽は雌雄に見える、 烈しく喧嘩をしているのだろう、 と思うと、いやと首を傾げる、 鮮やかすぎるほどに赤い、 南天の実に情念が噴き上げ、 まがまがしほどに強烈な、 愛のオーラを注ぎ合っている。 生命の息吹を、 めまぐるしく 吹きつける。 きっとこの画家の心には、 常に太陽が燃えていて、 その熱気が筆先から ほとばしるのだ。 (写真は博雅堂出版「若冲のまいごの象」より) WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.26
コメント(0)

あの日はもう遠いはずなのに・・・ ぼくの記憶の帯のまん前に、 いつもきみはいる、 そして、いまも、 きみを飛び越え、 新しい記憶がどんどん 遠ざかっていくのに、 きみを記憶の帯に乗せなおし、 高速で遠ざけられれば、 ぼくは前へ進めるのに。 あの日は冬枯れの光景に、 太陽さえも冷めていて、 空は黄色い息を吐いていた、 (母国は)もっと寒かった、ときみは言い、 だめでした、と空をにらんでつづけた、 時間が止まった、といまでも思う。 きみは母国へさった、 きくべきことがあったのに、 そのうしろ姿さえ見ていない、 人種でも宗教でもいい、 障害をとりのぞくのに、どれだけ きみはがんばってくれたかを、 きいてなっとくしなければ、 あの日のきみが乗っている 部分の帯は動かない、 いやなっとくしても、ぼくが 大事にかかえているものを、 すてないかぎり動かない、 きみへの愛をそっとすてれば、 それを動力に、あの日の きみはぐんぐん遠ざかるのに。 (写真はフランソワ・ブレ作品集より) WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.26
コメント(0)

あなたの声をこの目で見たい、 信じられるの、 あなたの愛の深さを、 その目の輝きを見れば、 理解できるの、 あなたの愛のことばを、 そのくちびるの動きを見れば、 でも、見てみたい、 あなたがささやくその声を、 この目の奥にしまいたい。 星のあかりを反射して、 ひっそりとまいあがる、 雪の結晶のようかしら。 感じられるの、 あなたの愛のぬくもりが、 そっと頬をよせてしずかにすれば、 こぼれてくるの、 あなたの愛がかけらとなって、 わたしの心にきらきらと、 でも、見てみたい、 あなたの熱いその声を、 この目に深くきざみたい。 北へとぶ白鳥のむれにくぐられ、 七色に夕空にちらばる、 虹のかけらのようかしら。 あなたの声をつかまえて、 てのひらに乗せて、 時間をわすれて見つづける。 あなたが寝息をたてたなら、 その息音を吸いこんで、 心のうちであそばせる、 それをわたしの声にして、 朝になったら、おはようと、 あいさつできたらうれしいな、 うっかり手話でこたえないで、 あなたの声がしすこしずつ、 見えてきたところだから。 (写真はフランソワ・ブレ作品集より) WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.24
コメント(0)

夢の中で見る夢に、もしも足跡がつくのなら、 あなたに夢であいたいのに、 夢はいつまでも見ているのに、 あなたは現れてくれないの、 あなたはbarrierをはっている、 わたしが放った夢魔は、いつも、 はねっかえされてもどるもの。 身も心もあなたにささげたい、 だかれてだいて燃えて燃えて、 きっと一滴のマグマの雫になる、 夢のなかでもそうなれる、 だからあなたはbarrierをはった、 あなたにとってわたしは魔女。 夢のなかにこないなら、 夢のなかで夢を見て、 あなたをそこに拉致したい、 夢のまた夢で見たあなたは、 ぼんやりとして影がうすかった、 砂浜をならんで歩いて息を呑む、 わたしの足跡はくっきり深いのに、 あなたには足跡がのこらない、 また夢から覚めて夢にもどる、 それも覚めて現実にもどりたい、 鳴き砂をともに踏んでもう一度、 あなたの深い足跡が見たいの、 でもそれは叶わぬ夢、 現実のあなたと歩いても、 わたしの足跡はつかないもの、 わたしはずっと夢から覚めない、 その夢のなかで夢を見て あなたを想ひつづけるしかないの。 (フランソワ・ブレ作品集より) WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.24
コメント(0)

もしも風に色を塗れる筆があつたなら、 悲しいときは海風に、 一回りしておいで、と、 赤い色を塗ってみる、 もどってきたなら悲しみを、 胸から吐いてそれに乗せ、 ずっとさよなら、とさけびたい、 赤い風は炎の恋の燃えかすを、 はなれ小島に散らす風、 コバルト色に映える風。 せつないときは谷風に、 岩間の清水にふれてきて、と、 青い色を塗ってみる、 もどってきたならせつなさを、 ため息とともにそっと乗せ、 わたしのまわりをまわらせる、 青い風は遠い彼のおもいでを、 衣のように着せる風、 涙にきらりと光る風。 ときめくときはそよ風に、 わたしのすべてをとどけてね、と、 黄色い色を塗ってみる、 もどってきたならうしろから、 わたしをそっとおさせて、 彼のそばへはこばせる、 黄色い風はぬけがらに、 強いときめきかえす風、 彼のこころで燃える風。 (写真はフランソワ・ソレ作品集から) WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.23
コメント(0)

子供のころ、お寺の境内であそんでいたら、 お参り帰りのおばあちゃんが言った、 観音力に守られるといいよって、 これはすごいお力だよと、 すなおにみんなでおがんだっけ、 守られたかったんだ、きっと、 おとなになって疑心がさきに立つ、 人にも世の中にもなにごとににも、 へんなことを見すぎてきたためか、 かなしいなあと思うこともあるけど、 神は死んだとだれかが言ったように、 観音よ、あなたもも死んだのか、 童心がどこかに残っているように、 いまでもあなたを信じてる、 あなたの観音力に守られたい、 災厄のくる方角に顔を向け、 その美しい微笑で、 すべてを恵みに変えてくれることを。 (註) 写真と文は関係ありません。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.22
コメント(1)
黒い水魔が無惨に洗った その茶色い壁を、 今、西日が照らす、 きみは残骸になったけど、 おぼえているにちがいない、 10年前の冬の日のことを、 スクリーンに絵を写し、 仲間のフルートの音色に乗せ、 ぼくが語ったものがたりを、 ふたおやをなくした ハクチョウの子が、 月を見あげて笑っただろ、 やっと迎えにきてくれると、 それはまぼろしだったけど、 うれしさが心からとびだした、 ハクチョウの子は、 月への旅を信じ、 安らかな眠りについた、 ほんもののハクチョウを見た よい子は、の問いに、 さっといくつもの手があがったっけ。 9年前の秋の日のことも、 わすれないでいるだろうか、 たしかホタルの話をやった、 恩ある少年が病気になって、 ホタルたちがすばらしい プレゼントで励ました、 退院できてよかったなあと、 子どもらがうかべた笑顔を、 思い出したにちがいない、 夏にホタルを見たよい子は、 の問いにほとんどが手をあげた、 うれしかったよ、それだけで、 ゼロ歳1歳だった子も10歳11歳、 10歳11歳だった子は20歳21歳、 みんな元気でいてほしい、 きみは残骸になったけど、 思い出だけはのこしてる、 だから、こうして立っている、 朝に夕に海風山風が すいすいふきぬけても、 それをしっかりかかえている、 いい知らせがあるんだ、 きみよりひどい残骸になった、 そこの小学校の子どもたちのことさ、 全員無事だったんだ、 どかんとうれしかったよ、 あす慰問であうんだよ、 またいつこれるかわからないけど、 きみのおかげで生まれた出会いは、 ぼくの一生のたからだって。 (註) 3階建の建物は大船渡市立三陸公民館です。 旧三陸町中央公民館時代の2001年と2002年、 ここで読み聞かせ&講演を行いました。 その左手後方に見える屋根がモスグリーンの建物は 特別養護老人ホームさんりく園です。 ここでは56人の入所者が犠牲、行方不明に なられました。 www.blogmura.com/img/www88_31.gif" border="0" alt="ブログランキング・にほんブログ村へ" width="88" height="31" /> にほんブログ村 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.05.21
コメント(0)
越喜来小学校は海から約200メートルの やや高台になった地にあります。 道路は5メートルの崖下にあり、その道路を はさんでさらに高い高台になっています。 地元出身の市議平田武さんは越喜来小学校の 崖下道路を通るたびに、話に聞く明治の三陸津波 なみの大津波がきたらこの学校はひとたまりもない だろう、と不安に思いました。 安全なところに避難するためにはいったん校舎を出て 崖下の道路に下り、それから70メートルの坂道を登り、 対面の高台に上がらなければなりません。 そこに上がればもっと高いところへ避難することが できます。 しかし、対面の高台に移るまでかなり時間を 費やしそうです。 ある日、そうか、空中廊下を作ればいいんだ、 と平田さんは強くうなずきました。 校舎の2階から直接、対面の高台を結べば 避難時間を大幅に短縮できるのです。 さっそく市議会で提案しました。 2008年3月のことです。 しかし、平田さんの提案はすぐには実を 結びませんでした。 「そんな高い津波は1000年に1回もこねべ。 取り越し苦労もいいとこだ」 冷笑する議員もいたのです。 しかし、平田さんは粘り強く提案を続け、関係 方面に訴え続けました。 そうして、ついに予算がつきました。 2010年12月、その非常通路は完成しました。 平田さんはその非常通路を見上げて満足 そうに笑顔を作りました。 このときすでに平田さんの体は病魔に 蝕まれていました。 2011年3月3日、平田さんはがんで 惜しまれながら息を引き取りました。 65歳でした。 3月5日、越喜来小学校はその非常通路を使って 津波からの避難訓練を行いました。 3月9日、かなり強い地震が起こりました。 越喜来小学校は急きょ、また避難訓練を行い ました。 亡き平田さんの思いが乗り移ったか のようでした。 そうして3月11日、大地震を迎えたのです。 揺れがおさまり、避難訓練通りに71名の児童、 教職員を含めて約80名が大きな混乱も見せず 非常通路を通って対面の高台に移り、そこから 約350メートル離れた三陸町公民館(旧三陸町中央 公民館)に集結、さらにその裏手から高いところへ高い ところへと登り、津波が届かないところに避難できた のでした。 間一髪の差で大津波が非常通路ごと校舎を呑み、 つかのま集結した公民館も一呑みしたのを見て、 児童、教職員は非常通路が自分たちの命を救って くれたのだと思い知らされたのでした。 www.blogmura.com/img/www88_31.gif" border="0" alt="ブログランキング・にほんブログ村へ" width="88" height="31" /> にほんブログ村 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.05.20
コメント(1)

にほんブログ村 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.05.19
コメント(0)

ここで読み聞かせ&講演をやったのであります。 無惨あるのみ、黙すのみ・・・ WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.19
コメント(0)

最初にこの旧三陸町中央公民館を訪れた 2001年2月10日は越喜来の海辺に出るまで 雪深い山中の道を通り、途中で目が点になる光景に 出会いました。 見下ろした谷の途中でシカが2頭、雪を朱に染めて 倒れていたのであります。 近くにハンターと思しき人たちがいました。 読み聞かせ&講演でこの話をしたかどうかは覚えて いません。 ただ、耳を澄ませば館内でも波音が聞こえ、集まった 方々の伸びやかなようすに、思わず、 「皆さん、いいところにお住まいでうらやましいです」 と、言ったのは覚えています。 子供たちに小学生が多いように見えたので、この前年の 3月、兵庫県立西宮市立瓦林小学校を訪れ、読み聞かせを 行ったときのことを思いだしたのであります。 その小学校には園児や、小学低学年時代に阪神大震災で 被災した児童が多く、5年経った当時でも夜中に叫びを 上げて、飛び起きたり、荷物を満載したトラックが起こす 振動におびえ身近の大人にしがみついたりする子供が何人も いるということでした。 その子供たちに読み聞かせを行って心に安らぎを与えてほしい というPTAからの依頼でした。 そのときの読み聞かせに感動して涙を流した子や、終了後、 まつわりついて 離れななかった子供たちの顔を思い浮かべ ながら読み聞かせを行ったので感情移入が過ぎたかもしれません。 「元気が一番だよ。どこかに可哀相な子供がいたら優しくして あげてね」 強く素直にうなずいてくれてたのもしく感じました。 ゼロ歳や、1、2歳のちいさなちいさな子供たちもいました。 その子供たちでさえもう小学中、高学年です。 ここの子供たちはだいたい越喜来小学校に進みます。 その越喜来小学校は全壊状態と聞いていたので、子供たち のことが心配です。 中央公民館から歩いて1分ほどのところに、モスグリーンの 屋根と白壁が印象的な瀟洒な建物がありました。 近づいてみると、これも廃墟であります。 特別養護老人ホームさんりく園の廃墟で、ここでは56人の 高齢者が亡くなり、あるいは行方不明になりました。 ただ合掌!! 公民館などで読み聞かせ会を開くとご高齢の方の単独参加も 多いのであります。 泊まった旅館も絵本のサイン会を仕切ってくれた本屋さんも あとかたもなかったのであります。 無惨やな~ つぶやきも声にならず。 明日(17日)は旧三陸町2つの小学校で4校の児童、1園の園児に 読み聞かせを行うことになっているのであります。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.19
コメント(0)

それは遠野から始まったのであります。 第2回読み聞かせ慰問は2泊3日で岩手の釜石、 大船渡の両市に入り、5箇所を巡りました。 そのうちの1回はハプニングで、ボランティアの 方々を炊き出しで支援しようというボランティア グループに参加しての慰問になりました。 5月15日の夕方にはまだ早い時間に遠野に着き、 予約した民宿へ歩き始めてすぐに元気のいい女性たち から声をかけられたのであります。 福祉センターの体育館に全国から集まったボランティア 約200人が泊まっている。 この方々は温かいものを食べられないでいるので、 遠野の私たちが炊き出し支援をしてその労をねぎらう ことになった。 「今晩、それをやるんですが、シモダさんも参加して 炊き出しを食べ、ボランティアの人たちを励まし、 歓談してくれませんか」 ハプニングは好きである。 それにボランティアのためのボランティアという視点が いい。 被災者への支援は行き届いて避難所の方々も温かいものを 食べられるようになっている。 しかし、手弁当で瓦礫運びなんかをやってるボランティアの 人たちは夕食をコンビニのおにぎりや、弁当ですませている ことが多い。 遠野に宿をとったのは翌日午前中に釜石に入るためである。 慰問に備えてこの日はゆっくり休んでおこうという気持ちも ある。 つまり、寝るまで予定はない。 僕は快諾した。 そうして参加した野外で行われた炊き出し夕食会は ボランティアの方々のくつろいだ表情に、こっちの 気持ちも大いに和んだ。 炊き出しのなかではけんちん汁や、すいとんを 思わせる郷土料理のひっつみ汁が人気で、アメリカ人の 女性が歓声を上げて汁を吸ったり、自宅に妻子が待つで あろう中年男性が子供のように無心な笑顔を浮かべ、 ふうふう言って食べる姿が目に焼きついたのであります。 ひっつみ汁はたしかにうまかった。 どなたかレシピを教えてください。 数グループとかわるがわる記念撮影をして、 「ほら、パンダになってる」 と、地元の女性にひやかされましたが、喜んで貰えるなら いともたやすきことであります。 短い時間でしたが、被災地の新情報も得られていい 予備知識になりました。 遠野の福祉センターにお泊りの皆様、ありがとう ございました。 翌朝、釜石線の本数の少なさに気づき、ちょいと びっくり。10時12分の釜石行に乗ることにして、 朝食後、探索がてらウオーキング。 通りがかりのビルから飛び出してきた女性たちに 呼び止められ、FM遠野に出てくれないかということで、 急きょ出演、被災した子供たちと読み聞かせについて 語りました。 ウオーキングを再開、遠野の河童と出会うことが できました。 湧水のそばで無心に冷気(霊気)を浴びている体の 河童氏にしばし僕も無想の境地を味わった のであります。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.19
コメント(0)

翌17日、最初に訪れた大船渡市三陸町 吉浜の吉浜小学校は津波に襲われず 全児童が無事のところです。 ここで越喜来小学校も全員無事であることを 知り、胸を撫であろしました。 吉浜小学校の体育館には約70人の児童とすぐ 近くの園の園児約30人が待っていてくれました。 子供たちが物語世界を自在に楽しんでくれたことも 嬉しかったのでありますが、それ以上に嬉しかった のは何物にも代えがたい輝く表情こぼれる笑顔で ありました。 無二の笑顔です。 続いて越喜来甫嶺にある甫嶺小学校を訪れました。 体育館に甫嶺小学校、越喜来崎浜にある崎浜小学校、 越喜来小出にある越喜来小学校3校合わせて150人 前後の児童が待っていてくれました。 越喜来小学校の子供たちに、 「2001年、2002年と続けて中央公民館スクリーンに絵を 映しながら読み聞かせをやったんだよ。覚えているかな?」 と、訊いてみました。 何しろ9年前と10年前のことです。 今6年生でも2,3歳のときのことでしたから、 手が挙がるとは思わなかったのです。 しかし、二人の子供が手を挙げたのであります。 ジーンときました。 読み聞かせ冥利につきました。 被災地に慰問にきたのに、力をいただいて しまいました。 この感動も無二であります。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.19
コメント(0)

釜石駅前で東京から駆け付けた仲間と合流、市内 平田にある特別養護老人ホームあいぜんの里に 向かいました。 製鉄の、今はそれ以上に漁業の港町釜石の街並みは 無残な残骸と瓦礫の原に変わり果てていました。 無惨、無情、無慚~そんな言葉が瓦礫の隙間から こぼれ出てくるようでありました。 あいぜんの里のある平田地区も海辺の街並みは 大津波の爪にがりがり引っ掻き回された痕そのもの でありました。 あいぜんの里は高台にあり、道を這い上がってきた 津波も三陸鉄道の高い盛土に阻まれたそうです。 90歳以上の高齢者も何人か混じる入所者の方々が 童心に還って見せる邪気のない笑顔に、瓦礫の原を 前にしてささくれ立った僕の心もおだやかに滑らかに なりました。 帰り際、94,5歳の女性の手を握りましたが、その手の 温かさに感動しました。 同じ平田地区の避難所に回りました。 お父さんや、子供は勤務や、学校で、お母さん方が 待っていてくれました。 元気な笑顔で迎えてくれました。 この避難所は廃校になった商業高校の体育館で、 その前の校庭では数十棟の仮設住宅が建設中でした。 完成間近で、きっと避難所の方々も復興のしるしを 見ているようで心強いのかもしれません。 暗くなる前に大船渡市三陸町越喜来の海辺を 訪れました。 旧三陸町だった時代、この地にあった当時の 中央公民館で読み聞かせ&講演を2001年と 2002年に行っています。 両年とも地域の老若男女が大勢集まってくれました。 この地域も壊滅状態と聞いており、中央公民館が どうなっているか、この目で確かめたかった のであります。 わが口から洩れたのはこれが自分の声かと一瞬、 疑うほど悲痛に沈んだ声でありました。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村 、
2011.05.19
コメント(0)

帰途は車で帰る仲間に東北新幹線の駅まで 送ってもらったのでありますが、途中、川沿いの 道になった途端、呼吸が止まったのであります。 息を呑んだっきりしばらく吐き出すのを忘れた ということであります。 左右に瓦礫の原が切れ目なく延々と続いていた のであります。 下流を見ても海は見えないのであります。 地形は河口方角が開いており、山間でありますが、 かなり上流まで平坦な地形になっている のであります。 中央に川が流れ、その両側に街並みが発展していた ことが偲ばれるのでああります。 つまり、津波は川を通り道に海面とたいして差がない 海辺につながった山間の街を一気呵成に押し寄せ、 呑みこんだのであります。 その悲劇の主が越前高田でありました。 瓦礫の撤去作業が活発に行われていたのが 救いでありました。 (*_*) WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.18
コメント(2)

大船渡市でも最大の被害を出した 三陸町越喜来前田を訪れたのであります。 2001年2月、2002年11月に続けて訪れ、読み 聞かせ会を催したのであります。 当時は大船渡市に合併する前で三陸町であり、役場 は越喜来前田にありました。 会場の中央公民館もこの地にありました。 その前田は壊滅しておりました。 惨状というには町の中心地だった街並みが空洞化 して形骸のみ残っている建物のほかはただの瓦礫と 化し、偲ぶよすがもなくただただ呆然と立ち尽くす ほかに手段はなかったのであります。 むろん、旧中央公民館も無残な形骸をさらしている のみでありました。 両年とも地区の老若男女が大勢聞きにきてくれました。 年配の漁師さん風の男性もお孫さんらしい幼児を抱いて 現れたし、まだゼロ歳の赤ん坊をあやしながら入ってきた 若いお母さんもいたのであります。 そのゼロ歳の子もすでに9歳か10歳で小学の3、4年生。 この地区の子どもは同じ越喜来ですぐ近くの小出にある 越喜来小学校に入学するのであります。 その越喜来小学校は全壊した、と慰問に出る前に聞かされ ていたのであります。 ワガハイは在学児童達の安否を訊くに訊けないまま、17日の 読み聞かせ慰問の当日を迎えたのであります。 そして、吉浜小学校で越喜来の児童は全員無事であることを 知ったのであります。 一瞬、どっと疲れが出たように安堵の思いに襲われた のであります。 吉浜小学校から今回の読み聞かせ慰問最後の 慰問先である越喜来甫嶺の甫嶺小学校を訪れた のであります。 じつは越喜来小出にある越喜来、同崎浜にある崎浜、 それと甫嶺の3小学校は統合されることが決まっており、 甫嶺小学校の体育館に3校の児童が待っていてくれた のであります。 ワガハイは挨拶とメンバー紹介の後、越喜来小学校の 児童に、おぼえてるかなあ、9年前と10年前に越喜来の 前田で読み聞かせをやったんだよ、と訊いたのであります。 すると、二人が手を上げたのであります。 これは感激でありました。 その感激を胸に心をこめてピアノの音色に乗せて二つの 物語を語ったのであります。 終わって車に乗ると越喜来の校長先生と並んで、 いつまでも手を振っている女の子がいた のであります。 手を上げた二人のうちの一人でありました。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村 、
2011.05.18
コメント(0)

大船渡市には過去3回、読み聞かせ&講演で 訪れているのでありますが、直近は3年前の 夏のことでありました。 今回の震災でも活発に支援活動を行っている 「きっぴんきっず」に招かれ、市内三陸町吉浜の 吉浜地区拠点センター、通称キッピンセンターで 子ども達をおもな対象に読み聞かせ会を開催した のであります。 吉浜は正式にはヨシハマと読みますが、キッピンと 親しみ深い呼び方でも広く知られているのであります。 子ども達は小学生と園児を中心に2歳児以下のちい さなちいさなよい子もかなり混じっていたと記憶して おります。 その子どもたちと再会できるという期待もあって 会場の市立吉浜小学校に胸を躍らせて到着した のであります。 三陸町は津波で犠牲者、行方不明者の方も多く出て、 甚大な被害を受けたのでありますが、吉浜地区の被害は 比較的軽微で、児童、園児は全員無事と知らされていた ので、その無事な顔を一刻も早く見たいという気持ちが 強かったのであります。 体育館に入ると約80人の児童と近くの園の約30人の園児 が待っていてくれたのであります。 子ども達はどこでも、おーっ、と声を上げて迎えてくれる のでありますが、このときはその声の中に、おぼえてるよー 、 といった気配がこもっていたのであります。 二つの物語を語りましたが、その一つの「ちいさなちいさな ぞうのひみつ」のタイトルを出したとき、何人かが、これか、 といった反応を見せたのであります。 そうか、これ、前にきいたとき、やっていたんだ、 と気づいたのでありますが、しまったとは思わなかった のであります。 子どもは1度、聞いた物語をとても懐かしく聞いて くれるからであります。 子ども達とのいつかの再会を約し、名残りを惜しみながら 吉浜小学校をあとにしたのであります。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.18
コメント(2)

2001、2002の両年とも地区の老若男女が 大勢集まってくれたのであります。 乳飲み子を抱いたお母さんも何人か参加して くれたのであります。 その乳飲み子も小学3、4年生以上。無事であってくれと 思わずかすれた声が出たのであります。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.17
コメント(0)

翌17日、暦の上では本日でありますが、 吉浜小学校と甫嶺小学校を訪れて読み聞かせを行う ことになっております。 大船渡市三陸町へは過去3回、読み聞かせ&講演で 訪れているのであります。 3年前の夏に吉浜地区のキッピンセンター、そして、2001、 2002の両年には越喜来地区の公民館で行っております。 当時、大船渡市に合併する前で三陸町中央公民館と 称して降りました。 越喜来の中心は海辺の前田であります。 中央公民館、役場、学校などもみなそこにありました。 壊滅的被害を受けたと聞きましたが、我が目で見なければ 信じられない心地でありました。 現実は初めて訪れたとき泊まった宿も、朝のウオーキングで 訪れた漁協も、絵本のサイン会を仕切ってくれた本屋さんも すべて流され、瓦礫と廃墟に変わっていたのであります。 ああ、何たる惨状(*_*) WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.17
コメント(0)
阪神大震災後の長田地区の仮設住宅街を訪れたことがあります。クリーニングやさんはクリーニング店を、八百屋さんは八百屋店を、飲み屋さんは飲み屋を再開しておりました。一杯飲んで帰りましたが、街全体が活気にあふれていたのであります。ああ、これが復興の息吹かとうれしかったものであります。 ここもやがてその息吹にみなぎると信じるものであります。
2011.05.17
コメント(0)
じつは廃校であります。 ただ、校舎、体育館はそのままに残っており、 体育館が避難所になっていたのであります。 出動や、登校中でいない家族が多く待っていてくれたのは主婦の方々が殆どでした。 くじけないぞ、といった雰囲気でこっちも、くじけないぞ、といった気持ちの読み聞かせ会になったのであります。
2011.05.17
コメント(0)
平田漁港の凄絶な光景はまるで城壁のような高架を走る三陸鉄道のガードを抜けると平和な風景に一変します。三陸鉄道の高い盛土が津波を遮ったためです。 でも、鉄道の向こうの惨状に入所者の方々は深く心を痛めたに違いないのであります。その方々が童心に還っての笑顔にワガハイや、仲間の心は大いに和んだのであります。
2011.05.17
コメント(0)
遠野を発ち、釜石線で釜石に向かう沿線は長閑で風雅な自然と人里が織り成す風景につかの間、ワガハイは桃源郷に導かれているのではないかと錯覚したのであります。 ところが、釜石に着いたとたん、空はうっすらと濁り、喉は微細な塵埃が突き刺さっていがらっぽく、鼻は乾いた瓦礫の臭いに襲われたのであります。 あわててマスクを二重にしてかけたのであります。 東京から車で駆け付けた仲間と落ち合い、市内平田の特別養護老人ホームに向かいました。駅前から港へ2、3分も走らないうちに左右は瓦礫の原。そこに崩れかけた建物が点在するという非現実的な現実がどかどかと広がっていたのであります。 怒り悲しみ絶望瓦礫に姿をはかなさ虚しさが瓦礫に姿を変えて訴えているようでありました。
2011.05.17
コメント(0)
民宿を出発です。じつはここには被災した親戚の女の子が預けられていました。身内で亡くなられた方もいると聞きました。さくらちゃんは賢そうな小学性です。色紙を求められたので(ゆめをだいじにそだてようね)と書いて渡しました。そのときの笑顔、じつによかった。でも、おうちのある地域の被災光景を見るたけで心が揺れるようです。転校を考えていると民宿の方は言いました。さくらちゃん、安心して。みんなが見守ってるからね。これからなんだよ。いつかまたここにきたら顔を見せてね、きっとだよ(^^ゞ
2011.05.16
コメント(1)
指摘されて顔がひっつりました、やあまたツッコミされそうです(笑)福祉センターお泊りのボランティアの皆様、お目覚めですか? 遠野の夜明けは早いですね。九州、沖縄の方には特に早く感じられるはずです。昨日のひっつみ汁、旨かったですね。新潟ののっぺい汁、宮崎の冷や汁、宇和島のさつま汁など、日本の汁文化は列島各地に脈々と息づいていますね。昨日の写真で失礼でありますが、今日も元気でご活躍くださいね(^O^)
2011.05.16
コメント(0)
振り返ると、中年ですが、元気だけはピチピチ若鮎の女性達でありました。(これから炊き出しをやるんですが、参加して食べていきませんか)地元のボランティアの方々でした。遠野の施設に全国や、海外から集まった200人ぐらいのボランティアが宿泊し、釜石や、陸前高田に出動しているという。でも、その方々は温かいものはなかなか食べられないでいる。それで、今夕、地元が炊き出しを行い、その労に報いることになった。たまたま僕を見かけて呼び止めたということでした。遠野でサフライズは嬉しいもんでありますf^_^; 快く承諾してまずは民宿へチエックイン。迎えの車に乗り、その施設の前庭で開かれた炊き出し野外夕食会に参加。温かい炊き出しをいただきながらボランティアの方々と交歓、写真撮影などにも繰り返し応じながら、有益な情報もいただきました。炊き出しでは遠野の郷土料理ひっつり汁が超人気でした。明日、明後日の釜石、大船渡読み聞かせ慰問を前に、いい思い出ができました。全国から遠野へ集まったボランティアの皆さん、いつかまた 、今度は心のふるさとを探しに遠野を訪れましょう。
2011.05.15
コメント(0)
疑心暗鬼がワガハイの心でふくらんでいるのであります。あさましくもあり、情けなくもありであります。釜石線新花巻駅ホームで小山田駅方面を望んで。
2011.05.15
コメント(0)
福島駅到着数十秒前のことであります。 そこから被災地は見えるかあ、と訊き返したのでありますが、答えはなかったのであります。 阿武隈山系の雪型も微笑みを返してくれたのみであります。 この安穏が被災地に一日も早く 被災地にも戻りますよう(-_-)
2011.05.15
コメント(0)

今日は泊まるだけなのですんなり予約できた 遠野の民宿に泊まります。 明日は釜石に入り、仲間と合流、明後日は 大船渡に入り幼稚園と小学校で読み聞かせ 慰問を行います。 第1回の震災読み聞かせ慰問は栃木県内の 避難所3箇所で行いました。 3箇所とも福島原発事故の方々が避難されていました。 元気いっぱいに見えた子ども達も、ときおり、その表情に 不安の翳が滲み、胸をつかれました。 放射能に対する恐怖がその繊細な心を動揺させている のかもしれません。 「よい子に読み聞かせ隊」の読み聞かせ&ミニコンサートが 子ども達の心を少しでも安寧に導いてくれたとしたら、 こんな嬉しいことはありません。 今回は被災地に直接入っての読み聞かせ慰問になりますが、 僕の、そして、仲間達の思いはまったく同じです。 そして、もうひとつ被災地の今の状況を自分達の目で しっかりとらえ、読み聞かせで訪れる全国各地の子ども達に ありのままを伝えたいという思いがあります。 大地震、大津波の悲惨さを理解し、日頃の防災が いかに大切かを知って貰いたいのです。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.15
コメント(0)

おうち(わが家)はどうすんのって、 母ちゃん、怒ってたけど、 おれ、そんな父さん好きだよ。 避難所で体調くずすお年寄りが 多いぐらい、 おれだって知ってる。 おれの中学、避難所に なってるんだ、 見てるんだよ。 仮設住宅の建設に行く 父さんて、 ほんとうれしそうだがや。 大工が天職なんだって、 父さんのことわかったの、 ここ2,3年だよ。 うちじゃいつも、 つまんない顔してさ、 念願のマイホームつくる ときだってさ、 あまりうれしそうじゃ なかったもんな。 おれ、そんな父さんが きらいできらいで、 1度、どんな顔して仕事 してんのかって、 かくれて見にいったよ。 マジかよって、 目をうたがったぜ、 あんなにいきいきと、 輝いている父さんの顔を、 はじめて、 見せつけられたもんな。 わけわかんなくて、 毎日、見にいったよ、 父ちゃん、それに気づいたね。 いつのまにかおれの うしろにまわり、 せなかポンだもの。 びっくりして振り返ったら、 ニコッと笑って、 おめ大工になんが、って。 そのときかなあ、 父さんの気持ちが すこしわかったの。 大工になんか なんないよ、 うちでつまんない顔 したくないって。 でも、好きだよ、 なぜだか好きだよ、 父さん・・・さ。 写真は(東日本大震災ふくしまの30日)より。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.14
コメント(0)

ほかの魚群はみな右上方より左下方へ 泳いでいるのであります。 しかるに、タコのみが逆上方へ泳いで いるのであります。 何故でありますか。 タコの足の1本は吹き流しのように 長くのびているのであります。 その足の先端近くに子ダコが 興味津々のまなざしで しがみついているのであります。 吹き流しのような足は子ダコにとって 初めて乗る海中列車であります。 また、初めての旅でもあります。 それで親ダコは逆方向に泳いで 1種でも多くの異種と出会えるように しているのであります。 社会勉強の旅であります。 ここまで書けばご納得いただけると 思うのであります。 あたりを睥睨している目配りと言い、 悠揚迫らぬ泳ぎっぷりと言い、 母ダコの包み込むような優しさとは 明らかに違うのであります。 つまり、父ダコ。 父性をあふれさせた場面であります。 写真は動物彩図(群魚図) 博雅堂出版刊(若冲のまいごの象)より。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.14
コメント(2)

木よ、 きみを見るのはこれで3度目だ、 仏の顔も3度、というけれど、 きみは見るたびに激変し、 そして、きょうはなんと孤独で、 おおらかだろう、 そのわけを教えてくれないか。 木よ木よ、 はじめてのとき、 きみは左右のなかまたちと、 小枝をすりあって争っていた、 木は早く上へのびないと負ける、 きみはチビだったが、 いい根性をしていたよ。 木よ木よ木よ、 海のかなたから、 やってきたあいつを、 きみもきみのなかまも、 踏みとどまり受けて立った、 横綱相撲のようだけど、 蟷螂の斧だとおもったよ、 根こそぎやられたなって。 でも、きみは立っていた、 枝葉をむしりとられ、 ようやっと立っていた、 つかれたろう、と、 それだけ言って、 帰ったよ。 木よ、 独り残った木よ、 すごい元気だなあ、きょうは、 あいつには、 きみしか気づいていない 泣きどころがあったのか、 そっと教えてくれないか、 ぼくがいつか人の子の親に なったら、 ほらこの木だよって 紹介したいんだ、 だから、 木よ木よ木よ、 だから、 木よ。 写真は(東日本大震災ふくしまの30日)より。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.13
コメント(2)

写真の絵は小さな四角います目を一つ一つ 塗りつぶして描かれているのであります。 象のほかに、 龍、熊、猿、鹿、イタチなども描かれている のであります。 若冲版鳥獣戯画(鳥這いませんが)と言った ところでありますが、龍だけは架空の動物 であります。 さて、8代将軍吉宗のとき、長崎へ2頭の象が上陸し、 うち1頭はまもなく死にましたが、もう1頭は江戸まで 旅して吉宗の上覧に浴したのであります。 この象は1729年、若冲14歳のときに京都を 通っております。 その象を若冲が見たかどうかは記録がなく 解らないのであります。 ワガハイは見ていなかろうと推測する のであります。 もし見ていたらこんなに奔放な象は描けないと 思うのであります。 ところで、なぜ龍を描き入れたかであります。 首から上は紛れもなく龍でありますが、全体の姿は 龍にしては弱弱しく卑小であります。 ワガハイはこれをタツノオトシゴと見るのであります。 これならばすべて実在で万々歳であります。 しかし、若冲は奔放な遊び心の持ち主でありました。 この絵をどう見るか。 それを見る人にまかせているのであります。 若冲は西洋のクエスチョンマークをはや心得て いたものと思われます。 象の鼻をご覧いただきたい。 どう見るかは?だよ、 と見る者に挑んでいるのであります。 (博雅堂出版「若冲のまいごの象」より) WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.12
コメント(0)

知識の蓄積がまだ少ない子どもは、 先入観にとらわれず少ない知識を 想像力(創造力)で補って奔放な 世界をつくる。 読み聞かせで幼稚園、保育園、小学校 などを 訪れると、時間が許す限り、廊下をゆっくりと 歩くのであります。 壁に園児、児童の作品が掲示されているためで あります。 感動的な作品に多々出会い、たいへん勉強に なるからであります。 6本、脚がある馬がいたり、ムカデのように 100本も足があるヘビが出てきたり、 じつに楽しいのであります。 この感覚で絵を描き続けていたら ピカソや、シャガールも真っ蒼なのでありますが、 なかなかそうはいかないのであります。 知識が増え、描く技術がついてくると、 とたんに奔放さと斬新さは失われる のであります。 大人になってもそれを失わなかった 一人が江戸中期の画家伊藤若沖で あります。 若沖はおそらく死ぬまで本物の象や、 クジラを見ていなかったとされている のでありますが、たいへん大胆で 奔放な象や、クジラを描いているので あります。 なにしろ、クジラに背びれをつけて 描いているのであります。 自在に奔放に想像力を働かせるのに じゃまっけなのは常識と既成概念で あります。 平成の世に若沖先生が現れたら 目に見えない放射能をどう描くで ありましょうや。 ぜひぜひ拝見したいものであります。 絵は博雅堂出版刊(若沖のまいごの象) WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.12
コメント(0)

ランドセル、もらえたよ、 赤いのだよ、青桐さん、 去年の05・17、 コトネ6回目の誕生日に、 せいくらべして約束した、 測って、そっと傷つけたとき、 もっと強く傷つけていいよって、 まだ若木だから、おれのほうが ノビ早いよって、 青桐さん、負けずぎらいなんだって、 コトネ笑っちゃった。 そのとき、赤いランドセルに きめたんだよ、 青桐さんに赤いランドセル おしつけて、 けっちゃくつけたかったんだ、 どちらのノビが早かったかって。 この前、はじめておうちを見にいったの、 ええーっ、青桐さん、ぶじだったの! うれしくて思わずさけんじゃった、 うれしなみだもでてきたよ、 傷はコトネの背よりずっと上にあった、 土がえぐられたせいだなんて 言わないよ、 おうちは全部ながれちゃったけど、 ひとりがんばってくれたんだもん、 すごいって、 家族みんなが元気を もらったよ、 避難所でもらった このランドセルしょって、 入学式おわったら行くよ、 あたらしい傷つけていいかなあ、 青桐さん。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.12
コメント(0)

何万年も生きるまんねんくじらが、 深い深い海の底にすんでいるのさ、 500年に1回、海面に浮かんできてさ、 しおをふくのさ、 そのとき、世界中は大雨になり、 いたるところで洪水がおきるのさ、 1000年に1回は海底の岩盤に、 頭をこすりつける、 そのとき、大地震がおこるのさ、 それから浮かんでくると、 海水をどかんどかんとのみこみ、 ばふばふうがいしてさ、 どうんどうんと吐き出すんだ、 そのとき、大津波がやってくる、 こんどもそうだったのさ、 迷惑迷惑大迷惑なはなしさ、 でも、それ以外のとき、 まんねんくじらは深い深い 海の底でしずかにしずかにして、 地球をまもってくれているんだってさ。 そんなふうに話さなきゃ、 こっちも元気をなくすんだよ、 わが子とおなじくらいの子を、 がれきの下に見つけるんだから、 うん、やはりこれだな、 まんねんくじらの伝説を、 わが子に語って、 おれも元気をもらえばいいか。 写真は(東日本大震災ふくしまの30日)より。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.11
コメント(0)

とある雨模様の日、 まだ夕暮れには少し早い時間でありました。 越中島から月島を経由し、佃にさしかかると、 ああ、これだな、となぜかワガハイ、ぴんと きたのであります。 佃の風雅な赤い橋(佃小橋)については9日に 紹介させていただいたのであります。 しかし、その赤い橋がタイムスリップの 緩衝地帯であることは渡るまでわからなかった のであります。 渡って途中で右手を見たのであります。 まさしく昭和の小運河のたたずまいが手を 伸ばせば届きそうなところで呼吸をしていた のであります。 さらに遠くへ視線を投げると海市のように ウォーターフロントに林立する平成の超高層群が 霞んでいたのであります。 一瞬、ワガハイ、昭和40年代にこの橋を渡り、 数十年後のウォーターフロントの未来光景を 垣間見たのだと錯覚したのであります。 佃の町筋を歩き抜け、佃大橋を渡って 平成に戻って平静になるまで昭和に酔って おりました。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.11
コメント(2)

二棟の超高層集合住宅は、 かなり高層の階で空中通路で 結ばれているのであります。 その通路を歩きながらの展望は、 さぞかし瞠目すべきものでありましょう。 でも、遠望する限り、かぼそく見えて 支えたくなるのであります。 下まで降りればいくらでも行き来は 自由ではありませんか。 なにゆえ、目もくらむような高さに 空中通路を・・・ といぶかるのは下司のかんぐりかも しれないのであります。 しばらく見ているうちに、 二見浦の夫婦岩の光景と 重なってきたのであります。 凡夫にはお思いもよらぬ 深遠な意味づけが あの空中通路をにはあろう、 と思うしかないのであります。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.10
コメント(0)

あさっての日曜日に、 ともだちの結婚式があるからって、 さっき交番へ寄って 言ってたなあ、 このあたりも変わったから、 一回り見てから実家に行くって、 さっそうと歩いていった、 そのあなたをむこうの道にきえる まで見送りながら、 5年前の騒ぎを思いだしたよ、 あのときも、自分はこの駅前交番に 立っていた、 血相かえて駆けてあらわれたっけ。 そのあなたを男がおっかけてきた、 駅舎の前で、 あなたにタックルした、 馬乗りになって首をしめる男を 自分はあなたからひきはがし、 かかえなげたんだ、 たちのわるいストーカーからにげて、 あなたは東京へ行った、 風のたたよりに聞いたけど、 外資系に入って渡米して、 むこうの公認会計士の資格をとり、 もどって監査の仕事についたって、 すごいよ、このいなか町を出てって 成功をおさめたんだ、この帰郷は、 錦を飾る意味もあったのかな、 あなたにまったく関係ないけど、 自分はあれからあなたにかたおもいを していたのであります、 しばらく自分が自分でなくなった ような、 でも、ようやくぬけだして、 おととし結婚したのであります、 去年、子も生まれました、 あなたは知らないでいいことだけど、 例のストーカーは、 あれから別の事件をおこし、 執行猶予中に死んだ、 心臓病の発作だって聞いた、 あなたは知らないかな、 べつに、知らなくてもいいけど、 あなたが駅前にもどってきて、 大地が、すべてがゆれた、 自分も交番から動けなかった、 気がついたら、あなたが うずくまっていたんだ、 ひえるよ、立ったほうがいい、 ただならないようすになったよ、 巡回の余裕はないようだ、 まだ、でっかいゆれもくるぞ、 さあ、今すぐあなたを送ろう、 たいへんな帰郷になったけど、 まずはおちつくんだ。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.10
コメント(0)

とある日、門前仲町で用を済ませ、 雨模様でありましたが、 越中島、月島、佃、新富町を経由して 銀座まで歩いたのであります。 下町的なところを歩くのは大好きで あります。 月島を通過し、そろそろ佃だというときに 風雅な赤い橋が見えたのであります。 ワガハイの心は躍ったのであります。 橋の向こうに色濃く昭和を漂わせている 街並みが広がっているではありませんか。 渡った先は確かに昭和でありました。 箸や、下駄や、ブリキや、床屋などが 木造2階建ての家々が軒を連ねる通りに 点在しているではありませんか。 幅員がやけに広い道はおそらく太平洋 戦争時、延焼を防ぐために拡幅された のでありましょう。 そに道で10人前後の子ども達がサッカーに 興じていたのであります。 突き当たりは隅田川の土手で、左に少し 行くと佃大橋がありました。 渡りきると、平成の街並みが待っていた のであります。 渡りきるまでに昭和が夢幻のごとくに 遠くなるのがよろしく、ますます佃が気に 入ったのであります。 これは近いうち再訪であります。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.09
コメント(3)

高校を中退して東京さ行ぐと 言ったとき、 じっちゃん、ほんとはおれを なぐりたかったんだべ、 こぶしをつくってふるわせていたもんな、 でも、そいつを背中へかくして、 行っでこい、 そのかわり、おめおめど帰んな、 おめのまたぐ敷居なんかねえがらな、 つて、 じっちゃんの熱い血がおれのからだに 流れてきたよ、 でも、2度とまたぐもんかと 敷居けとばしとびだしたもんなあ、 駅まで走るおれをオフクロがバイクで おってきて、 カネをわたしてくれたんだ、 3年たったころだったか、 どこでどう聞いてきたか、 ばあちゃんが東京の安アパートで くすぼっていたおれをたずねあててきた、 びっくりしたよ、もう、 大口ほざいたわりにはよ、 やることなすことはんぱばかしで、 高校んときの5倍ぐれてたもんなあ、 カネ持たせろ、たのじっちゃん だったって、 聞いたよ、そんとき、 難病で長患いのオヤジがいよいよダメだから、 1度帰えれ、 とばあちゃんが言って、 帰えるよ、とすなおにうなずいたよ、 でも、葬式にも帰らなかった、 ひでえやづだ、勘当だ、縁切りだと、 親戚中が言ったべよ、 こっちから縁切りだい、 っておれ思ったもん、 トラックに山積みにされた サンマのにおいなんか、 こんりんざいかぎたぐね、 って。 じっちゃん、えがっだでねえか、 あの大ゆれも大津波も知らねえで あの世さ行げたんだがら、 じっちゃんが死んだこと、 高校んときのともだちが 教えてくれた、 そいつとだけはつきあいが あっだがらな、 そんとき、おれ、えっ、じっちゃんが、 って頭がまっさらになったもん、 じっちゃんのこと好きだったんだべな、 でもよ、もうふるさとは捨ででる、 それに、翌日は、おれ、さかずきをうける ことになっていたのよ、 じっちゃんのいちばんきらいなものに なるんだって、 27歳、遅咲きのやくざにさ、 でも、じっちゃんのこと聞いて 3時間もたたなかったかなあ、 ぐらりぐらりとゆれて、 じっちゃん、今行ぐがらな、 ってさけんでだ、 さかずきうければ親になる人に、 はっきりことわって、 ここへ帰ってきたぜ、じっちゃん、 見わたすかぎりたいへんなことに なっていたけど、葬式も どうにかだせてさ、 おれ、ほっどしでる、 ばあちゃんもオフクロも無事だったし、 叔父さんとこの納屋だけどさ、 なおして3人いっしょにくらせる、 役にたったんだ、 はんぱながら東京で大工修業していて、 よがったよがっだよ、 じっちゃんの遺影にさ、 こうして線香あげられるなんて、 これっぽっちも思わなかったよ、 じっちゃん、ばあちゃんとオフクロのこと、 ならまがせでくれや、 仕事はこれがらみづけるんんだども、 きっときっと、 ちゃんとした敷居のうぢ作っがらよ、 盆には足がなくてもまだいでくれっで、 じっちゃんが氏子総代やっでだ神社の 鳥居くずれでだな、 正の字の左のたての棒がないよな、 下のよこ棒は地面だべ、 おれ、左のたて棒になっで、 がちっと正の字にすっがらな、 じっちゃんよ、 安心しで見ででくれっがな。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.09
コメント(1)

あの日、宅急便がとどいたんだよ、 会津りんごのジュースが大びんで 10本もつまっていて、 仲間が歓声をあげたもんさ、 毎年、ご恒例だもの、 母ちゃん、じぶんのさとでつくっている ジュースをわざわざとりよせてさ、 つめなおして、 わざわざわけてやれって職場に おくってくるんだもん、 そりゃ、みんなあてにするさ、 わけて、どら試飲じゃ、と1本の せんをぬいたとたんだった、 ぐらりぐらりときて、 前の日も、東北で3ぐらいの地震があったろ、 それでおれ、東北だ、つてぴんときたんだ、 だれかがテレビつけて、 もうなにも手がつかなくなったもんなあ、 おれ、母ちゃんのケータイに つながらなかったから、 兄ちゃんや、親戚のとこへかたっぱしから かけまくったんだ、 つながらなかったよ、きれいにすべて、 いてもたってもいられなくってさ、 夕方には東京を出て浜通りへ向かったさ、 むろん、途中で一般道を走り、 渋滞や、交通止めにあいながら、 山道抜け道を迂回迂回して、 ようやく生まれ故郷で母ちゃんのいる 浜の近くで車をすて、 あとは歩こうと思ったけど、 すさまじい光景がぐわーんとひろがってさ、 道なんかがれきでふさがれて、 サーカスみたいにしなきゃ歩けなかった、 おれや兄ちゃんが生まれたうちは、 あとかたもなかったよ、 母ちゃんが働いていたはんぺん工場は ぺしゃんこにつぶれてさ、 屋根に軽トラックが乗っかってやがんの、 涙もでなかったなあ、 涙がでんのはちっとの余裕なんだって、 ほんと思ったもん、 車に泊まって母ちゃんを探し歩いたよ、 2日たって、おなじように母ちゃんを 探し歩いていた兄ちゃんと ばったりあった、 内陸の兄ちゃんの職場とうちは無事だったか、 嫁さんとまだゼロ歳の甥っ子は、 母ちゃんのさとに避難させたって、 ふたりで何日も母ちゃんを探し歩いたけど、 見つかんなかった、 東京へもどるときだぜ、 おれがわんわん泣いたの。 母ちゃん、またきたぜ、 兄ちゃんがアルバムを見つけといてくれたんだ、 これ、小学5年の春休みに母ちゃんのさとへ 行ったときのもんだよね、 子どもの彼岸獅子に、おれ、でたんだっけ、 そうだ、太夫獅子になったんだ、 母ちゃん、やたら写真とりまくっていたっけ、 ごめんな、母ちゃん、まだ迎えにいけなくって、 おれ、考えてみたら親不孝ばっかしだったな、 だから、親孝行しなきゃいけねんだよ、 細腕一つでおれと兄ちゃんをそだてやがって、 親孝行させねえって手はねえだろが、 きっと、迎えにいくからよ、 待ってるんだよ、元気でな、 ただ母の日だから、 白いカーネーションを1本だけ、 波に投げるからさあ、なっ、母ちゃん。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 にほんブログ村
2011.05.08
コメント(2)
全61件 (61件中 1-50件目)

![]()
