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* 信じやすい方は以下の文章を、 フィクションとしてお読みください。 三国志で知られる五丈原は、 死せる孔明が生ける仲達を、 敗走させたところ、 指南車に乗り、 戦いの指揮をとっている最中に、 偉大な軍師は生涯を閉じた、 しかし、寡兵の蜀軍は、 なおも軍師の指南通りに戦い、 司馬懿仲達の率いる、 雲霞のごとき魏の大軍を、 走らせた、 いまの日本の政界を、 五丈原に譬えたくない、 しかし、あえて五丈原に見立て、 ドジョウ宰相の誕生を、 陰の戦いを通して見直してみたい、 その見えざる戦いは、 与野党に関係なく、 圧倒的な大軍を繰り出した、 原発推進軍と、 すでに前になったが、 カン宰相の率いる、 きわめて寡兵の脱原発軍との、 決戦であった、 指南車に乗るも、 すでに死に体の、 カン宰相にとっては、 死処を求める、 悲壮な戦いであった、 孔明の軍略の才は三国中に、 鳴り響き、 魏兵はその名を聞いただけで、 慄いたのに、 カン宰相は才もなく人気もなく、 脱原発軍は見るも無残に、 殲滅された、 世界を震撼させた、 フクシマ事件や、 本日午後より停止になった、 川内原発2号機を加え、 54基中42基が停止中という、 原発推進軍にとっては、 大きな逆風を味方にすることも、 叶わず、 哀れ脱原発軍は、 政界の裏次元に存し、 大多数の国民の目に触れぬ、 五丈原で露と散った、 五丈原に轟いた勝どきと、 林のごとく林立した、 原発推進軍の旌旗は、 やがて、日本の通津浦々に、 轟き翻る。 東京タワーから1キロ弱離れた、 新一の橋近くにある、 この建物の上に立つ、 アンテナ状のものも、 3・11で少し曲がった、 のだろうか、 以前、この先端に、 風見鶏が止まっていた、 風見が許されぬ、 閉塞して息苦しい世に、 ますますなりつつある、 のだろうか。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.31
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東京タワーが好きな理由の1つは、 まっすぐ天を指しているアンテナが、 天命ここにあり、と、 明示しているように思えること。 迷っているとき、 東京タワーに向かい、 振り仰ぎやすいところで、 足を止める、 アンテナが指し示す天を仰ぐ、 どうしたら天命に逆らわず、 最善の選択をとれるか、 心が落ち着き、 1つの選択が残る、 それが天命が示した道だ、 と納得する、 ぼくの中で東京タワーの、 アンテナは、 天命のありかを示す、 羅針盤の針、 3・11でそれが曲がってしまった、 修復がなされたと聞いたが、 まだ曲がっている、 天命に逆らわない選択が、 できないのではないか、 それをいまは怖れる。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.31
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自分の分をわきまえ、 飾らずへりくだることによって、 実をとろうとしている、 人情の機微に訴え、 ここ数年の上から目線の、 首相のなかでは、 いちばん親しみを、 もたれそうだ、 へりくだりつつ、 泥沼をしぶとく生き抜く、 という自負も強そうだ、 世間もそうだけど、 いまの政界は目立つ杭になると、 すぐ打たれる、 自分と同じどんぐりだと安心し、 まあいいんじゃない、 としばらくは矛先を外してくれる、 はなから花を捨てたのは、 いいけれど、 実もとれなかった、 ことにならないよう、 すこしの期待を、 かけてみたい。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.30
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地震の発生と時代の変革は、 メカニズムが似ている、 どちらも一定の期間を経て、 ひずみがたまると、 それを修正する動きを起こす、 そのせいか、古来、 大地震は時代の大きな変革期に、 連続して発生している、 比較的新しい例では、 黒船来航の激震に揺れる、 安政元年(1854)、 東海、南海、豊予の、 3地震が連動して起きた、 翌安政2年、江戸地震が、 起きた、 この4つの大地震のなかでは、 のちに安政の大地震と呼ばれた、 江戸地震がマグニチュード6・9、 ともっとも小さい。 東海、南海の両地震は、 ともに8・4という巨大地震で、 揺れに加えて津波も襲来し、 広範に甚大な被害を、 もたらした、 4つの大地震が、 終戦の年(1945)をはさんで、 4年連続で起きた、 1943年、まず鳥取地震が、 1944年、東南海地震が、 1945年、三河地震が、 1946年、南海地震が発生、 いずれも死者1000人超の、 犠牲が出た、 安政の4大地震から今日まで、 連動連続しなくても、 大地震は足の指を動員しても、 数え足りないほど起きている、 日本列島は地震の巣の上に、 置かれている、 それだけでも、 気が休まらないのに、 いまは54基の、 原発も置かれている、 ひんぱんに揺れる岩盤の上に、 ガラスでできた放射能の容器を、 置いたようなものだ、 外国から見たら、 日本人は日本列島という、 いつ崩れるかわからない、 細長い岩盤を原発を抱えて渡る、 曲芸師に映るかもしれない、 ばかなことをした、 と悔やんでもはじまらない、 問題はこれからだ、 2年や、3年でなくせとは言わない、 どんな問題も残らぬよう、 50年がかりでいい、 原発がなくても、 便利で文化的な生活を、 享受できるよう、 ぼくらみんなが考え、 行動していこう、 悪魔との契約を破棄するには、 そのくらいの時間は必要だ。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.30
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いつの時代でも、 ふるさとをあとにして、 帰らずじまいの人はいた、 それでもふるさとはふるさと、 あるというだけで、 帰られないままでも、 心が安らげた、 子ができ孫ができても、 その子孫の心で、 ふるさとは生き永らえた、 そうして遠い地から、 父祖のふるさとに戻った、 人々は少なくない、 ふるさとにはなにものにも、 代えがたい、 尊い貴い重みがある、 原発被災の1部地域には、 長期間戻れないという、 その長期間が5年10年なのか、 50年100年なのかはわからない、 でも、その地域を、 ふるさとにする人々は、 いつかは戻れるのだ、と、 一縷、いや百縷千縷の、 望みを託して聞いたに違いない、 尊い貴いふるさとがある、 だから、がんばれる、 そのふるさとを藪にすることなく、 手入れを怠らず、 早急に除染の手を打っていく、 それが国に、そして被災を免れた、 われわれに課されている、 われわれのふるさとと地続きの、 尊い貴いふるさとなのだから。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.29
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もともとは「アリとセミ」だった、 このイソップ寓話は、 アルプ以北に伝わって、 セミが棲まないので、 キリギリスが代役を務め、 「アリとキリギリス」になった、 楽器を持たせたらセミよりも、 キリギリスのほうが、 はるかに似合う、 人にも似ている、 セミのままだったら、 この寓話はこれほどには、 世界に広まらなかった、 かもしれない、 アリは働きものの代名詞に、 なっているが、 かなり高い比率で、 なにもしないアリがいるらしい、 すべてのアリが働きものだったら、 餌は貯蔵されすぎ、 働くべき仕事はなくなり、 アリ社会は活力を失うだろう、 ヒト社会もそうだ、 働く人はよく働き、 アリ社会ほどの高い比率では、 ないにしろ働かない人がいる、 それでバランスが保たれている、 通りがかりの小公園に立ち寄った、 箒と塵取りを手にまめまめしく、 掃除をする人がいる、 散らかす人は、 はなをかんだティッシュを捨て、 ガムの包装紙を捨てる、 なるほど、掃除する人ばかりで、 散らかす人がゼロだったら、 掃除は成り立たないか、 と妙に納得させられた、 掃除をする側、つまり、 働ける側に回れてよかった、 とささやかな幸せも感じた。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.29
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人出が凄いことで知られる、 麻布十番納涼祭りが、 今年は中止になった、 節電と見物客の安全を考えての、 ことらしい、 伝統もなければ、 コンセプトにも欠ける、 この納涼祭りは、数十万の人出と、 露店の多さが売りで、 ほかにこれといった特徴は、 なかった、 飲食店を中心に1部商店を除くと、 混雑が過ぎて売り上げも伸びず、 商店街からも不満が絶えなかった、 近接する住宅街からは、 風紀も乱れ、夜遅くまで騒ぎ、 道や、庭を汚す、 と苦情が続出した、 それで、10年ぐらい前から、 午後9時で切り上げることになったが、 それでも、住宅街での評判は、 かんばしくなかった、 今回の中止が来年以降の、 中止につながるのか、 それとも、 来年から再開になるのかは、 知らない、 ただ、そろそろ見直しの時期に、 きているのはたしかのようだ、 麻布十番は秋祭りがいい、 お囃子が遠く近くに聞こえ、 気もそぞろになる、 麻布十番旧町の、 網代会、新二会、睦会、 山元会、坂下会、宮村町会 を合わせて6町会それぞれの、 神輿がパティオ広場に集結し、 それから一斉に練りだす光景は、 江戸の名残りを色濃くにじませ、 圧巻だ、 9月11日(日)に行われる、 本物の日本の祭りが見られる。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.29
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平成に入ってしだいにしだいに、 すべてが小粒になってきた、 高度経済期のころ、 どこの会社でも、 コンピューターは1室を、 占領して設置されていた、 それがどんどんコンパクトになり、 パソコンになりスマートフォンになりして、 胸の内ポケットにおさまっている、 ペットも小型化して、 ネズミほどの犬も見かける、 人のサイズだけはガリバー化していく、 バスケットボールの試合を、 間近で見ると、 選手のあまりの大きさに、 巨人国にきてしまったのか、 と錯覚する、 人も小粒になったほうが、 これからは住みやすいのではないか、 ただし、小粒でも精神はピリリと、 辛くあってほしい、 超短期決戦の代表選が、 昨日、告示されて、 本日、選挙戦もたけなわである、 明日、新代表が決まる、 えらく小粒の選挙もあったものだ、 候補者もみな小粒に見える、 いずれも帯に短し襷に長し、 と10年前なら言いたいところ、 いまは待てよ、 帯さん襷さんに失礼でござろう、 代わって、 タオルに短しハンカチに長し、 政治家が人の精神の小粒化を、 暗示しているような気がする。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.28
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他国から資源を輸入し、 それで水準の高い製品をつくり、 輸出している日本は、 そして、輸出産業は、 円が高くなれば困る、 輸出による利益が上がらなければ、 その影響は日本国民全体に及ぶ、 みんなが困る、 輸出産業はコストが安くすむ、 海外に制作拠点を移し、 新たな活路を求めよう、 としている、 国民も暮らしのコストを下げようと、 知恵と工夫を凝らし、 倹約と再利用、再々利用に、 必死になる、 その日本国民の必死さが、 円高の背景の、 さらなる背景になっている、 日本人は真面目で勤勉である、 国債の赤字がどれだけあっても、 それ以上に国民の、 金融資産がある、 それは日本人の真面目と勤勉が、 外国はそれを知っている、 なにがあっても暴動や、クーデターは 起こさず、 粛々と収拾にあたる日本人を、 心の底でいふしている、 日本人以上に、 日本人を見ている、 残念ながら日本の政治と、 外交はずいぶんと間が抜けている、 真面目と勤勉が裏目に出た、 のかもしれない、 それでも円は安くならない、 日本人が真面目で、 勤勉であるかぎり、 円は金看板であり続ける、 日本人はもっと誇りを持とう、 自信を持とう、 けして卑下してはいけない、 真面目と勤勉、 じつは人類が生き残るすべを、 日本人は生まれながらに、 資質として身につけている。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.27
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民主党の代表選に何人かが、 名乗りを上げた。 1人2人は脱原発を主張して、 それを売りにするかと思った、 原発推進を唱える候補が1人2人出て、 争点が明確になって、 華々しく舌戦を繰り広げたらいいのに、 なぜかそれには触れたがらない、 なぜだろう、 口にチャックをしているかのようだ、 本来の推進派が口を閉ざすのは解る、 原発被災が深刻な状態のときに、 それを言えば世論の袋叩きに、 あいかねない、 問題なのは脱原発の考えの候補者が、 一人もいないことである、 内心の脱原発派はいるのかもしれないが、 言えば唇寒しの状態になるので、 言えないのか。 なぜだろう、 言ったら代表になれない、 そして首相になれない、 理由でもあるのだろうか、 脱原発派ならいまこそ声を大にして、 唱えれば広く国民の支持を、 得られるのに、 みな原発に委縮している、 なぜだろう、 憚る何かがあるのだろうか、 不思議な国だ、 原発を暴君のように怖れ、 さわらぬ神に祟りなしを、 決め込んでいるかのよう、 なぜだろう、 暴君はひれ伏していれば、 陰でいいことをしてくれるのか、 なぜだろう、 すべて知りたい、 でも、知るのが怖い、 それでも知りたい。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.26
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2004年10月23日に発生した、 中越地震のことは、 よく覚えている、 この日、新潟の三条市で講演すませ、 ついで柏崎市の保育園で、 読み聞かせを行った、 新幹線の長岡駅まで送ってもらい、 ときに乗って帰途についた、 そのときが大宮の手前で徐行し、 そのまま停止した、 中越地震が発生したためだった、 その数か月後、 長岡市内の某高校の体育館に、 設置された避難所を、 慰問で訪れた、 旧山古志村の人々が、 避難していた、 訪れたとき、子供たちが、 乗れるだけ乗り、 それをボランティアのお兄さんが 押していた、 子どもたちはわあわあキャアキャア、 大騒ぎしていた、 読み聞かせを始める前、 男の子の一人が、 「ぼく、これからどうなるのかなあ」 と半ば質問のようにつぶやいた。 「大丈夫だよ」 ぼくはすぐに答えた、 今まで通り家族と暮らせるのか、 今まで通り学校に行けるのか、 友達と学び遊べるのか、 そういう不安だったからである、 その不安のいずれも遅かれ早かれ、 解決すると予測できたから、 自信をもって断言した。 今年の4月、栃木県内の避難所のうち、 3か所を慰問して回った、 いずれも原発被災の人々の、 避難所だった、 小山市内の避難所で読み聞かせを終え、 プレゼントの絵本にサインをした、 小学4,5年生と思われる男の子が、 サインに添えた、 「いまが出発点」という、 言葉に目をやりながら、 「ぼく、これからどうなるのかなあ」 と、つぶやいた、 ぼくはそのつぶやきの、 重い意味に気づき、 つかの間、言葉を発せなかった、 このつぶやきについては、 前にも書いた、 でも、1人でも多くの方に、 知ってもらいたいので、 また書く、 男の子は(これから5年後10年後、 ぼくの体はどうなるのか?)という、 強い不安をつぶやいたのである。 ネット時代の今の子どもは、 放射能についてよく知っている、 現時点では、とか、直ちに、とかいった、 前置きつきで、いくら、 健康には問題ない、と言っても、 納得できないだろう、 明確なデータにもとづいて充分に、 信憑性のある根拠を示し、 説明しなければ今の子どもは、 納得しない、 絵本の読み聞かせは、 こういう不安を抱えた子どもたちの、 心のケアには寄与できるだろう、 しかし、その不安を解消するだけの、 力はない、 その力を出せるのは国しか、 ないだろう、 しかし、国はこのことに関しては、 うやむやで、 時の経過に期待しているふしもある。 わたしたちは喉元過ぎても、 この熱さをけして忘れてはならない、 と、思う、 つかの間、経って、「大丈夫だよ」と、 答えたが、弱い響きがあった、 かもしれない。 男の子はうなずいて、 離れていった、 きっと、ぼくに気を遣って、 うなずいてくれたのだと思う。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.26
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三陸町という海辺の町があった、 3階建ての中央公民館の3階から見ると、 海は手の届きそうなところにあった、 ここのホールで2001年、2002年の両年、 読み聞かせ&講演を行った、 地域の老若男女が大勢きてくれた、 特に3歳児以下の小さな子どもたちと、 65歳以上の高齢の方の姿が目立った、 漁港の町は元気にあふれた子どもが多い、 高齢の方の姿が多かったのは、 中央公民館と目と鼻の先に、 特別養護老人ホームの、 さんりくの園があるからだろう、 そこに入所している方々が、 かなりきてくれたらしい、 小学生もずいぶん聞きにきてくれた、 何年か前、大船渡市と合併し、 大船渡市三陸町になった、 中央公民館は三陸公民館になった、 3年前の夏、三陸町吉浜にある、 吉浜地区拠点センターに、 読み聞かせ&講演で訪れた、 海辺ではなく高台にあった、 また会おうね、 子どもたちと手を振って別れた、 3年後、3・11震災が起きた、 旧三陸町の海辺の集落は、 どこも壊滅状態だという、 旧中央公民館一帯は越喜来地区で、 旧町役場もここにあった、 まるで海の幸を迎え入れるように、 海に向かって正門が立つ、 越喜来小学校もここにある、 越喜来と書いてオキライと読む、 峠を越えて喜びが来るところ、 と文章に変えて記憶した、 ホールも役場も小学校も、 みんな津波に呑まれた、 2001年と2002年に、 2歳1歳0歳だった子どもたちは、 いま小学6年5年4年生、 無事だったろうか、 幸い越喜来小学校の児童たちは、 震災4か月前の2010年12月に、 完成したばかりの避難通路を通り、 全員無事だと聞いた、 知って胸ふさがる気持ちになったのは、 さんりくの園の入所者の惨状で、 約70人中、56人が犠牲になったという、 5月、釜石で2か所の慰問を終え、 夕暮れ迫る越喜来に入った、 聞きしに勝る惨状に息を呑む、 旧中央公民館もさんりくの園も、 なかを覗けば有無を言わせぬ、 大津波の略奪にあったよう、 天井さえはがされている、 涙を抑えきれず強く目を閉じる、 外郭を残す大きな建物以外は、 見渡すかぎりの瓦礫の原、 全壊の越喜来小学校へ歩く、 海の幸を呼びこむ正門は、あの日、 大津波という魔物を呼び入れてしまった、 切通しの道にかかり、 校舎と内陸側の高台をつないだ、 避難通路は真っ先に落下し、 瓦礫の下敷きの瓦礫になった、 しかし、その直前、 すべての児童を高台に送り、 無事、その使命を果たしている、 翌日午前、さしもの大津波も かすることさえできなかった、 吉浜小学校を訪れ、 多くの児童と3年ぶりの再会を、 喜びあい、無事を祝しあい、 読み聞かせを行い、 全児童に絵本をプレゼントし、 おなじ三陸町内で甫嶺地区にある、 甫嶺小学校へ急行した、 体育館に甫嶺小学校の児童のほか、 越喜来小学校の児童も、 やはりおなじ町内の崎山地区にある、 崎山小学校の児童もきていた、 この3校は明年4月に統合になる、 越喜来小学校の子どもたちに、 「隊長は2001年と2002年に旧中央公民館で、 読み聞かせをやったんだよ。覚えている、 よい子はいますか?」 5年生6年生でも当時は2歳以下、 参加していてもまさか覚えていないだろう、 と思ったのに男の子1人女の子1人が、 さっと手をあげた、 心に熱いものが噴き上がり、 それは涙に転じて両眼から、 あふれだそうとした、 必死にこらえ息を整え、 読み聞かせに入った、 終わって、 「みんなが大人になったときは、 このうちの半分は海外で活躍している、 かもしれないよ。そういう時代になっている。 もし海外へ行ったらその地で、 伝えてほしいんだ、 大津波の怖ろしさを、 その犠牲、被害から、 どう立ち直り復興したかを、 とくに子どもたちに伝えてほしい」 読み聞かせを終えて、 子どもたちにそう頼んだ、 子どもたちは声に出さずに、 深くうなずいてくれた、 子どもたちに元気と感動を貰って、 帰途についた、 同行のスタッフに、 うれし涙を悟られまいと、 遠くの山嶺に視線をやった。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.25
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その人が生きていたら、 無念そうに、 そう言ったに違いない、 その人は14年前に、 58歳でこの世を去った、 被爆によるガンで、 1級プラント配管技能士として、 数々の原発の建設に携わり、 多くの原発事故の収拾にあたった、 存命だったらフクシマの収拾に、 具体的な助言と指導を、 求められたに違いない、 この人、美浜の事故についていわく、 日本国民のすべてを乗せたバスが、 高速道路を100キロのスピードで走っているのに、 ブレーキもサイドブレーキもきかない、 壁にぶつけてやっと止まったようなものだ、と。 ナトリューム漏れを起こした、 もんじゅの事故も、 戦慄すべき大事故だった、と、 ほかにいくつも事故は起きた、 日本の原発の総数は54基、 高い高い事故率ではないか、 54個の悪魔に日本国民は、 列島ごと人質にとられている、 その人はこうも言った、 日本には途中でやめる勇気がない、と。 もっとも大きな勇気は、 非を悟ったら1日も早く撤退すること、 誰も悪魔の呪縛から救い出してくれない、 自分たちでその呪縛を解かなければならない、 いま、われわれは、 その勇気を出せるかどうかを、 世界から試されている。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.24
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早朝でも、 ウオーキングすると、 まだ蒸し蒸しするけど、 空を見あげたら、 1足先に秋がきていた、 あの鰯雲を深呼吸して、 肺にいっぱい吸いこんでみたい、 事務所に戻り、 そっと1つ1つ吐き出して、 目の高さに浮かべてみよう、 それからおもむろに、 パソコンを開く、 仕事がはかどるに違いない。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.24
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なにか転がってくる、 目を凝らすと地球じゃないか、 どうしたんだろう、 弾みながらだんだん大きくなる、 ひかれないよう脇へよけた、 地球はすぐ横で止まった、 グルグルグルと濁った声で、 笑いながら、しきりに、 表面を路面にこすりつける、 「どうしたの?」 「かゆいんだ。寄生虫が増えすぎてね」 「笑ったんじゃなくてかゆかったんだ」 「鳥取砂丘へ行くんだ。砂浴びして、 寄生虫をとりたい」 「ここは東京だよ」 「まだ先かあ」 地球はまた転がりだした。 でも、途中でポーンと、 高く高く跳ねて、 築地塀の家の敷地に飛び込んだ、 たしか庭に大きな池があるはずだ、 すぐにポチャンポチャンと、 水浴びする音が聞こえた。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.24
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人が創りだした放射能は、 人類が初めて経験する、 悪魔そのものである。 悲しいことに人類は、 戦争に勝つ究極兵器として、 戦争抑止力の恐怖の守護神として、 開けてはならない、 悪魔の箱を開けてしまった、 封印しておけば、 人類の叡智が国家民族の、 利害を超えて、 戦争の根絶を実現した、 かもしれないのに。 悪魔の力のあまりの凄さに、 人類はその力を借りて、 戦争はできないと悟った、 悪魔を放った罪を認めず、 その言い訳を思いつく、 それが平和利用だ。 ある人がライオンに、 大きな草食獣を仕留めさせ、 食を確保しようと思いついた、 初めはうまくいって、 仲間にも肉を分けてやった、 ある日、ライオンは草食獣より、 その人を狩ったほうが、 楽なことに気づき、 その人を食べてしまう、 ライオンはそういうものだ。 悪魔の平和利用はそういうこと、 日本が調教中の悪魔の数は、 100にはるかにおよばないのに、 その事故率は極めて高い、 なにしろさまざまな災害に、 悪魔は奮い立つ、 地震、雷、火事に触発され、 親父(テロリスト)のテロに、 大いに大いに発奮する、 悪魔の本性に気づいた、 日本の国民は脱悪魔に、 生きる道を模索しはじめた、 なのに、この国は、 悪魔を輸出しようとする、 よく調教してあるから、 大丈夫ですと、 発展途上国にセールスをかける、 この地球に事故率の高い、 1000もの悪魔が、 蟠踞したらどうなるのか、 5つ6つの悪魔が発奮しただけで、 その偉大なる魔力は、 地球をおおいつくす、 人類よ、正念場である、 叡智を叡智を叡智を絞り、 悪魔を封じる秘法を編み出せ、 と地の底から地球は訴える。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.23
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母と子が睦みあう、 歓びを分かちあう、 この光景に出会うたびに、 僕は元気を貰った、 遠い昔、 あんなことがあった、 母は僕を自分の頭より、 高く振りかざしアハアハ笑い、 僕はキャキャキャと笑った、 母が生んだ母から生まれた、 アマテラスの時代から、 変わらぬ営みに、 母も子も安心できた、 でも、近ごろの母子の光景に、 歓喜を感じることが少ない、 母は子の行く末に、 漠とした不安を抱き、 子はその母に感応し、 表情から丸みをなくした、 見ただけで元気になる、 歓喜に満ちた母子の姿を、 日に1度は見たい、 なによりの平和の証だから。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.23
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11月に斬新なシステムの作家養成スクール「ことばラボ」 がスタートします。その開講記念の無料セミナーですが、 ご興味ある方は下記バナーをクリックしてください。 ことばラボ WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.22
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福島原発被災の避難所を、 読み聞かせ慰問で回ったときのこと、 1つの避難所で聞いたつぶやきが、 心から離れないでいる、 読み聞かせが終えて、 プレゼントの絵本にサインを始めた、 小学5,6年生ぐらいの男の子が、 「いまが出発点」と書き添えた言葉に、 しげしげと見入りながら、 「これから僕、どうなるんだろう?」 と、つぶやいた。 この言葉の持つ重みが、 僕の心にズシンとかかった、 5年先10年先、僕の体は、 どうなるんだろう、と、 胸の中の強い不安が思わず、 つぶやきに出たに違いない、 その子の強い不安をどうしたら、 解消することができるのか、 絵本の読み聞かせは確かに、 心のケアの一助になる、 しかし、その不安を解消するには、 科学的な根拠とデータを示し、 だから大丈夫だよ、という、 全幅の信頼を置ける、 真摯で誠実な取り組みが、 なによりも必要だろう、 直ちに健康に影響が出るものではない、 では、ネット世代の子どもは、 絶対、納得しない。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.22
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あるときの絵本のサイン会で、 5歳ぐらいの男の子が、 その机の端で頬杖を突いて、 僕の頭をじっと見だした、 そして、やおらこう言った、 「そんな頭をしているのは、 カワイイと言われたいからだろ」 えっ、と僕はその子を見て、 つかの間、言葉が出なかった、 図星だった。 その子が言ったカワイイには、 いろんな意味がある、 可愛い、かっこいい、きれい、似合ってる、 あるいはそれらをひっくるめた意味。 どれでも図星、 ひっくるめても図星だった。 「そのとおりだよ」 僕は大きくうなずいた、 その子がとても眩しく見えた、 直感力、素直さ、先入観のなさ、 差別観もなく、 想うがままの言葉を発する、 子どもが持っている珠玉のような、 感受性に学びながら、 大人は子供を育て、 伸ばしていければ、 素晴らしい、 ねばならぬ、という変な、 上から目線を排して。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.22
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優しさも ほどほどにして お人好し それでもやるの このお人好し アホぬかせ 働きもなく 口先で 親孝行が 聞いてあきれる 以上2首。
2011.08.21
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自分はあなたから、 生かしていただいている、 しがない人間の、 しがない日本人の、 しゃがない個です、 おおそれたことを、 申し上げますご無礼を、 前もってお詫びさせてください、 先ごろはたいへんな猛暑を、 ちょうだいいたしました、 昨日は秋近しをほのかに感じ、 心がしまりました、 しかしながら、予報によれば、 今日は9月下旬か、 10月下旬の陽気とか、 もしかして、ほんのつかの間の、 秋を覗かせて、 猛烈な残暑をくださる、 おつもりですか、 いつかの年のように、 10月に30度超を、 お考えでありますか、 あんまりであります、 アフリカはアフリカのよう、 アラスカはアラスカのよう、 わが日本は日本のよう、 古来からそれぞれの、 気候をいただいて、 人間はそれぞれの地域で、 それぞれの営みを、 はかってまいりました、 特にわが日本は四季のけじめを、 くっきりとつけていただき、 お蔭で営みに比類なき多様さを、 生み出すことができました、 着るという一事を見ても、 春物夏物秋物冬物と、 着わけができる国が、 ほかにいくつあるでしょうか、 このように心を潤す四季の、 移ろいがなかったら、 清少納言は後世にその名を、 残せなかったに違いありません、 地球さん、お伺いします、 1つの季節に春夏秋冬を、 シェーカーに入れて振ったような、 不穏な四季になりつつあるのは、 いまだなかったほどの炎熱の年代を、 創始するべく、 あなたがじょじょにシフトを変えて、 いきつつある証左でしょうか、 だとしたら、その年代は、 人類なき時代、 これも運命と、 それを甘んじて、 享受しましょう、 しかし、われわれ人間が、 おろかな方向に文明の舵を、 とった結果、招いた温暖化に、 あなたがお怒りの結果でしたら、 どうかどうかどうか、 改善の道筋をおしめしください、 われわれも目覚めた者が、 多くなりました、 真摯な気持ちで耳を澄まし、 あなたの鼓動に触れて、 しっかり最善の道筋を、 見つけるつもりです。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.21
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ないかしら なにかいいこと ないかしら それは自分で さがさなきゃだめ 母さんは おれの稼ぎは 受けとらず ほしがりません 嫁くるまでは 以上2首。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.20
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なでしこジャパンの快挙も、 いっときの晴れ間のよう、 甲子園に翻った、 真紅の大優勝旗も、 つかのま涼風を呼んだだけ、 気がついたときには、 払えば払うほど、 しつこく覆ってくる、 息苦しさが戻っている、 それに心が閉塞される、 その因はどこにあるのだろう、 歴史的な円高にも、 子どもも笑う政界の茶番にも、 その罪はない、 ましてや大震災には、 なんの罪科もない、 この日本列島は、 もうずいぶん前から、 息苦しさを放出する、 低気圧に覆われている、 ほんとうに咎を負うべきは、 活力をなくし夢を失いつつ、 それに気づかぬふりの、 日本民族にある、 そろそろ再生の槌音をあげぬと、 衰退に向かい、 やがて消えた、 幾多の民族と、 おなじ運命をたどる、 悪夢を食うバクではなく、 この息苦しさを食うバクが欲しいけれど、 そんなバクはどこにもいない、 いるとすれば、 それぞれの心の内だろう、 政治のせいでもない、 なにかに責任転嫁するのではなく、 閉塞の空間にガス抜きの穴をうがつ、 活力をたぎらせ情熱を燃やし、 一人一人が自覚することでしか、 この息苦しさは拭えない。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.20
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子どもの頃、どこかの動物園で、 荒々しいヒグマに出会った、 見るからに凶暴な目をして、 黄色い牙をむいて、 檻の鉄格子をガリガリかじった、 捕えたとき推定5歳の成獣だった、 と飼育係が教えてくれた。 いまはどうだろう、 どこの動物園へ行っても、 ライオンもキリンもゴリラも、 数代、いや数10代前から、 園生まれの園育ち、 密林も草原も知らず、 肉食獣は狩りの意識もなく、 肥えて毛並みは艶々して、 檻の外を草食獣が歩いても、 きょとんと見ている。 これはもう動物ではない、 命ある縫いぐるみだ、 全世界の命ある縫いぐるみは、 種によっては野生よりも、 個体数がはるかに多い。 哺乳類の王者人間界でも、 近頃、草食系の縫いぐるみや、 肉食系の縫いぐるみを着た、 若い男女が横行している、 カテゴリーという檻に、 みずから入ったほうが、 安心できるのだろうか。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.19
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僕の住んでいるところは高原地形だから、 手を伸ばせば星の2つ3つは掴めそうな、 そんな夜が1年に2夜3夜は訪れるけど、 星の吐息が聞こえる夜はめったにこない、 その夜がきて僕はそれを聞きに外へ出た、 耳を澄ませばやっと聞きとれる原っぱへ、 急いだつもりで道に迷い心細くてこわくて、 右も左もトウモロコシ畑の道を駆け抜けた、 ぱっと視界が開けて知らない原っぱへ出た、 星明りをいっぱいにはらんで淡く光っている、 真ん中あたりで女の子が空を見上げている、 どうしたんだろう、と僕は近づいてはっとした、 女の子は胸に魚籠のような籠を提げていた、 そのなかで何かが光度を変えて光っている、 何をしているの、と訊いたけど返事はしない、 女の子は両手を合わせて椀の形にしている、 その瞳がきらりと光り口許に微笑がにじむ、 僕はあわてて空を見あげてちいさく叫んだ、 星がキラキラきらめき漂うように降りてくる、 そうして女の子の両手の椀に音もなく落ち、 やはり音もなく数回はねてから横になった、 女の子はその星をそっとそっと籠に入れた、 それからまた両手で椀を作り空を見あげた、 こんどは僕も初めからしっかり空を向いた、 手を伸ばせばいっぱい掴みとれそうだった、 弱く光っていた星が身を翻して落ちてきた、 両手の椀に舞い降りて音もなく横たわる、 女の子は愛おしむようにそっと籠に入れ、 今夜はずいぶん降ってきそう、と呟いた、 その星をどうするの、と僕は訊いたけど、 女の子は静かに首を振り空を見あげた、 50個も星を受けて籠に入れただろうか、 女の子は僕を見て初めて話しかけた、 星を拾っていたの、 それは見ていればわかるけど、 かわいそうな星なの、 どうして、 間引きされたの、 間引きって、 ほかの星をきれいに輝かせるために、 拾った星はどうするの、 再生の泉で休ませるの、 その泉はどこにあるの、 あそこ、 女の子は東の連山の1つを指さした、 鍾乳洞がいくつもある山だった、 間引きのショックを取り除いて、 女の子は歌うように話し続けた、 疲れを癒してあげたら里子に出すの、 里子って、 僕が訊き返したときには歩きだしていた、 追おうとしたけど、追わないで、といった、 バリアを感じて僕は1歩も動けなかった、 女の子は胸の籠の明りにぼうっと包まれ、 ゆっくりとゆっくりと草を分けて遠ざかった、 ふたたび星の吐息が聞こえる夜がきて、 僕は女の子と逢った原っぱへ行ったけど、 いつまで経っても女の子は現れなかった、 また星1つが降ってくる気配さえなかった、 ただ耳を澄ませば星の吐息が聞こえた。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.19
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農家が点在している夜道で、 満月を見あげて足を止めたの、 百日紅と物干し柱のあいだに、 大きな蜘蛛の巣がかかっている、 その蜘蛛の巣越しに満月がある、 めったにないシチュエーションに、 しばらく見とれていたらブワブワと、 満月が痙攣しながら下りてきたの、 そうして蜘蛛の巣にひっかかった、 大蜘蛛が現れて満月に飛びかかる、 満月は痙攣して蜘蛛の巣をゆすり、 大蜘蛛は満月に咬みつこうとする、 でも、肢も牙もつるんつるんすべる、 満月からラッパ型の口が突き出て、 大蜘蛛を一瞬のうちに呑みこんだ、 喇叭型の口はルルと縮んで消えた、 満月は蜘蛛の巣をはげしくゆすり、 ぱっと離れ痙攣しつつ天に帰った、 僕はそろりと前後左右を見まわし、 誰もいないと知ってほくそ笑んだ、 お月様は満月の夜に肉食をする、 この秘密を僕が独り占めしている、 これほどわくわくすることはないぞ。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.18
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あらら、らら、ら、 方形に組まれた、 ジャングルジムが、 熱風をあてられて、 飴ん棒になったのか、 今夏最高の暑さでは、 無理はなかろうと、一瞬、 思っても不思議じゃない、 暑熱ボケしたわが頭脳も、 こんな形態ではなかろうか、 予報では猛暑も今日限り、 暑気払いをやる気になる、 8月18日、猛暑打ち止め、 来年は打ち止め日が延び、 再来年はもっと先に延び、 再来々年はさらに延びて、 いつかは大晦日に節電で、 扇風機が回っているのか、 いまはまさかと笑えても、 四季折々、という言葉が、 虚しくひびくようになった、 我々が知りえない何かが、 しだいに忍び寄る気配に、 おののくこともあるのです。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.18
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1999年8月に「よい子に読み聞かせ隊」を結成して以来、 全国各地で展開した読み聞かせ&講演の回数は、そろそろ 1600回に達します。 そのうち、83回は毎月第3水曜にポプラ社1階ホールで 開催されている「よい子に読み聞かせ隊・ポプラワールド」 です。 2004年に開始され、途中、数回、諸般の事情で開催され なかったこともありますが、すでに8年目に入りました。 ポプラ社さんには会場を無償で提供して下さるほか、いろいろと ご支援いただいて深く感謝申し上げます。 邦楽宗家の川村一門の方々がこのポプラワールドに参加される ようになってから6年になるでしょうか。 家元夫人の川村利美さんはお嬢さん、息子さん、一門の方々を 連れて、あるいは単独で、ほとんど毎回のように参加されて琴を 弾いてくれます。 ときに、お孫さんをおぶって弾かれることもあります。 ときに、お嬢さんや、お嫁さんが演奏しているときは お孫さんたちの子守りをされていることもあります。 そのお孫さんの一人が連続テレビドラマ「マルモのおきて」 で人気が沸騰した子役の鈴木福ちゃんです。 琴、十七弦などの邦楽弦楽器は穏やかな音色で、心に 沁みこみます。物語の語りに深みを与えてくれ、物語世界に 感動を呼びこんでくれます。 昨日8月17日の第83回ポプラワールドでは、僕の語る 「ひかりの二じゅうまる」に利美さんが琴でオリジナル曲を 挿入してくれ、3,4歳の子どもたちも瞳を輝かせて 聞き入ってくれました。 きっと、一生、忘れないでいてくれると思います。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.18
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みんながそれぞれ大事なものを持っている、 仕事、家庭、財産、また家宝という人もいる、 それぞれではなく、みんなが大事に思うもの、 ずっと大事にしてきて、これからも大事なもの、 それこそがいちばん大事なもののようだけど、 その姿が見えない、すぐには思い浮かばない、 モノではないし、当たり前すぎて気がつかない、 それは言葉にすると、なんだよと笑われるけど、 いまを生きていることによろこびをおぼえること、 たまにふっと思うだけで元気が出るじゃないか。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.17
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日盛りの草むらにふわりと日傘が飛んできた、 どこかの超高層のベランダから落ちたのかな、 ここらで一休みという感じで舞い降りたみたい、 白いクラゲが傘を傾げて海面に浮かんでいる、 そんなイメージを描いたら日傘がつくる日陰に、 トノサマガエルがあたりを窺いながら入ってきた、 猛暑で干上がり寸前のため池より涼しいらしい、 すると反対側から蛇が這ってきてとぐろを巻いた、 小蛇だからトノサマガエルを呑みこむ心配はない、 これでナメクジがやってきたら3すくみになるけど、 近くに落下したゴルフボールが転がり込んできた、 カエルと蛇とゴルフボールが三者三様でならんで、 これからいったいなにを訴えようとしているのかな、 ゴルファーが木立ちを抜けてやってくるまでの間に、 猛暑下に生まれたこの不思議な均衡はなんなのか。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.16
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噴水は止まり池は涸れていた、 節電は渇水を伴うと気づいた、 この噴水池は正直だからいい、 平成の日本はどこへ行っても、 自然もどきに溢れていないか、 轟々と落ちる滝も湧水の池も、 ひなびた里の岩の露天風呂も、 電気が止まるとネタが割れる、 沢をさかのぼり見つけた滝も、 涸れて一滴も水は落ちてこず、 脇に「節電中」の立札が見える、 それが事実としてもおかしくない、 電気を食う自然もどきをなくせば、 電気があまる国になりそうだけど、 自然もどきに癒されているふうの、 われわれの心をもっと自然にしよう。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.16
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66年前の今日、おかしなおかしな戦争が終わった、 5歳だったからおかしなところはよくおぼえている、 国鉄の官舎に住んでいて働き手はおじさんばかりで、 元気で威勢のいいお兄さんは働いていなかった、 15歳ちがう僕の兄は勝ってくるぞと勇ましい 歌声に包まれて胸を張って官舎をあとにした、 勝ってくるというのにやけっぱちで悲壮な大声で、 なんだかおかしいおかしいと思いながら見送った、 おじさんおばさんたちによるバケツの消火訓練は、 梯子をかけた屋根へリレーで送って水をかける、 燃やした藁の模型は消えても本物は消えないぞ、 まだこの目では見ていない焼夷弾の肩を持った、 東京の空が真っ赤に焦げた夜を見ているんだ、 バケツの水で消すなんて笑えないほどおかしい、 官舎の倉庫に先を斜めに切って炭火で焼いた 青い竹槍がびっしり立てかけられているのを見た、 細くて短いのもあって女学校のお姉ちゃんのもの、 はじめこわごわ見てそのうちおかしくておかしくて、 だってB29の編隊が次から次に通過していくのに、 どうやったって青い竹槍じゃ突き落せやしないって、 8月15日は美しくまぶしい青空でずいぶん暑かった、 昼過ぎに父が官舎に戻ってきて戦争は負けたと言った、 聞いた母は縁側にへなへなと崩れてまさかと絶句した、 姉たちが学校から帰っての夕食は笑い声が起こった、 負けたのにおかしいおかしいと思いながら僕も笑った、 だいぶしばらくして広島や長崎への原爆投下を知った、 おかしなことをやるしかないところへなぜ落とすんだろ、 おかしいおかしいこれがいちばんおかしいじゃないか、 それからしばらくして父が白木の箱を提げて帰宅した、 なかには兄の階級氏名を記した白木の板切れのみ、 僕も含めて家族みんなで泣いたけどやはりおかしい、 おかしくて滑稽だから戦争は根絶できないのかしら、 でも、5歳のときの感性をなくした今の僕もおかしい、 心を入れて戦争のおかしくて滑稽なことを訴えよう。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.15
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近くの寺の裏庭に、 湧水の池があった、 わさびがよく育った、 学校で借りた本を手に、 よくそこへ行って読んだ、 湧水がボコボコボコッと、 不意に量を増やす瞬間は、 空想突入の合図だった、 どんなに本が面白くても、 そこでぺージを閉じて、 心を躍らせて飛び込んだ、 クロアゲハの背に乗って、 どんどん高く舞い上がる、 いつのまにか夜になり、 星の間をひらひらと舞う、 三日月のところへきて、 高いほうの端へ止まる、 僕らの重みで端が下がる、 反対の端へ飛んで止まる、 下がるからまたもとの端へ、 それをくりかえしていると、 湧水の池の真上にきたの、 三日月を池に浮かべたくて、 もうすぐでそうできるのに、 オフクロの声で破られる、 そろそろお夕飯だよ、と、 とっくに消えてしまったけど、 いま心の中に復元して、 現実で蓄積された疲れを、 空想の泉でそっと癒したい。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.14
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ものの見方はさまざまで、 これが正解というものはない、 1+1=2という見方に従うことで、 はぐれものにならないですむ、 でも、1+1=8かもしれないのだ、 なにが真理かは真理のみぞ知る、 以上の言は世迷い言ざれ言なりと、 捨ておいてこの写真をご覧くだされ、 いましも1匹の大蛇が洞を出ていく、 いや、洞に入っていくところだろう、 人によって正反対の見方がある、 右に180度、回転して見る人は、 天に通じる洞を豆の木が伸びていく、 そう思ってもけして不思議でない、 左に180度、回転して見る人は、 よく刈り込まれた躑躅系の洞から、 立木が伸びていると思うだろう、 人の見方はそれぞれさまざまで、 自分におきかえても固定観念を、 ときに脱し発想を変えることで、 大きく豊かな実りが約束される。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.13
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街並みを歩いていると、 きみたちがうようよいる、 全盛期を迎えたのかな、 大中小が揃い踏みして、 更地にもねぐらの空地にも、 建設途上のビルの上にも、 鉄骨で組まれた長い首を、 長々と伸ばして存在している、 荒々しくふてぶてしく壮観だ、 「我思う故に我あり」かな、 そんな言葉が降ってくるの。 その上の恐竜たちとちがって、 きみたちは人と共存している、 人が造ったんだから当然か、 だけど複雑な気持ちになる、 パワーショベラサウルスと、 ブルドザウルスはきみたちの、 よき仲間でやはり繁栄している、 その仲間も含めてきみたちは、 まだ頑丈な建物を壊して食べる、 その跡にもっと大きな建物を作る、 それはきみたちの子孫のためかな、 200年300年前の建物が、 まだ充分に実用になっている例を、 きみたちは知っているだろうか、 まだ十二分に実用に供せる建物を、 たかだか数十年で食べてしまう、 強力な破壊力と咀嚼力からすると、 どうやらきみたちは肉食恐竜らしい、 僕はとてもとても危惧している、 きみたちの獰猛なまでの食欲は、 やがてすべての建物を食いつくし、 飢えて子孫に残す建物も作れない、 はてしなく広がる荒れた更地に、 きみたちが累々と屍をさらしている、 新たな恐竜絶滅伝説の幕開けだ、 そんなことにならないよう、 どうか僕らともっと優しく共存できる、 新種の恐竜に進化してほしい。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.12
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1つは虹を渡る1輪車、 気持ちいいだろうなあ、 隣町のリカちゃんに、 好きだよーと手を振って、 はずみで墜落しても、 漕いで漕いで駆け上がり、 また虹に乗って渡りきる、 凄い達成感だったろな。 2つは雲の上を歩くカンジキ、 雲海をはてまで歩いていくと きんと雲が待っていて、 飛び移ってひとっ飛びで、 自由の女神の真上に着く、 らせん雲にきてもらい、 そのらせんを降りていき、 右手の松明に立って、 深呼吸をしてみたい。 3つは人の言葉を話す猫、 ぼくの目となり足となり、 行かせたいところに行かせて、 見たまま聞いたままを話させる、 スパイの長官になった気分で、 うしろめたいし後みがわるい、 寄席に通わせ落語を覚えさせ、 毎日やらせてゲラゲラ笑おうか、 えー、おあとがよろしいようで。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.11
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北陸の城下町の城址公園で、 素敵な宝物を見つけた、 噴水地の周りに張られた、 ちいさなタイルの1枚1枚に、 子どもたちの夢が描いてある、 そっと歩きながら、 バクになりたい気持ちを、 必死におさえた、 夢を全部食べてしまったら、 子どもたちに、 顔向けできなくなるから。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.10
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僕の雑木林にようこそロビンフッド! 学校で悲しいことがあったとき、 独りになりたくて遠回りして、 雑木林のこみちに入った、 こみちは途中で二股に分かれ、 右へ行こうと左へ行こうと、 僕の世界が僕を待っている。 パラソルほどの蝶が飛んできて、 目の前でホバリングして、 のばした口を僕の胸に刺す、 すーっと深く刺しこまれても、 痛くもかゆくもないんだよ、 まだ目から流していない、 心の底にたまった涙を、 吸ってくれてるってわかる。 すこし木々がまばらなところに、 短い草が生えた草原があって、 子犬ほどの馬が放牧されている、 どの馬も騎手を乗せて走ってる、 騎手はポパイや、金太郎だったり、 孫悟空や、鞍馬天狗もいたんだよ、 鞍馬天狗が落馬したら、 どの馬も走るのをやめて、 歯をむいてケタケタ笑うの。 それがなんともおかしくって、 爆笑がとまらなくて屈みこんだ。 空中を徘徊する妖怪も出るの、 スイカほどもあるマリモなんだ、 ブワブワブワと近づいてくる、 こいつにつきまとわれるとね、 気づかずに元気を吸いとられる、 つきまとわれて弱っていたら、 飛んできた矢がマリモに刺さり、 シャボン玉のようにぱっと消えた、 矢の主がこみちの向こうに現れて、 僕は躍りあがって叫んだんだ、 僕の雑木林へようこそロビンフッド! WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.10
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いいか、独りぼっちで、 世の中に独りって、 価値あるじゃないか、 おまえって独りだけ、 おまえの代わりって、 世界のどこにもいない、 誰かが言ってくれてる、 背中おされるよなあ、 ちっと自信を感じた、 そうなんだよな、 だいだらぼっちだって、 独りぼっちじゃないか。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.09
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なんてえ暑さなんだ、この夏は、 いや、この夏にかぎらないか、 日本は亜熱帯になったんかい、 わしら本来山奥棲まいなんよ、 原生林のブナ林は涼しくて、 渓の清水はひやっと冷たいし、 夏はむしろ早くこいこいなの、 思い起こせば小熊のときに、 母熊とはぐれたのが運のつき、 捕まって檻に入れられ幾年月、 身の不運というしかないかなあ、 見るなよ見せ物じゃないんだぜ、 それよりこの暑さをどうしてくれる、 炎天下の車のなかよりひどいぜよ、 ごろんとあおむけにひっくり返り、 掌で仰ぐのがせめてもの涼さ、 檻の熊なんかやってらんないよ。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.09
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おまえともそろそろお別れだなあ、 一足先にいくことになりそうよ、 さっき派手なばあちゃんがいたろ、 おれとおまえを長いこと見比べて、 おれを指さして店の奴の顔を見た、 いくらで買いやがったんだろ、 おれには響いてこないことか、 気になるのはこれからの運命よ、 オフクロから聞いたことだけどな、 おれらが運命は買い手しだいだと、 今の飼い主はDVが多いらしい、 来る日も来る日もドッグフードで、 着たくもないのにべべ着せられ、 刈られたくもないのに毛を刈られ、 泡だるまにされて水洗いされる、 いじられたくないのにいじりまくられ、 ヒステリー起こして投げつけられる、 風邪ひきゃ変なところへ連れて行き、 白衣の野郎にぷすりと針を刺させる、 どうもおれを買ったばあちゃんな、 はじめよくしてくれても末は悲惨よ、 運動不足にされ過食にもさせられ、 ストレスがかかってガンになったら、 治療費の見積もりを訊くや否」やさ、 新しい犬を買ってこれサツ処分へ、 一片の情もなく言いそうな気配だぜ、 それなら捨ててくれたほうがましよ、 でも保健所に捕まって末はおなじか、 天寿を全うし庭の片隅に埋められたい、 そう願っているけれど確率は低そうよ、 おれは流行りの種だから先に行くけど、 ここに長くいたほうが幸せってもんだぜ、 配達日の明日は今生の別れになるか、 おまえは来世はなんに生まれたいんだ、 返事がないけど今のうちに考えとけよ、 おれ地中で何年も暮らすセミになったる。
2011.08.09
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ひびの入った益子焼の茶碗に乾杯を、 独り暮らしのわたしにとって、 この茶碗は無二の親友なんだ、 わたしは体を壊して酒をやめ、 そろそろ10年になるけれど、 でも、こいつと晩酌している、 わたしはトマトジュースで、 ひびが入った益子焼のこいつには、 芋焼酎のお湯割りを作ってやる、 茶碗は動かないままなのに、 お湯割りだけが減っていくの、 空になると、お代わりを、って、 くぐもった声で催促するんだ、 お代わりを作ってやると、 また空にして催促してくる、 発する言葉はお代わりだけで、 それも5杯めを空にすると だんまりをきめこんでしまう、 2杯めのトマトジュースを注いで、 そのグラスを空の茶碗に軽くあて、 わたしが乾杯と声を発しても、 応じるきざしはまったくない。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.07
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時代が変わったと言えばそれまでだけど、 つらいんだよ胸がつぶれる思いなんだよ、 大小の、素材あれやこれやのきみを、 いろんなところで見てはため息をつく、 車のなかに吊るされて揺れていたり、 Tシャツの胸でポーズをとっていたり、 そのくらいならまだ救われるんだ、 粗大ごみの下敷きになっていたり、 どぶ川でメタンガスにあてられたりの、 きみを目撃すると泣けてくるんだ、 キャラクターグッズの大波に、 呑みこまれたはての無惨な姿に、 思わず立ちすくむことがある、 きみが輝いていた時代を振り返り、 あれはまぼろしだったと思いたくない、 尊大で悪戯好きで皮肉屋で、 そのくせ繊細で優しいきみに、 どれだけ背中を押してもらったか、 まだおさなくてちいさな胸だったけど、 そこにいっぱいの夢を描こうねと、 教えてくれたのはきみだったんだ、 スクリーンでしか会えなかったから、 何度も何度も会いにいった、 いつの日かまた背中を押してくれる、 きみに会えるとそっと夢に描いている。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.06
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夕暮れが迫る寂しい浜辺に、 男女がならんで立っている、 ともに30歳前後に見える、 背中は年齢を黙って語る、 チグハグな印象を受ける、 男はきちっとスーツを着て、 黄色い日傘をさしている、 女に少しかざしているのに、 女はそれを微妙によける、 タンクトップに短パン姿で、 タンクトップは淡いピンク、 短パンはどぎついピンクだ、 日傘は女の持ち物だろうか、 女に持たしてもチグハグだ、 二人はどんな関係だろうか、 夫婦には見えないけれど、 わけありのようにも見えない、 二人に何かがはじまるのか、 逆に何かがおわるところか、 そんな甘い判断を超えた、 曖昧なオーラを放っている、 ななめ少し前の砂の上に、 男が置いた革鞄が見える、 さっきの波は静かに引いた、 いまの波は濡らしていった、 従容と受け入れたときに、 孤高と誇りが輝きわたる、 革鞄のこの存在感に比し、 男女はなんと希薄だろう、 二人は何を見ているのか、 波をかぶった革鞄を残し、 忽然と消滅する気配がある。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.05
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5つ6つの男の子が泣いている、 小さな公園の砂場のなかに立ち、 歌うように高く低く抑揚をつけて、 母親が砂場の縁に近づいてくると、 男の子はその分の距離を遠ざかる、 母親が右側の縁に移っていっても、 男の子はやはりその分を遠ざかる、 母親がまた右側の縁に移動しても、 男の子は遠ざかって等距離を保つ、 母親はそのように一回りしたけれど、 等距離という状況は何も変わらない、 歌うような男の子の泣き声もやまない、 男の子がなぜ砂場から出ないのかは、 安全地帯と見ているわけでわかるけど、 母親は砂場にどうして入らないのだろう、 泣いている子の冷静さだけがよくわかる。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.03
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太古の時代から、 わが瑞穂の国は、 見渡すかぎり瑞穂の実り、 その豊穣の幸を、 みんなが享受できた、 繁栄が掌ですくえた、 豊穣が人情を養い、 繁栄が家々を興した、 その瑞穂が枯れてきた、 豊かな自然こそが、 豊穣と繁栄の証なのに、 自縄自縛の利器を増やし、 命の居場所を削ってきた、 この国に必要なクスリは、 おそらく自然がはぐくむ、 処方以外に得られない。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.03
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白い真綿のような気球かな、 ふわりふわりとさまよう風情、 さまよってるんじゃなかった、 心についたさまざまなしみを、 そっとさわって吸いとってる、 友に裏切られてできたしみも、 薄皮をはがすように消えていく、 そのときなんとも言えず快い、 3年前の失恋のしみは深い、 すこし時間がかかったけど、 きれいに消えて跡形もない、 淡く残ってもよかったのに。 でも、しみとりの気球さん、 もうそのへんでけっこうよ、 きれいすぎてもよくなさそう、 悪玉菌がすべて絶滅したら、 免疫力ゼロの空間になる、 貧しい心にはしたくないの。 気球さんが汚い色になった、 しみをいっぱい吸ったもの、 重くもなってよたよたしてる、 息を大きく強く吐いてみた、 気球がスポンと飛びだした、 よたよたふらふらと漂うの、 気球さん、汚れを落として、 また、わたしの心にきてね、 よたっ、と1回、うなずいて、 窓から外へさまよい出て、 風に吹かれ遠くへ飛んだ。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.02
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戦後の混乱がまだ残る博多駅前で、 母と二人暮らしの少年が靴磨きで 生計を立てていた。 少年の夢はバイオリニストになること。 でも、バイオリンなんかとても買えない。 ユーディ・メニューインが来日し、 博多で公演することが決まった。 少年はそれまで以上に働いて、 生計費とは別にティケット代を ためていった。 そうして聴いたメニューインの、 素晴らしい演奏は少年の心に、 強く強くしみた。 メニューインは関係者から少年が、 靴磨きでティケット代をためたことを 知り、少年に会い、少年の志に触れ、 強く心を動かされた。 やがて、少年の許にメニューインから バイオリンが届く。 実話をもとにした作品で、作者の滝一平さんは 5年前に他界されました。 その遺志をくんで故人とゆかりの深かった 方々の努力でこの作品は、このほど、 出版されました。 ちなみに、滝さんは長野県売木村に在住した人で、 ゆかりの方々もみな売木村に在住しています。 この心温まるお話をもっと短くする許しをもらって 全国の子どもたちに伝えていきたい、 と考えています。 WEB絵劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2011.08.02
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