全13件 (13件中 1-13件目)
1
■24日に引っ越した娘■が今夜、帰ってきた。夫は嬉しそうに、「送っていくから」と言っていた。食べ物なども持って帰らすようにと私に言う。娘は、夕食を食べ、ピアノを弾いて、まだ持って行ってなかったものをと食べ物を持って夫の車で帰っていった。2年間、一緒に暮らすと、お互いに遠慮するところがあるが、離れると、少し寂しいのかも。■2013年10月に見た映画■ *ビートルズと私*そして父になる*私が愛した大統領*ルノワール 陽だまりの裸婦*エリジウム■書き残したネタ■*ネット友、■あずーるさん■との会話*街で見つけたデザイン。*ザ・タイガースで好きな歌*白虎隊の歌*「君をだいて」*友人の100か日。*「とっさの方言」*消えゆく職業:「猫のしっぽカエルの手」*「最高の離婚」*湿布薬の効果*探偵!ナイトスクープ*からほり御屋敷再生複合ショップ「練」*桜*近つ飛鳥*近つ、遠つ*多肉植物*悲しみや苦しみを見つめること。*排熱エネルギー*東京駅の特別な出口*領土問題*「二年間の休暇」の難点。*土人、女性は家事をすることが好き。*キラキラネーム*和泉市の美術館*もっと緑が欲しいのだ!(駐車場)*「清貧の思想」*橋元大阪市長 *みどり学*ファーストレディ *「小石川の家」*あさぶら*小説「アーレンガート」*「北極星」*アルミ缶エコ*江戸時代、和歌山の防災意識*子供と春の花と桜・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月31日*里山の旬だより:ぎょうせん *・・・・・・・
2013.10.31
コメント(0)
娘のレイが■2年間の海外暮らし■を終えて帰ってきたのが2011年10月23日。以来、私たち夫婦と暮らしていたが、10月24日(木)、再び一人暮らしをするために引っ越した。こだわりの強いレイは、自分が気にいったものだけを自分の部屋に入れる。写真の器も、レイのお気に入り。写真が下手すぎる。( ̄- ̄;)レイはイギリスにいた時、あちこちを旅行した。北欧にも行ったが、その時、食器メーカー「アラビア」を見学し、記念に買ったものだ。この器のシリーズの名前は「ルノ」。■亡くなった友人が■2011年12月、うちに泊まった時に、出した器だ。美しいものが大好きな友人は、「きれい・・・」とため息をつきながら、器を写真におさめていた。そうそう、あの時、友人が私のPCでSkypeが出来るようにしてくれたのだ。と、器を見ながら思いだした。 *ルノ*フィンランド語で「ポエム(詩)」の意味を持つルノ。四季をテーマにして、4つのデザインを展開するシリーズとなっています。デザインを手掛けたのは、アラビアの若手デザイナーであるヘイニ・リータフフタさん。彼女の感性によって作り上げられたルノ・シリーズは、デザインだけでなくその名前もまた魅力的で、季節ごとにつけられた名前を直訳していくと、「春の鐘」「夏の雨」「秋の輝き」「冬の星」と、まさにポエムの中で使われる言葉のようにロマンティックで魅力的です。また裏面のバックスタンプも手が込んだデザインとなっていて、至るところにヘイニさんのこだわりを感じられるシリーズとなっています。■スプリングドロップ「春の鐘」■■サマーレイ「夏の雨」■■オータムグロウ「秋の輝き」■■ウインタースター「冬の星」■ *アラビア*アラビアの創立は、1873年。フィンランドのヘルシンキ郊外にある“アラビア地区”に製陶所が作られたことから、その名がつけられました。1946年には、カイ・フランクが産業部門のディレクターに就任し、1式セットで購入することが当たり前だったディナーセットの伝統から脱却し、実用的で機能的で、安価な商品を1アイテムずつ購入できるようにしました。彼がアラビア社で発表した、シンプルで幾何学的なフォルムが特徴で、スタッキングができ、多目的利用もできる「キルタシリーズ」は、フィンランドをはじめ世界中で愛される名作となり、カイ・フランクの名を一躍広めることとなりました。アラビアは、「食器は実用的で、丈夫でなければないらない」というポリシーのもと、機能性とデザイン性、品質の高さを維持し続け、現在では北欧を代表する一大ブランドとなっています。 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月27日*庭のない園芸家*・・・・・・・
2013.10.29
コメント(0)
私の子どもの頃には、四季折々に色々な楽しみがあった。この時期の楽しみは、「亥の子(いのこ)」だった。亥の子の日が近くなると父が藁で野球のバットのような亥の子鎚(つち)というものを作ってくれた。父は、その亥の子鎚の先端に輪を作ってくれた。私が使いやすいようにということだろうが、他の子たちはどうだったのだろうか?作りながら、「こっちじゃあ、これを使うけど、わしのお母(かぁ)の里(岡山県・津山方面)じゃあ、いのこ石という、丸い平たい石に縄を何か所もつけたのを使う」と教えてくれた。 夜になると村の子どもたちは、手に手に、亥の子鎚を持って村の広場に集まった。一番大きな子で小学6年生くらい。一番下は、小学一年生だったろうか。一番下だった私は、上級生の後をついて歩いた。家々の前で♪いのこの夜ーさぁ~、ボ~テボテ餅(もち)ゅう~、搗かん家にゃ/鬼産め、蛇産め/角のはえた子産めといのこの歌を歌いながら手に持った亥の子鎚で家の前を叩いた。その家に人がお菓子の入った紙包みを持って子供たちに手渡した。30軒ほどの家をまわると、最初に広場に集まって、もらったお菓子を分ける。お菓子などめったに口にすることのなかった、私の小さい頃、それはどれほどの楽しみだったことか。60年近くたった今もよく覚えている。 *亥の子(いのこ)*亥の子(いのこ)は、旧暦10月(亥の月)の上の(上旬の、すなわち、最初の)亥の日のこと、あるいは、その日に行われる年中行事である。玄猪、亥の子の祝い、亥の子祭りとも。主に西日本で見られる。行事の内容としては、亥の子餅を作って食べ万病除去・子孫繁栄を祈る、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る、などがある。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月26日*父の麦わら帽子:目次*・・・・・・・
2013.10.26
コメント(0)
■エリジウム:あらすじ■彼の余命は、後5日・・・。2154年。限られた富裕層の者たちは汚れを排除したスペースコロニー“エリジウム”に、その他の者たちは地球に住んでいた。人口過密となった地球は荒廃しきり、犯罪と貧困がはびこっていた。マックス(マット・デイモン)も犯罪に手を染めては留置所送りになっていたが、この繰り返しを断ち切るべくアーマダイン社の工場で働き始め、組立ラインに従事する。更生したかに見えたある日、事故が彼を変える。なんとしてでもエリジウムに行かなければならない理由のできたマックスは潜入を試みるが、彼の前に、不法入国者からエリジウムを守るデラコート高官(ジョディ・フォスター)が立ちはだかる……。戦争も病気も存在しない、富裕層のみに開かれたその理想郷(エリジウム)で、彼を待ち受けていた切なすぎる運命とは? 『第9地区』で南アフリカを舞台にエビ型エイリアンと人類の戦いを描いた、ニール・ブロンカンプ監督が、マット・デイモンを主演に迎えて描くSFアクション。富裕層はスペース・コロニーに、貧困層は地球に住む近未来を舞台に、余命5日を宣告された男が、永遠の命を手に入れるべく、命の危険にさらされながら戦いに挑む姿を映し出す。 緑があふれる土地で穏やかに暮らす、エリジウム市民。かたや、砂漠のような土地で埃にまみれながら、食べるものにも事いている人々。地球から、ボロボロの宇宙船に乗って、命がけで理想の地、エリジウムに向かう人々とそれを追い払う、エリジウム政府。今にも沈みそうな船に、大勢の人々が乗って命がけで、自分の生まれた国から逃げる人々をテレビで見るが、まったく同じだと気がつく。豊かな国=エリジウムと貧しい発展途上国や戦争のため命の危険にさらされて暮らす人々のいる国。「エリジウム」は近未来のSFというスタイルをとりながら今の社会を映し出している。それにしても、映画の中で描かれる地球のなんと汚いこと・・・。ゴミと埃まみれ、人がいっぱいで、息をするのも苦しそうと思うような劣悪な環境だ。ネット友■あずーるさん■から借りた「ビッグイシュー223号」で主演のマット・デイモンが語っているが撮影された場所はメキシコシティのし尿処理場だそうだ。世界で二番目に大きなし尿処理場で、渇いた糞便のほこりが辺り一面を覆っていたそうだ。そして、ヘリコプターがやって来る度に、そのほこり身体中にあびるという。毒性のあるそのほこりの舞うその場所で生まれ育ち死ぬまで暮らす人が本当にいるのだそうだ。 そんな地球になってしまったのは、人口増加による環境破壊などが大きな原因なのだろう。「エリジウム」は、SF娯楽作品に見せかけて、実は、富の偏在や階級間の対立などを描いた社会派映画ともいえよう。この映画、あずーるさんに誘われなかったら、見逃すところだった。■あずーるさん■に感謝。映画の後のおしゃべりも、もちろん楽しかった。( ̄▽ ̄)それにしてもエリジウムのどんな病気でも治る機械は、素晴らしいが、そんなことになったら人口が増えてしまう・・・。*エリジウムとは*エリュシオン【Ēlysion】ギリシャ神話で,神々に愛された人々が死後に住む楽園。ヘシオドスはここを「至福者の島」と呼び,ホメロスでは西の果ての野原などとされ,またウェルギリウスでは地下の冥界にあるとされた。〔ローマ神話ではエリジウム。フランスの「エリゼ宮」や「シャンゼリゼー」という名称はこの語にちなむ〕・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月24日*器歳時記:味噌ガメ*・・・・・・・
2013.10.25
コメント(0)
■ルノワール 陽だまりの裸婦:あらすじ■♪音が出ます!私の絵に、暗い色はいらない。1915年、コートダジュールで人生の黄昏期を迎えていた印象派の巨匠ルノワール(ミシェル・ブーケ)は、病気のため満足に絵筆が握れなくなっていた。さらに最愛の妻を亡くし、息子ジャン(ヴァンサン・ロティエ)が戦地で負傷したという知らせも届き、失意のどん底にいた。しかしある日、彼の前に美しい娘アンドレ(クリスタ・テレ)が現れる。光を纏ったような彼女は溢れんばかりの生命力と輝くような美しさをたたえ、ルノワールに画家としての活力を吹き込む。ルノワールはアンドレを最後のモデルに、『浴女たち』の創作を始める。それは後に、彼自身により生涯最高傑作と位置づけられるのだった……。 印象派を代表するフランスの画家、ピエール=オーギュスト・ルノワール。彼の晩年の作品で最高傑作とも言われる「浴女たち」の誕生秘話に迫る人間ドラマ。ウォン・カーウァイ監督作品で知られる台湾の撮影監督マーク・リーピンビンによる光と色彩に満ちた映像は、ルノワールの絵画を再現したかのようなムードを漂わせる。 時代は1915年。アール・ヌーボーが終わった時代。しかし、あちこちに、アール・ヌーボーのなごりが・・・。例えば、ルノアールのベッドのヘッド。また、19世紀後半から有名になった、ジャポニスム=日本趣味も見られる。部屋に置かれた屏風やアンドレが裸の上に羽織っている着物など、当時の画家たちが日本趣味を競うように集めていたことが分かる。 まるでルノワールの絵のように美しい映画だと思っていたら、撮影監督がマーク・リー・ピンビンという台湾生まれの人。ウォン・カーウェイ監督の「華様年華」、雪定勲監督の「春の雪」、是枝裕和監督の■「空気人形」■トラン・アン・ユン監督の■「ノルウェイの森」■などがあるが、偶然、全部見ている。緑の木々や草の中に横たわる裸婦、金髪に降りかかる光、森の中を流れる川の美しさ・・・。うっとりするようなシーンの連続だった。 ルノワールは、1841年、貧しい家に生まれ、13歳から陶磁器の絵付け職人として働いていた。画家になったのは、機械で絵付けをすることが出来るようになって、職を失ったのだ。また、やっと世間から認められたと思った時期に重度のリウマチ疾患になる。それでも絵を描く情熱はあり絵筆を持てないから包帯でくくりつけて描いていた。そんな辛い人生だからか彼はこう言っている。「現実の世界には、悲しい出来事がいっぱいある。だから私の絵は、美しく愛らしいものでなけれはならない。」ピエール=オーギュスト・ルノワール ●この映画を見て、ルノワールの息子のジャンが映画監督として成功していたことを知った。■ルノワール+ルノワール展■ ●■私が愛した大統領■と時代は20~30年年くらいしか変わらないのにルノワール一家の暮らしぶりが19世紀的だった。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月22日*落ち穂拾い:やっこめ*・・・・・・・
2013.10.23
コメント(0)
■私が愛した大統領:あらすじ■♪音が出ます!愛は、政治より複雑だ。1930年代のアメリカ。第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト(ビル・マーレイ)が忙しい執務の合間に安らぎを覚えるのは、恋人のデイジー(ローラ・リニー)とドライブに出かける時間だけだった。ある日、英国王ジョージ6世(サミュエル・ウェスト)とその妻エリザベス(オリヴィア・コールマン)が、ニューヨーク州ハイドバークにあるルーズベルト邸を訪ねてくる。ルーズベルトとジョージ6世は、迫り来るドイツとの開戦危機に備え、大統領の執務室でトップ会談を行う。その深夜、衝撃的な事実が明らかになる。初めて大統領の秘密を知ったデイジーがとった行動とは……。 フランクリン・ルーズベルト大統領について、知らないことがこんなにあったとは・・・。アメリカ合衆国の歴代大統領のなかで、リンカーンやジョン・F・ケネディに勝るとも劣らない人気を誇るフランクリン・デラノ・ルーズベルト。アメリカ史上四選された唯一の大統領として名を刻む彼だが、じつは重度の障害による車いす生活だったということ。それもそのはず、生前は車いすの姿をマスコミに見られるのを非常に嫌ったため、訪問先の植木や立ち木のカムフラージュのための植え替えなどを神経質なまでに指示した。また、マスコミもあえて積極的に報道しなかったため、TV時代の現代では考えられないことだが、ルーズベルトが健康を害していることは米国民にはほとんど知られなかった。実際、彼の車椅子姿の写真は2枚しか知られていない。 現在の英国のエリザベス女王の父親で■英国史上、もっとも内気な王■といわれるジョージ6世がアメリカ訪問した時も、椅子に座って出迎えた。移動は部下に抱かれてという具合。王と王妃、迎える大統領側とのやり取りが愉快だった。そんな中、彼は、さりげなく王に車椅子を押させるなど、したたかな政治家ぶりを発揮。体が不自由だった大統領だけれど、車だけは、運転可能。彼のために、特別に手だけで運転出来る車があったのだ。1930年代にそんな技術があったのかとビックリ。恋多き人生だったようで、数人の女性と関係があったらしい。「私が愛した大統領」の「私」ことデイジーもその恋人のひとり。女たらしという見方もあるが、それだけ、愛される人間性を持っていたのだろう。アメリカの大統領と女性関係といえば、 J・F・ケネディとマリリン・モンロー、 ジェファーソン大統領の秘密の恋を描いた「ジェファーソン イン パリ」が有名だが、今回、フランクリン・ルーズベルトが加わった。フランクリン・ルーズベルトは、政治でもニューディール政策や、第二次世界大戦中の強いリーダーシップなどで知られる。■テディベアの■由来、セオドア・ルーズベルトとは、いとこの関係。■参考■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月20日*イチョウのまな板*・・・・・・・
2013.10.22
コメント(0)
著者は人気ファッションデザイナー。洗練されたセンスでファッション、インテリア関係者にもファンが多い。本書ではそんな彼女の海辺のセカンドハウスやロンドンの自宅などを大公開。そのインテリアスタイルの魅力を存分に味わうことができる楽しい一冊だ。「ダ・ヴィンチ」2007年1月号掲載 去年の10月24日~25日、■癌を患っていた友人■を見舞いに千葉に行った。その時、友人は「はるなさんにも、なにかあげないといけないね」と言いながら本棚を探した。なにかあげないとというのは、形見としてという意味だ。その時にもらったのが、「マーガレット・ハウエルの『家』」。美しいものが大好きな彼女が大切にしていた本を、私も言葉には出さなかったけれど形見として受け取った。彼女が亡くなったのは、それから4ヵ月余り後の3月17日。友人は今年■3月17日に亡くなったけれど、■多くのものを私にくれた。折々、書いておくことにする。■記録:親友の死■ 「プレゼント」あなたが私にくれたもの キリンがさかだちしたピアスあなたが私にくれたもの フラッグチェックのハンチングあなたが私にくれたもの ユニオンジャックのランニングあなたが私にくれたもの 丸いレンズのサングラスあなたが私にくれたもの オレンジ色のハイヒールあなたが私にくれたもの 白い真珠のネックレスあなたが私にくれたもの 緑色した細い傘あなたが私にくれたもの シャガールみたいな青い夜(以下略) 【内容情報】(「BOOK」データベースより)1989年から17年間にわたる取材で、LEE掲載のたびに反響を呼んだ彼女の家の洗練されたインテリアや暮らしぶり。ファッションやインテリア関係者から、「私のお手本」「昔の記事を大切にしている」といった声も。彼女の“今まで”のスタイルを本書で再編成。さらにイギリスではインテリアデザイン通として一目置かれる彼女の、新しいセカンドハウスなど“現在”のインテリアスタイルをお届けします。 【目次】(「BOOK」データベースより) 私の家/サフォークの海辺の家で始まった、新しいインテリアスタイル/インテリアデザインの発信地になった、ウィグモアストリート・ショップ/好きなものを一つずつ集めた、心やすらぐロンドンの家/暮らしに彩りを添える、休日の心豊かな時間/信頼する年上の友人フィオナの、雑貨あしらいの光る部屋/訪れるたびに刺激を受ける、友人達の5つの家/おわりに 【著者情報】(「BOOK」データベースより) ハウエル,マーガレット(Howell,Margaret)ファッションデザイナー。1946年9月5日、イギリス南部サリー州生まれ。ロンドンのゴールド・スミス・カレッジでファインアートを学ぶ。アンティークマーケットで出会ったシャツに魅かれ、1970年にメンズシャツを発表。大評判を呼び、1977年にはロンドンに初のショップを持つ。1981年に日本上陸。以降、上質で洗練された服で、おしゃれな大人達を魅了し続けている。1999年にハウスホールドグッズのラインをスタート。2002年、ロンドンの旅艦店ウィグモアストリート・ショップ、2006年フルハムロード・ショップをオープン。モダンブリティッシュデザインに造詣が深く、インテリア分野でも一目置かれる存在(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月18日*豆名月・栗名月・・・片見月*・・・・・・・
2013.10.18
コメント(0)
関西人のお気に入り番組といえば、「探偵!ナイトスクープ」。今年で25周年を迎えて、なお深夜に20%近い視聴率を誇る関西人御用達の番組だ。『探偵!ナイトスクープ』とは・・・1988年3月放送開始。毎回視聴者から届くさまざまな調査依頼(例:ピンクレディー世代は、曲を聴くと誰でも振り付けができると妻が言うのですが、本当なのでしょうかetc.)に対して探偵役の北野誠、桂小枝らが体をはって応える素人参加型バラエティ番組。 初代探偵局長は上岡龍太郎で、現在は西田敏行が二代目局長。 今や作家として大ヒットを飛ばしている百田尚樹も、この番組の放送作家出身。人気作家となった今も、この番組にだけはかかわっているという。 その■「探偵!ナイトスクープ」■を先日見たら、桂小枝探偵が卒業していた・・・。_| ̄|○「探偵!ナイトスクープ」は1988年3月から始まっているが、ほとんど見ている。今回の小枝探偵が変わったことは、局長の神岡龍太郎が辞めた時以来のショックだ。*桂小枝探偵*は(在任期間:1988年7月23日 - 2013年9月27日)1988年7月からといえば、番組が始まると同時にいたようなもので、「ミスター・ナイトスクープ」とも呼ばれていた。その小枝探偵がなんで辞めたの・・・。「小ネタ集」や「パラダイス」は、小枝探偵ならではのものなのに・・・。あの独特のトークを楽しみにしていたのに・・・。_| ̄|○ 代わりに入ってきたのが★スリムクラブ:真栄田賢★ハライチ:澤部佑★*銀シャリ:橋本直*この中でいけそうなのは、銀シャリの橋本くらい。 それにしても、神岡龍太郎局長が辞めた時に、なんで西田敏行局長にしたのだろう?といまさらながらに思う。だって上沼恵美子や藤山直美、やしきたかじんなどなど、神岡局長クラスの辛口の人が関西にいるのに・・・。西田局長のコメントは、素人みたいで、おもんない。その後から来た、カンニング竹山も、松村邦洋もあかん。全国に受けようとすると面白くない。やっぱり、関西人の関西人による関西人のための的な番組にする方がいいと思うのだが・・・。関西テイストが面白かったのに、どんどん、それが薄まっていくような気がする。*桂小枝探偵*すぐに解決できそうな複数の依頼をまとめて調査する「小ネタ集」、ガイドブックに到底載せられない名所を紹介する「パラダイス」などの名物コーナーを持った他、「まじめ」ネタを「笑い」ネタにしてしまう傾向があった。「ミスターナイトスクープ」の異名をとっていた。上岡局長時代は「そして、こいつです」と紹介されていた。自称「局次長」であった。以前は局長の座を狙っているような独占欲的な節があったが、これは「局長代行」という形でかなえられた。おなじみの言葉は自ら「よろしく(どうぞ)お願いします、桂小枝です。お願いします。」と挨拶し、その後「しかしまー、なんですねー」。番組開始時の探偵紹介では最後に名乗ってから、この言葉に続けてコメントするが、近年のオンエアではカットされていた。2013年9月27日放送分で卒業。25年間もの長きにわたって探偵役をこなした。*銀シャリ:橋本直*真栄田賢、澤部佑探偵と同期の若手新人探偵の中で唯一人の関西人。ナイトスクープの大ファンでもある。生まれついてのサービス精神と、「うまいこと言い」のテクニックは依頼解決の現場でも炸裂間違いなし。「依頼者が主人公だということを忘れずに、寄り添うようにやりたいです」と、新人にして探偵局の基本を心得ており、安定感のある丁寧な依頼調査が期待できる。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月17日*旅は*他火* *・・・・・・・
2013.10.17
コメント(0)
♪暦の上ではオクトーバー でも気温は真夏並み(「あまちゃん」の挿入歌で歌って下さい)_| ̄|○各地で10月の最高気温 131地点が真夏日強い太平洋高気圧の影響で、7日は熊本県玉名市で33・2度を記録するなど全国的に気温が上昇し、観測点927のうち24道府県の78地点で10月の観測史上最高を更新した。30度以上の真夏日は131地点で、10月としては2010年の集計開始から最多だった。気象庁によると、平年より10度程度高く8月並みとなった地点もあり、最高気温は長崎県佐世保市33.0度、福岡県朝倉市32.8度、大阪市や香川県三豊市32.5度など。北海道や東北でも10月として最も暑くなった地点があった。2013/10/07 19:36 【共同通信】 じぇじぇじぇ!!!と「あまちゃん」もビックリなこの10月の夏日。しかも、何日も・・・。 こうなると、「温暖化防止のためには、やっぱり、火力発電所よりも、原発やな・・・」と温暖化のことなんか考えもしない人の口から原発擁護の意見が出るのではと心配。なぜ原発が許されないのか? 安全でクリーンなエネルギーとずっと言われ続けた原発。その安全神話も、今年の原発事故で崩れ去りました。でも、原発が安全と信じていたのかどうか?というと、うっすらではあるにしても放射能は危険であることは私もわかっていたはずだったのです。事故が起こるまでは、そのことに目を向けなかったこととを痛切に反省しています。原発が推進されてきたのは地震の停滞期で、今は活動期になったこと、また40年以上経っている原発もあること、廃棄物の処理が決まっていないこと、除染が始まったものの除染しても線量が下がらない地区があること、何をどう考えても、原発は安全であるとは思えないのです。この本は、子ども向けです。もちろんこれからの子どもは原発や放射能に対して正しい知識を持つべきです。そうであったにしても、大人がまず原発のことを正しく理解しなくってはいけないと思います。先送りして子どもに負の遺産を押し付けることがないように、大人としてもっと原発のことを正しく知りたいと思っています。まず大人が先に読んでほしい本です。(はなびやさん 40代・愛知県稲沢市 男の子9歳) ■【福島報告】 山本太郎議員 「原発は秘密指定される」 ■ ↑ネット友の■あずーるさん■が教えてくれた情報!温暖化のことと同じく反原発も考えたい。行動もしたいと思う。■山本太郎氏、当選■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月日13*柿の木あれこれ*・・・・・・・
2013.10.13
コメント(0)
■そして父になる:あらすじ■♪音が出ます!6年間育てた息子は、他人の子でした。学歴、仕事、家庭といった自分の望むものを自分の手で掴み取ってきたエリート会社員・良多(福山雅治)。自分は成功者だと思っていた彼のもとに、病院から連絡が入る。それは、良多とみどり(尾野真千子)との間の子が取り違えられていたというものだった。6年間愛情を注いできた息子が他人の子だったと知り、愕然とする良多とみどり。取り違えられた先の雄大(リリー・フランキー)とゆかり(真木よう子)ら一家と会うようになる。血のつながりか、愛情をかけ一緒に過ごしてきた時間か。良多らの心は揺らぐ……。6年間愛情を注ぎ、育ててきたわが子が、もし他人の子だったら?突然、過酷な現実にさらされた2組の夫婦の姿を映し出すヒューマンドラマ。『誰も知らない』の是枝裕和監督が、福山雅治を主演に迎えた深遠なドラマは、第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されるや、審査員賞に輝いた。 自分の血を継いだ方を選ぶか、産まれてから過ごした時間を選ぶか・・・。どちらも、無理なことだ。辛いだろうな、当事者は・・・。中でも、わけも分からず6年間育った家や両親と思っていた人たちと別れる2人の子どもの不安さはいかばかりかと思う。リリー・フランキー夫婦の家はどこの設定なのだろうか?「病院から新幹線代が出るから・・・」というセリフや関西のなまりが入っているが・・・。野々宮慶多役の子、普段からおとなしい役どころで、不安気な表情が痛々しい。でも、この子、芸歴が長い。2006年生まれで2011年には福山雅治のPVに出ているとか。おとなしすぎるほど、おとなしい性格の子の役だけれど、素顔は社交的だそうな。だから、あの不安気な表情は、役になりきっていたのかとビックリ!リリー・フランキー夫婦に育てられた琉晴役の子もすごい。今回が俳優デビュー作なのに堂々として自然は演技。琉晴の弟役の子も、自然過ぎるわ。映画の最後の方に、慶多を追いかける福山雅治。途中で道が2つに別れる。すると、福山は、下の道から追いかける。これまでは、上からものを言っていた父親が、子ども目線に立とうとするかのように・・・。別れていた道がまた一つの道になる。われても末に逢はむとぞ思ふという短歌のような道・・・。■私が見た是枝監督作品■■花よりもなほ■■歩いても、歩いても■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月8日*「大大阪モダン建築」*・・・・・・・・・・・・・・
2013.10.11
コメント(0)
■「身軽に暮らす」■にも出ていた、同年代の吉本由美さんがジムに行っているのをブログで知った。■吉本由美のこちら熊本!■そうだ、スポーツジム行こう!で、先月から通い始めたのだが、ジムで思うことが多々ある。なんと沢山のエネルギーをつかっていることか。照明、冷暖房、テレビ、ジムの機具、計測器等々。終われば、お風呂やシャワーがある・・・。この多くのエネルギーをジムに通う人たちで、なんとかできないのだろうかと思う。★例えは、自転車(のようにペダルの付いた機具)で漕いでいるのだが、これでエネルギーをつくることが出来ないだろうか?ペダル系のマシーンは、10台以上あるし、みな真剣に漕いでいる。★ランニングマシーンも沢山あり、これまた皆で走っている。★ジャズダンスやヒップホップ等々の激しいダンスも、床に足を踏みつけることで熱量が出来るようにすればいいのでは・・・。■「あなたの脂肪を音楽に!自転車発電ライブ!」■■ライブハウスはグリーン電力使用のZeppへ。■★風呂の湯をつくる時に出る排熱を利用することも可能では?以上がエネルギーをつくるアイデアであるが、温暖化防止のためアイデアもある。★建物の壁にツタなどで緑化する。★木を植える。★芝生をはる。■校庭芝生で温暖化防止 ■★窓や入口の構造を変える。★雨水の利用。★屋上を緑化する。★太陽光発電をする。■大阪駅のエコな取り組み。■★自転車や電気自動車で通う人に割引をする。★トイレットペーパーは100%リサイクル紙で。実はここは、かつて市街地に残る1万坪の里山だったところ。■こんな公園あったらいいな・・・。■と公園化を目指して市民運動が盛り上がった所でもある。温暖化を防止する沢山の木々を切倒して、電力を消費する建物を建てる・・・。日本中、こんなことばかり!もし、私の通うジムが、私が運動することで、電力をつくることが出来るのなら、もっと頑張るのに。そして、その結果、もっと骨を強く、贅肉を落とすのに・・・。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月8日*「大大阪モダン建築」*・・・・・・・・・・・・・・
2013.10.10
コメント(0)
■ビートルズと私:あらすじ■ビートルズを愛する一人の男は、素晴らしい4人をもっと知るために長い旅に出た・・・。ビートルズの大ファンであるシンガー・ソングライター、セス・スワースキーが、8年間の歳月をかけてインタビューを敢行した。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴを知る50人を超える世界各地の関係者が彼のインタビューに答え、ラストシーンでは、それぞれが一番好きなメンバー名と曲も発表する。4人の知られざる素顔とビートルズへの愛溢れるエピソードが満載の、全音楽ファン必見のロード・ムービー・ドキュメンタリーとなった。 ビートルズを体験した人々は、音楽性はもとよりそのカリスマ性に度肝を抜かれる。ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン、サイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルなど、彼らと同時代を生きたミュージシャン、そしてジョージ・マーティンをはじめとしたビートルズの制作スタッフ、さらに、いまではアンジェリーナ・ジョリーの父親として知られている「真夜中のカウボーイ」のジョン・ヴォイトや「ガンジー」のベン・キングスレーといった映画俳優にとっても同様だ。彼らは一様に、ビートルズとの出会いに感銘し、驚きを隠さない。そんな彼らのビートルズ体験や秘話を、アメリカのシンガー・ソングライターのセス・スワースキーが、約8年がかりで一本のドキュメンタリー映画にまとめ上げ、新たなビートルズ神話を紡ぎだした。 ビートルズの曲についてのエピソード。♪「アビイ・ロード」ロンドンのアビイ・ロード・スタジオ前の横断歩道で撮影されたジャケット写真は、レコード史上有名なものの一つである。エンジニアのジェフ・エメリックは「当初アルバム・タイトルをエメリックが吸っていたタバコの銘柄にちなんで "Everest" にして、ジャケット写真をエヴェレスト山の麓で撮影する予定だった」と語っている。 しかし「ヒマラヤにまでジャケット写真を撮りにいくのはごめんだ。ちょっと外に出てそこで写真を撮り、タイトルを(通りの名前)アビイ・ロードにすれば良いじゃないか」とポールが発案し、1969年8月8日に撮影された。それでも行き当たりばったりではなく一応の打合せはあったようで、ポールによるアイデア・スケッチと簡単なメモが残っている。撮影したのはジョンの友人のカメラマンイアン・マクミランで、警察に依頼して通行止めにしてもらい(背景にパトカーが写っているのはこのため)、30分の間にメンバーが横断歩道を6回往復するところを撮影した中の1枚を採用した。アビー・ロード・スタジオ前のこの横断歩道は人気の観光スポットとなっており、道路は現在も通常に使用されているにも関わらずジャケット写真のポーズを取る観光客が後を絶たず、昔から観光客の死亡事故や接触事故などが起こっている。♪「ノルウェイの森」村上春樹の小説「ノルウェイの森」は、ビートルズの曲を聞いて主人公が昔を思い出すというもの。♪「アクロス・ザ・ユニバース」ある青年の波乱万丈な恋と青春を、全編に流れるビートルズの楽曲と共につづるミュージカル・映画。タイトルの「アクロス・ザ・ユニバース」もビートルズの曲。■おまけ■この映画のHPで「真夜中のカウボーイ」のジョン・ヴォイトがアンジェリーナ・ジョリーの父親ということを知った!!イラストや写真、使えるようになりました。m(._.)m・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月5日*大大阪を見つめたダイビルが・・・。*・・・・・・・・・・・・・・
2013.10.05
コメント(0)
日本には北海道から琉球列島まで見られるが、自生ではなく、中国から帰化したものと考えられる。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれているが、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、畦や土手に植えたとも考えられる。また鱗茎は薬になり、救荒食でもある。そのような有用植物としての働きを熟知しての運搬の可能性もある。人里に生育するもので、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのを見かける。なお、山間部森林内でも見られる場合があるが、これはむしろそのような場所がかつては人里であった可能性を示す。 秋の彼岸に咲く真っ赤な彼岸花には、例え農家の育ちではなくても、懐かしい思いがするのではないだろうか。しかし、最近は、水田が減って見る機会が少なくなった。たまに見ると、すごいものをみたかのようにカメラでパチリ。道端に横文字の花のプランターを置いて「まちをきれいにしよう。 ○●市」というのをよく見るがあれを美しいと思ったことがない。しかし、私がよく行くスーパーへの道(土手状になっている所)に彼岸花が咲き乱れているのは美しいと思う。それにしても、50年くらい前の日本のいなかは美しかった・・・。 ●●● イラストが使えなくなった・・・。_| ̄|○・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年10月1日*サルビア歳時記:10月の三箇条 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.10.01
コメント(0)
全13件 (13件中 1-13件目)
1