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去年に続き、今年も海外旅行に行けなかった。去年1月に倒れて以来、体調が思わしくない。倒れるかもしれないと思うと海外旅行は躊躇する。そんなわけで今年の私的重大ニュースは、■こんなところ。■親友の死は、悲しい。彼女が亡くなる数日前に、「直島に行きたかったな・・・」というつぶやきにもにたメールをくれた。私は行くことが出来なくなったら、どこに行っておけばよかったと思うのだろう。そんな友人の夫から電話があった。彼女の遺品を整理しているということだ。月日は否応なしに流れていく。 ■12月に見た映画■*天心■2013.12.7*ペコロスの母に会いに行く■2013.12.7*清州会議■2013.12.11*利休にたずねよ■2013.12.22*ルートヴィヒ■2013.12.23*武士の献立■2013.12.236本と忙しい12月のわりには、よく行った。今年は全部で63本見た。今年のベスト10は■ここ。■、来年そうそう、見たい映画が、*鑑定士と顔のない依頼人。*W・W・ダイナソー*永遠の0*マイヤーリング■書きのこしたネタ■*龍野市のホテルにて。*姫新線のトリビア。*辺野古の埋め立て*総理の靖国参拝*その他、本の感想文*年末の風邪と夫の対応体調がすぐれないのと映画の記録で、思うように書けない。*西行寺*根来寺*娘の引っ越しの荷物が多いことと簡素な引っ越し*ネット友、■あずーるさん■との会話*街で見つけたデザイン。*白虎隊の歌*「君をだいて」*友人の100か日。*「とっさの方言」*消えゆく職業:「猫のしっぽカエルの手」*「最高の離婚」*湿布薬の効果*探偵!ナイトスクープ*からほり御屋敷再生複合ショップ「練」*桜*近つ飛鳥*近つ、遠つ*多肉植物*悲しみや苦しみを見つめること。*排熱エネルギー*東京駅の特別な出口*領土問題*「二年間の休暇」の難点。*土人、女性は家事をすることが好き。*キラキラネーム*和泉市の美術館*もっと緑が欲しいのだ!(駐車場)*「清貧の思想」*橋元大阪市長 *みどり学*ファーストレディ *「小石川の家」*あさぶら*小説「アーレンガート」*「北極星」*アルミ缶エコ*江戸時代、和歌山の防災意識*子供と春の花と桜・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月31日*サルビア歳時記:12月の三箇条 *・・・・・・・
2013.12.31
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今年は63本の映画を見ることが出来た。2009年以来の60本代。心に残る映画が沢山し、残念な映画もあった。今年見た映画のベスト10を書いておこう。■「アナザー・カントリー」■~一生、女は愛さない。~長い間、見たいと思っていたもの。イギリスの美少年、素敵。今や、名優となった、コリン・ファースがも出ていた。■「アルバート氏の人生」■ ~本当の自分は、タキシードの下に隠して生きてきた・・・。~2回見た映画。■「ライフ・オブ・パイ」■ ~トラと漂流した227日間。なぜ少年は生きることができたのか。~ファンタジックで美しい映像とドキドキ感に魅了。■「大いなる西部」■ ~西部の大地には、男の知らないもうひとつの”アメリカ”があった。~これも「午前十時の映画祭」作品。若き日のグレゴリー・ペックが素敵。■「大脱走」■~逃げろ~これまた、「午前十時の映画祭」作品。名作だ。地下に穴を掘って何人も逃げるという映画だが、実話だというからビックリ!■ 「天使の分け前」■~かけがえのない出会いとスコッチウイスキーがもたらす、人生の大逆転。~「麦の穂を揺らす風」のケン・ローチ監督作品。後味のいい映画だった。■「きっと、うまくいく」■ 涙と感動と笑いと・・・。3回見たがまだ見たい作品。今年の最高作品。■「聖(セイント)☆おにいさん」■~神も仏もここにいる。~映画を見るまで、こんな漫画があるなんて知らなかった。■「炎のランナー」■ ~走る。名誉のために、神のために・・・。~これまた、待ち望んでいた映画。1924年パリオリンピックでの実話。最近のオリンピックは、商業主義なにに比べてなんというピュアな選手たち。■「あの頃、君を追いかけた」■~青春は恥と後悔と初恋で作られる。~ 以上が今年のベスト10!!■午前十時の映画祭」:赤の50本■■午前十時の映画祭」:青の50本■■新・午前十時の映画祭」■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月29日*地名:近くの「丹」のつく地名の語源 *・・・・・・・
2013.12.29
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うちの裏庭にある枇杷の木とピラカンサの木。夏は、日よけになるし、目隠しにもなる。なにより、枇杷が食べられるし、ピラカンサは、鳥たちのごちそうだ。夏には、セミがその木にやってくる。しかし、そんな大事な木が切られてしまった。先日、裏の駐車場の管理人が、切りたいと言って来た。駐車場にはみだしては、いないににと思いながらも、ピラカンサの実が落ちて迷惑をかけていうのだろうかと思いながら、管理人の言葉にしたがった。「あの木があるから、日よけにもなるし、目隠しにもなっているので、切り過ぎないで下さい」と私は管理人に言った。管理人は、「専門の職人さんにきってもらうので、そこは、適当にやってくれるでしょう」とのこと。何日かたってみると、丸坊主状態の木が・・・!!! 年末になって、年間のニュースがとりざたされるが、その中には、必ず異常気象がある。早く咲きすぎる桜。しとしと降るはずの日本の雨は、南国なみのスコール。10月になっても30度を超える日々。いつまでも続く台風。竜巻・・・。これらは、地球温暖化のなせるわざ。地球温暖化をなんとかしなければと、学者やNGO、心ある一般の人も思っている。しかし、たった一本の木の存在さえも邪魔扱いする人間に、未来はないのかもしれない。■キョウチクトウの憂鬱■・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月27日*ベートーヴェンの誕生日に「第九」を聴く *・・・・・・・
2013.12.28
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私の子どもの頃は、クリスマスなど飾っている家はないし、誕生日も祝わない時代だったから、正月は一大イベントだった。正月を迎えるために、数々のことをやってしまわなければならないからだ。●溜まっているツケを払う。農家だから現金がない。そのため、店ではツケで買っていた。そのツケは、12月には払わなければならないという決まりがあった。そのため、父や母はどんな苦労をしたのだろうか。子どもの前では、そんな話を聞いたことがないが、大変だったのだろうと思う。 ●餅搗き。正月の御馳走といえば、雑煮だった。他には、なにもなかった。もち米を蒸す蒸籠、きねとうすも家にあったし、搗いた餅を並べる木の箱「もろぶた」もあった。搗いた餅を隣に、持って行くの重箱も・・・。■おつりはマッチ ■●ショウガツゴを買う。普段から粗末な服や下着を着ていたが正月になると、母は奮発して、なにか一つ新しいものを身につけさせてくれた。そのためにどれだけ、お金の苦労をしたことだろう。その他、正月の間、ゆっくり出来るように、薪を作っておくこと。カメに井戸水をいっぱい汲んでおくこと。洗濯機も水道もガスもない時代にゆっくり休もうと思うと大変だったのだ。その分、ゆっくりできる正月を待つ心は今も何倍も強く、大人も子どもも、待ち望んでいたのだった。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月26日*父の麦わら帽子:麦藁帽子:目次*・・・・・・・
2013.12.26
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子どもも成長して、老夫婦二人だけとなったクリスマスは、体調を気にしながら、ケーキを食べ一年を振り返る時。今年もいろいろあったな・・・。■3月17日■友人の死■■5月28日■右足靭帯のケガ■■初夏■朝ドラ:あまちゃん■にはまる。じぇじぇじぇ!!「半沢直樹」にもはまる。■9月■スポーツジムに通いはじめる。■■10月■レイがひとり暮らしをはじめる。■■12月17日(火)■ザ・タイガースのコンサート■今年のはじめ頃からこの日を待ちわびていた。ザ・タイガースは、私たち世代の永遠のアイドル。■12月19日(木)■はじめての親戚に会う。■遠く離れて住んでいるので、会うのは初めて。いい人たちで、楽しかった。さっそく、クリスマスカードと年賀状を出した。 もうすぐ、90万ヒット。90万を踏んだ方は、25日のイラストをどうぞ! ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月25日* 涙がとまらないクリスマスカード *・・・・・・・
2013.12.25
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■武士の献立:あらすじ■♪音が出ます!包丁侍は、武士の心で調理する。江戸時代。優れた味覚と料理の腕を持つが、気の強さが仇となり1年で離縁された春(上戸彩)は、加賀藩六代藩主・前田吉徳の側室・お貞の方(夏川結衣)に女中として仕えていた。ある日、料理方である舟木伝内(西田敏行)にその才能を買われ、息子の嫁にと懇願されて春は2度目の結婚を決意する。舟木家は代々、藩に仕える由緒ある包丁侍の家であったが、跡取りの安信(高良健吾)は料理が大の苦手で、しかも春より4つも年下。春は、姑の満(余貴美子)の力も借りながら、必死に夫の料理指南を始める。様々な料理の基礎を安信に教える春。渋々指導を受けながらも、めきめきと腕をあげていく安信。 江戸時代、包丁で仕える武士がいたというのにビックリしたが、よく考えてみれば、城という会社の中の食堂のようなものだ。しかし、殿専用の食堂だけれど・・・。 包丁侍たちの台所での様子は、さながらレストランのシェフのようだった。疑問が残ったのだが、春の義父が殿のために作る汁物は、「つるもどき」といっていたが、当時鶴を食べていたのだろうか?江戸時代は、あまり肉を使った料理をしなかったと思うが、映画の中では、鶏をつぶそうとする春がいたりして、ちょっとビックリ。 また「つるもどき」汁で使っている醤油を色と味から「龍野の薄くち醤油」と当てる春。関西の酒や醤油が江戸で珍重がられたというが、龍野の醤油は当時から有名だったらしい。江戸時代、初物を食べると寿命が75日延びるといわれてもてはやされた。特に初鰹や初茄子がありがたがられたのは有名。それは「勝つ魚」「成す」にかけて縁起がいいと好んで食したそうだ。当時の台所の様子や道具など見るのは楽しかった。包丁で仕える侍の他に算盤で仕える侍を描いた■武士の家計簿■というのがある。殿の代わりに手紙などを書く、右筆(ゆうひつ)なる職業もあったりした。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月24日*ふやぁ(冬は)辛み盛れ *・・・・・・・
2013.12.24
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■ルートヴィヒ:あらすじ■♪音が出ます!!ローエングリーン(白鳥の騎士)のように清らかでいたい・・・。19世紀半ば、ヨーロッパ一の美貌の持ち主と謳われたバイエルンの国王がいた。その名はルートヴィヒ2世(ザビン・タンブレア)。15歳の時、歌劇『ローエングリン』に感銘を受けた彼は、白鳥の騎士“ローエングリン”に憧れ、作曲者ワーグナー(エドガー・ゼルゲ)を崇拝するようになる。それだけにとどまらず、“世継ぎ”という宿命を背負った皇太子でありながら、政治にも権力にも興味を持たず、芸術だけに夢中になっていた。そんなある日、父王が急死。これにより、ルートヴィヒは心の準備が整わないまま、わずか18歳にして王座に就くこととなる。その頃、バイエルン王国が所属するドイツ連邦では、オーストリア帝国とプロイセン王国の衝突により、戦争が避けられない状況となっていた。ところが、そんな時でもルートヴィヒは“国民の安全に必要なのは、詩と音楽の奇跡だ”と主張。ワーグナーを宮廷に招き、独自の理想を掲げてゆくが……。 40年ほど前、ルートヴィヒの作った城、ノイシュヴァンシュタイン城に行ったことがある。なんの知識もなく行って城の中を見たのだが、台所などは、結構、近代的なので驚いた。聞くと、この城、19世紀も半ばを過ぎてから建築が始まったというから驚く。その他、ルートヴィヒが芸術と城つくりにばかりかまけて政治を行わなかった王であったということ。湖で謎の死をとげたことなど・・・。ディズニーランドのお城は、ノイシュヴァンシュタイン城がモデル。などなど・・・。しかし、映画を見て分かった事が多い。★ワーグナーとの交流15歳の時、歌劇『ローエングリン』に感銘を受けたルートヴィヒは、作者のワーグナーに心酔。しかし、ワーグナーは、革命派ということで、逃げいていた。ルートヴィヒのつくった城、ノイシュヴァンシュタイン城が「白鳥城」と呼ばれるのは、「ローエンルリン(白鳥の騎士)」からだと知った。★髪の毛ルートヴィヒの肖像画や写真では、髪の毛が波うっている。しかし本当は直毛。毎日、髪の毛に焼き鏝をあて、あのスタイルにしていた。★弟も精神を病んでいた。狂王といわれるルートヴィヒだが、その弟、オットーも精神を病んでいた。オットーの発病以来、ルートヴィヒもしだいに病んでいった。★エリーザベト当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌に加え、身長172cmと背が高く、美人の代表のように言われるエリーザベトとはいとこ。ふたりでよく遊んでいたらしい。桁外れの浪費家同士で意気投合したとされる。ちなみに、映画の中にエリーザベトは、絵で見るほどの美貌ではなかった。★同性愛者エリーザベトが自分の妹をルートヴィヒと結婚させようとし、婚約までいくが破談になった。ルートヴィヒの数々の奇行人々は、精神病とした。しかしエリーザベト皇后は「彼は決して精神病ではありません。ただ夢を見ていただけでした」と述べている。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月23日*竹ぼうきのトリビア *・・・・・・・
2013.12.23
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■利休にたずねよ■♪音が出ます!!私が額(ぬか)ずくのは美しいものだけでございます。雷鳴がとどろく雨嵐の早朝。茶人、千利休(市川海老蔵)は、自らの腹に刃をたてようとしていた。その絶対的な審美眼から、かつては戦国の覇者・織田信長(伊勢谷友介)に重用され、のちに天下人となった豊臣秀吉(大森南朋)のもと「天下一宗匠」としての名を馳せながらも、秀吉の怒りを買い、死に向う利休。そんな夫に対して、妻・宗恩(中谷美紀)がたずねる。「あなた様にはずっと想い人がいらっしゃったのでは・・・。」この言葉が利休の胸中に秘められた、遠い時代の記憶を甦らせていく・・・。 若い頃、茶道を習っていた。しかし、千利休のよさを知ったのは、だいぶ後になってからだ。最近、インテリアがもてはやされている。私もインテリアや、庭(ないけど)に興味がある。しかし、最近の部屋は飾りが多く、庭は、花が咲き乱れている。豪華絢爛が美しいと誰が決めたといいたい。その点利休はいい。竹を削って作った茶杓や、竹を一節切って作った花入れ。その花入れにも、一輪をそっと入れるだけ。茶室の壁は粗末な壁。利休の作った茶室は、朝鮮の小屋から思いついたというのを聞いたことがある。朝鮮の小さな家であろうが、その中に美を見いだすってすごい。ウィリアム・モリスも羊小屋としてたてられた小さな小屋が立ち並ぶ■コッツウォルズ■の村を「世界で一番美しい村」と言った。利休は、美しく見せることもよく知っている。始まりの方に織田信長に塗りのお盆を見せるシーン!タダの塗りの盆を「月を見るお盆」にしたのは、流石!!そういえば、茶道には、見たてという言葉がある。例えば、井戸の水を汲むつるべを水入れにしたりするような・・・。映画の中には、日本の美しい道具と共に美しい所作がでていた。数百年たっても、美しいものは変わらない。西洋人にも、その美しさは、分かるのか「第37回モントリオール世界映画祭 最優秀芸術貢献賞」を受賞。美は時空を超え、洋の東西を超える。利休の美は、今も私たちの暮らしに残っている。美は滅びない!!・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月22日*植物切り抜き帳:柚子 *・・・・・・・
2013.12.22
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■忘れかけた子守唄■作詞 なかにし礼作曲 すぎやまこういち歌 ザ・タイガース兵士の群れが朝露に消える母の姿が小さく残るジョニィの手紙が五月にとどくげんきでいるよもうすぐ帰ると母は毎日稽古をしてるよ忘れかけた子守唄を戦を終えて兵士が帰るだけどジョニィの姿が見えぬ兵士の群れが街角に消える母の姿が小さく残る母は涙でむなしく唄うよ思い出した子守唄を 「忘れかけた子守唄」は、■12月17日のザ・タイガースのコンサート■で聞いた曲。「十年ロマンス」は阿久悠の作品だけれど、この「忘れかけた子守唄」は、なかにし礼。ドラマチックな物語を歌詞にするなんて、さすが、なかにし礼!!ところで、この歌に歌われているのは、ジョニィという名の戦士。この歌が作られた1968年、当時はベトナム戦争の最中。ジョニィと戦争といえば、すぐ思い浮かべるのが「ジョニーは戦場へ行った」だ。ドルトン・トランボが1939年に発表した反戦小説。なかにし礼は、この「ジョニーは戦争に行った」のオマージュとして「忘れかけた子守唄」を作ったのだろうか?Do You Love Me (Dave Clark Five 1964) (I can't Get No) Satiosfaction (The Rolling Stones 1965) Nowhere Man (The Beatles 1965) I Started A Joke (Bee Gees 1968 トッポ) You've Got Hide Your Love Away (The Beatles 1965 ピー) Yellow River (Christie 1970 タロー) Tell Me (The Rolling Stones 1964 サリー) Holiday (Bee Gees 1967 トッポ) I'm Henry Will I Am (Herman's Hermits 1964 ピー) Time Is On My Side(The Rolling Stones 1964) Under My Thumb(The Rolling Stones 1965) 休憩第二部十年ロマンス 僕のマリー 落ち葉の物語 命のカンタータ 忘れかけた子守唄 廃墟の鳩 モナリザの微笑み 銀河のロマンス 青い鳥 花の首飾り 君だけに愛を シーサイド・バウンド I Understand (Just How You Feel) ラヴ・ラヴ・ラヴ アンコールタイガースのテーマ 美しき愛の掟 色つきの女でいてくれよ反戦繋がりになるのだが、12月18日(水)、■姫路平和資料館■へ夫と行った。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月19日*サルビア歳時記:12月の季語 *・・・・・・・
2013.12.21
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12月17日(火)、ザ・タイガースのコンサートに行ってきた。作詞:阿久悠作曲:沢田研二の80年代のヒット曲「十年ロマンス」から二部が始まった。「十年ロマンス」Once upon a timeはるかな夢もう誰もここにいないひき潮の海のように十年ロマンスといわれた愛は今もきらめいているだろうか1967年にデビューしてから今日まで、なんと長い道のり・・・。阿久悠の歌詞は流石である。ザ・タイガースのメンバーにとってもこの40数年は、長かったし、私たち、ファンにとっても長い時間だった。会場は広すぎるし、音がよくないし・・・と音楽を聞くには、イマイチかもしれない。しかし、それ以上に、ザ・タイガースを感じることが出来て満足だ。演奏曲●僕のマリー●シーサイド・バウンド●モナリザの微笑(1967)●君だけに愛を(1968)●落葉の物語●花の首飾り(1968)●銀河のロマンスなどなど・・・。1980年代の同窓会のヒット曲、「10年ロマンス」から始まって、アンコールに「色つきの女でいてくれよ」という選曲がいい。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月16日*父の麦わら帽子:遠い故郷 *・・・・・・・
2013.12.17
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■清州会議:あらすじ■これは、会議と言う名の戦である。天正10年(1582年)。本能寺の変で、一代の英雄・織田信長(篠井英介)が明智光秀(浅野和之)に討たれた。跡を継ぐのは誰か……。後見に名乗りをあげたのは、筆頭家老・柴田勝家(役所広司)と後の豊臣秀吉・羽柴秀吉(大泉洋)であった。勝家は、武勇に秀で聡明で勇敢な信長の三男・信孝(坂東巳之助)を、秀吉は、信長の次男で大うつけ者と噂される信雄(妻夫木聡)を、それぞれ信長の後継者として推す。勝家、秀吉がともに思いを寄せる信長の妹・お市様(鈴木京香)は、最愛の息子を死なせた秀吉への恨みから勝家に肩入れ。一方、秀吉は、軍師・黒田官兵衛(寺島進)の策で、信長の弟・三十郎信包(伊勢谷友介)を味方に付け、秀吉の妻・寧(中谷美紀)の内助の功もあり、家臣たちの心を掴んでいくのだった。そんな中、織田家の跡継ぎ問題と領地配分を議題に“清須会議”が開かれる。会議に出席したのは、勝家、秀吉に加え、勝家の盟友で参謀的存在の丹羽長秀(小日向文世)、立場を曖昧にして強い方に付こうと画策する池田恒興(佐藤浩市)の4人。様々な駆け引きの中で繰り広げられる一進一退の頭脳戦。騙し騙され、取り巻く全ての人々の思惑が猛烈に絡み合っていく……。 本能寺の変で亡くなった織田信長の跡目に誰をおくかという清州会議の話は、小さい頃、父から何回も聞いていた。しかし、知らない人物もいた。松山ケンイチが演じるなにをやらせても器用な「きゅうきゅう」こと堀秀政。本能寺の変で死んだ長男の嫁、松姫。これから戦国時代のドラマを見る時に、覚えておこう。ところで、清州会議で勝利した秀吉の姓は「羽柴」。羽柴秀吉とは、清州会議にも参加した、丹羽長秀の「羽」と筆頭家老の柴田勝家の「柴」からとったというのは、有名。身分が低かった秀吉は、信長の重臣だったふたりに、とりいったのだ。しかし清州会議の頃、秀吉は、彼らと並ぶ重臣となっていた。いや、彼らを押さえてトップにたった。それは、人たらしといわれた彼の勝利。対抗馬の筆頭家老、柴田勝家はその対極にいたのだった。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月13日*事始め・・・煤払い *・・・・・・・
2013.12.13
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■洛北蓮華寺■の後、あじき路地に行った。地図を見ながら、同じところをグルグルまわったが見つからない。やっと見つけた!!それもそのはず、あじき路地は、本当に小さな路地で見落としていたのだ。大正時代に建てられた長屋であり、12軒が連なっている。長年空き家であったが、大家の方針により若い職人たちの住宅・工房・ショップとして利用されている。 あじき路地は、大正時代に建てられた築100年ほどの町家長屋です。そこには、おだやかで凛とした空気が流れています。長年空家だった長屋を大家さんが「ものづくりなどを頑張っている若者に使ってほしい」と、2004年春に入居者を募集しました。書類選考ののち、「お見合い」という形で直接お会いしてお話し、約100件の応募の中から6件の入居者が決まりました。当初は、ほとんどの屋根瓦がずれ落ち畳や壁はボロボロ、ガラスは割れており、とても住めるような長屋ではありませんでした。そして大家さんの協力のもと、入居者の皆で手を入れて大改装したのち、入居。大家さんを「お母さん」と慕って、みなが家族のように暮らす、職人の住まう町家長屋になりました。 京都や大阪では、一音の単語を伸ばす。例えば、血をちー手を、てーというように・・・。だから、路地は、ろーじと発音する。だからここは、「あじき路ー地(ろーじ)」。この路地は、テレビなどでもよく取り上げられるので、観光客らしき人がいっぱい。植木鉢などが沢山あって、古き良き時代の路地を思わせる。 ■あじき路地:HP■住所:京都府京都市東山区大黒町通松原下ル2丁目山城町284京阪「清水五条駅」より徒歩およそ5分/京阪「祇園四条駅」より徒歩およそ10分/阪急「河原町駅」より徒歩およそ15分市バス4・17・205系統「河原町五条」下車徒歩およそ10分※注意事項:住居になりますので、お静かにお入り頂ければ幸いです。 私有地の為、無許可の撮影&雑誌等の掲載はご遠慮ください。※自転車でお越しの方は、奥の駐輪場をご利用ください。 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月10日*花ふきん*・・・・・・・
2013.12.11
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■ペコロスの母に会いに行く:あらすじ■♪音が出ます!愛おしくて、ホロリ切ない僕らの毎日長崎生まれの団塊世代、岡野ゆういち(岩松了)は、漫画を描いたり音楽活動をしたりと趣味にうつつを抜かし、仕事に身が入らないダメサラリーマン。小さいたまねぎ“ペコロス”に似たハゲ頭のゆういちは、今日もライヴハウスでオリジナルソングを歌い上げて悦に入っている。そんなゆういちの母・みつえ(赤木春恵)の認知症が始まったのは、夫のさとるが亡くなった頃からだった。それから10年、ある時はさとるのために酒を買いに出たところを孫のまさき(大和田健介)に見つけられて連れ戻され、またある時はゆういちが帰ってくるのを駐車場で待ち続けて危うく轢かれそうになった。さらに、箪笥の引き出しから汚れた下着が大量に出てきたこともある。ケアマネージャーに勧められたゆういちは、悩みながらも、みつえを介護施設に預けることにする。 面白かった。アルツハイマー、介護という重いテーマながら笑いながら見ることが出来る。自分も今よりも歳をとると、ボケるのかもという思いがあるが、なぜか悲しい思いはない。アルツハイマーは65歳以上では、10人にひとりはいるという。身近な問題なのだ。アルツハイマーにならないために心がけることを書いておく。*カラオケ楽しいことは、脳にいいのかも。*適当な運動。家に籠っていると、脳に刺激がない。*音読カラオケと同じで、目で見て、口で声を出して、耳で聴くといういろいろな機能を使うことがいいらしい。*料理冷蔵庫にあるもので、食事を考えたり、予算や時間で考えたり、段取りなどと料理は、頭を使う家事だ。*若い頃の話を道具を使ってする。火鉢出して、餅を焼いて食べた時の事などを話をする。昔の事は、覚えているので、アルツハイマーになっている人も情緒の安定や生活の質の向上を目的として行われている。私は、ネットで、懐かしい ■ザ・タイガース■の歌を聞いている。( ̄▽ ̄)・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月8日*ヤドリギの下でキスを・・・。 *・・・・・・・
2013.12.08
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■天心:あらすじ■♪音が出ます!今から100年前。失われゆく「日本の美」を救った男がいた。明治初期。廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていた頃、アーネスト・フェノロサ(イアン・ムーア)と岡倉天心(竹中直人)は“日本の美”を救おうと奔走していた。やがて天心は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の校長に就任。横山大観(中村獅童)、菱田春草(平山浩行)、下村観山(木下ほうか)ら若き才能を育成し、美術界のエリートコースを歩んでいたが、西洋画派との対立により校長を辞任する。その後、同志と共に日本美術院を立ち上げ、美術の研究、制作、展覧会などを行う研究機関として活動を開始。だが、天心が提唱し大観、春草らが編み出した新画法が「朦朧体」と揶揄され、次第に苦境へと追い込まれていく。新天地を求めた天心は、茨城県五浦に六角堂を建て、日本美術院を移転、新たな日本画の創造を目指し、壮絶なまでの創作活動に没頭していくのであった……。 岡倉天心のことは、明治時代、ヨーロッパ文明をとりいれようとする日本政府に逆らってまでも「日本の美」を守るために闘った人という風に好意的に知っていた。しかし映画の中の天心は、自己中心的だ。浮気をして、家族を泣かせる。東京から田舎に彼を慕って来た弟子たちを受け入れるが、ボロ家で喰うや喰わずの生活。自分は、けっこうな家に住み、別荘まで持っている。なんでこんな人が、尊敬されているのだろう。天心役は、竹中直人だったけれど、彼が演じることで、よけいに、天心に、この映画に魅力がなかった。反対に弟子の菱田春草が魅力的だった。辺鄙なところに「学校」を作り、優秀な人物にひもじい思いをさせて・・・。天心はオウム真理教の教祖を思い出させる。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月6日*父の麦わら帽子:涙の蜜柑 *・・・・・・・
2013.12.07
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奈良県桜井市を源流とした大和川は、江戸時代の半ばごろまでは、いつくもの支流に分かれ、うねうねと流れ、淀川と合流していたという。その間に、土砂が積もり、大和川は天井川(砂礫の堆積により河床(川底)が周辺の平面地よりも高くなった川)という。そのせいで、常に水害が毎年のようにおこっていた。そこで大和川を付け替えということになった。付け替え後、大和川は、奈良県を源流とし、大阪府の南部を流れ、大阪市と堺市の間で大阪湾へと流れ込んでいる。その結果かつて、田畑だった所が川に・・・。その代わりにといってもらったのが、かつての川の後・・・。しかし、川の後は、砂地で、水田には向かない。そこで作ったのが木綿。河内地方で作られたから河内木綿という。 河内木綿とは・・・江戸時代から明治時代のはじめにかけて、河内地方で栽培された綿から糸を紡いで手織りされた木綿のことを、一般に「河内木綿」といいます。さらに、18世紀のはじめ、1704年(宝永元年)に大和川が付け替えられると、それまでの川床は畑として生まれかわり、綿作りがますます盛んになり、木綿織りはさらに発展しました。18世紀中ごろの久宝寺村(現八尾市)の田畑の作付状況の記録によれば、村の耕地の7割に綿を植え付けたと記されています。■八尾市立歴史民俗資料館河内木綿の部屋■河内木綿はよく知っていたが、大和川との付け替えの副産物だとは知らなかった。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月3日*トリビアの井戸:てしょう *・・・・・・・
2013.12.05
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12月1日(日)娘と孫と私で、京都に行ってきた。紅葉を楽しみにしていたのに、遅かった。悔しいので、昔の写真をアップしておく。(ノД‘)蓮華寺の最寄り駅「三宅八幡」では、どどど・・・と人が降りた。30人はいたろうか。小さなお寺なにに、有名なのだ。落ち葉の積もった庭に灯籠がポツンとたっている。 蓮華寺形灯籠として知られる2基の灯籠。蓮華寺形灯籠は、「基礎は六角で蓮弁がつき、竿は丸竿で中央部が膨らむ。中台は蓮弁のある六角形で唐草文をあしらう。火袋も六角で前後に四角の穴を穿ち、笠は急勾配の長めで九段の葺地を表し、頂上に宝珠が乗る独特の形をして」おり、茶人たちに好まれたという。高野川から引いた小川をみることが出来る茶室があるが、そこで、お茶をいただく。石川丈山作という庭をみる場所は押すな押すなの人だけれど、茶室は、誰もいなかった。京都は、平日に行くべしと思い知った。 ■蓮華寺(れんげじ)■■拝観時間■9:00~17:00■拝観料■高校生以上400円 中学生以下無料 ■所在地■京都市左京区上高野八幡町1 ■交通アクセス■「三宅八幡」駅下車、徒歩約10分 京都駅より 京都バス17系統または18系統(土曜休日のみ運行) 乗車46分京都市営地下鉄烏丸線「国際会館駅」より 京都バス19系統 乗車5分いずれも「上橋」(かんばし)バス停下車徒歩すぐ叡山電鉄叡山本線 三宅八幡駅下車 徒歩10分・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月2日*お正月に読みたい本「焚き火大全」*・・・・・・・
2013.12.03
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もみの木。クリスマスツリーの用材には、常緑の針葉樹のおもに幼木が用いられる。アメリカでは、年間数千万本もの生木のツリーが流通しており、最も生産本数が多いオレゴン州だけでも700万本を超える。これら商業目的で生産されるツリーのほとんどは、規模が大きいため森林ではなく農地で生産されている(アメリカのツリー生産の統計は、農業センサスで集計されている)。この点で環境破壊と指摘されることは少ないが、クリスマス後に一度に大量に発生するツリーのゴミの方が環境問題視されることがある。このためニューヨーク州を始めとした都市部や住宅地では、2000年代以降、リユース(鉢植えで使用後に農場へ戻す)やマテリアルリサイクルを行う取り組みが見られる。常緑樹が使われるのは、冬の間も緑を保つため、強い生命力の象徴とされたためである。 家に小さな子どもがいないので、クリスマスツリーは、もう飾らない。思えば、日本でクリスマスツリーを家に飾るようになったのは、ここ数十年のこと。世界的に見ても、かつては、ドイツだけがやっていたようだ。それを世界に流行らせたのは、イギリスのヴィクトリア女王。ドイツ貴族出身の夫をこよなく愛し、夫の歓心をかうためクリスマスに室内に樅の木を飾るドイツの習慣を英国にもたらしたというくらいだ。■ヴィクトリア女王 世紀の愛■地球温暖が叫ばれる今日この頃、クリスマスには、もみの木を伐って飾るのではなく植えて、木を増やすという風習が出来ないものだろうか。・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年12月1日*おとごの朔日(さくじつ)*・・・・・・・
2013.12.01
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