全23件 (23件中 1-23件目)
1
■第91回アカデミー賞■☆が受賞作品 ■■が見た映画★作品賞★『ブラック・クランズマン』『ブラックパンサー』■『ボヘミアン・ラプソディ』■■『女王陛下のお気に入り』■☆『グリーン・ブック』『ROMA/ ローマ』『アリー/ スター誕生』『バイス』★主演男優賞★クリスチャン・ベール『バイス』ブラッドリー・クーパー『アリー/ スター誕生』ウィレム・デフォー『永遠の門 ゴッホの見た未来』☆■ラミ・マレック『ボヘミアン・ラプソディ』■ヴィゴ・モーテンセン『グリーン・ブック』★最優秀女優賞★ヤリッツァ・アパリシオ『ROMA/ ローマ』■グレン・クローズ『天才作家の妻 40年目の真実』■☆■オリヴィア・コールマン『女王陛下のお気に入り』■レディ・ガガ『アリー/ スター誕生』メリッサ・マッカーシー『ある女流作家の罪と罰』★助演男優賞★☆マハーシャラ・アリ『グリーン・ブック』アダム・ドライバー『ブラック・クランズマン』サム・エリオット『アリー/ スター誕生』リチャード・E・グラント『ある女流作家の罪と罰』サム・ロックウェル『バイス』★助演女優賞★エイミー・アダムス『バイス』マリーナ・デ・タビラ『ROMA/ ローマ』☆レジーナ・キング『ビール・ストリートの恋人たち』■エマ・ストーン『女王陛下のお気に入り』■■レイチェル・ワイズ『女王陛下のお気に入り』■★監督賞★☆アルフォンソ・キュアロン『ROMA/ ローマ』■ヨルゴス・ランティモス『女王陛下のお気に入り』■スパイク・リー『ブラック・クランズマン』アダム・マッケイ『バイス』★脚本賞★■『女王陛下のお気に入り』■『魂のゆくえ』☆『グリーン・ブック』『ROMA/ ローマ』『バイス』★脚色賞★『アリー/ スター誕生』『バスターのバラード』☆『ブラック・クランズマン』『ビール・ストリートの恋人たち』『ある女流作家の罪と罰』★撮影賞★■『情報陛下のお気に入り』■『Never Look Away(原題)』☆『ROMA/ ローマ』『アリー/ スター誕生』『COLD WAR あの歌、2つの心』★外国語映画賞★『カペナウム』レバノン『COLD WAR あの歌、2つの心』ポーランド『Never Look Away(原題)』ドイツ☆『ROMA/ ローマ』メキシコ『万引き家族』日本■他■■2月に見た映画■*メリー・ポピンズ リターンズ*天才作家の妻一40年目の真実一*ヴィクトリア女王 最後の秘密*女王陛下のお気に入り■書き残したネタ■*中ノ島堀割*M1グランプリ*ローラの発言*コインランドリー「フレディ・レック・ウォッシュサロン」*暖房ネタ*プラスティックごみ。*白樺のかご*天蓋ベッド*葛井寺と藤井聡太*会話力*妄想古民家カフェ「くるり」*漆の木・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.28
コメント(2)
■天満天神繁昌亭(てんまてんじんはんじょうてい)は、■大阪府大阪市北区天神橋二丁目にある寄席。上方落語の定席の一つで、落語を中心に、漫才、俗曲などの色物芸の興行が連日執り行われている。通称「繁昌亭」。 繁昌亭は、2003年に上方落語協会会長に就任した桂三枝(後の6代桂文枝)が、天神橋筋商店街で落語会を行える空き店舗の提供を商店街側に依頼したことに始まる。商店街はこの提案を大阪天満宮に持ち込み、上方落語協会も交えて話し合いを重ねた結果、天満宮用地に落語専門の定席を新設することで合意。用地は大阪天満宮の寺井種伯宮司の厚意により、無料で提供された。1957年に戎橋松竹が閉場して以来、半世紀ぶりに大阪に寄席が復活することになった。 座席は1、2階の216席。昼席の開場時には、若手の落語家が太鼓で一番太鼓(開場を告げる太鼓)を打つ。劇場内外の天井には、募金をした人々の名前や団体約4,500件分の名前の書かれた提灯が並べられている。 上方落語隆盛の時代の象徴として語り継がれている「赤い人力車」が復活した。この人力車は、初代桂春團治が多忙のために移動の手段として使用したとされるものを復元しており、多額の借金による「火の車」の洒落になっている。 春団治の奇行は有名だが、他の芸人も破天荒だったようだ。 吉本興行の舞台でのこと。真打の松鶴が舞台に上がったが、十八番(おはこ)の話「天王寺詣り」をやらない。客は怒って総立ちになっている。 客の一人の機転でやっと事なきを得たが、松鶴は、十八番の「天王寺詣り」を二千円で質に入れたのだった。質入れ中は絶対に語れないのが、この世界の掟だそうだ。 俳優の東出昌大は■『ごちそうさん』■では、慣れない大阪弁での演技に備え、撮影開始1か月前に大阪市へ引っ越し、天満天神繁昌亭や近くの喫茶店でアルバイトしたり、上方落語を聴くなどして役作りに務めた。繁盛亭のある場所は、もともとは、天満の天神さんの敷地だった所。天満宮旧敷地という石灯篭がある。■もともと江戸時代の天満宮境内では、■歌舞伎や人形浄瑠璃などあらゆる芸能が上演されていたという記録もあり、明治時代の天満周辺には「天満八軒」といって8軒程の寄席があった。”芸どころ”として、歴史的にもゆかりのある土地だった。■NHK朝ドラ:わろてんか■は、吉本興行の吉本せいがモデルで、吉本の寄席もここにあった。吉本せいを描いた山崎豊子の「花のれん」に、天満の寄席を見つけた時の文章がある。***「旦那(だん)はん、おました、ええのおましたわ、御寮人(ごりょうん)さんのいいはるとおり風呂屋にでもしたろかいうような寄席見つかりましてん」「どこや」「天神橋筋をちょっと入ったとこの、ちょうど天満の天神さんの裏でんねん。」***●■天満の天神さん■とセットで行く、大阪名所だと思う。●広島出身という若手落語家の言葉が見事に関西弁だった。 ■天満天神繁盛亭■〒530-0041大阪市北区天神橋2丁目1番8号地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」下車4番出口JR東西線「大阪天満宮駅」下車3番出口・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.27
コメント(0)
私の子ども時代、今から60年以上前は、よく火を焚いた。食事を作るにも、風呂を沸かすにも火を焚かなくてはならない。山に薪を取りに行っても、そこに簡単な石の炉を作り、飯盒でご飯を炊くために火を焚いた。 冬になると、毎日のように焚火にあたった。■当時の冬服■は、貧しいもので、とても寒かった。毎朝、学校に途中で、焚火をしている家を見つけると、火に当たった。大人も子どもも「寒い、寒い」と言いながら手を火にかざした。突然、バンッ!!と大きな音がして、私はビックリして飛び上がった。 それは、竹の破裂する音だった。竹が温まると、節の中の空気が膨張して、破裂すると父が言った。それは分かっていても毎回驚いた。時々、藁を焚いたら、白いポップコーンのようなものを見つけることがあった。藁に残っていたモミが火によってはじけたものだ。もちろん、当時、ポップコーンというものを見たこともなければ言葉さえ知らなかったのだが・・・。焚火の中にポップコーンのようなものを見つけると、木の枝を使って、さっと拾って食べた。 寒くてたまらない日は、一斗缶に薪を入れ、家の中で火を焚くこともあった。そんな時父は、火掻き棒で火を調節しながら、昔話や、笑い話をした。 休みの日に、たまに、餅を焼いたり、サツマイモを焼いたりしたのをもらうことがあったが、それは本当に稀なことだった。最近は、火を焚くことが出来ないので、冬になっても焚火を見ない。足止めてあたらせて貰ふ焚火かな 能村登四郎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.26
コメント(0)
用事があって、天満に行ったついでに、天神さんこと、大阪天満宮にもお参り。(▲■表門■当社には六つの門があると書かれていた。表門は南中央にある。)大阪天満宮は、大阪府大阪市北区天神橋に鎮座する神社(天満宮)。延喜元年(901年)に菅原道真が藤原時平によって九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、この地にあった大将軍社に参詣した。そして、延喜3年(903年)に菅原道真が没した後に天神信仰が広まり始める。この門をくぐるとき、若い男性や小さな小学生が頭をぺこりと下げていたのが微笑ましかった。(梅の季節だった。)大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。 毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。▲■手水舎(てみずしゃ)■参拝者が身を浄めるために手水を使う施設のこと。天神さんといえば、牛。参拝客が頭をなでるから、牛の頭はピカピカ。表門には、梅の模様の石の防火用水があった。よく見ないと、看板に隠れて見逃す。私は防火用水が好きだから見逃さなかった。(^▽^)/ 誰が寄進したのかと思って調べたら、乾物商の問屋。天満は乾物相が多い。■今はない天満堀川の近くにも■乾物商の寄進した灯篭が。■銀二貫■の舞台は天満で、乾物・寒天を扱っている設定。表門から西に行くと蛭子(えびす)門がある。表門と蛭子門の通りで見つけた、手押しポンプ!!津田式手押しポンプが道の隅っこにあるということは、天神さんの防火のために違いない!!■津田式ポンプは、■ポンプ王と呼ばれる広島の津田喜次郎(きじろう)(1888-1959)が、大正9年(1920)に開発した昇進式ポンプです。●蛭子(えびす)門の由来●当宮には六つの門がありそれぞれに独自の用途と由来を持っている。当門は入ってすぐ 左手に「戎社(蛭児社)」が祀られていたことから「戎(えびす)門」と呼ばれてきた。江戸時代の「戎社」では 毎年の正月・五月・九月の十日に「蛭児尊遷殿神事」を斎行しておりこの年三回の「十日えびす」には数多くの参拝者が当門を利用した。その後 「戎社」には境内西北に移されたが「戎門」の名は変わらずに今に伝えられている。昨年正月に「十日えびす」を復興をしたのを記念してその由来をここに記す。-平成二十年正月吉日 宮司 寺井種伯 門の左の石垣は、度重なる船場の火災から守るために防火壁として作られたそう。船場からの火災はこの防火壁で免れたが最後の火災「大塩平八郎の乱」は石垣のない方から火が攻めてきてしまった。(▲蛭子門を入って見る境内と本殿)■本殿■現在の本殿は、天保14年(1843年)に再建されました。 大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけで七度もの火災に遭い、なかでも大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724年)の妙知焼けや、大塩平八郎の乱による天保8年(1837年)の大火では、全焼致しました。その約6年後に、大阪市中の氏子や崇敬者又献身的な奉仕者によって、現在のご本殿が再建されました。本殿内も他のお社に見られるようなきらびやかさは見られませんが、先の大東亜戦争にも焼けずに残ったのは、氏子の方々が焼ける自分の家を横目に見ながら「天神さんを焼いたらあかん」と守って下さったおかげです。歴史ある場所で古いものが残っているが、常夜灯とお百度石を兼ねたものが、表門を入ってすぐにあった。反対側を見ると「安政二年 海上安全 家内安全」の文字が見える。安政二年とは、江戸時代で1856年。 梅が満開の境内は、出店がいっぱい。観光客でにぎわっていた。 東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ 菅原道真 地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」、JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.25
コメント(0)
■あさきゆめみし(4)■謹慎生活に入った源氏の君は、京都に紫の上を置いたまま、わずかな家来を連れて須磨へと旅立ちました。そこでは明石の姫君と出会い、3年間をともに過ごします。都へ戻るように連絡がきた時、明石の姫君は妊娠していました。彼女には変わらぬ愛を約束し、源氏の君は懐かしい都へと帰るのです。そこで久々に再会した紫の上は、すっかり大人の女性になっていました。これまで以上に仲睦まじく愛し合うようになります。そんななか帝が元服した東宮に位を譲ることになり、源氏の君は太政大臣に昇格。隠居先の伊勢で病死した六条御息所の娘・梅壺が、東宮の女御として迎えられました。4巻でも相変わらず複数の女性を真剣に愛する源氏の君ですが、政治家として大人の対応も見せはじめます。藤壺ともようやく落ち着いて話せる関係になりました。内密ではありますが藤壺と自分の息子である東宮が帝に即位したため、彼を支えていくことが藤壺との愛の証になっていくのです。一方で紫の上は、本当は源氏の君をひとりじめしたいと考えているものの、表立って怒ることのない健気で聡明な女性に成長しています。幼いころから彼の恋愛好きを理解しているうえに、たくさんの女性がいても自分が1番愛されているという自信があったのです。■京からの追放を予知した源氏は、■最愛の妻・紫の上を京に残し、自ら須磨(現光寺付近)へ退去することになります。源氏26歳、3月末のことでした。須磨は、秋風が吹き、荒波が寝床までも打ち寄せる気配。海を知らない源氏にとっては、憂愁の日々でありました。翌3月、昨年手植した若木の桜(須磨寺境内)がちらほら咲くのを見て、都の桜を思い出す源氏でありました。やがて源氏の存在を知った明石入道が出迎えに来て、舞台は明石へと移ります。そこには、明石の君との出会いが待っていました。明石の君は高貴な源氏との恋にとまどいながらもやがて、心を許していきます。●須磨に行く時の船は、漕ぎ手が10人ほどいた。(絵)京の都から須磨まで一日かかった。●童殿上(読み)ワラワテンジョウ平安時代以降、宮中の作法の見習いのため、公卿の子弟が、元服以前に昇殿を許されて奉仕すること。また、その子供。殿上わらわ。■あさきゆめみし(1)■■あさきゆめみし(2)■■あさきゆめみし(3)■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.23
コメント(0)
■江戸の満腹力■●内容紹介●美食家も大食漢も大満足のアンソロジー。蕎麦、初鰹、おでん等々、多彩な献立で描かれる江戸の世に生きる人々の悲喜交々。池波正太郎、乙川優三郎、小泉武夫、竹田真砂子、宮部みゆき、山本一力他による傑作8編を収録。(解説・細谷正充) ●内容(「BOOK」データベースより)●蕎麦屋をはじめた女性の覚悟。蜜柑栽培に人生を懸けた庄屋の苦悩。蕪汁が解く殺人事件の謎。美食が動かす日本の歴史。おでんが結んだ武士の友情…。池波正太郎から山本一力まで、八人の人気作家が腕によりをかけた逸品が勢揃い。美味しい時代小説を、次から次へと丸かじり。これが「江戸の満腹力」だ。美食家も大食漢も大満足の傑作短編集。 池波正太郎「金太郎蕎麦」、乙川優三郎「小田原鰹」、小泉武夫「宇田川小三郎」、澤田ふじ子「蜜柑庄屋・金十郎」、竹田真砂子「千姫とバター」、宮部みゆき「お勢殺し」、山田風太郎「慶長大食漢」、山元一力「長い串」の8編を収めるアンソロジー。食をテーマとした時代小説が集められている。前半の5編は、蕎麦、鰹、酒、バター、蜜柑。後半は食べること、食品といった切り口だ。「小田原鰹」が心に残る。人間の心の変化が巧みに描かれ、しかも、鰹が実に効果的に使われていて、これぞ食の時代小説だ。そのほか「蜜柑庄屋・金十郎」も衝撃的。●読書メモ●■小田原鰹・・・乙川健三郎●罪人は、罪を犯したという意味で刺青を入れられた。●小田原から江戸へ鰹を送るのに、伝馬(てんま)を利用。■江戸時代,諸街道の宿駅に常備され,■公用の人や荷物の継ぎ送りにあたった馬をいう。古代の駅制にも伝馬の制があったが,その後廃絶した。戦国時代,諸大名は軍事的必要から領国に宿駅を設置し伝馬を常置したが,制度的に確立したのは江戸時代である。徳川家康が慶長6 (1601) 年東海道,中山道に多くの宿駅を指定し,36頭ずつの伝馬を常備させたのが初めで,寛永 15 (38) 年幕府は東海道 100頭,中山道 50頭,日光,奥州,甲州各道中 25頭と定めた。伝馬を使用できるものは幕府の公用,諸大名,公家などの特権者であったが,これには無賃の朱印伝馬と定賃銭を払う駄賃伝馬の2つがあった。 町人も使えたのか?■宇田川小三郎・・・小泉武夫■ひどくうすかった日本酒■この頃は石造税といいまして、造った酒の量によって税をかける。それなら水分を少なくアルコール度の高い酒をつくり、あとで薄める方が得。すると樽廻船、問屋、小売と順番に薄まってゆく。このあたりはアウンの呼吸だったとか。消費者の手元に届く頃、アルコール濃度は四分の一にまで落ち、4ないし5%ほど。これ以上薄めるとさすがに分かったといいます。日本酒の飲み比べの記録が残っていますが、とても信じられない量。しかし、これほどの薄さなら・・・いけるかも、といった按配なのでした。「むらさめ」という酒は、持つと人を斬りたくて我慢ができなくなる妖刀の「ムラサメ」からで「切れ味がいいから」との説は嘘で、村に着く頃、醒めちゃう酒のこと。戦後はこういうのを「金魚酒」とよんだとか。中で金魚が泳げる酒、ということでしょう。●酒を薄めることを「玉をわる」という。玉川(多摩川)の水で割るの意味。 ■長い串・・・山本一力●大井川の川越人足は、川会所の小頭(こがし)が、12歳の子どもの中から目利きをして3年の見習いを採る。15歳になると見込みのある者を会所の年行事(1年交代の世話役)に推挙した。70人の見習いから人足になれるのは、毎年わずか5~6人。ひとの命を預かる人足には、宿場の誰もが一目置いた。●作者の山本一力は、1948年(昭和23)生まれ。14歳で父を亡くし上京。住み込みで新聞配達などをしながら高校を卒業。旅行代理店、広告制作会社、コピーライターなど、さまざまな職業を経て作家に。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.22
コメント(2)
■『あさきゆめみし』3巻■六条御息所は、葵祭での場所取りをめぐり、葵の上の家来たちに恥をかかされました。彼女の凄まじい怨念を受けた葵の上は、出産したばかりの夕霧を残して亡くなってしまいます。憔悴した源氏の君が帰宅をすると、そこにいたのは目覚ましい成長を遂げた紫の君。まだ早いかなと思いつつ、待ちきれずに彼女を「紫の上」として妻に迎えるのです。しかし悪いことは続くもの。以前から体調を崩していた父親の桐壺が逝去し、藤壺は源氏の君との関係を断ち切るように出家。さらに彼自身は敵対する右大臣家の姫と問題を起こして、謹慎となります。子どもができたことでやっと夫婦らしくなりかけていた葵の上を失ったのも、本来は気高かった六条御息所を変貌させてしまったのも、すべて原因は自分……そう考えながらも、彼はまた問題を起こしてしまうのです。寵愛していた紫の上とはようやく夫婦になることができましたが、彼女は大人の恋愛に戸惑っているよう。■読書メモ■●髪そぎの吉日■『源氏物語』葵巻で源氏が「君の御髪は、我削がむ」■と手ずから紫の君の髪を削ぎ、「千尋」と祝いの言葉をかける様子に少納言の乳母が「あはれにかたじけなし」と感動するのも頷けます。吉時を待って儀式を開始し、髪を削ぐ役目の人の前に碁盤を据えて子供が吉方を向いてその上に立ち、髪削ぎ役は介添役から鋏を受け取って髪を切り揃えます。(「削」「剃」の漢字から、なんとなく剃刀のような刃物で毛先を切り落とすイメージを持ちますが、室町時代まで剃刀は専ら僧侶の剃髪用具で、髪を整えるのにはU字型の鋏を用いました。髪を削ぐ役は、一族の尊者が務めたようです。●春宮(とうぐう)《東は四季の春に配されて万物生成の意をもち、また易では長男を表す震にあたり、宮殿が皇居の東にあったところから》1 皇太子の住む宮殿。みこのみや。2 皇太子の称。ひつぎのみこ。●牛車源氏の君が夜、外出するときは、牛車を使うが、牛車の廻りには、松明を持った人が数人、馬に乗った人が数人合計10人くらいの供が描かれている。■牛車は■日本の平安時代では貴族の一般的な乗り物であった。移動のための機能性よりも使用者の権威を示すことが優先され、重厚な造りや華やかな装飾性が求められた。そのため、金銀の装飾を施すなど華麗という以上に奢侈に流れる弊害が出たため894年(寛平6年)、一時乗車が禁止されたこともある。 ■あさきゆめみし(1)■■あさきゆめみし(2)■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.21
コメント(0)
みをつくし献立帖「貝寄風(かいよせ)」烈風が大川を逆さになぞり、常にはない波が立っている。風に攫(さら)われまい、とふたりは足を踏ん張った。「えらい風やねぇ、野江ちゃん」「今日は如月の二十日や、せやからこの風は・・・」野江に言われて初めて、澪は、ああ、と気づいた。「そうかぁ、貝寄風(かいよせ)やってんかぁ」例年、四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ)が行われる頃になると、強い西風が吹く。この風が難波の浜に買いを吹き寄せる、と言い伝えられることから、この地では、如月二十日前後に吹く風のことを「貝寄風」と呼ぶのだ。貝寄風が過ぎれば、春も爛漫。今はちらほらしかさいていない菜の花も一気に開花し、鮮やかな黄のうすぎぬを広げたようになる。 (▲写真は琵琶湖の菜の花畑)旧暦如月二十日前後といえば、今の暦で三月の終わりくらいか。3月25日には■菜種の春ごと■という行事が大坂にあった。菅原道真公の忌日を新暦にあわせた日に(3月25日)に米の粉を蒸し「クチナシ」で菜種色に色つけした団子を神前に供える祭りで、この団子をいただくと病気が治るということで多くの人が参拝する。当日は稚児行列も行われる。本格的な春がやっと来た頃だ。 貝寄せや阿部野の梅の花も散る 紅秋 貝寄る風の手じなや若の浦 芭蕉・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.20
コメント(0)
■女王陛下のお気に入り■♪音が出ます!ごめんあそばせ、宮廷では良心は不用品よ。18世紀初頭、ルイ14世のフランスと戦争状態にあるイングランド。気まぐれで病弱でありながら、それでも頑固に国を守る女王アン(オリヴィア・コールマン)を、幼馴染のレディ・サラ(レイチェル・ワイズ)が操り、絶大な権力を握っていた。そんななか、サラの従妹アビゲイル(エマ・ストーン)が上流階級から没落し、宮廷で召使いとして働くことになる。アビゲイルはサラに気に入られ、女官に昇格するが、再び貴族の地位に返り咲こうと野望が芽生え始める……。▲■(ライオンは、イングランド、とユニコーンはスコットランドを意味する。)■絢爛豪華な王室を舞台に3人の女の愛と権力の奪い合い。英国版、大奥といった感じ。■アン女王■を検索したら、映画の中で、「肥った醜女(しこめ)」と言っていたが、本人像も、よく似た人でビックリ。教養があまりなく、読書や芸術よりスポーツや乗馬を好んだ。父の宮廷の女官で、後にマールバラ公ジョン・チャーチル夫人となるサラ・ジェニングスは少女時代からの親しい友人である。 反対に幼馴染の■サラ■は、美人で才能豊か。イギリスの首相のチャーチルやダイアナ妃は彼女の末裔。■世界遺産:ブレナム宮殿・チャーチルの生家■サラの従妹アビゲイルも実在の人物。牛肉で痛風の痛みや熱をとるのに使ったり男性が顔を白くして、頬紅をつけ、かつらをつけるなど当時の風俗などもよく分かって、興味が尽きない映画だった。▲イギリスコレクション:1500~1700年代の王室コレクション。■ヴィクトリア&アルバート館■■第91回アカデミー賞■最多ノミネート作品。■作品賞 ■監督賞 ■主演女優賞 ■脚本賞 ■助演女優賞(エマ・ストーン)■助演女優賞(レイチェル・ワイズ) ■撮影賞 ■美術賞 ■衣装デザイン賞 ■編集賞・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.19
コメント(0)
■あさきゆめみし2■相変わらず色恋沙汰に熱心な源氏の君は、うっかりいろんなタイプの女性と関係を持ってしまいます。赤い鼻のせいで引っ込み思案な末摘花、60歳にして恋が大好きという源の典侍……出会ってしまったからには、面倒を見る律儀さと甲斐性を持ち合わせているのです。正妻となった葵の上はプライドが高くて頑固な女性。結婚当初から2人の心はすれ違ったままでしたが、しびれを切らした源氏の君がちょっと強引に迫り、妊娠します。するとその報せを聞いた六条御息所が、またもや自分でも制御できないほどの嫉妬にもだえ苦しむのです。さらに、源氏の君が禁断の関係を持ってしまった藤壺もご懐妊。父親は桐壺帝ではなく源氏の君なのですが、これは隠しとおすしかありません。藤壺は難産の果てになんとか皇子を産み、中宮に昇格しました。■メモ■●■末摘花■巻名は光源氏の歌「なつかしき色ともなしに何にこのすえつむ花を袖にふれけむ」による。「末摘花」とは、源氏がこの女性につけたあだ名で、彼女の「鼻が紅い」こととベニバナの「花が紅い」ことをかけたものである。●通婚光源氏は葵上と結婚するも通い婚だった。■大和和紀■は1948年、昭和23年生まれ、団塊の世代。そして同じ世代に■花の24年組■と呼ばれる人気漫画家たちがいる。●花の24年組●青池保子(昭和23年生)、萩尾望都(昭和24年生)、竹宮惠子(昭和25年生)、大島弓子(昭和22年生)、木原敏江(昭和23年生)、山岸凉子(昭和22年生)、樹村みのり(昭和24年生)、ささやななえこ(昭和25年生)、山田ミネコ(昭和24年生) 大和和紀が入っていないのはなぜだろう? 源氏の君が禁断の関係を持ってしまった藤壺も懐妊。 父親は桐壺帝ではなく源氏の君なのですが、これは隠しとおすしかありません。源氏、桐壷が帝に会うシーンがあるが、隠し通し苦しさが出ている。 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする 式子内親王(89番) 『新古今集』恋一・1034■□■ 現代語訳 ■□■ 我が命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱ってしまうと困るから。■あさきゆめみし1■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.18
コメント(0)
■ヴィクトリア女王 最後の秘密■♪音が出ます!!心をひらいた。人生が愛おしくなった・・・。インドが英領となって29年目の1887年、ヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)の即位50周年記念式典で記念金貨“モハール”を献上する役目に任命されたアグラに住む若者アブドゥル・カリム(アリ・ファザール)は、もう一人の献上役モハメド(アディール・アクタル)と共にイギリスへ渡る。18歳で即位してから長年女王の座に君臨してきたヴィクトリアは、最愛の夫と従僕を亡くし心を閉ざしていた。細かく決められたスケジュールをこなし、思惑が飛び交う宮廷生活に心休まらない日々を送るなか、金貨を献上しに現れたアブドゥルの、物怖じせず本音で語りかけてくる態度に心を奪われる。 ヴィクトリア女王と英領インドの青年の知られざる実話を映画化。 女王の即位50周年記念式典で記念金貨を献上するため英国にやってきたインドの若者アブドゥル。最愛の夫と従僕を亡くし塞いでいた女王は、王室のしきたりにとらわれないアブドゥルに心を開く。出演は、「クイーン・ヴィクトリア 至上の恋」のジュディ・デンチ、■「きっと、うまくいく」■のアリ・ファザル。監督は、■「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」■のスティーヴン・フリアーズ。 脚本は、■「リトル・ダンサー」■のリー・ホール。第90回アカデミー賞衣装デザイン賞・メイクアップ&ヘアスタイリング賞ノミネート作品。ヴィクトリアといえば、夫のアルバートとセット?で「ヴィクトリア&アルバート」、「V&A」と表記される。■ヴィクトリア&アルバート館■が有名。「VとA」の字が組み合わせてある。即位50周年記念式典で記念金貨“モハール”を献上する役目に任命された若者の名前はアブドゥル・カリムで、イニシャルはA。原題は「VICTORIA & ABDUL」、「V&A」だ!!■ワイト島 ヴィクトリア女王の離宮■この映画、昨年、イギリスに行く飛行機の中で見たが、ワイト島に行ったので、映画で確認したくなった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.16
コメント(0)
猪口齢糖、猪口令糖、猪口冷糖。チョコレートを、漢字で書くとこうなるそうだ。なんと!「猪」の字があてられているのだ!! 今日はバレンタインデーでチョコレートが飛び交う日。クリスマスや誕生日のプレゼント交換、バレンタインデーのチョコレートとそのお返しのホワイトデー。日本っていつからこんなに贈り物が好きな国民になったのだろう?と私は思う。 先日読んだ■「あなたみたいな明治の女(ひと)」■の「小林信子ー従の人」に次のような部分があった。 「中元の時期でもあり、あちらこちらから到来物がある。むぎこがし、ラッキョウ、赤しそ、青しそ、はちす、カステーラ、硝子瓶、砂糖、唐縮緬など。雇人の友吉やはつにも、ささやかではあるが、半けち、半襟、手拭い、現金などが贈られている。もちろん、信子も、中元をもらった家には、自分の家がしてもらったように品物を贈っている。来る物、渡す物、まるで嵐のように物が行き交っていた。」そういうしきたりは、当時からめんめんと続いていたのだ。 私は、15歳の孫へのお年玉以外、クリスマス・プレゼントも誕生日プレゼントも、ましてやバレンタインデーのチョコレートを贈ることも参加していない。 ▲ノーベル賞チョコ。■ノーベル記念館界隈とノーベル賞チョコ■■イノシシの語源■■老前整理とバレンタインデー■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.14
コメント(2)
■天才作家の妻一40ねんめの真実一■完璧な「妻」だった。夫がノーベル賞を手にした今日までは・・・。アメリカ・コネチカット州。現代文学の巨匠ジョゼフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)と妻ジョーン(グレン・クローズ)のもとに、スウェーデンからノーベル文学賞受賞の吉報が届く。友人や教え子らを自宅に招いたジョゼフは、スピーチで最愛の妻に感謝の言葉を告げる。満面の笑みを浮かべて寄り添うふたりは、誰の目にも理想的なおしどり夫婦に見えた……。授賞式に出席するため、ふたりはストックホルムを訪れる。旅に同行した息子デビッド(マックス・アイアンズ)は駆け出しの作家で、父に対し劣等感を抱いている。そんななか、ひとりホテルのロビーに出たジョーンは、記者ナサニエル(クリスチャン・スレーター)から声をかけられる。ジョゼフの伝記本を書こうとしている彼は、夫妻の過去を事細かに調べていた。ふたりが大学で教授と学生という関係で出会い情熱的な恋に落ちたこと。既に妻子があったジョゼフをジョーンが奪い取る形で結ばれたこと。作家としては二流だったジョゼフがジョーンとの結婚後に次々と傑作を送り出してきたこと……。そしてナサニエルは、自信ありげに核心に迫る質問を投げかける。「“影”として彼の伝説作りをすることに、うんざりしているのでは?」実は若い頃から豊かな文才に恵まれていたジョーンだったが、出版界に根づいた女性蔑視の風潮に失望し作家になる夢を諦めた過去があった。そしてジョゼフとの結婚後、ジョーンは彼の“影”として、自らの才能を捧げ、世界的な作家の成功を支え続けてきたのだ。そして授賞式当日。複雑な感情をひた隠し、華やかに正装した夫妻は、人生最高の晴れ舞台が待ち受けるノーベル賞授賞式の会場へと向かう……。 本作でアカデミー賞7度目のノミネートとなった名優グレン・クローズが、ノーベル賞に輝いた作家の妻を演じるサスペンスフルな人間ドラマ。作家で夫のジョセフを長年支えてきた妻のジョーン。だが、夫がノーベル賞を受賞したのを機に、心の奥底にため込んでいた複雑な感情が湧き起こってくる。夫役のジョナサン・プライスのほか、名優が多数出演する。 ▲ノーベル賞チョコ。■ノーベル記念館界隈とノーベル賞チョコ■夫がなんとも情けない。妻がほとんど作品を書いているのに、秘書以下にこき使っている。浮気はする。いつも物を食べている。妻も妻だ。夫の浮気を何回も許す。女は作家になれないなんて言われて、はいそうですかと夫の下でゴーストライターをして暮らす。■赤毛のアン■を書いたのは、モンゴメリー。■ピーターラビット■を書いたのは、ポター。■高慢と偏見■は、ジェイン・オースティン・・・。 いずれも女性だ。ジョーンに「女は物書きになれない」と言っていたのは、「ダウントン・アビー」の女主人役の人だった!!■ノーベル平和賞はオスロで■■ノーベル賞会場を見てきた。■授賞式の練習やホテルなど、ノーベル賞の裏側が見られた。この映画は、第91回アカデミー賞:主演女優賞にノミネートされている。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.13
コメント(0)
■母のはなし■群ようこ昭和5年、賑やかな家族のもと産声を上げたハルエ。穏やかな少女時代、ふたりの子供を育てながらの波乱の結婚生活と離婚、反動の浪費三昧、忍び寄る老いと病……一人の女性の足跡。【内容情報】(「BOOK」データベースより) 「おれの子じゃない。知らない」ハルエの妊娠報告に夫のタケシは言い放ったー。優しい両親、きょうだいに囲まれて、楽しい幼少期を過ごしたハルエだったが、金にうるさく自分勝手、超細かい性格の夫との結婚生活は、びっくりすることだらけだった。子供たちが成長し、念願の離婚をしたところでハルエの中で何かがはじけた。娘、妻、母、そして老人となっていく女の一生をおおらかに描く。■あなたみたいな明治の女(ひと)■に続く、群ようこ作品。主人公のハルエって多分、群ようこのお母さんだと思う。ハルエには、娘と息子がいる。本が大好きで作家になった娘・アカネというのは、群ようこだろう。ハルエは結婚はしたが、夫が生活費をくれないので惨めな暮らしをする。子どもが成人して夫と別れて、調理師として働く。定年で会社をやめ、娘に「これからは、面倒を見てもらわないといけないね」と言うと娘「ひと月いくらぐらいかかるの?」ハルエ「40万」。ビックリした。ハルエの給料でも40万もなかったのに、なんで「40万」という!?すると娘は「あっ、そう」と言いそれから毎月40万振り込んでくる。「40万」という親も親だが「あっ、そう」と言う子も子だ。 ハルエは、着物にはまる。まず、サラリーマンの年収以上、数百万円の着物を買い、それを皮切りに、次々と着物を買う。もちろん、娘・アカネのツケで・・・。 ハルエは、欲望のままに、あらゆるののを娘にねだった。デパート主催のファーストクラスでの二週間のイタリア旅行。 カルティエでの宝飾品や時計の買い物。洋服はジル サンダー、イッセイ ミヤケ。群ようこってどんだけ稼いでるねん。 ハルエは78歳の時、倒れて入院。70代も後半になれば、いつ倒れてもいいように、入院の用意はしておくものだが、ハルエは全くしていなくて、二人の子どもは、慌てたという。病院に持っていく服を探そうとしハルエの部屋に入った息子は、物であふれる部屋にビックリしたそうだ。 私は、いつも病気になったら、私が死んだら、倒れたら・・・を前提に生活している。入院するとき持っていく物をまとめてスーツケースに入れているし読みたい本があっても、なるべく買わずに図書館に行くようにしている。老前整理を心掛けているのだ。しかし、ハルエは、死ぬことや病気になることを考えない。 物を買っても買ってもまだ買いたいというのは、買い物依存症。不誠実な夫や冷たい子どもたちとの家族関係に心が満たされていなかったのかもしれない。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.12
コメント(0)
■あさきゆめみし 1■源氏の君は、「光源氏」と呼ばれるほど優雅で美しい魅力を持った若者。さまざまな女性と華やかな恋をしていましたが、誰を相手にしても満足できないでいました。父である桐壺帝の妻で、自らの義理の母でもある「藤壺の更衣」に強い想いを抱いていたのです。藤壺への思いを募らせた源氏の君は、ついに一線を超えてしまいます。しかし彼女からは1度限りだと拒否をされ、その後彼は心の拠り所を失ってしまいました。そんななか、田舎に出向いた彼は、「紫の君」という美少女に出会って衝撃を受けます。まだ幼さが残る雰囲気ですが、そこに藤壺の面影を見てしまったのです。紫の君に身寄りが無いと知ると、彼女を預かって育てることにしました。1巻の見どころは、何と言っても源氏の君のモテモテっぷり。藤壺、葵の上、夕顔、六条御息所……彼と出会ってしまった女性たちはみな、運命を大きく狂わされていきます。 平安時代の貴族は一夫多妻が認められているので、複数の女性と関係を持つのは当然です。しかし彼は、ひたすら亡き藤壺を超える理想の女性を探し続けていて、無いものねだりの苦しい思いがミステリアスな魅力を醸しだしています。 そしてもうひとり注目したいのが、六条御息所。気高い貴婦人だった彼女は恋に狂い、嫉妬で夕顔を呪い殺してしまうのです。 紫式部が残した古典文学の傑作『源氏物語』を漫画化した本作。平安時代を舞台に、光源氏こと源氏の君が数多の女性とさまざまな恋愛をくり広げます。恋をすることの素晴らしさはもちろん、嫉妬や別れの苦しみなどが繊細に描かれ、時に華やかで時に残酷でもある人生の浮き沈みが、味わい深い感動をもたらしてくれるのです。また漫画だからこそ堪能できるのが、登場人物の麗しさや平安貴族の豪華な衣装や邸宅、そして盛大な宮廷行事でしょう。ページを開くだけで、百人一首や絵巻物のような華やかな世界に誘われます。大和和紀による漫画作品。紫式部による古典文学作品『源氏物語』を漫画化したもの。『mimi』1979年12月号~『mimi Excellent』1993年第27号に連載。 大和和紀による源氏物語。ところどころに解説があるから初心者にもわかりやすい。*御息所(みやすどころ)「六条の御息所」で知っているが「皇子、皇女を産んだ女御、更衣の称。 ■源氏物語 原文■いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて 時めき給ふありけり。 ■現代語訳(口語訳)■どの天皇の時代であったでしょうか、女御や更衣がたくさん(天皇に)お仕え申し上げていらっしゃった中に、それほど高貴な身分ではない方で、際だって帝のご寵愛を受けていらっしゃる方がいました。 有名な出だしの部分だがこの時代、更衣はなかたそうだ。■『源氏物語』には按察大納言の娘桐壺更衣が桐壺帝との間に光源氏を生んだ■ことが記されている(「桐壺」)。 朱雀院の後宮にいた、一条御息所は更衣であった(「柏木」)。紫式部の祖父・藤原雅正の姉妹である藤原桑子は醍醐天皇の更衣だが、更衣が置かれたのは醍醐天皇、村上天皇までで、源氏物語が書かれた時代に更衣自体はいなかった。 摂関政治期を経て後三条天皇の時代まで史料的には存置していたとみられている。 ●藤壺の女御は14歳で入内(じゅだい)。この時源氏の君は9歳。これって未成年、幼妻!! 藤壺への思いを募らせた源氏の君は、ついに一線を超えてしまう。しかし彼女からは1度限りだと拒否をされ、その後彼は心の拠り所を失ってしまった。源氏と藤壺の思いは・・・。逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり 権中納言敦忠(43番) 『拾遺集』恋二・710■□■ 現代語訳 ■□■ 恋しい人とついに逢瀬を遂げてみた後の恋しい気持ちに比べたら、 昔の想いなど、無いに等しいほどのものだったのだなあ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.11
コメント(0)
人通りがなくなると、杓文字を大きく手前に振った。東西南北、と向きを変えて四度。(略)「あれはなぁ、お客さんを呼び寄せるおまじないなんや。まじないをしている時に声をかけられたら、効き目が無(の)うなる。」■みをつくし料理帖 想い雲■より。■日常生活においても、シャクシの使用をめぐる禁忌はまだ多くある。■例えば、シャクシをなめたり、直かに口に触れたりすると、雨が降ったり、嫁入りの時に犬が吠えたり、病気になったり、「杓子面」 になったりするというので忌まれている。シャクシを飯匙に使う時にも、正しい使用法をめぐるいくつものきまりがある。飯をシャクシの背で盛ると継親にかかると言われるし、また飯の盛りつけは一回の盛りきりにしてはならず、必ず二、三回で盛りつけなければならない。ヒシャクについても同じであり、例えば手のひらを下にして柄を握るのは逆手と呼ばれ、それで水を入れたりするのが忌みきらわれ、またその水は絶対に飲んではならないという。さらに、同年者の死報を聞いた時、ヒシャクに水を汲み柄の方に水を流して飲むとか、葬式のとき左ヒシャクを使うとかいうタブーがいまでも根強く残っている。これらはいずれも、シャクシ・ヒシャクに宿る超自然力による崇りについての戒めであり、またその超自然力をめぐる諸観念のあらわれとみなすことができるであろう。 杓子、及びひしゃくには、昔から多くの民間信仰がある。 ここで気が付いたのだが、昔、お伊勢参りに白衣に菅笠で一本の杓を持っ柄杓を持って行ったというのは、まじないだったのだ!!! 日本には■箒■にも魔力があるという考えたあった。魔女は箒に乗って空を飛ぶから、洋の東西を問わず魔力があると思われていたようだ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.09
コメント(0)
♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・(某国営放送の料理番組の音楽)みなさん、こんばんわ。 天地 はるなの■「ごちそうさん歌」■の時間がやって来ました。寒い夜に暖かいポタージュはいかがですか? 「シネマ食堂」という本を参考にしてみました。では、さっそく、材料から・・・。 ■野菜ポタージュ:材 料 (2人分)■*手羽先 4本(鶏ガラ)でも可。*水 500cc(2はい半カップ)*玉ねぎ 半個*人参 半分*カボチャ 200g*リンゴ 1/4個*バター 大さじ 1/2はい*ローリエ 1枚*塩 小さじ2/3 ■作り方■ 1.手羽先は骨にそって切れ目を入れる。玉ねぎは薄切りに。カボチャは皮をむき、人参とリンゴは皮つきのまま、それぞれ薄切りにする。2.鍋に手羽先、水を入れ、弱火で15~20分、アクを取りながら煮込みスープをとる。3.別の鍋にバターを熱し、玉ねぎをしんなりするまで炒め、人参、カボチャも加え弱火で炒める。 4.3に2のスープ、リンゴ、ローリエを加え、弱火で15~20分煮る。5.ローリエをのぞき、ジューサーでなめらかにする。塩で味をととのえる。スープをとった後の手羽先は、ほぐしてサラダなどに使ってくださいね。私は、手羽先の代わりに、鶏ガラを使いました。手羽先以外は、家にあるものばかりで気軽につくれます。それでは、また、お会いしましょう・・・。♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・。 ポタージュの黄色き椀や冬の夜 天地 はるな 「シネマ食堂」映画「かもめ食堂」「めがね」「プール」のフードスタイリスト、飯島奈美がつくる映画ゴハン。作っておいしい観て楽しい、70のレシピ。 その中で、「野菜ポタージュ」は「食堂かたつむり」から。■食堂かたつむり■恋に破れ、財産を失い、声が出なくなった女性。ふるさとで1日1組だけの食堂を開くと、恋や願い事が叶うというスープが噂になります。■過去のごちそうさん歌■■お好み焼き■■酢醤油卵■■鯖サンド■■大根と豆腐の炒め物■■牛肉とじゃがいものバルサミコ酢煮■■さんまとネバネバ野菜の酢の物■■筍の甘からおかか炒め■■緊急時のオイルサーデン料理■■筍のツナ缶料理■■小松菜とチリメンジャコのたいたん■■冬瓜とろとろ☆中華ステーキ■■玉ねぎパン団子■■簡単料理に愛を添えて■■にぬき■■ツクシ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村
2019.02.08
コメント(0)
■負けんとき■ヴォーリズ満喜子の種まく日々:玉岡かおる【内容情報】(「BOOK」データベースより)キリスト教伝道のため来日し、近江兄弟社を設立したW・メレル・ヴォーリズは、関西学院、軽井沢ユニオン教会などを手掛けた建築家としても知られる。留学から帰国した満喜子はメレルと出会い、周囲の猛反対を押し切って、結婚する。近江八幡に居を構え、幼児教育に邁進する彼女と日本に帰化した夫の前に、様々な因難が待ち受けていたー。二人の愛に満ちた生涯を描く感動の長編。■負けんとき(上)■ かつて播州・小野藩主だった父、朝ドラ「あさが来た」のモデル、広岡浅子の娘婿が兄、 そして夫が、多くの建築を残したヴォーリズ・・・。一柳満喜子は、その娘で、妹で妻。当時としては、高等教育を受けたとしても、満喜子本人が特に偉大というわけではなかったと感じる。●読書メモ●★は私の感想。●ヴォーリズは、広岡浅子の依頼で浅子の娘夫婦のために曽根崎に家を建てる。*建築予定地は、江戸堀から川を二つはさんで北側にある曽根崎の森だ。かつて近松門左衛門が描いた悲劇の心中事件が実際にあった場所で、その界隈はまだ江戸時代からたいして変わらぬ森に覆われ、他にも川の北には南森町、森之宮など森のつく地名が多くある。商業地としての喧騒にある江戸堀とは違い、静かな環境は子供たちにとっても好ましかった。「東京に出張するにも、すてんしょんが近い曽根崎やったら恵三さんも便利やろと考えてのこと。」★かつて大坂のまちは「北船場、南船場、天満」の「三郷」からなっていた。大阪・梅田に、汽車の駅、すてんしょんが出来てから曽根崎などにもまちが広がったのかも。私の元同僚(今80歳)の父親は、すてんしょんと言っていたという。●啓蒙の為の短期講習会を広岡浅子の別荘で開く。参加者の多くは勤めを持つ教師や家庭人だ。その中の一人に、ふーちゃんという子がいた。*「ふうちゃん」とよばれるその受講生もたいして豊かではない農民の出で、十四歳で代用教員になって家計を助けていると聞く。(略)ふうちゃんと呼ばれていたその受講生、市川房江が、やがてアメリカに単身飛び出し、帰国後、男女の差なく国民すべてが国政に参加できる普通選挙を目指して戦う象徴的存在になることは、まだこの日の浅子たちには知るよしもない。●琵琶湖に浮かぶ■沖島(おきのしま)■とメレルの間に熾烈な戦いがあった。★今回初めて知った。●大同生命本社ビル*白亜の建物に周囲の壁には船のとも綱を結ぶためのピクナル・・・ゴシック建築にみられる尖塔が、ぐるり、建物を飾る。●ヴォーリズ夫婦の元には、天皇家に関わる話が多い。*昭和天皇の弟・高松宮が滋賀県・近江八幡に来ている。*大正天皇の妻が軽井沢の満喜子を訪ねてきた。*終戦後、戦犯になるかもしれない昭和天皇がヴォーリズの提言で戦犯として処刑を免れた。その文書は「ヴォーリズ・ファイル」として残っている。*平成天皇が皇太子時代、皇太子の家庭教師ヴァイニング夫人の晩餐会に招かれた。●地味にスゴイ??校閲??■地味にスゴイ!■*「ええ種(し)の家の子供を集める・・・」★これは「えぇ衆(し)」と書くべきでは??*「(あなたは一番上の長兄だもの。)」★一番上の長兄って言葉がダブってる??*以後、僕にとってウィリアム・メレル・ヴォーリズはまだあったことのない(もちろん、今度とも会う予定のない)人・・・★(・・・今後とも・・・)じゃないのか??*が本★が私。自分は誤字脱字の女王なのに、人のことが気になる・・・。(ノД‘)タイトル、「負けんとき」とは、広岡浅子の言葉。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.07
コメント(0)
■メリー・ポピンズ リターンズ■彼女の魔法は、美しい。大恐慌のただ中にあるロンドン。バンクス家の長男マイケル(ベン・ウィショー)は今では父や祖父が勤めたフィデリティ銀行で臨時の仕事に就き、家庭を持っている。しかしロンドンは大暴落のあおりを受け、余裕を失っていた。妻を亡くし悲しみに暮れるマイケル一家に、追い打ちをかけるように融資の返済期限が切れ、家を失いかねない状況に。そんな折、かつてバンクス家に来た魔法使いのメリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)が、20年前と変わらぬ姿で空から舞い降りてくる。 実写とアニメーションを合成したユニークな映像などが評価され、第37回アカデミー賞で5部門に輝いた名作ミュージカルの続編。前作から20年後の大恐慌時代のロンドンを舞台に、母を亡くし悲しみにくれるバンクス家のピンチを、魔法使いのメリー・ポピンズが魔法の力で救う。エミリー・ブラントがメリー・ポピンズを演じる。 オリジナル版の「メリー・ポピンズ」で歌われた、「チム・チム・チェリー」。♪チムチムニィ チムチムニィ チムチムチェリー わたしは煙突掃除屋さんという歌で、煙突掃除夫が出てくるが、今回は煙突掃除夫の代わりに、ガス灯に灯をともす人になっていた。オリジナルから20年が経っているという設定。オリジナル版で7歳くらいだった子どもの20年後って27歳。それなのに、7歳くらいの子どもがいるっておかしくない??電話をするシーンがあったけど、電話があるなら、ガス灯っておかしい!なんてすぐ時代考証してしまうのが私のクセ。そんなことは関係なく楽しめばいいのだ、なんてったって、ディズニー映画なんだから・・・。 沢山のガス灯に灯をともす人が画面いっぱいに自転車で走るシーンは痛快。「メリー・ポピンズ リターンズ」は独立で見ても楽しいがオリジナル版を見ていれば、「ああ、ここが一緒!!( ゚∀゚)人(゚∀゚ ) 」とか、ここが違うという見方が出来て倍楽しい!夢のようにきれいな映画だった。さすが、ディズニー!・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.06
コメント(2)
■写真1■■プラスティック■飲むのには5分くらいしかかからないペットボトルですが、海ゴミとして海に残る期間は450年。プラスチック問題は今、地球規模の問題です。■写真2■近年世界中で、使い捨てのプラスチック製品の廃止が進んでいます。2018に入って、大企業も挙って取り組み始めました。スターバックスは2020年までにプラスチックストローの使用を廃止、マクドナルドやコカコーラはパッケージにリサイクル素材を使うことなどを決めました。イケアは2020年までに全世界で使い捨てプラスチック用品販売を廃止。日本でも、すかいらーくが2020年までにプラスチック製ストローの使用を廃止することを発表しました。ここ一年で、企業のプラスチックフリームーブメントが、急速に加速しています。■写真1■と■写真2■は、昨年行った宮古島の■池間島。■風が吹けば、すぐそばの海に落ちる。プラスチックによる海洋汚染!!■海洋プラスチック問題■以前、琵琶湖湖畔でごみを拾う人を見た。■「ごみを拾う女(ひと):琵琶湖湖畔にて。■池間島では、私も、ペットボトルは拾ったが、全てを拾えない。昨年の10月に行った九州でも海の近くのペットボトルを見た。何とかならないのだろうかと心が痛む。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.04
コメント(2)
■負けんとき■ヴォーリズ満喜子の種まく日々 玉岡かおる明治半ば、播州(兵庫県南部)小野藩最後の藩主の娘として生まれた一柳(ひとつやなぎ)満喜子。封建的な家で育った満喜子だが、平民の通う女学校に進んで、アメリカ人教師から英語やキリスト教の精神を教えられ、神戸女学院では音楽を学ぶ。乳兄弟の佑之進との恋は実らず、傷心の彼女はアメリカに留学することに…。運命に翻弄されながらも、自らの人生を切り開いていった女の姿を描く感動の大作。 関西に多くの建築を残しているヴォーリズ。のちにヴォーリズの妻となる満喜子の物語だが、上巻では、お互いに、ちらっと会うくらいの関係だ。 満喜子は、華族でありながら平民の女学校に通う。平民の女学校といっても、女学校に通えるのは、ほんの一握りの恵まれた階級。だから周りが有名な人だらけ。●先生に「津田塾大学」を開く津田梅子。学友に津田梅子の妹もいる。●のちにヴォーリズが住む近江八幡は、三代目・一柳直末が豊臣秀次の命によって城下町を築くときその町割りを請け負った奉行をつとめた。●版籍奉還の知らせは、大坂の蔵屋敷から川船を使って独自に知らせが伝わる仕組みになっていた。●ヴォーリズはMITに合格していたが経済的な理由であきらめた。一度あきらめたが後に入学する。●日本女子大学校は、広岡浅子の協力が大きかった。敷地には、実家、三井の別荘を提供。資金援助と輝かしい人脈から後援者を募った。●その広岡浅子の娘・かめ子と結婚するのが満喜子の兄、恵三。ふたりの結婚式は東京、大阪と会場を替え、数百人の招待客で盛大だった。●播磨に鉄道を引こうとすると陸上交通の主力である馬方をはじめ、川船の持ち主、船頭たちなど既存の交通従事者らには仕事を奪われるとの不安から猛反対を受けた。●「前の祭り」と呼ばれる山鉾巡行がすんでしまえば、まだまだ続く祭もこれといった見どころがなく、昔から「後の祭り」と言われる諺になったのだった。 満喜子の父は隠居して東京から明石に移り住む。満喜子は、兄が住む、大阪の広岡浅子の家で暮らすが、時々明石にも行く。この時の交通手段はなんだったんだろうと思って調べたら■1888年(明治21年) ◦11月1日:■山陽鉄道により兵庫駅 - 明石駅間 (10M68C11L≒17.46 km)が開業。兵庫駅・須磨駅・垂水駅・明石駅が開業。負けんとき(上) ヴォーリズ満喜子の種まく日々:玉岡かおる■「あさが来た」のあさとヴォーリズは親戚■■ヴォーリズの建築を訪ねる。■■ヴォーリズの小学校は残った。■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.04
コメント(0)
映画史に残る世界の名作を上映してきた「午前十時の映画祭」が、2019年4月にスタートする第10回「午前十時の映画祭10-FINAL」をもって終了することが、発表となった。 長い間、楽しみにしていたのに残念・・・。映画館が遠かったり、仕事をしていたから、見る機会に恵まれなかった名画。仕事を辞めたし、シルバー料金を利用するなど、最近は、毎週のように映画を見に行っている。まだまだ見ていない映画もあるし、もう一度見たい映画もあったのに来年3月いっぱいでおしまいというのは、残念でたまらない。 新作の映画もあるが、新作ばかりでは、つまらない。名画といわれたものには、それなりの価値がある。それは、どんなにヒット曲が出てきても、名曲は、懐メロといった形で残るのと似ている。終了の理由は、金銭的なものだというが、使い捨ての粗悪なものばかりのなかで、名品は、世に受け継がれるように、名画も残っていくべきだと思う。残念・・・。■午前十時の映画祭■■午前十時の映画祭2018*9■■午前十時の映画祭2017*8■ ■午前十時の映画祭2016*7■■午前十時の映画祭2015■■午前十時の映画祭2014■■午前十時の映画祭2013■■午前十時の映画祭2011■■午前十時の映画祭2010■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・
2019.02.02
コメント(4)
■あなたみたいな明治の女(ひと)■嫁姑問題に悩んだ森鴎外の母・峰子、愛鶏家としての高群逸枝、東京初の女性校長になった木内キヤウ、とんでる女・宮田文子…。現代女性と同じような感覚を持って恋に仕事に、そして教育に悩みながら、激動の明治期を生き抜いた8人の女性たちを、身近な感覚でユーモラスに紹介する評伝集。★森峰子―家の女■父の帽子:森茉莉■ ■贅沢貧乏■などで森鴎外一家のことはよく知っていると思っていたが、鴎外の母親の書いた日記をもとに書かれた一文を読んでまたまたいろんな発見があった。●鴎外の最初の妻・登志子との結婚は生き別れ。森茉莉には母親が違う兄、於菟がいた。子ども(於菟)が生まれて一か月しかたっていなかったため、入籍していなかった。●鴎外は最初の妻・登志子と別れた後、隠し妻がいた。名前は児玉せきといい彼女と鴎外の母親とは古い知り合いだった。せきを可愛がっていたが、日陰の身としては認めるものの妻としては無理だったようだ。森峰子は女は家事裁縫さえできれば、文字などしる必要がないという父の命で、正規の教育を受けていなかったために、読み書きもおぼつかなかったが、母の清子に教えてもらい、いろはから勉強し、十七年間にわたって日記を書いた。向上心があり、それを身につける強い意志を併せ持った女性だった。そういう一生懸命なところが、鴎外の妻・森茉莉の母親・茂子とは正反対で二人は仲が悪かった。その様子は、鴎外でさえ、<人力の及ぶ所にあらず>と言った。★富本一枝―家庭の人★網野菊―ひとりの人★小林信子―従の人★福田英子―利発な人著者はこんな英子の言葉を選んで結んでいる。「男は駄目だよ。位階や勲章に目がくらむからね。そこへ行くと女には勲章をぶら下げて喜ぶやうな馬鹿はいないから頼もしいよ」。 ★高群逸枝―愛鶏日記有島武郎と心中事件をおこした波多野秋子のことを「世界から馬鹿が一人減った」と書く気性をもっていた。★木内キヤウ―教育一路キヤウを婦人運動と教育に走らせたのは、昭和3年にハワイで汎太平洋婦人会議に出席することになってからである。日本からはキヤウを含めて6人の女先生が参加した。このとき吉岡弥生や井上秀子が、旅費がかかること、英語を話せないと資格がないことなどの“選考基準”を云々していた。キヤウはこれに発奮して、旅費は地所を売ってつくり、「英語なんかは日本人なんだから、日本語で通す」と決意して臨んだ。万事がこういう女性であった。 ★宮田文子―ひらめきの人著者は宮田文子を知ったとき、「えっ、こういう人が本当にいたの?」と思ったそうだ。まるで小説の主人公。少女期から夢を見ていて、本当にそのような人生を送った。 ◆宮田文子の華麗なる経歴◆京都府立第一高女を出て、親の勧めで結婚し、3人の子をもうけた。24歳でさっさと離婚した。松井須磨子に憧れて女優の卵になったり、政友会の機関紙記者になったりしたうえ、禅寺で知り合った男とあっけなく2度目の結婚。ところが、あまりに嫉妬深いので上海に逃げた。ふと出会った作家の武林無想庵とも偽装結婚してパリに行き、むこうで女優になったら別れようと考えていた。が、何がどう転んだか、無想庵とは正式に結婚式をあげる。それも島崎藤村の仲人で、帝国ホテルで挙式した。そのうえ実際にパリにも行った。パリで無想庵の子を生んだ文子は、その子にイヴォンヌ(日本名は五百子)と名付けて、溺愛をした。パリの可憐な子供服を着せたくなって、子供服と帽子づくりを習いはじめ、暇なときはヨーロッパの観光地に3人で出掛けまくった。パリの噂になるほどの生活ぶりだったが、金はほとんど費いはたしてしまった。帰国して困っていると、資生堂から子供服部門の主任になってほしいという依頼がきて、これに着手。が、すぐに心変わりして帽子に鞍替え、帽子製作所をつくって何百という子供帽子を各地でショーイングした。ふたたび家族3人でパリに渡った文子は、今度は日本レストランを開く。浮気な文子の経営がうまくいくはずもなく、おまけに男関係の噂も広まった。「妖婦」の噂である。文子は日本舞踊を付け焼刃で習ってお金を儲けようとし、大統領の宴会や侯爵夫人の茶会で踊り、ついにはシャンゼリゼの劇場にまで出演する。 それにしても無想庵の原稿は売れない。文子は単身帰国して、稼いだらパリに送金することにした。ゼネラルモーターズに話をもちかけ黄金のシボレーで大阪から東京までを走るとか、日本でも噂になっていた「妖婦」のイメージを売りつつも、あえて母親役になって映画に出るとか、まあ、思いつきを次々に実行に移す。そこへ子爵の令嬢がエチオピアの皇太子と結婚するというニュースが入ってきたので、これだと勘がはたらいた文子はエチオピアにルートがあるアントワープの貿易会社を訪ねるのである。ともかくやることがとんでもない。そうしたら案の定、その貿易会社の社長の宮田耕三と親しくなって、文子が無想庵と別れるなら結婚すると言う。これで迷えば普通だが、文子はまんまと宮田と結婚してしまうのだ。エチオピア皇太子の結婚は破談、しかし、これで文子はもうお金には不自由しなくなった。いままで以上に自由気儘にアイディア・ビジネスをする。子供服・婦人服・紳士服の縫製、古い電車をタダで貰ってのレストラン開店、古代エジプトについての出版、コンゴの写真展‥‥、ともかく手当たり次第なのである。恐るべし、宮田文子ー別格の人・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村
2019.02.01
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1