全31件 (31件中 1-31件目)
1
昨日、日本の自己啓発思想/本に関する本について、要点をまとめましたので、今日はそのついでに宮崎学さんの書かれた『「自己啓発病」社会』という本について、自分に関係のあるところだけ抜き書きしていこうと思います。 この本は、もう随分前に読んだのですが、まあ、研究書ではないし、ああ、また自己啓発本を否定する本ね、って感じで放置していたんですわ。でも、参考になることが書いてないわけでもないので、必要なところだけピックアップしておこうかなと。では、レッツラゴー!〇いま、この国に氾濫する「自己啓発」ブームという現象に、私は大いなる違和感を懐いている。とりわけ、この現象の中心にある「差別化」なる言葉に対してである。/この言葉を私なりに解釈すると――他人と同じことをしていては競争に勝てない。だから他人と違うところが人にわかるように努力しなくてはいけない。もっとはっきり言うと、地位と財を得る競争に勝つためには他人を蹴落としてでも前に進め、というのが、この「差別化」の意味するところだ。そしてそのために「自己啓発」に励み、他人より優位に立つためのスキルを身に付けろ、というものなのである。/この考え方は完全に間違っている。「差別化」が、つまり「自由競争」が貫徹した社会が、殺人事件の50パーセントにおよぶ親族殺人を生んだのだ。/本書は、この「自己啓発」を推し進める論者たちの根底にある「論理」と「精神」の貧困を批判したものである。(4‐5)〇2000年代に日本で自己啓発ブーム到来。そのきっかけは1996年の『脳内革命』。410万部。脳内ホルモンが生き方を変えるので、それが出るように、プラス思考/ポジティヴ・シンキングで行こうという内容。(12)〇1998年、五木寛之の『大河の一滴』で、人生論ブーム。仏教的な諦観に焦点。春山の説の逆のようで、実は同じ。迂回したポジティヴ・シンキング。(13)〇2001年『チーズはどこへ行った』。300万部。〇2002年、日本通信教育連盟が「ユーキャン」に。スキルアップが合言葉。(15)〇2006年から自己啓発ブームに陰り。しかし総じて言うと、1990年代から20年間の自己啓発ブームは、バブル以降の失われた20年に符合する。〇2006年以降の新顔は、池上彰、茂木健一郎、長谷部誠、石井貴士、勝間和代。(18)特に茂木と勝間はニューフェイス。二人とも個人が自己本位に心のコントロールをうまくやれば成功と幸福をゲットできるという、自己中心的ポジティヴ人間の作り方を指南した。(21)〇1980年代のブームは、自己啓発ではなく「自己開発」と呼ばれた。(21)で、自己啓発セミナーが大流行。アメリカで60年代に流行ったエンカウンター・グループ・カウンセリングが流行した。アメリカでのそれは自己回復運動であったが、日本に来た時は利己的な潜在能力開発に変わっていた。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、調子に乗っていた頃の話。国としての全能感が個人にまで乗り移った。(22-3)〇しかし2001年以降は、そういう全能感ではなく、むしろ自分探し。プチ内観。無力感から逃れるためのもの。(26)〇小泉政権の「官を民へ」の動きも、これを背景にしている。自分でできることは自分でやれ、政府に期待するなと。そういう意味での自助が上から押し付けられた。(44)その結果、負け組が主流に。〇2011年の災害復興もそう。自助による復興が叫ばれた。しかし、その結果、むしろ地元は崩壊した。〇2003年、小泉政権はスマイルズの『自助論』を高く評価。結果、竹内均訳の抄訳が売れた。(53)〇竹内による抄訳は、成功者になるための秘訣集のようになっているが、本来この本は品行主義。(69)自助は利己ではないと言っている。(76)〇明治時代に『西国立志編』が受け入れられたのは、明治初年の「勉強立身熱」ゆえ。(91)〇漱石は『文明論集』の中の「模倣と独立」において、「成功」の捉え方を論じ、本来の『自助論』の品行主義を支持。(99)しかし、それを敢えてそう論じたということは、1913年頃にはすでに、この本が出世のための功利的な本と考えられていたことの証左であろう。〇1980年代に『自助論』が復活した背景には、英国病などの影響もあった。先進国では、個人が国家に頼るようになってしまったので、それを糺す意味があった。これに渡部昇一が反応し、自助論を持ち上げた。(104-)〇英国病からの脱出のため、サッチャーが自助論を支持、ついでレーガンが支持、結果新自由主義の価値観誕生。〇日本では中曽根がレーガンに追随し、国鉄・電電公社などの民営化が進んだ。(113)〇終身雇用制や年功序列も崩れたが、結果、日本は幸せになったかと言えば、そうではないと言わざるを得ない。失敗者は努力を怠ったとして切り捨てられる社会に。(133)〇これらは自助の精神を利己と間違って受け入れたから。互助・共助、さらには相互的自助の社会を取り戻さねば。ネオリベラリズムも、スマイルズの自助も乗り越えた、互恵社会を取り戻そう!(212ー) ・・・ってな感じ。 まあ、宮崎学ってこういう感じだよね、っていう感じの本ですね。自己啓発本批判の本なのか、小泉・竹中憎しの本なのか。 他に言いたいことがあり過ぎて、自己啓発本はほんのマクラ、という感じではありますが、ご意見として、伺っておきましょうという感じかな・・・。
August 31, 2022
コメント(0)
『「修養」の日本近代』という本の中で私にとって覚えておくべき部分について、心覚えを付けておきます。後日、利用することがあると思いますのでね。〇現代日本で言われる「自己啓発」の原型が「修養」。〇そもそも「修養」と言う言葉が最初に使われたのは、『西国立志編』の中村正直訳(13)。〇日本の修養ブームは明治三十年代から四十年代にかけて。特に明治38年(1905)頃から「修養」を冠する本が急増。(23)〇きっかけは藤村操の自殺。藤村のようなエリート煩悶青年の心の問題の解決策として修養が出てきた。日清日露戦争の勝利の高揚感と、その後の閉塞感によって生きる意味を失いかけた青年たちへの回答だった。つまり、国家の問題(富国強兵)から個人の問題へと移り変わっていった時代の産物。(24)一部の青年たちは退廃に耽溺し、そうしたことが社会問題として取り上げられるように。(25)〇明治三十年代は立身出世が高等教育を受けたものに限られる時代であり、受験地獄が生じた時代。その結果、進学できない脱落者が生まれ、学歴エリートにはなれないながら、上昇志向だけはもった「成功青年」が登場。煩悶青年から成功青年の時代になった。彼らノン・エリートにとって出世=富の獲得であり、「成功」が時代のキーワードに。実際、1902年に『成功』という雑誌が刊行された。(25)〇この時代、家から切り離され、個人として社会に送り込まれた青年たちを主たる対象として、修養なる概念が生まれ、これを新興の出版文化や、宗教文化が後押しをした。(26-7)〇最初に修養を主張し始めたのは、キリスト教系ライターたち。松村介石『修養録』、植村正久、内村鑑三など。(27)〇松村は、明治二十年代、教育勅語のような、上からの形式的徳育に反対し、個人が主体的に精神性を高めていく修養を訴えた。(30)〇内村鑑三の不敬事件などをきっかけに、キリスト教の排除がうたわれたが、キリスト教系思想家たちは、キリスト教こそ、日本の近代化に必要と考えた。(32)〇明治三十年代に入ると、仏教系思想家も修養の重要性を訴えるように。彼らもまた、修身教育への反発として、自立と自我の確立を促すものとしての修養を考えていた。(35)〇修身と修養では、禽獣と人間の違いがあると(36)。かつては同じようなものと思われていた修身と修養は、明治半ば以降、その違いが厳密に意識されるように。〇この時代の修養支持者たちは、明治維新の直前に生まれた人たち。前近代の成長モデルが失われた後、大人としてのアイデンティティの確立を図ることが必要とされた時代のメンターたちだった。(38)〇修養が言われ始めた頃、登場したのが「宗教家」(44)。彼らは特定の宗派に属するのではなく、超宗派の宗教家で、彼らは各宗派のコアにある教えをまとめた「宗教っぽい」ことを通じて修養の徳を主張した。〇ゆえに大正期のエリート学生らも、教養の一環として、自己変革のために、宗教に近づいた。(47)『歎異抄』、阿部次郎『三太郎の日記』、倉田百三『出家とその弟子』。(49)〇日本の近代化に欠かせない二冊の本が、『学問のすゝめ』と『西国立志編』(51)。〇『西国立志編』は、主体的に自己を向上させると言う意味で「修養」と言う言葉を使った最初の本。特に男性事業家に、この本に魅了された人が多い。(52ー3)〇『西国立志編』は品行主義の本。(55)〇中村正直は『言志録』で知られる陽明学者・佐藤一斉の弟子。(57)漢学者にして儒学者だった中村正直に、『西国立志編』は刺さった。(59)なぜなら、他人の助けを借りないという、王陽明の立志の精神と、『西国立志編』は同じものだったから。〇吉田松陰や藤田東湖ら、武士系の質素倹約の思想も、『西国立志編』と重なるものがあった。(60)〇つまり、儒学的・武士的な倫理と、『西国立志編』は相性が良かったことになる。●スマイルズと中村正直は、どちらも集団の一員としてではなく、個人として社会に役立つ人間を理想としていた。(61)〇貝原益軒の『大和俗訓』は、ベンジャミン・フランクリン的チェックリストの本だった。(61)自らの行いと努力に重きを置く儒学は、Self-Help の精神と相性が良かった。●中村にとって『西国立志編』の魅力は、「国家の進歩は、個人の勤勉、エネルギーや正直さの総和」と言う考え方。(63)→これは『学問のすゝめ』の考え方と同じだ!〇前に述べた「成功青年」の登場に伴い、明治時代後半から、自助努力を富の獲得と結びつけ、修養を通した成功が説かれるようになるのだが、その象徴的人物が村上俊蔵。『成功』誌の創刊者。(67)〇『成功』誌の創刊経緯(68-9)。〇村上俊蔵は『西国立志編』に傾倒していたが、雑誌『成功』は、アメリカナイズされた金儲け主義的なところを帯びていく。(77)〇国木田独歩の「非凡なる凡人」には『西国立志編』の愛読者の主人公が勤勉・勤労によってささやかな出世を夢見る話が出てくる。(82)〇露伴もまた電信技士出身で、彼の『努力論』は、大部分、『成功』誌に掲載された。(82)〇『西国立志編』の品行主義は、ささやかな出世を試みる日本の庶民を励ましただけでなく、その出世ができなくても、人格陶冶したのだからそれでいいのだ、と言う形で、出世できなかった人々をも慰めた。(83)それが非凡なる凡人、である。〇明治末の日本で、オリソン・マーデン流行!〇漱石の『坊ちゃん』にも、マーデンの『前進あるのみ』の話題登場。(85)〇マーデンはその後、ニューソート系のポジティヴシンキングの信奉者となった。その時代の彼の書である『快活なる精神』(1907年邦訳)や『楽天生活』(1910年邦訳)などが日本でも翻訳された。(91)〇マーデン同様、ニューソート系ではトラインが生長の家の谷口雅春に影響を与えた。エマソンも明治末から昭和初期にかけて日本で出版され、ニューソート系の認識を受けていた。(93)ニューソートを現代の自己啓発思想の源流とするならば、それは明治末から大正初期には、日本に既に入っていた。〇人格の向上を目指す修養と、教養が分岐し、修養=ノン・エリートの文化となっていくのは、明治末期から大正時代にかけて。(95)〇『成功』が創刊された1902年から、『実業之日本』も成功譚を売り物に。(99) 1903年からは、他の雑誌も成功記事を掲載し始める。(101)〇明治の終りから大正にかけて、「成功」を売り者にする書物は減少し、ブームは一旦去るが、「処世ブーム」は継続。この頃から、新渡戸稲造が登場。(104)〇新渡戸の『修養』(1911)と『世渡りの道』(1912)は大ベストセラー。〇新渡戸はこれまで大正教養主義の人と目されていたが、大正初期から中期にかけ、教養主義が修養主義から分離独立してエリート文化となると、新渡戸はそちらの方のキーパーソンともなったが、片やノン・エリート向けにも『実業之日本』を主戦場に修養を説くようになった。(106)〇新渡戸はクエーカー教に影響を受けたが、キリスト教宗派の中でもクエーカー教は、むしろ仏教などとも通底する部分があり、その辺りが新渡戸や新渡戸の説く「宗教っぽい」教えには合っていた。〇新渡戸の修養論で引用が多いのは、『言志四録』や『菜根譚』だった。(121-2)〇エリートのための教養、ノン・エリートのための修養という分離はあったが、戦後、その境が曖昧になり、ノン・エリートも教養を目指す時代がくる。それが大衆教養主義。(132)〇しかし60年代に入って高等教育の大衆化が進むと、大衆教養主義も下火に。代わって70年代半ばから80年代にかけ、歴史ブームが始まる。このブームは2000年代に収束。(133)〇1956年、「成功法」に関する書物の出版ピーク。これは明治末期の第一次成功ブームに続く第二次成功ブームのピーク。(145)成功者となるためのハウツーの流行。経営学ブーム。〇しかし1960年代初頭以降、松下幸之助的な日本型経営者にスポットライトが。これはアメリカ式ハウツーへの反省から。アメリカ式経営学一辺倒への反省。むしろ日本人経営者の生きざまが注目されるように。(144ー6)〇松下幸之助の船場バックグラウンド(165)。上方商法の原点は西鶴の『日本永代蔵』。また石田梅岩も人気(168)。そして船場思想には、近江商人の「三方良し」(売り手によく、買い手によく、世間によし)の商法からの影響が大きかった。(169) そして近江商人の商法には、浄土真宗の影響が。その意味では、浄土真宗が日本型資本主義に大きな影響を与えていた。〇1970年代以降、修養は個人のものであると同時に、会社と言う集団の中で取り組まれるものになってきた。(223)〇勤勉に働く社員は、会社にとっても都合がいい。かつて個人の精神向上のためのものであった修養は、サラリーマンの規範ともなった。これが社員研修などの形で表に出るように。(228)〇しかし、バブル崩壊以降の1990年代、会社が研修をすることが少なくなり、自己啓発は再び個人のものに。(238)〇学生文化における教養主義は、昭和40年代から下降、50年代には衰退した。(240)〇1950年代中ごろ、人生論ブーム。また1954年にカッパブックスが創刊され。記憶術などのハウツーブーム到来。60年代には松下幸之助的な経営者論。教養ブームから第二次成功ブームへ。(241)〇1970年代前半、生きがい論ブーム。バブル以降の1980年代後半から90年代は、豊かさの中で失われたものを探すブーム。1990年代後半は春山茂雄の脳内革命ブーム。(242)〇1970年代以降、「ビジネス書」というジャンルが確立。教養主義の後退と軌を一に。(243)〇著者は自己啓発思想における自己責任の考え方に否定的。「修養においては、その曖昧な性格ゆえに、欺瞞や搾取、トラブルが生じることがある。努力すること自体が自己目的化し、疲れ果ててしまうこともあるだろう。努力が苦手な人や、そもそも努力ができない人もいるかもしれない。いくら努力を傾けても結果に結びつかないケースもあるだろうし、自分一人の努力ではどうやっても変えられないような現実もある。それらをすべて本人の自助努力が足りないせいにしてしまえば、その先にあるのは、自分や他者を容認できない、不寛容で息苦しい世界だ」(260)との一文あり。 とまあ、私に役立ちそうな情報は、こんなところかな・・・。 それにしても、これだけ自己啓発本について考えてきた挙句、最終的に、「すべて自己責任にされるのは嫌」という結論になるというところが、私には興味深いですな。 それはともかく、なかなか面白い本でした。私には大いに刺激的な本でありました。
August 30, 2022
コメント(0)
![]()
昨日から引き続き、大澤絢子氏の『「修養」の日本近代』という本を読んでいるのですが、なかなか面白いです。 今日読んでいたところでは、松下幸之助の話が大きく取り上げられていたんですけど、私ももちろん、『道をひらく』なる自己啓発本の著者として注目はしておりました。 ただ、注目すると言ってもおざなりに注目していただけで、『道をひらく』にしてもあまりにも平凡な内容なものだから、ちょっと言及するくらいで済まそうと思っていたわけ。 だけど、大澤さんのこの本を読んだら、松下翁の人生そのものが、日本的な意味での「修養」の一つの型として、非常に鮮やかであることが判明。バックグラウンドを知ると、この『道をひらく』のような凡庸な自己啓発本の裏にある意味も分かって来るという。 裏の意味にも色々あるんだけど、一つはラジオね。 戦前のラジオって、NHK一択だったそうですが、そこで人気番組だったのは意外なことに宗教人による講話だったと。しかし、公共放送だけに、一つの宗教の教義を伝えることはできないので、特定宗教に偏らない、広い意味での、そして誰にも理解できる、倫理的かつ啓発的なお話しが多かったと。 で、そのラジオ放送を聞いて発奮したのが松下幸之助であって、彼もまた生涯、深く宗教に関わりながら、それでいて特定宗教にはかかわらないという、不思議な付き合い方をするわけ。いわば「NHKラジオ宗教番組」的な信念で一生を有意義に過ごしたと。 で、その松下産業が何を作っていたかっつーと、もちろん電球だけど、その他にはラジオだからね。ラジオ。自分に福音を伝えてくれた科学機器ですよ。その恩恵を世間の人にも、っていうね。 うーん、面白い! まあ、日本の「修養」という思想が、世界的な産業すら生み出すという、非常に面白い構図があるわけよ。その辺のことが、この本を読むとよく分かる。 ということで、この本、私にとっては非常に刺激的な本であったのでした。これこれ! ↓「修養」の日本近代 自分磨きの150年をたどる (NHKブックス No.1274 1274) [ 大澤 絢子 ]
August 29, 2022
コメント(0)
昨日、「ようやく本を書き上げた~」などと能天気なことを言ってしまいましたが、ウソウソ。 実は、あれからすっかり油断して、今日はのんびりして、久しぶりに今の仕事以外の本を読もう~、などと思い、最近出たばかりの本を読んでいたんです。 その内の一冊は巽孝之先生の『慶應義塾とアメリカ』という本。もう一冊は、『「修養」の日本近代』という本。 前者は、まあ、巽先生からご恵投いただいたもの。そして後者は、今年、日本の自己啓発思想についてちょっと論文を書く予定があったので、その参考になればと。 で、この二冊を読んでいたら、あーた、自分の書いた本の中に修正すべき点があることが次々と見つかり、その度にパソコンの前に飛んで行って原稿を修正する羽目に。いやあ、冷や汗ものでございます。 ひゃー、良かった~! 出版社に入稿する前で。もう少しで大恥かくところだった。 ちなみに、『「修養」の日本近代』の方は、自己啓発本の話ですから、私と専門が被るところがあって、その意味でも面白く読んでいたのですが、読んでいて、この著者が何を参考にこの辺りのことを書いているか、割と見当がつきました。というのは、私もこの著者が参考にしている本や論文を相当読んでいるから。料理を見て、材料の見当がつくって、すごくない? ま、とにかく、まだまだ安心しちゃいけないんだ、ってのがよく分かりました。反省して、最後の見直し、頑張ります。
August 28, 2022
コメント(0)
ひゃー! ひょっとして、今書いている本を書き上げたかも! この本を書き始めたのは、今年の3月6日のこと。だから半年弱だよね。半年弱で一冊、本を書き上げたぜ! いや、書き上げたってのは、一通り書き上げたということで、実際にはもうちょっとだけ推敲するのだけれど、それにしても1週間あればできる。だから9月6日までなら余裕でしょ。そしたら出版社に入稿だ。 いやあ、9月半ばまでかかるかと思っていたけど、半月早く終わったぜ。やった~。 ほんと、前期の間は、週末もほとんどどこへも行かずにこの本に掛かり切っていたからなあ。しかし、それももう過去のこと。苦労も形になれば、苦労とは思えなくなるのでね。 はあ、しかし疲れた~。 一休みして、一週間程度かけて最後の推敲をしたら、次の仕事じゃ~!
August 27, 2022
コメント(0)
![]()
今日も今日とて原稿書き。ブログに書くことねーなー、と思っていましたけど、一つあった。こういうの買っちゃった!これこれ! ↓ツボスタイル ツボヘッド アカイシ AKAISHI TSU-BO HEAD マッサージグッズ 頭 ヘッドマッサージ ツボ指圧 器具 ボディケア用品/HB-094【ギフト不可】 ま、私が買ったのはフランフランで売っていたヤツなんですけど、形はこれとまったく一緒。007に出てくる「スペクター」のマークみたいなヤツ。あるいは、漢字の「而」みたいなヤツ。要はヘッド・マッサージャーですな。 で、本書きで疲れた頭を、風呂に入った時など、コイツでゴリゴリとマッサージして、凝りをほぐしている次第。 ま、確かにゴリゴリやっていると気持ちいいので、効果はあるのかなと思うのですが、強いて言うならば、フランフラン製のヤツはちょっと締め付けが弱いかな・・・。もうちょっと頭蓋骨をぎゅっと四方八方からツボ押ししてくれるくらい、締め付け力が強い方がいいような。 でも、とにかくコイツで頭の凝りをほぐして、明日もまた原稿に取り組みます。頑張るぞー!
August 26, 2022
コメント(0)
毎日、原稿書きだから、ブログって言ったって、書くことが何にもないのよね。 いや、そりゃ、ワタクシ自身は毎日、疾風怒濤よ。必死で書いているんだから。だけど、事件はパソコンの画面の中で起こっているのでありまして、傍から見たらハシビロコウもかくや、というぐらい、事件がない。事件がないから、ブログに書くことがない。 それでもね、今日も5ミリくらいは前進したぜ。 例えば、引用箇所を見直していて、不要なところに「、」を打ってしまっていたのを見つけた、とか。それで0.1ミリ前進、みたいな感じ。そういうのを1日中やった挙句の5ミリ前進だから。 その話、面白い? 面白くないよね? まあ、でも、あと1カ所、結構、ヘビーなところがあるのよ。これを修正するのに、2日かかるのか、それとも2か月かかるのか。全然、見当がつかない。 ま、この週末が鍵かな。
August 25, 2022
コメント(0)
今日も今日とて原稿書き。毎日少しずつは前進しているので、進度の少なさは、まあ、大目に見ましょう。1ミリでも前進は前進だ。 とは言え、現時点で9割がた、終わっていることは確か。9月上旬には脱稿できるでありましょう。 となると、そろそろ考えなくてはならないのは、次の一手、ですなあ・・・。 さて、どうするか。 今書いている本は、自己啓発本の歴史全般をやっているんだけど、次の本は新書版で、サラリーマン向けとなる。となると、読んですぐ役に立つ方がいい。 となると・・・自己啓発本の良書の紹介、というのがすぐに頭に思い浮かぶ。 しかし、この発想は月並みだよね! 実際、『自己啓発本の名著50』とか、その手の本はもう何冊も出ている。 しかし、月並みだけど、それもあるか・・・。 そうなると、アレだよね。類書と差別化するには、紹介する自己啓発本の選定に工夫を凝らすしかない。意表を突いた選定で、「え、それを自己啓発本として読むの?!」的な驚きを読者に与える的な。 あるいは・・・ 何か、一冊の傑出した自己啓発本を取り上げて、その深読みをやるか。 それもあるか・・・。その場合、取り上げるのは、アレしかないかな。 とまあ、思いは千々に乱れております。 でもね、そういう頃が一番いいのよ。次はどういう本を書くか、漠然と考えている頃が。これがね、書き始めちゃったら、もう苦しいことしかないので。 というわけで、一方で今書いている本の仕上げに取り組みつつ、一方で次の一手をあれこれ悩みつつ楽しんでいるところなのでした。
August 24, 2022
コメント(0)
本を執筆していて、一番困るのは、参考にするべき本が書棚に見あたらないこと。 この家のどこかにある、いや、この部屋のどこかにある、ということは分かっているのだけれど、なにせ書棚には三重に本が置いてあるので、そのどこにあるのかが分からない。で、それを探すのに、ものすごく時間が掛かる。一冊探すのに1時間以上かかることも珍しくないという。 ほーんとに効率が悪い! で、思うのは、広い広い書斎があればな、ということ。 8畳くらいの部屋に通常の机を3つ並べたくらいの長さの机があってさ。27インチ超の大画面パソコンが2台くらいあってさ。書斎の隣にちょっとした・・・そうね、せめて10畳くらいの図書室があってさ。そこに目一杯本が置けるように(もちろん、三重に置かなくても済むように)本棚が櫛状にあってさ。で、それとは別に、やっぱり16畳くらいの書庫があってさ。当面使わない本はそちらにおけるようになっててさ。 ま、そんな書斎があればなあ、こんな、いちいち本の山の中から資料を探し出さなくても済むのになあ。 宝くじ当たらないかな。 まあくじは当たらないだろうから、ベストセラーで当てましょう。さて、とりあえず探している本を、もうちょっと探してみましょうか。
August 23, 2022
コメント(0)
いやあ、びっくり。まあ、いい意味でのびっくりですが。 私のゼミ生で、本来であれば昨年卒業するはずだったのがおりまして。 まあ、いわゆる鬱でね。大学に来れなくなってしまって、それで卒論も書けなかったと。 で、今年の4月から心機一転、9月卒業を目指すことにしていたのですが、6月ごろにまたしても鬱再発。で、ぷっつり連絡が途絶えてしまったと。 で、何度かこちらから連絡したものの、向こうからは全然音沙汰がなかったので、これはもうダメかなと思い、まあ、いいや、来年3月の卒業を目指せば・・・と思っていたのですが・・・ 今日、9月卒業予定者向けの卒論提出最終日に、なんと、そのゼミ生が卒論を出したとの連絡が! うっそ~! そうなの?! 出したの? っていうか、出せたの??!! というわけで、指導教授である私のチェックが一切入っていない卒論が提出されたのであります。 いや、別にいいんですよ。卒論っていうのは、もともとそういうものだから。本人が書いて出せばいいだけの話であって。私だって、学生の時、指導教授に一切の指導を受けぬまま卒論を出しましたからね。 しかし、よかった、よかった。これで彼の9月卒業の目途が立った。卒業させるまでが私の仕事なのでね。 とまあ、今日は晴天の霹靂というか、意外な展開に驚きつつ、ことの次第を喜んでいるワタクシなのであります。
August 22, 2022
コメント(0)
担当している8月分の文芸時評、どうにかこうにか書き上げちゃった。 今月は松浦寿輝さんの「香港陥落」と、蓮実重彦さんの『ジョン・フォード論』を取り上げることに。他にも、対談もので面白いのが二つほど(吃音論と、「AIに小説は書けるか」論)あったのですが、紙幅に限りがあるので取り上げること能わず。仕方ないですね。 一方、小説の方は、今月もろくなのがなかったねえ・・・。ほんと、これ、マジかっていうような、得体の知れない小説ばっかりでございました。取り上げるにしたって、取り付く島がないっていうようなものばっかりだからね・・・。評するったって、そもそも評するべき何かになってないんだから、どうしようもない。 それにしても、2回目ともなると大分、慣れてくる。何でも、慣れるもんだなと。 だから、どんなチャレンジでも、実際にやってみないとね。やってみれば、やれるし慣れることが分かるんだから。 まあ、いい勉強をさせてもらってますよ。
August 21, 2022
コメント(0)
![]()
先日、実家から名古屋に戻った際、東名・足柄サービスエリアでこんなものを買ってしまいました。サガミ食品の「ピスタチオ・スプレッド」。これこれ! ↓SAGAMI ピスタチオスプレッド 200g で、今日のお昼、これをトーストしたパンに塗って食べたのですけど、これが激うま! スプレッドと言っても、結構、しっかりした・・というか、ぎっしりした感じのもので、マーガリンのようにすらすら塗れるというのではなく、もうちょい固い感じ。しかし、そのずっしり、ぎっしりしたところがむしろ宜しい。甘さも控え目で、ピスタチオの風味も豊か。これはおススメです。 さて、本日のワタクシは・・・相変わらず一日中書き物仕事。確実にゴールに向かっているとは思うのですが、なかなかね。そうおいそれとはゴールインできないという。 しかし、急いだって仕方がない。早くゴールしてはやく入稿したい気はありますが、本が出てから、あそこをああすれば良かった、ここをこうすれば良かったと後悔するぐらいなら、今、しっかり納得するまで推敲した方がいいですからね。 まあ、頑張ります。
August 20, 2022
コメント(0)
毎日暑いなあと思っていましたが、今朝は妙に涼しくて、久しぶりにエアコンいらず、という感じでした。もうすぐ処暑というのも頷けると言いましょうか。 朱夏・白秋と言いますが、先日までの太陽光が炎のような朱色だったのに対し、今朝の陽の光は白く見えた。ああ、暑いとは言っても、この陽光の感じは秋だなと。 季節ってのは、知らない間にちゃんと回っているのね。 さて、今日も今日とて書き物仕事。なんですが、先日大学から「生涯生活設計セミナー」というのをオンライン受講するように命じられておりまして。 まあ、定年までそろそろカウントダウンという年齢ですと、こういうものを受講しなくちゃいけないわけね・・・。 で、仕方なく受講していたのですが、まあ、講師の人が定年後の人生設計について、可もなく不可もないようなことをあれこれ言っておりましたわ。 とはいえ、全く面白くないわけではなく、たまにはへえと思うこともある。 例えば、老後の時間ね。 20才くらいから65歳くらいまで一日10時間、年間250日働くとすると、11万時間くらい働くことになる。ところが65歳から90歳まで、一日16時間の余暇が一年365日あるとすると、全部で14万時間くらいある。 つまり、一生のうち、働いている時間と、定年後の余暇を比べると、定年後の余暇の方がよほど多いことになると。 だから、この一生の労働時間より多い老後の時間をいかに過ごすかが重要になってくる、という話になってくるんですけど、この数字ってのは、ちょっと面白いなと。 なるほど、そう考えると、老後って時間があるのね。ならば、やりようによっては、老後から何か大きい仕事を成し遂げるのも可、というわけだ。 今日、聞いたオンライン講話の中では、ここのところが一番、ハートに刺さりました。 まあ、私のような研究職ですと、労働時間の大半を教育的側面に持っていかれるのであって、そういうのがない老後は、すごく沢山研究が出来、本が書けると言う話ですよね。 でも、こういう話は、その前提として、「健康ならば」という前提がつく。 やっぱ、今後の課題はそれだな。健康。まずは健康に気を遣って、その残された膨大な時間をいかに活用するか。 おーし。なんだかやる気が出てきたぞ!
August 19, 2022
コメント(0)
デザイナーの森英恵さんが亡くなりました。享年96。 それにしても、8月頭までお仕事をされていて、9日に具合が悪くなり、11日に亡くなったなんて、まあ、なんという見事な大往生。できるものなら、私もこういう死に方をしたいもの。 いや、死に方だけでなく、生き方がすごいですよね。ちょっと前に読売新聞に森英恵さんが自分の人生を語る記事が連載されていましたけど、それを読むだに、一人の人間に一生の間にこれだけの仕事、これだけの経験ができるのかと舌を巻くほど、すごい大冒険をされている。100年近い人生をこれほど活用されたなんて、素晴らしいの一語ですな。楽しい人生だったでしょうね。 私も願わくば、あと30年! 精一杯仕事して、沢山の本を書いて、ああ楽しかったといって、ぽっくり死にたいものでございます。 さてさて、実家における私の夏休みも今日でおしまい。今日はこれからケーキとお茶を楽しんでから名古屋に戻ります。名古屋に戻ったら、文芸時評の仕事を仕上げて、今書いている本を仕上げて、次の本に取りかからなければ。 それでは明日からはまた名古屋からのお気楽日記、お楽しみに~!
August 18, 2022
コメント(0)
今日は母の4回目のワクチン接種で、会場までクルマで送り迎えしましたが、モデルナの交差接種であったにもかかわらず、副反応などはまるでなし。さすが齢90ともなると、最強ですな。 それはさておき、今日の我が家の夕食は洋食、そしてそれに添えたパンはホーム・ベーカリーを使った自製のパン。私は初めて食べましたが、やはり出来立て、焼き立てのパンですから、美味しいものでした。 そういえば父が生きていた頃、当時80歳を越えていたと思いますが、あれほど機械が苦手の父にして、ホームベーカリーの使い方をマスターし、夜寝る前に自分で小麦粉やらイースト菌やら砂糖やらマーガリンやらを投入し、なんだか鼻歌まじりでセッティングしていましたっけ。それで朝起きる頃に、パンの焼けるいい匂いで起こされ、朝飯には焼き立てのパンが食べられるというのが父のお気に入りで、結構楽しんでいた。 で、そうか、父が楽しんで食べていたのはこれか、と。 ま、ただ、焼き立てのホヤホヤの時はいいものの、時間が経つと皮の部分が少し硬くなってしまうのが玉にきずですかね。 でも、まあ、これだけのものが焼き立ての状態で食べられるのなら御の字。私もちょっと興味が出てきました。名古屋の自宅でも買っちゃおうかな? とまあ、そんな楽しい夕餉となった次第。
August 17, 2022
コメント(0)
お盆の時期は過ぎてしまいましたが、今日、父のお墓参りをして参りました。 で、それはいいのですが、残念なことが一つ。 父は生前、アジサイの花が好きだったので、今年の6月の命日に、お墓にアジサイの苗を植えたのですが、今日見たら、見る影もなく枯れ果てておりました・・・。 まあね! 6月に植えた直後から真夏のような暑さが2週間くらい続いてましたからね。アジサイのように水を好む花を育てる環境ではなかったということでありましょう。 実は一昨年にもお墓にアジサイを植えたのですが、これで2年続きの失敗ということになる。アレかな、お墓にアジサイというのは無理だったのかな。 っつーことで、考えを変えました、次はムクゲを植えてみることにしようかなと。 実は父はアジサイも好きでしたが、夏の盛りに咲くムクゲも好きでね。だから、自分のお墓にムクゲが咲いたら喜ぶだろうなと。 で、ムクゲをネットで調べたところ、「盛夏に咲く花で、極めて強健」などと書いてある。極めて強健とはまた、ずいぶん頼もしいではありませんか。これなら、植えて放っておいても、強健に育ってくれそうです。 ということで、次に来るのは9月かと思いますが、その時にはムクゲの苗を持って行って、お墓の脇に植えてあげることに。題してムクゲ・プロジェクト。今度こそ、成功させねば!
August 16, 2022
コメント(0)
![]()
お盆には滋賀から義兄も遠路駆けつけてくれたのですが、その義兄がお土産に持ってきてくれた滋賀のお酒が美味しかった。これこれ! ↓岡村本家 長寿金亀 赤 生原酒 720ml【クール便発送】(限定品)※12本まで1個口で発送可能お中元 暑中見舞い ギフト 御祝 熨斗 「金亀」というネーミングも縁起がいいですが、このお酒の特徴は、玄米で仕込んであること。そのせいか、日本酒とは思えないほど、薄い琥珀色をしておりまして、味にもパンチがある。 で、そういうものなので、和食はもちろん、中華料理にも合うし、洋酒の合う料理にも合う。例えば、ナッツなどをつまみながら、あるいはチーズをつまみながら、というのでも行けそうです。 ということで、我が家ではこのところ金亀祭りなんですけど、楽天でも販売しているようなので、興味のある方は是非! 教授のおすすめ!です。
August 15, 2022
コメント(0)
![]()
今日は小学校以来の親友と会う約束があったのですが、直前になってキャンセルの電話がかかって来まして。 聞けば、昨日まで一緒に働いていた同僚がコロナと判明し、濃厚接触者になってしまったと。 はあ~。なるほど。そうか、ついにコロナは親友の近くまで来たか。 というわけで、ぽっかりと予定が開いてしまったワタクシ。仕方なく、というわけではないのですが、今度出す本の推敲をしておりました。順調に三章分をこなし、まずまずの手ごたえ。 それから、時間に余裕が出来たので、晩御飯を作るのを手伝ってしまった。 今日、私が作ったのは、味の素の CookDo を使った一品。これこれ! ↓味の素 CookDo(クックドゥ) きょうの大皿 厚揚げそぼろ煮用 100g×10個入| 送料無料 一般食品 調味料 まずは卵二個を軽く炒め、取り出しておく。同じ鍋で豚のひき肉を150グラム炒め、炒まったら、本品と水100ccを入れ、軽く混ぜる。そこに厚揚げを刻んだものとニラを刻んだもの、それにエノキタケを半株ほど投入。3分ほど煮たら、先に炒めた卵を再投入してひと煮立ちで完成。ものの10分で完成ですわ。 ちなみに、上の材料の内、エノキタケと卵は私のアレンジね。 で、完成したそぼろ煮ですが、家族には好評でございました。自分としても、割とよくできたのではないかと。 っつーことで、今日は残念なこともあり、その分、時間を有効活用したこともあり、ってな感じの一日でございました、とさ。
August 14, 2022
コメント(0)
このところの懸案の文芸時評ですが、もう書いちゃった。書いちゃったというのはウソだけど、大半、書いちゃった。あと、二、三点について付け加えるだけっていう感じかな。 もうね、私も書く方のプロだから、こういうの書けって言われたら、すぐコツが分かっちゃう。今回、二回目にして、文芸時評の書き方は押さえたって感じ。 第一回目の時は、もう、片端から全作品読んで、それから何について書くか悩んでいたけど、今回は、一冊の文芸誌を前にして、まず、その雑誌そのものに耳を傾けることにした。 例えば表紙を見る。すると、表紙に載っている字の大きさから、この文芸誌のこの号では、編集部として誰のどの作品をまず第一に読んでもらいたいと思っているかは大体わかる。そりゃそうだよね、でかでかとした書体で作家名とか小説のタイトルを載せていたら、ああ、今月号ではこれがウリなんだなってわかるじゃん? だからそれを相手にする。っていうか、それだけを相手にする。 あと、掲載順もそうだよね。掲載順だって、作家名や小説のタイトルのあいうえお順で載せているわけではない。普通、イチオシの作品を巻頭に持ってきたりするわけでしょ。それも立派な情報だ。 とまあね、そういう、雑誌そのものが発している情報を読み取って、どれを読めばいいのかを最初に判断しちゃうわけ。そうしたら、もう文芸時評なんて書くの簡単よ。だって時評で取り上げられる作品数なんて5つか6つくらいだもんね。それを5誌から選ぶとしたら、1誌から1つか、せいぜい2つしか取り上げられないもん。どれを選ぶべきかなんてすぐ決まる。決まれば、それ、やるだけだから。 というわけで、文芸時評の省エネ投法は身につけたぜ。 だけど。 さすがにねえ。文芸時評初心者が二回目から早くも省エネ投法し始めたのではアレだよね、可愛くないよね、っていうのも承知しているわけ。 だから、ババっと見繕って、大枝だけは描いちゃうんだけど、若干スペースを残しておいて、そこに小枝を描く用意だけは残しておく。で、その小スペースに取り上げられるような佳作を、今、落穂拾いのように拾っているところ。ほとんど書いたけど、書き上げたわけではないというのはそういう意味。 で、ほとんど書いてしまって、締め切りまで余裕しゃくしゃくという感じにしておくと、気持ち的に焦りがないから、むしろじっくり読めるというね。だから、落穂拾いにも良心的に時間をかけられるという寸法。 やっぱり、どんなジャンルでも、実際にやってみるというのは大事。文芸時評も、やってみて良かった。色々勉強になるわ~。
August 14, 2022
コメント(0)
ひゃー、夏休みということで、実家に戻って参りました~。 何もトラブルがないと、名古屋から実家まで大体4時間なんですが、今日は7時間かかってしまった。まあ、足柄を越えて断続35キロの渋滞だとそうなりますわなあ。 二年前は、帰省するにしても高速道路がガラガラで、あれはあれで良かったなあ・・・。もう、普通のお盆渋滞だもんね。 とはいえ、こちらも90歳の母を抱えた身、コロナを持ち込むわけにはいかないので、帰省したとはいえ、ほぼ、蟄居だな。 それでもね、やはり職場から物理的に300キロの距離を置くと、気は楽でございます。この気が楽というところがいいのよ。やっぱりね、実家にいると、一日が長い気がする。だから、仕事もはかどる。 ということで、1週間ほどの滞在予定ですが、何とかこちらにいるうちに、片づけられる仕事は片づけてしまいたいなと。 ってなわけで、しばらく実家からのお気楽日記、お楽しみに~。
August 13, 2022
コメント(0)
相変わらず文芸時評用に文芸誌を読み漁っておりますが、今日は『群像』に出ていた松浦寿輝の「香港陥落――Side B」という小説を読んだところ、これはまあまあ読める小説で、ちょっとホッとした次第。 で、もちろん松浦寿輝の小説を読んだのは初めてですが、この人はもともとフランス文学を講じる大学の先生だった、ということくらいは知っている。英文と仏文の違いこそあれ、ある意味、同業者っていうね。 ま、それはいいんですが、この人の小説を読んでいて、ちょっと面白いなと思ったのは、内容もさることながら、小説の中の会話の書き方ね。 小説の中で登場人物に会話をさせる場合、地の文と区別するために括弧をつけた上で会話部分を独立させるのが普通ではないかと思うのですが、この人は会話を描くのに括弧を一切使わないの。地の文との区別もない。 だから、どれが地の文で、どこからが会話なのか、分からなくなる・・・ような気がするのだけど、実際にはそうならないのね。まったく不自然な感じがなく、地の文と会話部分の区別はつく。 その感じは、ちょっとね、落語のような感じがするんだなあ。 落語だと、噺家が一人で何人もの会話を演じるでしょう? しかも会話に入る前の状況説明もしなくてはならない。だけど、それを聴いている我々は、どれが説明で、どこからが会話なのか、ちゃんと分かるし、会話にしても、誰と誰がしゃべっているか、すぐに区別がつく。 あの感じとよく似ているのよ、松浦寿輝の小説は。で、それを読みながら、これはこれで一つの芸だなと。 ま、そんなことを味わいながら読んでいたので、結構面白かった。 ただ、私は現代日本文学というものを日ごろほとんど読まないので、こういう松浦寿輝の芸風というのが、もう誰でもが知っていることなのか、どうなのか。その辺のことが全然分からない。有名なの? 松浦寿輝の特異な会話体って?? その辺、よくご存じの方がいらしたら、ご教示ください。
August 11, 2022
コメント(0)
文芸時評をするもので、『新潮』『すばる』『群像』『文學界』の4誌をざっとナナメ読みしてみたんだけど、まあ、読むものがない。例の井上荒野の「ぴぴぴーズ」も読んでみたが、まったく意味が分からない。山田詠美の作品も読んでみたが、下品なだけで何らかの価値があるものとはとうてい思えない。 もう、本当、お手上げだわ。こんなレベルの小説について何をどう書けば時評になるのか、さっぱりわからない。 で、ふと思ったんだけど、上に挙げた4誌を選んだのがひょっとして間違いだったのではないか? たとえば、『新潮』ではなく『小説新潮』を選んだら、少しは読むものがあったのではないか? 同様に『すばる』ではなく『小説すばる』には、もう少し小説らしい小説が載っているのではないか? 『文學界』ではなく、『文藝春秋』を選ぶべきだったのではないか? なんか、そんな気がしてきた。探す場所を間違えていたってことは、あり得るよね! ちょっとまた本屋に行き直して、そっち系の文芸誌を買ってみよう。ちょっとは希望が出てきましたわ。
August 10, 2022
コメント(0)
![]()
歌手のオリビア・ニュートン・ジョンさんが亡くなりました。享年73。随分前から乳がんを患っていたとはいえ、73歳とは早すぎる死でした。 オリビアと言えば、私の世代からするともう「そよ風の誘惑」ですよ。1975年の曲ですから、私は当時12歳。11歳の時から洋楽に目覚めた私としては、私の洋楽好きを一層押し進めるほどインパクトのあるヒット曲でした。もっとも、当初は歌詞もよく分からず、「そよ風の誘惑」っていうぐらいだから、恋の歌、惚れた腫れたの歌なんだろうと勝手に思っていましたが、歌詞が分かってみるとアレだよね、自己啓発の歌だよね。これこれ! ↓そよ風の誘惑 しかしその後、オリビアは世界的な人気を背景に素朴なカントリー系歌手を卒業、「マジック」のようなちょっと妖艶な歌を歌ったり、あるいは映画『グリース』に出てはっちゃけたり、さらには「フィジカル」なんて曲を出してさらに妖艶路線を行ったり・・・。「そよ風の誘惑」で彼女のことを知った私としては、何だか段々彼女が遠い人になっていくような気が・・・。「困っちゃうな」の山本リンダが、いきなり「ウララー」とか言い出した時のような面食らい方をしたものでございます。グリース時代のオリビア その後、環境問題に身を入れ始めてから、日本の捕鯨を批判したり、さらに遠い人になってしまった感もありますが、それでもね、私の洋楽歴からすると、初恋の人みたいなところがありますから。色々あっても憎めないっていう。 実際、数年前にターンテーブルを買い直して、中古LPレコードを買って聴くようになってから、オリビアの『そよ風の誘惑』を買い、今なお時折聴いています。このアルバム、小学生の時は買えなかったもので。で、それを聴くと、やっぱり今でも小学生時代の気分に戻れるという。 というわけで、私にとっては懐かしいオリビア・ニュートン・ジョンさんのご冥福をお祈りいたします。合掌。これこれ! ↓そよ風の誘惑 [ オリビア・ニュートン・ジョン ]
August 9, 2022
コメント(0)
昨日も書きましたが、8月の文芸時評を担当しているもので、文芸誌山積みで読破しなくてはならないのですが、まあ、私にとってはつまらない文章ばかりで、これを読み切るのが辛い辛い。 で、あんまり辛いものだから、ついその仕事を避けて、自分の本の原稿執筆ばかりしているという。 この前まで本の原稿を書くのが辛くて仕方がなかったのですが、それよりもっと辛い仕事が来ると、相対的に原稿書きの仕事の方が楽な気がしてくるというね。 で、思うのだけど、結局、辛い仕事をこなすためには、もっと辛い仕事を引き受ければいいのではないかと。そうやって、相対性を操作していけば、理論的には、どんな辛い仕事も出来るんじゃね? これを名付けて「相対性理論」という。なんちゃって。 とにかく、そんな具合で、ついつい原稿を書いちゃうものだから、この数日、原稿がススム君。なんだかんだで、ゴールが見えてきたという。 はあ~。3月頃から書き始めて、結局前期一杯かかって、一応、大まかな全体像が浮き上がったって感じかな。もちろん、現状、粗削りなものでしかないので、ここから血を吐くような推敲作業に入るのですが、それでも推敲するブツがあるのは気が楽よ。ここから先は創作ではなく改善だから。 出来はねえ・・・、分からない。いいのか悪いのか、自分では分からん。まあ、しかし、いつものように情報量は満載だから、悪くはないだろうと思うのだけどね。 というわけで、こちらの仕事は目鼻がついてきたのだけど、それはつまり、文芸時評の嫌な仕事に取り掛からなくてはならないということを意味する。 ふうむ。文芸時評に身を入れたくなるほど、もっと嫌な仕事ってないものか!
August 8, 2022
コメント(0)
ひゃー、嫌なことはさっさと終わらせようと、昨日は骨を折って、期末試験の採点を一気に終わらせちゃった! ということで、今日は「前期終了~! のお疲れ様会」と称し、夜は外食しちゃった。と言っても、別にごちそうを食べたということではなく、自宅から歩いて行ける範囲にある街中華に行って、定食モノを食べたというだけですが。でも、レバニラに唐揚げ、美味しかった。 さて、それはいいのですが、今日は8月7日ですよ。7日と言ったら、何ですか? そう、文芸誌の発売日。ということで、『新潮』『文學界』『すばる』『群像』の4誌を買い込んでしまった。私は8月の文芸時評を担当しているので、これからこれらの文芸誌を読んで、時評しなくちゃいかんのよ。 で、帰宅してからちょっと読み始めたんだけど・・・まあ、相変わらずだねえ。面白くないわ~。いや、これを面白いと思って夢中で読む人もいるんだろうけれども、私には面白くないねえ。 で、うんざりした顔でこれらの文芸誌をぺらぺらめくっていたら、家内が横から覗いて、「あら、井上荒野があるじゃない」と。 面白いの?と聞くと、面白いと言う。ふーん、そうなんだ。なら、せめて一つだけは時評する価値のあるものがあるのか。 すると家内が言葉を続けて、「でも・・・井上荒野は作品の出来不出来の差が激しいから、それが面白いかどうかは分からないよ」ですと。 どれどれ、井上荒野の今月号のタイトルは・・・「ぴぴぴーズ」か・・・。 終わったな、多分。「ぴぴぴーズ」というタイトルの小説で、面白い小説があったためしがないからな。
August 7, 2022
コメント(0)
いや、何も私が週刊誌から書評を頼まれたという話ではなく。 私の敬愛する某書評家・ライターの方のブログを見ていたら、某週刊誌の書評の仕事が打ち切られることになった、という話が書いてありまして。 で、なんとその方は、その週刊誌で30年間も書評を担当していらしたと。 30年だよ、30年。毎週、毎週。それを聞いただけで、私なんか卒倒しそうだ。プロのライターってのは、すごいね。 で、その方曰く、家のローンもその仕事で支払ったと・・・。 ふうむ・・・。有名週刊誌の書評を担当するということは、家のローンがそれで払えるものなのか! まあ、そんな大変な仕事だから、それだけペイもいいということなんでしょうけれども。 ちなみに、その方がその週刊誌の書評の仕事を失ったのは、週刊誌の編集方針の変更ゆえだそうで、書評のページがぐっと縮小されるらしいんですな。まあ、時代の流れはそれほど、読書子を軽視する方向に流れておると。 ブログの書きぶりからすると、この週刊誌の仕事が無くなるのは、経済的に相当大きなダメージのようでしたが、筆一本で生きていくというのは、やっぱり大変なんですね。 まあ、筆に限らず、何でもそうか。ピアノの腕一本で生計を立てるとか、写真の腕一本で生計を立てるとか、そういうのだって実際に出来る人なんて、そう沢山はいないだろうしね。 そう考えると、私なんぞ、大学で教える仕事があってラッキーでした。不満タラタラだけど、本当はもっと感謝して、ありがたく大学の仕事もしないといかんのでしょうな。
August 6, 2022
コメント(0)
高大連携授業というのを割り当てられたもので、今日は附属校の高校生を前に、一席、ぶって参りました。お題は「アメリカの学校制度」。 まあ、あれだね、お目付け役の先生方が何人か貼りついているというのもあってか、60人くらいの高校生はみんないい子で、静かに耳を傾けておりましたわ。 しかし、高校生に夏休みなどを利用して、大学の授業を聞かせる「高大連携」っていうシステムは、どうなのかね? 生徒にとって有意義なものなんだろうか? 「高大連携」という概念そのものに反対される大学の先生ってのは、昔から結構いる。その人たちに言わせると、「高校と大学は連携していない、別々のものだ」というわけ。 つまり、高校までは受動的に「教わる」授業を受ける場所であって、これに対して大学は「自分で学ぶ」場所であると。両者はまったく異なる概念に立つインスティテュートなのだから、それを連携させる必要はない、というのですな。むしろ、大学に入って、あまりの違いに驚くべきだと。 一方、高校生のうちに大学の在り様を見ておくと、大学受験のモチベーションアップになる、と唱える人もいる。 どちらが正しいのかね? どちらもある程度は正しいのだろうけれども。 まあ、私は基本的には前者の立場だけど、仕事を割り当てられれば、高校生相手にいい授業をして、大学が魅力的なところであることはアピールする。ま、常識人だからね。その程度のことはするわけよ、たとえ高大連携反対の立場ではあっても。 で、授業後、小さな女子高生がトコトコやってきて、小さな質問なんかしてくると、かわいいなあ、という気にはなる。やって良かった~って。 というわけで、この暑い中、俺は一体何やらされているんだろう?とは思いつつ、それなりの充実感は得た今日のワタクシなのでございます。
August 5, 2022
コメント(0)
毎日暑い日が続いておりますが、まあ、これだけ暑いとね、少なくとも家に居る時はどうしてもラフな格好になるわけでありまして、私も家ではTシャツを着ていることが多い。 ところが。 まあ、似合わないのよ、Tシャツが。私は。それはもう、ビックリするくらい。 ちなみに、自慢ではないですが(と言いながら、いつもながらの自慢ですが)、私はスタイルのいい方でありまして、特に足の長さが自慢。なので、スーツ姿には割と定評があります。 ところが、これがTシャツ姿になると、まあ、似合わないのね。なんだろう。どうしてなんだろう? 首回りの感じかなあ?? とにかく自分で自分のTシャツ姿を映して見ると、本当に似合わなくて笑っちゃうんだけど、その似合わない感じが、何だか誰かに似ている気がする。 誰かなと思って考えたところ、アレだ、と気が付いた。村上春樹。 村上春樹も、Tシャツ姿の似合わない人だよね! その割にあの人はTシャツが好きで、いつでもTシャツを着ているけれど。私がスタイリストだったら、絶対にそんなことさせないのに。 だから、日本でTシャツの似合わない男を二人選べと言われたら、私なら「村上春樹と私」と答える。 とにかくね、あまりにも似合わないので、私のTシャツ姿は家の中限定。暑くても、ポロシャツを着て、さて、そろそろ道場に出掛けるかな。
August 4, 2022
コメント(0)
なんか大学からずっしりとした封筒を渡されたと思ったら、なんと、その中身は、定年退職の準備のためのパンフレットやら、講座やらの連絡でした。 はあ~。自分ももうこういう準備をしろと肩を叩かれるような歳になったのね~。 で、見るともなく冊子を見ていると、老後の心得が色々書いてある。健康に気を付けろとか、環境が劇変するので、欝にならないようにしろとか、お金を節約しろとか、まあ、景気の悪い話が色々と。 しかも、老後に備えるためのビデオを視聴しなくちゃいけないんですと。それも3時間も! くそう、年寄り扱いしやがって・・・。 しかし、まあ、現実問題として、定年まであと数年だからね。そういう事も、確かに備えておかなければならないのかも知れませんな。 それにしても、私は一体、定年になったらどういうことになるんだろう? 今はまだ、原稿書く時間が増えて超嬉しい~とか思っているけど、実際に定年になって、毎日が日曜日になったら、もうやる気がなくなって、毎日酒浸りとか、そういう風になるのかな?? なってみないと分からないわね。 まあ、せめて現役の内に大いに仕事して、定年後にも原稿の依頼が来るように、頑張らないといかんですな。
August 3, 2022
コメント(0)
ひゃー、今日、担当授業の期末試験が終わって、ようやく前期が終了しました~。 どこもそうなのかは分からないけど、国立大学って、今頃まで授業やっているんだよね・・・。アホちゃう? このクソ暑い時期まで・・・。それもこれも、前期後期とも16週授業しろとか、文科省がアホなことを言い出すからこういうことになるんだけど、おかげで、大学はどこもかしこもエアコン・フル稼働で、エコロジーと逆行すること甚だしいったらありゃしない。私立大学とかだとゴールデンウィークとか国民の祝日とかも授業やっちゃうので、もう少し早く終わるところもあるけれど。 まあ、しかし、これでようやく夏休みだよ。小学生に遅れること二週間って感じかな。 でまた、コロナ前までは、前期の授業が終わったところで、近所の焼き鳥屋さんに家内と一緒に行って、お疲れ様会をするのが定番だったのだけど、コロナ禍ではなかなか飲み屋に行くというのもはばかられるところがあって、そんなささやかな庶民的娯楽すらも出来ないっていうね。まあ、それは文句を言っても仕方ないけれど。 でも、まあ、とにもかくにも夏休みだ。めでたい。 この夏は、色々やらなくちゃならないことがあるけれども、その第一は、来年早々に出す本の原稿を仕上げること。今のところ8割方書いてあって、後残りの二割と、既に書いた部分の推敲をしなくてはならない。大変だけど、これはやりがいがある。 あとは、8月分の文芸時評を書かなくてはならない。これは、二週間ほど時間を取られるので、なかなか大変。 まあ、この二つで8月は終わるな。 でも、自分の仕事に打ち込める時間がたっぷりあるってのは、やっぱり嬉しい。 おーし。夏休みが終わった時に、仕事やったぞっていう充実感が得られるように、もう明日から頑張るぞ!
August 2, 2022
コメント(0)
![]()
ヴァイオリニストの佐藤陽子さんが亡くなりました。享年72。現代の基準から言って早すぎる死と言っていいでしょうか。 なにせ私は池田満寿夫ファンであり、池田満寿夫の本のコレクターなもので、当然、晩年のパートナーであった佐藤陽子さんのことは、池田満寿夫のエッセイ等を通じて知っているということになりますが、その限りで言えば、満寿夫の晩年は陽子さんの存在なしには考えられないというほど、ベストカップルだったようで。 池田満寿夫という人は、女性に関して言うと、近いところにいる人に惚れてしまうところがある。最初に正式に結婚したのが若い頃下宿していたところの娘さん、その後、富岡多恵子さんの詩集なんかを装丁するようになって富岡さんとくっついて、その後、奨学金をもらってアメリカに渡ってからは、向こうでアーティスト仲間のリランと仲良くなり、『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を取り、その映画化のメガホンを取ることになってから、ロケ先で音楽担当の佐藤さんと親しくなり・・・ってな具合。 で、さすがに4人目となると池田満寿夫も過去から学んだようで、自分は地理的に離れると女性との縁も切れてしまうというので、佐藤さんとは意図的に、ほとんど常に一緒、常に10メートルの範囲内に居るようにした。それで、恋多き池田満寿夫も佐藤さんとは最後まで添い遂げることになったんですな。 エッセイを通じて読み取る限りでは、満寿夫は佐藤さんの、まるで太陽のように陽気で陰のないところがお好きだったようで、陽子の名前にちなみつつ、陽子さんのことを崇めた『陽光のように』という画集も作られております。これこれ! ↓【中古】 陽光のように 池田満寿夫自選画集 8人の詩人によるオマージュ / 池田満寿夫 この本の表紙を見ると、この丸顔の美しい女性の顔はどう見ても陽子さんですね。満寿夫にとって陽子さんは、文字通り太陽のような存在だったのでありましょう。 アーティスト同士がパートナーになると、どうしてもどちらかがどちらかを食ってしまうようなところがあって、満寿夫と陽子さんの場合、どうも陽子さんが満寿夫に食われた感がありますが、それでも陽子さんはよかったのかな。それだけ満寿夫は彼女のことを愛し、崇めたのだから。ほんとうのところは本人に聞いてみないと分かりませんけどね。 私の好きな池田満寿夫の晩年を明るく照らしてくれた天才ヴァイオリニスト・佐藤陽子さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。
August 1, 2022
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


