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過日、数年ぶりに山に登った。秋も深まり、紅葉は山麓の湯ノ山温泉まで降りてきていた。 (写真はお隣の御在所岳) 雲がまばらな青空に、目指す鎌ヶ岳が屹立している。空気は気持ちいいが、自分の足がなまっていないか心配が過ぎる。この山の特徴は遠くからでも判別できるほど山頂付近が尖っており、どのルートを辿っても最後の急峻は避けられない。 最初の30分はペースを掴むため、足と対話する気持ちで山道を登った。やがて尾根を辿るルートに出ると、道はたしかになり、地図が無くても安心して登れる。これを滑落するとただではすまないな・・・というガレ場をいくつか通過する頃には、足の不安もなくなった。 スタートからちょうど二時間で山頂にたどり着く。大袈裟に言えば、「秋季無酸素長石尾根ルート単独登頂」である♪ すでに先着の登山者らが昼食をとっていた。いま流行りの「山ガール」もいた。三角点では絶景が望める。遠くは滋賀の山々、そして伊勢湾に続く平野が見下ろせる。 思ったより早く登頂できたので、昼食をゆっくり食べ、景色を堪能する。帰路は途中で谷へ降りるルートに変更して、やはり足を気にかけながら降りた。怪我は下りこそ気をつけねばならない。登りよりもたくさん小休憩をとり、清流の冷たい水に手を浸したり、残り少ない紅葉にしばし見惚れたりした。登山道には落ち葉が積もり、毛の長いフカフカの絨毯の上を歩くようだった。 下山後は温泉で疲れを癒す。とはいえ、結構体力は余っており、よほど合気道の稽古に行こうかと思ったが、用心してやめた。今回、久しぶりの登山だったが、この季節の山は本当に素晴らしい。次は来春かな。。。
2010年11月23日
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株は神経を消耗する。今日の株式市場は想定外の上昇を見せたので、逆に(嫌な感じ)になってしまった。もちろん、含み損がみるみる少なくなっていく気持ちの軽さはあるけれど、急上昇はのちの急降下を「約束」するものである。だから想定外の下落も神経戦となるが、急上昇も緊張感を持つことになる。できれば今日一日分の上昇を一週間くらい日にちをかけて欲しかった。。。であれば、安心して見ていられたものを。 しかし、今月初め、ポジションをヘッジするために余程「空売り」を仕掛けようかと思っていたが、そうしなくて助かった。。。空売りしてたら今ごろ地獄を見ていた。 為替や債権も含めた金融市場は、「想定外」の出来事に対応する能力が試される場と言えるかもしれない。平常心、胆力、勇気などを試される。これは人間修行の場といえそうだ。 今年は春の判断の誤りのせいで、それ以降、一進一退が続いており、先月の円高進行では、もうあと一歩で「白旗」を上げるところであった。辛かったが、この一年は本当にいい勉強になった。相場の流れが変化したいま、今年最期のタタカイに向けて、楽観的シナリオと悲観的シナリオの両方を頭に広げて臨戦態勢を維持しようと思う。
2010年11月18日
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日本女子バレーが32年ぶりのメダル獲得した試合をTV観戦して胸が熱くなってしまった。エース木村沙織の輝き。佐野の神業レシーブ。選手ひとりひとりが固く結びついているチームスポーツの美しさを目の当たりにして、画面を観ている自分もその中に入っている気持ちになった。なんだろう?この喜びは。観戦してるだけなのに力が漲ってくる感じ。彼女たちの光が伝わってくる。 天から与えられた使命を彼女たちが今まさに果たしている瞬間に立ち会えた感動だ。素晴らしい! そういえば、自分は一度もチーム・スポーツをやったことがないなぁ。。。生きてるうちに何か経験したいな。
2010年11月14日
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本当はブログ用に書いたものをメルマガにしてしまったので、今回はちょっと転載。以下、メルマガより。 過日、大学時代の友人とテニスをした。自分にとっては二ヶ月ぶりのテニスだった。動いてる最中はいいが、終わってから思ってる以上に身体に影響がきた。あまりにも両膝が痛いので湿布を貼って床に就いた。一夜明けても全身に疲れがのこっていた。やはりスポーツは筋肉の使い方が異なるのだ。ふだん合気道をしてるとはいえ、疲れはドッとやってくる。これがスキーであれば、いくら久しぶりでも筋肉痛や関節痛にはならない。スキーに使われる筋肉が充分備わっているのか、あるいは最小限の筋力で滑走しているからか、とにかく身体が痛くなることはない。合気道でも同じだ。どうすれば効率良く、かつ正確にボールを打ち返せるのか?そんなことを考えていたら、友人がこう言った。「むかしから何でも理論から入るよな」(そうかもしれない。いや、そうだ)と思った。とにかくがむしゃらに楽しむ、というよりは、いかにすればより技量が上がるか?を考えながら全ての事に当たっていた。技量が上がることが「楽しさ」であった。できないことができるようになる。それ以上の楽しさがあるだろうか?一方、友人はテニスを無心で楽しんでいるようだった。純粋に身体を動かすことを楽しむ。技術がどうとか考えない。彼はこうも言った。「仕事や恋愛、家族、その他いろいろあるけど、今日のテニスのように、ただ飛んでくるボールを全力で打ち返すのみ。高い玉も速い球も。」彼らしい、いい言葉だなと思った。上手く生きようと考えるより、ひとつひとつの出来事に全力であたる。そういった経験が結果的に「技量」になっていくのかもしれない。人生は常に未知との遭遇だ。だって、46歳がいかなるものかを知らないのに来年は46歳を生きることになる。いずれ50歳の自分も生きねばならない。50歳のことなど何も分からないのに。そういうところが生きる面白さなのか?45歳までの自分の人生経験を総動員して46歳を生きる。自分は理論(寄る辺)が欲しくて本をたくさん読んでいるのかもしれない。先人の生きる知恵や体験を知りたい、と。でも読書などしなくても豊かな人生は生きられるだろう。結局はその人その人の持ち味で一生を形作っていく・・・ということか。自分は・・・やはり読書を通じて他者の追体験を重ねつつ諸事に向かいたい。未熟な自分をわずかでも理論武装して、かつ感性豊かに、少しでも器用に生きたいと思っている不器用人間である。
2010年11月12日
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今朝の冷え込みで灯油が欲しくなった。ストーブは押入れの中だ。灯油缶を車に積んで買いに行く・・・のを想像して億劫になった。起きぬけのコーヒーを飲みながら怠惰になっていたが、どうにも寒いのでコタツをこしらえることにした。リビングにコタツを据えると、部屋は一気に冬の装いだ。防寒の砦ができたようで安心する。とりあえずコタツ布団に足をつっこんで、しばし凝固する。DVDデッキの電源を入れ、五夜連続ドラマ「99年愛」(だったか?)の録画分を観ることにした。久々に「魅せる」ドラマだ。朝食を抜いたせいで空腹をおぼえ、ポテトチップスを食べながらアメリカ在住日系人の壮絶なドラマを観ていた。ぬくぬくとして申し訳ない気持ちも湧く。昼近くになり、イカンイカンと衣替えを実施した。ついこの間秋物を出したばかりだ。まだ一度も手を通していない秋物があるのに、早くも冬服を用意するハメになった。遺憾だ。それより灯油を買いに行かねばいかん。。。
2010年11月07日
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このところ元気がなかった。なぜだ? と、つきつめていくと・・・それまで「元気の素」であった合気道の稽古から、元気を吸収できなくなったからだと気付いた。 正直なところ、稽古が楽しくない。だけど、長いこと「稽古が楽しくない」ということを自分で認めなかったのだ。だから、なぜ気持ちが「渇水状態」なのか、気付くのに時間がかかった。 なぜ楽しくないのか実際よく自分でもわからないが、上達を感じられないからかもしれないし、一緒に稽古したい先輩が来なくなって道場の雰囲気が微妙に変化しているのも一因かもしれない。しかし、週二日の稽古は欠かさず出ている。やめてしまうには惜しいから。 続けていればまた何かが開けてくるかもしれない。 思えば、スキーも丸6年で上達の限界を感じて、それまでの情熱を失った。いまではレジャー・スキーである。(SAJ1級が泣いている) さらに言えば、結婚も丸6年あたりから夫婦仲がおかしくなりはじめた。 自分にとって「丸6年」というのは鬼門なのだろうか。合気道も丸6年。情熱を失った自分を悟られないように稽古を続けているが、いずれ仲間にも伝わるにちがいない。だがそれも自然体で通すしかあるまい。 自分にも困ったものだ。。。
2010年11月02日
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