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元看護師の姪っ子は職場環境の過酷さで心が折れて、その後フリーのモデルに転身した。それを以前より聞いていたが、母の葬儀の折にその話になり、どんな様子かと本人に聞いたら、アルバイト程度と思っていた自分の認識を覆すくらい、ちゃんとやっている。スケジュール管理から移動の手配やギャラ交渉まで、本来事務所に所属すればしなくて済む煩雑なことを自分でやっている様子。これまで東京、大阪、はては高知まで方々から声をかけていただき、仕事をこなしているらしい。雑誌モデルからヘアサロンのカットモデル等、なんでもこなす。事務所に所属しているモデルを使うとなると費用が高くなるが、フリーモデルならその分経費が安くなるので、お互いにウィンウィンらしい。インスタ ←こちら同じく、彼女の姉も独身時代にフリーのモデルをしており、名古屋パルコのポスターに起用されたことを思い出した。血は争えない。自分の姉も独身当時、○○展などといったイベントのコンパニオンをしていたのだった。なんにせよ自分を生かせる道を選ぶのはいいことだ。
2019年01月24日
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今月10日、正午近くに母が他界。姉と二人で病室に詰めていたが、自分が一時帰宅した際に、姉に看取られて息を引き取った。苦しまずとても穏やかに最後の息を一つしたという。まだしばらく生きてくれていると思っていたが、限界だったのかもしれない。奇しくも前日に平安会館の互助会に入会し、母の病院通いで行きそびれていた美容室にも行ったのだった。タイミングが「準備が整うのを待っていたのか」と思わせる。葬儀の準備をしなければいけないが、したくないという気持ちとせめぎ合っていたのだ。母はもう十分頑張ったと思う。先月のはじめに誤嚥性肺炎で入院し、当初は退院するつもりでいた。それが転院療養の予定となり、今年に入ってそれもなくなり、医師からは長くないと言われた。家族に心の準備をもたせてくれたのか。金曜日に通夜、土曜日に告別式、と慌ただしく準備を整えて手続きを終えていく。悲しみに浸っている暇はなかったが、「湯かんの儀式」で遺体が綺麗になり、その表情がとても穏やかに見え、急に涙がこぼれた。式中もお寺さんへの挨拶など色々はじめてのことばかりで、気を張っていたが、いよいよ告別式の締めくくりに喪主の挨拶に立ったとき、ふいに「これで本当にお別れ」だという思いが押し寄せてきて涙声になってしまった。それから二日間は放心したように時間を過ごした。まだやらなければならないことは幾つも残っている。でもゆっくり一つ一つ片づけていこう。
2019年01月15日
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母が入院して一カ月。医師からは、もう長くないと言われ、葬儀のことも考え始めている。落ち着かない日々。今のうちに明るいブログを書いておくことにした。息子がカンボジアのお土産話を持ち帰った。アンコールワットと孤児院を訪ねたことは予定通りだったが、所持金を半分以上盗難にあうという想定外の出来事に見舞われた。頭が真っ白になった、という。そこで、泊まっていた安宿が日本人の経営だったらしく、その伝手を頼ってアルバイト先を得たという。それも現地で不動産会社を経営している日本人のところで、アルバイトとは名ばかりのような作業を手伝って食事に至るまですべてたすけてもらったらしい。「もし将来カンボジアで何かしたかったら力になるよ」という言葉までいただいて。親としては感謝しきれない思いである。ほんの一週間ほどの滞在なのに、変わった出来事はまだあり、ある日、現地の女性にやたらとカメラを向けられてシャッターを切られたという。不審に思ったが、話しかけてこないので無視していたら、それがカンボジアでは有名なインスタグラマー?だったらしく、その後の数日間に10組くらいの見知らぬ女性に声をかけられて、ちょっとした有名人になったとのこと。短い旅だったが、本当に内容の濃い、彼にとって得難い経験をしたと思う。親としてもうれしい。書いていて明るい気分になった。
2019年01月07日
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