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子供と一緒にいる時間、たとえば公園で遊んでいるとき、他の子供には両親が一緒にいたりするのが普通です。息子と娘に「すまないなぁ」という思いはもう何度もしました。そして目に映る家族(ご主人)と自分との違いは何だろう?と考えを巡らすのです。結局のところ、自分はマイペース人間だから、家族を維持できなかったんだと結論付ける他ありません。彼我の差の大きさを感じ入ってしまうと同時に、息子と娘にはできるだけのことをしてやりたい・・・と改めて思うのです。今日から約三週間、子供に会えませんが、自分らしく生きて、また父親として彼らと再会しようと思います。
2005年01月31日
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地球上に自分を必要としてくれる人間が二人も存在している・・・という表現は大袈裟か。子供が泊まりにきている。ありがたい。自分の血を分けた息子と娘。二つの寝息、抱っこやおんぶをしたときの重み、髪の匂い・・・それらをいちいち味わっている。今夜の夕食はオムライスを作ろう。明日はどこへ連れて行こう。
2005年01月29日
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「なるほど」という言葉に敏感に反応してしまう。(あっ、あの人いま「なるほど」っていった)町を歩いていても、テレビを観ていても、ビリッと反応する。そしてぼくが「なるほど」という言葉を使わなくなって十年ほどになる。この十年間、人前でただの一度も「なるほど」と言ったことがない。あれはまだ営業マンをしていたころのことだ。ぼくは得意先まわりで、ある不動産屋さん(個人経営に近い規模の)でそこの社長さんにアンケートをお願いしたことがあるのだ。ぼくはメモを取りながら、何の気なしに「なるほど・・・」と相槌を打った。その途端!それまで普通に話していた社長さんが突然、激昂した。「なるほどとは何だ! 何がなるほどなんだ!」「!・・・?」ぼくは何が起こったかわからず、ただしどろもどろに対応して、尻尾を巻いて逃げ出してきたのだ。何故、その社長さんが突然怒り出したのか?その疑問は一年以上分からないままだった。それから随分後になって、本か何かで読んだのだけれど、「なるほど」という言葉は目上の人、あるいは礼を取らなければならない人に対しては使ってはいけない言葉であるということを、その時初めて知ったのだ。いわれてみれば、馴れ馴れしい感じがする。親しい間柄には問題ないかもしれないが、年上の人と会話していたらやはり気をつける必要がある。それから何だかちょっと恐いような気がして「なるほど」という言葉が使えない。他の誰が使っていてもその「なるほど」を耳にした途端、あの社長さんの憤怒の顔が脳裏で明滅するのだ。
2005年01月26日
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数ヶ月前から株式投資を真剣に考え始めている。株は恐い・・・なんて、やってもいないのに人から聞いた話を鵜呑みにしたままなのもよくない。株で儲けよう・・・もちろんそんな気持ちがないはずはない。しかし、経済を知る良い勉強になると思う。年相応に株を経験してみる、という意味でもいい。しかしリスクは高い。さりとて何事も経験。・・・なんて葛藤も人並みにした。そろそろ出動だ!・・・と、パソコンの前に向かったけれど、刻一刻と変わる株価を前にして、恐怖に指が動かなかった。終わってみると、狙っていた二つの株はどちらも値を上げていた。・・・やってみればよかった。後悔先に立たず。
2005年01月25日
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単純に、大金持ちになって住みたい場所に大きな家を建てて好きな事をして毎日を送る・・・というのが幸福の一つの形だと思える。実際、それが実現したら幸福かどうかは分からないけれど。また新たな不満・不足が生まれてくるのかもしれないし。テレビでちょくちょく見かける、「ヤンキー先生」・・・北海道余市高校の教師をしている方は、おそらく幸せなんだろうなと思う。(テレビドラマ化されたので、ご存知の方も多いはず)生徒に必要とされ、最近では講演会に引っ張りだこで全国を回っているようだ。著書もミリオンセラーだろうし、収入は一般人には手の届かないあたりまで伸びているのだろう。金銭のことはまぁ置いておいて、全国の人々からその体験談を求められている幸せ、そして教育の現場において生徒から信頼されている幸せ、これは他のものには代えがたいだろう。そういう他者から必要とされる生き方はいいな・・・と思う。それが仕事であれば尚いい。
2005年01月22日
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今日、娘の保育園へ遊びに行った。父兄参観とは言わないのかもしれないけど、一緒に遊んで給食を食べて帰ってきた。娘に会えるのはどんな形であれ、ありがたい。保育園まで車で一時間半。待っているだろうな・・・と、はやる気持ちを抑えて門を入ると運動場でゲームをしていた。先生に呼ばれた娘はぼくの姿を見つけて飛び込んできた。ギュッと抱擁。それから娘の早口のゲーム説明に頷きながら、ぼくも輪の中へ入っていく。「○菜ちゃんの、お父さん!」と、お友達が何人も近づいてくる。お父さんが来ていない子供が多いので、相手になってほしいのだろう。教室に入ってからも絵本を読み出すと7、8人も周りに集まってきて、しまいにはぼくの膝の上を争いだす。「○菜のお父さんだよ!」娘は必死にぼくの膝を守るが、そのうちどういうわけか友達の女の子がぼくの膝に座ったりする。「・・・」まぁ、よしとしよう。ぼくは続けて本を読み聞かせた。給食も園児の中に交わって座り、なんだか臨時の先生になったような雰囲気だった。娘は片時もぼくの傍を離れないし、ずっと抱っことおんぶを繰り返した。ともかくもそうして数時間を楽しく過ごすことができた。別れ際に娘が泣いてしまったのがつらいが、父親らしいことができたのは良かった。
2005年01月20日
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人は何かをしようとするとき、あるいは何かをやめるとき、迷います。迷いながら生きるのは自然なことですが、最近感じているのは、思ったままに動けばいい、ということです。迷いがあるときは、計算しているときです。つまり損得勘定ですね。自分がこれをしたらどういう結果を招くか、相手はどう思うか、周囲はどう見るか。またそれによって、自分はどういう影響を受けるのか、受けないのか。水は高きから低きへ計算なく自然に流れていきます。重力のままに地形のままに。川の流れには迷いがないんですね。水の流れをを引き合いに出すのは、人生を語るのに適当でないのかもしれません。しかし、ふと思ったり感じたりしたことは、自分の内部から自然発生したもので、深層でそれを求めているからこそ、思いつくわけです。たしか相田みつを氏の言葉に、「損か得か にんげんのものさし」というようなものがあったと思います。(すみません、正確じゃないかもしれません)正邪が神仏のものさし・・・というわけです。自分の望んでいること、しようとしている事が、正しいのかそうでないのかは判断の分かれるところですが、でもそれを思うときの心の状態がリトマス試験紙ではないでしょうか?計算のない行動は、計算高い人の行動にときに勝ると思います。心機のままに生きるのが最善なのかもしれません。何かをやろうか、やめようかを迷ったときは、やってみる。やってみて後悔することって、あまりないような気がします。それより「やらなかったこと」によるリスクの方が高い、と経験的に思うわけです。(発行中のメルマガより抜粋)
2005年01月17日
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昨日は息子と二人でスキーへ行った。いつもは娘と三人なので、5歳の娘のレベルやペースに合わせることになり、息子は少々不満気味だったため、一度こういう機会をつくってやろうと思っていたのだ。天気はくもり→小雪で少々寒かったけど、ゴンドラリフトで山頂まで一気に行けるスキー場だったので、その点助かった。はじめは息子のペースに合わせて離れず滑ったが、「先に行って」というので、本気で滑ってしまった。彼の姿が見えなくなる前のあたりで一旦停止。息子は子供にしては猛スピードで真っ直ぐ滑り降りてくる。たくさんのボーダーがいたけれど、そこは上手くターンしてすり抜けてくる。ぼくは安心してまた伸び伸び滑る。風を切る。雪を切る。・・・息が切れる。息子はぼくに追いつこうとして猛然と滑ってくる。弾丸のようだ。ぼくのところまで来て止まると、「まだまだ滑る!」と意気盛んだ。午後の半日だったけれど、そうやってへとへとになるまで滑った。息子との一日、とても充実していた。
2005年01月16日
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昨日の夕暮れ時、一片の雲が急ぐとも急がぬともつかない風で、吹く風のままに東方へ移動していた。なんでもない風景だが、ぼくはハッと足を止めた。空を見上げるのが好きだ。濃紺と茜の二つの色が白い雲を染めあっている。映画でも観ているような心地で、なかなか目を逸らし難かったのだ。幸せというには大袈裟だが、ちょっとした拾い物をしたような気分だった。
2005年01月13日
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神社でひいた今年のおみくじは「末吉」。新規に何事かを始めるのは慎んだ方がよい・・・という内容が記されていた。ぼくは性格として、新たな挑戦は思い立ったらできるだけ早く取り掛かりたい方なので、これは苦痛だ。今年は四十歳という区切りの年でもあるのに。でも末吉ですから~っ、残念!
2005年01月09日
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4日に息子と娘と三人でスキーへ出かけた。足も背丈も成長した息子にはスキーとブーツを新調したので、スキーの長さに上手く慣れるか心配だった。まずは娘につきっきりで滑っていると、やはり去年より長いスキーを扱いあぐねて息子がブツブツ言う。それならと娘にはちょっと待っていてもらい、彼の滑り具合を観察して、その修正すべき点を一緒に滑りながら教えた。すると上手く飲み込めたようで、たちまち去年のように自在に滑れるようになった。これで安心。ぼくはまた娘につきっきりになる。彼女も去年の感覚をわすれてしまったようで、何度も転んでしまい、ついに「帰る」と言い出した。しかし、ここでやめたら悪い印象しか残らないはず。ぼくはなだめすかして、まずはレストランで休憩を取り、体力が回復したところで、「もう一回だけ滑ってみよう」と促した。「一回だけだよ」と娘はしぶしぶだったが、それで感覚が戻ったようで、「もう一回・・・うーんと三回滑る!」とやる気を出してくれた。結局、短いリフトならぬ、ベルコンというものを5回くらい乗って、しまいには完全に一人で滑るようになってくれた。やはり5歳の娘は感覚を取り戻すには一日がかりだ。スキーの後は温泉に浸かる。これが最高。手足が熱い湯に溶けていくのだ。
2005年01月08日
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人にもみくちゃにされながら・・・というのを避けるために、毎年このくらいの時期に初詣に出かける。その前に年末から気になっていた髪を切りに行った。年末にも床屋をのぞいたのだが、さっぱりした頭で新年を迎えたいのは誰しも同じで、順番を待っていたら一日がかりになってしまいそうなのでやめにしたのだった。家から神社へ向かう道中の床屋へ初めて入った。初めて入る床屋というのは少々緊張する。同じように頼んでも仕上がりは理容師によって千差万別だから。そして仕上がったばかりの頭を鏡で見ると、案の定、昭和の香りが漂う髪型であった。・・・人は見た目じゃないのだ・・・と呟いてみる。ともかく神社へ向かった。今年は一人でお参りした。息子が産まれた時にお宮参りした熱田神宮だ。玉砂利の参道を歩いていると、その時の情景が意外なほど鮮明に浮かんだ。大きな鳥居を三つ通り抜けると本殿へ歩み、賽銭を投げて頭を垂れた。時間にしたらわずかなものだが、それで落ち着ける。おみくじをひくと末吉だった。分相応だ。ありがたい。息子と娘と、いらないかもしれないけど元妻にもお守りを買った。自分の分をちょっと迷ったが、神を尊び神を頼らず・・・の精神でやめにした。いよいよ今年がはじまった。一年、ちゃんと生きよう。
2005年01月07日
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今頃、新年の挨拶になりますが、みなさま明けましておめでとうございます。本年もよろしければお付き合いください。メールマガジンの方も何とか続けていく予定です。2日から4日までが忙しさのピークでした。その三日間は子供も一緒に過ごせて、また幸せを分けてもらいました。人は単純だな・・・と思います。でも単純であればいい、それが幸せになるコツかもしれません。ぼくは何とか人並みに、命を二人の子供へ繋ぐことができて、大袈裟ですが太古から続く命の連鎖の中の一員として役割を果すことができたのです。そのご褒美として、子供から愛される・・・という幸せを得ているわけです。他に何が必要だろう、というこの満たされた気持ちで一年を過ごしたいと思います。
2005年01月05日
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