全11件 (11件中 1-11件目)
1
暑さのせいでしょうか・・・体がだるいです。。。現在、PCメールのお返事は1週間お待たせ状態で、これでも懸命に頑張っちゃいるんですが、どないもこないもなりまへん夏が終わってくれないと、メールは溜まる一方ですぅこんな状況でも、ケータイの方は 「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」メールや電話が入っておりまして、ひろりん、けっこう頑張ってまっせで、先日の話の続きです。私、しばし考えました。この質問に隠れている思いをです。あれだけ切羽詰まった経験をしたから、もう来年はないかも知れないと腹をくくって覚悟して、何やらわからないけど、大切な思い出を作ろうとしているのだろうかそれとも、単に抗癌剤治療の意味を軽んじているのだろうかいやいや、何らかのアクシデントで治療を中断せざるを得なくても、その間、癌の進行を心配する患者さんは実に多い。治療を軽んじてる、そんな訳はないに決まっているこれはきっと「覚悟の上の質問」に違いないそーだそーだと自分の中でボケとツッコミをして・・・「来年は無いかもしれないと覚悟しての治療延期なら、その意志は尊重します。 多少の延期なら、さほど問題もないでしょう」と返事しました。そしたら、あわてふためいて「そ、そ、それはどういう意味ですか」と返ってきました。ありゃま、単なる脳天気だったかぁ・・・間違っても~たがな結局、私の返事で現実を直視せざるを得なくなったようで 「用事」 を取り止めて予定通り治療を受けたのでした。現実を直視すればこその、「治療延期」 もアリだったんですけどね。私はどちらの意志も尊重してます。治療がどのような結果を生もうとも、人生ってヤツは、長さよりも「後悔」の少ない方が良いって思ってますし、どんだけ心から笑える人生だったかこそが、何より大切じゃないかと思ってますんでね。続く
2012年07月30日
コメント(0)
もう暑くて暑くて、たまりませんなPC環境は更に悪化してまして、現在、いつも以上にメールのお返事が滞っております。お返事する前に、同じ方から何度となくメールを頂戴することもあり、大変、ご迷惑おかけしておりますm(_ _)m超スローペースではありますが、お返事しておりますんで。お騒がせしております、とも姉ですけど退院した晩に会って来ましたよ。とも姉ってば、退院した日だと言うのに、台所に立ち、夕飯なんて作ってました。5日前に子宮、卵巣、卵管切除したばかりだと言うのにねぇさすがに後片付けは、お姑さん(私の亡父の実姉で、御歳88歳しっかりしてます)に任せてソファーに横になってましたが。主婦って家にいるとやることだらけで、寝ていられないんですよねぇ・・・動き過ぎないように、家事はリハビリ程度にと言っておきました。あんなに大きな子宮筋腫を切除したら、さぞ、お腹はペッタンコかと思いきや、そうではなく、これまでかなりのスペースを占めていたお腹の中を、腸やら胃やらが下りて来て場所取り合戦しているようですオマケに開腹手術ですから、腹筋も切ったわけで、傷口はお腹の中の圧力に弱く、以前より膨らんでいる・・・らしいです。「まるで妊婦みたい」(本人談)話は本題に戻り・・・あの急逝した患者さんの事は、色々知る今思い出しても衝撃的です。何ら特別な治療じゃなく、大学病院だったから、癌治療に慣れた医師、経験豊富な医師が付いていたはず。にも関わらず・・・治療が命を奪う結果になってしまったのですから・・・皮肉過ぎます。癌の治療は、どれもこれもリスクと隣り合わせなんです。で、白血球が800まで落ちたあの患者さんですが。。。結局私の心配をよそに、無事に回復。落ち着いたところで、米村先生のセカンドオピニオンとなりました。米村先生には、抗癌剤治療で著しい白血球減少の件も伝えましたが 量を調節すればええと、怖がって治療を受けないどころか、積極的な治療姿勢。それから、米村先生の下で、抗癌剤治療再開となりました。そんなある日、ご主人から首を傾げるような質問メールが届いたんです。「○日が抗癌剤の日なんですが、この日は用事があるので、来週じゃダメですか」えっ、これって・・・どういう意味こんな状況で、治療より大切な用事って何だろう続く
2012年07月27日
コメント(0)
お騒がせしました、とも姉ですが明日、退院です。鎮痛剤で術後の痛みはコントロールできているようで、動けるし、ヒマだし・・・で毎日、近況報告がてら電話がきます^^;明日、帰って来たら様子を見に行ってきます。あとは。。。病理の結果を待つのみ。肉腫の疑いだけは晴れましたけど、私、まだ楽観してません。米村先生が そりゃおかいしなぁ そんな子宮筋腫、知らないなぁ 病理の結果を待った方がええですわ・・・ってまぁ、専門外なんで米村先生もイマイチのようですが。。。ところで。。。このところ、face book からの招待状メールが幾つも届きます。それも、色んな方のお名前で。今日なんて、ケータイにAkemiさんという方からの招待状メールが誰だかさっぱり PCの方に届いても困りものなんですが、ケータイの方はもっと困っています。どうやら勝手にアドレス帳のメルアドに、招待メールを送るシステムのようで、当のご本人はご存じないようです。face book にご登録の方々、ご注意くださいませ。尚、私は全てスルーさせて頂いております。ようやく本題で、先先日の続きです。抗癌剤治療の副作用である「白血球の著しい減少」により、白血球が回復しないまま他界された患者さんを2人知ってます・・・って書きましたけど、もう1人知ってました。2001年に父のスキルス胃癌・腹膜播種が判明して間もなく、闘病サイトの掲示板で知り合った方のお母さんです。やはりスキルス胃癌・腹膜播種でした。いきなり身に降りかかった 「親の癌」 に共感してメールのやりとりをしてました。この患者さんの場合は、抗癌剤投与後、1回目か2回目だったか・・・白血球が限りなくゼロに近い数値まで減少。無菌室に入れられるも、翌日には他界となりました。癌の事も抗癌剤治療の事も何も知らない無知の頃の事で、それはそれは衝撃を受けました。私の場合は、癌治療と言うのは治療という名の博打なのだと、最初から思い知ったわけです。もちろん、こういう症例は実に稀で滅多にあるもんじゃないです。ですが存在します。現実にこういう症例を知っている以上、最悪も考慮して、この30代のスキルス胃癌の患者さんのご主人に返事したわけです。とにかく今は、白血球の回復を待つしかありませんと。ですが、10年前、私がまるきりの無知であったように、ご主人は白血球減少の怖さを知らず、求めるのは、ただただ「抗癌剤治療」であり「手術」であり、その先の「延命」や「完治」でした。つづく
2012年07月24日
コメント(0)
昨日は朝からずっと、とも姉の付き添いで病院で過ごしました。疲れた疲れた・・・「今、手術終わりました」 「今日、手術終わりました」っていうご報告をよく頂戴しますけど、手術待ちってこんなに疲れるにも関わらず、即、報告をしてくれるって凄いことなんだなぁと実感。私なんて、疲れ果てちゃってムリ、ムリ、ムリ、ムリ、ムリ・・・・付き添いは、とも姉の夫(私の従兄)と、博士と私。博士は、どこの病院に行っても 「医者」 に間違われるか、「一体、何者」 と思われちゃうクセ者。米村先生お墨付き、医療にも関わる 「工学博士」 なんでこーゆー時、何かと白羽の矢が立ちます。「医学博士」 を取れそうなネタは多数あれど、本人、医者じゃないから医学の博士号にはキョーミなし。で、今回は婦人科ということで、これまでは私が付き添って来ましたが、私からの報告を逐一受けて、博士なりに分析し手術日は、ここは本番で付き添った感じかな。手術室に入って、待つこと2時間半。子宮、両卵巣、両卵管切除が終わって呼ばれ、子宮とオマケのようにくっついている卵巣と卵管を見ました。あまりにも、子宮の存在感が大きくて卵巣なんて、ひらひらの干物みたいでしたねぇ。病理の詳細はこれからなれど、一番懸念していた 「画像上の出血の跡」 と見られていたのは、水(リンパ液)でした。硬かった子宮筋腫が、年月を経て、何故か水浸しのスポンジのように変節していたんです。目視上と触った感じから、完全に肉腫の疑いはなくなりました。手術前の外来では、完全に肉腫大前提での今後の話をされましたから、覚悟していただけに、「悪いものではなく、まず心配のない良性の子宮筋腫」 と、執刀医の言葉を聞いた時は、思わず目から涙がこぼれてしまいました。 良かった・・・ほっとしたものの、では何故腫瘍マーカーが高かったのだろうかと、疑問がわきます。これで、腫瘍マーカーのCA19-9 が下がってくれれば安心なのだけど。私のこれまでの感触から言うと、CEA は癌じゃない人にも反応することもある腫瘍マーカーで、正常値超えしても何ともない方はいます。癌患者さんでも、CEA が上昇を続けて、いつしか下がって正常値って方もいます。ですが、CA19-9 の方は、こういった悪戯や、気紛れが無い腫瘍マーカーって気がしてます。だから気になるんです。下がれば良いけど。。。。今日は、面会時間を待って様子を見てきました。普通に廊下を歩いている、とも姉に遭遇。 お腹すいちゃって、お昼ご飯、しっかり食べちゃった・・・って手術前は ともこは、胃と沢山腸を切ったから、 もっと辛かっただろうけど、 私も手術で内臓を切れば、ともこの気持ちがわかるかな。。。ってしんみりしてましたけどね。兎にも角にも、私をウツにしていた 「子宮肉腫」 の疑いは、晴れました。 先日の 「どっち?」の話の続きは次回に。
2012年07月21日
コメント(1)
この暑さでPCが火を噴きそうな感じです。時間もさることながら、PC環境が悪化していて、メール対応と更新が遅々としております。毎年のことながら、夏はどうにもこうでして、すみません。・・・ずっと、とも姉のことが気がかりで、何かのついでに、つい米村先生に尋ねてしまいます。 先生、主人がね、ただの子宮筋腫なら血流があるわけない 若い女性なら、子宮内膜症ということもあるけれど、 閉経して10年も経つのに、MRI画像で出血の跡があるなんて おかしいって言うんですすると米村先生、私がやたらと心配するものだから ん~・・・ 僕は専門じゃないから、よくわからないけどぉ 何ともないと思うなぁ 切ってみたら、ノープロブレンってことに なると思うなぁ・・・ってフツーに慰めてくれちゃうんですけどぉ。。。医者との会話とは思えん・・・って言うか、これが米村先生の優しさなんですよね。今度の金曜日は、とも姉の手術なので朝から病院です。ところで、今日はちょっと辛い話を。スルーをご選択の方はここまでということで訃報が届いたのは今年の5月のこと。遊びに出かけた出先でメールが届きました。患者さんはスキルス胃癌の患者さん(30代・女性)です。ご人から相談メールが届いたのは、2010年の秋です。卵巣が腫れていることから、検査が始まり、スキルス胃癌が判明しました。腹水も認められたことから、腹膜播種、卵巣転移がこれで確認されたのでした。腹水が貯まっていたので、抜く処置もされたと記憶しています。手術不能で、抗癌剤治療を受けていましたが、抗癌剤の副作用で白血球が著しく減少してしまい、一時はかなり心配な状態でした。抗癌剤治療の副作用による著しい白血球の減少により、白血球が回復しないまま他界した方を2人知ってます。1人は300まで減少、もう1人は500まで減少です。相談メールが届いたこの患者さんは、800まで減少したと聞きましたから、治療云々どころじゃないやんかって思いました。抗癌剤治療って、危険と隣り合わせの治療なんですよ。他にも2人ほど、重篤な副作用が出て、生死を彷徨った方を知っています。このお2人は命の危険を回避できて、回復しましたが、こうなると、担当医が怖がってもう治療をしたがりませんでした。それに加え、危篤になった経験を持つと、ご本人もご家族も、もう治療に積極的にはなれずに、その後は無治療で過ごされました。ゆるやかに、穏やかに時間を過ごして、旅立たれました。癌の治療とは、命を延ばすどころか時間を奪うこともあるんです。ですから、この患者さんのご主人には、今は手術や治療ではなく、先ずは白血球の回復を待ちましょうと返事をしました。つづく
2012年07月18日
コメント(0)
昨日は電車で、とも姉宅に行く予定で早起きしたら、「電車上下線とも不通、復旧の見込み立たず」 とテレビのニュースがドタバタと2階に上がり はかせぇ、大変、電車止まってるすると博士、ガバッと起き上がり なぬぅ 今から車で、とも姉の家まで送ってやるとパジャマ姿のままハンドルを握ってくれましてねぇ。とも姉宅からはとも姉の車で病院へ。時間は何とか間に合いました。まさかまさかのハプニングでした。そのとも姉ですけども、来週の金曜に手術になりまして、またこの日は朝からずっと付き添います。術後元気に4年経過という報告が、もう一人、届いてます。スキルス胃癌患者さんで、こちらは50代かな。お名前は、ヤヨイさん。スキルス胃癌・腹膜播種で米村先生の手術を受けたヤヨイさん(40代)も、確か、ぼちぼち術後4年か5年経つし、この間、ここで書いた、迷って迷って米村先生の手術を受けた、虫垂癌・腹膜播種(40代)の患者さんも4年が経過してます。こちらもお名前はヤヨイさん。ヤヨイ3人娘です。えっ娘という言葉に異議ありってまぁ、ええやんオトコじゃないことは確かなんだし。今回メールが届いたヤヨイさんは、胃癌患者さんですが、幸い初期で見つかっています。初期と言ってもスキルスと言われました。恐らく印環細胞癌って事だと思います。初期とはいえ、癌はスキルス。告知の時は、本当に落ち込んでしまったそう。だけど、医者は進行した癌患者や、状態の良くない患者を沢山みているから、「初期で見つかってラッキーですよ」 と言ったらしい。私だってスキルスでも 「幸い初期」 ってつい言ってしまいますもの。ですが当時、何も知らないヤヨイさんは、医師のこの言葉に傷ついてました。 車に飛び込んで死んでやるぅとか思っちゃったらしい。初期だろうと何だろうと、スキルス胃癌になってラッキーなんて思えませんよね。腹腔鏡手術の予定が、開腹オペになり胃1/2切除。リンパ転移なし。このリンパ転移なしというのは、実に良いことです。今は、術後4年半が経ち、3ヵ月に1度の定期検診を受け、その都度、 「問題なし、異常なし」 と言われ今に至ります。普通の量の食事がとれ、癌患者である事を忘れそうになるくらい元気にしてますそうそう、4年半経つ今は、 初期で見つけて頂いたことに、感謝していますってありました。
2012年07月15日
コメント(0)
このところ、私事ばかりの日記ですみません。。。・・・って、日記ってフツー私事かちなみに、明日は朝から病院なんでケータイは出られません。あしからず。つい先週の話です。未分化の胃癌・腹膜播種が判明したばかりの、患者さん(30代・女性)から、例の 「助けてください」 メールが届きました。これ、よくあるパターンなんです。腹腔鏡検査で腹膜播種が判明したので、手術不能。まぁ、今後の抗癌剤治療が効果を出せば、その時は手術(もちろん定型手術ですよ)を考えましょう・・・ってな診断が下ったばかりでした。未分化の胃癌・・・これは、うちの父も言われました。ようは、スキルス胃癌です。ご本人、じっとしているだけでも癌が進行してしまうんじゃないかって不安と恐怖でたまらない。直ぐ、米村先生を受診したいと言われます。母子家庭で小さなお子さんがいるらしい。尚且つ、ご兄弟を事故で数年前に亡くし、これ以上、両親を悲しませたくないって言われます。で、超特急で私が予約を入れたんですが・・・いつも、米村先生にメールを入れる「じゃ、宜しく」 って米村先生に電話を入れる予約完了なんです。ですが、今回はあまりにも日程が迫っているので、私もご本人に電話を入れました。ところがところが、これが別人に繋がってしまう何度かけても、別人急いでケータイメールを入れて、番号確認すると最後の数字が間違っていることがわかりまして(あっちゃ~、間違っても~た)で、急いで訂正版メールを米村先生に送信これまた電話入れる一先ず、安心・・・って言いたいトコですけども、米村先生ってこういう点、全然、あてにならない過去を振り返ると、前科は数え切れない。。。信じられないわけで。。。ところが、ちゃんとやってくれていたんですねぇ。患者さんご本人から 病院から電話頂きました って聞くまでは、ホント、心配なんですよ。そしてめでたく昨日、受診となり、今後の方針が固まりました。抗癌剤治療を経て、それから手術です。スタートラインに立ちました応援してま~す
2012年07月13日
コメント(0)
今日は私事で恐縮ですが・・・先週の土曜から、ふと気が付くと、とも姉(ともこさんの姉だからとも姉)が疑われている病気の事を考えててます。検査前から可能性として挙げられた病気で、検査結果を聞く前にざっと調べていました。長年子宮筋腫を抱えてましてね、年に1度の定期検査で引っかかり、「大きな病院で検査を」となったんです。 受診後は、更に調べまくり・・・ネットに釘付けです。確証こそはないものの、状況証拠は幾つも当てはまります。実に稀な疾患で、腹膜偽粘液腫以上に稀。これ程稀な疾患だと、たまたま行った総合病院の医師では、過去に何例の経験があるのか・・・正直不安。年配の穏やかで、感じの良い医師だったけど、何せ外来を待つ患者の8~9割が妊婦さんです。明らかに妊婦ではない患者は5~6人。幸せオーラを放つ方々の中で逆に目立ちます。そんな外来を受け持つ医師だから、がんセンターと違って、医者も柔和で穏やか。それは良いのだけれど・・・とも姉は 「不安を抱えるのは嫌だから切って下さい」 ってその場で直訴したけど、癌を疑って切るのと、単に子宮筋腫で切るのでは切除内容が違うってもの。当然、術後の回復経過も違ってくるし、QOLも変わるかも知れない。本人、術後1ヵ月もすれば元気になる、仕事ができると思ってます。虫垂癌のように、虫垂炎だと思って切ったら虫垂癌だったから、また切り直しましょう・・・なんて余裕はないように思んだけど。この稀な疾患なら、スキルス胃癌より厄介で恐ろしいんだけど・・・がんセンターとか、大学病院とか、この稀な疾患の場数を踏んだ医師にセカンドオピニオンを受けた方が良いんじゃないか?とかこの数日、ずっと色々と考えちゃって。こーゆー場合はぁ・・・やっぱ米村先生専門ではないけれど、似たような患者さんは何人も診ているし、子宮の切除なんて数え切れないほどしている。手術件数から言えば、あの婦人科の先生の比じゃないし・・・で米村先生に電話してみた。私が米村先生のセカンドオピニオンを受ける分には、タダだし(常日頃、あたしゃタダ働きしてまんがな)そしたら次から次へと出てくる言葉が そんなの大きくないですわ 腫瘍マーカー(CA19-9が59)が高いって言っても、 ノーマルでも出る数字です でも、単なる子宮切除と癌として切除するんじゃ内容が違うでしょ リンパ節のカクセイとかしないし そんなんしても同じです 先ずは切って、その後の結果が出てから今後を考えれば良いと思うなぁ、僕は・・・ってな感じ。生存率とか調べちゃうと、半端なくキツイ病気でねぇ。。。でしてねぇ。。。私がねなわけですよ。もう、ともこさんやヒゲさんの時の思いはしたくないって思うわけでねぇ。。。でも今回ばかりは、米村外来で元気になる患者さんの気持ちが、ちょっとばかりわかった気がしました。いつもは、「アッタマ痛いんですケド・・・」 ってことが多い米村先生との会話なんですけどね、今回ばかりは違いましたわあっ、ちゃんとメール対応やら電話対応はしてますんで、ご心配なく。メールのお返事、お待たせしちゃってますが、日々、こなしてますんでごめんなさい。
2012年07月11日
コメント(0)
昨日は、ともこさん(2006年1月・スキルス性胃癌・54歳で他界)の姉(63歳)の付き添いで病院へ。ともこさんとのことは、断続的に 「ともこさん闘病記・スキルス性胃癌」 と題して、書いています。今回は、そのともこさんの姉に婦人科で難病の疑いがかかり、「心細いから、ひろりんちゃん、一緒に行ってくれる」 と頼まれ検査結果を聞きに行ったのでした。待つこと2時間。米村先生の外来を思えば、短いですけどね。アタシは婦人科のことはわからんがなそれでも何とか婦人科の先生の話と、出されたデータは大よその理解をしてきました。限りなくクロに近いグレーなので、手術になりそうです。また来週の土曜は、早朝から病院の付き添いです。しばらく、付き添いドタバタが続きそうです。ところで、私に届く相談メールは、とにかく切羽詰った状態の方がとても多いです。「助けてください」と題したメールが実に多い、多い。そりゃ助けてあげられるものならば、助けてあげたいけども、できない場合もあら~なってなもんです。そもそも、これを言うと米村先生は嫌なお顔をされますが 「癌が治っても死ななくなる訳じゃない」 というのが私の基本姿勢。誰も彼も、植物でも動物でも、命を授かった者は何時の日か死ななければならない、朽ち果てねばならない運命です。樹齢何百年、何千年の樹木でさえ、何時かは朽ち果てなければならない。誰もが1度は通る道だし、通らねばならない道、避けられない道です。何らかの手立てにより、その運命を先に延ばせるのなら、延ばしてあげたいとは思っているけれど、それすら不可能な方もいます。もう半年くらい前だったかな。。。四国の方で、母親がスキルス胃癌で末期の様子。何とかならないか、治るまではいかなくても、もう少し延命させられないだろうか、と息子さんが右往左往しておられました。ですが、状態を聞くにつれ、とっても治療云々の状況ではありません。治療も無意味どころか、逆効果になりかねません。セカンドオピニオンに割く時間すら、勿体無いような状況でした。いつもなら、他の治療法やセカンドオピニオンに導くところですが、この方には、どちらも薦めませんでした。メールのやり取りは、5回もなかったと思います。返事をすると直ぐに来たメールが、途絶えました。さすがに気分を害されたのだろうと思っていました。だって、欲しい情報が得られるどころか、厳しい話しか返ってこないのですから。不快に思ったのか、怒ってしまわれたのだろうと思っていました。ところが、少し時間を置いてメールが届きました。その内容は訃報でした。(やっぱり・・・)そして書かれていた内容は、 気が動転して、冷静になれなかった自分をいさめて下さって ありがとうございました ひろりんさんとのやり取りで、やっと自分を取り戻すことができました 息子としての役割をまっとうし、母を見送ることができましたと感謝を伝える言葉が書かれていました。それから、メールではなく直接、言葉でお礼が言いたいと書かれていて、ケータイ番号が載ってました。そして、「このような活動をされているひろりんさんに、是非とも精をつけて頂きたく、うどんを贈らせて下さい」 ってご自分のご住所まで書かれてましてねぇ。。。そりゃ、四国のおうどんは美味しいけれども・・・仕方なく電話を入れ、お悔やみを述べ、うどんを丁重にお断りしたのですが、どうしても贈らせてくださいと言ってききません。何度お断りしても、譲らないんです。何で、何で患者さんを助けることが出来なかったというのに、何でこのあたり、私はよ~わかりません。結局、美味しいうどんは食べ損ないましたけど、お気持ちだけは暖かく頂戴したのでした。
2012年07月08日
コメント(1)
このところ何かと忙しく、常に10通くらい、お待たせメールを維持してる状況でして・・・書いても書いても、お待たせメールが減りません。1週間以内に私から返事が届けば早いって感じですぅ・・・誠にすみませんm(__)m今週末は、プライベートドタバタ第2段に突入ですもう一人の、ご無沙汰メールをご紹介します。実に3年ぶりに届きました。んもぉひろりんのコト忘れちゃったのかと思ったじゃないのぉ患者さんは40代・女性で虫垂癌・腹膜播種です。この方も手術で開腹した際に細胞が見つかっていますから、正真正銘の腹膜播種です。かなり過去に「迷って迷って手術」と題してシリーズ化して書いてます。初回手術が2006年9月で、この時、腹膜播種判明。その後、執刀病院でFOLFIRIを21回受けるも副作用の辛さから、低容量での抗癌剤治療を行う病院に転院したのが2007年11月。転院先の治療には満足するも、薬剤耐性を恐れながらの、終わりの見えぬ治療に不安は消えず、新たな道を探し始め、私に相談メールが届いたのでした。そして決心して米村先生の手術を受けたのが2008年7月です。かなり手術を迷ってましたからね。あれから・・・米村先生の手術を受けてから4年が経過しました。全く連絡も寄越さず、ったくぅ。何してたのよぉ(T-T)・・・というと・・・生活の方は、術後危ぶまれた職場復帰ですけども、めでたく復帰したそうですこう言うてはナンですが、体を心配してくれるフリして 「度々休まれると困るんだよ」 って言う内心がミエミエ(これ、社会じゃ当たり前ですが)の状況に置かれ、ある意味、経過観察期間が設けられました。これを見事パスして、今ではちゃんと正社員として仕事してます。収入を確保しないと、治療費って大変ですからね。彼女には頼れるご主人はいますが、このご時世、癌の治療費まで十分賄える程の余裕がある訳じゃないわけで・・・癌患者さんが長く生きる為には、実際、かなりお金がかかります。これも生きているからこその苦労で、羨ましい苦労かもしれませんが、やはり苦労は苦労です。肝心の体調は、再発の兆しもなくお元気そのものこの3年、かなり腫瘍マーカに振り回されたそうです。再発かと思わされる上昇が続いたかと思うと急激に下がる2ヶ月上昇を続けたら、3ヶ月目には急激に下がるんだとかこういった腫瘍マーカの気紛れ以外は何も問題なし。現在は、ご自分の体調判断での低容量のゼローダ服用を続けています。お元気と知り、本当に嬉しいです
2012年07月05日
コメント(1)
昨日、今日と慣れぬお手伝いで疲れました。急遽、黒のエプロンを買いに行きましたよ。何せ、お通夜に告別式・・・こういう時に限り、ケータイはよく鳴るときたもんだ。だ・か・らぁ・・・出られないんだってばぁ(T-T)ところで、ここ数日、ものすごくお久しぶりの方から、続けざまに嬉しいメールが届きました。その中のお一人は、胃癌の患者さん(50代・女性)の姪御さんです。2008年6月に、胃癌・腹膜播種が判明しました。開腹オペで判明しましたから正真正銘の腹膜播種です。取れるだけの癌を切除して、その後、TS-1+シスプラチンの治療中に、姪御さんから相談メールが届きました。その後、米村先生の元へ来られ、抗癌剤治療を受け、腹膜切除、及び術中温熱療法を受けました。2008年の話ですよ。エビデンスとやらが、確立してないとか言われちゃう治療内容でございます。この時、スキルスとは聞かなかったんですけども、腹膜播種という時点でスキルスだろうが、そうじゃなかろうが、胃癌の刻度は同じです。あれから4年・・・ずっとご無沙汰していたんですが・・・ おかげさまで、とっても元気してますと言う近況が届いたんです。今も、抗癌剤治療は続いているようですが、 米村先生の匙加減が絶妙なんだと思います 副作用は軽いし、回りからは、全然、癌患者に見えませんなんだとか この姪御さん、ナースなんです。姪というよりナースの目から見ても、とても癌患者には見えないそうな。その感想が面白いんですよ。 米村先生と出会わなければ、 もうとっくにチーンだったと思います すっかり、米村先生の信者になりましたですって
2012年07月02日
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1


