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ブログ6歳になって、本当に沢山、沢山の患者さんと出会いました。癌患者さんのご家族と出会いました。癌患者さんを守ろうと必死になるご家族。傷つけないようにと、嘘をついて守ろうとするご家族。その嘘にいつしか傷ついてしまう患者さん。「優しさ」 と「残酷」 の境目は、いまだに見えないけど、体だけは嘘をつかないのだと患者さんは身を持って知ることになる。ただ一つ言えることは、現実をちゃんと受け止めた人だけが真の優しさを知ることができる・・・ということでしょうか。身を持って知ることの出来ないご家族には、やはり、希望と現実を正直に告げなければいけないと思っています。何故ならば、患者さんの体が変化することで、ご家族の方が傷ついてしまうからです。目や感覚で知ってしまう 「現実」 は、事前に知ることより残酷であると私は思うのです。その時こそ、本当の意味において患者さんと心を合わせねばならない時。そのスタートラインにご家族が立てなくならないように。。。これが私のポリシーですが、異論も反論もあって当然で、それも致し方ないですし、個々の考え方があって良いと思っています。私のこの思いに賛同して下さる方には、私も全力でお付き合いさせて頂きます。その時は、わからなくて戸惑う方でも、「あの時はわからなかったけど、今、ようやくあの時の言葉の意味がわかりました。辛い話はする方だって辛いですよね、その辛さに気が付かなくてごめんなさい」と返ってくることも少なくないです。で肝心の虫垂癌患者さんの手術結果を。目視上の癌は全て切除できました。腹膜切除も含みますから、大きな手術と言えます。人工肛門は免れませんでした。この人工肛門の件は、可能性的に高いだろうと感じていた私は、術後のリスクの3項目の中で一番、重きを置いて娘さんに説明しました。他にも2項目ありますが、こちらの可能性は低いと踏んでいましたので、あくまでも、「可能性」 であり、スルーできる場合もちゃんとあることを念を押しました。実際、このリスクを知らされた後はかなりショックを受けたようです。落ち込んだそうです。それでも、手術が終わった今、人工肛門になってしまった今、事前に知っておいて良かったと言われます。 考えてみれば、肛門の場所が変わっただけです ある日突然、脳梗塞で半身不随とか、いきなり 起こる体の変化を思えば、事前に知ることができた体の変化です 当の父も、笑って人工肛門を受け入れました こんな風に父が前向きなのも、こんな風に考えられるのも、 ひろりんさんのおかげです ひろりんさんは悪役なんかじゃなくて、本当はヒーローなんだって 知るのは、手術の後なんですねと手術の報告と近況が届きました。回復は予想していたより遥かに順調のようで、もうじき退院です。再発の心配とか、家での生活とか、ストマとの付き合いとか、苦労は未だ未だありますが、一先ずは大きく前進できたことは間違いないです。娘さんに言わせると 「父はこの病気になって、娘の目から見ても人として大きく成長しました」とのこと「わがまま」「人間不信」「自分勝手」で、抱えきれない問題を抱えると、これまでも 「プチ家出」 をして心配させたと、娘さんは言います。娘が付ける父親の採点って言うのは、結構厳しいもんです。アタシだってそうですよん。よくドラマとかで、男親が描く娘像って言うのは、ハッキリ言って妄想ですからねあれは「妄想」だけど、現実はシビアの中に真の愛情を持っているもんです。あま~く愛情を伝えることは出来ないけど、娘だって、ヤルときはやりまっせ、男性陣よりずっと肝だけは座ってまんがな
2012年04月29日
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今日からGWに入りました。毎年、GWは緊急連絡が入ると相場が決まっているので、ケータイを気にしてないかんのです。早速、今朝電話がありましたけども、「どなたですぅ」が解決するまでしばし時間を要してしまいました。毎年100人を越える方々からご相談を受けておりまして、多い年には200人を越えました。かれこれブログ6歳ともなれば、もう記憶のキャパは溢れ返っております。「誰ですぅ」 って言うのはホント失礼な話でして、ごめんなさいです。過去には、どうやっても思い出せない方からの電話なんてこともありました。私に電話をされる方、一杯、一杯形容詞を下さいませ~ところで先日の続きです。この虫垂癌の患者さんには、娘さんいわく問題点がありました。病気をちっとも理解していないって言うのです。病状もさることながら、治療におけるリスクも、命を永らえる為の引き換え条件も、何も知ろうとしないし、手術さえすれば何とかなると思っていると。。。これを理解させようと、娘さんなりに努力をしても、「素人の聞きかじり」 扱いで聞く耳を持たないと。その上、手術連絡の待ち時間がイライラ感と焦燥感を生んでしまい、全てにおいて悪循環が始まってしまい。。。少し前に、手術待ち患者さんが沢山いること、これに対して米村先生ご自身が、大変ご苦労されていること、ご心痛であることを過去の症例をあげて何回が書いています。実を言うと、これはこの患者さんにご理解頂こうと思ったからです。同時に、他の手術待ち患者さんにもご理解頂ければ・・・とも思いました。まぁ、良い機会だったわけです。この私の隠れた意図は的を得てくれまして、少しずつではありますが、「早く、早く」の気持ちから、見知らぬ患者さんを思いやる気持ちが芽生えてくれました。それに加え、医療関係者の苦労も理解してくれるようになりました。娘さんは、これは病気が父を成長させてくれたように思うとも言ってました。この娘さんから見て父親は、必ずしも完璧な大人ではなく (これは誰しも同じで、親だからこそ、厳しい目で見るもの) それどころか、娘からみてもの点が少なからずあったようです。そうなってしまったのは、過去の辛い経験からだから致し方ないとは言え、あまりにも人間不信の度が強いと言います。人が信じられないのであれば、信じられるのは自分と家族しかいない。その家族も、同居していればこそ信頼関係は持続できるけど、離れて暮らす嫁いだ娘への信頼度は下がっていく。。。この信頼を取り戻す意味もあってなのか、徹夜の外来順番待ちという行動になったのではないか?とこれは私の勝手な想像です。そんなこんなの中、この患者さんからは不思議と米村先生は信頼を得て、これまた何故かひろりんも信頼を得て、娘さんとの関係も良好になり、人間不信が少しばかり払拭できたようです。癌という病気、それも腹膜播種という進行した状況が、結果的に、この患者さんには目に見えない大切な物をくれたようなんですねぇ。。。何が不幸か幸せか・・・それは誰にもわからないってところでしょうか。肝心の手術の件は、また次に。
2012年04月28日
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このブログが6年目を迎えたってこと、お気づきでしょうか立ち上げた日は記憶なくても、4月に立ち上げたってことだけは覚えてまして、ぼちぼち6歳かしらって思っていたら、もう6歳になっていました立ち上げた時は5年生存率0%だと確信していたもんですが、やってみると続けられるものですねぇ。。。自分が一番びっくり多くの方々が優しく、尚且つ甘えさせてくれちゃうもんだから、ついつい図に乗っていたら、6年経っとるやんところで、1月26日に書いた虫垂癌の患者さん(70代・男性)の近況を。娘さんがこのブログを見つけ、それから時折、メールのやり取りをしております。少しでも早く手術して貰いたいと願った娘さんは、初診の時の受診の順番取りを病院の駐車場で徹夜したと言います。・・・・はぁ気持ちはわからんでもないですが、それじゃまるで韓国の受験の子を持った親みたいやん。そもそも、米村先生はそういったコトで手術の順番を組んでいる訳ではなく、あくまでも、患者さんの状態で決めてます。このブログでは内情ってヤツもたまに書いてますんで、娘さんもわかっているんですけども、気持ちが、そうせずにはいられなかったみたいですけどね。いざ受診となり、抗癌剤治療となり、手術待ちの時となり。。。だけど、なかなか日程連絡がこない。昨日も、今日もずっと待ったけど、まだこない。「何度もすみません、あのぉ、未だでしょうか?」 「ついでの時で良いんです、米村先生とお話になる機会があったら、お聞きして頂けないでしょうか?」 「ひろりんさんもお忙しいのに、本当にすみません、こんなメールを何度も送られたら嫌ですよね、私なら嫌ですもの。しばらくメールせずにおとなしく待っています」こんなメールが手術待ちの時に届いたもんですそんなこんなの、ご家族サイドにも山あり谷あり。。。この間に、色々とお話をお聞きしました。娘さん、心配で心配で、自分なりに色々と勉強して、先を見越して親にアドバイス。でも、「素人が、聞きかじっただけのくせに、何を言う」 と逆に反感を買っていらぬ親子喧嘩。「米村先生が言うことは素直に聞くし、ひろりんさんが言ったと言えば、それだけで聞く耳持つんですよ外来の際に米村先生の口から ひろりん と言う名前が出ただけで、もう舞い上がってるんですから」と言うてましたねぇで何と言ったのか?と聞けば、何だったっけ?だそうで、米村先生の口から私の名前が出たことが重要だったみたいですそしてようやく、待ちに待った手術日決定となりました。さぁて、それならば私も本腰入れて術前の心得なんぞを。。。と術後に起こりうるリスクっていうヤツを丁寧に箇条書きしてお送りしました。さて手術はどうなったのかと言いますと。。。これは次回に
2012年04月26日
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ここ数日、股関節の激痛にビビりまくりしばらく調子良く過ごせてましたが、ある時、突然に恐ろしい痛みってやってくるもんですなぁ生まれた時に股関節脱臼して、赤ちゃんの頃にギブス生活送って、人並みどころか人より早く歩くわ、走るわ(クラス対抗リレーの選抜選手だった)だったんですが・・・中学生の頃から、あれ股関節が痛むようになり、それでも生活に支障はなく、体育の持久走なんざクラスメートをぶっち切って走ってたもんです。大人になってからは、歩きすぎると夜は激痛で眠れないってことはあっても、アスリートって訳じゃなし、生活に支障をきたすこともなく。それがそれがですよ、数年前、忘れもしない横須賀の 「くりはま花の公園」 で散々歩き回った数日後、突然の激痛であーた、歩けない5分の道のりが遠い、遠い。。。それからコンドロイチンとグルコサミンを服用するようになり、波はあっても歩けるようになり。それでも出先では、歩く度、博士が ここで待ってろ、車持ってくるからって事もしばしば。。。それでも最近は、そう言うてくれても、「大丈夫」 でかわせてたんですが。。。先日の土曜、日曜なんざ、右足を踏み出す度にビビりまくりです。声を出さずにいられないほどの、ハンパない激痛が走るんですから。どの 「1歩」 で激痛が起こるかわからないから、まるで生まれて初めてスケート靴を履いたというのに、スケートリンクの真ん中に立たされている感じ。今日あたりはマシで助かってますけども、癌なんて病気じゃなくても、思うように体が動かせる時間なんていうのは、自分で勝手に思っているほど長くはないってもんです。つい先日、こんなメールが届きました。2年前の2月に、胃癌で胃全摘の手術を受けた60代の男性患者さんの娘さんからです。その後、病理で腹膜播種が判明して、米村先生の元へ来られました。腹腔内化学療法を経て、腹膜切除の手術を受けたのが、同年6月だから、もう2年、ピンピンと元気にしておられます。病理で見つかったのだから、正真正銘の腹膜播種だから、そりゃ当時は厳しい話がされました。それがこの2年、ゴルフは楽しむわ、旅行も楽しむわ、趣味の居合いまで堪能するわ・・・でした。今も、もちろん元気ですよ。これまで、腫瘍マーカーの推移に不安になることはありました。それでも、いつしか正常値に戻ってます。最近また、腫瘍マーカーに異変が起きたと言います。でも、ほんのちょっとですよ。米村先生からは、「心配いらん」 のお言葉。それでも、ご本人はやはり気になるご様子。。。気弱になったのか、「来年は見られないかもしれないから、岐阜の桜を見に行こう」 と言い出したとか。行きたい、見たいものあれば、どーぞ行ってくださいまし今の私は、言葉を大にして言っちゃいますよ。あのねぇ、「命」 ってヤツがあったって、思うように動ける体っていうのは、何時までもあるもんじゃないですからね。歳を取ればそれだけで、出来たことが出来なくなってしまいます。そうそう6年前、あるスキルス胃癌の女性患者さんが、今年の運動会が最後になるかもしれないから・・・ってお子さんの運動会見物の為に、病院の日程調整でドタバタしたことがありました。雨で順延になってしまって、予定が狂ってしまったんです。当日は涙ウルウルの、感動的、お涙頂戴ドラマのようでしたが、それが今じゃ、ナースの仕事に復帰してフルタイムで働いてますからねぇ。。。「最後かも。。」なんて話は、今や笑い話です。だから、やりたいことあらば、皆さん、やれる時にやってくださいまし。その時は涙ウルウルでも、後で笑い話にすればええやん
2012年04月24日
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昨日に引き続き、「わに塚の桜」 ライトアップバージョンをup しますねこの孤高の桜からは、とてつもないオーラを感じると言って、うちの博士がとても気に入っているというか、惚れ込んでいるというか^^:「塚」 という言葉からわかるように、お墓なんですけどね。この桜の下で眠るお方は、どんな方だったのでしょう。。。ところで、昨年の12月17日の日記に書いた、偽粘液腫の患者さん(50代・女性)の近況が届きました。(過去のブログ参照)昨年の6月に米村先生の手術を受けていますから、もう2ヶ月もすれば1年経過です。術後こそは、本当にトラブルに見舞われましてねぇ。。。2週間で退院したのは良いけれど、帰ってから救急車騒ぎとなり、担ぎ込まれた病院では、シャレにならん言葉が出て、顔は真っ青になったことがありました。大抵は手術前に術後に起こりうる症状等をご説明しています。過去に、全く知らなかった患者さんから 「こんな話、聞いてないです」 というクレームがあったことがありましてねぇ。。。ですから最悪のケースも含めて、包み隠さず 「可能性」 を話しています。これに関して、当の米村先生は何て言ってると思いますぅ んなことはない、大丈夫、心配いらんと私が言うことを、ある意味、否定しまくったりしてるんですよぉ。で、私に対しては、 ほら、悪い話を先に言うておいてくれるでしょう あれ、ホントに助かっているんです そういうことも、あるからねぇ・・・ 僕が言うと不安にさせるだけやから、言うてくれて助かります あっははは・・・(はぃ~)つまり、米村先生ってばおいしいとこ取りで、悪役はアタシかいなですが最近は、 ちゃんと僕も言うとるって言われますが、ほんまかいなでこの患者さんにも、事前に話しておいたと思うのですが、記憶あやふや。。。その懸念の一つが当たってしまって、緊急搬送騒ぎになったのでした。で今はですねぇ、誰からも、あんな大手術を受けた人には見えないほど、患者さん本人は元気そのもの。しばらくぶりで会う友人、知人からは、ご主人の方が痩せてしまったので、ご主人の体を心配される有様だとかごく一部では、恐れおののかれている米村先生の手術ですが、偽粘液腫に関して、お国から年額650万円もの研究費が下りています。この額って凄い額なんですよ。お国からおりる研究費っていうのは、普通は20~30万円という額から始まって、実績を積んで少しずつ増えていくものなんです。研究費を得るのは本当に大変なことで、米村先生だって静岡時代は20万の研究費を得る為に、あちこちに申し込んでいたんですから。 たぶん、ダメやろね~って言いながらねこの額に到達するまで、それなりの時間がかかりますし、癌関連でこの額となると、陽子線やら重粒子線治療のように、バカみたいにカネがかかる研究は別として、そうでない研究には、こんな額は滅多におりやしませんです。ちゃんと実績は上がってます患者さんの笑顔がその証拠かな
2012年04月20日
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昨日は、山梨県まで行って来ました。昨年も満開の時期を狙って行った、北杜市のお寺にある神代桜と、韮崎市にある、わに塚の桜を見て来ました。どちらも満開神代桜の方は樹齢2000年の古木で、沢山の支え棒によって何とか生き永らえているという風。「望まれるなら生きてみせましょう」 という感じでしょうか。お寺にある桜なので、参拝しながらの見物です。参拝の際には、あるスキルス胃癌の患者さん(40代・女性)に穏やかな日がずっと続きますようにと手を合わせて来ました。彼女とは付き合いが長く、術後5年経ち、その時はお祝いもしたのですが、今は状態が良いとは言えません。写真は韮崎市にある 「わに塚の桜」 です。写っている人との比較でわかると思いますが、樹齢320年。大樹という言葉がふさわしい桜です。こちらは一切の支えなく、自らの生命力だけでそびえていました。回りには一切、風雪をしのぐものは存在せず、ひたすら孤独と苦難に耐えて生きているという風です。「孤高の桜」という言葉がふさわしい。オーラを感じると言うか、感動に値する桜です。ところで、2005年当時の話を書いているうちに、当時の米村先生との面白エピソードを思い出しました。これも2005年の話ですよん。当時、静岡の病院に勤務していた米村先生。市が新聞社と共催して、市民向けの癌講座を開くことになり、そこに米村先生が講義するというので行くことにしました。数日前に米村先生に電話をいれる。 先生、開催場所の市民会館までお送りしましょか すんません、よろしくお願いします病院にいるから○時に迎えに来て欲しいと言われる。(そんな遅い時間で良いんだろか)と思いつつ、当日、博士と二人して車でお迎えに行く。 今、病院の玄関ですよ~と電話を入れる。 もう10分くらい待ってください更に時間が延びる。。。(もう始まる時間なんだけどぉ)15分くらいして、やっと現れた米村先生 すんません、待たせちゃって 今、秘書から電話があって、先生、忘れてませんよねって言うんですわ 忘れる訳ないやんねぇ 僕の講義、2番目やもん、間に合いますよ(はぁこれはヤバイ)あちらじゃ米村先生がちっとも現れないので、相当焦っていると踏んだ博士、いつもよりスピードを上げて運転する。当の米村先生は、 ほら僕、講義の内容に花を入れることを思いついたでしょう それやってたら、時間かかってしまったんですわ(はぁ、んなこと知らんがな)さっきまで講義で話す内容をPCでまとめていたらしい。焦る博士と私の内心も知らんと、ご本人、鼻歌なんぞ歌ってる。。。兎に角、急いで市民会館に車を走らせ、会館前で 先生と先に車を降りて行け 車を駐車場に入れてくると米村先生と私を降ろす。この横断歩道を渡れば市民会館というところで、赤信号につかまる。イライラと焦る私。ふと横を見ると、あれ米村先生がいない後ろを振り向くと、米村先生ってばカバンからデジカメを出して、腰を下ろし、道端の花壇の花なんか撮ってる。。。(はぁ) 先生 今は、んなコトしてる場合じゃありません、 信号変わったら走りますよ青信号に変わると、仕方なく私につられて走る米村先生。会場につくと、これまたイライラと米村先生を待っているスタッフに煽られて、今度は楽屋に走らされる米村先生。 ほな、またあとでね~と言って走っていかれましたわ。考えてみれば、この頃から疲れさせられてましたねぇ。。。
2012年04月19日
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ともこさんの 「お腹が切れた」 事件の真相は、ちょっと後回しにして。。。この頃、ほぼ同じ頃に、ある患者さん家族、Mさんと交流をもってました。だから2005年のことですよ。確か・・・この方も三重県の方だったと記憶してます。奥さん(30代)がスキルス胃癌で、病状が芳しくなく、相談メールが届くようになったのです。手術してから2年後のことでした。腹水が多量に溜まり、ご本人は入院中。切羽詰った状態の奥さんを危惧して、Mさんは、奥さんのデータを片手にありとあらゆる病院を駆けずり回ってました。国立がんセンターを筆頭に、あちこち目星を付けて、セカンドオピニオンのはしごをしてましたね。その目星の中に、米村先生も入ってたんです。病院に電話して、セカンドオピニオンの予約を入れても、満杯で1ヶ月先だと言われたとメールが届きました。とても1ヶ月なんて待てないと。。。それで、ちょっと手を回して米村先生に時間を頂戴し、即のセカンドオピニオンの手はずを整えたのでした。米村先生の見解も聞き、何人もの医師の話を手土産に帰って行かれました。当時のMさんの気持ちは、十分わかりますし、同情もするのですが、当のご本人が動ける状態ではない。そんな中で、奥さんの主治医も懸命に処置してくれていて、どこぞの医師や、権威と言われる医師が、「あーだこーだ」 言ったところで、実際に処置するのは主治医です。何かあった場合の責任を取るのも主治医です。外野が何と言おうと、最終判断をするのは主治医であり、それを受け入れる判断をするのは、患者さん本人であり、ご主人なんですよね。で実際、手土産話には、いい話は無かったようです。唯一、米村先生だけが希望を交えての話をしたようですが、現実からはかけ離れていました。こうなってからジタバタするのは、そりゃ致し方ないですが、本気でジタバタするなら、病気発覚後直ぐにすべきで、この時はもう遅かったんです。発覚後、直ぐにジタバタしても、病状が進めば、またジタバタするのが人情でしょうけども。その気持ちがわかったから、無理言って米村先生に時間を作って貰ったんですけどね。これも医者の仕事・・・って、米村先生も言うから。この 「セカンドオピニオンのはしご」 の後は、少し、気持ちの上で納得というか落ち着きが出てきて、Mさんとの交流は減りました。ですが、当時は未だ珍しかった、闘病記をサイト上でMさんは立ち上げてましてね。患者さんの病状は、毎日、up されてたから良く知ってました。個人がサイトを立ち上げるのが、未だ、稀だった頃でブログという言葉も浸透してはいない頃でしたが、Mさんのサイトは、人気サイトでかなりのアクセス数がありました。だから、きっと読んだ方もおられるでしょう。今はあるのかどうか、わかりませんけどね。この患者さんにも、「お腹が切れた」 事件が発生したんです。Mさんの奥さんも、術後、ずっと抗癌剤治療を受けていました。抗癌剤治療を長年受けていると、血管が脆くなると言われています。それが影響したのか?これはわかりませんし、何でもかんでも抗癌剤のせいにするのも、問題でしょうけども。。。抗癌剤の影響としか考えられないと申しましょうか・・・・術後2年も経ってから縫合箇所が剥がれたというのです。繋がっていた筈なのに、そこが剥がれ(もちろん、完全に剥がれたという訳ではなく、腸液が漏れるレベル)、腸液が漏れ出て腹膜炎を発症。腹水でお腹が膨れた為に、お腹の皮が薄くなったところに腸液が混じった腹水が存在した訳で・・・それで、そこが数センチ切れたというのです。話だけ聞くと、って感じで、激痛大出血の大事件って気がしますが、本人はのほほんとしていて、出血はなく、ただそこから腹水が漏れ出るという状態です。切れた時だけはさすがに、痛かったようですが、その後は何ともない。縫合箇所が剥がれたのか、それとも、病気の進行もしくは、抗癌剤の影響で消化管穿孔が起きたとも考えられるんですけどね。皮が薄いことと、腹水で皮が引っ張られていることから、縫合は出来ず。本人は、丁度良い加減で腹水が出ていくから、逆に楽になったっていうから、人間の体って不思議です。こんなこともあるんだなぁ。。。って、当時、思ったものです。
2012年04月17日
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この間、米村先生に電話をした時の米村先生の第1声が、 おぉ~、すっごい久しぶりそう言えば・・・2週間くらい先生の声聞いとらんかった。前回の電話は、うちの博士と交代しながらの長電話で30分くらい話してましてねぇ。鹿児島出身の叔父の家で、二人して呑みながらの電話だったんです。里帰りして帰宅した叔父宛に、あちらで叔父にゴチになった友人という方が、ナント1升瓶の森伊蔵を送って来て。。。これ、超プレミア焼酎で5合瓶でも2万円以上します。この機会を逃したら、まず一生呑めない焼酎を叔父にゴチになりながら、米村先生に自慢しながら長話してましたで 「すっごい久しぶり」 の後には、即、「僕、学会に行っとったんですわ」 の言葉。この間、電話を貰っていても出れなかった、かけ直せなかったという言い訳の先手と私はみましたどんだけアタシは煩いヤツと思われてるんでしょ。久しぶりのともこさん(スキルス胃癌・50代・女性)闘病記です。昨年の11月19日以来となります。(2005年時の回想録です)術後、TS-1+シスプラチン を行うも、腹水が顕著に溜まり始めたので、腹腔内投与をすることになりました。TS-1 服用と併用して、タキソテールとシスプラチンを直接、腹腔内に投与しました。腹水があったことからポートの埋め込みはせず、お腹に直接入れる手法です。この手法を繰り返すうちに、腹水検査ではクラス5クラス2まで下がりました。なかなか良い感じでしたね。あの頃、検査結果が出ると 下がった、下がったって、米村先生が喜んでましたねぇ。腹水を抜くと本人は、相当、倦怠感が出るようで、繰り返すうちに横になる頻度は増えましたけども。。。ちょっと横になれば回復する程度で、家事もちゃんとこなしてました。2005年4月下旬に手術し、縫合不全から入院期間は1ヶ月と長引き、その後、元気になって、食事の苦労がなくなり、穏やかな幸せな時間が戻ってきてました。間違いなく、幸せな時間でした。それが。。。その年の秋、11月だったと思う。治療の為の入院中に、突然、お腹が痛いと苦しみだしましてね。昼間、お見舞いに博士と行った日曜の晩のことでした。お見舞いを終えての帰路、ともこさんに付き添っていたご主人から電話が入りました。ご主人も相当パニクッっていたようで 「お腹が切れて、今処置を受けている」 と言うんです。「お腹が切れるぅ」全然意味がわからん。。。何が何だかサッパリ???なんで、病院に引き返すことにしました。この日、米村先生は海外の学会に出向かれていて、予定ではこの日の夜に帰国。ケータイにかけても繋がらない。電池が完全に切れた模様。やむなく、ご自宅に電話を入れると、正に帰ったばかりで玄関にいるという米村先生と連絡が取れました。スーツ姿のまま、ネクタイもしたままの米村先生が駆けつけてくれて、その直後に私達も病院に到着となったのでした。あれからもう7年経つんだなぁ。。。
2012年04月15日
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ここ連日、気合入れて東京ドームなんぞに行っておりましたあまりにも低迷ジャイアンツにカツ入れて来ました昼間PCに向かい、帰宅してPCに向かい・・・って一応、やることはやってましたよんで球場では、先着2万名に配られるカードで抽選があって、50人に1人が当選の確率なんです。私らは4人で行きましたが、そのうち2人が当選という信じられない出来事がありました凄い確率なんですけどぉ。。JA愛媛がPRに来てまして、オレンジを頂いて来ましたさて本題です。昨年の3月にハーセプチン。今年に入ってから、ゼローダが胃癌に認可がおりました。ハーセプチンの時にも書いたけど、胃癌に新薬ってハーセプチンで10年ぶりくらいですから、次々と胃癌にも 「新薬」 という光が当たってきて、ばんざ~いやったぁ~って言いたいんですがぁ。。。先ず、昨年の3月に認可がおりたハーセプチン。これは乳癌では既にお馴染みさんです。ですが、胃癌患者さん全てに適用とはならず、個々により違いがある癌細胞のタイプによって適応となってます。ハーセプチンの場合は、癌細胞に含まれるHERT2という、特異な蛋白質を多量に含む癌じゃないと効果期待できず・・・なんです。だから、患者さんから癌細胞を採取して、検査する必要があるんです。で認可がおりてから1年以上経つわけですが、データ上だと6~7人に1人くらいの割合で適応することになってますけども、これまで、胃癌でHERT2陽性患者さんって、私のとこにはご報告が来てません誰かいませんかぁ?ってレベルの頻度なんですぅそして今年に入ってから、大腸癌では既にお馴染みさんのゼローダが胃癌にも適用となりましたが、これ何を隠そう、「5FU」 なんですねぇ。。。 5FU=TS-1=ゼローダ大雑把に考えると、こんな図式が成り立ってしまうんです。5FU は24時間持続点滴を月に5日間 が基本なんで、入院という束縛があったり、もしくは、今の時代は、ご自宅で病院からポンプ貸し出しという形で行う治療です。どちらにしても、点滴に繋がれてしまうというネックがありますが、静脈には常に一定の量が流れるので、薬効が一定に保たれるという利点があります。それに比べ、経口薬のTS-1は、服用してから胃で消化されその後吸収されるまでに要する時間にどうしてもムラが出来てしまい、薬効という意味では一定とは言えません。今回、胃癌に適用になったゼローダは、肝臓や腫瘍で代謝して5FUになるって薬です。TS-1同様の経口薬で、1錠350円也。これを1日に6~10錠程度服用が一般的のようです。1日10錠服用の患者さんの場合、1日の薬代が 350円×10錠=3500円一先ず、2週間服用として処方されると49000円、この3割が患者さん負担です。TS-1が出たばかりの頃、1クール(4週間服用分)がざっと10万円だったから、値段的には同じくらいかな。なんだぁ、結局のところ5FUかぁ・・・って思ったんですが、ある胃癌患者さん(腹膜播種・肝転移・20代・男性)が手術不能で早々にこのゼローダ+シスプラチン(XELOX)の治療を受けていた方がいます。腹膜播種だけだって、相当厳しい筈で、これに肝転移が加わると、更に厳しい。。。その後、米村先生の元へ来て、3月に手術を受けたのですが、この時、あった筈の肝臓の転移が消えていたんですねぇ。。。手術は成功して、現在、暫定ストマではありますが、とても良好な状態です。米村先生が 5年生存、いけるんちゃうかなぁって言うほどの肝臓で代謝して5FU・・・これが肝臓転移には良かったってことでしょうか。。。まだ、胃癌では適用になったばかりで、奏功率なんて出せる状態じゃないですが、期待して良いかしらん
2012年04月13日
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首をなが~くして待っていた手術の連絡がきましたというご連絡が、次々と届いています。ようやく、次のステップとあいなりました手術直前の皆様方、頑張って来てくださいませまた、これとは別にここ最近、難しい患者さんの新規さんが増えています。腹膜偽粘液腫は難病ですが、この病気の他にも同時進行形で難病を抱えている患者さんが2人。また、難治性と呼ばれるスキルス胃癌ですけども、この他にも別の癌を抱えている、いわゆる重複癌と呼ばれる患者さんが1人。。。大変な病気は1つだけで十分でしょうけども、っていうか、1つだって要らないでしょうけど、これまで症例がないだけに、私も対応が難しくなり、米村先生と連携をはかりつつの対応になってます。ところで、1月7日のブログに書いた患者さんの近況が届いてマス小腸癌の70代の女性患者さんです。手術直前に体調を崩し、地元で入院。。。この時、かなり厳しい話がされちゃいました。しゅじゅつぅとんでもないこのまま緩和ケアでしょみたいな話がされましてねぇ。その患者さんが、大手術となり回復が遅れて、「この年齢の患者さんに、なんて無茶な手術をするんだ」 という批判もあったりしましたけども。。。米村先生ご自身が、自信をなくしかけてたって言うか・・・ゆっくりゆっくりですが回復し、今は手術前と同じ生活が送れるようになってます。前回のシリーズ化した時に書いてますが、この患者さんのご主人は、若干、認知症の気がありましてね、介護2の状態なんです。この方が病院から、手術日程連絡の電話を受けてしまったらしいものだから、当時はドタバタしちゃいました。で、この小腸癌の患者さんが介護認定2のご主人の介護をしているそうです。患者さん自身も、ストマということもあり、糖尿病もあり、介護認定2らしいんですけどね。今は 「食べることが楽しみ」 だそうで、何でも好きなものを買いまくって少しずつ食べているそうな。このお体で、尚且つ、この年齢でお住まいが田舎ってこともあるらしいんですが、ご自分で車を運転して買い物にも行っているとか。術後、定期外来を2回受けてますが、腫瘍マーカーは標準値以下で問題なし。今、まさに普通の生活を普通に過ごしておられます。手術前の予定だと、今頃は緩和ケア病棟に入っているハズなんですがぁ。。。いやいや、あの時の雰囲気だとぉ、緩和ケア病棟どころか、今頃は別の世界にいても可笑しくないみたいな話が出てたんでけどねぇ。。。あれ 全然、ちゃうやん
2012年04月09日
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昨日と今日はちょっと寒いです。昨夜の我が家の夕飯のメニューは、4月にはまず作らない「すき焼き」でした昨日の続きです。このKさんは、術後約1年後に突然の腸閉塞で再発となってしまいました。術後の抗癌剤を拒否したから・・・とは言えませんし言いません。3月15日から3回に分けて書いた、「突然の腸閉塞」 の70代のスキルス胃癌の女性患者さんも、術後約1年後に再発です。こちらは術後、ちゃんと抗癌剤治療をしてました。でも、やっぱり1年で再発してしまいました。。。この二人の症例で言うならば、どっちにしても「1年で再発」してしまうなら、辛くて治療代が高い抗癌剤治療なんでやらなきゃ良い・・・って思う方もいるかもしれません。ですが、当のご本人の気持ちはどうでしょうか。これまで術後、どれだけ経過してからの再発かは、本当にマチマチですが再発患者さんは残念ながら何人も存じ上げています。その中で、「再発するなら抗癌剤治療なんてやるんじゃなかった」 って言った人を知りません。再発を告げられると、落ち込みは相当のもので、これは時間の長さに関係ないです。「こんなに治療を頑張ったのに、何故」と言う方はいますけど、「治療なんてやらなきゃ良かった」と言う方は実際、いないんです。Kさんの心はどうだったのか。。。再発してからプッツリと連絡が途絶えてしまったので、わかりません。だけど、「抗癌剤をやっておけば良かった」 という後悔はゼロではなかったのではないかと思うんです。私が心配しているのは、その「後悔」の思いなんです。「やるだけやったけど再発」 と 「やらかなったけど再発」 では本人にとって重さが違うんじゃないかと。。。Kさん、駆け込んだ地元の病院で余命3ヶ月を告げられてから、治療を受けていたようです。だけど、気力の低下が著しく、遠路の米村先生の外来は行かなくなってしまった様子。余命3ヶ月を覚悟したけど、それから少しずつ体は元気を取り戻し、検査データも悪くはなく、元気な時間が戻ってきていたそうです。この4月から職場復帰の予定が立てるほど、元気になっていたとか。それなのに、ここに来て急に貧血が酷くなり、入院治療となったところへ私から突然のメール。Kさん、また気力をなくし「もう楽になりたい」とこぼすようになっていたとか。。。そんな時、米村先生が自分を気にかけてくれている事を知り、自ら米村先生に電話を入れたそうです。 体調が良くなったら、また外来においで~との米村先生の言葉に元気を貰いましたと連絡がありました現在、貧血状態で自宅療養されています。もう自分のことなど忘れられているとばかり思っていたとか。。。少しずつ栄養付けて、元気になってくださいませ。米村先生が待ってますよそうそう、前述の70代の女性患者さんも、術後初の米村先生の外来に先日、行って来られました。痩せた体に体力はなかなか戻りませんし、娘さんの苦労もひとしおですが、その努力の甲斐あって、外来に行けるだけの気力と元気は戻ってきました
2012年04月07日
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昨日の続きです。この40代のスキルス胃癌の男性患者さんの手術内容は、胃全摘及び、胆嚢切除、リンパ2群カクセイ、腹膜部分切除、術中温熱療法です。術後は胃が無い訳ですから、食事の苦労に気持ちはでしたけど、これは時間が解決してくれました。食事の苦労以外は、これと言って問題もなく回復して元気になりました。術後、数ヶ月してから、ご本人から「術後の抗癌剤はやらなくて良いですよね」というメールが届いた時は焦りました~話を聞くと、TS-1を処方されながらも、全く服用していないと言います。抗癌剤治療以外の、再発防止の努力は何でもやるから、やらなくて良いですよねって言うんです。食事とか、日々の生活とか、ストレスを溜め込まないようにするとか、良いって言う漢方薬を飲むとか・・・とにかく、「再発予防の努力」 は最大限にしますから、抗癌剤だけは嫌ですって言われます。お気持ちはわかりますが。。。術後の抗癌剤治療に関しては、必ずしも妥当かと言えばそうではないという見解を持つ医師もいるし、抗癌剤そのものが新たな癌を作ると言う医師もいるし、考え方は色々です。ですが他の癌ならいざ知らず、スキルス胃癌のように、再発率が異常に高い癌の場合は、術後1~2年、できれば3年は抗癌剤治療をすべきだと思います。何故ならば、再発予防という観点で考えるよりも、この病気に関しては癌を全て切除しても、どこかに癌が隠れて潜んでいると考えるのが妥当だからです。だから、まだ癌はどこかにいると疑って、しばらく抗癌剤治療をした方が良いと思うし、これはエビデンスが確立している手法ですから。。。とまぁ、私としては説得したつもりなんです。確かに。。。術後、抗癌剤治療を行っても、結果が出ず早々に亡くなった患者さんもおられます。ですが、このスキルス胃癌に関しては、術後、抗癌剤治療を2年~3年もしくは、これ以上、行った方で長期生存というデータが存在してますからね。辛いとは思いますが、結果を出している以上は薦めるしかないと言いましょうかねぇ。。これに対して、「ふぅ~ん、まぁ、考えてみます」 とナンとも気迫のない返事が届いて以来、連絡が途絶えてしまいました。まぁ、いくら薦めても選択肢は患者さん本人にありますからね。何をどう選択されようとも、その意思は尊重しています。結果が伴わなくても、ご本人の選択であれば、問題はないと考えています。私の薦めを断ったとしても、それはそれ、縁が切れるなんて思ってはいません。そして術後、1年経って、ある日突然の腸閉塞で救急入院、そのまま人工肛門になったのでした。この時、奥さんから直ぐ連絡がありましてね。半月前の定期健診では何の問題もなく、クリアしていたこと。それが、急に腹痛で近くの病院に運んだら、大腸が8cmにも膨れていて破裂の危険があると言われたこと、緊急手術が必要と言われたこと。それならば、米村先生に手術して頂きたいと思って、病院に電話を入れるも不在で連絡が取れないこと。時間がなくて、手術となり人工肛門となったこと。そんな事が書かれてました。つまり、米村先生より早く私の方に現状報告が届いたのでした。この時、言われた余命は3ヶ月。。。どなたも言われますが、初めて癌の告知を受けた時より、再発の告知の方が堪えると。。。このKさんも同じで、意気消沈ぶりは相当のものでした。この事態の急変の報告は、米村先生になされたものの、米村先生の外来に来なくなってしまったのでした。あれから1年5ヶ月が経ち、患者さんご本人から米村先生に久しぶりの電話があるまでの話を次回に。
2012年04月06日
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持ち回りなんですけども、今年は自治会の一番下っ端の役目を仰せつかり、この4月から何かと雑事が増えちゃいました。メールのお返事も、現在、5日以内に返せれば良い方でして。。。緊急及び、急用メールを優先してお返事せざるを得ず、これやると、以前に頂いたメールがページが変わってしまって、お返事しそびれちゃうこともありましてぇ。。。すみません、お返事必要な内容で、私からちっとも返事が来ない方がおられましたら、再度、メールを下さいませ。1週間くらい前だったかなぁ、米村先生が あの三重県の若い男性患者さん、どうしているか知ってますと言い出しました。もう1年以上、ご無沙汰なのだとか。。。家に電話を入れたけど、出なかったとか。。。 誰ですか ほら、ひろりんからの紹介の患者さんで、 30代かな、40代かな、突然、腸閉塞で人工肛門になった 学校の先生している人そう言われてもねぇ。。。誰だかわからん。そもそも私経由の患者さんって・・・一体、何人いると思っているんでしょ。サッパリわからんがな米村先生も名前が出てこないようで、二人してキーワード出しまくり。まるで、連想ゲームやんか。それでも、二人して名前が出て来ない、想像している患者さんにズレがある。一体、誰数日おいて、仕切りなおしとなり、 名前、わかりましたよ、Kさんです 先生、この間の患者さんの名前、Rさんでしょと答えを出し合ってみたら、私、大はずれしちゃってましただってぇ。。。患者さん、沢山いるんだもん。。。でも、名前を聞いたら直ぐにわかりました。最初から、名前を言ってくれつーの早速、奥さんに電話してみたけど、繋がらないからメールしてみました。1年数ヶ月ぶりだから、アドレス変わったかも?とか思いながら。。。そしたら、直ぐに返事が届いて、突然の私からのメールに 「心臓が止まりそうなくらい驚いた」 そうです。ありゃま、大変、私、奥さんを殺しちゃうトコだったかしらん患者さんの経過はこうです。過去に書いたことがあります。40代・男性のスキルス胃癌の患者さんで、腹腔鏡下検査でクラス2。腹膜播種と断言はできないけど、その可能性ありというところでしょうか。2009年1月のことです。その後、米村先生の元へ来られ、治療を受け、手術となったのが2009年4月。手術は大成功!!ですが、スキルス胃癌で尚且つ、腹膜播種の可能性ありということなので、当然のことながら、術後の抗癌剤治療が開始されます。ところが、術前の抗癌剤治療がこの患者さんにとっては、かなり辛過ぎたようで、本人、TS-1を処方されながら、飲まなかったんです。このあたりの話は、過去のブログにも書いてます。長くなったので、続きは次回。
2012年04月05日
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ここに書く患者さんの話は、米村先生の患者さんが7~8割を占めますが、2~3割は米村先生の患者さんではないです。何せ、私みたいな奇特な存在は珍しいらしく、沢山の方からご相談を頂いてまして、米村先生とは全く無縁の患者さんとも、結構多くお付き合いがあります。今日、お話するのは、米村先生の患者さんではなく、某大学病院で腹腔内化学療法を受けていたスキルス胃癌・腹膜播種の患者さん(50代・女性)です。娘さんから最初に相談メールが届いたのは、2010年4月でした。スキルス胃癌で、幽門部を中心に癌が広がっていて、病気発覚当初から食事が困難だったようです。それで、自宅近くの×大学病院で幽門部付近のみ切除、腹膜に沢山の癌を確認したまま閉腹。この直後にメールが届いたのでした。胃癌・腹膜播種に有効性が認めらるようになった手法・腹腔内化学療法の話をしました。この治療法は、米村先生も施行しているけれど、○大学病院でも行っていることを伝えました。すると、米村先生の元での治療は、自宅からあまりにも遠すぎますので、○大学病院に相談に行ってみます・・・との返答でした。その後、○大学病院で腹腔内化学療法を受けることになったという報告が届き、それ以降、ご無沙汰状態になりました。この時に、○大学病院では恐らく、抗癌剤治療のみで今後、手術という選択肢は出ないと思いますので、治療の効果が出て、手術という選択肢を考えてみたくなったら、またご相談ください・・・こんな返事をしたと思います。あれからもうじき2年が見えそうになった、今年の2月に久しぶりに娘さんからメールが。○大学病院での腹腔内化学療法が実に良く効いてくれたこと。普通の生活がずっと送れていたことから、私のブログもあまり見る日がなかったこと。そして・・・それが、ここ数ヶ月、一気に病気が進んでしまったこと。現在は、腸閉塞で入院となっていること。今更ですが、米村先生のご意見を聞く意味はあるのでしょうか・・・と書かれてました。あまりにも元気でいてくれたから、治療が効いてくれたから、現実から目をそらしてしまっていました・・・と後悔と受け取れる文面でした。それまでは、ずっと毎日、ひろりんさんのブログも見ていたのに、ずっと見なくなって、今更だけど、また、ひろりんさんのブログを見始めて、メールしてしまったと。。。セカンドオピニオンであれば、何時でも承りますが・・・と前置きしてから、入院治療を受け負えないこと、今のお母様には、残念ながらやれる治療内容は変わらないと思うこと、現状、見知らぬ土地の病院に移ることは、お母様にとってマイナス面が大きいように思うこと・・・そんなお返事をしました。娘さんが母親と相談した結果、やはり今の病院でこのまま・・という結論に至りました。これ以降、みるみるうちに病状が進んでしまい、今も時折、メールが届きますが、届く都度大きく変わっています。彼女が今、一番後悔しているのは、最後に受けた抗癌剤治療です。抗癌剤治療の投与の選択を、主治医から求められた時、母親は 「受けます」 と答えたのだそうです。娘さんは、自分の目からみて、今、抗癌剤治療を受けることのリスクの大きさを感じたと言います。でも、本人が、母親が受けたいというのだからと、賛成したと言います。これを機に一気に病状が悪化。。。あの時、もう治療はいいんじゃないって言えばよかった、反対すれば良かった、あの治療を受けなければ、まだ母親と会話くらいは出来たのに。。。と。私のある日のブログを読んで、自分も後悔したと。その時のブログの内容はこのケースとは真逆で、患者である母親が嫌がったのを、娘さんが無理に説得して治療を受けさせたが為に、寿命を縮めてしまった話でした。それを悔やんで悔やんで落ち込む娘さんの話でしたが、この方の場合は、逆で、自分が止めさえすれば・・・と悔やんで悔やんで落ち込んでいます。結局、止めたら止めたで、本人の意思を通してあげれば良かったと思うはずで、どちらを選択しても、落ち込む気持ちは同じ・・・ご本人の意思を尊重したのだから、貴女の選択は間違ってはいないと伝えました。そして今。。。彼女はずっと母親に付き添い、時間を過ごしています。願うことはただ一つ、緩和ケアの病院に移って穏やかな時間を母親と過ごすこと。会話もままならない状態だけれど、彼女はそう願ってるんです。時々、今も届くメールにはいつも最後に ひろりんさん、聞いてくれてありがとうございますと私をも気遣ってくれる彼女です。病状が進行してしまうと、治療の続行は患者さんもしくは、ご家族が「止める」か「続ける」かを選択せねばならない岐路がやってきます。もう、やらない、やることがないと言い放つ医師もいますが、この患者さんの主治医はそうではなく、最後の最後までご本人の気持ちを優先したのです。どちらが正義で、どちらが残酷なのか。。。これは、時が過ぎてから答えが出てきます。
2012年04月02日
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