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ここ数日、プライベートで忙しくなっていまして。。。なんで、こう重なるんでしょって感じですぅ。先ずは、ご近所にご不幸がありまして、そのお手伝いで明日、明後日はドタバタです。先日、ここで書いた 「手術連絡が未だ来ません」 事件ですが、ちゃんと解決しております。その流れをちょいっとお知らせしておきます。うちの博士、仕事の関係でケータイ2台持ちです。2台持っていますが、殆どが電話着信で自分からかける事は滅多にない。と言うことはですよ、無料通話分が余りまくり。で、博士が どちらのケータイでも、好きなだけ使えと言うので、このところ博士ケータイから米村先生に電話することが多い。とは言え、博士のケータイの着信なんざ、あたしゃ気にしちゃいない。そしたら、 「不在着信2件」 に気付いた博士。 あれ 米村先生から電話が来てるぞ あらま、そりゃ気が付かなかった。。。かけなおすと、 ほら、昨日言ってた患者さん、名前なんでしたっけ ○○さんですよ、手術連絡をクビを長くして待ってますよ おお~、そうだった、明日電話しますわそう言われるので、すぐさま、○○さんに 「明日、電話がいくようですよ」 ってメールをいれると、大喜びされました。米村先生もちゃんと気にされています。ところが翌日の夕方、○○さんからケータイにメール。 「まだ、連絡が来ないのですが。。。」(えっでもなぁ、未だ夕方だしなぁ、米村先生、外来の日だしなぁ)と思いつつ、米村先生に電話を入れてみると、 今、外来が終わったとこですわ あ~、疲れた~ えっ手術連絡 正に今から、看護師さんからいくとこですと言われます。患者さんのせっかちなお気持ちもわかりますけども、ちゃんと連絡はいきまんがな。でもまぁ、焦るお気持ちはごもっともなんで、先ずは安心して頂こうと今度は患者さんに電話を入れたのでした。で、なんやかんやと、今日の早朝にケータイにメール着信。 「大変ご面倒をおかけしました、病院から連絡を頂けました、ありがとうございます」ようやく、私も安心です。私も結構、働いているでしょさぁて、もうじき手術本番です頑張って来てくださいね
2012年06月30日
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昨日、ケータイに、 「米村先生から6月下旬の手術と言われて、 連絡待ちなんですが、未だ連絡が来ないんです 忘れられてませんよね こんな時ばかりのメールですみません」というメールが(またか・・・)で、これまたいつものように せんせ~いと電話を入れる。 いやぁ、急患が2人も飛び込んで来てねぇ もうちょっとだけ、待っとってください ベッドの調整、急ぎますから・・・ってな会話があり他にも3人ほど、連絡待ち患者さんを知っているんで、これからも米村先生のお尻叩きまくりだな、こりゃ大体、「○月上旬」とか、下旬とか言われますが、先ず、ずれ込みますんで、この点、ご了承しておいて下さいませ。今日は昨年の5月9日と、11月17日の日記に書いた患者さん(60代・男性)の近況を。題目には、「初期の肺癌と虫垂癌・腹膜播種」 とありますが、肺の手術後、虫垂癌・肺転移であることが判明しました。似たような患者さんで、大腸癌・肺転移だと思われたいた患者さんが、実は、大腸癌と肺癌の重複癌だったという方もおられますんで、お間違いのないように。昨年の春に受けた検診で、たまたま肺癌が見つかったんですが、その後のPET CT検査で虫垂癌が見つかったという流れでした。今思えば、虫垂癌が腹膜だけでなく、肺にまで飛んでいたわけです。2011年5月に米村先生の手術を受け、同年7月に地元で肺の手術を受けました。術後、辛い山はありましたけど、その後、お元気になられました。ところが、年末に受けた検査で、切った筈の肺転移の再発が見つかりました。まだ小さいながら、複数見つかり、現在、抗癌剤治療を受けながら、肺の経過観察中です。お腹の方は問題なし。人工肛門となりましたけど、これは致し方なしです。患者さんの娘さんから、ご丁寧に半年毎にご報告が届きますので、私も、把握しやすくて助かっています。現在、お腹の方は問題ないし、肺転移も大人しくしてくれています。複数箇所に癌がある場合、経過観察を十分設けて、再手術するか否かを判断します。このまま特に問題がなければ、年内にもう1度、肺の手術というところです。術後(腹膜と肺)1年が経過して、現在、抗癌剤治療を受けていますが、悩みは2つ。1つは、抗癌剤の副作用。手足の痺れや、痛みが酷いようなんです。特に足。足って何をしても使う場所で、歩き出す都度、痛いらしいんです。厚手の靴下履いたり、力加減を調整したりと、気を使ってはいるらしいんですが、痛いらしいんですねぇ。。。抗癌剤は蓄積されると言いますから、クールが増すごとに辛くなるのが普通。だから、普通と言えば、普通かもですが、日常生活に大きな支障が出るようでは、やはり困りますよね。とは言え、肺転移を大人しくさせておく為には、治療を止める訳にもいかない。大人しくしているということは、効いているのだろうから、薬剤を換えるのも怖い博打。もう1つの悩みは、地元の医師とのコミュニケーション。この方も、イマイチ、上手くいってない模様。「米村先生の手術を受けたことが、面白くない」 みたいでねぇ。おまけに現在、治療を請け負っているのは、地元病院なのに、何故、半年毎に遠路はるばる米村先生に診て貰いに行くのか?も面白くない要素みたいで。。。地元外来では、体調を聞くでもなく、こちらからの話にも耳を傾けてくれるでもなく、ただ抗癌剤の投与を請け負っているだけ・・・みたいなんですねぇ。あまりにも事務的と言うか、機械的と言うか・・・人と人との付き合いじゃないみたいでねぇ。患者さん側は、上手く付き合っていきたいのに、拒絶されている感じかな。あちらに言わせれば、拒絶させる原因を作ったのは、患者側だろってところなんでしょう。こうなると、逆に患者さんの中で米村先生への信頼度、依存度が益々大きくなり、地元医師への信頼度はどんどん下がり、悪循環なんです。これ、絶対に良くないです。そこで、この患者さんだけに当てはまることではないので、書いておきます。地元の外来では何かにつけ、「米村先生がこう言った」 「米村先生は、そうは言わなかった」と、つい言ってしまう患者さんが多いです。これ、実は禁句です。人と人 としての付き合い方には、患者と医者であっても、やはりルールとマナーが必要でなんす。話は戻って、この患者さん、1年前に悲観にくれていた頃を思えば、上々の元気ぶり、生活を送っておられま~す
2012年06月27日
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2月18日に書いた患者さんの近況が届いてます。(この患者さんの話もシリーズ化してま~す)前にも書いた、経過。この患者さん2009年6月に腹水4L 抗癌剤治療 効果なし 治療は無理、もう看取りを考える段階と宣告受ける 大泣きする 米村先生のもとへ来る 抗癌剤治療再開 治療奏功 2010年2月米村先生の手術受ける、この時、腹膜を切除 元気になって、お芝居見物、SMAPのコンサートに行く 2011年5月、肝臓に癌が再発する 2011年9月、肝臓の手術を受ける 元気にディズニーランド病気が判明した時には、既に腹水4Lで、腫瘍マーカーの CA125 が4000を越えてましてね。抗癌剤治療のTC療法を受けました。チョーユーメーな癌専門病院でね。原発特定できないまでも、卵巣癌の疑いだったんですねぇ。ここまで腹水が溜まる状態というのは、かなり癌が進行していることを意味します。これ、癌治療に関わる人間なら常識です。ここまで悪化した患者さんを、本気で治そうなんていう医者は、まぁ、おらず。。。何にもしないのもナンだから、患者さんや家族を納得させる為に、まぁ、効果はないだろうけども、抗癌剤治療をちょっとばかり行って、どうせ効かないから、早々に諦めてもらいましょ・・・って言うのが、通例っていうか、普通っていうか・・・で、この患者さんもモロにそんな感じでしたね。「ここは、日本屈指の癌専門病院でっせ、ここで駄目なら、アナタも諦めもつくでしょ、早々に緩和ケアにいきなはれ」・・・って言うのが、見え見え。もちろん、プロ中のプロだから、こうは言わないけれど、プロだからこそ、配慮ある言葉で伝えるのかと言えば、そうじゃない。まぁ、ストレートな物言い。幾つになってもねぇ、こう言われちゃねぇ、泣きますわな。それだけじゃないですよ、 「うちは治療費、高いですよ、払えるんですか」と、懐具合まで心配してくれたというのだから、やはり、プロ中のプロは違いますな。この患者さん、もうとっくに別の世界にいる筈なんですけども、これがそうじゃない。つい先日の米村先生の外来の報告が娘さんから来てます。肝臓に再発してしまって、肝臓の手術を受けてから、TC療法を6回受けてます。今回の外来では、ここまで問題もないし、患者さんの年齢も配慮して、ここで抗癌剤治療を止めましょうと提案がなされたらしい。ものすっごくお元気なんですよ。手術で胆嚢も切除しているんですが、胆嚢が無いと油物は極力控える・・・っていうのが、常識ですよね・・・って言うか、この患者さん、70代も後半ですから、胆嚢があっても油物なんてあまり食べない年齢じゃないかって思うんですが・・・いつも外来に付き添う娘さんが、いつも通りに、前日、都内から実家に戻り、母親と夕飯を食べるのが通例となってますが、この晩のメニューはナント、エビフライそれも、胆嚢がない高齢のこの患者さん、6本も食べて、お酒も飲んだとか ここまできたら、もう好きなもの、何でも食べさせます お肉も大好きですし・・・と娘さん。そりゃそうですよね、今、元気っていうよりも、生きていることが 「奇跡」 だとしか思えないんですから。「おまけ」 の時間ですよ、言い換えればね。米村先生ってば、太っ腹な 「おまけ」 をくれましたよ娘さんとしては ここまで元気に生きてくれているのだから、 何でも好きなもの、お食べ~・・・って思っている訳ですけども、当のこの患者さん、外来で米村先生にした質問が 食べちゃいけない物ってありますか・・・っだったそうな危険で浸襲激しい筈の手術を受けて、温熱療法まで受けた患者さんですよん
2012年06月26日
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半年くらい前かなぁ、それとも、もっと前だったかなぁ。。。ある患者さんのご家族から、こんなメールがケータイに。 「これ、米村先生のことだと思うんですけど、見てみてください」って、あるブログのURLが送られてきました。言われるまま接続してみると、某医師のブログでした。この医師は、お名前だけは存じています。多分、癌患者さんにとっては有名な先生じゃないでしょうかねぇ。私が知るきっかけは、この先生の患者さんから数名ほど、私に相談メールが届いたことがあるからです。私に届く相談メールは、高い割合で主治医もしくは、病院の不満が書かれていますが、この先生の患者さんからは、そういうことはなかったです。では何故、不満もないのに相談が届くの?と言うと、化学療法のエキスパートであって、手術の選択肢が出てこないから。手術という選択肢が欲しい患者さんは、どうしても物足りなくなってしまいます。私の勝手なイメージですが、この医師に悪いイメージはないです。と言うのも、米村先生の手術を推奨することはないけれど、批判はしない。反対することはあってもね。また、患者さんが望んで受けるのであれば、術後の治療も請け負ってくれてました。そんな医師ご本人がブログを書いていることを、このメールで初めて知ったのです。何が書かれていたのかと言えば。。。どうやら、米村先生の手術を受けた患者さんの娘さんが、この医師に相談メールを送ったようです。相談メールの抜粋がそのまま載せてありました。「術後、数ヶ月が経つけれど、回復が芳しくない。外来にも行けそうもなく、殆ど寝たきり。Y先生の手術は、こんなにも大変なものだったのでしょうか?自分は嫁いでいるので、遠くはなれて暮らしていて、心配で仕方ありません。どうしたら良いでしょうか?」すっごく簡単ですが、ざっとこんな内容です。気を使って下さったようで米村先生ではなく、Y先生となってました。この相談メールに対する返答が、結構、私的にはウケました。解決策として、「遠くに住まずに、近くに住むことをお薦めします」とそりゃそうですよね、近くに住めば、こんなにもヤキモキすることは無いですからね。その次に、ちょっとしたお叱りの言葉。「手術前に十分検討して、手術を選択されたのだから、結果が良くないからと言って、泣き言を言うのはおかしい」 と。その次に、医師らしく腹膜切除に関する、ご自身の経験を踏まえての内容が事細かに書かれていました。どんだけ大変な内容の手術であるか、術後管理がどれほど難しい手術であるか・・・全てに目を通した後、私、コメントを入れました。直接、メールを送りたかったのですが、こう見えてアタシ、ネットおんちえっへん、どんなもんだいどうしたらメールが送れるのか、わからない。だから、コメント欄に書かせて頂いた次第です。「お説、ご尤もなれど、米村先生の患者さんがお困りのようなので誠にお手数ですが、私に振って頂けないでしょうか?」と、このブログのURLを載せてお願いしてみました。米村先生の患者さんがお困りなら、放ってはおけません。米村先生にも、この医師のブログを見て頂きました。心当たりの患者さんがいないか、確かめるためです。患者さんが、どなたなのかわかれば、米村先生の方から連絡をして貰えば良いですからね。米村先生、「あの人かな、それとも、この人かな」 とイマイチわからず。。。すると。。。私のコメント、どこかに消えてしまっており。。。あれ 不愉快な思いをさせてしまったかしらんだとすれば申し訳なく、一主婦が頭を下げたところで価値ないでしょうから、うちの博士に頭下げて貰おうかしらん多分、こっちは価値ありますから・・・って言うか、博士が、 米村先生の患者さんなら、直ぐにフォローしとけ 失礼のないようにコメントいれろ ・・・ん、その内容なら良しって言うたんだもん。不愉快にさせたのなら、博士のせいだも~んところが。。。翌日の日記には、米村先生をお褒め頂く内容が書かれていました。未知なる世界に果敢に挑む医師みたいな。なんでかわからん。。。これも米村先生ご本人に見て頂きました。 僕のこと半分けなして、半分褒めとるね あっははは・・・米村先生的にもウケてましたよ。結局。。。患者さんはどこのどなただか、わからなかったけど、今はお元気になっていると良いなぁ。結構多いんですよ、術後、半年くらいは、もう心配で不安で後悔の念さえ出ていたのに、半年を過ぎたら、「やっぱり、手術して良かったです」 って仰る患者さんって。米村先生を批判される医師も、誤解されている方が多いような気がします。医師と言えど、本人同士、全くもって交流がない。昔から学会で顔を合わせていても、殆ど、口を聞いたことがない医師も沢山いるみたいです。 それにしても、ネットの世界も広いようで狭いもんです。
2012年06月24日
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今朝は6時に起きて、あのメジロのひなを巣に返しました。「メジロなら、庭先の木に巣を作ることがありますよ」って、winkiさんが教えてくれたので、探してみたら、ナントうちのもみじの木に巣があるのを発見ヒナの写真です、うちの博士の手がデカイ訳じゃないですよ巣に戻した途端、2羽の親鳥がやって来て餌をあげ始めました。本当に一瞬でやって来ましたよ。親鳥も必死だったんだなぁ。。その後、しばらく観察してましたけど、お向かいのお宅の木にいるみたい。泣き声だけ聞こえます。ところで、今日は腹膜偽粘液腫の患者さんの話です。患者さんは40代・女性で、先月手術を終えてもう退院してます。腹膜偽粘液腫って、「難病」ってことは何度も触れていますけど、この患者さん、もう一つ難病を抱えてます。乾癬と言って命に支障はない皮膚の病気です。その稀な病気の中でも稀な、関節に病状が出てしまうタイプ。関節痛が酷くて、最初はリュウマチだと診断を受けていたくらいです。お聞きするところ、関節の痛みでコップも片手では持てない、歩くのも大変そうで・・・命に差し支えはないと言っても、痛いのはたまらりませんよね。乾癬と同時に腹膜偽粘液腫も判明したんです。病気判明してくれた大学病院で手術するも、ゼリー状の腫瘍が広範囲に飛び散っていたそうな。抗癌剤は効かないと言われ、飛び散っていたから取りきれなかったと言われ・・・途方に暮れ、悲観に暮れている時に、高校生の娘さんからメールが届きました。今年の1月です。乾癬という病気は、私も彼女と出会ってから初めて知ったのですが、免疫異常の病気で、乾癬の治療には、免疫力を抑える薬を使って治療するらしいんですねぇ。免疫力を抑える低下させる・・ということはですねぇ、腹膜偽粘液腫という癌に対して、これ以上、免疫力を下げることは危険ではないか?乾癬で死ぬことはないのだし、痛みだけ鎮痛剤でコントロールして、先ずは偽粘液腫の治療が先でしょう・・・との皮膚科の医師の見解。偽粘液腫の方は米村先生の診立てによれば、チョー軽いもの。だから、偽粘液腫の手術の方はずっと後でも問題はないのだけれど、その間、乾癬の治療が出来ないじゃねぇ。。。おまけに、最初の手術で長期休暇を取っていたこの患者さん、また手術また、長期休むのぉ~、んなら、もう来なくて良いです・・・って仕事をクビに話を聞けば、親一人、子一人の母子家庭。こりゃ、今後の生活の目処を早く立てる為にも、米村先生に早く手術して貰わな・・・で、この患者さんに関しましては、私が米村先生を煽ってましたで、現在は術後の回復も順調でご自宅で療養しながら、皮膚科にも行き始めました。気のせいか?乾癬の痛みも、楽になったような気が・・・って言ってましたよん
2012年06月21日
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昨日の台風で飛ばされてきたらしい、メジロのひなです。写真だと大きさが良くわかりませんが、全長3cmくらい。市役所に電話を入れて、メジロは法律で、飼ってはいけない鳥に指定されていることを先ず、確認。でも放っておけば、野良猫やカラスにやられてしまう。。。鳥のことならwinkiさんに聞けで、電話を入れてみた。「野鳥の飼育経験はないので、わからないけれど。。。」と言われたけど、色々とアドバイスを頂きました。その後、「神奈川県自然環境保全センターという所があるから、相談してみては?」 と電話番号まで調べてくれて、メールをくれました。で、保全センターに電話を入れて親元に帰す方法を教わりましてね。外に放してみたら、2羽の親鳥がひっきりなしに餌を運んできます。このままにしておくつもりでしたけど、夕方、野良猫がじっと狙っている所を見てしまいこれまた、保全センターの方が言われたように、「親元に上手く帰せない場合は、夜だけ家の中で保護して、また明日トライ」 にしました。ところで、今日は3月30日に書いた、偽粘液腫の患者さんの経過です。つい先日、 イギリスへ10日間の旅行に行って参りました と、ご本人から近況が届きました。手術を受けたのが2010年10月ですから、術後1年8ヶ月ですね。ご主人の定年退職記念旅行だったみたいです。病気がわかった頃は、とても考えられなかった旅行です。術後半年の米村先生の定期外来の際には、 私、もう直ぐ死ぬんですか・・・って質問して、米村先生を驚かせたらしいですよん。このイギリス旅行中に、61歳のお誕生日を迎えたようです。遅くなりましたが、お誕生日、おめでとうございま~す過去の日記にも書いてますけど、受けた手術は、時に不安視されちゃう、あの米村先生の手術ですよ。定型手術だってぇ、ガイドラインの抗癌剤治療だってぇ、危険だし、その影響で命を縮めてしまう・・・って事はあるんですよ。癌にリスクがない治療なんてありまっかいな。で、この患者さん、ありえないって思ってた旅行、それも海外旅行に行って来られました。「再発」の不安は、そりゃ皆さんと同じですけどね。 元気な今だからの、理想でしかないかもしれませんが、 自分が深刻な状況になったら、病気が治る事を祈るより、 あらゆる苦悩に打ち勝つ心を下さいと神様にお願いしたいですと言われます。そうなんですよね、一番手強い敵は、癌という病気じゃなくて、自分の弱い心なんですよね。自分自身と戦うことが、何より大変で辛いことなんです。そんな 「自分」 という敵に比べたら、癌なんて大したヤツじゃないですよ。患者さん方は、常に逃げられない自分と戦っているんです。私は、逃げられるけれど、私なりに逃げずに戦っているつもりでいます。まっ、この患者さん、今はそんな心配は全く要らないほど、もの凄くお元気です
2012年06月20日
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今日は楽天のメンテの日だったんですねぇ。。。全然知らんと、午前中に更新しとこうかと思ったら、ダメじゃん午後、ようやくメンテ終了となったようで、何度もアクセストライして下さった方もいるのでは今日は、シリーズ化している、あのマサコさんの近況です。昨年の11月以来ですね。ご存知の方も多いと思いますが、このマサコさん(30代・女性)はスキルス胃癌の再発患者さんです。腹膜播種での再発となり、米村先生の元へ飛び込んで来られ、手術を受けたのが2010年3月。同じスキルス胃癌・腹膜播種再発で、ほぼ同時期に飛び込んでこられた、もう一人のマサコさんの話と平行してこのシリーズがスタートしました。同じ日に同等の手術を受けた、二人のマサコさんでしたが、お一人は術後3ヶ月で他界、もうお一人のマサコさんは、術後2年3ヶ月が経過して、今もお元気に過ごしています。こう書くと、正に 「明と暗」 のようですが、術後3ヶ月で他界したマサコさんは、必ずしも「暗」とは言えないと思ってます。(こちらの亡くなったマサコさんの話もじっくり書いてますので、過去のシリーズ参照)で、元気なマサコさんからは、時折、近況メールが届きます。半年に1回くらいかな。このマサコさんにはねぇ、困ったことに、悪い虫が住み着いちゃってましてねぇ・・・この悪い虫が時々、モソモソと動くみたいなんです。この悪い虫って、「再発の怖さ」 なんですよね。いつぞやは、たまたま見たテレビのドキュメント番組で、元気で働いていたナースが癌の再発で突然、亡くなってしまった内容を見て、 アタシも死んじゃうんじゃないでしょうかぁ・・・ってメールが^^;私から見れば、癌の種類も違えば、経過も全く違うのに、なんでそう飛躍しちゃうのよんなわけなかろ~がって突っ込みドコ満載なんですが、当のご本人は元気だつーのに、悲劇のヒロインモードに完全に突入しちゃってましてねぇ。。。まっ時々、こんな精神状態に陥っては、 ひろりんさぁ~ん ってメールが届くんですねぇで今回はと言うとぉ。。。 術後の抗癌剤治療は2年って話だったのに、2年過ぎても、 未だ米村先生は続けるおつもりのようなんです 最近は、抗癌剤の副作用での抜け毛が激しくなってきて、 頭、ハゲてます ハゲた頭を米村先生に見せても、へぇ・・で終わり 体重も久しぶりに計ったら8キロも痩せてましたぁ これって、再発とか、食道癌とかじゃないでしょうかぁこの患者さん、術後カンプトをずっと続けています。検査結果も問題なし、腫瘍マーカーなんて正常値です。本人、至って元気、だけど家に引きこもってばかりいるそうな。で、米村先生はスキルス胃癌の患者さんには、実際は術後3年は治療を続けていること。当初の目標は2年だけれど、現実はこの2年を迎えられる患者さんが多いとは言えないことから、2年と言っているだけであること。3年、4年、5年と元気にしている患者さんは、皆、3年は治療を受けていること。等々の話をして、尚且つ、引きこもり禁止令を出しておきました。子供がいない専業主婦のこのマサコさんには、家にこもっていたら、話す相手もいないわけです。女性っていう生き物はですね、おしゃべりが精神の潤滑剤になるもんです。あとは、買わなくてもウィンドウショッピングとかね。目と頭を楽しませるのが、何よりの重要事項だったりします。こんなことが、女性にとってはめっちゃ大事ってもんです~マサコさん、今も元気そのもので~す
2012年06月18日
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今回のテーマ、今日が最終章となります。スルーを選択の方は、また、次回のテーマでお会いしましょう。命の期限は夏まで。これを患者さんご本人も聞いています。当然のことながら、落ち込みは激しい。口から食べ物も水も全く入れなくても、腸は毎日、大量の腸液を分泌しています。その腸液が、肛門に流れ出て行けば問題はないのですが、完全に閉塞した箇所があると、逆流してしまいます。それが吐き気となり、嘔吐してしまうのです。この腸液の分泌を抑える薬に、サンドスタチンという薬があります。この薬を24時間持続で点滴することになりました。しばらくは、効いているのかいな、気休めちゃう・・・ってな具合でしたけど、徐々に効果が現れ、そのまま退院となりました。それと、多くの方が勘違いされていますが、食事を全く摂らなくても便って出るんです。生まれたばかりの赤ん坊が、ミルクしか飲まないのに便がちゃんと出るって変だと思いませんか?ミルクが胃や腸で固形物に変化するから・・・なんて思ってないでしょうねぇ。腸も新陳代謝を繰り返しています。特に小腸は新陳代謝が激しく、忙しい臓器で、新陳代謝によって古い細胞は便となり出て行きます。食事を摂らなければ、当然、便の量は極端に減りますが、便が全く出ないってことにはなりません。この患者さん、在宅でこれまでの高カロリー輸液と、電解質の点滴に加え、サンドスタチンも持続点滴となりました。点滴は増えたけど、家で過ごせるようになりました。「夏まで」 は短すぎるけどまだ梅雨前だし、まだまだ時間はある。。。そう思ってました。若造君は、このような状態になっても、半年やそこらはゆうに存命でしたからね。ですが・・・友人や、息子さんの力を借りて、自宅のお風呂に入ったその日の午後に亡くなったと言います。友人、知人、家族を集めて ありがとうの言葉を残して。。。この 「ありがとう」 で人生を締めくくる為に、この患者さんは頑張ってきたのかもしれません。ただの 「ありがとう」 じゃないでしょう、この 「ありがとう」 はね。癌が判明して、そのまま7ヶ月の命だったら、言えない言葉だったかもしれません。ただ、一方的に与えれた治療だけだったら、「他にも何かないのか」 って思いが、本人にもご家族にも芽生えた筈です。 最期まで家族でワイワイと楽しく自宅で過ごす事ができました 愛用のPCには、米村先生とのツーショット写真が残されていました ありがとうございましたこれは奥さんからの 「ありがとう」 です。ここまで頑張ったからこその、言葉だと受け止めています。スーパーへ買い物に出かけようと、バックを持ったらケータイが光っていて、この訃報を知りました。そのまま出かけたけど、スーパーの駐車場の車の中から、なかなか降りることができませんでした、涙が勝手に出てくるから。。。こんな訃報を受け取っても、泣かなくなったら私も一人前なのでしょうか。。。そして昨日、 初七日を済ませ、本人の希望通りに散骨して参りました とのメールが、岬に佇む奥さんの写真と共に送られてきました。写真は奥さん1人だけだったけど、きっと、横にご主人もいますよね。完
2012年06月14日
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このところ、米村先生への用件が山盛り。。。予めメモして電話を入れるも、繋がらないと私も忘れちゃうやんってなほど、用件あり過ぎです先週は学会で地方に行かれていたこともあり、アタシも何かとドタバタで全く連絡取れずに、用件だけどっさり手元。。。ってな具合でした先日の続きです。今回は、ちょっと辛い内容となりますのでスルーを選択の方は、ここまでということで。この患者さん、術後3ヶ月の入院中、奥さんの配慮で、地元で治療を請け負ってくれる大学病院に足を運び、暖かな約束をこぎつけたにも関わらず、現実は、先日まで書いたような状況だったんです。結局、この患者さんご自身が 「folfiri で良い」と結論を出して、folfiri が続きました。これは私の推測ですけども、米村先生に迷惑をかけたくないという思いと、そもそも、選択の余地などないのだと悟ったからではないかと。。。IRIS が良いって言ったところで、実際に治療を請け負う大学病院の医師は、あの剣幕とあの態度ですよ。無理ってもんです。そんな医師に会いたくないのか、気力が萎えたのか、体力的にきつかったのか、だんだん、大学病院に出向く足は重くなり、 「今日の治療は、止めとく」と言う日が出てきました。寝込んだ姿を見れば、奥さんも 「行こうよ」 って言えない。「今日は仕方ないか」 で自分を納得させる・・・そんな日が続いてしまいました。往診に来てくれる医師が言っていたように、「抗癌剤治療が元気な時間を奪っている」 のなら、治療をサボれば元気になるかと思いきや、そうでもない。元気になれば、また気力も充実すると期待するも、思うように元気は回復しない。いつしか、抗癌剤治療を止めて1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ・・・ここが難しい判断なのですが、実際、抗癌剤治療がトドメを刺したのではと思える症例あり、また、抗癌剤治療がそれこそ、元気な時間を奪ってはいるけれど、延命には十分寄与していると思える症例あり。。。だから、この患者さんの場合、治療を止めたからなのか、それとも、治療とは関係ないところで、癌が再発して進行してしまったのかわからないけど、明らかな腸閉塞の症状が出て、輸液調達の総合病院に入院。ここは敢えて大学病院を選ばず、総合病院をチョイスしたのでした。ここも、「治療よりも残り時間を云々・・・」 と言った病院だから、気は進まないけど仕方ないです。この総合病院の若い女医さんから、命の期限を告げられます。余命3ヶ月。。。これだけでも、十分、厳しい話でキツイですが、ステージ4の癌患者さんは、こう言う話はどこの病院でもされてしまうから、致し方ないにしても、もっとキツイ内容も話されました。 「大きな手術を受けたからこそ、今も存命なのだと思います 手術は十分、延命に繋がったと思います でも、手術をしなければ時間は短いけど、もっと楽に逝けたと思います」と。。。。この見解は、私の胸にも苦しく忍び込んで来ました。若造君の時に、私自身が思ったことだから。。。(過去の頑張れ!若造シリーズ参照方)若造君、私と出会わなければ3~6ヶ月程度の時間で、逝ってしまったと思います。でも、私と出会い、米村先生と出会ったから、出会えたからそれとも、出会ってしまったから2年半もの時間を生きました。苦しい自分との戦いが長く、長く続きました。29歳の独身の彼にとって、誰かの為に生きることなどできません。自分自身の為にこそ生きられる年齢であり、環境でした。そんな中で、部屋の中にこもって、常に母親の泣き顔を見る日々は苦しかったでしょう。癌の治療なんて、同じ治療を受けても結果は千差万別。大吉と出るか、大凶とでるかなんてやってみなければわからない大博打。時間を延ばすことが大吉ではないでしょうし、短い時間が大凶ってわけでもないでしょう。「元気」が大吉であることだけは確かなんですけどね。そんな若造君のことが蘇りながら、この患者さんの身を案じたのです。体はむろんのことながら、心が病んでしまわないように。。。と。つづく
2012年06月13日
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今日も先日の続きですが、今日は、抗癌剤治療の内容でオオモメした時の話です。ちょっと笑えるかも。年が明けて2012年、乱高下の体調ながらご親戚の結婚式に参列なんていうイベントもありましたね。治療は、順調とはいかないまでも、続いていました。術後、あの不機嫌な対応の医師の下で、folfiri を受けていたんですが、あまりにも下痢が酷い。気晴らしの意味合いも含めて、 「抗癌剤治療の内容の相談に、米村先生を受診しようか」ってことになって、また、遠路米村先生の元へ。今回は入院なんかじゃないですよ。今年の2月の話です。そこで、そんなに下痢が酷いなら、folfiri じゃなくて、副作用がもう少し軽いと思うから、IRIS にしてはどうかなぁと言う話が出ました。folfiri は5FU + ロイコボリン + イリノテカンIRIS は TS-1 + ロイコボリン + イリノテカンつまり、5FUがTS-1に変わるコトになりますが、もともとTS-1 という経口薬は5FUを改良して経口薬にしたものだから、内容は基本、同じなわけです。静脈への注射は薬効にムラが出来にくいけど、経口薬は消化にかかる時間等、薬効という意味では波ができるという違いはありますけどね。だからまぁ、folfiri IRIS の線はアリかな・・・って感じです。ところが、患者さんがこの提案をした途端、烈火のごとく怒ったのが、あの不機嫌医師。突然、診察室から患者さんに退室を命じて、米村先生の病院に電話をかけたと言われます。あまりにも急なお怒りで、患者さんと奥さんは戸惑うばかり。。。 あのぉ、よくわからないんですが、 私どもは、そんなに失礼なことをしたのでしょうか 何故、大学病院の先生は、あんなにお怒りになったのでしょう 米村先生にご不快な思いや、 ご迷惑をおけけしてしまったのでしょうか もしそうなら、米村先生に申し訳なくてメールしました ひろりんさんから、お詫びの気持ちを伝えて頂けないでしょうかとメールが。この件をまんま話したら、それこそ、烈火のごとく怒ったのがうちの博士。 ○○大学病院の誰だ ××先生って医者みたい よほど実績でも上げている医者なのか ん~、よく知らないけど、勤務病院は○○大学病院だけど、 出身は△△大学の医学部で、アナタと年齢変わらないみたい △△大学のいがくぶぅうちの博士、この方と同じ地方出身なもんで、地元の評判を良く知ってましてねぇ、なんじゃそりゃ、そんな大学でも医者になれるのかぁ・・・と、ちょっとズレたとこで驚く。まぁ、兎にも角にも、この医師の横柄な態度に怒りまくり。 米村先生に、喧嘩しても良いって言っておけ・・・って、なんでアンタが火に油注いでんねんで、「主人がこう申してます」 とまんま米村先生に伝えると あっあっははは・・・ よっぽど怒ってるねぇ、はっははは・・・ と米村先生。米村先生ご自身は、 不快な思いなんてしてないですよ、 そんなコト気にしてたら、きりがないし、しょっちゅうですわ と、米村先生にしては実に 「大人発言」 をされます。 まぁ、主人が怒る気持ちも私も同様なんで、わかりますけども 揉めたら患者さんの居心地が悪くなりますからねぇ ここは一つ、穏便にまとめてください そやね、患者さんさえ良ければ僕は何でも良いんですと、これまた米村先生ってば、おっとな~つづく
2012年06月12日
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テレビの医療ドラマなら1話完結で、1人の患者さんに100%全てを注ぎ込み話は終了となるわけですが、現実は、大勢の患者さんがどっと現在進行形。心は一つしかないのに、「良かったですね」「大丈夫ですか」を毎日繰り返しているのが現実。。。こちらに向かっては笑って、あちらに向かって泣いて・・・自分自身の生活もあるし、時にボロボロ、クタクタの自分を感じます。先日の続きとなります。今回もスルーを選択の方は、ここまでということで。この患者さん、ご本人はもちろん、奥さんの奮闘もあって、無事にご自宅で年末年始を迎えることができました。在宅での医療体制は万全で、何があってもつつながくコトが済む手筈を整えていました。術後の抗癌剤治療は続いてました。folfox から始まりましたが、年末からfolfiri に変更となってました。抗癌剤の副作用での下痢は、よく聞く話ですが、folfiri に変えたからなのか下痢が一段と酷くなって、トイレの回数が一気に増えました。これは、あの若造君にも見られた症状でした。若造君の場合は、アヘンチンキという薬剤で下痢の回数を減らしていました。この薬を使わないと、1日20回はトイレに行かねばならないからと、言ってましたね。下痢が酷いと当然、水分も足らなくなるので、水分補給が必須です。それがわかっていても、このような状態で、ごくごくと水分をたんまり飲める筈はなく、また、それだけ飲んでしまっら今度は、食事が入らなくなる。故に、電解質の点滴と栄養の点滴との付き合いは続いていました。だからこそ、在宅医療の整備が必要不可欠だったんです。在宅医療の体制を万全に備えたことは、物凄く安心材料ではありますが、その数だけ、医師の方々のお世話になるということです。それぞれ異なる見解を持つ複数の医師との付き合いは、それはそれで、奥さんを疲れさせてしまいました。一番、神経を使ったのが治療を担ってくれた大学病院の医師。点滴をぶら下げたまま、退院の報告と今後の治療のお願いに行った時に、実に不機嫌な対応をされたと。。。どうやら、ここで一悶着あったようです。それでも、治療をお願いできる病院はここしかないので、何とか折り合いをつけ、抗癌剤治療の施行となりました。そもそも大学病院だし、いきなり不機嫌な対応を受けたことで、ここの医師への印象はよくない。そんな病院は、患者さんにとってあまり行きたい場所ではない。状態が悪くなれば、もう一つ、輸液調達でお世話になっている総合病院へ行けば良い・・・となるわけですが、ここの医師も 「手術や治療よりも、残された時間を有意義に過ごすことを優先させましょう」が基本なので、治療を優先させたい患者さんやご家族にとっては、やはり居心地が良いとは言えません。これに加え、往診をお願いしている医師も、抗癌剤治療の副作用で寝込む患者さんを見て 「抗癌剤治療が大切な時間を奪っているように思える なのに、抗癌剤治療を受ける事に意味があるのか」という基本姿勢。在宅医療の体制は万全ながら、それぞれの医師の見解は、患者さんやご家族の思いとは遠いところにあって、頼りながら、お世話になりながら、「心は孤独」 という状況でした。私も10年、色々な患者さんの経過をみて来たから、それぞれの医師が、自分の置かれている立位置から見解を述べているのはよくわかります。不機嫌な対応は論外ですけども、「見解」 は個々にあって当然です。これまで見てきた患者さんが違うのですから。それぞれの 「見解」 はご尤もで、尊重するけれど、こういった医師が言う言葉は、それなりの経過を経て、ようやくたどり着けるものであって、経過をすっ飛ばして見れる景色じゃないんです。最終的に 「やっぱりな」 的な場所に落ち着くとしても、その過程でやらなきゃならないコト、遠回りしなきゃいけないコトもあるってもんです。つづく
2012年06月10日
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今日もまた、先日の続きとなります。先日、訃報が届いた患者さんの経過となりますので、今回の話はスルーを選択の方はここまでということで。この患者さん、虫垂癌が判明したのは2011年3月ですけど、その半年前に急に体調を崩していたようです。2010年の年末には、急激な腹痛で病院に飛び込み、検査も受けましたが、「クローン病」という聞きなれない病名の疑いとなりました。その後、大学病院へ移り、結果、病名がわかるまで半年を費やしてしまった形です。病状がかなり進行していて、病気が判った時は余命7ヶ月の宣告でした。それで、米村先生の元へ来られ手術となったのでした。術後3ヶ月の入院となり、命がけの帰宅を果たすも、家で過ごせたのは数日。重症の脱水症状で、結局、大学病院での入院期間は約1ヶ月。またもや、3ヶ月を過ごした病院へ。。。ですがこの時、患者さんは自分で車を運転して、フェリーを利用して遠路の病院に辿り着いたのですよ。この術後の3ヶ月の入院期間は、食事が普通に摂れた日も結構あったんですよ。自営業で、患者さんの代打で社長業に携わる奥さんは、週末の都度、新幹線で病院通いでした。車は病院の駐車場に置き、週末は外出許可を貰って患者さん本人の運転で数時間のドライブを楽しむのが通例となってましたね。体の具合をこんな風に書くと、ものすごぉく体調が悪くて何も出来ないように思うかも?ですけども、そんなコトもないんです。論文やカルテではわかならい、「幸せ」や「元気」もちゃんと存在するってもんです。生存率とか、奏功率なんて数字ばかり気にしていたら、掴めないモノもあるんですよ。 人間誰しも端から見るほど幸せでもなく、端から見るほど、不幸でもない本人が幸せを感じれば、それが本物の幸せなんです。誰がなんと思っても、言ってもね。そんな3ヶ月を過ごし、命がけの帰宅を果たしたのですが、帰宅早々、大学病院に1ヶ月の入院となり、また、逆戻り。。。以前、似たような状態の患者さんで、若造君という29歳の直腸癌の患者さんがいました。(数年前になりますが、「頑張れ!若造」 と題して何回か書いてます)彼の場合は、脱水症状で人工肛門を外した訳ではないけれど、とにかく早く取りたくて仕方のない彼は、予定を繰り上げての外しとなったのですが。。。それまでサボっていた腸に、いきなり便が下りてくるわけで、そうなると、彼の場合はその圧に耐えられず、腸が破れ、また、人工肛門に逆戻り・・・なんてことがありましてねぇ。。。だから、この時も心配しました。当のご本人も、外したいけど、外すことへの不安もかなりあったようですが、検査を経て、体調を見て、人工肛門を外す手術が施行となったのでした。この時、奥さんは言ってましたね、 当初の予定では、この夏までの命でした 言われた余命はもう過ぎました・・・って。ストマを外すだけの内容とは言え、当人やご家族にすればやはり大きな山場。2度目の山登りとなりました。私の心配をよそに、腸は破れるようなことはなかったです。ポートからの感染症で、高熱が出たりはしましたけどね。楽ではなかったけど、何とか2度目の登頂も成功しました。食事も少しずつ、摂れるようになったのですが、味覚障害なんでしょうかねぇ。。。これまでの好物が食べても美味しくない。美味しくないから、半分残す・・・ってな具合でした。腸が短くなっているのですから、便の固まり具合がよろしくなく、下痢続きでトイレ回数がぐっと増えるという状況にはなりましたけど、人工肛門とはサヨナラして、普通の排便となったのでした。そして、クリスマスに第2回、命がけの帰宅が決行となったのでした。つづく
2012年06月09日
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いつの間にか、100万アクセスを突破しておりました。思えば。。。辛い時、もう辞めたいと思った時、これは数え切れないほどありますけども、その都度、ブログなんか始めた以上、100万アクセスまでは頑張るかぁ・・・と自分を叱咤していました。まだまだ、ずっとずっと遠い数字でしたからねぇ。今はまぁ、米村先生が現役中はとにもかくにも頑張るかな・・・って感じです。悲しい話は嫌~よの方はスルーしちゃってください。私のポリシーは真実を語る中で、治療の選択の材料にして頂きたいことと、常に 「アナタなら、どう生きますか?どう生きたいですか?そして、どう逝きたいですか?」を問いかけているつもりです。だって、誰にも必ず平等に訪れるのが、「死」 ですから。順調に生きていれば、死を意識して生きなければならない時が来るから。先日の話の続きです。退院早々に大学病院を受診している最中、奥さんからメールが届きました。 夜中のトイレに付いて行ったり、夫が気になって目が覚めたり 睡眠不足だから、眠りたいのに気持ちが高ぶって眠れません 安定剤を飲めば、眠れるのでしょうけど、 夫のトイレの時に目が覚めないと困るし・・・ 私が今、倒れるわけにはいかないので、 休める時に休もうと、夫が点滴を受けている今、 車に戻りましたけど、眠れないものですね奥さんも相当お疲れのご様子でした。そりゃそうですよね、出来ることなら、1日中、寝ていたいくらい疲れが溜まっている筈ですもの。翌日は、かかりつけの病院に行って、大学病院での報告を兼ねて、この日も点滴を受けました。食べると吐いてしまうことから、栄養も水分も点滴でまかなっていましたが、どうにも脱水症状が改善されません。呼吸が常に荒く、入院中より状態が悪くなったように見えますとの連絡がありました。この晩、夜11時過ぎに、メールが届きました。以前、私が伝えていた注意事項に血圧があったのですが、これが80を切ったので救急車を呼びますと。呼吸もかなり荒くなっていると。2011年のGWの頃だったと思います、家庭用の血圧計を買うように薦めました。この方、その時に購入されていたんです。血圧と同時に、脈拍も計れますからね。救急車騒動となり、お世話になっている大学病院に搬送となりました。この時、酸素飽和度は100近くありました。なのに何故呼吸困難と不思議だったのですが、検査を進めるうちに電解質異常であることが判明。顕著な脱水症状は、電解質異常が原因だったようです。しばらく電解質の点滴で経過観察となったのでした。入れた分だけ、排泄されていて、やっとこさ天秤につりあいが取れているような状況でした。しばらく様子をみて退院となりましたが、これだけ排液が出てしまう状態では、点滴を止めるとまた脱水症状を起こしてしまうので、在宅での医療体制を整え、在宅で点滴を続けました。こういう点、この方は地方都市にお住まいの患者さんですが、かなり整備されていることがわかりました。私の感覚で言うと、それこそ、紹介状を片手に患者さんのデータを持参して、病院をあちこち歩き回って探さないと、在宅医療の体制は作れないものだと思ってましたからねぇ。ネットで大まかな病院をピックアップして、電話をかけまくって、実際に病院を訪れる・・・これはかなり苦労な話です。ですが、この患者さんの場合、この点、とんとん拍子に話がまとまって、往診に来て下さる医師、定期的に来てくれる訪問看護師の確保、並びに、入院が必要な時、何らかの処置が必要な時の病院、そして、治療は大学病院という形がまとまったんです。しばらく24時間の持続点滴で様子を見ていましたが、改善見られず。大学病院を受診した際に、人工肛門を外してみてはどうか?という提案がなされます。この患者さんの場合は、手術で人工肛門となりましたが、一時的な人工肛門であって、何れ外す予定でした。その時期を少し、早めたらどうか?との提案です。そして、人工肛門を外す手術の為、あの「命がけの帰宅」から1ヶ月ちょっとでしたでしょうか、また、元の病院、米村先生の元に舞い戻ることとなったのでした。次回に続く
2012年06月08日
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「良い話ばかり書いてません」 宣言をした通り、今回は訃報です。気が進まない方は、ここで今回はスルーしてください。決して、怨みつらみの内容ではなく、暖かな「ありがとうございました」の内容です。良い経過も、良くない経過も包み隠さず書いて、治療選択の材料にして欲しいから、私は双方の経過を書いていますが、患者さんご本人にすれば、「悪い話はもう沢山、聞きたくない、知りたくない」 が人情でしょう。そう思う患者さんの耳や目を無理やりこじ開けて、情報を押し込む気はありません。以前、米村先生に ひろりんのブログを読んでいる患者さんが、外来で 私も死ぬんですかって言った人がおるって言われたコトがあります。米村先生にすれば、「悪い話は患者さんにとって何一つ良いことがない」 がポリシーだから悪い話は書いて欲しくはないんでしょうけども、体は嘘をついてはくれないように 先生、申し訳ないですけど、私は嘘は書けませんよと答えました。治療選択の自由と同じく、情報選択の自由も、これまた患者さんにあるんです。2011年10月17日~20日にかけて書いた虫垂癌の患者さん(当時49歳)の訃報が昨日、届きました。(経過は過去の日記参照方)※ちょっと話が重複します腸閉塞を何度も繰り返した挙句、虫垂癌であることが判明したのが、2011年3月です。この時、既に腹膜播種。その後、米村先生の手術を受けたのが2011年9月です。腸閉塞を繰り返していただけあって、かなり病状は進行していました。この場合、腸をバッサリ切除せねばなりません。大きな手術であったことから、入院が長引いてしまって、昨年10月の日記に書いたように大プロジェクトの退院移動となったのでした。退院後の一番の懸念は、術後のケアと治療の受け皿でした。退院翌日には、それまで診て貰っていた地元の学病院を受診。ここでは、大きな手術を受けたことへのねぎらいの言葉を貰い、ストマに関しては、看護師長さんからも協力的な言葉を貰い、また、在宅でのケアに関しても、この患者さんのかかり付け医への配慮までして頂けて、実に良い滑り出しでしたね。大学病院なんて、所詮、研究機関だし、進行した癌患者さんに対して冷たい組織だというのが私の認識でしたけど、この大学病院はちょっと違ってました。見直したというか、ある意味、拍子抜けしたというか。。。全般的に見て、「良かったじゃん」というのが私の感想です。誰もが実験台なんかになりたくはないものだけど、それなのに、大学病院には行きたがります。設備の点、最新医療が受けられるという点、良いトコばかりのようですが、ここは医者を育て、治療研究も目的としています。だから、大学病院を選択した時点で、実験台の歯車の一部になることは覚悟せねばなりません。そういった研究を経て、比較対照試験を経て、そんな患者さん方のお陰で今の治療が存在するのです。だから、こういった病院は否定できませんし、必要不可欠な施設です。故に、進行してしまった癌患者さんには冷たい・・・もの。治す為の治療、改善するための治療が目的の機関なんですから。ですから、ステージ4の癌患者さんは、居場所を無くしてしまうのが常識の場所でもあるのです。そんな病院でありながら、ここまで良心的に且つ、好意的に受け入れてくれたことに驚いたものでした。続く
2012年06月07日
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私の呼びかけに、次から次へとコメントを下さり、本当にありがごうございます。米村先生の手法を批判する医師にも、ポリシーや見解があるわけで、治療を請け負うには責任も生じるわけで、それに対してあーだこーだ言える立場でもありません。医療制度のシビアさも、一応、知ってますからね。健康保険制度は、んな甘くね~よですからねぇ「お金の問題」 だって実在するってことも承知してます。ですが、現実に、米村先生の手術を受けて、元気な患者さんがいること、間違いなく命を延ばした患者さんがいることを私の言葉ではなく、患者さんサイドからの生の言葉で知って頂きたく呼びかけさせて頂きました。米村先生に対して、とても好意的に協力して下さる医師もいます。患者さんが聞いてもいないのに、医師の方から米村先生をご紹介される場合も少なくないです。4月29日に書いた患者さんの術後1ヶ月の経過が届いてます。(覚悟が足りなぁーーーい シリーズ参照方)術後1ヶ月が経ち、大きなトラブルもなく順調に回復しているご様子です。ほら、手術は未だか、未だか・・・ってずっと待っていた、あの患者さんです。待っていたのは、患者さんだけじゃなくて、娘さんからも あのぉ、ついでの時でいいんです 米村先生とお話になった時に、父の順番の方、 どうなっているのか聞いて頂けないでしょうかぁ。。。って何度かメールが届いた、あの患者さんです。順調に回復とは言え、この大手術を受けたのは70代の男性です。年齢的な体力も考慮すれば、そりゃ、体力の激減は避けられず、切れば痛いのは当たり前なわけでして。。。。術後、入院中から、「痛い」「しんどい」を理由に・・・って言うか、言い訳って言うか、これは嘘じゃないから声を大にして言えるから、言っちゃうって言うか・・・術後のリハビリに消極的だったようです。退院後も、この消極的ぶりは続いていたようですねぇ。手術前のあの勢いの良さはどこへやら~あれほど「手術は未だか、未だか・・・」 だった頃の気持ちはどこへやら~ 「痛いのに動けるかしんどいから今日も寝てる」・・・ってな日々だったようです。そしてやって来た、術後、初の外来日。あれほど寝てばかりだったこの患者さん、米村先生の前で良いトコを見せたかったのか、ご自分でさっささっさと歩き出し、散歩までし始めたそうな。これぞ、やらなきゃいかんかった「リハビリ」です。おまけに 「食欲なんぞあるかいな」だったのに、寿司を食べに出かけたとか当の外来日には米村先生に、順調に回復をアピール。米村先生の 元気そうやなの言葉に、この患者さん、気持ちはもうマックスにハイテンションになったそうな。娘さんが言われるには、 まるで米村先生は芸能人で、 父はファンクラブに入るほどのファンっていう感じでしたとか・・・この患者さん、これまでの人生に苦難が多かったようです。中でも、人間不信に陥るほど裏切り行為にあってきたとか。。。誰も信じることができない・・・そんな中で、米村先生は心から信じることが出来る存在だそうです。どんな治療より、薬より、米村先生の言葉が何よりの薬だそうな。癌という病気になって、その癌は進行していて、ここにきて大変な状況になったけど、目には見えないけど、大切な何かを得たみたいです。これぞ、米村マジックかな
2012年06月06日
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私の気まぐれな呼びかけに、多くの方に答えて頂きまして、感謝と感激のひろりんです10年もこんな活動していると、本当に多くの方々との出会いと別れがありまして、泣いたり、笑ったりが忙しい日々ですが、ご無沙汰していても、私を忘れずにいて下さる方が沢山いることを実感できました。ありがとうございます。昨年の12月3日に書いた患者さんの近況が届いてます。(経過は2011年12月3日の日記参照方)簡単に経過を書くとですね。。。。患者さんは30代・男性で、2010年12月に虫垂癌の最初の手術を受けています。この時、腹膜播種が判明しました。この場合、何もせずに閉じてしまうケースもありますが、この患者さんの場合は、腹膜以外の手術は施行されました。その後、ゼロックスが開始されます。この時、相談メールが奥さんから届きました。そして、米村先生の元で再手術が施行されたのが、2011年5月下旬ですから、丁度1年前です。半年を経ての再手術でしたが、癌を切除したにも関わらず、わずか半年の間に開いてみると、もう沢山の癌が目視確認できたのです。直腸に7cmの癌、小腸との縫合部にも癌、他にも20個もの癌が見て取れました。大きな癌は切除したというのに、半年の間にこんなにも癌が広がっていたことに当時は、とても驚いたものです。米村先生はここで、腹膜切除並びに術中温熱療法を施行。他にも脾臓や胆嚢も切除、精嚢にも癌があったのでそこも切除、腹水もあったようです。術前は、考えられるQOLの低下の話も包み隠さず伝えました。一時は手術に迷いもあったようですが、迷いをふっきってGOとなったんです。そして、大量の臓器の切除となった訳で、その時は、職場復帰も懸念されましたが、術後2ヶ月で職場復帰となり、今は、ストマとなったことで身体障害者手帳を交付され、その恩恵で高速道路が半額となり、家族で遠出も増えたと言います。とても元気にしてます。そして、元気ついでに、ここに来て、患者さんのご両親との二世帯住宅の建設の話が具体化となっているようです。今後の支払いの話も綿密に話が進んでいます。奥さんは、腹をくくったようで、 術後1年経って、本人は治ったとばかりに元気でいるけれど 先のことは、やはり不安です 再発するかもしれない でも色々考えて、家を建てることにしました 家を建てるって言っても、主人の親と折半ですけど これから先、例え何があっても絶対後悔しない って私、思えるんですと一大決心この潔さに天晴れです今思えば、腹膜播種とわかってから直ぐ、腹膜切除の手術に向けてスタートを切ったことが、この患者さんにとっては、良かったとしか思えません。抗癌剤治療でお茶を濁すことなく、癌は切らねば!!に舵を切ったことが、この患者さんには幸いだったのだと思えます。たった半年余りで、抗癌剤治療を受けていたにも関わらず、あんなに癌が増えていたんですからね。あのまま放っておいたら、今頃は。。。
2012年06月03日
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米村先生が静岡の病院で勤務されていた頃から、「他病院の医師が米村先生の手法をけちょんけちょんに言ってまっせ」 という話はしばしば小耳に挟んでました。患者さんサイドから、こういった内容は度々耳に入ります。それがテレビ等での露出が度重なってから、この数が増えたように思います。まぁ、同業者が同業者のコトを、例えば 「テレビで紹介されるなんて、凄い医者」 なんて褒めるコトはどこの世界でもないから、風当たりは強くなるだろうなぁ。。。とは覚悟してましたけどね。患者さんサイドくらいなもんですよ、「テレビに出たことがある医者=凄い権威の医者」って図式が頭の中にあるのは。同業者は大抵は、苦々しく見てますからねぇ。実際、過去に「私は医者ですが、専門外なので相談させてください」という女医さんがいましてね。「テレビで出ていた某医師よりも、うちの病院の医師の方がずっと腕が良いのに、 テレビの影響って怖いですよね」って言ってたことがありました。これが同業者の目ってヤツなんだなぁって思ったものです。まぁ、これは仕方ないっす。批判されるのは有名になった証拠だし、無視できない存在になったってことでしょうし。。。問題は。。。 「米村先生の手術を受けるなら、もうここでは診れません」と主治医に言い渡されることです。こういう医師が、このところ増えているような気がしてなりません。そんな小さいこと言わんと、アタナも医者なら、患者さんを医者で支え合いましょうぜぃって言いたいトコなんですが、頑なに拒否る医師は実在するんですよねぇ。拒否る医師には、拒否る理由ってモンがあるんでしょう。こういった医師の共通事項は、多くの場合、一方的に悪い情報しか患者さんに与えてません。あたかも、そんな手術を受けたら直ぐに死んじゃうみたいなそりゃ患者さんサイドはびびるわな。ですが、ですが・・・ですよ基本、癌の治療に安全なんてないでしょ。どんな治療でも、ガイドライン通りの治療でも、死亡例ってあるでしょ。数%とか、数が少ないとしても、その数%に当たれば、その患者さんにとっては100%でしょ。それに何より、ガイドラインの治療が延命を保証してくれてる訳じゃないでしょ。リスクがゼロって訳じゃないでしょ。ガイドラインの治療でさえ、治療の選択権は患者さんにあるわけでしょ。提示された治療以外の治療法を選択すると、「もう診ません、勝手にしてください」 って言うのってどうなんでしょうねぇ。私としてましてはねぇ、出来るだけ、術後の病状の連携が医師同士取れるように、常に常に米村先生のお尻を叩いてます。 米村先生の患者さんでしょ 米村先生の方からちょっと頭下げて丸く収まるなら、良いじゃないですか 患者さんの利益に繋がるんだから 安いもんでしょとか、もう滅茶苦茶言うてまんがな。私のブログの熱心な読者は、ご承知だと思いますが、ここでは、良い経過の患者さんの話ばかりを書いてません。術後、数ヶ月で他界された患者さんの話、延命こそは果たしたけれど、数年後に再発して他界された患者さんの話、そして、先日書いたような何年も元気でいる患者さんの話。みんな実話として書いています。米村先生の手法を一方的に良くは書いていません。残念な経過も正直に書いています。手術を後悔する患者さんもゼロではないでしょう。でも、結果が思うように出なくても、やれるだけはやったと後悔の念を持たない方は沢山います。元気な患者さんからの近況は、なかなか届かないんですけど実在します。私のブログで、真実を見極めて治療選択の材料にして頂けたらと思ってます。あと、医者の人格っていうのも、患者さんには無視できないでしょうから、米村先生のお人柄も含めてね。元気な方からの近況メールはめっぽう少ない。だ・か・ら・元気な患者さん方真実の証人として、時折、近況をお願いしま~す
2012年06月02日
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