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きょうは、講習会でペース走。キロ5分ペースのグループで走ったが、最後はかなりペースがあがっていたよう。それで16キロぐらい。さらに、その他もろもろあわせて、20キロぐらいは走った計算か。 これで今月の累計は129.5キロ。まあ、最終的にはそれなりの線に。
2006.09.30
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きょう、三日ぶりぐらいに父のところへ。きょうも、トイレに行こうといったが、敢然と拒否された。そう、ここのところ、頭から拒否することが多くなっている。以前と違って、声を荒げることも多くなった。 自分では、出るという感覚がないからなのか。それとも、単に行くのを面倒くさがっているのか。ボケ老人扱いされることへの反発なのか。 もちろん、自分で尿意がよくわからないから、オムツの中に垂れ流し状態となる。いくら紙おむつと尿とりぱっとを使っていても、もれることはけっこうある。これでウチに帰ってくるのか。 断固としてトイレに連れて行くべきか、そんなことをしたら、より抵抗が激しくなるだけかも知れないし。
2006.09.30
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最近、教育問題の議論で、よく「公教育」という言葉が使われている。それも、公立学校という意味で。 だけど、今を去ること何年前か忘れたけど、なぜかとっていた教職課程の教育原理の講義で、「公教育」とは、家庭教師のような(18、19世紀のヨーロッパでは、こっちの私教育の方が強かった)まったく私的に行われる教育に対するものと教わったような気がする。 まじめに聞いていなかったんでよくわからないけど・・・。 なんか、言葉の定義を間違えているような・・・。違うかな~。
2006.09.29
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そういえば、今月まだ月間走行距離が100キロに達していなかったと、急遽、帳尻あわせ。公園コースを20周。ペースは、2周で5分と思っていたが、だんだんと遅れ始める。最後の2、3周でなんとかピッチを上げ、トータルで50分を切った。 結局この日は12キロ。9月の累計109.5キロ。
2006.09.28
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「高校駅伝、インターハイ5000メートルで優勝 ケニア人元長距離選手 不法残留で逮捕」 きょうの読売新聞の神奈川県版に載っていた記事。かつて、仙台育英の留学生として、都大路などで活躍したマイタイ氏が、不法残留で逮捕されたというもの。仙台育英を卒業したあとは、流通経済大へ、そして実業団チームへ入ったが、昨年11月に所属チームを退部していたという。その後は、建物の解体工事の仕事をしていた。同じ日の毎日新聞によれば、今年5月に就労ビザが切れ、4月に出していた永住許可申請も不許可になっていたという。 15歳から来日しており、「スワヒリ語は忘れてしまった。取調べは日本語でお願いします」と言ったという。 今、30歳というから、人生の半分は日本で過ごし、高校、大学も日本で出て、陸上一筋に生きてきた青年。今では、日本語の方が上手になっているぐらいだ。もちろん、新聞記事だけではわからないが、なんで永住許可申請を認めてやれなかったんだろう。退部によって、定職を失ってしまったから?。足が速いということで、スカウトしてきて、高校、大学、実業団とそれぞれのチームに貢献してきて、この扱いはないんじゃないのかと。 先日、あの山梨学院のエースだったオツオリ氏が、一時帰国していたケニアで交通事故で死亡したというニュースもあったが、彼は新潟の工務店で大工修行をしながら、そこの会社の陸上部で走っていたという。彼の場合は不慮の事故で悲劇を迎えたわけだが、それなりに、コツコツと日本の中で生きる道を見つけられたのだろうが、その一方で、マイタイ氏のように、排除されていく人間もいるということか。 日本の高校、大学、そして実業団の要請で日本に渡ってきたケニア選手達。かれらのその後の人生はどうなっているんだろうと考えさせられてしまった。
2006.09.28
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どうも、最近の「そら」は凶暴になっている。いつまでもケージの中に入らないのも問題ではと、ちょっと前から今までねぐらにしていたプラスチックケースごとケージの中に入れている。ケージの中でおとなしくいているうちはいいのだが、ケージの外に出ると、扉をがちゃがちゃさせたり、はしごを落としたり、けっこうヒステリックな動きが目に付く。 ここのところ、ワタシもニワトリの「れん」と遊ぶことが(これは遊ぶというのとは、ちょっと違う気もするが)多くなって、「そら」がないがしろにされていると、感じているのかもしれない・・・。
2006.09.27
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暑くなる前は、よく走っていたロードの9キロコース。きょうは雨上がりで、公園がぬかるんでいるようだったので、久々に9キロコースへ。 出だしから、そんなに飛ばすつもりもなかったが、それなりのペース。最初のチェックポイントでそれなりのタイムだったので、折り返しで20分ぐらいを出せるかと思い、ややペースアップ。20分は切れなかったが、それなりのタイムだったので、後半もペースを落とさないように走り、最後の上り坂も、けっこう目いっぱい走った。 結果は40分01秒。惜しい。40分切れなかった。それでも、このコースのこれまでの最高は43分台だったような気がするから、このひと夏でそれなりの実力がついたということか。この間のハーフ後初めての走りだったが、まあまあの出来。 これで今月の累計97.5キロ。あと一回走れば100キロは超える。でも、ちょっと少なかったかな?
2006.09.27
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いまさら組閣についてどうこう言うのもなんだけど、女性閣僚(あるいはそれに準ずるもの)を見ていると、やっぱり安倍なんだなと思わせる。小泉なんかは、女性であればなんでもいいやという感じだったが、はっきりと意思が反映されている。教育担当の補佐官山谷えり子、少子化担当大臣の高市早苗。山谷なんかに教育改革をやらせたら、とんでもないものが出来上がるに違いない。高市の少子化にしても、自分のことはさておき、旧来の家族観を強める方向にしか作用しないだろう。だいたい、高市なんて夫婦別姓に反対していたではないか。結婚したはずだが、彼女の姓はどうなっているんだ。 ペンネーム的に高市を使っているのかもしれないが、家族の一体感とやらをあれだけ強調するのなら、単に紙の上だけの問題でなく、日常使う名前もちゃんと夫婦で統一しろと。 政治家なんて、やっぱり困るだろう。それで売っている名前が変わったら。
2006.09.27
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痴呆症の父。看護師さんから、そのことをこぼされた母が、「エロじじいって呼ばれてるんだよ(本当にそう呼ばれているかどうかは知らないが)」と叱ったところ、通りかかった看護師さんに「ぼく、エロじじいって言われてるんですか」と、しゃあしゃあと尋ねたとのこと。それに対し看護師さん「そうですよ、みんなエロじじいって呼んでますよ」と答えたとか。 まったく本人には自覚はない。これでは、仮に電車の中なんかでやっても「責任能力なし」とされて、無罪放免になるのだろう。 「ぼくも、大きくなったら父のように立派なエロじじいになります」なんて、つまらないことを思ってしまった。 でも、看護、介護の現場における「エロじじい」問題。深刻な問題なんだろう。痴呆ではなくても、そうなるのもいるのだろうし。
2006.09.27
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旅ってもんじゃないけど、先日の千倉ロードレース。今年、旅行らしい旅行をしていないので、一番遠くまで行ったのがこれではないかな? 内房線に乗ったのも、本当に久しぶり。千葉を過ぎると、徐々に田園地帯へと車窓は変わっていく。でも、姉ヶ崎、五井あたりは、まだ臨海工業地帯。この辺になると目立つのは、夾竹桃の木。夾竹桃は、公害に強いという話を聞いたことがある。また、製鉄所などのまわりには、常緑広葉樹が生い茂っている。これは、タブとかカシ類なのだろうか。これも、古くから、このあたりの極相林となるような樹種であろう。これも、植えられてからだいぶ長い時間がたったのだろう。見事な緑地帯となっている。 また、ちょうどお彼岸とあって、田んぼの畦には真っ赤な彼岸花が咲き誇っている。子供のころは、墓場に生えている花といったイメージがあったので、なんとなく好きではなかったが、緑の中でよく映えていた。 やがて、海が見えてくる。朝のうちはよく晴れていたので、対岸の横須賀あたりの火力発電所(たぶん)や東京湾を行き来する船がよく見えてくる。先日、幕末のころに書かれた本を読んだので、黒船などもここから良く見えたのだろうななどと勝手に想像する(今の船の大きさから考えると、大して大きくないのだろうが、当時としては、群を抜いて大きかったのだろうから)。 保田の駅を過ぎる。ワタシが小学校に上がる前から、3、4年生ぐらいまでだったか。毎年、この保田かそのもう少し先の富浦の海水浴場に毎年来ていたのを思い出す。民宿などに3泊4日ぐらいはしていた。まだ民宿の井戸でスイカを冷やしたり、アオスジアゲハが飛んでいたのが、印象に残る光景だった(クスノキ科の植物を食草とするアオスジアゲハは、南房総のあたりでないと、そんなに見られなかった)。最初のころは、まだ蒸気機関車が走っていたはず。泳ぎを覚えたのも、このあたりの海。ぼけてしまった父は、当時のことを覚えているだろうか。今度聞いてみるか。 そんな思いにふけっていると、乗換駅の館山に到着。ロードレース参加者がどっと降りる。地元の高校生が「なんで館山にこんなに人がいるんだ」とあきれた調子で話していた。 こんな調子の小旅行。帰りは疲れていたのか、寝ていた時間の方が多かった。 それから二駅で千倉。ロードレースご一行様を歓迎する横断幕でもあるのかと思ったら、目立つものはなにもなし。東京、千葉方面から鉄道で来るには、この列車しかないはずなのに、改札もいつもの体制なのか、乗り越し運賃の精算をする人で大渋滞。都市部ではスイカで簡単に精算できると思っている客も多かったようだが、あいにくそんな対応もしてくれず。年に一回のロードレースで込むことは分かっているのだから、もうすこしJRも対応の仕方があるのではと思ってしまった。
2006.09.26
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「れん」の鳥小屋、リフォームした。鳴き声がうるさいのを気に病んだ、ウチの奥様が、またおなじみの大工さんに頼んで金網の外側にガラスをつけてもらった。ちゃんと開閉されるので、夏でも風通しは確保される。冬の寒さ対策にもなろうかというもの。割れることが心配だが、いったいどうなることやら。費用は・・・・。ホントに金食い鳥だこと。卵も産めないのに。
2006.09.26
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満洲帝国というのは、もちろん、日本が作った満州国のこと。しかし、10章からなるこの本で、いわゆる日本の満洲建国については、始まるのがなんと8章から。それまでは、満州と呼ばれた地域の歴史が語られている。 ある意味では、ワタシなどほとんど知らなかったこの地域の通史とみれば「そうだったのか」と思う部分は多い。中国の王朝を、都市に住む市場の管理者として成長していったという視点も面白いものであった。長い歴史からみれば、この地が漢民族が多数派になったのは、つい最近のことだ。 ただ、やはり満洲帝国の部分が短すぎやしないか。そして、第9章では、「関東軍が抗日ゲリラ討伐のため一般の農民を弾圧した話、アヘン専売からの収入を機密費として利用した話、731部隊の話など、関東軍の犯した罪の告発部分が本書にないのは、すべて今後の精緻な研究を待ちたいからである」としているのは、やはり疑問だ。それを言うなら、ここに書かれていることが、すべて精緻な研究の成果として確定している事実ばかりではないだろう。 著者の基本的立場は、日本の満洲支配について、やむをえなかった、あるいは、当時の中国に統治能力がなかったというのが基調になっているように思われるが、それで、こういった部分に触れないのは、やはりフェアではないではないだろうか。 最後のところでも、戦後の満洲は中国の重工業生産の9割を占めた。東北地方は国有企業が中心で、たとえば大慶油田は純収益の90パーセントを政府に上納(中略)満洲帝国の遺産を食い潰したのち始められたのが、改革開放路線であったのである。と結んでいる。 要するに、日本の満洲への投資がなければ、中国の工業化はありえなかったということか。しかし、大慶油田は、確かに満洲にあるが、すくなくとも日本支配の時代に出たものではない。これが、日本が開発した遺産であるかのように記述するのは、やはりオカシイ。 いや、もちろん、軍閥の抗争や国共内戦、共産党の暴走による多くの惨事があったことは確かだろうが、それで、日本の支配がよかったかのような(そうは書いていないが、比較の問題としてそう受け取れる)記述は、やはり違う。
2006.09.25
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きのう、一時帰宅を終え、病院に帰っていった父。帰ったのは午後3時ごろ。そして、午後6時ごろには、母が着替えをさせるために病院へ行った。そこで、看護師さんが「家に帰れてよかったね」と声をかけると、つい数時間前まで、自分が一時帰宅していたことを「知らない」といったらしい。 記憶が残らないということ。まあ、話としては、よく聞くが、こうまでさっぱりと残らないとは。母と二人で思わず感心してしまった。「記憶って不思議だね」と。 あれだけ、「家に帰りたい」と言っていたのに。あと一週間ぐらいで、今度は退院して本格的に家に住むわけだが・・・。
2006.09.25
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「みい」が初めて四谷のテストを受けた。いつものことだが、テストから帰ってくると、けっこうはしゃいでいる。問題の出来不出来に関係なしに。答えあわせをしても、間違っていても、なんとなく楽しそう。テストというより、クイズを楽しんでいるような感覚か。一か八かで書いたような答えが合っていても、それが分からなかったことを心配するよりも、自分の勘のよさを自慢?しているのだから、おめでたい限りだ。 ワタシは、そのYの説明会に出席。まあ、親が聞いたからといって、どうということもないが、今年は受験者が大幅に増えそうとか、一人当たりの受験校数が増えそうだとか、いろいろ脅かされてしまった。ノー天気なお嬢様がうらやましい。
2006.09.24
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来月の退院を控え、きのう父が一時帰宅。親不孝息子はハーフマラソン出場と仕事のため、出迎えずに、けっきょく、きょう初めてご面会。 話すようなこともないので、早速散歩に連れ出す。家のすぐ近くの公園を一周(せいぜい100メートルか)させたあと、まだ歩けるようなので、ロード(?)に。200メートルぐらい歩くが、ちゃんとどの家がだれの家なのかは、覚えていた。足取りは、おぼつかないが、「疲れた」とは言わずに、最後まで歩いた。 でも、歩き終わって、5分もしないときに、歩いたことについて聞くと、歩いたことはすっかり忘れていた。ん~。記憶っていったいなんなんだ?。
2006.09.24
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千倉ロードレース、なんとか完走しました。結果は・・・・。なんか消化不良の感を免れない。 とにかく、風が強かった。JRの千倉駅に降り立ったときには、それほど感じなかったが、シャトルバスで会場に着くと、ものすごい風が吹いていた。台風の影響か。ゼッケンをつけるにも、吹き飛ばされそうで、思わぬ時間がかかってしまった。 さて、スタート。それほど後ろのほうだったわけでもないが、スタートラインを超えるまでにはそれほど時間がかからなかったが、密集から脱出するまでには、けっこう手間取った。さて、最初は、前の方にスタートした人たちを軽快に追い抜いていく。向かい風だったはずだが、風もそれほど感じない。3キロほど(たぶん)行くと、抜きもしないし、抜かれもしない状態に。しかし、その後5キロ地点がなかなか見えてこない。タイムからすると、もうそろそろと思っても、表示がわからない。そして、給水所があったので、たぶん、そこが5キロだろうと思ったら、タイムが24分を超えている。「げ、それなりに走っているのに、こんなに遅いのか」。その辺からペースをつかめなくなってきた。 そうこうするうちに、後ろからくるランナーにどんどん抜かされ始める。それでいて、逆に抜くことはまったくできなくなってくる。10キロも表示が見えない。給水所があったところが、10キロかと思って時計を見ると、ほとんど50分。これでは、ゴールタイムが最低目標ラインの1時間40分はとても切れないと、ほとんどあきらめの心境。上げようと思っても、ピッチが上がらないのだ。 そして、折り返し。コースが海岸沿いになると、急に向かい風になった。「これはきつい」と、急にピッチが落ちたが、その辺で初めて距離表示を見つけることができた。15キロ。タイムは1時間6分台。「ん?これってかなり速いペースじゃないの。1キロ4分半を切ってるじゃないか」このあとをキロ5分で行っても、十分1時間40分は切れると。 しかし、強い風で、細かい砂粒が、ビシビシと足に当たるのが感じられるほど。人を風除けに使おうなどと不埒なことを考える。ちょうど、青いユニフォームのお姉さんがいたので、後ろについた。女性を風除けに使うなんて、文字通り男の風上にも置けないヤツ(置けないからこそ、風下に置いてしまったわけだが)。でも、しばらくはそのペースについていったが、やがてそこからもどんどん引き離される。だんだん、ふくらはぎが張ってくるのがわかる。残り3キロからは、1キロごとの表示を確認。なんとか1時間40分を切ることだけを目標に走る。ようやくゴールが見えてきて、なんとか、ゴールイン。結果は、1時間39分22秒。最低目標はクリアできた。 ちなみに計測できたタイムは以下の通り 15キロ 1時間06分38秒97 残り3キロ 1時間23分32秒65 残り2キロ 1時間28分55秒32 (この間の1キロ5分22秒67) 残り1キロ 1時間34分22秒30 (同 5分26秒98) ゴール 1時間39分22秒 (同 5分ちょうどぐらい) 最後の方は、惨めなほど抜かれまくった。もう少し、イーブンで走れたら、少しはタイムが伸びたのか。前半速かったのは(自分では、あまり速いという感覚はなかった)、ようするに追い風だったのだろうか(自分では、感じられなかったが)。いずれにせよ、かなり消化不良の感が強いレースだった。
2006.09.23
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いよいよ、あしたは初ハーフ。午前6時ごろ家を出ないと間に合わない。早く寝よ。
2006.09.22
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徳川慶喜の大政奉還のあと、果たしてそのまま諸侯の連合国家的なものが設立した可能性があったのか。けっこうあったのかもしれない。そして、それでも多少回り道でも、憲法が定まって、議会制度が始まったのかもしれない。 歴史にイフはないとかいうれど。
2006.09.22
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ランニングの季節到来・・・というのに、練習はサボり気味。それでも、レースには出ようと、11月の東京の駅伝大会に申し込んでしまった。会社の同僚達と。ワタシが一番早いのだから、まあ、レベルは・・・。それでも、まあ、楽しんで走れればいいか。4人で23キロ。それにしても、1000組近くが参加するような駅伝、果たしてたすきの受け渡しはできるのだろうか。 ちょっと心配。
2006.09.21
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最近、「れん」の鳴き声が、我が家の悩みのタネになっている。早朝に鳴くことは、なんとか布をかぶせておくことで防いでいるが、高さの低い箱でも、朝の7時を過ぎると、時の声をあげてしまうのだ。 まあ、この時間ならば、一般的な人間の活動は始まり、通行人の音、車やバイクの音もけっこうし始めるので、相対的にはうるさくないような気もするのだが。やっぱり、それは身びいきか。 今のところ、ご近所からは苦情はない(一番起こされているのは、ほとんどが夜勤のワタシなのかもしれないが)のだが・・・。 まあ、いざとなったら、朝の9時ごろまでは、サンルームの中に入れてしまえば、少しは騒音も防げるとは思う。鳥小屋よりも、なるべく庭に放牧する時間を長くしたほうが、欲求が満たされて鳴く回数が少なくなるとか、そういうことはないのだろうか。今後の研究が必要。
2006.09.21
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昨年の衆院選の小泉劇場を作り出してしまったのは、いったい何なのか。テレビが煽り立てたというが、そう、確かに、ワタシが見ている限り、テレビ製作者の意図は、決して小泉を応援はしていなかった。ワタシなどから見ると、むしろ反小泉的な要素のほうが強かったようにおもわれるほどだ。 しかし、受け取る側が、そうは受け取らなかったということか。 コイズミ改革が進んでも、それによって利益を受けるとは思えないような連中が、支持をする。一見不思議なようだが、確かに歴史をみると、そういったことはしょっちゅう起こっていることはたしかだ。 ただ一つ、頭に入れておかなければならないこと。これも制度的な問題であること。コイズミ圧勝といっても、決してコイズミ支持の票が7割を超えたわけではないこと。そう、小選挙区制のなせる業なのだ。もし、この間の選挙で、小選挙区1本だったら、自民の議席は8割を超えていた。しかし、実際に取った票は5割すれすれだったっけ(記憶が定かでない)。 コイズミ劇場に勝るとも劣らない奇妙な熱気を産んだ、政治改革ブームの時代。あれがなんだったかも検証しなおさなければなるまい。
2006.09.21
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本日は、勤務の都合で零時5分前ぐらいに帰ってきた。電車で。家の前に来ると、煌々と電気がついているではないか。消し忘れかと思ったが、玄関を開けると、なんと3人とも起きていた。 受験生ご苦労様(なんて思わないが)と、言うことには、はじめからなっていないと思っていた。やっていたのは、「みい」は、小学校の学校祭のポスターつくり(奥様は、その手伝い)。「くう」は(たぶん、うじうじと始めていなかった)宿題。 結局、「みい」が寝たのは、1時過ぎ。もちろん、いくら受験生とはいっても、小学生が午前1時まで起きててはいいことはない。たしかに、きょうは帰るとすぐに塾にでかけなくてはならなかったであろう。自覚ってものがあるんかね。このポスターだって、有志がやるものなのに、自分から手を挙げたとか。まあ、「みんなのため」というのをそうあしざまにはいえないが、やっぱり、自分の立場をわきまえようという気はさらさらないらしい。 完全にさじを投げてしまった。
2006.09.20
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そら、あれだけ公務員を叩いておいて、やっぱり挙げられてしまったよ。やっぱり、あの業界が引っかからないわけないよな。 それも支局の警察担当で、どっかの町の教育長が酒気帯びで摘発されたという原稿を自分で書いたばかりだというんだから。 さて、この事件に対する、ワタシの職場の皆様の反応。ほぼ99パーセントが「気の毒に」というもの。「そんなのみんなやってるよな」「昼飯のついでにビールを飲むぐらい、あるよな」「こんなのでいちいちクビになってたら、やってられないよな」 ワタシが「そりゃ、あれだけ公務員を叩いてるんだから、朝日は懲戒免職にするしかないだろう」というと、「なんと無慈悲なことを言うやつ」という反応が返ってくる。 正直言って、公務員であれ、無条件に懲戒免職というのはきつすぎるとも思う。しかし、公務員はさておき、自分たちで「公務員が懲戒免職にならないのはケシカラン」といった趣旨の記事を書いていて、それで自分たちが酒気帯びで挙げられたときは、棚にあげてよしとする神経。なんと嘆かわしいことか。 そう、この体質が、これまで幾多の飲酒事故を引き起こしてきた最大の要因であろう。
2006.09.20
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来月15日の袖ヶ浦ロードレース(15キロ)にエントリー。千倉のハーフの三週間後で、あまり間が開いていないとは思ったが、まあ、練習代わりになればいいかと申し込み。これは、奥様も一緒に走る。向こうは、あわよくば入賞をと狙っているが、こちらはどんな目標を掲げようか。1時間10分ぐらいが目標タイムかな? きょうは、走らず。
2006.09.20
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華族って知っているようで知らないもの。よく、マンガなんかに、○小路とか、いかにも華族でございますといった名前が出てくるが・・・。 旧大名、公家、維新の功労者、軍人、財閥などのほか、本願寺の坊主、有名神社の神主、さらに名和、新田、菊池といった南北朝の忠臣の子孫まで爵位をもらったとはしらなかった。 さて、華族さまといえば、お金持ちのイメージ。しかし、旧大名家(金禄公債なんかがあった)と、財閥華族(これはもともと金持ち)を除けば、けっこう貧しかったようだ。そりゃそうだ。たいした財産なんかなかったのに、それなりの生活を強いられたわけだから。五摂家など最上位の公家でも、けっこう借金で苦しんだのも多かったとか。そう、大名系の華族(それも大大名)以外、そうマンガに出てくるような○小路なんて連中は、特に金がなかったのではないだろうか(もちろん、一般庶民は比較の対象ではないが)。 まあ、本ではこのほか併合した朝鮮の皇族、あるいはそれに連なる名族も華族に加えられたが、独立後は「親日分子」として、日陰者になったとか、、スキャンダル史、戦争への対処の仕方、また衆議院に比べてほとんど語られることの少ない貴族院など、華族についての基礎知識が豊富に書かれている。さらに、終戦で華族制度が廃止されるときも、GHQが廃止しろといったのではなく、むしろ国内世論的なもので廃止されたとか(これは、ワタシには意外だった)・・・。廃止のときも、ほとんど抵抗はなかったという。自分たちでも、華族制度のばかばかしさを感じ取っていたのかも知れない。 これまで、知らなかった華族が少しは分かったようにさせてくれる、有意義な本でした。
2006.09.20
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千倉のハーフまであと4日。きょうも公園20周。 走り始めはまあまあのペース。ラップは2周ごとだが、1周目で時計を見ると、「動いてない」あわてて押して、そこから計り始める 4分33秒89 4分44秒00 9分17秒89 4分44秒61 14分02秒50 4分44秒69 18分47秒19 4分32秒00 23分19秒19 4分29秒70 27分48秒89 4分36秒24 32分25秒13 4分33秒46 36分58秒59 4分31秒93 41分30秒52 4分19秒60 45分50秒12 まあ、実質的には、この前に1周加算されているが、ハーフを走ってもこのくらいのペースで押していってもいいのかも知れない。最後でもけっこう余力はあった(もっとも、最後の2周、もう少しタイムがいいかと思っていたが、それほどでもなかった)。 21周+ダウン、行き帰りで12.5キロ。今月の累計67.5キロ。
2006.09.19
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面白かった。幕末になって、ようやく西洋的な歩兵部隊の必要性にかられた幕府。さて、兵士をどうするか。旗本八万騎というが、彼らはまったく役に立たない。体力はない、意味のないプライドだけは高い。臆病だ・・・。そう、泥まみれになるような歩兵そのものは、武士階級には無理な仕事となっていた。石高に応じて兵士を差し出させようとするが、それもロクな人間が集まらない。結局は、無頼の徒を集めることになる。ようするに、全身に刺青をいれたようなならず者たちを、給料を払って集めたのである(その給料は、石高に合わせて旗本などから拠出させる)。 士官は武士たちが務めるが、特に高位の者たちの無責任さには、あきれるものがある。理由をつけては前線から戻ってきたり。そういった、醜態が第二次長州征伐などで発揮されてしまう。しかし、完敗したはずの第二次長州征伐でも、無頼の徒で構成される幕府歩兵はけっこう健闘した。それなりの武器を持たせ、そしてそれなりの訓練を施していたので、士気の高い長州奇兵隊ともけっこう互角に渡り合ったのである。しかし、高級指揮官たちの無能さのために、その実力は発揮できず。鳥羽伏見の戦いも同様。 彼らが本領を発揮するのは、江戸開城後に脱走兵として、大鳥圭介(京唄子のだんなではない)や古屋作左衛門らに率いられて北関東から会津、蝦夷地へ転戦してからだ。相変わらず、乱暴狼藉は繰り返すが、戦闘を重ねるにつれ、技量も向上していったようだ(最後の方は補給も続かず、劣った武器で戦う羽目になったが)。 五稜郭での降伏後、彼らが下士官として新政府軍の一員として活躍するようなことはなかったようだ。そのまま、歴史のハザマに消えていくことになる。 一口に兵士といっても、だれを兵士として採用して、どのような訓練を施すか。まったく知識が欠落したところから、最初はオランダ、そして英、仏の将校らの力を借りながらの訓練。近代化とは、かくも困難を伴うものかということを、歩兵という職業から感じさせてくれる。
2006.09.19
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なんか、調子に乗って過激なタイトルになってきた。本日病院に行くと、理学療法士のお姉さんのリハビリの時間だった。 さて、リハビリを始めると、「きょうはずいぶんまじめだね」とのこと。家族が見ていないと、けっこう「痛い」とか、「もうやらない」などと、ダダをこねるらしい。しかし、家族が見ていると、少しはまじめにやろうということになるとのことだ。 さて、さらにリハビリをやっていると、お姉さん「きょうは手が出ないね」。手が出るとは、要するに、時々「おさわり」をするらしい。「きょうは」というと、時々というよりも、しょっちゅうということなのか。そう、さすがに息子や孫が来て見ているようなところではやらないが、そうでないと、やるということか。 情けなくなってくる。これが親父かと。 もちろん、あんな若い女性が息がかかるような距離で手取り足取り指導してくれるなんて、倒れデモしないかぎり、ありえないような僥倖?。そんな気持ちも分からないでもないが、ちょっと待てよと。ボケていなければ、しばき倒すところだが。この、エロじじいめ。
2006.09.19
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書評などでけっこう話題になった本。今頃になって読んでみた。 障害者の性。手が不自由ならば、マスターベーションすらできない。いや、下半身の感覚がなければ、いわゆる性感さえない。しかし、それでも性を求めるのは、人間として当たり前(もちろん、求めない人もいうのだろうが)。 現場では、けっこうマスターベーションの手助け(手助けというか、やってあげるということなのだろうが)もけっこう行われていることもあるという。 行動的な人の中には風俗産業を利用する人もいる。しかし、障害者の客は断られることも多いとか。そりゃ、介助の経験がなければ、どう接していいかわからないケースも多いだろう。ソープランドのバリアフリー化が進んでいるなんていう話も聞いたことはない。障害者へのサービスを打ち出す業者もでてくる。本の中には、障害者専門の風俗店で働きはじめた、やはり聴覚に障害を持つ女性のことも語られている。 そして、表題のセックスボランティアとして、実際に手で障害者を射精させる女性(自分も裸になって)、そして性行為までいたる人もいる(きわめて少数だが)。しかし、そのボランティアの女性にしても、心に大きな傷を負っている。 一方で、出張ホストの世話になる障害者の女性もいる。また、女性障害者に対してセックスボランティアの男性もいる。さらには、知的障害者に対して、文字通り手取り足取り性交の仕方を教えるボランティアもいる。 「先進国」のオランダ。買春するための補助金を出す自治体もあるという。有償のセックスボランティアを派遣するNPOもある。 とにかく、考えてみれば、当たり前のことだ。しかし、その現実については、まったく公になることはない。そして、ここに語られている多くの人が、それを何の抵抗もなしに受け入れているかといえば、そうではない。 ことは、障害者だけではない。高齢者の性の問題も最近になってようやく語られ始めたばかりだ。
2006.09.19
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父のところに行って、病院内を歩かせていたら、「仕事に行くついでに来ているみたいだな」なんていわれた。確かにその通り。最寄り駅から一駅先の駅だが、そこに行く途中に病院がある。通常は、行くのは出勤前。 そう、確かについで。しかし、そう言われると、「このボケじじい」(実際には言わないけど)腹が立つ。思わず「自分は自分の親を末の弟にまかせっきりで、何年も行かなかったじゃないか。電話すらかけないで。それに比べたらマシだろうが」と。そう言うと、そこから突然ボケ始める。「そうだったっけ」。ホントにこのボケ爺さんは。 きょうも、病院内を散歩している最中に、自分がどこにいるか分からなくなった。同じエレベーターホールの周囲を三周もする。少しは歩く距離が増えていいかなと思ったが、こちらも飽きてきたので、病室に連れ帰った。 こっちも精神的に虐待している気分。これで家に帰ってきたら、どうなることやら・・・。
2006.09.18
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新聞が社会の木鐸なんて、だれも信じてはいないだろう。 さて、近頃、飲酒運転問題について、公務員の飲酒運転についての議論が厳しいものがある。人身事故などを伴わなくても、一律に懲戒免職にせよという論調。新聞などでも、懲戒免職にしないのはケシカランといった調子だ。 さて、そこで。知人の新聞記者とその話になったとき、ワタシが新聞社の飲酒運転に関する処分について話を持っていった。これだけ、公務員をたたくのなら、叩くほうも、飲酒運転で摘発されたなら、即懲戒免職にするべきであろうと。しかし、知人は、いや、公務員は取り締まる側。法を遵守する義務がある。それと一緒には論じられないとのこと。 それはないでしょ。いくら公務員だからといって、たたくだけたたいて、叩く側を安全地帯(と、までは言わないが)に置こうなんて。そんな連中の書くことを、だれが信じるというのだ。そりゃないよ。まあ、彼らは非常に酒好きが多く、そして、身内の酔っ払いについてはむしろ高く評価する傾向があるのだが。 もちろん、自分のことを棚にあげなければ、なにも書けなくなってしまうということも、あることはある。しかし、飲酒運転をしないなんて、それ以前の問題だろうが。
2006.09.17
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父のところに行くのを、三日ばかりサボってしまった。ちょっと、仕事に早めに出かけなければならなかったこともあるが、それでも午前中に行ってくればいい話し。あまりサボると、行くときに余計気が重くなるので、きのう、きょうと心を入れ替えて?行ってきた。 まあ、相変わらずといえば、相変わらず。ただ、きょうは疲れたを連発して、歩くのをけっこう嫌がった。まあ、本人なりに大変なのだろうが、それを真に受けて休んでいれば、寝たきりへの道をまっしぐらという恐怖感がある。本人にはそれはなさそうだけど。 でも、本人が歩きたがらなくて、それを無理に歩かそうとするのも、虐待?なのかな・・・。少なくとも精神的にはそうかもしれない。結局、寝たきりにならないようにと思うのも、本人のたmてとはいいながら、こちらが大変になりたくないというのが、最大の理由なのだから(別に、それを否定するつもりもないが)。
2006.09.17
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久々に走る。公園周回。最初は15キロぐらい走ろうと思ったが、最初の2、3周でハイペースで入ったので、そのまま突っ走る。ラップは2周ごとに計る。 4分25秒40 4分21秒22 8分46秒62 4分20秒50 13分07秒12 4分23秒19 17分30秒31 4分22秒90 21分53秒21 4分24秒92 26分18秒13 4分27秒99 30分46秒12 4分26秒03 35分12秒15 4分26秒90 39分39秒05 4分20秒34 43分59秒39 最初から最後まで、すべて4分20秒~28秒までの間に収めることができた。ラストの一周は、もっと上げるつもりでいたのだが・・・。それでも、このコースでこれまでで一番速かったのは、46分台ではなかったか。さすが、ここのところサボリが続いて休養しただけのことはある。 こんなペースで、ハーフを走るのはとても無理だろうが・・・。 ダウン、行きかえりも含めて12キロ。今月の累計は55キロ。
2006.09.17
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さて、塾に通っていない「くう」。学校の歴史の時間では、織豊政権のあたりをやっているらしいのだが、あまり難しい内容には立ち入っていないようす。そこで、ちょっと、以前の塾でやったであろうことについて聞いてみた。 ほとんど分からないだろうと思ったが、これがけっこう覚えている。応仁の乱の原因も、足利義政の後継争い(必ずしも、それだけでもないのだが)であることも、かなりのレベルまで説明できた。たぶん、「みい」もそんなことまでは、説明できないのではないか。歴史なんか、決して嫌いではなかったようだったが。 まあ、受験しなくても、中学に入ったらきっと役に立つよね。それまでは、あまり忘れないように、時々刺激を与えるようにでもしておこう。
2006.09.16
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先日のテストの結果についてのお伺いを聞くために、夫婦で塾へ。結論から言えば、結構厳しいことは確か。それでも、親から見れば、あまりやっていないように見えても「やるべき課題は一応やっています」とのこと。でも、それにプラスαが必要なんだろうケド。 それに面白かったのは、間違えると、「ちょっと、言い訳が多い」とのこと。ワタシも感じていたので、思わず笑ってしまったが。「言い訳している暇があったら、その分やれ」なんて言っても無駄なんだろうけど。 志望校、どうしようか・・・。
2006.09.15
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イチジクがいつの間にか大きくなって、色づいていた。収穫しようと思っていたのだが、雨が振ったりしていたので、先延ばしにしていたら、鳥に半分ほど食い逃げされてしまった。残ったやつを奥様が食べたら、「とっても甘かった」とのこと。 本当に、イチジクを満足に食べられたことがない。ほとんどが、鳥に先に食べられてしまう。あまり早く取っちゃうと、おいしくないし。 困ったもんだ。
2006.09.15
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なんかよくわからないが、「みい」がこの間受けた模擬試験の結果が返ってきた。5年のときは、志望校なんてなかったのに、今度初めて志望校の合格可能性みたいなものも出ていた。 かつては滑り止めぐらいに考えていたところが、いつの間にか、可能性50パーセントを切っていたり・・・。さすが、半年のブランクは大きかったのか。それとも、もともとこんなものだったのか。以前もちょっと無理かなと思っていたところなどは、可能性20パーセントぐらい。 ブランクがあった分、いまから伸びる可能性があるなんて、思わないでもないけど、やっぱり今の本人の意欲からすると、落ちることはあっても伸びることはあまりないのかもしれない。
2006.09.14
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きょうは(も)走らず。奥様と、御徒町へ。スポーツ店へ靴を買いに。すいかロードの前に、奥様が買った靴、足先に当たってつめが一枚剥がれ落ちてしまっので、新たに軽い靴を探しに。その方面の靴に詳しい店員さんがおり、本人はそれなりに気に入った靴が買えた模様。ワタシは、まあ、出勤途中に来ようと思えば来れるので、今日は買い物せず。奥様、そのほかにウエアも買っていたのでそれなりの出費。 店の中をぷらぷらと見ていたら、着ているだけでインナーマッスルが鍛えられるとのうたい文句のものがあった。レースの時に着たら、ダメだとか。日常着ていれば、大リーグボール養成ギブス的な効果があるのだろうか。面白そうだったが、買わずじまい。
2006.09.13
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陳舜臣のエッセー集。殷と周の王朝が交代した牧野の戦いから始まる中国史のさまざまなエピソードを記した「万邦の賓客」ものと、西域についてのエッセーを記した「西域・シルクロード」、西域の旅行記などを、書評のような形で紹介した「辺境歴史紀行」、などで構成。中国の歴史の奥深さを伝えてくれる。さすが中国、語りつくせぬほどの文字に書かれた歴史が積み重なっている。
2006.09.12
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夏休み中は、彼女なりにまあ、やったかなと思っていたが、学校が始まると、また元の木阿弥といったところか。やっぱり、自分のこととして捉えきれないものは、しょうがないのかも。こっちが「まぁ、いいか」と思えば、それまでなのかもしれないが。なかなかそう思えないのが、修行不足。
2006.09.12
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自然選択だけで、生物の多様性を説明できるかということ。ん~、確かに、進化の途中では、生きていくのに、不都合と思われるだ段階を経過できるのかななんてことも考えられるけど。でも内因的な方向性を持ったとやられてしまうと、神が創ったというのと、ほとんど変わりはなくなってしまうし。 そもそも、本を見ると、この牧野尚彦氏がいったい何者なのか、わからん。どっかに略歴ぐらい、書いてあってもよさそうなものなのに(図書館の本なので、カバーかなにかにあったのかも)。 この本について書かれたものを検索してみると、トンデモ本という評価が目に付くのは確かだが。たしかに、キリンの首にしても、馬ぐらいの長さのものが、ある日突然今のキリンのような長さになったわけでもないのだから、そのほかの内臓などもその過程で徐々に変わっていくこともあるだろうし・・・。でも、確かに、進化って妙な進化もあるんだろうな。
2006.09.12
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たぶん、自分では進んで買うこともなければ(最近、どんな本でも買わないが)、図書館で借りることもないであろう本だが、同僚が貸してくれたので読んだ。 安岡正篤といっても、名前を知っているぐらいのもの。血盟団事件との関係、昭和天皇の終戦の詔勅に朱を入れたこと、そして、戦後の歴代首相の相談役だったというようなところがせいぜいか。 読後感。たぶん、いわゆる無私という点では、無私だったのだろう。そして、古今東西の(特に中国の)政治哲学、古典には造詣は深かったのだろう。でも、本人のせいではなく、この著者のせいかも知れないが、やたらと財界人の名前を挙げて、これこれの人物が私淑したという部分が多すぎる。もちろん、政治家も。確かに、中国の古典からの引用を持って、指南をするのだろうが、「やっていいこと」「わるいこと」の区別ぐらい、そんな指南をもらわなくたって、わからんのかと言いたいたくもなる。だいたい、そんなに財界の首脳や歴代の首相をはじめとする政治家が弟子ならば、もう少し、財界人や政治家の倫理観が高潔なものになったのではなかろうかと思ってしまう。 結局のところ、エラくなった政治家、財界人が中国の古典から引用した、気のきいた説教などを垂れるときの文句を教えてやったというあたりに落ち着くのではないだろうか。戦前の政治指導者(軍人を含む)にも、弟子が多かったと書いてあるが、あんな結末を招いた政治家や軍人の死守尾ならば、その結果の責任だってかなりの部分、負わなければならないのではないだろうか。 まあ、いずれにせよ、安岡に心酔している人物が書いた評伝だから。もう少し、客観的なものを読んでみないと、なんともいえないのだろうが。
2006.09.11
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ワタシが出かけようとすると、「みい」が突然、なきそうな声で「はとちゃんが逃げちゃう」と叫んだ。 なにかと思って、玄関の方に引き返すと、「はと」が駐車場のところを、こっちに歩いてくる。「みい」が捕まえようとすると、飛び立った。でも、高くは飛べない。そして、急な方向転換もできない。ワタシの手をよけきれず、あえなく着地。そしてすぐにつかまってしまった。ほっと一安心。 この飛び方では、やっぱり外の世界では生きていけない。その日のうちに、カラスの餌食になるか、猫にやられるか、はたまた交通事故に遭うか。上手に飛べないのは、かわいそうな反面、これで飼いつづける名目が立ったとの思いも。
2006.09.11
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二日連続で公園コース。最初の5キロをどれだけのペースで走れるかと思って、最初飛ばした。2周回ったところで4分ちょっと。しかし、そこからどんどん落ちた。2週4分ペースで、3キロぐらいは走れると思ったのだが。まだまだ修行不足。結局、22周。プラスダウン1周と行き帰りで、本日13キロ。今月の累計43キロ。 4分03秒59 4分32秒14 8分35秒73 4分30秒96 13分06秒69 4分44秒30 17分50秒99 4分58秒09 22分49秒08 5分08秒51 27分57秒59 5分15秒95 33分13秒54 5分05秒25 38分18秒79 5分10秒56 43分29秒35 5分24秒48 48分53秒83 4分49秒95 53分43秒78
2006.09.10
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司馬遼太郎が、新聞などに書いたエッセーなどをまとめたもの。あまりまとまりはない感じはするのだが・・・ この中で、西郷隆盛に触れたものがいくつかあった。有名ではあるが、ある意味でナゾの人物なのだろう。なぜ、今に至るまであれだけ人気を保っていられるのか。無私とか、とにかく高い評価を受けている。 西郷があれだけ活躍した理由を、薩摩という独特の風土に求めている。郷中制度というものがあるとか。儒教的な年長者を敬う考え方や、北方民族的な血縁社会とは別の、南方的な社会を引きずっているといえばいいのだろうか。薩摩の大提灯という、突出したリーダーの下に、理屈抜きでついていくという文化、そのリーダー格としての西郷、細かいことには拘泥せず・・・。 ただし、こういって人物を大人物とする風土が、そのまま陸軍の伝統になって、中堅参謀たちの独走を許したとなれば、まさにその通りなのかもしれない。 日本といっても、その社会、風俗は一様では決してない。 同じ薩摩でも、大久保利通との違い、やはり、司馬も西郷びいきなんだろうが。
2006.09.10
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やっと、今月の2回目を走った。 4分47秒10 4分37秒80 9分24秒90 4分42秒79 14分07秒69 4分37秒91 18分45秒60 4分39秒29 23分24秒89 4分41秒83 28分06秒72 4分41秒83 32分47秒17 4分40秒45 37分30秒02 4分42秒85 42分07秒95 (2分16秒46) (2分15秒02) 4分31秒48 46分39秒43 以上、公園コース。一周ごとに計ると面倒くさいので、2周にごとのラップ。最後は1周ごとに計ってしまった。行きかえり、ダウンもあわせて12キロ。今月の累計、30キロ。 まあ、ほぼイーブンか。このペースでハーフを走れるか。これで、やっと1時間40分を切れるといったところ。 走り終わった後に、体重を計ったら、59キロ。体脂肪率12パーセント。でも、この5分あとにはかったら、体脂肪率は14パーセント台に。この体重計、大丈夫?
2006.09.09
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山口の徳山高専の事件で、容疑者の少年自殺。この少年が自殺したことで、名前や顔写真が一部の新聞なんかで出されている。もともと、ネットで広く流布しているようなので、いまさら新聞が報道しようがしまいが、実質的に関係ないといえば関係ないのだが。 確かに、少年はすでに死んでいるのだから、いまさらこの少年の更生に影響がでるわけでもなし。名前を出すのはかまわないというのは、理屈としてはそうなのだろうが。でも、逆に言えば、死んでしまったから、いまから名前を出すというのはどのような価値があるのか。成人の犯罪者の顔写真や名前が公開されるのは、ある意味では、それも刑罰とは別の社会的制裁を意味していると、考えることができる。しかし、死んでしまった人間に対し、制裁もなにもないだろう。その制裁を受けるのは、まだ生きている加害者の家族だけということになる。 また、まあ、報道されている限りでは、カレが犯人で間違いはないのだろうが、刑が確定するまでは、一応被疑者ではあっても、結論づけられたわけではないだろう。その辺でも疑問が残る。 もちろん、自殺する恐れがあったことや、早く検挙するために、風体や着ていた物、バイクの特徴などを公表することは、当然であったと思う。しかし、週刊新潮のような公開の仕方は、単にさらし者にすることだけを狙ったとしか思えない。 一方で、被害者の方はどうなのか。ゲスな表現だが、彼女は美人で、その上、ピアノやバレエもやっているなど、マスコミにとっては飛びつきたくなる存在だった。その、飛びつきたくなる気持ちは、わからないでもない。しかし、それだけ彼女を露出させておいて、「被害者は何度も顔を出しているのに、加害者が法に守られるのは・・・」などという論調、これを露出させている側が言うのだから、話はオカシクなる。どちらの側にしても、所詮はゲスな需要があるから供給されるということなのか。それをいい始めたら、大人の犯罪者はなぜ公開していいのかという問題にもなってくるのだが。 それにしても、ワタシも立派にゲスな関心を持っているから、始末に負えない・・・。
2006.09.09
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佐々木譲は「エトロフ発緊急電」なんかを書いた小説家。そうか、「武揚伝」で、新田次郎賞なんかももらってるんだ。 さて、江川英龍といえば、ワタシとしては太郎左衛門の方が通りはいいのだが。太郎左衛門というのは、江川家の当主が代々襲名する名前とのこと。そう昔から疑問に思っていたのだが、なぜ、一介の幕府の代官が、伊豆に反射炉などを築きえたのか。ワタシの頭の中では、代官は交代で各地を回っている転勤族のようなものと思っていたが、江川家はもともと後北条氏の家臣で、祖先が家康のころに功績があったため、韮山の世襲代官ということになったんだ。その支配地域は石高で5、6万というから、相当なもの(別に全部がカレの実収入になるわけでは、もちろんないのだが)。 それはさておき、このころの文化人のネットワークは相当なものがある。英龍の周りでも、渡辺崋山、高島秋帆、川路聖アキラ、・・・。キラ星のような名前が出てくる。そして、技術的なものへの関心。江戸時代も後半以降になると、知識人もただ文学的なものばかりでなく、技術的なものへの関心を高める人間が多くなってくる。西洋列強との違いを、技術力に求める考え方が強くなったということか。 中島三郎助も、浦賀奉行所の与力から、やはり技術に深い関心を持ち、西洋式の船の建造などにかかわった。日本の歴史が政治史になる傾向が強いことが、これらの人物の影を薄くさせる原因なのだろうか。 話は、この本の内容からは飛んでしまうが。たしか、吉村昭も中島三郎助を主人公にしたものを書いていたと思う。彼もどちらかというと、技術系の人物が好きだったのではないか(政治型の人間は、大言壮語で自己顕示欲が強すぎる人間が多い)。解体新書にかかわる人物でも、杉田玄白ではなく、前野良沢に焦点をあてているし、戦艦武蔵、零式艦上戦闘機、光る壁、など、技術的な分野が題材になることが多い。
2006.09.09
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夏休みの宿題の読書感想文、今年は何を書いたかしらなかったが、どうも「くう」の書いたやつが、学校の代表になったとか。それで、先生に手直しを命じられたとか。いったい、何を書いたのだろう。奥様には、手伝ってもらったのだろうか。まあ、大体は自分で書いているはずだが。アドバイスぐらいはもらったのかな。文章に関しては、ワタシはまったく信用されていないのか、アドバイスを求められることもない。トホホ・・・。 それにしても、作文なんかに関しては、「みい」よりもはるかにまともなものを書いている。やっぱり、いわゆる国語の点とは違うのだろう。 さて、いつか読ませてくれるのだろうか。
2006.09.08
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「れん」を庭に放牧していたら、「ん?、れんのすぐ前にヒキガエルがいる」。自分より小さな生き物をみると、だいたいはすぐに追い掛け回す「れん」。小さな虫だけでなく、すずめやはとなども追いかける。相手はヒキガエル。ほとんど動かない。気がつかないのか。結局、なんの反応も示さないまま。 突っつくと、毒液でもかけられるということを本能的に理解しているのだろうか(もっとも、ヒキガエルの毒液って、怖いのか、さっぱりわからないが)。 まあ、ヒキガエルが突っつかれてもかわいそうなので、子供を呼んで「れん」をいったん小屋に戻し、しばらくはヒキガエルと遊んだ。 そういえば、去年だったかおととしもヒキガエルが庭に出没していた。今年のは、去年のより少し大きかったので、もしかしたら、去年のやつが成長したのだろうか。色は、去年のよりもだいぶ黒っぽく見えたのだが。 だいたい、こんな住宅地のどこで繁殖しているのだろう。池があるうちでもあるのか。それとも、子供が飼っていて逃げたとか。去年、近所で車に轢かれていたのを見たが、そんなに何匹もいるのだろうか。 結局、そのまま逃がしてしまったが、またあえるかな。
2006.09.08
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