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夜中、家に帰ったら妙なメモが机の上に「ガガーリンって女?」というもの。「みい」の学校の先生が、「地球は青かった」と言ったガガーリンは女だと言ったとか。 まあ、男でも、女でも、どうでもいいといえばそれまでだけど。20、30才の先生なら、もしかしたらガガーリンを知らないこともあるかも知れない。でも、もう50才以上なんだから。けっこう、ガガーリンが飛んだ時代から離れているわけじゃないだろうに。 テレシコワと間違えたのか。でも「わたしはカモメ」と、ずいぶん違うよな。 だいたい、世界で初めて宇宙を飛んだなんていうのは、常識的に考えて男だろうが。去年、たまげた発言をして面白がらせてくれた先生とは別人だけど、みんなこんなものなのだろうか。ちょっとぶっとんだ。
2006.11.30
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怒られるというか叱られると書くべきなのか。「みい」が塾の先生に叱られたらしい。一日5時間勉強しろと。そう、きょう午後、塾から電話がかかってきた。最近、どうですかと。 こちらも繕ってもしょうがないし、ほとんどやらないことなど正直に述べる。志望校はどうするとの質問にも、こちらから問いかけても返事が返ってこないし、全落ちでもワタシとしてはかまわない。下手に受かるところを受けても意味はないと、伝えておいた。 きょう、授業が終わってから、面談ということで、いろいろと言われたらしい。親子で戦意を喪失しているのに、それをなんとかと考える。塾側も大変だろう。今からでも、本気になってやれば、それなりに伸びる余地はあるだろう。ただ、彼女が本気になるとは思えない。「見捨てる」のはまずいのだろうが。でも、結局は見捨てるということになってしまうのかな。 やることなすことが裏目に出ている。本人が、純粋に受験を嫌がっているのなら、すんなりやめてしまえば、こんなに簡単なことはない。ホントに本人がなにを考えているのか。
2006.11.29
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自分のマラソンのことしか頭になかったが、そういえばもうすぐ子供のマラソン大会。例年ならば、○位になったらごほうびとか、いろいろとうるさいのだが、今年はもう「どうせロクなものくれない」とあきらめているのか、まったくその話が出てこない。 きょうも、その予行練習のようなもの(本番と同じ距離を走る)があったらしいが・・・。大してよくはなかったよだが、それでも何も運動をしていない割には、それなりの順番というべきか。 でも、友達の一人が、去年までと比べてグンと伸びたらしい。白井の梨マラソンにもうちの「くう」と一緒に子供の部に参加したのだが、これまではすべてウチの二人の方が速かったのに、梨の時には「くう」よりも速かった。奥様が「走り方がすごくいい」(さすが、市民ランナー)と彼女の母親に言ったら、「先生に走り方を聞いて、自分なりに工夫して練習した」とか。 そう、子供のマラソンなんて練習ひとつでけっこうタイムは一気に伸びるもの。それが伸びるかどうかは、人のアドバイスに聞く耳を持って、それを聞いてさらに自分で考えて実践するかどうか。不幸なことに、ウチの娘二人は、聞く耳も持たないし、そして努力するということが見られない。 勉強でもスポーツでも、聞く耳とそして自分で工夫して少しでもうまくなろうという気持ちがなければ・・・。その辺、わかってくれないかな~。 もっとも、ワタシも勉強など人に聞くことができずに伸びることがなかった。マラソンも、ちゃんとした計画的な練習ができず、勢いで走るから、この間のレースのような結果になる。これは遺伝か。
2006.11.29
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つくば後の初練習。昨日までは、けっこう筋肉痛があったが、ほぼ回復。ガソリンスタンド折り返しの9キロコースを走る。 と、走り始めたらいきなり足の裏にズキっとした痛みが。100メートルほどだましだまししながら走ると痛みは消えたので、そこからキロ6~7分ペースで軽いジョギング。つくばも最後の方でこんなペースだったのかと思う。 その後も、時折ピリっと来るときはあったが、なんとか走り終える。本当は、走らない方がよかったのかもしれない。まだ、走ったことで医者に行ったことはなかったが、行った方がいいのだろうか。医者、嫌いなんだけどな~。 本日の走行距離9キロ。 今月の累計走行距離97.5キロ。あした走れば、100キロは越すか・・・。
2006.11.29
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結局、あのネズミは一日の拘留で釈放と相成りました。いつものランニングコースにしている公園で。幸い、雨が降っていたので、ほとんど人影もなく。奥様と一緒にでかけ、植え込みの近くで飼育ケースのふたをあけると、脱兎(鼠)のごとく、茂みの中に入っていきました。ひもじいと気の毒だと、パンのかけらもつけて。 さて、命を助けてやったお礼に、ワタシがランニングをしていると、ネズミの穴に落ちて、なにかもらえるというストーリーにはならないだろうか。やっぱり、おむすびでないと、だめかな。 まあ、いずれにせよ、その辺で悪さをしないで、人間の食い散らかしたものをあさるか、公園のどんぐりでも食べて生きていけるかな。カラスが多いので、襲われないように気をつけて。
2006.11.28
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奥様にせかされたので、小雨のふる中、三つの中学の願書を取りに行った。二つはただ。ひとつは千円(高いな~)。こっちは、きのうのフルマラソンで歩行もままならないというのに。どうせ受かるあてもないような学校の願書を、勉強をする気がまったくない娘のために、なぜ取りに行かなければならないのかと・・・。 ひとつは一年ちょっと前には本命候補にしていたところ。いまでは、ほとんど記念受験の対象。もうひとつは、滑り止め候補だったところ。それがいまやチャレンジ校扱い。三つ目は、これまで検討もしてこなかったところだが、最近、この辺が本命にするには一番適切なところではと思えてきた学校。こことて、決して受かるといえる状態ではない。 この一年で何がどうなっちゃったんだろう。
2006.11.27
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鶏小屋周辺に仕掛けておいたネズミ捕り。まったく反応がなかったので、ほとんど存在すら忘れかけていた。最近は、鶏小屋へのネズミの侵入の形跡もなくなっていたので、どこかへ行ってしまったのだろうかと思っていた。しかし、今朝みたら、鶏小屋の地面に穴が。「まだいたのか」と思って、小屋の外に放置してあるネズミ捕りの中に、なんとネズミが一匹かかっているではないか。 ちゃんとネズミ捕りが機能するんだと、感心。 奥様を呼んで、袋(いや、檻か)のネズミの顔を見てみる。これが、またかわいいのなんのって。しきりに暴れているが、そう、ハムスターが可愛がられるなら、ドブネズミだって可愛いものである。ほとんど同じような生き物ではないか(ドブネズミの方がはるかにでかいが)。 でも、この可愛さを理解できないのが、鶏小屋の中でこのネズミに脅かされた?「れん」ネズミ捕りに近づいて行くと、猛然と突っつきにかかる。まあ、捕獲器の中なので、ネズミは無事だが。 さて、本来ならば、ネズミ捕りにかかったネズミなど、処分されるのが当然の運命なのだろうが、ここが都会人のひ弱さ。エセ博愛主義者と言うべきか。とてもあのつぶらな瞳のネズミを殺すことなんてできない。 奥様など、捕獲器の中のネズミにエサまで与えてしまった。 でも、さすがに飼う事はできない。いくら物好きのわれわれとは言っても。記念写真を撮って、子供に見せてから、どこかに放そうと(そういえば、帰ってから見ていないが、外に放置してある捕獲器の中で、凍えて死んでいるのではないだろうか)いうことで一致。 さて、明日はどこへ放してこようか。
2006.11.27
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番組のタイトル、変わっていたかもしれないけど・・・。 きのうのこの番組にある地点から南へ1キロ、東へ1キロ、北へ1キロ行ってもとの場所に戻る場所はどこかという問題。昔からよくあるやつだが、北極点以外にもその場所があるというのがミソらしい。 だけど、それでいいの?ある地点から南は、経線にそってまっすぐいけばいい。だけど、東(西でもいい)に行くって言うのは、緯線に沿っていくことなのか?方位磁石をみてもわかるけど、東(西)は、南北方向と直角の関係にある。たとえば、東京からまっすぐ東に行けば、北緯3○度線にそって、来た北米のシアトルあたりに行くわけではない。そう、南米の方に行ってしまうはず。シアトルと東京の最短経路が、緯線に沿って行くわけではないことは、飛行機に乗ってみればわかるはず。そう、アリューシャン列島の方を通っていかなければならないのに。 ためしに地球儀に直角定規をあててみよう。あ、定規は当てられないから、長方形の紙でいい。ひとつの頂点を北極点にあわせて、そこから出る辺の反対側の頂点のところでできる直角。その目指す方向は、緯線には沿っていないことがわかるはず。 これ、高校のとき、地理の先生が授業で教えてくれた。当時は、たぶん頭の体操の本にこの種の問題が出ていたから、それを念頭においての、先生の解説だったと思う。 そのような点があるのは、北極から一気に赤道まで南へ行った場合かな。あそこならば、東へ行くのは、赤道上をまっすぐいくことになるから。
2006.11.27
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いや~、初マラソン、ヘロヘロになりました。 まず号砲が鳴ってから、スタートラインを通過するまでに2分20秒ほど。それからあともしばらく渋滞が続いたので、スタートラインを通過してから5キロまでが24分14秒。そのあたりの遅れでちょっとあせったのか、自分のペースで走れるようになった5キロから10キロは22分50秒、10~15キロは22分40秒と、ワタシとしては、かなり速いペースに。15キロから20キロも少し落ちたものの23分15秒、中間点は1時間40分11秒。ネットタイムで考えれば、ハーフの自己記録(と、言っても、まだ一回しか走っていませんが)よりも速い。20~25キロは23分32秒(この辺で、徐々にタイムが落ちていることに注意を払うべきでした) さて、実はほとんどハーフ以上の距離を走ったことがないのです。ここからが問題。25~30キロで一気に落ち込み26分1秒(ここで早くもキロ5分ペースを割り込んでいる)。そして30キロからあとが悲惨な状態。30~35キロで29分26秒、35~40キロで30分22秒。このあたりでは、もう誰も抜けなくなる。ひたすら後ろからくるランナーに抜かれるばかり。セーラー服のごつい方にも、トナカイの着ぐるみさんにも、そしてご高齢の方々にも、あっという間において行かれました。 最後の2.195キロも13分30秒。トータルで3時間38分14秒。目標としていた3時間30分に大きく届かず。ゴールしたあとは、「もう二度とフルなんか走るか」と思いました。 さて、敗因の分析。なんと言っても、30キロ走など、距離に慣れる練習を一回もしなかったこと。これをもう少しやっていれば、あそこまで落ち込まなかったでしょう。さらに、前半の飛ばしすぎ。これも己の実力を把握していない結果。ただ、どんなにペースを落としていても、距離の練習をしていないので、同じように落ち込んだかもしれません。 さらに、15キロあたりから、美人ランナーと並走してしまったので、つい、ペースが速くなったとか・・・。これは性格なもんで、治らないかな? もちろん、彼女からは、25キロあたりで一気に置いていかれました。 きょうは、風もなく、気温も高からず、低からず、雨もほとんど降らず、絶好のコンディションだったのに。最初は、3時間30分を切るチャンスと思っていたのですが。 最後にボランティアの方々には大変お世話になりました。こちらが投げ捨てた紙コップを一生懸命拾っている小学生の女の子もいました。いつか、自分もサポートする側に回らなければと思いました。ありがとうございます。
2006.11.26
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さまざまな中流、格差論争をまとめたもの。その基礎となるのは、先日読んだ佐藤俊樹の不平等社会日本。 さまざまな論者が述べているが、高村薫の「まず、能力やさまざまな格差があることを認めよう」という論には賛成。今まで、格差がなかったとか、平等だったということ自体、幻想に過ぎないものだった。その意味では、最近になって急に格差が生まれてきたわけではないことを、まず確認しなければならない。それを認めたうえで、どうしていくかが求められるものだろう。 また、評論家の大塚英志の戦後民主主義を擁護する論、これも基本的には賛成。また、彼が批判する、近年の実力主義を標榜するエリートたち(これは、自民よりもむしろ民主党の若手あたりに目立つ、鼻持ちならぬ傲岸さで、自分たちの作ったルールにのっとった競争を信じて疑わない)をこき下ろす。そう、ある意味で、この連中は一番危険な連中と言ってもいい。 格差肯定論者の中で気になるのは、エリートの責任の問題。エリートをエリートたらしめる教育の必要性などが強調されるが、エリートがエリートとしての責任を全うするのが当然とされ、実際にそうなった社会など、果たして歴史的に見て存在したのだろうか。 戦前のエリート教育のひとつの頂点が、幼年学校ー士官学校ー陸軍大学ー参謀という道だった。これほどの無責任集団は、日本の歴史全体を見渡しても、類例がないほどのものだったのではないか。では、この時代の文官たち、一高ー東大ー高等文官試験組はどうだったか。当時の外務省(これは、試験は別か)にしても、その他の官僚たちにしても、体を張って流れを押しとどめようとした人間がどれほどいたのか。 また、戦時色が厳しくなってくると、当時の日本の偏差値の高かった学生たちは、理系を目指す若者の比率が急増したという。別に科学技術の時代だから、戦争に勝つためには科学技術だと思って理系を目指したわけではない。徴兵逃れがその理由だったという。そこには、エリートとしての矜持などかけらもない(別に、戦争に志願することがいいことだというわけではないが)。 英国のパブリックスクールの英才たちの第一次大戦での戦死率が非常に高かったというが、これをまたエリートの責務を果たそうとしたというのも、少し違うような気がする。彼らは、若者である。彼らは卑怯といわれることを恐れた。また、戦争というのは、「勢い」なのだ。世間の風潮がそれを賛美すれば、そっちへ流れるものなのだ。まあ、日本のエリートよりはマシな気はするが。 そもそも、エリートの高貴な義務というが、あらゆる人間において、その人間が果たすべき高貴な義務というものは存在する。危険を顧みず火災現場で人命救助にあたるのは、まさに消防士の高貴な義務だ。かつての農民一揆の場でも高貴な義務を果たした人間はいくらでもいる。自分達だけが高貴で高貴な義務を果たせるなどというのは、思い上がりもはなはだしい。 本の内容とはズレてしまった。
2006.11.25
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ほとんど何の練習もしないうちに前日になってしまった。とにかく、スタミナに自信が持てません。たぶん、ゆっくり走っても、途中でスタミナ切れを起こしそうなので、もう、玉砕覚悟でそれなりのスピードで行ける所まで行って、あとは野となれ山となれという、戦法でいってみたいと思います。そういえば、今年の1月に初めて走ったロードレース(10キロ)も、ひざが痛いのにムリをしたら、最後はほとんど歩いて53分という悲惨な結果。練習を始めたのは、昨年の12月からだから、ちょうど1年。よくもまあ、フルのスタートラインにまでたどりつけたと、ある意味では感心しています。 まあ、10キロだったら歩いてもゴールできるけど・・・。 どうなることやら・・・・。
2006.11.25
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余人を持って代えがたい芸術家は、たぶん、世の中にはいっぱいいるだろう。ワタシのような学のないものは聞いたことのないような人でも、いっぱいいるに違いない。 石原某という画家がいるらしいが、ワタシはその人の芸術ではなくて、親父が有名人だというだけで、そういう画家がいることは知っているが、ただ、ファーストネームは知らない。お前が無知といわれれば、それまでの話。 その芸術家が、余人を持って代えがたいとして、都に一ヶ月だけ委嘱されてヨーロッパに視察とかにいったらしい。しかし、自分の子供を「余人を持って代えがたい芸術家」などと、普通の神経の持ち主がいうか?。まあ、昔から、石原慎太郎という人物が普通の神経の持ち主とは思わないが。昔、彼がスパルタ教育論とかいうのを本にしていた。読んでないのでなにも言えないが。スパルタ教育がなにを意味してるのか知らないが、普通、子供をほめるというのに照れというものはないのか。公の金を使うことに、「余人を持って代えがたい」と、自分の息子を賞賛するか。仮に、同じような実力を持っている二人の人間がいて、片方が自分の身内だった場合、襟をただすためには、自分の息子の方をはずすのが、まっとうな神経の持ち主のやることだろう。 週末の朝のニュースショーのような番組でこのことが取り上げられていたが、どうもいつもは威勢のいいコメンテーターが奥歯にものの挟まったような言い方をしていた。数年前に、どこかの知事が自分の娘を重用して、県政を私物化させて辞任していった。まあ、石原の4男が、都政を私物化したわけではないが、少なくとも親父は都政を私物化している。 この節操のない親父に対して、都議会もロクに批判もできない。たぶん、埼玉の土屋知事は批判していたであろう、テレビのコメンテーター(このコメンテーターという人種はいったいなんなんだろう)もまともに批判しない。いったい、この極右(彼の人種、民族問題に対する主張は、欧州に行けば、完全にルペン、ハイダーなどと同じ範疇に入れられる)の作家のなにがそんなに怖いのだろうか。
2006.11.25
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この間の駅伝の記録証が送られてきました。なんと、区間順位まで載っていました。が~ん、部門別で区間90位台。チームの成績は50位台なのに。ワタシが足を引っ張ったのだろうか。どうせなら、区間ごとの順位を出してくれればいいのに。チームの中で「お前が足を引っ張った」とか「アタシは何人抜き」とか、意味のない盛り上がりを楽しめたのに。主催者の読売新聞サマにでもお願いしようかな。 さて、わがチームの区間順位最高は30位台。部門別にみると、参加チームは340ぐらいだったから、10分の1の順位だったわけか。チーム順位を上回ったのは彼女だけでした。
2006.11.24
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父を連れて、公園で歩行訓練をしていたときのこと。「あっ」と父が声を上げた。目を下にやると、下にはいていたスウェットが足元までずり落ちているではないか。そう、オムツの下半身が丸出しになってしまったのだ。ゴムがゆるくなっていたうえに、紐を結んでいなかったのだ。 あわててずり上げる。本当にお笑いなのだが、その一方で見事なまでにそぎ落ちてしまった筋肉。皮の下には、脂肪と骨しかないような。皮膚もまったく張りがなく。 しかし、一分あとには、本人はそんなハプニングがあったことを忘れていた。忘れるということは、いいことでもあるのかも知れない。
2006.11.24
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20台の偏差値なんて、もちろんありえるのだけれど、実際に数字でみることはなかった。そう、この間の某難関校の模試。「みい」の国、数の二科目の偏差値が、なんと30を割っていた。そうか、そんな数字があるんだと、妙に感心。そうだよな。得意だったはずの国語が、長文3問のうち、1問がまったく手付かずだったというんだから。手がついたところだって、悲惨だったんだから。算数はそれ以上の惨状。合計点でも、あと後ろには数人しかいないような状態。どうにか、理科と社会は平均点に迫ってはいたが、それとて平均にも届かず。 この一年ほどの間に、マジメにやった人間とそうでなかった人間(もちろん、もって生まれたものもあるのだろうが)の差が、これだけはっきりと出てくるとは。 結果が返ってきたこと、「聞いてくるまで、本人には伝えなくていい」と、奥様には言っておいたが。
2006.11.23
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懸案だった「はと」の寒さよけの止まり木。手ごろな棒がなかったので、泰山木の枝を長めに切って調節。針金で「はと」小屋の中から伸びている夏みかんの幹に縛りつけ、なんとか完成。けっこういい感じに仕上がったのだが、果たして風があるようなときに「はと」がそこに避難してくれるか。 そこに止まり木があることをわからせるために、一回追い込んではおいたが。だいたい、本当にそこならば風除けになるかもよくわからない。 きょうの夜中帰ってきてみたら、吹きっさらしの枝に寒そうに止まって寝ていた。やはり、より高いところが安心できるということなのだろうか。そのあたりに風が当たらないようにする方がいいのかもしれない。
2006.11.23
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つくばまであと3日。あまりにも練習していないので、きょうは公園20周。サボっていたので、最初は恐ろしく体が軽い。でも、最後の方では、スタミナ不足。けっこう足に来てしまった。 こんな練習でいいわけはないが、もう手遅れ。さて、本番はどうするか。前半とにかくキロ4分半ぐらいで突っ走り行ける所まで行って玉砕するか。それともキロ5分ぐらいで自重して完走を目指すか。もっとも、スタミナに自信がないので、キロ5分でも完走は怪しい気がする。 きょうの走行距離、ダウン、公園への行き帰り含め12キロ。今月は100キロムリかな。26日に42キロ走れたとしても・・・。
2006.11.23
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さて、難航していたパソコンでの年賀状製作。試行錯誤を重ねた挙句、なんとかそれらしい形になった。ためし刷りも、まあ、それなりの画質にはなったように思われた。 しかし、もう一度ためし刷りをしてみようとすると、全然プリンターが動かないではないか。ほかの画像をプリントアウトしようとするとできるのに、なぜか年賀状はプリントできない。なんのために苦労をしたんじゃ。 さて、困った。毎年、年賀状に期するものがある奥様はカリカリとなっているし。そういえば、年寄りの介護に精力をつぎ込むのは悪くて、年賀状製作に力をつぎ込むのはいいんかい?。なに考えてんじゃ
2006.11.21
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奥様と、また言い合いになった。「みいの受験なんて、どうでもいいと思ってるんでしょ」といわれた。「うん、どうでもいいと思っている」と答えた。 その前に、ワタシが父親のリハビリに全精力が行っていると言われていた。 そんな全精力など使っていない。そんなにできた人間ではない。せいぜい、一日1時間、午前中に散歩と無理やりに右手を動かしているぐらいだ。 しかし、「みい」の受験に対していったい何をしろというんだ。第一志望の過去問すら満足にやっていないのに、「他の過去問を買ってくれない」とか、過去問をやるからコピーしてくれとか。コピーなんていうのは、それを繰り返しやる人間が言うこと。それをご丁寧に、コピーなどしてやる必要はまったくない。 地元の公立に行きたくないとか言っているという。しかし、行きたくないのなら、それに応じた努力をしない人間に、いったい何を協力しろというのだ。 そして、ヒステリックにわめきたてる。母娘で良く似たもんだ。
2006.11.21
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さて、うちの三羽○トリオ、寒さ対策どうしようか。 「そら」は、どうせ室内なんだし、それほど気温は下がらないので、別に特に考えなくてもいいような気はするのだが。他のご家族からヒーターだのなんだのといった声が上がっている。 さて、「れん」。こちらは屋外だけど、体も大きいし、基本的には室外で飼うものだし、小屋の周りもガラスで覆われるようになっているので、大丈夫ではなかろうか。 問題は「はと」。確かに、野生で暮らしていれば、暖房があるわけでもないけれど。しかし、基本的にキジバトはどのようにして冬を越しているのだろう。風があるときなどは、常緑樹の茂った中で休んでいるのだろうか。そうしたら、少しは風除けなどの対策を講じなければならないだろうし。えさは少し高カロリーがいいとか・・・。 インコやニワトリならば、飼い方の本もあるが、キジバトなんてないし。
2006.11.20
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小学校の予定表をもらったのを見ていたら、東京見物(国会議事堂なんかを見に行くのかな)があった。日程ははっきり決まっていないらしいが、1月下旬となっている。 えっ、千葉の入試って1月下旬じゃない。「みい」など、受かる可能性の低いところなら、どちらを優先
2006.11.19
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無責任男といえば、最近の書き方からすれば父のことをさすのだが、きょうは、その父の息子のこと。と、いってもワタシではない。もう一人の方。 学会かなんかで、上京するらしく、金曜日の夜に来るとかいう話だった。今年になって、まだ来ていないので、たまには父の様子でも伺いにくるのは当たり前。 で、来るかと思っていたら、来なかった。母は、起きていて待っていた様子。一回、電話を入れたらしいが、ちょうど電話から離れていて、連絡を受け損ねたらしい。でも、それなら何回でも電話しろって。結局、どこかで飲んで、そのまま友人のところへ行ったとか。 その後、どうしていたか知らないが、東京方面にはいたらしい。きょう来るとかいう話を、今朝聞いたが、いまだに来ていない。そりゃ、携帯でもあるのだろうが、母も馬鹿らしくなったようで、電話をする気もないようだ。 別に、ワタシなど大して介護もしていないから、大きなことも言えないが、こういうのがいると、介護をしている身になってみれば、腹がたつんだろう。 少なくとも、医者なんだから、父のボケに対する見方も、素人とは違う見方ができるだろうに(精神科だが、専門的には、必ずしも重なるわけではないだろうが)。 本当に、いい加減な男だ。
2006.11.19
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駅伝結果がランネットに載っていた。ロングの走友混成で、目標(だれがそんなもの目標にしていたかわからないが)、あと一歩のところで50位以内を逃してしまった。 で、細かく内容を見ると、ワタシらのチームより上のチームで、第一走者がワタシよりも遅かったのは、ほとんどいない。と、いうことは、第一走者が遅かったせい?ほかのところは、あの距離で40分を切るのが大半だったような。ワタシらのチームは、第2~4走者が奮闘して順位をあげたみたい。
2006.11.19
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いわゆる中流論争、格差論争の口火のひとつとなった本。 しかし、中流とはなにか、平等とはなにか、これは非常に難しい。結局定義の行き着く先は、個人の実感しかないのかもしれない。 機会の均等が保障されていれば・・・という論者の機会とは、結局封建時代の身分問題の次元でモノを言っている場合が多い。そりゃ、いま、職業の選択の自由、その他、その意味での機会は保障されているが、佐藤氏のいうように、ホワイトカラー上層の師弟がホワイトカラー上層の仕事につくのが固定化されている方向に向かっているのは確かなのだろう。 ただし、昔と比べてホワイトカラー上層の内実がかなり変化している中で、それを変化する時代の中で一体的にとらえられるものなのか。 ワタシなど、社内での地位から言えば、ホワイトカラー下層民である。ただ、単に収入からいえば、上層に位置づけてもおかしくはない(と、自分で言っていれば世話がないが)。そもそも、30人規模の会社と、数千人規模の会社では、世間的には(個人の感じ方からすると、この世間的という部分が重要になる)恐ろしく評価が違ってくるだろう。所得の面でも、さまざまな違いもある。 とにかく、自分で下流と位置づければ下流だし、また位置づけてもそこから上昇する意欲を持てば、自分にとっての未来の感じ方が違ってくるのは確かだ。本の内容とは離れてしまったが。
2006.11.18
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いや~、きょうの仕事は疲れた。こんなに疲労感が蓄積される仕事をしたのは何年ぶりだろうか。しょーもないこと?が書かれたA2サイズの紙約170枚をチェックさせられた。 そりゃ、最初のうちはチェックする。けっこうミスも見つけることができた。しかし、最後の方になると、1分間に2枚も3枚も紙が舞い込んでくる。自分で何を読んでいるのか、わからなくなる。いったいどこまで読んだのか。あ~しんど。頭がホントにウニになってしまった。
2006.11.17
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一分前のこともほとんど記憶に残らない父。それでも、いじめられたことは記憶に残るのだろうか。きょうも、散歩に連れ出し、最後に公園で歩行訓練をしたが、やはり、ちょっと歩くといろいろと駄々をこねてくる。それでも、結局こっちがやらせるから、そのいやな記憶だけは残るのか、最近、ワタシの顔を見るといやな顔をするようになってきた。特に、腕を曲げたり伸ばしたりすると、痛みがあるせいか、終いには怒り出す。 記憶が残らないから、何回でもリハビリができると思っていたが、さすがにそんな甘いものではない様子。 きょうは、母に、「だんなは元気か」と聞いていた。ユニーク発言をまとめると、それなりに面白いかも・・・。
2006.11.16
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きょうは5日ぶりに走る。キロ4分40~50秒ペースで、楽に走れるはずが、最後の方でずいぶんとふくらはぎが張ってきた。これは、走っていれば、そのうちに楽になるものなのか、それとも、だんだんと痛みにつながってくるようなものなのか。このくらいのペースでフルを走ろうと思っているが、まだペースが速いのかな? きょうは12キロ。今月の累計、34.3キロ。
2006.11.16
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この間、奥様が参加した皇居の周りを走る大会、結果が出ていたが、43分台だった模様。本人は、時計もして行かなかったので、タイムはわからなかったとのことだが。 それでも、これまでの10キロの自己記録を40秒ぐらいは更新したことになる。こちらの方が記録で上回るようになってきたとは言っても、下手をすると、また追い抜かれるかな?
2006.11.15
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母によれば、おむつに一日で4回もうんこをしたとか。病院で渡された薬で下剤的なものがあったとか。その服用を半分にすることで、少なくとも回数は減るかもしれない。それにしても、全然便意がないのだろうか。 ワタシは、午前中に父を車椅子にのせて散歩に。最後に近くの公園で歩行練習。やはり一歩一歩が十センチぐらいしか進まないような歩き方だが、それでもなんとか50メートルほどは歩かせた。家に帰ってからの階段も、きのうよりはスムーズに上らせることができた。 ケアマネジャーさんが来たが、相変わらず本人は馬耳東風の構え。こちらの会話がどこまで理解できているのかわからないが、これからより悪化したときのことも考えて、特養の申し込みを早めに行う方向に。でも、こういう施設って交通の便がいいところにはないもの。ワタシが行くのなら、それこそ走ってもいいが、母などはどうするか。もし、そうなったら軽自動車でも買うかな。
2006.11.15
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ようやく、つくばの書類が送られてきました。それなのに、全然練習が・・・。この間の駅伝ぐらい。あれはペースが速いので、むしろマイナスになるかもしれないし。最近、出社時間が少し早いことが多く、しかも父親が退院してきてしまったので、やることも増えてしまったし。なんか、不安が募ってきた。
2006.11.14
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自由主義史観のグループを強く批判する著者。 日本の侵略思想の系譜も、江戸時代の国学者にさかのぼれるとして、多くの箇所で天皇制と侵略が不可分に結びついたものとしている。中国での虐殺なども天皇の軍隊として、一切の上官批判を許さずに、一方的な犠牲を下に強いたために、そのはけ口が噴出したのが、中国の民衆に対してだったと分析。また、昭和天皇が終戦工作に踏み切るのを躊躇し、工作を始めてからも、国体護持だけしか頭になかったため、降伏が決定的に遅れ、死者数が格段に膨れ上がったとして、その無責任さを非難している。 そう、昭和天皇については、近頃、右翼で国家主義思想を喧伝した徳富蘇峰が非難していたことが明らかになったり、かつて、三島も断罪していた。それが、「昭和の日」などという唾棄すべき日が制定されているのだから。まったく不可解。
2006.11.14
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ついに、退院の日。母と、われわれ夫婦で病院に迎えに行く。そこでいったこと「ここはフランスか」。フランスなど、行ったこともないのに。それから30分後ぐらいには、「ここは中国なのか、朝鮮なのか」と、突拍子のない発言。どこも行ったことないのに。さて、着替えさせようとすると、なにやら臭ってくる。オムツの中に、うんこをもらしていた。もらしても、何も訴えず。 ただ、病院だと、脳外科の病室だと、トイレに連れて行くこともせずに、本人も訴えないので、必然的にそういうことになる。本人もそれが当たり前のことになるのだ。 さて、手続きをしている間に、廊下を歩かせる。今回の入院の前に比べると、格段に歩行能力が衰えている。脇から支えながら数メートルがやっと。それも一歩の歩幅がせいぜい20センチといったところか。それでも、男性の看護師さんが「いつもはもっと上手に歩いてますよ」と。そう、夜中に、一人で勝手に歩くこともあるというのだから。 タクシーに乗るのも面倒くさいので、車椅子を家まで押していった。道路から玄関まで、5段ぐらい上がらなければならない。階段の一段一段も、一人が体を支えながら、もう一人が足を持ち上げなければならないほど。最後の一段のところで、泣きそうな声で「もうだめだ」と座り込んで、頑として動かなくなってしまった。なんとかなだめすかして、ようやく室内へ。靴を脱いで室内に入るときも、四つんばいになることができない。させようとすると、体を全く支えようとする意思もなく、半泣きのような声で、「できない」と。 やっと、なんとか部屋に運び込んだが。 ワタシは、出勤時間が来たので、会社へ。いったいどうなったことやら。 想像をはるかに超えた大変さ。どこまで、なにができるのか。
2006.11.14
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庭で、小さいのがチョコチョコと飛び回っているので良く見ると、首から頬のところが白いシジュウカラ(たぶん)。全部で7~8羽ぐらいいただろうか。盛んに動き回っていた。シジュウカラは、冬が近づくとやってくるのかな。夏の間は見なかったような。葉っぱが落ちて、鳥を観察するにはいい季節なんでしょう。
2006.11.13
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結局、あす退院ということになった。このままもう少し病院にいられることもできるようだが、リハビリ病棟には移れないという。今の病棟では、トイレに連れて行くこともできない(していない)ので、寝たきりを助長するようなもの。早く出せば、すこしはいろいろなことができるようになるかもしれない。 母曰く、「何日か先延ばししたからといって、どうなるもんじゃない」確かにそうなんだよな。と、言うことで、まあ、できることからおっくうがらずにやることにしよう。
2006.11.13
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パソコンもわからないけど、同様にわからない。きのうの「みい」が受けた某難関校の模試の問題。きょう、ためしに社会と国語をやってみた。たぶん、8割は取れるでも、9割は自信なし。自分でもわかりそうな社会と国語だけをやってみたが、算数と理科は恐ろしくて手を出していない。まあ、一緒に塾に通えば、合格点ぐらいはとれそうな気がするが。 でも、これだけの問題ができても、その後伸び悩む子供ってけっこういるんだろうなとも思う。
2006.11.12
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パソコンを使っての年賀状作成に取り組むことを命じられ、始めたが、さっぱりわからん。説明を読んでも、その説明が既知のものとして扱っていることが理解できず、お手上げ。 19世紀人間なのか。
2006.11.12
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夜勤明けのワタシは、午前6時半に起床。朝飯抜きで、「みい」を東京の模試会場まで送り届ける。そして立川の駅伝会場へ。走り終わると、今度は会社に行って、そのまま夜勤。とっても有意義な一日でした。さて、一方の「みい」は、昼過ぎまでテストをやって、迎えに行った奥様や「くう」と外で食事をして、それからいつも通っている塾の定例のテストを受けた。大変といっても、こっちは遊びがあるから大変なのであって、お嬢様、テスト4強化×2。お疲れ様でした。こっちも疲れたけど。
2006.11.11
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カーニバルと名乗るだけあって、いかにもお祭り気分の駅伝に参加。第一走者として10キロ(実際は、10.3キロと書いてある)を走る。最初はなかなか人ごみを抜けられず、ペースがわからなかったが、最初の1キロは4分15秒。その後も、9キロぐらいまでは、キロ4分10秒前後を刻んでいったが、最後で失速したかな。結果は43分30秒ぐらいで引継ぎ。 第二、第三走者は会社のお姉さん。それほど練習をやっているわけでもないようだが、けっこうしっかりした走りで5.3キロ、3キロをつなぐ。アンカーはやはり会社の同僚。結局1時間47分か8分ぐらいか。自分が終わったあとはあまりマジメに時計を見ていなかったので、よくわからなかった。後の三人も、時計をしないで走るぐらいだから、あまり気にはしていなかったみたい。 この日は、ほとんどずっと小雨が降りっぱなし。はじめは肌寒く、風邪でもひくかなと思ったが、走り終わると、それほど体が冷えることもなかった。 それにしても、1区だから比較的に力のあるランナーがそろっていたのか、前半からどんどんと抜かされていった。これは、あとで落ちてくるかなと思ってたがあまり落ちてこない。こちらは多少は前半をセーブしたつもりだったが、最後の方は、スパートをかけるほどの体力は残っていなかった。詳しくは、後日。 きょうの走行距離10.3キロ。今月の累計、22.3キロ。
2006.11.11
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あしたは、難関校の模試とかいうもの。申し込んだ時点では、まだそんなところに縁がある可能性もないわけではないと思っていたのだが、いまさら・・・という感じが。でも、まあ、いいか。会場がけっこう遠いので大変だ。 そんな~時代もあったねと、いつか思える日がくるのかな?
2006.11.10
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タコ星人さんにも叱咤激励されたので、久々に公園を走りました。20周。47分ぐらい。あした、駅伝を走らなければならないので、控えめに走ったつもりだったのだが、さぼっていたせいか、けっこう足に来てしまった。 あした大丈夫かな? 今月の走行距離12キロ。
2006.11.10
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きょう、早速(でもないか)、ネズミ捕り購入。「昔ながらの」といううたい文句。680円の針金で作ったかごのようなもので、扉がばねで落ちるもの。最初は組み立て方がよくわからなかったが、なんとか完成。さて、ひっかかるネズミがいるのだろうか。
2006.11.10
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会社のそばのビルの谷間に、最近オープンしたばかりのフットサルコート。きょう、出勤途中にその横を通りかかったら、中から声が。「フットサルやってきませんか?」よくみると、会社の同僚達が、ユニフォームを着てフットサル(そのときは休憩していたが)。 まあ、こっちはこれから会社に行かなければならないし、と、笑って通り過ぎた。 そして、約1時間後。フットサルメンバーの一人が骨折。オイオイ。これから、勤務が厳しくなるのに。スポーツで・・・。これでフルマラソンやって疲労骨折しましたとか、言えなくなっちゃうじゃないの。 ウチの職場、数年前にもフットサルだかサッカーで骨折者を出している。スポーツ禁止令でもでるんじゃないか?。 ワタシなんか、夜勤明けでムリして走って、心臓が止まっても、だれも同情してくれんだろうな。迷惑なヤツの一言で済まされたりして・・・。
2006.11.09
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11月に入ってまだ一度も走ってない。特に体調が悪いわけでもないのに。でも、気力が・・・。アホ娘、ボケ爺さん・・・のせいにするわけでもないけど、走る気分になれず。つくばまであと2週間ぐらいなのに・・・。
2006.11.09
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きのう病院に行ったら、たまたまリハビリの時間。そこで、理学療法士のお姉さんと話していたら、「歩けるようにならないかもしれません」と言われてしまった。足が細くなって、本当に筋力も衰えている。そして、なによりも意欲が減退しているとのことである。 そう、意欲。そのリハビリの最中も、半分眠ったような状態。そして自分で意欲がないと、大きな顔で主張している。それでいて、「一人でなんでもできると思う」なんて、言うのだから。開いた口がふさがらない。それが、まさしくぼけるということなのか。 確かに、リハビリの様子を見ていると、過去二回とはなにか違う。ある一線を越えてしまったかのような。 これで、退院してきたら、どうする?。夕方父のところへ行った母が、帰ってくるのが少し遅かった。母曰く、「アクシデントがあって・・・。夕食の最中にうんこもらしちゃって・・・」と。同じ下の世話でも、小と大では雲泥の差がある。 いよいよか。
2006.11.08
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鳥小屋と外をつなぐ何ヶ所ものトンネルが発見されている。犯人はネズミ。鳥小屋の近くにおいてある植木鉢を持ち上げると、その下にも、やはりトンネルが発見された。 ドブネズミ?クマネズミ?。もともと、この近辺に生息していたのだろうか。 まあ、エサを失敬されるのはまだしも、夜中、ダンボールの中に入れられている「れん」がかじられることはないだろうか。ネズミ捕り(「れん」がいるので、毒などは使えない)でも仕掛けるべきなのだろうか。早急な対策が望まれる。
2006.11.08
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普通なら、喜ばなくちゃいけないんだよネ。でも、とてもそんな気になれない。最初の入院は5ヶ月。二回目は3ヶ月。しかし今度は1ヶ月。別によくなっているから退院ではない。病院ではやることがないということだ。 過去二回の入院は、それなりにリハビリが行われた。今度も、少しは行われているが、今までのように手厚くはない。本人にやる気がなく、特に改善の見通しがたたなければ、無駄な金は使えないとのこと。そう、これも自己責任の世界なのだ。 でも、どうする。そりゃ、歩かせたりは、なるべくする。こっちが嫌われても、やらせる。しかし、素人がいったいどこまでできるか。たぶん、今週中にもかな・・・。
2006.11.06
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面談があるのに、こちら側の方針を全然固めていない。こんなのじゃ、塾もめいわくだろうな。
2006.11.06
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きょうは、ウチの奥様が東京シティマラソンの10キロに出場。ワタシが寝ている間に出かけていた。帰ってから結果を聞くと、時計を持っていっていなかったのでわからないとのいい加減な返事。 そう、この大会、基本的には男女別にも分けない、おおらかな大会。あんまり、順位も気にすることないか(後日、ネットで掲載されるようですが)。 でも、女性で○位とか書かれた封筒をもらってきていた。普通の大会ならば、賞状でももらえる順位だが。この先、いくら頑張っても、ワタシはそんな順位になることはないだろうな。記録はやっと追い越せるようになったけど、順位というのはいかんともしがたい。ところで、封筒の中にはエステ(スポーツマッサージかな)の優待券。優待といっても5000円必要みたいだから、もしかしたら、女性全員にもらえたのかも。
2006.11.05
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バルチック艦隊そのものというよりも、ロシア海軍史というべきか、ロシアの極東進出の歴史というか・・・。 そもそも、ロシア艦隊は、バルチック艦隊そのものがバルト海という閉鎖された海の艦隊で(黒海艦隊も同様)、井の中の蛙的な艦隊であった。老朽艦も多く、新鋭艦は逆に、まだ満足な艤装もする時間がないまま出港。航海中は満足な訓練もできず、はじめから勝ち目はなかった。その中を、あれだけの大航海をなしとげたことだけでも賞賛に値するといったトーンだったのは、吉村昭の「海の史劇」だったが。 個別的な問題になるが、旅順港が太平洋艦隊の母港となっていたことに、マハンが批判していたとか。遼東半島は、ロシアの戦略的拠点であるハルビンからは遠く、容易に日本軍によって連絡線を遮断される位置にある。しかも、洋上からの補給も、ロシアの他の港からは離れ、袋のネズミとなる公算を(まさに、その通りになった)指摘していたとか。 少なくとも、海軍については、ロシアは負けるべくして負けたというべきなのだろう。太平洋艦隊をウラジオに最初から配置していれば、多少は問題が違ってきたのかもしれないが。
2006.11.05
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ほとんどの果樹が不作(凶作といった方がいいぐらい)だった今年だが、来年のびわはけっこう実をつけてくれそう。つぼみがいっぱいついていたが、きょう見たら早くも花が咲いていた。12月ごろかと思っていたが、毎年こんな時期に咲いていたのだろうか。それとも咲く期間が長いのだろうか。覚えているようで、なにも記憶に残っていない。けっこういい加減なもの。
2006.11.04
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