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すごくおいしい焼酎なのだそうです。とても有名な名酒なんだそうです。なかなか手に入らないのでプレミアついて高い高い焼酎なんだそうです。福山さんが飲んでいるってうわさの焼酎なんです。中居君も飲んでるらしい焼酎です。 ン。ナカイ君の漢字これでいいのかはっきりしません。 中居君はクンで福山さんはサン。これは正しい表記です。お酒の味はよく分かりませんが。ココ鹿児島で「一杯つけてくれ!」と言うときに出てくるお酒は焼酎です。日本酒は特別なときにしか飲まないようです。‥と思います。森伊蔵は有名でお酒屋さんで置いてあるというだけで名前が売れます。置いてあると言っても。注文できるという意味らしいのですが。「ドルフィンポート」という去年完成した鹿児島湾岸エリアのスポットをふらふら歩いていると。おじさんたちが「森伊蔵あるってよ」と騒いでいました。はじめて森伊蔵の本物を見ました。
2006年02月28日
一番近いところまで前進しましたが残念。昨日もさくらじまには雲がかかっていました。外に出れば必ずどこかに見えている桜島ですが目の前にどんと居座れば引き寄せられるように前へ前へと進まずにはおられません。海の香りをかぎたくて桜島に近づきたくて、ときどき湾岸エリアに足を運びます。ただ自分自身はこの鹿児島市内から見えている桜島の絵に慣れているだけなのです。当然のことではあるのですが桜島の姿は見る者の位置によって様々です。近いうちにフェリーに乗って海を渡ってみたいと思います。桜島は生きている火山です。今も煙をあげています。桜島は鹿児島市です。子ども達はフェリーに乗って高校へ通って来ます。
2006年02月27日
イケダパンのことは誰もが知っていると思い込んでいました。子どもの頃から慣れ親しんでいた普通の風景。雑貨屋のガラスのショーケース。駄菓子屋の平台。テレビコマーシャル。横断歩道で目の前を走り去る車のロゴ。上京してしばらくして東京にはイケダパンはないのだと知りました。朝食にパンを食べるのはドラマの中のお話で朝食はパンですか‥それともなんて質問がまだ生きていた‥あの頃学校給食には耳の硬い食パンか表面の乾いたコッペパンが出されていました。もうずいぶん前に亡くなった祖母がおみやげによく持ってきてくれた祖母自身もよく食べていたイケダパンの「シンコム3号」は甘い菓子パンです。わたしたちは少なくともわたしはイケダパンがメーカーのひとつだとは思っていませんでした。パンはイケダパンが作っていると思っていたのでした。遠い遠い昔、ちょっとナマイキな同級生池田君の父さんが作ってるパン‥なのでした。帰省してスーパーのパンコーナーでイケダパンの姿を見かけひとり拍手したものです。イケダパンのロゴ入りの配達の車を見かけて思わず車を止めて眺めました。
2006年02月26日

らーめんには必ず「おしんこ」がついています。出来上がるまでの短い時間にみんなお茶請けに食べるのです。鹿児島のラーメン屋のおじさんは向上をしゃべりません。らーめんどんぶりがいっぱい並んでいて若いスタッフがテキパキと料理を進めます。「くろいわらーめん」のおじちゃんも何にもしゃべりません。無愛想なのではありません。(ちょっと無愛想だというのかも知れません)ちゃんと「ありがとっやした!」って声はかけてくれるのですから。食べてる間ちゃんとスープまで飲んでるか観察しているのですから。くろいわらーめん これは おいしいです。くろいわも今はあちこちにお店を出しています。けれどもココ天文館のお店が本店です。 だと思います。最近はらーめん店でらーめん食べても淋しい気持ちは感じなくなりました。東京ではひとりのときも、友人と一緒のときも、らーめん食べるのは何となく悲しい場面だったような気がします。根拠なんて何もないのですが。
2006年02月24日
鹿児島中央駅は桜島の方を向かって建っています。その裏側西口に向かって九州新幹線は垂直に進入してきます。鹿児島中央駅は終着駅ですからその構造でOKなのです。西口のすぐ近くに西郷屋敷跡があります。普通のちいさな公園になっています。西郷さんが使った井戸も残っています。西郷さんはこの町で生活していました。史跡が町にとけ込んでいるように、西郷さんも普通の人だったのです。歴史が彼を英雄にしても。悲劇の主人公にしたてても。時代に刃向かう反逆者だと評価しても。西郷さんはこの町のふつうの生活者であったに違いないのです。
2006年02月23日
ずっと長い間。鹿児島本線と日豊本線の終着駅は「西鹿児島駅」でした。この街にはちゃんと「鹿児島駅」という駅もあるのですが、そちらはほとんど貨物専用の駅として考えられていました。鹿児島本線は「鹿児島駅」にはつながっていないのです。新幹線が鹿児島に乗り入れたとき。つまり九州新幹線が鹿児島にやってきたとき。それはそれは大騒ぎで。駅もその周辺も大きく様変わりしました。そして、そのとき駅の名前が「鹿児島中央駅」と改名されました。半年ほど遅れて駅ビル「アミュプラザ」がオープン。鹿児島初登場のたくさんのブランド店・書店・雑貨用品店‥‥鹿児島の物産を扱うお店・飲食店‥‥たくさんのエレベーターがついたかっこいい駅ビルが誕生しました。土曜休日となると駐車場もいっぱいです。アミュプラザの飲食店のひとつ鹿児島 華都飯店 (シャトーハンテンとお読むのだそうです)は五階にあります。きれいなお店でランチもおいしい落ち着いた店です。お店の方も丁寧で結構気に入ってます。写真は「五目飯SET」\1180です。わたしが好んで食べる三種類のうちのひとつです。
2006年02月22日
お昼過ぎから徐々に雲が切れ見る間に青空が広がりました。数日ぼんやりとしか見えていなかったさくらじまがその姿を現しました。いつもそこにあって景色の中に溶けてしまっているものを本当は見てはいないと言うことを実感することがあります。自分が必要とするときにだけ探し求めて普段は見上げることもしない。あるいは忘れてしまっていたりするのです。桜島はわたしがいいことをしても褒めてくれる訳ではありません。悪事を働いたとしてもそれを罰することはしません。困り果てて祈っても手をさしのべてくれるわけでもありません。ただそこにある。雲が姿を覆い隠すことはあっても夜の闇が視界を閉ざしてしまおうとそれはいつもそこにある。ただそこにあります。今日さくらじまは久々にわたしに姿を見せてくれました。
2006年02月21日
鹿児島を離れて生活するものにとってふるさとを思い出す食べ物がいくつかあります。最近は流通の発達によってほとんどのものは東京でも大阪でも札幌でも口にすることができるようになりました。はじめて東京で「かるかん」をみたときは驚いたものでした。けれども鹿児島に戻らなければ食べられないモノだってあるのです。その中のひとつ代表的なのがこの「しろくま」です。最近はカップ入りで商品化しているメーカーもあります。「むじゃき本店」が宅配による地方発送サービスもやっていますが。残念ながらそれらはしろくま」ではあっても「しろくま」ではありません。見てくださいこれが「しろくま」です大きすぎて画面におさまりきれないこの絵はアミュプラザ地下むじゃきの店頭のしろくまの宣伝用の飾りです。しかし本物もとても大きなしろものです。今日は鹿児島もちょっと冷え込んでいます。店内には召し上がっておられるお客も多数お見受けしましたが。私は鹿児島に暑さがやってきた頃挑戦することにします。その頃には本物の写真をお届けします。そうです。これが鹿児島の しろくま です。
2006年02月20日
徒歩で街を歩くことが普通だったころ。中学はもちろん高校も徒歩で通える場所で自転車通学ではなかった。狭い市内を回るのに自転車など必要じゃなかった。むしろそんな不粋な道具を私たちは使わなかった。そもそも自転車は小学生が自分の校区を走り回る道具でしかなかった。小学生にとっては大通りの向こうは別世界だったから国境の信号機のところまで冒険はしてもその向かい側にある遠いところへは大人達と乗り物に乗って行くべき場所だった。自転車で踏み込んでいいところではないのだった。高校生になり生活範囲が広がってもわたしたちは徒歩で世界を歩き回った。道に迷うことがあったとしても見回せばいつでもどこかに桜島が見えていた。景色の中に埋め込まれた桜島はわたしたちの帰るべき方向をいつも示してくれていた。あのころに比べて高い建物が多くはなったが曇り空に今日も桜島はどっしりと居座っていた。
2006年02月19日
これが鹿児島に立つ軍服姿の西郷さんです。わたしたちにとっては上野の西郷さんより親しみ深い西郷さんです。鹿児島の西郷さんの銅像は安藤照(あんどうてる)のつくったものです。安藤照はあまり知られていませんが、作品はとても有名です。渋谷の忠犬ハチ公の像も安藤照の造ったものです。(もっとも現在のハチ公は二代目でかれの息子で彫刻家の安藤士の作だとのことですが。)少し前まで…といってももうずいぶん昔の話ですがこの町には大きな建物と言っても数えるくらいしかなく行事の多くが県文化センターというホールで行われていました。わたしたちはそこの帰りあるいは天文館の本屋さんからの帰り友人と話しながら西郷さんの下を歩きました。西郷さんは美術館の庭に立っていてわたしたちを見下ろしていました。たわいもない話だったと思います。歩いて平田橋を渡り高校まで帰りついたものでした。鹿児島では西郷さんは西郷さんなのです。大久保利通は大久保利通なんですが。西郷さんは西郷さんなんです。それは今でもそうなのです。
2006年02月17日
今朝の最低気温は20℃近くもありました。明日は10℃を下回るとか。そしてあさっては最低気温0℃だとか。春だ春だと騒いでみたのも一週間ほどでした。鹿児島でそこまで冷えるのならば長野の友人のところは…北海道の知人宅は、どのくらいまで冷え込むのでしょうか。今日はあたたかい一日でした。ただ朝からどんよりと曇った空からは時々大粒の雨が落ちていました。さくらじまは…私のところからは雲に隠れて見えませんでした。本来あるべきところにあるべきものがないというのは不思議なものです。もちろん桜島がなくなったわけではありません。ただ私には見えなかった…だけなのですが。
2006年02月16日
お昼を過ぎて 雲が空を覆い始めて さくらじまが姿を隠した 雨が落ち始める前の湿った空気の中で 梅の花が精一杯に最後の主張をしていた まもなく 春の訪れだ と
2006年02月14日
さくらじまを背に常磐の坂道を登って行くのが「妙円寺詣り」のコース。水上坂(みっかんざか)を上り詰めたら武岡で左へ。2キロ程で明和温泉がある。大都会でめっきり少なくなってしまった銭湯なのだけれどもこの町には多くの名物温泉が現存している。見慣れてしまった風景のひとつだ。いつものように受付でおばちゃんと話していつものように脱衣場へいつもの風景、いつもの行動あまりに慣れすぎて気付かなかったモノがそこにあった。見慣れすぎていてあまりにとけこんでいるものであたりまえにそこにあるもので東京にいた頃ずっと忘れていたはずのレトロな体重計がそこにあった。私が意識しなかっただけで今も日本中の銭湯・温泉にはあるのだろうか。デジタル体重計よりもこの温泉には似合っている。 そう思う。
2006年02月13日
九州まで東京の芝居がやってくることはほとんどない。九州の芝居好きはいじけている。少なくとも鹿児島に住む私はいじけている。福岡まで蜷川幸雄がやってくるという。シェークスピアの「間違いの喜劇」小栗旬主演。メイキングドキュメンタリーを見た。蜷川はやはりすごい。小栗旬も、ただの顔のいいお兄ちゃんではなさそうだ。鹿児島は本日快晴。
2006年02月12日
鹿児島のラーメン屋さんに種類はない。らーめんは一種類しかない。みそラーメンも、しょうゆラーメンも、塩バターもない。メニューにあるのはシンプルな「らーめん」だけだ。「ざぼんらーめん」には大盛りもない。東京であるいは大阪で、よくみかける「とんこつらーめん」という表示も鹿児島の街ではみかけたことがない。トリノ冬期オリンピック開会式の日。わたしは「ざぼんらーめん」与次郎店でらーめんを食べた。お品書きより…ざぼんらーめん¥700。らーめんセット(ぎょうざライス付)¥950。炒飯¥550。
2006年02月11日
曇り空にさくらじまがどんといすわっていた。今日のこの町は風が強く冷たい。
2006年02月08日
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