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西郷さんではよくやることなのですが。大久保利通の後ろ姿を録ってみようと思いました。何かが右足の後ろにいるのです。聞いたこともありません。これは調べてみなければなりません。あれは確かにいななく馬と人影です。手持ちの資料にはありません。大発見なのです。自分的にはです。もちろん大久保像の作者や設置した方は知っているに違いないのですが。本当は今日は昨日は心動く動かされることがいっぱいいっぱいありました。みんなみんなすごいです。みんな一生懸命です。みんな考えて生きています。なのに私は脳天気でなのに私は大久保利通の後ろ姿にひとり大騒ぎで全くとほほで生きています。な~んにも考えずに生きています。好きなようにふらついています。そんなことをちょっと思った夜でした。みなさんいつもありがとう。ありがとうございます。
2006年09月30日
ただ過ぎに過ぐるもの帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬。これもまた清少納言の言葉です。枕草子です。男と女は難しいです。男と男も難しいです。女と女も難しいです。人と人の関係は難しいです。ガラス張りのように人の心が見えたらいいとは思いません。人間には性という短所があるとは思いません。それが長所であるとも思えません。性が付属品だとは思いません。それが全てだとも思いません。良くも悪くもそれはただあります。語ることは難しいです。私にはとても難しいことです。桜島に雲がかかっていました。へんてこりんな雲です。清少納言は書きました。どんどんどんどん過ぎて行ってしまうもの帆をあげてはしる舟影人の年齢そして春と夏と秋と冬 と。
2006年09月29日
清少納言は書いています。男の人が考えていることは本当に分かりません。ホントニわけの分からない考え方をするみょうちくりんな生き物です・・・・ と。男こそなおいとありがたくあやしきここちしたるものはあれ。 と。清少納言は書いています。どんなに身分の高い人だろうと自分が素敵だと思ったらそれこそ死ぬ気で愛し抜くのこそがいいはずなのに。女の目からみてもどうしてあんな不美人をと思えるような人のところに行ってしまうその心理がわかりません。頭がよくて感性も素敵な歌なんかも上手に詠んでつつましやかな女性を彼女が悲しんでいるのに見捨てて行ってしまったりするのを見ると怒りがこみあげてきてしまいます。 と。よりつかず、らうたげにうち嘆きてゐたるを見棄てて行きなどするはあさましう、おほやけ腹立ちて、けんそのこころも心憂く見ゆげけれど と。清少納言は書いています。身のうえにてはつゆ心苦しさを思ひ知らぬよ。 と。男性というものは本当に自分のことになると女性の心の苦しみなんかまったく理解しようともしないのですからどうしようもなく困った生き物だと思います。 と。清少納言は書いています。枕草子の一節です。第268段です。学校で習った覚えはありません。清少納言はなかなかかわいい女性です。きっと何か心に感じることがあったのだと思います。清少納言が書いた文章を写してみました。私の言葉ではありません。鹿児島ももう秋です。
2006年09月28日
西南戦争の最終章薩摩軍の面々はみすぼらしい汚らしい姿形で鹿児島の城山近辺を走り回っていました。髪の毛は伸び放題目はらんらんあるいはぎょろっと輝いていました。黒く赤く日焼けしてぼろぼろの服装・・・まさに鬼畜のようだったといいます。桐野利秋は官邸から失敬してきた他人の服を着用していました。まるであつらえたようにぴったりの大きさだったといいます。そして桐野はおまけとして持って帰ってきた真新しいシルクハットが大変気に入っていました。城山での戦いの間官軍との戦いの中この背の高い黒光りするシルクハットをかぶって戦場を駆け回っていたのです。敵も味方も多くの者にその姿は目撃され有名だったというのです。このシルクハットの物語には続きがあります。本人の詫び状が添えられて持ち主のところへ戻っているのです。桐野利秋が城山に無くなる数日前のできごとです。しつこく桐野利秋の話を書いてしまいました。夕日がきれいだったからではありません。桐野がちょっと気になっていたからです。人切り半次郎は気になる人物のひとりです。
2006年09月27日

カノウが無事帰還しました。しばらく一匹で淋しく薬浴していたのですが。無事水槽に復帰しました。本日のごはんくださいのマスゲームです。一番下の右黒い出目金がカノウです。金魚のイナバウワーやってる元気なおとぼけ金魚です。二枚目は先日開催されたご近所の中学の体育祭の写真です。男子組み体操です。指令台の上。太鼓を叩いているのが・・・・秋の空気の中でめいっぱい青春やってる若い友人たちです。
2006年09月26日
南洲神社には700以上の墓碑があります。そのほとんどが凝灰岩でできています。理科の授業で習いました。必出項目・堆積岩その素材が重要ギョウカイ岩は火山灰が堆積してできた岩石です。南洲神社の墓石のほとんどは吉野大地を作っている桜島の火砕流溶結凝灰岩でできています。桐野利秋またの名は中村半次郎あの人切り半次郎と呼ばれた男です。池波正太郎の小説で有名な人切り半次郎です。名刀和泉守兼定を腰に差した中村半次郎です。彼は維新後昔の名前桐野利秋を使っていました。桐野利秋の墓石は赤みがかった花崗岩でできています。赤みがかった花崗岩なんて鹿児島にはありません。彼を愛したひとりの女性が送ったものだ・・と誰かがどこかで書いていました。京都で桐野を愛した女性です。桐野利秋彼もまた面白そうな男です。
2006年09月25日
ジーパンに運動靴はいて帽子をかぶってでかけました。照国神社の横から城山に登りました。西郷洞窟の前も西郷さんが亡くなった場所にも人はあんまり出ていませんでした。きっと運動会のシーズンなのです。1877年9月24日西郷隆盛他40人の検死が終わると県令岩村通俊は遺体を引き取り浄光明寺境内に仮埋葬したといいます。現在の南洲墓地です。西郷隆盛の隣には村田新八がそして桐野利秋が眠っていました。今日は西南戦争の終結した日です。西郷隆盛の命日です。山道を歩くと汗がにじむいい天気でした。それでも秋が確実に近づいているのがわかる涼しい風も吹いていました。
2006年09月24日
お墓参りに行きました。とってもいい天気でした。今日はもうひとつお墓参りに行きました。桂庵玄樹のお墓参りです。行きにくい場所だと教わっていたのです。車では行かない方がいいと言われていたのです。忠告を真面目に聞かなかったためにたくさん時間がかかりました。車一台すれ違えないところでした。しかも駐車の場所がありません。そればかりではありません。道が無くなってしまってUターンすらできないのです。よその家の庭のちょっとお借りしてやっとの思いで抜け出しました。ずっと遠いところに駐車してもう一度今度は歩いてお墓参りに行きました。桂庵玄樹・・応仁の乱の頃の学者です。薩南学派の祖となった人です。島津忠昌に招かれて朱子学を講じ「大学章句」を書きました。やさしい顔をしたおじいちゃんお坊さんです。おじいちゃんでないお坊さんの絵をあまり見たことはありませんが。このじいさんただものではありません。500年前この伊敷の町の山道を桂庵玄寿が歩いていたのかと思うと感激です。
2006年09月23日
体重計乗っ ちきいのっ 今日も溜息つっ きょも ういくつっ眼鏡女房 ネガネかか新作のさつま狂句です。例の眼鏡屋さんの作品です掲示です。今回の歌は訳す必要がないような・・体重計にのっかって今日もふ~ゥと溜息をついている眼鏡をかけた僕の奥さん ・・そんな意味だと思います。スポーツの秋です。読書の秋です。美味しいものがたくさんある季節です。上手な歌だとは思いますが私にコメントはありません。さつま狂句は面白いと思います。
2006年09月22日
9月21日正午河野主一郎は親友の山野田一輔とともに白旗を掲げて岩崎谷から市中に出ました。西郷隆盛の助命嘆願が目的でした。「川村に合わせろ」とだけ主張したのです。ただふたりが旧知の友人に会えたのは23日午後になってからです。官軍の攻撃参軍川村純義もまた鹿児島の人間でした。彼ひとりを取り上げてもきっとドラマがひとつできあがるだろうと思います。西南戦争の最終章の一場面です。2006年9月21日鹿児島市内・・私の住居の辺りは桜島の灰が降りました。灰は東からの風に乗ってこの辺にまでたどりつきました。金魚が一匹元気がありません。出目金のカノウです。症状を話して薬をもらってきました。一匹だけ隔離して薬液の中で休んでいます。がんばってくれるといいのですが。心配で今もちょっと覗いてきました。静かに呼吸をしていました。交渉を「おそい」の言葉で蹴った川村ですが。語調を和らげて二人に伝言を頼んでいます。帰ったら西郷どんに令息菊次郎君の傷はたいしたことはないと言うてくれ。私がついている・・・と。誰が見ていたのか聞いていたのかは分かりません。およそ130年前鹿児島のこの街では敵も味方も同郷の血で血を洗う戦いが繰り広げられていたのです。
2006年09月21日
我が家の金魚の何十倍も大きさがあります。これだけ大きいとちょっと恐くなります。水を叩く音もかなり大きくばしゃばしゃです。鶴丸城のお堀に繋がる人工の水路を泳ぐ鯉たちです。県立図書館の石塀の横を流れる水路にいます。ここの水が濁っているのを見たのははじめてのような気がします。先日の台風の影響がまだ残っているのでしょうか。西郷さんの命日の記念式典のことを質問しました。さあちょっと分かりません・・・と答えてくれました。西郷さんの命日なんですか・・・と尋ねられました。図書館の司書の方が仕切っているわけでもないのにちょっと場違いな質問をしてしまいました。場所柄をわきまえないところがあるのです。私に・・・です。明治10年9月24日は西郷隆盛の命日です。
2006年09月20日
陽が落ちて激しい雨になりました。走れメロスの雨のでした。音をたてて激しく落ちる暗い夜の雨は走れメロスの雨だと決めています。先日の台風も今夜の雨も生き物はちゃんと分かっています。我が家の生き物は・・金魚たちです。金魚たちは水槽の底に静かに止まって静かに静かに嵐の去るのを待っています。水の中にいて分かるはずもないのにと思っていたのは私の思い違いです。朝の光の中ではいつものようにご飯下さいのマスゲームをやっていたのですから。今朝の桜島はまるで衣装のしっくりこない主演女優のようになかなか姿を現しませんでした。雲をゆっくりと飛ばしたかと思ったら空いっぱいに雲を散らしてスポットライトの光の中に入ろうとはしませんでした。秋の衣装が気にいらない御様子です。
2006年09月19日
久しぶりに桜島が完全に姿を見せました。裾野のみどりも見えていました。あちらこちらに被害を出して気持ちを暗くさせてしまう台風でした。夕べは遅くまで風の音を聞いていました。遅く起きた朝には張り付いた木の葉を拾い集めて折れてしまった木の枝を整理しました。台風一過というにはすっきりとはしない一日でした。今日の桜島はどんと座っていました。いつものように何も言いません。ものすごい暑さは去りました。けれども暑さは残っています。まだ秋とは呼べません。紅葉の秋が待ち遠しくてしかたありません。桜島の上の雲たちは綿菓子のようでした。雲だけは秋のものになっていました。
2006年09月18日
屏風は全てたたまれていました。妻戸を通して部屋の奥まですっかり見通せます。野分が吹き荒れた日。夕霧はこの世のものとは思えない美しい女性の姿を見ます。気高く美しい紫の上が座っていました。しかも彼女は何かを眺めてにっこり笑っていました。父光源氏は紫の上に彼を近づけないようにしていたのです。男性が全て自分と同じなら・・と源氏が考えたというのは言い過ぎですが。始めて見る継母の姿は夕霧の心を打ってしまったのです。紫の上の美しさに呆然としてしまいました。台風のいたずらです。紫式部は冷静な作家です。夕霧は過ちを回避しました。父光源氏が犯してしまった過ちを繰り返すことはなかったのです。自らが生み出した主人公光源氏の過ちを読者に再確認させています。いいとか悪いとかは言っていませんが。夕霧は父光源氏と伯父頭中将によって幼なじみで親しかった雲居の雁と引き離されてしまっていました。それでも彼女と文通だけは続けていました。源氏物語に登場する男性の中でちょっと異色の真面目な若者光源氏と葵の上の間にできた息子です。この日夕霧は色々なものを見ました。様々なことを考えました。15の秋のできごとです。この日も彼は明石の姫君の部屋で紙と硯を借り雲居の雁に見舞いをしたためるのでした。彼はちょっと素敵です。少なくとも父親よりはずっと素敵です。ただの私の評価ですが。台風13号は日本海に抜けたようです。
2006年09月17日
日付が変わってしばらくしてから激しい雨が降りました。13号の影響が出始めたようです。昨日一日はもちました。沖縄から鹿児島までは長い距離があるのです。大正3年1月12日桜島は大噴火を起こしました。画家の黒田清輝は鹿児島にいました。父親の病気見舞いのために帰省中だったのです。黒田は自らの手で父親を乗せた手車をおして平之町から武へそして田上へと避難しています。大混乱の鹿児島の街の中でのことです。このときのスケッチや油絵が残っています。桜島は静かに灰色の雲の中に浮かんでいました。現在の桜島はおとなしいのかも知れません。噴煙は上空8000Kmにまであがったといいます。鹿児島全土に灰を降らせました。南の島々にも灰を降らせました。沖縄の地にも灰を降らせました。逆の方向北の地方にカムチャッカ半島にまで灰を降らせたといいます。台風がまもなくやってきます。今はちょっと・雨も風もやんでいます。嵐の前の静けさなのでしょうか。
2006年09月17日
ほとんど出歩こうとしない母です。招待券をいただいていたのです。私はどうせガラガラだろうから当日券で入って空いた席で近くで見ようと思ったのですが。とんでもありません。大入り満員で遠く離れた後ろの席しかありません。それでも結構楽しんで帰って来ました。やはりプロです。こぢんまりしたバンド、最小限の出演者・・それでも観客を楽しませるすべを心得た素敵なショーが出来上がっていました。芸能界で成功している・・それだけでやはりすごい才能なのだと思いました。政治のことは分かりません。難しいことは分かりません。竹中平蔵総務相が政界を引退するのだとか・・・彼の政策が行ったことが正しかったのか誤ったことなのか難しいことは分かりません。けれどもすぐれた学者であることは分かります。何かをなした・何かをやろうとした政治家であることは分かります。政権政党の考えていることは全く理解できません。竹中平蔵の変わりに繰り上げ当選になる予定の女子プロレスラー彼女もプロだとは思いますが。パフォーマンスの新庄選手が公認候補として選挙にでるかも知れない・・・彼もプロだとは思いますが。「竹中氏以外ならば誰が来ても大丈夫」と語る官僚。彼らもプロだと思いますが。私は政治を語りません。私には難しすぎて分かりません。私にはさっぱり理解できません。コンサートが終わって母はペンライトまで買ってニコニコしながら歩いてきました。また行こうねと言っています。母は氷川きよしのコンサートなら行ってもいいと言っています。
2006年09月16日
昼間寝てばかりいるので夜寝られません。風邪をひいて熱が下がらないのは私がお金の話ばかりを書いているからなのかも知れません。例えば値段の明治大正昭和風俗史という本があります。現代風俗史年表というのもあります。数字ばかりの本もなかなか面白いものです。電話帳を読もうという気にはなりませんが・・・お金に関しては薩摩よりも長州出身者がもっと多くを取っていました。山県有朋は三つの役職を兼任して1800円。伊藤博文はやはり三つ兼任で2000円です。現在の二千数百万円の月給です。取り敢えず私に調べられた限りでは伊藤博文が最高額を取っていました。明治維新に働いたのは薩長の下級武士です。明治維新は下級武士の立身出世のための革命だった・・・言われてしまったのかも知れません。思われていたかも知れません。西郷隆盛が野にくだったのはこのお金の件に腹を立ててのことだったという説もあります。教科書の通りの説明によれば西郷隆盛が野に下ったのは征韓論が敗れてしまったからですけれども。西郷さんの後ろ姿は黙して何も語りません。西郷さんの服装は陸軍大将の正装です。明治天皇を自ら警護したときの様子です。明治6年の姿です。その年西郷さんは鹿児島に帰ってきてしまいました。私の主治医は老先生です。先生の注射はよく効きます。注射なんか打たないことで有名な先生ではあるのですが。もう熱も下がりました。長く長く眠りました。
2006年09月15日
大久保利通は明治11年5月15日に東京の紀尾井坂で斬殺されています。彼の人生の最終決算は借金8000円でした。借入先はすべて友人か親戚筋だったということです。政商はじめ黒いお金には手をつけることはありませんでした。まさに清潔な一生を過ごしています。あれだけの高給現在の1000万円を越える月給を取りながら1億円以上の借金を残したのです。それでも彼が清潔だったと言い切れるのは借金をしてまで使っていたお金の行き場が明らかになっているからです。借金のほとんどの行き先とは国への政府維持のための立替金だったのです。株式会社日本の役員借入金です。政府の新規事業その初年度予算が未成立だったのです。各省担当者への事業資金は大久保らからの立替金だったのです。日本史の教科書の記述の通り第一次伊藤博文内閣が成立したのは明治18年12月22日のことです。それ以前にも国は動いていたのです。大久保利通や西郷隆盛そして当時最高額の月給を手にしていた伊藤博文彼らの私的なお金の使い道はどうも現在の政治家とは違っていたようです。現在の政治家を政治家と呼ぶとするならば維新の彼らは政治家とは呼べないのかも知れません。何か別の呼び名を与えた方がいいような気もします。そして逆に彼らを政治家と言うのならば現在の政治家は・・・・・私には難しいことは分かりません。けれども維新にこの国を動かしていたこの国で走り回っていた男たちのことには大変な魅力を感じます。とっても興味があるのです。大久保利通の銅像は甲突川河畔に建っています。
2006年09月14日
大日本有名官員鑑という資料があります。明治政府が発表した無味乾燥な資料です。私のメモが正しければ西郷従道・・西郷隆盛の弟です。明治11年には35歳で陸軍中将になりました。その彼は陸軍中将400円議定官400円の合計800円を支給されています。大久保利通・・参議500円。内務卿500円。合計1000円。黒田清隆・・後の総理大臣です。参議500円。北海道開拓長官500円。陸軍中将400円。合計1400円。この当時は兼任している役職分すべての給料が支給されていたようです。つまり政府高官たちは1000万円から2000万円の月収があったということです。源泉徴収制度がありませんから全額とっぱらいの手取りです。この金額は年収ではありません。月収なのです。西郷隆盛はこの2000万円もの月収をどのように使っていたか・・・ほとんど使っていなかったようなのです。本当かウソかは分かりませんが。西郷さんは下僕の熊吉さんと単身赴任の東京住まいでした。田舎育ち貧乏育ちのふたりはとても質素であったみたいです。いつも給料袋のままで棚の上に置いてあったと・・そこへ弟の従道たちがやってきて勝手にもらっていったと・・かれらは遊興費に使ってしまっていたようですが・・ウソか本当かはわかりません。分かっているのは兄の隆盛は西南戦争で国賊として亡くなり弟の従道はその後も政府高官として出世しているということです。これは歴史の事実です。数字の載った資料を眺めていても面白い話が読めてきます。お金の話の解釈は難しいと思います。けれども明治維新も倒幕も尊皇攘夷運動でさえお金の動きが底にあります。人は夢だけでは生きられません。人は思想だけでは革命ができません。鹿児島・薩摩は不可思議な歴史もたくさん秘めています。美しい話ばかりではありません。私はその部分にも興味があります。それが全てとは思いませんが。天候不順なここ数日です。回らない頭で長々とつまらないことを書いてしまいました。いつもとさして変わりませんね。今日も太陽は元気がありませんでした。私は元気はあるのですが熱も少し高いです。葛根湯を飲んでいます。
2006年09月13日
やっぱり何となく富士山とは雰囲気が違います。背が低くて横に太っています。鹿児島に「よこばいのこじっくい」という言葉があります。桜島はまさにそれだと思います。やっぱり桜島は男性です。西郷さんのお給料の支払い明細が残っています。さすがは明治新政府です。東京に単身赴任だった西郷さんは下僕の熊吉さんと二人暮らしでとっても質素な生活をしていたようです。ほとんど自分では使わなかったようなのですが明治6年に鹿児島に帰るまで1500円もらっていたようです。お米が1キロおよそ51銭だった頃のお話です。現在の感覚では2000万円くらいになるのではないでしょうか。明治政府の役人高官はとんでもない高給取りだったようです。2000万円が月給ですから。大久保利通の命令によって。西郷隆盛には帰郷したあとも陸軍大将500円の給料が支払われていました。西南戦争勃発までの話です。明治の偉人たちのお金の話が語られるのをあまり聞いたことがありません。私は結構細かい人間なのです。
2006年09月12日
今朝も黒い雲に隠れたままの桜島です。雨は降っていません。ぽちっとちいさく太陽が映っていました。写真を撮ったときには気付かなかったくらいに弱々しい太陽です。9月11日です。五年前私は何をしていたのだろうかと思いました。どこで最初にあのニュースを見たのか考えていました。五年という時の流れはとても速かったような気がします。ほんのちょっと前のような気がします。ずいぶん前の事件のような気もします。五年前私はこの街には帰ってきてはいませんでした。ずいぶん昔の話です。ちょっとだけ歳をとったような気がします。ちょっとだけです。
2006年09月11日
何となく雲の切れない一日でした。何となくウダウダ過ごした一日でした。中途半端な夕方でした。秋だというのにあまり涼しくなりません。秋だと決めたのにまだ終わっていない夏のしっぽが暑さを振りまいているかのようです。汗をいっぱいかきました。秋は結構気紛れでオフコースが♪中途半端なんです♪と歌ったのはこの季節だったような気がします。中途半端な夕焼けでした。燃えるような赤い夕焼けならば飛び出して行って写真に撮るのにと思いました。
2006年09月11日
今年の衣替えにはかなり時間がかかっています。桜島の話です。昨夜もごろごろゴロゴロ一晩中遠くで雷が踊っていました。どんより日曜日家の中でごろごろごろごろしています。それは私のお話です。昼間から宿題もやらずに高村薫を読んでます。お茶飲んで金魚の顔を眺めています。桜島の絵は昨日の夕刻の風景です。偶然トンボが一匹・・・トンボは匹でいいのでしょうか一頭っていうのでしょうか調べようとしていません。ドラゴンだからやはり一頭のような気もするのですが。こんな風にグズグズくだくだしています。偶然トンボが一匹・・写真の隅に入りました。
2006年09月10日
緊急の告知をさせてください。インターネットのお友だちスマイルハートの社長さんが緊急告知をなさっていたのです。私はその告知を引き継いでいます。ピレネー犬のメス5歳が里親を捜しています。北海道にお住まいの方のお願いだそうです。詳しくはスマイルハートの社長さんのブログに事情が掲載されています。力になってあげられそうな方。情報をお持ちの方は。hideさんのブログにメッセージをお願いいたします。私には何の力もありませんが遠い北海道の出来事です。鹿児島からお手伝いできたらうれしいと思っています。皆さんの力をお貸しください。
2006年09月10日
運動会の開会式その準備のために私たちは早く集合していました。万国旗が張られた校庭白いラインが引かれた運動場なんとなくひんやりとした空気を感じていました。校長先生の言葉や来賓の方の挨拶や体育の先生の説明・・・私はいつも運動会の朝に秋の始まりを感じていました。運動会が始まってしまえば汗いっぱいになってしまうのですが朝のひとときは秋を感じていられたのです。地面にじかに座って空ばかり見ていたような気がします。幼い頃の記憶です。高校の体育祭に行ってきました。走ってもらうぞと・・言われていたのです。冗談だと知らずに運動靴まで持って行っていたのですが。後輩たちの走りを眺めていました。青春たちは爽やかな汗を流していました。青春たちは元気な喚声をあげていました。もうすぐ秋の訪れです。
2006年09月09日
夕べあんまり遅くまで月を睨んでいましたから今日はちょっとお昼寝をしました。じわっと汗をかいて目覚めたのは顔に光りが当たっていたからです。夕べの満月の位置に太陽がやってきていました。あんまり強くない光です。まもなく沈むところだとはいえ夏の最後にしては強烈さのない太陽でした。天気予報が気になります。明日は晴れていて欲しいのです。てるてるぼうずずいぶん作っていません。最後に作ってつるしたのはいつだったのか思い出せずにしばらく考えていました。お昼寝から完全に覚めきらないぼやけた頭で考えていました。明日の降水確率80パーセント明日は晴れて欲しいのです。なのに・・・・です。
2006年09月08日
雲がほんの短い時間切れました。満月が姿を見せました。今夜は月食だったのです。かぐや姫のことを思いました。かぐや姫の話を始めて聞いたのはいったいいつだったのか・・と思い出していました。月に帰っていくお姫様はとってもとっても美しかったのです。ですから絵本のかぐや姫はいつも私をがっかりさせていました。これは違うと思っていました。テレビに出てくるかぐや姫も私の思っているかぐや姫ではありませんでした。私は想像しています。私はかぐや姫のお話を最初は耳で聞いたのだろうと。私にかぐや姫のお話を聞かせてくれたのはきっと母か祖母だったはずです。そしてもしかしたら父だったかも知れません。私はたくさんの昔話を聞いて育ちました。まだ幼稚園にも通わない頃幼稚園に通っていた頃です。寝つく前に話して聞かせてもらったのです。かぐや姫のことを思いました。次の満月はきっと十五夜なのだと思います。鹿児島では十五夜の夜は雨が降ると言います。すでにいつもの丸い月に戻りました。今夜の満月はほんの少し欠けていました。
2006年09月08日
後ろの山が城山です。西郷さんの銅像は明治時代には建てることができなかったと言います。西郷隆盛は逆賊だったからです。西郷さんの銅像は昭和12年に完成しました。渋谷のハチ公と同じ作者安藤照の作品です。元帥東郷平八郎が銘を書いています。東郷平八郎のお母さんは大物です。サツマ汁を持って平八郎を元気づけに戦場に駆けつけています。薩英戦争のときのことです。ココでは全く関係ありませんが・・・東郷つながりで思い出しました。西郷隆盛の銅像は7.8mあるのではないでしょうか。正確な数字は知りません。
2006年09月07日
西郷さんの横顔です。この季節は全身を見ることができません。木々が隠してしまっているからです。左からの横顔は美術館の中に入ると見ることができるのです。西郷さんの横顔はちょっとやさしい顔をしています。西郷さんの正面の顔は仕事をしている凛々しい顔です。何を考えているのか読みとらせません。西郷さんの後ろ姿は何者も寄せ付けない厳しい立ち姿です。後ろにも神経をとぎすましています。西郷さんの右の横顔は視線をちょっと意識しています。親しい人が右に立っていたのです。きっとそうです。西郷さんの左の横顔はちょっと油断しています。誰にも見られないと安心している顔なのです。もちろん何の根拠もありません。勝手に私が思ってしまっているだけです。西郷隆盛の像の背景そのみどりにほんの少し秋の色が混じり始めています。
2006年09月06日
夏休みが終わって図書館は静かなものでした。図書館の前の通りはもっと静かなものでした。水路のコイも元気そうでした。誰があげたものなのかエサがプカプカ浮いていました。ちょうどお昼の最中でした。我が家の金魚も元気です。けれども管理者の怠慢で水質がちょっと悪いようです。数日がかりの計画で水質改善作戦を行っています。きれいな水にしなければなりません。金魚に長生きしてもらわなければなりません。生き物は放っておくわけにはいきません。鶴丸城へ向かう道はいつもきれいに整備されています。この道をいったいどれだけの人々が歩いたのか。歴史のかおる道にもここちよい秋の風が流れ始めていました。
2006年09月05日
横になって本を読むことができません。無精でないなんていうのではないのです。横になると眠ってしまうのです。昔からそうです。勉強しながら眠ってしまったということがありません。オコタで勉強しているうちに眠ってしまったという友人の話が羨ましくてしかたがありませんでした。眠らなかったのではありません。勉強をやめてフトンに入って眠ってしまっていたのです。眠れぬ夜・・なんて素敵な言葉でしょう。横になってフトンに入ったら三秒で眠っている日がほとんどです。スイッチが切れてしまうのです。夜更かししないわけではありません。規則正しく不規則です。今日もまだこれからしばらく起きているのだと思います。スイッチが切れてしまいそうになる直前までです。桜島もわりと朝寝坊だと思います。ねぼけたままで朝の煙を吐いていました。昨日の朝の桜島です。
2006年09月04日
フラフラと街を行くとそこかしこに秋が忍び込んで来ていました。散歩というには無精な散歩です。車で走って適当な駐車場に車を駐めてそこからふらふらと歩きました。約束をはやめはやめに切り上げて移動時間を長めに取って散歩の時間を作ります。いつもの手です。ときどき小雨降る日だというのに傘を持たずに歩きました。大した雨ではありません。濡れても困るわけではありませんから。ひさびさに書店にも寄りました。雑誌と文庫本を二冊それから趣味の本を一冊買いました。欲しかった照柿・・文庫では2冊になっていました。文藝春秋9月号・・芥川賞の発表を立ち読みするうち買ってしまいました。甲突川の流れは静かでした。
2006年09月03日
薄い雲が浮かんでいました。誰かが落書きしたみたいな線です。桜島の頭にはいつもように真っ白の帽子です。耳をすますと波の音が聞こえました。ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ・・小さな音です。海の音はもう秋の音です。夏休みの子ども達の声も聞こえてきません。海辺には誰もいません。どこかへ向かう船が行きました。夏が静かに引き上げていきます。秋が静かにやってきます。
2006年09月02日
今夜も雨が降っています。今朝の桜島には低くて黒い雲がかかっていました。朝の太陽は雲の間から顔を出そうとはしていました。雲と太陽のせめぎ合い夏と秋とのせめぎ合いです。明日は天気になりますように。
2006年09月01日
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