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たちその庭と、お客が来たときしか使わない玄関の前の植え込みとは、はじめは霜のおりたようなブルーの肌合いで、やがて赤黒く熟れる実のなるコウヤマキの生垣でへだてられていた。 須賀さんの『遠い朝の本たち』で見つけた一文です。 「ぐみ」「桑の実」と書いたのですが、そういえば・・・と思い出したのがこのコウヤマキの実でした。 赤黒く熟れて甘い実でした。 画像がないのが残念ですが。
2009.05.31
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須賀敦子さんという名前だけはかなり以前から知っていたと思うのですが、どういうわけか本を手にとることはありませんでした。 この土曜日に、近くの図書館に行き、ふと手に取ったのが、『遠い朝の本たち』(須賀敦子 筑摩書房)という本でした。 最初の、「しげちゃんの昇天」を読み終えて、この本は、須賀さんが幼い日に出会った人と本との思い出を書いたものなのだと気がつきました。 私は偉い人の回顧録といったものをあまり好みません。特に武勇伝風のもの。いかに自分が勉強をしなかったか、いかに自分が悪いことばかりしていたか、を書き連ねたものは、途中で読むのを止めることにしています。 この須賀さんの本に、私はそのような顕示を感じませんでした。その代わりに微笑ましさを感じ、実際に頬を緩めながら読みました。 おねえちゃんは自分の好きな箇所をみつけると、すぐ読んで聞かせる。妹はそういってうるさがった。学校で読本を読ませられるのは、たいくつできらいだったけれど、ベッドで妹に読んで聞かせるのは、おもしろかった。ほんとうにいやなとき、妹は、両耳に指をつっこんで栓をすると羽枕の下に頭をうずめて、聞くまいとした。そのころ、ラジオで聞いた落語に、義太夫じまんの家主がいて、じぶんの語りを聞け聞けとうるさくてしかたがない、あまりのうるささに店子は土蔵に逃げこむのだが、家主は窓にしがみついて、中にいる店子の頭の上から「語りこんだ」という話があった。「語りこまれた」店子は苦しんで「七転八倒」するのだが、それを聞いていた妹は、わっ、おねちゃんみたい、と口をとがらせた。母は笑って、いやあねえ、パパも私に読んで聞かせたがるのよ。あれは、うるさい、と妹に賛成して、私をがっかりさせた。(p44) ここに出てくる落語とは、「寝床」であり、演者は古今亭志ん生師匠です。大家と店子ではなくて正しくは商家の旦那と番頭。続きは、番頭さんはドイツへいっちゃった・・・となっています。 と、どうでもいいようなウンチクを傾けてしまいましたが、須賀さんの文章を読んでいるうちに、「ああ、こんな文章が読みたかったんだ」とふと思いました。 筋を追いつつ、ページをめくるのももどかしく・・という読み方にはならず、じっくりと楽しみながら読み進みました。 無駄がほとんどなく、磨きたてられている、しかしふっくらとしていてそこはかとないユーモアが漂っている・・・。もっと早くめぐり合えばよかったと思いつつ、人と作品との出逢いは、出逢うべき時に出逢うんだから、とも思います。 この雑誌(注『少女の友』)がどうしても欲しかった理由はいくつかあったが、まず、『少女倶楽部』にくらべて『友』のほうは表紙からしてずっと都会的だった。そのうえ、着るものはなくなる、食べるものも満足にない日常で、現実がどちらを向いても灰色の壁にぶつかっているような時代に、この雑誌はそれを超越して私たちをある愉楽の世界にさそってくれた。なによりも、私たちの夢を大きく支えていたのは、あのなよなよとした、たよりない女の子ばかり描いてみせる中原淳一のさし絵だった。戦争がすぐそこまで来ていた時代に、淳一は、この世が現実だけでないという事実を、あのやせっぽちの少女たちを描くことで語りつづけていた。 目ばかり大きくて、手足のやたらと長い、虚弱そのものみたいな淳一の少女たちが、昭和十年代の女の子たちにとって、どれほど魅惑にとんだものだったか。戦争が身近に迫ってくるにつれて、私たちは現実でないものをこそ、身のまわりに備えておきたかった。たしか「救急袋」と呼んでいた、あの忌まわしい肩かけ袋に、何日もかけて花壇に咲き乱れる花や、西洋の女の子を刺繍するのが流行っていたのと同じように。(P69~70) 以下、須賀さんがこの本の中で紹介しておられる本の中の言葉を拾ってみます。 さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとその時私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんと美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ。(p109)アン・リンドバーグ 人間は絆の塊りだ。人間には絆ばかりが重要なのだ。(p124)「戦う操縦士」サンテクジュペリ
2009.05.31
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マンションのガレージにツバメが巣を作っています。写真を撮ろうと思ったらフラッシュが必要ですから写真はありません。 最初に見つけた頃には、ちっちゃくて、親鳥が餌をくわえて帰って来た時に巣から頭を出し、黄色いくちばしを精一杯大きく開いて餌をねだっていました。 でもいまは違います。ずいぶん大きくなりました。全部で四羽見えます。かなり狭いと思うのですが、どうしているんでしょう。 ここまで大きく育てるために親鳥は何回巣に餌を運んだのでしょうか。 私が立ち止まって巣を見ていると、親鳥は鋭い鳴き声を発して私を追い払おうとしました。気がついて、悪い事したなと思ってその場を立ち去りましたが、親鳥の必死さが伝わってきました。 ツバメ、巣立ちの日はいつになるのでしょうか。 あの巣も空っぽになる日が来ると思うと今から寂しくなります。
2009.05.30
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邪馬台国の女王、卑弥呼の墓との説もある奈良県桜井市の箸墓古墳(前方後円墳、全長280メートル)について、古墳の周囲から出土した土器の「放射性炭素年代測定法」と呼ばれる科学分析の結果、西暦240~260年に築造されたとの研究成果を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究チームがまとめたことが29日、わかった。248年ごろとされる卑弥呼の死去した年代と合致し、邪馬台国の所在地論争に一石を投じそうだ。31日に早稲田大学で開かれる日本考古学協会総会で発表される。(産経5月29日) 『月神の統べる森で』『地の掟 月のまなざし』『天地のはざま』『月冠の巫王』(たつみや章 講談社)を読み終えました。 万物を、「聖霊が宿るものたち」として怖れ、敬い、命を養う食とする場合でもその生き物の魂を神の元へと返す儀式を執り行う人たち。 人が人を支配することもなく、助け合い、補い合う暮らしを続けてきた人たち。 その社会に、聖霊たちに育てられ、不思議な力を持つに至った少年が加わります。 一方で、米の栽培を生活の中心にすえ、日々の生活の安定を願いながら、他の社会を支配し、自分たちの社会にも支配・被支配の関係を作り出す大小の「クニ」。 形式的に言ってしまえば、縄文社会と弥生社会との接触と対立、抗争という事になってしまうのですが、もちろんそんなに単純な物語ではありません。 研究の結果、現在まで明らかになっている二つの社会の実像、そして当時の人々の生活の細部が十分に取り入れられています。もちろん想像を交えてですが。 そして聖霊の力を借りるというファンタジー。 『月神の統べる森』は野間児童文芸賞を受賞しています。 この物語からは、「人間の生き方はどうあるべきか」というメッセージが伝わってきます。その伝え方は、一方を全的に肯定し、一方を否定するというやり方ではなく、相互の理解を深める形のものとなっています。 たとえば、「米」というもの。他の穀物と比べて米の持つ味の良さ、高い保存性、交換の際の高い価値。そこから、少しでも多くの米を手に入れたい・・という気持が起こってくるという成り行きは誰しも理解できるでしょう。 人を疑うことを知らず、策略を巡らすことなど魂が穢れることと信じきっている人たちも、家族と仲間を守るためには駆け引きに長じる必要が出てきます。 米を作る社会の人々も、自分の暮らしをよしとしている人たちばかりではありません。人を疑うことを知らぬ、清い心に憧れを持つ人々もいるのです。 接触した二つの性格を異にする社会は相互浸透を始めます。 そして、千数百年の時を経て私達の社会が存在します。 私達の中には、この二つの社会の価値観が併存しているのではないか。そんな事を考えました。 また、「怒り」というものについても。統御できないくらいの怒り。自分に跳ね返り、自分をも他人をも焼き滅ぼしてしまうような怒りが、巨大な蛇という形であらわされています。ラストは迫力満点。 先を読むのが楽しみでどんどん読んでしまったのですが、扱われている事柄はずっしりと重い・・読み終えてそう思っています。
2009.05.30
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ヒョータンツギのクッションです。下の娘が手塚治虫記念館に行った時にお土産で買って来てくれました。 以前に、ユニクロが手塚プロと提携して手塚マンガのキャラクターを入れたTシャツを売り出したときに、ヒョータンツギのTシャツを捜したのですがありませんでした。 今、ソファーにこのクッションをおいて、楽しんでいます。
2009.05.30
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『皇軍兵士の日常生活』一ノ瀬俊也 講談社現代新書 を読みました。 「神は細部に宿る」という言葉がありますが、この本のためにあるような言葉です。 実は前半部分は、「ふんふん」という感じで読んでいました。ところが第三章以下、本に目が釘付けになりました。特に第三章。目次から、書き写してみます。 第三章 兵士と家族 戦争の「不公平」 1 「手当」をめぐる不公平 扶助への偏見/援護を受けられない中間層/月給を「保障」された人々/大企業の応召者待遇・財閥系企業の場合/身分・在職期間による差別/官庁の応召者待遇/羨望と怨嗟の的/農家・自営業者に対する対策/応召手当は経営の負担/大企業の「本音」/「社会的公正」の論理/「独立のものは関係がない」/ブルーカラー差別/強制力を持たない「案」/「已むを得ませぬ」昇進の格差/長期戦が生んだ問題/多発する駆け込み入社/応召手当受給者・松本清張/公平・公正とは何か? 2 軍事郵便をめぐる不公平 手紙が来ない/慰問文の減少/注文をつける兵士たち/身の上相談/軍事郵便に記された残虐行為 3 戦死者墓石・戒名の不公平 墓石の「規格化」/「墓石競争」/まもるべき「分」/否定される平等化/戦時下戒名の実例 4 「食」をめぐる不公平 戦場の食/昭和十七年・内地兵営の食糧事情/統制経済の網/なのになぜ残飯が出るのか?/「公平」な分配が不公平を生む/「飯びつ」方式の現実/古年兵への遠慮/軍隊の「人間観」/内務班の精神的重圧/階級間の体格差/メレヨン島の「不公平」/「悪平等思想」/統制のゆるみ/将校の破廉恥行為 キーワードは、「平等」という言葉です。戦争が社会を平準化したという理解があるのですが(これは、戦争に対する肯定的な文脈で語られることが多い)、著者は、本当にそうなのか?と疑問を呈します。そこで例として挙げられるのが、「応召手当」「墓石」「戒名」「食」です。 「応召手当」とは、赤紙が来て入隊せざるを得なくなった個人に対する支給される手当のことで、三菱商事などの大企業は応召中の俸給は全額支給し、戦死者には弔慰金を贈与しています。 ところがこのような「厚遇」を受けることができなかった自営業者、農家出身者たちは、給料生活者、官庁勤務者に対して怨嗟の声をあげ、問題化しています。 このような「怨嗟の声」はどのように解決されようとしたか? 当初の予想に反して長期化した戦争(日中戦争から太平洋戦争へ)によって企業側も手当て支給が重荷となり、その削減・廃止の方途を探っています。そこで登場したのが、「社会的公正の論理」です。 何の所得保障も受けていない農民・自営業者がいる以上、企業の社員や職工だけが応召手当をもらっている・・のは「社会的公正」を欠いており、前線で戦っている兵士たちのあいだに不満を巻き起こすから、民間の負担する応召手当はもっと減額されてしかるべきであるという論理である。(p136) つまり、何の補償も受けられない人々の「怨嗟の声」に対して、その人々に何らかの補償を与えようという解決法ではなく、現に補償を受けている人々の補償額を減額または廃止することによって「平等」「社会的公正」の実現を図ろうという論理なのです。 そして著者は、このような方向について、以下のようにコメントを付け加えます。 何の補償も受けられなかった中小企業サラリーマンや自営業者や農漁民たちにとっては、もしこの会議における大企業側の言い分が当時公開されていたならば、ある同意をもって受け取られたのではないかということである。(p153) 生活保護を受給している世帯の暮らしぶりに対する「告発」、「抗議」の声が市役所の担当課に寄せられる場合、その発信地は概して所得が低い地域からのものであるという事を以前に生活保護を担当していらっしゃる方からお聞きしたことがあります。 そして行政は、そのような「抗議」「告発」を意図的にマスコミに流し、結果として社会保障費を削減する・・・現在でもまったく同じ「社会的公正」の論理が幅を利かせていることを思えば、少々がっくり来ます。 墓石と戒名については、規格化・平等化に対して、「国家に秩序が必要であると同じように、精神界にも秩序が必要」(p170)という仏教界の論理が対置されます。 そして「食」。ここでは、「部下と苦楽をともにし」というタテマエは、「有事に指揮を取る幹部がより多く食べるのは当然」(p192)という論理に押し切られ、たとえばメレヨン島での将校の死亡率33%に対して、兵の死亡率82%という惨状となります。(p188) これまであまり注目されることのなかった新しい視角から(私の勉強不測もあります)戦争の実相に切り込んだ本です。大状況を分析する必要はこれからもなくなることはないと思います。同時に、一見瑣末としか思えないような事柄の中に、日本が遂行した戦争そのものの実相が浮かび上がってくる、そう思います。
2009.05.29
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図書館司書のAさんに本を紹介していただきました。 『カラフル』(森絵都 理論社)『月神の統べる森で』(たつみや章 講談社)『モリー先生との火曜日』(ミッチ・アルボム NHK出版) まず『カラフル』から読み始めました。この本、かなり傷んでいます。生徒に人気の作品だそうです。 死んだはずの僕の魂が、天使と出逢います。天使は僕に言います。 あなたは抽選に当たりました!本来ならば輪廻のサイクルから外されるところを、再挑戦のチャンスが与えられたのです! その再挑戦とは、ある一定期間、下界にいるだれかの身体を借りて生活し、修行が順調に進んで自分の犯した過ちに気がつくようになれば、借りていた身体から魂は離れて昇天して輪廻のサイクルに還れることになる・・というもの。 天使の名前はプラプラ。 僕の魂は、小林真という少年の身体の中に入り込みます。小林真は自殺し、心臓が停止して10分が経ったという少年で、死んだはずの彼が生き返ったわけですから家族は大喜び。僕は、暖かい家族に囲まれて順調なスタートを切ったかに見えたのですが、プラプラが、自殺直前の真を取り囲んでいた状況(彼を自殺に追い込んだ原因)を説明してくれた途端に、その「暖かい家族」像はがらがらと崩れていきます。 父は利己的な出世主義者、母は不倫に走っているし、兄はいじめを彼に対して行っていた陰険野郎。おまけに、初恋の相手はオジサン相手にホテルに入っていく・・。 これでは死なずにはおれないだろう・・・という出発点。 さて、以上は、「彼の眼に映った家族と初恋の相手」像なのですが、家族についての「事実」を知ってしまった真は、その中で生きていかねばなりません。 彼は登校して、友達を得、家族と衝突し、話を聞く中で、彼がプラプラから聞かされた「事実」とは異なる「事実」に出会い、面くらい、徐々に「真実」に近づいていきます。 真は修行を無事に終えることができるのか?そして、真の身体を借りている「僕」は、本当は誰で、どんな罪を犯したのか? この本は、中三という「今」を描いています。読んでいてしばしば、登場人物の行動と言葉に、「ほー、なるほど・・」と思いました。単純に「それでいいのだ」と肯定しているわけではありません。「なるほど」なのであります。 生徒たちに読まれている理由が少しだけ分かった気がします。 そして、題名『カラフル』の意味も。
2009.05.28
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『機関銃要塞の少年たち』ロバート・ウェストール 評論社 を読み終えました。 『猫の帰還』から始まった私のウェストール詣で、この作品にたどり着きました。 少年たちの誰一人、「いい子」ではない小説を久しぶりに読みました。この本は児童書に分類され、カーネギー賞(イギリスの図書館協会からすぐれた児童文学に対して贈られる賞)を受賞しています。 戦時下、兵器の収集に励む少年が、まったくの偶然から墜落したドイツ軍のハインケル爆撃機の尾部銃座を発見、機体から金ノコを使って機関銃と実弾を取り外します。彼は信頼できる仲間を募り、「要塞」を建設し、そこに機関銃を据え付けます。 そこに至るまで彼らは多くの大人たちを欺き、対立する少年たちの妨害を力づくで撥ね退けます。 そして迷い込んできたドイツ軍の兵士ルーディとの奇妙な「友情」。 ルーディーはまず少年たちの大人びた行動にとまどい、彼らが建設した「要塞」に驚きます。それは「子どもだまし」のレベルをはるかに超えていたからです。 こんな子どもたちにリアリティはあるのか? 私、そして私よりも年かさの方なら、即座に「ある。あるに決まってる」と断言できるでしょう。ただ、私は「ここまではできないなぁ」と小さな声で付け加えねばならないでしょうが・・・。 いくつかのことを思い出しました。 戦国時代が終焉を迎えて、兵農分離が進行し、村に存在していた武器が封印されて、村同士の、あるいは村内部の紛争が武力ではなく話し合いによって解決されるようになっていく過程で、村内部の若者組の役割が低下していったという事実。 震災という大混乱の時期に、子どもたちが妙に生き生きしていたという小学校の先生からお聞きした話。 紛争地帯で子どもたちの事が報じられるときに、「こんな最悪の状況の下でも子どもたちは一生懸命生きています」という「定型」を聞きながら、「こんな最悪の状況だからこそ」かもしれないな・・・と思ったこと。 そして自分が幼い時に、いろんな事を教えてくれたり一緒に遊んでくれたお兄さん。ホントに大人びて見えました。大人は遠くの存在でしたが、お兄さんは身近で頼りになり、何でも知っていて・・・そう、「尊敬」という言葉を素直に使える、そんな存在でした。 子どもは誰からも(特に大人から)干渉されずに、自分たちだけが秩序を組み立てることができる場所を欲するものではないかと、自分の少年時代を思い出して、私は思います。少なくとも私はそうでした。 近くの砂山で、自衛隊が訓練を行い、地下壕(といっても、やや深い穴を掘って上に竹とシートを敷き詰めて砂で覆っただけのものでしたが)を残してくれて、それを発見したときの嬉しさと高揚感は今でも鮮明に覚えています。そこは当分の間、私の「秘密基地」となりました。 少し以前のことですが、旧日本軍(?)の残した地下壕がそのまま子どもたちの遊び場になっており、そこで遊んでいた子どもたちの中から事故にあった者が出てきて、子どもたちが地下壕で遊んでいるという「実態」が浮かび上がり、教育委員会と保護者、教師たちはその地下壕の場所をしらみつぶしに探し出してすべて閉鎖したというニュースがあったと思います。(記憶に間違いがあるかもしれません) その地域の大人たちのとった行動は、おそらく全国どこの地域でも共通して見られるような行動でしょう。「危ない場所」「危ないもの」は子どもたちから慎重に遠ざけられています。 子どもの命が失われたときに、「うちの子と同じような犠牲者が出ないように」と親が願い、地域の人々がそのための行動を起こすことを誰も責めることはできません。しかし、その事が「子どもの領分」を侵してきたこともまたまぎれもない事実でしょう。 「大人は昔はみんな子どもだった。しかし、そのことを覚えている大人は少ない」というサン・テクジュペリの言葉は、私にとっては最初に目にしたときから忘れられないものとなりましたが、ウェストールのこの本を読んだあとではより深く私の中に突き刺さってくるのです。 子どもたちには子どもたちなりの価値観と行動規範が厳然としてある、という事実を認めるかどうかで、この作品のラストの読み方は決定されると思います。
2009.05.28
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マンションの玄関の奥のところにぐみの木がありました。 気がついて、ひとつもいで口に入れました。すっぱい味は思い出の味でした。 今の子どもたちに質問してみたいこと。 (1)あなたは、食べられる草を三種類以上知っていますか?また、食べてみたことがありますか? (2)あなたは、食べられる木の実を三種類以上知っていますか?また、食べてみたことがありますか? どうなんでしょう?大切なことだと思うのですが。
2009.05.27
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パソコンに向かっていたら、聞き覚えのある声。チャーの声です。 あれ・・・玄関ドアの前から聞こえているぞ・・・。 ドアのところに行ってみると、たしかに、あのうるさい声はチャー。 ドアを開けると、するりと入ってきました。 カリカリを食器の中に入れると無視。で、缶詰を入れるとバクバク食べています。 昨日の晩に出て行って、今帰ってきました。ということは、ちゃんと帰る経路もわかってるんだ!!確信犯。 何で帰ってきたのか・・・謎です。でも、ひとつだけ言える事。 チャー君の行動は進化している。 下がチャー君です。
2009.05.27
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やってみたら面白いだろうなと思うもの。 ○刺青。二の腕に日本地図。 授業を始める時に生徒が騒いでいたら、出席簿でバン!と机を叩いて、その次に おぅ!静かにしねぇか・・(ここでシャツの袖をまくる)、この日本地図が眼に入らねぇか!○○!岐阜県の県庁所在地を言ってみろ!・・・何、わからねぇだと。簀巻きにして道頓堀に叩き込むぞ!・・・こっちによってきてちゃんと見るんだよ。・・・そう、それでいいんだよ・・・。(シャツを直して) はい、今日は鎖国のところからいきます。△□さん、読んでください。 こうなると、背中には世界地図かな?年表というテもありますが、背中の刺青は、脱いで見せるのに時間がかかるし、寒いときは風邪引きそうだから季節限定になりますね。 それに第一、本格的に彫るとなると痛いし、やはり無理でしょうね。北海道の半分だけ彫って止めるというのもなにですし、彫った後で体重に大きな変化が出てくると、地図の縮尺が狂ってきて困ったことになるかもしれません。 江戸の川柳でありました。 母の名は親父の腕に萎びてい
2009.05.27
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以前、三匹が逃亡し、捕まえたことを書きました。 その後のことです。あもとまろとは家でじっとしています。 その間、チャーが三回も逃亡しました。すべて捕まえて家に引き戻したのですが、なんなのでしょうか。同じ猫といってもここまで違うとは。 まさかこんな狭くて高い、危ないところからは逃げないだろうと思っていたところからチャーは逃げました。 まろとあもとは寝る所があり、定期的に食事が出てくる「家」に居つくという道を選択したようです。まろもあもも少なくともチャーよりは敏捷で身体も軽いですから。 チャーは、寝る所が保障されていて、定期的に食事が出てくるという生活も捨てがたいけれども、やはり俺は自由がほしいんだ!と思っているのでしょうか。 もう逃げられないように道は塞いだのですが、ホントに同じ猫といってもなんと違うことか・・。 逃亡者です。 ↓ これを書いてからまたチャーがいないのに気がつきました。また逃走したようです。一体何処から逃げたのか??落っこちていないようでひとまずホッとしています。 また明日でも探しに行って来ます。フーテンの寅さんみたいですね、チャーは。
2009.05.26
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『ひとり暮らし』谷川俊太郎 草思社 一つだけ。 昼寝 「昼寝」とはまたなんと快い言葉だろう。「朝寝」という言葉も捨てがたいが、どこかふてくされたような響きがある、言葉自体が少々萎縮しているきらいがある。それに比べると「昼寝」はおおらかだ。時と場合によってはそのまま夜にずれこんでいってもいいというような、ノンシャランなところがなんとも言えない。 「昼寝」があまりにも散文的すぎるという人には、「午睡」がむいているかもしれない。日常会話では気軽に使えないのが難だが、優雅で品のいい言葉である。しかしこの言葉を使いこなすには、少々金がかかるのではないかと思う。ステテコをはいてウチワでぱたぱたというようなスタイルでは、「昼寝」とは言えても、「午睡」とは言えないのではなかろうか。 「午睡」というからには、それにふさわしいしつらえが必要だ。たとえばそれが海の上だとしたら,舟は釣船やフェリーなどでは困る。少なくとも二十フィート以上のヨット、でなければいわゆる豪華客船のデッキの上ということにならざるをえない。「午睡」ではまた、当人の年齢や人生経験も無視できない要素になる。二十歳やそこらの青二才に「午睡」を許すわけにはいかない。親のすねかじりの懐がどんなにあたたかろうと、彼らには「昼寝」でたくさんだ。「午睡」というからには、還暦と言わぬまでも少なくとも白髪の二本や三本はあってほしいのである。 というようなことが七面倒くさくてやりきれない人には、「シエスタ」というのがあって、これはどうせ外国語だから誰がどんなふうにやってもかまわない。正確な意味内容や語感など誰にも分かりはしないのだから。だが聞くところによると、ラテン系諸民族は「シエスタ」の間に、ある種の生産にかかわる行為を行うという。これはどうも日本人にはなじまない。 「昼寝」は本来孤独な楽しみであるべきで、幼稚園児がするような集団ゴロ寝は「おひるね」であって「昼寝」ではない。「シエスタ」における生産行為もひとりではできないのだし、第一、無為をむねとする「昼寝」に、たとえそれが快楽に終わって結局は生産にむすびつかないことが多いとしても、手足を激しく動かしたり、汗をかいたりするほとんど労働に等しい行為をもちこむなどとは、もってのほかだ。 昼食が終わって自然にまぶたが重くなると、どんな高尚な思想も焦点がぼやけてきて、いかなる理想主義者も眠気という現実に打ち負かされる。気持はすでにベッド、あるいはふとんのほうにむいているが、その気持の底に一抹の後ろめたさもひそんでいて、それが「昼寝」に欠くことのできない隠し味だ・・・。だが「昼寝」という言葉を聞くだけでからだがとろけてくる、そんな境地に達するまでに、笑うべし、私には五十余年に及ぶ勤勉が必要だった。 ☆谷川さんの絵本は何冊か持っています。詩集も。 谷川さんの言葉遊びが大好きです。『百万回生きた猫』の事を話していたら、谷川さんと佐野さんとは一時一緒に暮らしていらっしゃった・・と聞きました。 谷川さんのエッセイ集は初めてでした。何冊か西宮の図書館に予約しました。
2009.05.26
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昨日、夕食の後でアイスクリームを食べました。 ラム・レーズン。私はこれが大好きなのです。 一口食べて、あれ・・・と思いました。これってホンモノじゃないかな・・。二口目、あ、やばい・・・でもおいしい。パクパク・・。あ、眠たくなってきた・・・あ、ダメだ・・。 そのままベッドに倒れこんで熟睡。 甲陽園の駅の近くの「ビゴの店」のアイスクリームだったのです。 ラムがしっかり入っている大人の味。 次食べる時は、金曜の夜に食べることにします。 以前、奈良漬を食べて寝たことはあるのですが、今度はウィスキーボンボンに「挑戦」してみようかな。
2009.05.25
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永六輔さんの『永六輔 職人と語る』小学館 を読みました。 活字になった職人さんの話はとても面白いのですが、永さんの話の引き出し方、何よりも何年にもわたって築いてこられた信頼関係がベースにあります。そして構成を担当された藍野裕之さん、カメラの奥田高文さん(熊本は松隈直樹さん)のチームワーク。 お邪魔させていただいている1go1exさんの苦労がしのばれます。 さて、いつものようにメモ。 永 職人気質ともよくいいますが、簡単に使いすぎですよね。 岩城 はい。私の知り合いにこういう人がいました。その人は、毎日歩いていた道沿いにある家を見て、ひどく傷んでいるなと思ったんです。それで、ある日訪ねていって言ったんです。「そろそろ建て直したほうがいい」と。 永 今の人は変なセールスマンが来たと思うのでしょうね。 岩城 そこの家でもそう思ったんです。で、「うちを汚いというのか」と言って職人を追い払ったんです。その後10年ほど経って、その家は、もう手がつけられないほどひどくなってしまいました。 永 それで「あの職人さんが言ったことは本当だった」と気がついて、職人さんに頼むのでしょう。するとその職人さんは断るのですよ、きっと。 岩城 その通り。職人というのはプロとしての責任を持って指摘するものです。そして、自分を信用してくれた人の仕事だけをするものです。こうした仕事に対する心構えをまず持っていないと職人とは言えません。(p27) 永 竹の中に薄い膜でできた袋がありますね。僕は子どものころ、竹馬を作っていて、あの袋を見つけて「あっ、かぐや姫はきっとこの中にいたんだ」と思ったんです。宮崎 『竹紙』と僕らが呼んでいる部分ですね。笛の歌口の横に張って使われます。永 あれを笛に使うんですか。宮崎 はい。人工のものよりもビブラートに向いているといわれています。永 へえ。子供心になんてきれいなんだろうと思いました。宮崎 竹紙とは関係ありませんが、科学的に分析すると、竹には光る物質が含まれているのだそうです。特殊なカメラで撮影するとそれが写るんですって。永 その物質があるのは竹の表面ですか。宮崎 中なのだそうですが、光りは外に出てくるらしいのです。竹取の翁は特殊な光りを感知する能力を持っていて、見えたのではないですかね。(p78~79) 香川 この曲尺は私の親方の形見なんです。親方が亡くなる前に私に手渡して言ったのです。「お前は若いから、もし永六輔さんに会うことがあれば、あなたのおかげで日本の建築文化が滅びずにすんだと言ってほしい」と。ですから今日、改めて言いたい。永さん、本当にありがとう。永 照れますね(笑)。とてもうれしいお言葉ですが、ひとつだけ言いたいことがあります。そんなに大事なものなら、どうして自分たちで守ろうとしなかったのですか。香川 はあ。たしかに。永 「たしかに」ではありませんよ。計量法の施行のとき、尺貫法が使えないと自分たちの仕事ができない、日本の文化が滅びると、立ち上がらなければならなかったのは職人さんのほうです。反対運動を始めた職人さんを、僕たちが応援するというのならわかりますが、あのときは逆でした。香川 職人はものを作っておればいい、世間様に文句をいうなどもってのほかという考えが昔からありましてな。でも、今は反省して、建築文化の保護のために頑張っていますが。(p107~108) 永 日本って「森の国」といわれるよね。いったい日本の国土の何%が森なのですか。稲本 67%です。永 すると日本人というのは本来は森の民、それが山を下りて狭い平野に出てきちゃったので、平地が密になっているわけですか。稲本 そうです。たとえばよくドイツは森の国だと言われます。向こうの女学生などに、日本の森林面積は国土の67%だけどドイツは?と訊ねますよね。すると、80%か90%だろうと返ってくる。ところが実際にはドイツは30%台でしかないのです。 ・・・・稲本 そうそう。日本の森林の中で、人間が一度も木を切っていない本当の原生林は、2、3%しかありません。あとは何らかの形で人間が利用しているのですけど、41%の森は、初めから切る目的で植えたんですよ。国土の41%も木を植えた民族はちょっとほかにはいませんね(笑)。(p179~180) 永 ところで平良さんは自分の厨子甕をもう買ったんですか?平良 はい、買いました。永 あれはいくつになると買うという目安なんてあるんですか。平良 とくにありませんが、まわりを見ると60代になったらそろそろという感じですね。永 厨子甕にもいろいろな大きさがあって、ひとり用と夫婦で入るふたり用がありますよね。平良さんのところはどっちなんですか。平良 女房はひとり用を買いました。白釉をかけた作品で、とてもいいものでした。永 そうですか。平良 同じ作家にふたり用を頼むつもりです。沖縄では夫婦を同じ厨子甕に葬る習慣がありますからね。(p234~235)
2009.05.24
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『この顔で悪いか!』伊東四朗 集英社 役者として実に面白い人だなと思っているのですが、その伊東さんの自伝(風)+対談。 「その場しのぎの男たち」という大津事件に題材をとった三谷幸喜さんのドラマをテレビで観たのですが、面白かったこと!大津事件は、来日していたロシア皇太子が警備役の巡査に切りつけられ、ロシアとの戦争を回避したい政府は、法を捻じ曲げてでも犯人の巡査・津田を死刑にしよう、無理なら牢内で謀殺しようとたくらむ・・・という事件であります。 外国の皇族に対する傷害罪は想定されていなかったのですね。ですから適用するとすれば無期懲役刑が最高刑。これではロシアがおさまらないのでは・・戦争になったらどうする・・と政府の皆さんは恐れたわけです。 結果として、国内法が厳正に適用されて司法の独立が守られた・・ということになります。 『大津事件』という岩波文庫(尾佐竹猛)は、誰がどんな発言をしたかもすっぱ抜いていて、面白い読み物になっているのですが、三谷さんはこの本を資料として、想像力を働かせて一篇の喜劇を作りました。 当人たちはきわめてマジメ、しかし横から見ると抱腹絶倒・・とは喜劇のパターンのひとつですが、伊東さんは、伊藤博文を演じました。伊藤は「恐露病」と揶揄されたようにロシアと戦争になることを病的なまでに恐れていた人間です。 それを伊東さんが演じる。面白くないわけがない。 売れなかった時代のことから、てんぷくトリオ結成、そして・・・という展開になっていますが、真ん中に挟んである野際陽子さんとの対談の中の、野際さんの、「泥棒に入られた話」というのがおかしい。野際さん22歳の時のお話です。 泥棒に入られた野際さん、「いくらほしいの?」と訊ねます。「200円」。「200円細かいのが無いから、1000円でおつりくれますか?」「800円持ってるなら200円くれとは言わねぇ」「そこまで一緒に出ましょう。タバコ屋でタバコ買ってくずして200円あげる」「信用できねぇ」「いまに仲間が帰ってくるから、あなたのこと何も言わないで200円借りてくるから」「信用できねぇ」「200円なら泥棒だけど、1000円盗ったら強盗よ。なんでこんなことするの。こんな怖い目にあったのは生まれて初めてだわ。」「俺もこんなことするのは初めてだ。」「じゃあなんでこんなことするのよ。」「女房が赤ん坊置いて逃げたから、この子にシャツ買ってやりたいんだ。」「それじゃ、1000円あげるから、シャツ買いなさい。」 そうすると、その人は、私の手をギュッと握って、「姉さん、俺をサツに突き出してくれ!」 これはややこしいことになりそうだと、1000円やって追い返したんです。 あとでお詫びの手紙が来たそうです。 ☆この部分、お芝居にしたらどうでしょうかね。伊東さんと野際さんで。 伊東さんの話でしたね。 伊丹十三さんの『ミンボーの女』に出たときね、「監督、メイクどうしましょうか」って聞いたら、「まんまでいいです」って言われたのよ。 わたし、ムッとして、「えっ?」って顔したら監督が「どっかいけないんですか?」。「まぁ、いいですけど」ってね。 わたしの役はてぇと、有名なホテルの支配人を罠にはめて、スキャンダラスな写真撮って脅迫するという、確かに「まともな」男ではないんですが、メイクしないでいいですとは思い切った監督の指示だった。(p186) ☆伊東さんはそのままでは悪人顔なんですね。 面白い、笑いはいいっていいながら、喜劇の役者っていうのは世間的評価が低い。いつまでたってもひとつ下のランクから抜け出せない。これはしょうがないのかなぁと思うけど、やっぱり癪ですよね。 で、やれば何が難しいって、笑いが一番難しい。ちょっとでもセリフのタイミングがズレたら、お客は笑わない。シビアな答えがその場で返ってくる。 真面目な芝居は多少ズレようが、喜劇と違ってあまり気にしなくていい。笑いはタイミング。同じことを言ってても、いわゆる「間」がズレると反応がまるっきり違ってくる。 その「間」とは何か。 実はこれお客さんの「間」なんです。お客さんがせりふを聞いて、頭の中でくるっと一回転させて、ああ、そうかってわかってから次のことを言わないといけないんです。畳み掛けなきゃいけないとこもあるんですけど、全部畳みかけてると、どんどんシラけてっちゃう。 それはテンポがいいこととは違うんです。要するに、役者がつくる「間」じゃないってことです。役者があえてつくってるのは「間」とは言わない。わたしに言わせれば無駄な思い入れ。お客さんが納得する間、それを「間」とわたしは言います。わたしはですよ。 それがまた毎日変わるから大変なんです。 幕が開いて、だいたい五分くらいの間でそのタイミングを見極めるわけです。(p215~216)☆ これは、絶対に正しいです。演劇部の顧問をやった経験から、ホントに正しいです。生徒たちも喜劇をやりたがるのですが、ウケなかった時のダメージはでかかったですからね。ですから、喜劇に対してはワタクシも慎重になりました。泣かせるよりも笑わせる方が数等難しい!! 飯沢匡さんもおっしゃっていました。フランスでは高額紙幣の「顔」は、モリエールなどの喜劇作者であるのだ!と。
2009.05.23
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中村吉右衛門さんの『物語り』(マガジンハウス 構成・伊達なつめ)を読みました。 目次は以下のようになっています。 はじめに 読む 着物 しきたり 年齢 体力 映画 食 音楽 絵画 宗教 テレビ 旅 乗り物 恋愛 動物 家 出逢いと別れ 長年歌舞伎の世界で研鑽を積んでこられた吉右衛門さんならではのお話が満載で楽しみながら読めました。何箇所かメモしておきます。 小さい人が大きく見せる苦労というのは研究され尽くしているんですが、大きいのを小さく見せる工夫というのは、ないんですよ。もちろん主役なら、舞台では大きく見えたほうがいいわけですから、無理して小さく見せる必要はないのですが、女方さんは足が見えないから膝を折り曲げて背を盗めますけど、立役でそれをやったら、間抜けな格好になってしまいます。 若い人たちもどんどん背は高くなってますが、屋台の寸法は、襖でも鴨居でも、長年かかって一番きれいな寸法にできあがっているので、ちょっと変えても、不思議にバランスが悪くなるんです。(p31) ☆「背を盗む」という表現。面白い言い方だと目に止まりました。吉右衛門さんは178cmあって、苦労されているようですが、玉三郎さんもそうだという事を以前に読んだことがあります。 (「とちり蕎麦」のことで)昔は、女性は滅多なことでは客席から掛け声を掛けるものではなかったんですよ。前のほうや桟敷などのいい席で見物するお嬢さんがたは、自分で声を掛けるわけにはいかない。そこで、今でいうと三階席あたりに陣取っている熊さん、八つぁんに、「これで声を掛けて」と祝儀を渡して、上のほうから掛けてもらった。それで掛け声は、上のほう、つまり大向こうから掛けるようになったんですね。 そういうなかで、なおかつ女性から声が掛かるというのは、女性がやむにやまれず、抑えきれずに掛けてしまったということになる。それでその役者は、仲間から冷やかされて蕎麦をおごらされた、というのが始まりらしいです。そのうちだれかがとちったら、そういうことはやらないようにしようという見せしめで、蕎麦を出させるようになったんじゃないですか。(p44~45) ☆なるほど。「やむにやまれず」掛かる声。なんとも色っぽいものでしたでしょうね。 これはおごらされて当然でしょう。 『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助とか、「熊谷陣屋」の熊谷直実とか。身体は全然動かさずに、ただただ、神経だけを四方八方に巡らせていなければならない役のときは、なかなか寝付けません。神経というのは、使えば使うほどだめですね。冴えるというか、いら立ってくる。 逆に、いちばん寝つきがいいのは『勧進帳』の弁慶です。大きな声を出して、身体を存分に使う役ですからね。 弁慶は神経を張りつめる役のように見えますか。いや、かなり自分のやりたいようにできる役ですから、神経はさほど使わずに済むんです。その代わり、体力は使います。 弁慶は、やっていると、お客様の興奮が伝わってきます。だから、ぐっすり眠れるんです。あんなに健康にいい役はありません。(P65~66) ☆「健康にいい役」・・なるほど。わからないものですね。初めて知ったことです。 個人的に足腰の鍛錬なり、芝居の稽古はやっているわけですが、歌舞伎の場合は、そういう姿を人前にさらすということは、断じてしませんね。 これは、日本の伝統なのかもしれません。オーケストラだったら、聴衆の前で演奏前に音合わせをしますけれど、邦楽演奏の場合には、それすらやりませんからね。始まる前に舞台でそんなことをするのはみっともない、プロじゃないという考え方なんでしょう。 役者だって、開演前のウォーミングアップなんてやりません。(P69) ☆何にもしていないように見せておいて、みんながアッと驚くような舞台を本番で見せる・・・これが歌舞伎の美意識なんでしょうね。ということは、歌舞伎役者の陰の努力を根掘り葉掘り暴こうとするテレビの取材は・・・どうなんでしょう。私としては見たいところなんですが。 歌舞伎の荒事は、もともと寺院の開帳に合わせて芝居が掛かった際に、その中で神仏が示現する場面を見せたことに始まると言われます。確かに単に威勢のいいところを見せるだけでなく、邪気祓いのような、宗教的な何かは感じますよね。 『勧進帳』の弁慶などは、激しい動きの末、最後に豪快に花道を引っ込む飛び六方があります。あの時点では。もう体力的にも極限状況にきていて、ひとつ間違ったら失神してしまうような状態なんです。たぶん医学的にみたら、脈拍やら血液中のアドレナリンの量やら、大変なんじゃないでしょうか。 僕の場合はほんとうに心臓が飛び出しそうになるので、そんな肉体の状態から、何かに憑かれたような感覚になるところは、あるかもしれません。もう身体が動いているだけで、頭の中なんか空っぽですからね。ああいう感じが、トランスに入る一歩手前なのかなぁ。飛び六方など、荒事の演技に今でも何か尋常でない異様なパワーが感じられるとしたら、そうした肉体の極限状況との関係もあるのでしょうか・・。(P125~127) ☆そうですね。歌舞伎は「神事」という面も持っていたのですね。この部分、役者さんでなくては語れないところです。 女方のことばかりが注目されますが、立役のほうだって、ほんとうは、なまの男を超越したところでやっているものなんです。 歌舞伎の立役は、男だけれど、男じゃない。たとえば一番極端な例は、「つっころばし」という、なよなよとした女のように柔な色男の役柄です。実際の男は、どんなに女性的なところがあっても、やはり男の部分は消えないでしょう。でも、つっころばしは、クニャッとやわらかくなってきれいな形にきまったかと思うと、次の瞬間には、ものすごく男っぽいところを見せたりします。ただの女性的な男性とは違うんです。 こういう女っぽい男の相手役には、だから、ちょっと男が覗くような女方のほうが、完全な女性よりも合うのでしょう。 若衆歌舞伎の流れで、もとは立役も女方も、中性的な若衆という性で売っていたわけですから、男っぽい女方や、女っぽい立役には、その名残があるのかもしれません。(P177~178) ☆男が演じる女方、そして男が演じる立役。相互に影響しあってひとつの世界を作り上げているわけですが、それはおよそリアリズム演劇ではないわけです。しかし、時代劇や現代劇を素晴らしく演じる歌舞伎役者の方もいらっしゃる・・。不思議です。通じるところがあるんでしょうが。 ☆そして嬉しかったこと。吉右衛門さんは、若い頃にジャズが大好きだったということ。MJQ、マイルス・デイビス、ソニー・ロリンズ、ナットキングコールなんて名前が出てきます。
2009.05.22
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あなたが神戸に行ってから一週間がたちました。 私はもう心配で心配でたまりません。毎日テレビでは新型インフルエンザのことが報じられています。滋賀県の学生は神戸でバイトしただけで感染したといいます。 関西の菌は特別なのでしょうか。あの人たちは人前もはばからずに大声で喋ったり笑ったりと私たちから見れば本当に無作法な人たちですが、その事が飛沫を飛ばすことになり、感染を広げているように見えてなりません。 早く帰ってきてください。もう関西にはマスクもないと聞いています。私は近くのスーパーとデパートでマスクはたくさん買いました。デパートで売っていたのはセリーヌでした。ちょっとお高かったのよ。 そうそう、こちらの事も話さなくっちゃね。 隣のお嬢さんが新型インフルエンザで入院したと聞いています。 感染者はこちらでも爆発的に増えそうです。 関西、特に神戸は危ないです。一日も早く帰ってきなさい。 あなたのことが心配でたまらない母より。 ※バックウォルドのコラムをパクリました。
2009.05.21
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ニューヨーク=山川一基】経営危機に陥った米自動車最大手、ゼネラル・モーターズ(GM)の現役幹部3人が、退職時に受け取る予定のGM株を違約金を払ってまで前倒しで取得し、すべて売却していたことが、米証券取引委員会(SEC)への届け出で明らかになった。 3人の売却額は合計21万4106ドル(約2012万円)。SECへの届け出によると、10%の違約金を払えば退職時支給の株式を前もって受け取れるといい、3人とも19日に受け取ってすぐに売却している。 最高額のロバート・ラッツ副会長はこの取引で14万1986ドル(約1334万円)を得た。ラッツ氏は今月上旬にも保有株すべてを13万989ドル(約1231万円)で売却。こうした現役幹部の行動でGM倒産の観測が加速し、同社株は13日に1株1ドルちょうどまで急落した。 ☆みすみす損をしたくなかったんでしょうね。しかし、モラルも何もありませんね。自分の行動で会社がどうなるかくらいのことはわかっていたでしょうし、インサイダー取引+背任に当たらないのかなと思います。 会社のトップとしてこれまで法外な役員報酬を受け取ってきたのでしょうが、その中には、「役員はこんなことはしていけない」という項目はなかったのでしょうか。 潰れて当たり前の企業じゃないか、と思うだけですね。 アメリカという国に蔓延した「強欲」という病の典型を見るようです。
2009.05.21
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『オリンピア ナチスの森で』(沢木耕太郎・集英社)を読みました。 ベルリンオリンピックの公式記録映画を撮影したレニ・リーフェンシュタールへのインタビューが最初と最後に記され、中心は、ベルリンオリンピックに参加した選手たちへのインタビューと資料で構成されています。 第一章 「炎は燃えて」 は、開会式に焦点が当てられています。日本選手団の制服、選手団の中で彼らだけがかぶっていた戦闘帽のこと。「戦争」を持ち込んだ、のです。 「フランスの選手団は右手を斜め横に揚げるオリンピック式の挨拶をした。ドイツの観客は、それを、同じように右手を斜め前に出すナチス式の挨拶と勘違いし、熱狂的な拍手を浴びせかけた。・・・だが、フランス選手団の挙手の意味を取り違えたのはベルリン市民だけではなかった。・・・東京朝日新聞から特派された作家の武者小路実篤は、こう書いた。『フランス人がナチス式の挨拶をした時何となく涙ぐんだ。平和が感じられたからだ』」(p59) 開会式のイベント、ハトを飛ばすこと、聖火リレーがこのオリンピックから始まったことはよく知られるようになっていることですが、「聖火リレー=ナチの陰謀=侵略路の調査」説に対して沢木さんは疑問を呈しています。 第二章 「勝者たち」 では、一万メートルで決勝で四位に終わりながら優勝者よりも人気を博することになる村社講平(むらこそこうへい)氏、そして棒高跳びの西田修平、大江季雄両氏、三段跳びの大島鎌吉、原田正夫、田島直人三氏が取り上げられます。棒高跳びの再撮影のことも記されています。 第三章 「敗者たち」 では、「暁の超特急」と読売新聞の川本信正によって名づけられた吉岡隆徳、走り高跳びの朝隈善郎,田中弘、矢田喜美雄、ボクシングの永松英吉が取り上げられます。期待を一身に背負いながら結果を出せず、「日本に帰りたくない」とまで思いつめるところへと彼らを追いやったものはいまも変らず形を変えてこの日本にはあるようです。 第四章 「九千キロの彼方」 では、日本とベルリンの間の九千キロ(直線距離)という距離をいかに埋めるかの報道合戦と選手の移動に焦点が当てられます。 「水上の女子選手たちはベルリンに到着し、選手村に案内されると、休息も取らずにプールに直行した。これがベルリンで評判を呼んだ。アメリカの女子選手は着くとすぐに美容院を探したが、日本の選手はプールを探したというのである」(P172) しかし、シベリア鉄道で移動してきた彼女たちがプールを探したのは、「女子選手がもっとも苦労したのは風呂だった。列車内にシャワー室はあったが、料金が極めて高額だった。そのため、金に余裕のあるひとりが入ると、ついでに他の何人かが顔と手を洗わせてもらうなどということをしなくてはならなかった」(P172)からだったといいます。 なんとも皮肉な。 第五章 「素朴な参加者」 ここでは、日本からの初参加者、期待をされていない参加者たちが紹介されています。前半ではまずホッケー、サッカー、バスケットボールが取り上げられます。それぞれにドラマが用意されています。2対0から逆転をしたサッカーなどはその一つでしょう。 後半はボート、レスリング、体操。体操などは「演技の仕方もわからない」という状態であったようです。「とりわけあん馬などはどうしてよいかわからず、取っ手の上で倒立をしてみたり、床や平行棒の技である片手上水平をしてみたりとトンチンカンなことをしていた」(P205)という有様で、そこから「体操王国・日本」というところまで持っていくわけですから凄いとしか言いようがありません。 第六章 「苦い勝利」 この章では、日本中の期待を背負った男子競泳陣の苦戦が描かれます。ここを読んでいて、いまだに日本のマスコミはこのパターンから抜け出せていない(どころかひどくなっている)と思いました。大きく煽ってメダルの数まで予測し、結果がそれについていかない・・。冷静さの欠片もない。 面白いのは、山本照アナの男子二百メートル平泳ぎの実況が六ページに渡って再現されていること。 第七章 「故国のために」 前半は中継を担当した河西アナが「わずか三分あまりの放送の中で、『ガンバレ、ガンバレ』を三十八回、『勝った、勝った』を十八回も叫んだ」という前畑秀子選手の二百メートル平泳ぎのレースと、それに至るまでの前畑選手の人生にスポットが当てられます。 後半は、マラソンの孫其禎選手。貧困の中で走ることだけに自己を見出した孫選手の人生が語られ、当日のレースの様子が語られ、そして表彰式の時の彼の心中が以下のように記されます。 だが、月桂の冠を頭にかぶせられると、場内には「君が代」が流れ、国旗掲揚台に「日の丸」が翻った。孫はうつむきながら、どうしてここで「君が代」が流され、「日の丸」が掲げられなければならないのだろう、と無念の思いで聞いていた。 孫其禎は、この時、かつてないほど痛切に「亡国」の悲しみを感じることになったのだった。(P268) 第八章 「氷の宮殿」 ここでは、まずヒトラーがこのオリンピックをどう見ていたか、また選手によってどう見られていたかが取り上げられます。ユダヤ人差別の現状への違和感を持った日本人たちのことも取り上げられます。 そして閉会式。 オリンピックの後のそれぞれの選手たちのことがこの章の最後に来ます。戦争が影を落とします。1940年東京、と予定されていたオリンピックは日中戦争のために返上となり、大戦勃発のために中止されます。 ベルリンに参加した選手の中にも戦死した人々が出てきます。 オリンピックの理想は21世紀に入ってもいまだ実現されてはいません。戦争の影があり、民族対立があり、商業主義があり、ナショナリズムがあります。 東京が立候補しているオリンピックの開催権争いに対して、私は全然熱くなれません。なぜなのか?そんなことしてる場合じゃないだろう、という気持もあります。しかし、オリンピックが始まってみれば北島がんばれ!という気持にもなっている自分がいます。 この本を読んで、「オリンピックというもの」について色々考えさせられました。
2009.05.21
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『お天道さんは見てござる』(幻冬舎ルネッサンス)は、鴻池祥肇官房副長官の著書であります。この人は、女性との醜聞、国会議員に与えられるJR無料パスをその女性との旅行に使用したと週刊誌で報じられ、病気を理由に辞任。地元の兵庫県からは除籍処分を受けました。 以前から過激な発言で知られていたひとです。 「市中引き回し」発言というのもありましたね。 自身のホームページでは道徳を説き、規律と節度を若い人たちに説教していた爺さんです。 説教好き、道徳好きの爺さんの常として『私以外の』という言葉が必要なようですが。 まさに『お天道さんは見て』ござったわけですね。 大笑いだよ。 幻冬舎はこの本を重版すべきだろうね。こんな爺のいう事を信じちゃいけないよ、という教訓を広めるために。
2009.05.20
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永井路子さんの『わが千年の男たち』(文藝春秋)を読みました。 永井さんの作品からは多くを学ばせていただいているのですが、今回もまた読みながら様々な事を考えさせられました。 合計18人の男たちが取り上げられています。順に並べますと、 遠山金四郎、大黒屋光太夫、田沼意次、徳川吉宗、吉良上野介、水戸黄門、由比正雪、松尾芭蕉、筒井順慶、豊臣秀吉、今川義元、兼好法師、足利尊氏、工藤祐経、西行、源義経、大江匡房、蘇我入鹿。 取り上げ方は一貫しています。たとえば、<真説・刺青判官遠山金四郎><風雅に生きたリッチマン・西行>などでわかるように、永井さんは、私などが「こんな人だったんじゃないか」と思っていた人物像を確実な資料の紹介によって訂正し、その実像に迫る・・というスタイルをとっておられます。 一応、日本史も教えておりますので、「知らなかった!」というのが多いのは恥ずかしいのですが、西行についてはまったく知りませんでした。勉強不足。あと、筒井順慶、今川義元、工藤祐経、大江匡房についても眼から鱗。 日本史の授業は、すでに江戸に入っていますからもう取り返しがつきません。 次に教えることがあれば・・というところです。 一つだけ(一人だけ)取り上げて、思ったことを書いてみたいと思います。それは、<日本のアイドル再検討・源義経>の項です。 永井さんはまず、義経を「反ッ歯の小男」と書いた事に対して読者から抗議があったことからはじめておられます。ここの見出しは、<数百年の整形手術>。 『平家物語』で、「九郎は色白うせいちいさきが、むかばのことにさしいでてしるかんなるぞ」(色白で小柄、向歯がとくに出っぱってはっきりしているぞ)と書かれた義経は、室町時代の『義経記』を経て江戸時代の歌舞伎では当代一の人気役者がつとめる役になっています。 永井さんは以下のように書いています。 数百年かかって、彼の反ッ歯はみごとに整形されてしまったのだ・・・この整形外科の名医は、もちろん庶民のみなさん。「あんなに勇敢に平家を滅ぼしたのに、兄さんの頼朝に憎まれてカワイソー」 同情が人相まで変えさせてしまったのだ。この義経びいきを判官びいき、という。義経が、犯罪人を取り締まる役所である検非違使庁の三等官、すなわち判官(はんがんともいう)に任じられたのでこう言う。つまり、弱者、滅びゆくものへのラブコールである。 そして永井さんは、「ブーイングを承知の上で、私はそのブーイングにブーイングしよう」となさいます。 まず、<彼は天才的な武将だったか>、と問題を立てて、「部隊長には向いているが、方面軍総司令官の器ではなかった」と永井さんは結論付けます。その根拠は、頼朝からの指令であった「安徳天皇を怪我などさせずに我が陣営に無事にお迎えすること」という政治目標を達成することに失敗したことにあります。 その後は、<政治オンチにはつける薬が・・・>という項で、頼朝の政治構想をついに理解できなかった義経の姿を描き、最後に「義経ジンギスカン説」に対して「弱者への応援歌どころか大陸進出正当化の野望」と断じます。 永井さんは、「伝説」というものに対して以下のように記されています。 伝説は美しいし、すべて意味のないものと退けるつもりはない。判官びいきはとりもなおさず、弱者への応援歌だし、これは日本人の心の美しさを反映していると思う。 しかし、「義経ジンギスカン説」の後には、 伝説のこわさはここにある。ヒーロー義経は、後白河にあやつられただけでなく、数百年後にも誰かに利用されたのである。と永井さんは記すことを忘れてはいらっしゃいません。 私がそこに付け加えたいのは、手塚さんの「火の鳥」における義経の描き方。行軍の途中で道が暗いからと民家に火を放つ、非戦闘員であった船のこぎ手を射殺させた、等々の目的のためには手段を選ばない義経像。これはすべて『平家物語』に典拠があります。 ですから、最後に弁太に撲殺されるという衝撃シーンにつながるわけです。 そして、伝説の怖さは、思い込みの怖さでもあります。たとえば、小泉元首相への待望論。これについてはホントに「アホか!」と思います。彼が破壊したのは国民生活ではありませんか。そしてまたぞろ竹中平蔵を出演させるマスコミ。ここまで「事実」を無視して「伝説」大好きというのはなんとかならないものでしょうか。 ☆美術部の生徒が描いてくれたポスターです。ハム君では・・という疑惑もありますが・・。
2009.05.20
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滝平二郎さんが亡くなりました。 斉藤隆介さんとのコンビで多くの絵本を作ってこられた方です。 多くの作品の中から一冊だけあげるとすれば、私の場合『八郎』ということになります。 理由はふたつあります。 一つは、学生の時に、大学にいらっしゃった斉藤さんが『八郎』の朗読をなさり、私はそのテープをもっているということ。何度も聞きました。朗読というものの素晴らしさ、面白さを知りました。 もう一つは、前任校で私が尊敬していました方が退職なさる時に、『八郎』の最後の二ページほどを朗読なさったことです。「誠実」という言葉を体現されているような方で、お世話になり、様々な事を教えていただいた方です。演劇部の顧問を一緒にさせていただいたこともあります。 絵本の魅力は、絵と文章との響き合いにあると思っています。斉藤さんはすでに85年に亡くなり、いままた滝平さんも鬼籍に入られました。 ご冥福をお祈りいたします。
2009.05.19
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今日は朝から「一日ドック」に行ってきました。退職前の職員はドック検査を受けることができるのです。 8時半に近畿中央病院に到着。視力・聴力検査、心電図、動脈硬化の検査、腹部の超音波検査、血液検査、身長・体重測定、バリウム飲んでの胃部検診。 結果は二週間後に来るのですが、胃部検診の際にかなり念入りに、あっちむいて、こっちむいて、はい、裏返って・・・とやられましたから、胃カメラの必要があるのかな・・、と素人ながらに思ったり。 ま、そうなったらなったで、明石の寝ているうちに終わるお医者さんで診てもらおうと思っています。 塚口駅前をはじめてうろうろしたのですが、良さそうなお店が結構ありました。ちょっと疲れていたのですぐ帰ったのですが、惜しいことをしたのかな。 提供していただいた猫たちの写真です。レイアウトと猫の折り紙は、生徒会の図書部長とその友人たちが頑張ってくれました。
2009.05.19
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「図書室には猫がいる」は、終了いたしました。 いろんな方たちから写真を提供していただいたり、見に来ていただいたり、ポスターを描いてもらったりとホントにご協力有難うございました。 この休校の間にまた次の企画展の事も考えてみたいと思っています。 図書室はいろんな可能性に満ちているのではないか・・・そんな事を考えています。
2009.05.18
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○仰向いて薔薇春雨を飲み干せり まろ 今日は一日雨でした。昨日連絡が廻ってきて、明日(つまり今日)の三時に連絡するので家にいるように、ということ。 今日の三時に連絡があり、五時から職員会議。変則・異例ですが仕方ありません。 神戸の高校で発病者が出て神戸地域の高校は休校措置を取ったことなどの情報が紹介されました。近隣の高校で発病した生徒が出たようだけれど、まだ確定したわけではない(会議中に確定したという情報が入りました)、うちはどうするか、県教委の指示が出たら連絡する、ということになりました。 生徒への連絡をどうするかなどについて若干の意見交換を行って後、会議終了。結局明日から休校となりました(休みは生徒のみで私たちは通常の勤務です)。 新型インフルエンザにかなり振り回されている感じがします。
2009.05.17
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わどさんに書き込みをいただき、授業の中で私はどんなテーマをどのように扱い、結果としてどのようなメッセージを出しているのか、考えてみました。 例えば、流刑になった夫の後を追ってシベリアへと赴いた「デカブリストの妻」。彼女たちの勇気ある行動をネクラーソフの長詩の一部を使って紹介します。特にコメントはしません。ネクラーソフの詩自体に、彼女たちの勇気を讃える言葉が散りばめられているからです。 また日本史では鶴彬を扱うこともあります(映画が公開されるそうです)。死を恐れることなく権力の非道を衝いた川柳を読み続けた若者です。戦前と戦中で権力に表立った形で抵抗することは死の危険と隣りあわせだったことを考えれば、死を覚悟の抵抗だったことになります。 やはり、「生命よりも大切なものはある」というメッセージを出し続けているようです。 クエーカー教徒を扱うこともあります。「良心的兵役拒否」という文脈です。 日本史では「灯台社」を取り上げたこともあります。宗教的信条に従って兵役を拒否した人々です。 これは、「命よりも大切なものはない」というメッセージになりましょうか。「人の命を奪うことは罪悪である」ということになるでしょう。 読み終えたばかりの『兵隊たちの陸軍史』(伊藤桂一 新潮文庫)には、「日本一弱かった師団」として大阪第四師団のことが紹介されています。 出動命令が下りると急病人が続出し、現地までの行軍では落伍兵多数、中支に派遣されるとすぐに退却・・・となったために「使い場がなく」(p280)、結局「激戦地に使用されず」「終戦はタイ国バンコック付近で休養中に迎え、復員開始されるや全員血色のよいはちきれそうな元気で帰国、出迎えの痩せ衰えた内地の人々を驚かしたという」(p281)。 伊藤氏は次のように結論付けています。 「大阪兵団のもつ『無益な犠牲は出したくない』『不合理な戦闘はしたくない』『無理に敵を追及する必要はない』といった理論は、当時の陸軍においては、奇妙奇天烈な気質としてうけとられたはずである。・・・日本の軍隊がもしすべて大阪兵団のようだったら、日中戦争または多くの事変や戦争は起こらなかったろうし、最後に大敗する事もなかったかもしれない。しかしその代わり、もっと早い時期に、どこかの国に、よりみじめな状態で隷属せざるを得なくなったかもしれない。判断のむつかしいところである」(p284~285)。 こういう見方も紹介してみたいです。 世界史では次はローマを扱います。 たとえば「スパルタクスの乱」。もとより死ぬために立ち上がったのではなく、生きて自由になるために立ち上がっています。しかし結局敗北し、処刑されます。これは無駄ではなかった。その後の奴隷たちに対する待遇は大きく改善された、という扱い方をします。 イエスとその使徒たち。ペテロの否認とその後の彼の行動。自分がイエスを否認したことを語り、それでもイエスは私を許してくださった・・と語るペテロ。ネロの迫害に会い、再び逃げようとした彼がローマへと立ち戻る「クオ・ヴァディス」の挿話。 ここいらヘンは、命を賭けて何かを守ろうとした人たちの群像となります。 歴史を教える時、価値判断を伴わないということはあり得ません。どのようなテーマをどのように扱うか、どの程度深めるか、どんなエピソードをどのように紹介するか、あるいは紹介しないか。 全体として、「命より大切なものはある。私達の生活はその人たちの命がけの戦いの上に成り立っている」という教え方になるでしょう。 そして、近現代においては、「日本国憲法」に流れ込んでいる不戦の思想の歩みを検証しつつ、戦争における愚行、蛮行とそれを踏まえた「九条」を取り上げることとなるでしょう。 その部分に、私が学生時代を過ごした70年代からの様々な思想と行動が反映される事になるでしょう。 「正義」は時として「狂信」に転化し、大量殺人を結果したりします。その意味では「取り扱い注意」でしょう。しかし、その反動としてすべての「正義」を葬り去ろうとするのもやはり間違っていると思います。 「中庸」という平凡な言葉の重みを感じます。 内田樹さんがブログで、自らの周囲に自分が理想とする社会を築くべく努力することの大切さを記しておられました。 「修身・斉家・治国・平天下」という言葉を思い出しました。 一気に「治国」「平天下」に行こうとする時、人はとんでもない間違いを犯す。そう昔の賢者は語っているようです。 そうなると、信長による天下統一=一向一揆の鎮圧、中央集権国家を建設するに際しての地方の小共同体の破壊を当然と考えていいのか・・・などいろんなテーマにつながりそうです。ちょっと飛躍しすぎかな。
2009.05.16
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『満月空に満月』(海老沢泰久 文藝春秋) 題名でわかるように井上陽水の評伝です。陽水は功なり名遂げた老大家ではありません。この時点で46歳。幼少期からの回想を軸として話は進みます。 キーワードになっているのは「居心地の悪さ」ということになりましょうか。何でこんな事をしなければいけないのか、何でこんなところにいなければならないのか。なぜみんなと一緒でいられないのか・・。 彼はずっとそんな気持を抱き続けて生きていたのですが、その「居心地の悪さ」は、音楽と出会い、音楽を聞く側から作る側にまわった時にプラスに転じます。「他の誰もわからないでいることを俺はわかっている」という形で。 彼は「他人と違う」というそれまでマイナスでしかなかったことを自らの天才の証拠と位置づけるようになり、そこに己を賭けるように突き進みます 譜面を書くことができなかった彼はテープレコーダーに自分が作った曲を録音するという方法で曲を作り始めます。 彼は歯科医の長男でした。歯科医を継ぐために医学部を受け続けるのですが、心ここにあらずの状態ですから当然のように三回浪人ということになります。 人間何処でどうなるかわからないなと思いました。 テープレコーダーを3000円で売ってくれた友達がいて、十二弦ギターを買ってくれた友達がいて、彼を追い詰めなかった両親がいて、そして彼の声に注目してくれたレコード会社の社員がいて。どれか欠けていたら「井上陽水」は生まれていたか? レコードが作られていく過程、その中でのプロデューサーとの葛藤。陽水自身が大好きな歌とプロデューサーがA面に入れようとする歌の食い違い。裏話の面白さと意外さとがあります。「心もよう」と「帰れない二人」のエピソードです。 そして『氷の世界』が発売されます。 ポリドール・レコードは『夢の中へ』から<もどり道>、『こころもよう』と50万枚クラスのヒットがつづいたので、<氷の世界>は強気の計算をし、最初から30万枚をプレスする予定にしていた。 しかし彼らは、それでもまだ計算を少なく見積もりすぎていた。発売予告をすると同時に、営業部の電話が鳴りっぱなしになったのである。全国各地のレコード店からで、そのどれもが<氷の世界>の予約注文の電話だった。彼らはプレスする数を30万から50万に修正し、さらにそれを70万に修正した。それでも電話は鳴りやまなかった。とうとう最後には予約注文だけで100万枚に達した。(p167) 陽水は一年間に180回のコンサートをこなすことを強いられます。 そして彼はホリプロから独立し、フォーライフレコードを設立することとなります。 井上陽水のレコードはなぜあんなに売れたのか?この本ではその事に対する分析はありません。 陽水自身の肉声で陽水を語らせています。そこにこの本の魅力があります。海老沢さんの本は以前に『美味礼賛』を読んだ事がありますが、今回も面白く読めました。 今更・・・と思う人もいらっしゃるかもしれませんが。 でも、だからといって、たとえば金を沢山もってても屋台のヤキソバを食べないと落ちつかないというのも悲しいことなわけわけよ。おれもそういうところで生きてる部分があるんだけど、そんなところから生まれてくるものなんてたいしたことのないものだからね。つまり、屋台のヤキソバをくわないと生まれてこないものなんてさ。それこそ、まがいものだよ。 だから、おれはいま曲をつくったり詞を書いたりしてるけど、すばらしいところに住んで、何も書く気持がなくなったら、書かなくていいという気がしてるんだよね。でも、おれはそんな事は信じられなくてさ。それはそういう生活が幸せだということでしょ。でもそういうことはないと思うんだよ。生きてて、これでおれは幸せだ、ヤッホーなんてことがあるのかしらと思ってるからね。そりゃ一日か二日ならあると思うよ。でも銀座通りをただ歩いていたって、むなしくなるときにはむなしくなるんだからね。死ぬまでヤッホーといって生きることなんかできないんだよ。(p181~182)
2009.05.15
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『ブラッカムの爆撃機』(岩波書店 ロバート・ウェストール)を読みました。 私のような戦争というものをまったく体験していない人間に、「おそらくこういうことはあったかもしれないなぁ」と思わせてしまう手腕はたいしたものです。 時代背景は第二次世界大戦。ドイツ爆撃にむかうウェリントン爆撃機(愛称ウィンピー)。それを迎撃しようとするユンカース88型機。 まったくの幸運によってブラッカム機の下方から忍び寄ってきたユンカースは逆にブラッカム機の尾部機銃の射程内に入ってしまい撃墜されます。 それから数分間、ユンカースが下方から忍び寄っていることをブラッカム機に通報したタウンゼンド大尉の機(C号機)の乗員たちは、ブラッカム機の乗員たちの歓声と、炎に包まれて焼け死んでいくユンカースの乗員たちの悲鳴をインターカムを通じて聞くことになるのです。 ブラッカム機は帰還しましたが、乗員のうち四人が行方不明(のちに低空から飛び降りたらしくカブの畑の中で見つかります)、そして肝心のブラッカムは操縦桿を握り締めたまま操縦席で凍りついたようになっており、そのまま病院に放り込まれます。 ブラッカム機に何があったのか・・。 ブラッカム機には他の機の乗員たちが乗り組みます。 そして何事かを体験します。 ついにタウンゼント大尉とその部下たちがブラッカム機に乗り組むこととなり、信じられないことを体験することとなります。 まったくの荒唐無稽なお話です。しかし、「こんなこともあったかもしれない」と思わせてしまう。 ウェストールはおそらく、爆撃機に搭乗した人たちによる体験記を山ほど読み、話を聞いたのでしょう。会話は生き生きしており、このフィクションを実録と錯覚させるリアルさをこの作品に与えています。 「よく調べないと嘘がつけませんから」と言ったのは吉川英治さんだったのではないかと思うのですが、洋の東西を問わずに当てはまる真実であると思いました。 宮崎駿さんの「ウェストール幻想」という作品が、最初と最後についています。とても得した気分になれます。 「チャス・マッギルの幽霊」という作品。自分が生活している家の中に誰かいる・・と気がついたチャスは、ついに「その人物」を見つけます。「その人物」との不思議な交流と、心がポッと温まるような結末。小品ですが、いいなぁ。
2009.05.14
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「世界史」でギリシアの文明を扱ったとき、ソクラテスを紹介しました。彼の最期の様子を説明した後で、「命よりも大切なものはあるのか?」と訊ねてみました。以下はその結果です。<命より大切なものはあるのか?>ある○人間は死んだあとどうなるかはわからない。なら生きていてはわからないことをやってみようという好奇心が働く筈である。つまり、死んだ後どうなるかという欲求は死なないと満たされない。なので好奇心は生命よりも大切である。○誠実さは命より大切。○あると思うけれどなんだか分からない。○世界平和。平和が一番だと思う。○人それぞれだと思う。ソクラテス自身は、生命よりも大切にしたいものがあったから死ねたんだと思う。だから、自分にとってとても大事なものがあらわれたら、人間はそれを命よりも大切にできると思う。だから命よりも大切なものはあると思う。○生命など価値はないから。○命よりも大切なものができるほど幸せなことは無い。自分の意思なら周りがなんといおうと貫き通して信じたらいいと思う。○それは自我。生きていてもそれがなくなれば自分ではなくなるから。ある意味、生命と同じかも。○自分が死ぬよりもそれをなくしてしまうほうが恐ろしい、そんなものがあるのなら、それが命より大切なものだと思う。○名誉。○勇気。○夢。○自分が死んだときに泣いてくれる人。○自分が生きているという実感がなくなることが命がなくなるということだから、今を生きているという感覚が一番大切なのではないか。○でもそれは各個人の価値観による。○子どもとか家族とか自分の信念とか。○自分の誇り。○信用してもらえなくなったりしたら哀しいし、現に自殺したりする人もいるくらいだから。○もし自分が死んだことにより次からみんなが「正しいことのために生きよう」と思ってくれたら。そしたら未来に繋がると思えるから、命よりも大切だと思った。○それは人だったり、モノだったり、思想だったりと様々だけれど、命を捨ててまでそれを守ればそれは大層美しい人生だろう。○命がすべてであれば何もできなくなると思う。○愛。これがなかったら生きていけないと思う。○家族や友人、恋人など大切な人は命を賭けても守りたい。○ある。それはあなたの笑顔。 ない○命が尽きれば終わりだから。○あるといえばあるかもしれないけれど、死んでしまったらその後は何もできないから。○死んだらそれでおしまい。自分の考えも金もすべて取り上げられる。生きていたら顔変えられるし、名前も変えられる。違う生き方ができる。自分の名を捨てて違う自分に生まれ変われ!○命はなくなると二度と戻らない。生き返ることはできない。だから命より大切なものは無いと思います。○やっぱり自分が一番大事だから。○死んだら大切なものを守れない。○誰かが死んだときに記憶にしか残らないのは辛い。○生命よりも大切なものは存在しない。 どちらともいえない○それを見つけられる人とそうでない人とがいるのではないか。○命より大切なものとかあんまりぴんとこないから。○人はそれぞれ違うから、生命よりも大切なものがある人とない人がいるのではないか。 ☆授業では、プリントを読み上げた後で、日本では自殺者の数がここ数年、3万人を超えている現実を紹介しました。 残された遺族の悲しみと苦しみ、「なぜ防げなかったのか」「なぜ言ってくれなかったのか」という気持についても触れ、「死んだらおしまいだ」という意見にも耳を傾けてみよう・・とコメントしました。 ただ「命よりも大切なものがある」と考えること自体、若い人たちなんだなぁと思いました。
2009.05.13
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図書室のオススメ この一冊 『100万回生きた猫』佐野洋子 作・絵 講談社 この絵本は、猫好きの人たちの雑誌『猫日和』の<読者が選ぶ絵本>の第一位を獲得した絵本です。すぐれた絵本の魅力とはなんでしょうか? それは、まず、「よくわからないところが多い」ということではないでしょうか。 言葉を変えれば、「読んだ人が自分なりにさまざまに解釈できる部分が多い」、ということかもしれません。ちょっとおおげさな言い方をすれば、「自分の人生を重ねることができる」とでもいいましょうか。 この絵本は本当に不思議な絵本です。 ずっと誰かのものであった猫。ある時は王様の、ある時は泥棒の、ある時はおばあさん、そして女の子の。 猫は死に、生まれ変わって生き続けます。 猫は誰のものでもない猫になります。つまり、野良猫に。 猫はとっても立派な猫でした。ここは佐野さんの描く素敵な絵をじっくりと眺めて下さい。たくさんの猫が彼の周りに寄ってきます。 彼は、「自分が大好き」でした。 そんな彼の前に一匹の白い猫があらわれます。 彼は白い猫の気をひこうとし、大好きになり、一緒に暮らし始め、家族を作ります。 白い猫に死が訪れます。 彼は白い猫を抱いて百万回も泣きます。 そして彼も死にます。 絵本の最後は、たった一行のこんな言葉で結ばれます。 ねこは もう、けっして 生き返りませんでした。 ねこはなぜ百万回も生き返ったのか?最後に彼はなぜ生き返らなかったのか? この絵本を百万人の人が読んだとしたら、百万通りの答えが出てくるでしょう。 さて、あなたはどう思いますか? ☆図書室で「猫展」(図書室には猫がいる)をはじめました。幸い、いろんな方たちから写真やグッズの提供を受け、猫好きの生徒たちも図書室に入ってきてくれました。 ポストカードを持ってきていただいたり、『あたごおる物語』をおいておいたら、「ヒデヨシっていいですよねぇ、あの間抜けさが・・」という話になったり。 和歌山の「あの」駅にわざわざ行って来た人からは、「タマ駅長」の写真を提供していただきました。 <この一冊>は、「猫展」のパンフレット(B4裏表)に載せたものです。
2009.05.12
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からりと晴れて風が気持のいい一日でした。まさに「薫風」。年中こういう日ばっかりだといいのですが・・・というわけにはいきませんよね。雨の日も風の日も雪の日もないと困る人がいるのですから。 季節は夏に向かっています。 夏はやはり冷たいものを食べたくなります。 少し前に作ったスパゲッティです。見た目は冷麺ですが。 (1)豚肉の薄切りをゆでて水で冷やしたもの。(2)トマトをミキサーで砕いて、そこにオリーブオイル、ダシ醤油、一味を混ぜたもの。(3)タマゴ焼きの薄切り。(4)かいわれ大根。 麺をゆでて水にさらして冷やし、そこに(1)(3)(4)をのっけて、(2)をかけます。美味しかったです。これからはこれかな・・。 今日は、西宮に越してきて近くになった吐夢さんに来ていただきました。 西宮についての様々な情報を教えていただきました。日本料理のお店、喫茶店、パン屋さん。またまた「行きたい店」が増えてしまいました。 来ていただいて良かった事。 何といっても楽しい時間が持てたこと。久しぶりにいろんな話ができました、 そして。家の掃除ができたこと(これは妻のおかげです)。 明石の家で失敗したのは、「家が汚い」→「来てもらうわけには行かない」→「さらに汚くなる」→「ますます来てもらうわけには行かなくなる」・・・というサイクルを辿ったことでした。 この反省の上に立って・・。我が家の場合、来客がないと家は綺麗に保てません。
2009.05.10
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日本史演習(現代史)で、普通選挙のことを扱いました。 その時に、「今話題になっていること」について意見を聞きました。 一つは「18歳選挙権」、もう一つは、「男女同数選挙制度」。いろんな意見が出てきました。 <18歳選挙権>賛成実現したとしても投票率はどうなるか、単なる第一印象の人気投票にならないか、自分の意見ではなく家族や周囲の意見に左右されないか、思うところは色々あるけれど、自分は行きたい。二歳ぐらい変ったからといって考える力はある、いいと思う。出れるモンなら出て、政治や経済の矛盾をただしたい。若い人たちの意見も聴くべきだと思う。世代によって意見は違うから。たった二歳の引き下げでも意見は広がる。いまどきの大人よりもしっかり考えている子もいると思う。自分の時間があるぶん、しっかり考えることが出来ると思う。投票率が上がるから。 反対選挙=大人、というイメージなので、あと一年や二年で大人になるという自信がない。まだ早いと思う。今年18歳になるけれど考えられない。まだ国についてよくわかっていないから。18歳はまだ考え方が子ども。未成年だし、責任も取れない。成人して自立してる方が国に対しても関心があると思う。高校を出たばかりの人には時期尚早。僕の一票で人が決まるからまだ知識がないから投票はしたくない。やったとしても結局、行く人と行かない人との比は変らないと思う。たいして変らないと思う。結構あほな18,19歳がいるから。18歳でもまだ子どもやし、政治のことわかっとる人は少ないと思う。今の日本の若者は政治にあまり関心がないと思うから。まだ未成年だから、社会の事とかは大人になってからのほうがわかると思います。政治にかかわれるだけの知識を持っていない人が多いと思う。18歳だと社会に出たことがない人が多いから早いんじゃないか。まだ大人じゃないから。18歳はまだ思考が未熟だから。18歳は高校生だからまだ社会の成り立ちを理解していないから。そう決まってしまったらとても不安。私は何もわからないのに参加していいのかなと思ってしまう。選挙に行くのが面倒くさいから二十歳になってからでいいと思う。 わからない選挙権を持つことで政治のことを真剣に考えるという考え方もあるが、本当に今の18歳の若者が真剣に投票できるかわからない。大人でもできない人がいるのに。どっちでもいい。18歳でも20歳でも考えていることは同じじゃないかな。学生ももっと日本の未来、政治について興味を持たなければならないと思うが、まだ未熟な頭で選挙権を持つのもどうかと思う。政治に対して積極的な人に試験を受けさせ、合格した人にカードを贈呈し、そのカードを持っている人が選挙できるようにすればいい。政治のことをよく調べて知っている人は参加すればいいと思う。けどその時の気分で行く人も出そうな気がする。18歳で政治に興味のある人もない人もいるから。どっちでもいい。どっちでも参加しないから。 <資料>欧米諸国は大半が18歳選挙権。アジアでは中国、インド、パキスタンが18歳。韓国では19歳。マレーシア、シンガポールでは21歳。 <議員の男女同数制>賛成なんとなくよさそうだから。国によって色々あるんやったら、いちどやってみてもいい。女性の意見も男性の意見も半分づつでいいと思う。女性で議員になりたいという人がたくさんいるならするべきだと思う。今は少なすぎだと思う。今の日本の政治は男の方が上やと思っているから、半々の方がいいかもしれない。男女平等で意見も平等である。女性の意見も聞いて欲しい。早くそうした方がいいと思う。女の人の権限も男と同じにした方がいい。差別にはつながらないと思う。男ばかりで女の人が一人だと男女差別が起きそう。女の人は女の味方も欲しいと思う。バランスが取れそう。女性視点の意見を出しても男性が多かったら潰されそうだから。他国のマネになるかもしれないが、男性とは違った意見も含まれるからいいと思う。男であかんかったら女がやったらいいとおもう。 反対男女の数が決まってしまうとなりたくてもなれない人が出てくる。本当になりたい人がなるべきだ。男性でもしっかりした考えを持っている人は少ないのに、女性を増やして大丈夫かわからない。無理やり女性議員を増やしてもきちんと政治をできる人、できない人が出てくると思うので数は自由でいいとおもう。国民に支持されて、人気があってちゃんと変えてくれる人が、男性が多いかもしれないし女性が多いかもしれない。偏りは必ずあるはず。それは差別とは違うと思う。そんな事をしなくても、選ばれる女の人はいるから。実力社会なんだからどちらかに偏ってもいいと思う。優秀な人を選べばいい。わける必要はない。明らかな男女差別。人数的に女性議員が通りやすい。その時その時にいい考えの人を選ぶべきだから数は偏っても男女差別にはならないと思う。女性にも男性にも議員になれる権利があればそれでいいと思う。 わからない男の人が優秀なら男が、女の人が優秀なら女の人がやったらいいとおもう。どんな意味があるかわからない。女性の意見は必要だと思うけれどそこまで議員さんになりたい女の人はいるのか。その方がいいと思うけれど、選挙の方法がややこしくなりそう。選挙制度が難しいのではないか。また女性が政治に興味を持ち積極的に動いてくれるかわからない。どういう政治になっていくか予想がつかない。そんなにこだわらなくてもいいと思うけれど、かといってどちらかが多すぎると意見が偏ってしまうし。 <資料>スウェーデン 43% ノルウェー 37% ドイツ 31%日本 9.4%(131/189)男女同数制はフランスの地方議会で実施されています。
2009.05.10
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あるお店に行って見たいなと思い、調べてみました。 入るだけで千円。ドリンクなし。 お店のスタッフさんたちの可愛い写真がずらっと並んでいます。 あ、「ご注意」という項目。クリックすると・・・「触ってはいけません」と書いてある。ということは見るだけ?見るだけで千円?! うちだったら触りたい放題だし、あんなことも・・・こんなこともできるのに・・。 「猫カフェ」のことですよ。やだなぁ。 妻にお店のHPからスタッフさんたちの写真を印刷して見せると、 「なにこれ、アルサロみたい」 「アルサロ」・・・ 妻よ、それは死語だろう。 ワタクシはそういうところに足を踏み入れたことはありませんからわかりませんが。 ※うちのスタッフさんの一人です。触りたい放題です。時々嫌がりますが。
2009.05.09
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ディートリヒは静かに怒っていた。 約束の時間に遅れてくるとは何事か。私を待たせるとは何事か。 彼女は三本目のタバコに火をつけた。灰皿の中には吸いさしの長いままのタバコが二本、細かく砕いた石英の砂の中に突き刺してあった。ファンにとっては垂涎モノの彼女の吸いさしのタバコだ。 少しだけふかした時に急に扉が開いた。二人の男が入ってきた。 「おや、これは失礼、ずいぶんお待たせしたみたいですな」 小男は気取ってそういうと、彼女の方へと歩み寄った。 「我が帝国にご帰還いただき感謝いたします。あなたにお帰り願った事で我が帝国は世界中の男性から愛されるスターを手に入れたことになる。」 男は彼女の方へ近寄って手を取り、キスをしようとした。 彼女はその手を払いのけた。そして男の右の頬を思いっきり張り飛ばした。彼女は左利きだった。 男は文字通り吹っ飛んで、絨毯の上を四メートルほど転がり、テーブルの脚に音を立ててぶつかった。テーブルの上に置いてあった花瓶が倒れて男の顔を直撃した。失神した男の顔に水と百合の花が盛大にぶちまけられた。 男は目を醒まし、大声で怒鳴った。 「な、なにをするか!この私を誰だと心得る、この売女が!しょ、将軍!すぐさまこの女を逮捕し、銃殺せよ!!」 男は世の中に存在する限りの「!」をすべて集めたかのように怒鳴った。 男の横にいた軍服を着た男は、彼女の方に向き直った。 しかし、口を開いたのは彼女の方が先だった。そこが勝負の分かれ目となった。 「将軍、お久しぶりですね。お父上はお元気でいらっしゃいますか?」 将軍は、はっとして、彼女の眼を見た。 「お父上は、今あなたがなさっていることを喜んでいらっしゃるのかしら。名誉ある国防軍の将軍が、『ザクセンの鷹』と呼ばれたあなたが、オーストリア人の伍長あがりの小男にアゴでつかわれているのを。」 将軍の顔は青ざめた。同時に彼は何事かを言おうとしたのだが舌がもつれたのか、咄嗟に言葉を発することの損得を勘定したのか言葉を飲み込んだ。 「私が何のために帰国したのかご存知?」 彼女は芝居気たっぷりに、すべての男達を打ち倒した流し目を将軍に送りながら言った。 「このためよ。」 そう言って彼女は扉を開けて出て行った。 彼女は彼女を独逸第三帝国に運んできた飛行機に再び乗り込んで大西洋を渡った。 彼女は逮捕されなかった。だから彼女も何があったかは言わなかった。 これは私が彼女から直接聞いた話だ。話し終わった時、彼女は私にウインクしてくれた。 それだけで私は世界で一番の幸せ者だという事ができる。いや、宇宙一かな?
2009.05.09
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『ぼくと1ルピーの神様』ヴィカス・スワラップ ランダムハウス講談社 を読みました。アカデミー賞映画『スラムドッグ&ミリオネア』の原作です。 映画の方をまだ観ていないのでなんとも言えないのですが、一日で読んでしまいました。 他にやらなければならないこともあるしどうしようかな・・と一旦は図書室の書架に返したのですが、思い直して手にとって読んでみました。 30ページほど読んだ頃でしょうか。これは読むまでは眠れないなと思いました。 クイズの問題が、たまたま自分が体験したこと(だから、「知っていること」)だけに関係していた。こんな偶然が起こるのはどのような確率なのでしょうか。 彼が語る「体験」は、その大半がインドの暗部であり、人間の暗黒面です。少女売春、障害を持った子供たちの施設を運営している男の非道さ、インドとパキスタンの戦争のこと、子どもを食い物にしている聖職者、盗聴を日常としている外交官・・・。 一つ一つの「物語」は、日本では考えられないような重さを持っています。 主人公の、ラム・ムハンマド・トーマス君は、偶然と幸運、そして彼自身の努力によってなんとか生き残り、クイズショウへの出場の機会も得ます。 そしてそこで彼は、すべての問題の答えを彼が体験して知っているという信じられない幸運に出逢い、小説では彼が出会った体験が物語られます。「なるほど、こんな手があったか!」と読みながら膝を叩きました。 そしてもう一つ。そのような環境の中にありながら、弱い者へと心を寄せ、守ろうとする彼の姿勢は強く印象に残ります。もちろん、歪んだ環境の中で歪んだ価値観を身につける人物たちも数多く描かれています。 主人公に仮託されるのは、著者のインドへの思いでしょう。厳しい環境の中にあっても人間の美しさは失って欲しくない、という思いでしょう。 ラスト、夢のような終わりが待っています。このラストを少しだけ苦笑しつつも、「これでいいのだ」とバカボンのパパのように受け入れられたのは、私も著者の作り出してくれた物語の中に首までつかってしまったからです。
2009.05.09
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『弟の戦争』を読みました。この小説の原題名は、『Gulf』、作者はロバート・ウェストールです。 猫展の準備のためにウェストールの『猫の帰還』を読んだのですが、司書のA先生から、「こんな本もありますよ」と紹介していただいて手に取りました。 明石駅から快速電車に乗り込み、席に座って読み始めました。読み終えてページを閉じた時に、「次は西宮」というアナウンスが耳に入りました。約45分間、本の中にほぼ引き込まれていたということになります。下手すれば乗り過ごして大阪まで行っていたところでした。こんなことは久しぶりの体験でした。 ごくごく普通の平和な生活を送っていた一家の生活ぶりを作者は、「ぼく」の視点から丁寧に描いていきます。お父さんはアマチュアラグビーの英雄、お母さんはよく気のつく優しい人。そこに弟が新しく加わります。「ぼく」は弟が大好きで、可愛がり、大きくなっていくとよくいろんな事を話すようになります。 弟は質問好きで、いろんな人に興味を示す子どもに成長していきます。そして彼は少しづつ他の子どもとは違ったところを見せ始めます。 様々なものに興味を示していた弟は、地球の他の場所で悲劇的な生活を送らざるを得ない人たちに異常に心を惹かれるようになって行きます。それも具体的なのです。 「この子の名前はボサ。とってもお腹をすかしてる。お腹が痛いくらい。お母さんがどうして食べ物をくれないのか、この子にはわからないんだ。」 「ぼく」はそんな弟に苛立ちを募らせます。その頃から、少しづつ一家の歯車が狂い始めます。前半部分での一家の生活の丁寧な描写が生きてきます。 そして決定的な事件が起こります。弟の身体に誰かが憑依し始めたのです。最初はそれが誰なのか見当もつきません。しかし、徐々にわかって来ます。弟の身体に憑依したのは、イラクの少年兵だったのです。 「ぼく」と父と母とは、弟を通じてイギリスのマスコミが絶対に報じることのないアメリカの空爆に晒されるイラクの「今」を少年兵の体験することを通じて知ることになります。 その後、ある事をきっかけとして弟は「普通」の少年に戻ります。 ふとぼくはこわくなる。もうだれも、家の外で起きることを少しも気にかけなくなってしまったみたいだから。けがをしたリスも、アフリカで飢えに苦しむ人も、前はよく母さんを訪ねてきた困っている家族も、もういない。いったい、今はだれに面倒をみてもらっているんだろうか。(p164) 「普通になる」という事はどういうことなのでしょうか。「平穏な日々を送る」という事はどういう事なのでしょうか。「家の外で起きることを少しも気にかけなくなってしまう」事で私は「平穏な日々」を送っています。 読み終わって身体が震えたのは、作者が私にその事をいやおうなしに気づかせてくれたからでしょう。 小説のラストで「ぼく」は、ちょっとした事を行います。そのちょっとした事は作者からのメッセージであるように思いました。少しだけ心にともし火がともりました。 「Gulf」とはもちろん「湾岸戦争」の事です。私はクウェートに侵攻したフセインの軍が空爆を受けるのを「自業自得」と思っていました。そして、イラクの人々が空爆に晒される事に対しても鈍感になっていました。爆弾の下には子どもも女性も老人もいたことでしょうに。 今、ウェストールの『ブラッカムの爆撃機』を読んでいるのですが(宮崎駿さんの漫画つき)、この人は大変な「戦争オタク」であるようです。その「オタク」度は、戦争の犠牲者は誰なのかという想像力の源泉となっています。 当分私はこの人の本を読むことになりそうです。
2009.05.08
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長い間生きていると、言葉の意味が変るところに立ち会えます。 一例を挙げると、「全然」という言葉。 私が若い頃は、「全然」は否定形で受けていたと思います。 ところが、肯定形で受けるという使用例が出てきました。 気がついたら、肯定形で受ける例が大半となっています。 言葉は生きている。ホントにそう思います。生きているからこそ変る。 「そんなの誤用だ」と言っていた用例が、正しいということになる。 結局、多数の人がそのように理解し、使うようになる、という事が「正しい」ということになるのでしょうか。 実際地上にはもともとは路はなかったのであり、歩む人が多くなれば、おのずと路になるものだ。(「故郷」魯迅)
2009.05.07
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『カモメに飛ぶことを教えた猫』ルイス・セプルベダ 白水社 を読みました。 太った黒いオス猫ゾルバの前に、タンカーが投棄した原油に翼を汚され、飛ぶことで命を削ってしまった一羽のカモメが落ちてきます。彼女は苦しい息の下から今に卵が生まれること、そして三つの約束を守って欲しいとゾルバにたのみます。 生まれてくる卵は食べないこと。 ひなが生まれるまで卵の面倒をみること。 ひなに飛ぶことを教えること。 瀕死のカモメの頼みです。ゾルバはしっかりと約束し、カモメは息絶えます。 さあ、それからゾルバの大奮闘が始まります。猫仲間に協力を要請します。「博士」という猫は百科事典をひもといて知識を提供します。 ゾルバは卵の上に座り込んで温め続け、ついに卵はかえります。そして当然のことながらひなはゾルバをお母さんと思い、自分を猫と思って成長していきます。 さて、最後の課題が残りました。「ひなに飛ぶことを教えること」。ひなは猫たちによって「フォルトゥナータ」と名づけられます。「幸運なもの」。猫たちはフォルトゥナータにどのようにして「飛ぶこと」を教えたのでしょうか?技術的なこと?それもあります。「博士」は百科事典の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の項を調べて、「飛行の原理」を研究し、それをもとにしてフォルトゥナータは挑戦しますが失敗に終わります。 その壁を破るべく、ゾルバが提案します。人間の手を借りよう。タブーである「人間と話す」事を破って人間の手を借りよう。 本当に人間の手を借りるのか。信用できるのか。議論の果てに、人間の手を借りることとなり、人選が開始されます。 そして・・・フォルトゥナータは大空を舞うことができるようになります。 ゾルバはそれを見守っている人間と語ります。 「最後の最後に、空中で、彼女は一番大切なことがわかったんだ」ゾルバがつぶやいた。 「一番大切なこと?」 「飛ぶことができるのは、心の底からそうしたいと願った者が、全力で挑戦したときだけだ、ということ」ゾルバはこたえた。 P166 「一番大切なこと」を猫たちと、猫に選ばれた一人の人間はどのようにしてフォルトゥナータに教えることが出来たのか? そこのところは・・・・・・・・お読み下さい。
2009.05.06
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『グローバル恐慌』(浜矩子 岩波新書)を読みました。今回のグローバル恐慌がなぜ起こったのか、大変にわかりやすく説いた本だと思いました。 まず、「恐慌とは何か?」から始まり、「今回のことを『恐慌』と呼んでいいのか」と続き、歴史的な視点で恐慌を振り返ります。 金本位制から管理通貨制度に移行し、インフレ懸念に怯えつつ恐慌とは手を切った筈なのになぜ管理通貨制度の下で恐慌が発生したのか、といった問題の立て方はすっきりしていますし、たとえも卓抜です。わかりやすい。 「金融スーパーマッケット」という言葉で、従来はきちんと分けられてきた銀行と証券会社の垣根が取り払われ、規制が撤廃されて「何でもありの証券化」が横行するに至った過程が詳述されます。 「金融工学」も一人歩きし、もともとの目的から外れて、詐欺まがいの「金融商品」を作り出すことに一役買います。 第五章「そして、今を考える」、では、1、金融サミットの残された課題、2、グローバル恐慌、モノの世界に及ぶ、3、引きこもる地球経済、と著者の現状分析が語られます。 金融サミットについては、「理念も哲学もない」と批判をした後、ケインズの、「良きにつけ、悪しきにつけ、最終的にものをいうのは理念である」という言葉を引用し、二つの点で理念を示す必要があると著者は述べています。引用します。 その観点から見た場合、重要なポイントは二つあると考えられる。第一に、グローバル時代における金融の役割をどうとらえるかということである。地球経済をうまく回していくためには、金融も地球化しなければならないし、地球化するために必要な自由度を金融に与えなければならない。問題は、そのような自由度の限界をどこにどう設定するかということである。 この問題に対して解答を得るためには、そもそも、何のための自由な金融であり、何のための金融の地球化なのか、ということについて、世界が共通の認識を持つ必要がある。 そこに踏み込んでこそ、「ブレトンウッズ2」という言い方が初めて成り立つ。 第二に、グローバル時代における金融と通貨との関わりをどうとらえるかということである。金融がいとも簡単に国境を超えるという時代状況の中で、通貨関係の安定性をいかに保持していくかという問題だ。現行のブレトンウッズ体制は、もっぱら通貨の世界を対象にしている。金融が一人歩きし、やがて暴走し、そのことが通貨の価値とその相互関係を激しく揺さぶるような状況を想定してはいない。金融グローバル時代の通貨秩序はいかにあるべきか。このような問いかけに対して、世界の首脳たちは一丸となって解答を模索する必要がある。(p154) ここまで読んできて、私ははたと立ち止まってしまいました。それは、私はどうしたらいいのか?という問題にぶつかってしまったからです。 浜さんの文章は「毎日新聞」でたびたび目にしていましたし、そのわかりやすさと切り口の鋭さには魅力を感じていたのです。 しかし、私はどうしたらいいのか? この本をもう一度読み返して、浜さんの現状分析を頭に入れた上で、政府がおかしな方向に行こうとした場合にそれに対して批判の声を挙げればいいのか。 消費者としての私、郵便局(郵政公社)と銀行に雀の涙ほどの預貯金を持っている私はどうしたらいいのか。 主権者として行動しようとした場合に、この本はいかなる形で私の武器となってくれるのか。 これまでの野放図な「自由化」に対しては、様々な批判が行われています。自己批判という形で批判を行っている人もいます。「自由化」「規制緩和」の先頭に立っていたくせに、口を拭って「自由化」を批判している恥知らずもいます。 野放図な「自由化」、市場万能論に対して弔鐘が鳴らされている今、次の課題は、新しいルール作りということになるでしょう。 そのルールを作る理念としては、まず迂遠なようでも「そもそも論」から出発すべきでしょう。 浜さんの整理された二点はそのたたき台となるかもしれません。 主権者であるということは、この二つの問に対して、自らの生活の中から答えらしきものを引き出してくる努力をしなければならないということと同義です。 私たちが主権者であるということは、「不断の努力」によってしか支えられないのですから。 まずは、日本政府がこの問題について何をしようとしているのか、それに対してどのような声が上がりつつあるのか、そのことに対する関心を持ち続けるという形で勉強を続けて行きたいと思います。 NHKで「マネー資本主義」という番組が始まりました。投資銀行がなぜ「裏方に徹するべし」という原則を投げ捨てたのか。当事者たちの証言は貴重だなと思いました。二回目も楽しみです。
2009.05.06
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田辺聖子さんの『川柳でんでん太鼓』(講談社)を読みました。 印象に残った句をメモしておきたいと思います。 基準は、「佳句佳吟一読明快いつの世も」近江砂人 であります。できるだけ解説の要らない句を。 話し合えば女に負けること多し 椙元紋太 淡々と生きだんだんと利己主義者 椙元紋太 大阪はよいところなり橋の雨 岸本水府 人類は悲しからずや左派と右派 麻生路郎 河童起ちあがると青い雫する 川上三太郎 五月闇生みたい人の子を生まず 時実新子 何だ何だと大きな月が昇りくる 時実新子 合鍵を渡されてから怖くなり 西尾栞 間違って大人になったような人 岩井三窓 手と足をもいだ丸太にしてかへし 鶴彬 ざん壕で読む妹を売る手紙 鶴彬 修身にない孝行で淫売婦 鶴彬 ちと金が出来てマルクス止めにする 井上剣花坊 国難に先立ち生活難が来る 井上剣花坊 国境を知らぬ草の実こぼれ合い 井上信子 暁を抱いて闇にゐる蕾 鶴彬 昭和史のまん中ほどにある血潮 小田島花浪 悲しみの家炊きたての昼を食べ 竹内紫錆 院長があかんいうてる独逸語で 須崎豆秋 パッと目をひらくと好きな人がいる 森中恵美子 電柱は都へつづくなつかしさ 岸本水府 退屈をしていた顔で埴輪出る 奥田白虎 自殺せぬ程度に叱るむずかしさ 萬濃修 死なれたら困る女房をまた怒鳴り 伊藤為雄 命まで賭けた女てこれかいな 松江梅里 朗々とやがては破る誓詞読む 槇紫光 それなりにほめ方もある披露宴 園山勝利 結婚をするほど野暮な恋をせず 乱雷 妻だけが時世のせいにしてくれる 柴田午朗 愛されて巡査で終る桃の村 摂津明治 社長と昇ったエレベーターは遅刻の日 竹志 人間を変えられないで職を変え 植松美代子 わが子男子旭のごときまる裸 橘高薫風 鉄道唱歌全部唄えて呆けている 如水 あちこちにあって楽しい片想い 壺中居尖平 雪しんしん猪の親子は谿(たに)を越え 西尾栞 悪いことと知ったか猫もふり返り 岸本水府 籠を出たうれしさに鶏けつまづき 上松爪人 蛸壺を出され合点のゆかぬ蛸 白谷水煙 膝の犬これが獣であるものか 中尾藻助 野良犬も暫し朝日にめぐまれる 川上三太郎 暖室に酒呑みながら主戦論 井上剣花坊 下敷きば見殺し骨ば拾うたと 和田たかみ 陽は昇りにんげんいくさばかりする 志水去鳥 目出し帽それ自体には罪はない 岩井三窓 男皆阿呆に見えて売れ残り 山川阿茶 アニメーションいくさきれいなものにする 明石フミ子 かしこい事をすぐに言いたくなる阿呆 亀山恭太 泉ナンバーの典型的な阿呆にあう 岩井三窓 冷凍魚アッと叫んだままの顔 岩田三和 国道を無事に渡ってきた毛虫 高橋千万子 繋がれて草に好みもあろう牛 七谷虹桟橋 花びらをいっぱい溜めた河馬の口 天根夢草 仕方なく生きているのに税とられ 松崎幸水 怒りたい時は静かに義歯外す 成松浪人 こんにちはさよならを美しくいう少女 岸本吟一 主義主張持たず気楽に拍手する 鳥巣幸柳
2009.05.06
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柱の傷はおととしの五月五日の背比べ ちまき食べ食べ兄さんがはかってくれた背の丈 五月五日に相応しい歌であると日本全国民の82,5%までが認めている(WHO調査 2008年)童謡であるが、この歌に対して最近、疑問が提示されている。 まず、「柱に傷をつける」という行為について、日本伝統建築保護同盟事務局長を勤める納屋正吾楼さん(71)は以下のように指摘している。 ここには、家の中における中心としての柱に傷をつけることをなんとも思っていない恐るべき思想が現れています。家の中の中心といえば父親ですが、この歌詞はあどけない童謡を装いながら実は従来の父親を中心とした日本の伝統的な家族体系の解体をもくろむ危険思想が隠されていると思われます。 つづいて、「食べ食べ」というなんとも無作法な行為について、日本の心を守る伝統作法の会の会長代行の袋小路清麻呂さん(45)は以下のように指摘している。 この「食べ食べ」、つまり、なにか他のことをしながら無作法にもモノを口に運ぶという行為を堂々と歌詞の中に入れた作詞家は、日本に神武天皇以来連綿と続く「食べながら何かを同時に行うことは無作法である」という思想を崩壊させようとしている。 二つのことを同時にやることがどのような悲劇を生むかは、あの二宮金次郎少年が薪を背負いながら読書に没頭したために道を走ってきた飛脚と衝突し全治一ヶ月の重傷を負ったことでも広く知られている。 ましてや、神聖な食糧を口に運びながら弟の身長を測るなど、体位向上を真剣に考えねばならないわが国にとっては許されざる暴挙である。 この二つの組織を中心とした、「『背比べ』を歌わせない日本国民の会」は、この歌を積極的に流しているNHKに対して抗議行動を行う予定である。(5月5日 錯乱チャンネル)
2009.05.05
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NHKの「世界びっくり旅行社」を録画しました。理由は、「ローマ猫ツァー」が放映されると書いてあったからです。 「ローマでは猫は市民として扱われる」という規定にびっくり。数箇所の「猫コロニー」があってそこではボランティアの人たちの力によって猫たちがのびのびと生活していました。 日本では「野良猫」といわれる猫たちは、ローマでは「道の猫」「自由猫」(もう一つありましたが)とよばれているとのこと。 野良猫を二匹以上世話している人にはローマ市役所から「ボランティア」の認定証が交付されて、それをペットショップで示すとペット用品の割引を受けられるそうです。 ローマでも猫を捨てたり虐待する人がいるからこんなコロニーが必要となるという事情もあるようですが、なんか違うなぁ・・と思いながら画面の中の可愛い猫たちに見入り、平和に熟睡しているうちの仔たちに目が行きました。 「ローマでは猫は風景の一部です」という言葉。いい言葉です。 日本でも、ストレスを猫にぶつけたり、捨てたりという事が少しでも少なくなるようにと思うのですが、こんなに人を粗末に扱い使い捨てにすることをなんとも思わないどころか当然と公言するような粗末な人間がでかい面をして歩くような社会に急速になっていくようで恐ろしいことです。
2009.05.05
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劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれた--2日に58歳で亡くなったロックシンガー、忌野(いまわの)清志郎(きよしろう)さんには終生慕う先生がいた。東京都立日野高校で担任だった小林晴雄さん(77)。初期のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった。必ず闘病生活を乗り越える。先生と級友はそう信じてきた。 3日、都内で営まれた清志郎さんの通夜に、小林先生は参列した。ひつぎの中の教え子は穏やかな顔をしていた。「十分がんばってきたんだ。ゆっくり休め」。心の中で声をかけ、花を手向けた。 《十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました》 69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。清志郎さんの母からだった。 「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」。気をもむ母を説得したのが、小林先生だった。 清志郎さんは67年に高校に入学した。俳優の三浦友和さんも同じ学年だった。 同級生の斎藤園子さん(57)によると、校内では物静かだった。小柄できゃしゃ。マッシュルームカットでひょうひょうと廊下を歩いた。 高校時代にバンド「RCサクセション」を結成。活動にのめり込み、欠席や遅刻が相次いだ。ただ、美術部顧問で、生徒の話にじっくり耳を傾ける小林先生にひかれ、絵画制作に熱中した。 「勉強が嫌いだから絵描きになった」という先生は、職員室が嫌いで、美術準備室でいつも一人でたばこを吸っていた。後輩の芝田勝美さん(56)は、部員でもない清志郎さんがショッキングピンクに染め上げた白衣を着て、放課後の美術室で黙々と絵筆を動かしていたのを覚えている。「本当に小林先生を慕っていました」 高校を卒業した70年にプロデビュー。2年後、「ぼくの好きな先生」が入った初アルバムを携えて美術室を訪れた。「先生のことを歌にしたんだ。迷惑でしたか」。先生は「照れくさかったけれど、やっぱりうれしかった」。 ステージでは、派手な衣装やメークに身を包んだ。でも同級生の岡田重子さん(57)は「普段は静かな人。あのお化粧は照れ隠しでしているんだなと思っていた」。清志郎さんの本名は栗原清志。先生や級友はずっと「栗原くん」と呼び続けてきた。 10年ほど前から、小林先生を慕う卒業生が開くOB展に清志郎さんも出品するようになった。06年にがんの闘病生活に入っても出品は続いた。 昨年2月。武道館で「完全復活祭」と銘打ったライブがあった。招待された小林先生は、同窓生6人と客席で見守った。終演後に楽屋を訪れてビールで乾杯し、「無理しちゃだめだよ」と皆で声を掛けた。清志郎さんは高校の頃と同じように「うん、うん」と照れくさそうにうなずいた。 だが、がんは転移した。 先生と清志郎さんが最後に会ったのは今年2月、OB展の会場だ。三浦さんと共に訪れた清志郎さんは、1時間近く思い出話に花を咲かせた。 まとめ役には「先生にどうしても会いたいんだ」と電話してきたのに、先生には、安心させようとしてか「もう大丈夫です」と笑ってみせた。 清志郎さんが逝った夜。同級生の坂崎隆義さん(57)はOB展のブログに追悼の文章を書き込んだ。「一緒に生きた幸せな時代。しんどい時代だけれど、なんとかしのいで生きていく。みんな。忘れないよ。合掌」(小島寛明、市川美亜子、鈴木暁子) ☆RC時代の「ぼくの好きな先生」が私の一番好きな曲です。1972年の作品。 最初に聴いたとき、私はなりたての教師でした。 頭の中でずーっとこの歌がなっていたような気がします。 その事に感謝しています。合掌。
2009.05.05
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ETV特集を見ました。 湯浅誠さんと内橋克人さんとの対談と、憲法25条をめぐる様々な事柄が紹介された番組でした。 25条「生存権規定」は、ワイマール憲法から示唆を受けた森戸辰男氏の粘り強い努力によって憲法に書き込まれるようになった規定です。GHQ草案がそのまま現行の憲法となったわけではないのです。 内橋さんは言っています。 森戸さんは日本という社会のことをよく知っていた。法律という形で権利を書き込まないと制度が形骸化する社会であるということです。 湯浅さんが続けます。 私も2000年ごろまでは、老齢か病気で働けない状態にならないと生活保護は受けられないと思っていました。私のところに来る人たちも、まだ若くて働ける能力がある私たちが生活保護を受けられると思っていませんでしたと言っているんです。 二人の指摘は以下のように続きます。 産業革命以来、資本主義のむき出しの搾取は人間を潰してきた、その反省の上に立って生存権を規定しよう、そして企業にもその負担を求めようという動きが続いてきましたが、最近の新自由主義、市場原理主義の動きはそれをもう一度、元のむき出しの形に戻そうとしていることではないか。 番組では、朝日訴訟、堀木訴訟が取り上げられました。 中々弁護士が見つからない中で、弁護士になりたての新井章さんたちが弁護を引き受けます。新井さんは言っています。 国が相手だからもしも勝ったとしたら大変なことだし、負けたとしても意味があるはずだと、深く考えもしないで、「えいやっ!」という気合で引き受けましたね。 東京地裁判決は、生活保護の水準が酷すぎると断じ、以下のように言っています。 最低限度の水準は予算の有無によって決定されるべきではなくむしろこれを指導支配すべきものである。 国は即刻控訴。 新井さんは言います。認識が深まりました。生活保護の水準と最低賃金制とは関連がありそうだ、生活保護の水準が上がれば最低賃金も上がる、これは他人事ではない。そのような認識が広がりました。 生活保護の日用品費は向上し始めました。 そして憲法学界にも新しい動きが出てきます。 国が生存権を守ろうとしなかった場合に国民はこれを訴えることができる、という説が有力になって行きます。生存権は法的権利である、という学説が登場してきます。 しかし、最高裁は、朝日さんの死によってこの訴訟に幕を引き、以下のように述べました。 何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は厚生大臣の裁量に任されており、直ちに違法の問題を生ずることはない。 早稲田大学の中島徹教授は、生活保護の認定問題は国会や行政機関の問題であって、裁判所が口を挟むべき問題ではないと結論を下したということになります、と指摘しています。 堀木訴訟でも同じ論理が使われました。 そして1973年のオイルショック以後、経済が失速すると、社会保障の1981年の臨時行政調査会の報告により社会保障費の削減が図られます。 厚生省は、不正受給の問題を取り上げて、新たに申請する人については収入、仕送り、年金などを徹底して窓口で調査するように指示、協力しない申請者に対しては申請を却下したり、保護を停止したりする事となりました。その結果、生活保護を受ける人の数は激減、1987年には生活保護の申請を拒絶された母親が餓死するという事件がおきています。 中島教授は語ります。 生存権が実現されるかどうかは立法府と行政の問題ですから、財政的な基盤が弱くなった政府が生活の基盤を失った人たちを切り捨てるという事を行ってもそれは裁判所によって放置されるということになるわけです。 2001年小泉内閣が発足、自助と自立を求めて社会保障費の削減を進めていきます。国は、この時期になって増え始めた生活保護の件数に対応するために生活保護の水準の切り下げに着手し始めました。また規制緩和が進められ、2004年に派遣法が改正され、製造業の派遣が解禁となったのです。非正規労働者が急速に増えていきました。 そして2008年の金融危機に直面し、派遣労働者の解雇が相次ぎます。 いま、年収200万円以下の勤労者は1000万人を超えています。 内橋さんは言います。 時の財政状況によって生活保障の水準は規定されるというけれど、ワイマール憲法では財政状況に左右されない経済的な裏づけを持つべきであるということです。時々の財政状況に左右されるような国家の義務であれば、国民の権利は保障されないということになります。 二人の対談は、「企業内福祉」の問題に移ります。 企業の力が非常に強い日本社会の中で、これまでは企業に対する忠誠心との引き換えに福祉が与えられたわけですが、不況の中で企業が「もうやめます」と言い出したら、それを認める環境を作ってしまったわけです。 企業の福祉に頼ることを止めた時に本来国がしなければならないことを考えてこなかったんじゃないか。国が果たさねばならない役割という事を考えてこなかったんじゃないか。 新自由主義の経済学は効率一辺倒だといわれていますが、それは違うんじゃないか、本当は非効率じゃないか。人間の生存コストを考えに入れていないという点では大変な非効率じゃないか。人間を切り捨てて、社会福祉の受け手としてしか生きていけないようなことをやっていて何が効率だということになる。 四月の派遣村には与野党の議員たちが参加、具体的な措置が進みつつあります。 しかし、と湯浅さんは危惧していることを語ります。 現在、大変だということでセーフティネットの構築が進んでいますが、それだけをやると、必ず、「なんであいつらだけ」という揺り戻しが来る。その時に、アメリカで行われているような生活保障を受ける人は同時に働く義務を課されて、最低賃金の枠も外された途方もなく安い賃金で働かされるというようなことが日本でも起こってくる可能性はあります。これはもう貧困は犯罪そのものであるという考え方ですね。 内橋さんは言います。 19世紀の貧困に対する考え方は、「貧困は罪」ということで、貧困者を強制収用して強制労働をさせるわけです。それに対して批判が起こり、貧困は個人の責任、怠惰とは関係がない、それは社会的なひずみがもたらしたものであるという考え方が20世紀に入ってから強くなっていくわけです。 日本で、再び「貧困は犯罪」ということでやっていくのなら、その後に来るのは監獄社会です。そのことによる社会的費用負担はもっと大きくなる。 湯浅さんは語ります。 市民としての正しい怒りの出し方を学ぶ必要があると思って「活動家を養成する学校」を始めました。いま、怒りがあってもそれが自分に向かってしまう。リストカットをしたり、稀な例ですが秋葉原のようなことも起きてしまう。 内橋さん。共生セクターを立ち上げたい。FEC(food energy care)自給圏を実践している地域が出てきている。 湯浅さん。市場原理主義に晒されない場所をたくさん作って生きたい。国家や経済に呑み込まれない、それによって国家も社会も良くなっていくような。 意義深い番組でした。原点となるように指摘にはっとさせられました。
2009.05.04
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「プロジェクトJAPAN」の二回目を見ました。 テーマは「天皇」。 前半の最も重要な部分は、大日本帝国憲法草案を審議した枢密院での伊藤の言であると思います。 第四条 「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」の後半部分「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」を削除すべきではないかという意見が提出された時に伊藤は、ここを削ってしまうと、君主権を制限するためのものという憲法の意義が失われてしまう、これをなくしてしまうと天皇の行う政治は「無限専制政治」になってしまう、と答弁しています。 ただ、第一条には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という文言があり、のちになって矛盾をきたすようになります。 後半部分では、国の進路を誤った人たちの姿が印象に残りました。 まず、上杉慎吉。 東京帝国大学で憲法講座を担当していた人物です。この人物が美濃部達吉の憲法論に噛み付きます。その噛み付き方は、立花隆氏が触れていたように、「曲解」の一語に尽きます。つまり、美濃部がその著書の中で言ってもいないことを勝手にでっち上げてそこに噛み付く。ですから美濃部は、「私は著書の中でそんな事は言っていない」と切り返し、雑誌に発表された二人の説を読んだ人で美濃部の著書に当たった人は上杉の立論の不当性と曲解を知ることになります。 帝国大学では憲法講座は二つになり、美濃部が担当することになった講座の方を選ぶ学生たちの方が多かったと言います。 立花氏は上杉を評して「煽動家」と言っています。彼の周りに集まった学生たちは熱狂的にかれを信奉し、「七生報国」を目指すということで「七生会」を結成、テロへの道を進みます。 不思議なのはその後です。血盟団事件によって政財界の要人を殺害したテロリストの中に七生会のメンバーが四人もいたわけですが四元義隆は懲役十五年のところを恩赦によってわずか6年間で釈放され、近衛の秘書となっています。四元は戦後、歴代首相の指南役として影の黒幕となった人物です。戦前と戦中は戦後に立派に連続しています。 菊池武夫。 貴族院で美濃部を攻撃し、在郷軍人会をバックとして美濃部の著書を発禁とし、彼を辞職に追い込んだ元凶です。 彼の攻撃を受けた美濃部は、自分を批判するのであれば私の書いた本を読んでその全体像をつかんだ上で批判していただきたいと切り返していますが時すでに遅く、彼の本を読んでもいない、攻撃する人々の「説」を鵜呑みにした人々からの脅迫状が多数届けられ、暴漢にピストルで撃たれるに至ります。その数日後の、1936年2月26日に二・二六事件が起こります。 平泉澄。 1984年まで生き続けたこの人物は、天皇のために死ぬことを最高の徳と讃え、多くの青年を死地に追いやった言論活動を行った人物として知られています。 私は自分を安全地帯においたままで他人に対して国のために死ぬことの美しさを説く人間の薄汚さが大嫌いなのですが、その「元祖」はこの平泉です。このような食わせ物に引っかかったところに日本の悲劇があったといってもいいでしょう。 現在マスコミで、自らを安全地帯におきながら国際貢献と称してアメリカのために死ぬことをまるで素晴らしいことであるように公言している人たちがいますが、いずれもその薄汚さにおいては元祖に劣るものではありません。彼らは揃って「平泉チルドレン」なのでしょう。 北一輝。この人物については主著の「改造法案大綱」を読んでいませんのでパス。 この番組を見終わって思います。日本は明白に進路を間違った。なぜ間違ったかも戦後の歴史研究によってかなりはっきりしてきている。もしもまた同じような間違いを犯すようなことがあれば、その道筋ははっきりしているでしょう。 つまり、 上杉のような事実に基づかない煽動家の言説が勢いを持ち、平泉のような卑怯者の言説に乗せられる若者が増え、戦後の歴史研究を総体として否定するような潮流が勢いを増して憲法を変えたとき、日本は再び「いつか来た道」を辿ることになるでしょう。 明治憲法・天皇、をテーマとした番組でしたが、結局は「今」を見据えた作りになっていました。 司馬遼太郎氏は言ってました。 昭和になって明治憲法は食い破られ、日本は軍によって占領された、と。司馬さんが存命であったら、この番組にコメンテイターとして登場しどのようなことを述べておられたか、そんな事をふと思いました。
2009.05.04
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今日は三宮の憲法集会に参加して来ました。 講演が二本。 和田進・神戸大学教授の「世界の中の憲法九条」。 被害者としての立場から、「あんな酷い目に合うのはもうこりごり」と進められてきた憲法を守ろうという運動が、「加害者になりたくない」という被害者意識に裏打ちされた運動へと発展して行っているという指摘がなるほどでした。 二本目は、作家の浅尾大輔さんの「若者たち、労働現場から日本国憲法をつかむ」。 浅尾さんは、首都圏青年ユニオンで様々なケースにかかわってきた体験を報告されました。憲法なんか知らない、習ったこともない・・という青年たちが使い捨てにされようとしたときに憲法を学び、労働法を学んで立ち上がる様子は感動的でした。 団体交渉を行うに際して会社側に提出する書類にはっきりと個人名を書かねばならない。幸い一人の女性が快く引き受けてくれた。夜更けのデニーズで10人ほどの組合員にそのことを報告すると、「それはおかしい」との声。「なぜ○○さんにだけ責任を負わせるのか」「私たちも名前を書きたい」。結局、責任者の名前を一人書くべきところに10人の名前が小さな字で書き込まれた、という報告には胸が熱くなりました。 浅尾さんは、「『人間はこんなもんさ』とうそぶくような書き手にはなりたくない」と言っておられます。 人間の汚い面だけを取り上げる人がいます。そして、「人間こんなもんさ」と言います。 もちろん人間にはそんな面もあるでしょう。しかし人間は多面的です。一軒の家に食堂も居間も便所もあるように、人間は様々な面を持っています。 人間の歪んだ面、汚い面、そんなものを好んで取り上げ、「人間こんなものさ」と言いたい人の家には便所しかないのでしょうか。 憲法を雑巾のように使う。憲法を暮らしに生かす。 その事をもう一度思い出させてくれた集会でした。 浅尾さんが編集を行っている雑誌が『ロスジェネ』。「ロスト・ジェネレーション」の短縮でしょうか。 第二号は、堤未果さんと増山麗奈さんの対談「大転換時代に女たちが挑む」。 湯浅誠さんと浅尾さんの対談「生存/労働運動のリアリズムはどこにあるのか?」 中々面白そうです。
2009.05.03
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私は自分が使う言葉の面ではかなり保守的で、「うーん・・・これは」という言葉がいくつかあります。 たとえば、「スイーツ」という言葉。なじめません。 「じゃ、どういうの?」と先日妻に訊ねられました。 「ケーキとか和菓子とか言ったらええやん」 「じゃ、全部ひっくるめていう時はどうするんよ」 ・・そうなんですね。ケーキとか和菓子とか「甘いもの」を全部ひっくるめたらどんな言い方があるか。「スイーツ」って便利でしょうが、というところですね。 まてよ、「スイーツ」以前はなんと言ってたのかな。個々バラバラということもあったし。 「ここらへんにおいしい( )あれへん?」ということで、カッコの中に適宜色々入れていたように思います。(和菓子屋さん)(ケーキ屋さん)(お饅頭やさん)とか。 実験してみましょう。 「ここら辺でおいしいスイーツないかな?」 「え?どんな系統?和菓子、洋菓子?」 「うん、ケーキやねん」 無駄が多い。 「なぁなぁ、ここらへんにおいしいケーキ屋さんない?」 「それやったら甲陽園の駅の近くにツマガリあるやん」 簡単。 では、「甘いモン」の総称は何か? 私は「別腹」ってのが印象に残っておりますね。 第一、粋じゃないですか。 『関西・美味しい別腹のお店』・・・うーん、どうも、もっちゃりしとんなぁ。 『関西・美味しい甘いモンのお店』『関西・秘密の甘味処』 『関西・美味しいスイーツのお店』・・・。 ワタクシ、世間の流行とは無縁に生きて行きたいと思っております。
2009.05.03
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連休初日、アンネの薔薇の教会に行って来ました。 車で十分ほどのところですが、かなりの急勾配の坂の途中にありました。予約が必要ということであらかじめ電話を入れてからお邪魔しました。 牧師さんが解説をしてくださいました。 平和の架け橋としてイスラエルに合唱団を派遣しようという計画が1971年に実現し、イスラエルで偶然、アンネの父のオットー・フランク氏に逢う事ができ、交流が始まったこと。 1972年にオットー氏から、「アンネ・フランクの形見」と名づけられた薔薇の苗木10株が届けられたこと。 そしてその中から一株が根付き、美しい花を咲かせてくれたこと。 二階は資料室となっています。オットー氏の万年筆、そしてわずかに残されたアンネの遺品が展示されています。 アウシュヴィッツの航空写真、ツィクロンガスの缶、ユダヤ人たちの毛髪。 絶滅収容所の地図、アンネたちの隠れ家の模型。 イスラエルにも、現在のイスラエル政府の行動に対して胸を痛め、村上春樹さんの「いつでも卵のがわに」のスピーチに共感した人がいると思います。 『アンネの日記』を、古典として新しく読み返さねばならないなと思わされました。そう思うきっかけを作ってくださった「アンネの薔薇の教会」に感謝いたします。
2009.05.02
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にゃんエスビーであります。ついに買ってしまいました。 2GB。3000円します。もっと安くて4GBぐらいあるUSBはあるんですよね。 くーっ・・・確実に足元見られてるなぁ。・・でも買うんです。 経済効率を無視した消費行動をする、これをやはり馬鹿というのでしょうね。 ま、人間は必ずしも合理的な行動(というか経済学者にとって都合がいいとでも言いますか)ばかりするもんじゃないという意味で、ミルトン・フリードマン君への反証となるかな。 いつまでもハイエクを金科玉条の如く担ぎまわっている人もいますが・・。
2009.05.02
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