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December 6, 2018
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12月6日はシンフォニー記念日です。
大正3年のこの日に、ベルリンから帰国した山田耕筰が、初めて日本人作曲による
交響曲『かちどきと平和』を発表しました。
 今聞くと、編成も小さく無難にまとまっている感じですが、当時西洋人と対等
に作曲し、指揮が出来るというのは、驚くべき先駆的なことでした。


 山田耕筰は、明治19年に東京都文京区のキリスト教伝道者の父のもとに生まれ
ました。姉の夫も伝道者で、耕筰は彼から西洋音楽を習い、東京音楽学校(今の
東京藝術大学)を卒業しました。

 三菱財閥の岩崎小弥太の援助を受けベルリン王立芸術アカデミー作曲科に留学、
東京フィルハーモニー会管弦楽部主席指揮者を任せられますが、恋愛問題が岩崎の
逆鱗に触れ、管弦楽部は解散に追い込まれてしまいました。



 その後も、渡米、オーケストラの失敗など紆余曲折を経て、神奈川県茅ヶ崎の地
で再起、「赤とんぼ」など童謡の名作を残しました。戦時中は軍歌を数多く作曲し、将官待遇となったことが、戦後の「戦犯論争」につながりました。
 79歳で心筋梗塞のため亡くなっています。

​​​星 冠…カン、かんむり



 山田耕筰の「筰」の字は初めは「作」でした。
同姓同名が多くトラブルがあったことから改名に至りました。また、指揮中の後ろ
髪の乱れを指摘され、カツラを勧められましたが否定、代わりに坊主にしたという
ことがありました。自分の名前の「作」にカツラをつけてしまえ、と「筰」の字に
したそうです。たけかんむりの「竹」=ケケ(毛毛)という訳です。

 山田耕筰は、数多くの校歌を残しており、夏の甲子園の入場曲も耕筰の作曲です。「からたちの花」「この道」「ペチカ」「砂山」などが代表曲です。









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Last updated  December 6, 2018 12:00:35 AM
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