60ばーばの手習い帳

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October 1, 2024
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 世田谷の学校に勤めていた頃「砧公園」は遠足の行き先の一つでした。

砧公園

 砧の地名は、世田谷区のH.P.によると、7~8世紀の頃、朝廷に納める麻布を、砧板で叩いて柔らかくし、艶を出すために用いた道具の名前に由来するといいます。布を砧で叩くのは女性の夜なべ仕事でした。 

 この頃の庶民の衣服は、麻か楮(こうぞ)・藤・葛(かずら)などの樹皮から繊維を採りました。木綿が一般に着られるようになったのは、ずっと後の時代です。
 採った繊維を蒸して、川で晒した後に織りました。麻などの布は洗うと硬くなるため、織った布を叩いて柔らかくしたそうです。

 多摩川で、布を晒す情景は、万葉集の東歌にも詠まれています。
多摩川に曝(さら)すたづくりさらさらに何ぞこの児(こ)のここだ愛(かな)しき
(多摩川で、さらさらと布をさらして作るように、今更のようにあの娘がどうしてこんなに愛おしいのだろう)


​現在の多摩川と二子玉川ルーフガーデンに引かれた多摩川の水


​​☆砧…チン、きぬた ☆杵…チョ、きね

 「 杵臼の交わり 」は、後漢の時代の故事から。太学(たいがく)に留学していた公沙穆(こうさぼく)は、学費を稼ぐため呉祐(ごゆう)に雇われて臼つきの仕事をしていたが、呉祐がその学力に驚き、親友になったという話が元。
 「 昔取った杵柄 」は、過去に鍛えた腕前、身につけた技能が、今も衰えず身についていること。

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Last updated  October 1, 2024 12:00:27 AM
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