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晶子が岡谷に来たとき、特に湊村に入ったのは、湊村花岡出身の山岡與平氏(のちに画家、教師)が東京の文化学院で与謝野晶子や画家の石井柏亭に学んでいたのが縁である。晶子らが、宿泊したのは山岡久兵衛氏の別荘であった。山岡久兵衛氏は、大正末期から昭和初期にかけて長野県議会議員として活躍したが、趣味人であり、高台に諏訪湖を一望できる別荘「山水荘」建て、文人墨客を迎え持て成しをしていた。その別荘は現存するが、この写真にはちょっと山手寄りなので残念ながら写っていない。・一隅の鴨浮く水の青きをばわれこそ覗け諏訪の花岡(晶子)
February 19, 2007
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昨日に引き続き与謝野晶子について 現在、諏訪湖の出口である天竜川の源には、釜口水門というダムがある。諏訪湖と天竜川の水面は、約2mの段差があり、諏訪湖の水はダムをオーバーフローして天竜川に落ちている。まさに、「落ち口」である。 この釜口水門の脇には、「諏訪の湖(うみ)天竜となる釜口の水しづかなり絹のごとくに」の晶子の歌碑が立っている。この歌は第二期「明星」の大正14年2月号に掲載され、単行本としては、昭和3年5月発刊の晶子第21歌集「心の遠景」の中に所載されている1首である。 歌碑は、岡谷の諏訪湖畔に名所をほしいと思っていた岡谷商工会議所が中心となって昭和47年4月26日に建立したものであるが、除幕式には、晶子の長男光(医師で東京都衛生局長歴任)氏が来賓として出席した。 晶子らが岡谷へ来た当時は現在の水門はなく、100m下流に釜口橋のみがあり吊橋であった。晶子がこの橋を湊村の方へ渡ったとき、川が絹糸を流すように流れていたというのである。多分、川の底に生えている青草が流れに漂い糸のように尾を引いていたのであろう。 晶子の諏訪湖や天竜川を詠んだ歌は他にいくつもあるが、この歌は内容もいいし、この場所に相応しい感じがする。
February 4, 2007
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1年振りで与謝野晶子に再挑戦。 与謝野晶子という人は、大勢の子供を抱えながら、また学校で講義をしながら、各地の歌会に招かれたり、地元有力者から招待されればそれにに応じ、全国各地を訪れた。 大正14年1月初めには、夫鉄幹、石井柏亭、平野萬里らと共に下諏訪を訪れ、聴泉閣亀屋に滞在した。下諏訪滞在中に晶子らは岡谷へ入り、塩尻峠、諏訪湖の天竜川への落ち口、花岡山などを訪れた。 晶子の「諏訪の旅」には、「塩尻峠に登り、そこから日本アルプスを遠望したり諏訪の全景を俯瞰したりもしました。岡谷の街へ行って天竜川となる落ち口を眺め、花岡山の一角に登って湖水に臨む湊村の好い景色を見下ろし、仰いで八ヶ岳や蓼科山の雪を望むのも快よいことでした」と書かれている。・花岡に見る八ヶ嶽空晴れて鵠より白く浄らなりけり(晶子)
February 3, 2007
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