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富士山ナンバーいいなあ…2代目タイガース非公式サイトです 2008年11月から交付が開始された「富士山ナンバー」 やっぱり「日本を象徴する霊峰富士だからナンバーとして付けるのもステータスがあるわ 語呂合わせで「ふじさん」=「2‐23」とか 高さの「37‐76」が超人気だって この富士山ナンバーの対象地域は 山梨県側が富士吉田市、西桂町、富士河口湖町、山中湖村、鳴沢村、忍野村、道志村の1市2町4村、静岡県側は、富士宮市、富士市、御殿場市、裾野市、小山町、芝川町の4市2町となってます富士山のお膝元だから特権よね うらやましいな 先代も「四駆には富士山ナンバーがぴったりなんだが・・・」って残念がってる 自動車税が県税っていう関係もあって車は都道府県に登録するから「全国共通で使えるナンバー」というのがないのよねぇ 富士山ナンバーの基本の図柄は次のような華やかなもの カラーとモノトーンのどちらかを選べるみたい他に対象の市町村によって特別なものも存在するのよ これは北斎の「赤富士」冬の富士? 実は赤富士のモノトーンね2代目の地域では残念だけど平凡な普通プレート そもそも県や市の名前じゃないところが「富士山ナンバー」の魅力なんだよね~ 残念ですが今は望んでもどうにもならないので 「ゆるキャン△」のグッズとして売られてる「富士山ナンバーもどき」で我慢してます もちろん取り付けたら違反だから持ってるだけなのよ・・・なんか悔しい よく見ると「富士山」のあとの3桁が「223」ね! これでもし下の4桁が「37‐76」だったら完ぺきってわけか でも3桁に2ナンバーってあるの?・・・調べたら「乗車定員11人以上で人の輸送に使われる普通乗用車(バス)」が2ナンバーなんだって 「もどき」でもちょっとかわいくていいね! ほんとにこんなナンバーがあったら面白いとおもうけど 国は頭が固いから実現はなさそうね
2023年12月23日
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日本シリーズが決め手?で現状維持 2代目タイガース非公式サイトです 2023年12月21日 湯浅京己投手(24)が西宮市内の球団事務所で最後の一人として契約更改を行い現状維持の4700万円でサインしたね これで全選手が終了 さすが日本一ともなれば球団側もしっかり出してくれたので一人の保留者もなく無事に契約できたようです 多くの選手がアップする中 湯浅投手は現状維持 WBC出場が悪い結果につながったかな? 今年はWBC代表入りして難しい調整を強いられ レギュラーシーズンへうまく切り替えることができなかったね そのうえ右前腕や左わき腹痛など故障続きで6月にファーム落ちして そのままレギュラーシーズン終わっちゃったから公式戦では15試合しか投げてないのよ だから会見では「下がると思っていた」って言ってるわ 日本シリーズ第4戦で監督が起用してくれて「湯浅の1球」で踏みとどまれたことが効いたかな 球団もダウン提示までは無かった日本シリーズの成績は査定対象外らしいわね でもやっぱり日本一になることは選手たちの懐にも影響あるんだっておもう 現状維持でホッとしたよね昨年活躍して「湯浅は天狗になった」と言われて それを裏付けるような結果になってしまったから 来季こそ真価が問われるわよ!巻き返せ!湯浅投手のコメント「維持にしてもらえてありがたい。来年は力になれるように頑張る」 来季は「守護神」奪還を狙ってください!
2023年12月22日
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青栁さん 数少ないダウン組!2代目タイガース非公式サイトです2023年12月21日 青柳晃洋投手(30)が3000万円ダウンの2億1000万円で契約更改したよ今年の青栁さんは 監督さんにキャンプのときから「開幕投手」と名指しされていて 本人もそのつもりで球威が増すように調整してきたよね 確かにボールは速くなったとおもうんだけど その一方でコントロールが思うに任せない状態になってしまったのよ突然フォアボールやデッドボールを連発したり とんでもない方向へのワイルドピッチとかも一度や二度じゃなかった 痛いホームランも多かったしね 青栁さん自身も「1年間ずっと納得のいくピッチングができなかった。悔しい1年だったかなと思う」って言ってます 成績は8勝6敗 でも規定投球回数には40㌄以上も足りないし 防御率が4.57では自慢にもならない湯浅君同様に日本シリーズ第7戦で監督が起用してくれて 青栁さんもそれに応えて熱投で締めくくったけど・・・レギュラーシーズンが去年や一昨年に比べてひどい落ち込みだったから現状維持とはならなかったね これは仕方ないよ青栁投手のコメント 「今年1年ふがいない投球が続いた。来年これが続いてしまったらどんどん落ちる一方だと思う。ここでもう一踏ん張り、また上がっていけるように、このままダラダラいかないように来年しっかり結果を出して、いい調子で連覇に向けてできたら」「また一から体づくりは考えていかないといけない」来季は何か新しい球種が必要かも?
2023年12月22日
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2代目のアイテム紹介💕 その62代目タイガース非公式サイトですこのカテゴリーでは2代目が手に入れたいろんなアイテムを紹介してます振り返ってみると なんとなくキッチン用品と電化製品ばっかりになってるような気はするけど・・・そういうのしかないのよね今回は第6回みなさん「サーキュレーター」って使ってます? この回で紹介するのはアイリスオーヤマのサーキュレーター 2代目が購入して使ってる機種は「サーキュレーターアイ DC JET 15cm PCF-SDC18T-W パールホワイト」です アイリスオーヤマさんは 第4回目(スロークッカー(アイリスオーヤマ) | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp))で紹介してるから2度目の登場ね 去年の6月ごろに10年くらい使った山善(YAMAZEN)さんのものから買い替えたのよ 左右に首振りしながら上下にも振るから その動きが台の上に乗ったボールが転がるように見えるのよ だから「ボール型」と呼ばれています では写真で前のと比較してみるよ山善さん やっぱりちょっと時代を感じるよね 横から見ると平面的だし 横幅も広くて意外に場所を取るのよ アイリスオーヤマさん どう?ボールが乗っかってるように見えるでしょ 横から見ても「球体」 リモコンはかなり多機能でいろんな操作ができるよ 「強制撹拌モード」は部屋の中を早く均一に温めたりしたいときに強烈に空気をかき混ぜる感じね しかもコンパクト 梅雨時とか冬場は洗濯物を外に干せないことが多いよね どうしても部屋干しを強いられるんだけど 室内用の物干しに洗濯物を懸けておくだけじゃちっとも乾かない そこで風を使って速く乾かすために使ってます 本来は 空気をまんべんなく部屋に循環させて効率よく冷暖房を効かせるのがサーキュレーターの目的なんだよね でもその機能が洗濯物の部屋干しでも生きてくるわ なぜ買い替えたかって言うと 山善さんの製品は上下の動きと左右の動きが完全にシンクロしてたのよ・・・これだと右向いたときに上向きだと 左に向いたときは必ず下向き 同じ動作を繰り返してるだけになってしまうよね 要は空気がしっかりかき回せないからよ ところがアイリスオーヤマのこのタイプは 左右の動きと上下の動きに少しタイムラグが作ってあるのよ ということは「右向きのときは決まって上」みたいに固定されないから ぐるぐる転がるような動きになって空気をかき回す効果が優れてる この差は大きいよ 風の強さは10段階で調節可能になってます エアコンの下に室内用物干しを置いて洗濯物を懸け 斜め下からサーキュレーターで風を送ってるんだけど 山善のより速く乾くようになった! 速く乾くことで嫌な「部屋干し臭」も抑えられるからとても役立ってる 日本の気候はどうしても湿気が多いし 外に干せないときは絶対使うといいよ これまで使ってた山善さんのは捨てるのもなんだから実家にもっていって置いてあります ちゃんと使ってるみたい 山善さんには第2回で紹介した「ライスクッカー」でお世話になってるし あれに関しては優れもので毎日使ってるよ!ライスクッカー(山善 YAMAZEN) | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) ということで 「実用家電」として超お奨めしたい製品です もちろん扇風機としても使えるしね しかも今年は似たタイプで温風が出せるものが発売されたんだよね 日本のメーカーやっぱ凄いわ! 一番下に アフェリエイトを張り付けてあるから 商品に興味がある人は覗いてみてください なかなか優れものだってわかるとおもうよ 2代目が買ったころは1万2000円くらいだったよ いまは安くなってるから買い時かもしれないよ! [大感謝祭最大P15倍!]サーキュレーター アイリスオーヤマ dcモーター 節電 省エネ DC JET 18cm ホワイト扇風機 ボール型 左右首振り 扇風機 冷房 送風 静音 空気循環 部屋干し涼しい 風 暖房 循環 コンパクト アイリスオーヤマ PCF-SDC18T[HX1027]価格:10,681円(税込、送料無料) (2023/12/21時点)楽天で購入
2023年12月22日
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背番号17(その4)背番号17の第4回目ですこれまで紹介した選手たちでレギュラー選手と呼べるのは白坂さんぐらいかなあ 門前さんや大崎さんも活躍した期間は短いからね今回出てくる3名もレギュラー級といえない人ばかり 「17」はなかなか注目される番号になってこないですね 逆に今回は雲行きが怪しくなってくるのよ源五郎丸 洋 投手1981(昭和56)年のドラフト会議、高校生では槇原寛己や金村義明に注目が集まっていたこともあり、源五郎丸が1位指名されたときタイガースファンも「誰やそれ?」となった。タイガースは右田一彦を抽選で外し、外れ1位で指名している。 源五郎丸は東京都江東区の出身だが父親の仕事の関係で佐賀県に転居し、高校は大分県立日田林工に進んでいる。県予選で敗退して甲子園の経験はなく、スカウトなどの評価は高かったが一般の野球ファンにはあまりなじみがなかった。 源五郎丸は早稲田大のセレクションに合格していたが、1位指名だったこともあってプロ入りを選択し、背番号「17」を着けることになった。 右投げの本格派で、ダイナミックなフォームから投げ込むストレートは伸び・キレとも抜群。そのため「村山2世」と持ち上げられ、名字が変わっていたこともあってファンからも注目の的になったことが悲劇につながる。 キャンプでの紅白戦で掛布を抑えるなど好投したことで人気も上がり、ファンサービスとして首脳陣がオープン戦に帯同させたのが間違いだった。しっかり身体ができていない状態で無理をさせたため、1982年3月4日、ベースランニングの練習中に右足を痛める。右大腿二頭筋断裂で全治2カ月と診断されたが、リハビリもふくめ現場復帰まで4カ月以上かかる重傷だった。 結局このけがは完治することなく最後まで源五郎丸を苦しめることになる。1年目はファームの試合すら投げることができなかった。 2年目の1983(昭和58)年、ウェスタンで17試合に投げたが2勝4敗で防御率は7.48とかつての切れ味は影をひそめる。1984(昭和59)年は20試合で3勝4敗、防御率は3.43と改善されてきたが球威は戻らなかった。1985(昭和60)年、一軍がリーグ優勝、日本一と大変な盛り上がりを見せている中、源五郎丸はファームで18試合1勝3敗2セーブ、防御率4.70と前年より悪くなっている。1986(昭和61)年、背番号「17」の雄姿を一度も一軍で見せることができないまま5年目のシーズンを終えて引退した。猪俣 隆 投手 新潟県長岡市出身で東京の堀越高校に進む。高校時代は予選ベスト4が最高だったが法政大に進学して大きく進化する。大学1年春の新人戦でいきなりノーヒットノーランを達成して驚かせ、大学4年間で4度の優勝を経験している。リーグ戦通算で43試合に登板し、20勝7敗、防御率1.87、180奪三振の好成績を挙げ、2年続けて日米大学野球の代表入りするなど、文句なしのドラフト1位候補に成長した。1986(昭和61)年のドラフト会議でタイガースに1位指名されて入団し、源五郎丸が着けていた「17」の継承者となる。 186センチの長身から投げ下ろすストレートも好かったが、最も得意な球種は揺れながら落ちる落差の大きなナックルで、三振を奪うウィニングショットに使っていた。 1年目の1987(昭和62)年はルーキーながら即戦力のローテーション投手として期待されており、22試合のうち14試合が先発だった。しかし内容的には5勝7敗とパッとせず、2年目の1988(昭和63)年には右けい肩腕症候群を発症して一度も一軍登録されずに終わっている。源五郎丸が壊れてしまったことに続き、猪俣の故障もあって「17」は縁起が悪い番号という印象になってきた。 こういう経緯から1989(平成元)年には、引退した山本和行の背番号「25」を引き継いだうえでブルペンに配置換えして気分一新を図っている。この年は一軍で54試合に登板して4勝6敗3セーブの数字を残す。 ちなみに背番号「25」は9年間着けており、猪俣といえば「25」をイメージする人が多いはずだ。逆に「17」のイメージはほとんど無い。 しかしその後も故障が多く1990(平成2)年から先発に戻り23試合5勝11敗。1991(平成3)年が27試合9勝13敗、1992(平成4)年は14試合5勝5敗と、どうしても勝ち越せない。 1992(平成4)年がキャリアハイで27試合すべて先発で11勝12敗とプロ生活で唯一の二けた勝利を挙げたものの、やはり負け越している。 1994(平成6)年以降も故障に悩まされ続け、1997(平成9)年には一度も一軍登録がないまま10月に戦力外通告、自由契約選手となってしまった。 ここで中日が救いの手を差し伸べて入団するが、在籍2年間で1度も一軍での登板機会はなく、1999(平成11)年を最後にプロ生活を終えている。 先発タイプで、立ち上がりのエンジンのかかりが悪いのが欠点。これさえ上手く切り抜ければスイスイ完投してしまう力があった。実際1990年は5勝のうち3勝が完封勝利である。 通算成績は191試合43勝63敗3セーブ623奪三振、807回1/3で自責点330、防御率3.68である。背番号「17」は最初の2年間着けただけだった。太田 貴 投手 岩手県盛岡市出身で市立盛岡高校から社会人野球の鷺宮製作所に進む。右本格派でストレートに加えてカーブ系も好く、3年目から公式試合で好投が続き、1988(昭和63)年には有力なドラフト候補となっていた。所属会社が出さない方針を公表していたため、ドラフト会議での指名にはかからなかったが、水面下で6球団が争奪戦を続けた結果タイガース入りに傾き、ドラフト外で入団している。背番号は「縁起が悪い」と猪俣が返上した「17」を引き継いだ。 1年目の1989(平成元)年は一軍で17試合(先発2)に投げたが0勝1敗、2年目の1990(平成2)年には18試合で先発も8試合に増えたが、0勝1敗1セーブに終わる。プロ入りから4年間は一軍で勝ち星を挙げられなかった。 ファームでは頭一つ抜けており、1993(平成5)年には1四球でノーヒットノーランも達成するほど寄せ付けない投球を見せる。しかし一軍では通じない状況が続いていた。初勝利はこの年で、6月の中日戦に先発して5回1失点で挙げたものだが、この1勝が最初で最後の白星となった。 1995(平成7)年には6年間着けた「17」を返上し、背番号を「30」に変更して勝負をかけるも15試合で0勝0敗に終わる。以後引退する1997(平成9)年まで一軍での登板はない。 プロ通算では78試合1勝5敗1セーブ13奪三振、150回1/3で自責点67、防御率4.01とさびしい。 1998(平成10)年から2004年(平成16)まで打撃投手を務め、その後フロントへ転じ、スコアラーなどを担当している。まとめ 今回は3人とも投手 しかも源五郎丸さんと猪俣さんはドラフト1位だったのよね ところがこの3人のせいとまでは言わないけど「17」が不吉な番号って言われ出してしまったんだって 源五郎丸さんはキャンプを打ち上げてさあこれからという所で重傷を負って それがそのまま致命傷になっちゃいました 猪俣さんは「勝ち越せない男」になって これまたケガのせいで満足に投げたシーズンがほとんど無いのよね 3人目の太田さんに至っては即戦力の大きな期待を持たれていたのに結局プロ9年で1勝しかできなかった・・・たしかに不吉な雲行きって感じ 背番号「17」の暗黒時代ね17の5へ続く 次回もドラ1が2人出てくるよ
2023年12月21日
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背番号17(その3)背番号17の第3回目です前回紹介した3名はわずかな期間しか背番号「17」を着けてなかったよねこれまでは一番最初に着けた門前さんの通算10年というのが最長ね 3回目では長い人も出てくるんだけど なかなか門前さんを超えないわ 今回の最初に出てくる富恵さんなんて今まで聞いたことなかったし富恵 一(とみえはじめ)外野手富恵は山口県出身で県立萩高校では外野手と投手を兼ねる二刀流だった。関西大学に進むと外野手に専念し、通算50試合157打数45安打で打率.287、2本塁打の成績を残している。1964(昭和39)年にタイガースへ入団するとファームで3割を超える打撃を評価され、一軍でも24試合に出ているが32打数6安打2打点、打率.188が1年目の成績。プロ入り初本塁打1本を記録しているが、実はこれがプロ在籍唯一のホームランだった。1965(昭和40)年はわずか9試合で1安打のみの0打点。1966(昭和41)年には7試合ノーヒット1打点に終わる。1967(昭和42)年にはついに出番がなくなって戦力外とされ引退している。通算40試合49打数7安打3打点1本塁打、打率.143というさびしい結果だった。プロ生活は4年間と短かったが背番号「17」で通した。1974(昭和49)年6月5日、32歳の若さで逝去。伊藤幸男 投手 伊藤は大阪府大阪市出身。大鉄高校時代に右の本格派エースとして選抜に出場するも1回戦敗退、卒業後は社会人積水化学に進む。1962(昭和37)年の都市対抗に補強選手として出場している。同年途中に近鉄バファローズに入団し、一軍のゲームに5試合登板したが勝敗は付いていない。基本的に防御率は平均4点台の投手で、近鉄での6年間で通算142試合に登板(うち26試合の先発がある)9勝16敗 340回2/3で自責点159 防御率4.20の成績だった。1968(昭和43)年にタイガースへ移籍し、背番号「17」を継承して引退まで5年間着ける。1969年には26試合(うち先発13)に登板、8勝4敗・防御率2.46と自己最高の成績を挙げる。翌1970(昭和45)年も25試合6勝2敗と働いたが、徐々に成績は落ちていく。1971(昭和46)年が25試合2勝3敗、1972(昭和47)年には6試合2勝1敗と衰え、1973(昭和43)年に一軍登板がないまま引退に追い込まれた。桑野 議(くわのはかる)外野手桑野については「脇役物語」で紹介しているが、改めて掲載する。福岡県北九州市出身。左投げ左打ちで九州工業時代は投手だった。 1967(昭和42)年のドラフト5位指名でタイガースに入団している。最初にもらった背番号は「40」。1974(昭和49)年に「17」に変えて8年間背負っている。投手としての入団だったが、1968(昭和43)年、1年目のキャンプ中に小鶴打撃コーチがバッティングの才能に着目して打者に転向させている。しかし簡単には芽が出ない。1年目は3試合出ているが4打数1安打0打点。2年目の1969(昭和44)年は1年間ファーム暮らし。3年目の1970(昭和45)年も20試合21打数4安打2打点と伸び悩んでしまう。 1971(昭和46)年にようやく70試合に出場、107打数24安打7打点1本塁打を記録したが、翌年はまた6試合出場にとどまる。その後も50試合未満の出場しかない状況が続き、だんだん先が見えて来たところ 1975(昭和50)年に就任した吉田義男監督がシャープな打撃を生かすため「代打専門」として起用すると、79試合で110打数27安打13打点3本塁打と貢献。翌1976(昭和51)年には76試合125打数33安打で21打点をたたき出すキャリアハイを記録している。打率は2割少々だが好い場面で打っているので印象が強く、代打専門になってからは非常に人気があった。1981(昭和56)年を最後に引退するが、約6年間、代打専門に近い起用をされた。タイガースの代打の系譜は桑野に始まったといえる。これは吉田監督の選手起用の特徴でもあり、第2次で川藤、第3次では八木を代打専門として再生し成功させている。脇役物語は「タイガース脇役物語9-2 代打の切り札 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」を参照。まとめ 富恵さんはプロのレベルじゃなかったんだろうね 成績を見ても3年であきらめざるを得ないわ しかも早くお亡くなりになってるのよね・・・伊藤さんは近鉄でも大した数字を残してないし タイガースは期待して獲得したのかなあ?ちょっと良かったのは2年だけであとは下降線だった 探してみたけど富恵さんと伊藤さんは写真は残ってなかったなあ・・・桑野さんを語る時の先代は嬉しそうな顔するのよ 大好きな選手だったみたい もっとスタメンで使ってほしかったって言ってるけど 4打席立つより1打席の集中力のほうがあるって監督が見抜いてたのかもしれないね予告 次回は源五郎丸洋さんが登場するよ!17の4へ続く
2023年12月20日
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2023年の思い出💕 今年2回目の城崎温泉2代目タイガース非公式サイトですクライマックスシリーズに勝って日本シリーズまで約1週間の間があったよね 実はこの時の合間を縫って10月23日から24日にかけて城崎温泉に行ってきたんだよね ブログに書くタイミングを逃して そのままになっていたんだけど 年末に近づいてきたし記事ネタも枯渇してるから自分自身の日記を兼ねて書き残しておこうとおもいます重要文化財「平田館」に初めて泊まりました 西村屋本館さんにはいままで何度もお世話になってるんですが 建物の中でも重要文化財になってる「平田館」に初めて泊まることができたのはよかった 感激したんですが実は想定外だったのよねいつもお願いする本館1階の「飛鳥の間」を頼んだつもりだったのに どんどん違うほうへ案内され しかも2階へ??? どこ行くんだろう 仲居さん間違ってない?いつもの部屋と方向が違うよ?とおもってたら平田館2階の「蓬莱の間」というお部屋でした(上の見取り図で囲んだところ)普段泊まってた「飛鳥」も内風呂として露天風呂がついた部屋なので 予約の時に同じ「露天風呂付客室」ということで何気なく間違えて「蓬莱」って言って申し込んでたみたい 恥ずかしながら今まで平田館は特別な人しか泊まれないと勝手に思い込んでいたんだけどちゃんと部屋の名前で予約すれば泊まれるのを初めて知ったのよね それがとんでもない部屋でした 間取りがあったから載せてみるよ 2代目が住んでるとこの2倍以上あるなあ・・・ これはお部屋の玄関 写真の奥のほうの右が入口だけど この玄関スペースだけでも6畳以上あるわ もったいない なんだかパンフレットの写真みたいになっちゃってるけど全部2代目が撮ったものよそして「次の間」みたいな和室が!間取りでは6畳となってるけどどう見ても8畳はありそう 何に使うの? その奥が12畳のお座敷ね やたらに広すぎて落ち着かないさらに約8畳のリビングまであって応接セットが! 別にお客さんなんて来ないのに?聞いてみたら「蓬莱」は2~6名用の部屋なんだって 確かに合宿できそうな広さね お風呂はヒノキ造りの「半露天風呂」 お庭に向かって大きく解放されているのでいい風が入ってくるけど どうしても1階と違って圧迫感は避けられない やっぱり1階のお部屋のホントの露天岩風呂のほうが落ち着いてて好かったよなあ すぐ庭にも降りれて散歩できるしね 間違って予約してしまったことにちょっと後悔 ただし ありがたかったのは他の露天風呂付きのお部屋とお値段が大差なかったことね ネット予約だとそういうパッケージがあるみたいなのよ それに露天風呂付きの2階のお部屋は人気がないらしくて 観光シーズンでも空いてることが多いって これはラッキーだったかな せっかくなので 平田館専用の大浴場にも入ってきたよ 夜11時ころ行って30分ぐらいいたけど誰も入ってこないのよ ずっと貸し切り状態だったので写真撮っちゃいました ここで露天風呂に入れたので大満足です 翌朝 フロントに行くとやっぱり外国人の方たちがいっぱいでした みなさん満足そうです 泊り客の半分くらいは外国の方たちね 朝食はお庭が眺められるカウンター席で頂きました 和食と洋食が選べるけど外国の方たちは和食を選んでる人が多いよ 逆に2代目は洋食にしてみたわゆったりと街なかを歩きました では街の中の様子を写した写真を載せておきます とてもいい天気で温かかったので散歩も楽しめました 最初は城崎駅前ね 下は駅から温泉街へ向かうメインの通りです 飲食店やお土産屋さんが並んでいますが 時間帯によっては閑散としてる時もあるよ この時もお昼くらいで歩いてる人は少なかった 時間調整で入った駅前近くの喫茶店 ちょっとレトロな感じのいいお店だったな こんな雰囲気のお店があちこちにあるよ 温泉街の中は江戸情緒みたいな感覚になるわね どことなく倉敷なんかに似てるかな チェックアウトとチェックインの合間(11時から14時くらい)の時間帯は歩いてる人も少ないからのんびりしてます 次のは7つある「外湯」のうちの一つ「地蔵湯」ですね 以前は外湯巡りもやってみたけど3つくらい回るとさすがに湯あたりしてしまうのよ 行くとこ行くとこで脱いだり着たりもめんどくさくなる 2泊くらいしながらゆったり回らないとかえって体力失うわ 今は旅館のお風呂で十分満足してます 帰りにお土産を買って京都へ向かいました ということで予約間違いで最初は戸惑ったんだけど 今回は新しい世界を見た感じがしたよ でも2階の部屋はもういいわって・・・次回は間違えないように1階を選びます だいぶ前に来た時には掛布さんと同じ日に泊まったことがあるのよ でも一度も顔を合わせることがなかったのね 仲居さんの話では 掛布さんは「観月」という部屋に泊まってて何かテレビの旅番組の取材で来てたらしいのよ けっこう芸能人や有名人が来てるみたいだけど 複雑な間取りだし各部屋にお風呂があるし食事も部屋でとるからまず会えないみたい お忍びに最適かな?
2023年12月19日
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2代目のアイテム紹介💕 その52代目タイガース非公式サイトですこのカテゴリーでは2代目が手に入れたいろんなアイテムを紹介してます野球シーズンが始まってからタイガースの記事に追われて書けなかったから間が空いちゃったねぇ 4月25日に「スロークッカー」を掲載して以来 約8カ月ぶりの更新です!今回は第5回では、みなさん「アラジン」ていうメーカーをご存じ?1908年にシカゴで設立されたマントル・ランプ・カンパニー・オブ・アメリカという会社があるんだけど その子会社として1919年に設立されたのがアラジン・インダストリーでなのね 暖房器具や調理器具に定評のあるブランドで 灯油ストーブはアンティークとしても人気があるのよ現在は日本エー・アイ・シーがブランドの権利を譲り受け 登録商標などを保有し商品展開してるんだよ そのブランドのヒット商品が次の写真の「グラファイトヒーター」です ちょうど2年前の今頃 ジャパネットたかたで購入したのね(これまた通販!)これはジャパネットがアラジンと共同で出したジャパネット専用に製造されたAEHー2G10BJ(G)というモデルです 今年は12月になっても割と暖かくて出番が遅くなったけど 年末年始に備えてようやく引っ張り出してきました 特徴を紹介していくね最初は暖房器具としての能力なんだけど 凄いのはスイッチONすると0.2秒で発熱!まさに即暖ね 熱源はアラジンが特許を持ってる「遠赤グラファイト技術」が使われていて あっという間にポカポカなのよ 暖かさはダイアル式で300Wから1000Wまで50W刻みで切り替えができます 切タイマーは30分刻みで8時間まで選べるよ電気の使用量でも進歩してます元来電気ストーブ系はかなり電力使うんだけど このヒーターは省エネのために「ルームセンサー機能」(上の写真の真ん中上部のスイッチ)がついてて お部屋の温度に応じて自動的に出力調整もしてくれるから無駄なく快適さを保てますダルマ型と違って部屋全体を温かくするのには不利だけど 前方へは遠赤外線が2メートル以上先までしっかり届いて暖かくします 首振り機能や横向きにして広範囲を温める機能などが付いているのも嬉しいな 寒い朝の着替えなんかにはホント助かるわ ほかの特徴としては軽さもあるかな以前はトヨトミ製の同じような形の電気ヒーターを使ってましたが とても重くて移動が不便だったのね このアラジンは軽い!ひょいッと片手で持ち上げて隣の部屋や2階に持ってくのも簡単なのがありがたいよ 実はアラジン製品は他社のものと比べると高級品なのよね このヒーターは29980円だったかな かなりの奮発だったんだよでも機能や性能が優れているので満足度は高いの 2代目はほかにもオーブントースターとグリルヒーターを持ってるよ いずれ紹介していこうとおもってる どちらもグラファイト技術が使われてますホントはアンティークのダルマ型が欲しいんだけど古いものほど値打ちが出てきてるのよ 20年以上前のものだと7万~12万円になってるわ 現行モデルでも4万5千円くらいするんだなあ・・・ しかも今の2代目の住環境では灯油系はちょっと避けたいっていうのもあるのね でも欲しいんだよなあ・・・
2023年12月18日
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背番号17(その2)背番号17の第2回目です前回紹介した名セカンドだった白坂さんが8年着けたあと この番号は小刻みにいろんな人が着けてるのよね中には全く忘れられたというか 誰も知らない様な選手もいるよ 背番号の歴史にも浮き沈みというのがあるんだなと感じるよね大崎三男 投手(再掲)大崎についてはすでに背番号8-2で紹介している。1953(昭和28)年に明治大を中退してそのままタイガースに入った投手。入団から5年間「8」を着け、6年目の1956(昭和31)年の1年だけ「17」に変え、そのオフに近鉄へトレードされた。詳細は「タイガース背番号史 8の2 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」を参照。石川良照 投手石川は大阪府堺市生まれ。市立酒井工業高校時代はまったく実績がないが、タイガースの入団テストを受けて合格し、1955(昭和30)年に入団している。最初の背番号は「51」だった。今でいうなら育成選手のような存在。1年目2年目は二軍生活が続いたが3年目の1957(昭和32)年に一軍に抜擢されると53試合に登板している。その内訳は先発が20試合、リリーフが33試合で、高卒3年目ながらいきなり219回2/3を投げているこの3年目の成績13勝7敗、6完投3完封、防御率2.37という数字は21歳の選手として立派だろう。1958(昭和33)年から3年間は先発ローテーション投手として頑張ったが、6勝7敗、9勝9敗、4勝8敗と勝ち星が思うようについてこないのは、貧打の野手陣にも責任がある。というのもこの3年間の防御率は、2.71、2.71、2.95と2点台をキープしているからだ。 1959(昭和34)年に背番号を「17」に変更して3年間背負ったが、1962(昭和37)年に再び「51」にもどしている。1961(昭和36)年からブルペンに回ることが多くなり、急速に力が衰えてしまう。1963(昭和38)はわずか3試合の登板で0勝0敗、防御率も12.60という成績しか残せず引退に追い込まれた。通算成績は213試合32勝35敗362奪三振、728回1/3で自責点229、防御率2.83だった。32勝のうち7つの完封勝利が光る。伊奈 努 投手石川の次に「17」を背負った伊奈は愛知県御津町(現豊川市)の出身。豊川高校では左のエース級投手である一方で一塁手もこなし地区予選ベスト4が認められて、1953(昭和28)年に名古屋ドラゴンズへ入団し、プロ入り後は投手に専念する。1957(昭和32)年には36試合(うち先発19)に登板して12勝12敗・防御率2.67と活躍してオールスターにも出場。この年から登録名を「勉」から「努」に変えている。1959(昭和34)年には57試合(うち先発23)で267回を投げており、先発とリリーフでフル回転して16勝14敗・防御率2.53の好成績を挙げた。ドラゴンズには8年間在籍し46勝46敗453奪三振、800回2/3で自責点264、防御率2.97だった。この数字を見ると、安定感はあるが結局は勝ち負けの数がほぼ同じくらいの平均的な投手に見える。ケガなどもあって1960(昭和35)年は2勝5敗で防御率6.75と振るわず、オフにタイガースへトレードされてしまう。1961(昭和36)年、タイガースに移ると背番号「20」を着けるが、翌1962(昭和37)年には「17」に変えて2年間着けている。タイガース在籍の3年間で61試合に登板しており、そのうち31試合は先発だったことから、ローテーションの穴を埋める貴重な左投手と期待もされていたのだろう。しかし1年目が4勝9敗、2年目は3勝2敗、3年目は0勝5敗に終わっている。とても役目を果たせたとは言えない。この成績では引退もやむを得なかった。まとめ いやはや 名手白坂さんのあと雲行きが変わってきたような・・・大崎さんは2年連続20勝以上したこともあるんだけど「17」を着けたのは1年だけで8勝しかできなかったシーズンなのよ石川さんはテスト入団から2年間ファームで鍛えられて順調に成長しそうだったのに 活躍は1年限りでダメになっちゃったね 「17」は2年間しか着けてないし写真も見つからないわ伊奈さんも活躍したのはドラゴンズ時代で タイガースでは7勝16敗と散々だった この人も2年しか「17」を着けてないよ 写真はドラゴンズ時代のものね「17」の危機ね!このままダメな番号になっちゃっては困るよ 次回は少し落ち着いてくるかな?17の3へ続く
2023年12月17日
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観察し吸収するのが大事2代目タイガース非公式サイトですタイガースの面々が優勝旅行に行っちゃって話題が無いわ!手抜きになっちゃうんだけど 今日はデイリーさんの記事を丸ごと頂いて紹介しますね とても大事な話なのよ それに大竹さんのブレイクの秘密も隠されてる 実に中身のある他の選手たちが読むべき記事ね!12/16(土) 11:00配信 阪神・大竹 活躍の一因は「打者目線」セ移籍で分かった投手のすごさ 「エグい」バウアー、高橋宏、小笠原らから吸収ソフトバンクから阪神に現役ドラフトで移籍し、日本一に貢献した大竹耕太郎投手(28)。活躍の一因として、DH制のないセ球団に移り、打者目線で投手の球筋や配球を見られることが大きかったと常々、話している。打席に立った中で、どの投手のストレートが印象に残っているか?と聞いてみた。「中日の高橋君の真っすぐが速かった。あとは調子いい時の巨人・グリフィンかな。めっちゃ速い」。打者目線で感じた、高橋宏の直球の特質について明かす。 「高橋君の真っすぐはズドンって来る感じで。ソフトバンクの和田さんとかはスッとボールが来て、グイーンと伸びてくるストレートだけど、高橋君は手元の段階から速いストレートだよね」次に変化球については2人の投手の名前を挙げた。一人はヤクルト・清水の落ち球。「あのチェンジアップというかフォーク系のボールというか。あれ好きで、シンカーと言ってもいいくらいじゃないかな」と独特な変化に驚いていた。そして、次に挙げたのは、DeNA・バウアーのフォークだ。 「バウアーはカーブもすごいけど、フォークは本当に真っすぐだと思って振りに行く中で、途中でフォークだと気づくんだけど、本当にバッターのバットの軌道をスルッと抜けて落ちていく。ちょっとチェンジアップっぽいんですけど、きれいにストンって外される感じがエグい」 オールスターゲームでバウアーと変化球談議をする機会があり、スライダーのコツを教わるなど大竹は充実の時間を過ごしていた。 打席に入ることで、分かった配球の奥深さなどもある。 「パ・リーグで投げていた時は打者目線はなくて主観で投げていましたね。セ・リーグで打席に入ることで、どういう攻め方が気持ち悪いんだろうとか分かるようになった」中日・小笠原が長くボールを持って投球間隔に工夫を凝らしていることも打席で感じた点だ。交流戦でも打席に立つ機会はあれど、DH制がなく、多く打席に立つ機会があるセ・リーグだからこそ理解できたことは多くある。球界で活躍する投手たちに刺激を受けながら、来季も“奮投”する大竹の姿が楽しみだ。(デイリースポーツ・関谷文哉) 以上 丸々のせちゃいましたよ デイリーさんホントに許してね!
2023年12月16日
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名古屋発のカレー専門チェーン2代目タイガース非公式サイトです今回紹介するのは名古屋から全国に羽ばたいたカレー専門チェーン店「カレーハウスCoCo壱番屋」 略して「ココイチ」 皆さんご存じよね? 株式会社壱番屋が経営母体です始まりは創業者・宗次德二氏と直美氏が営んでいた喫茶店「バッカス」で出前のメニューとしてお届けしていたカレーライスなの このカレーの評判が好くて1978年1月に名古屋市郊外の西枇杷島町にカレー専門店として1号店をオープンします(次の写真が現在の1号店 新しく建て替えられてるけど場所は同じなのよ) 翌年にフランチャイズ本部と自社工場を建てて本格的に店舗展開を始め それから16年後の1994年には300店舗を達成するとともに全47都道府県への出店も成しとげてるんだよ!2023年現在ではなんと国内で1247店舗 売上922億円という大企業になっちゃいまいした しかも海外にも進出して12か国で208店舗を経営しているのよ 2代目が住んでる町だけでも3店舗あるよ 2020年にはカレーの本場のインドにも進出して 現地の人たちにも大好評で受け入れられてることにはびっくりね! 先代は若いころに1号店で食べたことがあるんだって 「味は今もほとんど変わってないぞ」って言ってるわ特長は自分好みをアレンジできること まずご飯の量 普通に頼むと300グラムで出されてきます でも150グラムから50グラム単位で900グラムまでお好みの量を希望できます 300グラムより増やすときは割り増し料があるけど減らす場合は減額もしてくれる(メニューには900グラム以上にも対応してくれるって書いてあるんだけど そんだけ食べる人ってある?ギャル曽根?) 次に辛さを選ぶんだけど 「普通」というのが基本にあって その下は「甘口」と言う1段階だけね 上は「1辛」に始まって「10」辛までは1つ刻み その上が「15辛」になってて 最後は飛び切り辛い「20辛」までです 「20辛」を食べてる人なんて見たことないけど 聞くところでは周りにいる人も湯気だけで眼が痛くなるような感じらしいよ 辛さを選んだら最後はトッピング 「肉類」「魚介類」「野菜類」「その他」という4つのジャンルがあって50種類以上の中から好きなものを選ぶことができます 近いうちに別の記事として紹介しようとおもってるけど「ココイチ」には姉妹店として「あんかけパスタのパスタ・デ・ココ」があるんだよ 盛り付けの仕方がすごく似ているから姉妹店だなってわかるよ お皿もそっくりね 向かって左が「パスタ・デ・ココ」右が「CoCo壱番屋」 お店に行ってみましょう ではいつも行くお店で食べてみるね 「岐阜瑞穂店」です ここは「ココイチ」と「パスタ・デ・ココ」が隣り合わせで並んで建ってます ドライブスルーもできるんだよ 「パスタ・デ・ココ」は次の機会で紹介します 今は 俳優の山田裕貴さんがアンバサダーになってるわね 名古屋の東邦高校野球部の出身だし お父さんは中日にドラフト4位で入り広島でもプレーした山田和利さんだから 名古屋には縁があるのよ では実際に注文してみるよ 注文は上の写真のタブレット端末で入力します ベースになるカレーを選び 次にご飯の量 カレーの辛さを選択するのね すると「トッピングは何にする?」って画面になるので 何か選ぶかスルーするかします 次に「セットは如何がしますか?」に移るからここでも選ぶかスルーするか選択 そして注文確定アイコンをタップで終了よ 最近はスープカレーも人気があるけど 10年くらい前には無かったような気がするなあ どんどんメニューは増えてるね 今回は冬メニューから季節にふさわしい「カキフライカレー」を注文してみたんだけど 普通の単品じゃ次の写真のように かなり殺風景なんだよね・・・ みなさんにお伝えするには物足りないので 2代目はトッピングとして「野菜」を選択 さらに「サラダセット」にして「ツナサラダ」を注文してみました さあ出てきましたよ!こんな感じ ご飯は通常の300グラムから100グラム減らして200グラムにしてます その分を野菜カレーで補ってる(でも野菜カレーの上にカキフライをトッピングしたように見えるのは2代目だけかな?) 辛さは「1辛」にしましたが それでもかなり汗かくんだよね 「5辛」くらいになると拷問に近くなってくるらしいよ メニューをよく見てみると 「5辛」って言ってもお店の設定したランクが5番目ということであって 「辛さ」という点では「1辛」の12倍なのよ!そうなると20辛食べる人なんているのかしら? 「1辛」の48倍よ! 次の図で確認してみてね 唐辛子の数が辛さを表してるから サラダのドレッシングは 和風 オリジナル ノンオイル の3種類があります 辛いのを頼むときはサラダセットにしておくと少しは和らぐわよ 30年近く前に全47都道府県を制覇してるわけだから みなさんのお住いの近くにも絶対あるはず!ぜひごひいきにね! 「5辛」くらいに挑戦して感想聞かせてほしいわ(2代目は怖くて食べれませんけど)
2023年12月15日
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背番号17(その1)背番号17の第1回目ですこの番号も球団創立時からある伝統の背番号ね 2023年に着けてるのは誰でしょう? はい青栁さんですね 入団からずっと「50」だったのを今年から「17」に変えたのねでは「17」とはどんな歴史があるか これから見ていくよ門前真佐人(もんぜんまさと) 捕手門前は広島の広陵中学(現広陵高校)出身。中学時代からスター選手で地元では藤村富美男率いる呉港中学と凌ぎを削って何度も甲子園出場を逃したが、1935(昭和10)年の選抜大会で初めて出場すると準優勝している。同年球団創設とともに契約選手第1号としてタイガースへ入団し、背番号17を着けた最初の選手となった。身長180センチを超える当時としては超大型捕手だ。強肩を持ち味にする門前だったが、タイガースの創成期には、小川年安、(カイザー)田中義雄、土井垣武など実力のある捕手が多く、なかなかレギュラーになれなかった。 2年目の1937(昭和12)年の春季に47試合に出ているものの打率が.217と低く、レギュラーになり切れずに終わっている。1939(昭和14)年には病気療養の田中に代わって91試合に出場してレギュラーになり、324打数84安打54打点5本塁打 打率.259と活躍する。翌1940(昭和15)年に応召されて2年間従軍し、この間は土井垣武にレギュラーの座を明け渡すことになる。しかし1942(昭和17)年に復帰すると、おもに一塁手として33試合に出場した。1943(昭和18)年はレギュラー捕手として79試合、1944(昭和19)年は31試合に出場している。 1945(昭和20)年は職業野球は中止となり、戦争も終盤を迎えてきたこともあってタイガースを退団し故郷の広島へ戻った。1946(昭和21)年、地元で創設された社会人チーム「鯉城園」に入って野球に復帰し、都市対抗本戦に出場している。1947(昭和22)年は国民リーグの結城ブレーブスでプレーし、1948(昭和23)年に金星スターズでようやくプロ野球に復帰した。1949(昭和24)年にはタイガースに復帰し、再び背番号「17」を着けたが、28試合70打数16安打13打点3本塁打で打率.229に終わり、シーズン終了後には2リーグ分裂に伴ってし新しく設立された大洋ホエールズへ移籍してしまう。大洋での1年目となった1950(昭和25)年、飛ぶボールが採用されたこともあって、128試合に出場して460打数129安打110打点25本塁打、打率.280という好成績を挙げ、史上3人目のサイクルヒットも記録するなど活躍している。これは門前のキャリアハイだった。翌年も97試合に出ているが大洋には2年間在籍しただけだった。1952(昭和27)年は元タイガースの監督で1950年から広島カープの監督に就任している石本秀一の誘いで広島に移籍している。広島に移ると4年連続で100試合以上に出場し、1956(昭和31)年のシーズンを最後に引退した。戦争を挟んでプロ復帰まで苦労しているが、非常に息の長い選手で39歳までプレーしたことになる。広島でもスター選手だった。引退後は広島に残り、ヘッドコーチ、二軍監督を経て、1961(昭和36)年に一軍監督に就任、2年間務めて退団している。通算成績は1203試合3761打数892安打543打点80本塁打50盗塁、打率.237である。戦争で5年のブランクがある割に立派な成績を残したと言えるだろう。渡辺誠太郎 投手・内野手渡辺は秋田県秋田市出身。1941(昭和16)年に大阪タイガースに入団しており、最初の背番号は「23」だった。この人も門前と同様に身長182センチという大型選手だ。次の写真を見てもスラリとして背が高そうなのがわかる。 入団1年目は1試合登板しただけ。2年目の1942(昭和17)年には11試合に投げているが1勝1敗。1943(昭和18)年は4試合投げたところで応召され、終戦まで従軍している。1946年にタイガースへ復帰し背番号「17」を着けた。この年は投手として32試合に登板しそのうち先発が19試合、10勝12敗で防御率3.64の数字を残すとともに、打者としては80試合で250打数72安打33打点2本塁打と活躍し打率も.288と活躍している。ところが1947(昭和22)年は、21試合5勝4敗、防御率3.45に終わっており、起用法に不満を抱いて退団、大陽(のち大洋ホエールズ)に移籍してしまう。 1948(昭和23)年から1951(昭和26)年まで大陽(~大洋)に4年間在籍したのち引退する。この間おもに投手として4年通算で14勝15敗だった。 プロ生活通算では149試合30勝34敗、637回を投げて自責点268、防御率は3.79である。また打撃成績は219試合449打数113安打47打点3本塁打で打率.252だった。 ちなみに渡辺は、1946(昭和21)年7月26日に記録された試合時間わずか55分という日本プロ野球最短試合(大阪タイガース対パシフィック・西宮球場)の先発として88球で5安打完封勝利を飾っている。白坂長栄 内野手背番号「17」は、渡辺が大陽に移籍した翌年の1948(昭和23)年は1年間空き番となった。1949(昭和24)年には復帰した門前が再び着けたが1年で広島に移籍。1950(昭和25)年から受け継いだのが白坂長栄である。白坂は岩手県一戸町の出身。旧制福岡中学から先代鉄道局に進み遊撃手としてプレーし、応召されたのち盛岡管理局に復帰して社会人として活躍する。1947(昭和22)年には全国鉄道大会で優勝、都市対抗にも出場し名前を知られるようになる。1948(昭和23)年、タイガースの若林忠志監督が札幌遠征の途中に盛岡へ立ち寄って熱心に説得し、シーズン途中での入団が決まる。この年に着けた背番号は「27」だった。ただしこの年は1試合しか一軍での出場はない。 1949(昭和24)年、背番号を「26」に変え、遊撃手として73試合182打数39安打12打点の成績を残す。なお、この年には投手として8試合の登板記録があるが0勝2敗だった。3年目の1950(昭和25)年に、前出の渡部の移籍後1年間空き番だった背番号「17」を引き継いで139試合に出場しており、この年から3年間ショートのレギュラー選手になっている。1953(昭和28)年に吉田義男が入団してきたためセカンドにコンバートされるが、ここでも守備については一流で、吉田との二遊間コンビは息もあっており鉄壁と言われるほどだった。次の写真は向かって左が白坂、右は吉田である。 1950年から1957(昭和32)年まで8年連続100試合以上に出場しており、打撃より守備でチームを支えている。ただし、飛ぶボールが採用された1950年には生涯唯一の二けた18本塁打を記録したことがある。1958(昭和33)年には背番号を「1」に変えている。この年はのちに名手と呼ばれる鎌田実がショートからセカンドにコンバートされてくると、これに譲る形で出場が急激に減って、翌1959(昭和34)年は一軍の試合に出ることなく引退している。引退後はタイガースでスコアラーを務めたのち二軍監督も歴任した。まとめ 門前さんはなかなかの名選手!長身の大型捕手で晩年までレギュラー選手として活躍してるわね 厳しいポジションである捕手で39歳まで頑張ったのは当時では珍しいんだって 渡辺さんはタイガースでの起用法に不満を持って出て行っちゃったけど 大洋でもあまりぱっとしなかったみたいね 残っている数字を見ると打者としての才能のほうがあったんじゃないかって感じがするから そもそも原点での選択ミスだったかもしれないよ 白坂さんは伝説的な守備の名手 バッティングは非力で主に2番か下位を打ってたようだけど 守備の上手さからオールスターに4回選ばれてるんだよ17の2へ続く
2023年12月14日
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希望の星が揃って入団会見!2代目タイガース非公式サイトです2023年12月11日 新人選手の入団会見がありました 育成枠を含また8選手が一堂に会見したんだね 明日のタイガースを背負ってくれる選手たちに まずはおめでとうってお祝いの言葉を送りたいとおもいます!みんな目標でっかく持って頑張ってね! 写真はすべて「タイガース球団公式サイト」から拝借してしまいました 許して💦岡田監督のあいさつ今年はピッチャーを中心に多く指名させてもらったのですが、即戦力というか、高校生は内野手の方なんですが、一日も早く日本一のメンバーに加わって欲しい、そういう気持ちでいっぱいです。ファームスタートにはなると思うんですけど、若い選手と一緒に練習して、早くチームになじんで、先輩から学ぶものもたくさんあると思うんで、あんまり焦らずに、いい意味で近い将来では期待してます。タイガースではマスコミに好かれることと、あまりマスコミにいらんことを言わないこと。先輩からも愛される選手であり、これは当然それがねファンからも愛される選手になると思うので、本当にたくさんの人に応援してもらえるようなね。野球選手なんで技術もそうですけど、そういう性格というか、ちゃんとその辺はわきまえて、みんなに愛される選手になって欲しいと。なんだか穏やかなお話で「いつもの監督とちゃうわ」と感じるけど こんなんはこの「晴れの日」だけよ! やっぱり厳しい競争世界だから自分に対して甘くならないことね下村海翔選手 ドラフト1位 背番号19いずれは阪神の19番は下村って言ってもらえるような選手を目指して頑張りたいと思います。ストライクゾーンの中でどんどん勝負していく強みのピッチングです。自分を見失わずに、まずは1年間しっかり怪我なくシーズンを終えるというところを目標にやっていきたいと思ってます。自分はそこまで身長が大きくないので、自分と同じぐらいの身長で不安とかを抱えてる小さい子どもたちに、自分が活躍することによって勇気や希望を与えられると思うので、そういう選手を目指して頑張りたいです。意外に謙虚なところがあるかなって印象をもったなあ 19番と言えば小林繁さんや中西清起さん藤波投手なんかも着けた番号 本人の言うように19と言えば下村ってなってほしい椎葉剛選手 ドラフト2巡目 背番号26セールスポイントは力強いストレート。まず、開幕一軍を目指して、怪我なくシーズン通して戦いたいと思っています。 タイガースの絶対的守護神になれるよう頑張りたい。目標は藤川球児選手です。阪神タイガースの勝利に貢献できるよう頑張ります。応援よろしくお願いします。 この選手はかなり早く出てきそうな気がするんだけど 今のタイガースはブルペン陣が豊富だから厳しいかな 遠慮なく食い込んでいってほしいな!山田脩也選手 ドラフト3巡目 背番号52縦縞のユニフォームを着てすごく新鮮というか、これから頑張ろうという風に思っています。セールスポイントはスピードを活かした守備力。目標とする選手はヤクルトスワローズの山田哲人選手です。 甲子園では高校時代約14回試合をさせていただいて、本当に何回行っても素晴らしい球場だと思っていますし、これから自分の本拠地として野球ができるので本当に嬉しく思います。まずはしっかり体を作って経験を積んで早く一軍に上がってレギュラーを獲れるように頑張っていきたいと思います。高校から入った遊撃手 次の百崎君もそうだよね しかもタイガースのショートは激しいポジション争いの末 今年は木浪さんがレギュラーをつかみ取ったばかり 簡単には譲ってくれないから 5年先を目標にするくらいでじっくり基礎を作っていくことね百﨑蒼生選手 ドラフト4巡目 背番号56プロ野球という舞台での縦縞はずっと憧れていましたし、すごく今うれしく思っています。リストを生かした強いバッティング。広角に強い当たりが打てるというところが持ち味なので、そこをどんどん発揮していきたいなと思ってます。読売ジャイアンツの坂本勇人選手のような基本に忠実な守備と力強いバッティング、ホームランも打ってますし、そのような選手になっていきたいなと思っています。 1年目は体づくりが一番大事になってくると思うので、まずは焦ることなくしっかり体を作ったり、いろんな投手の球を見て経験を積んでいきたいなというふうに思っています。 この選手も高校からはいった遊撃手なのよね 今の内野陣は若いからやっぱり食い込んでいくにしても時間かかるとおもう まず本人が言うようにプロでやれる体作りからだね石黒佑弥選手 ドラフト5巡目 背番号63キレのあるストレートとカットボールがうりです。目標としているのは村上頌樹投手です。自分も同じタイプなので目標としております。 対戦してみたい選手は岡本和真選手です。球界を代表する打者なので対戦を楽しみにしております。その時代、その年代の代表となれる投手になりたいです。2代目はこの選手はよく知らないんだけど 高校からの入団だから焦らずやってほしい 山田君が目標にしてる村上投手はプロ初勝利が今年 25歳だよ そういう意味では急ぐ必要はないとおもうわ津田淳哉選手 ドラフト6巡目 背番号66 小さい頃からテレビや甲子園の観客席から見ていた憧れのユニフォームなので、嬉しい気持ちとすごく引き締まる気持ちです。持ち味は強い真っすぐと緩いカーブを上手く使って緩急をつけながら抑えていくところです。金子千尋さんのようなボールを操って抑えていく姿はとてもかっこよかったので目標にしています。同じ奈良県出身で日本を代表するようなバッターの岡本和真選手と対戦したいです。まずは開幕一軍を目標に1年間一軍で投げられるように頑張りたいです。 この選手は大学に入ってから大きく成長してるのね 大卒は3年というのが目標になるかな?村上投手も3年目にブレイクしたから とにかく今の一軍投手陣に食い込んでいくのは大変 本人が理想とする「緩急」はいろんな人から多くを吸収しないといけないよ! 今日はどこで書いてるかっていうと この前紹介した「ビリオン珈琲店」なのよ ここはWiFi完備だしコンセントもあちこちにあって使わせてくれるわ ウィークデーの午後は凄くお客さんがばらけてるから 落ち着いてパソコン作業できます ビリオンさんありがとう!
2023年12月13日
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12月恒例のお店!2代目タイガース非公式サイトです2023年12月12日 クリスマスには少し早いけど ラ・ベットラ・ダ・オチアイ名古屋店へランチに行きました お気に入りのお店で特に毎年12月には必ず行くんだよ最初にお店についてちょっと解説するよ『ラ・ベットラ』はイタリア料理界で有名な落合務シェフが手掛けるレストランなのね 「予約が取れないレストラン」としてその道では有名です この愛知県名古屋市にある『ラ・ベットラ・ダ・オチアイ ナゴヤ』は、東京以外に店を構える唯一の存在なのです 落合シェフの写真 見たことある顔でしょ! 落合シェフは東京にいてたまにしか来れないから このお店の責任料理長は辻本達哉さんです この方も腕は一流です予約が取れないってのはちょっと大げさなんだけど じゃあ思った日に簡単に取れるかというとそうは言えないかな 今回も1か月前に予約しました 夜のディナーだと希望の日に取ろうとしてもかなり厳しいよ クリスマスイブなんかはあきらめてる名古屋市でも中心地からちょっと東へ行ったところで 再開発されたマンション街区の中にあるんだよ では外観を見てみるねオリーブの木が何本もあって いっぱい実がなってました これをお料理に使ってるのかと聞いてみると 「使おうと試してみたけど食用に適さない種類で不味くて・・・」とのこと 景観用なのね でも実を5つもらってきたよ ちょっと種を植えてみようかなと 「運が好ければ芽がが出てくるかも」ですって!今回はラッキーなことに 予約順で1~3番までが入れる個室になった部屋に通してくれました 普通は10人程度の会食などに使う部屋なんだけど そういう予約がなくて空いてるときは入れてくれるのよ 予約が1番だったみたいで一番奥 とても落ち着く空間ですこの日頂いたランチは3980円 オードブル・パスタ・メインディッシュはそれぞれ8種類くらいから好きなものを選びます 今回2代目が選んだものは次の通りまずオードブルは「鶏白レバームース」鶏レバーを裏ごしして味付けしたまったりとしたムースです 鶏のレバーは香りに癖があるから鶏嫌いの方にはあえてお奨めしませんが 2代目は気に入ってますパスタは「サーモンのクリームソーススパゲッティ」かなり細めのパスタにクリームソースを絡めたものです ソースにはスモークサーモン キノコ類 ホウレンソウや香味野菜などが入ってるよ クリームソースはとろみが少なく あっさりと塩味が効いてますねメインは「ローストビーフとマッシュポテト」ローストビーフは薄切りなんだけど かなり大きいので腹持ち好いわよ マッシュポテトは裏ごししてあるからものすごくなめらか!ポテト感はないけど別ものとおもって食べればお味は秀逸だわデザートや飲み物は別途注文になるから 食前に「パインジュース」を選択 100パーセント果汁でとてもすっきりしてます(いつも車で行くからアルコール類は飲まないの ディナーのときはノンアルビールね)食後は「オチアイ特性プリン」とブレンドコーヒーで締めました 四角いからプリンに見えないって? でもプリンなのよ カラメルが凄く香ばしい! 写真を見てもらうと 全体に量が少ないように感じる? でもおなか一杯になるよ 特に最後のプリンはかなり大きいし 固めの木綿豆腐をまったりさせたような食感で食べ甲斐あるわよ! 最初に書いたように 東京以外では名古屋にしかないから 車で40分くらいで行ける2代目にとってラッキーなお店なの 駐車場は近くのコインパーキングなんだけど2時間分の割引券くれるから無料だしね 年に4~5回行くんだよ まだ行ったことない方は一度体験してみてね 絶対お奨めだから!
2023年12月13日
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飛ばしちゃってごめん!2代目タイガース非公式サイトです 2023年12月10日に更改した選手が先になってしまってすみません それに先駆けて2023年12月7日 佐藤輝明選手が6500万円増の推定年俸1億5000万円でサインしてるよ!テル君に対して岡田監督は昨年の秋季キャンプから辛辣だったよね 「入団した時が一番良かった。本人の自覚で変えんとな。しっかり練習できなアカンよ」 というのが最初の評価 そしてシーズンに入ってからもスタメン落ちや二軍降格まで命じられたわそれでも最後は「もうちょっと確実性があればええけどな。まあでもなあ。曲がりなりにも精いっぱいやっとるからな」と奮闘を認める表現もでてきました 今シーズンは132試合に出場し打率2割6分3厘 24本塁打 92打点をマークしたんだけど 打点は前を打つ選手たちの貢献もあってのこと ファンとしてはホームラン30発は望みたいわ 2割8分台まで打率が上がると可能性あるよ!佐藤選手のコメント今季を振り返って「着実に成長していると思いますし、内容もなかなか1年目2年目と比べれば成長しているなと感じるので、しっかりもっと成長していけるようにやっていきたいなと思います」ファンへのメッセージを求められると「この流れでアレンパ言うの恥ずかしい(笑)、来年も勝てるようにいきたいと思います。アレンパします!」と締めくくりました来季こそ30発越えで4番の座を狙え!
2023年12月12日
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環境変わって大ブレイク!2代目タイガース非公式サイトです2023年12月10日 大竹耕太郎投手(28)が4700万円アップの6700万円でサインしたよ!契約更改後の会見では結婚していたことを公表!ホントに素晴らしい1年だったみたいね2017年の育成ドラフト4位でソフトバンクに入団して1年目の2018年に支配下に昇格したんだけど登板のチャンスは少なくて 5年間で35試合10勝9敗1Hとくすぶってました そこに現役ドラフトという光明が差し込み タイガースに来た途端に21試合12勝2敗 防御率2.26という大飛躍です 大竹投手のコメント「雲1つない感じですか、快晴です」と“心の天気”を表現 「個人としては今年の成績に満足せずにキャリアハイを更新したいし、『アレンパ』を是が非でもできるように。その大きなパーツとして責任を持ってやりたい」と結婚を機に さらなる飛躍を誓っています結婚に関しては「今日この場をお借りして発表するのですが、結婚することにしたので、新しく家庭を持つことにしたので、妻に還元できればと思います」と明かし 「日頃から食事だったり、共働きではありますけど、高め合う気持ちでやっています」と幸せいっぱいの笑顔を見せました2年続けてこそ本物 来季も二けた勝ってね!
2023年12月12日
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早打ちやめて好結果!2代目タイガース非公式サイトです2023年12月10日 中野拓夢内野手が8000万円増の推定1億5000万円でサインしたよ!今季は幸先よくWBCで優勝を経験したのも糧になったかな?今シーズンは監督に言われて早いカウントから打ちにいくのをやめ じっくりボールを見て四球が2022年の18個から57個へと飛躍的に増えたよね つなぎ役の2番打者としての働きを十分果たしたと言えるんじゃない? しかも厳しい争いの中で最多安打タイトルを取ったことや 目立たないけど21犠打も立派な貢献よ! 中野選手のコメント「(WBC)世界一、リーグ優勝、日本一と本当にいい1年。ご褒美という意味でも、その記念に時計を買いたい」WBCを共に戦った大谷選手に話が及ぶと1014億円契約の報道には「なんだろう、この金額は・・・とお金に目が行きました」とビックリWBC大会中は「(大谷が決勝前のミーティングで)『憧れるのはやめましょう』と言っていましたが、正直、(大谷を)憧れながら見ていました」と本音を明かし笑みをこぼしました 来季目標は初の打率3割越えだよ!
2023年12月12日
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巨人キラーは高評価!2代目タイガース非公式サイトです2023年12月10日 伊藤将司投手(27)が倍増の1億6000万円で契約更改したよ!今シーズンは肩の故障で1か月出遅れたけど 最後はプロ入り初めて規定投球回数もクリアして21試合10勝5敗にまとめ 防御率2.39も素晴らしい数字よね 3完投2完封はエースの風格十分の成績だった何といっても伊藤さんは巨人戦に強いのが魅力なのよ 1年目は1勝3敗だったけど 2年目は1完封を含む3勝0敗 3年目の今シーズンも1完封を含む2勝1敗 最後9月20日の試合も好投したけど勝ち星が付かなくて惜しかった 伊藤投手のコメント 「やっぱりイニングをたくさん投げれたので、そこでまた野手の皆さんが勝たしてくれることもあったので。2桁いったと思います」と誇らしげに分析しました また、連覇がかかる来季へむけて「最多勝取れるように頑張っていきたい。その中で15勝とれるよう」 来季も巨人を捻じ伏せてください!
2023年12月11日
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惜しくも3億円届かず?2代目タイガース非公式サイトです2023年12月10日 大山悠輔内野手が契約更改し 推定2億8千万円で契約更改したよ!もうちょっとで3億円だったけど次のお楽しみにってことね 4番打者として全143試合に出場し 打率.288 19本塁打 78打点 リーグトップの99四球、出塁率.403で 打線の流れを切らさない貢献度は抜群だった会見ではニコニコだったみたいだけどこれで満足しちゃだめよ 甲子園を本拠にする右の大砲として ファンはホームランも期待してるのね たとえばDeNAの牧さんくらい・・・25~30本が観たいのよ 今季もしも25本 80打点越えだったら3億の大台だったんじゃないかっておもう 来季はそこをクリアしてほしいな来シーズン中に国内フリーエージェントの権利を取得することをにらんで 球団側は複数年規約を提案したそうだけど 大山さんはこれを蹴って単年契約になりました大山選手のコメント「本当にいい条件を提示してもらいましたけど、来年も単年で勝負させてもらう。(FA権は)取得してから考えたい。連覇することしか考えていないので」と球団からの最大限の評価に感謝しながら来季への強い思いを口にしました来季も頼れる4番でいてね!💕
2023年12月11日
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今季700万円だったの?2代目タイガース非公式サイトです2023年12月10日 村上頌樹投手が契約更改し 推定6700万円で契約更改したよ!でも今年700万円だったって聞いて驚きでしたね 潜在能力があっても一軍で数字を残さない限り年俸は上がらないんだなあって実感ですプロ入り3年目となった今シーズンの開幕前までは、一軍登板はルーキーイヤーの2試合のみなのよ 今年はプロ未勝利からスタートしたわけなんだけど 22試合に登板して10勝6敗1ホールド 防御率1・75で最優秀防御率のタイトルを獲得しますさらにはセ・リーグ史上初となる新人王&MVPのW受賞して 日本シリーズでは一番緊張する第1戦の先発を任されるほどになりました ホント凄いわ村上様のコメント「球団からは一年間お疲れ様と、日本一ありがとうと言われました。充実した一年でしたし、目標としていた防御率のタイトルを取れたのが一番うれしい」と笑顔この日は大谷翔平投手がドジャースに10年7億ドル(約1015億円)と移籍することが決まった日で その話題には「自分もその額言おうと思ったんですけど、やめときました(笑)。大きすぎました」と笑いを誘いました来シーズンは15勝くらい目指してください💕
2023年12月11日
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背番号16(その5)背番号16の最終回です 今回最後の3人を掲載しますが その1人目が酒井さんなんだけど 多分ほとんどの方が覚えていないんじゃないかとおもう 着けてたのは1年だけだし一軍登録もなかったしね2人目の人は 今(2023年)一軍のピッチングコーチしてるよ そして現在着けてるのが西勇輝投手ね酒井弘樹 投手酒井は千葉県柏市出身で高校は関東一高。国学院大学に進み1992(平成4)年の2部リーグではMVPの活躍でチームを1部リーグへ押し上げた。東都リーグでは13勝を挙げた。1993(平成5)年のドラフト会議で近鉄バファローズに逆指名1位で入団している。ルーキーイヤーの1994(平成6)年から一軍で投げており、この年1勝ながらも初勝利を記録。2年目の1995(平成7)年には32試合で4勝5敗1セーブと戦力なってきている。1996(平成8)年には先発ローテーションに入り、26試合に先発したが8勝15敗と大きく負け越している。酒井は力投するタイプで制球に安定を欠き、投げてみないとわからないという計算しづらい投手だった。この年も2つの無四球試合を記録する一方でシーズン17暴投(リーグ最多)と荒れる場面も目立った。1997(平成9)年から2000(平成12)年までは、1勝、6勝、0勝、1勝と振るわず、2000年オフに交換トレードでタイガースに移り、タイガース側の交換要員だった山崎一玄の着けていた「16」を継承する。 しかし、タイガースに移った2001(平成13)年はそれほど期待されていた様子もなく、まったく一軍に上がらないまま過ごし、オフには戦力外とされて自由契約選手となっている。翌2002(平成14)年は台湾プロ野球の金剛に入団したが、シーズン中に戦力外となり、帰国してオフにはトライアウトも受けてみたもののどこからも声はかからず引退した。安藤優也 投手大分県雄城台高校の出身だが、高校時代は県ベスト8が最高で、全国的には無名の選手だった。法政大学に進むが故障が多く、満足に投げたシーズンがない。大学通算も7勝4敗という目立たない成績に終わっている。一次は硬式野球をあきらめ、地元の銀行への就職も内定し、社会人として軟式野球に転じる気になっていた。しかし思い直してトヨタ自動車へ入社したことが転機となる。故障も癒えて2000(平成12)年、2001(平成13)年と都市対抗野球本戦に出場し、ワールドカップ代表やアテネ五輪代表にも選出されるなど、最速150キロの本格右腕として急速に評価が高まっていく。 2001年のドラフト会議では自由獲得枠でタイガースに入団。背番号「16」を受け継ぎ、引退まで16年間着けることになる。1年目の2002(平成14)年は星野監督が就任した年で、4月14日の横浜戦で8回無失点、見事なプロ初勝利を挙げる。しかし、投球が単調で球種も少なく、シーズンを通しては3勝5敗で防御率3.77と平凡以下の内容で終わった。2003(平成15)年、星野監督による配置転換が行われ、一度も先発はなくリリーフ専門として51試合に登板、5勝2敗5セーブ防御率1.62とリーグ優勝に貢献する。 つづく2004(平成16)年、新たに就任した岡田監督も引きつづきリリーフ専門で起用、57試合5勝8敗5セーブの成績だったが、防御率は3.58と下がってしまった。2005(平成17)年、岡田監督は藤川球児をリリーフに回し、安藤を先発に戻すという配置転換を行った。ローテーション入りした安藤は監督の期待に応え、23試合に先発、11勝5敗、146回を投げて自責点55、防御率3.39の成績を残し、最高勝率のタイトルを獲得している。翌2006(平成18)年も20試合に先発し、10勝3敗、防御率3.35と2年続けて二けた勝利を挙げ、内容にも安定感があった。2007(平成19)年には春季キャンプで足を痛め、その後肩痛も発症して2勝3敗と低迷したが、翌2008(平成20)年は13勝9敗、防御率3.20と復活する。 ところがその2009(平成21)年に8勝12敗と負け越すと 翌年から2012(平成24)年までの3年間は2勝・0勝・3勝と勝ち星が上がらない 主に先発投手として投げているが、成績は低迷してしまう。 2013(平成25)年から中継ぎに配置転換されると、4勝2敗1セーブ23ホールドと結果を出し再ブレイク。2016(平成28)年までの4年間は毎年50試合以上に登板し、計72ホールドを記録する。チームの最年長選手となった2017(平成29)年、チームの若手起用方針のためファームスタートとなり 好投はするものの夏になっても一軍からのお呼びはかからず、9月5日ウェスタン中日戦で1イニングを投げたが4失点し限界を実感、9月12日に現役引退を表明した。10月10日、中日とのシーズン最終戦が引退試合となり、公式戦で最後となる1イニングを投げたが石川にホームランを打たれている。通算成績は486試合77勝66敗11セーブ76ホールド、四死球350 奪三振822 1121回を投げ自責点444で防御率は3.56だった。 引退後は球団に残り、2018(平成30)年から2020(令和2)年まで二軍投手育成コーチ、2021(令和3)年から2年間は二軍投手コーチとして湯浅、村上、才木、浜地といった若手投手たちを鍛えている。2023(令和5)年から一軍投手コーチとなり、18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本選手権制覇に、自らが育ててきた投手陣を率いて貢献した。西 勇輝 投手背番号「16」は、安藤の引退した翌年の2018(平成30)年には空き番となっている。そして2019(令和元)年からこの番号を受け継いだのが西勇輝だ。三重県菰野町出身で県立菰野高校では2年時からエースとなり、3年時には夏の選手権で甲子園の土を踏む。結果は1回戦敗退だったが評価は高かった。2008(平成20)年のドラフト会議ではオリックスから3位指名を受け入団する。ルーキーの2009(平成23)年の9月に早くも一軍に昇格し、3試合に登板している。勝敗とは関係なかったが、4イニングで打者13人に対して被安打0、2奪三振と内容は好く、将来が期待された。 2年目の2010(平成22)年は19試合に登板しているが18試合はリリーフ。31回2/3で31奪三振と能力の高さを見せている。3年目の2011(平成23)年にはローテーション投手として10勝を挙げ、チームの中心的存在になる。この年を含めて2018(平成30)年までの8年間で、二けた勝利を5回記録している。西はオリックス在籍10年間で74勝65敗の成績を残し、2018年のオフに国内FA権を行使する。タイガースのほかソフトバンク、DeNAが名乗りを上げて交渉に臨み、12月7日にタイガース入団が発表された。契約は4年10億円と推定された。 2019(令和元)年は援護がない中でチームトップの10勝8敗の成績で、9月には月間MVPも獲得している。2020(令和2)年は開幕投手に抜擢されるなどチーム投手陣の柱となり、11勝5敗、防御率2.26という好成績を挙げた。2021(令和3)年6勝9敗、2022(令和4)年9勝9敗、2023(令和5)年8勝5敗と二けた勝利からは遠ざかったものの要所での投球術は健在で、リーグ優勝、日本選手権制覇にも貢献した。まとめ 酒井さんははっきり言って在籍てしたのかどうか印象すらないわよね タイガースファンにとって知らないうちに来て知らないうちに出ていったって感じ 実績を見ると能力はあったんだけど出し切れずに終わってしまった投手と言えるかな?それでも写真残ってたよ! なんといってもドラフト1位でプロ入りしてるから移籍時には多少は期待されてたのかな? 結局ダメだったけど・・・ 安藤さんは好く貢献してくれた投手よね 剛腕という触れ込みだったけど そのイメージになったのはリリーフに回ってフォークボールを磨いてからかな 福原さんへつなぐセットアッパーとして大活躍だった印象が強いわね現役の西勇輝さんは一言で好投手!矢野監督時代の先発投手陣の中心として活躍してくれました 今年はもう一つ調子が上がらなかったけど 8勝を挙げてリーグ優勝や日本一にも貢献してくれたわ この投手はクイックや牽制それにフィールディングとどれをとってもそつがないのよこれで背番号「16」は終わりです 歴代13人が着けてるけど この背番号は比較的人数が少ないよね 三宅秀史さんが14年 上田次朗さんが10年 岡田彰布さんが14年 安藤優也さんが16年など 長く着けた人が多いからなのね次の「17」はどうでしょう?お楽しみに待っててね背番号17へ続く
2023年12月10日
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近本選手が阪神最速の3億円超え!2代目タイガース非公式サイトです2023年12月9日 契約更改交渉に臨んだ近本光司選手が 1億5千万円増の推定3億2千万円で一発サインしました 6年目の外野手としては史上最速だそうです!交渉を終えた近本さんは 「ありがとうございますって感じです。野球の話は「5分くらいだった。あとはチームの話に終始した」「目標は、連覇したいですっていうのは今しか言えないので、球団とも話をして、ぜひやってほしいと。できると思うって言われたので。そういったところをね、僕たち選手が個々の能力をもう少し上げて発揮できるようにしないと難しいと思うので。個々の能力をもう少し上げて、頑張って勝ちたいと思います」などと語ってる 早くも気持ちは来季に向いてて頼もしいよね今年は骨折もあったりでヒヤヒヤさせられた時期も乗り越えてくれて 129試合で打率.285 8本塁打 54打点 盗塁28は2年連続4度目の盗塁王だし 83得点は岡本和(巨人)と並んでリーグ最多 さらには67四球、12三塁打、出塁率・379はいずれもキャリアハイなのね日本シリーズでは29打数14安打で驚異的な打率.483を記録して日本一へチームを引っ張りMVPになりました! ホントに素晴らしい1年だったとおもう 今年は8番の木浪さんも好調だったから 近本さんはチャンスメーカーだけでなく ポイントゲッターの役割も果たしてた 盗塁数は物足りない気がするけど それ以上に打点も多かったから貢献度はすごく高いよ!来季は怪我無く活躍してくれるよう祈ってるよ!
2023年12月10日
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プロ野球は公務員じゃない!2代目タイガース非公式サイトですみなさんの周りでも 成り立ちはよくわからないのに習慣的にやってることってあるんじゃない? 「無駄じゃないかなあ・・・」とおもっていても 「ずっとやってるから」と言う理由で続けられてるようなことよ こういうのを「前例踏襲主義」って言うみたいね とくにお役所なんかはこれが考え方の基本になってるし 法曹界もそうね 「判例」ができるとそれがスタンダードになって以降はその判例に従う判決ばかりになっちゃうのよまたまた岡田改革2023年12月7日05:00配信阪神岡田彰布監督(65)が6日、ケガの予防を目的に新入団選手による体力測定の一部メニューの廃止を促したことを明かした。毎年新入団発表会見前の12月に実施しているが、「まあ去年の森下みたいに(スタートで)遅れんようにな。つまらんケガしてなあ。あれ(チームに)『やめ』言うたよ」と説明した。今回指摘した「あれ」は短距離ダッシュのタイムを測る種目。昨年に森下は同種目で右足の肉離れを発症し、1月の新人合同自主トレは別メニュー調整。2月の春季キャンプの2軍スタートを余儀なくされた。「(森下が)ええタイム出えへんかったから『もう1本』言うてやったんやろ? 結局は。そんなんお前、タイムなんてええて。そんなんで(1軍か2軍かを)判断するんちゃうからのお」。シーズンオフで体調も万全ではない12月。そんな時節に“本気”を求めるのは、故障を招くもとになると指摘した。例年、ルーキーたちには球団トレーナーからプロ入りへ向けたトレーニングメニューが配布されている。指揮官は「それで体力というか、体づくりだけはちゃんとやって、それでええんよ。そんな(新人合同自主トレの)初日からバンバンやるわけじゃないんやからのお。徐々にやっていったらええんやから」。本来なら森下も2月1日を1軍で迎えられていただけに、リスクを伴う瞬発系種目は岡田改革で除外する。気が付いたら即やめる決断が大事 森下君は 昨年の12月11日に行われた新人体力測定で肉離れを起こしたようなのね その後完治しないまま自主トレで無理をして悪化させて出遅れてしまったのよ こういうのは ずっと慣例としてやってきてるから 「必要かどうか」とか「弊害はないか」なんて誰も考えなくなってしまってるのね たしかに 新入団選手が50メートル走や垂直飛びでいい記録出したところで どれくらいの意味を持ってるかと言われたら大した意味はないし それで怪我でもしたら馬鹿馬鹿しいって誰でもわかることだけど 当事者になると例年やってきてることなので「普通のこと」なのよ 岡田監督は他球団や評論家経験を経て外からの目線も持ってるから気が付いたのかな しかもすぐにやめさせるところが流石だわ! この調子で監督にはチームの粗探ししてもらって どんどん改革していったらいいのよ 少しでもリスクは減らしていかなきゃなね!公務員的な考えは駄目よ!
2023年12月09日
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馬場皐輔投手を放出!2代目タイガース非公式サイトですう~ん・・・これは意外だったよねえ12月5日のブログで 2代目は馬場投手のリスト入りを否定してたんだけど出しちゃったんだね2017年に仙台大学からドラフト1位で入団して 投手のエースナンバーと言われる「18」を着けました 1年目2年目はそれぞれ2試合しかチャンスがなかったけど 3年目の2020年には32試合 さらに4年目の2021年は44試合と貴重な中継ぎのパーツになってきます 5年目の2022年に7試合と落ち込むんだけど 今年後半は復活して19試合ながら2勝1敗3Hで防御率2.45だったのよしかも11月24日には550万円アップの3500万円で来季契約にサインしてるから リストに載るような気配はなかったんだけどなあ・・・といっても冷静に考えてみると今年のタイガースの一軍ブルペンは分厚かった 岩貞さん 島本さん 石井さん 加治屋さん 浜地さん 岡留さん 桐敷さん 及川さん 最後のほうはブルワー投手も加わって すごい数の投手がシノギを削る場でもあったのよね 普通でも登板数は限られてくるし リリーバーは左投手のほうが重宝されるから 働き場所としてはとても窮屈だし仕事もなかなか回ってこない・・・実力のある馬場投手にとって欲求不満もあったかもしれない2代目は 行き先が同じセ・リーグでライバル球団の読売っていうのはちょっと嫌なんだけど しっかりと働き場所が与えられればかなり活躍できる投手だとおもいます 敵に回して怖い存在になる可能性があるよ 来季は複雑な心境で巨人戦を見ることになるんだろうな ちょっと長いけど球団を通じて出された本人のコメントを載せておくよ 「現役ドラフトで読売ジャイアンツに移籍することになり、自分にとっても凄くチャンスだと思うので、今は気持ちを切り替えて、しっかり新天地のジャイアンツでチームに貢献していきたいという思いです。ドラフト1位で入団させていただいて、6年間、これまで阪神タイガースに育てていただき本当に感謝しています。今度はジャイアンツの一員として、伝統の一戦でタイガース相手に全力で勝負する姿をファンのみなさんに見せることができるように、頑張っていきます。これまで応援していただき、本当にありがとうございました」 次に岡田監督のコメントの一部です 「いやいや、層の厚さというか、2人選ばなあかんわけやからなあ。しょうがないといったらおかしいけど、誰かを挙げなあかんから、馬場やったらすぐに上の方で、最初にいくんとちゃうかなと思ったけどな、力的に」 どうやら働ける場所を提供しようとしてのリストアップだったようねオリックス・漆原大晟投手を獲得 さて タイガースは馬場投手を出した代わりにオリックスの漆原大晟投手(27)を獲得しました 2018年育成ドラフト1位で 182センチ85キロ フォークボールを武器に三振が取れる右投げ本格派投手です 2020年から一軍に上がって リリーバーとして3年間で72試合に投げてます ストッパーも経験してるね右投げのリリーバーだった馬場投手を出して 同じ右投げのリリーバーを獲得って なにか矛盾も感じるんだけど 岡田監督はどう言ってるかな?これも長いけど談話を載せておきます―右投手が欲しかった「うん、右。左はもういらんかった」―漆原の魅力は「いやいや、映像も見たし。まだ可能性あるしなっていう感じのあるピッチャーやけど。そらな、1軍でちょこっと投げたみたいやけど。そこまで戦力になってなかったけど、(環境が)変われば可能性あるなと」―投手力の高いオリックスでもまれている「ピッチャーのええところやからな、結局な」―連覇に向けた戦力に「まあ、キャンプとかでどういうボール投げるかというか。実際に見て、楽しみは楽しみやけどな」―先発、リリーフは決めず「まだそこまで決めてない、決めてない」―フォークも良い「タイプ的には一緒のピッチャーな。今の時代はまっすぐとフォークの時代やからな。そういうタイプが多いよ、今はな。だから、とにかくキャンプで見極めてな。俺はやっぱりセリーグでやってるピッチャーよりパリーグの方がな、ええかないうのもあるしな」―漆原を評価するところは「いやいや、そら真っすぐも速いしな、150近く出るしな。まあそれはリリーフやった時みたいやけどな、。どっちか言うと、真っすぐで押すタイプが多いからなパ・リーグはな。まあそら変化球とかそら課題とかあるけど、それはこっちで直してな、克服していけばいいことだし」 監督の談話を聞いてると 馬場投手を出してしまうので同タイプの漆原投手を獲ったっていう感じに聞こえるよね 2代目の感想を書かせてもらうと タイガースはチームが若返り 将来性の高い選手が急速に育ちつつあるので補強をする必要性を感じない状況よねでも現役ドラフト制度は 昨年の大竹さんや細川選手のような事例もあるから存続はさせていかなければならないわ そのためには「お付き合い」も必要です ということで仕方なく他球団が欲しがるくらいのレベルの馬場投手をリストに揚げ 同じようなタイプの漆原投手で補ったのが今年の現役ドラフトじゃないかな というふうに思えるのよ もちろん馬場投手に働く場を作ってあげるという意味合いは大きな理由だとおもうけどね でも漆原さんも期待が持てる投手 監督の古巣であるオリックスから獲ったというのも何か意味があるかも タイガースに来たんだからもちろん応援するよ全体の結果 今年も各球団が2名づつリストアップしたようだけど 結果以外は公表されなかったわね 昨年と同じように1巡目で終了しました 全員がまだ20代なのは各球団の配慮が感じられるわ ドラフト1位だった選手が3名入ってるのも特徴ね ロッテの佐々木千隼(ちはや)投手がDeNA 中日の鈴木博志投手がオリックス 阪神の馬場皐輔投手が読売に それぞれ指名されました
2023年12月09日
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岡田監督の来季展望2代目タイガース非公式サイトですこれは秋季キャンプを打ち上げた後の11月末の記事にあった話題なのよ タイミングが無くて2代目のブログで取り上げてなかったので ちょっと時間差ができちゃったけど書いておこうっておもいます どういうことかなのかな?今季は事実上の戦力外 今季の湯浅投手は WBCに選出されたため通常より1か月早くピークに持っていく必要があったのね それ以上にもっと影響が大きかったのは「ツルツルで滑りやすく、やや重たい」と言われるWBC使用球になじむことだったみたい 実際にシーズンに入ると湯浅投手は制球に苦しんだし フォークボールの精度が凄く悪くなってたわ 15試合14回1/3 0勝2敗3H8S 15奪三振 8与四球 被本塁打3 自責点7 防御率4.40という内容が物語ってるよね 岡田監督は過去の北京五輪などの経験から こういう事態も頭に入ってたようね なので15試合目の登板になったオリックス戦で2連続ホームランを浴びて敗戦投手になったところで出場選手登録を抹消し 最後まで一軍に戻さなかったという結果になったのね 「もう今季の湯浅は計算外」ってこと でもちゃんと最後の最後で日本シリーズの最高の場面で出番くれたけどね こういうとこも岡田監督らしかったよなあ・・・来季の湯浅君は新戦力に等しいという流れでスポーツ報知さんの記事(2023年11月24日)で次のような話が出てくるわけよ―来季の湯浅は勝ちパターンで期待できるか? 「勝ちパターンって、一番の新戦力は湯浅やで、来年は。そうやんか。湯浅なんか(今季は)ほとんど戦力になってないわけやんか。いくつ負けた? 湯浅でなあ。3つ4つ負けてるで。来年の一番新しい戦力は湯浅よ。そんなん、俺も一番そう思うてるよ」―今年の春季キャンプはWBC使用球での練習だったが、来年は日本の公式球でスタートできる 「そうやん、1か月間、キャンプでブルペンのボール見れるやん。今年は1回も見てないもん、日本のボールで投げてるの。だからずっと言うてたやん、(今年は)湯浅を頭に入れてないって。来年は最初から頭に入れるから、一番の戦力ちゃう? 力的にも。これはドラフト1位よりもすごい戦力やで。いや、そうやで、普通に考えたらそうやんか」―秋季キャンプのブルペンでも他の投手と格が違ったか? 「誰が見ても、やっぱりそうやんか。他の1軍で実績積んでない投手と並んで投げたら。誰が見ても、そうやんか」 ―起用法は決めていない?「それは決めてないよ、まだ」湯浅君に火が付いた!ねっ やっぱり今年は戦力として計算に入れてなかったのよ 5月はチームの状態が好かったこともあって確かに6月半ばまで恐る恐る使ってたけど 交流戦でチームが負け始めたら監督は湯浅投手をさっさと二軍に行かせてしまったわけねでも来季は通常の調整ができるから計算に入れてもらえてる それも「凄く期待してるぞ」って言う談話なのよこれを伝え聞いた湯浅投手は「そう言っていただけることは本当にありがたい。来年は1年間1軍で、チームの力になれるように」と感謝「自分のやることをしっかりやって、キャンプからしっかり、今やっていることを出せれば」と春季キャンプに照準を合わせるって意欲的になってます! こういうのも岡田マジックね!
2023年12月08日
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ビリオン珈琲店2代目タイガース非公式サイトです この「2代目のお気に入り」のカテゴリーでは2代目の好きなものをご紹介をしようとおもってたんだけど 今年の初めころの「ひとみん」以来なにも書けてなかったのね なので久々に更新しますよ これからシーズンオフは私ことも書く余裕が出てきそうみなさん「ビリオン珈琲店」って知ってる? 福井県福井市に本社のある「株式会社ビリオンフーズハヤシ」が運営するフランチャイズ方式の喫茶チェーンです 平成14年設立なので創業約21年という若い企業ですね2023年現在 北陸東海地区を中心に19店舗を展開してるよ 福井県 石川県 岐阜県 愛知県のほか 関西に広げつつあって 京都府 兵庫県 和歌山県 などにもできてる なんと西宮店もあるんだよ!我が町には北と南と2店舗あってよく利用してます お店の外観は南フランスとかイタリアとかを感じさせるかな お店に入っても落ち着いた雰囲気なのよ 店員さんは凄く物腰が丁寧で 聞いてみたらほとんど正社員 入社するとお店に出る前に約3か月の予備研修を受けてくるんだって なるほどだから接客の作法なんかも徹底されてるのね 客の立場から見てストレスがないのがとても好いわ お店のなかは適度にプライバシーも確保されてるよ 今回はお昼に行って「ハッシュドビーフ・ドリアーノ」をランチセットで注文しました これは2代目お奨めのメニュー! ご飯の上にデミグラスソースがベースのビーフシチューをたっぷりかけて大量のチーズをトッピングし オーブンで焼いたお料理です 寒い季節には体が温まるし香りも好くて美味しいのよ!(最近お肉の量が気持ち減ってきてるかな?・・・) ランチメニューはファミレスとかに比べれば それほど種類は豊富じゃないけど 季節ごとに替わる限定メニューはどれも美味しいな コーヒーは神戸の「にしむら珈琲店」と同じような形のオリジナルのカップで出てくるよ これってホットコーヒーが冷めにくい形状と厚さなんだって たしか「コメダ珈琲店」も同じような形を採用してるよね フランチャイズ・チェーンといってもコーヒーは本格的で厳選した豆を使ってます関西方面には 西宮店のほかに 福知山店 京都北白川店 バザール篠山店 伏見桃山店 和歌山川辺店があるよ もし見かけることがあったら入ってみて❤️
2023年12月07日
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背番号16(その4)背番号16の第4回目ですいよいよ岡田監督の番だけど 背番号16は球団創設時からある番号なのに着けた選手は少ないのよ わりと長く着けた人がいるからね 残る選手は岡田監督を含めて5人なの と言うことで今回の紹介は2名です岡田彰布 内野手・外野手 岡田彰布の父親・勇郎さんは大阪・玉造で製紙工場を経営しており、阪神タイガース後援会の中心的人物でタニマチとして有名だったという。そういった関係で、岡田は毎試合のように甲子園で観戦し、1962(昭和37)年のリーグ優勝パレードで藤本監督の膝に抱かれたり、三宅秀史とキャッチボールをしたり、村山実の引退試合での肩慣らしの相手をしたりとタイガースやその選手たちと身近な関係にあった。この環境の中で、岡田少年はごく自然にタイガースファンとなり、将来は野球選手になってタイガースでプレーしたいと思いながら育っていく。 北陽高校では1年時にレギュラーとして夏の選手権に出場し、9打数3安打の記録が残っている。3年時に受けた早稲田大のセレクションでは15打数で14本塁打を放って周囲を驚かせた。早稲田大時代は田淵幸一の持っていたリーグ記録の通算22本に迫る20本塁打を記録するなど大活躍、リーグ戦通算88試合で309打数117安打81打点、打率は.371というハイレベルな成績を残している。この通算打点と通算打率は2023年現在もリーグ記録として破られていない。 1979(昭和54)年のドラフトの目玉となった岡田は、当然のように複数球団の指名競合が予想された。当時プリンスホテルが「意中の球団じゃなかった場合うちにこないか」と滑り止めになっていたが、岡田は「大丈夫、ボク当たりますから」と笑っていたという。そして実際に6球団が競合したドラフト会議での抽選はタイガースが引き当てている。これはもう生い立ちからしてタイガースに入る運命だったと言うほかない。背番号は憧れだった三宅秀史が着けていた「16」を希望し在籍14年間を通して着けている。 背番号については週刊ベースボールOn-Lineのコラムで岡田本人が次のように証言している。「入団時に「3」「5」「16」と3つの背番号を提示され、オレは迷わず「16」にした。いまではそれでよかったと思っているよ「16」を選んだ理由は三宅秀史さんの番号だから」 1年目の1980(昭和55)年、ブレーザー監督が自身の希望で獲得したデーブ・ヒルトンの起用にこだわり、なかなか岡田を使わなかったため「岡田騒動」が起こる。岡田は少年時代からサードで通してきたが掛布がいるため、セカンド、ファースト、外野の練習をさせられ、結局開幕はベンチ。一方ブレーザー監督の推すヒルトンはセカンドに固定されたが開幕から不調をかこう。それでも監督が使い続けるためファンのフラストレーションが爆発してしまった。 ファンの憎悪はヒルトンに向かい、ヒルトンの打席で「岡田コール」が巻き起こり、ヒルトンが球場を出ればものが飛んで来たり囲まれたりと恐怖を感じる事態になってますます調子を落としていく。見かねたフロントがブレーザー監督を呼んで話し合い、ようやく岡田を使うようになったが、今度はフロントがヒルトンに代わる外国人選手を監督に内緒でさがしはじめていることが発覚してブレーザーが激怒、辞任・退団する事態になった。これにより監督代理を中西コーチが務めることとなり、一連の騒動は終結する。 そういう中でも岡田は冷静だったようで、この年108試合に出てギリギリ規定打席をクリアし、376打数109安打54打点18本塁打、打率.290という成績を残して最優秀新人に選ばれた。ここから1991(平成3)年まで12年間で、怪我をした1983(昭和58)年を除いて100試合以上に出場しレギュラーを守ることになる。体格的には恵まれていなかった岡田は、プロに入ってからは毎年15~25本くらいが年間の本塁打数だった。その中で日本一に輝いた1985(昭和60)年だけは唯一30本を超え、35本を放っている。打率.342も生涯で最高、101打点も唯一の100点越えだった。これはチームの勢いが各選手の力を増幅させたと思うしかないだろう。 岡田は、バースや掛布が去ったあとの極度に弱体化したタイガースを真弓とともに支え続けていたが、亀山や新庄が頭角を現した1992(平成4)年から極端に衰えが目立ってきて、この年はホームランが2本しか打てなかった。翌1993(平成5)年の4月には自身の打席で亀山を代打に出される屈辱も味わう。その後代打専門に回って、シーズンの出場は42試合にとどまりホームランは1本だけに終わる。この状態を見て球団は引退を薦めたようだが、岡田は現役続行を希望して自由契約となりオリックスへ移籍していった。 オリックスでも力の衰えが隠せず、1年目の1994(平成6)年は53試合、最後の年となった1995(平成7)年は32試合に出ただけだった。この年はオリックスが10年ぶりにリーグ優勝して日本シリーズに出たが、岡田の出番はなく、現役を退く。1996(平成8)年3月26日のオリックスとタイガースのオープン戦が引退試合となった。通算成績は16年1639試合5496打数1520安打836打点247本塁打、打率.277である。引退後はオリックスに残って2年間二軍の助監督兼打撃コーチを務め、1998(平成10)年からタイガースに戻っている。タイガースでは二軍打撃コーチや二軍監督などを務めたのち、2004(平成16)年に星野監督のあとを受けて一軍監督に就任。1年目こそ4位だったが自らがファームで育てた選手たちが主力となったチームで2005(平成17)年にリーグ優勝。翌年からも2位、3位、2位と好成績を挙げている。しかし2008(平成20)年、一時は13ゲーム差をつけていた巨人に逆転優勝を許したことの責任を取って辞任した。2010(平成22)年から3年間はオリックスの一軍監督を務めたが5位、4位、6位と振るわず解任される。 2023年は15年ぶりにタイガースの一軍監督に復帰し18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本選手権制覇を成し遂げた。山崎一玄(やまざきかずはる) 投手岡田がオリックスに移ったあと、背番号「16」を背負うことになるのは入団4年目の山崎一玄だった。山崎は静岡県静岡市出身で高校も静岡高校。高校時代に甲子園の土を踏むことはできなかったが、地元では常に上位を争う成績を残しており、プロからの評価は高かった。山崎は1990年のドラフト会議で3位指名されてタイガースに入団している。最初の背番号は「65」だった。 2年間はファームで育てられ、3年目の1993(平成5)年に初めて一軍登録される。この年は10月9日の広島戦に先発で初勝利を挙げるなど14試合に投げて2勝2敗1セーブ、防御率2.66と結果を出した。4年目の1994(平成6)年には岡田の着けていた背番号「16」に変え、24試合の登板のうち22試合に先発として起用された。 ローテーションに食い込んだ山崎は規定投球回数をクリアするとともに、2完封を含む7勝6敗1セーブ、防御率3.20の好成績を残す。甘いマスクで女性ファンからも人気が高かった。 大いなる飛躍が期待された5年目の1995(平成7)年は13試合の先発で2勝3敗、防御率3.79と落ち込み、翌年から2000(平成12)年までの5年間は、3勝、2勝、0勝、3勝、0勝と低迷が続いてしまう。2000年のオフに湯舟や北川とともに交換トレードで近鉄に移籍したが、2001(平成13)年も11試合で1勝しただけに終わり、翌年は一軍登録もないまま自由契約となった。その後タイガースに戻り2003(平成15)年から2017(平成29)年まで打撃投手を務めたのち退団した。通算成績は204試合20勝20敗3セーブ283奪三振、541回を投げて自責点222で、防御率は3.69である。まとめ タイガースファンのみなさんにとって岡田さんは 今更ごちゃごちゃ書かなくても「わかっとる」ってなりそうね 選手としても監督としてもタイガースに運命づけられたような人だから38年ぶりの日本一も当然かもしれないね そういう星の元に生まれてるんだよきっと!来年も頼むよ! 山崎さんについて 先代は凄く期待してたそうよ 高卒4年目で実績を挙げてこの先10年は主力投手としてやってくれそうにおもえたんだって それが1年だけだったのでガックリ ボールのキレはあるんだけど結構荒れ球で あまりスタミナもなかったみたい 残念ねその5に続く
2023年12月06日
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阪神の“精密機械”にも指名の可能性?2代目タイガース非公式サイトです いよいよ12月8日に第2回現役ドラフトが開催されるね 各球団最低2名をリストに出さなきゃいけないんだけど「THE DIGEST」が予想記事を発信してます 他にもいろんな見方はあるとおもうけど 参考に要約して載せてみたよ タイガースの二人に関しては2代目の率直な感想を書いておくね阪神タイガース 秋山拓巳(投手・32歳) 秋山投手はかなりの人が予想してるんじゃない?2代目も予想してるよ 今年は先発投手陣が豊富ということもあって一軍で2試合しか投げさせてもらえなかったけどファームでは最多勝 一軍を離れてるとベテランは力が落ちてしまうから どちらかというとトレードか現役ドラフトで出してあげてほしいとおもってたのよね 2ケタ勝利を3度挙げた実績は捨てがたいし 32歳で老け込んじゃ駄目よ きっと指名してくれる球団はあるはず ぜひ出してあげてほしい 馬場皐輔(投手・28歳) 馬場投手は11月24日に550万円アップの3500万円で契約更改してるのに候補に予想するなんて失礼だわ 球団側も「中継ぎ陣に食い込んでいく形を取ってもらいたい。試合数増やすこと。自分を客観視してレベルアップしてもらいたい」なんて言ってるし・・・一軍でも19試合で2勝1敗 防御率2.45と悪くなかった 「球速も速いし、変化球もある。いま活躍できていない理由は阪神の投手陣が豊富な上に、これといった決め球がないから。他球団のコーチの指導がハマれば、化ける可能性をひめている」 評価は高いからまさかリスト入りなんて考えられないんだけど・・・ではセ・リーグのほかの球団は誰が予想されてるのかな? 広島東洋カープ 塹江敦哉(投手・26歳) 石原貴規(捕手・25歳) どちらもファーム中心の選手 タイガースの二人に比べると実績はないわ ただしまだ若いからチャンスはあるかな ありそうな2人ね 横浜DeNAベイスターズ 神里和毅(外野手・29歳) 坂本裕哉(投手・26歳) 神里選手は一時期レギュラーになったこともあるよね ちょっと居場所がなくなってきてたからかな 坂本選手は一軍に上がるとなぜか結果を残せないんだけど ファームでは今年防御率1点台 環境が変われば化ける可能性あるわよ 読売ジャイアンツ 高橋優貴(投手・26歳) 北村拓己(内野手・27歳) 2人とも心機一転するにはいい年齢だとおもう 高橋投手はドラフト1位で2021年に11勝してるんだよ 北村選手は内野のすべてのポジションが守れるユーティリティプレイヤーでファームの成績は安定してる 狙ってみる価値はあるよ 東京ヤクルトスワローズ 太田賢吾(内野手・26歳) 梅野雄吾(投手・24歳) 太田選手はファームでの成績は好いのね 3割打ってるしホームランも6本 内野外野のどこでも守れるのけどそこがマイナスにもなってるかな 梅野選手はちょっと魅力を感じないね ファームでもあまり成績がよくないのよ中日ドラゴンズ 鈴木博志(投手・26歳) 石垣雅海(内野手・25歳) 鈴木選手はドラフト1位 2019年には一軍で14セーブを挙げて実績もあるけど最近はダメね 石垣選手はファームの試合でよく見たけど結構長打力あるし好い選手なんだけど一軍に上がるとさっぱりなのね 2人とも微妙かな? かなり強引な予想で 揚げられた選手の中には不愉快に思う人もあるんじゃない?この記事は藤原彬さんというライターのものです プロフィールは「1984年生まれ。『SLUGGER』編集部に2014年から3年在籍し、現在はユーティリティとして編集・執筆・校正に携わる」
2023年12月05日
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背番号16(その3)背番号16の第3回目です背番号16がようやくメジャーになる時が来ました 櫟さんのあとこの番号を着けたのは名三塁手と言われた三宅秀史さんよ 吉田義男さんとの三遊間は鉄壁を誇りタイガースの歴史に残るコンビと言われてるよね 「16」を14年間背負い続けた選手ですそのほか2名を紹介するけど そのうち上田次朗さんは「背番号15―3」で詳しく書いてるからそちらを見てね三宅秀史 内野手三宅は岡山県琴浦町(現倉敷市)の出身で、県立南海高校(現児島第一高校)当時はセカンドを守ることが多かった。チームのエースで大洋へ進んだ田代照勝を見に来ていたタイガースの青木一三スカウトが見つけ、入団契約を結ぶ。1年目の1953(昭和28)年は背番号「38」で、9月には早くも一軍に上がりセカンドとして26試合で起用されている。成績は58打数13安打7打点1本塁打7三振で、打率.224だった。2年目の1954(昭和29)年から背番号を「16」に替え、セカンドで58試合に出場しているが、84打数18安打6打点で打率.214と伸び悩んでいる。飛躍的に成長を見せたのはサードに抜擢された1955(昭和30)年だった。この年は126試合に出場、385打数95安打3本塁打、打率.247を記録し、初めて二けたの18盗塁を決めた。盗塁はこの年から8年連続で二けたを記録し、ピークの1958(昭和33)年には35盗塁と俊足を武器にしている。三宅は当時のプロ野球界のだれもが「名手」と認めるサードの守備が最大の魅力だった。フットワークが素晴らしく打球に追いつくのが速いので難しい打球も正面で取ってオーバースローで送球するという基本に忠実なプレーができる。そのうえ地肩も強いため守備範囲は極めて広い。華麗さはないが、これほど信頼できる内野守備はほかに類がなく、当時読売の監督だった水原茂が「三宅の守備に比べたら長嶋のそれは素人」と発言しているほどである。同時期のショート吉田義男、セカンド鎌田実を合わせた鉄壁の内野陣は「試合前のシートノックだけで飯が食える」と言われるほど華麗な守備を誇り、この間をゴロで抜くのは容易ではなった。もう一つ三宅が後世に影響を与えたのは連続出場記録だろう。1957(昭和32)年から1961(昭和36)年は5年連続全試合に出場している。1962(昭和37)9月5日まで、882試合連続出場と700試合連続全イニング出場を継続していたが、9月6日の試合前の練習中に悲劇が起きる。この日、外野でキャッチボールをしていた小山正明の投げたボールがそれて三宅の左眼に当たり、虹彩分離の重傷を負ってしまった。1.5だった視力は0.1まで落ちて回復することはなく、事実上選手生命を絶たれた。三宅の連続試合出場は、のちに衣笠や金本、鳥谷などに抜かれていくが、こういう記録の価値が評価されるきっかけとなったことで、三宅は「元祖鉄人」などと呼ばれることが多いし、眼の負傷が無かったら追い越すのが困難な数字まで伸ばしていたかもしれない。次の写真は記録更新の金本に花束を渡す三宅さん。 負傷後も復帰して1967(昭和42)年まで現役を続けたが5年間で29安打に終わり、現役を引退した。『哀愁のサード 三宅秀史』(平岡泰博著)によれば、平岡の「野球人生に悔いはあるか?」という問いに、三宅は「……あのね、大ありや」と答えている。1966(昭和41)年に現役コーチ兼任になっており、引退後も1970(昭和45)年まで引き続きコーチを務めた。 通算成績は1219試合3894打数1553安打376打点100本塁打199盗塁、打率.252である。打率はさほど高くなかったが、1958(昭和33)年に21本塁打を記録しているように長打もあり、同僚だった小山正明は「打球の鋭さは一級品」と評価している。背番号「16」を14年間着けた。平山英雄 投手平山は北海道釧路市出身の右投げ本格派の投手。釧路江南高校3年次に夏の甲子園に出場し、一回戦敗退ではあったが将来性を認められて1966(昭和41)年の一次ドラフト2位でタイガースに入団し、1年目は背番号「31」を着けた。ちなみにこの時のドラフト1位は江夏豊である。入団時には江夏より評価が高く、1年目の1967(昭和42)年には江夏より先に一軍へ上がり、4月13日の大洋戦でデビューを果たした。4月25日には初先発もしているが、1年目は7試合登板で0勝1敗、防御率5.40に終わっている。江夏のほうも平山と同じ4月13日の大洋戦でデビューしているが、こちらは1年目から12勝を挙げて平山を圧倒した。1968(昭和43)年、前年に引退した三宅の「16」番を受け継いで飛躍を目指すが一軍出場なし。翌1969(昭和44)年も1年間二軍暮らしが続いている。1970(昭和45)年、ようやく一軍登板の機会がありプロ初勝利を挙げたが登板はこの1試合のみ。翌1971(昭和46)年も一軍登板は3試合しか無く、この年は未勝利に終わっている。1972(昭和47)年は背番号「16」を上田次朗に譲って「30」を着け、1年間中継ぎとして一軍に定着して7勝4敗、防御率3.07とプロ入り後初めてまともな数字を残した。この年、村山実の引退試合で、入場する村山を担ぐ中の一人に 背番号「30」の平山がいる。しかし翌年からまた二軍生活に戻り、1974(昭和49)年のオフに交換トレードでロッテオリオンズへ移籍していく。ロッテでは出場機会がないまま、1975(昭和50)年限りで現役を退いた。上田次朗 投手(再掲)上田は1970(昭和45)年、ルーキーとして平山から「16」を受け継ぎ、1979(昭和54)年まで10年間背負った。トレードで南海に行き、タイガースに復帰した1982(昭和57)年に「15」を着け、その年を最後に引退している。本来は背番号「16」で紹介したいところだが、登場番号順で進めてきているため、わずか数か月しか着けなかった「15」のほうで紹介してしまっている。詳細については「背番号15-3」を参照していただきたい。(タイガース背番号史 15-3 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp))まとめ 三宅さんは怪我が無かったら連続記録ももっと伸びて歴史的な大選手になってたかもしれないね それでも超一流の守備では名を残してます 致命的な眼の負傷が無ければ 永久欠番になってたかもしれないわね現在の岡田監督はまだ幼稚園児だったころに三宅さんとキャッチボールをしたことがあるのよ 三宅さんに憧れて三塁手を志したんだって! しかも現役時代には同じ「16」を着けてるよね 三宅さんの着けた番号だったから入団時に希望したんだよ その辺は次回で詳しく出てくるよ平山さんは先代も「記憶に無いなあ」って言ってる 特に大きな故障や怪我があったという記録も見つからないから 実力が無かったというほかないかな上田さんは「15-3」で詳しく記載してるから省略しました 次回は背番号16の4回目になるけど この上田さんのあと「16」を受け継いだのが岡田監督よ!その4に続く
2023年12月04日
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中田翔選手中日へ2代目タイガース非公式サイトですこれはみんなが読んでた通りに落ち着いてって感じよね今季は現役ドラフトで入ってきた細川さんだけが20本をクリアしただけで 彼がいなかったらどうなってたか? 中日のチーム本塁打が62本で細川さんが24本 細川さん以外の全選手で38本しか打てなかったのよね立浪監督にとって中田選手は絶対に必要な選手 山川選手だってほしいはずだけど サードに石川選手を固定しようとしてるところへはさすがに持ってこれないとなると守るとこがないわね DHもないし だから中田さんしかいない ほかにほしがる球団が無かったってこともあるから 落ち着くとこへ落ち着いたとみていいわよね ただし2年6億って年俸は球団内の生え抜き選手たちから見てどうなんだろうね 不協和音の原因になりそうな気が・・・ まあ他人事だけどバンテリンドームはホントにホームラン打つの大変な球場なのよ ブランコ選手が以前の力がないだけに実績があって計算できる中田選手を取らないわけにいかない 15本くらいは期待できる?自由契約の公示即交渉で12月2日に即返事 まあ話はできてたんだろうねこれで来季の中日は今年とはかなり違ってくるよ とくに神宮や浜スタのように狭い球場のヤクルトやDeNAはヤバいんじゃない?貧打のピストル打線だと侮ってきた中日が様変わりしてどうなるかな2年連続最下位の立浪監督は必死だし 球団も長期政権にしたいと思ってるみたいだから まだ中日はこれくらいじゃ終わらないんじゃないかな 新外国人選手も入ってくるとおもうよ
2023年12月03日
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才木浩人投手が契約更改2代目タイガース非公式サイトです先代が書き残してる背番号史を手直ししながら公開してるんだけど やっぱり過去のタイガースの投手の中で「エース」と呼べるのって村山実さんかなあって 色々な逸話から2代目が実感するのは 村山さんは「投げる試合の勝敗は自分の責任」というほどの覚悟で投げてたんじゃないかってこと そして突き詰めれば 「投げる一球一球も命がけ」みたいな 全精力を一球に込めて投げてたようにおもえるのよ だからこそ負ければ人一倍悔しがるし 理不尽な判定されると涙を流して抗議することもあるわけ そういう姿を見てるから監督や首脳陣そしてチームメイトからも信頼されたんだとおもうな「大事な試合」「大事な場面」では村山に託す 「村山で負けても悔いはない」くらいに周りが認める「エース」だったのよ才木投手に望むものタイガースの先発投手陣の中で 2代目の一番のお気に入りは才木投手です今年3月6日のWBC強化試合で 才木投手は大谷選手に対して会心のフォークボールを投げ それを片膝をついて右手一本でバックスクリーン横に放り込まれたよね・・・でもがっくり来るどころか 悔しがって「もっと上を目指して鍛えていきたい」って前向きだった これこそエースピッチャーの資質 今の時代には村山さんみたいに先発した翌日でも行けるときはリリーフでもするなんてことはナンセンスだけど 先発投手には完投を目指してほしいとおもうのね 9月24日の中日戦では9回まで0に抑えたんだけど0-0で延長になって 10回も自分から志願して投げました この試合の前まで135試合を消化してて残り8試合で才木君投手は8勝 まだ10勝をあきらめてなかったんだとおもう この試合に勝てば10勝を掛けてもう1試合投げれる そういう意欲が監督も伝わったから続投させたんでしょう 才木投手は「10回も行かせてくれてありがたかった」って言ってるように この前向きさがエースの条件ね 10回投げ終えたときの表情も好かった! おしくも引き分けに終わって10勝が不可能となったので これがシーズン最終登板になったけど 一つでも上を目指す姿勢がいいのよいまの才木投手は完投能力も十分あるんだから それはいつも目標においてほしいな 小山正明さんが言ってたけど「まっさらのマウンドに登って試合終了のときも自分がそこに立っている」ってかっこいいもんね年俸は約160%アップ12月2日 才木投手が契約更改しました 推定年俸1900万円から5000万円にアップしたそうね 前半戦は出遅れてしまったけど自己最多の8勝はりっぱだったし 防御率1.82も素晴らしい数字よでも来季は二けた勝利が絶対ノルマだよ なんて言わなくても本人がそのつもりだろうけど契約更改後に「一番上は才木だと言ってもらえるよう、成績で残せるように。目標にしている所なので、タイトルはどんどん取りたい」とコメントしてるそして来季、村上投手より良い防御率を目指すか問われると「もちろんです!」来季への期待が膨らむ一言だった
2023年12月03日
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ファームの状況を総括(投手編)2代目タイガース非公式サイトですタイガースファンのみなさんこんにちは 若手選手気になるよね 前回2023年11月13日のブログ記事で「総括」と謳ってファームの選手たちの状況を書いたんだけど 恥ずかしながら野手に限ってしまってたのよね でも どちらかと言えば今シーズンのタイガースは 投手のほうに伸びた選手が多いのが実態ね てなわけで今回は「投手編」として考察しようとおもいます 野手のほうはこちらを参照してね2023年 ファームの選手たちは? | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) 今季のタイガースファームは5チーム中4位 貯金1で終わってます 表にはないけどチーム防御率も3.57でやはり4位なの でもこの結果だけを見て弱かったということにはならないわ 今季の岡田監督は調子のいい投手についてはすぐ一軍に上げて使ってるし 主力でも調子が悪ければ登録抹消してファームで調整させてたから 常に一軍には好い状態の投手がいってたことになるのねと言うことはファームいることが長くても 一軍でもそれなりに投げた若手ピッチャーが多かったてことなのよ注目の投手たちは?ではどんな投手がどんな働きをしたか 成長のほどを見てみたいとおもいます 数字は黒字が一軍成績 青字がファームの成績だよ桐敷拓馬 背番号47 24歳 27試合2勝0敗14H 40回1/3 奪三振40 自責点8 防御率1.79 12試合3勝3敗 72回1/3 奪三振50 自責点32 防御率3.98埼玉県鴻巣市出身 新潟医療福祉大学から2021年のドラフト3位で入団した左の本格派投手です ストレートは150キロを超えるし タテ・ヨコの変化球も豊富に持ってるから 要所で三振が取れるピッチャーねルーキーだった2022年にも一軍を経験してるけど7試合0勝3敗 防御率5.02という数字に終わってる でもファームでは6勝1敗で防御率0.72と無敵!2年目の2023年 ずっと先発投手とみられていたんだけど フレッシュオールスターの9回に出てきて好投したのを見た岡田監督から「リリーフで行けるやん」と適性を見出されて 後半戦は一軍のブルペンに入ったのよそうしたら大ブレイク! ほぼ投球イニング数に等しい三振を取り 防御率は1.79という文句なしの成績で応えたんだよねポストシーズンでも好投したし アジアプロ野球チャンピオンシップでもね!もう「ファームの選手」とは呼べないかな? すっかり一軍ブルペンにいなくてはならない存在になってる 来季はもっと期待できるよ!富田 蓮 背番号50 22歳9試合1勝2敗 16回 奪三振10 自責点8 防御率4.5014試合5勝2敗 71回1/3 奪三振60 自責点14 防御率1.77岐阜県養老町出身 三菱自動車岡崎を経て2022年のドラフト6位で今年がルーキーイヤーの左本格派ね 青栁さんから背番号50を引き継いだ男! 出身地は2代目の地元のすぐ近くなんだよ 一軍公式戦デビューは4月1日のDeNA戦の延長12回 8番手でリリーフして1イニングを無失点に抑えサヨナラ勝ちでプロ初勝利を挙げてます 6月9日の日本ハム戦では先発も経験してるけど3回3失点で負け投手だったのね 今年は一軍で9試合に投げて1勝2敗 防御率4.50に終わってますでもファームのレベルでは主力投手ね ストレートは140キロ台後半でもキレがあるし スライダーやカーブのほか チェンジアップやフォークなどタテの変化球ももってるから三振も取れるまだ先発かリリーフか立ち位置がはっきりと決まってないけど来季はもっと一軍で投げてほしいな岡留英貴 背番号64 24歳8試合1勝0敗 7回 奪三振6 自責点1 防御率1.2931試合2勝1敗3セーブ 34回1/3 奪三振41 自責点5 防御率1.31沖縄県糸満市出身 亜細亜大から2021年のドラフト4位で入団し今年が2年目 やや変則の右サイドハンド(ロークォーター)1年目の2022年は一軍に上がれなかったけど ファームではリリーバーとして36試合2勝1敗 35回 29奪三振 自責点6 防御率1.54だったから 今年はいつ一軍に上がっても不思議じゃない成績だったのよ2年目の2023年は 6月23日に初の一軍登録 7月4日の広島戦が初登板で 8回裏の1イニングを投げ1安打を許すも無失点でデビューを飾ります 今季は8試合すべてリリーフで投げ10月1日にはプロ初勝利も記録できたね 1年目のファームの成績が伊達じゃなかったことを証明しましたとにかく変則な腕の振りから繰り出す最速155キロのストレートっていうのが最大の武器ね そこにスライダーやカーブ ほかにもカットボールやツーシームも使えて配球の幅が広いわ もうファームにいるような投手じゃないよ鈴木勇斗 背番号28 23歳21試合5勝2敗 75回2/3 奪三振48 自責点31 防御率3.69鹿児島県日置市出身 創価大学から2021年のドラフト2位で入団し今年が2年目の左本格派 独特の2段モーションから投げ込む快速球が武器ルーキーイヤーはウェスタンで13試合1勝1敗 25回2/3 奪三振18 自責点23で防御率は8.06だったんだから成長の跡は見て取れるよね 入団時からストレートの威力は伊藤将司投手以上と評価が高かっただけに 来季は一軍デビューを果たしてほしいな 緩急をつけるためにチェンジアップやツーシームを磨けるかが鍵ね門別啓人 背番号30 19歳 2試合0勝0敗 8回 奪三振5 自責点3 防御率3.38 12試合2勝2敗2セーブ 55回 奪三振43 自責点17 防御率2.78北海道門別町出身(門別町だから門別姓が多いのかな?) 東海大札幌高校から2022年のドラフト2位で入団した左本格派のルーキーね 高卒でもドラフト2巡目だから タイガースはかなり素質を買ってるみたい2代目もファームで投げてる試合を実際に見たけどボール速いわ!ストレートは常時150キロ前後出てました 変化球とのコンビネーションというよりストレートで押す印象のほうが強かったかな 2023年は9月に一軍登録されて15日の広島戦でデビュー この時は2番手で3回を投げ3失点だったけど 9月30日の広島戦では初先発で5回無失点! 5三振を奪う好投だったけど惜しくも勝敗はつかなかった 2試合とはいえ高卒1年目で一軍で投げることができたのは大きいし しっかり三振も取れるところを見せたね ストレートは威力あるから さらに変化球を磨いて緩急のコンビネーションができるようになればもっと三振はとれるとおもう 来季もファームが多いとおもうけど期待できます まずファームでは投球回数を上回るくらいの三振取ってほしい! 2代目の感想 たくさん有望株がいるわよねえ そのなかでも今年2代目が気になってた5人を揚げてみたんだけど みなさんも気づいた? 5人のうち4人が左投手なのよね!この5人はプロ入り1年目と2年目の選手ばかりなのよ 最近のドラフトで意識して左投手を取ってるってことだよね ちょっと前は湯浅投手 才木投手 浜地投手 森木投手 西純矢投手など右投手が多かったからバランスとってるのかな 今年大きなブレイクをしたのは桐敷投手よね 2代目が観にいったウェスタンのゲームでも何回か投げてたけどまったく危なげなかった ただ先発もあればリリーフもありで「どう育てるつもりかな?」ってちょっと分からなかったのよ そこを岡田監督が「リリーフ特性あり」と見極めて後半戦のブレイクになったわけよね 確かに左投げであの威力とスピードのストレート!右打者の内角へのクロスファイヤーは高めでも低めでも簡単に打てないなって感じがするなあ ほかの4人もみんなボール速いわ 村上様みたいに一気にブレイクしそうな投手ばかり 来季も注目ね!
2023年12月02日
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来季は外国人4人態勢!2代目タイガース非公式サイトですハビー・ゲラ投手の獲得発表来季タイガースの外国人選手が決まったね まず新しく獲得することになったのがハビー・ゲラ投手だよパナマ出身で 1995(平成17)年9月25日生まれの28歳 183センチ86キロ 右投げ左打ちのピッチャーです プロ入りは2012(平成24)年なんだけど ボストン・レッドソックスに内野手として入ってるのね その後サンディエゴ・パドレスに移って2018(平成30)年にメジャー初昇格してる でも成績は振るわず13試合で16打数2安打で 2019(令和元)年には投手に転向します さらにミルウォーキー・ブルワーズを経て 今季途中にはタンパベイ・レイズへと移籍してる 投手としては最速164キロのストレートが武器って言うけど メジャーでの通算成績は主にリリーフで 61試合3勝1敗5ホールド 防御率が6.43なのね・・・ この選手に100万ドル(現在のレートで約1億4700万円)を出すの? 考えてみると投手としてだめで あきらめて野手ってパターンはゴロゴロいるけど メジャーで野手やってから投手に転向って珍しいんじゃない?なんか変な感じよね 二刀流の素質を持った選手かもしれないけど・・・ 背番号は戦力外で自由契約となって先日中日入りが決まった山本泰寛選手が着けていた「00」に決まったようね岡田監督はゲラの今後の起用法に「そら分からへんよ、外国人なんて来てからや」とコメントしてるけど 確かに今この時点で考えてもしょうがないもんね 2か月後を待つしかないわゲラ投手のコメント「タイガースファンのみなさん、はじめましてハビー・ゲラです。阪神タイガースに加入することができて非常に興奮しています。春季キャンプからチームに合流して、監督、コーチ、チームメート、そしてタイガースファンのみなさんに会えることを楽しみにしています。チームの勝利に貢献し、再び優勝・日本一になれるようにベストを尽くしたいと思います」ノイジー選手は年俸20万ドル減で契約 ノイジー選手は やっぱり日本シリーズ6戦7戦の2試合連発が効いたねえ!あれでファンを味方につけたよ 球団も切るわけにいかなくなっちゃったね シーズンの成績がパッとしないものだったから20万ドル減額ね それでも110万ドルなんだから本人に不満はないとおもうよノイジー選手のコメント「またこのチームでプレーする機会を与えてくれた阪神タイガース関係者のみなさん、そしてファンのみなさんに感謝したいと思います。来シーズン、再びチャンピオンになることを目指し、チームの戦力になれるように頑張っていきます」ミエセス選手、ビーズリー選手も残留決定 ミエちゃんはシーズン中に早々と残留方針が報道されてたけど 正式に決まりましたね 推定年俸は50万ドル(約7350万円) ちょっと上がったかな? 来季何かをやってくれそうな雰囲気とまでは言えないけど 監督に気に入られたってことは何か磨けば光るところ持ってるんだとおもうよ 実は2代目も ミエちゃんのパイナップルみたいな髪型が大好きなのよ!ミエセス選手のコメント「来シーズンもタイガースの最高のチームメートたちと一緒に野球ができることが本当に嬉しいです。来年こそはチームの主役になって連覇に貢献し、最高のビールの味をまたみんなと味わえるように頑張ります」 ビーズリー投手については 2代目はキャンプからオープン戦のころは正直「正体不明」としか言えなかったのね リリーフ陣の厚みが増してきたので6月ごろから先発に配置換えされて 6月5日の高槻で初めて見たんだけど「好い感じだな」と印象は好かった 実際に見るとボール速いよ!長身だから角度もあるし 実際に一軍に上がってからも崩れる場面はなくて 18試合41イニングで43三振を奪ってるし 防御率も2.20で陰ながら貢献してると感じてたから 残留はあるんじゃないかとおもってた 岡田監督は「本当に厳しい場面」ではビーズリー投手を使わなかったから その点はちょっと差し引かなきゃいけないけどねビーズリー投手のコメント「来シーズンもプレーをする機会をいただいた阪神タイガース球団に感謝していますし、とても興奮しています。またあの大歓声の中でプレーできることが非常に楽しみです。来シーズンはチームの勝利に貢献することはもちろん、私が登板する試合はなるべくたくさんのイニングを投げて、チームを助けられるように、しっかりこのオフの間も準備をしていきます」 これで来季は いまのところ外国人選手は4名体制(投手2名・外野手2名)となりました 岡田監督がいつも「外国人いらん いないほうがええんちゃう?」なんて言ってるように 今のタイガースではそれほど必要かどうか疑問もあるんだけど あらゆる事態に備えるための保険は必要だからね もちろん大化けしてくれたら嬉しいし ミエちゃんの50発なんてのを見てみたい気がするのよ
2023年12月01日
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背番号16(その2)背番号16の第2回目ですさあ今回も「へーっ!聞いたこともないよ」って感じの選手が次々出てくるよ 「ホントにいたの?」と言う人が多いんだけど 在籍期間の短い人もいるし遠い昔のことだからわかんなくて当然だよね新鮮な気持ちで読んでみてね溝部武夫(みぞべたけお、旧姓中田) 投手溝部は奈良県出身、旧制郡山中学にはエースとして1933(昭和8)年に奈良県初の甲子園出場に導く地元のスター選手だった。このとき溝部を指導したのが後にタイガースの二代目監督となる石本秀一。当時まだ職業野球が発足していない時代で、石本は中等野球の有能な指導者だった。1937(昭和12)年 溝部は阪急軍に入団する。1年目は春秋合わせて29試合に登板し、8勝11敗56奪三振、162回1/3で自責点50、防御率2.77という成績を残す。ところが2年目となるはずの1938(昭和13)年早々に応召されて3年間兵役に就くことになる。1941(昭和16)年に阪急軍に復帰したが9試合で1勝2敗。翌1942(昭和17)年も7試合で2勝2敗に終わっている。1943(昭和18)年にようやく本来の力を発揮して22試合に登板したが、防御率2.22にもかかわらず勝ち運に恵まれず5勝10敗と負け越した。そしてまた2度目の応召を受けて戦地へおもむき終戦まで軍務についた。戦争が終わり1946(昭和21)年に阪急ブレーブスに復帰し18試合で6勝3敗と好投した。しかし翌1947(昭和22)年は勝ち星がなく、4月20日のタイガース戦では4人連続押し出しフォアボールという今も破られない珍記録を作っている。このシーズン終了後にタイガースへ移籍した。1948(昭和23)年、前年まで武智の着けていた背番号「16」を引き継いだが、わずか8試合の登板で0勝0敗、防御率6.88と精彩を欠き、シーズン途中で引退した。引退後は社会人の大丸へ所属し、1949(昭和24)~1950(昭和25)年に2年連続で都市対抗本戦に出場している。中田金一 捕手・内野手・外野手大阪府の出身で日新商業時代の1938(昭和13)年には一塁手として選抜大会で甲子園に出場している。この年に捕手としてタイガースと契約し、当初は背番号「35」を着けた。163センチと当時としても小柄な選手。お笑い芸人のように面白い人でチームの人気者だった。主将や監督として時代を共にした松木謙治郎が「笑いすぎて横腹が痛くなるほど」と著書に書いており、「彼は道を間違えた」と言われてからかわれたという。 次の写真の一番右の眼鏡の選手が中田金一。その左の小さい人物はグラウンドボーイなので間違えないように! 1年目となる1939(昭和14)年は11試合9打数1安打1打点に終わったが、2年目の1940(昭和15)年は64試合に出場しており、157打数35安打14打点1本塁打の数字を残す。 1941(昭和16)年は24試合と出場が減り、翌1942(昭和17)年に応召されて満洲方面へ出征。戦後も1948(昭和23)年までシベリアに抑留されて辛酸をなめた。 帰国した1948年10月に背番号「16」でタイガースに復帰したが出場は1試合のみ。1949(昭和24)年が2試合、1950(昭和25)年は背番号を「23」に変えたが4試合の出場に終わり引退している。 出場106試合211打数43安打1本塁打15打点1盗塁32三振、打率.204が通算成績である。 引退後はセリーグの審判員になった。櫟 信平(いちいしんぺい) 内野手 京都府京都市出身で京都三商から同志社商を経て同志社大学へ進む。大学リーグでは3季連続で首位打者になったこともある左打ちの好打者だった。 1949(昭和24)年に東映フライヤーズに入団。1年目は99試合259打数62安打42打点8本塁打で打率.239の成績を残す。 しかし1950(昭和25)年、内容は不明だが当時の同僚で国民的なスターだった大下弘とトラブルとなり、その確執から移籍を希望して大阪タイガースへ移籍する。ちょうど2リーグ分裂の時期で球界も相当混乱していた。 タイガースでは中田金一から背番号「16」を譲られ、1年目は109試合282打数70安打48打点11本塁打、打率.248の成績だった。 翌1951(昭和26)年も105試合に出ており、309打数74安打35打点6本塁打で打率.239を記録している。 しかし、1952(昭和27)年に胸部疾患が発見されて入院し出場なしに終わり、1953(昭和28)年にそのまま引退している。 1960(昭和35)年に打撃コーチとしてタイガースへ復帰。のちにスカウトとして掛布雅之を担当し、入団後は打撃コーチとして指導もしている。まとめ 溝部さんと中田さんは戦争の大きな犠牲者ね 2人ともまともにプレーできた時期が短くてホントに気の毒だったとおもう 中田さんなんて戦争終わったあと3年もシベリアに残されて大切な時間を奪われてしまったのよ!その間は練習すらできなかったから技術はどんどん落ちていくし櫟さんは強打者だったけど鈍足で守備は一塁ぐらいしかできなかったらしいよ 多分結核だったみたいで引退してるけど やっぱり未練があったのか 打撃コーチとなった1960(昭和35)年は現役復帰をめざして春のキャンプでバッティング練習を始めたんだって!でも結局は当時の金田正泰監督に駄目出しされてやめたみたい・・・その3に続く
2023年12月01日
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ベストナイン選考の恥ずかしい顛末2代目タイガース非公式サイトですNPBの権威があぶない!ネット見てたら頭に来ちゃう記事が出てますよね 今年のベストナインの選考について馬鹿な投票者がいるって話なのよ!最初の表彰は1940(昭和15)年!シーズンを通してそれぞれのポジションで最も好成績を残した選手に与えられる歴史と名誉のある賞です 選手たちの目標でもあるこのベストナイン賞を汚す行為を平気でやってる投票者がいるって許せないどうにも我慢ができないので 今回はその話をピックアップしたよ!おもに11/27(月) 19:03配信のFull‐Countさんと11/29(水) 9:00配信のデイリースポーツさんの記事から引用してますなお どの選手に何票入ったか興味ある人は次の記事で確認してみてねベストナイン発表、日本一阪神は3人のみ 最多はオリックス5人…大山、万波ら初受賞 | Full-Count - (2) 投票権は誰に?投票権を持つのは、新聞社、通信社、放送局のプロ野球記者で取材歴5年以上のキャリアを持つ者と定められている。ファン投票みたいにファンが自分の贔屓の選手を選ぶのとはわけが違う 取材経験もあり信頼できる報道のプロが投票者として選ばれるのね最終戦の1カ月前ごろに投票者が各リーグ30人がランダムで選ばれ 結果発表後に記者名や媒体名 投票内容が公開されることになってるそうよ ただし誰が誰に投票したかは公表されません 山本投手が満票じゃない?最も目に留まるのはパ・リーグの投手部門。投手4冠に輝いた山本由伸投手(オリックス)が、満票に1票だけ足りない266票を獲得した。阻止したのは同僚の平野佳寿投手。39歳ながら守護神としてリーグ3連覇に貢献し、10月には名球会入りの基準になる日米通算250セーブに到達した。平野さんもリーグ優勝に貢献して頑張ったのは確かなので これは百歩譲ってまだ許せるかもしれないけど・・・ 驚きのセ・リーグ捕手部門!セ・リーグの捕手部門では、大城卓三捕手が180票で3年ぶり2度目の受賞。そんな中、伊藤光捕手(DeNA)、山本祐大捕手(DeNA)、小林誠司捕手(巨人)、木下拓哉捕手(中日)に1票が投じられた。驚きなのは小林誠司さんよ! 今季21試合出場でわずか9打席 8打数1安打 打率.125 打点も本塁打も0 OPS.250の成績! これのどこがベストナインなの?! 1票入れたやつってどこの記者なのか公表してほしいわよ! パ・リーグ遊撃手でもアホな投票が!パの遊撃手部門では、紅林弘太郎内野手(オリックス)が226票を集めて初受賞した。一方、遊撃をわずか1試合、5イニングしか守っていない牧原大成内野手(ソフトバンク)にも1票が入った。 規定試合数にも達してないし 守備に就いたのは外野が55試合 セカンドが44試合 サードとショートがそれぞれ1試合なのよ こんなので遊撃手部門で1票入れるってありなの? ふざけた投票してんじゃないわよ!どの記者か知らないけど二度と投票権与えてほしくないわ 他にもふざけてるとしか思えない投票が!セ・リーグ三塁手部門では同86試合出場で打率・215、0本塁打、14打点の中日・高橋周平、セ・リーグ遊撃手部門では同114試合の出場で打率・187、1本塁打、18打点の中日・龍空への投票が1票ずつあった。今年のベストナインで「1票」だけを得た選手は、両リーグ合わせると35人にものぼっている。疑っちゃいけないけど高橋さんと龍空さんに入れたのは中日スポーツの記者なのかな?取材する側のプロとして恥ずかしくないのかね?こんな記者が記事書いてるかとおもうと読む気しないよ! 阪神OBの中田良弘氏は「投票内訳を見たけど、ベストナインでは考えられないような名前がいくつかあった。かつて投票される側にいた人間からすると、普通は投票されてうれしいと思うものなんだけど、今回は投票されたことで逆に恥ずかしさを覚えた選手が何人かいただろうね」と指摘した。 ホントにその通りね!こんなことで1票もらっても 入れられた選手は迷惑だとおもうよ 自分の成績分かってんだからさ お恥ずかしいだけだわ誰に投票するのかは投票者に与えられた権利だが、今回のベストナインでの投票が“おふざけ”であるならば、即座に考えを改めるべき。投票者が属するマスコミ媒体を支えているのはスポンサーだけではない。多くの野球ファンにサポートされていることを忘れてはいけない。 まったくその通り!業界でメシを食ってる者が自分の業界の足引っ張って何がしたいのか? 馬鹿じゃないの 頑張っていい成績を残した選手を讃えるための大切な賞の権威を落とすような関係者がいるって情けないよ 2代目の個人的な意見だけど 投票は選手間でやったほうがいい結果になるとおもうんだよね 記者とか信用できない! みなさんどうおもいます?来年もこんなことがあったら所属と名前を公開すべきだわ!ふざけるのもいい加減にしてよね!
2023年11月30日
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バラさん逝く2代目タイガース非公式サイトです 昭和50年代に遊撃手や二塁手としてタイガースで活躍した榊原良行さんがお亡くなりになりました 謹んでご冥福をお祈りいたします 榊原さんについては先代がずいぶん前に「脇役物語」の第1回目に書いてますよ ぜひ読んでみてね 不定期連載 タイガース脇役物語(1) | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)元阪神・榊原良行氏が26日の午前1時ごろ、肺炎により、名古屋市内の病院で死去した。74歳だった。榊原氏は1974年ドラフト4位で阪神に入団。バットを短く持って打つコンパクトな打撃と堅実な守備を武器として内野手として活躍した。1981年にトレードで日本ハムに移籍。1984年に現役を引退した。その後は日本ハム、阪神、中日でコーチを務めた。 後輩である阪神・岡田監督とは現役時代もともにプレーし、1986年からは1軍守備・走塁コーチとして指導。1998年には岡田監督が2軍助監督兼打撃コーチ、榊原氏が2軍内野守備走塁コーチを務め、指導者としても同じ時間を過ごした。1999年からは台湾プロ野球・兄弟エレファンツの内野コーチとなり、その後は同チームのヘッドコーチにも就任。台湾の社会人野球の指導にも携わるなど、異国の地の野球発展にも大きく貢献した。阪神と日本ハムで内野手として活躍した榊原良行(さかきばら・よしゆき)さんが肺炎のため、名古屋市内の病院で死去したことが26日、分かった。74歳だった。訃報を受け、吉田義男氏が追悼のコメントを出した。 85年阪神日本一監督・吉田義男氏(日刊スポーツ客員評論家) 榊原の訃報に驚きとともにショックを受けています。わたしが第1回目の監督を引き受けた際にドラフトで入ってきた選手でした。堅実な遊撃手でガッツのある内野手でした。日本でコーチも務めましたが、特に台湾球界で指導者経験が長かったのは、榊原の人柄の良さと、熱心な教えが認められた証拠だと思っていました。日台交流に貢献した1人でした。まだ若いのに、無念です。
2023年11月30日
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復活なるか?山本さん&板山さん2代目タイガース非公式サイトです中日が なりふり構わず野手補強に中日が野手の大量補強に動きをみせましたね 中田翔選手の動向がはっきりしないまま手をこまねいている訳にいかなくなったんじゃない?来季の戦力構想から外れ自由契約になっていた巨人・中島宏之内野手 ソフトバンク・上林誠知外野手 阪神・山本泰寛内野手 同・板山祐太郎外野手を獲得したことが2023年11月24日の複数スポーツ紙で明らかになりました 板山さんは育成契約らしいわねタイガースでは出番がなくなってしまった山本さんと板山さんはとりあえず現役が続けられることになってよかったとおもうでもこれからも大変だよ 山本さんはメインがサード 中日は今年若い石川昂弥選手をサードに固定してレギュラー定着させる方針で育ててきてるし高橋周平さんもいるから 山本さんは頑張ってもサブ的扱いしかされないけど 守備はうまいので一軍ベンチって可能性はありうるよ 板山さんは育成契約で再スタートを切るわけだから、支配下に入ることから始めなきゃいけないのかあ・・・ これは山本さんより厳しい!でも足もあるから中距離打者に徹してバンテリンドームの広さを生かせると浮上の目もあるかな?大島さんが衰えてきてるしね立浪監督はナゴヤ球場からドームに移行する時代を経験してるから ナゴドではホームラン狙うよりツーベースがベターっていう頭があるのよね 振り回すバッター嫌いみたいだし そういう点では2人とも中距離打者で内野外野が守れるから使われる場面はありそうな気がする でも これという抜けたアピールポイントが無いのも現実なの 生き残るのは容易とはおもえない それでも頑張って一軍の試合に出てきてくれると嬉しいな ほんとうにこれが最後だと思ってがむしゃらにやってください陰ながら応援してるよ!
2023年11月29日
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2023年の表彰選手決まったね!2代目タイガース非公式サイトです日本野球機構は11月28日 今年活躍した選手を称える年間表彰式の“NPB AWARDS 2023”を開催しましたなんと村上様セ・MVPと新人王のダブル受賞!これは予想外だった。 新人王は当確だとおもってたんだけど MVP候補はいっぱいいて 2代目は岩崎さんかな?と予想してたんだけど・・・得票数も発表されてるから見てみようね 上位は次のような結果です 1位票をしっかり取ってる村上様が近本さんや大山さんを抑えての受賞になりました 村上頌樹様は開幕からの連続イニング無失点記録31イニングをマーク リーグタイ記録を打ち立てたてて一躍頭角を現し シーズン成績は22試合に登板し10勝6敗1ホールド 防御率は1.75 勝率は.625 137奪三振とチームの日本一に大きく貢献したことが高く評価されたね 5月の大攻勢への貢献だけじゃなく 1年間通じて一番安定していたし 最も信頼できる内容だったことを記者のみなさんも評価してくれたんだとおもう おめでとう 来年の飛躍を期待してるよ!MVPになっちゃうんだから最優秀新人も当然の受賞だよね! 得票では285票 2位の森下翔太君が10票だから段違いだった こちらもおめでとう 来年はエースと呼ばれる存在になってほしいなベストナイン表彰ではタイガースから3選手!セ・リーグベストナインにはタイガースから3名が選出されましたねファーストの大山悠輔さん(初) なんとショートが木浪聖也さん(初)!これは嬉しいだろうなあ そして外野で近本光司さん(3回目)ですセカンドの中野君はどうかなと期待してたけど 牧さんがいるからなあ・・・中野君と最多安打のタイトルを分け合ったほかに打点王にもなってるしホームランもしっかり打ってるから仕方ないか 中野君はまた来季狙ってほしいよ つぎにパ・リーグです こちらも順当なところが選ばれてるとおもう 特に優勝したオリックスからは5人が選出されてる 強いわけだよ岡田監督は連盟特別表彰!連盟特別表彰はタイガースの岡田彰布監督!最優秀監督賞と正力松太郎賞をダブル受賞よ こりゃ当然だよねただし コミッショナー特別表彰を受けた巨人の原監督のあとにインタビューに立った岡田監督は意味深なことを言いましたね「原監督はまた別の方向から、タイガースというか…、タイガースじゃないですね(笑)、野球界を盛り上げてくれると思います。私も来シーズンはユニホームを着ますけど、それ以降、ユニホームを脱いでも、また野球界発展のために少しでも力になれるよう、頑張っていきたい」下線のところがどうも気になるわ 来年と断ってからユニフォームを着ますけど・・・って再来年は着ないってことなのかしら???2代目としては まだ決めていないっていう意味に取っておこうとおもいます 2023年のシーズンを盛り上げてくれた表彰者のみなさん お疲れさまでしたまた来季 素晴らしいプレーで夢と感動を届けてくれることを期待していますよ!ありがとうございました!
2023年11月28日
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背番号16(その1)背番号16の第1回目ですこの番号も球団創立の昭和11年から着けられてるけど 投手野手の区別なくいろんな人が着けた番号なのよ 現監督の岡田彰布さんも現役時代に着けてたのは多くの方がご存じよね名選手と言われた人もいればほんのちょっとしか着けなかった人もいるし なかなか波乱万丈の番号かもね平桝敏男(ひらますとしお) 外野手平桝は広島県広陵中学(現広陵高校)出身で1929(昭和4)年に選抜大会に出て準優勝を経験、その後慶應義塾大学を経て1935(昭和10)年、球団創設期にタイガースへ入団している。背番号は「16」。初めてリーグ戦が行われた1936(昭和11)年、平桝は俊足巧打の外野手としてセンターを守り、打順はトップバッターだった。闘争心あふれる攻撃的な守備が売り物で、ワンバウンドしそうな打球をダイビングキャッチで捕球して前転するスーパープレーは見るものを楽しませたという。その平桝が5月1日の阪急戦で致命的な落球を犯し、「ライバル阪急にだけは敗けるな!」という阪神電鉄の厳命があったために森監督の更迭につながったのは皮肉である。1年目は春秋あわせて42試合に出場し、147打数39安打17打点17盗塁、本塁打はなく打率.265だった。しかし、この時代の例によって平桝も戦争の犠牲となる。1937(昭和12)年に陸軍に応召されると4年間も兵役を務めることになり大きなブランクができてしまう。1941(昭和16)年に除隊となってタイガースに復帰するものの成績は振るわず、19試合38打数8安打1打点1盗塁で打率.211という数字しか残せなかった。そして再び応召されて終戦まで軍に所属することになる。1946(昭和21)年、広島のノンプロチーム鯉城園で野球に復帰し都市対抗に出場するが、大日本土木に敗れ準優勝に終わった。その後もアマチュアで野球を続け、1950(昭和25)年にも都市対抗に出ている。野球から身を引いた後は広島で飲食店を経営していたが1971年に亡くなった。前川正義 捕手・内野手前川は愛知県の東邦商業(現東邦高校)出身。1940(昭和15)年の春夏甲子園に三塁手として出場し春はベスト4、夏はベスト8。翌1941(昭和16)年の春選抜では全国制覇している。1941年は戦火のため夏の大会は中止となり、東邦を卒業すると1942(昭和17)年にタイガースへ入団し背番号「16」を引き継いだが、当時は捕手・内野陣ともに層が厚く、前川はたった5試合の出場にとどまる。そして同年中に軍に応召されてその後戦死してしまう。没年や戦死の状況などは不明で、タイガースに在籍中は1打数0安打1三振、打率.000という数字を残しただけだった。改めて戦争というものの非情さを感じる前川の一生である。武智 修 内野手・投手愛媛県松山市出身で名門松山商業時代には投手として活躍した。1943(昭和18)年にタイガースへ入団。背番号は前川の応召で空いていた「16」番を着ける。1年目は69試合で177打数29安打6打点、打率は.164と低く、前川の稿でも書いたが層の厚いタイガース内野陣に食い込むのは容易ではなかった。1944(昭和19)年には野手としては33試合の出場にとどまり、出場機会を得るため投手としても試合に出た。3試合に投げて2勝1敗、防御率1.08の数字を残している。戦争激化による中断を経て1946(昭和21)年に復帰すると、1947(昭和22)年には野手として53試合147打数35安打10打点で打率.238を記録するとともに、投手として20試合に投げて6勝5敗、防御率2.21と二刀流で活躍する。しかし「もっと試合に出たい」という気持ちが強く、1948(昭和23)年にはタイガースを退団して金星に移籍してしまう。さらに1949(昭和24)は阪急に移籍するが1950(昭和25)年には広島に移って1952(昭和27)年までプレーした。1953(昭和28)年から1957(昭和32)年は近鉄でレギュラーとなっている。通算成績は打者として1142試合3868打数987安打432打点26本塁打138盗塁、打率255。投手としては実働4シーズンで59試合18勝16敗44奪三振、321回1/3を投げ防御率3.47だった。 引退後は、母校松山商業を甲子園に導いた実績も残す。1985(昭和60)年11月20日に逝去。まとめ 3人とも戦前の入団で そのうち前川さんは戦死してしまってるのね あとの2人も戦争の空白があって 平桝さんはプロへ復帰できなかった 武智さんだけが戦後もプロに復帰してかなり活躍してるのね 平桝さんは写真は無いけど創設時のメンバーとして記事に載ってます 当然と言えば当然だけど前川さんの写真は残ってないわ 武智さんもタイガース在籍のものは無く広島時代の写真ね プロ野球が発足して5年ほどで戦争が激化してしまって大変な時期に当たった人はホントに不幸としか言いようがない 今の選手たちは安心安全な環境で幸せだわ こういう先人たちがいたってことを知るべきだとおもう きっと練習やプレーに対する考え方が変わってくるはずよその2に続く
2023年11月28日
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2023年総決算?2代目タイガース非公式サイトです 今年のタイガースは シーズン中は怒涛のような大型連勝を繰りかえし 圧倒的大差でセリーグ優勝! そしてCSも無傷で勝ち上がって 日本シリーズはフルセットのすえに4勝3敗でオリックスを破って日本一に輝いたよね! なので本屋さんを見ていたらあちこちで黄色が目立つのよ そこにはタイガース関係の記念誌が溢れんばかりに置かれてるわ アマゾンでBOOKSを見てみると いろんな新聞社や雑誌社が「18年ぶり リーグ優勝!」とか「38年ぶり日本一」なんて表紙で本出してるよ!新聞社からは特集版とか永久保存版などがいっぱいでてる とりあえず品切れになってないものを一度に注文したわよ これから出る本は予約入れたし 第1陣の6冊+新聞3紙が届きました でもこの程度じゃ何分の1なのかな? とにかくものすごい数が出版されてるから正確には判らないよね・・・①週間ベースボール 阪神タイガース セリーグ優勝記念号 ②Number セリーグ優勝完全保存版 阪神タイガース栄光の記憶 ③COSMIC MOOK阪神タイガース18年振り悲願のリーグ優勝④AERA増刊 アっぱレ日本一! 阪神タイガース2023全軌跡 ⑤サンケイスポーツ特別版 38年ぶり阪神日本一⑥サンスポ特別版 阪神18年ぶりV ⑦スポニチ2023阪神優勝特集号⑧阪神日本一 ~スポニチ大阪版で振り返る1985年以来の栄光~⑨タイガース日本一 日刊スポーツ4点セット+α Amazon限定販売 今年はぶっちぎりだったから 各社とも売れることを見込んで 大量の部数を印刷したみたい だからリーグ優勝から2か月以上たっても まだ「リーグ優勝記念版」はたくさん残ってる これからもまだ出てくるみたいだし 「月間タイガース」の記念版も予定されてるね やっぱり優勝するって凄い経済効果なんだね~
2023年11月27日
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20231122滋賀大津2代目タイガース非公式サイトです現在京都は紅葉のシーズンとあってウィークデーなのにものすごい観光客!しかも有名観光地ですれ違う半分は外国人観光客なのよ スタバとか喫茶店に入っても耳に入ってくるのは外国語のほうが多いわ 声大きいしうんざりします前夜夕食をとった「和久傳」さんでも同じで 板さんが片言の中国語で必死に説明してる 人気店だから予約しないと席取れないし行ったら行ったでアジア系の外国人が半分以上占めてる こんな感じだから秋の京都は大変よ これから行こうという人は覚悟しといたほうがいいとご忠告しておきますね!では京都の帰りに寄ってみたところを紹介するね 海門山満月寺 浮御堂(かいもんざん まんげつじ うきみどう)所在地 滋賀県大津市本堅田1-16-18TEL. 077-572-0455拝観時間 8:00~17:00 拝観料300円 名神高速からだと大津ICか栗東ICで降りるのが好いみたい どちらからも30~40分ぐらいかな お寺の周辺の道は狭いところが多いけど駐車場はそれなりにあるから車が便利 雄琴温泉がすぐ近くにあるわねお寺としてはそんなに大きいところじゃないのよ でも「浮御堂」は近江八景「堅田の落雁」で有名な景勝地 最近は少なくなったけど2時間もののサスペンスドラマの最後で犯人が自白するシーンなんかではよく使われてたよ この満月寺は平安時代 恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して湖中に仏閣を建立したと伝えられる臨済宗大徳寺派の寺院です 入口は「竜宮門」をくぐって入るよ早速浮御堂を撮影! 昔の建物は昭和9年の室戸台風で倒壊してしまったので昭和12年に再建されました 柱は鉄筋コンクリートになっちゃったけど昔の面影はそのまま残されてる感じね まず南側から撮ってみました南から撮ると陽当たりが好すぎて風情がないかなあ 粗いところも丸見え 北側から逆光で撮ったほうがシルエットみたいになって わりといい感じの写真になるような気がする どうかな? 橋を渡ってお堂のほうに行くと回廊になってます 琵琶湖を一望に眺めることができるのね 浮御堂には「千体阿弥陀仏」が安置されてます 本堂のほうには重要文化財である聖観音座像があるよ 山門のそばには 五月雨に濡れた浮御堂の美しさを詠んだ阿波野青畝の句碑が立ってるわ「五月雨の雨垂ばかり浮御堂」 坂本城址公園(さかもとじょうしこうえん)所在地 滋賀県大津市下阪本3丁目坂本観光案内所 077-578-6565普通車10台(坂本城跡公園P利用)無料 浮御堂を観たあと 南へ10分ほど移動して坂本城跡へ行ったんだけど ここは何もないのね 公園になってるよ 天守閣の土台かなとおもえるところはあるけど ホントにここに天守があったのかどうかはわかんないなあ 坂本城は1571(元亀2)年の延暦寺焼き打ち直後に 織田信長の命によって明智光秀が琵琶湖岸に築城したものだって ところが諸説があるのよ 延暦寺を攻めるためならもっと前に築城されてもおかしくないのに 叡山が焼かれて無力になってからその備えをするのはちょっと変なのね 叡山焼き討ちのあと 信長公は各武将に恩賞を与えたんだけど その時明智光秀は領地ではなく坂本に城を築くことを願い出たと言われてる 焼き討ちは「本能寺の変」の11年前でした 光秀が信長を倒そうと思い始めた理由や時期については本人以外わからない でも当時信長がいずれ安土に城を築くということは周囲にも分かっていたようなのね 京都と安土を結ぶ間にある坂本に城を築きたいと願ったことから 「いつでも都と安土を分断できるように先を見越していた」とする説が出てくるわけよ光秀が築城した坂本城は 1982(天正10)年6月13日の山崎の合戦で光秀が討たれた報を受けた重臣の明智秀満が安土城から坂本城に移り 羽柴秀吉方の堀秀政が城を囲む中 6月14日の夜に光秀の妻子や自分の妻を刺殺し 自分は腹を切り 煙硝に火を放って自害したさいに焼失したとされているよ(『川角太閤記』) ここ地元である坂本では 明智光秀は有能な武将として また一流の文化人として評価・顕彰されているようね 公園には戦国の面影を感じなかったけど 勉強になってよかった はいっ これで京都~大津の3回シリーズ終了です 読んでくれてありがとう!
2023年11月26日
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20231121京都(その2)2代目タイガース非公式サイトです前回に引き続き11月21日に京都へ行ってきた中からのピックアップよ 今回は「晴明神社」です 「陰陽師」安倍晴明公を祀った神社ですね 晴明は呪術回戦などの劇画にもでてきたりして わりと美形に描かれることが多いから女性に人気が高いみたい 神秘的な人ってのが魅力になってるのかな? (せいめいじんじゃ)所在地 京都市上京区堀川通一条上る晴明町806-1TEL 075-441-6460拝観時間 9:00〜17:00(無休、授与所は午後4:30まで) 晴明神社は平安時代中期の「天文学者」である安倍晴明公をお祀りする神社で 創建は寛弘4(1007)年 一条天皇の命により 晴明公の偉業を讃えそのみたまを鎮めるために晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられたそうよ堀川通に面した「一の鳥居」をくぐって進んでいくと「二の鳥居」があって 入口の「五芒星」が嵌められた門から境内に入ります おわっ! 五芒星が石畳に! 突然足元に見えて最初は「ナニコレ!」って神秘的におもえたんだけど 単に扉のプレートが反射して映ってるだけって・・・からくりがわかって「なあんだ そうなんだ」と・・・ 二の鳥居をくぐって境内に入ると すぐ左手に「一条戻橋」と「式神の像」があるよ 一条戻橋は平成7年に架け替えられて 現在も晴明神社から南へ100メートルの場所にある堀川に架かってるんだけど 「先代の橋」で使われていた欄干の親柱を境内に移して昔の風情をそのままに境内に再現したんだって 「式神」というのは陰陽師が使う「精霊」で人の目には見えないのね 晴明公がこの地にお住まいのころ奥さまが怖がってたので式神は橋の下に封じ込められていたって その式神はこの橋を渡る人の占い「橋占」(はしうら)をしていたと伝えられてるよ 逆に境内右手には「晴明井」があるよ 晴明公が念力により湧出させたと言われる病気平癒のご利益がある井戸よ 水の湧き出るところは その歳の恵方を向いてて吉祥の水が得られのね 恵方は毎年変わるから立春の日にその向きを変えるそうよ 晴明公はどこかの井戸を通り抜けてよく地獄と行き来してたなんて言い伝えもあるらしいけど ちょっとどこのことかわからなかった また調べてみるね では 突き当り正面一番奥が御本殿です 向かって左側に晴明公の像 右側に桃の石像が置かれています 古来、中国また陰陽道では 「桃」は魔除け・厄除けの果物といわれてますね! 『古事記』や『日本書紀』などでも魔物を追い払う様が描かれているわ 晴明神社のお守りにも「桃」があるので購入したよ やはり「厄除けの御守」です なんか可愛いよね!桃! このお守りは袋が黒! 黒いお守りってちょっと珍しいよね 次の写真の中の解説にあるように「陰陽五行説」の 木 火 土 金 水 のうち「水」を象徴するのが黒色で「お祓い」を示すんだって それと魔を除ける「桃」 の二つを合わせたのがこのお守りよ 境内を取り巻く塀には 晴明公の逸話や怪しげな伝説などがたくさんのパネルで紹介されてます これはその一部ね では最後に 夕食は京都駅にある伊勢丹12階の「和久傳」さんで頂いてきました 外に出たら京都タワーが綺麗!!! 祇園だの四条河原町だの東山など 外国人観光客がひしめいて息苦しいほどだったけど 駅周辺にはほとんどいないのよ 釘抜さんや晴明神社にもいなかったよ 静かでよかった てか京都駅の周辺て意外と繁華街が少なくて静かなのよね 広い東寺なんかも幅を利かしてるし 京都のメインはやっぱり 四条河原町 祇園 東山かなあ それと嵐山ね それでは次回はおまけ! 翌日に寄った滋賀県大津の坂本城跡と浮御堂をお伝えするよ!
2023年11月25日
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20231121京都(その1)2代目タイガース非公式サイトですアジアプロ野球チャンピオンシップ2023も終わり同時に秋季キャンプも打ち上げ そして優勝記念御堂筋パレードも・・・やっと2023年のスケジュールは終わったかな・・・ということで春季キャンプのころから引き継いで書いてきたブログも記事のネタに困る時期が来たようね 細々と日頃の話をと言ってもそんなに話題なんてないからなあ今回と次回は11月21日に京都へ行ってきた中から少しピックアップしますね! 家隆山光明遍照院石像寺 釘抜地蔵(かりゅうざん こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)(くぎぬきじぞう)所在地 京都市上京区花車町503TEL.075-414-2233拝観時間 8:30~16:30境内無料ここは病や心の苦しみの象徴とされる「釘」を抜いて救済してくださるという御利益から「釘抜地蔵」(くぎぬきじぞう)の愛称で親しまれるお寺 過去に先代が紹介してるかもしれないけど 2代目は毎年行ってるから載せてみます石像寺は 空海(弘法大師)によって弘仁10年(819年)に真言宗の寺院として創建されたと伝えられてます 御本尊は空海が唐から持ち帰った石に自ら彫ったと伝わる地蔵菩薩 現在はこじんまりとしたお寺になってる千本通りに面した入り口は間口が3メートルもないくらいで奥まったところがお寺なのね うっかりすると気が付かずに行きすぎてしまうから注意しないといけないわよ大きなお寺なら「山門」にあたる門ですが 旧家に普通にありそうなくらいの大きさですね 自転車が多いのは参拝や清掃奉仕にいらっしゃるご近所の方たち次の写真は本堂と言うのかな? 中でお経をあげるような大きな建物ではなく ご本尊を安置して礼拝するための小さなもの入って左手に事務所があって ろうそく(1本20円)とお線香(太い!1本30円)を売ってるから買います それを持って本尊の周りを1周しながらお参りするよ普通のお線香の7~8本分くらいあるかな? 本堂の外壁には「釘抜き(ヤットコ)と2本の八寸釘」を付けた絵馬が奉納されてびっしりです! 上に「御礼」と書かれているので「苦」を取り除いてもらった人が収めたってことかな? きっと怪我や病気が治った人たちね ことの始まりは室町時代末期の弘治年間(1555~1558年)ころ 商人・紀ノ国屋道林(どうりん)は治療をしても治らない両手の激しい痛みに苦しみ 霊験あらたかと評判の石像寺の地蔵菩薩に7日間の治癒祈願をしたんだって 7日目の満願の夜 道林の夢に地蔵菩薩が現れ「痛みの原因は前世で人を怨み人形(ひとがた)の両手に八寸釘を打ち込み呪った罪によるものです 釘を抜いてあげましょう」と告げ 2本の八寸釘を抜いてくれました 道林が夢から覚めると両手の痛みは消え去っていたのよ 急いで寺に駆けつけると地蔵尊の前に血に染まった2本の八寸釘が!! 驚いた道林は地蔵尊の功徳に感謝しその後100日間参詣したというお話が云われね それ以来「苦抜き地蔵」と呼ばれ いつしか「釘抜地蔵」と変化していったみたい 今も体に痛みのある方やご病気の方たちが毎日のように参拝されてます やっぱり見てる限りご年配の方が多いね 身体に痛みが出てくる年齢なのよ 2代目はよくお腹をこわすので 毎年お参りして前の年に頂いたお守りとお札を返して新しいものを買ってくるのよ 今年はうっかりして去年のお守りを返し忘れたので2つになっちゃいました 青いほうが去年の 新色の桜色のほうが今年のお守りです これは厄除けで5センチ×3.5センチと小さいので免許証と一緒に持ってますよ もう一つは大きい金色のお守りでこれは「財福」! お金に困らないようにというお守りね これは大きくて財布に入らないからバッグに入れてますさて 次回その2では 釘抜地蔵からほど近い「晴明神社」を紹介するよ 映画になったことのある「陰陽師」でよくご存じの方もいるかもしれない 心霊スポットとも言われてるよね!
2023年11月24日
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背番号15(その6)背番号15の最終回ですあまり良い番号でなくなっていた「15」は前回の湯舟投手でちょっと盛り返したけど後が続かなかったね・・・今回は直近の3人を掲載するけど はやくみんなが「好い番号」と認識できるような背番号になってほしいな! 西純矢投手がんばって!藤原正典 投手水田圭介がわずか半年で返上した「15」を翌年から引き継いだのは藤原正典投手。岐阜県揖斐郡揖斐川町出身で高校は名門・県立岐阜商業。高校時代は甲子園でのベンチ入りを経験したが試合には出ていない。卒業後は立命館大に進み、3年春に3連続完封を記録するなど最優秀防御率投手となって頭角を現す。4年春は故障のため登板はできなかったが、秋は最優秀投手でベストナインに選出されており、リーグ通算32試合16勝4敗192奪三振、防御率1.48の好成績を残している。 2009(平成11)年のドラフト会議ではタイガースが2位で指名し入団、背番号「15」を継承した。 貴重な左投げとして期待されての入団だが、肘から先が遅れて出てくるスリークォーター気味のフォームでボールの出所が見えにくい利点があった半面、一見して肘を壊しやすいのではないか・・・という投げ方でもあった。実際にボーイズ時代から高校や大学でも何度も痛めているという不安を抱えていた。 1年目の2010(平成22)年の6月に一軍デビューすると、24試合すべてリリーフ登板で1勝0敗1ホールド、防御率3.60と結果を残し、翌年の飛躍も期待された。 しかし2011(平成23)年はファームでも成績が伸びず、終盤に一軍登録されて19試合(すべて中継ぎ)に登板して3ホールドを記録したものの、進歩が感じられなかった。 2012(平成24)年から2013(平成25)年はファームでも防御率が5点台と低迷しており、肘・肩の状態がかなり悪かったようで一軍でも未勝利に終わる。球速は140キロ台半ばまで出ていたので地肩は強かったが投げ方が悪かったと言わざるを得ない。 そして2014(平成26)年は一軍登録すらされず、2015(平成27)年には背番号を「42」に変えたが結果にはつながらず、前年に続いてまた一軍に上がれなかった。 この様子を見た球団は育成契約を打診する。藤原はこれを拒否してタイガースを退団、自由契約選手となりトライアウトを受ける道を選んだ。しかし獲得する球団はなく引退に追い込まれている。横山雄哉 投手山形県東村山郡中山町出身。山形中央高校2年時に春夏甲子園に出場したがいずれも初戦敗退。しかし地元では「菊池雄星二世」と評判の高い本格派サウスポーとして知られていた。高校3年時にプロ志望届を出したが、2011(平成23)年のドラフト会議ではどこからも指名されなかった。しかし社会人新日鐵住金鹿島へ入社するとグングンとスピードが上がり、高校時代より10キロ以上も速くなっていく。2014(平成26)年の都市対抗では5者連続三振を奪う快投を見せ、最速は151キロに達していた。この年のドラフト会議でタイガースが1巡目に指名し、「15」を背負う5人目のドラ1選手になる。 しかしプロ1年目の2015(平成27)年春季キャンプの初日に左胸関節炎を発症して出遅れ、一軍では4試合登板に終わっている。さらに秋季キャンプで右足を骨折して手術するなど散々な年になった。2年目の2016(平成28)年5月にプロ初勝利を含む2勝を挙げたが肩痛を発症して登録を抹消され、その後のシーズンを棒に振る。しかし1年目は13回1/3で12個、2年目は15回1/3で16個と三振を奪う能力の片りんを見せているだけに、怪我さえなければ・・・と周囲は3年目の飛躍に期待をかけた。ところが2017(平成29)年は4月に1勝しただけで終わり、2018(平成30)年は肩のクリーニング手術を受けて11月には育成契約となり背番号も「115」になってしまう。 さらに2019(令和元)年もファームでの7試合登板のみと思ったように結果が残せていない。2020(令和2)年は育成選手としては球団初となる春季キャンプ一軍でスタートし、秋には支配下選手契約を勝ち取って背番号「91」となったのだが、結局は11月に戦力外通告。 2021(令和3)年から球団職員に転じたのちに退社、現在は一般の会社に勤めている。西 純矢 投手広島県廿日市出身で高校は岡山県の創志学園。2年時の夏の選手権1回戦で16奪三振の完封勝利を演じて注目を集める(2回戦敗退)。3年時は甲子園出場を逃したものの、第29回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ代表に選ばれ、3試合に登板して相手に立ち向かっていくマウンドさばきが好評価を得た。また打っても12打数6安打9打点と大暴れ。南アフリカ戦で2本塁打を放ったことで本塁打王も獲得している。事実、高校通算25本塁打のスラッガーでもある。2019(令和元)年のドラフト会議でタイガースは星稜高校の奥川恭伸投手を指名したが抽選に敗れ、改めて西を指名して獲得する。西は横山が育成選手になってから1年間空き番だった「15」を継承し、この番号を着ける6人目のドラフト1位選手となった。 球団は西をじっくり育てる方針で、1年目の2020(令和2)年は一軍登録していない。もっぱらファームで基礎体力作りやフォーム固めに専念させており、登板も11試合にとどまる。ただしチームトップタイの4勝を挙げているのはさすがだ。2年目の2021(令和3)年、5月19日のヤクルト戦で一軍にデビューすると、5回無安打1奪三振で無失点の好投を見せてプロ初勝利を飾る。その後6月に1試合に先発したが3回3失点でノックアウトされ、1年目は2試合1勝1敗2奪三振、自責点3、防御率3.38の成績に終わった。 西は続く3年目の2022(令和4)年に飛躍を見せる。藤浪晋太郎や伊藤将司がコロナ感染で離脱した5月に一軍昇格すると14試合(内13先発)に登板して6勝3敗と結果を残す。77回1/3で60三振を奪い、自責点23、防御率2.68と内容も好かった。 5月18日のヤクルト戦ではスタメン8番に起用され、第1打席でプロ初ホームランも記録している。打撃に関しては評論家の福本豊が「タイミングの取り方がいい。打撃力のない内野手よりは上」と評価している。 4年目の2023(令和5)年は17試合13先発で5勝2敗、72回1/3で45奪三振、自責点31の防御率3.86だった。3年目に比べ伸び悩んだようにも見えるが、安藤コーチの指導によりクイックやコントロールが改善されて来ている。来シーズンこそは時速155キロを誇る速球を武器に、1年を通じて結果を出してほしい投手だ。まとめ ここでお詫びです第3回目の谷村さんの紹介のときに、タイガースには「15」を着けたドラフト1位が5人いるって書いちゃったのね(記事はすでに訂正しました)ところが 谷村さん 嶋田さん 湯舟さん 藤田さん 横山さん 西純矢君の6人が正しかったのよ改めて訂正してお詫びしますさて藤原投手の出身地は2代目の地元に近いのよ 知り合いにはボーイズ時代に藤原投手を指導した人がいるんだけど、当時は周囲がびっくりするボールを投げてて同年代の子はまったく打てなかったそうよ プロに入るくらいの子はそいうものなんだろうね横山投手は素材としては一級品だったとおもうんだけどなあ 結局ケガに負けたってことかな こうしてプロを去っていく人も多いわね これも運命というものかしら・・・純矢君はタイガース期待の星!力投するタイプだからクイックやコントロールの面には不安があるよね これは精度を上げて磨いていくしかないよ ひとつづつ着実に階段を昇って行ってほしい!こうしてみると「15」は明らかに投手が着ける番号として定着してきてるわね 今後最低10年は純矢君が背負ってくれると期待して「15」の紹介は終了しますみなさん読んでくれてありがとう 次は「16」に進みますね
2023年11月23日
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背番号15(その5)背番号15の第5回目です前回の3人で暗雲が垂れ込めた背番号「15」 今回は2人のドラフト1位ルーキーが背負うことになるんだけどわかる?はい一人目は湯舟敏郎さんだよね この人のおかげでグッと盛り返したんだけど その後を受けるのも話題性のあるドラ1ルーキーだったのよ ところが・・・湯舟敏郎 投手鶴見信彦がトレードされたあとを受けて「15」を引き継いだのは1990(平成2)年の湯舟敏郎投手。「15」を着けた3人目のドラフト1位選手となった。大阪府貝塚市出身で興国高校ではおもに外野手としてプレー。奈良産業大学へ進んで投手に転向し1989(平成元)年に本田技研鈴鹿に入社。安定したピッチングが評価されて2年連続で全日本代表入りしてドラフト候補となる。1990(平成2)年のドラフト会議では大学ナンバーワン左腕の亜細亜大・小池秀郎に8球団が競合する。小池の抽選に敗れたタイガースは外れ1位で湯舟を指名し獲得している。ルーキーの1991(平成3)年は23試合5勝11敗で防御率は4.66。もともと球威やスピードがずば抜けているわけではなく、制球とキレで勝負するだけに駆け引きを身につけるまでは打たれることが多かった。2年目の1992(平成4)年になるとプロの水にも慣れ、11勝8敗で防御率2.82の好成績を残し、6月と9月には月間MVPに選ばれるなど優勝争いに貢献している。完投が7試合あり4つの完封勝利が光る。6月14日の広島14回戦ではノーヒットノーランを達成。タイガースでは1973年の江夏以来の快挙だった。1993(平成5)年も自己最多の12勝6敗と貢献し、エース級の存在になる。この2年間は投球回数に近い数の三振を奪っており、キレ・制球ともに抜群で安定感があった。しかし1994(平成6)年から3年間は大きく負け越してしまう。暗黒時代を極めるタイガースの貧打が投手陣の足を引っ張り、湯舟は1994年が5勝7敗、1995(平成7)年には5勝13敗(リーグ最多敗戦)、1996(平成8)年は5勝14敗(リーグ最多敗戦)とモロに被害を被った。 1997(平成9)年に吉田義男が3度目の監督に就任し、湯舟も久しぶりに10勝6敗、防御率3.56と息を吹き貸したが、これが最後の二けた勝利となった。 1998(平成10)年は4月のヤクルト戦でのファースト交錯プレーで足を痛めてわずか1勝に終わり、調整不足から翌1999(平成11)年も同じく1勝どまりだった。 2000(平成12)年は2完封を含む4勝を挙げてやや復調しているが、オフには戦力外とみなされ、3対3の交換トレードで近鉄バファローズに移籍することになった。 近鉄に移った2001(平成13)年もシーズン初めに故障し、その影響でリリーフに配置換えされる。リリーフで36試合に登板したが結局1勝に終わり、シーズン終了後に現役を退いた。 通算成績は257試合60勝79敗3セーブ929奪三振、1182回1/3を投げて自責点524、防御率は3.99である。 2002(平成14)年にはタイガースに戻って二軍の投手コーチに就任するがなぜか1年で退団。評論家生活を経て2012年から3年間、再び二軍投手コーチを務めている。藤田太陽 投手 秋田県秋田市出身で、県立新屋高校2年時に外野手から投手に転向している。高校時代は目立った実績がないがプロからはチェックされており、1998(平成10)年に社会人川崎製鉄千葉に入社してから頭角を現す。 1999(平成11)年には第14回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、大会では150キロのストレート主体のピッチングで最優秀防御率賞を獲得して一躍ドラフト上位候補になった。 2000(平成12)年、藤田をめぐってタイガースと読売が最後まで争奪戦を繰り広げる。このとき掛布は少年期から好く知る中央大学の阿部慎之助(掛布と阿部の父親は習志野高校時代の同期でチームメイト)を球団に推薦していたが、タイガースは逆指名枠で藤田を獲得、阿部は読売を逆指名することになる。 阿部は少年期から父親の同級生である掛布の大ファンで、当然タイガースファン。掛布から「大学に進めば逆指名できるぞ」とアドバイスを受け父親と同じ中央大学に進んでいた。タイガースが声をかければ100パーセントOKであったと掛布は述懐している。運命とは恐ろしい。 藤田は湯舟から背番号を引き継いで、「15」を着けた4人目のドラフト1位選手となったが、2000年にすでに肩を壊していた。また独特の二段モーションが酷評されて、野村監督の指示により春季キャンプで散々フォームをいじられた挙句、フォーム固めのためと称する投げ込みを強いられ肘に炎症を起こしてしまう。 結局ルーキーの2001(平成13)年のシーズンは、わずか3試合の登板で0勝1敗、防御率14.73の成績に終わり、タイガースファンの大きな期待は完全に裏切られた。 2002(平成14)年は右足肉離れ、2003(平成15)年は右ひじ靭帯の損傷と手術、2004(平成16)年は登録名を「太陽」に変えたが1年間リハビリ。怪我に泣かされドラフト1位の面影はまったくなくなった。 2007(平成19)年にはフォームをスリークォーターへ、2008(平成20)年にはサイドスローへと変えてみたが結果は出ず、2009(平成21)年7月11日、水田圭介との1対1の交換トレードにより西武ライオンズに移籍する。タイガースでは7年半で5勝9敗の成績しか残せなかった。 西武では2012(平成24)年までプレーしているが、おもに中継ぎで起用され3年半で8勝5敗3セーブ23ホールドの成績を残して戦力外となる。 2013(平成25)年はヤクルトスワローズに獲得されてプレーし、リリーフで20試合1セーブ1ホールドを記録したが、1年で戦力外となり引退。 現在は社会人チーム「ロキテクノ富山」の監督を務めている。水田圭介 内野手・外野手 大阪府大阪市出身で、大阪桐蔭高校時代には通算55本塁打を記録したスラッガー。社会人プリンスホテルに進み2000(平成12)年のドラフト会議で西武ライオンズから7位指名を受け入団。 しかし西武時代はなかなか芽が出ず、2008(平成20)年までの8年間で公式戦111試合の出場にとどまる。毎年少しだけ1軍に上がるもののすぐに降格されるという繰り返しで、大半の時間をファームで過ごしている。2009(平成11)年も前半で7試合の出場にとどまっており、7月11日に前述のとおり藤田太陽とのトレードが成立してタイガースに移籍し、藤田から背番号「15」を継承した。しかしこの年はタイガースでも12試合にしか出ておらず、5打数0安打1三振2盗塁の成績を残すのみだ。 2010(平成22)年、背番号を「32」に変えてみたが、一軍公式戦の出場がないままに終わり、12月24日に新井良太とのトレードで中日ドラゴンズへ移籍していった。 中日に移った2001(平成23)年のシーズンは14試合15打数2安打と戦力になれずオフには戦力外、自由契約となってヤクルトスワローズと契約する。 ヤクルトでは2年間で7試合に出場したのみ。2013(平成25)年のオフに戦力外となり引退。高校通算55本のスラッガーも、プロ13年の通算で2本塁打と振るわず仕舞いだった。まとめ 湯舟さんは暗黒時代にあってよく頑張ってくれた投手よね 先代は甲子園でよく湯舟さんが投げるのを見たそうで(暗黒時代はせいぜい1~2万人しかお客さんが観に来てなかったので当日券でほいほい好い席が買えたそうよ)スピードは平凡だけどコントロールが好くてキレのあるボールを投げてたってただし調子が悪い日はポカスカ打たれてしまうこともあって二面性を持った投手だったみたいね 藤田太陽さんは鳴り物入りで入ったけど 潰れたと言うか潰されたというか 不遇なプロ生活を送ってる そもそも「入る前に壊れてた」って話もあるしなあタイガースにとっては読売の阿部選手との比較で貧乏くじ引いたって言われます 当時球団の「掛布嫌い」は相当なもので アドバイスを聞かなかったために大魚を逃した感じよね 素直に掛布さんの言う通り阿部選手に本気だしてれば全く違ってたのにとおもう・・・3人目の水田さんは ほとんどの人が「いたっけ?」となる選手かも 水田さんのおかげで新井良太選手が獲得できたってことはあるんだけどねその6に続く
2023年11月21日
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あぶねえ!よく勝てたね10回逆転サヨナラで優勝井端監督おめでとう!2代目タイガース非公式サイトですアジアプロ野球チャンピオンシップ 20232023年11月19日 決勝 日本4×-3韓国 東京ドームどうも!遅くなりました侍ジャパンの初陣は苦しいながらも優勝でした この大会は投手陣の力が大きかったよね みんな持ち味出して頑張ってくれました逆に今回のチームは長打という面でちょっと物足りなかったよ 打てる人はいるんだけどピークを持ってきそこなったかな?この試合は韓国の先発グァク・ビン投手をなかなか捉えられなかったので もつれちゃったな でも今年の韓国のチームは少し変わった気がしたよ 選手が若いってこともあるんだろうけど いままでの敵意むき出しの感じが全然なかった!韓国メディアの報道も伝えられてるけど 食って掛かるような表現は無くて公平な目で見てるなっておもえたわそれほど勝敗に未練がない小さい大会ってこともあるのかな?オリンピックやWBCのような大会になるとまた違うかもしれない・・・でも今回のチームは好感が持てるよ これをきっかけに韓国もどんどん変わっていってほしい日本チームは先発今井投手が2回に2点を先行されて厳しい展開になります この空気を換えたのは5回に出た牧さんの第1号ソロホームラン!「らしさ」を見せてくれたね6回には万波選手のツーベースを足掛かりに一死3塁として テル君が犠牲フライを打ち上げ同点に追いつきます この辺はシーズン中のタイガースがやってきた野球みたいでテル君も仕事はしたといえるかな? でもやっぱ物足りなさが残った大会でした わずか4試合で結果を出すのは難しいんだけどね 延長はルールでタイブレイク方式だから圧倒的にあと攻めが有利かな まして満塁になったのではバッテリーエラーでもダメだからね それにしても門脇選手は美味しいとこ持って行ったよなあ この一打でMVPも頂きだよ!タイガースからはテル君と森下君が大会ベストナインに選ばれました おめでとう この試合で2回目の登板となった桐敷投手は8回の1イニングを担当してしっかり押さえてます この大会でも心臓の強さを見せてくれました秋季キャンプ終了決勝と同じ日で秋季キャンプも終了しちゃいました 野口選手が話題独占だったようですねえ 2代目も行こうかなと思って20日から22日まで空けてあったんだけど なんと19日で終了!キャンプ日程がわかる前に決め打ちしてたからずれてたんだよなあ・・・ フリーバッティング見たかったなあ
2023年11月20日
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シェルドン・ノイジー選手残留!無駄じゃなかった日本シリーズの2発2代目タイガース非公式サイトです 今回はRONSPOさんの11月15日(水) 06:19配信の記事です ちょっと長いけど全文を掲載しますね なお、記事からはフロントの先行判断なのか岡田監督が納得した上での残留なのかは伝わってこないよ 日本シリーズの3ランと右打ちが決め手となり急転その去就が注目されていた阪神シェルドン・ノイジー(28)の来季残留が決定したことが14日までに明らかになった。夏の時点では1年契約を更新しない方針だったが、8、9月に成績が右肩上がりとなり、日本シリーズ第7戦での3ランなどで評価が一変、1年契約での逆転残留となった。ただ今季のトータルの成績は満足のいくものではなく、他選手とのバランスも考慮して異例の減額での契約更新となった。岡田監督の「右打ち」サインに応えた対応力も評価 日本シリーズでの活躍がノイジーの運命を変えた。これまで流動的とされていたノイジーの残留が決定したのだ。3勝3敗で迎えた第7戦。0-0で迎えた4回一死一・二塁のチャンスで、オリックスの先発左腕、宮城大弥に簡単に追い込まれたが、難しいチェンジアップをレフトスタンドへ運んだ。岡田監督が「あそこでホームランが出るとは思わなかった」と試合後に振り返った3ラン。38年ぶりの日本一を引き寄せる値千金の一発だった。さらにノイジーは、この試合で5回にもセンターへのタイムリーをマークしている。 ノイジーが日本シリーズで示した存在感はこれだけではなかった。 3年連続“投手4冠”の絶対的エースの山本由伸と対峙した第1戦の5回だ。無死から一塁走者の佐藤輝明が意表をつく盗塁を決めた直後に岡田監督が、初めて出したという右打ちのサインに応えて、ライトへの深いフライで佐藤をタッチアップで三進させた。この進塁打が山本攻略の糸口となった。チーム打撃ができることを証明したことがノイジーの評価を一変させ、さらに第6戦では再び山本から右方向へ先制ホームランを放っていた。今季のレギュラーシーズンの成績は、133試合に出場し、打率.240、9本塁打、56打点で、推定1億8000万円の年俸からすれば、期待外れの結果に終わっていた。前半戦が終わった時点で、球団内ではノイジーとは今季限りで契約を更新しない方針が固まっていた。レフトの守備は素晴らしく、特に捕球してからの素早く正確な送球で二塁打を阻止し、補殺は最終的にリーグ最多の12補殺をマークするなどチームに貢献した。だが肝心の打撃の方は、チャンスで凡退するケースが目立った。しかし8月の月間打率は.278と右肩上がりとなり、9月に3本塁打、16打点と爆発。球団内での評価を変えつつあった。そのなかで日本シリーズでは、第4戦から6番から5番に昇格し、打率.250、2本塁打、5打点という結果を残し優秀選手賞を獲得した。これらの結果を受けて再度、来季の契約についての見直しがなされ、急転、残留となったのだ。野手の新外国人選手に関しては、当たり外れが多いことや、近年、大物外国人選手の獲得が難しくなっているというメジャーのマーケット市場も影響した。実際、今季のセ・リーグの外国人選手で規定打席に達したのは、ヤクルトのオスナ、サンタナとノイジーの3人だけ。もしノイジーをリリースした場合、他のライバル球団に持っていかれる懸念もあった。 加えて日本シリーズの活躍を見る限り、日本野球を経験したノイジーが、来年さらなる進化を遂げるのではという期待もある。38年前に日本一となったチームで岡田監督、掛布雅之氏と共にクリーンナップを任されて“三冠王”を獲得し、伝説の助っ人となったランディ・バース氏もブレイクしたのは入団3年目だった。 ただ他の選手とのバランスや、今季のトータルの成績でいえば、マイナス査定となるため、異例の減額提示となった。その金額は明らかにされていないが、2000万円程度のダウンになったと推測される。それでも帰国時に「来年も帰ってこられたらと思う」と来季の残留を熱望していたノイジーは、そのダウン提示を受け入れたという。 Ⅴ2を狙う岡田阪神にとって、まずは全ポジションのレギュラー候補が固まったことになる。チームへの影響は?だが、ノイジーの残留は、あくまでも「最低限の保険」にすぎない。岡田監督は、秋季キャンプでは、小野寺暖、前川右京、井上広大、育成ドラフト1位から支配下登録となった野口恭佑らの若手を鍛え、外野戦力の底上げに着手した。激しいチーム内競争が来季のV2のカギを握る。またノイジーとは対照的に早い段階で来季の残留が内定していたヨハン・ミエセス、投手ではジェレミー・ビーズリーの来季残留も決定した。ムードメーカーとして存在感を示したミエセスは、今季60試合に出場、打率.222、5本塁打、16打点、ビーズリーは、先発で6試合、中継ぎで16試合に登板し、防御率2.20、1勝2敗の成績だった。2人共に来季の飛躍に期待されての残留。コルテン・ブルワーに関しては、まだ来季の契約は検討中となっている。投手、野手共に新外国人の調査は継続して進められる方向だ。(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)2代目のひとこと タイガースの外野は有望な若手選手がひしめく激戦地 しかも近本さんと森下君が固いところだからポジションは1つしかないのよね そこにノイジー選手が残留となると若い選手たちが発奮するより絶望感が漂うほうが予想されてちょっと心配 ノイジー選手がダメな時はきっぱりと使わないという判断が求められるよ! たぶん岡田監督だからその点は心得ているとおもうけどね
2023年11月19日
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投打に豪州を圧倒!8回コールド勝ちで決勝へ2代目タイガース非公式サイトですアジアプロ野球チャンピオンシップ 20232023年11月18日 1次リーグ オーストラリア0-10日本 東京ドームはっきりと力の差を見せつけたと言っていいかな 外野手の追い方やクッションボールの予測などのプレーを見ててもオーストラリアはかなりランクが下に見えたよ 試合は大勝で1次リーグ3戦全勝 本日の決勝の相手は韓国に決まったね 何かにつけて日本に対しては過熱気味に向かってくるんだけど なんとなくこの大会は達観してる印象があるわ 力の差を感じてるのはもちろんだけどメジャーでの大谷選手の文句なしの活躍が日本への態度を変えてる気がする ようやく日本の野球そのものをリスペクトする気風が生まれてきてるんじゃない?森下君スタメン外れる! ではオーストラリア戦なんだけど タイガースの森下君の名前がスタメンから消えたのよ 2試合でホームラン1本を含む4安打を放って好調と感じてたんだけど井端監督はこの試合に出しませんでした 試合後の談話で「昨日、走っている姿も重そうになっていたので、日本シリーズもふまえ、ちょっと休ませた」と説明してるので怪我とかではなさそう 好く目配りして気を使ってくださってるのね さすが侍の監督になるだけのことはあるよ 牧さんや板倉さんも休養でしたね この試合に5番DHで出場したテル君はと言うと サンスポさ「五回の先頭で初球を捉えて右前打。一、三回と走者を三塁に置いた打席でいずれも凡退したが、3試合連続安打とコンスタントに結果を残して決勝に入る。」という書き方してるんだけど・・・んは好意的にやっぱり格下のチームを相手にこれまでの成績では残念と言うほかないよ よく飛ぶ東京ドームなんだしテル君のホームランがみたいよ といってもCSから日本シリーズに続いてこの大会だから疲れもあるかなあ 井端監督は「正直、休ませようと思ったんですけど。DHでちょっとでも状態上げてほしいなというところでそういう(起用の)選択をしました」と言ってるから 監督から見ても期待に応えてくれてないんだろうね・・・最後の決勝では1打席でいいから本来の姿を見せてほしいな! 秋季キャンプで安芸にいる岡田監督は「侍(ジャパン)いってなかったら、連れてきてます。一番鍛えないといけない2人。(鍛える部分は)全部、全部」と物足りなさもにじませてたようね では試合の流れをデイリーさんの記事でざっと振り返っておきます試合は初回から日本打線が気を吐いた。この日、初出場の1番・藤原が三塁内野安打で出塁。岡林の四球後、小園の中前適時打で先制した。 三回には岡林、小園、万波の3連打で2点を追加。四回にも小園が押し出し四球を選び、六回には再び小園の併殺打の間に追加点を奪った。 さらに七回には藤原が2点適時打、途中出場の石橋が適時打を放った。八回には、途中出場の野村の2点適時打で10点差をつけ、コールドに持ち込んだ。 投げては圧巻リレー。先発・早川が5回まで無安打無失点7三振のパーフェクト投球を見せると、2番手・吉村も1回2/3を無安打無失点で続いた。 3番手・佐藤隼が1安打2四球を出し、完全リレーこそ逃したが、2死満塁の難所を乗り越えて無失点。最後は清水が三者凡退に抑えた。野手陣の爆発に呼応するかのように、投手陣もそれぞれの役割を全うした。 決勝は再び韓国なので要注意 粗さはあるけどバッティングのパワーという点では侮れないよ 着実な継投でかわして完勝してほしい!
2023年11月19日
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侍ジャパン決勝進出!2代目タイガース非公式サイトですアジアプロ野球チャンピオンシップ 20232023年11月17 1次リーグ 日本2×-1韓国 東京ドームわずか4日間の大会だから2試合2勝で決勝進出ね10-0で迎えた3回裏 先頭の岡林選手(中日)がフォアボールを選ぶと 2番小園選手(広島)がヒットで1・3塁 ここで我がタイガースの森下君がフォアボールで続いて無死満塁のチャンス!しかもバッターは牧さん(DeNA)~テル君(阪神)と強打者につながったから「これは一気にビッグイニングか?!」と期待したんだけどなあ・・・牧さんがショートゴロ・ゲッツー!この間に3塁ランナーが帰って1点は入るんだけど 二死3塁からテル君は空振り三振!あかんわ・・・最小得点しか入らんかった4回裏には万波選手(日ハム)の豪快なソロホームランで2点目が入って2-0とリードはしました でもこの試合のヒーローは7回無失点の隅田投手だろうね ランナーを出しても落ち着いてるしテンポもいいからバックのファインプレーも出るのよ最後の田口投手(ヤクルト)は代打で出てきたキム選手にソロホームランを浴びちゃったけどこれは事故みたいなもので 悪い印象じゃなかったスコアは2-1だったわりにゲームは終始日本が主導権握ってました これで第1戦に続いて連勝で決勝進出が決まったね タイガースでは森下君が2戦続けてマルチ安打と好調! 一方のテル君はこの試合ヒット1本と守備ではファインプレーもあったけど・・・中軸を打つバッターとしての働きはしてないなあ あと2試合で一発ホームラン打ってほしいよね 井端監督は「接戦になるのはわかってたんですけど、先に点取れて、追加取れたってところでは、ちょっとずつ勝ちにつながったとは思うんですけど、もう少し点は取れたんじゃないかなというところでは、反省しないといけないと思います」と語ってます最後に日刊スポーツで宮本慎也さんが指摘してる一文を掲載しておくね11/17(金) 22:17配信課題から挙げてみたい。初回一死満塁のチャンスで、佐藤輝が簡単に3球三振した。コースは外角のストライクゾーンからボールゾーンに曲がったが、高さは低めに大きく外れていた。2ストライクというカウントを考えれば、振ってくれればラッキーという思いで、ボールゾーンで空振り三振を狙ってくる場面。韓国バッテリーの思惑通りに三振し楽にさせてしまった。 野球の強豪国として世界に認識されている日本に対し、対戦するチームは好投手を用意してくる。そういう投手に対して連打、連打で得点するのは難しい。日本も今年のWBC優勝を見ても分かるように、ホームランや長打を絡めて得点を奪うパワー野球にシフトチェンジして成功した。しかし犠牲フライや内野ゴロの間に1点を奪えるようなチャンスには、結果を度外視してもなんとか食らいつき、バットに当てるようなスイングが必要になる。 国際大会では、機動力を駆使したスモールベースボールの実践が難しい。初回無死一塁から岡林が盗塁を狙ったが、リプレー検証の結果、セーフ判定が覆ってアウトになった。個人的にタイミングは完全にセーフだった。 こう言っては申し訳ないが、ライバル国の審判は強い日本に勝ってほしくないという思いがあると思う。そしてボークの規定も日本以外は曖昧で、簡単に盗塁できない。長打での得点狙いは大正解だが、それ以外でも犠牲フライを狙える打撃技術や逆方向狙いで簡単に空振りしない技術を備えた選手の育成が大事だと思う。
2023年11月18日
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森下君好調維持!2代目タイガース非公式サイトですアジアプロ野球チャンピオンシップ 20232023年11月16日 1次リーグ 台湾0-4日本 東京ドーム 森下君が日本シリーズからの好調を維持してアーチをかけましたねえ0-0と緊迫した試合展開で迎えた7回 小園選手がレフト前ヒットで出たのに盗塁失敗でイヤーなムードになったところで登場したのが3番森下君カウント1B0Sからの2球目のストレート(150キロ)を積極的に打ちにいくと 低い弾道でレフトスタンドへグサリ! これが「好い仕事」ってやつよ! 一瞬で試合の雰囲気を変えたよね試合後に井端監督は「阪神でも3番で、こういう時に打点を挙げてくれる」「素晴らしい。短期決戦に近いところでも活躍してくれる。迷わず3番のイメージ」と絶大な信頼を寄せた3番起用だったと語ってるわ! 及川投手は5回二死2塁で赤星投手を救援して 左の1番・林孝程(リン・シャオチェン)をフルカウントから6球目のワンバウンドする切れ味鋭いスライダーで空振り三振仕留めて役割を果たします 「ゲームとしても一つ重要なポイントで抑えられて良かった。反省して結果にこだわってやっていく」と言ってるよ 8回には4番手で桐敷投手が登場 8番からの下位打線を貫禄の3人斬りです 特に二死で対戦した左の代打・岳政華(ユエ・チェンファー)には7球ファウルで粘られるんだけど カウント1―2からフォークで見事に空振り三振を取りました もう一人 テル君なんだけど4打数1安打 9回一死1・2塁から痛烈なセンター前ヒットで坂倉選手・門脇選手の適連続タイムリーに綱がりました それぞれが結果を出してくれて試合もものにできてよかったよ 井端監督も侍ジャパン監督就任初勝利おめでとう この大会は日本が格上だとおもうから 絶対優勝してほしいよね!
2023年11月17日
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