全4件 (4件中 1-4件目)
1
「化石と地層の形成について」 甲斐慎一郎 創世記7章17~24節 この創世記の7章は、大雨が四十日四十夜地の上に降り、大洪水が起こったことを教えています。神による天地の創造や聖書の記事を信じていない人たちは、世界的な規模の大洪水が起こったことを否定しています。それは、このような大量の水は、地球上のどこにもないという理由からです。しかし聖書の記事が真実であることは、次のような確かな証拠によって説明することができます。 一、化石と地層の形成について 前回述べたように創造された当初の世界は「大空の上の水」(創世記1章7節)が地球全体を覆っていて温室のような状態にありました。北極や南極にも植物が繁り、多くの動物が生息していました。四十日四十夜の大雨は、この水が降ったのであり、その結果、地球は急速に冷えて、北極や南極は氷の世界になったものと思われます。 このことは「熱帯植物や動物の化石が北極圏で発見されること」(トーマス・F・ハインズ)によってわかります。進化論者は、ノアの大洪水のような激烈な大変動を否定して「すべての地質現象は、過去も現在も同じ経過と営力で起こる」(『ウェブスター辞典』)という「斉一説」を信じています。しかし斉一説では、化石や地層がどのようにしてできたのかを説明することは不可能です。 化石は、動植物が大量の土砂によって、腐る間もないほど急激に、しかも高圧で埋没させられることによってのみできます。「化石は高圧の条件下で、しかも水中においてできること」です(トーマス・F・ハインズ)。水平に何重にも重なっている地層は、水のふるい分け作用によらなければできません。 このようにノアの大洪水という激烈な大変動によってのみ、化石や地層がどのようにしてできたかを説明することができるのです。 二、化石と地層が短期間で形成された証拠 冒頭の上の写真は「子供を産んでいるイクシヤサウルスの化石」と「魚を飲み込んでいる魚の化石」です。このような短時間の姿をとらえた化石は、進化論者が言うように、何万年もかけて化石になったのではないことを証明しています。ノアの大洪水による大量の土砂によって腐る間もないほど急激に、しかも高圧で埋没させられることによってできたのです。 冒頭の下の写真は、フランスのサン・エチネの近くで発見された「何層にもまたがったまま埋もれた木の化石」です。このような化石は、進化論者が言うように、木が異なった時代を何億年も生き続けたのではないことを証明しています。ノアの大洪水による水のふるい分け作用によって水平に何重にも重なっている地層が形成され、そこに大量の土砂によって腐る間もないほど急に、しかも高圧で埋没させられることによってできた木の化石が違った土質の地層にまたがって縦に埋もれたのであり、そうでなければ、決してこのような「何層にもまたがったまま埋もれた木の化石」にはならなかったでしょう。甲斐慎一郎の著書→説教集東京フリーメソジスト昭島キリスト教会
2011.09.26
コメント(0)
「天地創造は六日か幾億年か-後編」 アンサーズ・イン・ジェネシス代表 ケン・ハム 創世記1章 一、さまざまな「科学的な」年代測定法とその問題点 それでも「幾億年には科学的な根拠があるのではないか」と考えておられる方のために、現代科学が用いている年代測定法が算出する数字が正しいとは言えない根拠を列挙します。 どの年代測定法も共通の問題を抱えています。砂時計の例。 「いつ測り始めたかが分からない」「最初から最後まで目を離さずに観察していないと、条件が変わったことを見落としてしまい、正確には測れない」という問題点があります。 1.海水の塩分濃度と海の年齢 真水から現在の塩分濃度へと一定の速度で変化したとして算出すると6,200万年以下という数字が出ますが、海の年齢は、進化論では30億年だといっており、合いません。最初に真水であったと仮定すべき根拠は、どこにもありませんし、塩分濃度の増加速度が常に一定であったとすべき根拠もないので、6,200万年という数字も疑わしいと言わざるを得ません。創造生が創造の初めから海に塩分を入れていたかもしれないし、ノアの洪水の大激変の出来事では一気に塩分が増加したことが考えられます。つまり、実際に海の年齢は六千年であってもおかしくありません。 2.オーストラリアのクリナム鉱山 3,000万年前と言われていた玄武岩層の中から4,500万年前の玄武岩と4,500年前の木の化石が見つかりました。 3.「ウラン=鉛」法と呼ばれる放射性元素による年代測定法 前提条件が正しくなければ、この測定法の出す数字は全く信頼できないものとなります。 前提条件 (1)岩石中の鉛は、すべてウランから変化した(最初、岩石中に含まれる鉛はゼロでなければならない)。 (2)何億年もの間、岩石から外部にウランや鉛が全く流出しなかった(水に溶けたりして外に流出したりすることは全くなかったと考える)。 (3)ウランが鉛に変化する速度は常に一定であり、変化しない。 (4)ウランの半減期(約45億年)は正確である(ウランが半分鉛に変化するのにかかる時間のことを半減期と呼ぶ)。 しかし、このような前提条件が全て正しいことは現実的にあり得ません。特に、最初に岩石中に含まれる鉛がゼロであることはほとんどあり得ません。よって、常にこの測定法で岩石を測ると、実際よりはるかに古い年代を指し示すことになります。 4.花崗岩のジルコン結晶とヘリウム 花崗岩のジルコン結晶を「ウラン=鉛」法で計った場合は、15億年前の岩石という結果が出ました。次にヘリウムの量だけで計ると、数千年という結果が出ました。15億年と比較すると、全く桁違いの数字です。「ウラン=鉛」法の信頼性が相当低いことが分かります。 5.「炭素14」法という放射性炭素による年代測定法 「炭素14」法は、半減期が5,730年なので、100,000年を超すものは測ることができません。逆に言えば、炭素14が見つかるということは、何億年はおろか、100,000年以下でなければおかしいのです。しかし現実には、進化論が「何億年」と言っている恐竜の骨や石炭鉱床内に炭素14が見つかっています。 ダイヤモンドの例--「カリウム=アルゴン」法という放射性元素の年代測定法によると、10~20億年前のものと出ました。「炭素14」法で調べてみると、58,000年という結果が出ました。そもそも何億年前のものであれば、炭素14法では測定できないので、測定できた時点でおかしいのです。なお、ダイヤモンドの結晶の構造上、炭素14が後から混入した可能性はありません。 二、「長い期間」を指し示していない数々の観察証拠 非常に多くの証拠が何億年という時間は不要であること、そして地球が何千年単位のものであることを示しています。 1.1980年代のセントヘレンズ山の噴火 1980年5月18日、アメリカ北西部・ワシントン州にあるセントヘレンズ山が爆発しました。30フィート(約10メートル)の地層がわずか3時間という短時間で形成されました。また続いて起こった泥流によって岩石が削られ、あっという間に渓谷ができました。 2.グランドキャニオン 北アメリカ大陸全体に広がるような広大な地域に水平に堆積している地層を見る限り、これが地球規模の洪水で堆積したものでなければ考えられません。すなわち、ノアの大洪水を指し示しています。ノアの洪水時に短期間で形成された地層がまだ柔らかいうちに、せき止められていた洪水後の水や雨が泥流となり、あのような渓谷を削っていったと考えられます。短期間で形成された渓谷の底に、やがてコロラド川が流れるようになりました。コロラド川が地層を侵食して何億年もかけて渓谷を作ったのではありません。また、地層がまだ柔らかいうちに隆起したとしか考えられないような、歪められた曲線の地層が観察されています。 3.コンクリートとは、すなわち人工の岩石 短期間で出来る岩石の例で、何億年もかかりません。 4.オーストラリアの海岸で発見された鉄線の輪の化石 1970年代からまだ数十年しか経っていないのに石化しています。 5.魚が魚を良べている瞬間の化石 瞬間的に土砂に埋められて保存されない限り、このような状態で化石になることはありません。 6.木の化石化 自然では数百万年かかることを、実験室では数日で行うことができると言っていますが、実験室で数日でできるなら、自然の中でも短期間でできることは不思議ではありません。 7.氷床の形成 進化論では氷床は非常にゆっくりと形成されるといわれています。しかし、第二次世界大戦中のグリーンランドの氷床上に不時着した飛行機は、46年間で、約75メートルもの深さの氷に埋もれました。短期間でそれだけの厚さの氷が積もったのです。 結論--アダムの罪による死と苦しみ、そしてキリストの贖いによる永遠の生命を信じるクリスチャンは、何億年という進化論の数字を受け入れるべきではありません。なぜなら、何億年という数字は、創造主のことばを否定する人たちが考え出したものであり、神学的にも科学的にも矛盾しているからです。甲斐慎一郎の著書→説教集東京フリーメソジスト昭島キリスト教会
2011.09.18
コメント(0)
「天地創造は六日か幾億年か-前編」 アンサーズ・イン・ジェネシス代表 ケン・ハム 創世記1章 世界中の博物館や動物園で、「何億年前、何千万年前」という表示を目にします。聖書には、神(創造主)が六日(+1日休みの1週間)で万物を創造されたと記されています。 クリスチャンが進化論と妥協して「何億年」を信じることは、聖書の権威を軽んじることです。 一、聖書から分かること--六日の創造、六千年の歴史 創世記1章に記されている創造の六日間。六日目にアダムとエバが造られました。 系図(アダムとエバの子孫たちの年表--創世記5章、11章)には、父祖たちの生まれた年と死んだ年が記されています。足してゆけば、アダムの誕生(創世記1章)からどれくらいの年月が経過したかが分かります。すると、アダムからアブラハムが約二千年、アブラハムから現在までが約四千年、つまり天地創造から現在までが約六千年であることが分かります。これは、聖書に記されている情報をもとに分かることです。 やってみよう:創世記をもとにアダムからアブラハムまでの年を数えてみよう(応用編:アイルランドの司教、ジェームス・アッシャーが数えた年代を調べてみよう)。 二、聖書に「何億年」を当てはめようとしたイギリスの教会のリーダーたち 聖書から分かる地球の年齢は約六千年です。しかし、教会のリ一ダ一たちは、この世の科学者が何億年も経過していると言うのを聞いて、なんとかして聖書の中に、「何億年」を入れようとしました。もし何億年という数字を聖書に押し込もうとするなら、当然それは、創世記1章のアダムが造られる前のどこかということになります。なぜなら、父祖たちの寿命が「何億年」だったとは、さすがに言えません。そこで、創造の六日の前か、六日の間のどこかに何億年を入れることになります。こうして六日の創造を文字通りにとらない、様々な解釈が生まれることとなりました。しかし、もし聖書がはっきりと「六日」と言っているのに、それが文字通りの六日を意味しないなら、創造主は、聖書に正しく記すことができなかった、つまり聖書は誤りなき神(創造主)の言葉ではない、と言っていることになります。つまり、「六日」を「何億年」と解釈しようとすることは、神(創造主)のみことばの権威を軽んじる行為なのです。 英国のこと--第二次世界大戦前には教会出席率が人口の50%だった国が、今や7%に減少しています。教会は、相次いで閉鎖され、ジムやカフェ、劇場や他宗教の会堂に改装されています。ヨ一ロッパは霊的に死んだ状態にあります。なぜでしょうか。残念ながら、この世の科学者の言うことの方が聖書よりも正しいと思ってしまったイギリスの教会のリーダーたちは、進化論の「何億年」という数字を受け入れてしまいました。そして、聖書の中に「何億年」を当てはめようとしました。そのような妥協的な姿勢が、イギリスの教会の没落を招いたのです。 三、YOM(ヨーム)の意味について 1.旧約聖書に2,301回出てきますが、なぜか創世記1章だけ、その意味が疑われています。創世記1章の「日」は、ヘブル語では「YOM(ヨーム)」と言います。この単語は、「時間」を意味することもありますが、ほとんどの場合、「一日」(または「日中(昼)」)を意味します。言葉は、複数の意味を持ちますが、文脈がその意味を決定します。ヨームを「長い期間」と取りたくなるのは、進化論が言う「何億年」をそこに押し込みたいという目論見があるからです 2.ヘブル語聖書辞典(Lexicon)による定義では、ヨームは24時間の1日を第一義的な意味に挙げ、その意味で使われている聖書箇所として創世記1章5節を挙げています。 3.創世記1章以外の旧約聖書の箇所でヨームが数字との組み合わせや、「夕」や「朝」という言葉との組み合わせで使われる場合、常に通常の1日(24時間)を指しています。 4.創世記1章で使われている「ヨーム」は、数字および「夕」や「朝」という言葉との組み合わせで使われているので、通常の1日(24時間)を指していると考えるのが自然です。 5.一週間が七日であるという定義はどこから来たのでしょうか。 「主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである」(出エジプト記20章11節)。 もし一日が百万年であるなら、「主が六百万年で創造し、百万年休まれた」と取らなければならなくなり、意味をなしません。 6.「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」(第二ペテロ3章8節)というみことばをもとに、創世記1章の「一日」は「千年」を指す、という人がいますが、この箇所は主が時間を超越された方であることを表している文章です。たとえ「一日]が「千年」だったとしても、「億年」にはなりません。また、都合のよいところだけ「一日」を「千年」に置き換えることはできません。ヨナは、魚の腹の中に三千年もいたというのでしょうか。 7.「創造の初めから、神は人を男と女に造られたのです」(マルコ10章6節)。 「創造の初め」であるはずの人の創造より何億年も前に天地創造があったと考えるのはおかしいのです。 結論--創世記1章の「YOM(ヨーム)」は、文字通り通常の一日と取るのが聖書的な読み方です。甲斐慎一郎の著書→説教集東京フリーメソジスト昭島キリスト教会
2011.09.11
コメント(0)
「聖書が教える逆説の宗教」 甲斐慎一郎 マタイの福音書、16章24~28節 「キリスト教は、パラドックスの宗教である」と言われます。この「パラドックス」ということばは、日本語では「逆説」とか「逆理」また「背理」とか「矛盾論」と訳されています。その意味は、「外観的には矛盾していて、一見不合理に見えながらも、その実は真理であるもの」ということです。 一、聖書が教える逆説の例について 聖書には数多くの逆説が記されています。聖書は私たちが神とキリストと福音のために1.貧しくなるなら富む(マタイ5章3節)2.悲しむなら慰められる(同5章4節)3.義に飢え渇くなら、満たされる(同5章6節)。4.くびきを負うなら、安息する(同11章29節)5.いのちを失うなら、それを見いだす(同16章25節)6.仕えるなら、偉くなる(マルコ10章43節)7.自分を低くする者は、高くされる(ルカ14章11節)8.見えないことを認めるなら見えるようになる(ヨハネ9章39 ~41節)9.義の奴隷になるなら罪から自由になる(ローマ6章18節)10.苦難をともにしているなら、栄光をとも に受ける(同8章 17節)11.死ぬなら、生かされる(第二コリント4章10節)12.弱い時にこそ強い(同12章10節) と教えています。 代表的なものを12ほど挙げましたが、これだけを見ても、どんなに聖書は私たちに逆説を教えているかがわかるでしょう。 二、聖書が教える逆説の理由について それでは神の真理は、なぜ私たちの目に逆に見えるのでしょうか。それは神と人との根本的な相違にあるということができます。 1.時間的な相違 神は永遠に存在する方ですが、人間は有限な者です(詩篇90篇1~6節)。神は永遠の目をもって目標点から出発点を見ることがおできになりますが、人間は出発点からしか目標点を見ることができません。ですから神の真理を後ろや裏から見ていることになるので、逆に見えるのではないでしょうか。 2.空間的な相違 神は高い天に住んでおられる方ですが(イザヤ57章15節)、人間は低い地上に住んでいる者です。ですから神の真理を底や裏から見上げていることになるので、逆に見えるのではないでしょうか。 3.本質的な相違 神は聖なる方です。これに対して人間は罪深い者です。神は、「善にして善を行われ」る方ですが(詩篇119篇68節、口語訳)、罪人は「悪を善、善を悪」(イザヤ5章20節)という者です。ですから神の真理が逆に見えるのではないでしょうか。 三、聖書が教える逆説の宗教について 人間は、このような大きな溝を渡ることはできないのでしょうか。次のような三つの方法によって、この溝を渡ることができます。 1.罪深い人間は、聖なる神に近づくことはできませんが、聖なる神は、罪深い人間のところに来られ--人間のからだを持って生まれ--「十字架の上で、私たちの罪をその身に負われ」(第一ペテロ2章24節)、救い主キリストを信じる者を「きよめて聖なる者」としてくださるのです(エペソ5章26節)。 2.十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた「御子を信じる者は永遠のいのちを持」ち(ヨハネ3章36節)、「永遠に生き」る者としてくださるのです(同六章51節)。 3.私たちは、地上の世界に住んでいますが、神は、私たちの罪をその身に負われた御子を信じる「私たちをキリストとともに生かし......ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせ」て(エペソ2章5、6節)、その「国籍」が「天にあ」る者としてくださるのです(ピリピ3章20節)。甲斐慎一郎の著書→説教集東京フリーメソジスト昭島キリスト教会
2011.09.05
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1

