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⇒「あのころの家族模様・前編」はこちらから。夫の退院翌日も娘はVCE試験を控えていた。Chemistry科学の試験の後に、翌日はPhysics物理学。後2日。それでめでたく全科目の試験が終了する。受験生の娘にとってはまさにもう一息なのでした。ところが、退院したその夜も夫は痛みを訴えた。病院からもらってきた痛み止めも効かないようで、痛みで動けず、呻いていた。その様子は入院前と大差なかった。だから退院しても大丈夫なのかって聞いたのにっ!と、言いたい言葉は飲み込んで、「病院に戻った方がいいんじゃないの?」とやんわり勧めてみたけれど、夫は戻ろうとはしなかった。元々、ちょっと痛くても大騒ぎする私と違って苦痛を訴えるタイプではなかったから、よほどの痛みだったに違いない。たぶん私なら即救急車を呼ぶような…。こんな状態で患者を退院させた病院に猛烈に腹を立てていた。退院を一言の相談もなく、勝手に決めてしまった夫にも。自分のことは家族に相談もせずに決めてしまうということは夫がやりがちなことだったから。痛みに苦しむ彼は気の毒だったけど、勝手に退院を決めたあなたの自業自得じゃないのよ、と腹を立てている自分もいた。明日は娘の大学受験が控えているのに…。なんでメェのこんなに大切なときに退院してきたのよ!後2日で終わるんだから、私だったら終わってから戻ってきたわよ!と。翌日は子どもたちを学校に送り出すやベッドや椅子、シャワー用シートやトイレシートなど介護機器をリースしようと駆け回った。入院前に夫が家具が背骨の激痛に喘ぐ自分の規格に合わない、と言っていたから、苦痛が軽減されるような介護用ベッドをゲットしなければ、と。夫の安眠と、何よりも受験中の娘のために。今夜こそ娘をぐっすりと眠らせてあげたかった。病院用の介護ベッドを貸してくれる業者を見つけたものの、配送は翌日になると言われた。それでも夫の方は一晩乗り切れば楽になれそうだったけれど、明日、受験最終日を迎える娘の方は…。たっぷり眠って、ベストな体調で受験に臨ませてやりたいのに。するとその夜、息子が告げに来たのだった。「ムゥがダディンについているから、ママとメェは早く眠ってよ」、と。えっ、あなたが・・・!? 「ありがたいけど、ムゥがついていても、痛み出したら難しいと思うよ」「そのときはママを起こしに行くから。明日はメェにとって大切な日だってことを考えたら、送っていくママは事故なんか起こさないようちゃんと寝なきゃ。(㊟ 私は未だに運転が苦手…)それよりメェが早くぐっすり眠れるように霊気してあげなよ」思いもよらなかった息子の発言だった。我が家は二人っ子なので、ムゥは何年たっても家族で最年少。いつまでもワガママ甘えん坊の下の子だと思っていたのに・・・。あの、ムゥが!いつの間にか成長していたのね…。息子の決意が固かったので、結局ダディンのことは任せることにした。ムゥの成長が嬉しかったってこともあるけれど、いつもの根深~い夫婦間の軋轢もあった、と思う。相談もなく勝手に決めてきた夫に対する苛立ちと怒りに、またなの、勘弁してよ…って気持ちもあったから。だけどその夜、ムゥが父親に呼ばれることはなかった。ダディンは呻くこともなかったのだそうだ。それでムゥは夜中に自分のベッドに戻り、お陰で娘もその夜は眠ることができた。睡眠不足が続いていた私も眠ることができたのだった。夫はあの夜、眠れたのだろうか? と、ふっと思うことがある。子どもたちのことを思って我慢しまくったのかもしれないな。元々苦痛や弱音を吐く人ではなかったし、夫自身、娘の受験を優先していたから。時間が前後するけれど、その年の7月半ば、1月末から始めた2度目の化学療法が効かなくなって、10回予定の9回目で中止することになった。それで主治医は代わりにシドニーで行われている最先端の臨床試験、放射性核種内用療法を勧めてくれた。夫の病状や治療歴なら受け入れられるだろうから、と。それは、副作用もほとんどなく、末期癌の患者でさえ治ってしまう人もいるという言わば、夢のピンポイント放射能治療だった。私は単純に「いいね!」マークを送ったけれど、夫の方はそのとき主治医に尋ねたのだった。あなたの癌専門医としての経験から言って、自分は後どれくらい生きられるだろうか?、と。彼女は申し訳なさそうに答えた。余命1年、と。夫も衝撃を受けていたようだけど、私もショックだった。それでもどこかで覚悟はできていた。夫の癌が見つかって初めて彼女とここで会ったとき余命数年、2年から5年だろうと言われたのだった。あのときから既に2年が経っていたから。それ以上に3か月後に大学受験を控えた娘のことを思って青ざめたのだった。受験前に父親に何かあったら…と。その日、夫と私は、娘の受験が終わるまでは子どもたちには内緒にしておこう、と決めた。思えば夫も私も、この実験的新治療に対する希望のお陰でそう決断する余裕があったのかもしれない。あのときは自分たちが考えていた以上に期待していたんだろう。この画期的な癌治療なら、うまくいくかもしれない、と。あの頃のことを思い返せば・・・やはり複雑な気持ちになってしまう。妻として、夫には可哀想なことをしてしまった。それから1年後、ハロウィーンの夜に息子が呟いたのだった(前回の日記「メルボルンの規制緩和とハロウィーン・クッキング」に)。「ダディンに悪かったなぁ・・・って思うことがあるんだよねぇ」、と。話を聞いてみれば、意外にも娘の受験前夜のことを思い出していたのだった。あの夜、ムゥは夜中に1度だけダディンから呼ばれたんだそうだ。背骨が痛むのかと行ってみれば、もう遅いから一緒に眠らないか、と。そうしてあげれば喜ぶだろうなぁと思いながらもちょうどカップヌードルを食べながらDVDで映画でも見ようとお湯を注いだところだったので、断ってしまったんだそうだ。そんなことがあったのか…と聞きながら、そんなことを息子は気にしていたのか…と切なくなった。後悔しなくちゃならないような、そんな出来事でもないと思うのに、ムゥの心には刺さっているんだろう。結局、放射性核種内用療法は失敗し、その半年後に夫は帰らぬ人になってしまった。それは、仕方のないことだったと考えている。夫の寿命だったのだろう、と思う。逆に、コロナ禍で恐ろしいことになってしまう前に安らかに逝くことができて良かった、と。それでも、可哀想だったなぁ…と思い出すことはあるんだ。とりわけ妻として、もっとしてあげられたのかもしれないなぁ…とか、あのときは可哀想なことをしてしまったなぁ…とか。きっと子どもたちもそういう痛みを残しているんだろうなぁ…。それが、ふとした切っ掛けで心に浮かんでしまうんだろう。だけど私は自覚もしている。それがあのときの、自分の精一杯だった、と。たぶん夫も、子どもたちも、みんな―。人が亡くなるときにはいろいろと不思議なことが起こるというけれど、夫のときもそうだった。ほんとうに、すべてが導かれているかのようだった。彼の人生は、私たちが思っていたよりも短かったけれど、天寿を全うしたのだと思う。不治の病を抱えて、日常生活を生きるということは、どれほどしんどかったことだろう…。まだ10代の子どもたちを残して逝かなくてはならなかったことは、どれほど心残りだったことだろう…。だけど、といおうか、だからこそ今世で学ぶべきことを学び切ったんじゃないのか、と到達しようと決めていた精神的境地以上のところに到達できたんじゃなかろうか、と夫を見送ったときに悟ったのだった。大往生だったんだなぁ、と。亡くなってから交代で供養にお経をあげている。そのときに話しかけてあげるようにと子どもたちに勧めている。昔のことでも、今のことでも、気になったことは何でも。亡くなった人でも想いは伝わると思うし、それより何よりも自分の心が軽くなる、満たされるから。子どもたちにはこれからも父親と話す時間が必要だと思うから。今年のハロウィーンのときもそうだったけど、娘は時々「しあわせだねぇ」としみじみ呟いてくれる。おっとりと柔らかな声音の、そのつぶやきを聞くたび私も本当にそうだなぁと実感するんだ。それでもまだしみじみと幸福を感じられる。なんてありがたいんだろう。それも、夫が大丈夫だと往生しているのだろうと思えるからかもしれないなぁ。結局、私たちはその時々で自分なりの「精一杯」を生きている。自分も、周りも、みんなそうだと意識していることは、とても大切だと思うのです。冒頭の写真は、あのころ、両親に連れられて毎朝我が家に餌を貰いに来てくれていたベイビー・マグパイです。ベイビーといっても、ティーンネイジャーくらいにはなっていたんだろうけど。この手前の色の薄い子がベイビーで、背後にいるのはダディ・マグパイ。裏ドアから中を覗いているのが、マミィ・マグパイ。この1年前に私が自宅でチベット密教リトリートをしたとき(2018年12月の日記「初めての独りリトリートと僧院ステイと、夢と」に)この子と仲良くなったのが絆を結んだ切っ掛けでした。愛しい、あのころのマグパイ一家です。にほんブログ村に参加しています。応援クリック、よろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村[マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.12.03
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ブログ10月の日記「コロナ禍のハロウィーン」で触れたけど、去年のハロウィーンの翌日から夫の人生も、私たち家族の人生も大きく変わった。1年が経ち、あのころのことを思い返せば、何か不思議な気がしてしまう。熱にでも魘されていたような。どこか心が麻痺していたような。当時は余りに毎日が慌しくて心の余裕もなくて書けなかった (今も毎日慌しいけれど気持ちの余裕はあるの )「あのころ」のことを書いてみようと思います。ハロウィーンの翌日、自宅に戻ると、夫がファミリールームのカウチに座っていた。いつもなら自分の書斎で仕事をしている時間なので珍しいな~と思いつつ私の方は夕食の支度で忙しなかったので気にも留めなかった。夫はキッチンに立つ私に話しかけるでもテレビを見るわけでもなく、ただ座っていた。夕食の支度ができて、子どもたちを呼び寄せたとき2階から降りてきた娘に夫は言ったのだった。「一人じゃ立ち上がれないから、メェちゃん、手を貸してくれる?」はぁ?一人じゃ…立ち上がれ・・・なぁい!? 目が点になってしまった。夫が自分ではカウチから腰を上げられない状態になっていた!?ってことも驚きだったけど、それ以上に、私に頼まなかったことに。私はずっとここで料理を作っていたのだから「腰が痛くて立ち上がれないから手を貸してくれる?」と一言、頼めばいいではないかっ!?それを娘が現れるまでひたすら待ち続けて頼むって… 何、それ!?感じ悪過ぎだろ。嫌がらせっ?もしかすると、料理で忙しそうだったから頼むのを控えたとか、骨粗鬆症予備軍の私には敢えて頼まなかったとか、そういう理由だったのかもしれないけれど、正直ムッとした。そうして、それはまさに私たち夫婦の関係を象徴していた、と思うのだ。結婚四半世紀を経て、関係は重く、距離間はむしろ遠ざかり・・・。いつしか夫も私も、頼みごとは配偶者にではなく子供にするようになっていた。国際結婚はうまくいっているときはいいけれど不仲になると大変だと、私が小学生のころ母が新聞で読んだと言っていたことを思い出す、国際結婚で何十年も同じ屋根の下で暮らしていると、それぞれの文化的要素や育ったバックグラウンドがあまりに明確クリアにわかり易~く違うために、険悪になれば庶物、わかり易~く闘争のネタになる。日々の食事や生活習慣、家庭内で話す言語やテレビや文化面、果ては、どの国で暮らすかまで。それぞれが自己主張し出せば切りがなく、際限なく、エゴのぶつかり合いとなってしまうんだ。そうでなくても、夫婦は子育てを通してぶつかり合うことが多いというけれど、私たちの軋轢はかなりのものだった。思い返せば水面下でも水面上でも、日々揉めまくっていたのだった。それでも家族の絆という点では、しっかりと結ばれていた。二人とも、子どもが何より大切だという、この家庭をどうしても守りたいという、その共通の思いから。そうしてその夜―複雑な思いの私をよそに、娘に手を引っ張ってもらってカウチから腰を上げた夫は、夕食の後またカウチに直行した。自分の書斎にも寝室にも戻らず、腰が痛いからベッドでは眠れない、とそのままカウチで一晩を過ごしたのだった。シドニーの医師団から、最後の頼みの綱だった放射性核種内用療法を中止するという連絡を受けた翌日ではあったけど、昨日まで夫はそれなりに「ふつー」に生活していたのに…。本人は、子どもたちが入ったプールのカバーを戻した際に腰の筋肉を傷めたのだと言っていたけれど、まったく訳が分からなかった…。翌日になっても夫の腰の痛みは引かず、むしろ酷くなっていた。結局、夫は夜中に大学病院の救急に行った。病院から戻って来たのは翌日のお昼ごろで、入院させるかどうかで病院側は迷っていたそうだけど、痛み止めを処方しただけで返された。私は、痛みの原因が癌の進行のせいじゃないかと心配していたのだけれど、医者は本人のいうように無理な動きから腰を痛めたのだと判断したらしい。だけど検査の類は何もしなかったんだそうだ。激痛で救急医療に駆け込んだのに、レントゲン写真の1枚も撮らない・・・オーストラリアの医療らしいとは思ったけれど…。それでも病院で貰ってきた強力な痛み止めのお陰で夫はベッドで眠ることができたのだった。少なくともその夜は。けれど翌日にはもう病院で支給された痛み止めも効かなくなって、夫はやっぱり入院したいと言い出した。ベッドも椅子もバスルームも、この家の家具は何一つ背骨の激痛に喘ぐ自分の規格には合わないからここではとても生活できない、と。GP、ホームドクターを訪ね、その日のうちに地元の病院に入院することが決まった。ハロウィーンの夜から僅か4日後のことだった。入院してから検査の結果、痛みの原因はやはり骨折だとわかった。背骨の一部にヒビが入っていて、普通に生活できるようになるには2か月ほどかかるだろう、と。それでも激痛の原因が癌によるものではなかったので、ホッとした。幸い病院が近かったので、毎日お見舞いに行くこともできたし。父親の突然の変化に子どもたちはかなり戸惑っていたと思う。中1の息子はもちろん、大学進学のVCE試験が始まっていた娘など、特に。娘本人は私たちと一緒に父親のお見舞いに行ったり、勉強の合間に弟と遊んだり、家の手伝いをしたりと普段と変わりなく振舞ってはいたけれど、内心ではどれほど不安だったことだろう・・・。ちなみに、VCEとはVictorian Certificate of Educationの略で、ビクトリア州高等教育の修了証書である。一般的にビクトリア州ではこのVCE試験がオーストラリアの大学受験になる。その結果によって希望する大学のコースの合否が決まるので、受験生にとっては一大事なのだった。夫の入院から1週間後の11月11日、娘の方は今年2科目目のVCEでSpecialist Mathmeticsを受けることになっていた。数学は娘の得意科目だったけど、父親の入院騒動の真っ只中だったから精神的ダメージやストレスを憂慮して私は内心、心配していた。当日は娘を無事、試験場に送り出せたことだけでもうホッとしてしまったのだった。ところが―その日のお昼ごろ夫から電話があった。夫は弾んだ声で「退院が決まったからすぐに迎えに来て欲しい」、と。「えっ、退院!? 今すぐって…」退院なんて話は昨日は一言も出なかったのに…なんでそんなに急に?と、突然の退院話に私は驚き戸惑ってしまった。嬉しそうな夫に水を差すようで悪いかな?とは思ったけれど、「痛みは治まったの? もう大丈夫なのっ?」と念を押してみた。けれど夫は「とにかくもう大丈夫だから。退院の手続きも済ませてあるから、すぐに迎えに来てほしい」、と。昨日は全然、大丈夫そうには見えなかったのに…。何か腑に落ちないものを感じながらも、夫の入院していた病院にとにかく向かったのでした。続きは「あのころの家族模様・後編」で。写真は去年の今頃のポーポーちゃん(冒頭)とチャー君(すぐ↑)です。当時の写真を見ていて思い出したのですが、去年の今頃は夫の入院や娘の受験で慌ただしくて、2匹とも今年のロックダウン並みに長髪犬になっていたのでした。(^ ^;)にほんブログ村に参加しています。応援クリック、よろしくお願いいたします(^^♪にほんブログ村 [マックあつこの著書]『Tamagoー39歳の不妊治療』えっ、不妊症!? ミラー月子はたまご時計に急かされながらベイビーを夢見て先の見えない旅に出た。メルボルンからアラフォー妊活小説『Tamagoー39歳の不妊治療』 Kindle電子書籍『Tamagoー39歳の不妊治療』単行本『インスタント・ニルヴァーナ』もしもあなたの大切な人がカルトの罠に嵌ってしまったら? マインドコントロールの鎖は密かに繋がれてゆく。サスペンス長編3部作『インスタント・ニルヴァーナ 上巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 中巻』 Kindle電子書籍『インスタント・ニルヴァーナ 下巻』 Kindle電子書籍[Ako Mak 英語の著書]『Someday, IVF at 39』‘Someday, IVF at 39’ ―poignant, humorous and mysterious― a cross-cultural odyssey for motherhood.『Somedsay, IVF at 39』 英語版Kindle電子書籍[マックあつこのHP]マックあつこのHP Ako Mak HP
2020.12.02
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