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『千代紙』鈴木三重吉(近代文学館) 暇に任せて図書館に行ってみました。 ところが、なぜなんでしょーねー、図書館に常時行くという習慣がどーもないんですね、わたくしには。 読んだ本を自分のものとして持っておきたい、って気持ちも確かにあるんですねー。 昔、図書館で借りて読んだ本を、きっととても感動したからだとは思いますが、その後買ったということが、何回かありました。(しかし買ってから再読はしていないんですがー。) でも時々ふと図書館に行ってみようという気持ちが起こります。なんと言っても、私の私生活のベースは読書でありますから。 そして図書館に行けば行ったで、やはり結構楽しいんですよね。で、今回、こんな本を見つけたわけであります。 今回取り上げた本は近代文学館から出版された復刻本です。だから、明治40年の初版時そのままのスタイルなんですね。すると、漱石の手紙が入ったりしていました。前書きの代わりなんでしょうが、昔はこんな形式もあったんですかね。なかなかおしゃれです。 ところが、その漱石の書が読めない。変体仮名というほどのものではないのかも知れませんが、とにかく極端な草書なものだから、最初は一字も読めませんでした。 そこで、ごそごそと漱石全集を取り出してきまして、書簡の巻から該当する漱石の手紙を探し出しました。 おかげさまで一応書いてあることはわかったのですが、読めてみると、別に思いがけない発見があったわけでもありませんでした。 感動的な書簡の多い漱石の手紙にしては別に何というところもなく、まー、普通の事務書簡の様でありました。ようは、処女出版が万事整って良かったなぁ、我が輩もうれしいよ、というほどの内容でした。 しかしなるほど、この短編集は、鈴木三重吉のデビュー作などの収録された処女出版であったのですね。 少し調べたのですが、本短編集に含まれる3つの小説は、三重吉24歳の作品であります。そう知ってみると、なかなかすごいものです。漱石が絶賛したのも宜なるかなと思います。中でも『千鳥』という作品(これこそデビュー作ですが)は、師匠漱石の『草枕』に影響を与えたという説まであります。 『草枕』……ですか。なるほど、本作も、なんともモーローとした作品ばかりであります。東洋的消極主義のような作品ですね。 文体などは実にしっかりこなれたすばらしいものではありましょうが、何といいますか、作品の結構について、少し意地悪な感想を述べますと、なんだか少しうがったひねくれた小説のような感じもしないではありません。 例えば、『千鳥』の終盤に、こんなことが書いてあります。 ――千鳥の話とはおしのお長の手枕にはじまつて、絵にかいた女が自分に近よつて、狐が鼬程になつて、更紗の蒲団の花が淀んで、鮒が沈んで針が埋まつて、下駄の緒が切れて女郎蜘蛛が下つて、机の抽斗から片袖が出た、其二日の記憶である。――自分は袖を膝の上へのせたまま、暗くなる迄じつと座つて色々な思ひにくれた末、一番仕舞にかう考へた。話は只此二日で終らなれけば面白くない。跡へ尾を曳いてはもうへぼだと考へた。(或西の国の小島の宿りにて名を藤さんといふ若き女に会つた。女は水よりも淡き二日の語らひに片袖を形見に残して知らぬ間に居なくなつて了つた。去つてどうしたのか分らぬ。)それで沢山である。何事も二日に現はれた以外に聞かぬ方がいい。もしや余計な事を聞いたりして、千鳥の話の中の彼女に少しでも傷が附いては惜しい訳だ。 小説の終わりに、こんな感じで内容をまとめ、これで終わらねば「へぼ」だと書いてあるんですね。しかし、実際はストーリーとしては、このままでは展開の落としどころが全く書かれてありません。 叙情的に二日間が書かれ、そこでそこはかとなく散らされた「謎」(というほどのものはないですが、日常のちょっとした裂け目)は、収束するところを全く否定されたまま、上記のような説明が入ってきているわけです。 老練といえば老練な気もしますが、やはり少々文学的冒険心に欠けるような気もします。少なくともデビュー作なんだからもう少し踏ん張って欲しいと思うのは、私の勝手な思いこみでしょうか。 漱石は晩年、『道草』とか『明暗』とか、かつて漱石を「低回派」と嘲った自然主義の作家が、最近の漱石はよくなったと評したという、いわゆる自然主義的リアリズムに近い形で作品と格闘しつつ(たぶん格闘しつつ)、自分の初期作品、例えば『虞美人草』とか『草枕』に対して否定的な意見を表明しました。 もちろん、自分が書いた作品だからそんなことを言ったのだとは思いますが、『道草』や『明暗』を一方でイメージしますと、晩年の漱石がそのように「変質」したのは、何となく分かるような気がしますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2013.09.30
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『昭和の文人』江藤淳(新潮文庫) この文芸評論家の本も、わたくし、むかーしに読んだきりで、有名な『夏目漱石』と、後、2.3冊くらい読んだと記憶します。 『夏目漱石』だけは初読後も何度か部分的にぱらぱらと読んだ覚えがあって(漱石の小説を読んだ後とかにですね)、内容も少しくらいは覚えていますが、それ以外は、もー、ほぼなーんにも覚えてないですねー。いやー、えらいモンです。(って、何が。) でもまぁ、そんなことって私の場合、江藤淳の作品以外にもいっぱいありそうなんですけれどもねー。 ともあれ、久し振りの江藤淳ですが、冒頭からしばらくは結構面白かったです。 本作は、タイトルから想像できる範囲のいろんなテーマの内のその一つ、「転向」を取り上げているんですね。でも、その取り上げ方が、結構ユニークでありました。 普通、近代日本文学史における「転向」のテーマと言えば、昭和初年、プロレタリア作家が国家による思想弾圧によってその共産主義的思想を放棄させられることを言いますね。(放棄しなければ、その典型例は、有名な官憲による小林多喜二の拷問死ですね。) ところが本書では、もちろんその「転向」も一部含みはしますが、江藤淳が取り上げているもう一つの「転向」とは、昭和20年の敗戦後のアメリカ占領政府下に追求された文人の戦争責任を逃れるための「転向」を指しているんですね。 これはいかにも、江藤淳らしい問題意識のあり方ですよねー。 というのも、わたくし、江藤淳について上記に述べた如くほとんど知らないながら、いわゆるマスコミやその他の断片的知識でもって、右っぽい人のイメージを持っているんですが、えー、間違っていませんかね。 だから、いかにも江藤淳っぽい、と。 なるほど、考えれば当たり前ではありますが、この昭和初年から約20年間ってのは、いわば「W転向」の時代であったんですね。 例えば、本編にはちらっとしか出てきませんが、火野葦平ってのは、そんな作家なんですね。 まず、昭和初年、プロレタリア文学から転向しまして、その後『麦と兵隊』などのいわゆる「国策文学」を書いていたら、今度は敗戦のために一転、戦争協力者として文壇追放されてしまったという。 んー、まー、あれこれ評価はありましょうが(いわゆる「後付けの評価」ですよねー)、まさに時代が、国家が、個人の運命を弄んでいるとしかいえないような悲劇でありましょう、このケースは。だってこの作家も、仮に20年ほど先に、あるいは後に産まれていたら、こんな事はなかったでありましょうに。 さて、本書は一応長編評論となっておりまして、主に取り上げている文人は3名です。 平野謙、中野重治、そして堀辰雄であります。 ところが、その3名の取り上げ方の関連性が、はじめよく分からないんですよねー。 いえ、平野と中野とはよく繋がっています。中野重治は昭和初年の転向作家ではありますが、転向後も実にじりじりと共産主義的思想を捨てずに頑張り通した方です。 一方平野は、一時は左翼的文章を発表しながらもその後は文壇にて戦争協力的な位置を得、そして昭和20年を境に、「忘恩」行為さながらに自らの戦争協力的経歴を否定した、と、まぁ、そんな風にまとめられています。 ついでに書いておくと、そんな平野に対し中野は、江藤淳曰く「文人が文人に対して浴びせかけた悪罵・嘲笑のなかで、かくも激烈なものはおそらく他に類例がない」という批判をします。 と、ここまで書くと、どんな批判なのか、やっぱり知りたいでしょ? ちょっと、引用してみますね。 (略)弱点にみちた、ともすれば平野あたりにも一ぱい食いかねぬわれわれ平凡人のレベルからみて下司だといったのである。「高潔で清浄な」誰かに比べて下司だというのならその下司は普通に清浄なのかも知れぬ。私が平野を下司だと言ったのは、そこらに転がっている並の人間以下に下司だと言ったのである。 と、まぁ、一応、平野と中野は共通「転向」テーマで括れるんですが、次に堀辰雄が出てきて、急にさっぱり分からなくりました、わたくし的には。 堀辰雄に関して述べられているのは、彼は父親を巡る出生の秘密を持っていたが、それを文学に反映するそのやり方に問題があるんじゃないかという、そんな展開なんですね。 わたくし、そのあたりを、……うーん、よーわからんなー、なんで、こんな展開になるのかなー、と思いながら読んでいたんですね。で、最後の方になって、やっとこんなフレーズに出会い、あ、そゆこと? と思ったのですが、こんなフレーズです。 ……(略)架空の小説的時空間が、文学の許容する限界を超えて、まさしく人倫そのものに抵触するような「嘘」で固められていることを、(略)…… あるいは、福永武彦の指摘としてこんな事も書いてあります。 フィクションといふものは(私のやうに私小説に反対する立場に立つ者にとつても)無限に可能なのではなく許容される範囲といふものがあり、この場合はその範囲を遙かに越えてゐる。 なるほど、これだったんだなー、と、思いました。つまり、小説を、人倫的に批評するわけであります。平野中野と堀の話の接点も、ここにあったんですねー。 実は私は、小説ってのは、全き自由の元に書かれるという先入観を持っている者でありました。 そして今でも基本的にはその通りに思っているのですが、このように改めて指摘されてみると、「定理」のように思っていたその前提も、否定肯定のどちらを選び直すというのではなしに、もう一度しっかり考え直してみる必要がありそうだなと、思ったのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2013.09.22
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『竹沢先生という人』長与善郎(岩波文庫) 例えばこんなことが書かれています。 「ねえ。君は仏様になりたいと思うかい。」 黙然としていた先生はなんと思ったかだしぬけにこう言って、また自分の顔を見た。 「さみしいという感じは、だが結局人間には必要なんだろう。」と先生はある時言った。「それがなかったら人間はあこがれというものを持たず、従って決して人生の深さを感じる事はできないだろう。その人の見る神の高さはその人の感じるさみしさの深さに比例するもんだ。」 (妻が、お妾を何人も持っているお金持ちも幸福なのかと尋ねたのに対して) (略)先生は楽に歩きながら言った。「そりゃまたそのはずさ。富貴である事はたしかに貧賤である事よりゃ幸福であるべきはずの、結構なこったからナ。ただし、そういう幼稚な幸福者にはとかく幸福ってもののいちばん根本的な条件が欠けやすいだけの事だ。」 「……て言うと?」 「そりゃ何かって言やアほかでもない、安心さ。」 小説を読む楽しみの一つに、何らかの意味で優れた登場人物に啓蒙される喜びってのがあると思うのですが、どうでしょうか。 例えば漱石の『三四郎』には広田先生という人物が出てきて、人生観、社会観、女性観など様々な考えを語ります。我々読者は、小説中の他の人物達と一緒に、広田先生の様々な思想に耳を傾けます。 そしてそんな場面を読むことは、『三四郎』の魅力の一つとなっています。 そんなことを思って、冒頭の文章を読むと、これらの文章もなかなか興味深いですよね。 しかし、しかし、こんなやりとりが作品のほとんどを占めているとすると、どうでしょう。 実は『竹沢先生という人』という作品は、そんな小説であります。 ……んー、ユニークといえば、まことにユニークな作品でありますねー。 現代小説ではちょっと類を見ない作品じゃないでしょうかね。(もっとも私は現代小説、ここ数年間くらいの間に発表された小説というのは、村上春樹以外はほぼ読んだことがないんですがー。) 明治以降の近代日本文学史の中で考えるとどうでしょうか。 似た感じの小説を思い出していくと、同じく白樺派の武者小路実篤の『幸福者』あたりが浮かんできます。同じ白樺派だというのは、決して偶然ではないですよね。 順を追ってちょっと考えてみたいと思います。 まず、現代小説にこんな作品がないと言う意味ですが、それはこんな事じゃないでしょうかね。 つまり現代では、こういった一種「倫理的」な文章は、小説ではなくて例えば宗教的な書籍が、それを必要としている読者の需要を満たしているんじゃないかということです。 では、明治から大正あたりを中心に、昔はなぜ白樺派がその責を果たしたのか。いいかえれば、その頃の白樺派が、人々に期待されていたものは何なのか。 さらにもう一歩突っ込んでいえば、あの時代に人々(すべての人々ではなくても)が白樺派をはじめとして小説に求めていたものが、なぜ現代小説には求められないのか。 上述の『三四郎』の広田先生が、こんなことを言っています。 「(略)近頃の青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。吾々の書生をしている頃には、する事なす事一として人を離れたことはなかった。凡てが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな人本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものが悉く偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展し過ぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。(中略) 昔は殿様と親父だけが露悪家で済んでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。尤も悪いことでも何でもない。臭いものの蓋を除れば肥桶で、美事な形式を剥ぐと大抵は露悪になるのは知れ切っている。形式だけ美事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地だけで用を足している。甚だ痛快である。天醜爛漫としている。(略)」 これは明治時代の「近頃」ですが、この「露悪家」が本当の近頃(現代)において、全く日本国全体(あるいは全世界?)の傾向になっていることは、インターネットなどを思い浮かべるまでもなく明らかであります。 結局「倫理」というものは、実際のところ個人主義が徹底していけば、広く汎用性を失っていくということでしょうか。 なるほど、この度私は岩波文庫で380ページほどの本書を読みつつ、実はこんな倫理的な事の描かれている部分が(そしてそれは本書のほとんどなんですが)、かなり読みづらかったのは事実であります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2013.09.14
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『大つごもり・十三夜』樋口一葉(岩波文庫) 先日、井上ひさし脚本の『頭痛肩こり樋口一葉』というお芝居を見てきました。 もちろん井上ひさし氏が亡くなられて既にかなりたっていますから(もう三年前になりますねぇ)旧作でありますが、再上演されるたびに評判のとてもいいお芝居だと聞きます。 そして今回も、その評判通りとても面白かったです。 私も見ていていろいろと感じたのですが、その一つが、「明治という時代に女性として生きることの困難さ」ということでした。 ……うーん、でも、これって一体どういうことなんでしょうかねぇ。 どういうことという意味は、細かく考えるとあれこれありまして、まず女性だから困難なのかと言う意味、あるいは男女問わず明治という時代に生きることが困難なのかという意味でありますが、そしてそれは同時に、今現在はどうなのか、男性についてはどうなのかという疑問にもつながっていきます。 本ブログでも既に何度か触れたことがありますが、山田風太郎や司馬遼太郎も(あの『坂の上の雲』で、青春時代のように瑞々しい明治時代を描いた司馬遼太郎でも)、明治という時代がやはり一種とても生きづらい時代であったことの指摘を何度かしています。 しかしじゃあ、江戸時代はどうだったんでしょうか。明治時代以上に、少なくとも庶民は生きづらい時代だったんでしょうか。 そうだったかもしれないな、という気がします。しかし、そんな知識に欠けるのでよく分かりません。 一方女性である生きづらさはどうなんでしょう。 上記に触れたお芝居の中に、こんなフレーズがありました。 「女が地獄に堕ちるには三日もあれば十分だ。」 これはかつて普通の庶民(どちらかと言えばお金持ち)の女房であった普通の女性が、その後色里に売られ売春婦となったストーリーを踏まえてのセリフです。 思うに、それは経済的主権ということでありましょう。そして、明治という時代に、一般女性が経済的主権を持つことが極めて困難であったことは、明治時代に女性が生きづらかったことのほぼ決定的な原因であります。 さて今回の読書報告でありますが、冒頭の岩波文庫には7つの短編が収録されています。この7作です。 『大つごもり』『ゆく雲』『十三夜』『うつせみ』 『われから』『この子』『わかれ道』 できのいいのはやはり有名な『大つごもり』『十三夜』でありましょうか。『わかれ道』なんていう短編もなかなかおもしろかったですが、とにかくこれらの作品は、実に水際立ってすばらしい。 まさに短編小説の鑑のような作品群です。 最近のちょっとしたブームなのか、それとも別にブームということでなくって正当な歴史的評価なのか、明治文学がらみの書籍をいくつか書店で見たりするのですが、明治文学のオーソリティに混じってよく取り上げられているのが樋口一葉であります。(少し閑話になりますが、一葉が五千円札の肖像になっている件ですが、これにつきましてはわたくし、以前考察をしたことがありました。結論だけをここでも述べますと、あれは与謝野晶子が選ばれるべきであったという「珍説」です。) 一葉だって鴎外が絶賛していますから(露伴も漱石もとても褒めています)、オーソリティに混じっていても当然といえば当然なのかもしれませんが、しかしなんと言っても、一葉は夭折したせいで作品数が圧倒的に少ない作家です。あれだけの作品数でこんなに褒められるとは、ある意味とても「効率」のよい作家です。 そしてそんな「効率」のよい作品のテーマがことごとく「経済的主権を持てない女性の生き方の困難」であります。(一見そんな事柄が書かれていないように見える『たけくらべ』でも、ヒロインの美登利は花魁になることを運命づけられた妓楼の養女です。) それは、作品のできがほれぼれとするものであるほど、読み終えた後に、その主人公の生き方について、じわじわと心の奥に染み込んでくるものになっています。 そう思うと、小説の持つメッセージ性とは(もちろんメッセージ性だけが小説の価値ではありませんが)、実に長い寿命を持つものであるなと、私はちょっとそんなことも考えたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2013.09.01
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