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妹が抗がん剤を服用し始めて、一週間がたつ。初日は相当きつかったようだが、健康食品P.Fとの併用で、少し副作用も和らいだ模様。レイカは、いつも家事をしたり祖母の世話をしたり、動いている。私が実家に帰るとエステ並のサービスをしてくれるし、ロンドン帰りのため家族でティータイムを楽しむようになった。彼女が帰ってきて、家の中がパーッと明るくなり活気づいた気がする。今日は、「自転車買ってあげようか」というと、自分も半分出すといって、喜んで母と親戚と、チラシにのっている赤い自転車を買いに行った。私も一緒に行きたかったが仕事場にむかった。医大まで自転車で通うという。車でも40分はかかるのにあんた、そりゃ無理やろう。せめて5つ先のバス停までにしとき。
April 30, 2006
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抗がん剤を服用して、3日目の朝。レイカは友人たちが購入してくれたP.Fという健康食を服用したおかげか抗がん剤の副作用が初日よりも和らいだと、話していた。昨日のレイカはわりと元気になり家事をこまめにこなし、一緒にケーキや紅茶を楽しんだり、エステのようにフェイスマッサージやリフレクソロジーを施してくれた。彼女は華やかでパワフルな外見と裏腹に非常に丁寧で優しく家庭的でそしてまめなのだ。そのギャップがどこにいっても多くの友人をひきつけてやまないのだろう。いずれは入院しなければならないだろうが、暫く通院でいいのなら抗がん剤とP.Fを飲みながら環境のよい実家で過ごしたほうが、精神的にもよさそう。本人も何かと働きたがっていて草むしりをしたり「近所の人たちにフェイスマッサージをやってお小遣いかせげないかなあ」などといっている。なので、本人にはまだ言っていないけど「バイトとして」マッサージをやってもらったり英語を習ったりしようかと、思う。だれかの役に立てるということは、自分の生きる喜びを見出し、達成感をもたらす。その達成感が、深く大きな、生きる力になることを、私は知っている。
April 26, 2006
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妹は昨日から抗癌剤を飲みはじめ、その副作用で吐き気とたたかっている。飲用前はあんなに元気で、食欲も旺盛だったのに。私は、その様子を見て、今週より実家ですごすことにした。今週は一日置きにC地区での仕事なので、F地区といったり来たり。今住んでるところは、その中間。運転していると、中間地点で居眠りしそうになるので、そこに住居を構える事にしたのだ。成るべく実家に帰らず自活を目指していたが、妹が元気になってロンドンへ帰るまでは住んでるところはF市に行く時の休憩所やピアノの練習所、ということで。実家は山の麓にあり静かで、空気も綺麗。朝は小鳥のさえずりがきこえるため爽やかな目覚め。入院迄にこの環境で少しでも妹が癒されますように。
April 25, 2006
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先日、夜中にブログを書いた際とても深刻で悲しい内容になりseichanが「大丈夫?」と実家に電話すると、母も妹も「何が?」とわらっていて明るかったらしい。その後、私は母から「前向きに生きろ」と注意を受ける。同じ内容でも朝書いていたらまったく違う日記になっていたのかもしれない。なのでなるべく朝書くことにする。でもこの前の日記は、そのときに感じた気持ちだから、削除しない。昨日、実家にいくと東京や外国から何人かの来客があり私の実家レッスンの間に皆で近くの温泉に出かけていた。夜。帰って来た妹はその友人たちが高価な健康食品「フコイダン」を出し合わせて買ってくれるとうれしそうに話していた。妹は本当に友人に恵まれている。どこにいっても多くの友人が、妹にとてもよくしてくれる。そのうちのふたりが泊まるらしいので私は家へ帰ってきた。友人は宝だね。月曜日よりレイカは抗がん剤による投薬を始める。副作用で今はやたらと旺盛な食欲も減退するだろうし 気分も悪くなるだろうから私は極力実家へ通うつもりだ。(まだ入院はしない)私は教室のあるF市と実家のあるK市の中間で、高速道路に近い場所に住んでいる。F市に住みたかったのだが、今の状況では どちらにも通いやすい、この地域を選んで、よかったと思っている。
April 23, 2006
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私とひとつ違いのレイカは、双子のように育てられたが、顔も性格もまるで正反対だった。しかし二人の人生において時々は重なり合うことがあった。部活が一緒だったりバンドが一緒だったり。ピアノをやめていたときは一時期一緒に働いたこともあった。しかし強烈な印象の妹と私では当然あちらが優位に立ち誰もが、私を名前でなく「レイカちゃんのお姉ちゃん」と、呼んだ。そんな私が自分を取り戻したのはピアノのブランクを克服しそれで身を立てるようになってからである。私=私になるために 必死になりピアノにすべてを費やした、この10年間。妹もその間は自立し外国へ旅立ちそれから二人の生活はまったくクロスすることは、なかった。そして「レイカはたくましいから大丈夫」と思い込み、鋭敏に連絡を取り合うこともなく瞬く間に8年間は過ぎ去っていったのである。今日、彼女を病院に連れて行き一緒にCTやレントゲンの写真を見た。すでに癌は様々なところに転移していた。胃、肝臓、腹膜、卵巣。担当医から体にメスは入れずに抗がん剤で治療するといわれた。抗がん剤には三種類あり最終的に脱毛の副作用があるものを使うそうだ。その前に、効果があれば、それを使わなくて良いらしい。「使うときはかっこいいヅラをプレゼントするよ」とか、「ベリーショートにしたら髪が生まれ変わるよ、髪と一緒に第二の人生だよ」とか、冗談を言ったり、「抗がん剤で食欲がなくなる前に食べたいものを食べよう。」と、子供の頃家族でいった焼肉店にいき楽しく時を過ごした。レイカは最近子供の頃を思い出すのか、その頃食べていたあられやせんべいや大好きなチーズケーキを買い込んだり漫画を読んだり思い出話をしたりする。3人でいるときは楽しく時を過ごしたが その後私は仕事に行き終了後ひとりの家に帰ると、涙が出てきた。なんで、もっともっと連絡取ったり、時々はあいにいったり、しなかったんだろうって。母や、末の妹も「レイカは強いから、大丈夫」と、おもっていた。私はそんな母に「本当は弱いところがありやせ我慢してるとおもう」と、言ったことが、ある。今回、その強さで、この病を克服するに違いないが 彼女の透き通るような白い肌やあどけない素顔を見ると、とっても小さいの頃の妹に見えて、なんだか悲しくなった。きっと明日、妹はそんな私を笑い飛ばすに違いない。皆さんも、かけがえのない人を、大切に。
April 21, 2006
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ここまでのあらすじ数年前からネット上で日記を公開しており、それが発展し教室のホームページも別に作り、さらに先月、R、Y、Lの各社が提供するブログのページを作った。当初は、何気ないお散歩の日記や節約日記などジャンルごとにわけ、どのページからも結局はAn.Musicのホームページにいけるようにしたかったのだが、(おとり商法みたいでやだね~)途中から状況が、一変する。ロンドンに住む妹が胃がんの末期だというのである。それからの私のページは、妹の闘病日記と化する。こんなときに公開日記なんて、と思われるかもしれないが、まずは自分が冷静になるために、書き続けた。末の妹も「焼きたてパンに...」のページを休止するといっていたが、書き続ける私を見てか、続ける決心をしたようである。私たちは、今月上旬にロンドンへ行き妹を連れて帰ってきた。あちらの病院は国営で無料だったが、これから治療を続けるにあたり、抗がん剤の副作用等に耐えうるためには、肉親の力がどうしても、必要だからである。帰ってきた妹はすぐには入院せず、検査の日々である。彼女は実家で家事を手伝いながら、私たちと同じ、この楽天のブログを書き始めた。このシステムは、よくできてると思う。私たちは、離れていてもお互いのブログにすぐリンクできるし、彼女の、ロンドンやアメリカやオランダにすむ友人も、病状や日本の様子も確認できる。病状が進み疲れやすいレイカがメールで一人ひとりに連絡するよりもはるかに効率がよい。入院後は私かseichanが代筆することになるだろう。私は最初の「教室の宣伝」の狙いをすっかり忘れて、日々妹の様子を連ねていく。面白いのは、三人とも同じ体験をしても、感じ方、視点、表現がちがうこと。seichanは母親としての意識が常にあるし私は、いつも音楽と結び付けている。そして当の主役は今の体験を通して、人のありがたさと食べるということの幸せを痛いほど感じているようだ。今は、末期でも治る人が多いから、きっと治ったとき、人の痛みがわかる深くて優しくて強い、何事にも負けないすばらしい人になるんだと思う。カリスマ性も増すだろう。いまは、そのためのトレーニングなんだよ。
April 20, 2006
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レイカが日本に帰国して4日がたった。入院先は地元の大学病院の予定。私は明日その近くで仕事なので、K医院へ大学病院への紹介状をとりに行く。最悪の状態ではなかったので、私は帰国した翌日から一人で住む家と仕事に戻った。たった6日間のロンドンでの経験は、私に大きな影響を与えた。家族への、愛情。健康のありがたさ。生きる強さ。好きなことができるという幸せ。妹がすべてを知った上で、それでも希望を持ち強く生きようとする姿勢に心を打たれ、戻ってきてからの私の生活は、変わった。指導法、演奏法、バンドに対しての意識。ひとの気持ちに対しても繊細に汲み取れるようになったように思う。これからの一日一日をできるだけレイカのために費やしたい。後悔のないように。
April 17, 2006
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今回、病気の妹を迎えにいったロンドン。観光こそしなかったが、歩くだけで充分な素敵な街だった。私は、妹が寝ている朝の間よく散歩をした。妹が好きなこの街。故郷での治療を終え、半年後はまた戻るつもりの彼女は、大量な荷物をフラットに残し、「必ず戻る」と、友人たちと約束を交わしていた。帰りの飛行機で渡辺謙が出演したハリウッド映画が流れており、「このひとも癌だったんだよね。」という話しをした。でも、それをのりこえて、こんな世界的なスターになったんだよね。すごいよね。がんばろうね。すると、妹は「私は、金儲けをまだしていない。大金持ちになるまではまだ死ねん。」みやびな映画の世界にうっとりしながら励ましたのに、金儲けとは。たくましい子だ。小さい頃から遠足用にもらったお菓子のお金は残して貯金してたよね。お手伝いで掃除機かけたらお小遣い請求してたよね。うん、そのお金への執着は生命力に繋がると思う、闘病生活、一緒にがんばろう。
April 13, 2006
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ロンドンでの生活もあと2日となった。レイカはまだ抗がん剤などの治療をしていないためか、日本での入院までの数日間は通常の生活ができる。しかし病はその間にも進行している。イギリスでは、本人に真実を告げた上で治療を進めるらしく、本人はすべてを知っている。そしてその上で、気力でこの病気を克服し、またロンドンへ戻りたいと切望している。私は、初めてこの地に来て、それも数日しか過ごしていないが、この街が大好きな彼女の気持ちがすごく、わかるような気がする。久しぶりに家族で過ごす、この数日間でそれぞれがレイカの日本での病との闘いの心の準備を始めていた。しかしそれまでの間、ちょっとだけ楽しい日々を過ごすことにした。5星ホテルのアフタヌーンティーを楽しむという提案だ。私たちがブラウンズホテルに到着すると山高帽をかぶった紳士がうやうやしくでむかえてくれた。店内にはグランドピアノ。奏者はアラブ系中年男性だった。紅茶はダージリンとアールグレイを注文。家で飲むそれとはまったく違い、かなり美味。スコーン、サンドイッチ、色とりどりのケーキ。堪能している間にピアノ演奏が始まった。ボサノバからはじまり、スタンダード、ビートルズ、ビリージョエル、スタンダード、クラシックという構成で選曲は私がレストラン演奏で弾いているものとほぼ同じだった。生演奏の選曲って全世界共通なのかしら。私たちは、レイカの病気のこと、不安、憂鬱さをその優雅なピアノ演奏のおかげでほんの少しの間、忘れることが出来た。わたしも、レストランで弾くとき、知らない誰かをこうやって癒すこともあるのだろうか。そう考えながら店をあとにした。雨は、もうあがっていた。そしてそのとき、「ピアノを弾きたい」、と強く思った。
April 10, 2006
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妹の看病に行くためにイギリスへ行く準備を着々とすすめていたら、激しい頭痛と胃痛と嘔吐が。昨日一日それがつづいた。つわりか?それとも冷凍しておいたいのししの肉の、味噌汁にあたったのか? 苦しかった。しかし、妹レイカはもっと苦しいはずだ。そして、これは神経性のものだと気が付いた。私は強いと思っていたけれど体は正直。初めての発表会主催のときも胃がきりきりと痛んだ。それに何かあると、ありがたいことに、痩せる。今回も、心配しすぎて、悲鳴を上げていたのね。その証拠に、妹が退院すると知ったら、それらの症状も治まった。でも、退院するって、どういうことだろう。患者の望みをきくってこと?それとも本当に回復に向かっているのか?病院の意図が、わからない。あす、イギリスの病院との仲介をしてくれるK先生に詳しい情報を聞くまでは、手放しで喜べない。
April 5, 2006
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昨日、イギリスで入院中の妹、レイカの詳しい病状をきくためととこれからの選択をするために仲介をしてくれているK医師の元を尋ねたが、イギリスの担当医が休暇中らしく、なかなか話しがすすまない。最終的に6日に話しを聞いて、判断することになりそうだ。当の本人はというと、いったん日本の病院へ入院し、またイギリスへ戻るつもりらしい。「飛行機に乗るための体力をつける」といっている。足のストレッチも始めたとか。電話の声を聞く限りでは日に日にパワーアップして回復に向かっているように感じる。ものすごい気力だ。「もう一度戻ったら今度こそかわいい男の子を見つける。」といっており、いつかイギリスでお店をしたい、ともいっていた。本人は癌であることを認知しており「癌細胞を気力でやっつける」という。今の時代、癌は治るものだと、思っている。現に私の周りには病気を乗り越え生存している人が何人もいる。私は、レイカの友人から聞いた病状に関する言葉を、彼女の主観か勘違いであってほしいと願った。彼女の病気を知り1週間がたった。レッスンや、パソコンに向かうことはできるのに、自分の練習のためのピアノを弾くことができなかった。高音とメトロノームの音が神経に障るのだ。しかし今日からまた、始めることにした。なぜなら彼女はボーカリストで、昔はヘビメタ、いまは私がよく弾いているようなスタンダードを歌う。留学は語学のためだが数年前から転入した学校で音楽を選考し、ミュージカルにでるためにがんばっていたのである。実際ショーなどに出ていたようだ。(ちなみに36歳です)がんばりすぎて倒れたんだけど。そんな彼女が戻ってきたとき、彼女とデュオでライブすることが私の夢だったでは、ないか。彼女がいつか年取って戻ってきたときに講師ができるように新設した教室にボーカル科があるのではないか。そのためにもリズムトレーニングをし心を打つような伴奏をしたい。彼女に歌うことと生きる喜びを味わってもらうために。
April 2, 2006
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