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2025.07.11
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カテゴリ: 浮世見聞記
川崎市平和館のミニ企画展「チャンギから考える 未来のための過去との付き合い方」を觀る。



現在は空港となってゐるシンガポールのチャンギには、かつて英國の植民地だった時代の1936年に刑務所が作られ、1942年に英國が大日本帝國に降伏すると、


(※「シンガポール英軍の降伏」 宮本三郎 筆)

そのまま大日本帝國の捕虜収容所となって捕虜たちへの激しい虐待が行なはれ、1945年に日本が連合國に降伏すると、今度は連合國による日本人戰犯の収容所となり、英國が中心となって開いた法廷では978人のВ級戰犯が起訴され、223人が収容所内の絞首臺“Рホール(Punishment HaII)”で死刑執行云々。

このチャンギ裁判は連合國の戰犯裁判でもっとも厳しいものとされたが、1894年いらい植民地支配してゐたシンガポールを奪はれ、また自國兵を虐待された英國の私的な恨みと報復も絡んでゐたと思はれてなられない。


日本人死刑囚の遺書や言傳を収容所外へ持ち出すことは厳禁で、遺品もすべて焼却処分されたが、戰犯の教誨師を務めた二人の日本人僧侶が命懸けで密かに遺言を日本へ持ち帰ったものが2000年代になって寺の庫から數多發見され、戰犯とされた人々が最後になにを思ひ、なにを傳へやうとしたのか、その聲を手紙といふ形で、直接に聞くことが出来る。

日本人兵士、ときには日本軍に従事した企業の社員までが現地の捕虜たち、そして當時シンガポール人口の七割を占めてゐたと云ふ移民系支那人に行なった壮絶な虐待の様子は、一人一人の起訴内容を讀んでも怖氣立つものがある。

とても人間とは思へない殘酷な行為、これこそが戰争が駆り立てた狂氣と云ふものだらう。

しかし裁かれた加害者たちの遺書にはいづれも、



「帝國の軍人として何等疚しいことをしたわけではなく」
「自分は皇國のために立派に働いて死んでいく」
「任務の為」
「御國のため一生懸命御奉公」

など、最後まで清々しいくらゐに揺るがぬ強い愛國心が綴られており、さうした勤勉とされる日本人の心を巧みに利用し叩き込んだ愛國教育の果てに、私は洗脳の恐ろしさを思ひ知らされずにはゐられなかった。

さうした本土の裏切り者たちに裏切られた人々のなかで、

「國の為一生懸命務めたものが戰犯といふ名で引懸ったのです、戰に負けたから戰犯といふ名を付けられたと思ふ外ありません」

との最後の言葉を遺したこの方は、戰争とは善惡の外にある愚行と云ふ真理を、よく見抜いておられたのだと思ふ。


ミニ企画展の域を超えた深い言葉と聲の數々から、しょせん日本人も加害者であった事實を正面からはっきり受け止め、知っておく重要さを、教へられる。





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最終更新日  2025.08.02 22:57:48
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