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ときにはきりきり、そしてぐだぐだ、最終的には謝りまくった改正の年度末。負担が減った人もいるし、増えた人もいる。事業所の収入は少しは上がるだろう、介護支援の私のもらえる報酬も増える(給料はかわらんが)私が悪いわけではないし、言ってしまえば、誰が悪いわけでもないけれど、だからって、誰も謝ることをしなかったら、仕事は回っていかないだろなと痛感です。申し訳ないと思っているのは本当だし、なんとか丸く収まってくれればとクールに思っている反面、マネジャーさんを責めてはいないという、暖かい言葉に救われました。嵐のような3月が終わり、4月1日は娘の誕生日です。「生まれたって、頼まれていたところにメール送ったけど、みんな信じるかなぁ」緊急手術の後、動けなくて朦朧としている私の横で、旦那さんが言っていて、あぁ、エイプリルフールに子供生んじゃったわ、って。笑いかけて腹に激痛が走ったのを覚えています。なんとか定時で年度末最終日を終えて、保育園に迎えに行くと、娘が笑顔で迎えてくれました。家に着くと、さっきまで笑っていた娘が、カーペットの上にぱったりと寝て動きません。犬の散歩は諦めて、ご飯を作り、娘を起すと、発熱していました。丈夫で健康だとばかり思っているから、異変に気がつけない親になってしまっていて反省です。そういえば、おととい辺りから鼻水が出ていたし、昨夜は何度か咳き込んでいたわ。一年ぶりくらいの熱で、ちょっと焦っています。明日は元気になって誕生日のケーキを食べようねって、喜んで。イチゴの乗ったのねって約束しただけで、かなりの上機嫌に・・・。安上がりな奴。いつものようにたくさん食べて、そのうえ熱で赤い顔なのに寝付きのいい娘に・・・やっぱり寝顔見て反省だわ。TTお熱のときは、機嫌悪くなって愚図ったり、怒ったり。そういうこと、いつの間にしなくなったのでしょう。(おもちゃ買って欲しいときはするのに)察しがいいタイプだとは思えないのだけど、私の仕事の忙しい時を、わざわざ避けて、誕生日に熱を出してしまったように思えてなりません。ちなみに、4月1日で5歳になります。学年で一番年下で、4月生まれなのに早生まれというのを、説明するのが面倒な誕生日ですわ。
2009.03.31
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前に、私が、うちの駐車場のガーデニングスペースに砂利を引いてしまい、そこに、秋の寒空の下、タンポポが咲いていたという日記を書いたのですが。それを読んだ方が、日記の方にコメントするのは気が引ける、ということで、メッセの方にコメントを入れてくださいました。匿名希望さんとしておきますね。^^そこには、タンポポは、秋に花を咲かせて、綿毛を飛ばして子孫を残すことができなくても、根を伸ばして葉を地面に伏せ、冬を越し、また次の春に花を咲かせるかもしれないと、いろいろ、心のこもった暖かいコメントを頂きました。ありがとうございます。タンポポって、葉と根が冬を越すのですね、知りませんでした。3年ぶりの大幅な介護保険点数の改定が、この4月に履行されます。先週最終の正式報告があり、パソコンソフトのバージョンアップが済んだのは今週でした。すべてがぎりぎりだな。公務員の皆様、お仕事がいつもこうなんですね、お疲れさまです。4月の予定を出して、40人の利用者さんに説明をするのを、数日でやるんですか??負担が高くなるからって、サービス減らす人のサービス調整期間はないな、無視でっせ。年度末のデータ処理やら人事やらのごたごたと重なって、職場はパニック気味です。朝、タンポポが花を咲かせようとしていたのに気が付いたので、昼に、もう吐きそうだと仕事サボって帰ってきたら、やっぱり見事に咲いていました。癒されました。花っていいものですねぇ~。写真一枚撮ったら気分よく仕事に戻れましたわ。 危ねぇ危ねぇ。こちらもバージョンアップしています。 春ですね。
2009.03.27
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Mりちゃんとことの、イー君と、まひろんが誕生したのは、4ヶ月違いでした。その頃は、二人して0歳児連れでランチしたりしながら、子育てについて話したものです。子育てをしながら、もう二人目はないだろうな、と思っていた私と、次はいつにしよう、と思っていたMりちゃん。彼女は、図書館司書の仕事を辞めるつもりはなく、仕事のスケジュールを調整しつつ、予定通り次の妊娠をして、出産をして、育児休暇中の今に至ります。「二人目いったんだ、すごいなぁ」という私に、「復帰後ずっと働き詰めなのね、すごいわぁ」というMりちゃん。私たちの価値観は、あらゆる面でとても似ていて、話もすごく合うのだけれど、こと、子育てに対する価値観や、感じることって、すごく違っていて、それでいて、初めは違っていたけれど、似てきたり、似ていたけれど違ってきたりしています。感覚って動くんだなぁ。子供を育てるって、本当にいろいろなんだなぁって思うのです。二人目が欲しい理由を、Mりちゃんは、「この、唯一、一人の子供になにかあったらと思うと、怖くない?」と言った。確かに、私も、気が付くとべったり嘗め回すように育てている娘を思うと、娘になにかあったら、私のいろんなものが崩壊してしまうだろうと想像が付く。娘に会えたことは、私の今までの人生のすべてを、肯定してもいいほどのことだったから、だから、娘を失うことで、失ってしまう私の大きさも計り知れない、と解る。だからといって、もうひとりという発想は、私にはなかった。二人目を腕の中に抱くMりちゃんに、聞いた。「どう?リスクは分散された?」Mりちゃんは、以前私に言った自分の言葉を思い出したのか、笑いながら答えた。「だめだ、倍になってるわ。」そうだろうよ・・。私は初めからわかっていた。Mりちゃんも解っていただろう。でも後悔なんてないのだ。子供を持つことで、知ることがある。それは真実だろう。だって、子供を持つということは、自分の価値観も時間も経済状況も人間関係も、取り巻くもののすべてが劇的に変わるのだから。変わったことで、変わらなければ知るよしもなかったことが、次から次へと突きつけられて、それを受け入れていかねば、子育てなどできない。少なくとも私は、子供を持つ、子育てをする、という経験をして、自分の血と肉を分けた存在の愛おしさにびびったし、その影響力にも驚いた。そして、その影響力のある、ありすぎる存在が、自由に動き回って、そして目の届かないところに、行ってしまうという今後の恐ろしさにもおののいている。持ってみたら、はっきりと解るし。持ってみないと解らないことだろう。だからといって、どうだ子育てすごいだろう、なんて、大半の女が経験している、ごく普通の人生の流れの一部に、そんなにプライドを持つこともおかしいし、自慢になるようなことでもないように思う。それぞれが、もともと持っているパーソナリティで子供を持つのだから、そもそもベースが違う。そして、失うものがそれぞれなら、得るものもそれぞれ、感想も行動もそれぞれだろう。子供が女であるか、男であるかでも違うだろうし。健康か、病気をするか、怪我をするのかでも違う。一人育てるか、二人育てるか、三人、それ以降でも、全然違う。共通しているのは、その影響力の凄さと、子供を持つことであらゆるものが変わり、生活も感覚も、そしてその人となりまでも、変わる。ということ。清楚で知的なお嬢さん感漂うMりちゃんは、二十代前半はそれはそれはもてていた。今は、二人目を生んでから体重が減らないらしく、後ろ姿は別人かと思うほど、たくましくなっている。イー君が言うことを聞かないと、躊躇せず、バシーーっとたたいて言うことを聞かせる、旦那さんにも命令口調で文句言う。言ったかと思うと私に笑顔で振り返る。すっかり、男の子を二人育てるおかぁちゃんになっていた。まひろとイー君は、あっという間に打ち解けて、お泊りの宿では、結婚すると言って手を繋いでいた。その横で8ヶ月の弟君が、嬉しそうにぶぶぶーーーと泡を吹いて喜んだ。こんなのいちいち拭いてたらキリがないわと無視していたMりちゃんは、お互いに一人目の赤ちゃんを抱いてランチをしていたときとは、全然違う顔をしていて、私までもが誇らしいほどに、格好よかったよ。
2009.03.25
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友達家族と共に、旅してきました。まさに旅。静岡の新金谷駅に集合して、大井川鉄道に乗り、バスに乗り換えて寸又峡温泉に泊まり、その後、さらに奥地へと、鉄道にて進み、アプト式鉄道という列車に乗り、大井川鉄道の最大のメイン、SLに乗るという旅です。子供たちは大喜び間違いなしだし。鉄道って男の人って嫌いじゃないもんね、旦那様方も大喜び間違いなし。銀河鉄道そのままの木製の床や壁の列車に「ッポーー!!シュシュシュシュ」なんて音を聞きながら乗るなんて、女同士の会話も弾むわさって感じで、期待しておりましたよ。名づけて「春のスマタ」大井川鉄道の個人ツアーでございます。先週までは「冬のスマタ」って名前だったので、ツアーの名前は冬ソナのパクリですわな。誘ってくれた友達に幹事を任せ、私の頭は「SLに乗る」という情報しかなく、まぁ、ツアーのスタートの「新金谷駅」に時間に行きさえすれば、なんとでもなるわ、と思って過ごしていましたわ。出発前日の、しかも夜、「ごめん、子供が熱出した、キャンセルする」と電話貰うまでは・・・。前日の夜、いきなりの幹事交代劇でございます。友達のキャンセルは、とうぜん前日キャンセル料50%、お気の毒です。さて当日、私はいきなり幹事になり、もうひと家族、Mリちゃんちと新金屋駅で待ち合わせです。二日間の予定を、全くというほど把握しておらず、ツアーといえども個人ツアー、あぁ、やばいと思いつつ、出発したのだけど、これがその後のあたふたの元凶でした。新金屋駅よりSLに乗り込むのが、11時58分、余裕を持って11時に待ち合わせしたものの、名古屋から高速に、余裕のつもりで乗ったのは8時、普段なら2時間半の道のりなのですが、三連休の初日、4時間の余裕は甘すぎました。超渋滞です・・・。11時には絶対間に合わない!SLの時間に間に合えばとMりちゃんに電話すると、Mりちゃん家族ったら、私たちよりずっとずっと後ろを入っており・・・もちろん渋滞中。全然間に合わないじゃーないですか!もともとの幹事が立てていた予定が、この時点で総崩れ。渋滞でとろとろの中、大井川鉄道に「間に合いませんー」と電話すると、SLで食べるように弁当が列車に乗っている、とのこと。マジかよ~~そそそそういえば、弁当も予約しとくって幹事の子が言っていたような・・・TTあああああ、SLに乗れないうえに弁当も食べられないのかとブルーになりながら、4時間かかって新金谷駅に到着すると、なんと!大井川鉄道さん、めっちゃめちゃご親切でした。私たちが弁当を受け取れるようにSLから下ろしてくださっており、SLの急行券の指定席を、帰りの午後に乗れるように振り替えてくださいました。かろうじてSLの出発時間に間に合った私たちは、バイバイと手を降りSLを見送って、「そちらだけでも間に合うなら、乗って寸又峡まで行ってて!」とメールをくれていたMりちゃんたちの到着を余裕の笑顔で待ちました。予定していたSLに乗らなかった私たちは、のんびり普通列車に乗り千頭の駅に向かい、そこからバスに乗り換えて寸又峡に向かいます。さて、そのバス、えらいこと山奥の細い道を走ります。ぐいぐい揺れますが、景色は最高、絶景でした。桜には少し早いかと思っていたのに、その日の陽気はまさに春で、木によっては満開になっております。「なんか、いい旅行になったよね~」なんて、まひろが同じ年のイー君とじゃれあうのをほのぼのと眺めながら笑っていたら、乗ってたバスが対向車を避けるためにバックしました。ピーピーピー・・・ガシャン!バスには後ろの車の存在が見えていなかったのか、追突事故発生ですわ。ひ~~~~~10分ほどしてなんとか話がついたのか、とりあえずバスが走り出したものの、焦っているのか運転が超荒い・・・8ヶ月になったばかりの赤ちゃんを抱えたMりちゃん、いらいら絶好調でした。「ゆっくりでいいですから~~」なんて聞こえるように言っっちゃってます。^^;そりゃそうだわ・・子供二人を連れてきて、ひとりは赤ちゃん、無理な運転でもされたら、腹も立つってものよねぇ・・・そんなこんなで始まった旅行でした。旦那さんたちは、ふたりとも鉄道好きで、常に上機嫌。学生時代からの友達の私とMりちゃんは、なんだかんだと話に花が咲き。同じ年の長男くんのイー君は、まひろとらぶらぶ。8ヶ月の赤ちゃんは、きゃわいさ満開。大井川鉄道には、Mりちゃん家族は2年前にも来たとこのと、ハムちんは10年ほどの前に来たとのこと、(早く言えよ!!)どーして、小学校以来の、なんにもわかっていない私が、しかもいきなりの幹事なのかと、発覚したのが宿で酒が入って、ハイった頃でございました。
2009.03.22
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私、化粧品はスーパードラッグの安売り品です。チークや眉ペンは100均でもオッケー。美容院は決まって半年に一回カットのみで「手入れのいらない髪型」がいつもの注文です。エステなんてわざわざいったことない。気張ってリゾートホテル泊まったときに、友人に付き合ってやったことはあるって程度。野菜は、季節のものを実家で収穫したり、ドライブついでに田舎で買います。食卓の定番は、二丁100円以下の豆腐料理や、3袋100以下焼きそばや、もやしでカサ増しお好み焼き。健康食品やお取り寄せに凝っているお隣の奥様に、一ヶ月の食費を聞いたら、うちの3倍でした。肌や内臓の丈夫な家族で、舌が鈍感でありがたいです。チワワのはなちゃんには申し訳ないけれど、缶詰の餌なんて買ったことないです。職場は、食堂での昼ごはん付きです。それ捨ててわざわざ外食するなんて、そんなもったいないことできません。着道楽で飽きっぽい、シングルの妹には、いつも服を貰ってます。妹の体型が変わるたびに大量に貰うから、痩せたとか太ったとか聞くと、喜ぶ私。自分で買うのはユニクロか、頑張ってもアウトレットのバーゲンです。電化製品は、ちょっといいものを買うかもしれない。だって電気代お得でしょ?たまには豪華に旅行もするわよ、ごくごくたまには海外も企画したいわぁ。私みたいな奥様、結構多いのではないでしょうか。私の価値観、ここまではけっこう普通です。ですが私、はっきり言って、歯には金掛けてます。私は成人してから、歯の保険治療は、奥歯の小さな虫歯のみ。メインテナンスは怠っていないから、見た目以外は健康な私の歯、痛くもない、色以外は問題のない歯を、自費診療で矯正し、ラミネートベニアをし・・・。この価値観は、ハタから見たら、おかしー奴のすることでしょう。だって、どんなに頑張っても、天然歯の美しさには敵いませんもの。私は限界も知ってます。何ゆえそんなに綺麗にしたい? って、笑われてもおかしくないですわ。でも私、この価値観にそって進んで、間違いなかったと確信しております。「これだけ、これから歯の治療に使う。治療が終わったら二度と歯医者に行かなくても いいくらいに、死ぬまで大事に歯を使うから、だから今、これ全部使うから。」旦那さんに見せたのは、そのとき私が大事に持っていた、旧姓のままの私の通帳。「どうぞ」あれこれと、プレゼンを用意していたのに、あっけなく即答した旦那さん、あなたは偉い。とにかくありがとう。治療、終了いたしました。明日からの三連休は旅行にでます、おもいっきり笑って写真に写るんだもんね。長かったけど、これからの人生のほうが長いはず。大満足です。
2009.03.19
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以前のブログで、お話したことがあるのですが。私の歯は、幼い頃に飲んだ薬の副作用で、白色ではなくて、灰色に近い茶色をしています。それは、なんでもない風邪の抗生剤で、乳歯の下に永久歯が出来ている途中の幼い頃にタイミング悪く飲んでしまったためのもので。こういう副作用があるとわかったのはかなり後の話で、薬は闇に葬られたみたいですが、命に関わるものでもなし、たいして報道もされませんでした。当時、生えてきた私の永久歯に濃い着色があることの原因は、きれいな白色をしている両親には謎だったし、「色が悪いねぇ」とは陰で言いながらも、私の前ではどうしようもなく見て見ぬ振りをするしかなかったことは、仕方のないことだと思います。辛かったけど、責める気はまったくありません。自分の歯の色が変だと気が付いた小学生の頃、そのときは、たいして気にもしていなかった。中学の頃の思春期って、今から思うと私にも思春期があったのだねってくらいのものですが、歯に関しては、かなりブルーになっていました。というか、頭の中は、変な色の歯のことでいっぱいだったように思います。人前で笑えなくなり、見た目で私を見ていないと信用できる友人にしか笑顔を見せることができず、私は、「少数の人と群れる」という、今でこそ嫌悪される女独特の友人関係の仲でしか、自分を保つことができませんでした。だから私は、思春期独特の「群れる」という友人関係に、なんの嫌悪もありません。私にあるのはその頃の友人への深い深い感謝です。「歯の色変じゃない?」「どうしていつも口に手を当てて話するの?」容赦のない質問は沢山受けましたが、私と仲良くしてくれた少数の友人は、歯のことを何も聞かない。という態度をずっと続けてくれて。言い方は悪いですが、友人であったのに、気になりながらも歯のことには一切触れず、その上、ずっと私を囲むように守ってくれたからこそ、私は私でいられたのです。薬による副作用だと知ったのは、もっとずっと後で、原因が解った私は、原因が解ったというだけで泣いて喜びました。私が死んで、私が焼かれて、骨を拾おうとした家族が、白ではなく茶色の骨を見てびっくりする。という悪夢を、見なくなりました。色が変なのは歯だけだと知ったからです。大学では歯について学び、そのまま大学病院に就職して、就職してすぐに、「早く治療をしよう、保険は効かないけど、お金は後でもいい」と言ってくれた先生には、今でも頭が上がりません。表面を削り、型を取り、セラミックを接着する。という、ポーセレンラミネートベニアという治療をして、私の歯は、表面が一層だけ白くなり、私は臆することなく笑えるようになりました。「笑ってーハイチーズ!」とカメラを向けられるたびに、被害妄想のように傷ついていた私は、もう無意味に傷つくことなどなくなりました。転職したときに、外科と矯正とかみ合わせのスペシャリストの先生と出会い、私は歯並びを治療することを考えました。せっかく装着したベニアの表面を削り、その上から矯正装置をつけ、矯正終了後ベニアをやり直す。という計画を立てたものの、矯正の先生にも、修復(ベニア)の先生にも、反対されました。お二人とも「歯はできるだけ削らないほうがいい」という先生で、そういう先生だからこそ、私は最高の先生だと思っているし、信用できるのだと伝え。そう言われたことを納得しているから、それでも治療して欲しいとお願いしました。10年以上私を守ってくれたベニアの上に、矯正装置を装着したのが、4年ほど前。理想的な噛み合わせと、美しい歯並びを手に入れて、矯正装置が外れたのは、2年前。歯が動いたことで、ベニアがずれて、元の自分の歯があちこちに現れ、装置の装着や、撤去のときにできた表面のキズをそのままにしたまま、2年の保定期間を経て、このたび、ベニアをやりなおすため、上顎前歯4本のベニヤを綺麗に削り取りました。15年もベニアに隠れていた私の歯の色を見て、苦しかった思春期が次々思い出されました。懐かしさで胸がいっぱいです。職場やご近所で、隠さずに笑い、聞かれる前に「これが私の本当の歯の色なの」と見せて説明を繰り返す私は、あの頃、堂々とできなかった私を、若かったなと感じており。いい意味でも、悪い意味でも、少し大人になったように思います。あと少しで、私の前歯には、美しいラミネートベニアが接着されます。原因が解り、治療法がある。そしていい人と出会い、導かれて。私も強い意思を持って治療をした。鏡を見るたびに、すべてのことに感謝して、そして、この歯をずっと大切に大切にしていきます。グロい写真をアップしてすみません。でもこれが私の本当の歯の色です。
2009.03.15
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先週の日曜日に、旦那さんが前乗りして出張先に出かけて以来、我が家は、私と娘の二人家族状態でした。保育園に送り、仕事をしている時間以外は、私たちは二人っきりで。ご飯を作っていても、洗濯物を干していても、掃除をしていても、娘は、常に私の足元に絡みつきました。初めは困っていたのですが、しばらくお父さんが帰って来ないことを知っている娘は、きっと不安で、ひとりでテレビを見たりできないのでしょう。どうせ一週間。私は家事をすることを諦めて、保育園の帰りに二人でファミレスにより、スーパー銭湯に寄り、洗濯も掃除も溜めたまま、一緒に布団に潜り込む、という生活をすることにしました。旦那さんは、普段から帰りが遅く、私が仕事を終えて保育園に迎えに行き、真っ暗な家に入り、ひとりでばたばた家事をしている間、今まで娘は、ひとりで大人しく待っていてくれることが多かったから、意外だったのですが・・・。だけど、私は、それに甘えて、いかにいろいろと自分を優先させていたかを、気が付く時間となりました。常にふたりで、一緒にべたべたと行動して、楽しく過ごした一週間でした。家事をやらない、と決めたら、たくさん笑う時間がありました。もし、私が仕事をしていなかったら、もっと娘との時間が過ごせていて、そして、娘も、安心して母が家事を終えるのを、待つことができるのかもしれないと思うと、ものすごく切なくて。娘が寝入った後も、暖かい体にくっついて覗き込み、バラ色のほっぺを撫でてみたり、ぷっくり盛り上がったくちびるをつついたりして、離れることができませんでした。もう少しで5歳になりますが、寝顔は赤ちゃんみたいです。私は、我慢させてばかりの母親です。
2009.03.13
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環境問題やエコロジーという言葉をよく聞くようになったのは、6~7年前くらいでしょうか。その前からじわじわと言われていたことですが、大きくマスコミに取り上げられることで、環境への個人の意識があがり、企業イメージがこれにより上がるとなってからは、急激に広がったように思います。その頃のことです。地球温暖化により北極の氷が解けて、北極熊が絶滅する恐れがあるというドキュメンタリーをテレビで見ました。熊が生息場所を追い詰められていく映像の後に続いたのは、南太平洋の、沈もうとしている島です。氷が解けることによって、海水面が上がり、島が沈もうとしている・・・・って感じのナレーター。待て待てーーーーっ!!!結構真面目に見ていた私は、言葉がありませんでした。ありえないからです。地球儀を持ってきて、真面目に考えたのだけど、やっぱりどうしてもありえない。北極と南極の氷が全部解けたとしても、(全部溶けたとしたら海水面の話だけではないだろうけど)地球上を覆う海の水位が上がるほど、水の容積が変わるとは、あまりにも無謀なこじつけです。アルキメデスって、物理の一番初めに習うんでしたっけ?もう昔のこと過ぎて忘れたけれど、物理をやったことのある人なら、私の驚きがわかるのかしら??私の理解の仕方が中途半端すぎて、物理的にこれがありえないと言葉にできなくてもどかしいのですが。とにかく、ひとつ島が沈んだり、ベネチィア沈むとかも有名な話ですが、それが、水の量が増えて沈むというのであれば、日本みたいな島国は地形が変わるほどのことですし、それこそ世界中の海水浴場が沈んでいるのでしょう。海水面っていうのは、月の引力による満ち引きや、気圧や気候によっても変わるわけだし、どこかで盛り上がっていれば、どこかでへこむ、っていう種類のものであるので、その後調べてみたら、海水温と水位はかなり関係しているらしい事実であるそうなので、島が沈むことに、温暖化や環境破壊がなにかしらの影響を及ぼしてでのことであるとは思うけれど、氷が溶けでて水の容積が増えて、島が沈むって・・・・。私のような、ど素人でもなんか変だと引っかかることを、堂々とテレビでやるって、どうしてテレビってこうなんでしょう。その後、水温が上がって容積が増えた、ってことはテレビで言っていても、氷が溶けて・・・は、言わなくなりましたね。そりゃ、私が気付く単純な話を、世の中の専門分野の人たちは黙っていないでしょう。番組を作っている人にとって、一番大切なものは、視聴率であり、次に大切なのは、スポンサーでしょう。奇抜で視聴率が出て、スポンサーの意向に沿うものが作られます。だから、私は情報をテレビから得る気はまったくなくて、得ていても重要なことは自分で調べるから、私にとっては、テレビは娯楽番組が一番魅力的で、報道番組でさえ娯楽ショーなのですが・・。ですがね、こと、情報に溢れているからこそ、情報収集が粗雑になっている現代人にとり、そのテレビが一番の情報源であることも確かです。視聴者を馬鹿にしてるのかと、いうものを耳にし目にすると、本当に腹が立ちます。エコロジーの啓発を批判しているのではありませんよ、もちろん。ちなみに、私の家はオール電化のエコキュートです。少しの節約を手間暇かけてやるなんてこと、性格的に絶対できなから、わずかながらでも自分でできることを考えました。設置料金と普段の電気料金の節約とどちらが得になるかは、今のところわかりませんが、目的は二酸化炭素排出量なので、得でなくてもいいと思っています。最近、オール電化は原発を容認しているものだという奇抜な訴えを耳にして、まったく、エコロジーってなんなんだよと、脱力したことはありますが。基本的には、一人一人が少しづつでも協力していけるような感覚は、賛成しています。ですが、啓発をするために、センセーショナルであればいいという、いい加減で、根拠のないデマには、怒りさえも感じます。例えば、私にとっては、人間の作り出した環境の悪化で、生態系が崩れ、生物学者の現在の試算では、白熊が生きられるのは2030年だと思われる。という、事実だけで、私は充分啓発されるから。私に必要なのは事実です。なぜ、と心にひっかかるうそ臭い大袈裟は、必要ありません。
2009.03.11
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家から歩いて見れますの。もちろん、毎年見に行きます。往復で、二回見れるので、一旦見て、お昼を食べに帰って、テレビ見て時間見計らって、もう一回見に行く。というのがいつものパターンです。地元出身の大南選手は、毎年名古屋で走ります。現在33歳、もともとは東海銀行で双子の選手として二人で走っていましたが、数年前からは一人ででています。連続7回出場、いつかはいい結果がでてくれないかと、願う地元名古屋人は多いのではないでしょうか。きっとQちゃんの次に・・・いや言い過ぎか・・・でもそれくらい、応援の声が飛びます。「おおみなみーーー!頑張ってーーーー!」狙い定めて、第二集団の後ろのほうで走る大南選手を見つけて叫んできましたが、昼を食べながら中継を見ていると、大南選手途中棄権とのことでした。残念~・・。高橋選手のありがとうラン、やはりすごい人気でした。去年は、序盤から遅れて、見ているほうが辛いくらいに、汗だくで辛そうだったけれど、今日はにこにこしながら、目の前を通り過ぎていきました。華奢できらきら輝いていて、とってもかわいかったです。去年見たときはすごく日に焼けていて、足や腕が筋っぽくて、まさにアスリートだったけど、今は色白で、すこし肩のあたりに丸みがあって、女の子って感じでした。あぁー、引退したんだなーっ。もう見られなくなるのかと思うと、すごく寂しいけれど、すごい、日本の女子マラソン。今後も楽しみな結果でしたね。写真は、序盤過ぎの先頭集団です!高橋の写真は、見るのに必死で撮れませんわ~。
2009.03.08
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先日、一泊二日のお暇をもらい、長野の友人のところに遊びに行きました。十代の頃からの飲み友達で、思い返してみれば15年以上も欠かさずに、半期に一回は来るなり行くなりして飲んでます。今は長野に一人暮らしをしているので、なんだかんだ借りりゃいいやと荷物は身軽にして、一人旅気分で、JRでの乗車券だけの旅にしました。長野まで行くたって、野沢菜漬やそばを食べたり、善光寺御参りしたり、温泉浸かったり、なんてのが目当てではなくて、完全に友人と飲んでだべるだけが目的なので・・・そりゃもう、ゆっくり着けばいいやと、久々のひとり列車旅、文庫本詰め込んでの出発です。名古屋から長野を目指し、快速列車に乗り込んで。時刻表なぞ持ってませんし、ネットで検索なんてのも、やっておりませんでした。快速が途切れたのが「中津川」の駅で、この先は、「特急しなの」か、各駅列車しかないようです。で、時刻表を見ると・・・。すげーーー、ここまでの快速列車との、時間の繋がりを全然考慮なしの各駅列車の時刻表!一時間に一本くらいで、しかも、ワンマン列車で、乗り方を説明してある紙が張ってある!見てみると、まるでバスのようにお金を払って乗るシステムになっているらしく、どうも、しなの、が停まる次の大きな駅「塩尻」までの駅は、無人駅だということが予想されます。しかも、中津川を出た後の南木曽駅、あたりが、JR東海と西日本の境目になっているみたいで、中津川では、南木曽、までの時間しかわからず・・・その後の列車の乗り継ぎ時間は不明。まぁ、もし各駅停車に乗って行ったとしたら、何時に塩尻に着くのかと駅員さんに聞けばいいのでしょうが、その各駅停車が中津川から出発するのが、なんと・・・2時間後っていうことみたいで・・二時間ここで??この時点で、乗車券のみの旅は挫折です。結局、予定していなかった「しなの」に乗ってしまったため、予定より早く到着!私たち、会うと飲んでる間柄なので、会うと飲まずにはいられましぇん。駅に迎えに来た友人が、「なんか、ばきの顔見ると、パブロフの犬みたいに、酒欲しくなる」つうことで、早い時間からやってる居酒屋、という理由のみで店を選定、レッツ ゴー!!彼女は、私が知っている同級生の中で、なおも、お勉強のできる人でした。旧帝大の理学部で学士、修士、博士と進み、ダブルことなく順調でしたが、大学に席がない、ということから、オーバードクターという立場になりました。知っていますか、オーバードクター。ドクター(博士号)まで取ったのに就職できず、大学に残るものの助手の席もなく、無給のまま大学に残り、席が空くのを待つのです。企業が、不況で研究者を取らなくなり、どんどん増えています。彼女のいた研究室は、オーバードクターがたくさんいる状況で、残ることは非現実的でした。雇われ研究員として大学を点々とする彼女は、非正規雇用です。今の大学も、経営状況が苦しく、いつまでいられるかわらかないと言っていました。今回彼女とは、学歴ってなんなんだろうって、結構真面目に語りました。彼女が言うには、日本はそんなに歴然とした学歴社会ではないそうです、他の国の、すさまじいまでの学歴社会っぷりを見れば、どれだけ日本が学歴社会ではないかがよくわかるのだ、とのこと。「だってほら、だいたい、私を見てよ。ほら、学歴なんて、関係ないでしょう?」自虐的な彼女に、私は笑うしかなかったけれど、その後の彼女の話を聞いていると、ほんとうに、彼女にとって学歴が、彼女に有利に働いているようには見えないと思えた。彼女が家庭教師のバイトをしているときに、私は居酒屋でバイトをしていた、突発的にスーパーで試食を配ることもやったし、夏にはプールの監視員もやった。そういう昔のことを、彼女はよく覚えていた。彼女が言うには、決定的に私との違いはそこなのだそうだ。彼女は自分は研究者になると思っていたから、自分に大切なのは、インスピレーションなのだと思っていたし、専門分野を極めるほうに目が行っていて、汗水たらして働くという意識がなかったうえに、研究者に対人能力は、他の仕事ほど必要ないと思っていた。ましてや、人と接することを仕事とする意識がなかったのだと。短く言えば、研究者になるのだろうと思っていたから、つぶしの利かない人になってしまった。もっと言えば、高学歴だから、研究職だから、職がないのではなく、自分が求められる人材ではないから、職がないのだと。なろうと思ってそうなったわけではないけれど、就職活動でもどこも自分を採用してくれるところはなく、紹介紹介で、どんどんランクの低い大学の研究室に押しやられていく。研究者として認められないうえに、社会人としても、どうも、自信がない・・・。いやいやいやいやいやいや・・・・ちょっと待ってくれ、研究者ってのは、変わり者が多いっていうじゃないかよ~そりゃ、社会性がある人の方がいいに決まってるだろうけれど、自分の仕事の分野での能力が発揮できれば、それでけっこう成功の人生だと思うにーーー!そりゃね、仕事したいんだったら、起業するんじゃなけりゃ求められる仕事をするしかないのだけど、あんたの場合はちょっと違うー。真面目に真面目に勉強して勉強して、針の穴通すようなとこ通った学歴なのに、その先に行く場所がなにもなくなってたってのは、あんたのせいじゃない。景気・・・・う~~~~~ん。生きていくために必要なものって、時代と共に、変わるってことでしょうか。そこまでいったところで、彼女は言っていました。「強い種は、環境に応じて変化できる種」なのだとか。ちょっと、お話を戻して、だいたい、「人と接することを仕事とする意識がなかった」って・・・・ばき「企業で研究マシンになって、仕事ばっかの人生にするならそれでよかっただろうけど、 大学残るんだったら、学生教えるよね? 人と接する能力って、 かなりいるんでない?だって教えるんだもん。 どこまでわかってるかとかの洞察力とか必須だし・・・」「だから、あなたのせいじゃないけれど、その意識がなかったってとこだけは、違ったかな。」落ち込み気味の親友を、元気付けるはずが、余計に落ち込ませてしまったような、そんな気がする。後悔気味の今日この頃。
2009.03.07
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「少子化対策が遅い」「子育て支援が足りない」そんな話をよく耳にするようになりました。私も、子供を持ち、これからの社会を支えていく一員として、充実を願わずにはいられないものであります。でも、「将来の予測ができていない」なんて言葉もよく聞くのですが、私は今ある制度をみて、あまり、そうは思わないのです。(もちろん、急激な経済崩壊による早急な手立ては必要ですが・・)私が出産、育児を考えたときに、いかにして仕事を続けるために、いかにして使える制度があるかを調べるということになり、大変勉強になりました。出産育児休暇をとれるかどうかは、企業、職種により高低があり、家庭事情や、子供や本人の健康状態も、大きく左右することでしょう。だけど、一番大きいのは、母であり、働き手である女性自身の、働くモチベーションや育児と仕事を両立するという価値観であるのではないでしょうか。そして、その価値観を大きく揺るがすものは、その制度であるでしょう。出産育児休暇の制度を知ったとき、その制度がまだ新しいものであったことに驚き、私は、そこから、人の温度を感じ、少なからず感銘を受けました。この制度を作ってくれた人は、女性だろうか、男性だろうか、官僚だろうか、政治家だろうか・・・。どちらにせよ、彼ら彼女たちの立場では、自らがその制度を使いたいがためのものではなく、これから、家庭を作り、社会を作り、日本を作っていく若い人たちのために、その人たちを守るために作られたものであり、想像するその思いには、明らかに、その世代である私たちへの温かさがありました。近いうちに少子化が訪れるであろうことを、予感していた人は、日本の中枢部に存在し。経済が発展するにしろ、破綻するにしろ、社会にも家庭にも、女性の働き手が必要になることを予想していた人が存在していたのです。そして私は、知るほどに、その制度を行使して働くべきであると感じました。そのとき働いていた職場は、ドクターと職員が私だけで、あとはパートという小さな医院で。私の妊娠を聞き、ドクターは今後をどうやって乗り切っていこうかと悩んでいました。いったん辞めて、キリが着いてから就職しなおすことはできるとは思ったけれど、調べるうちに、今後、この職場で働く女性のことを考えるならば、私がここで頑張らなければならないと感じました。辞めるとなるなら、それだったらここには戻らないと主張し、制度を利用し、出産育児休暇を取り、雇用保険からの給付金を頂き、制度に則り、きちんと復職したいと相談することにしたのです。そのかわり、復職したら、必ず一年は、体力の続く限り勤めることを約束しました。私のいない間、新卒の職員を取り、支援し、しっかり引き継ぐところまでを産休前の仕事とし、その仕事の工程を、悪阻でげろげろしながら乗り切りました。今にして思えば、そこまでの直談判をした以上、いい加減な仕事はできなかったのです。復職して1年勤め、結局、転職したのですが、いまでもその医院には顔をだし、バイトをする有様で、無事新しい転職先が決まったのも、まだその医院に気軽に顔をだしてバイトできるのも、あのとき、制度に頼ってでも、その制度が何を求めているのかを重んじて、踏ん張って仕事を繋いだおかげだと思っています。先日、美容院である女性のコラムを読みました。その彼女は、官僚として働きながら、家庭を持ち、仕事を持つことにこだわりました、そして子供を生み、3ヶ月の産休しかない時代に復帰して働き続けた女性です。「女性の働くというモチベーションが必要、女性自身の価値観の変化が必要、 それを社会が求めているという持論」で、もう彼女自身は利用することのないであろう 育児休暇を作ったそうです。 政治家や企業との攻防、反発、それを押し切っての、女性の生き方への思いがありました。 それは、充分予想できた少子化への対策と、女性の社会進出への願いです。今は、官僚を退職して裁判官をする彼女の、その思いを読んだとき、あのとき感じたあの温かさは、これだったのかと、私は美容院で目頭を熱くしていました。必要なものを、必要であると訴えることは、もちろん正当な行為でしょう。それでも、今あるものは当然の権利として行使する気持ちに、先人の思いや、努力を感じることができるのであれば、権利は当然ではないとして、受け止めたうえで、感謝を持ち正等に行使し、そのうえで、訴えるべきではないかと、私は思います。
2009.03.04
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病院の職員の入れ替わりは激しいですが、私の職種の入れ替わりは、全然ありません。3年前に、2年ぶりの職員として就職して以来、私はずっと新入り状態です。先輩方も私も、それぞれ専門分野で兼業の仕事を持っていますが、仕事経験にしろ、実際の年にしろ、私なんて、ほんとにひよっこで、特に席を置いている本業の方では、ばしばしと注意してもらい、私は平伏して教えていただいている状態です。人生いろいろ、濃い方が多く、合う合わないはそれぞれありますが。話は一様に、おもろいのです。少し前のことですが、二人の先輩と3人でお昼を食べていました。テレビには、笑っていいともに、マラソンを引退したQちゃんが出演していました。先輩A「私さー、高橋って、どーも好きじゃないんだよね~」ば 「ええええー、私は誰にでも好かれると思ってました!引退になった名古屋国際も 見に行って、目の前を走るの見て、かわいくて感激して見てたんですよ~ どどどどーして好きじゃないんですかぁ~??」先輩A「だってさー『がんばれば夢は叶う』って、世界記録出してオリンピック金獲って、 そーんな世界レベルに言われてもさぁ、普通は地味~に毎日のルーチンこなすだけで 精一杯だっつうの。叶う叶う言いすぎだよ。フツーはむりだっつうの。」先輩B「あ~~解る解る、叶う叶うって、とんでもないこと叶えた人に言われてもねぇ、 もうそっとしておいてくれよって、なるなるー。」ば 「そうなんですか・・・・私は高橋ってすごいなーかわいいなーって・・・」先輩A「へー、ばきさんて結構純粋っていうか、単純っていうか・・くぷぷぷ」先輩B「私はさ~、エドはるみ。年をとっても諦めないでって、頑張れば頑張ればって スターになった人に言われちゃってもさぁ、それ伝えるためにって走って感動って、 いやぁー、あれは引いたわー。」ば 「エドはるみが、嫌な人がいたなんて・・・・・うぷぷぷ(笑いを堪えて腹が痛い) それにしても・・・・ひ、ひどい言われようですね・・・・ あ・・・あーーーーそういえば!!」先輩AB「そういえばーー??」ば 「あの、柔道のやわらちゃんが、田村で金、谷で金、で今度の北京で、ママで金って 言ってたの見て、もういいじゃんよぉ、いくつもメダル獲っってんだから 帰国したら充分英雄だろ、だいたい旦那はプロ野球で億って稼いでるじゃんか~、 って思ったわ」 先輩AB「ほぉらぁ~、でっしょー!」(大満足) これ、ばりばり福祉畑でやってきた先輩たちです。 初めは真面目な仕事時と、砕けたプライベートでの会話のギャップに ついていけませんでした・・高橋さん、エドはるみさん、谷さん、私はみーんな、すごい人たちだと思っているんです。お昼の無駄話のネタにしてしまって、本当に申し訳なく思っております。ごめんなさい。先輩ったちたら、おもろいんですが、本当に好き放題しゃべってくれちゃって、突っ込み方も引き出し方も、私よりずっと上手で、いつも彼女たちのペースです。前回の日記みたいな、お熱い夢話なんて、しようもんなら、世界レベルでなくて、私レベルでも、絶対、鉄板で爆笑です。酒飲んで酔ったはずみで、なにか言ってしまわないように、(私はいつもこれで失敗する)シークレット事項をいつもキモに命じているのです。夢の話は禁物・・・と。怖い怖い・・・。
2009.03.02
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