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プーケットは、観光で回ると、一日でいい感じの小さな半島でした。最近は中国や韓国からの観光も増えたそうですが、8割がたヨーロピアンな観光客です。とりあえずは、ということで、日本語のできるガイド!とお願いして、一日プーケット観光を申し込みました。ガイドはカタコト日本語の現地で農業をやっておられるカォオさんです。昔ホテルで働いていて英語と日本語を学び、今はゴムの木の農場を親から受け継いで、ガイドはバイトとしてやっているとのことでした。プーケットで最大の寺院、ワットシャロンです。金箔がどっさり張られた仏像が3体並んでいて、訪れた人は金箔を貼ってお祈りしています。建物などは日本の寺とは全然違う、金ぴかな豪華さです。タイの9割は仏教ということ。とても皆さん信仰心が厚く、礼儀正しく、そしてプライドが高いのです。こういう雰囲気の国は大好きです。展望台です。後ろに見える湾が有名なパトンビーチ。おかま天国です。いるわいるわ、ニューハーフだらけ。体を整形して女の人の格好をしている人も、男の格好をしていても完全にしぐさが女の人とか。完全におじさんだけど口紅つけているとか。ニューハーフもいろいろでございました。規律正しく信仰心厚いタイで、この開放感。いいっすね~♪顔出しにびびりが入り、写真はちいさく縮小です。像に乗るハムちんとまひろん。昼食は海添いのレストランでビール飲んで、海の幸で腹いっぱいで。5人で1500バーツ。4000円くらい。カオさんに感謝の一日でした。一日くらいは、島に渡ってみようと、コーラル島に渡りました。海めっちゃきれい~。足元に熱帯魚がうようよです。うひゃー。昼ご飯と往復船代とシュノーケルなど付いて、一人850バーツ。2300円くらい。安っ。プライベートビーチで営業しているタイマッサージのオープンなお店。ホテル内のスパでやると何万円もかかるのに、1時間みっちり全身マッサージして400バーツ、1000円ちょい。このときは服で行ってしまい背中がやってもらえなかったので、その次から水着で行って全身。超気持ちよくて通ってしまいましたわ。 パンガ湾でのサンセットクルージングでのディナー。ここから先はバカンスにごっそりお金を使うヨーロピアン、贅沢空間なのでプライスレスな気分で!船には日本人の姿は、私たちとは別にあと一組しかなく。めっちゃんこ多国籍だったのですが、一緒に食事をすると国民性がすっごい解ります。まず、解るのがイギリス人。お先にどうぞ、譲るの大好き、ジェントルマンの国のジェントルマンは、飲み物も食べ物も、絶対先には立ち上がらす、皆が終わるの待ってます。南の方のイタリアスペインのあたりの方は、ほんとーに陽気。おかげで船がめっちゃ盛り上がり。まったく言葉がわからない人たちも楽しめました。○○○○人って、こんなとこでも異様なプライドの高さがにじみ出ます。うーん、なるほど。アシクセ~?まじるでもなく白けるでもなく、ニコニコと楽しんでいるのは日本人オーストラリア人でした。ハムちんはオーストラリア贔屓です。感覚が似ているよね~と納得。今回、絶対行きタイ!と思っていたのはこのパンガ湾でのシーカヌーです。最高でございました。景色もすばらしくて手漕ぎなので静かで自然とマイナスイオンを満喫です。いくつものラグーンや洞窟を回ります。私たちの漕ぎ手のマイくんは、18歳だといっていましたが、きっと15くらいです。とっても親切でした。細身なのにこの船を上手に操っています。一日ずっと気遣ってくれてありがとう。別れ際にこっそり手にチップを握ったまま握手をしたら、嬉しそうに握り返してこっそりポッケに入れてくれました。破れたTシャツ、買いなおしてくれるかな~。いつも「ドント マインド」「ドント ウォーリー」「オーケー」と声を掛けてくれた彼に、「ダイジョウブ」という言葉を教えて来ました。沢山練習したので今度日本人を載せるときに使えるかな~。笑えるのが、チップ。札をどさっと出して堂々と渡しているのはアメリカン。「別れ際に渡すんだよ!」って父に渡しておいたのに、ついつい渡したくても渡せないまま別れてしまうのが、日本人のおじちゃんです。っもー。両親が乗った船も、漕ぎ手さんがすごく楽しませてくれていて、ぐっジョブだったのになー。こちらはオープンロビーの前のでかい池。これはなんだろうと思っていたら、週末にショーが行われました。夕日が写るとすっごい綺麗らしいのですが、この日は曇っていて夕日が見れず、残念。最後にホテル前の噴水で。楽しかったね~。また来ようね~。今から帰るんだよって言ったら、嫌だ、って泣いてしまいました。ほんと、来てよかったね。
2009.09.29
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おーーー!どうして今まで一枚づつしか写真載せられないのか、わかったよねーやん!!さんきゅー!ってことで、私の泊まったマイカレビーチの素敵なホテルを紹介します。プーケットには、パトンビーチという。昼はマリンスポーツに遊べ、夜は夜遊びにはじける。有名なビーチがあるのですが、マイカレビーチは、ホテルのプライベートビーチしかなく、出かけるには車が要る、静かな大人リゾートでございます。お部屋は、キッチン、ダイニング、リビング付きで、マスターベッドルームとゲストベッドルームにそれぞれバスルームとトイレがある広々スイート。実は、ハワイのコオリナビーチということろのタイムシェア物件を、バブリーに遊んでいた独身時代に権利を買っていて、そことのリゾート交換という形でプーケットに部屋を取りました。身の程知らずな遊び方です。私って自分を追い込むことが大好きな生き方をしておりますね、マゾかしら。疲れてソファーで寝ているおとんと、元気いっぱいで退屈しているまひろん。トイレから見たメインベッドルーム。広々バスルームで遊ぶまひろん。左右対称に洗面台も二つあります。テラス、ガーデンビューです。4階ですが、やしの木が茂ってます。これがオーシャンビューになると・・・素敵だろうな~~値段がちゃいますが。3箇所もあるプールのうちの一つです。ここはファミリー用です。プールの真ん中にバーがあり水に浸かりながらカクテル飲むような大人プールもありました。あともう一箇所は・・・広すぎて見に行くこともせずになってしまいました。おとんと遊ぶまひろん。ここのマイカレビーチは、外海になっていて雨季の間は波が高くて入れません。残念。海がめが産卵に来ることで有名です。サンセットが最高でした。ロビーのソファーの前には、どどーんとプールみたいな池が作ってあり、その向こうに海が見える造りになっていました。ロビーのあちこちに置いてあるソファーは、ベッドタイプです。あちこちでカップルが寝転がっていちゃついております。日本と違うところは、いちゃついているのが若者ではないところですわ~。ここに6泊ですぜ。大興奮だわ。
2009.09.28
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サワディーカー!本日朝着にて、タイのプーケットより、無事帰って参りました。こんがりと日焼けして、頭のてっぺんは火傷して痛い状態ですわ。いやぁー、疲れた疲れ・・・、いやいや楽しかったっす。心配していた例のおかんとは、「おいおいまじかよ」ってことはちょくちょくありましたが、まぁ、予想していたので、たいして、「あ~あ」ってくらいで腹も立たなかったけれど、人のことを絶対悪く言わない、超温厚男のハムちんが、初めて人を悪く言うところを聞くことになりました。すみませんねぇ、私はこういう自分勝手で人の気持のわかなない母に育てられたのですわ。すべてが自分のペースで自分の思うように周りが動かないと怒ってしまうし、自分ではフロントに電話さえできないのに、あれ聞いてくれ、これ聞いてくれと英語が辛い私たちに気軽に言うし、ホテルに飽きたから出かけたいといったり、疲れたから休んでいたいと言ったり、レストランで外食したいと言ったから予約を取ったら、間食してしまったから今日はキャンセルしてくれとか、とにかくすべてがそのときの気分で、言うことに統一性がまったくないのさ。私が娘じゃなくて、嫁だったら、きっといっぱつで絶縁ものだわ。知ってはいたけれど、人に感謝の気持を表すことができない人なので、おかんにそのつもりがなくてもすべてが命令で、とことん状況に合わせることができないのですわ。心配してフォローに入っていた父は、男の癖に頼りないと罵られて、もっと疲れただろうし、ハムちんは、性格とか我侭とかの域ではなくて、怒らないで欲しいけど、これは病気ではないのかと心配するほどで、よくもまともな娘たちが育ったものだと、ぼそりとつぶやいた旦那様の言葉を聞いて、私はもう、これ以上はない気持に満たされて、穏やかな気持で過ごせました。人に理解してもらえるということは、癒されるものですね。ホテルは過ごし易くて快適!タイの人々の表情は、いつも人懐っこくて笑顔。とても勉強熱心で、観光で生計を立てている人が多いプーケットの人々は、たいがい英語が話せます。観光客はヨーロッパからの人が多いとのこと、私たちが泊まったホテルも、カートに乗って移動するほどの大きなホテルなのに、職員に日本人がなかなかいなかったです。現地のツアーに直接申し込んで観光をしたり、クルージングをしたりしていたので、日本語を話せる人がいなくて、困ったりもしたけれど、まぁ、これも醍醐味でした。困ったといえば、言葉が通じないことに腹を立てるおかんのほうで、(そりゃ外国ですし、と誰かつっこんでくれ)ありがとうと、こんにちはくらいは現地の言葉を覚えたらと、機会があると言わせてみるものの、覚える気ゼロ。簡単なのに・・・。いやはや、そうだ私は添乗員だった!はははは・・・写真は、高速船で渡ったコーラル島です。海水はとても澄んでいて、きれいな砂浜で、泳いでいると魚の群れが寄ってきます。ピピ島が有名ですが、船に乗っている時間が長いのでやめ。10分だというコーラルに申し込んだのですが、ここでも充分綺麗でしたよ。素敵な写真がたくさんあるのだけど・・・私はひとつの日記に、何枚もの写真を、どうやってアップするのかがわかりましぇーん。(笑)ホテルでのんびりしている写真も素敵なので紹介したいのだけど、どうしよう・・シーカヌーもタイマッサーも良かったんだけどな~うーん。とりあえず疲れてるし、明日も仕事だしなので、リゾートしている私と、妙にパレオが似合わなくて笑えるまひろんのショットです。
2009.09.27
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19日からのプーケットですが。予定通りうちの家族と私の両親とで、行くことになりました。ご心配やら、アドバイスやら、頂いた方々。どうもありがとうございました。おかげで、ちょっと賢くなりました。お父さんの気持がね・・・って、それだけじゃなくて、私たちも、祖母が亡くなったショックでへこんでいて、もうみんなで取りやめようかって、ハムちんもそれでいいよって言ってくれて。いろいろ調べて、坊さんをやってる知り合いに聞いてみたりもしましたが、「全然常識ハズレではないでしょ、やっぱそこは気持の問題。」と言われ、悩んでおりました。「もう49日までなにもないから。行こう。」って、父が言ってくれました。いいのかしら、おとん・・・姉や妹は。丁度いいタイミングだよ、お葬式が大変だったから、おとん燃え尽き症になりかねないわ~って賛成してくれて、おかんはもう行く気だしで。おばーちゃんに皆で手を合わせて、ありがたく、行ってきます。明日は、仕事が終わってから、姉の家にはなちゃんを預けに行き、犬初体験の姉家族にレクチャーです。まひろは保育園の遠足だから、きっと車の中で寝ちゃうな・・。あさっては、定時に上がってまひろのご飯と寝る用意をしてから、ハムちんとバトンタッチして、もう一度職場に行き、土曜から次の日曜まで、まるまる一週間休む最終の段取りをして、早朝からの出発用意です。担当させていただいているご本人やご家族には、正直にお話しました。みなさん、一週間は私を当てにしないで過ごすようにするからと、楽しんできてねと、笑顔で送り出してくれる方ばかりです。ありがたくて泣きそーです。どなた様も体調を崩しませんように、お怪我をなさいませんように。心からお祈りします。9日間、添乗員に徹してでも、両親に嫌な思いをさせないで旅行を帰ってくることが、私の使命~♪あと数日踏ん張って、飛行機で爆睡の予定です。先ほど発覚しましたが、私の海外のお供の海外旅行用の電子手帳が、ぶっ壊れておりました。ツアーでない旅行に電子手帳なしで行くなんて、絶対無理な私なので、どっかの隙間で買いに行かなくては・・・どこにどんな隙間が?? ああああ明日遠足ってことは弁当じゃねーか!米炊かねば~と、現在、現実逃避っぽい気分で日記書いてます。これじゃ解決しねー・・・。ではでは、また帰ってからの日記ということで、行ってきまーす。わー、おかんとまた喧嘩したぁー。っていう日記にはなりませんように!
2009.09.16
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Mりちゃんとこ一家と、浜名湖へ一泊旅行でした。なぁぁんか、喪中で気が乗らないとは思いながらも、ずっと前からの予定だし、Mりちゃんとこのイー君も、まひろと遊ぶの楽しみにしてるしで、いざ決行。我が家の車一台に、二家族が乗り込んで、名古屋から静岡県の浜名湖へ行きました。いやーーー、楽しかった楽しかった。^^;浜名湖へ行くたびに思うのだけど、高速乗って休憩しながら二時間弱ってのがいい距離だわね。まず向かったのは、ご当地グルメ。「レストランさわやか」の「げんこつハンバーグ」。うまかったす。最近有名なのかしら、いろんな土地のナンバーの車でごった返しておりました。そして、すぐ近くの鍾乳洞の見れる洞窟。「竜ヶ岩洞」すずしーい、マイナスイオンたっぷり~。Mりちゃんと私で、動き回って触りたがる子供たちを「こらこらすべるぞ、走るな~」「触っちゃダメ~貴重なものだぞ、コラー」「入るな~。飲むな~。やめて~~~~」を言いまくっておりました。今更、鍾乳石のできる工程や、洞窟のできる原理、カルスト地形だの石灰岩がどうのだの、説明に見入り。へー、地学ってけっこうおもしろいかも、学生の時は全然興味なかったよね~なんて、Mりちゃんと声を合わせておりました。その後行ったのは「うなぎパイファクトリー見学」いやはや、混んでる混んでる。すごい人。うなぎパイが出来る工場を見学です。ほんと、社会見学のノリの一日。天気が悪かったからこうなったのだけど、いいねぇこんなのも~なんて言いながら今夜の宿。グランドエクシブ浜名湖に到着です。以前、鳥羽のエクシブアネックスになかまねーさん一家と行ったときは、吹雪でなかなかたどり着けず、二人ともカメラを忘れた上に、あちこち問い合わせしてくれたねーやんの携帯は電源切れで、私の携帯のカメラは壊れてるしで・・いいとこ泊まったのに全然まともな写真が残ってませんわね・・・エクシブ浜名湖で受付を済まし。「当ホテルの都合で、予定より、お少し広い部屋を用意させていただいておりますが、よろしかったでしょうか?」と突然の、えらいこと謙虚なグレードアップの申し出です!「ええ、もちろん。(にっこり)」と、キーをいただき、部屋に向かってみると・・・・まじかよ・・・・「ここから先はスーパースイートルームにお泊りの方のみお入りいただける・・・・」というご案内が廊下にしてあり、そこから先は、あきらかに、スーパースイートの人しか入れない、ゴージャスでいて静かな廊下、ポツリポツリとしかない超贅沢な玄関があります。(いい大人4人が顔をあわせてニンマリしてしまいましたて)静かなスーパースイート通路の途中には、突然リビングスペースが広がり、ゴージャスな応接セットが・・・ここは何スペース?歩いてて疲れたら休んでくれってことか・・・んな無駄なこと・・・いやいやこの無駄な贅沢こそがスーパースイートの醍醐味だろう・・・無駄といえば、その向こうの、ここに足を踏み入れた人しか見れないお城の中庭とか噴水とか・・・いったいなんなんだここは・・・まぁ、くやしいが、妙に癒されるぞ・・・などど、子供が喜んで走りまわるのを見ながら、大人4人がひそひそと無駄と贅沢について議論して。さて、部屋に入ると、どーーーん!もう全員大興奮。まずは、リビングでひとしきりおおはしゃぎした後。それぞれ扉を開けて・・「だめだ、もったいなくてこの寝室で寝れる気がしない、あのお姫様しか座っちゃいけない 優雅に寝転っびのソファーまである!」「すげー、オレが独身の時に住んでたワンルームマンションよりも、ここの風呂の方が広い!」「うそ、バスルームよりも一回り狭い、このトイレの方がマンションよりも広いんじゃない?」「ほんとだ、このトイレなら住める!」「洗面所なんて、広すぎて端にトイレが付いてるのがわからないくらいだし・・」「ちょっとちょっと冷静になって、ここリビング以外の場所・・・床も壁も、大理石だよ・・・」「・・・・・・」もーみんな、なに言ってんだかよくわからない大興奮でございました。ほんとにすごいですから、さすがエクシブのスーパースイート。夜はタクシーで飲みに繰り出すかって言ってたのに、こんな部屋ほっとくなんてもったいないって、ここで飲もうぜってことになり、浜松のイオンに引き返して、惣菜と酒を買い込んでスーパースイートのリビングで宴会です。はぁ~、幸せだったわ~。どうして私たちの部屋がグレードアップになったのかは不明です。ハムちんの会社の福利厚生で、法人で入っている会員としてフツーの部屋を一泊借りただけのこと。ここ3年くらいで4回もこのホテルに行っているのがよかったのか・・・??福利厚生だからって使いまくってるな私たち。それにしても、ドレスコードの店しかないホテルのレストランに、子連れの私らがお金を落とせるわけでもなし・・・私たちをグレードアップする理由が全然わかんねーし。なぞだ。まぁ、いいや。ラッキー!次の日は、出来たばかりのホテルウェルシーズンの昼食バイキング食べて、ロープウェイ乗って、オルゴール博物館です。このオルゴール博物館、触れないオルゴールばかりで、眺めるばかりで音が自分で聞けないのでつまんないなーっとか思っていたら、1時間おきくらいに現れて説明しながらオルゴールを鳴らすお姉さんが、私とMりちゃんのツボでした。ハキハキしてて、ちょっとオルゴールおたくっぽくて、素っ気無い感じだけど、ニコニコしてて、ほんとーにかわいかったのさ。ぜんまい回す姿のおねーさんが、ぜんまい仕掛けみたいだぞとか二人でひぃひぃ笑いを堪えながら。もう一回説明が見たいと、Mりちゃんと私が粘って一時間も余分に滞在してしまい。2回目はしっかりと一番前に場所を確保して、おねえさんのかわいさを堪能。(私たちは変態か?)とにかく、存分に楽しんで名古屋に帰って参りました。すばらしかったお部屋の、バスルームだけ、というか浴槽だけ紹介いたします。大人4~5人くらい一緒に入れそうでした。ジャグジーなので、バスソープ入れるともこもこ女優風呂になります。部屋の電気を消して、浴槽の底の電気だけを付けるという楽しみ方もあり。やらし~。
2009.09.14
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日曜日、息があるうちに家族が集まれる日を待っていたかのように、祖母が亡くなりました。長男である父に手をとられながら、眠るように逝ってしまいました。92歳でした。父の兄弟は、遠くに住んでいたり、闘病中だったりで、なにかと頼みごとができなくて、私たち家族で協力して3泊の火の番を眠らずにしていたり、準備に走り回っていたので、告別式までこぎつけた頃には、安心して、コクコクと居眠り状態に入ってしまっておりました。葬儀場に頼まずに、近所のコミュニティセンター借りての密葬で、いやはや、これが、余計に大変でした。大変だけど、それでもさ・・・なにかと私たち3人姉妹で、寝不足な頭でしてた話は、これくらいは大変って言わないよね、って話しで。92歳まで祖母は、ほとんど家族の手を煩わせることなく、病気にもならず、怪我もせず、少ない年金で質素に清楚につつましく、とにかく気丈に生きました。一人暮らしが難しくなったのは、たった5年前だった。政治や宗教や訪問販売の人がよく出入りするようになり、理解力が衰えていたのでしょう。おじいさんの仏壇が勝手に運び出されてしまい、返して欲しいと言ったら5万円を請求されてしまう、なんてことになってしまったから。そこから5年間、ケアハウスにて問題なく自立した生活を送りました。そういう施設でよく聞く、人間関係の問題は何もなく、職員さんにも慕われて。いつも朗らかで、幸せそうにしていました。体調を崩して入院したのは、2ヶ月前で、持ち直して元気になっていました。今にして思えば、あれは、最期の体力を振り絞っていたのでしょう。徐々に起き上がれなくなり、食事ができなくなり、意識が薄くなり、老衰という言葉がぴったりの、ほんとにあっという間の大往生でした。毎日父が病院に通い、足りないものを買っていったり、洗濯物をして着替えやタオルをそろえたり、家事なんて全然できない父が、とてもこまめに動き回っていて。祖母とはあまり仲良しではなかった母は(すんごいソフトに言ってみた)これまたよく働いて、実家の和室の一部屋は、まだ大量の花で埋もれていて。またしばらくは祖母のためだけに使われることになりそうです。やっと最期に、あばあさんの役に立てて、よかったねと。喪主である父がまだ走り回っている間に、母と姉と私と妹と、ホッと息を付きました。祖母には、ただただ、ありがとう。っていう気持です。
2009.09.10
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嬉しいお知らせがありました。受験勉強中のいちごさんより。模試の結果のメールがありました。第一希望 D判定第二希望 B判定第三希望 B判定B判定っていえば、このまま受験でこの成績が出せれば、ほぼ合格じゃ~あーりませんか!D判定も、合格五分五分ってところでしょうか。数学は得意で、英語が苦手っていうのは、変わりがないようで、英語に苦戦しておりますが、頑張ってますよー。私の小学校の同級生に、人並みではない、天才レベルの知能指数っていう人がいましたが、その人は「オレって天才なの」なんつっちゃって、全然努力をしない人でした。数年前に、同窓会があって、そいつに会ったのですが、小学校のときと全然変わってなくて、いい年してまったく自分のビジョンがなくて、あれもこれも、(たとえば大学受験とか公務員一種とか)やったら自分にならやれるけど、やってない。だってやったらやれるんだもん。っていう「やればやれる」と、思い込んでるだけの、なんにもやらない、努力しない、まったく魅力のない、なんにもない人になっていました。小学生の頃は、「オレ、勉強しなくてもテストいい点とれるんだ」なんて言う奴を、格好いいな、なんて思ったことがあるけれど、努力ができないって、なんて格好悪いんだろう。頭がいい人は、努力をしているから、いつまでも頭がいい。美しい人は、努力をしているから、いつもまでも美しいのと一緒。努力することをしなければ、素質の良さなんて関係ない。頑張ってますね、いちごちゃん。結果を出すことは、努力をするよりも難しいもんね。
2009.09.05
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祖母はなんとか持ち直しているが、長くはなさそうだとのこと。いつになるかはわからないから、あんたたちは行ってこい。という両親です。先週は退院後の段取りをつけに、私がソーシャルワーカーさんと相談をして、こんなときにすみませんと旅行の話をして、先生にも、旅行から帰って来てからの退院をお願いしていたのに。あぁ、おばーちゃん、こんなときにこんな計画立ててしまっていて、ごめんね。発券後の航空券は、パスポートの名前で出していて、名前の変更ができないらしく、たかーい手数料払って払い戻しになるそうです。あっちこっちの友人に声をかけるのにも疲れてきまして、それ聞いて少しホッしました。長期休暇をとれる人は、予定を入れているし。予定の無い人は、そんな休暇取れないよって返事ばかりで、まぁ、そうだろうけれど。まるでどこに着くのかわからない、止まらない電車に乗っている気分でしたから、少し楽になりました。もし直前にでも航空券取れたなら、宿はあるから遊びに来て、っていう声掛けに変更ですわ。短大への進学をめぐり。母にとって私は、言うことをきかない反抗的な娘になり。私にとって母は、自分の偏った価値観を娘に押し付ける傲慢な親になりました。いっつもバイトバイトで明け暮れて、家には寝に帰るだけ、母の作ったごはんも食べない。それでも学費免除の成績を維持できたのは、母への反抗心からでしょう。通っていた大学の大学病院の、ほとんど縁故入職しかないような数人の枠に入れて、就職が決まったときも、母の反応を見ずに荷物を運び出して、詳しい住所も言わずに引越したから、就職を喜んでくれたかどうかも、よくわからないままです。「世話になっているくせになんでも自分でやっている気になって、悔しかったら出て行きなさい」が口癖の母だったから、反抗して進学した私は、家にいてはいけないのだと思っていた。だから、学生時代は、後少しの我慢だからと、常にうつむいて実家に寝に帰るだけだった。自立する見通しができたら出て行こうと、淡々と計画を立てていた。世話になっておいて、収入が決まったら出て行くつもりかと、荷物を運ぶ私に言葉をあびせた母を、父が止めた。「出て行きなさいと、学生の子供ができないことをわかっていて、無茶なことを言い続けただろう。 今更、止める権利はないはずだ。」やっと母は、口を瞑った。父は私に、何か欲しいものはないかと聞いた。本当はテレビが欲しかったけれど、遠慮してコタツテーブルを買ってもらった。母は、その後、何も言わなくなった。長い長い時間。きっと、私に言いたいことを我慢していた。それから私は、おぼんや正月を連絡もなしに帰らないことなど普通で。気が付いたら数年帰ってないわ、ということも普通だった。内緒にしていたことも一杯ある。私のことは私がやる、だから関係ないだろうという態度を取り続けていた。お世話になった分は返すからって。定期的に送金をした。私が結婚するときに、呼び出されて家具屋に連れて行かれて、母が目星をつけておいたという鏡台や食器棚を見せられた。お祝いに買うからと・・・それが、十年以上お互いを拒み続けて遠避け続けた、母と私の、空気が変わる兆しだった。ここで、いらないと言うか、ありがとうと言うか、それで私たちの未来は変わることを感じた。「ありがとう」それまでの強固な態度を思い返すと、どうしてあの時素直にありがとうが言えたのか、不思議にも思う。それでも、母と私の距離はすぐには埋まらず、子供を生むときも帰らない私に、母は、かなり愚痴っていたという。「親不孝者」少しづつ漏れ聞く愚痴を、私は、そうだろうよと鼻で笑って流していた。いつか、私は母よりも強い女になる。母が私に、一切の情けを掛けずに厳しく接したように、私も母に、厳しく接するかもしれないという不安に、脅えればいいと、どこか思っていたかもしれない。私が家を建てたとき、アクシデントが起こった。もう家が建っているのに、私が育児休暇中だったことと、昔のハムちんの引き落とし残金不足があったこととで、通っていたはずのローンの審査が、取り消しとなった。乳児の娘を背負って、ローンを組んでくれる金融機関を探してまわった。親は事情を知っていたけれど、私はやっぱり親を頼ることは出来なかった。なんとか自分で解決をして、ローンを組み、引越しをして、私が仕事に復帰して、転職もして、何年か経ち、生活もやっと気道に乗った。繰り上げ返済をして、やっと一息ついたとき、母が初めて我が家を訪れた。「もういい加減にしなさい」そんなようなことを、言ったのか、どうだったか・・・でも、それに近いことを言った。目の前に積まれたのは、お札の束が、両手で抱えるくらい。銀行から借りるくらいなら、私から借りればいいんだと、早く相談しなさいと。ねぇ、おかーさん、今更、私はそんなことしてもらわなくても・・・・あぁ、そうか・・・・どうしてこのお金を、私が進学するときに貸してくれなかったのかと聞くのは、愚問なのだなと、やっと解った。私は人として、ただ認められていなかったのだ。私の学費にお金を掛けられなかったのは、信用がなかったの一言に尽きる。母の価値観が偏っているのだとか、おかしいのだとか、誰もがそう思ったのかもしれないし、母でさえも、それが原因で私との仲がこじれてしまったと思っているのかもしれない。でも私は解る。私の、人としての信用が無かった。だからだ。社会の信用をやっと得て、銀行の信用をやっと得て、じたばたしながらでも、自分のことは自分でやっていける。それでやっと母の信用を得ることができた。それほどに、私の人としての信用がなく、高額の学費を払ってやるほどの価値がなかっただけのことで。母が私に金をかけてやる価値を、ただ見出せなかっただけ。あぁ、なんだ。わかってしまえば、ああ、なんだ。「ありがとう」借りるよ、これで繰り上げ返済して、そのかわり、旅行にでも連れて行くよ、どこがいい?両親は、旅行なれしている人だけれど、スイスでスキーとか、カナダでトレッキングとかで、南国のビーチリゾートでのんびり、という趣味はない。アジアンタウンで屋台ごはん、なんてものしたことはないだろう。だったら、私の行きたいところ。私の趣味の旅行に招待するわ、それでどう?たまには、そういうのもいいでしょう?そんなことで、今回の旅行を企画した。がり勉だった姉や、それに習って勉強しまくってきた妹は、三十路を過ぎて、共に反抗期らしい。「私は、おかんの言うようにやってきた。おかんの期待以上のことをしてきたはずだ、 その結果がこれ。これ以上いったい何を望むというのか」と、今更親子喧嘩をしている様子を、私は白けてみている。もうおばーちゃんの言うことは流しておけよ、と高みの見物状態だ。もう母とは、一生分の喧嘩をしてしまったから、もういい。反抗期というものは、遅いほど、こちらが年とっているし、相手が大人になっているから面倒だと、母が溜息を付いた。今になってみたら、母が一緒に旅行したいのは、私なのだと聞けたから、それで満足だ。残念だけど、今回は諦めよう。また、旅行を企画するからね。一生の思い出に残るようなのをね。
2009.09.02
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困ったことが起りました。仕方がないといえば、仕方がないのですが・・・あ~あ。長くなるので、前編と後編にわけますわ。結論から書くと、9月19日~27日まで、タイへロングバケーションの予定です。プーケットのJWマリオットリゾート&スパホテルの2ベッド2シャワールームで、ダイニング、キッチン付きの広々コンドミニアムを、一年前からまるまる一週間予約しています。えぇ、高いのですが。最高の接客を受けるのって、たまにはいいものです。身の丈にあっていませんが、そんなこと言ったら、一生身の丈の合うところに泊まれないわ、合ってなくても背伸びしてでも泊まるものよ、というのが私の持論です。コンドミニアムはまったくの個人予約しかないので、飛行機のチケットも個人でですが、連休初日発を個人でゲットできるのかどうかが不安で、タイエアラインの早割りを、2月の売り出しと同時に抑えました。人数は大人4人と子供1人。私の両親への、初めての親孝行の予定でした。これも、背伸びっちゃ背伸びで、時間的にも金額的にも、余裕があるかないかと言われれば、ないのだけど。仕事もなんとか調整して休みくらいは取れるようにり、子供が一人で食事してトイレ行ってできるようになった今、今を余裕がないと言ってしまったら、きっと私は、40になっても50になっても、余裕がないのでしょう。あぁ、結論からでしたね。両親も私たちも、とても楽しみにしていたのですが。現在入院している祖母の調子が悪く、ここ数週間が山だという連絡が入りました。山を越えるにしろ超えれないにしろ、19日からのまるまる一週間、長男夫婦が留守なんて、あかんだろうということで。一年前からの計画が、なくなりそうです。両親は、私たちがこんな休みが取れるのは、ほとんど無いことを知っているので、祖母のことは気にしないで、計画通り言って来なさいといってくれています。私たちが行けても、コンドミニアムの一室は使わないことになりますね。豪華なバスもトイレも・・・せこいな私。こうなったら日替わりであっちの部屋こっちの部屋って、寝るか・・。飛行機は、発券してしまっていて、キャンセルのできないチケットですわ。ネットで販売か・・・?私の一番できなさそうな分野だわ。もうどうしたらいいのだか・・・頭痛いです。母と私は、ずっと、距離を置いてきた間柄でした。あからさまに距離が開いたのは、私が高校生の時で、あのときに、一生分の親子喧嘩をしたような気がします。母と私は、進学をめぐり、こじれにこじれました。母は、母の知る超有名大学しか大学と考えておらず、そうでない大学に行く事は、学歴を金で買いにいくようなものだと、言っておりました。がり勉タイプの姉は、母の言う大学に現役でひょいと受かって問題にはならなかったけれど、私の場合、部活やってプロ野球見に行って映画見てボーリング行って、たまには本読んで、なんてしてたわけで。まぁ、おかんのことだから、私を進学させる気はないんだろうなと、自分でも気が付いていて、進路指導の先生に、近所の役場でやる公務員試験でも受けに行きますわと言ったところ、その先生は、私に、どうしておかんは私を進学させないのかと聞いてこいと、しつこく食い下がったのでした。進学させる金がないんじゃないかと言うと、先生はおとんの仕事を聞いて、変な顔をした。なんとなく、変な顔をした理由はわかっていた。子供を進学させられないこたぁ、ねーだろってとこだ。おかんの方針というか、価値観をうまく言い表せられなくて。じゃあ先生直接聞いてみたらと言ったら、これがまずかった。母のことを何も知らない先生を、間に挟んだのは、かなりの選択ミス。まぁ、そのおかげで結局は進学することになるのだけれど。あのときに作った溝は、とてつもなく深い・・・。母は、背筋をピンと伸ばし、付け入る隙もない話ぶりだった。勉強する気があれば、就職して働きながらでも勉強できる、学歴がなければ社会で通用しないというのは、学歴のある人のおごりか、学歴のない人の僻みです。それとも、中卒でも司法試験にでも合格できるという、這い上がることを知らない無知な人ですか。学歴の無いことに私は偏見も差別も持っていない。金で買ったようなしょぼい学歴で、世の中を渡っていく卑劣なことをするよりも、地道に謙虚にしっかりと勉強しつづける子にしたい。といって、先生を言い負かした。やっぱりな、おかんと張り合うだけ無駄だって・・・張り合えばミゾができるだけ、わかっていたから、私はそのつもりもなかった。母の言うようにして、不仲になることだけは避けよう。先生に言った。ばき 「だって仕方ないじゃない、大学行かせてくれるのは、先生じゃなくて親だもん。」言い負かされた先生は、悲しい顔をした。先生 「先生として、ありきたりかもしれないけれど、 進学できる子は、進学した方がいいんだよ。」それきり先生は黙って、次の日に、学費免除になる専門学校や専門職系の短大のパンフを持ってきた。なんとなく、私にもわかっていた。学歴に、偏見も差別もないと言う母の言葉は、たしかに正論かもしれないけれど、社会は、偏見や差別がないわけではないのだろう。そしてなによりも、ソレを言う母こそが、偏差値の高い有名大学しか大学と認めない、偏見の塊みたいな価値観を私に押し付けているのだとどうして気が付かないのだろう。そして私は、はむかうことにした。一緒に買い物したり、男の子の話して盛り上がるような仲良し親子ではないけれど、いがみ合うような仲でもなかった。その仲を壊すことになるだろう。はむかっても、一緒に落としどころをさぐって納得したり、譲ったり折れたりする人ではない。だから、喧嘩をいどんだら、いどみっぱなしになるだろう。思いっきり言い合い、否定し合うことになるってことを、わかってたけど、やった。一切頼らない、甘えない、あてにしない。だから私の思うようにする。進学するってだけの我侭を通すために、どれだけの時間を、お互いにそっぽを向いたまま過ごしたのか。高校生の頃の私には、もう一生分の喧嘩をしたという達成感だけがあって、その後、長く長く、母と娘にどうしようもない距離が残ってしまう事までは、想像が至らなかった。つづく
2009.09.01
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