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遠美近醜などと常套語(じょうとうご)のように云われているが、又存外「遠醜近美」の人物もいるから妙だ。遠くにいて人の噂に聞けば甚(はなは)だ評判の悪い醜怪(しゅうかい)そのもののようなものでも、親しく近づいて実質に触れて見ると案外に純な美しい人が多い。要するに彼は醜にあらず、美にあらず、その遠近、畢竟して汝の「眼」の問題のみだ。
2025年02月28日
人の善悪は何を基準として之を判ずるか。所謂(いわゆる)善人にも三分の悪を含む。所謂悪人にも三分の善を宿す。その三分を捉(とら)えて読めば十人は十人ながら善人であり、十人が十人ながら悪人である。地上にもと善人悪人なし。唯(た)だ人間の「観点」のみ差別を描くのではないか。
2025年02月28日
味方の多きものを弱者とし、敵味方相半ばするものを中者とし、敵の多き者を強者とする。而(しか)して敵もなく味方もなきものを隠者(いんじゃ)とする。隠者には生活力なく存在意義のないものだ。
2025年02月28日
本質的に自己を持たぬものは何時も偉い第三者を拉(ら)つし来って貧しい自己を化粧せんとする。今の世の時人(じじん)は蓋し十の八九まではこの卑しむべき心理の持主だ。
2025年02月28日
三十歳を越えた男は皆、去勢された人間と見て可(よ)い。若(も)し去勢されないでいたなら、必ず自ら進んで何等かの人、又は機関に依って去勢されようとする。完全に去勢されたものを茲(ここ)に温良忠直の紳士と称する。そこまで来れば正に生の終点だ。
2025年02月28日
中心勢力は常に第二位に在る。先ず第二位の人を観ればその団体全部が判る。その将を斃(たお)さんと欲すれば先ずその馬を射るのは此兵法だ。事の或る日に第一位は則(すなわ)ち捨石化する。その捨石は第二位人に依って拾收(しゅうしゅう)されるのだ。
2025年02月27日
群衆に没せざれば群衆動かず、群衆を抜かざれば群衆来らず。
2025年02月27日
働く、乞(こ)う、盗むは生活の三種類なりと。現代の一人者は此三方面を兼摂(けんせつ)す。而(しか)して巧みに対境に応じて変転の技を演ず。
2025年02月27日
一尺の人を七分まで見るに止むるは人物尊敬の礼法なり。七分以上を見れば其処には決して偉人もなく豪傑もなく、況(いわ)んや高僧大徳(だいとく)なし。ゆめ赤色の危険区を侵すべからず。
2025年02月27日
会合の席を外せば、直ぐ其の人は批評俎上の材料化する。島国民のコセコセした神経は安んじて手洗いにすらも立てないまでに焦燥せしめる。この呼吸づまる鈍重なる空気中に大人物の出でよう筈がない。
2025年02月27日
贋造(がんぞう)、偽せ物、くわせもの、そんな名称は十人が十人ながらに全部的又は一部的に当てはめられ得る。今日の真物(ほんもの)は明日の偽物となり。今日の正札(しょうふだ)は明日の贋札(がんさつ)となる。人の相場にも毎日高下は免(まぬが)れない。
2025年02月26日
尊敬するが故に必ずしも敬慕(けいぼ)するのではない。軽悔(けいぶ)しつつもどうしても背(そむ)き得ざる人物も居る。
2025年02月26日
万人に好かれる評判の良い人でも没落の早いものがある。之に反して万人に毛蟲(けむし)のように忌み嫌われ世評(せひょう)極めて悪い人でも、隆々社会的地位を保っているものもある。人間相場の乱高下時代だ。「運」か「本質」かは一切未知数だ。
2025年02月26日
芝居の役者でも運動の選挙でも「未知数」ほど興味が深い。既に出来上ったものとして自他に許されたものには決して新趣がない。出れば必ず喝采さるべきもの、動けば必ず拍手さるべきものと先決的に決定付けられているのは既に半死半廃の人だ。
2025年02月26日
「自信」というものも実は甚(はなは)だタヨリないものだ。不知不識、大向の人気に動かされて左視右顧する。今一呼吸(ひといき)と云う最後のドタン場で多くは味噌をつける。
2025年02月25日
別に高い志節や深い学問を蔵するでもなく一個平凡な俗物でも、世をスネたかの如く山にでも隠れて見せると何か「異彩」でも放ってると思われる。新聞雑誌は骨董品でも掘り出すように之を買い来って市場に投げ出す。妙なもので相当の買手が動く。本人は忽(たちま)ち調子に乗って今度は自ら売りに出る。瞬く間に生地が現われて一束三文に下落する。路傍の人にも顧みられなくなる。人間相場の乱高下も味い来ってその微妙なるに驚く。
2025年02月25日
人間の顔ほど正直なものはなかろう。どんな美しい好い面相でも内容のない人の顔は何処かに値打がない。ヘネクチャな、お粗末千萬(せんまん)な顔でも、内容ある人は妙に凛(りん)とした威厳が含まれている。総てが内容価値の問題だ。
2025年02月25日
今の社会は要するに一面の碁盤だ。その上で黒と白とが争闘を続けている。下手なものが幾十人寄って幾十個の石を投げたって何の役にも立たない。名人の打つ一石、それは霊妙(れいみょう)に活きて働くのだ。天下の奇勝は唯(た)だ名手の一石に帰する。名人の名手が味われる。
2025年02月24日
背後の同情者は時として前面に立てる一人者を嬲(なぶり)殺(ごろ)しにすることあり。多数の同情者を有するは幸福よりも屈辱繁し。
2025年02月24日
世に便利なものは常に危険だ。裏を返せば危険性を帯びないもので珍重がられるものはない。
2025年02月24日
乾坤一擲(けんこんいってき)の大事は決して大胆な人に依って成されるのではなく、至って気の小さい違警罪に問われて発狂する程の人の手に成されるのだ。小心者が捨て身となった時、何者をも恐れざる猛力を産み来るのだ。大胆者は常に余裕に富むけれども、小心者は切迫すれば一寸のユトリも出ない。
2025年02月23日
「続く」ということは生命を培う一の電流のようなものだ。事大小となくどんな妙案を考え出しても、それが続かなければ全く無意味に終る。「変る」ということも慥(たし)かに進歩改新の段階ではあるが変り通しに変ったんじゃ途半(みちなか)ばに達しないで日は暮れる。苟(いやしく)も最善と自ら信じてスタートを切った以上、目鼻のつくまでの継続力が必要だ。ところが、続くことは実に容易ではない。意志の問題だ。生命の問題だ。何物にも拘束されぬサラサラとした生活の底に根強いネバリを持つ、それが「意志の人」だ。
2025年02月23日
親分がなくては乾兒(こぶん)は生きられぬ。乾兒がなくては親分は光らない。親分は一で乾兒は九だ。一がなくては九は零だ。統率者がなくては多数は即(すなわ)ち烏合の衆だ。烏合の衆は一令を待たずして忽(たちま)ち集め得られる。そこに代用自在の売物があるのだ。烏合の衆を統一して鬱然(うつぜん)たる大勢力を築き上げるものは一の親分という重鎮(じゅうちん)だろう。意気に生き、意気に死する一人の親分が欲しいのだ。累々たる群頭顱(ぐんとうろ)は求めずして来るものだ。
2025年02月23日
「大将は片目が好い」。余り物が見え過ぎるものは大を成さない。常に両眼をムイて細々察々される才人の下には有用の材は集まらない。見えざる一面、敢て見ざる一面、そこに余裕のあるのは眼ッカチ(めっかち)だ。「片目礼讃」は何の集団にも叫ばれている声だろう。
2025年02月23日
自己に便利なものは偉い人と云われる。自分に少々都合の悪いものはヤクザな男と称される。当世の人物批評は悉く(ことごと)くその裏に何かの「曰く(いわく)」を含んでいる。
2025年02月22日
「無力の勝利」と云うことがある。人は三面六臂(さんめんろっぴ )で活動する時は存外弱いものだが、一躓(ち)忽(たちま)ち無力の人となれば、第三者の口に真価を歌い出されるものだ。獄中の王仁に対する世論に比感がある。
2025年02月22日
考える人も尊い。しかし考えを実行に移す人は更に尊い。
2025年02月22日
喋舌(しゃべ)ることの上手なものは大向(おおむこ)うに人気あるも個人としては多く忌み嫌われる。聴くことの上手なものは妙に人を惹きつける魅力に富むものだ。
2025年02月22日
今の世の中は自己を中心として利と害との関係より外に何物もないのだ。自己に便なれば仇敵(きゅうてき)忽(たちま)ち手を握り、自己に悪るければ近親直ちに拳(こぶし)を固める。時人(ときのひと)の舌は自己弁明の外に用なく、正義の名さえ自己曲庇(きょくひ)の上に冠せられるのだ。その何者よりも一番大切な「自己」を捨てて赤裸一貫に闊歩(かっぽ)するもの、それが唯一人欲しいのだ。どの階級に於ても。
2025年02月21日
方今(ほうこん)、万人の憧れる人格というものは徳行家(とっこうか)でもなく思想家でもなく、乃至(ないし)金満家でもない。唯(た)だ「共に食って行ける人」、それが何人からも愛され慕われる。或る意味から云えば「共に食って行ける人」は直ちに人の思想を支配する力行家(りょくこうか)ともいわれる。而(しか)して世の金満家は多く私に蓄積欲のみありて、公に散財術を知らない。だから金満家は決して「他人と共に食って行ける人」ではない。たとい領域は狭くとも容量は浅くとも兄弟姉妹と共に食って行く力行(りょくこう)に富んだ人、現代は唯(た)だそれだけを要求しているのだ。
2025年02月21日
死後の伝記などは決して其人(そのひと)の真実性を伝えないものだ。即(すなわ)ち後人(こうじん)が見て推賞に価するような光明面のみを集録する。稀(まれ)に率直にその人の暗黒面などを書いたものなら忽(たちま)ち死屍(しし)に鞭(むちう)つなどと筆者の罪を鳴らされる。伝記は、その人を「偽作」する一の公許詐欺だとの説は穿(うが)つている。
2025年02月21日
モテルことは兎に角、其人を愉快にする。楽天的にする。人間はモテル期間のみが花なのだ。その代り一旦モテ囃(はや)されたものがモテなくなると極度に淋しくなる。初からモテル味を知らないものにはモテなくなる憂いもない。何か知ら、チヤホヤとモテはやされて得意がってる人をみると「次の日」が案ぜられてならない。
2025年02月21日
五尺を許すものは五尺だけ太る。一丈を許すものは一丈だけ太る。人物の大小は一にその許容の程度に依って定る。
2025年02月21日
小手をかざして遥かに望めば小豆粒のように転がって来るようになっては、名家の存在も既に危いもんだ。
2025年02月21日
大家資格の第一条として、他人から初めて名刺を出された時、やおら老眼鏡を取出して「ああ~そうでしたか」と初めて其人(そのひと)を知る事。
2025年02月20日
来訪者が袴を着用していなかったり、ぞんざいな言葉使いなどすると忽(たちま)ちムッとする。失礼だの没常識だのと、その人を相手にしない。これほど左様にブルジョア・イデオロギーに捉(とら)われているのが、当代の所謂(いわゆる)「名士」と呼ぶものだ。
2025年02月20日
敵を多く持つものを敬重(けいちょう)する。それは其人のあらゆる角度に於て硬直鮮明な人格の反射作用だからだ。現代に於て敵らしい敵の一人さえ持ち得ざるものは妥協性に富んだ灰色人種ばかりだ。今の世の小賢い学者などは皆それだ。
2025年02月20日
人間は一卜年寄ると、そこには夫(そ)れ相当の勢力ができる。何時の間にか信者ができてグループを造る。「先生」だ、「恩師」だなどと持ち上げられるとクサイ顔して自ら大家に納まる。知らず識(し)らずの裡(うち)に説教を始める。「教訓」を試みる。もう素直な告白さえなし得なくなる。全く人生の一大危機だ。
2025年02月20日
新刊書の一頁にも眼を曝(さら)さずして口に社会的進出を語る。自ら廃墟(はいきょ)を弔う声だ。
2025年02月20日
党争の間に揉まれて生きて来た人間は闘争が無くなれば急死する。昨日までは蝶よ花よと持ち上げられていたものが今は路傍の小石にも値いしなくなる。他からそうせしめるのではなくて自ら招いてイジけてしまう。兄弟が去る。同志が別れる。友人が離れる。そして今までウワの空で云っていた「孤独」が真に味い知られるに至る。
2025年02月19日
社会人から相当尊敬を払われているもので、その実質の全く無価値なものがある。唯(た)だその無価値を自覚しない間だけが安泰な幸福者である。
2025年02月19日
出花も過ぎた番茶はお湯を注(さ)せばさすほど拙(まず)くなる。桁(けた)を踏み外した人間はあせればあせるほど顛落(てんらく)の底に沈む。それは「人間の番茶」の出がらしだ。
2025年02月19日
現代には本来の美、本来の醜と云うものが殆んど地を払った。美醜は唯(た)だ「化ける」程度の問題だけだ。巧みに化けさえすれば美人と称される。世の徳者だって皆、三分化け七分化けの怪物なのだ。正直な奴は大きな尻ッ尾を引きずりつつ澄ました顔で歩いている。これを「正直臭」というのだ。
2025年02月18日
二重三重の人格を巧みに使い分けるものを素朴純情な人と号する。昨夜の彼と今朝の彼、六時間前の彼と六時間後の彼、何と面白い対象ではないか。
2025年02月18日
大胆とは盲目の換言葉だ。彼は唯(た)だ盲目なるが故に大胆なのだ。
2025年02月18日
「輝ける往時」を持つ人は最も惨めなる死を遂げる。「輝ける時」の過ぎ往かぬ間に死ぬるものは永久に若い。見よ、 累々(るいるい)たる老廃骨(ろうはいこつ)!尚死に切れないで墓門に蠢(うごめく)く名士の末路!
2025年02月18日
無学の代弁者は常に読書文字の無用を説いて大人格は丹田だと自ら腹を指す。その腹中が第一に怪しいのだ。何だか白蟻に襲われたる古伽藍でも見るような気がする。
2025年02月18日
飲酒家のまだ酔わぬと云い出したるは既に酔いたる時なり。まだ老耄(ろうぼう)せずと弁ずる大家は正しく自ら老耄を広告するものなり。
2025年02月18日
来るものも来るものも眼を細くしては阿(おもね)り尾を振っては誑(こ)びる、去勢の飼犬みたような人間ばかりに囲まれている人の気の毒さ。
2025年02月17日
人間は一ト年寄ると無意識的に「旧悪を売る商売人」となっている。「若い時分には」と言う。その言葉の裏には「今は正しい人間だが」と云う説明が付いている。旧悪を売って食うようになったら、それは終末に近い人間完成だ。
2025年02月17日
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